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ボイシ (けい巡洋艦じゅんようかん)

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ボイシ
竣工時
竣工しゅんこう
基本きほん情報じょうほう
建造けんぞうしょ バージニアしゅうニューポート・ニューズ造船ぞうせんしょ
運用うんようしゃ アメリカ合衆国の旗 アメリカ海軍かいぐん
きゅうめい ブルックリンきゅうけい巡洋艦じゅんようかん
建造けんぞう 11,650,000ドル契約けいやく
かんれき
発注はっちゅう 1929ねん2がつ13にち
起工きこう 1935ねん4がつ1にち
進水しんすい 1936ねん12月3にち
就役しゅうえき 1938ねん8がつ12にち
退役たいえき 1946ねん7がつ1にち
除籍じょせき 1951ねん1がつ25にち
除籍じょせき 1951ねん1がつ11にちアルゼンチン売却ばいきゃく
要目ようもく
基準きじゅん排水はいすいりょう 9,800 トン
満載まんさい排水はいすいりょう 12,700 トン
全長ぜんちょう 608.2 ft (185.4 m)
水線すいせんちょう 600.0 ft (182.9 m)
最大さいだいはば 61.6 ft (18.8 m)
吃水きっすい 22.76 ft (6.94 m)
しゅかん バブコック・アンド・ウィルコックスしき重油じゅうゆせんしょうみずかんかん×8
おも ウェスティングハウスしきギヤード・タービン×4
出力しゅつりょく 100,000 hp (75,000 kW)
推進すいしん スクリュープロペラ×4じく推進すいしん
最大さいだい速力そくりょく 32.5ノット (60.2 km/h)
燃料ねんりょう 重油じゅうゆ:1,321 トン
航続こうぞく距離きょり 10,000うみさと (19,000 km)/15ノット
乗員じょういん 975めい
へいそう
装甲そうこう
  • 舷側げんそく:3.25-5 in (83-127 mm)
  • 甲板かんぱん:2 in (51 mm)
  • 主砲しゅほうとう:6.5 in (165 mm)
  • 弾薬だんやく
  •  がわたて:2-4.7 in (51-120mm)
  •  前後ぜんご隔壁かくへき:2-5 in (51~127mm)
  • バーベット:5.9 in (152mm)
  • 司令塔しれいとう:2.25–5 in (57-127 mm)
搭載とうさい SOC シーガル×4
その 船尾せんびカタパルト×2
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ボイシ (USS Boise, CL-47) は、アメリカ海軍かいぐんけい巡洋艦じゅんようかんブルックリンきゅうけい巡洋艦じゅんようかんの6ばんかん[1]かんめいアイダホしゅう州都しゅうとボイシちなむ。公刊こうかん戦史せんし戦史せんし叢書そうしょ』など日本にっぽんではボイス[2][3]ボイズ[4][5]表記ひょうきすることもある。

概要がいよう

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ブルックリンきゅうけい巡洋艦じゅんようかんの6ばんかんで、1938ねん8がつ竣工しゅんこうした[6]太平洋戦争たいへいようせんそう開戦かいせんフィリピン配備はいびされており、アジア太平洋艦隊たいへいようかんたいとして日本にっぽんぐん南方みなかた作戦さくせんむかつ。だが1942ねん昭和しょうわ17ねん)1がつ21にち座礁ざしょう[7]修理しゅうりのため戦線せんせん離脱りだつした。そのは、船団せんだん護衛ごえい任務にんむ従事じゅうじした。ガダルカナルとう攻防こうぼうせんたけなわの同年どうねん10月11にちから12にちにかけて、ボイシはだい64任務にんむ部隊ぶたいとして[注釈ちゅうしゃく 1]日本にっぽんぐん巡洋艦じゅんようかん部隊ぶたい[注釈ちゅうしゃく 2]交戦こうせん大破たいはした[3]サボとうおき海戦かいせん)。

修理しゅうり完了かんりょう1943ねん6がつから大西おおにしひろしおよび地中海ちちゅうかい方面ほうめんてんじ、おもにイタリア戦線せんせん活動かつどうした。1944ねんになるとキンケイド提督ていとくだい7艦隊かんたい配備はいびされ、ダグラス・マッカーサー大将たいしょう指揮しきするニューギニアとう北部ほくぶ作戦さくせん従事じゅうじした[8]。5月下旬げじゅんにはビアクとう攻防こうぼうせん参加さんかし、6月8にちよるから9にちにかけて日本にっぽんぐん駆逐くちくかん交戦こうせんした(作戦さくせん)。10月中旬ちゅうじゅん以降いこうフィリピン攻略こうりゃくせんでは、10月25にち未明みめいスリガオ海峡かいきょう西村にしむら艦隊かんたい迎撃げいげきした[9]スリガオ海峡かいきょう夜戦やせん)。つづいてミンダナオ島みんだなおとう作戦さくせん支援しえんした。

1945ねん1がつ初旬しょじゅんルソン島るそんとうたたかでは、マッカーサーがリンガエンわん上陸じょうりくするまで臨時りんじ旗艦きかんとなった[10]。5月になるとボルネオのたたか従事じゅうじし、終戦しゅうせんむかえた。1951ねん1がつアルゼンチン売却ばいきゃくされ、ボイシはヌエベ・デ・フリオ (ARA Nueve de Julio, C-5) と改名かいめいされた[11]。1978ねん退役たいえき、1983ねん解体かいたいされた[12]

