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能代 (軽巡洋艦) - Wikipedia コンテンツにスキップ

能代のしろ (けい巡洋艦じゅんようかん)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
能代のしろ
1943年6月、東京湾内で全力公試中[1]、または終末運転公試中[2]と推定される能代。
1943ねん6がつ東京とうきょう湾内わんない全力ぜんりょくこうためしちゅう[1]、または終末しゅうまつ運転うんてんこうためしちゅう[2]推定すいていされる能代のしろ
基本きほん情報じょうほう
建造けんぞうしょ 横須賀よこすか海軍かいぐん工廠こうしょう[3]
運用うんようしゃ  大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん
かんしゅ とう巡洋艦じゅんようかん
きゅうめい 阿賀あががた
かんれき
計画けいかく 1939ねん計画けいかく
起工きこう 1941ねん9月4にち[3]
進水しんすい 1942ねん7がつ19にち[3]
竣工しゅんこう 1943ねん6月30にち[3]
最期さいご 1944ねん10がつ26にち沈没ちんぼつ[4]
北緯ほくい1142ふん 東経とうけい12141ふん / 北緯ほくい11.700 東経とうけい121.683 / 11.700; 121.683[4]
除籍じょせき 1944ねん12月20にち[4]
要目ようもく計画けいかく
基準きじゅん排水はいすいりょう 6,651えいトン[5] または 6,652えいトン[3]
おおやけためし排水はいすいりょう 7,710トン[3]
満載まんさい排水はいすいりょう 8,338.4トン[5]
全長ぜんちょう 174.50m[3]
水線すいせんちょう 172.00m[3]
垂線すいせんあいだちょう 162.00m[3]
最大さいだいはば 15.20m[3]
ふか 10.17m[3]
吃水きっすい おおやけためし平均へいきん 5.63m[5][3]
ボイラーごうかん本式ほんしきかん(空気くうき余熱よねつづけ)6[3]
おも かん本式ほんしきタービン4[3]
推進すいしん 4じく[3]
出力しゅつりょく 100,000hp[3]
速力そくりょく 35ノット[3]
燃料ねんりょう 重油じゅうゆ 1,420トン[3]
航続こうぞく距離きょり 6,000カイリ / 18ノット[3]
乗員じょういん 計画けいかく乗員じょういん 700めい + 司令しれい26めい[6]
へいそう 50口径こうけい15cm連装れんそうほう 36もん [7]
きゅうはちしき8cm連装れんそう高角こうかくほう24もん [7]
25mm機銃きじゅう3連装れんそう26てい(竣工しゅんこう)[7]
どう 3連装れんそう10たんそう18てい(1944ねん7がつ)[8]
13mm連装れんそう機銃きじゅう24てい(竣工しゅんこう)[注釈ちゅうしゃく 1]
61cmよん連装れんそう魚雷ぎょらい発射はっしゃかん 28もん[9]
きゅうさんしきいちがたあらためいち魚雷ぎょらい16ほん[9]
きゅうしき爆雷ばくらい18[9]
装甲そうこう 計画けいかく[10]
機関きかん舷側げんそく 60mmCNC、甲板かんぱん 20mmCNCこう
たま火薬かやく舷側げんそく55mmCNC、甲板かんぱん20mmCNCこう
舵取かじとりしつ舷側げんそく 30mmCNC、甲板かんぱん20mmCNCこう
操舵そうだしつ舷側げんそく 30mmCNCこう
搭載とうさいてい 竣工しゅんこう[注釈ちゅうしゃく 2]
11m内火艇ないかてい1
9m内火艇ないかてい1
12mうちランチ1
9mカッター(救助きゅうじょてい)2
搭載とうさい れいしき水上すいじょう偵察ていさつ2[11]
レーダー 21ごうでんさがせ1(竣工しゅんこう)[12]
22ごうでんさがせ2(1944ねん7がつ以降いこう)[12]
13ごうでんさがせ1(1944ねん7がつ以降いこう)[12]
その しきごう射出しゃしゅつ5がた1[13] または一式いっしきごう射出しゃしゅつ11がた1[14]
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能代のしろ(のしろ)は、大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐんけい巡洋艦じゅんようかん[15]

概要がいよう

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軍艦ぐんかん能代のしろは、日本にっぽん海軍かいぐんけい巡洋艦じゅんようかんとう巡洋艦じゅんようかん[15]阿賀あががたけい巡洋艦じゅんようかんの2ばんかん[16][17]。そのかんめい秋田あきたけん米代川よねしろがわしも流域りゅういき別称べっしょう能代川のうだいがわにちなんで命名めいめいされた[18]帝国ていこく海軍かいぐん命名めいめい慣例かんれいについては日本にっぽん艦船かんせん命名めいめい慣例かんれい参照さんしょう

1943ねん昭和しょうわ18ねん)6がつ30にち竣工しゅんこう、8がつ15にちだい水雷すいらい戦隊せんたい編入へんにゅう[15]だい水雷すいらい戦隊せんたい旗艦きかんとなり大和やまとがた戦艦せんかん1ばんかん大和やまとひとしともにトラック泊地はくち進出しんしゅつした[15][19]。11月上旬じょうじゅんラバウル空襲くうしゅうでは被害ひがい軽微けいびだったが、12月まつカビエン輸送ゆそう作戦さくせん小破しょうは[15]1944ねん昭和しょうわ19ねん)1がつ下旬げじゅん横須賀よこすか帰投きとうして修理しゅうりおこなった[15]。6月は大和やまとがた戦艦せんかん2せき大和やまと武蔵むさしとうとも作戦さくせんおよびマリアナおき海戦かいせん参加さんか[15]。10月下旬げじゅんとしごう作戦さくせんにともなうレイテおき海戦かいせんに、だい艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん栗田くりた健男たけお中将ちゅうじょう指揮しきだいいちゆうげき部隊ぶたい所属しょぞくして、大和やまとがた戦艦せんかんとも参加さんか[20][15]大和やまととも撤退てったいちゅう10月26にち能代のしろべい軍機ぐんき空襲くうしゅうにより撃沈げきちんされた[20]

かんれき

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完成かんせいまで

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阿賀あががたけい巡洋艦じゅんようかん4せきのうち3せき阿賀あがはぎ酒匂さこ)は佐世保させぼ海軍かいぐん工廠こうしょう建造けんぞうされ、能代のしろのみ横須賀よこすか海軍かいぐん工廠こうしょうでの建造けんぞうである[21][22]仮称かしょうだい133ごうかん能代のしろ)は[23]1941ねん昭和しょうわ16ねん9月4にち横須賀よこすか海軍かいぐん工廠こうしょう起工きこう[24]1942ねん昭和しょうわ17ねん5月15にち能代のしろ命名めいめい[25]同日どうじつしまふうがた駆逐くちくかんしまふう秋月しゅうげつがた駆逐くちくかん5ばんかん新月しんげつ命名めいめいされた[26]7がつ19にち昭和しょうわ天皇てんのう名代なだいとして伏見ふしみみやひろしきょうおう臨席りんせきのもと、だい133ごうかん進水しんすい[27][23]同日どうじつ鎮守ちんじゅせき[28]。 8がつ20日はつか阿賀あががた2せき能代のしろはぎ)はとう巡洋艦じゅんようかん阿賀あががたとして類別るいべつされる[16]

