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津軽つがる (敷設ふせつかん)

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津軽つがる
1941年10月17日、館山沖の「津軽」[1]
1941ねん10がつ17にち館山たてやまおきの「津軽つがる[1]
基本きほん情報じょうほう
建造けんぞうしょ 横須賀よこすか海軍かいぐん工廠こうしょう[2]
運用うんようしゃ  大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん
かんしゅ 敷設ふせつかん[3][4]
建造けんぞう 予算よさん 10,481,753えん[注釈ちゅうしゃく 1]
母港ぼこう 横須賀よこすか[5]
かんれき
計画けいかく 昭和しょうわ12年度ねんど1937ねん)、計画けいかく[6]
起工きこう 1939ねん7がつ5にち[2]
進水しんすい 1940ねん6月5にち[2]
竣工しゅんこう 1941ねん10月22にち[2]
最期さいご 1944ねん6月29にち沈没ちんぼつ
北緯ほくい219ふん 東経とうけい12757ふん / 北緯ほくい2.317 東経とうけい127.950 / 2.317; 127.950[よう出典しゅってん]
除籍じょせき 1944ねん8がつ10日とおか[7]
要目ようもく(1941ねん計画けいかく
基準きじゅん排水はいすいりょう 4,000えいトン[8]
おおやけためし排水はいすいりょう 計画けいかく 4,400.00トン[8][9]
竣工しゅんこう 4,457.942トン[9]
満載まんさい排水はいすいりょう 計画けいかく 4,675.90トン[8][9]
竣工しゅんこう 4,742.511トン[9]
全長ぜんちょう 124.50m[8]
水線すいせんちょう 121.00m[8]
垂線すいせんあいだちょう 113.595m[8][注釈ちゅうしゃく 2]
最大さいだいはば 16.20m[8]
水線すいせんはば 15.58m[8][注釈ちゅうしゃく 3]
ふか 9.70m[8]
吃水きっすい おおやけためし計画けいかく 4.92m、竣工しゅんこう4.964m[8]
満載まんさい計画けいかく 5.14m[8]竣工しゅんこう5.192m[10]
ボイラー ごうかん本式ほんしきかん(空気くうき余熱よねつづけ[11]) 4[12]
おも かん本式ほんしきタービン(高低こうていあつ[11]) 2[12]
推進すいしん 2じく x 325rpm[12]
推進すいしん直径ちょっけい2.700m[12]
出力しゅつりょく 9,000shp[8]
速力そくりょく 20ノット[8]
燃料ねんりょう 重油じゅうゆ計画けいかく 580トン[8]竣工しゅんこう 596.568トン[9]
航続こうぞく距離きょり 計画けいかく 5,000カイリ / 14ノット[8]
竣工しゅんこう 6,382.6カイリ / 14ノット[8]
乗員じょういん 計画けいかく乗員じょういん 414めい[13]
竣工しゅんこう定員ていいん 412めい[14]
搭載とうさい能力のうりょく 補給ほきゅう物件ぶっけん計画けいかく[9]
重油じゅうゆ 102トン
航空こうくうよう軽質けいしつ 125トン
航空こうくうよう潤滑油じゅんかつゆ 13トン
60kgばくだん 8トン
どう竣工しゅんこう[9]
重油じゅうゆ 98.621トン
航空こうくうよう軽質けいしつ 132.469トン
航空こうくうよう潤滑油じゅんかつゆ 12.939トン
60kgばくだん 8トン
へいそう 40口径こうけい12.7cm連装れんそう高角こうかくほうA1がた 24もん[15]
きゅうろくしき25mm連装れんそう機銃きじゅうがた 24てい[15]
94しき投射とうしゃ1装填そうてんだい1[16]
水圧すいあつさんがた投下とうかだい2いちがた投下とうかだい4[15]
きゅうしき爆雷ばくらい 18[15]
きゅうさんしき機雷きらい 600[15][注釈ちゅうしゃく 4]
搭載とうさいてい 12m機雷きらいあげおさむてい1せき、11m内火艇ないかてい1せき、9m内火艇ないかてい1せき、9mカッター2せき、6mどおりせん1せき[17]
搭載とうさい れいしきいちごう水上すいじょう偵察ていさついちがた 1[18]
しきごうがた射出しゃしゅつ 1[18]
ソナー きゅうさんしき水中すいちゅう聴音ちょうおん1くみ(後日ごじつ装備そうび)[19]
きゅうさんしきさがせしんじさんがた1くみ[19]
その ちゅうぼう一型改一防雷具2[15]
いちがた水中すいちゅう処分しょぶん2[15]
さんがたぼう掃具 60[15]
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青森あおもりけん護国ごこく神社じんじゃ軍艦ぐんかん津軽つがるいしぶみ

津軽つがる(つがる)は、日本にっぽん海軍かいぐん敷設ふせつかん[4][20]。 この日本にっぽん海軍かいぐん艦船かんせんとしては2せき[20]日本にっぽん海軍かいぐん法令ほうれいじょうきゅう字体じたい津輕つがるもちいるが、ほん記事きじでは津軽つがるとする[21]