かんれき

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戦前せんぜん

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ボイシはバージニアしゅうニューポート・ニューズニューポート・ニューズ造船ぞうせんしょ起工きこうした[6]1936ねん12月3にちにサロメ・クラーク(アイダホしゅう知事ちじバージラ・W・クラーク英語えいごばんむすめ)によって命名めいめい進水しんすいし、1938ねん8がつ12にち艦長かんちょうベンジャミン・ヴォーン・マッキャンドリッシュ大佐たいさ指揮しき就役しゅうえきした。

1939ねん2がつモンロビアリベリアケープタウンへの整調せいちょう巡航じゅんこう、ボイシはカリフォルニアしゅうサンペドロだい9巡洋艦じゅんようかんぶん艦隊かんたい配属はいぞくされる。1941ねん11月まで西海岸にしかいがんおよびハワイ水域すいいき交互こうご活動かつどうした。その、ボイシはフィリピンマニラかう5せき輸送ゆそうせん護衛ごえいした。11月28にちサイパンとう東方とうほう海域かいいきおもいがけない出会であいがあった。横須賀よこすか出発しゅっぱつし、トラック諸島しょとう経由けいゆクェゼリン環礁かんしょうかう途中とちゅうだっただいろく艦隊かんたい旗艦きかんけい巡洋艦じゅんようかん香取かとり[13]司令しれい長官ちょうかん清水しみず光美てるみ中将ちゅうじょう座乗ざじょう)とすれちがったのである[14]ほんかん練習れんしゅう巡洋艦じゅんようかんにすぎない香取かとりより圧倒的あっとうてき優勢ゆうせいであったが、双方そうほうとも狼狽ろうばいした[15]。ボイシはすべての砲塔ほうとう香取かとりけつつ、煙幕えんまくって輸送ゆそう船団せんだんかくした[14]香取かとりはボイシと輸送ゆそう船団せんだんえなくなってから、ボイシとの遭遇そうぐう打電だでんした[14][注釈ちゅうしゃく 3] 12月4にち、ボイシはルソン島るそんとうマニラ到着とうちゃくした。情勢じょうせい緊迫きんぱくしていた[注釈ちゅうしゃく 4]

だい世界せかい大戦たいせん

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開戦かいせん - 1942ねん中旬ちゅうじゅん

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1941ねん12月7にち日本にっぽん時間じかん12月8にち)の太平洋戦争たいへいようせんそう勃発ぼっぱつ[18]、ボイシはセブとうおきにあった[19]日本にっぽんぐん比島ひじま作戦さくせんにおいて航空こうくう撃滅げきめつせん優先ゆうせんする[20][21]アジア艦隊かんたい英語えいごばん司令しれい長官ちょうかんトーマス・C・ハート提督ていとく)は潜水艦せんすいかんのぞだい部分ぶぶん艦艇かんていらんしるしオーストラリア方面ほうめんに避退させた[22]。マニラにいただい5任務にんむ部隊ぶたい司令しれいかんグラスフォード英語えいごばん少将しょうしょう空路くうろパナイとう南岸なんがんイロイロ移動いどうし、そこでじゅうじゅんヒューストン (USS Houston, CA-30)にはたはたかかげた[23]。またセブにいたボイシももどされ、ヒューストンに合流ごうりゅうする[24]。ヒューストンとボイシはスールーうみ南下なんかし、マカッサル海峡かいきょうかった[24]。 ボイシはひがしインド諸島しょとうだい5任務にんむ部隊ぶたいくわわり、アジア太平洋艦隊たいへいようかんたいけい巡洋艦じゅんようかんマーブルヘッド (USS Marblehead, CL-12) に合流ごうりゅうする[25][注釈ちゅうしゃく 5]

1942ねん1がつ11にち日本にっぽんぐんらんしるし作戦さくせんによりボルネオとう北東ほくとうタラカンとう上陸じょうりくし、よく12にち守備しゅびたい降伏ごうぶく[27]掃討そうとう作戦さくせん油田ゆでん占領せんりょう飛行場ひこうじょう設営せつえい実施じっしした[28]連合れんごうぐん日本にっぽんぐんつぎ目標もくひょう同島どうとう東岸とうがんバリクパパン予測よそくし、潜水せんすいかん部隊ぶたい配置はいちした[7]。さらに1がつ20日はつかだい5任務にんむ部隊ぶたい司令しれいかんのグラスフォード少将しょうしょう出撃しゅつげきめいじ、グラスフォード少将しょうしょうはボイシにはたはたかかげた[29]だい5任務にんむ部隊ぶたいけいじゅんボイシ、けいじゅんマーブルヘッド、駆逐くちくかんジョン・D・フォード英語えいごばんポープパロットポールジョーンズ)はティモールとうクパン出撃しゅつげきする[29]。このだい5任務にんむ部隊ぶたいが、現時点げんじてん連合れんごうぐん艦隊かんたい攻勢こうせいてき作戦さくせん使用しようできる、精一杯せいいっぱい勢力せいりょくだった[30]目標もくひょうバリクパパンおき集結しゅうけつした日本にっぽん輸送ゆそう船団せんだん護衛ごえい部隊ぶたい指揮しきかん西村にしむら祥治しょうじだいよん水雷すいらい戦隊せんたい司令しれいかん)である[31][29]。しかし、ボイシは1がつ21にちセプ海峡かいきょう英語えいごばん海図かいず記載きさい暗礁あんしょう衝突しょうとつし、マーブルヘッドも機関きかん不調ふちょう後退こうたいして後退こうたいバリクパパンおき海戦かいせんには参加さんかできなくなった[29]どう海戦かいせん活躍かつやくしたのは、けいじゅん2せき脱落だつらく進撃しんげきつづけた駆逐くちくかん4せきだった[32]