1943ねん昭和しょうわ18ねん)5がつ1にち日本にっぽん海軍かいぐん初春しょしゅんがた駆逐くちくかん1ばんかん初春しょしゅん初代しょだい艦長かんちょう巡洋艦じゅんようかん那珂なか長良ながら青葉あおば艦長かんちょう大淀おおよど艤装ぎそういん長等ながら歴任れきにんした田原たはらよしみきょう大佐たいさ能代のしろ艤装ぎそういんちょう任命にんめいする[29]

5がつ20日はつか田原たはら大佐たいさ(能代のしろ艤装ぎそういんちょう)は制式せいしき能代のしろ艦長かんちょう初代しょだい)となる[30]おも初代しょだい幹部かんぶは、副長ふくちょう青砥あおと鳳二ほうじ中佐ちゅうさ航海こうかいちょう山内やまうち正規まさき中佐ちゅうさ引続ひきつづ戦艦せんかん山城やましろ航海こうかいちょう兼務けんむ)、機関きかんちょう岡村おかむら徳太郎とくたろう中佐ちゅうさ運用うんようちょう阿部あべりょうおっと大尉たいい[30]。 6月5にち山内やまうち正規まさき中佐ちゅうさ山城やましろ航海こうかいちょうけん能代のしろ航海こうかいちょう)は能代のしろ航海こうかいちょうめんじられ、石飛いしとび少佐しょうさ臨時りんじ名取なとり航海こうかいちょう)が能代のしろ航海こうかいちょう補職ほしょく[31]。また空母くうぼりゅうおおとり砲術ほうじゅつちょう小屋こや増男ますお少佐しょうさ能代のしろ砲術ほうじゅつちょう任命にんめいされる[31]。 6月14にち能代のしろ艤装ぎそういん事務所じむしょ撤去てっきょ[32]。 6月30にち竣工しゅんこう[24][15]同日どうじつだいいち艦隊かんたい附属ふぞくとなる[33]

竣工しゅんこう

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1943ねん昭和しょうわ18ねん)7がつ10日とおか高田たかだ敏夫としお大尉たいい(5がつ8にち沈没ちんぼつした駆逐くちくかん陽炎かげろう水雷すいらいちょう)は能代のしろ水雷すいらいちょう任命にんめいされる[34][35]。7月29にちだいじゅういち水雷すいらい戦隊せんたい司令しれいかん木村きむらすすむ少将しょうしょう天龍てんりゅうがたけい巡洋艦じゅんようかん2ばんかん龍田たつたから能代のしろ移乗いじょう[36]能代のしろ臨時りんじだいじゅういち水雷すいらい戦隊せんたい旗艦きかんとなる[37]。31にち旗艦きかん龍田たつた復帰ふっきするまで、だいじゅういち水雷すいらい戦隊せんたい能代のしろ龍田たつた若月わかつきかすみ)は瀬戸内海せとないかい訓練くんれん実施じっし[38]8がつ15にち能代のしろだい艦隊かんたいだい水雷すいらい戦隊せんたい司令しれいかん高間たかまかん少将しょうしょう)に編入へんにゅう長良ながらがたけい巡洋艦じゅんようかん1ばんかん長良ながらより二水にすい戦旗せんきかん継承けいしょうする[24][19]

8がつ17にち主力しゅりょく部隊ぶたい戦艦せんかん3せき大和やまと長門ながと扶桑ふそう》、空母くうぼ大鷹おおたか[39]巡洋艦じゅんようかん3せき愛宕あたご高雄たかお能代のしろ》、駆逐くちくかん部隊ぶたい涼風すずかぜ海風かいふうあきくもゆうくも若月わかつき天津てんしんふうはつかぜ》)は出撃しゅつげき、トラックにかう[40][41]。 トラック泊地はくち移動いどう待機たいきおよび訓練くんれん従事じゅうじ[42][15]。また連合れんごう艦隊かんたい機動きどう部隊ぶたいかくかんとも中部ちゅうぶ太平洋たいへいよう諸島しょとう行動こうどうした[43][44][45]

1943ねん昭和しょうわ18ねん)10がつ31にち〜11月1にち連合れんごうぐんタロキナみさきブーゲンビルとう)に上陸じょうりく開始かいしブーゲンビルとうたたかはじまる[46]連合れんごう艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん古賀こがみねいち大将たいしょうは、だいいち航空こうくう戦隊せんたい航空こうくう戦力せんりょく南東なんとう方面ほうめん投入とうにゅうし、つづいてトラック泊地はくち所在しょざい主力しゅりょく艦艇かんていだい艦隊かんたい)も投入とうにゅうすることを決定けっていする[47]。 11月3にち午前ごぜん745にちだい艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん栗田くりた健男たけお中将ちゅうじょう愛宕あたご座乗ざじょう指揮しきじゅう巡洋艦じゅんようかん部隊ぶたいだいよん戦隊せんたい愛宕あたご高雄たかお摩耶まや鳥海とりうみ》、だいなな戦隊せんたい鈴谷すずや最上さいじょう》、だいはち戦隊せんたい筑摩ちくま》)、だい水雷すいらい戦隊せんたいけい巡洋艦じゅんようかん能代のしろ》、駆逐くちくかんたまりょうなみ藤波ふじなみ》)はトラック泊地はくち出撃しゅつげき[48]航行こうこうちゅうの4にち午前ごぜん航行こうこう不能ふのうとなったタンカーの日章丸にっしょうまる救援きゅうえんに2せき鳥海とりうみりょう)を分離ぶんり[48]11月5にち午前ごぜん6ごろ栗田くりた長官ちょうかん指揮しきゆうげき部隊ぶたいはラバウルに到着とうちゃくした[48]同日どうじつ午前ごぜん7空母くうぼ2せき(サラトガ、プリンストン)を基幹きかんとするアメリカ機動きどう部隊ぶたいだい38任務にんむ部隊ぶたい)は艦載かんさいけい97投入とうにゅう、ラバウルざいはく艦艇かんていたいする空襲くうしゅう敢行かんこうする[49]栗田くりた艦隊かんたい軒並のきな被害ひがいける[49]南東なんとう方面ほうめん艦隊かんたい長官ちょうかんくさ鹿しかにんいち中将ちゅうじょう栗田くりた艦隊かんたい(ラバウル進出しんしゅつちゅう鳥海とりうみふくむ)のトラック泊地はくち帰投きとうしたれい[50]航行こうこう不能ふのうとなった摩耶まやのぞおもめぐかくかんはラバウルをった[50]ほんかん被害ひがい負傷ふしょう1めいのみだった[51]。 11月6にち、タロキナみさきへのぎゃく上陸じょうりく作戦さくせん実施じっしするため、ほんかんだい支援しえんたい能代のしろはやなみ長波ちょうは)として行動こうどうした[52][15]

