ラングレー (CV-1)
ジュピター | ラングレー | |
1919 | ||
1911 |
||
1912 |
1920 | |
1913 |
1922 | |
1920 |
1942 | |
その |
||
19,360 トン | 11,500( | |
542ft(165.2m) | 542ft(165.3m[1]) | |
65ft(19.81m) | 65ft(19.81m) | |
27ft8in(8.43m) | 18ft11in(5.76m) | |
15 ノット[1] | 15.5 ノット[4] | |
4インチ |
5インチ | |
レキシントン |
ラングレー (
給 炭 艦
[ジュピターはカリフォルニア
空母
[-
ラングレーの
格納庫 。
1910
この
ジュピターは
また
6
1920
アメリカ
1923
水上 機 母艦
[太平洋戦争 前
[アメリカ
ラングレーは1937
太平洋戦争
[1941
ラングレーはアジア
ラングレーはボルネオ
2
ラングレーを
14
3月31
大本営 発表
[ラングレーを
出典
[注
[- ^ [ラングレーの
性能 ]ラングレーは一 萬 二 千 五 十 噸 長 さ百 五 十 八 米 、幅 二 十 米 、備砲 十 二 .七 糎 砲 四 門 、一 九 一 三 年 に出來 上 つた給 炭 艦 で初 めジュピターといひましたが一 九 二 二 年 改装 して水上 機 母艦 となつたものでアジア艦隊 に属 し大 東亞 戰爭 開戰 直後 ミンダナオ島 のダヴァオ沖 で我 が海 鷲 に爆撃 され猛攻 にたまりかねて逃 れようとしたところをトドメを刺 されたのです[9]。 - ^ (
二 )列國 の代表 的 航空 母艦 米國 航空 母艦 ラングレー[11] ラングレーは給 炭 船 ジュピターを改造 したもので、此のジュピターは大正 元年 に進水 し、大正 九 年 から十 年 の間 に航空 母艦 として改造 されたものであるが、此の艦 は全長 五 百 四 十 二 呎、幅 六 十 五 呎、平均 吃水 二 十 八 呎、排水 量 一 九 ,三 六 〇噸 で、機關 はタルビン電氣 推進 の二 個 推進 器 であり、試運轉 速力 十 五 節 である。/此の艦 給 炭 船 時代 の船艙 は、今 や悉 く飛行機 の最大 搭載 容積 を與 ふる如 く變更 されたのであつて、追撃 用 一人 乗 飛行機 十 二 臺 、弾 着 觀測 用 二 人 乗 飛行機 十 二 臺 、魚雷 落下 用 飛行機 四 臺 と魚雷 用 水上 飛行機 六 臺 とを搭載 するものと信 ぜられ居 る。/附図 は航空 母艦 ラングレーの飛行 甲板 を上空 から撮影 したものであるが、圖 に於 て見 るが如 く必要 具 を除 くの外 一 の障碍 物 なき平 々坦々 たる甲板 で、此の要具 といふのは歸着 した飛行機 を引掛 け、最短 時間 で之 を停止 せしめる爲 、甲板 に装着 してあるマントレットのことである。又 甲板 の両側 に沿 うて網棚 を設 けたのが見 えるが、此處 は作業 に從事 する乗員 が飛行機 發着 の際 、退避 するを得 る爲 に設 けたものである。 - ^
米國 は大戰 後 給 炭 船 ジュピターを改造 して航空 母艦 ラングレーとして、實驗 中 であつたが、華 府 會議 後 巡 洋 戰艦 サラトガ及レキシントンの二 隻 を航空 母艦 に改造 し、昭和 二 年 の夏 完成 した。ラングレーは、排水 量 一 万 二 千 七 百 噸 、速力 十 五 節 で小型 飛行機 四 十 八 機 を搭載 して居 る。(以下 略 )[14] - ^ ○ラングレー(