ボイシはコロンボおよびボンベイ応急おうきゅう修理しゅうりのちメア・アイランド海軍かいぐん造船ぞうせんしょかった。修理しゅうり完了かんりょうすると6がつ22にち出航しゅっこうし、船団せんだん護衛ごえいニュージーランドオークランドかう。護衛ごえい任務にんむ終了しゅうりょう真珠湾しんじゅわん帰投きとうし、ガダルカナルとう上陸じょうりくさいして日本にっぽんぐん攪乱かくらんする目的もくてきで7がつ31にちから8がつ10日とおかまで日本にっぽん勢力せいりょく圏内けんない巡航じゅんこうした。8月にはフィジーおよびニューヘブリディーズ諸島しょとうへの輸送ゆそう船団せんだん護衛ごえいし、9月14にちから18にちまでガダルカナルとう上陸じょうりくする海兵かいへいたい支援しえんおこなった。

サボとうおき海戦かいせん(エスペランスみさきおき海戦かいせん

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サボとうおき海戦かいせん損傷そんしょうしフィラデルフィアに帰投きとうしたボイシ

10月11にち深夜しんやから12にち未明みめいおこなわれたサボとうおき海戦かいせん[33]連合れんごうぐん呼称こしょうエスペランスみさきおき海戦かいせん)は[34]ガダルカナルとう攻防こうぼうせんなかにおけるひとつの頂点ちょうてんである。南太平洋みなみたいへいよう部隊ぶたい司令しれいかんロバート・L・ゴームレー中将ちゅうじょうは、太平洋艦隊たいへいようかんたい司令しれい長官ちょうかんチェスター・ニミッツ大将たいしょうかれるかたち[35]ニューカレドニアからアメリカル師団しだんいち連隊れんたいをガダルカナルとうおく[3]同時どうじに「東京とうきょう急行きゅうこう」を阻止そしする艦隊かんたい出撃しゅつげきさせる[36]東京とうきょう急行きゅうこうの「脱線だっせん」のいのちけたアメリカ艦隊かんたい空母くうぼホーネット部隊ぶたい戦艦せんかんワシントン部隊ぶたい巡洋艦じゅんようかん部隊ぶたい)のうち[5]ノーマン・スコット少将しょうしょう指揮しきする巡洋艦じゅんようかん部隊ぶたいは「攻撃こうげきてき行動こうどうって輸送ゆそう船団せんだん保護ほごせよ」とめいじられた[37]。スコット少将しょうしょうじゅう巡洋艦じゅんようかんサンフランシスコ (USS San Francisco, CA-38) を旗艦きかんとし、重量じゅうりょうかんはサンフランシスコのほかにじゅうじゅんソルトレイクシティ (USS Salt Lake City, CA-25)、けい巡洋艦じゅんようかんヘレナ (USS Helena, CL-50) 、そしてボイシがいた[5]だい64任務にんむ部隊ぶたいは10月7にちエスピリトゥサントとう集結しゅうけつし、2にちレンネルとう近海きんかい到着とうちゃくして警戒けいかいしつつ待機たいきした[37]。10月9にちにヌーメアを出発しゅっぱつした連合れんごうぐん輸送ゆそう船団せんだん歩兵ほへいいち連隊れんたい)がガとう接近せっきんしつつあり[38]すんでじゅつのように輸送ゆそう船団せんだん安全あんぜん確保かくほせねばならなかった[37]

日本にっぽんぐんにとってもヘンダーソン飛行場ひこうじょう脅威きょういであった[39][40]日本にっぽんぐんラバウル航空こうくうたい来襲らいしゅうすると、沿岸えんがん監視かんしいん通報つうほうにより、連合れんごうぐん航空機こうくうき上空じょうくう退避たいひしてしまう[40]だいじゅうななぐんそう攻撃こうげき今度こんどこそ成功せいこうさせるため、日本にっぽんぐん水上すいじょう母艦ぼかん日進にっしん千歳ちとせおよび護衛ごえい駆逐くちくかんあさくもなつくも秋月あきづきはくゆき[注釈ちゅうしゃく 6]叢雲むらくもあや)による重火器じゅうかき輸送ゆそう[42]金剛こんごうがた戦艦せんかんじゅう巡洋艦じゅんようかんによるヘンダーソン飛行場ひこうじょう砲撃ほうげき高速こうそく輸送ゆそう船団せんだんによるだい規模きぼ輸送ゆそう計画けいかくした[43]だいさん戦隊せんたいきむつよし榛名はるな)の飛行場ひこうじょう砲撃ほうげきさきだって、そと南洋なんよう部隊ぶたい指揮しきかん三川みかわ軍一ぐんいちだいはち艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん支援しえんたい指揮しきかんふじ存知ぞんちだいろく戦隊せんたい司令しれいかん)による飛行場ひこうじょう砲撃ほうげきおこなうことになった[42][44]

