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大淀 (軽巡洋艦) - Wikipedia コンテンツにスキップ

大淀おおよど (けい巡洋艦じゅんようかん)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
大淀おおよど
1943年6月、呉軍港に停泊と推定される「大淀」
1943ねん6がつ軍港ぐんこう停泊ていはく推定すいていされる「大淀おおよど
基本きほん情報じょうほう
建造けんぞうしょ 海軍かいぐん工廠こうしょう[1]
運用うんようしゃ  大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん
かんしゅ とう巡洋艦じゅんようかん[2]
きゅうめい 大淀おおよどがた
母港ぼこう 横須賀よこすか
かんれき
計画けいかく 1939ねん[2](④計画けいかく
起工きこう 1941ねん2がつ14にち[1]
進水しんすい 1942ねん4がつ2にち[1]
竣工しゅんこう 1943ねん2がつ28にち[1]
最期さいご 1945ねん7がつ28にち横転おうてん擱座かくざ[3]
除籍じょせき 1945ねん11月20にち[4]
その 1948ねん浮揚ふよう解体かいたい[5]
要目ようもく
基準きじゅん排水はいすいりょう 8,164えいトン[1] または8,168えいトン[6]
おおやけためし排水はいすいりょう 計画けいかく 9,980トン[1]
実際じっさい 10,416.556トン[7]
満載まんさい排水はいすいりょう 計画けいかく 10,990トン[6]
実際じっさい 11,433.373トン[7]
全長ぜんちょう 192.00m[1]
水線すいせんちょう 189.00m[1]
垂線すいせんあいだちょう 180.00m[1]
最大さいだいはば 16.60m[1]
ふか 10.60m[1]
吃水きっすい 計画けいかく
おおやけためし平均へいきん 5.95m[1][8]
満載まんさい平均へいきん 6.36m[8]
実際じっさい
おおやけためし平均へいきん 6.100m[8]
満載まんさい平均へいきん 6.500m[8]
ボイラーごうかん本式ほんしきかん(空気くうき余熱よねつづけ)6[1]
おも かん本式ほんしきタービン4[1]
推進すいしん 4じく[1]
出力しゅつりょく 計画けいかく 110,000shp[1]
おおやけためし成績せいせき 110,430shp[9]
速力そくりょく 計画けいかく 35.0ノット[1]
おおやけためし成績せいせき 35.199ノット[9]
燃料ねんりょう 計画けいかく 重油じゅうゆ 2,445トン[1]
実際じっさい 重油じゅうゆ 2,452.910トン[7]
航続こうぞく距離きょり 計画けいかく 8,700カイリ / 18ノット[1]
おおやけためし成績せいせき 10,315カイリ / 18.282ノット[10]
乗員じょういん 計画けいかく乗員じょういん 782めい[1]
へいそう さんねんしき15.5cm3連装れんそうほう2[11]
きゅうはちしき10cm連装れんそう高角こうかくほう4[11]
25mm機銃きじゅう 連装れんそう6[12]または3連装れんそう6[13](竣工しゅんこう)
どう 3連装れんそう12たんそう11てい(1944ねん8がつ[14]
どう 3連装れんそう12たんそう16てい[15]または21てい[13]最終さいしゅう
爆雷ばくらい6(竣工しゅんこう)[16]
装甲そうこう 計画けいかく[17]
機関きかんしつ舷側げんそく60mmCNCこう甲板かんぱん30mmCNCこう
弾薬だんやく舷側げんそく75mmCNCこう甲板かんぱん50mmCNCこう
舵取かじとりしつ舷側げんそく40mmCNCこう甲板かんぱん20mmCNCこう
かじしつ舷側げんそく甲板かんぱん20mmCNCこう
搭載とうさいてい 竣工しゅんこう:11m内火艇ないかてい2、12mうちランチ2、9mカッター2[17]
改装かいそう:12m長官ちょうかんてい1、11m内火艇ないかてい2、12mうちランチ2、9mカッター2[18]
搭載とうさい 計画けいかくいちよんためしだか速水はやみ偵(紫雲しうん)6[19]
実際じっさいれいしきさんすい2[20]
レーダー 21ごうでんさがせ1[21]
22ごうでんさがせ2(1944ねん3がつ装備そうび)[22]
13ごうでんさがせ1(1944ねん10がつ装備そうび)[22]
ソナー れいしき水中すいちゅう聴音ちょうおん1[23]
九三式三型探信儀1くみ[23]
水中すいちゅう信号しんごう[24]
その 竣工しゅんこうしき1ごう射出しゃしゅつ10がた1[19]
改装かいそうくれしきごう射出しゃしゅつがた1[19]
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大淀おおよど(おおよど/おほよど)は、大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐんけい巡洋艦じゅんようかん[25]とう巡洋艦じゅんようかん 大淀おおよどがた[26][27]かんめいは、宮崎みやざきけんした最大さいだい河川かせんである大淀川おおよどがわ由来ゆらいする[28][29]大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん最後さいご連合れんごう艦隊かんたい旗艦きかんである[30]昭和しょうわじゅうよん年度ねんど着手ちゃくしゅされただいよん軍備ぐんび充実じゅうじつ計画けいかく通称つうしょう計画けいかくにより巡洋艦じゅんようかんおつ[31]阿賀あががたけい巡洋艦じゅんようかん)ととも巡洋艦じゅんようかんへい[31]として計画けいかくされ建造けんぞうされた[32]

潜水せんすいかん作戦さくせん支援しえんするため新型しんがた水上すいじょう偵察ていさつ紫雲しうん)の運用うんよう可能かのうとし、かんたい中央ちゅうおう航空機こうくうき格納庫かくのうこかん後部こうぶ大型おおがたカタパルトを装備そうびした[33]。あるしゅ航空こうくう巡洋艦じゅんようかんである[33]1942ねん昭和しょうわ17ねん4がつ2にち海軍かいぐん工廠こうしょう進水しんすい[34]1943ねん昭和しょうわ18ねん)2がつ28にち竣工しゅんこうしたが、紫雲しうん性能せいのう不足ふそく太平洋戦争たいへいようせんそうにおける戦局せんきょくから潜水せんすいかん作戦さくせん投入とうにゅうされることはなく、輸送ゆそう作戦さくせん従事じゅうじした[35]

1944ねん昭和しょうわ19ねん)3がつごろより水上すいじょう格納庫かくのうこ会議かいぎしつ改造かいぞう[注釈ちゅうしゃく 1]完成かんせいの5がつ上旬じょうじゅんから連合れんごう艦隊かんたい旗艦きかんとなり、豊田とよだふく司令しれい長官ちょうかん座乗ざじょうする[30]連合れんごう艦隊かんたい司令しれい日吉台ひよしだい地下ちかごう慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく日吉ひよしキャンパスうち)に移転いてんする9がつ29にちまで旗艦きかん任務にんむについた[35]。そのふたた最前線さいぜんせん投入とうにゅうされ、レイテおき海戦かいせん(エンガノみさきおき海戦かいせん)、れいごう作戦さくせんきたごう作戦さくせんひとしフィリピン方面ほうめん活動かつどうした[35]1945ねん昭和しょうわ20ねん)2がつ下旬げじゅん内地ないち帰投きとう練習れんしゅう戦隊せんたい編入へんにゅうされ瀬戸内海せとないかい)に停泊ていはくし、7がつ28にち軍港ぐんこう空襲くうしゅう大破たいは横転おうてん沈没ちんぼつした[35]

建造けんぞう経緯けいい

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太平洋戦争たいへいようせんそう開戦かいせんまえ海軍かいぐんたいアメリカせん計画けいかくでは潜水せんすいかん部隊ぶたいによるてき主力しゅりょく艦隊かんたい漸減ぜんげん邀撃ようげき予定よていされていた。だが、広大こうだい太平洋たいへいよううえ潜水せんすいかん単独たんどくてき艦隊かんたい接触せっしょく交戦こうせんするのは困難こんなんであった。そこで潜水艦せんすいかん部隊ぶたい旗艦きかんとして新型しんがた高速こうそく水上すいじょう偵察ていさつ搭載とうさいし、これにより最前線さいぜんせん強行きょうこう偵察ていさつおこなうことを目的もくてきとした偵察ていさつ巡洋艦じゅんようかん建造けんぞう計画けいかくされた[37]航空こうくう搭載とうさい能力のうりょく重視じゅうしされ、軍令ぐんれい当初とうしょ要求ようきゅう主砲しゅほう魚雷ぎょらい発射はっしゃかん搭載とうさいしないものだった[38]。しかし、その技術ぎじゅつ会議かいぎでは最上さいじょうがたからろしてあまっている15.5cmほう最低さいてい2搭載とうさい魚雷ぎょらい発射はっしゃかん装備そうびしたほういとの意見いけん[38]。これにより主砲しゅほう前部ぜんぶ装備そうび魚雷ぎょらい発射はっしゃかん重量じゅうりょう場所ばしょども余裕よゆういため装備そうびしないことになった[39]計画けいかくでは同型どうけい2せきだい136ごうかん大淀おおよど》、だい137ごうかん仁淀によど》)が建造けんぞうされる予定よていであったが太平洋戦争たいへいようせんそう勃発ぼっぱつのため「仁淀によど」は建造けんぞう中止ちゅうしとなった[40]。なお、「仁淀によど」のかんめいのち海上かいじょう自衛隊じえいたい護衛ごえいかんによど」としてことになる。

かんがた

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基本きほん構造こうぞう

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大淀おおよど船体せんたい形状けいじょうひら甲板かんぱんがた船体せんたいである。全備ぜんび排水はいすいりょうは1まん600トンにたっし、阿賀あががたけい巡洋艦じゅんようかんの7,700トンと比較ひかくしても非常ひじょうおおきい[41]つよ傾斜けいしゃしたクリッパー・バウからかんくび甲板かんぱんじょう主砲しゅほうの「さんねんしき 15.5cm(60口径こうけいほう」をさん連装れんそう砲塔ほうとうおさめて背負せおしき主砲しゅほうとうけい2配置はいちした。この15.5cmほう最上さいじょうがたけい巡洋艦じゅんようかんじゅう巡洋艦じゅんようかん改装かいそうされたときろした15.5cm砲塔ほうとう流用りゅうようしている[33]対空たいくう戦闘せんとうでは、10cm高角こうかくほうともに1まんメートル付近ふきんべいぐん12編隊へんたいちこんで8撃墜げきつい主張しゅちょうしており、用兵ようへいがわ有効ゆうこうせい評価ひょうかしている[42]

