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北上ほくじょう (けい巡洋艦じゅんようかん)

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北上ほくじょう
基本きほん情報じょうほう
建造けんぞうしょ 佐世保させぼ工廠こうしょう
運用うんようしゃ  大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん
かんしゅ けい巡洋艦じゅんようかん
きゅうめい 球磨くまがたけい巡洋艦じゅんようかん
かんれき
計画けいかく 1917ねん計画けいかくはちよん艦隊かんたいあん
発注はっちゅう 1917ねん11月27にち[1]
起工きこう 1919ねん9月1にち[2]
進水しんすい 1920ねん7がつ3にち[2][3]
竣工しゅんこう 1921ねん4がつ15にち[2][4]
除籍じょせき 1945ねん11月30にち
除籍じょせき 1946ねん10がつ10日とおかから1947ねん3月31にち長崎ながさき解体かいたい
要目ようもく
基準きじゅん排水はいすいりょう 5,100トン
全長ぜんちょう 162.15m
最大さいだいはば 14.17m
吃水きっすい 4.8m(常備じょうび
おも 竣工しゅんこうタービン44じく 90,000SHP
回天かいてん搭載とうさいかん:タービン22じく 35,110SHP
速力そくりょく 36.0ノット竣工しゅんこう
23.0ノット(回天かいてん搭載とうさいかん
航続こうぞく距離きょり 5000うみさと / 14ノット竣工しゅんこう
乗員じょういん 450めい竣工しゅんこう定員ていいん[5]
446めいじゅうかみなりそうかん[6]
650めい回天かいてん搭載とうさいかん
へいそう
  • 竣工しゅんこう
    50口径こうけい14cmたんそうほう 7もん
    40口径こうけい8cmたんそう高角こうかくほう 2もん
    53cm連装れんそう魚雷ぎょらい発射はっしゃかん 48もん
  • じゅうかみなりそうかん
    50口径こうけい14cmたんそうほう 4もん
    25mm連装れんそう機銃きじゅう2
    61cm4連装れんそう魚雷ぎょらい発射はっしゃかん 1040もん
  • 回天かいてん搭載とうさいかん
    12.7cm連装れんそう高角こうかくほう 2
    25mm3連装れんそう機銃きじゅう12
    25mmたんそう機銃きじゅう31てい
    回天かいてん8
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北上ほくじょう(きたかみ)は、大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐんけい巡洋艦じゅんようかん球磨くまがたの3ばんかんかんめいは、岩手いわてけん宮城みやぎけんながれる北上川きたかみがわよりづけられた。

概要がいよう

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きゅうさんしき魚雷ぎょらい(いわゆる酸素さんそ魚雷ぎょらい)の登場とうじょうをきっかけに、同型どうけいかん大井おおいとも日米にちべいりょう海軍かいぐん艦隊かんたい決戦けっせんそなえて一旦いったんじゅうかみなりそうかん改装かいそうされたが、太平洋戦争たいへいようせんそう開戦かいせん航空こうくうぬしへいながれから艦隊かんたい決戦けっせんこらなかったため、じゅうかみなりそう発射はっしゃかん一部いちぶ撤去てっきょして高速こうそく輸送ゆそうかん改装かいそうされた。改装かいそう輸送ゆそう任務にんむ従事じゅうじした。1945ねんには特攻とっこう兵器へいき回天かいてん搭載とうさい母艦ぼかん改装かいそうされたものの、出撃しゅつげきすることはなかった。

かんれき

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太平洋戦争たいへいようせんそうまえ

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1919ねん(大正たいしょう8ねん)9がつ1にち佐世保させぼ海軍かいぐん工廠こうしょう起工きこう[2]1920ねん(大正たいしょう9ねん)7がつ3にち午前ごぜん930ふん進水しんすい[3]1921ねん(大正たいしょう10ねん)4がつ15にち竣工しゅんこうした[4]横須賀よこすか鎮守ちんじゅせき[7]