寫眞 左 )航空 母艦 で排水 量 は一 萬 一 千 五 百 トン、速力 十 五 ノットで大型 飛行 艇 母艦 として使用 されてゐた[17]。 - ^ ○
米 空母 の造艦 史 [16]空母 の元祖 は一般 にイギリスと解 されてゐる。これは一 九 一 七 年 に英 海軍 が大型 巡洋艦 を改造 して初 めて航空 母艦 フユーリアスを建造 した事實 に基 くものであるが、むしろ空母 の着想 に先鞭 をつけたのは米 海軍 であつた。即 ち、英 海軍 が一 九 一 一 年 一 一 月 戰艦 アフリカに航空 甲板 を造 つて試驗 飛行 を行 つたのに先立 ち、米 海軍 はその一 年 前 の一 九 一 〇年 一 一 月 に巡洋艦 バーミンガムの甲板 を改造 して實驗 を試 みた結果 、發 艦 に成功 、翌 一 一 年 一 月 には着 艦 にも成功 してゐる。/第 一 次 大戰 後 の一 九 二 〇年 には給 炭 艦 ジユピターを改造 して、戰闘 機 、雷撃 機 、水上 機 等 合計 卅三 機 搭載 の空母 ラングレーを仕立 てたが、同艦 は一 九 三 七 年 以來 大型 水上 機 母艦 として使用 されるに至 り(搭載 機 廿 四 )、大 東亞 戰前 にはアジア艦隊 に所属 、開戰 後 の一 九 四 二 年 二 月 、ジヨンストン西方 海上 でわが潜水 艦 の餌食 となつた。
その後 、ワシントン會議 の結果 廢棄 すべき巡 洋 戰艦 を改造 して作 つたのが、レキシントン、サラトガの二 大 空母 であつた。この兩 艦 も大 東亞 開戰 後 レキシントンは一 九 四 二 年 一 月 十 二 日 ハワイ西方 六 〇〇浬 の海上 で、サラトガは珊瑚 海 々戰 においてヨークタウンと共 に帝國 海軍 の手 で撃沈 されたが、その性能 は排水 量 三 三 ,〇〇〇トン、電氣 推進 機 速度 卅四 ノット、搭載 機 平時 八 〇、戰時 一 三 五 等 最新 科學 の粹 を集 め、米 の對 日 進攻 作戰 における大 きなホープであつた。(中略 )その後 、一 九 三 一 年 にはレーンジヤーが起工 され、次 いで一 九 三 四 年 には條約 量 一 杯 の建 艦 を目指 す第 一 次 ヴィンソン案 に基 きエンタープライズ、ヨークタウンの二 隻 が起工 された。即 ち、この兩 艦 に既存 のサラトガ、レキシントン、ラングレー、レーンジヤを加 え條約 量 の十 三 萬 五 千 トンに近 い十 三 萬 二 千 〇〇トンの空母 陣 が形成 されることとなつた。
然 るに、支 那 事變 勃發 に對 するアメリカの緊急 措置 として、條約 量 二 割 増加 を企圖 した第 二 次 ヴインソン案 により、空母 陣 は更 に二 隻 四 萬 トンを加 へることとなり、ホーネット、エセックスの兩 艦 が起工 された。これより先 ラングレーの代 艦 として一 九 三 六 年 にワスプが起工 され、三 九 年 十二月 に就役 してゐる。/次 いで一 九 四 〇年 に至 り東亞 情勢 の緊迫 に備へて空母 陣 の増強 を主 とする第 三 次 ヴィンソン案 が計畫 され、ボンホーム・リチャード、イントレピット、キャセージの三 隻 が起工 されることとなつた。(以下 略 ) - ^ イギリス
海軍 はアルミランテ・ラトーレ級 戦艦 を改造 して空母 イーグルを建造 した[35](1918年 6月 進水 、1920年 4月 竣工 )[36]。日本 海軍 は空母 鳳 翔 を建造 した[37](1920年 起工 、1922年 12月竣工 )[36]。 - ^ 『
世界 の艦船 』は、煙突 が起 倒 式 となった1925年 に改 められたとしている[1]。 - ^ 〔