概要がいよう

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軍艦ぐんかん津軽つがる」は太平洋戦争たいへいようせんそう開戦かいせん直前ちょくぜん昭和しょうわ16ねん10がつ下旬げじゅん)に完成かんせいした日本にっぽん海軍かいぐん機雷きらい敷設ふせつかん[22]最大さいだい速力そくりょく20ノット程度ていどながら敷設ふせつ巡洋艦じゅんようかん補給ほきゅうかん航空こうくう基地きち設営せつえいかん)としての性格せいかく用途ようとかんである[23][24]竣工しゅんこうともだいよん艦隊かんたい所属しょぞくだいじゅうきゅう戦隊せんたい編入へんにゅうされ、中部ちゅうぶ太平洋たいへいよう諸島しょとうソロモン諸島しょとう攻略こうりゃく作戦さくせん従事じゅうじする[22][24]1942ねん昭和しょうわ17ねん)3がつ10日とおかラエ・サラモア空襲くうしゅうや5がつ上旬じょうじゅん珊瑚さんごうみ海戦かいせんなど、べい軍機ぐんき空襲くうしゅうけることもあった[22]だいじゅうきゅう戦隊せんたいかいたいにともない同年どうねん7がつ14にちよりだいはち艦隊かんたい編入へんにゅうされ、ソロモン諸島しょとうニュージョージア諸島しょとう行動こうどうした[22][24]1943ねん昭和しょうわ18ねん)8がつ5にちべい潜水せんすいかん雷撃らいげき損傷そんしょうし、横須賀よこすか修理しゅうりおこな[22]。12月1にちだいさんみなみ艦隊かんたい編入へんにゅうされ、シンガポール方面ほうめん輸送ゆそう任務にんむ機雷きらい敷設ふせつ任務にんむ従事じゅうじした[24]1944ねん昭和しょうわ19ねん)6がつ上旬じょうじゅん作戦さくせん参加さんか[22]。6月21にちべい潜水せんすいかんダーター雷撃らいげきけて損傷そんしょう[22]。マニラにけて退避たいひちゅうの6がつ29にちふたたダーター魚雷ぎょらい攻撃こうげきけて沈没ちんぼつした[22]

かんめい

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津軽つがる」のかんめい津軽海峡つがるかいきょう[25]

初代しょだい津軽つがる」は、にち戦争せんそう旅順りょじゅん攻囲こういせん)で日本にっぽん海軍かいぐん鹵獲ろかくされた防護ぼうご巡洋艦じゅんようかんパルラーダで、日本にっぽん海軍かいぐん軍艦ぐんかんせき編入へんにゅうに「津軽つがる」と改名かいめいとう巡洋艦じゅんようかん[25][26]。その旧式きゅうしきにより敷設ふせつかん類別るいべつ変更へんこうされた[27]

2代目だいめほんかん沈没ちんぼつ、3代目だいめの「津軽つがる」として海上かいじょう自衛隊じえいたい敷設ふせつかんつがる」が就役しゅうえきした。

かんがた

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計画けいかくかんのひとつで[6]基本きほん計画けいかく番号ばんごうH10[8]。「沖島おきのしま」(どうH4[8])のあらためがたたる[1]。「沖島おきのしま」のじゅん同型どうけいかんとしている文献ぶんけんおお[23][20][28][29]きゅうさんしきいちがた機雷きらい600搭載とうさいした[20][29]先行せんこうかん沖島おきのしま)との相違そういてん

などである。そのへいそうとしては8cm高角こうかくほうえて25mm連装れんそう機銃きじゅう装備そうび艦橋かんきょうトップの射撃しゃげき指揮しき装置そうち高角こうかくほうようきゅうよんしき高射こうしゃ装置そうちとなった[29]方位ほうい測定そくていしつ煙突えんとつ後方こうほう移動いどう後部こうぶマスト後方こうほうにあった探照燈たんしょうとう後部こうぶマスト上部じょうぶうつされている[29][30]かんかげは「沖島おきのしま」より全体ぜんたいてきひくくなった[30]

機雷きらいよう設備せつびとして煙突えんとつ前後ぜんごりょうふなばた機雷きらい搭載とうさいようのハンギング・レールがあり、それぞれの直下ちょっか機雷きらい積込つみこめこう(けい4カ所かしょ)があった[31]艦内かんないちゅう甲板かんぱん艦橋かんきょうあたりからかんまでのほとんどが機雷きらい格納かくのうしょとなっていて、最大さいだい8じょう機雷きらいよう軌道きどう敷設ふせつしてあった[31]上述じょうじゅつとおかん尾中おちゅう甲板かんぱん敷設ふせつ軌道きどうは4じょうとなっていて、そのかん尾上おのえ甲板かんぱんにも2じょう軌道きどうがあった[31]。またかんしつ(ボイラーしつ)前方ぜんぽうしも甲板かんぱん船艙せんそう甲板かんぱんにそれぞれ機雷きらいもうけられた[31]

沖島おきのしま」とのもうひとつのちがいとして、航空こうくう基地きち補給ほきゅう考慮こうりょれており[20][24]補給ほきゅうよう重油じゅうゆ102トン、航空こうくうよう軽質けいしつ125トン(機関きかんしつ後方こうほうぜん溶接ようせつ構造こうぞうタンクさん)、航空こうくうよう潤滑油じゅんかつゆ補給ほきゅうようばくだん搭載とうさいした[29][9]。そのため大戦たいせんちゅう輸送ゆそう任務にんむにも活躍かつやくした[24]

太平洋戦争たいへいようせんそうちゅうカタパルト搭載とうさい撤去てっきょきゅうろくしきじゅうみりめーとる高角こうかく機銃きじゅうじゅうさんミリ連装れんそう機銃きじゅうふえ備したほかレーダー装備そうびしたとわれる[29]。「あごう作戦さくせんへいそうぞう備状きょう調査ちょうさ」によると1944ねん昭和しょうわ19ねん)8がつ10日とおか調しらべで、25mm3連装れんそう機銃きじゅうは6ぞう備してけい7どうたんそう機銃きじゅうは4ふえ備、その21ごうでんさがせ前部ぜんぶマストのトップに装備そうびしていた[32]