1921ねん4がつ18にちだい艦隊かんたいだい水雷すいらい戦隊せんたい編入へんにゅう[7]1922ねん12月1にちだい水雷すいらい戦隊せんたい旗艦きかんとなる。1924ねん12月1にちだい水雷すいらい戦隊せんたい旗艦きかんけい巡洋艦じゅんようかん五十鈴いすず」に交代こうたいする。同日どうじつ予備よびかんとなる[7]。1925ねん12月1にちだいいち艦隊かんたいだいいち潜水せんすい戦隊せんたい編入へんにゅう[7]。12月1にち予備よびかんとなる[7]。1928ねん12がつ10日とおかうまこう要港ようこう編入へんにゅう[7]。1929ねん11月30にち予備よびかんとなる[7]

1930ねん10がつ20日はつかだい演習えんしゅうちゅうけい巡洋艦じゅんようかん阿武隈あぶくま」と衝突しょうとつ事故じここす。

1931ねん12月1にちうまこう要港ようこう編入へんにゅう[7]。1932ねん12月1にち予備よびかんとなる[7]同年どうねん12がつ5にち台湾たいわんおき暴風雨ぼうふううにより沈没ちんぼつした駆逐くちくかん早蕨さわらび乗組のりくみいん救助きゅうじょ活動かつどうおこな[8]。 1934ねん11月15にち佐世保させぼ鎮守ちんじゅ転籍てんせき[7]同日どうじつ佐世保させぼ警備けいび戦隊せんたい編入へんにゅう[7]。1936ねん12月1にち予備よびかんとなる[7]。1937ねん6がつ1にち佐世保させぼ鎮守ちんじゅ部隊ぶたい編入へんにゅう[7]。7月28にちだいさん艦隊かんたいだいさん水雷すいらい戦隊せんたい編入へんにゅう[7]。12月1にち予備よびかんとなる[7]。1940ねん11月15にち連合れんごう艦隊かんたい附属ふぞくだいよん潜水せんすい戦隊せんたい編入へんにゅう[7]

1941ねん昭和しょうわ16ねん1がつ19にち土佐とさおきだいさん水雷すいらい戦隊せんたい演習えんしゅうちゅう北上ほくじょうは、吹雪ふぶきがた駆逐くちくかんゆうきりだいじゅう駆逐くちくたい)と衝突しょうとつ、2せきとも損傷そんしょう程度ていど軽微けいびだった[9]

3月14にちだい艦隊かんたいだい戦隊せんたい編入へんにゅう[10]

同年どうねんじゅうかみなりそうかんへの改装かいそう工事こうじけた。一部いちぶ主砲しゅほうろし、それまでの53cm魚雷ぎょらい発射はっしゃかんえて、61cm魚雷ぎょらい発射はっしゃかん左右さゆうかくふなばたに4連装れんそう520もんりょうふなばた合計ごうけい40もん搭載とうさいした。これはじゅうかみなりそうかんによる特別とくべつ夜戦やせん部隊ぶたいつくるという海軍かいぐん計画けいかくによるものであった。改装かいそう工事こうじ佐世保させぼ工廠こうしょうで8がつ24にちから開始かいしされ、11月15にち入渠にゅうきょ[11]。12月10にちみぞし、12月6にちくれかった[11]くれへの航海こうかいちゅうおおやけためしおこなわれたとおもわれ、12月27にち正式せいしき工事こうじ完了かんりょうとなった[11]

11月20にち、「北上ほくじょう」と「大井おおい」でだいきゅう戦隊せんたいだいいち艦隊かんたい所属しょぞく[10])が編成へんせいされた[12]

太平洋戦争たいへいようせんそう緒戦しょせん

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1941ねん昭和しょうわ16ねん12月8にち真珠湾しんじゅわん攻撃こうげきでは、広島ひろしまわん柱島はしらじま泊地はくちから小笠原諸島おがさわらしょとうまで、連合れんごう艦隊かんたい戦艦せんかん護衛ごえいおこなった。

