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古鷹 (重巡洋艦) - Wikipedia コンテンツにスキップ

たか (じゅう巡洋艦じゅんようかん)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
たか
基本きほん情報じょうほう
建造けんぞうしょ 三菱みつびし造船ぞうせん長崎造船所なかざきぞうせんじょ
運用うんようしゃ  大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん
かんしゅ じゅう巡洋艦じゅんようかん
きゅうめい たかがたじゅう巡洋艦じゅんようかん
かんれき
発注はっちゅう 1922ねん6がつ
起工きこう 1922ねん12月5にち [1]
進水しんすい 1925ねん2がつ25にち [1]
竣工しゅんこう 1926ねん3月31にち [1]
最期さいご 1942ねん10月12にちべい艦隊かんたい砲撃ほうげきにより沈没ちんぼつ
除籍じょせき 1942ねん11月10にち [2]
要目ようもく新造しんぞう改装かいそう[3]
基準きじゅん排水はいすいりょう 7,950トン → 8,700トン
おおやけためし排水はいすいりょう 9,544トン → 10,630トン
全長ぜんちょう 185.166 m
最大さいだいはば 16.55 m → 16.926 m
吃水きっすい 5.56 m → 5.61 m
しゅかん かん本式ほんしきかん重油じゅうゆせんしょう10どうこんしょう2かん本式ほんしき重油じゅうゆせんしょうかん10
おも 三菱みつびしパーソンズしきオールギアードタービン44じく
出力しゅつりょく 102,000馬力ばりき → 103,340馬力ばりきおおやけためし成績せいせき
速力そくりょく 34.6ノットおおやけためし成績せいせき
→ 32.95ノット(おおやけためし成績せいせき
燃料ねんりょう 重油じゅうゆ:1,400トン、石炭せきたん:400トン
重油じゅうゆ:1,858トン
航続こうぞく距離きょり 14ノットで7,000うみさと
乗員じょういん 627めい → 639めい
へいそう 竣工しゅんこう[4]
50口径こうけい20cmたんそうほう6もん
40口径こうけい8cmたんそう高角こうかくほう4もん
61cm連装れんそう魚雷ぎょらい発射はっしゃかん612もん
はちねんしき魚雷ぎょらい24ほん
改装かいそう
50口径こうけい20.3cm連装れんそうほう36もん
45口径こうけい12cmたんそう高角こうかくほう4もん
61cm4連装れんそう魚雷ぎょらい発射はっしゃかん28もん
きゅうさんしき魚雷ぎょらい16ほん
装甲そうこう 舷側げんそく76mm
水平すいへい32-35mm
主砲しゅほう25mm
搭載とうさい 1 → 2
(カタパルト0 → 1
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たか(ふるたか)は大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐんたかがたじゅう巡洋艦じゅんようかん1ばんかんである[5]かんめい江田島えたじま海軍兵学校かいぐんへいがっこうそばにある古鷹山ふるたかやま由来ゆらいする[6]平賀ひらがゆずる造船ぞうせんかん設計せっけいした。1942ねん10がつサボとうおき海戦かいせん沈没ちんぼつした。

かんれき[編集へんしゅう]

建造けんぞう経緯けいい [編集へんしゅう]

大正たいしょう時代じだい中期ちゅうきまでの日本にっぽん海軍かいぐん主力しゅりょく巡洋艦じゅんようかん5500トンがたけい巡洋艦じゅんようかんで、おな太平洋たいへいよう強力きょうりょく海軍かいぐん米国べいこくオマハきゅうけい巡洋艦じゅんようかんくらべて軍艦ぐんかん性能せいのうおおきくおくれをっていた。平賀ひらが基準きじゅん排水はいすいりょう2890トンの船体せんたいに5500トンがたけい巡洋艦じゅんようかん匹敵ひってきするへいそうそなえたけい巡洋艦じゅんようかん夕張ゆうばり設計せっけいし、軍艦ぐんかん設計せっけい技術ぎじゅつたかさを世界せかいしめした[7]平賀ひらが夕張ゆうばりつづき、米国べいこくの15cmほう搭載とうさいけい巡洋艦じゅんようかん対抗たいこうできるへいそうそなえつつ、快速かいそく中部ちゅうぶ太平洋たいへいようまで行動こうどうできるたか航海こうかい性能せいのうそなえた偵察ていさつ巡洋艦じゅんようかんとして、夕張ゆうばりのコンパクトな設計せっけい思想しそういだ7100トンきゅう巡洋艦じゅんようかん設計せっけいした[8]。これがたかがたである。当初とうしょ計画けいかくでは14cmほう搭載とうさいする予定よていだったが、1922ねん大正たいしょう11ねん)2がつ終了しゅうりょうしたワシントン海軍かいぐん軍縮ぐんしゅく条約じょうやくで、巡洋艦じゅんようかんが「排水はいすいりょう10,000トン以下いかほう口径こうけい5インチ以上いじょう8インチ以下いか」と定義ていぎされた一方いっぽう保有ほゆうトン数とんすう制限せいげん設定せっていされなかった。そのため搭載とうさいする主砲しゅほうは、条約じょうやく米国べいこく巡洋艦じゅんようかん上回うわまわる20cmたんそうほう66もん変更へんこうされた。

1922ねん大正たいしょう11ねん)8がつ11にち、1ばんかん衣笠きぬがさ、2ばんかんたかかんめいあたえられた[9]。10月9にち、1ばんかんかんめい加古かこ変更へんこうされた(詳細しょうさい加古かこ参照さんしょう)。12月5にち加古かこより18にちおくれて三菱みつびし造船ぞうせん長崎造船所なかざきぞうせんじょげん三菱重工みつびしじゅうこう長崎造船所なかざきぞうせんじょ)で起工きこうした[1]1925ねん大正たいしょう14ねん)2がつ25にち進水しんすい[1][10]1926ねん大正たいしょう15ねん)3がつ31にち竣工しゅんこう[1]横須賀よこすか鎮守ちんじゅせきとなった[11]竣工しゅんこう時点じてん加古かこはクレーンの事故じこなどで竣工しゅんこうしておらず、加古かこ竣工しゅんこうは7がつ20日はつかやく4かげつおくれた[12]。この結果けっか、11月29にち艦艇かんてい類別るいべつ等級とうきゅうひょう改訂かいていたかが1ばんかんとなった[13]。ただ計画けいかく段階だんかいから加古かこがた加古かこきゅう)の呼称こしょう浸透しんとうしており、改訂かいていたかがたならんで加古かこがた表記ひょうきひろ使つかわれた。

たか加古かこは20cmたんそうほうぜん甲板かんぱんこう甲板かんぱん中心ちゅうしんせんじょうに3ずつならべ、煙突えんとつ巨大きょだいし、航行こうこうせいたかめるためになみがた甲板かんぱん採用さいようしたこと特徴とくちょうがある[14]。ただ主砲しゅほう装填そうてん人力じんりきしきで、機械きかいしきくらべてきゅうだんおそさが建造けんぞう当初とうしょから問題もんだいされていた。じゅん同型どうけいかん青葉あおばがたじゅう巡洋艦じゅんようかんでは機械きかい装填そうてんしきの20cm連装れんそう砲塔ほうとう36もん変更へんこうされており、建造けんぞう当初とうしょたかがた青葉あおばがた外見がいけんじょうおおきなちがいとなった。

竣工しゅんこう[編集へんしゅう]

昭和しょうわ16ねん11月
1935ねん撮影さつえい 給油きゅうゆかん鶴見つるみとの洋上ようじょう給油きゅうゆ
1926ねん4がつ5にち 就役しゅうえき当時とうじ艦橋かんきょう
1939ねん撮影さつえい 改装かいそう艦橋かんきょう

1926ねん大正たいしょう15ねん4がつ1にちたかだい戦隊せんたい編入へんにゅうされた[15]当初とうしょたかけいじゅん名取なとりけいじゅん由良ゆらけいじゅん川内かわうちと5500トンがたけい巡洋艦じゅんようかん戦隊せんたい編制へんせいしていた。9月25にち乗艦じょうかんちゅう高松宮たかまつのみや宣仁のぶひと親王しんのう海軍かいぐん少尉しょうい)が長崎造船所なかざきぞうせんじょおこなわれた青葉あおば進水しんすいしきうため、たか進水しんすいしき参加さんかした[16][17]。12月1にちだい戦隊せんたいたか加古かこけいじゅん神通じんずうけいじゅん那珂なかとなった[15]