かんれき

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建造けんぞう経緯けいい

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だいさん海軍かいぐん軍備ぐんび補充ほじゅう計画けいかく(③計画けいかく昭和しょうわじゅう年度ねんど)においてだい1ごうかん大和やまと)、だい2ごうかん武蔵むさし)、だい3ごうかんしょうづる)、だい4ごうかんみずづる)、だい5ごうかん敷設ふせつかんかぶと」)、6ごうかん敷設ふせつかんおつ」)などの建造けんぞうまる[33][34]敷設ふせつかんかぶと」(だい5ごうかん)は11,600トンがた敷設ふせつかんおつ」(だい6ごうかん)は5,000トンがた機雷きらい敷設ふせつかんという規模きぼだった[34]。このうち敷設ふせつかんかぶと」は水上すいじょう母艦ぼかん特殊とくしゅ潜航せんこうていきのえ標的ひょうてき母艦ぼかん)に変更へんこうされて「日進にっしん」となり、敷設ふせつかんおつ」は「津軽つがる」として竣工しゅんこうおなじ③計画けいかくはつたかがた敷設ふせつかん2せきはつたかあおいたか)も竣工しゅんこうした[34]

1939ねん昭和しょうわ14ねん7がつ5にち横須賀よこすか海軍かいぐん工廠こうしょう起工きこう[2][35]1940ねん昭和しょうわ15ねん2がつ23にち陽炎かげろうがた駆逐くちくかん2せきあらしはぎふう)やうらないもりがた海防かいぼうかん2せき国後くなしり八丈はちじょうとうとも命名めいめいされる[21]6月5にち進水しんすい[2][35]

1941ねん昭和しょうわ16ねん6がつ20日はつか日本にっぽん海軍かいぐんは「はつたか艤装ぎそういんちょう[36]および初代しょだい艦長かんちょう[37]つとめた稲垣いながきよし大佐たいさ津軽つがる艤装ぎそういんちょう任命にんめいする[38]。またはつたか竣工しゅんこう水雷すいらいちょう高橋たかはしひとし四郎しろう中佐ちゅうさ[37]潜水せんすい母艦ぼかん/空母くうぼけん埼(さちおおとり機関きかんちょう桜井さくらい俊三しゅんぞう機関きかん中佐ちゅうさも、稲垣いながき同日どうじつ津軽つがる艤装ぎそういん任命にんめいされた[38]。 6月23にち横須賀よこすか海軍かいぐん工廠こうしょう設置せっちされた津軽つがる艤装ぎそういん事務所じむしょ事務じむ開始かいしする[39]

9がつ10日とおか稲垣いながき大佐たいさ津軽つがる艤装ぎそういんちょう)は制式せいしき津軽つがる艦長かんちょう初代しょだい)となる[40]おも初代しょだい幹部かんぶは、機雷きらいちょう高橋たかはしひとし四郎しろう少佐しょうさ航海こうかいちょう越智おち武雄たけお大尉たいい機関きかんちょうがく久直ひさなお機関きかん少佐しょうさ[40]10月22にち、「津軽つがる」は竣工しゅんこう[2][35]翌日よくじつ津軽つがる艤装ぎそういん事務所じむしょ撤去てっきょされた[41]横須賀よこすか鎮守ちんじゅせき[35]

太平洋戦争たいへいようせんそう緒戦しょせん

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1941ねん昭和しょうわ16ねん10月22にち竣工しゅんこうともに、「津軽つがる」は志摩しま清英きよひで少将しょうしょう司令しれいかんとするだいじゅうきゅう戦隊せんたい編入へんにゅう[35]だいじゅうきゅう戦隊せんたいだいよん艦隊かんたい所属しょぞくしていた。11月1にちに「津軽つがる」は横須賀よこすか出港しゅっこうし、サイパン経由けいゆ(5にち-6にち)で11月8にちにトラック泊地はくち到着とうちゃくした[35]

津軽つがる」は太平洋戦争たいへいようせんそう緒戦しょせんでは南洋なんよう部隊ぶたいのグァムとう攻略こうりゃく部隊ぶたい旗艦きかんとして[42]グアムとう攻略こうりゃく作戦さくせん従事じゅうじした[35]。11月22にちにトラックを出港しゅっこうして11月24にちにサイパンに到着とうちゃく[43]。11月26にちにグァムとう攻略こうりゃく部隊ぶたい指揮しきかんだい根拠地こんきょちたい司令しれいかんはたはたかかげた[43]同日どうじつサイパンを出港しゅっこうし、11月28にち攻略こうりゃく部隊ぶたい集結しゅうけつ場所ばしょである母島ははじま到着とうちゃくした[43]

攻略こうりゃく部隊ぶたい上陸じょうりく部隊ぶたいせた船団せんだん護衛ごえいして12月4にち母島ははじまから出撃しゅつげき[44]。12月10にち上陸じょうりくおこなわれアメリカぐん降伏ごうぶくした[45]。「津軽つがる」は陸軍りくぐん南海なんかい支隊したい司令しれい要員よういんと「津軽つがる陸戦りくせんたい上陸じょうりくさせた[46]。その、「津軽つがる陸戦りくせんたい収容しゅうようアプラこう入港にゅうこう[47]。12月12にち攻略こうりゃく部隊ぶたい司令しれい陸上りくじょううつった[47]。12月13にち、グァムとう攻略こうりゃく部隊ぶたい解散かいさんされ「津軽つがる」はハウランド方面ほうめん攻撃こうげき支援しえんたいくわえられた[48]