10月11にち、まずラバウル航空こうくうたいれいせん一式いっしき陸上りくじょう攻撃こうげきがヘンダーソン基地きち空襲くうしゅうをおこなった[45]午前ごぜん820ふん日進にっしん輸送ゆそうたい日進にっしん千歳ちとせ駆逐くちくかん部隊ぶたい)はショートランドとう南東なんとう30かいり連合れんごうぐん大型おおがた発見はっけんされた[46]午後ごご810ふん先行せんこうしていた日進にっしん輸送ゆそうたいガダルカナルとうタサファロング泊地はくち揚陸ようりく開始かいしした[47]午後ごご845ふんには連合れんごう軍機ぐんきらしきものが日進にっしんたい上空じょうくう通過つうかし、午後ごご9には飛行機ひこうきがルンガ泊地はくち海面かいめん照射しょうしゃするのをみとめた[47]だい64任務にんむ部隊ぶたいには、B-17から情報じょうほうはいってきた[37]日本にっぽん艦隊かんたい巡洋艦じゅんようかん2せき駆逐くちくかん6せき)が「スロット」とばれるコースをとおって接近せっきんしつつあることを報告ほうこく[34]日本にっぽん艦隊かんたいには輸送ゆそう船団せんだん付属ふぞくしておらず、ヘンダーソン飛行場ひこうじょう砲撃ほうげきねらってきた部隊ぶたい推定すいていされた[35]すんでじゅつのように、ガとう接近せっきんちゅう日本にっぽん艦隊かんたいは2つ(高速こうそく輸送ゆそう部隊ぶたい日進にっしんたい[46]飛行場ひこうじょう砲撃ほうげき部隊ぶたいそと南洋なんよう部隊ぶたい支援しえんたい[48])であり、B-17が報告ほうこくしたのは日進にっしん輸送ゆそうたい水上すいじょう母艦ぼかん2せき駆逐くちくかん6せき)であった[37]だい64任務にんむ部隊ぶたい飛行場ひこうじょう砲撃ほうげき部隊ぶたい本当ほんとう東京とうきょう急行きゅうこう)を妨害ぼうがいすべく[37]レンネルとう沖合おきあいからガダルカナルとうサボとうあいだ海域かいいきてつそこ海峡かいきょう)に移動いどうした[49]だい64任務にんむ部隊ぶたい弱点じゃくてんは、スコット少将しょうしょう新型しんがたレーダーのSG装備そうびしたヘレナを旗艦きかんとせず[50]旧式きゅうしきレーダー搭載とうさいのサンフランシスコを旗艦きかんにしていたことだった[51][52]

"Pick Out the Biggest One and Fire!" – 戦時せんじプロパガンダポスター、ボイシ艦長かんちょうエドワード・J「マイク」モラン大佐たいさ

10月11にち真夜中まよなか日本にっぽん時間じかん午後ごご945ふん以降いこう)、だい64任務にんむ部隊ぶたいそと南洋なんよう部隊ぶたい支援しえんたいはガダルカナルとうのエスペランスみさき北方ほっぽう海域かいいき交戦こうせんした[53]だい64任務にんむ部隊ぶたい東京とうきょう急行きゅうこう日進にっしんたい)を見逃みのがし、飛行場ひこうじょう砲撃ほうげき部隊ぶたいそと南洋なんよう部隊ぶたい支援しえんたい)と交戦こうせんしたのである[34]だい64任務にんむ部隊ぶたい丁字ていじ戦法せんぽうをとり、「前方ぜんぽう出現しゅつげんしたのは敵艦てきかんたいだろうか、それとも日進にっしんたいであろうか。かんかげ日進にっしんているようだが」[54][55]確信かくしんをもてないそと南洋なんよう部隊ぶたい支援しえんたいたいして有利ゆうり態勢たいせいとなった[56]だい64任務にんむ部隊ぶたいがわも、最新さいしんレーダー搭載とうさいのヘレナが報告ほうこくした目標もくひょう位置いちと、ボイシが報告ほうこくした位置いち相当そうとう差異さいがあり、スコット少将しょうしょう混乱こんらんさせた[37]

錯誤さくご幸運こううんすえだい64任務にんむ部隊ぶたい先手せんてをとり[54]はつたまたん縦陣じゅうじん先頭せんとうじゅう巡洋艦じゅんようかん青葉あおば艦橋かんきょう貫通かんつうして幹部かんぶ殺傷さっしょう[57]支援しえん部隊ぶたい指揮しきかんふじ存知ぞんち少将しょうしょう致命傷ちめいしょうわせた[58][注釈ちゅうしゃく 7]青葉あおば右舷うげん前方ぜんぽうにいた駆逐くちくかん吹雪ふぶき[60]集中しゅうちゅう砲火ほうかびて轟沈ごうちんした[61]大破たいはした青葉あおば面舵おもかじてんかじして煙幕えんまく展開てんかい[62]、2番手ばんてじゅうじゅんたか先頭せんとうった[57]たか果敢かかん砲撃ほうげきしたが、火災かさいだい64任務にんむ部隊ぶたい目標もくひょうとなって集中しゅうちゅう砲火ほうかび、航行こうこう不能ふのうとなって12にち未明みめい沈没ちんぼつした[注釈ちゅうしゃく 8]。 ボイシはたか交戦こうせんし、つづいて健在けんざいじゅうじゅん衣笠きぬがさおよび駆逐くちくかん初雪はつゆき砲撃ほうげきせんおこな[63][64]。ボイシは前部ぜんぶ主砲しゅほうぐん(1、2、3ばん砲塔ほうとう付近ふきん)に直撃ちょくげきだん大破たいはし、前部ぜんぶ火薬かやくにも直撃ちょくげきだんがあった[65]浸水しんすいにより主砲しゅほう弾薬だんやくへの誘爆ゆうばくふせげたが、多数たすう死傷ししょうしゃ[4]。107めい死亡しぼう、35めい重傷じゅうしょうった[66]。ソルトレイクシティが衣笠きぬがさとボイシのあいだみ、ボイシは危機ききだっした[66]。だがソルトレイクシティも被弾ひだんして機関きかん火災かさい発生はっせいした[67]前衛ぜんえい駆逐くちくかんダンカン (USS Duncan, DD-485) とファーレンホルト英語えいごばん (USS Farenholt, DD-491) はてき味方みかたりょう部隊ぶたいあいだまよんで双方そうほうから砲撃ほうげきされ[61]、ファーレンホルトが大破たいは、ダンカンが沈没ちんぼつした[68]大破たいはしたボイシはエスピリトゥサントとう応急おうきゅう修理しゅうりをおこなったあと[69]フィラデルフィア海軍かいぐん造船ぞうせんしょ回航かいこうされ、11月19にちから1943ねん昭和しょうわ18ねん)3がつ20日はつかまで修理しゅうりおこなわれた。