1942ねん昭和しょうわ17ねん)1がつ14にち永野ながの修身しゅうしん軍令ぐんれい総長そうちょう大海たいかいゆびだい40ごうにより、連合れんごう艦隊かんたいおよび佐世保させぼ鎮守ちんじゅ・鎮海警備けいび司令しれい長官ちょうかんうまこう警備けいび司令しれい長官ちょうかんたいし、だい師団しだん門司もじ高雄たかおこう台湾たいわんあいだ直接ちょくせつ護衛ごえい指示しじする[13]。 1がつ下旬げじゅんから2がつ上旬じょうじゅんにかけて、だいきゅう戦隊せんたい北上ほくじょう大井おおい)はだいじゅうなな駆逐くちくたい白露しらつゆ時雨しぐれ)、だいさんじゅう駆逐くちくたい刈萱かるかや芙蓉ふよう朝顔あさがお)とともに、九州きゅうしゅうから台湾たいわんかう陸軍りくぐん輸送ゆそう船団せんだん護衛ごえいした[13][14]

4がつ15にちから佐世保させぼ工事こうじおこなわれ、このさいに13ミリ連装れんそう機銃きじゅう2装備そうびされた[12]

5月29にち以降いこうミッドウェー作戦さくせんにおけるだいきゅう戦隊せんたいは、だいいち艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん高須たかす四郎しろう中将ちゅうじょう)ととも行動こうどうする。無事ぶじ横須賀よこすか鎮守ちんじゅに6がつ17にち帰投きとうした。

7がつ9にちから7がつ23にちまでくれ工事こうじ実施じっし[12]

高速こうそく輸送ゆそうかんとして

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1942ねん9がつ8にちだいきゅう戦隊せんたい舞鶴まいづる鎮守ちんじゅだいよん特別とくべつ陸戦りくせんたいのトラックへの輸送ゆそう命令めいれいけた[12]。そのため、「北上ほくじょう」と「大井おおい」は9がつ10日とおか横須賀よこすかき、後部こうぶ魚雷ぎょらい発射はっしゃかん4陸揚りくあげした[12]。また、「北上ほくじょう」は内火艇ないかてい1せき陸揚りくあげした[12]。そして、だい発動はつどうてい4せき[15]さん連装れんそうきゅうろくしき25mm高角こうかく機銃きじゅう2爆雷ばくらい投下とうか軌条きじょう装備そうびした[16]

9月12にち舞鶴まいづる鎮守ちんじゅだいよん特別とくべつ陸戦りくせんたい収容しゅうようして横須賀よこすか出撃しゅつげき、17にちカロリン諸島しょとうトラック諸島しょとう到着とうちゃく(19にち揚陸ようりく[17]。10月3にち北上ほくじょう陸戦りくせんたい部隊ぶたい千代田ちよだ基地きちいん乗艦じょうかんさせトラック泊地はくち出港しゅっこうし、6にちソロモン諸島しょとうショートランドとう輸送ゆそう任務にんむえて9にちにトラック泊地はくちもどった[18]

11月下旬げじゅんから12がつ上旬じょうじゅんにかけてだいきゅう戦隊せんたい(「北上ほくじょう」、「大井おおい」)などはだいろくじゅう旅団りょだんのマニラからラバウルへの輸送ゆそうなつ輸送ゆそう)に従事じゅうじした[19]だいきゅう戦隊せんたいは11月21にちにトラックをはっして11月26にちにマニラに到着とうちゃく[20]。11月27にちに「球磨くま」とともにマニラを出港しゅっこうして12月3にちにラバウルにいた[21]。「北上ほくじょう」は人員じんいん430めい物件ぶっけん25トンをはこんだ[21]

その年末ねんまつまでに佐世保させぼ帰投きとうした[22]。このころさらよん連装れんそう魚雷ぎょらい発射はっしゃかんを4ろして416もんとし、大発だいはつ増設ぞうせつしたとされる[16]