1927ねん昭和しょうわ2ねん8がつ24にちだい戦隊せんたい島根しまねけん美保関みほのせきおき演習えんしゅうちゅう僚艦りょうかん衝突しょうとつする美保関みほのせき事件じけん遭遇そうぐうした。神通じんずう那珂なかなどが大破たいはしたが、たかかくかん協力きょうりょくして沈没ちんぼつした駆逐くちくかんわらび損傷そんしょうかん救援きゅうえん従事じゅうじした[18]たか戦艦せんかん比叡ひえいとも損傷そんしょうした那珂なか護衛ごえいして舞鶴まいづる移動いどうした[19]那珂なか乗艦じょうかんちゅう皇族こうぞく博義ひろよしおうたか移乗いじょうした[20]

1927ねん昭和しょうわ2ねん)12月1にち再編さいへんで、だい戦隊せんたいたか加古かこ青葉あおば衣笠きぬがさじゅう巡洋艦じゅんようかん4せきはじめてそろった[21][22]たか以降いこう太平洋戦争たいへいようせんそう開戦かいせんまで3かんともだいだいろくだいなな戦隊せんたい歴任れきにんした。1932ねん昭和しょうわ7ねん)2がつ1にち鎮守ちんじゅせき転籍てんせきした[11]1934ねん昭和しょうわ9ねん)6がつ29にち済州さいしゅうとうおきおこなわれた演習えんしゅう参加さんかし、駆逐くちくかん深雪みゆき駆逐くちくかんでん衝突しょうとつして深雪みゆき沈没ちんぼつした。

1936ねん昭和しょうわ11ねん)8がつ14にち午前ごぜん4訓練くんれん終了しゅうりょう青葉あおば衣笠きぬがさたか縦列じゅうれつ航行こうこうちゅう衣笠きぬがさ青葉あおばかん衝突しょうとつ事故じここした[23]後続こうぞくたか衝突しょうとつせず、どう年度ねんどでは無事故むじこ演習えんしゅうでも優秀ゆうしゅう成績せいせきをおさめたたか評価ひょうかたかまったという[24]

完成かんせい優秀ゆうしゅう巡洋艦じゅんようかんとされたたかがたも、みょうだかがたじゅう巡洋艦じゅんようかん高雄たかおがたじゅう巡洋艦じゅんようかんなど1まんトンきゅう巡洋艦じゅんようかん就役しゅうえきと、大正たいしょう昭和しょうわ初期しょきへいそうしゅ機関きかん軍事ぐんじ装備そうびひん急速きゅうそく進歩しんぽともない、昭和しょうわ10年代ねんだいにはじゅう巡洋艦じゅんようかんとして性能せいのう装備そうびおくれが目立めだってきた。このためたか加古かこ日本にっぽんじゅう巡洋艦じゅんようかんとしては例外れいがいてきだい規模きぼ近代きんだい改修かいしゅうほどこし、船体せんたいしゅ機関きかん主砲しゅほうとうぜんかわそう上部じょうぶ構造こうぞう大幅おおはば改装かいそうほどこされた。たか加古かこよりおくれて1937ねん昭和しょうわ12ねん)3がつ16にち海軍かいぐん工廠こうしょう着手ちゃくしゅ[11]1939ねん昭和しょうわ14ねん)4がつ30にち完成かんせいした。主砲しゅほうとう青葉あおばがたとほぼおなじ20.3cm連装れんそうほう36もんで、魚雷ぎょらい発射はっしゃかん艦内かんないから甲板かんぱんじょう移設いせつし61cm4連装れんそう魚雷ぎょらい発射はっしゃかん28もんきゅうさんしき魚雷ぎょらい16ほんとしたほか、高楼こうろうしき艦橋かんきょう連結れんけつ構造こうぞうになり、しゅ機関きかん変更へんこうともなって煙突えんとつ構造こうぞう変更へんこうされた(詳細しょうさいたかがたじゅう巡洋艦じゅんようかん参照さんしょう)。

  • たか加古かこ排水はいすいりょう竣工しゅんこう当初とうしょ計画けいかくから1わりえてほぼ8000トンとなり、喫水線きっすいせんがって舷窓げんそうつね波浪はろうをかぶるため「水族館すいぞくかん」ともばれたが、近代きんだい改修かいしゅうでさらに1わりえて8700トンとなった。日本にっぽん海軍かいぐんは1934ねんともづる転覆てんぷくするともづる事件じけん発生はっせいしたのち艦艇かんてい全体ぜんたい復原力ふくげんりょく見直みなおしがはかられたが、事件じけんだい規模きぼ改修かいしゅうおこなったたかがた復原ふくげん性能せいのう対策たいさく排水はいすいりょう増加ぞうかともなうバルジの増設ぞうせつ程度ていどにとどまり、平賀ひらが造船ぞうせん設計せっけい思想しそうただしさを裏付うらづけた。一方いっぽうたかがた設計せっけい当時とうじ艦艇かんていは、船体せんたい強度きょうど維持いじするため船体せんたい中心ちゅうしんせんじょう隔壁かくへき設置せっちすることがおおく、たか船体せんたい軽量けいりょう強度きょうど両面りょうめんから船体せんたい中央ちゅうおう隔壁かくへき設置せっちされていた。太平洋戦争たいへいようせんそう開戦かいせんにはだい口径こうけい砲弾ほうだん爆発ばくはつりょくたか魚雷ぎょらい開発かいはつすすみ、命中めいちゅうした場合ばあいかたふなばたのみが浸水しんすい傾斜けいしゃ復原ふくげんできなくなる危険きけんせい指摘してきされていた。この問題もんだい解消かいしょうされる機会きかいがないままたか開戦かいせんむかえ、サボとうおき海戦かいせん左舷さげんへの集中しゅうちゅう砲火ほうかけて沈没ちんぼつする一因いちいんになった[25]

1940ねん昭和しょうわ15ねん)5がつ2にち内閣ないかく首脳しゅのう体験たいけん航海こうかいのため横浜よこはま入港にゅうこう[26]。10月11にち紀元きげんせんろくひゃくねん特別とくべつ観艦式かんかんしき加古かことも供奉ぐぶかんとして参列さんれつした。1941ねん昭和しょうわ16ねん)3がつ1にち戦隊せんたい編制へんせい変更へんこうで、だいいち艦隊かんたいだいろく戦隊せんたいたか加古かこ青葉あおば衣笠きぬがさの4せきふたたそろい、太平洋戦争たいへいようせんそう開戦かいせん態勢たいせいととのった。9月15にちだいろく戦隊せんたい司令しれいかんふじ存知ぞんち少将しょうしょう就任しゅうにんした[27]

太平洋戦争たいへいようせんそう緒戦しょせん[編集へんしゅう]

1941ねん11月7にちだいろく戦隊せんたい(「青葉あおば」、「加古かこ」、「衣笠きぬがさ」、「たか」)は南洋なんよう部隊ぶたい編入へんにゅうされ、グァムとう攻略こうりゃく支援しえん部隊ぶたいとしてグアムとう攻略こうりゃく作戦さくせん参加さんかした[28]だいろく戦隊せんたいは11月30にち柱島はしらじま泊地はくち出港しゅっこうして12月2にち母島ははじま到着とうちゃく[29]。12月4にち攻略こうりゃく部隊ぶたい母島ははじま出撃しゅつげきつづいてだいろく戦隊せんたい出撃しゅつげきしててき水上すいじょう部隊ぶたいそなえ、上陸じょうりく成功せいこうはトラックへかい12がつ12にち到着とうちゃくした[30]

