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かちりょく (敷設ふせつかん)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
かつつとむ
竣工まもない頃の「勝力」[1]
竣工しゅんこうまもないころの「かちりょく[1]
基本きほん情報じょうほう
建造けんぞうしょ 海軍かいぐん工廠こうしょう[2]
運用うんようしゃ  大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん
かんしゅ (雑役ざつえきせん)
敷設ふせつせん
敷設ふせつかん[3]
測量そくりょうかん[4]
母港ぼこう (最終さいしゅう)[5]
かんれき
計画けいかく 大正たいしょう4年度ねんど[6](1915ねん)
発注はっちゅう 1915ねん10月6にち製造せいぞう訓令くんれい[7]
起工きこう 1916ねん5月5にち[2]
進水しんすい 1916ねん10がつ5にち[8][9]
竣工しゅんこう 1917ねん1がつ15にち[10]
最期さいご 1944ねん9月21にち戦没せんぼつ[11]
除籍じょせき 1944ねん11月10にち[5]
要目ようもく[12]
基準きじゅん排水はいすいりょう 1,540えいトン[10]
常備じょうび排水はいすいりょう 計画けいかく:2,000えいトン[10][9]
1917ねん1がつ:2,004えいトン[13]
満載まんさい排水はいすいりょう 1917ねん1がつ:2,126えいトン[13]
垂線すいせんあいだちょう 240 ftin (73.15 m)[10][9]
最大さいだいはば 39 ft 1 in (11.91 m)[9]
水線すいせんはば 公表こうひょう 11.89m[10]
吃水きっすい 計画けいかく 14 ft 0 in (4.27 m)[9]
1917ねん1がつ常備じょうび平均へいきん 13 ft 6 in (4.11 m)[13]
どう満載まんさい平均へいきん 14 ft 2+58 in (4.33 m)[13]
公表こうひょう 4.11m[10]
ボイラー かん本式ほんしき 2[10][9]
おも 直立ちょくりつ3気筒きとう3だんレシプロ 2[14]
推進すいしん 2じく[10]
出力しゅつりょく 1,800馬力ばりき[9][15]
速力そくりょく 13.0ノット[10][9]
燃料ねんりょう 石炭せきたん 449えいトン[9]
1917ねん1がつ石炭せきたん 472えいトン[16]
乗員じょういん 竣工しゅんこう定員ていいん 138めい(1916ねん10がつ11にち)[17]
敷設ふせつかん定員ていいん 184めい(1920ねん8がつ1にち)[18][10]
へいそう 40口径こうけいやすしき12cmたんそうほう 3もん[9]
5号機ごうきかみなり100[6](または480[19])
1917ねん1がつごう機雷きらい360[20]
搭載とうさいてい 4せき[10]
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かつつとむ(かつりき)は、日本にっぽん海軍かいぐん敷設ふせつかん[21]太平洋戦争たいへいようせんそうなか特務とくむかん測量そくりょうかん)にかんしゅ変更へんこうされた[22][4]

概要がいよう

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敷設ふせつかん/特務とくむかんかつつとむ」は日本にっぽん海軍かいぐん機雷きらい敷設ふせつかん排水はいすいりょうやく1,500トン)[23][24]1917ねん大正たいしょう6ねん)1がつ竣工しゅんこうしたさいは「敷設ふせつせん かつつとむ[21](もしくは「かつ力丸りきまる[24])だったが、1920ねん大正たいしょう9ねん)4がつ1にち日本にっぽん海軍かいぐん軍艦ぐんかんとなり[25]敷設ふせつかん類別るいべつ変更へんこうされた[3]旧式きゅうしきにともない1935ねん昭和しょうわ10ねん)7がつより鎮守ちんじゅ部隊ぶたい測量そくりょうかんとなり、測量そくりょう任務にんむ従事じゅうじ[23]太平洋戦争たいへいようせんそうでも東南とうなんアジア方面ほうめん測量そくりょう任務にんむ従事じゅうじした[23]1942ねん昭和しょうわ17ねん)7がつ20日はつか特務とくむかん測量そくりょうかん)に類別るいべつ変更へんこうされる[23][4]。その測量そくりょう任務にんむ従事じゅうじしていたが、 1944ねん昭和しょうわ19ねん)9がつ21にち潜水せんすいかん雷撃らいげき沈没ちんぼつした[11][注釈ちゅうしゃく 1]

かんがた

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敷設ふせつかん

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にち戦争せんそう以降いこう日本にっぽん海軍かいぐん旧式きゅうしき装甲そうこう巡洋艦じゅんようかん敷設ふせつかん改造かいぞうして機雷きらいせんそなえ、同時どうじ敷設ふせつていとして400トンきゅうの「夏島なつしまとう建造けんぞうした[24]大正たいしょう時代じだいになると、巡洋艦じゅんようかん改造かいぞう大型おおがたかん敷設ふせつていなかあいだがたとしてほんかんかちりょく)が開発かいはつ建造けんぞうされた[24]従来じゅうらい敷設ふせつてい(マイン・ボート)の拡大かくだいがたてき艦艇かんてい[26]船体せんたい形状けいじょうには商船しょうせん雰囲気ふんいきのこ[27]速力そくりょく13ノット[26]号機ごうきかみなり100[26]うえ甲板かんぱんに120船艙せんそうないに360搭載とうさいとする文献ぶんけんもある[19]1917ねん(大正たいしょう6ねん)の南洋なんよう巡航じゅんこうさいうえ甲板かんぱんに20、1ばんから4ばんまでの機雷きらいに340けい360号機ごうきかみなり搭載とうさいしている[20]主砲しゅほうやすしきよん口径こうけいいちセンチほう3もん[26]配置はいちかんくびに2もんかん尾上おのえ構上に1もんだが、かんくびの2もん日本にっぽん海軍かいぐんではめずらしく並列へいれつ配置はいちされていた[6]