11月11にち、アメリカぐん機動きどう部隊ぶたいふたたびラバウル空襲くうしゅう敢行かんこう[53]。この空襲くうしゅうりょうだい32駆逐くちくたい)が沈没ちんぼつゆうくもがた4ばんかん長波ちょうはだい32駆逐くちくたい)が大破たいは航行こうこう不能ふのう[54]能代のしろ姉妹しまいかん阿賀あが雷撃らいげきにより損傷そんしょうした[54]くさ鹿しかにんいち中将ちゅうじょうはラバウルざいはく艦艇かんていのトラック回航かいこうめいじ、だいじゅう戦隊せんたいけいじゅん阿賀あが》、駆逐くちくかんうらふう》)とだい水雷すいらい戦隊せんたい部隊ぶたい能代のしろ摩耶まやちょうくじらはやなみ藤波ふじなみ五月雨さみだれ風雲ふううん若月わかつき)はそれぞれラバウルを出発しゅっぱつする[54][55]。 ところが、11月12にちにアメリカ潜水せんすいかん雷撃らいげきにより阿賀あが航行こうこう不能ふのうとなったため、二水にすいせん能代のしろ藤波ふじなみはやなみ)は摩耶まや以下いか分離ぶんりして阿賀あがたい阿賀あがうらふう)の救援きゅうえんかった[54][51]合流ごうりゅう能代のしろ阿賀あが曳航えいこうおこなうが途中とちゅうで曳索がれ、曳航えいこう任務にんむをトラック泊地はくちから長良ながら交代こうたい[24][51]。11月15にちかくかんはトラック泊地はくちもどった[54][24]。11月下旬げじゅん、クェゼリン環礁かんしょうやブラウン環礁かんしょう行動こうどう[51][56]。12月もおおむねトラック泊地はくち停泊ていはくしていた[57]

12月15にちだい水雷すいらい戦隊せんたい司令しれいかん高間たかまかん少将しょうしょうだいじゅういち水雷すいらい戦隊せんたい司令しれいかん転任てんにん[58][59]長門ながとがた戦艦せんかん1ばんかん長門ながと艦長かんちょう早川はやかわ幹夫みきお少将しょうしょう後任こうにんだい水雷すいらい戦隊せんたい司令しれいかんとなる(着任ちゃくにん12がつ16にち[58][59]。また同日どうじつ能代のしろ艦長かんちょうも、12月3にちまで香取かとりがた練習れんしゅう巡洋艦じゅんようかん2ばんかん鹿島かしま艦長かんちょう[60]だった梶原かじはらよし大佐たいさ交代こうたいした[58][61]田原たはら大佐たいさは12月25にちより扶桑ふそうがた2ばんかん山城やましろ艦長かんちょう任命にんめいされている[62]

12月21にち、アメリカの潜水せんすいかんスケート雷撃らいげきによりタンカーあきらがわまる炎上えんじょう能代のしろあきらがわまる救難きゅうなんたい能代のしろ浜風はまかぜひびきでん)としてトラック泊地はくち出撃しゅつげきしたが、あきらがわまる沈没ちんぼつした[61][63]

12月まつから「能代のしろ」は陸軍りくぐん独立どくりつ混成こんせいだい一連いちれんたいニューアイルランドとう輸送ゆそうするつちのえごう輸送ゆそう参加さんか[64]。「能代のしろ」はつちのえさんごう輸送ゆそう部隊ぶたいだい部隊ぶたい一隻いっせきとしてトラックからカビエンへの輸送ゆそうにあたった[65]。12月25にちつちのえいちごう輸送ゆそう部隊ぶたい(「大和やまと」、「やまくも」、「谷風たにかぜ」)がトラックに到着とうちゃくして「大和やまと」からつちのえさんごう輸送ゆそう部隊ぶたい人員じんいん物件ぶっけんうつされ、だい部隊ぶたい(「能代のしろ」、「大淀おおよど」、「秋月しゅうげつ」、「やまくも」)は12月30にちにトラックから出発しゅっぱつ[65]1944ねん昭和しょうわ19ねん1がつ1にち午前ごぜん445ふんカビエンニューアイルランドとう)に到着とうちゃくした[66]。「能代のしろ」、「秋月しゅうげつ」、「やまくも」の揚陸ようりくは630ふん終了しゅうりょうし、野砲やほう積載せきさいしていた「大淀おおよど」の揚陸ようりく作業さぎょうがややおくれていた[67][68]揚陸ようりく完了かんりょう午前ごぜん855ふんから920ふんにかけ、だい部隊ぶたい空襲くうしゅうけた[66]。これはアメリカ海軍かいぐんだい37.2任務にんむぐん空母くうぼバンカー・ヒル」、「モンテレー搭載とうさいによるものであった[69]。「能代のしろ」は至近しきんだん5はつだい砲塔ほうとう右舷うげんがわ直撃ちょくげきだん1はつ火薬かやくとう浸水しんすいした[67]人的じんてき被害ひがい戦死せんし10めい重軽傷じゅうけいしょう22めいであった[70]。「大淀おおよど」と「やまくも」も軽微けいび被害ひがいけている[67]。「能代のしろ」と「やまくも」は1がつ2にちに、のこり2せきは1がつ4にちにトラックにもどった[65]。「能代のしろ」は工作こうさくかん明石あかし」に横付よこづけして応急おうきゅう修理しゅうり実施じっししている[71][72]

昭和しょうわ19ねん行動こうどう

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1944ねん昭和しょうわ19ねん)1がつ18にち[24][73]だい水雷すいらい戦隊せんたい司令しれいかん早川はやかわ幹夫みきお少将しょうしょう指揮しき横須賀よこすか回航かいこう部隊ぶたいけいじゅん能代のしろ》、空母くうぼ瑞鳳ずいほうくもたか》、駆逐くちくかんなみ若葉わかばはつしも》)はトラック泊地はくち出発しゅっぱつ[71][72]。 1月19にちどうこうしていた大鷹おおたかがた航空こうくう母艦ぼかん2ばんかんくもたかべい潜水せんすいかんハダック)の雷撃らいげき損傷そんしょうしたため、早川はやかわ少将しょうしょうは2せき瑞鳳ずいほう若葉わかば)を横須賀よこすか先行せんこうさせ[71]能代のしろたい能代のしろくもたかはやなみはつしも)は1がつ20日はつかサイパン到着とうちゃく[24][72]翌日よくじつ、2せき能代のしろはやなみ)はくもたかたいくもたかはつしも海風かいふう救難きゅうなんのため到着とうちゃく》)をのこして出発しゅっぱつ[71]。1月24にち横須賀よこすか帰投きとう[24][74]。1月と2がつ横須賀よこすか修理しゅうり整備せいびおこな[75][76]。 2月14にち早川はやかわ少将しょうしょうだい水雷すいらい戦隊せんたい旗艦きかん能代のしろから高雄たかおがたじゅう巡洋艦じゅんようかん1ばんかん高雄たかお変更へんこう[77]。2せき高雄たかおはやなみ)は横須賀よこすか出撃しゅつげきしてパラオに進出しんしゅつした[78]。 3月19にちみぞ[24]。3月28にち横須賀よこすか出発しゅっぱつし、4がつ3にちにダバオへ到着とうちゃく[24][15]。そのはリンガ泊地はくちやタウイタウイ泊地はくちとう行動こうどうした[24][15]

