大淀 (軽 巡洋艦 )
1943 | |
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1939 | |
1941 | |
1942 | |
1943 | |
1945 | |
1945 | |
その |
1948 |
8,164 | |
| |
| |
192.00m[1] | |
189.00m[1] | |
180.00m[1] | |
16.60m[1] | |
10.60m[1] | |
| |
ボイラー |
ロ |
| |
4 | |
| |
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25mm | |
| |
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| |
レーダー |
21 22 13 |
ソナー |
九三式三型探信儀1 |
その |
|
1944
建造 経緯
[艦 形
[基本 構造
[2
用兵 評価
[「
艦 歴
[建造 経緯
[1941
1943
1943年 の行動
[1943
7
8
11月
12月25
「
その
連合 艦隊 旗艦 大淀
[1944
5月6
この
レイテ沖 海戦
[10月5
フィリピンの戦 い
[10月28
12月14
1945
着 底 大破
[3月19
5月15
7
7
24
8
「
同型 艦
[この
歴代 艦長
[※
艤装 員 長
[艦長
[富岡 定 俊 大佐 :1943年 1月 20日 [70] - 1943年 8月 29日 [83]篠田 勝清 大佐 :1943年 8月 29日 [83] - 1944年 5月 6日 [120]阿部 俊雄 大佐 :1944年 5月 6日 [120] - 1944年 8月 15日 [132]牟田 口 格 郎 大佐 :1944年 8月 15日 [132] - 1945年 2月 25日 [210]松浦 義 大佐 :1945年 2月 25日 [210] - 1945年 5月 15日 [221]田口 正一 大佐 :1945年 5月 15日 [221] - 1945年 8月 15日 [229]
慰霊 碑
[「
脚注
[注釈
[- ^
改造 開始 時点 の連合 艦隊 司令 部 (長官 古賀 峯 一 大将 、参謀 長 福留 繁 中将 )は海軍 乙 事件 で機能 を失 った[36]。 - ^
内田 航海 長 によれば36ノットを突破 した[46]。 - ^ (
昭和 19年 4月 1日 )[63]〔四 月 一 日 (水) 晴 凉シ(略 )〇八 三 〇進水 式 ニ対 スル拝謁 。〇九 〇〇工廠 視察 。一 三 〇〇桟橋 発 、大向 崎 ノガードループ実験 見学 、一 七 三 〇帰 。一 八 三 〇長官 艇 晩餐 〕- 〔四 月 二 日 (木) 晴 一 〇〇〇「大淀 」進水 式 、大 イニ朝 待 屈 ス。一 二 三 〇「大淀 」ニ対 スル説明 ヲキク。一 三 五 二 呉 発 オクル、一 四 〇〇発 。 〕 - ^ 12月17
日 まで軽 巡洋艦 長良 艦長 [67]。後任 の長良 艦長 は篠田 勝清 大佐 [67]。 - ^ ただし
対空 兵 装 は新型 高性能 の長 10cm高角 砲 (連装 )を4基 装備 し、その火力 は秋月 型 駆逐 艦 に匹敵 する。 - ^
秋月 型 駆逐 艦 (新月 、涼 月 、初 月 )、第 27駆逐 隊 (時雨 、有明 )[75]。 - ^ (
昭和 18年 5月 31日 )[76]〔 ○第 三 艦隊 (三一 -一 〇一 八 )第 三 戦隊 (「金 剛 」欠 )、第 七 、第 八 、第 十 戦隊 (「阿賀 野 」「風雲 」「雪 風 」「浜風 」「谷風 」「嵐 」)、以上 五 -三 〇、第 一 航空 戦隊 、「最上 」「大淀 」、第 二 十 駆逐 隊 (「白露 」欠 )、第 六 十 一 駆逐 隊 (「秋月 」欠 )、「新月 」、以上 五 -三一 、「横 」発 。《第 三 艦隊 、機動 作戦 ヲ中止 、内海 西部 ニテ訓練 》〕 - ^ 8
月 16日 まで長良 艦長 [82]。 - ^
篠田 はレイテ沖 海戦 のスリガオ海峡 夜戦 で、同艦 沈没 時 に戦死 した[122]。 - ^