測量そくりょうかん

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基本きほん情報じょうほう
かんれき
要目ようもく(1935ねん[28]
排水はいすいりょう 1942.11トン
水線すいせんちょう 73.152m
水線すいせんはば 11.912m
ふか 6.86m
吃水きっすい 3.99m
出力しゅつりょく 2,057IHP
速力そくりょく 14.14ノット
燃料ねんりょう 456トン
航続こうぞく距離きょり 5,310カイリ / 10ノット
乗員じょういん 定員ていいん 154めい(1942ねん7がつ20日はつか測量そくりょうかん編入へんにゅう[29]
沈没ちんぼつ乗員じょういん195めい[30]測量そくりょうはんいん25めい[31]
へいそう 8cmほう2もん(1935ねん)[32]
または 8cm高角こうかくほう3もん(1942ねん)[33]
最終さいしゅう
8cm高角こうかくほう3もん[34]
7.7mm機銃きじゅう5てい[34]
爆雷ばくらい[35]
搭載とうさいてい 28ft内火艇ないかてい1せき、30ftカッター1せき、26ftカッター1せき、27ftどおりせん1せき、20ftどおりせん1せき[32]
最終さいしゅう:カッター2せき内火艇ないかてい1せき測量そくりょうてい4せき[36]
レーダー 1944ねん6がつれいしき電波でんぱ探知たんち(ぎゃくさがせ)[37]
測量そくりょうかんとしての要目ようもく
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1935ねん(昭和しょうわ10ねん)に「満州まんしゅう」の測量そくりょう器材きざいいで測量そくりょうよう改造かいぞうされた[6]。このとき後部こうぶマストを三脚さんきゃく測量そくりょうていあげおろしようデリック装備そうび)に変更へんこうした[38]公式こうしきによると主砲しゅほう前部ぜんぶ2もんは8cmほうかわそう後部こうぶ1もん撤去てっきょされ羅針儀らしんぎ設置せっちされた[32]。「写真しゃしん日本にっぽん軍艦ぐんかんだい14かん」では『そのさい備砲びほうさんねんしき8センチ高角こうかくほうかわそうされた』としている(高角こうかくほうもんすう記載きさいい)[38]1942ねん撮影さつえいされた写真しゃしんでは8cm高角こうかくほう3もん(前部ぜんぶ2もん後部こうぶ1もん)が搭載とうさいされている[33]

1944ねん(昭和しょうわ19ねん)9がつ沈没ちんぼつへいそうは8cm高角こうかくほう3もん、7.7mm機銃きじゅう5てい[34]爆雷ばくらいとなっている[35]。そのぎゃくさがせ装備そうび確認かくにんされる[37]。また搭載とうさいていはカッター2せき内火艇ないかてい1せきいかだ2せき搭載とうさいしていた[36]測量そくりょうてい任務にんむおうじて搭載とうさいしており[注釈ちゅうしゃく 2]沈没ちんぼつは4せき搭載とうさいしていた[36]。なお、1944ねん9がつ戦時せんじ日誌にっしにはみず偵による直衛なおえ任務にんむ記載きさいもある[39]

かんれき

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1915ねん大正たいしょう4ねん)12がつ10日とおか日本にっぽん海軍かいぐん建造けんぞう予定よていの2,000トンきゅう水雷すいらい敷設ふせつせんを「かつつとむ」と命名めいめいする[21][40]。このかんめいは、神奈川かながわけん横須賀よこすか横須賀よこすか軍港ぐんこう)にあるみさきかちりょくはな」に[41][42]

1916ねん大正たいしょう5ねん5月5にち、「かちりょく」(一部いちぶ文献ぶんけんではかつ力丸りきまる[41])は海軍かいぐん工廠こうしょう起工きこう[43][44]起工きこう直後ちょくごの5がつ17にち敷設ふせつせん(工作こうさくせん運送うんそうせんわせて特務とくむせん総称そうしょう)が制定せいていされる[45]。それまでは雑役ざつえきせんあつかいだった[1]同年どうねん10月5にち進水しんすい[44][46]1917ねん大正たいしょう6ねん1がつ15にち竣工しゅんこう[44]鎮守ちんじゅせき[46]

1920ねん大正たいしょう9ねん4がつ1にちで、「敷設ふせつせん かちりょく」は軍艦ぐんかんかつつとむ」となる[25][47]同日どうじつ艦艇かんてい類別るいべつ等級とうきゅう改正かいせいにより敷設ふせつかんあらたにさだめられ、3せき阿蘇あそ津軽つがるかちりょく)は敷設ふせつかん類別るいべつ変更へんこうされた[48][3]

1935ねん昭和しょうわ10ねん)7がつ1にち鎮守ちんじゅ部隊ぶたい測量そくりょうかんとなる[23][46]。このころから測量そくりょうかんとしてもちいられた[49]南洋なんよう諸島しょとうささえうみでの測量そくりょう任務にんむ従事じゅうじする[46]

1940ねん昭和しょうわ15ねん)10がつ11にち横浜よこはまこうおきおこなわれた紀元きげんせんろくひゃくねん特別とくべつ観艦式かんかんしき参加さんか[50]

太平洋戦争たいへいようせんそう

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1941ねん昭和しょうわ16ねん)6がつより南洋なんよう方面ほうめん測量そくりょう実施じっししたあと、12月1にち横須賀よこすか到着とうちゃく[46]1942ねん昭和しょうわ17ねん)1がつ12にちよりくれ入渠にゅうきょ整備せいびをおこなった[46]横須賀よこすか回航かいこうされたのち3がつ10日とおかだい一南遣艦隊附属となる[46]。3月16にちだいさん測量そくりょうたい器材きざい搭載とうさいして横須賀よこすか出撃しゅつげき[23]シンガポール進出しんしゅつマラッカ海峡かいきょうビルマ方面ほうめん測量そくりょう任務にんむ従事じゅうじした[23][46]同年どうねん7がつ20日はつかで、「かちりょく」は敷設ふせつかんから削除さくじょ[51]特務とくむかん測量そくりょうかん)に類別るいべつ変更へんこう[23][22]引続ひきつづき、東南とうなんアジアやインド洋いんどよう方面ほうめんでの測量そくりょう業務ぎょうむ従事じゅうじした[49][24]