1943ねん1がつから2がつ、「北上ほくじょう」は陸軍りくぐん部隊ぶたい輸送ゆそうへいいちごう輸送ゆそうへいさんごう輸送ゆそう)に参加さんかした[23]。「北上ほくじょう」などのへいいちごう輸送ゆそうでの任務にんむだいじゅう師団しだん主力しゅりょく釜山ぷさんからウェワクへの輸送ゆそうへいさんごう輸送ゆそうでの任務にんむだいよんじゅういち師団しだん主力しゅりょく青島ちんたおからウェワクへの輸送ゆそうであった[24]へいごう輸送ゆそう部隊ぶたい指揮しきかんとなっただいきゅう戦隊せんたい司令しれいかん座乗ざじょうする「大井おおい」は1がつ4にち佐世保させぼ出発しゅっぱつして鎮海へかい、どう司令しれいかん鎮海警備けいびだいじゅう師団しだん司令しれいなどと輸送ゆそうかんする協定きょうていおこなった[25]。それから「北上ほくじょう」は集合しゅうごう釜山ぷさんに1がつ7にちいた[26]へいいちごう輸送ゆそうでは「北上ほくじょう」は「大井おおい」、「相良さがらまる」、「讃岐さぬきまる」とともにだいいち輸送ゆそうたいとして1がつ9にち釜山ぷさん出発しゅっぱつし、パラオを経由けいゆして1がつ19にちにウェワクに到着とうちゃくした[27]。「北上ほくじょう」の輸送ゆそう内容ないよう人員じんいん309めい物件ぶっけん640こりであった[28]つぎへいさんごう輸送ゆそうでは「北上ほくじょう」は「大井おおい」、「讃岐さぬきまる」、「相良さがらまる」、「護国ごこくまる[30]とともにだいいち輸送ゆそうたいとして2がつ4にち青島ちんたお出発しゅっぱつし、パラオを経由けいゆして2がつ20日はつかにウェワクに到着とうちゃくした[31]へいさんごう輸送ゆそうでは途中とちゅうのパラオでも陸軍りくぐん部隊ぶたいせた[29]。「北上ほくじょう」の輸送ゆそう内容ないよう人員じんいん395めい物件ぶっけん611こりであった[32]

3月15にちだいきゅう戦隊せんたいかいたい[33]。4月から5がつにかけて、スラバヤからニューギニアとうカイマナ英語えいごばんへの輸送ゆそうせん3せき護衛ごえいおこなった[22]

6月23にちけい巡洋艦じゅんようかん4せき(「北上ほくじょう」と「大井おおい」、「鬼怒きぬ」、「球磨くま」)が入港にゅうこうしていたマカッサルがダーウィンより発進はっしんしたアメリカ陸軍りくぐん航空こうくうたいだい5空軍くうぐんだい90爆撃ばくげきだんだい319爆撃ばくげきたいの17B-24による攻撃こうげきけ、「鬼怒きぬ」や「球磨くま」に被害ひがいしょうじた[34]

7がつ1にちをもって球磨くまがた2せき北上ほくじょう大井おおい)は南西なんせい方面ほうめん艦隊かんたい麾下きかだいじゅうろく戦隊せんたい編入へんにゅうされる[35]。そのスラバヤ拠点きょてんとして警備けいびおこなった。

8がつシンガポールセレター英語えいごばん海軍かいぐん基地きち補修ほしゅうけた。9月はじめにシンガポールからニコバル諸島しょとうへの輸送ゆそうかん1せき護衛ごえいおこなった。10月わりにはアンダマン諸島しょとうポートブレアへの輸送ゆそうかん2せき護衛ごえいおこなった。

