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ラングレー (CV-1)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
USS Langley (CV-1)
かんれき
  ジュピター ラングレー
発注はっちゅう 不明ふめい 1919ねん7がつ11にち
起工きこう/ 改修かいしゅう 1911ねん10月18にち
進水しんすい/ 改名かいめい 1912ねん8がつ14にち 1920ねん4がつ11にち
就役しゅうえき 1913ねん4がつ7にち 1922ねん3がつ20日はつか[1]
退役たいえき/ 喪失そうしつ 1920ねん3月24にち 1942ねん2がつ27にち[1]
その 空母くうぼ改修かいしゅう 日本にっぽんぐん破壊はかいされ
自沈じちん処分しょぶん[2]
性能せいのうしょもと
排水はいすいりょう 19,360 トン 11,500(基準きじゅん[1]/15,150(満載まんさい) トン[3]
全長ぜんちょう 542ft(165.2m) 542ft(165.3m[1])
全幅ぜんぷく 65ft(19.81m) 65ft(19.81m)
吃水きっすい 27ft8in(8.43m) 18ft11in(5.76m)
最大さいだいそく 15 ノット[1] 15.5 ノット[4]
乗員じょういん 士官しかん兵員へいいん163めい 士官しかん兵員へいいん468めい
へいそう 4インチほう4 5インチほう4
搭載とうさい やく30
つぎきゅう レキシントンきゅう

ラングレー (英語えいご: USS Langley, CV-1/AV-3) は[5]アメリカ海軍かいぐん保有ほゆうした最初さいしょ航空こうくう母艦ぼかん[6][7]就役しゅうえきプロテウスきゅうきゅうすみかんジュピター (英語えいご: USS Jupiter, AC-3) であった[8][注釈ちゅうしゃく 1]。 1920ねん大正たいしょう9ねん)3がつから航空こうくう母艦ぼかん改造かいぞうされ、1922ねん大正たいしょう11ねん)3がつさい就役しゅうえきした[10][注釈ちゅうしゃく 2]かんめいサミュエル・ラングレー博士はかせにちなむ[12]最大さいだい速力そくりょく15ノット程度ていどほんかん低速ていそくのため戦艦せんかん巡洋艦じゅんようかん艦隊かんたい行動こうどう追従ついしょうできず、たんかんでの行動こうどうや、練習れんしゅう空母くうぼとしてもちいられた。[13][注釈ちゅうしゃく 3]

旧式きゅうしきしん世代せだい空母くうぼ就役しゅうえきにより空母くうぼとしての役目やくめえ、飛行ひこう甲板かんぱん前方ぜんぽう部分ぶぶん撤去てっきょ[15]、1937ねん昭和しょうわ12ねん初頭しょとうから水上すいじょう母艦ぼかんとして活動かつどうした[16][注釈ちゅうしゃく 4]。またかん後部こうぶのこった飛行ひこう甲板かんぱん活用かつようし、航空機こうくうき輸送ゆそうかんとしても運用うんようされた[18]太平洋戦争たいへいようせんそう開戦かいせんアジア艦隊かんたい所属しょぞくしており[19]日本にっぽんぐん比島ひじま侵攻しんこうけて僚艦りょうかんともフィリピンからオーストラリア脱出だっしゅつした[20]らんしるし作戦さくせんにともないP-40戦闘せんとう輸送ゆそう任務にんむのためジャワ島じゃわとうにむけインド洋いんどよう北上ほくじょうちゅう、1942ねん昭和しょうわ17ねん2がつ27にち同島どうとうチラチャップ英語えいごばん南方なんぽう一式いっしき陸上りくじょう攻撃こうげきばくげきけて大破たいは[1]随伴ずいはん駆逐くちくかん雷撃らいげき処分しょぶんされた[21]

きゅうずみかん

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きゅうずみかんジュピター。

ジュピターはカリフォルニアしゅうヴァレーオメア・アイランド海軍かいぐん造船ぞうせんしょ建造けんぞうされた[22]。 1911ねん10がつ18にち起工きこう。1912ねん8がつ14にち進水しんすいしてトーマス・F・ルウム夫人ふじんにより命名めいめいされ、1913ねん4がつ7にち初代しょだい艦長かんちょうジョーゼフ・M・リーヴスの指揮しき就役しゅうえきした。

試験しけん航海こうかい、アメリカ海軍かいぐんはつ電気でんき推進すいしんせん[23]であるジュピターはカリフォルニアしゅうサンフランシスコ海兵かいへいたい分隊ぶんたい乗艦じょうかんさせ、ベラクルス危機きき緊張きんちょうした時期じきの1914ねん4がつ27にちに、メキシコシナロアしゅうマサトランで太平洋艦隊たいへいようかんたい報告ほうこくおこなった。ジュピターは太平洋たいへいようがんまり、10がつ10日とおかペンシルベニアしゅうフィラデルフィアけて出航しゅっこうした。途中とちゅうコロンブス・デーパナマ運河うんが記念きねん汽笛きてきげる。ジュピターは西にしからひがしへパナマ運河うんが通過つうかした最初さいしょかんであった。

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくだいいち世界せかい大戦たいせんへの参戦さんせん先立さきだって、ジュピターは大西洋たいせいよう艦隊かんたい遠洋えんよう部隊ぶたい所属しょぞく大西おおにしひろしおよびメキシコわん巡航じゅんこうした。1917ねん4がつ6にちバージニアしゅうノーフォーク到着とうちゃくし、海軍かいぐん海外かいがい輸送ゆそう部隊ぶたい (Naval Overseas Transport Service, NOTS) に配属はいぞくされる。どう17ねん6がつおよび1918ねん11月にフランスへの貨物かもつ輸送ゆそうおこない、そのあいだきゅうすみ任務にんむ中断ちゅうだんされた。1919ねん1がつ23にちにノーフォークに帰還きかんし、その3がつ8にちにフランスのブレストかいヨーロッパ水域すいいききゅうずみ任務にんむ従事じゅうじする。8月17にちにノーフォークに帰還きかんし、西海岸にしかいがん移動いどう空母くうぼへの改装かいそう同年どうねん7がつ11にち承認しょうにんされた。12月12にちハンプトン・ローズ移動いどうし、1920ねん3がつ24にち退役たいえき

空母くうぼ

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1910ねん明治めいじ43ねん)11月14にち、アメリカ海軍かいぐんチェスターきゅうけい巡洋艦じゅんようかんバーミンガム (USS Birmingham, CL-2) に仮設かせつ飛行ひこう甲板かんぱん設置せっちし、ユージン・バートン・イーリー操縦そうじゅうするカーチス モデルDにより、はつかん成功せいこうした[24][25]翌年よくねん1がつ18にちには、装甲そうこう巡洋艦じゅんようかんペンシルベニア (USS Pennsylvania, ACR-4) 後部こうぶ飛行ひこう甲板かんぱん設置せっちし、発着はっちゃくかんにも成功せいこうした[26][注釈ちゅうしゃく 5]。 こののち、アメリカ海軍かいぐんはたびたび実験じっけんをおこなったが、当時とうじ航空機こうくうき洋上ようじょう安定あんていてき運用うんようするのは無理むりという結論けつろんになり、艦艇かんていへの搭載とうさい見送みおくられた[27]。1914ねん大正たいしょう3ねん)4がつ以降いこう水上すいじょう搭載とうさいした巡洋艦じゅんようかん出現しゅつげんしたが、これらは「飛行ひこう甲板かんぱん」をった空母くうぼではない[27]