12月15にちから「津軽つがる」と駆逐くちくかんおぼろ」はウェークとう攻略こうりゃく投入とうにゅうされる舞鶴まいづるだい特別とくべつ陸戦りくせんたいいち中隊ちゅうたいをサイパンからクェゼリンまで輸送ゆそうし、それからマキンかった[49]。12月22にち、マキン(12月10-11にち占領せんりょうみ)に到着とうちゃく[50]。12月26にち、ハウランド方面ほうめん攻撃こうげき支援しえんたい編成へんせいかれた[51]。「津軽つがる」は捕虜ほりょ収容しゅうようしてヤルートへ移動いどうするようめいじられ、12月28にちにヤルートに到着とうちゃく[49]同日どうじつ沖島おきのしま」とともに出港しゅっこう[49]1942ねん昭和しょうわ17ねん)1がつ1にちにトラック泊地はくち帰投きとうした[35]

1942ねん1がつビスマルク諸島しょとう攻略こうりゃく作戦さくせん実施じっしとなり、R攻略こうりゃく部隊ぶたい編成へんせいされた。R攻略こうりゃく部隊ぶたいだいじゅうきゅう戦隊せんたいの「津軽つがる」、「沖島おきのしま」やだいろく水雷すいらい戦隊せんたいだいじゅうはち戦隊せんたいなどからなっていた[52]。このうち、だいじゅうきゅう戦隊せんたいだいろく水雷すいらい戦隊せんたいからなる本隊ほんたいラバウル攻略こうりゃくだいじゅうはち戦隊せんたいなどからなる支隊したいカビエン攻略こうりゃく担当たんとうであった[53]。1月14にち輸送ゆそう船団せんだんともな攻略こうりゃく部隊ぶたいはグアムを出撃しゅつげき[54]同日どうじつ、1がつ12にちにトラックを出港しゅっこうしていた「津軽つがる」もこれに合流ごうりゅうした[55]途中とちゅうだいろく水雷すいらい戦隊せんたいなどと合同ごうどうし、1がつ22にちにラバウル港外こうがい到着とうちゃく[56]船団せんだん泊地はくち進入しんにゅう輸送ゆそうせんちゃいなまる」があらわれなかったため、「津軽つがる」が捜索そうさくかうことになっている[57]。ラバウル攻略こうりゃく成功せいこうした。だいじゅうきゅう戦隊せんたいからも陸戦りくせんたい上陸じょうりくした[56]。1月30にち空襲くうしゅう至近しきんだん小破しょうはこうしょうじた[58]。2月1にち、R攻略こうりゃく部隊ぶたい編制へんせいかれ、「津軽つがる」、だいろく水雷すいらい戦隊せんたいだいはち特別とくべつ根拠地こんきょちたいなどでR方面ほうめん部隊ぶたい編成へんせいされた[59]

2がつ20日はつかに「津軽つがる」、だいろく水雷すいらい戦隊せんたいなどでSR方面ほうめん攻略こうりゃく部隊ぶたい編成へんせいされ[60]どう部隊ぶたいラエサラモア攻略こうりゃく作戦さくせん従事じゅうじした。3月5にちにSR方面ほうめん攻略こうりゃく部隊ぶたいはラバウルを出撃しゅつげきし、3月8にちにラエとサラモアを攻略こうりゃくした[61]。3月10にち、ラエ・サラモアはアメリカの空母くうぼレキシントン」、「ヨークタウン搭載とうさいによる空襲くうしゅう多数たすう艦船かんせん被害ひがいしょうじた[62]。2あいだ対空たいくう戦闘せんとうで、「津軽つがる」は12.7cm高角こうかく砲弾ほうだん244はつ、25mm機銃きじゅうだん2067はつ、7.7mm機銃きじゅう1000はつ発砲はっぽう[63]命中めいちゅうだん1はつ至近しきんだん3はつにより左舷さげん煙突えんとつ付近ふきん大破たいはこう舵機だき故障こしょうなどの被害ひがいしょう[64]戦死せんし12めい重傷じゅうしょうしゃ3めい[63][65]軽傷けいしょうしゃ9めいした[66][注釈ちゅうしゃく 5]。 アメリカ軍機ぐんき無線むせん傍受ぼうじゅした越智おち武雄たけお大尉たいい(航海こうかいちょう)によれば、アメリカぐん津軽つがるのことを「戦艦せんかん」と誤認ごにんしていたという[67]

3月13にちから20にちまでラバウルで応急おうきゅう修理しゅうり、トラック泊地はくち経由けいゆ(23にち-26にち)して4がつ1にち横須賀よこすか到着とうちゃく[35]修理しゅうりをおこなった。4月23にち横須賀よこすか出撃しゅつげきして30にちにトラック泊地はくち[35]翌日よくじつ出撃しゅつげきし、5月4にちにラバウル到着とうちゃく同日どうじつ出撃しゅつげき[35]。5月8にち珊瑚さんごうみ海戦かいせん参加さんかB-17爆撃ばくげきとの対空たいくう戦闘せんとうちゅう機銃きじゅう事故じこ負傷ふしょうしゃ5めいした[68]。5月9にちにラバウル帰着きちゃく、11にち出発しゅっぱつ[35]。5月12にち沈没ちんぼつした「沖島おきのしま救援きゅうえんかい、志摩しま司令しれいかんは「ゆうがつ」より「津軽つがる」に移乗いじょうした。 5月19にちにトラック泊地はくち帰着きちゃく[35]。24にち出発しゅっぱつし、5月30にち横須賀よこすか到着とうちゃく[35]修理しゅうり整備せいびをおこなった