1943ねん ヨーロッパ戦線せんせん

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修復しゅうふくなったボイシは6がつ8にち地中海ちちゅうかいけて出航しゅっこうし、6月21にちアルジェリアアルジェ到着とうちゃくした。7がつ10日とおかから8がつ18にちまでシチリアとう上陸じょうりく作戦さくせんにおいて支援しえんかんほう射撃しゃげきおこなう。9月にはイタリア戦線せんせんにはせさんじ、ターラント(9がつ9にち10日とおか)およびサレルノ(9がつ12にち - 19にち)でのイタリア本土ほんど上陸じょうりく支援しえんしたのち、11月15にちニューヨークけて出航しゅっこう。そのふたた南太平洋みなみたいへいようかい、12月31にちニューギニアミルンわん到着とうちゃくした。

1944ねん ニューギニア戦線せんせん

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ニューギニアで砲撃ほうげきちゅうのボイシ

1944ねんの1がつから9がつまでのボイシは、おもニューギニアとう北部ほくぶ海岸かいがん沿いで、南西なんせい太平洋たいへいよう連合れんごうぐんそう司令しれいかんダグラス・マッカーサー大将たいしょう作戦さくせん参加さんかした[8]。この方面ほうめん活動かつどうしていたアメリカ海軍かいぐんは、マッカーサー大将たいしょう指揮しき行動こうどうするだい7艦隊かんたいトーマス・C・キンケイド中将ちゅうじょう[70]であった。ほんかんは、姉妹しまいかんフェニックス (USS Phoenix, CL-46) やナッシュビル (USS Nashville, CL-43) などとともに、ニューギニアのたたかいし作戦さくせん)に従事じゅうじする。そのなかにはマダンへの砲撃ほうげき(1がつ25にち、26にち)、ホーランジアのたたかにともなうフンボルトわん上陸じょうりく作戦さくせん支援しえん[71](4がつ22にち[72]ワクデとう砲撃ほうげき(4がつ29にち、30にち)およびワクデとう上陸じょうりく(5がつ15にち - 25にち[73]ビアクとう上陸じょうりく(5がつ25にち - 6がつ10日とおか[74]ヌムフォアとう英語えいごばん上陸じょうりく(7がつ1にち、2にち)、サンサポアみさき上陸じょうりく(7がつ27にち - 8がつ31にち)、モロタイとう占領せんりょう(9がつ1にち - 30にち)がふくまれる。

5月27にちからはじまったビアクとう攻防こうぼうせん[75]、ボイシはサボとうおき海戦かいせん砲火ほうかまじえたじゅうじゅん青葉あおばおな海域かいいき行動こうどうすることになった。連合れんごうぐんのビアク来襲らいしゅうおどろいた連合れんごう艦隊かんたい作戦さくせん発動はつどうし、南方なんぽうぐん海上かいじょう機動きどうだい旅団りょだん海軍かいぐん艦艇かんていでビアクとう強行きょうこう輸送ゆそうすることになった[76][77]ミンダナオ島みんだなおとうダバオ集結しゅうけつした渾部たい指揮しきかんだいじゅうろく戦隊せんたい司令しれいかん左近さこんまことなおただし少将しょうしょうで、青葉あおばはたはたかかげていた[注釈ちゅうしゃく 9]。渾部たい6月2にち夕刻ゆうこくにダバオを出撃しゅつげきしたが、B-24触接しょくせつされたり、べいぐん機動きどう部隊ぶたい(ボイシなどの巡洋艦じゅんようかん部隊ぶたい誤認ごにん[80]出現しゅつげんとう情報じょうほうにより、ビアクぎょう中止ちゅうしとなった[81]戦艦せんかん扶桑ふそうだい戦隊せんたいはダバオに引返ひきかえし、青葉あおばなど輸送ゆそうたいのみニューギニアとう西にしパプアしゅうソロン進出しんしゅつした[82][83]6月4にち5にちには小数しょうすう日本にっぽん軍機ぐんき連合れんごうぐん巡洋艦じゅんようかん部隊ぶたい巡洋艦じゅんようかん4、駆逐くちくかん14)を攻撃こうげきし、ナッシュビルが至近しきんだん損傷そんしょうした[84]

連合れんごう艦隊かんたいだい作戦さくせん発動はつどうし、左近さこんまこと少将しょうしょう青葉あおばから駆逐くちくかん敷波しきなみだい19駆逐くちくたい)に旗艦きかん変更へんこうした[85]輸送ゆそう部隊ぶたい6せき輸送ゆそうたい敷波しきなみうら時雨しぐれ〉、警戒けいかいたい春雨はるさめ白露しらつゆ五月雨さみだれ〉)をひきいて6月8にち午前ごぜん3にソロンを出撃しゅつげきしたが、B-25空襲くうしゅう春雨はるさめ沈没ちんぼつした[86]日本にっぽんぐん輸送ゆそう部隊ぶたいなおもビアクとうにむけて進撃しんげきつづけたので、ボイシなど連合れんごうぐん巡洋艦じゅんようかん部隊ぶたい夜戦やせんむかった[87]じゅうじゅん1、けいじゅん2、駆逐くちくかん14せきようする連合れんごうぐんがわ圧倒的あっとうてき優勢ゆうせいだったので[注釈ちゅうしゃく 10]、渾部たい駆逐くちくかん5)はただちに反転はんてんして逃走とうそう開始かいしした[89]。ボイシなど巡洋艦じゅんようかん部隊ぶたいは渾部たい追撃ついげきしたが、戦果せんか時雨しぐれ小破しょうはさせただけだった[88]