こののち勃発ぼっぱつしただいいち世界せかい大戦たいせんでは、航空機こうくうき劇的げきてき進化しんかげた[28]。 イギリス海軍かいぐん大型おおがたけい巡洋艦じゅんようかん改造かいぞう[16][29]1917ねん大正たいしょう6ねん)3がつフューリアス (HMS Furious, 47) を完成かんせいさせた[30]。つづいて大型おおがた貨客船かきゃくせん改造かいぞう[31]1918ねん大正たいしょう7ねん)9がつ空母くうぼアーガス (HMS Argus, I49) をおく[32][33]。アーガスに刺激しげきされるように、列強れっきょう各国かっこく航空こうくう母艦ぼかん建造けんぞうしている[34][注釈ちゅうしゃく 6]。 アメリカ海軍かいぐんもイギリス海軍かいぐんから技術ぎじゅつ提供ていきょうをうけ、航空こうくう母艦ぼかん構想こうそう具体ぐたいしてゆく[38]。イギリス造船ぞうせんかん提案ていあんした初期しょき空母くうぼあんは「たいかんようの6インチほう魚雷ぎょらい発射はっしゃかん対空たいくうへいそうとして4インチ高角こうかくほう4もん速力そくりょく30-35ノットの速度そくど性能せいのうけい巡洋艦じゅんようかん程度ていど防御ぼうぎょりょく」であった[39]。つづいて全長ぜんちょう250m、排水はいすいりょう2まん4000トン~3まんトンきゅう大型おおがた空母くうぼ構想こうそうをすすめるが、予算よさん不足ふそく大型おおがたかん建造けんぞう可能かのう造船ぞうせんしょ問題もんだいからんで棚上たなあげされた[39]。とりあえず既存きそんかん航空こうくう母艦ぼかん改造かいぞうして艦隊かんたい配備はいびすることになり、1919ねん大正たいしょう8ねん)6がつきゅうずみかんジュピターの改造かいぞう決定けっていした[40]

ジュピターは海上かいじょう航空機こうくうき運用うんようするというあらたなかんがえの実験じっけんのため、1920ねん大正たいしょう9ねんノーフォーク海軍かいぐん工廠こうしょうでアメリカ海軍かいぐんはつ航空こうくう母艦ぼかん改装かいそうされた[41]上部じょうぶ構造こうぞうぶつ撤去てっきょし、りょうふなばたにまたがる支柱しちゅうをもうけ、そのうえ船体せんたい全長ぜんちょうにわたる飛行ひこう甲板かんぱん設置せっちした[42]。ラングレーの飛行ひこう甲板かんぱん長方形ちょうほうけい全長ぜんちょう159.4m×はば19.8m)であり[43]ぜんはし後端こうたん船体せんたいからはみしている[7][44]。このてんで、船体せんたいうえ甲板かんぱん平面へいめん形状けいじょう飛行ひこう甲板かんぱん形状けいじょう一致いっちしていたアーガスとことなっていた[45]。 ラングレーはさい就役しゅうえきより、飛行ひこう甲板かんぱん両側りょうがわにカタパルトを装備そうびしていた[46]。これは水上すいじょう射出しゃしゅつようのAMk-Iがた(のちにIIIがた更新こうしん)で[47]、1928ねん昭和しょうわ3ねん)に撤去てっきょされた[48]無線むせんようマストは、飛行ひこう甲板かんぱん中央ちゅうおうおこりたおせしきのものを装備そうびしていた[39]ちゃくかん制動せいどう装置そうちはイギリスから輸入ゆにゅうしたたてさくしきであったが[48]ちゃくかん事故じこ多発たはつして1929ねん昭和しょうわ14ねん)によこさくしきあらためられた[49][注釈ちゅうしゃく 7]水上すいじょうかんとの交戦こうせん想定そうていし、空母くうぼ改造かいぞうのアメリカ海軍かいぐん戦艦せんかん標準ひょうじゅんてき装備そうびしていた5インチ51口径こうけいほうを4もん搭載とうさいしたが、実用じつようてきでないため撤去てっきょされた[50]

また昇降しょうこうしき艦橋かんきょうだったアーガスにたい[51]、ラングレーは飛行ひこう甲板かんぱん船体せんたい前方ぜんぽう隙間すきま艦橋かんきょうもうけている[52]。これはきゅうずみかん時代じだい艦橋かんきょうをそのまま使用しようしたのである[1][39]日本にっぽん海軍かいぐんけい空母くうぼ同様どうようの、いわゆるフラッシュデッキ[53]全通ぜんつうしきひら甲板かんぱん)であった[54]が、傾斜けいしゃがかかっており、のち格納庫かくのうこ甲板かんぱん転用てんようされたさいには問題もんだいになった[1]

6ヵ所かしょあった石炭せきたんそうのうち4つが航空機こうくうき格納庫かくのうこ転用てんようされ、飛行ひこう甲板かんぱん中央ちゅうおうにエレベーターがもうけられた[55][注釈ちゅうしゃく 8]格納庫かくのうこから飛行ひこう甲板かんぱん飛行機ひこうき移動いどうするためには、飛行ひこう甲板かんぱん下部かぶのクレーンでエレベーターの区画くかくまではこび、そこから飛行ひこう甲板かんぱんにエレベーターでげる[43]。エレベーターはきゅうずみかん時代じだいのものを転用てんようし、たて13.7m×はば11m、最大さいだい運用うんよう可能かのう荷重かじゅう4.5トンであった[43]格納庫かくのうこ開口かいこうに、水上すいじょう偵察ていさつあげ収用しゅうようのクレーン2設置せっちされている[48]。 フラッシュデッキがた空母くうぼながら密閉みっぺいしき格納庫かくのうこだったどう世代せだい小型こがた空母くうぼおおとりしょうことなり、ラングレーはいわゆる「開放かいほうしき格納庫かくのうこ」であった[57][注釈ちゅうしゃく 9]搭載とうさいやく30であったという[注釈ちゅうしゃく 10]。48という資料しりょうもある[60]

排煙はいえん処理しょり方式ほうしき煙突えんとつ形状けいじょうは、竣工しゅんこうからいく改良かいりょうされた[61]竣工しゅんこう船体せんたい後部こうぶ舷側げんそく固定こていしき直立ちょくりつ煙突えんとつをもうけていたが、排煙はいえん気流きりゅう発着はっちゃくかん支障ししょうをきたした[48]湾曲わんきょく煙突えんとつ変更へんこうした時期じきもあったが[62]最終さいしゅうてきに1925ねんおこりたおせしき直立ちょくりつ煙突えんとつ2ほんとなった[1][48]船体せんたい中央ちゅうおうからややうしろより、左舷さげんがわほそ煙突えんとつが2ほんたっている[52]。ターボ電気でんき推進すいしん機関きかんじく推進すいしんかんで、通常つうじょう6,500馬力ばりき/負荷ふか7,142馬力ばりき最大さいだい速度そくど15.5ノットで、空母くうぼとして物足ものたりない性能せいのうであった[43]