6がつ中旬ちゅうじゅんビアクとうめぐって日本にっぽんぐん連合れんごうぐん攻防こうぼうひろげられており(ビアクとうたたか)、日本にっぽん海軍かいぐん作戦さくせん発動はつどうしてビアクとう救援きゅうえん作戦さくせん展開てんかいしていた[79]かんばしくない戦局せんきょくたいし、日本にっぽん海軍かいぐん大和やまとがた戦艦せんかん2せきなども投入とうにゅうしてだいさん作戦さくせん敢行かんこう上陸じょうりく船団せんだん撃破げきは機動きどう部隊ぶたいさそしをはかこととなった[80][81]だいいち戦隊せんたい司令しれいかん宇垣うがきまとい海軍かいぐん中将ちゅうじょう海兵かいへい40)がひきいる渾部たい[82]宇垣うがき司令しれいかんじきりつ攻撃こうげきたいだいいち戦隊せんたい大和やまと武蔵むさし》、バチャン泊地はくち先行せんこう待機たいきちゅうだい戦隊せんたいみょうだか羽黒はぐろ[83]だい水雷すいらい戦隊せんたい能代のしろしまふうおきなみ》)、だいいち輸送ゆそうたいじゅうじゅん青葉あおば》、けいじゅん鬼怒きぬ》、駆逐くちくかん4せき)、だい輸送ゆそうたい津軽つがるとうという戦力せんりょくそろえた[80]6がつ10日とおか攻撃こうげき部隊ぶたい大和やまと武蔵むさし能代のしろしまふう沖波おきなみ)はタウイタウイ出撃しゅつげき[84][85][86]直後ちょくごにアメリカ潜水せんすいかんハーダー発見はっけんされた[87][88]。これと同時どうじ日本にっぽん艦隊かんたいもハーダーの潜望鏡せんぼうきょう発見はっけんし、おきはハーダーを攻撃こうげきするため部隊ぶたいから分離ぶんりした[82][85]。ハーダーは小破しょうは。ハーダー・おき日本にっぽんぐん双方そうほうとも相手あいて撃沈げきちんしたと判断はんだんした[82]。 6月12にち大和やまと以下いか攻撃こうげき部隊ぶたいハルマヘラとうバチャン泊地はくち到着とうちゃく[89]同地どうちだい戦隊せんたいみょうだか羽黒はぐろ)と合流ごうりゅう[84][90]作戦さくせん開始かいしったが、6月13にちになってサイパンとうたいするかんほう射撃しゃげき開始かいしされて戦局せんきょくきゅう展開てんかいしていった[88][91]攻撃こうげき部隊ぶたい戦艦せんかん大和やまと武蔵むさし》、だい戦隊せんたいみょうだか羽黒はぐろ》、けいじゅん能代のしろ》、駆逐くちくかん部隊ぶたいしまふう沖波おきなみあさくもやまくも野分のわけ》)は同日どうじつよるにバチャンを急遽きゅうきょ出撃しゅつげき[92]だいさん艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん小沢おざわおさむ三郎さぶろう中将ちゅうじょう海兵かいへい37ひきいるだいいち機動きどう艦隊かんたい旗艦きかんだいおおとり)に合流ごうりゅうすべく急行きゅうこうした[84]

6月19にち-20日はつかマリアナおき海戦かいせんでは前衛ぜんえい部隊ぶたい指揮しきかん栗田くりた健男たけおだい艦隊かんたい長官ちょうかん旗艦きかん愛宕あたご》:だいいち戦隊せんたい大和やまと武蔵むさし》、だいさん戦隊せんたいきむつよし榛名はるな》、だいよん戦隊せんたい愛宕あたご前衛ぜんえい艦隊かんたい旗艦きかん〕、高雄たかお鳥海とりうみ摩耶まや》、だいさん航空こうくう戦隊せんたい千歳ちとせ千代田ちよだ瑞鳳ずいほう》、だいなな戦隊せんたい熊野くまの鈴谷すずや利根とね筑摩ちくま》、だい水雷すいらい戦隊せんたいけいじゅん能代のしろだい31駆逐くちくたい長波ちょうはあさしも岸波きしなみおきなみ〕、だい32駆逐くちくたい藤波ふじなみはまなみたま〕、附属ふぞくしまふう〕》)として参加さんか[93][94]6がつ20日はつか対空たいくう戦闘せんとう栗田くりた艦隊かんたい損傷そんしょうかんすうせき千代田ちよだ榛名はるな摩耶まや)をしたが、沈没ちんぼつかんはいなかった[95][96]敗北はいぼく日本にっぽん艦隊かんたい中城湾なかぐすくわん沖縄おきなわ本島ほんとう)へ移動いどうした。6月24にち桂島かつらしま泊地はくちもど[24]。7月8にち出撃しゅつげき、7がつ19にちにシンガポールへ到着とうちゃく[24]以後いごリンガ泊地はくち待機たいき訓練くんれん従事じゅうじする[15]