だい作戦さくせん失敗しっぱいすると、連合れんごう艦隊かんたい大和やまとがた戦艦せんかんを渾作戦さくせん投入とうにゅうした[90]だいさん作戦さくせん部隊ぶたいは6がつ12にちハルマヘラとうバチャン泊地はくち集結しゅうけつした[注釈ちゅうしゃく 11]。ボイシなど巡洋艦じゅんようかん主戦しゅせんりょくとするだいなな艦隊かんたいにとって、大和やまとがた戦艦せんかん出現しゅつげん重大じゅうだい脅威きょういとしてめられた[92]。だが6月13にちサイパンとう方面ほうめん情勢じょうせい急変きゅうへんする[93]。渾作戦さくせん中止ちゅうしされ、だいさん作戦さくせん部隊ぶたい主力しゅりょく北上ほくじょうして「ごう作戦さくせん」に復帰ふっきした[94]青葉あおばふくだいじゅうろく戦隊せんたいシンガポール方面ほうめん後退こうたいした[95]

フィリピン戦線せんせん

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マリアナおき海戦かいせん勝利しょうりにより、マッカーサー部隊ぶたいたいする日本にっぽんぐん圧力あつりょく消滅しょうめつした[74]。マッカーサーぐんモロタイとう攻略こうりゃくしたあとフィリピンせまった[96]。ボイシもフィリピン攻略こうりゃく作戦さくせんくわわり[97]レイテ島れいてとう上陸じょうりく(10がつ20日はつか - 24にち)を支援しえんした。

10月25にち未明みめいスリガオ海峡かいきょう海戦かいせんにおけるボイシは、フェニックス、豪州ごうしゅう海軍かいぐんじゅう巡洋艦じゅんようかんシュロップシャー (HMAS Shropshire) 、駆逐くちくかん6せきともラッセル・S・バーキー英語えいごばん少将しょうしょうだい77.3任務にんむぐんぞくしていた[98]だい77.3任務にんむ部隊ぶたいジェシー・B・オルデンドルフ少将しょうしょうだい77.2任務にんむぐん共同きょうどうして、だいいちゆうげき部隊ぶたいだいさん部隊ぶたい指揮しきかん西村にしむら祥治しょうじだい戦隊せんたい司令しれいかん通称つうしょう西村にしむら艦隊かんたい)をむかった[99]西村にしむら艦隊かんたいには、渾作戦さくせん出動しゅつどうした戦艦せんかん扶桑ふそうふくまれていたが[100]、ボイシと交戦こうせんするまえにアメリカぐん駆逐くちくかん雷撃らいげき駆逐くちくかん満潮まんちょうやまくも一緒いっしょしずんでしまった[101]最初さいしょ魚雷ぎょらい攻撃こうげきのこった西村にしむら艦隊かんたい3せき戦艦せんかん山城やましろじゅうじゅん最上さいじょう駆逐くちくかん時雨しぐれ)がスリガオ海峡かいきょう北上ほくじょうしてきたので、だい77任務にんむ部隊ぶたい丁字ていじ戦法せんぽう邀撃ようげきした[102][103]。ボイシは山城やましろ砲撃ほうげきくわえた[104]。さらに僚艦りょうかんともほう雷撃らいげきびせて山城やましろ撃沈げきちんしたものの、最上さいじょう時雨しぐれがした[105][106]。また味方みかた駆逐くちくかんアルバート・W・グラント (USS Albert W. Grant, DD-649) がだい77任務にんむ部隊ぶたい巡洋艦じゅんようかんあやまされて大破たいはした[107]夜明よあけがちかづくころだい77任務にんむ部隊ぶたい巡洋艦じゅんようかん駆逐くちくかんは、かんくびうしなっていた駆逐くちくかんあさくも袋叩ふくろだたきにしてしずめた[108][注釈ちゅうしゃく 12]

その、ボイシはミンドロ島みんどろとう上陸じょうりく[110](12月12にち - 17にち)およびれいごう作戦さくせんへの迎撃げいげき行動こうどう(12月26にち - 29にち)に従事じゅうじした。