1920ねん大正たいしょう9ねん)4がつ11にち天文学てんもんがくしゃであり航空こうくうがくのパイオニアでもあるサミュエル・ラングレーちなラングレー改名かいめいされ、CV-1(航空こうくう母艦ぼかん)にかんしゅ変更へんこうされる[41]。ラングレーは1922ねん大正たいしょう11ねん)3がつ20日はつか(3がつ22にちとも)[43]ケネス・ホィッティング艦長かんちょう指揮しきさい就役しゅうえきする。アメリカ海軍かいぐんはつ航空こうくう母艦ぼかんが「ラングレー」と命名めいめいされたのは、オーヴィル・ライト合衆国がっしゅうこく政府せいふ対立たいりつ一端いったんあらわれたものであった[41]

アメリカ海軍かいぐんはつ航空こうくう母艦ぼかんとして、ラングレーはすうおおくの重要じゅうよう出来事できごと現場げんばとなった。竣工しゅんこうの10がつ17にちにバージル・C・グリフィン中尉ちゅうい最初さいしょ飛行機ひこうきヴォート VE-7英語えいごばん操縦そうじゅうはつかんした。飛行機ひこうきふねからはつかんしたことおよび飛行ひこう甲板かんぱん装備そうびしたかんはラングレーがはじめてではなかったが、グリフィン中尉ちゅういはつかんはアメリカ海軍かいぐん記念きねんてき出来事できごとであった。10月26にちゴッドフリー・シャヴァリア少佐しょうさエアロマーリン 39英語えいごばん最初さいしょちゃくかんおこなった[43]。11月18にちにホィッティング艦長かんちょうはつかんおこない、空母くうぼ艦上かんじょうからカタパルトはつかんおこなったはつ飛行ひこうとなった。

1923ねん大正たいしょう12ねん)1がつ15にちまでラングレーはカリブ海かりぶかいちゃくかん試験しけんおこなった。6月にワシントンD.C.かい、ラングレーはぐん高官こうかんおよび市民しみん目前もくぜんでデモンストレーションをおこなった。6月13にちにノーフォークに帰還きかんし、同年どうねんまつまで大西洋たいせいようがんおよびカリブ海かりぶかい訓練くんれん従事じゅうじした。1924ねん大正たいしょう13ねん)にはいるとラングレーはよりおおくの演習えんしゅうおよび展示てんじかい参加さんかし、なつにはノーフォークで修理しゅうりおよび改装かいそうおこなわれた。同年どうねんまつには西海岸にしかいがんかい、11月29にちサンディエゴ到着とうちゃく太平洋たいへいよう戦闘せんとう艦隊かんたいくわわる。1925ねん大正たいしょう14ねん)4がつ、カタパルトで雷撃らいげき射出しゃしゅつ実験じっけんをおこなう[63]ワシントン海軍かいぐん軍縮ぐんしゅく条約じょうやくによりめぐよう戦艦せんかん改造かいぞうしたレキシントンきゅう航空こうくう母艦ぼかん2せきレキシントンサラトガ)が竣工しゅんこうすると[14][16]、ラングレーは空母くうぼ運用うんよう実験じっけん訓練くんれん任務にんむ従事じゅうじするようになった[63]。その、カリフォルニアおきおよびハワイ実験じっけん、パイロット訓練くんれん艦隊かんたい演習えんしゅうなどに従事じゅうじした。ラングレーで訓練くんれんされたパイロットは、レキシントンきゅう2せき重要じゅうよう役割やくわりたした。

水上すいじょう母艦ぼかん

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太平洋戦争たいへいようせんそうまえ

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水上すいじょう母艦ぼかん ラングレー(AV-3)。
甲板かんぱんいちはい水上すいじょう搭載とうさいしたラングレー。
日本にっぽんばくげきにあるラングレー。1942ねん2がつ27にち
ラングレーの最後さいご。1942ねん2がつ27にち

アメリカ海軍かいぐん通算つうさん4番目ばんめ空母くうぼレンジャーUSS Ranger, CV-4)やヨークタウンきゅう航空こうくう母艦ぼかん配備はいび建造けんぞうがはじまると[64]原始げんしてき航空こうくう艤装ぎそう低速ていそくのラングレーは空母くうぼとしての役目やくめえた[18]。ラングレーはワシントン海軍かいぐん軍縮ぐんしゅく条約じょうやくで「空母くうぼ試作しさく艦艇かんてい」として条約じょうやく制限せいげんがい艦艇かんていとしてあつかわれていたが、だいロンドン海軍かいぐん軍縮ぐんしゅく会議かいぎ予備よび交渉こうしょうでアメリカがわ作戦さくせんよう空母くうぼとして条約じょうやく制限せいげん排水はいすいりょうないふくめることに同意どういしたこと[1]、およびだいかんとして空母くうぼワスプ (USS Wasp, CV-7) をだいいちヴィンソン計画けいかくわくない建造けんぞうすることになり、空母くうぼからの転籍てんせきまった[48]。 1936ねん昭和しょうわ11ねん)10がつ25にち、ラングレーはカリフォルニアしゅうメア・アイランド海軍かいぐん工廠こうしょうでオーバーホールおよ水上すいじょう母艦ぼかんへの改修かいしゅうおこなわれた。前部ぜんぶ飛行ひこう甲板かんぱん撤去てっきょされて艦橋かんきょうよう上部じょうぶ構造こうぞうぶつ増設ぞうせつされ[1]飛行機ひこうき発進はっしん能力のうりょくうしなった[48]。100メートルほどのこった後部こうぶ飛行ひこう甲板かんぱんは、飛行機ひこうき搭載とうさいもちいられた[65]

ラングレーは1937ねん昭和しょうわ12ねん)2がつ26にち改修かいしゅう完了かんりょうし、4がつ11にちにAV-3(水上すいじょう母艦ぼかん)へかんしゅ変更へんこうされた。航空機こうくうき偵察ていさつ部隊ぶたい配属はいぞくされ、ワシントンしゅうシアトルアラスカしゅうシトカ真珠湾しんじゅわんサンディエゴ作戦さくせん活動かつどうおこなう。1939ねん昭和しょうわ14ねん)2がつ1にちから7がつ10日とおかまで大西洋たいせいよう艦隊かんたいでの任務にんむ展開てんかいし、その太平洋艦隊たいへいようかんたい配属はいぞくされ9がつ24にちマニラ到着とうちゃくのちアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくアジア艦隊かんたい英語えいごばん配置はいちえとなり、水上すいじょう母艦ぼかんチャイルズ英語えいごばん (USS Childs,DD-241)、プレストン英語えいごばん (USS William B. Preston,DD-344)、ヘロン英語えいごばん(USS Heron,AM-10) ととも[66][19]飛行ひこうてい水上すいじょうからなる飛行ひこう偵察ていさつ部隊ぶたい支援しえん活動かつどう従事じゅうじした[65][67]