1944ねん後半こうはん

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1944ねん(昭和しょうわ19ねん)6がつ時点じてん南西なんせい方面ほうめん艦隊かんたい所属しょぞくし、測量そくりょう任務にんむいていた[52]。1にちマカッサルちゃく[53]。4にち測量そくりょうてい3せきせて同地どうちはつ[53]測量そくりょうおこない8にちソロンちゃく[54]測量そくりょうてい1せき同地どうちのこした[55]よく9にち同地どうちはつ[54]、14にちマカッサルに到着とうちゃくした[56]。17にちマカッサルはつ[56]、19にちスラバヤ帰着きちゃく同地どうち整備せいび作業さぎょう[57]ぎゃくさがせ装備そうび[37]ひとしおこなった。

7がつ4にちスラバヤはつ[58]、7にちバリクパパン測量そくりょうはん先発せんぱつたい測量そくりょうてい1せきろした[59]10日とおか同地どうちはつ[59]、12にちタラカン、15にち同地どうちはつ[60]、17にちバリクパパン、21にち同地どうちはつ[61]、24にちスラバヤに帰着きちゃくした[62]

測量そくりょう機材きざい52トンを搭載とうさいし8がつ8にちにスラバヤはつ[63]、12にちシンガポール測量そくりょう機材きざいろした[64]以後いごパレンバン測量そくりょう予定よていであったが[65]フィリピン方面ほうめん測量そくりょうおこなっていた「だい36共同きょうどうまる」が消息しょうそく不明ふめいとなる[66]。このためかちりょくブルネイわん測量そくりょうぎ、マニラへの進出しんしゅつ命令めいれいされた[67]便乗びんじょうしゃ40めい兵器へいきとう搭載とうさいしシンガポールを18にちはつ[64]、22にちスラバヤ[68]マニラへの物品ぶっぴんやく70トンとう搭載とうさいし28にちスラバヤはつ、30にちバリクパパン[68]。9月1にち同地どうちはつ[69]、12にちマニラ湾まにらわん入港にゅうこうただちに出港しゅっこうマニラ湾まにらわん西方せいほうで避泊[70][71]同地どうち整備せいび作業さぎょうおこない16にちマニラこう再度さいど入港にゅうこうした[72][71]。17にち同地どうちしん艦長かんちょう着任ちゃくにんし、ぜん艦長かんちょう退すさかん20日はつか測量そくりょうはんいん25めい測量そくりょうてい4せき収容しゅうようした[72]。まただい36共同きょうどうまる生存せいぞんしゃ9めいかちりょく収容しゅうようされた[73][注釈ちゅうしゃく 3]

沈没ちんぼつ

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このころフィリピンちゅう南部なんぶすでアメリカ海軍かいぐん艦載かんさい空襲くうしゅうけていた[74]北部ほくぶにあるマニラも空襲くうしゅう可能かのうせいたかくなり[74]かちりょくルソン島るそんとう西岸せいがんマシンロック英語えいごばん待避たいひするため、21にち午前ごぜん3たんかんマニラを出港しゅっこうした[75]。しかし、北上ほくじょうちゅう午前ごぜん1130ふんごろてき戦闘せんとうやく60みと[75]、このうちやく10から午前ごぜん1140ふんごろからやく20分間ふんかん機銃きじゅう掃射そうしゃ急降下きゅうこうかばくげきけた[76][77]ばくだん2はつ回避かいひしたが機銃きじゅう掃射そうしゃにより重傷じゅうしょうしゃ2めい軽傷けいしょうしゃすうめいしたほかかんには機銃きじゅうだんやく100はつ被弾ひだんした[76]かちりょく搭載とうさいの7.7mm機銃きじゅうてき相当そうとうすう命中めいちゅうしたが、威力いりょく不足ふそくため[34][78]てき撃破げきはは1とどまった[76]かちりょく一旦いったんてき攻撃こうげき圏内けんないから離脱りだつするために西方せいほう進路しんろけ、予定よていブルネイ回航かいこう変更へんこうした[79]午後ごご430ふんごろ病院びょういんせん高砂たかさごまるみとめ、重傷じゅうしょうしゃ2めい高砂たかさごまる入院にゅういんさせた[80]

同日どうじつ午後ごご1030ふん北緯ほくい1330ふん東経とうけい11920ぶん地点ちてん[81] 潜水せんすいかんハッドによる雷撃らいげき3ほん(ハッドの記録きろくでは6ほん)をけ、回避かいひ行動こうどうったがうち1ほん右舷うげん艦橋かんきょう前部ぜんぶ命中めいちゅうかんくびしたにしてやく1ふん沈没ちんぼつした[11]沈没ちんぼつによる乗員じょういん戦死せんし行方ゆくえ不明ふめいしゃけい167めい[82]生存せいぞんしゃ28めい(うち重傷じゅうしょう4めい)[83]。また便乗びんじょうしていた南方みなかた海軍かいぐん航路こうろだい4測量そくりょうはんの25めいのうち、10めい行方ゆくえ不明ふめいとなった[31]。「沈没ちんぼつ顛末てんまつ報告ほうこく」では生存せいぞんしゃすくなかった原因げんいんとしてたんかんでの行動こうどう夜間やかんでかつうみれていた、沈没ちんぼつきゅうだった、沈没ちんぼつてき潜水せんすいかん浮上ふじょう銃撃じゅうげきおこなったことをあげている[84]

生存せいぞんしゃいていたカッター1せき測量そくりょうてい1せきり、カッターは24にち測量そくりょうていは25にちにそれぞれルバングとう到着とうちゃく[85]現地げんち陸軍りくぐん情報じょうほうたい合流ごうりゅうした[86]。24にちからすうかいかれてマニラへ移動いどう[86]、30にち生存せいぞんしゃはマニラに集合しゅうごうした[87]生存せいぞんしゃのうち、下士官かしかん10めい傭人ようにん1めいは9月30にち海兵かいへいだん転勤てんきん重傷じゅうしょうしゃ4めいだい103病院びょういん入院にゅういんのこり12めいだい5補充ほじゅう転勤てんきんした[83]