だいはち艦隊かんたい

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6月18にち横須賀よこすか出発しゅっぱつして24にちにトラック泊地はくち到着とうちゃく[35]。7月4にちから佐世保させぼ鎮守ちんじゅだい特別とくべつ陸戦りくせんたいいち中隊ちゅうたいはこぶ「野島のじままる」をラエまで護衛ごえいし、7がつ10日とおかにトラックにもどった[69]。 7月14にちだいじゅうろく戦隊せんたいかいたいされ、「津軽つがる」はしんへんされただいはち艦隊かんたい編入へんにゅうされてどう艦隊かんたい附属ふぞくとなった[70]。7月17にち、ラバウルに進出しんしゅつ[35]8がつ7にちよりガダルカナルとうたたかがはじまると、「津軽つがる」もショートランド泊地はくち進出しんしゅつしてガダルカナルとうへの輸送ゆそう作戦さくせん従事じゅうじした[35]。9月3にち、ガとう輸送ゆそう従事じゅうじちゅうべいぐん空襲くうしゅうにより至近しきんだんける[35]。9月8にちから10がつ10日とおかまでラバウルで修理しゅうり実施じっしした[35]。そのふたたびショートランド泊地はくち進出しんしゅつし、輸送ゆそう作戦さくせん従事じゅうじする[35]

11月30にち津軽つがる艦長かんちょう稲垣いながきよし龝大横須賀よこすか鎮守ちんじゅ)から高橋たかはし一松いちまつ大佐たいさあかつき初代しょだい艦長かんちょうとう歴任れきにん。11月26にちまでくにようまる監督かんとくかん)に交代こうたい[71]稲垣いながき大佐たいさ翌年よくねん6がつ5にち予備よびやく編入へんにゅうされた[72]

1943ねん昭和しょうわ18ねん)2がつ25にち、ラバウルで空襲くうしゅうけて損傷そんしょう[35]。3月10にち、ラバウルを出発しゅっぱつして19にち横須賀よこすか到着とうちゃく[35]修理しゅうり整備せいびをおこなった。5月25にち横須賀よこすか出撃しゅつげき、トラック泊地はくち経由けいゆ(5がつ30にち-6月1にち)で6がつ3にちにラバウル到着とうちゃく[35]ラバウルブイン、トラック泊地はくちあいだ魚雷ぎょらい輸送ゆそう任務にんむとう従事じゅうじした[35]。 8月4にち、トラック泊地はくち出撃しゅつげきしてラバウルにかう。8月5にちべい潜水せんすいかんシルバーサイズ)から雷撃らいげきされて損傷そんしょうし、6にちにラバウル到着とうちゃく[35]応急おうきゅう修理しゅうりの8がつ31にちにラバウルを出発しゅっぱつし、9月12にちにトラック泊地はくち[35]。9月12にちにトラックを出発しゅっぱつ、18にち横須賀よこすか到着とうちゃく[35]修理しゅうり整備せいび実施じっしした。 9月20にち津軽つがる艦長かんちょう高橋たかはし一松いちまつ大佐たいさから中津なかつ成基せいき大佐たいさ交代こうたいする[73]後日ごじつ高松たかまつだい護衛ごえい船団せんだん司令しれいかん任命にんめいされ[74]まつがた駆逐くちくかん1ばんかんまつ沈没ちんぼつ戦死せんしした(スカベンジャー作戦さくせん[75]

だいさんみなみ艦隊かんたい

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横須賀よこすか修理しゅうりちゅう1943ねん昭和しょうわ18ねん)12月1にちで「津軽つがる」はだいさんみなみ艦隊かんたい編入へんにゅうされる[35]。12月3にち横須賀よこすか出発しゅっぱつし、12月5にち佐世保させぼ到着とうちゃく[35]輸送ゆそう物件ぶっけん搭載とうさいし、12月9にち佐世保させぼ出撃しゅつげきする[35]。マニラ経由けいゆ(13にち-19にち)で12月22にちシンガポール到着とうちゃく[35]。 1944ねん昭和しょうわ19ねん)にはいるとシンガポール方面ほうめんやフィリピン方面ほうめんでの輸送ゆそう作戦さくせん従事じゅうじ[35]。3月17にちから24にちまでパラオに滞在たいざいしたあと、バラバック海峡かいきょう機雷きらい敷設ふせつした[35]。5月12にち佐世保させぼ帰投きとう[35]