太平洋戦争たいへいようせんそう

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1941ねん昭和しょうわ16ねん)12月7にち日本にっぽん時間じかん12月8にち)の真珠湾しんじゅわん攻撃こうげきにより太平洋戦争たいへいようせんそう勃発ぼっぱつしたとき、ラングレーはルソン島るそんとうカヴィテ停泊ていはくしていた[68][注釈ちゅうしゃく 11]開戦かいせん初日しょにち比島ひじま作戦さくせんによりルソン島るそんとうマニラ周辺しゅうへん攻撃こうげきした日本にっぽんぐんB-17とその飛行場ひこうじょう集中しゅうちゅうてきおそったので[72][73]、マニラの連合れんごうぐん艦船かんせんとく被害ひがいけなかった。12月9にちだいじゅういち航空こうくう艦隊かんたい飛行場ひこうじょう攻撃こうげきとマニラ港内こうないおよびキャビテ軍港ぐんこう艦艇かんてい攻撃こうげきしようとしたが、濃霧のうむのため出撃しゅつげきできなかった[74]

ラングレーはアジア艦隊かんたい旗艦きかんじゅう巡洋艦じゅんようかんヒューストン (USS Houston, CA-30) 、けい巡洋艦じゅんようかんボイシ (USS Boise, CL-47) をはじめとするおもだった艦艇かんていともフィリピンしてジャワ島じゃわとうかった[20]

ラングレーはボルネオ東部とうぶバリクパパンセレベスとうマカッサルジャワ島じゃわとうスラバヤ経由けいゆしてオーストラリアかい、1942ねん昭和しょうわ17ねん)1がつ初旬しょじゅんどう大陸たいりくポートダーウィン到着とうちゃくした[注釈ちゅうしゃく 12]。 しばらくオーストラリア空軍くうぐんたいせん哨戒しょうかい協力きょうりょくする。その日本にっぽんぐん対抗たいこうしてオランダりょうひがしインドABDA司令しれいアーチボルド・ウェーヴェル大将たいしょう)のした結成けっせいされたアメリカ、イギリスオランダ、オーストラリア4ヵ国かこくのABDA艦隊かんたいトーマス・C・ハート大将たいしょう)に配属はいぞくされた。

南方みなかた作戦さくせんにともなうらんしるし作戦さくせんにおいて日本にっぽんぐん進撃しんげきまることらず、やがてジャワ島じゃわとうたいしても空襲くうしゅうおこなわれるようになった[76]連合れんごうぐんホーカー ハリケーンブリュスター バッファロー対抗たいこうしたが、れいしき艦上かんじょう戦闘せんとう日本にっぽん海軍かいぐん)や一式いっしき戦闘せんとう日本にっぽん陸軍りくぐん)のてきではなかった[76]連合れんごうぐんさらなる戦闘せんとうほっし、インド輸送ゆそう途中とちゅうカーチス P-40くことにした[77][78]。 ラングレーはもと飛行ひこう甲板かんぱんじょうに32のカーチス P-40 をせ、33めいのパイロットも乗艦じょうかんした[78]貨物かもつせんシーウィッチ (MS Sea Witch) も、P-40戦闘せんとう 27梱包こんぽう状態じょうたい搭載とうさいした[78]。2月12にち、2せきはダーウィンを出発しゅっぱつ[79]フリーマントルかった[75]同地どうちセイロンとうセイロンきの MS-5 船団せんだん護衛ごえいかんけいじゅんフェニックス)にくわわる[79]2がつ22にち、フリーマントルを出撃しゅつげきした[75]よく23にちジャワ島じゃわとうチラチャップ所在しょざいコンラッド・ヘルフリッヒ中将ちゅうじょう[注釈ちゅうしゃく 13]は、P-40 をだい至急しきゅうチラチャップへ輸送ゆそうするようめいじた[79]けいじゅんフェニックス (USS Phoenix, CL-46) は船団せんだん護衛ごえいをつづけ、水上すいじょう母艦ぼかんラングレーと貨物かもつせんシーウィッチは護衛ごえいなしでジャワ島じゃわとう中部ちゅうぶジャワしゅう南岸なんがんチラチャップ英語えいごばんかった[注釈ちゅうしゃく 14]。だが、低速ていそく貨物かもつせん次第しだいにラングレーからはなされていった[注釈ちゅうしゃく 15]

2がつ26にちだい空襲くうしゅう部隊ぶたいだいじゅうさん航空こうくう戦隊せんたい)の索敵さくてきが、バリ島ばりとう南方なんぽうフューリアスらしき特設とくせつ航空こうくう母艦ぼかん発見はっけんした[注釈ちゅうしゃく 16]2がつ27にち早朝そうちょう、ラングレーはジャワ島じゃわとうから出迎でむかえに駆逐くちくかんホイップル (USS Whipple,DD-217) および駆逐くちくかんエドサル (USS Edsall, DD-219) と合流ごうりゅうした[82]同日どうじつバリ島ばりとう265368海里かいり地点ちてん日本にっぽんぐん索敵さくてきがラングレーを発見はっけんした[83]バリ島ばりとう進出しんしゅつしていた高雄たかお航空こうくうたい一式いっしき陸上りくじょう攻撃こうげき17[注釈ちゅうしゃく 17]攻撃こうげきかった[85]魚雷ぎょらいたいかんようばくだん到着とうちゃくしていなかったため[82]りくおさむりくようの250kgばくだんと60kgばくだん搭載とうさいしていた[86]たいみなみむなし所属しょぞくれいせんは、きゅうはちしき陸上りくじょう偵察ていさつ誘導ゆうどうされて先発せんぱつした[21]

ラングレーを護衛ごえいする戦闘せんとうはなく、高角こうかくほう4もんと40mm機関きかんほう16もん一式いっしきりくおさむむかった[87]りくおさむだい中隊ちゅうたいくすのき畑中はたなかたい)8高度こうど5000mからとうだんしたが、命中めいちゅうしなかった[87]つづいてだいいち中隊ちゅうたい攻撃こうげきたい指揮しきかん足立あだち次郎じろう大尉たいい足立あだち中隊ちゅうたい)がとうだんをやりなおし、さん度目どめとうだんした[87]。 1154ふんから[88]ばくげきで、ラングレーは5はつ命中めいちゅうだん(250kgばくだん2はつ、60kgばくだん3はつ)と3はつ至近しきんだんけた[87]命中めいちゅう箇所かしょ前部ぜんぶ左舷さげんがわのstack sponson、かん付近ふきん飛行ひこう甲板かんぱんおよびエレベーター付近ふきん飛行ひこう甲板かんぱん左舷さげんがわに2はつであった[89]瞬発しゅんぱつ信管しんかんのついたりくようばくだん炸裂さくれつにより、飛行ひこう甲板かんぱんならべていたP-40が炎上えんじょうした[90]かんへの被弾ひだんでは、かじ面舵おもかじ状態じょうたいうごかなくなった[89]最後さいごれいせん 6から機銃きじゅう掃射そうしゃけた[91]。ラングレーは左舷さげんがわ傾斜けいしゃし、浸水しんすいのため機関きかん停止ていしして航行こうこう不能ふのうとなった[92]随伴ずいはんしていたエドサルかホイップルのどちらかが「ラングレーてき爆撃ばくげきばくげきけつつあり」と暗号あんごうまず平文へいぶん送信そうしんしたため[93]、この通信つうしん傍受ぼうじゅした高雄たかお航空こうくうたいてき戦闘せんとう警戒けいかいしてっていった[90]