米國 〕航空 母艦 ラングレー[56]全長 542呎幅 65呎吃水 19呎排水 量 12,700噸 速力 15節 備砲 5吋 -4門 搭載 飛行機 34臺 飛行機 用 爆 彈 275個 魚雷 2個 を搭載 す本 艦 は舊 給 炭 艦 ジュピターを改造 したものである (飛行 甲板 中央 のエレベーターを下 げた状態 のラングレー写真 掲載 ) - ^
航空 母艦 “鳳 翔 ほうしやう”[58]全 要目 {排水 量 7,470噸 速力 25.0節 備砲 14糎 砲 4門 8糎 高角 砲 2門 起工 大正 8年 12月竣工 大正 11年 12月建造 所 淺野 造船 所 }鳳 翔 は大正 11年 12月に竣工 した我 海軍 最初 の航空 母艦 であり而も最初 より航 母 として計畫 されたものである。航空 母艦 は由來 その型式 に於 て二 種 に分 つことが出來 る。即 ち我 が海軍 の赤城 、加賀 、鳳 翔 、龍 驤の如 く飛行 甲板 上 に何一 つ邪魔 物 のないフラッシュデッキ型 と、米國 の“サラトガ”“レキシントン”英國 の“ハームス”等 の如 くマストや大砲 、煙突 等 を何 れか一 舷側 に集 めたアイランド型 である。各々 長短 があるのであるが飛行機 の發着 にはフラッシデッキ型 の方 が便利 とされてゐる。更 にこれを我 が海軍 の4隻 に就 いて見 ると赤城 、加賀 の2艦 は三 段式 で龍 驤は二 段式 になつてゐるのに獨 り鳳 翔 は前後 一 枚 の飛行 甲板 を以つて覆 はれてゐるが、艦 の操縦 は他 の3隻 の方 が便利 であると云 はれてゐる。 - ^ 『
世界 空母 物語 』73頁 「第 3表 英 米 空母 要目 表 」ラングレーの要目 では「艦 戦 12、偵察 12、艦 攻 9、補 用 機 不明 」とする[59]。『歴史 群 像 、アメリカの空母 』188頁 では「艦 戦 12、観測 機 12、艦 攻 4」とする[4]。『世界 の艦船 』は33機 とする[1]。 - ^
日本 軍 はラングレーがミンダナオ島 ダバオにいると判断 していたので、第 四 航空 戦隊 の空母 龍 驤でラングレーを攻撃 するつもりだった[69]。だが開戦 直前 にミンダナオ島 近海 の偵察 を実施 した結果 、艦船 や飛行機 を発見 しなかった[70]。小型 飛行 艇 母艦 のチャイルズかプレストンが停泊 しているとの情報 を得 ている[71]。 - ^ 〔
三 日 一 九 〇〇16S司令 官 |三日 一 九 五 五 2KF参謀 長 大 海参 第 三 部長 (2F参謀 長 GF参謀 長 )[75] 16S機密 第 四 四 番 電 「クリスマス」島 ヨリ連行 セル俘虜 (「ラングレー」運用 長 )ノ言 ニ依 レバ一 .「ラングレー」ハ二 月 二 十 二 日 「フリマントル」發 Whipple及Edsallの護衛 駆逐 艦 ヲ伴 ヒ戰 斗 機 三 十 二 台 搭載 「チラチヤツプ」ニ輸送 回航 ノ途中 「チラチヤツプ」ノ南方 八 十 浬 ニ於テ二 月 二 十 七 日 九 機 及七 機 編隊 ノ爆 撃 ヲ受ケ數 彈 命中 火災 浸水 シ人命 ヲ護衛 艦 ニ救助 セル後 護衛 艦 ノ雷撃 ニ依 リ沈没 セリ二 .二 月 二 十 八 日 クリスマス島 ニテ本人 ハ護衛 艦 ノ救助 人員 處理 打 合 ノ爲 特務 艦 ニ派遣 ノ途中 三 機 編隊 ノ爆撃 機 来襲 シ護衛 艦 及特務 艦 至急 出港 シ本人 ハ取 残 サレタリ/三 .「ラングレー」行動 概要 (着發 )十二月 八 日 「マニラ」發 バリックパパン(十 五 日 十 八 日 ) マカツサル(二 十 一 日 二 十 四 日 ) スラバヤ(二 十 六 日 三 十 一 日 ) ポートダーウイン(一 月 四 日 二 月 十 一 日 ) フリマントル二 月 十 九 日 着 〕 - ^ ABDA