レイテおき海戦かいせん

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10月18にち捷一しょういちごう作戦さくせん発動はつどうともなってだい艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん栗田くりた健男たけお中将ちゅうじょう海兵かいへい38旗艦きかん愛宕あたご》)が指揮しきするだいいちゆうげき部隊ぶたいだいいち部隊ぶたいだいよん戦隊せんたい愛宕あたご高雄たかお摩耶まや鳥海とりうみ》、だいいち戦隊せんたい大和やまと武蔵むさし》、だい戦隊せんたいみょうだか羽黒はぐろ》、だい水雷すいらい戦隊せんたい能代のしろしまふうだい2駆逐くちくたい早霜はやじも秋霜しゅうそう〕、だい31駆逐くちくたい岸波きしなみ沖波おきなみ長波ちょうはあさしも〕、だい32駆逐くちくたいはまなみ藤波ふじなみ〕》)、だいさん戦隊せんたい司令しれいかん鈴木すずきよし中将ちゅうじょう旗艦きかんきむつよし》)が指揮しきするだいいちゆうげき部隊ぶたいだい部隊ぶたいだいさん戦隊せんたいきむつよし榛名はるな》、だいなな戦隊せんたい熊野くまの鈴谷すずや利根とね筑摩ちくま》、だいじゅう戦隊せんたいはぎだい17駆逐くちくたいうらふう浜風はまかぜゆきふういそふう〕、駆逐くちくかん野分のわけきよししも〕》)は[97][98]、それぞれリンガ泊地はくちから出動しゅつどう[99][100]ブルネイわん補給ほきゅうのち、10月22にち出撃しゅつげきした[101][102]。 ところが10月23にち未明みめいにパラワン水道すいどうにおいてだい艦隊かんたい旗艦きかん愛宕あたご高雄たかおがたじゅう巡洋艦じゅんようかん2ばんかん)がアメリカの潜水せんすいかんダーター (USS Darter, SS-227) の雷撃らいげきで、だいよん戦隊せんたい僚艦りょうかん摩耶まや高雄たかおがたじゅうじゅん4ばんかん)がデイス (USS Dace, SS-247) の雷撃らいげきでそれぞれ沈没ちんぼつし、おなじくだいよん戦隊せんたい高雄たかお高雄たかおがたじゅうじゅん1ばんかん)がダーターの雷撃らいげき大破たいはして航行こうこう不能ふのうとなった[103][104][105]だい31駆逐くちくたい2せきあさしも長波ちょうは)は高雄たかお航行こうこう不能ふのう復旧ふっきゅう作業さぎょうちゅう)の護衛ごえいめいじられ[106][107]栗田くりた艦隊かんたいから離脱りだつした[108][109]

10月24にちレイテおき海戦かいせん(シブヤンうみ空襲くうしゅう)では[110]栗田くりた長官ちょうかん大和やまと座乗ざじょう)のだいいち部隊ぶたいだいいち戦隊せんたい大和やまと武蔵むさし長門ながと》、だい戦隊せんたいみょうだか羽黒はぐろ鳥海とりうみ臨時りんじ編入へんにゅう〕》、だい水雷すいらい戦隊せんたい能代のしろ旗艦きかん〕、だい2駆逐くちくたい早霜はやじも秋霜しゅうそう》、だい31駆逐くちくたい岸波きしなみおきなみ》、だい32駆逐くちくたいはまなみ藤波ふじなみ》、しまふうがたしまふう》)としてアメリカ軍機ぐんき交戦こうせんした[111]能代のしろ主砲しゅほうれいしきだん120はつ、8cm高角こうかくほう210はつ機銃きじゅう18000はつ発射はっしゃし、アメリカ軍機ぐんき撃墜げきつい3、確実かくじつ2、協同きょうどう撃墜げきつい7を主張しゅちょうする[112]。だが、能代のしろ以下いかかくかん存在そんざいしないアメリカ潜水せんすいかん発見はっけん報告ほうこくし、空襲くうしゅう最中さいちゅうにある艦隊かんたい混乱こんらんした[113]一連いちれん対空たいくう戦闘せんとう戦艦せんかん武蔵むさし沈没ちんぼつし、3せき損傷そんしょう離脱りだつみょうだか浜風はまかぜきよししも)という損害そんがいけた[114][115]

よく10月25にちだいいちゆうげき部隊ぶたい栗田くりた艦隊かんたい)はアメリカぐん機動きどう部隊ぶたい護衛ごえい空母くうぼ部隊ぶたい)を追撃ついげきする(サマールとうおき海戦かいせん[116][117]戦闘せんとう前半ぜんはんではスコールと煙幕えんまくによりべい艦隊かんたい見失みうしな[118]午前ごぜん838ふんにはべい駆逐くちくかん主砲しゅほうだん1はつ弾薬だんやく供給きょうきゅうしょ右舷うげんじょう甲板かんぱん命中めいちゅうしたが、戦死せんし1めい負傷ふしょう3めいで、それ以上いじょう被害ひがいはなかった[119]栗田くりた健男たけお中将ちゅうじょうから追撃ついげき停止ていし反転はんてん命令めいれいがあるまでに能代のしろ巡洋艦じゅんようかん1せき撃沈げきちん巡洋艦じゅんようかん1せき駆逐くちくかん1せき撃破げきは記録きろくした[120]早川はやかわ少将しょうしょう指揮しきだい水雷すいらい戦隊せんたい効果こうかてき水雷すいらい戦闘せんとうおこなったとはいえず[121][122]大和やまと座乗ざじょうだいいち戦隊せんたい司令しれいかん宇垣うがきまとい中将ちゅうじょう陣中じんちゅう日誌にっしせんろく」のなかで、25にちだい水雷すいらい戦隊せんたい能代のしろ)の行動こうどうたいし『2sdはうらないひがしはしり、進出しんしゅつ方向ほうこう適當てきとうならず、途中とちゅう反轉はんてんかいおよおおむてき後方こうほう取残とりのこされ砲戰ほうせん魚雷ぎょらいせんくだりはざりしは遺憾いかんなり。』とひょうしている[123]

同日どうじつ午後ごごのアメリカ軍機ぐんき空襲くうしゅう合計ごうけいやく150)では[124][125]左舷さげん後部こうぶ重油じゅうゆタンクにやぶあなしょうじ、浸水しんすいにより左舷さげんがいじくスクリューが使用しよう不能ふのう発揮はっき可能かのう速力そくりょく32ノットとなる[126]対空たいくう戦闘せんとうでアメリカ軍機ぐんき撃墜げきつい6、確実かくじつ6、協同きょうどう8を記録きろく[127]、25にち弾薬だんやく消費しょうひ主砲しゅほうれいしきだん100はつよんごう通常つうじょうだん160はつ、8cm高角こうかくほう450はつ機銃きじゅう24000はつだった[128]