11月10にち、「かちりょく」は測量そくりょうかん[88]および帝国ていこく特務とくむかんせきから削除さくじょされた[5]敷設ふせつかん2せき八重山やえやまあおいたか)も同日どうじつ除籍じょせきされている[5]

略歴りゃくれき

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歴代れきだい艦長かんちょう

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※『艦長かんちょうたちの軍艦ぐんかん』199-201ぺーじ、『日本にっぽん海軍かいぐんだい9かんだい10かんの「将官しょうかん履歴りれきおよび『官報かんぽう』にもとづく。階級かいきゅう就任しゅうにんのもの。

指揮しきかん

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  • 角田つのだたかさん 中佐ちゅうさ:1916ねん11月6にち - 1917ねん7がつ2にち
  • むかい邦一くにかず 中佐ちゅうさ:1917ねん9がつ1にち - 1917ねん12月1にち[89]
  • 高倉たかくら正治しょうじ 中佐ちゅうさ:1917ねん12月1にち - 1918ねん11がつ10日とおか[90]
  • 有田ありたしげるどおり 中佐ちゅうさ:1918ねん11がつ10日とおか - 1918ねん12月4にち[91]
  • 前川まえかわただしひら 中佐ちゅうさ:1918ねん12月4にち[91] - 1919ねん11月20にち[92]
  • 宮野みやのこう 中佐ちゅうさ:1919ねん11がつ20日はつか - 1920ねん4がつ1にち

艦長かんちょう

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  • 宮野みやのこう 中佐ちゅうさ:1920ねん4がつ1にち - 1920ねん11月12にち[93]
  • 今橋いまはし重良しげよし 中佐ちゅうさ:1920ねん11月12にち[93] - 1921ねん7がつ25にち[94]
  • 成沢なりさわよしすい 中佐ちゅうさ:1921ねん7がつ25にち - 1921ねん12月1にち[95]
  • 堀内ほりうちはじめたいら 中佐ちゅうさ:1921ねん12月1にち - 1922ねん11月1にち[96]
  • 土方ひじかた鎮雄しずお 中佐ちゅうさ:1922ねん11月1にち[96] - 1923ねん7がつ20日はつか[97]
  • 上村うえむらしたがえよし 中佐ちゅうさ:1923ねん7がつ20日はつか[97] - 1923ねん11月20にち[98]
  • 石田いしだ正一しょういち 中佐ちゅうさ:1923ねん11がつ20日はつか - 1924ねん12月1にち
  • 松井まつい利三郎としさぶろう 中佐ちゅうさ:1924ねん12月1にち - 1925ねん4がつ15にち
  • 山田やまだ松次郎まつじろう 中佐ちゅうさ:1925ねん4がつ15にち - 1925ねん10がつ20日はつか
  • 広岡ひろおか正治しょうじ 中佐ちゅうさ:1925ねん10がつ20日はつか - 1927ねん11月15にち[99]
  • あらただし 中佐ちゅうさ:1927ねん11月15にち - 1928ねん12がつ10日とおか
  • 平野ひらの武雄たけお 中佐ちゅうさ:1928ねん12がつ10日とおか - 1929ねん11月30にち
  • 藤永ふじなが三郎さぶろう 中佐ちゅうさ:1929ねん11月30にち - 1930ねん5がつ1にち[100]
  • 石橋いしばし敏成としなり 中佐ちゅうさ:1930ねん5がつ1にち - 1930ねん11月15にち
  • 佐倉さくら武夫たけお 中佐ちゅうさ:1930ねん11月15にち - 1931ねん12月1にち
  • 荻野おぎの仲一郎なかいちろう 中佐ちゅうさ:1931ねん12月1にち - 1933ねん11月15にち
  • こうむね我部がぶゆずる 中佐ちゅうさ:1933ねん11月15にち - 1934ねん11月1にち
  • 脇坂わきさかじょうひらめ 中佐ちゅうさ:1934ねん11月1にち - 1935ねん10がつ10日とおか
  • まつりょうゆうひろしこうぎょう中佐ちゅうさ:1935ねん10がつ10日とおか - 1938ねん2がつ21にち[101]
  • のべ谷保やほつかさ 中佐ちゅうさ:1938ねん2がつ21にち - 1939ねん4がつ20日はつか[102]
  • 長尾ながお素夫もとお 大佐たいさ:1939ねん4がつ20日はつか - 1940ねん5がつ2にち[103]
  • 中村なかむら正雄まさお 大佐たいさ:1940ねん5がつ2にち[103] - 1940ねん6がつ1にち[104]
  • 近藤こんどう脩三しゅうぞう 中佐ちゅうさ:1940ねん6がつ1にち - 1942ねん1がつ15にち[105]
  • 千葉ちば次雄つぐお 大佐たいさ:1942ねん1がつ15にち[105] - 1942ねん7がつ20日はつか[106]

特務とくむ艦長かんちょう

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  • 千葉ちば次雄つぐお 大佐たいさ:1942ねん7がつ20日はつか[106] -
  • 寺島てらしまあきらぜん 大佐たいさ:1943ねん11がつ10日とおか -
  • 志和しわぴょう 大佐たいさ:1944ねん9がつ1にち - 1944ねん9がつ21にち戦死せんし

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ #写真しゃしん日本にっぽん軍艦ぐんかんだい14かん55ぺーじ(『敷設ふせつかん行動こうどう年表ねんぴょうかつつとむ◇)や#補助ほじょ艦艇かんてい奮戦ふんせん176ぺーじかちりょく(かつりき)』では空襲くうしゅうにより沈没ちんぼつとしている。
  2. ^ #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(1)画像がぞう7、昭和しょうわ19ねん6がつ9にち令達れいたつ報告ほうこくとう測量そくりょうていさんせき(いちせき現地げんち要望ようぼう残置ざんち)搭載とうさい作業さぎょうはつ』やどう画像がぞう30、昭和しょうわ19ねん8がつ15にち無電むでんいち.現在げんざいほんかん測量そくりょうはん測量そくりょうてい搭載とうさいきょラズ』。
  3. ^ #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(2)には、かちりょく沈没ちんぼつ生存せいぞんしゃ記載きさいい。