2ばん主砲しゅほうとう基部きぶから上部じょうぶ構造こうぞうぶつはじまり、そのうえ司令塔しれいとう前方ぜんぽうみ、いただき上部じょうぶはか距儀とレーダーをせたとうがた艦橋かんきょうっている[43]艦橋かんきょう後方こうほうにトラス構造こうぞう前部ぜんぶマストち、船体せんたい中央ちゅうおう集合しゅうごうけむりしきの1ほん煙突えんとつち、左右さゆう甲板かんぱんじょう艦載かんさいていとなっていた。ふく武装ぶそうの「きゅうはちねんしき 10cm(65口径こうけい高角こうかくほう」は秋月しゅうげつがた駆逐くちくかんだいおおとりがた空母くうぼ搭載とうさいされたものと共通きょうつうで、艦載かんさいてい前後ぜんごはさむかのようにかたふなばた2ずつけい4配置はいちしていた[44]煙突えんとつ後方こうほうには大型おおがたはこがた格納庫かくのうこもうけられ、上部じょうぶにトラス構造こうぞう後部こうぶマストがっていた。格納庫かくのうこ後部こうぶ右舷うげんがわ水上すいじょう運用うんようするためのクレーンが1配置はいちされており、後部こうぶ甲板かんぱんじょう中心ちゅうしん位置いちする44.5mの巨大きょだいカタパルトがあった。

機関きかんしょうづるがた航空こうくう母艦ぼかん採用さいようされた高温こうおんだかあつかんを6装備そうびし、これを1かん1しつけて6しつ搭載とうさいした[45]。タービンはその後部こうぶに4設置せっちされ、これも11しつにわけて搭載とうさいされた[45]。いわゆるシフト配置はいちではないが、この配置はいちによって煙突えんとつを1ほんまとめることに成功せいこうしている[45]おおやけためしでは35.5ノット[注釈ちゅうしゃく 2]、39-40ノット発揮はっき証言しょうげんのこ[37][47]主砲しゅほう発令はつれいしょ勤務きんむだった小淵こぶちは、カビエンでの対空たいくう戦闘せんとう主砲しゅほう射撃しゃげきばんそくけいが45ノットをしめしていたと回想かいそうしている[48]旋回せんかい性能せいのう操舵そうだ性能せいのう抜群ばつぐんだったという[49]

ほんがたには冷房れいぼう装備そうびされており、居住きょじゅうせいはよかった[28]居住きょじゅうには簡易かんいしきさんだんベッドと、不足ふそくぶんのハンモックがあった[50]だいさんソロモン海戦かいせん沈没ちんぼつした戦艦せんかん比叡ひえいもと乗組のりくみいんおお[51]訓練くんれん制裁せいさいいかめしかったという[52]宮崎みやざき神宮じんぐうからぶんまつした艦内かんない神社じんじゃ艦橋かんきょう直下ちょっか主砲しゅほう発令はつれいしょちかくにあった[28]

用兵ようへい評価ひょうか

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大淀おおよど」は1944ねん昭和しょうわ19ねん)3がつ水上すいじょう格納庫かくのうこ改装かいそうして司令しれい施設しせつとした。格納庫かくのうこさんだん仕切しきり、上段じょうだん幕僚ばくりょう寝室しんしつ中段ちゅうだん作戦さくせんしつ幕僚ばくりょう事務じむしつ下段げだん司令しれいづけ事務じむしつ倉庫そうこがあった[53]当時とうじ連合れんごう艦隊かんたい情報じょうほう参謀さんぼうだった中島なかじまちかしこう中佐ちゅうさ大淀おおよど司令しれい施設しせつについて「鉄板てっぱん仕切しき防火ぼうか塗料とりょうっただけで気持きもちの部屋へやではなかったがひろさは充分じゅうぶん使つかいやすかった」と回想かいそうしている[53]連合れんごう艦隊かんたい長官ちょうかんしつ参謀さんぼうちょうしつ艦橋かんきょう真下ましたにあり、作戦さくせんしつ居室きょしつ往復おうふくには露天ろてん甲板かんぱん移動いどうする必要ひつようがあった[53]。また航海こうかいちゅう艦橋かんきょう直下ちょっかちいさな作戦さくせんしつ使用しようしていたという[53]碇泊ていはくちゅうぜん甲板かんぱんにはつね天幕てんまくがはられて長官ちょうかん幕僚ばくりょう休憩きゅうけいし、軍楽隊ぐんがくたい演奏えんそうきながら食事しょくじをとった[54]

艦隊かんたい指揮しきおこなことせんもん建造けんぞうされたかんすなわち指揮しき専用せんようかんとしては、どう時期じきにアメリカ海軍かいぐん運用うんようしたアパラチアンきゅう揚陸ようりく指揮しきかん英語えいごばんどうコンセプトとえる。だが艦隊かんたい旗艦きかんとしては司令しれい施設しせつせまく、マリアナおき海戦かいせんのち連合れんごう艦隊かんたい司令しれいだい艦隊かんたいだいさん艦隊かんたい指揮しきかん幕僚ばくりょうあつまっておこなわれた報告ほうこくおよび研究けんきゅうかいは、大淀おおよどではなく大和やまとがた戦艦せんかん武蔵むさしひらかれた[55]。 またレイテおき海戦かいせん戦闘せんとう詳報しょうほうでは、用兵ようへいがわから「司令しれい旗艦きかん」について不満ふまんてん列挙れっきょされている。まず司令しれい旗艦きかんとしては攻撃こうげきりょく防御ぼうぎょりょくおとり、通信つうしん能力のうりょく限定げんていてきであることから「旗艦きかん不適ふてきトセラレアリ、中途半端ちゅうとはんぱニテなんレトモツカザル存在そんざいニナリ」とひょうし、司令しれい施設しせつはいしてよん連装れんそう魚雷ぎょらい発射はっしゃかん2増設ぞうせつ希望きぼうしている[56]

搭載とうさいレーダーには不具合ふぐあいがあった。レイテおき海戦かいせん大淀おおよど三式一号電波探信儀三型(13ごうでんさがせ)を装備そうびしていたが、最大さいだい測定そくてい距離きょりみずづるの242kmにたいし、大淀おおよどは200kmであった[57]二式二号電波探信儀一型だい21ごうでんさがせ)と仮称かしょう二号電波探信儀二型だい22ごうでんさがせ)にかんしては15.5cm主砲しゅほう射撃しゃげき衝撃しょうげき故障こしょう頻発ひんぱつするため使つかものにならず、13ごうでんさがせ無線むせん電話でんわ電波でんぱ混信こんしんするため測定そくてい不能ふのうとなることがあった[58]

かんのバランスも問題もんだいとなった。司令しれい施設しせつ改装かいそうとも安定あんていせいうしなわれ[59]最大さいだい速力そくりょく発揮はっきてんかじすると傾斜けいしゃ15-20たっし『相当そうとう注意ちゅういようスルモノアリ』という状態じょうたいになった[59]。この傾斜けいしゃになると、高角こうかくほうあげだん停止ていしすることも改善かいぜんようするてんだった[60]戦闘せんとう詳報しょうほうでは、つぎ改装かいそうバルジ装備そうびして安定あんていせい改善かいぜんすることをもとめている[56]。だが戦局せんきょく悪化あっかから、根本こんぽんてき解決かいけつさくがとられることはなかった。

かんれき

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建造けんぞう経緯けいい

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1941ねん昭和しょうわ16ねん2がつ14にち海軍かいぐん工廠こうしょうだい3船台せんだい起工きこう[61]。 1942ねん昭和しょうわ17ねん3がつ10日とおかに「大淀おおよど」と命名めいめいされた[27]同年どうねん4がつ2にち昭和しょうわ天皇てんのう名代なだいとして高松宮たかまつのみや宣仁のぶひと親王しんのう軍令ぐんれい中佐ちゅうさ天皇てんのうおとうとみや臨席りんせきのもと[62][注釈ちゅうしゃく 3]鎮守ちんじゅ司令しれい長官ちょうかん豊田とよだふく大将たいしょう[64]造船ぞうせん工員こういんりくがん繋留けいりゅうちゅうかくかん乗組のりくみいん合計ごうけいやく5,000めい見守みまもなか進水しんすいした[61]同日どうじつづけ横須賀よこすか鎮守ちんじゅ所属しょぞくさだめられた[65][66]。 12月31にち日本にっぽん海軍かいぐん田原たはらよしきょう大佐たいさ[注釈ちゅうしゃく 4]たいし、「大淀おおよど艤装ぎそういんちょうおよびじゅう巡洋艦じゅんようかん青葉あおば艦長かんちょうサボとうおき海戦かいせん大破たいはくれ修理しゅうりちゅう)の艦長かんちょう兼務けんむめいじた[よう出典しゅってん][68][69]

1943ねん昭和しょうわ18ねん)1がつ20日はつか[70]田原たはら兼務けんむかれる。同日どうじつづけで、軍令ぐんれい課長かちょう富岡とみおかじょうしゅん大佐たいさが「大淀おおよど艦長かんちょう初代しょだい)に補職ほしょくされた[70]2がつ28にち竣工しゅんこう[71][35]竣工しゅんこうしたものの、搭載とうさいされる予定よていであった水上すいじょう偵察ていさつ紫雲しうん期待きたいされたほどの性能せいのう発揮はっきできず不調ふちょうわり、潜水せんすいかん部隊ぶたいによる敵艦てきかんたい漸減ぜんげんという戦局せんきょくもなく、潜水せんすい戦隊せんたい旗艦きかんとしての能力のうりょく無意味むいみとなった[33]魚雷ぎょらい発射はっしゃかんがなく、主砲しゅほうもんすうすくなく[注釈ちゅうしゃく 5]同型どうけいかんもいない「大淀おおよど」は、連合れんごう艦隊かんたいいた存在そんざいになっていた。