グアムとう攻略こうりゃくおなごろおこなわれたウェークとう攻略こうりゃく作戦さくせん失敗しっぱいわっており、だい攻略こうりゃく作戦さくせんにはだいろく戦隊せんたい投入とうにゅうされることとなった。だいろく戦隊せんたいはウェークとう攻略こうりゃく支援しえん部隊ぶたいとなった[31]だいろく戦隊せんたいは12月13にちにトラックを出港しゅっこうして12月16にちにルオットに到着とうちゃく[32]。12月21にち攻略こうりゃく部隊ぶたいなどが出撃しゅつげきし、だいろく戦隊せんたいもそれにつづいて出撃しゅつげきした[33]。ウェークとうは12月23にち攻略こうりゃくされた[34]だいろく戦隊せんたいはウェークとう東方とうほう行動こうどうし、攻略こうりゃく南下なんかして攻略こうりゃく部隊ぶたい支援しえんにあたり、12月25にちにルオットに帰投きとう[35]。1942ねん1がつ7にちにルオットを出港しゅっこうし、1がつ10日とおかにトラックに到着とうちゃくした[36]

1942ねん昭和しょうわ17ねん)5がつ上旬じょうじゅんたか以下いかだいろく戦隊せんたいはMO(ポートモレスビー)攻略こうりゃく部隊ぶたい所属しょぞくし、珊瑚さんごうみ海戦かいせん参加さんかした。ふじ少将しょうしょう指揮しきするMO攻略こうりゃく部隊ぶたいぬしたい青葉あおば加古かこ衣笠きぬがさたか空母くうぼさちおおとり駆逐くちくかんさざなみ編制へんせいされていた。5月7にち、MO攻略こうりゃく部隊ぶたい空母くうぼヨークタウンレキシントン攻撃こうげきたい空襲くうしゅうけた。さちおおとり沈没ちんぼつし、だいろく戦隊せんたい乗員じょういん救助きゅうじょおこなったが、退避たいひ命令めいれいたため現場げんば海域かいいきはなれた[37]。2040ふんだいろく戦隊せんたいからたか衣笠きぬがさがMO機動きどう部隊ぶたい編入へんにゅうされ[38]青葉あおば加古かこかれた。5月8にちあさたか衣笠きぬがさはMO機動きどう部隊ぶたい空母くうぼみずづる空母くうぼしょうづるじゅうじゅんみょうだかじゅうじゅん羽黒はぐろ駆逐くちくかん6せきあけぼのしお有明ありあけ夕暮ゆうぐれ白露しらつゆ時雨しぐれ》)と合流ごうりゅうした[39]。ただ「だいろく戦隊せんたい航空こうくう戦隊せんたい後方こうほうキロニ続行ぞっこうセヨ」以外いがい指示しじがなく、また空母くうぼ中心ちゅうしんとした輪形りんけいじんまなかったため、かくかん単独たんどくべいぐん機動きどう部隊ぶたい艦載かんさい空襲くうしゅう対処たいしょすることになった[40]たか衣笠きぬがさしょうづる後方こうほうやく8000m地点ちてん航行こうこうちゅう空襲くうしゅうけた[41]しょうづる大破たいはしたため、たか衣笠きぬがさ夕暮ゆうぐれしおともに、戦場せんじょう離脱りだつするしょうづる一時いちじてき護衛ごえいした[42]珊瑚さんごうみ海戦かいせん結果けっか、ポートモレスビーの攻略こうりゃく延期えんきとなり、だいろく戦隊せんたい本土ほんど整備せいびおこなうことになった。たかは6がつ5にち到着とうちゃくした[11]ミッドウェー海戦かいせん大敗たいはいした日本にっぽん海軍かいぐんはソロモン諸島しょとう防備ぼうび強化きょうかする方針ほうしんし、だいろく戦隊せんたい4せき南方なんぽうもどった。たかは7がつ4にち、トラック泊地はくち到着とうちゃくした[11]

ガダルカナルとうたたか[編集へんしゅう]

1942ねん昭和しょうわ17ねん)8がつ7にちべいぐんツラギとうガダルカナルとう上陸じょうりくし、南太平洋みなみたいへいようでの本格ほんかくてき反攻はんこうてんじた。ラバウルにかっていただいろく戦隊せんたいはガダルカナルとう上陸じょうりく急報きゅうほうけ、きょ三川みかわ軍一ぐんいち中将ちゅうじょう指揮しきじゅうじゅん鳥海とりうみけいじゅん天龍てんりゅう夕張ゆうばり駆逐くちくかん夕凪ゆうなぎともに「挺身ていしん艦隊かんたい挺身ていしん攻撃こうげきたい)」を編制へんせいした。艦隊かんたいたん縦陣じゅうじんり、鳥海とりうみ青葉あおば加古かこ衣笠きぬがさのちたかつづいた。8月8にち深夜しんや同島どうとう北部ほくぶのサボとう南側みなみがわ水道すいどう突入とつにゅうし、午後ごご1143ふん輸送ゆそう船団せんだん護衛ごえいしていたべいごう連合れんごうぐん艦隊かんたい最初さいしょ夜戦やせんはいった。直後ちょくご雷撃らいげきけたごうじゅうじゅんキャンベラ炎上えんじょうしてたか接近せっきんし、さらに右舷うげんから魚雷ぎょらい2ほん接近せっきんしたため、たかひだりてんかじした。この結果けっかたか先行せんこうかん分離ぶんりし、天龍てんりゅう夕張ゆうばりたかつづいた[43]午後ごご1153ふん鳥海とりうみがサボとう北側きたがわ水道すいどうべつ艦隊かんたい発見はっけんし、べいじゅうじゅんアストリア砲撃ほうげきくわえた。この戦闘せんとうで、先行せんこうかん4せきと、分離ぶんりしたたかなど3せきせずして左右さゆうから連合れんごうぐん艦隊かんたい挟撃きょうげきする陣形じんけいとなった。連合れんごうぐんじゅうじゅん4せき沈没ちんぼつし、日本にっぽん勝利しょうりおさめた。記録きろくによれば、たか主砲しゅほう153はつ高射こうしゃほう94はつ、25みりめーとる機銃きじゅう147はつ発射はっしゃした[44]

海戦かいせんだいろく戦隊せんたい4せき鳥海とりうみ天龍てんりゅう夕張ゆうばり夕凪ゆうなぎかれ、ニューアイルランドとうカビエンかった[45][46]。8月10にちあさ加古かこべい潜水せんすいかんS-44魚雷ぎょらい攻撃こうげきにより沈没ちんぼつした[45]だいろく戦隊せんたいかくかんカッターボートなどをろしてカビエンへかった[47]。そのたかなどだいろく戦隊せんたい3せきはカビエンで加古かこ乗員じょういん収容しゅうようした[48]

8がつたか青葉あおば衣笠きぬがさだいろく戦隊せんたい鳥海とりうみはガダルカナルとう兵員へいいん揚陸ようりく目指めざ輸送ゆそう船団せんだん支援しえんするため、同島どうとう北方ほっぽうかった[49]が、8がつ24-25にちきただいソロモン海戦かいせんだいろく戦隊せんたい交戦こうせんする機会きかいはなかった[49][50]。8月27にち夕刻ゆうこくたか青葉あおばともにショートランド泊地はくち到着とうちゃくした[51]

沈没ちんぼつ[編集へんしゅう]

