無比むひ無敵むてきりゅう

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無比むひ無敵むてきりゅう
むひむてきりゅう
使用しよう武器ぶき つえ
発生はっせいこく 日本の旗 日本にっぽん
発生はっせいねん 1600
創始そうししゃ 佐々木ささきあきらとき徳久とくひさ
流派りゅうは 無比むひ無敵むてきりゅう無比むひりゅう
主要しゅよう技術ぎじゅつ つえじゅつ
公式こうしきサイト

あきらたけかん

かつたけしかん
伝承でんしょう 茨城いばらきけん神奈川かながわけん
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無比むひ無敵むてきりゅう(むひむてきりゅう)は、日本にっぽん武道ぶどう流派りゅうはの1つ。「無比むひりゅう」とりゃくしてばれることもおおい。もともとは、つえじゅつのほか、居合いあいじゅつ柔術じゅうじゅつ組合くみあい剣術けんじゅつ長刀ちょうとう(なぎなた)をふく総合そうごう武術ぶじゅつであった。江戸えど時代じだいに、ため我流がりゅうからだじゅつ茨城いばらきでんけい)、明治めいじ時代じだい浅山あさやまいちつてりゅうからだじゅつ東京とうきょうでんけい)をわせた[1]

名称めいしょうは、意識いしきせずくらべないという意味いみの「無比むひ」であり、それゆえにてきができないという意味いみの「無敵むてき」に由来ゆらいしている。また、くらべないてきつくらないという意思いし表現ひょうげんするため、5しゃく5すんぼうではあるが「棒術ぼうじゅつ」とはばず「つえじゅつ」という[2]

萬治まんじ元年がんねん(1658ねん)に発行はっこうされたりゅう直筆じきひつの「神道しんとう無比むひ流傳りゅうでんしょ」によれば、居合いあいじゅつ林崎はやしざきりゅうとの関連かんれんがうかがえ、また現在げんざいつたわっている無比むひりゅう居合いあいじゅつは、新田にったみやりゅう無形むけいりゅう)のながれをんでいる[3]無形むけいりゅうは、幕末ばくまつから明治めいじため我流がりゅうけいつたわっており、その系統けいとう武石たけいし兼相かねすけつたわり、武石たけいし明治めいじながれめいを「無比むひりゅう」にあらため、無比むひりゅうに併伝されたという。

ながれ[編集へんしゅう]

やり名手めいしゅながれ佐々木ささきあきらとき徳久とくひさは、きゅうしゃくやり関ケ原せきがはら合戦かっせんのぞんだ。激戦げきせん活躍かつやくするも、途中とちゅうやりさきれ、のみで奮戦ふんせんやり以上いじょう成果せいか感動かんどうし、つえじゅつ開眼かいがんした。その伊豆いず箱根はこね両所りょうしょ権現ごんげん三島みしま大社たいしゃ祈願きがんし、無始無終むしむしゅうさとりを無比むひ無敵むてきりゅうつえじゅつ創始そうしした。[2]。 伊豆いずつたわるつてけいはそのときのものとおもわれる。[4]

さらに、日本にっぽん開山かいさん住所じゅうしょとして各地かくち遍歴へんれき鹿島かしま香取かとり目指めざあつまる武者むしゃ修行しゅぎょうしゃ筑波つくばさん中心ちゅうしんとする山賊さんぞく蛮行ばんこう苦労くろうしていた茨城いばらきに、民衆みんしゅう防衛ぼうえい方法ほうほうとしてつえじゅつのこした。[2]

つえじゅつ研究けんきゅうのため剣術けんじゅつもよく研究けんきゅうし、ながれ仙台せんだいはんでん神道しんとうりゅうがたなじゅつ開祖かいそでもあり[5]仙台せんだいにもつえじゅつのこした。(昭和しょうわ40年代ねんだいに、だい14だい根本ねもと平三郎へいさぶろう道場どうじょう仙台せんだいつてけいつたえるものがいた)