出典しゅってん

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  1. ^ a b #写真しゃしん日本にっぽん軍艦ぐんかんだい14かんp.57じょう写真しゃしん解説かいせつ
  2. ^ a b c #T5公文こうぶん備考びこう27/起工きこう画像がぞう7、『こうだいよんごうさん〇ノいちいち 大正たいしょうねんがつろくにち 海軍かいぐん工廠こうしょうちょう伊藤いとう乙次郎おとじろう 海軍かいぐん大臣だいじん加藤かとう友三郎ともさぶろう殿どの 水雷すいらい敷設ふせつ舩勝りょく起工きこう報告ほうこくけん 水雷すいらい敷設ふせつ舩勝りょくほんがつにち午前ごぜんきゅう起工きこう致候 みぎ報告ほうこくス』
  3. ^ a b c d #たち大正たいしょう9ねん4がつp.1『いたるだいさんじゅうはちごう 艦艇かんてい類別るいべつ等級とうきゅうべつひょうちゅうひだりつう改正かいせいス 大正たいしょうきゅうねんよんがついちにち 海軍かいぐん大臣だいじん 加藤かとう友三郎ともさぶろう 巡洋艦じゅんようかん一等いっとうらんない阿蘇あそ、」どうとうらんない津輕つがる、」ヲそぎル/海防かいぼうかんとうらんない韓崎かんさき駒橋こまはし若宮わかみや」ヲそぎル/巡洋艦じゅんようかんらんひだりノ如クフ|航空こうくう母艦ぼかん| |若宮わかみや|/|水雷すいらい母艦ぼかん| |韓崎かんさき駒橋こまはし|/|敷設ふせつかん| |阿蘇あそ津輕つがるかつつとむ|』
  4. ^ a b c d #うちれい昭和しょうわ17ねん7がつ(3)p.19『うちれいだいせんさんひゃくじゅうななごう 特務とくむてい類別るいべつひょうちゅうひだりつう改正かいせいス 昭和しょうわじゅうななねんなながつじゅうにち 海軍かいぐん大臣だいじん 嶋田しまだ繁太郎しげたろう運送うんそうかんちゅう伊良湖いらこ」ノしもニ「、大瀬おおせ」ヲ、測量そくりょうかんこうちゅう筑紫つくし」ノしもニ「、かちりょく」ヲ、標的ひょうてきかんこうちゅう攝津せっつ」ノしもニ「、ふう」ヲフ』
  5. ^ a b c d e #うちれい()昭和しょうわ19ねん11月(2)pp.27-28『『うちれいだいいちよんごう 横須賀よこすか鎮守ちんじゅ在籍ざいせき 軍艦ぐんかん 秋津あきつしゅう 軍艦ぐんかん迅鯨|鎮守ちんじゅ在籍ざいせき 軍艦ぐんかん くもたか|佐世保させぼ鎮守ちんじゅ在籍ざいせき 軍艦ぐんかん 八重山やえやま|舞鶴まいづる鎮守ちんじゅ在籍ざいせき 軍艦ぐんかん あおたか みぎ帝國ていこく軍艦ぐんかんせきヨリじょカル|佐世保させぼ鎮守ちんじゅ在籍ざいせき 驅逐くちくかん 皐月さつき みぎ帝國ていこく驅逐くちくかんせきヨリじょカル|横須賀よこすか鎮守ちんじゅ在籍ざいせき 海防かいぼうかん 平戸ひらど|鎮守ちんじゅ在籍ざいせき 海防かいぼうかん ひゃくとう|佐世保させぼ鎮守ちんじゅ在籍ざいせき だいじゅうごう海防かいぼうかん みぎ帝國ていこく海防かいぼうかんせきヨリじょカル|鎮守ちんじゅ在籍ざいせき だいさんごう輸送ゆそうかん だいよんごう輸送ゆそうかん だいごう輸送ゆそうかん|佐世保させぼ鎮守ちんじゅ在籍ざいせき だいひゃくじゅうななごう輸送ゆそうかん だいひゃくさんじゅうよんごう輸送ゆそうかん みぎ帝國ていこく輸送ゆそうかんせきヨリじょカル|横須賀よこすか鎮守ちんじゅ在籍ざいせき だいさんじゅうごう驅潜艇くせんてい|鎮守ちんじゅ在籍ざいせき だいじゅうごう驅潜艇くせんてい|舞鶴まいづる鎮守ちんじゅ在籍ざいせき だいじゅうごう驅潜艇くせんてい みぎ帝國ていこく驅潜艇くせんていせきヨリじょカル|鎮守ちんじゅ在籍ざいせき 特務とくむかん かちりょく みぎ帝國ていこく特務とくむかんせきヨリじょカル 昭和しょうわじゅうきゅうねんじゅういちがつじゅうにち 海軍かいぐん大臣だいじん』』
  6. ^ a b c d #日本にっぽん海軍かいぐん特務とくむ艦船かんせん(1997)p.63
  7. ^ #T4公文こうぶん備考びこう41/製造せいぞうづけ製造せいぞう予算よさん(ざつせん其他)(4)画像がぞう5-6、官房かんぼうだい3069ごう大正たいしょうよんねんじゅうがつろくにち 海軍かいぐん大臣だいじん くれ鎮司れい長官ちょうかんアテ 水雷すいらい敷設ふせつ製造せいぞうけん』(以下いかりゃく)
  8. ^ a b #T6公文こうぶん備考びこう19/いそふう浜風はまかぜ天津てんしんふう時津風ときつかぜ(1)画像がぞう43、海軍かいぐん大臣だいじんあて電報でんぽう天津てんしんふういそふうかちりょく本日ほんじつ無事ぶじ進水しんすいセリ じゅうがつにち 鎮守ちんじゅ司令しれい長官ちょうかん』(大正たいしょう5ねん10がつ5にちかん政局せいきょく接受せつじゅしるしり)
  9. ^ a b c d e f g h i j #戦史せんし叢書そうしょ31海軍かいぐんぐん戦備せんび1付表ふひょうだいいちそのさん大正たいしょう九年三月調艦艇要目等一覧表 そのさん 潜水せんすいかん水雷すいらいてい特務とくむせん
  10. ^ a b c d e f g h i j k l #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく11-2(1972)pp.1064-1065、昭和しょうわ3ねん2がつ14にち(うちれい43)艦船かんせん要目ようもく公表こうひょう範囲はんい
  11. ^ a b c d #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(2)画像がぞう21-22。、どう画像がぞう27-28。
  12. ^ #写真しゃしん日本にっぽん軍艦ぐんかんだい14かん31ぺーじ(『敷設ふせつてい要目ようもく一覧いちらん)による。ただし主要しゅよう寸法すんぽうは(小数点しょうすうてん以下いか2けた四捨五入ししゃごにゅうして)小数点しょうすうてん以下いか1けたまで記載きさいされている。
  13. ^ a b c d #T6公文こうぶん備考びこうまき41/かちりょく巡航じゅんこう報告ほうこく(1)画像がぞう13、どう画像がぞう18
  14. ^ #戦史せんし叢書そうしょ31海軍かいぐんぐん戦備せんび1付表ふひょうだいそのいち大正たいしょうじゅう二年三月調艦艇要目等一覧表 そのいち 軍艦ぐんかん
  15. ^ #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく11-2(1972)pp.1088-1089、昭和しょうわ6ねん4がつ29にち(うちれい79)艦船かんせん要目ようもく公表こうひょう範囲はんい
  16. ^ #T6公文こうぶん備考びこうまき41/かちりょく巡航じゅんこう報告ほうこく(2)画像がぞう33-34、別紙べっしおつ.すみすいけいらんただかく数値すうち合計ごうけいは473。