1943ねん行動こうどう

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1943ねん昭和しょうわ18ねん)2がつ28にち竣工しゅんこう[72]横須賀よこすか鎮守ちんじゅ府内ふないせん部隊ぶたい編入へんにゅうされ、横須賀よこすか訓練くんれん従事じゅうじした[35]。4月1にちだいさん艦隊かんたい附属ふぞくとなった[73]。 5月上旬じょうじゅん、「大淀おおよど」は駆逐くちくかん新月しんげつ」やだいじゅう航空こうくう戦隊せんたいおおとりしょうりゅうおおとり)ととも内海うつみ西部せいぶにあった[74]アッツとうたたか生起せいきすると、機動きどう部隊ぶたいみずづるしょうづる瑞鳳ずいほうとうとも横須賀よこすか方面ほうめん待機たいきする。 5月29にちアッツとう日本にっぽんぐん守備しゅびたい玉砕ぎょくさいした。 5月31にちだいいち航空こうくう戦隊せんたいしょうづるみずづる瑞鳳ずいほう)、「大淀おおよど」、じゅう巡洋艦じゅんようかん最上さいじょう」、駆逐くちくかん部隊ぶたい[注釈ちゅうしゃく 6]横須賀よこすかから西日本にしにほんへとかう[注釈ちゅうしゃく 7]。「大淀おおよど」、「最上さいじょう」や駆逐くちくかんしまふう」などは柱島はしらじま泊地はくち戦艦せんかん部隊ぶたい長門ながと扶桑ふそう)ととも停泊ていはくしたが、これにより6がつ8にち戦艦せんかん陸奥みちのく爆沈ばくちん遭遇そうぐうすることになった[77][78]

7がつ、「大淀おおよど」とだいはち戦隊せんたい(「利根とね」、「筑摩ちくま」)、だいじゅう戦隊せんたい(「阿賀あが」、駆逐くちくかん5せき)、じゅう巡洋艦じゅんようかん最上さいじょう」、水上すいじょう母艦ぼかん日進にっしん」からなるだいいち部隊ぶたい陸軍りくぐん南海なんかいだいよん守備しゅびたいだいいち進出しんしゅつ部隊ぶたい輸送ゆそうした[79]陸軍りくぐん部隊ぶたいせただいいち部隊ぶたいは7がつ10日とおか空母くうぼしょうづる」、「みずづる」などとともに内海うつみ西部せいぶ出発しゅっぱつし、7がつ15にちにトラックに到着とうちゃく[80]。それからラバウルへかい、7がつ21にちいた[81]。そのさき輸送ゆそうだいじゅう戦隊せんたいと「日進にっしん」によりおこなわれたが、そのさい日進にっしん」がしずんでいる[81]。その、ラバウルにのこされただいよん駆逐くちくたい以外いがいは7がつ26にちにトラックにもどった[81]

8がつ31にち駆逐くちくかんあかつき駆逐くちく艦長かんちょうとう歴任れきにんした篠田しのだ勝清かつきよ大佐たいさ[注釈ちゅうしゃく 8]富岡とみおか大佐たいさ後任こうにんとして「大淀おおよど艦長かんちょう補職ほしょくされる[83]。 10月17にちクェゼリン環礁かんしょう進出しんしゅつ10日とおかほど警備けいびしたあとトラックにもどった。

11月下旬げじゅん連合れんごうぐんブーゲンビルとうニューブリテンとうたいする攻勢こうせいつよめ、ラバウル方面ほうめん防衛ぼうえいせん崩壊ほうかい寸前すんぜんだった。そこで日本にっぽんぐんニューアイルランドとうアドミラルティ諸島しょとう方面ほうめん兵力へいりょく増強ぞうきょうするため、増援ぞうえん部隊ぶたい内地ないちから最前線さいぜんせん輸送ゆそうすることになった[84]。12月17にち連合れんごう艦隊かんたい内地ないち〜トラック泊地はくちカビエンへの輸送ゆそう作戦さくせんを『つちのえごう輸送ゆそう作戦さくせん』と命名めいめいし、その実施じっしかく部隊ぶたいしたれいした[84]

12月25にちつちのえいちごう輸送ゆそう部隊ぶたい大和やまと谷風たにかぜやまくも)がトラック泊地はくち到着とうちゃく[85]。26にち大淀おおよど以下いかつちのえさんごう輸送ゆそう部隊ぶたいだい部隊ぶたいは「大和やまと」に横付よこづけし[86]同艦どうかん日本にっぽん本土ほんどから輸送ゆそうしてきた宇都宮うつのみや編成へんせい陸軍りくぐん独立どくりつ混成こんせいだい一連いちれんたい軍需ぐんじゅひんれた[87]かくかん搭載とうさい区分くぶんは、「能代のしろ人員じんいん400めい物件ぶっけん650トン、「大淀おおよど」500めい・1000トン、「やまくも」50めい・100トン、「秋月しゅうげつ」150めい・50トン[88]。12月29-30にちつちのえさんごう輸送ゆそう部隊ぶたいだい部隊ぶたいだい水雷すいらい戦隊せんたい司令しれいかん早川はやかわ幹夫みきお少将しょうしょう旗艦きかん能代のしろ」)の指揮しきけい巡洋艦じゅんようかん能代のしろ」、「大淀おおよど」、駆逐くちくかん秋月しゅうげつ」、「やまくも」のけい4せきカビエンかった[89]。1月1にち445ふん、カビエン[90]

同地どうちカビエンで物資ぶっし揚陸ようりく作業さぎょう完了かんりょう直後ちょくご[91]輸送ゆそう部隊ぶたいはアメリカ軍機ぐんきやく100(85とも)に襲撃しゅうげきされた[92][93]。これはシャーマン提督ていとくひきいる空母くうぼバンカー・ヒル」、「モンテレー」から飛来ひらいした攻撃こうげきたいだった。 だい2水雷すいらい戦隊せんたい戦闘せんとう詳報しょうほうでは『作戦さくせん影響えいきょうセル事項じこう』として「大淀おおよどあげ作業さぎょうかんよりやく2あいだおくれた」・「基地きち航空こうくうたいによる哨戒しょうかい不足ふそくしていた」こと指摘してきしている[94]搭載とうさい物件ぶっけんおおく、重砲じゅうほうわたすまで行動こうどうこせなかったのが原因げんいんだった[95]。カビエン基地きち航空こうくうたい陸上りくじょう基地きち派遣はけんだい航空こうくう戦隊せんたい空母くうぼりゅうおおとりたか所属しょぞく戦闘せんとう36)が上空じょうくう掩護えんごおこなはずであったがてき排除はいじょしきれず、べい軍機ぐんきだい2部隊ぶたい殺到さっとうした[96][97]

対空たいくう戦闘せんとう開始かいし、「能代のしろ」、「大淀おおよど」、「秋月しゅうげつ」、「やまくも」は旗艦きかん能代のしろ」を中心ちゅうしんにしてその「右舷うげん」4kmに「秋月しゅうげつ」、左舷さげん3kmに「やまくも」、後方こうほう8kmに「大淀おおよど」という陣形じんけいをとっていた[98]早川はやかわ少将しょうしょうは「大淀おおよど」の直衛なおえに「秋月しゅうげつ」を派遣はけんしたため、つちのえさんごう輸送ゆそう部隊ぶたいだいいちぐん能代のしろやまくも)とだいぐん大淀おおよど秋月しゅうげつ)に分離ぶんり[99]。アメリカ軍機ぐんきにわかれると、比較的ひかくてき大型おおがた巡洋艦じゅんようかん2せきしゅとしてねらった[100][97]一方いっぽう日本にっぽんがわも2せきずつかれたことにより、かくかんぜんそく発揮はっきしての回避かいひ運動うんどうおこなうことが可能かのうになった[101]

大淀おおよど」は842ふん射撃しゃげき開始かいしして919ふん砲撃ほうげき停止ていし[102]規定きてい対空たいくうよう主砲しゅほうだん300はつくし、水上すいじょうだん演習えんしゅうだんまで発砲はっぽうしたという[103][104]戦闘せんとう詳報しょうほうによるかくかん消費しょうひだんすうは、「大淀おおよど主砲しゅほう194・高角こうかくほう240・機銃きじゅう4640、「能代のしろ主砲しゅほう283・高角こうかくほう29・機銃きじゅう1612、「秋月しゅうげつ主砲しゅほう190・機銃きじゅう1260、「やまくも主砲しゅほう94・機銃きじゅう1230[105]。「大淀おおよど」は煙突えんとつちかくに50kgばくだん1はつ命中めいちゅう不発ふはつ)、至近しきんだん機銃きじゅう掃射そうしゃより2めい戦死せんし[106]、4めい重軽傷じゅうけいしょうに「能代のしろ」が直撃ちょくげきだん1と至近しきんだん5でなかやぶ、「やまくも」が損傷そんしょうけた[107][108][97]

戦闘せんとう終了しゅうりょうだい水雷すいらい戦隊せんたい司令しれいは「大淀おおよど」にたい搭載とうさい高速こうそく水上すいじょう偵察ていさつによるアメリカぐん機動きどう部隊ぶたい捜索そうさく指示しじ[109]。しかし、「大淀おおよど搭載とうさい水上すいじょう偵察ていさつ空襲くうしゅう損傷そんしょうけていて応急おうきゅう修理しゅうりわず、結局けっきょく能代のしろ」は『いち.飛行ひこう索敵さくてきぎょうハズ .飛行機ひこうき待機たいき昼間ひるまノミトス』としたれいした[110]。1月4にちに「大淀おおよど」と「秋月しゅうげつ」はアメリカ潜水せんすいかん雷撃らいげきけた輸送ゆそうせん清澄せいちょうまる救援きゅうえんかったため、「能代のしろ」と「やまくも」に2にちおくれてトラック泊地はくち到着とうちゃくし、輸送ゆそう任務にんむえた[111][93]

その大淀おおよど」は訓練くんれん従事じゅうじし、1944ねん2がつトラックとう空襲くうしゅうによりトラック泊地はくち壊滅かいめつする直前ちょくぜん退避たいひし、日本にっぽん本土ほんどもどった(2がつ16にちより横須賀よこすか整備せいび[35]。2月24にち日本にっぽん出撃しゅつげきし、サイパンとう航空こうくう部隊ぶたい関係かんけい物資ぶっし輸送ゆそうする[103][112]

連合れんごう艦隊かんたい旗艦きかん大淀おおよど

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1944ねんはる撮影さつえいされた「大淀おおよど」。1ばん主砲しゅほうとう右舷うげん指向しこうしている。