だいソロモン海戦かいせんやぶれて兵員へいいん揚陸ようりく失敗しっぱいした日本にっぽんぐんは、ガダルカナルとうへの昼間ひるまだい規模きぼ輸送ゆそう揚陸ようりく困難こんなんになったことを認識にんしきし、高速こうそく駆逐くちくかんによる反復はんぷく輸送ゆそうねずみ輸送ゆそう)への転換てんかん余儀よぎなくされた。さらにべいぐん同島どうとう完成かんせいさせたヘンダーソン飛行場ひこうじょう無力むりょくが、戦略せんりゃくじょう喫緊きっきん課題かだいとなった。ヘンダーソン基地きちかんほう射撃しゃげき作戦さくせん立案りつあんされ、10月11にちふじ少将しょうしょうひきいるだいろく戦隊せんたいだい11駆逐くちくたい初雪はつゆき吹雪ふぶきがガダルカナルとうかった[52][53]だいさん戦隊せんたい司令しれいかん栗田くりた健男たけお中将ちゅうじょう)の戦艦せんかんきむつよし榛名はるなだい水雷すいらい戦隊せんたいけいじゅん五十鈴いすずなどによるだい飛行場ひこうじょう砲撃ほうげきたい準備じゅんびされ、10月11にちだい航空こうくう戦隊せんたいはやぶさたかたかともにトラック泊地はくち出撃しゅつげきした[54][55]飛行場ひこうじょう砲撃ほうげき先行せんこうしてガダルカナルとうへの揚陸ようりく作戦さくせんおこなわれ、周辺しゅうへん海域かいいきには水上すいじょう母艦ぼかん日進にっしん千歳ちとせ駆逐くちくかん秋月あきづきあやはくゆき叢雲むらくもあさくもなつくも輸送ゆそうたい行動こうどうちゅうだった[56]当時とうじ輸送ゆそうたい基地きち航空こうくうたいべい艦隊かんたい動向どうこうをつかんでおらず[57]日本にっぽんがわべいぐん水上すいじょう部隊ぶたい反撃はんげきする可能かのうせいひくいと判断はんだんしていた[58]。だがべいぐんじゅう巡洋艦じゅんようかん2せきけい巡洋艦じゅんようかん2せき駆逐くちくかん5せき迎撃げいげき態勢たいせいととのえ、10月11にち夜間やかんだいろく戦隊せんたいをサボとうおきむかった[59][60]

10月11にちよる旗艦きかん青葉あおばだいろく戦隊せんたいひだり前方ぜんぽう出現しゅつげんしたべい艦隊かんたいを、日進にっしんなどの輸送ゆそうたい誤認ごにんし、「わがレ、アオバ」と発信はっしん。2143ふん青葉あおばべいぐんはなった照明しょうめいだん砲撃ほうげきけ、はつたま艦橋かんきょう貫通かんつうしてふじ少将しょうしょうらが戦死せんしした[61][62]青葉あおばみぎてんかじし、煙幕えんまくって避退した[63]後続こうぞくたかつるしこうだんひだりてんかじみぎ砲戦ほうせんそなえたが、青葉あおばみぎてんかじみぎ変針へんしんした[64][62]。しかしたか煙幕えんまくはいりきれず、べい艦隊かんたい砲撃ほうげき魚雷ぎょらい酸素さんそ誘爆ゆうばくしてだい火災かさいとなり、夜間やかん格好かっこう射撃しゃげき目標もくひょうとなった結果けっかさんばん砲塔ほうとう旋回せんかい不能ふのう魚雷ぎょらい発射はっしゃかん破壊はかい機関きかんしつ砲弾ほうだん貫通かんつう左舷さげん浸水しんすい機関きかん故障こしょう被害ひがい拡大かくだいした[59]たかぬし高射こうしゃほう応戦おうせん主砲しゅほう発射はっしゃだんすうは40はつ以下いかだったが、だいしゃ以後いごてき3ばんかん損害そんがいあたえたという[59][62]青葉あおばたか砲火ほうか集中しゅうちゅうするあいだ海戦かいせんいきから離脱りだつした[65]青葉あおばみぎ前方ぜんぽうにあった吹雪ふぶき集中しゅうちゅう砲火ほうかけて沈没ちんぼつし、たか後続こうぞくしていた衣笠きぬがさ初雪はつゆきべいじゅうじゅんソルトレイクシティーけいじゅんボイシ砲戦ほうせんして損傷そんしょうあたえた[66]が、サボとうおき海戦かいせん日本にっぽんぐん敗北はいぼくわった。

  • 当時とうじたか主計しゅけいちょうだった立野たての良郎よしろうによると、荒木あらきつたえ艦長かんちょうだいいちソロモン海戦かいせん夜戦やせんちゅう隊列たいれつ二分にぶんした行動こうどう以後いごにしていたという。この経験けいけんがサボとうおき海戦かいせんたかひだりてんかじ中止ちゅうしし、青葉あおばつづいてみぎ変針へんしんした判断はんだんにつながったと推測すいそくしている[50]

青葉あおば衣笠きぬがさ初雪はつゆき離脱りだつして海戦かいせん終了しゅうりょうしたのちたか海上かいじょうかんでいたが、水線すいせんへの被弾ひだんによる浸水しんすいすすみ、2240ふんごろ航行こうこう不能ふのうとなった[66]べい駆逐くちくかんとみられるかん接近せっきんしたが反転はんてんし、交戦こうせんはなかった[50]救援きゅうえんかっていた初雪はつゆきとの交信こうしん成功せいこう[67][50]報告ほうこくした位置いちより西にしながされていたたか初雪はつゆき発見はっけんした[68]。すでに左舷さげんへの傾斜けいしゃはげしく、初雪はつゆきせっふなばた断念だんねんした[66][50]軍艦ぐんかんはたろしたのちたかかんから沈没ちんぼつした[59]沈没ちんぼつ時刻じこく10がつ12にち午前ごぜん028ふん沈没ちんぼつ地点ちてんサボとうの31022かいり[66]荒木あらき艦長かんちょうほか生存せいぞんしゃ初雪はつゆき[69]救助きゅうじょされたが、以降いこう空襲くうしゅう予想よそうされたため救助きゅうじょ活動かつどう午前ごぜん2られた[66][70]初雪はつゆきカッターボート2せきえんざい海上かいじょうのこして帰投きとうした[68][71]

たか救援きゅうえん日進にっしん輸送ゆそうたいからだい9駆逐くちくたいあさくもなつくもだい11駆逐くちくたいはくゆき [72]叢雲むらくもかったが、なつくも叢雲むらくも空襲くうしゅう沈没ちんぼつした[73][74]。10月16にち時点じてんでのたか乗員じょういん戦死せんししゃは33めいうち士官しかん2)、行方ゆくえ不明ふめいしゃは225めいうち士官しかん16)、救助きゅうじょ518めいうち士官しかん34)[59][75]で、生存せいぞんしゃ一部いちぶニュージーランド収容しゅうようしょべいぐん捕虜ほりょ尋問じんもんしょトレイシー」に移送いそうされた[76]。11月10にちたか除籍じょせきされた[2]同日どうじつだいろく戦隊せんたいかいたい[77][78]たか乗員じょういん青葉あおば乗艦じょうかんくれ帰投きとうした[79]。 11月14にちだいさんソロモン海戦かいせん衣笠きぬがさべい軍機ぐんき空襲くうしゅうけて沈没ちんぼつした。たかがた青葉あおばがたはソロモンかいで3かげつあいだに3せき喪失そうしつし、青葉あおば1せきとなった。

おおやけためし成績せいせき[編集へんしゅう]

状態じょうたい 排水はいすいりょう 出力しゅつりょく 速力そくりょく 実施じっし 実施じっし場所ばしょ 備考びこう
改装かいそう 10,630t 32.95kt 1939ねん昭和しょうわ14ねん)6がつ9にち 宿毛湾すくもわんそと標柱ひょうちゅうあいだ

発見はっけん[編集へんしゅう]

ポール・アレン創業そうぎょう調査ちょうさチームがほんかんサボとう沖合おきあい北西ほくせい水深すいしん1400m地点ちてん発見はっけんしたと発表はっぴょうした。どうチームは2019ねん2がつ25にち時点じてん発見はっけんしていたという[80]

エピソード[編集へんしゅう]