司令 部 隷下 のABDA海軍 部隊 (ABDAFLOAT)指揮 官 。1945年 9月 2日 の降伏 文書 調印 式 におけるオランダ代表 。 - ^
本来 ならば2月 28日 にココス諸島 付近 でイギリス軽 巡 エンタープライズ (HMS Enterprise,D52) が船団 に合流 して護衛 を引 き継 ぎ、フェニックスがラングレーとシーウィッチの護衛 艦 となる計画 だった[79]。 - ^ ラングレーに
置 いてきぼりにされたシーウィッチは、2月 28日 チラチャップに入港 した[80]。だがスラバヤ沖 海戦 とバタビア沖 海戦 に敗 れていた連合 国軍 は大 混乱 に陥 っており、せっかく輸送 したP-40もジャワ島 攻防 戦 で活用 されなかった[80]。 - ^ (
昭和 17年 2月 28日 記事 )[81]〔 ○第 二 空 〔襲 〕部隊 (二六 -二 二 三 〇)一 二 五 五 バリ島 160°~250°間 400′索敵 。空母 (「龍 驤」型 ?)「フューリアス」又 ハ特 空母 ヲ発見 セル外 、敵 ヲ見 ズ。〕 - ^ 『
戦史 叢書 第 26巻 蘭 印 ・ベンガル湾 方面 海軍 進攻 作戦 』476ページでは陸 攻 16機 とする[84]。 - ^ (
昭和 17年 4月 4日 記事 )[105]〔 [上 欄 ]○クリスマス島 ニ「ラングレー」運用 長 アリ、俘虜 トス。「ラングレー」ハ開戦 後 南下 シ「マカッサル」「バタビア」等 ヲ経 テ「パース」ニ至 リ、再 ビ北上 中 ヲ二 月 二 十 七 日 ジャバ南方 海面 ニテ陸上 攻撃 機 九 機 ノ攻撃 ヲ受ケ、乗員 駆逐 艦 二 隻 ニ避退、駆逐 艦 ノ雷撃 ニテ沈メ「クリスマス」島 ニ避難 セルヲ、再 ビ空襲 セラレ至急 出港 シテ、運用 長 ノミハ取 残 サレタリ。〕 - ^ (
昭和 17年 2月 28日 記事 )[93]〔 ○傍受 米 艦 ガ『「ラングレー」ガ十 六 機 ノ敵 機 ニヨリ爆 撃 ヲ受ケツヽアリ』ト平文 ヲ打 ツ。「ラングレー」ハ先 キニ「マーシャル」東方 デ沈メタコトニナツテヰル。「ジャバ」南方 海面 ダカラ今度 ノ方 ガホントラシイ。〕 - ^ 【
大本營 發表 】(一 月 十 四 日 午後 三 時 )帝國 潜水 艦 は十 二 日 夕刻 ハワイ西方 洋上 において米國 太平洋艦隊 所属 航空 母艦 「レキシントン」型 一 隻 (三 萬 三 千 トン)を雷撃 、魚雷 二 本 命中 を確認 したるところ、敵 驅逐 艦 の制壓 をうけ潜没 せるため該航空母 艦 の沈没 を確認 するに至 らざりしも、潜没 中 二 回 にわたる大 爆發 を聴音 せるをもつて同艦 は沈没 せること確實 なるものと認 む(註)潜没 とは潜水 艦 の必要 に應 じ急速 に潜望鏡 もろとも潜航 する動作 をいふ。【大本營 發表 】(一 月 九 日 午後 六 時 )(一 )帝國 海軍 潜水 艦 は一 月 八 日 ジョンストン島西 南部 洋上 において米國 軍艦 ラングレーを撃沈 せり (二 )一 月 七 日 早朝 伊豆半島 沖 に於 て第 一 雲海 丸 は敵 潜水 艦 の魚雷 攻撃 を受 け船體 に損傷 を被 りたるも同船 乗員 は全部 無事 なり【寫眞 上 は太平洋 上 に活躍 する殊勲 のわが潜水 艦 】[17]。 - ^ さきに(