10月26にち[129]大和やまと能代のしろ以下いか栗田くりた艦隊かんたい帰投きとう途中とちゅうミンドロ島みんどろとうみなみでアメリカぐんだい38任務にんむ部隊ぶたいマーク・ミッチャー中将ちゅうじょう)による空襲くうしゅうけた[130][131]午前ごぜん846ふんばくだん1はつ能代のしろ高角こうかくほう弾薬だんやく供給きょうきゅうしょ命中めいちゅうしょう火災かさい発生はっせいしたが、これは消火しょうか成功せいこうし、致命傷ちめいしょうにならなかった[132]雷撃らいげき襲撃しゅうげき対処たいしょちゅう大和やまと魚雷ぎょらい回避かいひした[129]。おそらく大和やまとねらった魚雷ぎょらい能代のしろ命中めいちゅうした[131]。 852ふん能代のしろ左舷さげん中央ちゅうおう魚雷ぎょらい1ほん命中めいちゅうし、だい1・だい3かんしつ浸水しんすい傾斜けいしゃ16-26[133]航行こうこう不能ふのうとなり洋上ようじょう停止ていしした[124][129]魚雷ぎょらい投棄とうき重量じゅうりょうぶつ移動いどうにより傾斜けいしゃ8まで回復かいふく、1030ふんごろ曳航えいこう作業さぎょうがおおむね完成かんせいした[134]。そのときふたたびアメリカ軍機ぐんき20空襲くうしゅうけた[135]大和やまと以下いか栗田くりた艦隊かんたい本隊ほんたい攻撃こうげき範囲はんいがいていたので、アメリカ軍機ぐんき能代のしろねらっていた[131]洋上ようじょう停止ていしちゅう能代のしろ回避かいひ行動こうどうもできず[124]、1039ふん能代のしろばん主砲しゅほうとう右舷うげん附近ふきん魚雷ぎょらい1ほん命中めいちゅうした[136]かんくびから沈下ちんかをはじめ、1049ふん総員そういんじょう甲板かんぱん発令はつれいされた[134]。116ふん総員そういん退去たいきょ命令めいれいされ、1113ふん北緯ほくい1142ふん 東経とうけい12141ふん / 北緯ほくい11.700 東経とうけい121.683 / 11.700; 121.683地点ちてん沈没ちんぼつした[137]最後さいご戦闘せんとう能代のしろ主砲しゅほうれいしきだん20はつ高角こうかくほう35はつ機銃きじゅう11000はつ発射はっしゃし、撃墜げきつい3、確実かくじつ1、協同きょうどう5を記録きろくした[138]一連いちれん海戦かいせんによる能代のしろ戦死せんし行方ゆくえ不明ふめいしゃは87めい負傷ふしょうしゃ51めいであった[139][140]能代のしろだい水雷すいらい戦隊せんたい司令しれい生存せいぞんしゃ麾下きか駆逐くちくかん2せきはまなみ秋霜しゅうそう)に救助きゅうじょされた[141][142]早川はやかわ司令しれいかん能代のしろ艦長かんちょうおよび御真影ごしんえいはま収容しゅうようされた[143]だい水雷すいらい戦隊せんたい旗艦きかんはまとなった[144]

ブルネイに退却たいきゃくの10がつ30にちだい水雷すいらい戦隊せんたい司令しれいはまから大和やまと移動いどうした[145]翌日よくじつ二水にすいせん司令しれいごう作戦さくせん従事じゅうじするため大和やまとから駆逐くちくかんえ、マニラにむかった[146]。だがだいさんごう作戦さくせんしまふう沈没ちんぼつだい水雷すいらい戦隊せんたい司令しれいかん早川はやかわ幹夫みきお少将しょうしょう戦死せんしだい水雷すいらい戦隊せんたい司令しれい全滅ぜんめつ状態じょうたいとなった[147]後日ごじつ能代のしろ生存せいぞんしゃ10めいフィリピン地上ちじょうせん投入とうにゅうされたという[148]

梶原かじはら大佐たいさ能代のしろ艦長かんちょう)は11月3にち横須賀よこすか鎮守ちんじゅとなる[149]青砥あおと鳳二ほうじ大佐たいさ能代のしろ副長ふくちょう[150]小屋こや増男ますお中佐ちゅうさ能代のしろ砲術ほうじゅつちょう[150]石飛いしとび少佐しょうさ能代のしろ航海こうかいちょう[150]さかいたにども太郎たろう中佐ちゅうさ能代のしろ機関きかんちょう[150]高田たかだ敏夫としお少佐しょうさ能代のしろ水雷すいらいちょう[151]阿部あべりょうおっと少佐しょうさ能代のしろ内務ないむちょう[151]阿部あべけん大尉たいい能代のしろ通信つうしんちょう[151]ひとしあらたな任地にんちてんじた。

12月20にちレイテおき海戦かいせん沈没ちんぼつしたかくかんとも能代のしろ除籍じょせき発表はっぴょうされた[152]

年表ねんぴょう

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  • 1941ねん9月4にち 阿賀あががた2ばんかんとして横須賀よこすか工廠こうしょう起工きこう
  • 1942ねん7がつ19にち 進水しんすい
  • 1943ねん6月30にち 竣工しゅんこう
  • 1943ねん8がつ15にち だい2水雷すいらい戦隊せんたい旗艦きかんとなる。
  • 1944ねん1がつ1にち カビエン港外こうがい空襲くうしゅう損傷そんしょう
  • 1944ねん10がつ26にち ミンドロ島みんどろとう南方なんぽうにて空襲くうしゅう魚雷ぎょらい2ほんばくだん1はつ命中めいちゅう沈没ちんぼつ

歴代れきだい艦長かんちょう

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※『艦長かんちょうたちの軍艦ぐんかん』173-174ぺーじ、『日本にっぽん海軍かいぐんだい10かんの「将官しょうかん履歴りれき」にもとづく。

艤装ぎそういんちょう

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  1. 田原たはらよしきょう 大佐たいさ:1943ねん5がつ1にち[29] - 1943ねん5がつ20日はつか[30]

艦長かんちょう

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  1. 田原たはらよしきょう 大佐たいさ:1943ねん5がつ20日はつか[30] - 1943ねん12月15にち[58]
  2. 梶原かじはらよし 大佐たいさ:1943ねん12月15にち[58] - 1944ねん11月3にち[149]

同型どうけいかん

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備考びこう

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戦後せんごきゅう海軍かいぐん残務ざんむ処理しょり機関きかん吉田よしだ英三えいぞうもと大佐たいさ中心ちゅうしんとするグループが構想こうそうした「しん海軍かいぐん」では、ほんかんである能代のしろをタイプシップとする巡洋艦じゅんようかんを4せき建造けんぞうし、艦隊かんたい旗艦きかんおよ戦隊せんたい旗艦きかんとすることがかんがえられていた[153]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ #JapaneseCruisersp.571によると、竣工しゅんこうには後部こうぶマスト直前ちょくぜん構造こうぞう物上ぶつじょうに13mm連装れんそう機銃きじゅう左右さゆう1ずつ装備そうび
  2. ^ #JapaneseCuisersp.593による。計画けいかくでは9mカッター1をくわえたけい6せきだが、その9mカッターは煙突えんとつ左舷さげん阿賀あが能代のしろ一時いちじてき搭載とうさいしたのみという。