  • たかには1926(大正たいしょう14)ねん5がつ1にちから12月1にちまで高松宮たかまつのみや宣仁のぶひと親王しんのう乗艦じょうかんした[81]宣仁のぶひと親王しんのう後年こうねんたかでの生活せいかつなつかしんだ。高松宮たかまつのみや日記にっきによると、1927ねん昭和しょうわ2ねん)8がつ6にち戦艦せんかん比叡ひえい乗員じょういんとしてたかとき今日きょうはじめて「比叡ひえい」にくらす。(中略ちゅうりゃく)いやだいやだとうんつてじょうつけられたかんだから一層いっそういやだ。まえの「たか」がなつかしい』としる[82]、8がつ15にちたか再訪さいほうしたさいには『「たか」についであり、ひさりにく。山浦やまうらくん当直とうちょく駄目だめだつたが、かいへたのでうれ〔し〕かつた。瀬下せしも兵曹へいそう電路でんろをかいてもらつてかえる。とてもいゝ。「比叡ひえい」なんか駄目だめヽ』とのこした[83]。8月24にち美保関みほのせき事件じけん比叡ひえい乗艦じょうかんしていたが、博義ひろよしおうたか移乗いじょうしたといて『「たか」ならぼくかわりたいものだ』とうらやんだ[20]
  • 1939ねん11月15にちから1940ねん10がつ15にちまで、海軍かいぐん砲術ほうじゅつ学校がっこう教官きょうかんまゆずみ治夫はるお中佐ちゅうさたか副長ふくちょうつとめた[84][85]。このあいだ砲術ほうじゅつまゆずみ指導しどうしたことで、たか戦闘せんとう訓練くんれん抜群ばつぐん成績せいせきおさめたという[86]

歴代れきだい艦長かんちょう[編集へんしゅう]

※『艦長かんちょうたちの軍艦ぐんかん』87-89ぺーじ、『日本にっぽん海軍かいぐんだい9かんだい10かんの「将官しょうかん履歴りれき」にもとづく。

艤装ぎそういんちょう[編集へんしゅう]

  1. 塩沢しおざわ幸一こういち 大佐たいさ:1925ねん5がつ15にち[87] - 1926ねん3がつ31にち[88]

艦長かんちょう[編集へんしゅう]

  1. 塩沢しおざわ幸一こういち 大佐たいさ:1926ねん3がつ31にち[88] - 1926ねん12月1にち[89]
  2. 菊井きくい信義のぶよし 大佐たいさ:1926ねん12月1にち[89] - 1927ねん11月15にち[90]
  3. 有馬ありまひろし 大佐たいさ:1927ねん11月15にち[90] - 1928ねん12がつ10日とおか[91]
  4. 大西おおにし次郎じろう 大佐たいさ:1928ねん12がつ10日とおか[91] - 1929ねん11月30にち[92]
  5. 田尻たじり敏郎としお 大佐たいさ:1929ねん11月30にち[92] - 1930ねん12月1にち[93]
  6. 町田まちだ進一郎しんいちろう 大佐たいさ:1930ねん12月1にち[93] - 1931ねん12月1にち[94]
  7. 神山かみやまただし 大佐たいさ:1931ねん12月1にち[94] - 1932ねん12月1にち[95]
  8. 高山たかやま忠三ちゅうぞう 大佐たいさ:1932ねん12月1にち[95] - 1933ねん11月15にち[96]
  9. 斎藤さいとうろう 大佐たいさ:1933ねん11月15にち[96] - 1934ねん11月15にち[97]
  10. 角田つのださとし 大佐たいさ:1934ねん11月15にち[97] - 1935ねん11月15にち[98]
  11. 水野みずの準一じゅんいち 大佐たいさ:1935ねん11月15にち[98] - 1936ねん12月1にち[99]
  12. 大塚おおつかみき 大佐たいさ:1936ねん12月1にち[99] - 1937ねん12月1にち[100]
  13. 友成ともなり市郎いちろう 大佐たいさ:1937ねん12月1にち[100] - 1938ねん4がつ20日はつか[101]
  14. 岡村おかむら政夫まさお 大佐たいさ:1938ねん4がつ20日はつか[101] - 1938ねん12月15にち[102]
  15. 伊藤いとうこう 大佐たいさ:1938ねん12月15にち[102] - 1939ねん11月15にち[85]
  16. 白石しらいしよろずたかし 大佐たいさ:1939ねん11月15にち[85] - 1940ねん10がつ19にち[103]
  17. 中川なかがわひろし 大佐たいさ:1940ねん10がつ19にち[103] - 1941ねん11月28にち[104]
  18. 荒木あらきつたえ 大佐たいさ:1941ねん11月28にち[104] - 1942ねん11がつ10日とおか[105]