1944ねん昭和しょうわ19ねん)1がつ、「北上ほくじょう」と「鬼怒きぬ」はポートブレアへのりくへい輸送ゆそうおこなった[36]。2せきは1がつ23にちにシンガポールを出港しゅっこう[37]、1がつ25にちにポートブレアに到着とうちゃく[36]りくへいろし、どうにちシンガポールへの帰途きとについたが、27にち125ふんマラッカ海峡かいきょうくち北緯ほくい454ふん東経とうけい9828ふん)でイギリス潜水せんすいかんテンプラー」から発射はっしゃされた魚雷ぎょらいが2ほん北上ほくじょう」に命中めいちゅうした[38]魚雷ぎょらい前部ぜんぶ後部こうぶ命中めいちゅうし「北上ほくじょう」は航行こうこう不能ふのうとなった[39]戦死せんししゃは12めい負傷ふしょうしゃは4めいであった[39]。「北上ほくじょう」は「鬼怒きぬ」に曳航えいこうされて2がつ1にちにシンガポールに到着とうちゃく[36]、6がつまでシンガポールで修理しゅうりおこなわれた[39]本格ほんかくてき修理しゅうりのため「北上ほくじょう」は7がつ2にち給油きゅうゆかんあさひ東丸ひがしまる」を護衛ごえいして日本にっぽん本土ほんど出発しゅっぱつ[39]途中とちゅう浸水しんすい発生はっせいしたためマニラ修理しゅうりおこない、そのヒ70船団せんだん(タンカー8せき護衛ごえい空母くうぼかみたか」など)に合流ごうりゅうして北上ほくじょうし、8がつ14にち佐世保させぼ到着とうちゃくした[40]

回天かいてん搭載とうさい母艦ぼかんとして

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1945ねん1がつ20日はつかられた北上ほくじょう。(佐世保させぼ海軍かいぐん工廠こうしょうにて)
回天かいてんいちがただい1かい試験しけん発射はっしゃ

1944ねん昭和しょうわ19ねん)8がつ14にちから北上ほくじょう佐世保させぼにて回天かいてん搭載とうさい母艦ぼかんへの改装かいそうけた。後部こうぶにスロープを設置せっちし、中央ちゅうおうじょう甲板かんぱんじょうからスロープ部分ぶぶんまで回天かいてん搭載とうさい移動いどうのための軌条きじょうかたふなばた1じょうずつもうけ、回天かいてん8搭載とうさいできるようにした[41]搭載とうさいされた回天かいてん軌条きじょうにより順次じゅんじ後部こうぶ移動いどうし、スロープから海中かいちゅう発進はっしんすることが可能かのうである[41]こう甲板かんぱんには回天かいてんあげおさむするための20tクレーン(空母くうぼ千歳ちとせから移設いせつ)が設置せっちされた[41]。これらの搭載とうさいのために、後部こうぶのタービンははずされ、そのため最大さいだいそくは36ノットから23ノットに低下ていかした[41]へいそうすべえられ、12.7cm連装れんそう高角こうかくほう2、25mm3連装れんそう機銃きじゅう12、25mmたんそう機銃きじゅう31てい装備そうびされた。また、22ごう水上すいじょうでんさがせ設置せっちされた[41]かん回天かいてん搭載とうさい軌条きじょうあいだには爆雷ばくらい投下とうか軌条きじょうが2じょう設置せっちされた[42]改修かいしゅう1945ねん昭和しょうわ20ねん)1がつ20日はつか完了かんりょうした。しゅ任務にんむ回天かいてん輸送ゆそう襲撃しゅうげき訓練くんれん支援しえん目標もくひょうかんつとめる)であったが[41]本土ほんど決戦けっせんときには実際じっさい攻撃こうげきおこなうことも想定そうていされ[41]襲撃しゅうげき任務にんむ目的もくてきとした水上すいじょうかん部隊ぶたいである海上かいじょう挺進ていしん部隊ぶたい編入へんにゅうされた。北上ほくじょうどう戦隊せんたいふくめ、回天かいてん搭載とうさいした艦艇かんていなかでは排水はいすいりょう搭載とうさいすうとも最大さいだいかんであった。

1945ねん昭和しょうわ20ねん)3がつ19にち、アメリカ海軍かいぐんだい58任務にんむ部隊ぶたい空母くうぼ7せきくれこう攻撃こうげきした(だい1かい軍港ぐんこう空襲くうしゅう)。240以上いじょう艦載かんさい停泊ていはくちゅう日本にっぽん艦船かんせん空襲くうしゅうしたが、北上ほくじょう損傷そんしょうけなかった[22]。7月、25mmたんそう機銃きじゅう27てい追加ついか装備そうびされた。