高雄たかお航空こうくうたい攻撃こうげきわったあと、ラングレーは航行こうこう不能ふのうになっていた。駆逐くちくかんによって曳航えいこうするとしても、チラチャップこうくちあさ水路すいろ通過つうかするためには浸水しんすいによりしずみすぎていた[94]火災かさい拡大かくだいめられたものの、浸水しんすいめられなかった[92]転覆てんぷくおそれがあり、いつまた日本にっぽんぐんあらわれるともれなかったため1332ふんいたってかん放棄ほうきめいじられ[94]、1358ふんまでにラングレー乗員じょういん随伴ずいはんかん2せき収容しゅうようされた[95]陸軍りくぐん航空こうくうぐん人員じんいんふくめて乗艦じょうかんしていた484めいのうち死者ししゃは7めい行方ゆくえ不明ふめいしゃは5めいであった[94](16めいうしなわれたとするもの[96]や、死者ししゃ6めい行方ゆくえ不明ふめいしゃ5めいとするもの[97]もある)。ラングレー乗組のりくみいんのうち177めいがエドサルに、308めいがホイップルに救助きゅうじょされた。[よう出典しゅってん]

1428ふん、ラングレーを処分しょぶんするためホイップルは4インチ砲弾ほうだん9はつんだが効果こうかかった[98]。ホイップルは1432ふん右舷うげんかん付近ふきん魚雷ぎょらい1ほん[98]、1445ふんには左舷さげんがわにもう1ほん魚雷ぎょらいんだ[95]。これにより、ラングレーではだい規模きぼ火災かさい発生はっせいしたものの、まだしずまなかった[98]。しかし、日本にっぽんぐんふたたあらわれるおそれがあることから、駆逐くちくかん2せきはラングレーをのこしてそのはなれた[98]同時どうじ夕方ゆうがた、オランダのPBY飛行ひこうていが「ラングレーが沈没ちんぼつした」と報告ほうこくしている[98]

救助きゅうじょされたラングレーの乗員じょういんは、駆逐くちくかんから給油きゅうゆかんペコス (USS Pecos, AO–6) に移動いどうすることになった[80]。オーストラリアを出発しゅっぱつした艦隊かんたいがた給油きゅうゆかんのペコスは、インド洋いんどようかう途中とちゅうだった[99]。ペコスと駆逐くちくかん2せきクリスマスとう集結しゅうけつする[75]3月1にち洋上ようじょうでラングレーの生存せいぞんしゃ移乗いじょうおこなわれた[99]。ところがどう方面ほうめん連合れんごうぐん艦艇かんていは、ジャワ島じゃわとう南方なんぽう行動こうどうちゅう南雲なぐも機動きどう部隊ぶたい捕捉ほそくされる[100]。ペコスはだいいち航空こうくう戦隊せんたい赤城あかぎ加賀かが)および空母くうぼあおいりゅうより飛来ひらいしたきゅうきゅうしき艦上かんじょう爆撃ばくげき撃沈げきちんされ[101][102]、ラングレー乗組のりくみいん多数たすう死亡しぼうした[80]。ホイップルは、ペコスとラングレーの生存せいぞんしゃをオーストラリアへおくとどけた[103]

3月31にちクリスマスとう攻略こうりゃく作戦さくせんにおいて[104]クリスマスとうのこされていたラングレー運用うんようちょう捕虜ほりょとなり[注釈ちゅうしゃく 18]けい巡洋艦じゅんようかん名取なとり連行れんこうされている[106]

大本営だいほんえい発表はっぴょう

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ラングレーを攻撃こうげきして致命傷ちめいしょうあたえた高雄たかお航空こうくうたいでは、攻撃こうげきたい指揮しきかんが「ラングレーを撃沈げきちんした」と報告ほうこくした[90]。しかし参謀さんぼうはこの報告ほうこく採用さいようせず、「空母くうぼいちせき撃破げきは」という評価ひょうかめた[90]。またラングレー被爆ひばくつたえる電文でんぶん傍受ぼうじゅしていた日本にっぽんぐんは、しずんだのがラングレーであると推測すいそくした[注釈ちゅうしゃく 19]。またクリスマスとう攻略こうりゃく作戦さくせん捕虜ほりょにしたラングレー乗組のりくみいんから、同艦どうかん行動こうどうった。 ここで問題もんだいしょうじた。日本にっぽんぐん大本営だいほんえい発表はっぴょう[107]同年どうねん1がつ8にちに「25太平洋たいへいようジョンストンとう近海きんかいラングレー撃沈げきちんした」とほうじていた[108][注釈ちゅうしゃく 20]日本にっぽん海軍かいぐん25が撃沈げきちんした艦艇かんていがラングレーでないことに気付きづいていたが[109]結局けっきょく本当ほんとうのラングレーは大本営だいほんえい発表はっぴょうで「特設とくせつ航空こうくう母艦ぼかん」とほうじられた[110][注釈ちゅうしゃく 21]