同型どうけいかん[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f #艦船かんせん要目ようもく公表こうひょう範囲はんい(昭和しょうわ12ねん12月1にち)p.3『たか|一等いっとう巡洋艦じゅんようかん|(かん要目ようもくりゃく)|三菱みつびし長崎造船所なかざきぞうせんじょ|大正たいしょう11-12-5|大正たいしょう14-2-25|大正たいしょう15-3-31|(かん装備そうびりゃく)』
  2. ^ a b #S1709鎮日(5)p.17『十日とおか〇〇〇八海軍大臣→十日とおかいちかく長官ちょうかん かく長官ちょうかん かく艦隊かんたい長官ちょうかん官房かんぼう機密きみつだいいち〇〇〇はちはちさんばんでん 十日とおかたかりゅう驤ヲ軍艦ぐんかんせきヨリじょカル』
  3. ^ 要目ようもくおも加古かこたか改装かいそうおおやけためし排水はいすいりょう機関きかん出力しゅつりょく速力そくりょく
  4. ^ #日本にっぽん軍艦ぐんかんしゅう2600年版ねんばんp.28『一等いっとう巡洋艦じゅんようかん たか(ふるたか) 基準きじゅん排水はいすいりょう7,100とんながさ176.78めーとるはば15.47めーとる平均へいきん吃水きっすい4.5めーとる速力そくりょく33せつ備砲びほう20せんちめーとるほう6もん、12せんちめーとる高角こうかくほう4もん魚雷ぎょらい發射はっしゃかん12もん
  5. ^ #艦艇かんてい類別るいべつ等級とうきゅう(昭和しょうわ16ねん12月31にち)p.2『軍艦ぐんかん|巡洋艦じゅんようかん|一等いっとう|たかがた|たか加古かこ
  6. ^ #幕末ばくまつ以降いこう帝国ていこく軍艦ぐんかん写真しゃしん史実しじつp.120『たか(ふるたか) かんしゅ一等いっとう巡洋艦じゅんようかん 加古かこ青葉あおば衣笠きぬがさ姉妹しまいかんなり。かんめいこう山名やまななり、安藝あきこく江田島えたじま古鷹山ふるたかやまる。かんれき所謂いわゆる8いんちほう巡洋艦じゅんようかんさきがけをなしたるかんなり。』
  7. ^ #ポケット海軍かいぐん年鑑ねんかん(1935)p.38、夕張ゆうばりこう排水はいすいりょうわずかに2,890とみ上記じょうきへいそうも而もそのことごとくが首尾しゅびせんじょう装備そうびされてゐるのみならず、14せんちめーとるほうかく2もんあて砲塔ほうとうしきすなわち2連装れんそう砲塔ほうとうとして備へて、速力そくりょくは5,000ひたぶるきゅうおなじ33せつである。まった素晴すばらしい進歩しんぽである。今後こんごはこれだと人々ひとびとおもはせたがたせるかな後年こうねんになつて計畫けいかくされたのがあの7,100とみ加古かこきゅうである。すなわちこのゆうちょう現在げんざい一等いっとう巡洋艦じゅんようかん完成かんせい手引てびきであつたともられるものである。』
  8. ^ #東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく総長そうちょう平賀ひらがゆずるp.2『…ことたか加古かこ青葉あおば衣笠きぬがさきゅう巡洋艦じゅんようかんノ如キハ世界せかい驚異きょういトシテ造船ぞうせん史上しじょういち時代じだいヲ劃セルモノニシテ昭和しょうわさんねん帝國ていこく學士がくしいん學士がくしいんしょう授與じゅよシテ其ノ功績こうせき表彰ひょうしょうセリ(以下いかりゃく)』
  9. ^ #たち大正たいしょう11ねん8がつp.8『いたるだいひゃくじゅういちごう 軍備ぐんび補充ほじゅうヲ以テ大正たいしょうじゅういち年度ねんどニ於テ建造けんぞう着手ちゃくしゅスヘキ一等いっとう巡洋艦じゅんようかんせきひだりつう命名めいめいセラル|大正たいしょうじゅういちねんはちがつじゅういちにち 海軍かいぐん大臣だいじん男爵だんしゃく加藤かとう友三郎ともさぶろう川崎かわさき造船ぞうせんしょニ於テ建造けんぞう 衣笠きぬがさキヌカサ|三菱みつびし長崎造船所なかざきぞうせんじょニ於テ建造けんぞう たかフルタカ』
  10. ^ 大正たいしょう14ねん2がつ26にち(木)もく海軍かいぐん公報こうほうだい3693ごう p.4」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C12070296600 『○軍艦ぐんかん進水しんすい 長崎ながさき三菱みつびし造船ぞうせんニ於テ建造けんぞう軍艦ぐんかんたかがつじゅうにち午前ごぜんじゅう進水しんすいセリ』
  11. ^ a b c d e #ハンディばん艦艇かんてい写真しゃしんしゅう11p.42(じゅう巡洋艦じゅんようかんたか行動こうどう年表ねんぴょう)
  12. ^ #艦船かんせん要目ようもく公表こうひょう範囲はんい(昭和しょうわ12ねん12月1にち)p.3『加古かこ|一等いっとう巡洋艦じゅんようかん|(かん要目ようもくりゃく)|神戸こうべ川崎かわさき造船ぞうせんしょ|大正たいしょう11-11-17|大正たいしょう14-4-10|大正たいしょう15-7-20|(かん装備そうびりゃく)』
  13. ^ #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく(まき8、1940)p.64『◎艦艇かんてい類別るいべつ等級とうきゅう 大正たいしょうじゅうねんじゅういちがつじゅうきゅうにち(うちれいさんはち)艦艇かんてい類別るいべつ等級とうきゅうべつひょうつうていム(別表べっぴょう) 艦艇かんてい類別るいべつ等級とうきゅう軍艦ぐんかん|巡洋艦じゅんようかん|一等いっとう|たかがた|たか加古かこ
  14. ^ #ポケット海軍かいぐん年鑑ねんかん(1935)p.28、加古かここう『このかたおいしんらしくられる前部ぜんぶ甲板かんぱん彎曲わんきょくしてゐるのは高速こうそく航行こうこうさいして前方ぜんぽう3砲塔ほうとうおよ艦橋かんきょう(ブリツヂ)が飛沫しぶきおかされるのをふせぐためである。また後部こうぶ甲板かんぱん全部ぜんぶ反對はんたいしもつてゐるのはこの不要ふよう部分ぶぶんいてこれを武装ぶそうほう振當ふりあてた苦心くしんあと物語ものがたるもの。なおこのかたこう檣のした飛行機ひこうき格納庫かくのうこゆうしてゐる。こう檣にふくふて飛行機ひこうきあげ収用しゅうようの"デリツクderrick"がえるであらう。』
  15. ^ a b #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく(まき4、1939)p.41『大正たいしょういち.いち.いち(うちれいよんろく)|聯合れんごう艦隊かんたい|だい艦隊かんたい|だいよん戰隊せんたい きむつよし 比叡ひえい/だい戰隊せんたい 加古かこ たか 神通じんずう 那珂なか(りゃく)大正たいしょうじゅうねん(りゃく)だい艦隊かんたい よん.いち(うちれいはちいち)たか(せん)』
  16. ^ #宣仁のぶひと親王しんのう殿下でんか発着はっちゃくけんp.13
  17. ^ #青葉あおば進水しんすいしき儀礼ぎれいp.7『附圖ふず
  18. ^ #神通じんずうわらび那珂なかあし衝突しょうとつ報告ほうこく(1)p.12『当時とうじ遭難そうなん附近ふきんざいリテ極力きょくりょく短艇たんていとうヲ以テ救難きゅうなん従事じゅうじシツツアリシ艦艇かんていひだりノ如シ 伊勢いせ加古かこたか鬼怒きぬ阿武隈あぶくま由良ゆら龍田たつただいじゅうろくだいじゅうなな駆逐くちくたい
  19. ^ #神通じんずうわらび那珂なかあし衝突しょうとつ報告ほうこく(1)p.13『那珂なかハ25にち午前ごぜん240ふん防水ぼうすい区画くかく補強ほきょう工事こうじ防水ぼうすいかた終了しゅうりょう自力じりき航行こうこうささえナキヲかくメタルむね報告ほうこくせっ比叡ひえい及古たか護衛ごえい舞鶴まいづる回航かいこうセシム25にち午後ごご5無事ぶじ到着とうちゃくセリ』
  20. ^ a b #高松宮たかまつのみや日記にっき1かん274ぺーじきゅうがつよんにち 日曜にちよう はれ(りゃく)博義ひろよしおう「なか」より戦隊せんたい司令しれいで「たか」へのらる』
  21. ^ #海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく(まき4、1939)pp.41-42『昭和しょうわ.いち.いち(うちれいさんはちよん)|聯合れんごう艦隊かんたい|だい艦隊かんたい|だいよん戰隊せんたい きむつよし 比叡ひえい/だい戰隊せんたい 加古かこ たか 衣笠きぬがさ 青葉あおば
  22. ^ #だい2艦隊かんたい地方ちほう饗宴きょうえんp.4『(たまもの饌艦)衣笠きぬがさ|(参集さんしゅうかん/たい)戰隊せんたい司令しれい 衣笠きぬがさ青葉あおば加古かこたか(以下いかりゃく)』
  23. ^ #衣笠きぬがさ青葉あおばつい衝p.2『いち.事件じけん生起せいき前後ぜんこう状況じょうきょう 奄美あまみ群島ぐんとう東方とうほう海面かいめんニ於テ昭和しょうわじゅういちねんはちがつじゅうよんにち〇〇〇〇聯合れんごう艦隊かんたいだいよんかい基本きほん演習えんしゅう對敵たいてき行動こうどう中止ちゅうしれい青葉あおば衣笠きぬがさたか順番じゅんばんごうたん縦陣じゅうじんはん速力そくりょく燈火ともしび警戒けいかい管制かんせいニテおつぐんじゅうよんいちよんさん集合しゅうごうてん(はちいちきたいちさんよんさんひがし)ニこう航行こうこう中本なかもとかんくびヲ以テ青葉あおばかんつい衝セリ(以下いかりゃく)』