1944ねん昭和しょうわ19ねん)3がつ6にち、「大淀おおよど」を連合れんごう艦隊かんたい旗艦きかんとする改装かいそうがはじまった[113]太平洋戦争たいへいようせんそうでは、にちしんにち戦争せんそうのような艦隊かんたい決戦けっせん英語えいごばん生起せいきせず、連合れんごう艦隊かんたい司令しれいだいいち戦隊せんたいじきりつして主力しゅりょく艦隊かんたい先頭せんとうつような事態じたいこらなかった。後方こうほう全体ぜんたい指揮しきるため、連合れんごう艦隊かんたい旗艦きかん任務にんむのために主力しゅりょくかん大和やまとがた長門ながとがた)がゆうへいしていた[30]。そこで「独立どくりつ旗艦きかんならば戦艦せんかんでなくても巡洋艦じゅんようかんでよいのではないか?」という機運きうんしょうじる[114]海軍かいぐん潜水せんすい戦隊せんたい旗艦きかんようとして設計せっけいされた「大淀おおよど」の通信つうしん能力のうりょく着目ちゃくもくし、大型おおがた射出しゃしゅつ撤去てっきょして従来じゅうらいがた射出しゃしゅつ水上すいじょう偵察ていさつ搭載とうさい格納庫かくのうこ改装かいそうして司令しれい施設しせつ変更へんこう連合れんごう艦隊かんたい旗艦きかんとなる予定よていであった[115]。 「大淀おおよど」の工事こうじは5月1にち完了かんりょう豊田とよだ連合れんごう艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかんくさ鹿しか龍之介りゅうのすけ連合れんごう艦隊かんたい参謀さんぼうちょうむかえて[116]、5月3にちはたはたかかげた[117]旗艦きかん任務にんむは5月4にちから9がつ29にちである[35]豊田とよだ長官ちょうかんは「大淀おおよど」の防御ぼうぎょりょくひくさを懸念けねんして、まんいち戦死せんししたら「まるで日本にっぽん海軍かいぐん足元あしもとられるようで、いやだな」としぶったという[115]。「戦死せんしするなら、武蔵むさし大和やまとのデッキでにたい。こんなせんうえではいやだ」だったともつたえられる[118]高田たかだとししゅ参謀さんぼう副長ふくちょうは、「大淀おおよど」の対空たいくう防御ぼうぎょりょく通信つうしんりょく説明せつめいして豊田とよだをなだめている[115]。なお「大淀おおよど」と陸上りくじょうあいだ海底かいていケーブルを敷設ふせつして大本営だいほんえいとの直接ちょくせつ連絡れんらくをおこない、電波でんぱはケーブルを使つかって送信そうしんしょから発信はっしん受信じゅしんのみ「大淀おおよど」でおこなうという方式ほうしきである[119]

5月6にち[120]篠田しのだ勝清かつきよ大佐たいさ大淀おおよど艦長かんちょう)は戦艦せんかん山城やましろ艦長かんちょう補職ほしょくされる[121][注釈ちゅうしゃく 9]だい8駆逐くちくたい司令しれいだい10駆逐くちくたい司令しれい歴任れきにんした阿部あべ俊雄としお大佐たいさが、後任こうにんの「大淀おおよど艦長かんちょうとなった[120]

改装かいそうはつ任務にんむマリアナおき海戦かいせんでの柱島はしらじま(あごう作戦さくせん発令はつれい木更津きさらづおき、5月23にちより柱島はしらじま)からの直接ちょくせつ指揮しきだった[123]予想よそう作戦さくせん海域かいいき電波でんぱ状況じょうきょうわるかったため小笠原諸島おがさわらしょとう進出しんしゅつすることも検討けんとうされたが、完全かんぜん電話でんわ施設しせつった浮標ふひょう柱島はしらじま泊地はくちからの指揮しきのぞましいとされたためである[124]。 しかしこのような処置しょちわせのものであり、連合れんごう艦隊かんたい司令しれい陸上りくじょうにあって後方こうほう指揮しきるのが妥当だとうとされた[125][126]。9月29にち連合れんごう艦隊かんたい司令しれいおかがった[127][128]。「大淀おおよど」は連合れんごう艦隊かんたい旗艦きかん役目やくめかれて、ただのけい巡洋艦じゅんようかんという立場たちばもどった。規則きそくのうるさい連合れんごう艦隊かんたい旗艦きかん任務にんむにうんざりしていた乗組のりくみいんぎゃく安堵あんど[129][130]鈴木すずき孝一こういち大淀おおよど砲術ほうじゅつちょう前任ぜんにん戦艦せんかん武蔵むさし主砲しゅほう発令はつれい所長しょちょう勤務きんむより「連合れんごう艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん護衛ごえい任務にんむはずっとむずかしかった」と回想かいそうしている[131]

このころ大淀おおよどでは人事じんじ異動いどうがあった[129]8がつ15にち阿部あべ俊雄としお大佐たいさ大淀おおよど艦長かんちょう)は空母くうぼ信濃しなの艤装ぎそういんちょう補職ほしょくされ、牟田むたくちかくろう大佐たいさ後任こうにんの「大淀おおよど艦長かんちょうとなる[132]。また、当時とうじ横須賀よこすか方面ほうめん配備はいびされていた空母くうぼ雲龍うんりゅう」の対空たいくう射撃しゃげき訓練くんれんに、「大淀おおよど艦載かんさい協力きょうりょくした[133]

レイテおき海戦かいせん

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10月5にち、「大淀おおよど」は小沢おざわおさむ三郎さぶろう中将ちゅうじょう指揮しきするだいさん艦隊かんたいだいいち機動きどう部隊ぶたい編入へんにゅうされた[よう検証けんしょう]。 10月12にち、「大淀おおよど」と駆逐くちくかん霜月しもつき」、「ふゆがつ」は横須賀よこすか出発しゅっぱつ内海うつみ西部せいぶにむかう[注釈ちゅうしゃく 10]途中とちゅう遠州灘えんしゅうなだでアメリカ潜水せんすいかんトレパン」の雷撃らいげきにより「ふゆがつ」は損傷そんしょうし、レイテおき海戦かいせん参加さんかできなくなった[135]。 「大淀おおよど」はだいさん航空こうくう戦隊せんたい空母くうぼみずづる」、「千代田ちよだ」、「千歳ちとせ」、「瑞鳳ずいほう」)、だいよん航空こうくう戦隊せんたい(「日向ひなた」、「伊勢いせ」)、けい巡洋艦じゅんようかん多摩たま」、「五十鈴いすず」、駆逐くちくかん8せき行動こうどうともにすることになる[136][注釈ちゅうしゃく 11]。10月20にち日本にっぽん出撃しゅつげきした[138]。「大淀おおよど」はだいいち駆逐くちく連隊れんたいだいさんじゅういち戦隊せんたい旗艦きかんけん艦隊かんたい予備よび旗艦きかんである[139]当初とうしょは「大淀おおよど」が艦隊かんたい旗艦きかん予定よていであったが、小沢おざわ中将ちゅうじょうが「やはり機動きどう部隊ぶたい名前なまえがつくからにはみずづるってやろう」とめたため、「みずづる」が旗艦きかんとなったという[140]

部隊ぶたいくわわっていたまつがた駆逐くちくかんは、航続こうぞく距離きょりみじかいため途中とちゅう燃料ねんりょう補給ほきゅうせねばならなかった[141]。「大淀おおよど」は駆逐くちくかんきり」に曳航えいこう補給ほきゅうをおこなおうとしたが、うねりのため補給ほきゅう失敗しっぱいしている[141]10月25にち部隊ぶたいウィリアム・ハルゼー提督ていとくひきいるアメリカぐん機動きどう部隊ぶたい空襲くうしゅうけた[142][143]午前ごぜん820ふんごろ、アメリカ軍機ぐんき100以上いじょう艦隊かんたい上空じょうくう到達とうたつ対空たいくう射撃しゃげき開始かいしする[144]午前ごぜん835ふん小型こがたばくだん2はつよんばん高角こうかくほう付近ふきん命中めいちゅう機銃きじゅう掃射そうしゃにより戦死せんし8めい負傷ふしょう14めいした[145]しょう火災かさい発生はっせいしたが、すぐに鎮火ちんか成功せいこうしている[146]午前ごぜん850ふん、「大淀おおよど」の周囲しゅういでは「秋月しゅうげつ」が爆沈ばくちん、「みずづる」が被弾ひだん速力そくりょく低下ていかし、「千代田ちよだ」が沈没ちんぼつしかけていた[147]

午前ごぜん853ふん傾斜けいしゃした「みずづる」は「大淀おおよど」に無線むせん代行だいこう依頼いらい午前ごぜん930-44ふんには『旗艦きかん大淀おおよど変更へんこうす』の信号しんごうにより「みずづる」に接近せっきんした[148]。しかし、小沢おざわ司令しれい移乗いじょうするまえだい攻撃こうげきたい接近せっきんし、「大淀おおよど」は「みずづる」からはなれた[149][150]だい攻撃こうげき終了しゅうりょう小沢おざわ司令しれい移転いてんのため「大淀おおよどカッターボート派遣はけんするが[151]、この付近ふきん燃料ねんりょうれになったれいしき艦上かんじょう戦闘せんとう不時着ふじちゃくした[152][153]救助きゅうじょできた搭乗とうじょういんは1めいだけだった[154][注釈ちゅうしゃく 12]実際じっさいには、さらにすうめい救助きゅうじょされたとられる[156]午前ごぜん1054ふん[157]かみなり被弾ひだん炎上えんじょうした「みずづる」から小沢おざわ中将ちゅうじょう以下いか司令しれい移乗いじょうしている[158]午後ごご240ふん、「みずづる」が沈没ちんぼつ[159]つづいて「瑞鳳ずいほう」も沈没ちんぼつした。「大淀おおよど」は主砲しゅほう対空たいくうだん238はつ消耗しょうもうし、定数ていすう2わり程度ていどざん68はつ)になるほど奮戦ふんせんした[160][161]夜間やかんけい巡洋艦じゅんようかん五十鈴いすず」、駆逐くちくかん若月わかつき」、「はつつき」がアメリカぐんじゅう巡洋艦じゅんようかん部隊ぶたい交戦こうせんし、「はつつき」が沈没ちんぼつした[162]小沢おざわ中将ちゅうじょうは「大淀おおよど」をふくめた残存ざんそん艦隊かんたいひきいて艦隊かんたい決戦けっせんのために南下なんかしたがかいてきできず[163]奄美あまみ大島おおしまかって北上ほくじょう戦場せんじょう離脱りだつした[164]。「大淀おおよど」は10月27にち奄美あまみ大島おおしま入港にゅうこうした[165]。「大淀おおよど」はアメリカ軍機ぐんき撃墜げきつい27記録きろく[166]。さらに作戦さくせんそのものについて、戦闘せんとう詳報しょうほうでは「てきぐん上陸じょうりくして数日すうじつ経過けいかてき防御ぼうぎょ体勢たいせいるい整備せいび港湾こうわんなんとう術策じゅっさくもちいず単純たんじゅんいち突入とつにゅうすることしょう自殺じさつてき行為こういうんふをべく」ときびしく批判ひはんしている[167]