出典しゅってん

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ちゅう

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  1. ^ [ラングレーの性能せいのう]ラングレーはいちまんせんじゅうとん ながひゃくじゅうはちめーとるはばじゅうめーとる備砲びほうじゅう.ななせんちめーとるほうよんもんいちきゅういちさんねん出來できうえつたきゅうすみかんはじジュピターといひましたがいちきゅうねん改装かいそうして水上すいじょう母艦ぼかんとなつたものでアジア艦隊かんたいぞくだい東亞とうあ戰爭せんそう開戰かいせん直後ちょくごミンダナオ島みんだなおとうのダヴァオおきうみわし爆撃ばくげきされ猛攻もうこうにたまりかねてのがれようとしたところをトドメをされたのです[9]
  2. ^ ()列國れっこく代表だいひょうてき航空こうくう母艦ぼかん 米國べいこく航空こうくう母艦ぼかんラングレー[11] ラングレーはきゅうずみせんジュピターを改造かいぞうしたもので、此のジュピターは大正たいしょう元年がんねん進水しんすいし、大正たいしょうきゅうねんからじゅうねんあいだ航空こうくう母艦ぼかんとして改造かいぞうされたものであるが、此のかん全長ぜんちょうひゃくよんじゅう呎、はばろくじゅう呎、平均へいきん吃水きっすいじゅうはち呎、排水はいすいりょういちきゅう,さんろくとんで、機關きかんはタルビン電氣でんき推進すいしん推進すいしんであり、試運轉しうんてん速力そくりょくじゅうせつである。/此のかんきゅうすみせん時代じだい船艙せんそうは、いまことごと飛行機ひこうき最大さいだい搭載とうさい容積ようせきあずかふるごと變更へんこうされたのであつて、追撃ついげきよう一人ひとりじょう飛行機ひこうきじゅうだいたま觀測かんそくようにんじょう飛行機ひこうきじゅうだい魚雷ぎょらい落下らっかよう飛行機ひこうきよんだい魚雷ぎょらいよう水上すいじょう飛行機ひこうきろくだいとを搭載とうさいするものとしんぜられる。/附図ふず航空こうくう母艦ぼかんラングレーの飛行ひこう甲板かんぱん上空じょうくうから撮影さつえいしたものであるが、おいるがごと必要ひつようのぞくのそといち障碍しょうがいぶつなきたいら坦々たんたんたる甲板かんぱんで、此の要具ようぐといふのは歸着きちゃくした飛行機ひこうきを引け、最短さいたん時間じかんこれ停止ていしせしめるため甲板かんぱん装着そうちゃくしてあるマントレットのことである。また甲板かんぱん両側りょうがわ沿うて網棚あみだなもうけたのがえるが、此處ここら作業さぎょう從事じゅうじする乗員じょういん飛行機ひこうき發着はっちゃくさい退避たいひするをためもうけたものである。
  3. ^ 米國べいこく大戰たいせんきゅうずみせんジュピターを改造かいぞうして航空こうくう母艦ぼかんラングレーとして、實驗じっけんちゅうであつたが、はな會議かいぎのちめぐよう戰艦せんかんサラトガ及レキシントンのせき航空こうくう母艦ぼかん改造かいぞうし、昭和しょうわねんなつ完成かんせいした。ラングレーは、排水はいすいりょういちまんせんななひゃくとん速力そくりょくじゅうせつ小型こがた飛行機ひこうきよんじゅうはち搭載とうさいしてる。(以下いかりゃく)[14]
  4. ^ ○ラングレー(寫眞しゃしんひだり)航空こうくう母艦ぼかん排水はいすいりょういちまんいちせんひゃくトン、速力そくりょくじゅうノットで大型おおがた飛行ひこうてい母艦ぼかんとして使用しようされてゐた[17]
  5. ^ べい空母くうぼ造艦ぞうかん[16] 空母くうぼ元祖がんそ一般いっぱんにイギリスとかいされてゐる。これはいちきゅういちななねんえい海軍かいぐん大型おおがた巡洋艦じゅんようかん改造かいぞうしてはじめて航空こうくう母艦ぼかんフユーリアスを建造けんぞうした事實じじつもとづくものであるが、むしろ空母くうぼ着想ちゃくそう先鞭せんべんをつけたのはべい海軍かいぐんであつた。すなわち、えい海軍かいぐんいちきゅういちいちねんいちいちがつ戰艦せんかんアフリカ航空こうくう甲板かんぱんみやつこつて試驗しけん飛行ひこうくだりつたのに先立さきだち、べい海軍かいぐんはそのいちねんまえいちきゅういちねんいちいちがつ巡洋艦じゅんようかんバーミンガムの甲板かんぱん改造かいぞうして實驗じっけんこころみた結果けっかはつかん成功せいこうよくいちいちねんいちがつにはかんにも成功せいこうしてゐる。/だいいち大戰たいせんいちきゅうねんにはきゅうずみかんジユピターを改造かいぞうして、戰闘せんとう雷撃らいげき水上すいじょうとう合計ごうけいさん搭載とうさい空母くうぼラングレーを仕立したてたが、同艦どうかんいちきゅうさんななねん以來いらい大型おおがた水上すいじょう母艦ぼかんとして使用しようされるにいたり(搭載とうさい廿にじゅうよん)、だい東亞とうあ戰前せんぜんにはアジア艦隊かんたい所属しょぞく開戰かいせんいちきゅうよんねんがつ、ジヨンストン西方せいほう海上かいじょうでわが潜水せんすいかん餌食えじきとなつた。
     その、ワシントン會議かいぎ結果けっか廢棄はいきすべきめぐよう戰艦せんかん改造かいぞうしてさくつたのが、レキシントン、サラトガのだい空母くうぼであつた。このりょうかんだい東亞とうあ開戰かいせんレキシントンはいちきゅうよんねんいちがつじゅうにちハワイ西方せいほうろく〇〇かいり海上かいじょうで、サラトガは珊瑚さんごうみせんにおいてヨークタウンととも帝國ていこく海軍かいぐん撃沈げきちんされたが、その性能せいのう排水はいすいりょうさんさん,〇〇〇トン、電氣でんき推進すいしん速度そくどよんノット、搭載とうさい平時へいじはち〇、戰時せんじいちさんとう最新さいしん科學かがくいきあつめ、べいたいにち進攻しんこう作戰さくせんにおけるおおきなホープであつた。(中略ちゅうりゃく)そのいちきゅうさんいちねんにはレーンジヤー起工きこうされ、いでいちきゅうさんよんねんには條約じょうやくりょういちはいけんかん目指めざだいいちヴィンソンあんもとづエンタープライズヨークタウンせき起工きこうされた。すなわち、このりょうかん既存きそんのサラトガ、レキシントン、ラングレー、レーンジヤをくわ條約じょうやくりょうじゅうさんまんせんトンにちかじゅうさんまんせん〇〇トンの空母くうぼじん形成けいせいされることとなつた。
     しかるに、ささえ事變じへん勃發ぼっぱつたいするアメリカの緊急きんきゅう措置そちとして、條約じょうやくりょうわり増加ぞうか企圖きとしただいヴインソンあんにより、空母くうぼじんさらせきよんまんトンをへることとなり、ホーネットエセックスりょうかん起工きこうされた。これよりさきラングレーのだいかんとしていちきゅうさんろくねんワスプ起工きこうされ、さんきゅうねん十二月じゅうにがつ就役しゅうえきしてゐる。/いでいちきゅうよんねんいた東亞とうあ情勢じょうせい緊迫きんぱくに備へて空母くうぼじん増強ぞうきょうおもとするだいさんヴィンソンあん計畫けいかくされ、ボンホーム・リチャードイントレピットキャセージさんせき起工きこうされることとなつた。(以下いかりゃく)