二 月 )十 八 日 、わが海軍 航空 部隊 は、スラバヤの大 空襲 に於 て、米 英 蘭 聯合 空軍 の大半 を撃滅 したが、その後 引 きつゞき二 十 五 日 まで、蘭 印 全土 とニューギニア島 所在 の残存 航空 兵力 の撃滅 を期 し、敵 機 計 九 十 九 機 を撃 墜破した。二 十 七 日 スラバヤ沖 海戰 に先 ち、わが海軍 航空 部隊 はバリ島 附近 の海上 に於 て、敵 特設 航空 母艦 を攻撃 し、之 に命中 彈 六 を浴 びせて大 火災 を生 ぜしめ、同艦 艦上 に待機 の敵 機 約 三 十 及 び格納庫 搭載 中 の飛行機 全部 を、爆破 炎 上 せしめ、又 警戒 中 の敵 大型 飛行 艇 二 機 を撃墜 した[111]。
脚注
[- ^ a b c d e f g h i j k l m n
写真 :アメリカ海軍 「〈写真 特集 〉アメリカ空母 発達 史 1922-2022」『世界 の艦船 』第 981集 (2022年 10月 特大 号 )海人 社 P.22-23 - ^ 「
昭和 16.12~18.12大 東亜 戦争 経過 概要 (護衛 対 潜 関係 )其 の1/昭和 17年 2月 」 アジア歴史 資料 センター Ref.C16120656600 p.10(昭和 17年 2月 )〔 28|1515|チラチャップ ノS80′ニテ ラングレー ラシキモノ爆撃 |南西 |浸水 傾斜 警戒 中 ノdガ自 ラ ラングレー ヲ雷撃 沈没 セシム 〕 - ^
歴 群 53、アメリカの空母 2006, p. 188aアメリカの空母 主要 目 一覧 /ラングレー - ^ a b
歴 群 53、アメリカの空母 2006, p. 188b. - ^
世界 の艦船 、航空 母艦 全 史 2008, pp. 20a-21アメリカ/ラングレー LANGLEY (CV-1) - ^
福井 、世界 空母 物語 2008, p. 3(ラングレー写真 および解説 ) - ^ a b
大内 、護衛 空母 入門 2005, pp. 56a-57第 7図 航空 母艦 ラングレーの外形 図 - ^
歴 群 53、アメリカの空母 2006, p. 40艦隊 型 空母 ラングレー〔CV-1〕 - ^
大 東亜 戦争 戦 况解説 、シンガポール陥落 まで 1942, p. 41(原本 64頁 ) - ^
歴 群 53、アメリカの空母 2006, pp. 83a-84「ジュピター」改造 の初 の米 空母 「ラングレー」 - ^
海軍 参考 年鑑 、大正 13年版 1924, pp. 31–32(原本 27-29頁 ) - ^
連合 軍 艦艇 撃沈 す 2013, p. 15. - ^
歴 群 53、アメリカの空母 2006, p. 84a就役 後 の「ラングレー」 - ^ a b
中島 、航空 母艦 1930, p. 8(原本 7頁 ) - ^
福井 、世界 空母 物語 2008, pp. 265–266衣 がえする旧式 空母 - ^ a b c d
細川 、米 海軍 1944, pp. 53–55(原本 85-88頁 ) - ^ a b ハワイ
海戰 マレー沖 海戰 1942, p. 33(原本 42-43頁 ) - ^ a b
福井 、世界 空母 物語 2008, pp. 199–120米国 の水上 機 母艦 /◇ラングレー(Langley AV-3) - ^ a b
戦史 叢書 24 1969, pp. 321–323開戦 時 における米 比 軍 の配備 - ^ a b
戦史 叢書 24 1969, pp. 327–329アジア艦隊 - ^ a b