フィリピンのたたか

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10月28にち小沢おざわ艦隊かんたい司令しれいは「大淀おおよど」から日向ひなた移乗いじょうした[168]だいさんじゅういち戦隊せんたい司令しれい退すさかんし、「大淀おおよど」は旗艦きかん任務にんむかれた[169]負傷ふしょうしゃ戦艦せんかん伊勢いせ」にうつされ、10cm高角こうかく砲弾ほうだん内地ないちもどる「霜月しもつき」から補充ほじゅうけている[170]。「大淀おおよど」と「若月わかつき」は小沢おざわ艦隊かんたい残存ざんそん部隊ぶたいわかれ、フィリピン方面ほうめんかう[171][注釈ちゅうしゃく 13][注釈ちゅうしゃく 14]。10月31にちマニラ湾まにらわん到着とうちゃくして補給ほきゅうけたが、15.5センチ砲弾ほうだん在庫ざいこがなく、主砲しゅほうだんいま補充ほじゅうされていない[176]。ここで「若月わかつき」とわかれた。「大淀おおよど」の牟田むたこう艦長かんちょう南西なんせい方面ほうめん艦隊かんたい司令しれいから空襲くうしゅう危険きけんせいげられ、ミリ泊地はくちへの移動いどう決意けついする[177]。11月5にち出港しゅっこう直後ちょくごマニラ湾まにらわんはアメリカぐん機動きどう部隊ぶたい空襲くうしゅうをうけ、じゅう巡洋艦じゅんようかん那智なち」が沈没ちんぼつした[177]。 ミリ泊地はくち移動いどう停泊ていはく総員そういん洗濯せんたくちゅうB-24爆撃ばくげき3ばくげきけたが、「大淀おおよど」の被害ひがいはなかった[178]。ブルネイ泊地はくち移動いどうおくらし、じゅう巡洋艦じゅんようかん高雄たかお」やだいゆうげき部隊ぶたい残存ざんそんかん足柄あしがら」と合流ごうりゅうする[179]。11月11にち栗田くりた健男たけお中将ちゅうじょうだい艦隊かんたいがブルネイに入港にゅうこうし、「大淀おおよど」は「大和やまと」(同艦どうかんふくほうは15.5cmほう)から15.5cmほうたい空砲くうほうだんゆずけた[180]。11月18にち戦艦せんかん伊勢いせ」、「日向ひなた」、「榛名はるな」、じゅう巡洋艦じゅんようかん足柄あしがら」、「羽黒はぐろ」、駆逐くちくかんかすみ」、「あさしも」とリンガ泊地はくち移動いどうする[181]

12月14にちだい水雷すいらい戦隊せんたい旗艦きかんとなる[182]同月どうげつ、アメリカぐんミンドロ島みんどろとう侵攻しんこうともな突入とつにゅう作戦さくせんれいごう作戦さくせん)に参加さんか[183]突入とつにゅう作戦さくせん指揮しきするだい水雷すいらい戦隊せんたい司令しれいかん木村きむら昌福まさとみ少将しょうしょう[184]当初とうしょ駆逐くちくかんのみでの実行じっこう希望きぼうしたが、南西なんせい方面ほうめん艦隊かんたい意向いこうしたがい、「大淀おおよど」もくわえられた[185]。さらに、巡洋艦じゅんようかんくわわるのであれば2せき以上いじょうしいとの木村きむら司令しれいかん意見いけん具申ぐしんによりじゅう巡洋艦じゅんようかん足柄あしがら」もくわえられた[186]結果けっか巡洋艦じゅんようかん2せき駆逐くちくかん6せきとなった突入とつにゅう部隊ぶたいは、挺身ていしん部隊ぶたい呼称こしょうされた[187]。12月24にち木村きむら少将しょうしょう旗艦きかんを「大淀おおよど」から駆逐くちくかんかすみ」に変更へんこうし、挺身ていしん部隊ぶたいひきいてカムランわん出撃しゅつげきする[188]。12月26にち挺身ていしん部隊ぶたいはアメリカ軍機ぐんき発見はっけんされ、そのばくげきけて被害ひがい発生はっせいした[189]。 「大淀おおよど」はB-25爆撃ばくげきPB4Y(哨戒しょうかい爆撃ばくげきから夜間やかん空襲くうしゅうけた[190][注釈ちゅうしゃく 15]。211ふん、「大淀おおよど」に250kgばくだん2はつ命中めいちゅう、2はつ至近しきんだんとなったがいずれも不発ふはつで、軽傷けいしょうしゃ1めいた。直撃ちょくげきだん1はつ一番いちばん砲塔ほうとうから10m前方ぜんぽう貫通かんつう左舷さげん喫水線きっすいせんじょうやぶり、2はつ煙突えんとつみぎからちゅう甲板かんぱん貫通かんつうかんしつんだ[192]かり起爆きばくしていた場合ばあい轟沈ごうちんしていた可能かのうせいもあった[193]。この被弾ひだんにより1ごうかんしつ使用しよう不能ふのう、3ごうかんしつから蒸気じょうき噴出ふんしゅつ最大さいだい発揮はっき速力そくりょく32ノットに低下ていかする[194]。このときの不発ふはつだん後日ごじつシンガポールの海軍かいぐん基地きちおくられ不発ふはつ処理しょりをされ、艦内かんない大淀おおよど神社じんじゃまつられた[45]つづいてアメリカの魚雷ぎょらいてい出現しゅつげんし、「足柄あしがら」、「大淀おおよど」、「かすみ」が砲撃ほうげきおこなった[195]。その挺身ていしん部隊ぶたいは232ふんから27にち04ふんにかけてマンガリン湾内わんない船舶せんぱくやブグサンガがわ河口かこう物資ぶっし集積しゅうせきしょおよ飛行場ひこうじょう攻撃こうげきした[196]大淀おおよどは15.5cm通常つうじょうだん42はつとおるかぶとだん31はつ照明しょうめいだん25はつ高角こうかく砲弾ほうだん61はつ発砲はっぽうした[197]帰路きろ、「足柄あしがら」と「大淀おおよど」はアメリカの魚雷ぎょらいてい「PT-221」と「PT-223」と交戦こうせんした[198]。「足柄あしがら」と「大淀おおよど」、駆逐くちくかん2せきは12月28にちにカムランわん帰投きとう[199]のこりも29にち帰投きとうした[199]

1945ねん昭和しょうわ20ねん)1がつ1にちだい水雷すいらい戦隊せんたい旗艦きかんは「大淀おおよど」から駆逐くちくかんかすみ」にわった[200]。 2がつ10日とおかきたごう作戦さくせん参加さんかした[201]輸送ゆそう部隊ぶたいかん部隊ぶたい)はだいよん航空こうくう戦隊せんたい日向ひなた伊勢いせ大淀おおよど)、だい水雷すいらい戦隊せんたい駆逐くちくかんかすみあさしもはつしも)で構成こうせいされており、部隊ぶたいだいよん航空こうくう司令しれいかん松田まつだ千秋ちあき少将しょうしょう指揮しきした[202][203]。 これに先立さきだって、「大淀おおよど」は格納庫かくのうこ改造かいぞうして設置せっちされていた司令しれい区画くかく改造かいぞうして物資ぶっし輸送ゆそうとした[45]輸送ゆそうドラム缶どらむかん満載まんさいし、そのうえに防弾ぼうだん意味いみもふくめて天然てんねんゴムをんでシンガポールを出港しゅっこうする[204]。2がつ20日はつか参加さんか艦艇かんていぜんかん無事ぶじ日本にっぽん本土ほんど軍港ぐんこう到着とうちゃくした[205]索敵さくてき投入とうにゅうした「大淀おおよど偵察ていさつ2[206]陸上りくじょう基地きち経由けいゆして無事ぶじに「大淀おおよど」へもどっている[207][208]。 だが到着とうちゃくしたものの、作戦さくせん行動こうどうする燃料ねんりょうもなく、2がつ25にちづけ練習れんしゅう戦隊せんたい編入へんにゅうされた[209]どう25にちづけで、牟田むたくちかくろう大佐たいさ大淀おおよど艦長かんちょう)は「伊勢いせ艦長かんちょう転任てんにんした[210][注釈ちゅうしゃく 16]空母くうぼ伊吹いぶき艤装ぎそういんちょう松浦まつうらよし大佐たいさが、「大淀おおよど艦長かんちょう補職ほしょくされる[210]。3月、「大淀おおよど水上すいじょう搭乗とうじょういんおよび整備せいびいんけい巡洋艦じゅんようかんはぎ配属はいぞくされた[214][215]。「大淀おおよど乗組のりくみいんあいだでは「大和やまと」の沖縄おきなわ水上すいじょう特攻とっこう参加さんかすることもうわさされていたが[216]、その機会きかいはなかった[217]

そこ大破たいは

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横転おうてん大破たいはし、そこした「大淀おおよど

3月19にちをアメリカぐん機動きどう部隊ぶたい艦上かんじょう襲撃しゅうげきした。日本にっぽんぐん当初とうしょ友軍ゆうぐん編隊へんたい判断はんだんしていたため、反応はんのうおくれた[218]。「大淀おおよど」はかん中央ちゅうおう右舷うげんへの至近しきんだんによりかんそこ破損はそんし、浸水しんすいして右舷うげん傾斜けいしゃした[219]。また直撃ちょくげきだんが2はつあり、1はつ煙突えんとつ付近ふきん命中めいちゅうしてかんしつ破壊はかい、2はつだい機関きかんしつ破壊はかいして喫水線きっすいせん上部じょうぶだいあなをあけ、機関きかんいん中心ちゅうしん戦死せんししゃ52めいした[220]。この被害ひがいによって6かんのうち4使用しよう不能ふのうとなった[45]。ドックにはいって舷側げんそくあなふさぐなどの応急おうきゅう修理しゅうりおこなわれたが、破損はそんした機関きかん補修ほしゅうなど抜本ばっぽんてき修理しゅうり実施じっしされず対空たいくう火器かき一部いちぶ破損はそんしたままであった[45]

5月15にち松浦まつうら大淀おおよど艦長かんちょう)は詫間たくま海軍かいぐん航空こうくうたい司令しれい転任てんにん[221]駆逐くちくかんゆきふう初代しょだい駆逐くちく艦長かんちょう駆逐くちくかんはつつき初代しょだい駆逐くちく艦長かんちょうとう歴任れきにんした田口たぐち正一しょういち大佐たいさ[222]当時とうじ海軍かいぐん航海こうかい学校がっこう教官きょうかん)が[223]後任こうにんの「大淀おおよど艦長かんちょう補職ほしょくされる[221]。その江田島湾えたじまわん曳航えいこうされて迷彩めいさい塗装とそうやカモフラージュの偽装ぎそうほどこされ、うわ砲台ほうだいとなった[214]。すぐちかくにはおなじく曳航えいこうされてうわ砲台ほうだいとなったじゅう巡洋艦じゅんようかん利根とね」の姿すがたがあった[214]