一部 の資料 では、空母 「雲龍 」も加 わっていたと記述 する[134]。 - ^
第 61駆逐 隊 (初 月 、若月 、秋月 )、第 41駆逐 隊 (霜月 )、松 型 駆逐 艦 4隻 (桐 、杉 、槇 、桑 )[137]。 - ^
南 義美 少尉 で、日 中 戦争 時代 からの熟練 搭乗 員 であった[155]。11月25日 、神風 特別 攻撃 隊 として出撃 、戦死 した[155]。 - ^
内田 航海 長 は同 航 艦 を駆逐 艦 若葉 と回想 するが[172]、同艦 はレイテ沖 海戦 中 の10月 24日 に沈没 している[173]。 - ^
大塚 は同 航 艦 を駆逐 艦 涼 月 とするが[174]、同艦 は呉 で修理 中 である[175]。 - ^ ポール・スティーヴン(PBY4の
機長 談 )[191]。 - ^
牟田 口 大佐 は[211]、呉 軍港 空襲 で伊勢 が大破 した時 に戦死 した[212][213]。 - ^
田口 艦長 によれば消火 には効果 がなかったが、死傷 者 の運搬 に活躍 した[225]。
出典
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二水 戦 日誌 (2) pp.40-41〔 (イ)第 一 部隊 終了 後 令 ニ依 リ巡洋艦 及駆逐 艦 ノ順序 ニ輪番 大和 ニ対 スル横 付 舷 ヲ左 ノ通 定 ム大和 ノ右舷 、能代 ・山 雲 同 左舷 、大淀 ・秋月 |(ロ)搭載 区分 〕 - ^ #カビエング
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戦史 叢書 96ガ島 撤収 後 463頁 『作戦 輸送 の実施 』 - ^ #S1812
二水 戦 日誌 (2) p.21〔 (イ)能代 、秋月 、山 雲 ハ0630迄 ニ揚 搭完了 セシモ大淀 ハ0845ニ至 リ漸 ク終了 シ為 ニ全 軍 避退ノ時機 ヲ遅延 シ敵 機 ノ来襲 ヲ受クルニ至 レリ|(ロ)東 正面 ニ対 スル飛行 哨戒 不充分 ニシテ早期 ノ敵 空母 ヲ確認 シ得 ザリシコト 〕 - ^ #
軽 巡 二 十 五 隻 284頁 〔 カビエン沖 で受 けた洗礼 〕 - ^ #S1812
二水 戦 日誌 (2) p.7〔 (3)上空 警戒 ハ揚陸 中 及「カビエン」発 当日 概 ネ日没 時 迄 「カビエン」基地 戦闘 機 隊 (2Sf戦闘 機 36機 増援 )ニ依 ル 〕 - ^ a b c #
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沖 対空 戦闘 詳報 p.8 - ^ #S1812
二水 戦 日誌 (2) p.10〔 0845将 旗 2sd→秋月 /秋月 ハ大淀 ノ警戒 ニ当 レ|能代 山 雲 及大淀 秋月 ノ2組 ニ分散 間隔 概 7粁 ニテ上空 直衛 機 援護 下 ニ対空 戦闘 開始 〕 - ^ #S1812
二水 戦 日誌 (2) p.10〔 0855敵 機 ハ二 群 ニ分離 シ来襲 主 トシテ能代 大淀 ニ雷 爆 銃撃 ヲ行 フ 〕 - ^ #S1812
二水 戦 日誌 (2) p.36〔 (一 )今回 ノ「カビエン」ニ於ケル対空 戦闘 ニ於テハ立 上 リヨリ能代 山 雲 及大淀 秋月 ノ2組 ニ分散 シ其ノ間隔 概 ネ7粁 ナリシモ終始 運動 上 相互 ニ危険 ノ考慮 ヲ感 ゼズ対空 戦闘 ニ於テハ支援 並 ニ回避 運動 上 概 ネ5粁 ノ間隔 ヲ有 スルヲ適当 ト認 ム 〕 - ^ #S1812
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二水 戦 日誌 (2) p.14〔 1430将 旗 2sd→大淀 /大淀 ハ飛行機 1機 応急 修理 完成 次第 第 15分間 待機 トナセ 〕-〔 1552大淀 ノ飛行機 ハ被 空襲 時 ノ応急 修理 完成 セズ、敵 機動 部隊 ノ来襲 ノ算 減少 ニヨリ索敵 ニ使用 セザルコトトス 〕 - ^ #S1812
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切 れ]本 艦 の写真 とスペックのあるページ。(英語 )