5月28にち機雷きらい600搭載とうさいして佐世保させぼ出港しゅっこうスリガオ海峡かいきょう機雷きらい敷設ふせつしたあと、6月4にちにダバオ到着とうちゃく[35]。6月5にちにダバオを出発しゅっぱつし、6月7にちワシレハルマヘラとうちゃく[35]ビアクとうたたかともな輸送ゆそう作戦さくせん従事じゅうじする[35]陸軍りくぐん部隊ぶたいせて6がつ8にち出発しゅっぱつ、6月9にちソロンニューギニアとう西部せいぶ到着とうちゃく[35]同日どうじつ出発しゅっぱつし、13にちにワシレ[35]即日そくじつ出発しゅっぱつし、ソロンへもど[35]。 6月21にち、ソロンを出発しゅっぱつ[35]同日どうじつ、サラワジの泊地はくち空襲くうしゅうけたため避退する途上とじょうべい潜水せんすいかんダーターから右舷うげんかんくび魚雷ぎょらい攻撃こうげきけた。 このかみなり相当そうとう浸水しんすいがあり津軽つがるまえのめりとなり、戦死せんし2にん重軽傷じゅうけいしょう4にん被害ひがいがあった。 みねふうがた駆逐くちくかん12ばんかんふう」の支援しえんけ、6月22にちにマリフッド[35]現地げんちにて損傷そんしょう箇所かしょ応急おうきゅう修理しゅうりほどこしたが試験しけん航海こうかい結果けっかおもわしくなく、本格ほんかくてき修理しゅうりのためフィリピンのキャビテ軍港ぐんこう回航かいこうすることとなった。6月28にち、ワシレに回航かいこう[35]6月29にち、フィリピンへ駆潜艇くせんてい2せき護衛ごえいともな出港しゅっこうするが、モロタイ水道すいどう北口きたぐちにおいてダーター襲撃しゅうげきける[35]津軽つがる航海こうかいちょう面舵おもかじいちはいるも応急おうきゅう修理しゅうりによる低速ていそく航行こうこうだったことからもけられずかみなりした。沈下ちんかまらず、徐々じょじょかんがりやがて垂直すいちょく直立ちょくりつし、津軽つがるはそのままかんうえにして海中かいちゅうぼっした。その直後ちょくご爆発ばくはつがあり、津軽つがるから十分じゅうぶんはなれていなかった漂流ひょうりゅうしゃには水中すいちゅう衝撃しょうげき負傷ふしょうしたものおおかったという。

駆潜艇くせんてい2せき救助きゅうじょにあたったが重傷じゅうしょうしゃおおく、救助きゅうじょされたのちにも戦傷せんしょう原因げんいんくなるもの続出ぞくしゅつした。 生存せいぞんしゃすくなくじゅん士官しかん以上いじょう18にん下士官かしかんへい287にん傭人ようにん3にん戦死せんしした。

すで死亡しぼうしていた中津なかつ大佐たいさは7がつ10日とおか津軽つがる艦長かんちょう職務しょくむかれた[76]。 8がつ10日とおか、「津軽つがる」は敷設ふせつかん[77]帝国ていこく軍艦ぐんかんせき[7]よりのぞかれた。

年譜ねんぷ

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歴代れきだい艦長かんちょう

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※『艦長かんちょうたちの軍艦ぐんかん』205-207ぺーじ、『日本にっぽん海軍かいぐんだい9かんだい10かんの「将官しょうかん履歴りれき」にもとづく。

艤装ぎそういんちょう

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  • 稲垣いながきよし大佐たいさ:1941ねん6がつ20日はつか[38] - 1941ねん9がつ10日とおか[40]

艦長かんちょう

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  • 稲垣いながきよし大佐たいさ:1941ねん9がつ10日とおか[40] - 1942ねん11月30にち[71]
  • 高橋たかはし一松いちまつ 大佐たいさ:1942ねん11月30にち[71] - 1943ねん9がつ20日はつか[73]
  • 中津なかつ成基せいき 大佐たいさ:1943ねん9がつ20日はつか[73] - 1944ねん7がつ20日はつか[76](6がつ30にち戦死せんし海軍かいぐん少将しょうしょう進級しんきゅう[75]

参考さんこう文献ぶんけん

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    • 戦史せんし研究けんきゅう伊達だてひさ日本にっぽん海軍かいぐん補助ほじょ艦艇かんてい戦歴せんれき一覧いちらん 水上すいじょう母艦ぼかん潜水せんすい母艦ぼかん敷設ふせつかん一等いっとう輸送ゆそうかんとう輸送ゆそうかん敷設ふせつてい電纜でんらん敷設ふせつてい哨戒しょうかいてい駆潜艇くせんてい水雷すいらいてい海防かいぼうかん砲艦ほうかん特務とくむかんぜんさんさんせき太平洋戦争たいへいようせんそう
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    • 昭和しょうわ17ねん9がつ14にち昭和しょうわ18ねん8がつ15にち だい8艦隊かんたい戦時せんじ日誌にっし(7)』。Ref.C08030023100。 
    • 昭和しょうわ17ねん9がつ14にち昭和しょうわ18ねん8がつ15にち だい8艦隊かんたい戦時せんじ日誌にっし(8)』。Ref.C08030023200。 
    • ひょう/だい1ひょう 海軍かいぐん陸上りくじょう部隊ぶたい(航空こうくう部隊ぶたいのぞ被害ひがい艦船かんせん乗員じょういんふくむ)兵力へいりょくひょう/1.1944ねん10がつ18にち現在げんざい』。Ref.C14061098600。 

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ #戦史せんし叢書そうしょ31海軍かいぐんぐん戦備せんび1pp.500-501による。予算よさん成立せいりつ敷設ふせつかんおつ金額きんがくは9,750,000えん(#戦史せんし叢書そうしょ31海軍かいぐんぐん戦備せんび1pp.497-498)。10,481,753えん昭和しょうわ16年度ねんど物価ぶっか高騰こうとうのために追加ついか要求ようきゅうされ、議会ぎかい協賛きょうさんた(敷設ふせつかんおつの)金額きんがく
  2. ^ #昭和しょうわ造船ぞうせん1pp.764-795、艦艇かんてい要目ようもくひょうでは垂線すいせんあいだちょう113.00mとしている。
  3. ^ #昭和しょうわ造船ぞうせん1pp.764-795、艦艇かんてい要目ようもくひょうでは最大さいだいはばを15.58mとしている。
  4. ^ #昭和しょうわ造船ぞうせん1pp.764-795、艦艇かんてい要目ようもくひょうではろく号機ごうきかみなり600としている。
  5. ^ 戦史せんし叢書そうしょだい49かん 南東なんとう方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん<1>ガとう奪回だっかい作戦さくせん開始かいしまで、124ページでは戦死せんし11めい重傷じゅうしょう4めい軽傷けいしょう9めい