7がつ24にちがアメリカぐん機動きどう部隊ぶたい艦載かんさい襲撃しゅうげきけたさいに「大淀おおよど」は500ポンドばくだん3〜4はつ命中めいちゅうみぎ傾斜けいしゃしてそこした[224]けつけた住民じゅうみん漁船ぎょせん)も消火しょうか協力きょうりょく[注釈ちゅうしゃく 17]、26にち夕方ゆうがたになり鎮火ちんか成功せいこうした[226]。また排水はいすい作業さぎょうによって傾斜けいしゃ復旧ふっきゅうされた[45]

7がつ28にち、ふたたびアメリカ艦載かんさいによる空襲くうしゅう軍港ぐんこう空襲くうしゅう)をけた[227]午前ごぜん10ごろ艦橋かんきょうちかくの被弾ひだんによってだい規模きぼ浸水しんすい発生はっせいし、みぎ傾斜けいしゃした。田口たぐち艦長かんちょう傾斜けいしゃふせぐために注水ちゅうすいべんけを指示しじしたが[45]次々つぎつぎ命中めいちゅうするばくだんによる浸水しんすいのために転覆てんぷくふせぐことが出来できなかった[228]。12ごろ、「大淀おおよど」はみぎ横転おうてんした。現場げんばあさ海岸かいがんだったので、船体せんたい一部いちぶのみ海面かいめんした状態じょうたい完全かんぜん船体せんたい横倒よこだおしとなり、艦橋かんきょうひだりおおきく根元ねもとからいがんだ[45]

24にちと28にち戦闘せんとうによる「大淀おおよど」の戦死せんししゃは223めい負傷ふしょうしゃは180めいだったという[212]転覆てんぷくもさらに攻撃こうげきがおこなわれ、舷側げんそくばくだん命中めいちゅうしている[45]

8がつ15にち終戦しゅうせん)、田口たぐち大淀おおよど艦長かんちょう)は職務しょくむかれた[229]。「大淀おおよど」は同年どうねん11がつ除籍じょせきされた。戦後せんご、アメリカぐんによる被害ひがい調査ちょうさおこなわれた[45]至近しきん距離きょり炸裂さくれつしたばくだん水圧すいあつによって広範囲こうはんいにわたってかんそこ陥没かんぼつしている様子ようすや、空中くうちゅう発射はっしゃのロケットだんによって0.5インチの鋼板こうはん貫通かんつうしている様子ようすなどが写真しゃしんのこされている[45]

大淀おおよど」の損傷そんしょう程度ていど転覆てんぷく地点ちてん状況じょうきょうなどが比較的ひかくてき良好りょうこうのため、完全かんぜん浮揚ふようしてから解体かいたいされることになり[230]1947ねん(昭和しょうわ22ねん)に船体せんたいこしと浮揚ふよう作業さぎょうおこなわれた[231]浮揚ふよう播磨はりま造船ぞうせんしょ船渠せんきょ(きゅう海軍かいぐん工廠こうしょう)のだい4船渠せんきょはい[232]1948ねん(昭和しょうわ23ねん)1がつ6にちから解体かいたい着手ちゃくしゅ[5]、そのだい3船渠せんきょうつ[232]、8がつ1にち解体かいたい完了かんりょうした[5]

同型どうけいかん

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  • だい137ごうかん予定よていかんめい仁淀によど[233]。「大淀おおよど」と同様どうように④計画けいかく巡洋艦じゅんようかんへい[31]として計画けいかくされ、海軍かいぐん工廠こうしょう建造けんぞう予定よていだったが、開戦かいせん直前ちょくぜん起工きこうめとなった[234]

このほか昭和しょうわ12ねん〜16ねんごろ大淀おおよどがたとほぼ同様どうよう船体せんたい防空ぼうくう巡洋艦じゅんようかん65口径こうけい10cm連装れんそう高角こうかくほう12装備そうび)が検討けんとうされたが、建造けんぞうコストのたかさからペーパープランにわっている[235]

歴代れきだい艦長かんちょう

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脚注きゃくちゅうかぎり『艦長かんちょうたちの軍艦ぐんかん』176-178ぺーじ、『日本にっぽん海軍かいぐんだい9かんだい10かんの「将官しょうかん履歴りれき」にもとづく。

艤装ぎそういんちょう

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  1. けん田原たはらよしきょう 大佐たいさ:1942ねん12月31にち[68] - 1943ねん1がつ20日はつか[70]本職ほんしょく青葉あおば艦長かんちょう

艦長かんちょう

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  1. 富岡とみおかじょうしゅん 大佐たいさ:1943ねん1がつ20日はつか[70] - 1943ねん8がつ29にち[83]
  2. 篠田しのだ勝清かつきよ 大佐たいさ:1943ねん8がつ29にち[83] - 1944ねん5がつ6にち[120]
  3. 阿部あべ俊雄としお 大佐たいさ:1944ねん5がつ6にち[120] - 1944ねん8がつ15にち[132]
  4. 牟田むたくちかくろう 大佐たいさ:1944ねん8がつ15にち[132] - 1945ねん2がつ25にち[210]
  5. 松浦まつうらよし 大佐たいさ:1945ねん2がつ25にち[210] - 1945ねん5がつ15にち[221]
  6. 田口たぐち正一しょういち 大佐たいさ:1945ねん5がつ15にち[221] - 1945ねん8がつ15にち[229]

慰霊いれい

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大淀おおよど」が沈没ちんぼつした大柿おおがきまち飛渡瀬ひとのせ海岸かいがんには「軍艦ぐんかん大淀おおよど戦没せんぼつしゃいしぶみ」が建立こんりゅうされている[236][237][238]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 改造かいぞう開始かいし時点じてん連合れんごう艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん古賀こがみねいち大将たいしょう参謀さんぼうちょう福留ふくとめしげる中将ちゅうじょう)は海軍かいぐんおつ事件じけん機能きのううしなった[36]
  2. ^ 内田うちだ航海こうかいちょうによれば36ノットを突破とっぱした[46]
  3. ^ (昭和しょうわ19ねん4がつ1にち)[63]よんがついちにち(水)すいはれ凉シ(りゃく)〇はちさん進水しんすいしきたいスル拝謁はいえつ。〇きゅう〇〇工廠こうしょう視察しさついちさん〇〇桟橋さんばしはつ大向おおむかいさきノガードループ実験じっけん見学けんがくいちななさんいちはちさん長官ちょうかんてい晩餐ばんさん 〕- 〔 よんがつにち(木)もくはれ いち〇〇〇「大淀おおよど進水しんすいしきだいイニあさまちママこごめス。いちさん〇「大淀おおよど」ニたいスル説明せつめいヲキク。いちさんくれはつオクル、いちよん〇〇はつ。 〕
  4. ^ 12月17にちまでけい巡洋艦じゅんようかん長良ながら艦長かんちょう[67]後任こうにん長良ながら艦長かんちょう篠田しのだ勝清かつきよ大佐たいさ[67]
  5. ^ ただし対空たいくうへいそう新型しんがた高性能こうせいのうちょう10cm高角こうかくほう(連装れんそう)を4装備そうびし、その火力かりょく秋月しゅうげつがた駆逐くちくかん匹敵ひってきする。
  6. ^ 秋月しゅうげつがた駆逐くちくかん新月しんげつりょうがつはつつき)、だい27駆逐くちくたい時雨しぐれ有明ありあけ[75]
  7. ^ 昭和しょうわ18ねん5がつ31にち[76]〔 ○だいさん艦隊かんたい(三一さんぴん-いちいちはち)だいさん戦隊せんたい(「きむつよしかけ)、だいななだいはちだいじゅう戦隊せんたい(「阿賀あが」「風雲ふううん」「ゆきふう」「浜風はまかぜ」「谷風たにかぜ」「あらし」)、以上いじょう-さん〇、だいいち航空こうくう戦隊せんたい、「最上さいじょう」「大淀おおよど」、だいじゅう駆逐くちくたい(「白露しらつゆかけ)、だいろくじゅういち駆逐くちくたい(「秋月しゅうげつかけ)、「新月しんげつ」、以上いじょう-三一さんぴん、「よこはつ。《だいさん艦隊かんたい機動きどう作戦さくせん中止ちゅうし内海うつみ西部せいぶニテ訓練くんれん》〕
  8. ^ 8がつ16にちまで長良ながら艦長かんちょう[82]
  9. ^ 篠田しのだはレイテおき海戦かいせんのスリガオ海峡かいきょう夜戦やせんで、同艦どうかん沈没ちんぼつ戦死せんしした[122]
  10. ^ 一部いちぶ資料しりょうでは、空母くうぼ雲龍うんりゅう」もくわわっていたと記述きじゅつする[134]
  11. ^ だい61駆逐くちくたいはつつき若月わかつき秋月あきづき)、だい41駆逐くちくたい霜月しもづき)、まつがた駆逐くちくかん4せききりすぎまきくわ[137]
  12. ^ みなみ義美よしみ少尉しょういで、にちちゅう戦争せんそう時代じだいからの熟練じゅくれん搭乗とうじょういんであった[155]。11月25にち神風かみかぜ特別とくべつ攻撃こうげきたいとして出撃しゅつげき戦死せんしした[155]
  13. ^ 内田うちだ航海こうかいちょうどうこうかん駆逐くちくかん若葉わかば回想かいそうするが[172]同艦どうかんはレイテおき海戦かいせんちゅうの10がつ24にち沈没ちんぼつしている[173]
  14. ^ 大塚おおつかどうこうかん駆逐くちくかんりょうがつとするが[174]同艦どうかんくれ修理しゅうりちゅうである[175]
  15. ^ ポール・スティーヴン(PBY4の機長きちょうだん[191]
  16. ^ 牟田むたくち大佐たいさ[211]軍港ぐんこう空襲くうしゅう伊勢いせ大破たいはしたとき戦死せんしした[212][213]
  17. ^ 田口たぐち艦長かんちょうによれば消火しょうかには効果こうかがなかったが、死傷ししょうしゃ運搬うんぱん活躍かつやくした[225]