出典しゅってん

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  1. ^ #日本にっぽん海軍かいぐん艦艇かんてい写真しゃしんしゅう巡洋艦じゅんようかんp.178.
  2. ^ #海軍かいぐん艦艇かんてい2p.441.
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s #昭和しょうわ造船ぞうせんだい1かん784-785ぺーじ
  4. ^ a b c #写真しゃしん日本にっぽん軍艦ぐんかんだい9かんp.104。
  5. ^ a b c とう巡洋艦じゅんようかん 一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ 現状げんじょう調査ちょうさ」2ぺーじ計画けいかく「註.上記じょうきノモノハ昭和しょうわじゅう四年十月十三日艦本機密決第五三八号ニ基本きほん計画けいかく当初とうしょノモノヲしめせス」。
  6. ^ とう巡洋艦じゅんようかん 一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ 現状げんじょう調査ちょうさ」22ぺーじ
  7. ^ a b c とう巡洋艦じゅんようかん 一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ 現状げんじょう調査ちょうさ」4ぺーじ
  8. ^ #世界せかい巡洋艦じゅんようかん物語ものがたりp.356、あごう作戦さくせん巡洋艦じゅんようかんへいそうぞう備状きょう一覧いちらんひょう
  9. ^ a b c とう巡洋艦じゅんようかん 一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ 現状げんじょう調査ちょうさ」6ぺーじ
  10. ^ とう巡洋艦じゅんようかん 一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ 現状げんじょう調査ちょうさ」20ぺーじ
  11. ^ #写真しゃしん日本にっぽん軍艦ぐんかんだい9かんp.87の写真しゃしんによる。
  12. ^ a b c #JapaneseCruiserspp.578-579.
  13. ^ 梅野うめの和夫かずお#阿賀あががた航空こうくうへいそう
  14. ^ #JapaneseCruisersp.572.
  15. ^ a b c d e f g h i j k l m n #けいじゅんじゅうせき337-338ぺーじ能代のしろ(のしろ)』
  16. ^ a b #うちれい昭和しょうわ17ねん8がつ(3)pp.5-6『うちれいだいいちよんごう 艦艇かんてい類別るいべつ等級とうきゅう別表べっぴょうひだりつう改正かいせいス 昭和しょうわじゅうななねんはちがつじゅうにち 海軍かいぐん大臣だいじん 嶋田しまだ繁太郎しげたろう軍艦ぐんかん巡洋艦じゅんようかんとう阿賀あががたこうちゅう阿賀あが」ノしもニ「、能代のしろはぎ」ヲフ どう航空こうくう母艦ぼかんこうちゅうたか」ノしもニ「、冲鷹」ヲフ|駆逐くちくかん一等いっとう初春しょしゅんがたこうちゅう子日ねのひ、」ヲ、どう白露しらつゆこうちゅう山風やまかぜ、」ヲ、どうあさしおがたこうちゅう「、霰」ヲそぎリ、どう秋月しゅうげつがたこうちゅう新月しんげつ」ノしもニ「、若月わかつき」ヲフ(以下いかりゃく)』
  17. ^ #艦艇かんてい類別るいべつ等級とうきゅうひょう(昭和しょうわ19ねん1がつ31にち)p.2『艦艇かんてい類別るいべつ等級とうきゅうひょう|軍艦ぐんかん|巡洋艦じゅんようかん|とう|阿賀あが能代のしろはぎ
  18. ^ #ハンディばん艦艇かんてい写真しゃしんしゅう15p.74『かんめい由来ゆらい
  19. ^ a b #S1806二水にすいせん日誌にっし(2)pp.3-4『()能代のしろノ2sd編入へんにゅう(旗艦きかん豫定よてい)及長りょうノ8F編入へんにゅう豫定よてい關聯かんれん長良ながら急速きゅうそく内地ないち回航かいこう修理しゅうりことトナリきゅうにち「トラック」はつじゅうよんにちくれ じゅうにち能代のしろ2sd編入へんにゅう同日どうじつ旗艦きかん變更へんこう
  20. ^ a b #けいじゅんじゅうせき84-85ぺーじ『▽能代のしろ
  21. ^ #ハンディばん艦艇かんてい写真しゃしんしゅう15p.87
  22. ^ #S1707よこ鎮日(1)pp.17-18『(1)艦船かんせん關係かんけい 起工きこう進水しんすい竣工しゅんこう進水しんすい|なながつじゅうきゅうにち|能代のしろ|横須賀よこすか海軍かいぐん工廠こうしょう
  23. ^ a b #S1707よこ鎮日(6)p.11『いちきゅう(天候てんこうりゃく)(りゃく)よこ工廠こうしょうニ於テ建造けんぞうだいいちさんさんごうかん能代のしろ命名めいめい無事ぶじ進水しんすい|いち軍艦ぐんかん能代のしろ命名めいめいしき名代なだいトシテ伏見ふしみみやひろしきょうおう殿下でんか差遣さけんアラセラル/みずづる三宅島不時着機一五二五瑞鶴分隊長操縦横空ニこうはつ無事ぶじよこそら/さん出入でいり艦船かんせん(しゅナル友軍ゆうぐん)(イ)出港しゅっこうナシ(2)入港にゅうこう でんいち〇〇』
  24. ^ a b c d e f g h i j k l m #ハンディばん艦艇かんてい写真しゃしんしゅう15p.104(けい巡洋艦じゅんようかん能代のしろ行動こうどう年表ねんぴょう)
  25. ^ #たち昭和しょうわ17ねん5がつ(1)pp.39-40『いたるだいひゃくじゅうろくごう 横須賀よこすか海軍かいぐん工廠こうしょうニ於テ建造けんぞうちゅう巡洋艦じゅんようかんいちせきひだりつう命名めいめいセラル|昭和しょうわじゅうななねんがつじゅうにち 海軍かいぐん大臣だいじん 嶋田しまだ繁太郎しげたろうとう巡洋艦じゅんようかん 能代のしろ(ノシロ)』
  26. ^ #たち昭和しょうわ17ねん5がつ(1)pp.39-40『いたるだいひゃくじゅうななごう 昭和しょうわじゅうろく年度ねんどニ於テ建造けんぞう着手ちゃくしゅ一等いっとう驅逐くちくかんせき潜水せんすいかんさんせき驅潜艇くせんてい五隻及掃海特務艇一隻ヲひだりつう命名めいめいス|昭和しょうわじゅうななねんがつじゅうにち 海軍かいぐん大臣だいじん 嶋田しまだ繁太郎しげたろう三菱重工業みつびしじゅうこうぎょう株式會社かぶしきがいしゃ長崎造船所なかざきぞうせんじょニ於テ建造けんぞう 一等いっとう驅逐くちくかん 新月しんげつ(ニイヅキ)|舞鶴まいづる海軍かいぐん工廠こうしょうニ於テ建造けんぞう 一等いっとう驅逐くちくかん しまふう(シマカゼ)|(以下いかりゃく)』
  27. ^ #昭和しょうわ天皇てんのう実録じつろくはちかん755ぺーじ『(昭和しょうわじゅうななねんなながつ)じゅうきゅうにち 日曜日にちようび(中略ちゅうりゃく)横須賀よこすか海軍かいぐん工廠こうしょうにおいて軍艦ぐんかん能代のしろ命名めいめいしき挙行きょこうにつき、ひろしきょうおうつかわされる。』
  28. ^ #うちれい昭和しょうわ17ねん7がつぶん(3)p.17『うちれいだいせんさんひゃくじゅうごう 軍艦ぐんかん 能代のしろ みぎ本籍ほんせき横須賀よこすか鎮守ちんじゅていメラル 昭和しょうわじゅうななねんなながつじゅうきゅうにち 海軍かいぐん大臣だいじん 嶋田しまだ繁太郎しげたろう