出典しゅってん

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  1. ^ a b #写真しゃしん日本にっぽん軍艦ぐんかんだい14かんp.39の写真しゃしん解説かいせつ
  2. ^ a b c d e f g #艦船かんせん要目ようもく(昭和しょうわ18ねん10がつ)p.30『津輕つがる|敷設ふせつかん|118.09|15.52|4.71|4,000|20.0|3|横須賀よこすか工廠こうしょう|昭和しょうわ14-7-5|昭和しょうわ15-6-5|昭和しょうわ16-10-22|12.7c/m…4|―|3|「タルビン」2|かん本式ほんしき4|2|9,000』
  3. ^ #S15.6.25ないれい提要ていよう原稿げんこう/だい13るい 艦船かんせん画像がぞう3、艦艇かんてい類別るいべつ等級とうきゅうひょう『| 敷設ふせつかん | (等級とうきゅう空白くうはく) | (かんがた空白くうはく) | かちりょく常磐ときわ嚴島いつくしま白鷹しらたか八重山やえやま沖島おきしま津輕つがる |』
  4. ^ a b #艦艇かんてい類別るいべつ等級とうきゅうひょう(昭和しょうわ15ねん12月25にち)p.3『軍艦ぐんかん|敷設ふせつかん|かちりょく常磐ときわ嚴島いつくしま白鷹しらたか八重山やえやま沖島おきしま津輕つがる
  5. ^ #S15.6.25ないれい提要ていよう原稿げんこう/だい13るい 艦船かんせん画像がぞう15、昭和しょうわ15ねん6がつ25にち調しらべ『艦艇かんてい特務とくむかん本籍ほんせきべつ一覧いちらんひょう
  6. ^ a b #戦史せんし叢書そうしょ31海軍かいぐんぐん戦備せんび1p.506
  7. ^ a b #うちれい()昭和しょうわ19ねん8がつ(3)p.11『うちれいだいきゅうよんさんごう横須賀よこすか鎮守ちんじゅ在籍ざいせき 軍艦ぐんかん 津輕つがる|鎮守ちんじゅ在籍ざいせき 軍艦ぐんかん たか みぎ帝國ていこく軍艦ぐんかんせきヨリじょカル|横須賀よこすか鎮守ちんじゅ在籍ざいせき 驅逐くちくかん 春雨はるさめ|鎮守ちんじゅ在籍ざいせき 驅逐くちくかん 谷風たにかぜ|佐世保させぼ鎮守ちんじゅ在籍ざいせき 驅逐くちくかん 白露しらつゆ驅逐くちくかん 水無月みなづき驅逐くちくかん 松風まつかぜ|舞鶴まいづる鎮守ちんじゅ在籍ざいせき 驅逐くちくかん はや みぎ帝國ていこく驅逐くちくかんせきヨリじょカル|横須賀よこすか鎮守ちんじゅ在籍ざいせき りょごうだいひゃくじゅうろく潜水せんすいかんりょごうだいひゃくじゅうなな潜水せんすいかん|鎮守ちんじゅ在籍ざいせき ごうだいさんじゅうさん潜水せんすいかんりょごうだいひゃくよん潜水せんすいかんりょごうだいひゃく潜水せんすいかんりょごうだいひゃくじゅうよん潜水せんすいかん|佐世保させぼ鎮守ちんじゅ在籍ざいせき ごうだいひゃくはちじゅうさん潜水せんすいかんごうだいひゃくはちじゅうよん潜水せんすいかんごうだいひゃくはちじゅう潜水せんすいかんりょごうだいひゃくろく潜水せんすいかんりょごうだいひゃくはち潜水せんすいかんりょごうだいひゃくじゅういち潜水せんすいかん|舞鶴まいづる鎮守ちんじゅ在籍ざいせき りょごうだいさんじゅうろく潜水せんすいかんりょごうだいよんじゅう潜水せんすいかんりょごうだいよんじゅうよん潜水せんすいかんみぎ帝國ていこく潜水せんすいかんせきヨリじょカル|舞鶴まいづる鎮守ちんじゅ在籍ざいせき だいじゅうよんごう海防かいぼうかん みぎ帝國ていこく海防かいぼうかんヨリじょカル|佐世保させぼ鎮守ちんじゅ在籍ざいせき 特務とくむかん 塩屋しおや みぎ帝國ていこく特務とくむかんせきヨリじょカル|昭和しょうわじゅうきゅうねんはちがつじゅうにち 海軍かいぐん大臣だいじん
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r #一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ(敷設ふせつかん)p.3、『註.上記じょうき計画けいかくノモノハ(以下いか特記とっきそとさま)昭和しょうわじゅうさんねんじゅうがつじゅう六日艦本機密決第三七九号二依ル計画けいかく当初とうしょノモノデ詳細しょうさい進捗しんちょく昭和しょうわじゅうろくねんじゅうがつ八日艦本機密決第四号ノよんろく〇ニ決裁けっさい当時とうじノモノヲしめせス』『註.上記じょうき現状げんじょうハ(以下いか記載きさいノモノモ仝さま)昭和しょうわじゅうななねんじゅう一月七日横廠機密工第一八号ノいちよんよんよん送付そうふ要目ようもく簿ル』
  9. ^ a b c d e f g h #一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ(敷設ふせつかん)p.26、津軽つがる重量じゅうりょう比較ひかくひょう
  10. ^ #一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ(敷設ふせつかん)p.33、津軽つがる復元ふくげん性能せいのう
  11. ^ a b #昭和しょうわ造船ぞうせん1pp.764-795、艦艇かんてい要目ようもくひょう
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  13. ^ #一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ(敷設ふせつかん)p.19、計画けいかく士官しかん19にん特務とくむ士官しかん6にんじゅん士官しかん9にん下士官かしかんへい380にん
  14. ^ #S16.12.31ないれい提要ていよう原稿げんこうまき1/追録ついろくだい3るい 定員ていいん(4)画像がぞう10、昭和しょうわ16ねん9がつ19にちないれいだい1083ごう改定かいてい敷設ふせつかん定員ていいんひょう其ノよん士官しかん19にん特務とくむ士官しかん6にんじゅん士官しかん9にん下士官かしかん96にんへい282にん