1945ねん以降いこう

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1945ねんはいってルソン島るそんとうたたかではリンガエンわん上陸じょうりく(1945ねん1がつ9にち - 13にち)ののち31にちまで支援しえん活動かつどうおこない、さらにマッカーサー元帥げんすいの「バターン半島はんとうコレヒドールとう占領せんりょう(2がつ13にち - 17にち)、ミンダナオ島みんだなおとうサンボアンガ上陸じょうりく(3がつ8にち - 12にち)に参加さんかした。1945ねん昭和しょうわ20ねん)1がつ4にち、マッカーサーはボイシにみ、ルソン島るそんとう西岸せいがんのリンガエンわんにむけて出撃しゅつげきした[10]5にちには日本にっぽん特殊とくしゅ潜航せんこうてい雷撃らいげきされたが[111]魚雷ぎょらい命中めいちゅうしなかった[112]。マッカーサーによれば、ボイシが魚雷ぎょらい回避かいひしたあと護衛ごえい駆逐くちくかん爆雷ばくらい投下とうかし、まめ潜水せんすいかんすうせき浮上ふじょうしてきた[111]。それを駆逐くちくかん体当たいあたりしてしずめたという[111]。また空襲くうしゅうけたが、対空たいくう砲火ほうか撃退げきたいした[111]日本にっぽんがわ記録きろくでは、セブとうだいさんじゅうさん特別とくべつ根拠地こんきょちたい司令しれいかん原田はらださとし少将しょうしょう)が特殊とくしゅ潜航せんこうていきのえ標的ひょうてき運用うんようしており[113][114]どう部隊ぶたいは1がつ5にちかぶと標的ひょうてき3出撃しゅつげきさせ、1帰還きかんとなった[115][注釈ちゅうしゃく 13]連合れんごうぐんがわ記録きろくでは、駆逐くちくかんテイラー (USS Taylor, DD-468) が体当たいあたりと爆雷ばくらい攻撃こうげき特殊とくしゅ潜航せんこうてい1せき撃沈げきちんしている[117]かぶと標的ひょうてき部隊ぶたいは「駆逐くちくかんかんしゅ不明ふめいかく1せき撃沈げきちん巡洋艦じゅんようかん1せき撃沈げきちん」と記録きろくした[113]

ボイシはつづいてボルネオのたたか参加さんかし、タラカンのたたか英語えいごばん(4がつ27にち - 5月3にち)のためボルネオとう近海きんかい移動いどうした。6月3にちから16にちまでボイシにはマッカーサーが座乗ざじょう[118]中央ちゅうおう南部なんぶフィリピンおよびブルネイわん合計ごうけい35,000マイル巡航じゅんこうした。ボイシはサンペドロかい、7がつ7にち到着とうちゃくした。

ボイシはサンペドロにまり、10がつまでオーバーホールおよび訓練くんれんおこなわれた。10月3にち東海岸ひがしかいがんけて出航しゅっこうし、10がつ20日はつかにニューヨークに到着とうちゃくする。ボイシはだい世界せかい大戦たいせん戦功せんこうで11個いっこ従軍じゅうぐん星章せいしょう受章じゅしょうした。ボイシは大戦たいせん終結しゅうけつ翌年よくねんの1946ねん7がつ1にち退役たいえきした。

アルゼンチン海軍かいぐん時代じだい

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1951ねん1がつ11にち、ボイシはアルゼンチン売却ばいきゃくされ、ヌエベ・デ・フリオスペインばん英語えいごばん (ARA Nueve de Julio,C-5) と改名かいめいされた[11](「7がつ9にち」の。アルゼンチンの独立記念日どくりつきねんび。)[注釈ちゅうしゃく 14][注釈ちゅうしゃく 15]就役しゅうえきにオランダせいレーダーの装着そうちゃくとヘリコプター2搭載とうさいおこなわれた[119]。ヌエベ・デ・フリオは1955ねん9がつ19にち海軍かいぐん陸軍りくぐんによるクーデターマル・デル・プラタ給油きゅうゆ施設しせつおよびその目標もくひょう砲撃ほうげきおこなった。ヌエベ・デ・フリオはその任務にんむまり、1978ねん昭和しょうわ53ねん)に退役たいえき部品ぶひん姉妹しまいかんヘネラル・ベルグラノ流用りゅうようされたという[119]武装ぶそう撤去てっきょにスクラップとして1983ねん廃棄はいきされた[119]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ だい64任務にんむ部隊ぶたいだい2ぐん司令しれいかんノーマン・スコット少将しょうしょう
  2. ^ そと南洋なんよう部隊ぶたい支援しえんたい指揮しきかんふじ存知ぞんちだいろく戦隊せんたい司令しれいかん
  3. ^
    いち.形勢けいせい中略ちゅうりゃく十二月じゅうにがつにちたいべいえいらん開戰かいせん十二月じゅうにがつはちにちトシ開戰かいせんしたれいアリ 此ノあいだ米國べいこく菲島方面ほうめんたい潜水せんすいかん増勢ぞうせいじゅういちがつじゅういちにちニハ總計そうけい隻数せきすう從來じゅうらいじゅうせきヨリじゅうせきたちシタルノ情報じょうほうアリ また じゅうよんにちざい上海しゃんはい米國べいこく「マリン」ノ引揚ヲはじめメトシ砲艦ほうかんせき揚子江ようすこう引揚ヲくだり台湾たいわん南部なんぶ方面ほうめんニテハ國籍こくせき不明ふめい潜水せんすいかん及軍かん北上ほくじょうみとめあるまた飛行機ひこうきノ窺フモノアルヲみとめムルニいたりレリ

    軍艦ぐんかん香取かとりじゅういちがつじゅうきゅうにち「サイパン」ノ東方とうほうやくいちろくかいり附近ふきんニテ「ブルツクリン」がた巡洋艦じゅんようかんいちせき 輸送ゆそうせんせき護衛ごえいシテ西にしこうスルヲみとめざいパラオ東港ひがしみなと航空こうくうたい哨戒しょうかい飛行ひこうちゅうじゅうがつよんにち「パラオ」ノ北東ほくとうかいり附近ふきん潜没せんぼつちゅう潜水せんすいかんラシキモノせき「パラオ」ノ西方せいほうやく〇〇かいり附近ふきん潜没せんぼつちゅう潜水せんすいかん航跡こうせきじょうみとめムルとう豫定よてい作戰さくせん海域かいいき方面ほうめん事態じたい次第しだい急迫きゅうはくらいレリ