出典しゅってん

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[編集へんしゅう]
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  • 木俣きまたしげるろう日本にっぽん水雷すいらい戦史せんし図書としょ出版しゅっぱんしゃ、1986ねん
  • 木俣きまたしげるろう日本にっぽんけいじゅん戦史せんし図書としょ出版しゅっぱんしゃ、1989ねん3がつ 
  • くさ鹿しか龍之介りゅうのすけだい てき反攻はんこう主力しゅりょく撃滅げきめつへ」『連合れんごう艦隊かんたい参謀さんぼうちょう回想かいそう光和こうわどう、1979ねん1がつISBN 4-87538-039-9 
  • 宮内庁くないちょう へん昭和しょうわ天皇てんのう実録じつろく だいはち 昭和しょうわじゅうねんいたり昭和しょうわじゅうななねん東京書籍とうきょうしょせき株式会社かぶしきがいしゃ、2016ねん3がつISBN 978-4-487-74408-4 
  • 倉橋くらはし友二ともじろう激闘げきとう駆逐くちく艦隊かんたい朝日あさひソノラマ〈航空こうくう戦史せんしシリーズ95〉、1987ねん12月。ISBN 4-257-17095-6 
  • 豊田とよだふくたけだいろくへん 最後さいご連合れんごう艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん」『最後さいご帝国ていこく海軍かいぐん 軍令ぐんれい総長そうちょう証言しょうげん中央公論社ちゅうおうこうろんしゃしゃ中公ちゅうこう文庫ぶんこ〉、2017ねん7がつISBN 978-4-12-206436-2 
  • 佐藤さとう和正かずまさ艦長かんちょうたちの太平洋戦争たいへいようせんそう 34にん艦長かんちょうかたった勇者ゆうしゃ条件じょうけん光人みつひとしゃ光人みつひとしゃNF文庫ぶんこ〉、1993ねん5がつISBN 47698-2009-7 
    • 武運ぶうん幸運こううんと<戦艦せんかん扶桑ふそう艦長かんちょう鶴岡つるおか信道のぶみち少将しょうしょう証言しょうげん>(陸奥みちのく爆沈ばくちん扶桑ふそう艦長かんちょう
    • 孫子まごこ兵法ひょうほう<戦艦せんかん大和やまと艦長かんちょう松田まつだ千秋ちあき少将しょうしょう証言しょうげん>(レイテおき海戦かいせんだいよん航空こうくう戦隊せんたい司令しれいかん
    • 用兵ようへい極地きょくち<戦艦せんかん伊勢いせ艦長かんちょう中瀬なかせ少将しょうしょう証言しょうげん>(レイテおき海戦かいせん伊勢いせ艦長かんちょう
    • 武人ぶじん本懐ほんかい<戦艦せんかん日向ひなた艦長かんちょう野村のむら留吉とめきち少将しょうしょう証言しょうげん>(レイテおき海戦かいせん日向ひなた艦長かんちょう
    • 乱戦らんせんなか <駆逐くちくかんはつつき艦長かんちょう田口たぐち正一しょういち大佐たいさ証言しょうげん>(駆逐くちくかんはつつき初代しょだい艦長かんちょう大淀おおよど艦長かんちょうとう歴任れきにん
    • 暗夜あんや快挙かいきょ <駆逐くちくかんあや艦長かんちょう佐間さまえい邇大証言しょうげん>(大淀おおよど護衛ごえいふゆがつ艦長かんちょう
    • 綱渡つなわたりの航跡こうせき <駆逐くちくかん秋月しゅうげつ艦長かんちょう緒方おがたともけい大佐たいさ証言しょうげん>(つちのえごう輸送ゆそう作戦さくせん、レイテおき海戦かいせん秋月しゅうげつ艦長かんちょう)
  • 編集へんしゅうじん 木津きづとおる発行はっこうじん 石渡いしわた長門ながと世界せかい艦船かんせん 2010.No.718 近代きんだい巡洋艦じゅんようかん株式会社かぶしきがいしゃ海人あましゃ〈2010ねん1がつごう増刊ぞうかん通算つうさんだい718ごう)〉、2009ねん12月。 
  • 日本にっぽん巡洋艦じゅんようかん世界せかい艦船かんせん 2012ねん1がつごう増刊ぞうかん だい574しゅう(増刊ぞうかんだい101しゅう)、海人あましゃ、2011ねん12月。 
  • 高松宮たかまつのみや宣仁のぶひと親王しんのう嶋中しまなかほう発行はっこうじん高松宮たかまつのみや日記にっき だいよんかん 昭和しょうわじゅうななねんいちがついちにち昭和しょうわじゅうななねんきゅうがつさんじゅうにち中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ、1996ねん7がつISBN 4-12-403394-X 
  • 高松宮たかまつのみや宣仁のぶひと親王しんのう嶋中しまなかほう発行はっこうしゃ高松宮たかまつのみや日記にっき だいろくかん 昭和しょうわじゅうはちねん がつきゅうがつ中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ、1997ねんISBN 4-12-403396-6 
  • 寺崎てらさき隆治りゅうじ最後さいご連合れんごう艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん 勇将ゆうしょう小沢おざわおさむ三郎さぶろう生涯しょうがい光人みつひとしゃ光人みつひとしゃNF文庫ぶんこ〉、1997ねん12月(原著げんちょ1972ねん)。ISBN 4-7698-2180-8 
  • 戸高とだか一成いっせい へん『[証言しょうげんろく] 海軍かいぐん反省はんせいかい4』PHP研究所けんきゅうじょ、2013ねん1がつISBN 978-4-569-80915-1 
  • 外山とやまみさお艦長かんちょうたちの軍艦ぐんかん光人みつひとしゃ、2005ねんISBN 4-7698-1246-9
  • 中島なかじまちかしこう聯合れんごう艦隊かんたい作戦さくせんしつから太平洋戦争たいへいようせんそう 参謀さんぼうえが聯合れんごう艦隊かんたい興亡こうぼう光人みつひとしゃ光人みつひとしゃNF文庫ぶんこ〉、2008ねん10がつISBN 4-7698-2175-1  中島なかじま連合れんごう艦隊かんたい情報じょうほう参謀さんぼうとして大淀おおよど乗艦じょうかんした。
  • 庭田にわた尚三しょうぞう「1.巡洋艦じゅんようかんまき」『もと海軍かいぐん技術ぎじゅつ中将ちゅうじょう 庭田にわた尚三しょうぞうじゅつ けんかん秘話ひわ船舶せんぱく技術ぎじゅつ協会きょうかい、1965ねん9がつ 
  • 畑中はたなか省吾しょうご/へん 戸高とだか一成いっせい/監修かんしゅう へん日本にっぽん海軍かいぐん艦艇かんてい公式こうしき図面ずめんしゅう2 けいじゅん大淀おおよど新造しんぞう+改装かいそう発行はっこうプレアデス出版しゅっぱん発売はつばい 国文こくぶんしゃ、2005ねんISBN 4-7720-0894-2 
  • はら為一ためいちほかけいじゅんじゅうせき 駆逐くちくかんぐん先頭せんとうった戦隊せんたい旗艦きかん奮戦ふんせん全貌ぜんぼうしお書房しょぼう光人みつひとしゃ、2014ねん12月。ISBN 978-4-7698-1580-8 
    • 当時とうじ大淀おおよどだいさん分隊ぶんたい海軍かいぐん中尉ちゅうい足立あだちよし大淀おおよど乗員じょういん小沢おざわオトリ艦隊かんたい悲惨ひさん 左舷さげん高角こうかくほう指揮しきかんてき空襲くうしゅう体験たいけんしたエンガノみさきおき海戦かいせん現実げんじつ
    • 当時とうじ五十鈴いすず工作こうさく海軍かいぐん一等いっとう工作こうさく兵曹へいそう須藤すとう岩夫いわお防空ぼうくうじゅん五十鈴いすず脈動みゃくどうがわがむねひびくとき まんじゅうななさいあきうみたたか生還せいかんした工作こうさくへい血涙けつるい戦場せんじょう体験たいけん
    • 当時とうじ五十鈴いすず通信つうしんちょう海軍かいぐん大尉たいい芝山しばやま末男すえお防空ぼうくう巡洋艦じゅんようかん五十鈴いすずエンガノみさきおき血戦けっせん 主砲しゅほう撤去てっきょして高角こうかくほうろくもん対空たいくう機銃きじゅうでんさがせだい改装かいそう通信つうしんちょう回想かいそう
    • 当時とうじ阿賀あが大淀おおよど設計せっけい主務しゅむ海軍かいぐん技術ぎじゅつ大佐たいさだいその大輔だいすけわたし設計せっけいした阿賀あが&大淀おおよど真価しんか秘密ひみつ しのげなみせいたいなみせい機動きどうせいにとむ理想りそうかんみのおやかた造艦ぞうかん秘話ひわ』(香取かとり貴重きちょう教訓きょうくん
    • 当時とうじ大淀おおよど航海こうかいちょう海軍かいぐん中佐ちゅうさ内田うちだ信雄のぶお艦隊かんたい司令しれいよう旗艦きかん大淀おおよど航跡こうせき 連合れんごう艦隊かんたい旗艦きかんとしても栄光えいこうをになったかん生涯しょうがいつづ航海こうかいちょう手記しゅき
    • 当時とうじ大淀おおよど艦長かんちょう海軍かいぐん大佐たいさ田口たぐち正一しょういち防空ぼうくう砲台ほうだい大淀おおよど江田島湾えたじまわん死闘しとう 燃料ねんりょう欠乏けつぼうから軍港ぐんこうくぎづけにされた艦長かんちょうつづ鎮魂ちんこん手記しゅき
    • 戦史せんし研究けんきゅう落合おちあい康夫やすお日本にっぽん海軍かいぐんけい巡洋艦じゅんようかん戦歴せんれき一覧いちらん
  • 日向ひなたかい事務じむきょく航空こうくう戦艦せんかん活躍かつやく 軍艦ぐんかん日向ひなた栄光えいこう追憶ついおく日向ひなたかい事務じむきょく、1977ねん7がつ 
  • 福井ふくい静夫しずお海軍かいぐん艦艇かんてい 2 巡洋艦じゅんようかんコルベット・スループ』KKベストセラーズ、1980ねん 
  • 福井ふくい静夫しずお へん-海軍かいぐん造船ぞうせん技術ぎじゅつ概要がいよう別冊べっさつ- 海軍かいぐん艦艇かんてい公式こうしき図面ずめんしゅう今日きょう話題わだいしゃ、1987ねんISBN 4-87565-212-7 
  • 福井ふくい静夫しずお福井ふくい静夫しずお著作ちょさくしゅうだい8かん 世界せかい巡洋艦じゅんようかん物語ものがたり光人みつひとしゃ、1994ねんISBN 4-7698-0656-6 
  • 防衛庁ぼうえいちょう防衛ぼうえい研修けんしゅうしょ戦史せんししつ戦史せんし叢書そうしょ29 北東ほくとう方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせんちょうくも新聞しんぶんしゃ、1969ねん8がつ 
  • 防衛庁ぼうえいちょう防衛ぼうえい研修けんしゅうしょ戦史せんししつ戦史せんし叢書そうしょだい56かん 海軍かいぐんとしごう作戦さくせん<2>フィリピンおき海戦かいせんちょうくも新聞しんぶんしゃ
  • 防衛庁ぼうえいちょう防衛ぼうえい研修けんしゅうしょ戦史せんし中部ちゅうぶ太平洋たいへいよう方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん<2>昭和しょうわじゅうななねんろくがつ以降いこう戦史せんし叢書そうしょだい62かんあさくも新聞しんぶんしゃ、1973ねん
  • 防衛庁ぼうえいちょう防衛ぼうえい研修けんしゅうしょ戦史せんししつ戦史せんし叢書そうしょ96 南東なんとう方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん(3) とう撤収てっしゅうちょうくも新聞しんぶんしゃ、1976ねん8がつ 