戦史 叢書 26 1969, pp. 475–478基地 航空 部隊 、空母 ラングレーを撃沈 - ^ #ジュピター
見学 報告 pp.2-3〔 (イ)本船 ハ米國 カリホルニヤ州 メヤーアイランド海軍 造船 所 ニテ建造 シ一 九 一 二 年 八 月 二 十 四 日 ノ進水 ニ係 リ其ノ要目 ノ概要 左 ノ如シ/長 五 四 二 呎|幅 六 五 呎|載貨 吃水 (平均 )二 七 呎八吋 |排水 量 二 〇,〇〇〇噸 (概略 ヲ云 ヒシナラン軍令 部 常 報 ニヨレハ一 九 三 六 〇噸 )|最大 載 炭 量 一 二 ,〇〇〇噸 (〃一 〇四 五 七 噸 )/最大 重油 搭載 量 二 ,〇〇〇噸 (〃二 九 三 二 噸 )/最大 速力 一 四 節 (全力 公 試 ノ結果 一 五 節 ヲ得 タリ)/経濟 速力 一 〇節 /乗員 准 士官 以上 一 六 人 下士 卒 三 〇〇人 〕 - ^ #ジュピター
見学 報告 pp.4-5 - ^
歴 群 53、アメリカの空母 2006, pp. 80a-84水上 機 から艦上 機 搭載 へ、空母 「ラングレー」誕生 - ^
福井 、世界 空母 物語 2008, pp. 47–51発着 艦 実験 - ^
福井 、世界 空母 物語 2008, p. 49. - ^ a b
歴 群 53、アメリカの空母 2006, p. 80b. - ^
歴 群 53、アメリカの空母 2006, p. 81a艦載 機 から空母 艦上 機 へ - ^
世界 の艦船 、航空 母艦 全 史 2008, pp. 16–17イギリス/フューリアス FURIOUS - ^
福井 、世界 空母 物語 2008, pp. 57–60◇フューリアス(Furious) - ^
世界 の艦船 、航空 母艦 全 史 2008, p. 18イギリス/アーガス ARGUS - ^
大内 、幻 の航空 母艦 2006, p. 20. - ^
福井 、世界 空母 物語 2008, pp. 261–262海戦 様式 が生 みだしだ新 艦 種 - ^
福井 、世界 空母 物語 2008, pp. 239–240史上 初 の空母 を生 んだ大 英 帝国 - ^
福井 、世界 空母 物語 2008, pp. 62–64◇イーグル(Eagle) - ^ a b
大内 、幻 の航空 母艦 2006, p. 308. - ^
世界 の艦船 、航空 母艦 全 史 2008, pp. 22–24日本 /鳳 翔 HOSHO - ^
歴 群 53、アメリカの空母 2006, pp. 81b-82具体 化 する航空 母艦 の整備 - ^ a b c d
歴 群 53、アメリカの空母 2006, p. 82b. - ^
歴 群 53、アメリカの空母 2006, p. 82a-83新造 を見送 り既成 刊 改造 で早期 の空母 整備 を決定 - ^ a b c
連合 軍 艦艇 撃沈 す 2013, p. 16. - ^
大内 、護衛 空母 入門 2005, p. 53. - ^ a b c d e f
歴 群 53、アメリカの空母 2006, p. 83b. - ^
海軍 参考 年鑑 、大正 13年版 1924, p. 32(原本 28頁 )(米國 航空 母艦 ラングレー) - ^
大内 、護衛 空母 入門 2005, pp. 54a-55第 6図 航空 母艦 アーガスの外形 図 - ^
歴 群 53、アメリカの空母 2006, p. 158カタパルト(射出 機 ) - ^
歴 群 53、アメリカの空母 2006, p. 159. - ^ a b c d e f g
歴 群 53、アメリカの空母 2006, p. 84b. - ^