    英國えいこくまた極東きょくとう主力しゅりょくかん増派ぞうはじゅういちがつじゅうよんにちえい戰艦せんかんプリンスオブウエールスしんよしみ入港にゅうこうむくいアリ/えつエテじゅういちがつじゅうななにちえい戰艦せんかん「キングジヨージ」せいリペンジ」「リナウンまた印度いんどよう東部とうぶ行動こうどうちゅうナルコト判明はんめいセリ/クテ聯合れんごう艦隊かんたいかくたいかく展開てんかい配備はいび地点ちてん進出しんしゅつ大命たいめい降下こうか作戰さくせん開始かいし期日きじついたルヲまちツノ態勢たいせいニアリ(以下いかりゃく) — 菲島部隊ぶたいみなみ支援しえんたい戰闘せんとう詳報しょうほうじゅうがつろくにち いたりじゅうがつじゅうろくにち[16]
  4. ^
    十二月じゅうにがつななにちまでとくタル敵情てきじょうひだりつう[17]
    (1).てきみなみささえうみ方面ほうめん「ダバオ」方面ほうめんいちヲ以テ海上かいじょう哨戒しょうかい實施じっしシ「マララグ」わん方面ほうめんニハ「ラングレー」ニだいリニ「プレストンまたハ「チャイルド所在しょざいシアルモノノ如シ(軍令ぐんれい情報じょうほう)
    (2).べいかぶとじゅん「ヒューストン」ハじゅうがつさんにち「イロイロ」ニ入港にゅうこう陸戰りくせんたいさん〇〇めい揚陸ようりくセリ(「マニラ」領事館りょうじかん)
    (3).「マニラ」ハろくにちヨリ小學校しょうがっこう閉鎖へいさ一部いちぶ市民しみん避難ひなん開始かいしセリ(外電がいでんニュース)
    (4).六日むいか「マニラ」ざいはくかん(總領事そうりょうじほう)「ホノルル」がた巡洋艦じゅんようかんいちせき駆逐くちくかんさんせき潜水せんすいかんきゅうせきせんははホーランド、給油きゅうゆかんせき敷設ふせつかんいちせき ろくにちカビテざいはくかんラングレー
    (5)東港ひがしみなとそら飛行ひこうてい偵察ていさつレバみなみ海岸かいがん(ダバオわん、サランガニわん、パランわんヲ含ム)ニハ敵艦てきかんせん
     
  5. ^ マーブルヘッドは11月下旬げじゅん時点じてんタラカンとう移動いどうしていた[26]
  6. ^ 駆逐くちくかん白雲しらくもねずみ輸送ゆそう実施じっしちゅう8がつ28にち空襲くうしゅう航行こうこう不能ふのうとなり[41]、サボとうおき海戦かいせんとき内地ないち修理しゅうりちゅうであった。
  7. ^ ふじ少将しょうしょう手当てあてけたが、戦場せんじょうから離脱りだつする青葉あおば艦上かんじょう死亡しぼうした[59]
  8. ^ たか水線すいせんへの被弾ひだん浸水しんすい拡大かくだいし、転覆てんぷく沈没ちんぼついたった[60]生存せいぞんしゃ反転はんてんしてもどってきた駆逐くちくかん初雪はつゆき救助きゅうじょされた[57]
  9. ^ * 輸送ゆそうたい青葉あおば鬼怒きぬ駆逐くちくかん輸送ゆそう艦艇かんてい
    • 警戒けいかいたいみょうだか羽黒はぐろ駆逐くちくかん4
    • 間接かんせつ護衛ごえいたい扶桑ふそう風雲ふううんあさくも
    出典しゅってん[78][79]
  10. ^ 6月8にち昼間ひるま(1824ふんはつ)の航空こうくう偵察ていさつでは「戦艦せんかん4、巡洋艦じゅんようかん4、駆逐くちくかん8」[88]。渾部たいは「戦艦せんかん1、巡洋艦じゅんようかん4、駆逐くちくかん8と交戦こうせん」と報告ほうこくした[89]実際じっさい豪州ごうしゅうじゅうじゅん1、けいじゅん2(フェニックス、ボイシ)、駆逐くちくかん14せき[89]
  11. ^ 作戦さくせん部隊ぶたい指揮しきかん宇垣うがきまといだいいち戦隊せんたい司令しれいかん 出典しゅってん[91]
  12. ^ じゅうじゅん最上さいじょう志摩しま艦隊かんたい駆逐くちくかんあけぼのとも退避たいひちゅうだい77任務にんむ部隊ぶたい護衛ごえい空母くうぼから飛来ひらいした艦上かんじょう攻撃こうげき航行こうこう不能ふのうとなり、あけぼの雷撃らいげき処分しょぶんされた[109]
  13. ^ だい82ごうていていちょう水野みずのしょうせい兵曹へいそうちょうていづけ村上むらかみ信一しんいち 一等いっとう兵曹へいそうしまゆたかとう兵曹へいそう)が帰還きかんとなった[116]
  14. ^ 先代せんだい防護ぼうご巡洋艦じゅんようかんヌエベ・デ・フリオであった。
  15. ^ 同様どうよう姉妹しまいかんフェニックス (USS Phoenix, CL-46) もアルゼンチンに売却ばいきゃくされ、最初さいしょは「ディエシシエテ・デ・オクトゥブレ」 (ARA Diecisiete de Octubre) 、つづいて「ヘネラル・ベルグラノ 」(ARA General Belgrano, C-4) と命名めいめいされた[12]

出典しゅってん

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参考さんこう文献ぶんけん

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外部がいぶリンク

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