  29. ^ a b 昭和しょうわ18ねん5がつ1にち(発令はつれい5がつ1にちづけ)海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう(部内ぶないげん)だい1106ごう p.43」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072090800 
  30. ^ a b c d 昭和しょうわ18ねん5がつ20日はつか(発令はつれい5がつ20にちづけ)海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう(部内ぶないげん)だい1120ごう pp.43-44」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072091000 
  31. ^ a b 昭和しょうわ18ねん6がつ5にち(発令はつれい6がつ5にちづけ)海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう(部内ぶないげん)だい1138ごう pp.36-37」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072091500 
  32. ^ 昭和しょうわ18ねん6がつ18にち(金)きん海軍かいぐん公報こうほう(部内ぶないげん)だい4417ごう p.46」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C12070431900 『○事務所じむしょ撤去てっきょ 能代のしろ艤装ぎそういん事務所じむしょろくがつじゅうよんにち撤去てっきょセリ』
  33. ^ けい巡洋艦じゅんようかん阿賀あが能代のしろはぎ酒匂さこ行動こうどう年表ねんぴょう、104ページ
  34. ^ 昭和しょうわ18ねん7がつ10日とおか(発令はつれい7がつ10にちづけ)海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう(部内ぶないげん)だい1169ごう p.15」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072092100 
  35. ^ #けいじゅんじゅうせき222-224ぺーじたいせん警戒けいかい厳重げんじゅうなるも愛宕あたご轟沈ごうちん
  36. ^ #S1804じゅういちみずせん(2)p.36『きゅうにちいちさん11sd司令しれいかん(あてりゃく)機密きみつだいきゅういちさんばんでん ほんじゅうきゅうにちいちきゅう〇〇しょういち能代のしろうつりあげ明後みょうごさんじゅういちにち龍田たつた復帰ふっきス』
  37. ^ #S1804じゅういちみずせん(2)p.44『きゅう(天候てんこうりゃく)旗艦きかんいち能代のしろ変更へんこう(いちきゅう〇〇)』
  38. ^ #S1804じゅういちみずせん(2)p.44『さん〇(天候てんこうりゃく)〇六一五能代龍田若月霞桂島発/よん〇〇 はちとう假泊かはく|かくかんしょ訓練くんれん 若月わかつき主砲しゅほう機銃きじゅうだいさんかい教練きょうれん射撃しゃげき三一さんぴん(天候てんこうりゃく)〇ななさんかり泊地はくちはつ/いちろく能代のしろ若月わかつきかすみ入港にゅうこう(桂島かつらしま)|(潜水せんすいかん)襲撃しゅうげき應急おうきゅうだいよんかい航空こうくうせん教練きょうれん|藤波ふじなみなみとうたい編入へんにゅう/旗艦きかん復帰ふっき(いち〇〇)』
  39. ^ #S1806二水にすいせん日誌にっし(2)p.51『いちななにちろく〇〇(長官ちょうかん)2F(あてりゃく)2F機密きみつだいいちろくさんいちばんでん 「トラツク」回航かいこうせきスル機密きみつAdB命令めいれい要旨ようし いち.だい軍隊ぐんたい區分くぶん(主力しゅりょく部隊ぶたい合同ごうどう)區分くぶん指揮しきかん兵力へいりょくじゅん しゅたいじきりつ4S(摩耶まやかけ)大鷹おおたか警戒けいかいたい(司令しれいかん)2sd 2sd(能代のしろ)24dg(涼風すずかぜ海風かいふう)あきくも(以下いかりゃく)』
  40. ^ #S1806二水にすいせん日誌にっし(2)p.4『(さん)2sd(能代のしろ)ハじゅうろくにち主力しゅりょく部隊ぶたい(長官ちょうかん1Fちょくりつ)ノ指揮しきにゅう主力しゅりょく部隊ぶたい警戒けいかいたい(司令しれいかん2sd、2sd(能代のしろ)はつかぜ天津てんしんふう)トナリじゅうろくにち出撃しゅつげきはちとう假泊かはく(海風かいふう合同ごうどう鎮五とく便乗びんじょうしゃ一部いちぶうつ)じゅうななにち假泊かはくはつじゅうはちにちいちいち〇〇(長官ちょうかん)2Fちょくりつ部隊ぶたい(24dg(涼風すずかぜ)ヲ含ム)ト合同ごうどう(指揮しきかん)YBノ麾下きか(YB警戒けいかいたい)トナリじゅうさんにち「トラツク」
  41. ^ #S1806二水にすいせん日誌にっし(2)p.60『さんにちいちいち(長官ちょうかん)1F(あてりゃく)1F機密きみつだいさんいちいちきゅうばんでん 大和やまと長門ながと扶桑ふそう愛宕あたご高雄たかお能代のしろ24dg(涼風すずかぜ海風かいふう)10dg(あきくもゆうくも)天津てんしんふう若月わかつきはつふうりつヒ「トラツク」ちゃくさんにちななよん
  42. ^ #S1806二水にすいせん日誌にっし(3)p.6『(1)能代のしろ しゅトシテ「トラック」ニざいリテ待機たいきなみしょ訓練くんれん從事じゅうじ/じゅうはちにちGFでんれいさくだいなないちよんごう聯合れんごう機動きどう部隊ぶたい前衛ぜんえいトシテ「ブラウン」ニこうケ「トラツク」出撃しゅつげきじゅうにち「ブラウン」にゅうはく警戒けいかい碇泊ていはくじゅうさんにちGFでんれいさくだいなないちごうリ「トラツク」ニこうケ「ブラウン」はつじゅうにち「トラツク」歸投きとう爾後じご「トラツク」ざいはく待機たいき訓練くんれん
  43. ^ #S1806二水にすいせん日誌にっし(3)p.13『(よん)麾下きか艦船かんせん部隊ぶたい行動こうどう』(昭和しょうわ18ねん9がつ)
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  45. ^ #S1806二水にすいせん日誌にっし(4)p.6『(1)能代のしろ 「トラツク」ニアリテ待機たいきはちにち早朝そうちょう出撃しゅつげきGF大部たいぶ出撃しゅつげきためきた水道すいどうがい掃蕩そうとう実施じっしセルモいのち歸投きとうじゅう七日機動部隊信令第二四二號ニリKdB YB前衛ぜんえいトシテ「トラツク」出撃しゅつげきじゅうきゅうにち「ブラウン」ちゃく警戒けいかい碇泊ていはくじゅう三日出撃大鳥島西方海面索敵哨戒歸途二十五日7Sニ協力きょうりょく最上さいじょう不時着ふじちゃく捜索そうさく(能代のしろ協力きょうりょく)じゅうななにち「トラツク」歸着きちゃく
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参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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