  24. ^ #海軍かいぐんさんとう士官しかん85ぺーじ
  25. ^ #日本にっぽん巡洋艦じゅんようかん物語ものがたり
  26. ^ #ハンディばん艦艇かんてい写真しゃしんしゅう11p.26(昭和しょうわ15ねん5がつ2にち寫眞しゃしん)
  27. ^ 昭和しょうわ16ねん9がつ15にち(発令はつれい9がつ15にちづけ)海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう(部内ぶないげん)だい713ごう pp.26-27」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072082100 
  28. ^ 戦史せんし叢書そうしょだい38かん 中部ちゅうぶ太平洋たいへいよう方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん<1>昭和しょうわじゅうななねんがつまで、123、235、265ページ
  29. ^ 戦史せんし叢書そうしょだい38かん 中部ちゅうぶ太平洋たいへいよう方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん<1>昭和しょうわじゅうななねんがつまで、265ページ
  30. ^ 戦史せんし叢書そうしょだい38かん 中部ちゅうぶ太平洋たいへいよう方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん<1>昭和しょうわじゅうななねんがつまで、265-266ページ
  31. ^ 戦史せんし叢書そうしょだい38かん 中部ちゅうぶ太平洋たいへいよう方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん<1>昭和しょうわじゅうななねんがつまで、178ページ
  32. ^ 戦史せんし叢書そうしょだい38かん 中部ちゅうぶ太平洋たいへいよう方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん<1>昭和しょうわじゅうななねんがつまで、191ページ
  33. ^ 戦史せんし叢書そうしょだい38かん 中部ちゅうぶ太平洋たいへいよう方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん<1>昭和しょうわじゅうななねんがつまで、200-201ページ
  34. ^ 戦史せんし叢書そうしょだい38かん 中部ちゅうぶ太平洋たいへいよう方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん<1>昭和しょうわじゅうななねんがつまで、210ページ
  35. ^ 戦史せんし叢書そうしょだい38かん 中部ちゅうぶ太平洋たいへいよう方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん<1>昭和しょうわじゅうななねんがつまで、213ページ
  36. ^ 戦史せんし叢書そうしょだい38かん 中部ちゅうぶ太平洋たいへいよう方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん<1>昭和しょうわじゅうななねんがつまで、227ページ
  37. ^ #あかつき珊瑚さんごうみ(文庫ぶんこ)221-222ぺーじ
  38. ^ #叢書そうしょ49南東なんとう方面ほうめん298ぺーじ
  39. ^ #叢書そうしょ49南東なんとう方面ほうめん305ぺーじ
  40. ^ #あかつき珊瑚さんごうみ(文庫ぶんこ)382-383ぺーじ
  41. ^ #叢書そうしょ49南東なんとう方面ほうめん314ぺーじ
  42. ^ #叢書そうしょ49南東なんとう方面ほうめん318ぺーじ
  43. ^ #叢書そうしょ49南東なんとう方面ほうめん480ぺーじ
  44. ^ #叢書そうしょ49南東なんとう方面ほうめん488ぺーじ
  45. ^ a b #叢書そうしょ49南東なんとう方面ほうめん493ぺーじげと加古かこ沈没ちんぼつ
  46. ^ #生出おいでまゆずみ73-74ぺーじ
  47. ^ #てつそこ海峡かいきょう186-188ぺーじ
  48. ^ #てつそこ海峡かいきょう202-203ぺーじ
  49. ^ a b #叢書そうしょ49南東なんとう方面ほうめん584-586ぺーじそと南洋なんよう部隊ぶたい作戦さくせん
  50. ^ a b c d e #なみ濤流くも青春せいしゅん394-396ぺーじ
  51. ^ #叢書そうしょ83ガとうせん23-24ぺーじそと南洋なんよう部隊ぶたい増援ぞうえん輸送ゆそう計画けいかく
  52. ^ #せんろく(1968)202-203ぺーじじゅうがつじゅうにち月曜日げつようび はれ サボとうおき海戦かいせん。ガとう飛行場ひこうじょうたいじゅんせんもってする夜間やかん主砲しゅほう砲撃ほうげき
  53. ^ #S1612ろく戦隊せんたい日誌にっし(6)p.37『てき「ガダルカナル」飛行場ひこうじょう及其ノ周辺しゅうへんたいスル制圧せいあつ射撃しゃげき目的もくてきヲ以テ支援しえんたい(だい六戦隊及吹雪初雪)ハ10がつ11にち1200「ショートランド」出撃しゅつげき…』
  54. ^ #せんろく(1968)202ぺーじじゅうがつじゅういちにち 日曜日にちようび はれ 艦隊かんたいトラック出撃しゅつげき
  55. ^ #S1612ろく戦隊せんたい日誌にっし(6)pp.34-35『ニ於テかんほうヲ以テスル「ガダルカナル」飛行ひこう基地きち砲撃ほうげき制圧せいあつ議案ぎあんセラレ10がつ13にちだいさん戦隊せんたい射撃しゃげき実施じっし予定よていトナリタルヲ以テソノぜんさきとうたいヲ以テ砲撃ほうげき実施じっしスベク発令はつれいセラレタリ、そくチ10がつ11にちだいろく戦隊せんたい、13にちだいさん戦隊せんたい、14にち鳥海とりうみ及第きゅうだいろく戦隊せんたい砲撃ほうげき実施じっし(尓後15にちだい戦隊せんたいだい水雷すいらい戦隊せんたい砲撃ほうげき発令はつれいアリ)ノ予定よていトナレリ』
  56. ^ #叢書そうしょ83ガとうせん188-189ぺーじ(白雲しらくもしろゆき誤記ごき)』
  57. ^ #叢書そうしょ83ガとうせん192-193ぺーじ出撃しゅつげき情勢じょうせい判断はんだん
  58. ^ #S1612ろく戦隊せんたい日誌にっし(6)pp.35-36『情況じょうきょう判断はんだんトシテハてき水上すいじょう部隊ぶたいハ「ルンガ」附近ふきんにゅうはく補給ほきゅう増強ぞうきょうためシアルモ夜間やかんとおひがし南方なんぽうヘ避退スルカまたハ「ツラギ」港内こうないふかク遁入シ僅カニ魚雷ぎょらいていすうせきヲ以テわが増援ぞうえん部隊ぶたいたい一部いちぶ反撃はんげき企図きとシアルニギザル情況じょうきょうナリシヲ以テとうたいノ「ガダルカナル」基地きち砲撃ほうげきたいシテモてき大兵だいひょう力水ちからみず上部じょうぶたいヲ以テスル反撃はんげきとうハ殆ド機会きかいナキモノト判断はんだんシアリ。當日とうじつ昼間ひるまわが索敵さくてき偵察ていさつ夜間やかんわが増援ぞうえん部隊ぶたい(だいろく戦隊せんたいヨリ僅カさんあいだ以前いぜん「サボ」しま附近ふきん通過つうかシ「タサハロング」ニにゅうとまりセリ)とう敵情てきじょう通報つうほうニ於テ何等なんら敵情てきじょうザリシヲ以テとく警戒けいかいいむためシアリキ』
  59. ^ a b c d e #せんろく(1968)208-210ぺーじじゅうがつじゅうろくにち金曜日きんようび くもり サボとうおき夜戦やせん青葉あおばたか實戦じっせん失敗談しっぱいだん。』
  60. ^ #ニミッツの太平洋たいへいよう海戦かいせん126-127ぺーじ
  61. ^ #S1612ろく戦隊せんたい日誌にっし(6)p.39『はつたま旗艦きかん艦橋かんきょう命中めいちゅう司令しれいかん以下いか幹部かんぶ多数たすう死傷ししょう艦橋かんきょう各部かくぶあいだ通信つうしん装置そうち破壊はかい同時どうじ支援しえんたいない無線むせん電話でんわそと通信つうしん連絡れんらく不能ふのうトナレリ…』
  62. ^ a b c #叢書そうしょ83ガとうせん194ぺーじ
  63. ^ #S1612ろく戦隊せんたい日誌にっし(6)p.39『(青葉あおば)さらみぎ変針へんしん針路しんろ270最大さいだいせんそくれいひだり砲戦ほうせんひだり魚雷ぎょらいせんイデみぎ砲戦ほうせん実施じっし2150煙幕えんまく展開てんかい避弾運動うんどうくだり針路しんろ300ためセリ』
  64. ^ #S1612ろく戦隊せんたい日誌にっし(6)p.39『たかハ2146.5前面ぜんめんニ10せきあまり発砲はっぽうみとめムルヤちょく取舵とりかじ戦闘せんとう魚雷ぎょらいせんみぎ砲戦ほうせんれい(高角こうかくほうノミいち斉射せいしゃ)主砲しゅほう旋回せんかいりょう発砲はっぽうセザルちゅう青葉あおば面舵おもかじ変針へんしんてきだん集中しゅうちゅうシテ火災かさいおこり危急ききゅう情況じょうきょうナリシヲ以テちょく取舵とりかじもど面舵おもかじいちはいニテ青葉あおば続行ぞっこうひだり砲戦ほうせんトナセリ…』
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参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