  17. ^ #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく10-1(1972)p.567、大正たいしょう5ねん10がつ11にちないれいだい218ごう敷設ふせつせん定員ていいんひょう將校しょうこう機關きかん將校しょうこう將校しょうこう相當そうとうかん10にん特務とくむ士官しかんじゅん士官しかん5にん下士かし29にんそつ94にん
  18. ^ #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく10-2(1972)pp.608,635、大正たいしょう9ねん8がつ1にちないれいだい267ごうだい56ひょう(敷設ふせつかん定員ていいんひょう其三)。士官しかん9にん特務とくむ士官しかん2にんじゅん士官しかん5にん下士官かしかん38にんへい130にん
  19. ^ a b #写真しゃしん日本にっぽん軍艦ぐんかんだい14かんp.57ちゅう写真しゃしん解説かいせつ
  20. ^ a b #T6公文こうぶん備考びこうまき41/かちりょく巡航じゅんこう報告ほうこく(2)画像がぞう13、さん.準備じゅんびどう33、別紙べっしおついち.兵器へいき
  21. ^ a b c #たち大正たいしょう4ねん12月p.19『いたるだいひゃくななじゅうはちごう 臨時りんじ軍事ぐんじヲ以テくれ海軍かいぐん工廠こうしょうニ於テ製造せいぞうスヘキせんとんきゅう水雷すいらい敷設ふせつせんヲ かちカツちからリキ ト命名めいめいス 大正たいしょうよんねん十二月じゅうにがつじゅうにち 海軍かいぐん大臣だいじん 加藤かとう友三郎ともさぶろう
  22. ^ a b #補助ほじょ艦艇かんてい奮戦ふんせん284ぺーじかちりょく(かつりき/測量そくりょうかん)』
  23. ^ a b c d e f g h #補助ほじょ艦艇かんてい奮戦ふんせん176ぺーじかちりょく(かつりき)』
  24. ^ a b c d e #日本にっぽん補助ほじょ艦艇かんてい物語ものがたり43-45ぺーじ『わが敷設ふせつかん概要がいよう
  25. ^ a b c #たち大正たいしょう9ねん4がつp.1『いたるだいさんじゅうろくごう 敷設ふせつせんかちりょく帝國ていこく軍艦ぐんかんていかちりょく命名めいめいセラル 大正たいしょうきゅうねんよんがついちにち 海軍かいぐん大臣だいじん 加藤かとう友三郎ともさぶろう
  26. ^ a b c d #写真しゃしん日本にっぽん軍艦ぐんかんだい14かん27ぺーじ『◇かつつとむ◇』
  27. ^ #写真しゃしん日本にっぽん軍艦ぐんかんだい14かん57ぺーじ(かちりょく側面そくめん写真しゃしん)
  28. ^ #軍艦ぐんかん基本きほん計画けいかく資料しりょうSheet19
  29. ^ 昭和しょうわ17ねん7がつ20にちづけ ないれいだい1320ごう別表べっぴょう。アジア歴史れきし資料しりょうセンター レファレンスコード C12070164200 で閲覧えつらん可能かのう
  30. ^ #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(2)画像がぞう22-23。じゅん士官しかん以上いじょう16めい下士官かしかんへい176めい傭人ようにん3めい
  31. ^ a b #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(2)画像がぞう32-33、『ろく. 参考さんこう (さん)測量そくりょうはん(南方なんぽう海軍かいぐん航路こうろだいよん測量そくりょうはん)人員じんいん状況じょうきょう
  32. ^ a b c #海軍かいぐん艦艇かんてい公式こうしき図面ずめんしゅうpp.258-259、45.測量そくりょうかんかちりょく 昭和しょうわ10ねん公式こうしき
  33. ^ a b #日本にっぽん海軍かいぐんぜん艦艇かんてい下巻げかんp.872No.2761、1942ねん9がつ1にち撮影さつえい写真しゃしん#写真しゃしん日本にっぽん軍艦ぐんかんだい13かんp.59かちりょく写真しゃしんおよ解説かいせつ
  34. ^ a b c d #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(2)画像がぞう16、(ロ)功績こうせき
  35. ^ a b #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(2)画像がぞう4、1944ねん9がつ11にち『〇きゅう威嚇いかく投射とうしゃはじめいち〇〇〇 どうみぎとめ消耗しょうもう爆雷ばくらい
  36. ^ a b c #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(2)画像がぞう29。『イ. 遭難そうなん当時とうじカッター救助きゅうじょていニ備ヘアリ、いちカッターハすいだいナルタメじょう甲板かんぱんニアリ、其ノうえ甲板かんぱん内火艇ないかていいち測量そくりょうていよんいかだアリタルモ』(以下いかりゃく)
  37. ^ a b c #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(1)画像がぞう6
  38. ^ a b #写真しゃしん日本にっぽん軍艦ぐんかんだい14かん57ぺーじ(かちりょく昭和しょうわ6ねん写真しゃしん)
  39. ^ #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(2)画像がぞう4、昭和しょうわ19ねん9がつ10日とおか、11にち経過けいか摘要てきようらん
  40. ^ #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく(まき8、1940)p.218『◎水雷すいらい敷設ふせつせんかちりょく命名めいめいけん 大正たいしょうよんねん十二月じゅうにがつじゅうにち(たちいちななはち) 大正たいしょうきゅうねんよんがつさんろくごうかちりょく命名めいめい 臨時りんじ軍事ぐんじヲ以テくれ海軍かいぐん工廠こうしょうニ於テようみやつこスヘキせんとんきゅう水雷すいらい敷設ふせつせんヲ かちカツちからリキ ト命名めいめいス』
  41. ^ a b #幕末ばくまつ以降いこう帝国ていこく軍艦ぐんかん写真しゃしん史実しじつp.145『かちりょく(かつりき) かんしゅ敷設ふせつかん かんめいこうみさきめいにして横須賀よこすか軍港ぐんこうないかちりょくはなる。かんれきはじ敷設ふせつせんかつ力丸りきまる」としょうす、大正たいしょう9ねん4がつ1にち軍艦ぐんかんさだめられ、「かちりょく」と命名めいめい。』
  42. ^ #写真しゃしん日本にっぽん軍艦ぐんかんだい14かん2ぺーじかんめい由来ゆらい』-『かちりょく(かつりき)―みさきかくめい