7がつ24にちだい38任務にんむ部隊ぶたい空母くうぼ6せき艦載かんさい200くれこう空襲くうしゅうした(だい2かい軍港ぐんこう空襲くうしゅう)。これにより北上ほくじょう大破たいは航行こうこう不能ふのうとなり32にん乗組のりくみいん戦没せんぼつした[22]

戦後せんご

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戦後せんご北上ほくじょうしゅ機械きかい損壊そんかいしたままで航行こうこう不能ふのう状態じょうたいであったものの、しゅかんるい発電はつでんその)の一部いちぶ使用しよう可能かのうであった[43]。このため、北上ほくじょう復員ふくいん輸送ゆそう支援しえんじょうがかり工作こうさくかんとして使用しようされることとなり、1945ねんまつ鹿児島かごしま曳航えいこうされ、やく半年はんとしあいだ従事じゅうじした[43][42]北上ほくじょう同年どうねん11がつ30にち除籍じょせきされた。

1946ねん昭和しょうわ21ねん)2がつ10日とおか北上ほくじょう佐世保させぼ地方ちほう復員ふくいんきょく所管しょかん特別とくべつ輸送ゆそうかん指定していされた[44]。4月21にち高松宮たかまつのみや宣仁のぶひと親王しんのう昭和しょうわ天皇てんのうおとうとみや)が工作こうさくかんとして使用しようちゅう北上ほくじょう視察しさつしている[45]同年どうねん9がつ21にち特別とくべつ輸送ゆそうかん指定していかれた[46]同年どうねん7がつ長崎ながさき回航かいこうされ、同年どうねん10がつより三菱重工業みつびしじゅうこうぎょう長崎造船所なかざきぞうせんじょ解体かいたいされた[43]北上ほくじょうかんたいのうち、じゅうそこ一部いちぶポンツーンとして流用りゅうようされたという。

歴代れきだい艦長かんちょう

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脚注きゃくちゅうなきかぎり『艦長かんちょうたちの軍艦ぐんかん』138-141ぺーじ、『日本にっぽん海軍かいぐんだい9かんだい10かんの「将官しょうかん履歴りれきおよび『官報かんぽう』にもとづく。階級かいきゅう就任しゅうにんのもの。

艤装ぎそういんちょう

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  1. 坂元さかもと貞二ていじ 大佐たいさ:1920ねん6がつ11にち - 1920ねん11月15にち[47]
  2. けん坂元さかもと貞二ていじ 大佐たいさ:1920ねん11月15にち[47] - (本職ほんしょく北上ほくじょう艦長かんちょう