歴 群 53、アメリカの空母 2006, pp. 160–161着 艦 制動 装置 - ^
歴 群 53、アメリカの空母 2006, p. 163. - ^
大内 、護衛 空母 入門 2005, pp. 54b-55. - ^ a b
大内 、護衛 空母 入門 2005, pp. 56b-57. - ^
中島 、航空 母艦 1930, pp. 7–8原本 5頁 (第 二 圖 英國 航空 母艦 イーグル)、原本 6頁 (第 三 圖 英國 航空 母艦 ハーミス) - ^ #
列国 海軍 造艦 術 現状 pp.14-15〔 (3)米國 米國 ノ航空 母艦 ヘノ第一歩 ハ一 九 二 一 年 海軍 給 炭 船 「レンヂヤー」(註、ラングレー)ノ航空 母艦 ヘノ改造 方 ヲ命 ゼラレタルニ始 マル最近 完成 セル一 四 ,五 〇〇噸 型 「レンヂヤー」ハ最初 FLUSE DECK TYPEナリシガ其ノ後 計畫 變更 サレISLAND TYPEトナリタリ「ヨークタウン」級 ハ恐 ラクISLND TYPEナルベシ 〕 - ^
世界 の艦船 、航空 母艦 全 史 2008, p. 20b. - ^
軍艦 写真 帖 1927, p. 131(米國 航空 母艦 ラングレー) - ^
福井 、世界 空母 物語 2008, p. 72. - ^ ポケット
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福井 、世界 空母 物語 2008, p. 73. - ^
中島 、航空 母艦 1930, pp. 27–28原本 44-46頁 (日 米 英 仏 伊 航空 母艦 要目 表 ) - ^
福井 、世界 空母 物語 2008, p. 70. - ^
歴 群 53、アメリカの空母 2006, p. 41. - ^ a b
連合 軍 艦艇 撃沈 す 2013, p. 17. - ^ #
列国 海軍 造艦 術 現状 p.13〔三 、航空 母艦 (1)一般 事項 (中略 )新型 航空 母艦 トシテ米國 ニ在 リテハ昨年 完成 セル一 四 ,五 〇〇噸 型 ノ「レンヂヤー」及目下 建造 中 ノ二 〇,〇〇〇噸 型 ノ「ヨークタウン」竝 ニ「エンタープライズ」アリ英國 ニテハ「アークロイヤル」(現存 ノ水上 機 母艦 ノ名稱 ヲトル)ノ建造 ニ着手 セリト云 フ 〕 - ^ a b
連合 軍 艦艇 撃沈 す 2013, p. 18. - ^
戦史 叢書 24 1969, p. 118. - ^
永井 、木俣 , 115、116ページ - ^
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戦史 叢書 24 1969, p. 220. - ^
戦史 叢書 24 1969, pp. 173–174攻撃 計画 - ^
戦史 叢書 24 1969, pp. 183–184戦果 判断 - ^
戦史 叢書 24 1969, pp. 184–185十 二 月 九 日 - ^ a b c d #S1703
十 六 戦隊 日誌 (4) pp.40-42(ラングレー行動 報告 ) - ^ a b
連合 軍 艦艇 撃沈 す 2013, p. 19. - ^
永井 、木俣 , 117ページ - ^ a b c
連合 軍 艦艇 撃沈 す 2013, p. 20. - ^ a b c d
連合 軍 艦艇 撃沈 す 2013, p. 21. - ^ a b c d
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戦史 叢書 26 1969, pp. 493–499六 機動 部隊 の作戦 (三 月 一 日 まで) - ^ #