  43. ^ #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく(まき11、1940)p.570『かつつとむ|敷設ふせつかん|73.15|11.89|4.11|1,540|13.0|184|4|工廠こうしょう|大正たいしょう5-5-5|大正たいしょう5-10-5|大正たいしょう6-1-15|8c/m…3|―|―|1|直立ちょくりつさんだん膨張ぼうちょうしき2|かん本式ほんしき2|2|1,800』
  44. ^ a b c #艦船かんせん要目ようもく公表こうひょう範囲はんい(昭和しょうわ16ねん6がつ30にち)p.18『かつつとむ|敷設ふせつかん|73.15|11.89|4.11|1,540|13.0|184|4|工廠こうしょう|大正たいしょう5-5-5|大正たいしょう5-10-5|大正たいしょう6-1-15|8c/m…3|―|―|1|直立ちょくりつさんだん膨張ぼうちょうしき2|かん本式ほんしき2|2|1,800』
  45. ^ #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく3-2(1971)p.1162『大正たいしょうねんがつじゅうななにち(軍令ぐんれいうみろく) 大正たいしょうはちねんさんがついちごう消滅しょうめつ 艦船かんせんれい だいいちじょう 艦船かんせんひだりノ如ク種別しゅべつ軍艦ぐんかん 驅逐くちくかん 水雷すいらいてい 潜水せんすいてい 敷設ふせつせん 工作こうさくせん 運送うんそうせん 雑役ざつえきせん 軍艦ぐんかん驅逐くちくかん水雷すいらいてい潜水せんすいてい総称そうしょうシテ艦艇かんていいい敷設ふせつせん工作こうさくせん運送うんそうせん総称そうしょうシテ特務とくむせんいいフ』(だい2じょう以下いか省略しょうりゃく)
  46. ^ a b c d e f g h #写真しゃしん日本にっぽん軍艦ぐんかんだい14かん55ぺーじ(『敷設ふせつかん行動こうどう年表ねんぴょうかつつとむ◇)
  47. ^ #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく(まき8、1940)p.201『◎敷設ふせつせんかちりょく軍艦ぐんかんかちりょく命名めいめいけん 大正たいしょうきゅうねんよんがついちにち(たちさんろく)敷設ふせつせんかちりょく帝國ていこく軍艦ぐんかんていかちりょく命名めいめいセラル』
  48. ^ #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく(まき8、1940)p.58『大正たいしょうきゅうねんよんがついちにち(たちさんはち)艦艇かんてい類別るいべつ等級とうきゅうべつひょうちゅうひだりつう改正かいせいス 巡洋艦じゅんようかん一等いっとうらん阿蘇あそ、」どうとうらんない津輕つがる、」ヲそぎル|海防かいぼうかんとうらんない韓崎かんさき駒橋こまはし若宮わかみや」ヲそぎル|巡洋艦じゅんようかんらんひだりノ如クフ |航空こうくう母艦ぼかん| |若宮わかみや|-|水雷すいらい母艦ぼかん| |韓崎かんさき駒橋こまはし|-|敷設ふせつかん| |阿蘇あそ津輕つがるかちりょく
  49. ^ a b #日本にっぽん補助ほじょ艦艇かんてい物語ものがたり48ぺーじ『(1) かつつとむかつりき(だい)』
  50. ^ 紀元きげんせんろくひゃくねん祝典しゅくてん記録きろくだいろくさつ』、369ぺーじ
  51. ^ #うちれい昭和しょうわ17ねん7がつ(3)p.19『うちれいだいせんさんひゃくじゅうろくごう 艦艇かんてい類別るいべつ等級とうきゅうべつひょうちゅうひだりつう改正かいせいス 昭和しょうわじゅうななねんなながつじゅうにち 海軍かいぐん大臣だいじん 嶋田しまだ繁太郎しげたろう軍艦ぐんかん敷設ふせつかんこうちゅうかちりょく、」ヲそぎル/驅逐くちくかん一等いっとうみねふうがたこうちゅう「、ふう」ヲそぎル』
  52. ^ #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(1)画像がぞう1
  53. ^ a b #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(1)画像がぞう2
  54. ^ a b #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(1)画像がぞう3
  55. ^ #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(1)画像がぞう7
  56. ^ a b #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(1)画像がぞう4
  57. ^ #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(1)画像がぞう5
  58. ^ #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(1)画像がぞう12
  59. ^ a b #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(1)画像がぞう13
  60. ^ #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(1)画像がぞう14
  61. ^ #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(1)画像がぞう15
  62. ^ #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(1)画像がぞう16
  63. ^ #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(1)画像がぞう24
  64. ^ a b #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(1)画像がぞう25
  65. ^ #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(1)画像がぞう29、8がつ1にち受信じゅしん機密きみつみなみこう命令めいれいだい8ごう南方なんぽう航路こうろ命令めいれい かちりょくはちがつ上旬じょうじゅん「スラバヤ」はつどう下旬げじゅん帰港きこう予定よていヲ以テ左記さき測量そくりょうせきスル作業さぎょう従事じゅうじスベシ いち.測量そくりょうざいヲ「スラバヤ」ヨリ昭南しょうなん輸送ゆそう .「パレンバン」方面ほうめん測量そくりょう作業さぎょう終了しゅうりょう次第しだい同地どうちだいさん測量そくりょうはん撤収てっしゅう「スラバヤ」ニ帰投きとう
