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湯口 栄蔵(ゆぐち えいぞう、1945年7月4日 - 2003年2月2日)は、日本の元サッカー選手。選手時代のポジションはミッドフィルダー。大阪府大阪市出身。
関西大学在学中から日本代表に入り、大学卒業後はヤンマーディーゼルサッカー部に所属。日本代表として、1968年のメキシコシティオリンピックに出場し銅メダルを獲得した。
国際Aマッチ通算5試合出場、1得点。引退後は近畿大学サッカー部の監督などを務めた。
2003年2月2日、奈良県奈良市で胃癌により死去した[1][3]。57歳没[3]。
メキシコシティオリンピックの1次リーグ第三戦のスペイン代表戦に、0対0の後半30分から途中出場した。その際、日本代表と同組だったブラジル代表がリードされている状況を知った監督の長沼健が、決勝トーナメント準々決勝で地元メキシコ代表との対戦を避けるため、「点を入れるな。このまま(0対0の)ドローで良い」という指示をピッチ上の選手に与えるために送り出した選手として知られている[4]。
出場大会[編集]
- 国際Aマッチ 5試合 1得点(1969-1970)[2]
日本代表 | 国際Aマッチ |
その他 | 期間通算 |
年 | 出場 | 得点 |
出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
1968 |
0 |
0 |
6 |
1 |
6 |
1
|
1969 |
1 |
0 |
8 |
0 |
9 |
0
|
1970 |
4 |
1 |
1 |
0 |
5 |
1
|
1971 |
0 |
0 |
5 |
0 |
5 |
0
|
通算
|
5 |
1 |
20 |
1 |
25 |
2
|