赤城 飛行機 隊 (1) pp.37-38(昭和 17年 3月 1日 、赤城 飛行機 隊 戦闘 行動 調書 )〔米 特務 艦 「ペコス」攻撃 〕、#蒼 龍 飛行機 隊 (2) pp.30-31(昭和 17年 3月 1日 、蒼 龍 飛行機 隊 戦闘 行動 調書 )〔不時 會 敵 、敵 商船 攻撃 〕 - ^ #
加賀 飛行機 隊 pp.16-18(昭和 17年 3月 1日 、加賀 飛行機 隊 戦闘 行動 調書 )〔米 給油 艦 「ペコース」駆逐 艦 「エドソール」攻撃 〕 - ^
日本 空母 戦史 1977, p. 164. - ^
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高松宮 日記 4巻 1996, p. 203. - ^ #S1703
十 六 戦隊 日誌 (4) pp.27-29(4月 1日 2330X攻略 部隊 指揮 官 )〔 X攻略 部隊 機密 第 三 九 番 電 X攻略 部隊 戰 斗 概 報 第 二 號 (四 月 一 日 )九 .監禁 中 ノ米人 一 人 ハ「ラングレー」運用 長 ニシテ捕虜 トシテ名取 ニ移乗 内地 便 イテ送致 スル予定 〕 - ^ 「
昭和 16年 12月昭和 20年 9月 大 東亜 戦争 略 暦 (甲 )(防衛 省 防衛 研究所 )/昭和 17年 」 アジア歴史 資料 センター Ref.C16120696100 p.1(昭和 十 七 )〔八 |我 潜水 艦 ジョンストン島西 南方 デ「ラングレー」撃沈 〕、「大 東亜 戦争 大本営 発表 (防衛 省 防衛 研究所 )/撃沈 ・撃破 ・沈没 」 アジア歴史 資料 センター Ref.C16120680600 p.2〔 1-8(ジョンストン沖 )|ラングレー|1(潜水艦 攻撃 ニ依 ル) 〕 - ^
海軍 要覧 1944, p. 232(原本 434頁 )翌 八 日 わが潜水 艦 は、あたかもその仇 を報 ずるが如 く、遠 く太平洋 のジョンストン島西 南方 海面 に於 て、米 水上 機 母艦 ラングレー(二 ,〇五 〇噸 )を撃沈 した。同艦 は米 海軍 最初 の航空 母艦 で、現 に米 太平洋艦隊 に属 し、米國 海軍 航空 隊 の爲 には、敵 ながら随分 貢献 したものであつた。 - ^ 「
昭和 16.12~18.12大 東亜 戦争 経過 概要 (護衛 対 潜 関係 )其 の1/昭和 17年 1月 」 アジア歴史 資料 センター Ref.C16120656500 p.1(昭和 17年 1月 )〔 8|0710|イ25ジョンストン ノ240°S540′ニ於テ米 ラングレー撃沈 | |後 デ特設 航空 母艦 or特設 航空機 運搬 艦 ノ誤 リト判明 〕 - ^
瀬名 , 138、139ページ。「大 東亜 戦争 大本営 発表 (防衛 省 防衛 研究所 )/撃沈 ・撃破 ・沈没 」 アジア歴史 資料 センター Ref.C16120680600 p.3(昭和 17年 3月 7日 綜合 戦果 より)〔 2-27(バリ島 沖 )特 空母 1ヲ含ム 〕 - ^
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参考 文献
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関連 項目
[外部 リンク
[- Images on Naval Historical Center page - ウェイバックマシン(2001
年 2月 10日 アーカイブ分 ) - navsource.org