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  • [歴史れきしぐんぞう]編集へんしゅう歴史れきしぐんぞう太平洋たいへいよう戦史せんしシリーズVol.44 じゅうめぐたか青葉あおばがた学習研究社がくしゅうけんきゅうしゃ、2005ねんISBN 4-05-603323-4
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    • Ref.C04015099300『2とう巡洋艦じゅんようかん1せき製造せいぞうけん』。 
    • Ref.C04015101100『1とう巡洋艦じゅんようかん加古かこ進水しんすい次第しだいしょけん』。 
    • Ref.C11080338400『外国がいこくだい公使館こうしかん海軍かいぐん武官ぶかん往復おうふく文書ぶんしょ(えいべいふつ西にしはんきばざつ)大正たいしょう10ねん/大正たいしょう10ねん5がつ20日新にっしんかん起工きこう予定よてい及同造船ぞうせんしょめいけん』。 
    • Ref.C11080359700『だい公使館こうしかん海軍かいぐん武官ぶかん往復おうふく文書ぶんしょ(米国べいこくふつこく))大正たいしょう11ねん/大正たいしょう11ねん10がつ12にちだい3451ごう わが海軍かいぐんけいじゅんかんする問合といあわせのけん』。 
    • Ref.C04015099500『1とう巡洋艦じゅんようかん工事こうじ予定よてい概括がいかつひょうけん』。 
    • Ref.C04015100600『軍艦ぐんかん進水しんすいけん』。 
    • Ref.C04015102300『軍艦ぐんかんたか艤装ぎそう任務にんむ報告ほうこく(1)』。 
    • Ref.C04015102400『軍艦ぐんかんたか艤装ぎそう任務にんむ報告ほうこく(2)』。 
    • Ref.C04015462000『帝国ていこく新造しんぞう巡洋艦じゅんようかんたかかん新聞しんぶん紙上しじょうげんはれたるえいべい専門せんもん批評ひひょう報告ほうこくけん』。 
    • Ref.C04015780800『観艦式かんかんしきじょう計画けいかく要領ようりょうけん』。 
    • Ref.C04015073900『宣仁のぶひと親王しんのう殿下でんか発着はっちゃくけん』。 
    • Ref.C04015074100『青葉あおば進水しんすいしきける儀礼ぎれいかんするけん』。 
    • Ref.C04015668100『神通じんずう.わらび.那珂なか あし衝突しょうとつ事件じけん報告ほうこく(1)』。 
    • Ref.C04016103200『だい2艦隊かんたい地方ちほう饗宴きょうえん状況じょうきょう』。 
    • Ref.C05035389100『衣笠きぬがさ機密きみつだい62ごう 11.8.14軍艦ぐんかん衣笠きぬがさ青葉あおばつい報告ほうこく』。 
    • Ref.C11080470500『だい1411ごう 昭和しょうわ3ねん12がつ20日はつか 昭和しょうわ4年度ねんど艦船かんせん役務えきむ予定よていひょうけん』。 
    • Ref.C11080482500『だい1406ごう 昭和しょうわ4ねん12月11にち 昭和しょうわ5年度ねんど艦船かんせん役務えきむ予定よていひょう送付そうふけん』。 
    • Ref.C05021175900『官房かんぼう機密きみつ だい1310ごう 14.12.15昭和しょうわ6ねん(教育きょういく)年度ねんど艦船かんせん役務えきむ予定よていけん』。 
    • Ref.C11080545400『昭和しょうわ6ねん12月7にち 昭和しょうわ7年度ねんど艦船かんせん役務えきむ予定よていひょう送付そうふけん』。 
    • Ref.C11080575700『昭和しょうわ10ねん11月14にち 昭和しょうわ11年度ねんど帝国ていこく艦船かんせん役務えきむ予定よていひょう送付そうふけん(各国かっこく武官ぶかんあて)』。 
    • Ref.C11080597400『だい5578ごう 昭和しょうわ11ねん12月9にち 昭和しょうわ12(教育きょういく)年度ねんど帝国ていこく艦船かんせん役務えきむ予定よていひょう送付そうふけん』。 
    • Ref.C13071974300『昭和しょうわ12ねん12月1にち現在げんざい10はんないれい提要ていよう追録ついろくだい3ごう原稿げんこう/ まき1追録ついろく/だい6るい機密きみつ保護ほご』。 
    • Ref.C13072003500『昭和しょうわ16ねん12月31にち現在げんざい10はんないれい提要ていよう追録ついろくだい10ごう原稿げんこう2.3』。 
    • Ref.C08051772000『昭和しょうわ16ねん昭和しょうわ20ねん戦隊せんたいすいせん輸送ゆそう戦隊せんたい行動こうどう調書ちょうしょ』。 
    • Ref.C08030045300『昭和しょうわ16ねん12月1にち昭和しょうわ17ねん10がつ12にち だい6戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう(1)』。 
    • Ref.C08030045400『昭和しょうわ16ねん12月1にち昭和しょうわ17ねん10がつ12にち だい6戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう(2)』。 
    • Ref.C08030045500『昭和しょうわ16ねん12月1にち昭和しょうわ17ねん10がつ12にち だい6戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう(3)』。 
    • Ref.C08030045600『昭和しょうわ16ねん12月1にち昭和しょうわ17ねん10がつ12にち だい6戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう(4)』。 
    • Ref.C08030045700『昭和しょうわ16ねん12月1にち昭和しょうわ17ねん10がつ12にち だい6戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう(5)』。 
    • Ref.C08030045800『昭和しょうわ16ねん12月1にち昭和しょうわ17ねん10がつ12にち だい6戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう(6)』。 
    • Ref.C08030727700『昭和しょうわ17ねん5がつ8にちだい7駆逐くちくたい戦闘せんとう詳報しょうほう珊瑚さんごうみ海戦かいせん』。 
    • Ref.C08030571200『昭和しょうわ17ねん6がつ1にち昭和しょうわ17ねん6がつ30にち 軍艦ぐんかん加古かこ戦時せんじ日誌にっし(1)』。 
    • Ref.C08030571300『昭和しょうわ17ねん6がつ1にち昭和しょうわ17ねん6がつ30にち 軍艦ぐんかん加古かこ戦時せんじ日誌にっし(2)』。 
    • Ref.C08030571400『昭和しょうわ17ねん7がつ1にち昭和しょうわ17ねん7がつ31にち 軍艦ぐんかん加古かこ戦時せんじ日誌にっし』。 
    • Ref.C08030571500『昭和しょうわ17ねん8がつ7にち昭和しょうわ17ねん8がつ10日とおか 軍艦ぐんかん加古かこ戦闘せんとう詳報しょうほう』。 
    • Ref.C08030748100『昭和しょうわ17ねん8がつ8にち 軍艦ぐんかん加古かこ戦闘せんとうがいほう(ソロモン海域かいいき6S戦闘せんとう経過けいか)』。 
    • Ref.C08030586700『昭和しょうわ17ねん9がつ11にち昭和しょうわ18ねん7がつ22にち 軍艦ぐんかん日進にっしん戦闘せんとう詳報しょうほう(1)』。 
    • Ref.C08030586800『昭和しょうわ17ねん9がつ11にち昭和しょうわ18ねん7がつ22にち 軍艦ぐんかん日進にっしん戦闘せんとう詳報しょうほう(2)』。 
    • Ref.C08030113900『昭和しょうわ17ねん10がつ1にち昭和しょうわ17ねん10がつ31にち だい4水雷すいらい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし(2)』。 
    • Ref.C08030114000『昭和しょうわ17ねん10がつ1にち昭和しょうわ17ねん10がつ31にち だい4水雷すいらい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし(3)』。 
    • Ref.C08030325500『昭和しょうわ17ねん9がつ1にち昭和しょうわ17ねん12月31にち 鎮守ちんじゅ戦時せんじ日誌にっし(1)』。 
    • Ref.C08030325900『昭和しょうわ17ねん9がつ1にち昭和しょうわ17ねん12月31にち 鎮守ちんじゅ戦時せんじ日誌にっし(5)』。 
    • Ref.C08050116900『艦船かんせんかんよわい線表せんぴょう 昭和しょうわ17ねん8がつ』。 
    • Ref.C12070064400『大正たいしょう1ねんたちかん/たち大正たいしょう1ねん8がつ』。 
    • Ref.C12070078400『大正たいしょう10ねん たちかん/たち大正たいしょう10ねん3がつ』。 
    • Ref.C12070078900『大正たいしょう10ねん たちかん/たち大正たいしょう10ねん6がつ』。 
    • Ref.C12070080800『大正たいしょう11ねん たちかん/たち大正たいしょう11ねん8がつ』。 
    • Ref.C12070081000『大正たいしょう11ねん たちかん/たち大正たいしょう11ねん10がつ』。 
    • Ref.C12070082500『大正たいしょう12ねん たちかん/たち大正たいしょう12ねん9がつ』。 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

  1. ^ 昭和しょうわ17ねん11がつ20日はつか(発令はつれい11がつ10にちづけ)海軍かいぐん辞令じれい公報こうほう(部内ぶないげん)だい993ごう p.6」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C13072088300