  66. ^ #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(1)画像がぞう29、8がつ12にち19受信じゅしん、GKF機密きみつだい101042ばんでんはつGKF参謀さんぼうちょうあてみなみこう通報つうほう水路すいろ部長ぶちょうだい参謀さんぼうだいいち部長ぶちょう だいさんろくどもまる消息しょうそく不明ふめいナルしょふね救援きゅうえんきゅうようスルヲ以テかちりょく使用しよう○○ニづけ準備じゅんびサレ みぎ計画けいかくなみよう○テ事項じこうラサレ』。どう画像がぞう30。
  67. ^ #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(1)画像がぞう31、17にち11受信じゅしん、GKF機密きみつだい170950ばんでん『GKFでんれいさくだいよんいちきゅうごう いち.「ブルネイ」わん測量そくりょうだい機密きみつだいいちよんいちばんでんかちりょくヲ以テ実施じっし.かちりょくハ「スラバヤ」ニ於テ準備じゅんびそくカニ「マニラ」ニ回航かいこうスベシ』
  68. ^ a b #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(1)画像がぞう26
  69. ^ #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(2)画像がぞう3
  70. ^ #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(2)画像がぞう4
  71. ^ a b #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(2)画像がぞう25
  72. ^ a b #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(2)画像がぞう5
  73. ^ #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(2)画像がぞう26
  74. ^ a b #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(2)画像がぞう12、特務とくむかんかちりょく戦闘せんとう詳報しょうほうだい5ごう敵情てきじょう
  75. ^ a b #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(2)画像がぞう13
  76. ^ a b c #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(2)画像がぞう14
  77. ^ #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(2)画像がぞう15
  78. ^ #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(2)画像がぞう17、せんくん所見しょけん(ロ)『てき攻撃こうげきぎわ機銃きじゅうだん(ななななみりめーとる)相当そうとうすう機体きたい命中めいちゅうセルヲみとめメラルモ効果こうか確認かくにんニシテだい口径こうけい機銃きじゅうアリセバさら戦果せんかだいナルヲとく少数しょうすうたんはちせんちめーとる高角こうかくほうニテノ急降下きゅうこうかばくげき艦橋かんきょう掃射そうしゃてきたいスル攻撃こうげきがい効果こうかしょうシ』
  79. ^ #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(2)画像がぞう20、いち.形勢けいせい(ロ)、.計画けいかく
  80. ^ #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(2)画像がぞう21、さん.経過けいか概要がいよう(ロ)『いちろくさんごろ病院びょういんせん高砂たかさごまるみとめ前記ぜんき重傷じゅうしょうしゃめい高砂たかさごまる入院にゅういんセシム いちなな〇〇 いち 〇〇〇 いちきゅうさん変針へんしんセリ』。
  81. ^ a b #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(2)画像がぞう24。『いち. 遭難そうなん日時にちじ 昭和しょうわじゅうきゅうねんきゅうがつじゅういちにち さん. 遭難そうなん位置いち いちさん - さんきた いちいちきゅう - ひがし
  82. ^ #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(2)画像がぞう36-43、人員じんいん明細めいさいしょ(行方ゆくえ不明ふめいしゃ)じゅん士官しかん以上いじょう人員じんいん明細めいさいしょ(戦死せんしまた行方ゆくえ不明ふめいしゃ)下士官かしかんへいじゅん士官しかん以上いじょう15めい下士官かしかん61めいへい89めい傭人ようにん2めい
  83. ^ a b #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(2)画像がぞう22-23、ろく.わが兵力へいりょく現状げんじょう
  84. ^ #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(2)画像がぞう33、『ろく. 参考さんこう (ろく)生存せいぞんしゃしょう原因げんいん思考しこうスル事項じこうひだりノ如シ』
  85. ^ #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(2)画像がぞう29-31、よん.遭難そうなん生存せいぞんしゃ行動こうどう・ロ、どう・ハ。
  86. ^ a b #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(2)画像がぞう31、よん.遭難そうなん生存せいぞんしゃ行動こうどう・ニ。
  87. ^ #S19.6.1-S19.9.24しょうりょく日誌にっし詳報しょうほう(2)画像がぞう23『生存せいぞんしゃ浮揚ふようセシだいいちカッター及測量そくりょうていいち分乗ぶんじょうじゅうにちルバングとう到着とうちゃくさんじゅうにち「マニラ」ニ集合しゅうごうセリ』。
  88. ^ #うちれい()昭和しょうわ19ねん11月(2)p.22『うちれいだいいちよんはちごう 特務とくむかん類別るいべつ等級とうきゅうべつひょうちゅうひだりつう改正かいせいス|昭和しょうわじゅうきゅうねんじゅういちがつじゅうにち 海軍かいぐん大臣だいじん測量そくりょうかんちゅうかちりょく」ヲそぎル』
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関連かんれん項目こうもく

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