  6. ^ イギリス海軍かいぐんアルミランテ・ラトーレきゅう戦艦せんかん改造かいぞうして空母くうぼイーグル建造けんぞうした[35](1918ねん6がつ進水しんすい、1920ねん4がつ竣工しゅんこう[36]日本にっぽん海軍かいぐん空母くうぼおおとりしょう建造けんぞうした[37](1920ねん起工きこう、1922ねん12月竣工しゅんこう[36]
  7. ^ 世界せかい艦船かんせん』は、煙突えんとつおこりたおせしきとなった1925ねんあらためられたとしている[1]
  8. ^ 米國べいこく航空こうくう母艦ぼかんラングレー[56] 全長ぜんちょう542呎 はば65呎 吃水きっすい19呎 排水はいすいりょう12,700とん 速力そくりょく15せつ 備砲びほう5いんち-4もん 搭載とうさい飛行機ひこうき34だい 飛行機ひこうきようばくだん275 魚雷ぎょらい2搭載とうさいす ほんかんきゅうきゅうずみかんジュピターを改造かいぞうしたものである (飛行ひこう甲板かんぱん中央ちゅうおうのエレベーターをげた状態じょうたいのラングレー写真しゃしん掲載けいさい)
  9. ^ 航空こうくう母艦ぼかんおおとりしょう ほうしやう”[58] ぜん要目ようもく{排水はいすいりょう7,470とん 速力そくりょく25.0せつ 備砲びほう14せんちめーとるほう4もん 8せんちめーとる高角こうかくほう2もん 起工きこう大正たいしょう8ねん12月 竣工しゅんこう大正たいしょう11ねん12月 建造けんぞうしょ淺野あさの造船ぞうせんしょ} おおとりしょう大正たいしょう11ねん12月に竣工しゅんこうしたわが海軍かいぐん最初さいしょ航空こうくう母艦ぼかんであり而も最初さいしょよりこうははとして計畫けいかくされたものである。航空こうくう母艦ぼかん由來ゆらいその型式けいしきおいしゅわかつことが出來できる。すなわ海軍かいぐん赤城あかぎ加賀かがおおとりしょうりゅう驤のごと飛行ひこう甲板かんぱんじょう何一なにひと邪魔じゃまぶつのないフラッシュデッキがたと、米國べいこくの“サラトガ”“レキシントン”英國えいこくの“ハームス”とうごとくマストや大砲たいほう煙突えんとつとういずれかいち舷側げんそくあつめたアイランドがたである。各々おのおの長短ちょうたんがあるのであるが飛行機ひこうき發着はっちゃくにはフラッシデッキがたほう便利べんりとされてゐる。さらにこれを海軍かいぐんの4せきいてると赤城あかぎ加賀かがの2かんさん段式だんしきりゅう驤は段式だんしきになつてゐるのにひとおおとりしょう前後ぜんこういちまい飛行ひこう甲板かんぱんを以つてくつがえはれてゐるが、かん操縦そうじゅうの3せきほう便利べんりであるとうんはれてゐる。
  10. ^ 世界せかい空母くうぼ物語ものがたり』73ぺーじだい3ひょう えいべい空母くうぼ要目ようもくひょう」ラングレーの要目ようもくでは「かんせん12、偵察ていさつ12、かんおさむ9、よう不明ふめい」とする[59]。『歴史れきしぐんぞう、アメリカの空母くうぼ』188ぺーじでは「かんせん12、観測かんそく12、かんおさむ4」とする[4]。『世界せかい艦船かんせん』は33とする[1]
  11. ^ 日本にっぽんぐんはラングレーがミンダナオ島みんだなおとうダバオにいると判断はんだんしていたので、だいよん航空こうくう戦隊せんたい空母くうぼりゅうでラングレーを攻撃こうげきするつもりだった[69]。だが開戦かいせん直前ちょくぜんミンダナオ島みんだなおとう近海きんかい偵察ていさつ実施じっしした結果けっか艦船かんせん飛行機ひこうき発見はっけんしなかった[70]小型こがた飛行ひこうてい母艦ぼかんのチャイルズかプレストンが停泊ていはくしているとの情報じょうほうている[71]
  12. ^ さんにちいちきゅう〇〇16S司令しれいかん三日みっかいちきゅう 2KF参謀さんぼうちょう だい海参いりこだいさん部長ぶちょう (2F参謀さんぼうちょう GF参謀さんぼうちょう)[75] 16S機密きみつだいよんよんばんでん「クリスマス」しまヨリ連行れんこうセル俘虜ふりょ(「ラングレー」運用うんようちょう)ノげんレバ いち.「ラングレー」ハがつじゅうにち「フリマントル」はつWhippleEdsall護衛ごえい駆逐くちくかんともなえせんさんじゅうだい搭載とうさい「チラチヤツプ」ニ輸送ゆそう回航かいこう途中とちゅう「チラチヤツプ」ノ南方なんぽうはちじゅうかいりニ於テがつじゅうななにちきゅうなな編隊へんたいばくげきヲ受ケすうだん命中めいちゅう火災かさい浸水しんすい人命じんめい護衛ごえいかん救助きゅうじょセル護衛ごえいかん雷撃らいげき沈没ちんぼつセリ
    .がつじゅうはちにちクリスマスとうニテ本人ほんにん護衛ごえいかん救助きゅうじょ人員じんいん處理しょりあいため特務とくむかん派遣はけん途中とちゅうさん編隊へんたい爆撃ばくげき来襲らいしゅう護衛ごえいかん特務とくむかん至急しきゅう出港しゅっこう本人ほんにんざんサレタリ/さん.「ラングレー」行動こうどう概要がいよう(着發ちゃくはつ)十二月じゅうにがつはちにち「マニラ」はつ バリックパパン(じゅうにち じゅうはちにち) マカツサル(じゅういちにち じゅうよんにち) スラバヤ(じゅうろくにち さんじゅういちにち) ポートダーウイン(いちがつよんにち がつじゅういちにち) フリマントルがつじゅうきゅうにち
  13. ^ ABDA司令しれい隷下れいかのABDA海軍かいぐん部隊ぶたい (ABDAFLOAT) 指揮しきかん。1945ねん9がつ2にち降伏ごうぶく文書ぶんしょ調印ちょういんしきにおけるオランダ代表だいひょう
  14. ^ 本来ほんらいならば2がつ28にちココス諸島しょとう付近ふきんでイギリスけいじゅんエンタープライズ (HMS Enterprise,D52) が船団せんだん合流ごうりゅうして護衛ごえいぎ、フェニックスがラングレーとシーウィッチの護衛ごえいかんとなる計画けいかくだった[79]
  15. ^ ラングレーにいてきぼりにされたシーウィッチは、2がつ28にちチラチャップに入港にゅうこうした[80]。だがスラバヤおき海戦かいせんバタビアおき海戦かいせんやぶれていた連合れんごう国軍こくぐんだい混乱こんらんおちいっており、せっかく輸送ゆそうしたP-40もジャワ島じゃわとう攻防こうぼうせん活用かつようされなかった[80]
  16. ^ (昭和しょうわ17ねん2がつ28にち記事きじ)[81]〔 ○だいそらかさね部隊ぶたい(二六にろく-さん〇)いちバリ島ばりとう160°~250°あいだ400′索敵さくてき空母くうぼ(「りゅうがた?)「フューリアス」またとく空母くうぼ発見はっけんセルがいてきズ。〕
  17. ^ 戦史せんし叢書そうしょだい26かん らんしるし・ベンガルわん方面ほうめん海軍かいぐん進攻しんこう作戦さくせん』476ページではりくおさむ16とする[84]
  18. ^ (昭和しょうわ17ねん4がつ4にち記事きじ)[105]〔 [うえらん]○クリスマスとうニ「ラングレー」運用うんようちょうアリ、俘虜ふりょトス。「ラングレー」ハ開戦かいせん南下なんかシ「マカッサル」「バタビア」とうけいテ「パース」ニいたりリ、さい北上ほくじょうちゅうがつじゅうななにちジャバ南方なんぽう海面かいめんニテ陸上りくじょう攻撃こうげききゅう攻撃こうげきヲ受ケ、乗員じょういん駆逐くちくかんせきニ避退、駆逐くちくかん雷撃らいげきニテ沈メ「クリスマス」しま避難ひなんセルヲ、さい空襲くうしゅうセラレ至急しきゅう出港しゅっこうシテ、運用うんようちょうノミハざんサレタリ。〕