  15. ^ a b c d e f g h #一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ(敷設ふせつかん)p.5
  16. ^ #一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ(敷設ふせつかん)p.7
  17. ^ #一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ(敷設ふせつかん)p.21
  18. ^ a b #一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ(敷設ふせつかん)p.15
  19. ^ a b #一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ(敷設ふせつかん)p.13
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  26. ^ #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく(まき8、1940)p.199『◎戰利せんり軍艦ぐんかんしょう摸肥ぜん命名めいめいけん 明治めいじさんじゅうはちねんはちがつじゅうにち(たちいちいちいち)戰利せんり軍艦ぐんかん「ペレスウエート」そとよんせきひだりつう命名めいめいセラル 戰艦せんかん「ペレスウエート」 あい摸/戰艦せんかん「ポルタワ」 丹後たんご/一等いっとう巡洋艦じゅんようかん「バヤーン」 阿蘇あそ/とう巡洋艦じゅんようかん「ワリヤーグ」 宗谷そうや/とう巡洋艦じゅんようかん「パルラダ」 津輕つがる
  27. ^ #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく(まき8、1940)p.58『大正たいしょうきゅうねんよんがついちにち(たちさんはち)艦艇かんてい類別るいべつ等級とうきゅうべつひょうちゅうひだりつう改正かいせいス 巡洋艦じゅんようかん一等いっとうらん阿蘇あそ、」どうとうらんない津輕つがる、」ヲそぎル|海防かいぼうかんとうらんない韓崎かんさき駒橋こまはし若宮わかみや」ヲそぎル|巡洋艦じゅんようかんらんひだりノ如クフ |航空こうくう母艦ぼかん| |若宮わかみや|-|水雷すいらい母艦ぼかん| |韓崎かんさき駒橋こまはし|-|敷設ふせつかん| |阿蘇あそ津輕つがるかちりょく
  28. ^ #写真しゃしん日本にっぽん軍艦ぐんかんだい14かん10ぺーじ(昭和しょうわ15ねん沖島おきしま写真しゃしん)
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  64. ^ 戦史せんし叢書そうしょだい49かん 南東なんとう方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん<1>ガとう奪回だっかい作戦さくせん開始かいしまで、124ページ
  65. ^ 昭和しょうわ17ねんがつ10にち昭和しょうわ17ねんがつ20にち 軍艦ぐんかん津軽つがる戦闘せんとう詳報しょうほう だい19.20.21ごう (べい機動きどう部隊ぶたいたいする戦闘せんとう 対空たいくう戦闘せんとう)(2)、だい2-3画像がぞう
  66. ^ 昭和しょうわ17ねんがつ10にち昭和しょうわ17ねんがつ20にち 軍艦ぐんかん津軽つがる戦闘せんとう詳報しょうほう だい19.20.21ごう (べい機動きどう部隊ぶたいたいする戦闘せんとう 対空たいくう戦闘せんとう)(2)、だい3画像がぞう
  67. ^ #吉田よしだ指揮しきかん99ぺーじ
  68. ^ #MO作戦さくせん津軽つがる詳報しょうほう(1)pp21.29
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  75. ^ a b 海軍かいぐん少将しょうしょう中津なかつ成基せいきがいめい位階いかいつい陞のけん p.4 中津なかつ戦死せんし(戦死せんし少将しょうしょう6/30)、高橋たかはし一松いちまつ少将しょうしょう(戦死せんし中将ちゅうじょう8/4)」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.A12090532600 
  76. ^ a b 昭和しょうわ19ねん7がつ19にち(発令はつれい7がつ10にちづけ)海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう(部内ぶないげん)だい1539ごう p.42」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072100000 
  77. ^ #うちれい()昭和しょうわ19ねん8がつ(3)p.9『うちれいだいきゅうさんななごう 艦艇かんてい類別るいべつ等級とうきゅうひょうちゅうひだりつう改正かいせいス 昭和しょうわじゅうきゅうねんはちがつじゅうにち 海軍かいぐん大臣だいじん軍艦ぐんかん航空こうくう母艦ぼかんちゅう「、たか」ヲ、どう敷設ふせつかんちゅう「、津輕つがる」ヲそぎル|驅逐くちくかん一等いっとう神風かみかぜがたこうちゅう「、松風まつかぜ」ヲ、どう卯月うづきがたこうちゅう「、水無月みなづき」ヲ、どう白露しらつゆがたこうちゅう白露しらつゆ、」「、春雨はるさめ」ヲ、どう不知火しらぬいがたこうちゅう「、谷風たにかぜ」ヲ、同夕どうゆうくもがたこうちゅう「、はやなみ」ヲそぎル(以下いかりゃく)』

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