艦長かんちょう

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  1. 坂元さかもと貞二ていじ 大佐たいさ:1920ねん11月15にち[47] - 1922ねん3がつ15にち
  2. 山崎やまざき正策しょうさく 大佐たいさ:1922ねん3がつ15にち - 1922ねん12月1にち
  3. 高橋たかはしただしじん 大佐たいさ:1922ねん12月1にち - 1923ねん12月1にち
  4. 河野こうのただしわれ 大佐たいさ:1923ねん12月1にち - 1924ねん11月1にち
  5. 吉川よしかわ真清まきよ 中佐ちゅうさ:1924ねん11月1にち[48] - 1925ねん4がつ15にち
  6. 松井まつい利三郎としさぶろう 大佐たいさ:1925ねん4がつ15にち - 1925ねん6がつ15にち[49]
  7. 平山ひらやまさかえ 大佐たいさ:1925ねん6がつ15にち[49] - 1925ねん11月20にち[50]
  8. 古川ふるかわ良一りょういち 大佐たいさ:1925ねん11がつ20日はつか - 1926ねん12月1にち
  9. 清宮きよみやよしだか 大佐たいさ:1926ねん12月1にち[51] - 1927ねん12月1にち[52]
  10. 小檜山こびやま真二しんじ 大佐たいさ:1927ねん12月1にち - 1928ねん12月4にち
  11. 下村しもむらただしすけ 大佐たいさ:1928ねん12月4にち - 1929ねん10がつ5にち
  12. 斎藤さいとう直彦なおひこ 大佐たいさ:1929ねん10がつ5にち - 1929ねん12月5にち
  13. 園田そのだみのる 大佐たいさ:1929ねん12月5にち - 1930ねん12月1にち
  14. 堀江ほりえ六郎ろくろう 大佐たいさ:1930ねん12月1にち - 1931ねん11月14にち
  15. くさ鹿しかにんいち 大佐たいさ:1931ねん11月14にち - 1932ねん12月1にち
  16. 鮫島さめしまおも 大佐たいさ:1932ねん12月1にち - 1934ねん3がつ14にち
  17. 武田たけだ盛治もりじ 大佐たいさ:1934ねん3がつ14にち - 1934ねん11月15にち
  18. 井上いのうえ保雄やすお 大佐たいさ:1934ねん11月15にち - 1935ねん10がつ10日とおか
  19. 松山まつやま光治こうじ 大佐たいさ:1935ねん10がつ10日とおか - 1937ねん12月1にち
  20. 堀内ほりうちかおる 大佐たいさ:1937ねん12月1にち - 1938ねん12月15にち[53]
  21. 上野うえの正雄まさお 大佐たいさ:1938ねん12月15にち - 1940ねん10がつ19にち[54]
  22. 西岡にしおかしげるたい 大佐たいさ:1940ねん10がつ19にち - 1940ねん11月1にち[55]
  23. 鍋島なべしま俊策しゅんさく 大佐たいさ:1940ねん11月1にち - 1941ねん3がつ15にち[56]
  24. うらこういち 大佐たいさ:1941ねん3がつ15にち - 1941ねん9がつ1にち[57]
  25. 荒木あらきつたえ 大佐たいさ:1941ねん9がつ1にち - 1941ねん11月28にち[58]
  26. のりまんおさむ 大佐たいさ:1941ねん11月28にち -
  27. 鶴岡つるおか信道のぶみち 大佐たいさ:1942ねん9がつ5にち -
  28. 野村のむら留吉とめきち 大佐たいさ:1943ねん5がつ17にち -
  29. 田中たなかみのる 大佐たいさ:1943ねん11月21にち -
  30. 加瀬かせ三郎さぶろう 大佐たいさ:1944ねん6がつ10日とおか - 1944ねん8がつ29にち[59]
  31. けん清水しみずただしこころ 大佐たいさ:1944ねん8がつ29にち[59] - 1944ねん12月1にち[60]本職ほんしょく佐世保させぼ海軍かいぐんこうつとむ部長ぶちょう
  32. 金岡かなおか國三くにぞう 大佐たいさ:1944ねん12月1にち[60] - 1945ねん8がつ15にち[61]以後いご1946ねん1がつ17にちまで艦長かんちょうかず。
  33. 作間さくまえいだい復員ふくいんかん:1946ねん1がつ17にち[62] - 1946ねん2がつ1にち[63]
  34. けん鬼塚おにづか武二たけじ だい復員ふくいんかん/だい復員ふくいん事務じむかん/復員ふくいん事務じむかん:1946ねん2がつ1にち[63] - 1946ねん8がつ22にち[64]本職ほんしょく佐世保させぼ地方ちほう復員ふくいんきょく出仕しゅっし鹿児島かごしま運航うんこう部長ぶちょう
  35. 稲田いなだすすむ 復員ふくいん事務じむかん:1946ねん8がつ22にち[64] -

同型どうけいかん

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脚注きゃくちゅう

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出典しゅってん

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 防衛庁ぼうえいちょう防衛ぼうえい研修けんしゅうしょ戦史せんし中部ちゅうぶ太平洋たいへいよう方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん<2>昭和しょうわじゅうななねんろくがつ以降いこう戦史せんし叢書そうしょだい62かんあさくも新聞しんぶんしゃ、1973ねん
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関連かんれん項目こうもく

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