  19. ^ (昭和しょうわ17ねん2がつ28にち記事きじ)[93]〔 ○傍受ぼうじゅ べいかんガ『「ラングレー」ガじゅうろくてきニヨリばくげきヲ受ケツヽアリ』ト平文へいぶんツ。「ラングレー」ハさきキニ「マーシャル」東方とうほうデ沈メタコトニナツテヰル。「ジャバ」南方みなかた海面かいめんダカラ今度こんどかたガホントラシイ。〕
  20. ^ 大本營だいほんえい發表はっぴょう】(いちがつじゅうよんにち午後ごごさん)帝國ていこく潜水せんすいかんじゅうにち夕刻ゆうこくハワイ西方せいほう洋上ようじょうにおいて米國べいこく太平洋艦隊たいへいようかんたい所属しょぞく航空こうくう母艦ぼかん「レキシントン」がたいちせき(さんまんさんせんトン)を雷撃らいげき魚雷ぎょらいほん命中めいちゅう確認かくにんしたるところ、てき驅逐くちくかん制壓せいあつをうけ潜没せんぼつせるため該航空母くうぼかん沈没ちんぼつ確認かくにんするにいたらざりしも、潜没せんぼつちゅうかいにわたるだい爆發ばくはつ聴音ちょうおんせるをもつて同艦どうかん沈没ちんぼつせること確實かくじつなるものとみとめむ(註)潜没せんぼつとは潜水せんすいかん必要ひつようおう急速きゅうそく潜望鏡せんぼうきょうもろとも潜航せんこうする動作どうさをいふ。【大本營だいほんえい發表はっぴょう】(いちがつきゅうにち午後ごごろく)(いち)帝國ていこく海軍かいぐん潜水せんすいかんいちがつはちにちジョンストン島西しまにし南部なんぶ洋上ようじょうにおいて米國べいこく軍艦ぐんかんラングレーを撃沈げきちんせり ()いちがつななにち早朝そうちょう伊豆半島いずはんとうおきおいだいいち雲海うんかいまるてき潜水せんすいかん魚雷ぎょらい攻撃こうげき船體せんたい損傷そんしょうこうむりたるも同船どうせん乗員じょういん全部ぜんぶ無事ぶじなり【寫眞しゃしんじょう太平洋たいへいようじょう活躍かつやくする殊勲しゅくんのわが潜水せんすいかん[17]
  21. ^ さきに(がつ)じゅうはちにち、わが海軍かいぐん航空こうくう部隊ぶたいは、スラバヤのだい空襲くうしゅうおいて、べいえいらん聯合れんごう空軍くうぐん大半たいはん撃滅げきめつしたが、そのきつゞきじゅうにちまで、らんしるし全土ぜんどとニューギニアとう所在しょざい残存ざんそん航空こうくう兵力へいりょく撃滅げきめつし、てきけいきゅうじゅうきゅうげき墜破した。じゅうななにちスラバヤおき海戰かいせんさきち、わが海軍かいぐん航空こうくう部隊ぶたいバリ島ばりとう附近ふきん海上かいじょうおいて、てき特設とくせつ航空こうくう母艦ぼかん攻撃こうげきし、これ命中めいちゅうだんろくびせてだい火災かさいしょうぜしめ、同艦どうかん艦上かんじょう待機たいきてきやくさんじゅうおよ格納庫かくのうこ搭載とうさいちゅう飛行機ひこうき全部ぜんぶを、爆破ばくはえんのぼせしめ、また警戒けいかいちゅうてき大型おおがた飛行ひこうてい撃墜げきついした[111]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 写真しゃしん:アメリカ海軍かいぐん「〈写真しゃしん特集とくしゅう〉アメリカ空母くうぼ発達はったつ 1922-2022」『世界せかい艦船かんせんだい981しゅう(2022ねん10がつ特大とくだいごう海人あましゃ P.22-23
  2. ^ 昭和しょうわ16.12~18.12だい東亜とうあ戦争せんそう経過けいか概要がいよう(護衛ごえいたいせん関係かんけい)の1/昭和しょうわ17ねん2がつ」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.C16120656600  p.10(昭和しょうわ17ねん2がつ)〔 28|1515|チラチャップ ノS80′ニテ ラングレー ラシキモノ爆撃ばくげき南西なんせい浸水しんすい傾斜けいしゃ 警戒けいかいちゅうdラ ラングレー ヲ雷撃らいげき沈没ちんぼつセシム 〕
  3. ^ れきぐん53、アメリカの空母くうぼ 2006, p. 188aアメリカの空母くうぼ主要しゅよう一覧いちらん/ラングレー
  4. ^ a b れきぐん53、アメリカの空母くうぼ 2006, p. 188b.
  5. ^ 世界せかい艦船かんせん航空こうくう母艦ぼかんぜん 2008, pp. 20a-21アメリカ/ラングレー LANGLEY (CV-1)
  6. ^ 福井ふくい世界せかい空母くうぼ物語ものがたり 2008, p. 3(ラングレー写真しゃしんおよび解説かいせつ)
  7. ^ a b 大内おおうち護衛ごえい空母くうぼ入門にゅうもん 2005, pp. 56a-57だい7 航空こうくう母艦ぼかんラングレーの外形がいけい
  8. ^ れきぐん53、アメリカの空母くうぼ 2006, p. 40艦隊かんたいがた空母くうぼ ラングレー〔CV-1〕
  9. ^ だい東亜とうあ戦争せんそうせん解説かいせつ、シンガポール陥落かんらくまで 1942, p. 41(原本げんぽん64ぺーじ)
  10. ^ れきぐん53、アメリカの空母くうぼ 2006, pp. 83a-84「ジュピター」改造かいぞうはつべい空母くうぼ「ラングレー」
  11. ^ 海軍かいぐん参考さんこう年鑑ねんかん大正たいしょう13年版ねんばん 1924, pp. 31–32(原本げんぽん27-29ぺーじ)
  12. ^ 連合れんごうぐん艦艇かんてい撃沈げきちんす 2013, p. 15.
  13. ^ れきぐん53、アメリカの空母くうぼ 2006, p. 84a就役しゅうえきの「ラングレー」
  14. ^ a b 中島なかじま航空こうくう母艦ぼかん 1930, p. 8(原本げんぽん7ぺーじ)
  15. ^ 福井ふくい世界せかい空母くうぼ物語ものがたり 2008, pp. 265–266ころもがえする旧式きゅうしき空母くうぼ
  16. ^ a b c d 細川ほそかわべい海軍かいぐん 1944, pp. 53–55(原本げんぽん85-88ぺーじ)
  17. ^ a b ハワイ海戰かいせんマレーおき海戰かいせん 1942, p. 33(原本げんぽん42-43ぺーじ)
  18. ^ a b 福井ふくい世界せかい空母くうぼ物語ものがたり 2008, pp. 199–120米国べいこく水上すいじょう母艦ぼかん/◇ラングレー(Langley AV-3)
  19. ^ a b 戦史せんし叢書そうしょ24 1969, pp. 321–323開戦かいせんにおけるべいぐん配備はいび
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参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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