  • 牧野まきのしげる福井ふくい静夫しずお へん海軍かいぐん造船ぞうせん技術ぎじゅつ概要がいよう今日きょう話題わだいしゃ、1987ねんISBN 4-87565-205-4 
  • けいじゅん 阿賀あががた大淀おおよどまるスペシャル 日本にっぽん海軍かいぐん艦艇かんていシリーズNo.5、しお書房しょぼう、1976ねん4がつ 
  • 雑誌ざっしまる編集へんしゅう へん写真しゃしん 日本にっぽん軍艦ぐんかん だい9かん けいじゅんII光人みつひとしゃ、1990ねんISBN 4-7698-0459-8 
    • 瀬名せな堯彦『けい巡洋艦じゅんようかん大淀おおよど変遷へんせん』、141-145ぺーじ 
    • 鈴木すずきはんじゅけいじゅん大淀おおよど』に装備そうびされた航空こうくうへいそう』、146-147ぺーじ 
  • 雑誌ざっしまる編集へんしゅう『ハンディばん 日本にっぽん海軍かいぐん艦艇かんてい写真しゃしんしゅう14 けいじゅん 長良ながらがた光人みつひとしゃ、1997ねん
  • 雑誌ざっしまる編集へんしゅう『ハンディばん 日本にっぽん海軍かいぐん艦艇かんてい写真しゃしんしゅう 15 けいじゅん川内せんだいがた阿賀あががた大淀おおよど香取かとりがた光人みつひとしゃ、1997ねんISBN 4-7698-0816-X
    • 158ページ、落合おちあい康夫やすおけい巡洋艦じゅんようかん大淀おおよど行動こうどう年表ねんぴょう
  • (しゃ)日本にっぽん造船ぞうせん学会がっかい へん昭和しょうわ造船ぞうせん(だい1かん)』(だい3はんはら書房しょぼう明治めいじひゃくねん叢書そうしょ〉、1981ねんISBN 4-562-00302-2 
  • 吉田よしだ俊雄としお指揮しきかんたちの太平洋戦争たいへいようせんそう 青年せいねん士官しかんなにかんがえ、どうしようとしたか光人みつひとしゃ、1984ねん8がつISBN 4-7698-0242-0 
  • 吉田よしだ俊雄としおだいしょう 連合れんごう艦隊かんたい落日らくじつ」『指揮しきかんたちの太平洋戦争たいへいようせんそう 青年せいねん士官しかんなにかんがえ、どうしようとしたか光人みつひとしゃ光人みつひとしゃNF文庫ぶんこ〉、1996ねん9がつ原著げんちょ1984ねん)。ISBN 4-7698-2134-4 
    • 最善さいぜん選択せんたく <レイテおき海戦かいせん ※「大淀おおよど砲術ほうじゅつちょう鈴木すずき孝一こういち少佐しょうさ>
  • Eric Lacroix; Linton Wells II (1997). Japanese Cruisers of the Pacific War. Naval Institute Press 
  • とう巡洋艦じゅんようかん 一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ 現状げんじょう調査ちょうさ
  • アジア歴史れきし資料しりょうセンター(公式こうしき防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ
    • Ref.C12070114400『昭和しょうわ17ねん1がつ~12がつたち/昭和しょうわ17ねん3がつ(1)』。 
    • Ref.C12070161200『昭和しょうわ17ねん1がつ~3がつないれい1かん/昭和しょうわ17ねん3がつ(1)』。 
    • Ref.C12070162300『昭和しょうわ17ねん4がつ~6がつないれい2かん/昭和しょうわ17ねん4がつ(3)』。 
    • Ref.C08030324400『昭和しょうわ17ねん1がつ1にち昭和しょうわ17ねん4がつ30にち 鎮守ちんじゅ戦時せんじ日誌にっし(7)』。 
    • Ref.C08030324500『昭和しょうわ17ねん1がつ1にち昭和しょうわ17ねん4がつ30にち 鎮守ちんじゅ戦時せんじ日誌にっし(8)』。 
    • Ref.C08030326800『昭和しょうわ18ねん1がつ1にち昭和しょうわ18ねん4がつ30にち 鎮守ちんじゅ戦時せんじ日誌にっし(4)』。 
    • Ref.C08030116900『昭和しょうわ18ねん5がつ1にち昭和しょうわ18ねん7がつ19にち だい4水雷すいらい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう(1)』。 
    • Ref.C08030586800『昭和しょうわ17ねん9がつ11にち昭和しょうわ18ねん7がつ22にち 軍艦ぐんかん日進にっしん戦闘せんとう詳報しょうほう(2)』。 
    • Ref.C08030048700『昭和しょうわ17ねん1がつ12にち昭和しょうわ19ねん1がつ1にち だい東亜とうあ戦争せんそう戦闘せんとう詳報しょうほう戦時せんじ日誌にっし だい8戦隊せんたい(6)』。 
    • Ref.C08030054900『昭和しょうわ18ねん12月1にち昭和しょうわ19ねん5がつ31にちだい10戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし(1)』。 
    • Ref.C08030050100『昭和しょうわ18ねん12月1にち昭和しょうわ19ねん5がつ31にちだい10戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし(2)』。 
    • Ref.C08030050200『昭和しょうわ18ねん12月1にち昭和しょうわ19ねん5がつ31にちだい10戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし(3)』。 
    • Ref.C08030101800『昭和しょうわ18ねん12月1にち昭和しょうわ19ねん2がつ29にち だい2水雷すいらい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう(1)』。 
    • Ref.C08030101900『昭和しょうわ18ねん12月1にち昭和しょうわ19ねん2がつ29にち だい2水雷すいらい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう(2)』。 
    • Ref.C08030145400『昭和しょうわ18ねん12月5にち昭和しょうわ19ねん7がつ31にち だい4駆逐くちくたい戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう(2)』。  昭和しょうわ19ねん1がつ5にち だいよん駆逐くちくたいやまくも戦闘せんとう詳報しょうほう 昭和しょうわ19ねん1がつ1にち「カビエング」おき対空たいくう戦闘せんとう
    • Ref.C08030036600『昭和しょうわ19ねん10がつ20日はつか昭和しょうわ19ねん10がつ28にち としごう作戦さくせん戦闘せんとう詳報しょうほう(比島ひじま方面ほうめん決戦けっせん)(1)』。 
    • Ref.C08030036700『昭和しょうわ19ねん10がつ20日はつか昭和しょうわ19ねん10がつ28にち としごう作戦さくせん戦闘せんとう詳報しょうほう(比島ひじま方面ほうめん決戦けっせん)(2)』。 
    • Ref.C08030036800『昭和しょうわ19ねん10がつ20日はつか昭和しょうわ19ねん10がつ28にち としごう作戦さくせん戦闘せんとう詳報しょうほう(比島ひじま方面ほうめん決戦けっせん)(3)』。 
    • Ref.C08030577500『昭和しょうわ19ねん10がつ20日はつか昭和しょうわ19ねん10がつ28にち 軍艦ぐんかん大淀おおよどとし1ごう作戦さくせん戦闘せんとう詳報しょうほう』。 
    • Ref.C08030038300『昭和しょうわ19ねん10がつ1にち昭和しょうわ19ねん11月5にち としごう作戦さくせん戦時せんじ日誌にっし(4) 軍艦ぐんかん大淀おおよど軍艦ぐんかん鈴谷すずや』。 
    • Ref.C08030102400『昭和しょうわ19ねん11がつ20日はつか昭和しょうわ19ねん12月30にち だい2水雷すいらい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう(1)』。 
    • Ref.C08030102500『昭和しょうわ19ねん11がつ20日はつか昭和しょうわ19ねん12月30にち だい2水雷すいらい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう(2)』。 
    • Ref.C08030102600『昭和しょうわ19ねん11がつ20日はつか昭和しょうわ19ねん12月30にち だい2水雷すいらい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう(3)』。 
    • Ref.C08030102700『昭和しょうわ19ねん11がつ20日はつか昭和しょうわ19ねん12月30にち だい2水雷すいらい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう(4)』。 
    • Ref.C08030578100『昭和しょうわ19ねん12月24にち昭和しょうわ19ねん12月28にち 軍艦ぐんかん大淀おおよど戦闘せんとう詳報しょうほう(1)』。 
    • Ref.C08030578200『昭和しょうわ19ねん12月24にち昭和しょうわ19ねん12月28にち 軍艦ぐんかん大淀おおよど戦闘せんとう詳報しょうほう(2)』。 
    • Ref.C08030578500『昭和しょうわ20ねん2がつ10日とおか~ 軍艦ぐんかん大淀おおよど戦闘せんとう詳報しょうほう』。 
    • Ref.C08030750200『昭和しょうわ19ねん12月16にち昭和しょうわ19ねん12月27にち 駆逐くちくかんかやミンドロとうサンホセ突入とつにゅう作戦さくせん戦闘せんとう詳報しょうほうあん』。 
    • Ref.C08030020100『昭和しょうわ19ねん11月1にち昭和しょうわ20ねん2がつ5にち だい5艦隊かんたい戦時せんじ日誌にっし(4)』。 
    • Ref.C08030103000『昭和しょうわ20ねん2がつ1にち昭和しょうわ20ねん4がつ10日とおか だい2水雷すいらい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう(1)』。 
    • Ref.C08030079100『昭和しょうわ18ねん12月1にち昭和しょうわ20ねん5がつ31にち 練習れんしゅう戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし(4)』。 

外部がいぶリンク

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