歴史れきし[編集へんしゅう]

  • 北辰ほくしん一刀いっとうりゅう水戸みと東武とうぶかんで、他流たりゅう試合しあいをしに相手あいてとまずさき手合てあわせをしたのが無比むひりゅうであることが、あきらこうかんのこされた文書ぶんしょにある。[4]
  • 民間みんかん防衛ぼうえい技術ぎじゅつとして、茨城いばらきひろつたわるとともに、開祖かいそ足跡あしあととともに、伊豆いず仙台せんだいにもそのつてけいのこっていた。
  • 宗家そうけろく代目だいめ片岡かたおか宗吉そうきちけいじゅうは、水戸みと地方ちほうにおいて、明和めいわ天明てんめいころから民衆みんしゅう自衛じえい武術ぶじゅつとして水戸みと近郷近在きんごうきんざいにおいてさか隆盛りゅうせいきわめた。[注釈ちゅうしゃく 1]

系譜けいふ[編集へんしゅう]

ながれ佐々木ささきあきらとき徳久とくひさ-野村のむら甚左ヱもんじょうかつただし-武田たけだふじ七郎しちろう重明しげあき-本多ほんだおさむ左衛門尉さえもんのじょう-山田やまだ宇左まもるじょう-片岡かたおか宗吉そうきちけいじゅう(茨城いばらきでんけい東京とうきょうでんけいかれる)

     茨城いばらきでんけい-軍司ぐんじ左衛門さえもん信三しんぞう-あんわたる八郎はちろう忠信ちゅうしん-大内おおうち藤次郎とうじろう忠信ちゅうしん(茨城いばらきでんけいすうかれる)

         -勝村かつむら惣七そうしち忠信ちゅうしん-根本ねもとしげるよし忠勝ただかつ-根本ねもと平三郎へいさぶろうただひさ-根本ねもと憲一けんいちただ            
         -川又かわまたさん大蔵おおくら-あんみぎ衛門えもん-寺山てらやま善七ぜんしちせいのり[5]

     東京とうきょうでんけい-軍司ぐんじ左衛門さえもん信三しんぞう-前島まえじま良助りょうすけじょう-池田いけだ文左衛門ぶんざえもんまことまき-小松崎こまつざき兵庫ひょうごぎょうもとむ-武石たけいし新三郎しんざぶろう信光のぶみつ  

         -武石たけいし謙太郎けんたろう兼相かねすけ[6]       
          -さいくび福松ふくまつ(神田かんだまさるたけかん道場どうじょうぬし)  

          -清水しみず謙一郎けんいちろう護身ごしんどう  

          -渡辺わたなべ清作せいさく  

          -松本まつもとみつぐ兼久かねくまつみちりゅう

         ※これ以外いがいにも、伊豆いず仙台せんだいにもあった。

流儀りゅうぎ特徴とくちょう[編集へんしゅう]

  • やりみさおほう基本きほんとし、たいするけんうごきは仙台せんだいはんでん神道しんとうりゅうもととする。[注釈ちゅうしゃく 2][1]
  • つえながさは5しゃく5すんふとさは1すん2ふん~8ふん(ながれ使用しようしたつえは、1すん8ふんわれている。[1]
  • 他流たりゅう試合しあいきんじておらず、おおくの流派りゅうは親交しんこうがあった。
  • 神田かんだにあったかつたけしかん(武石たけいし兼相かねすけ)では、ひょう4ほんかたまなぶと他流たりゅう試合しあいすすめた。道場どうじょうには他流たりゅう試合しあいもとめてくるものがいるだけでなく、ちかくの示現じげんりゅう小野おの一刀いっとうりゅうなどの道場どうじょうさかんに交流こうりゅう試合しあいがおこなわれた。[7]
  • だい9だい小松崎こまつざき兵庫ひょうごは、道場どうじょうのみならず自宅じたくなかにまで他流たりゅう試合しあいもときたられてこまったことがあったそうだ。また、このとき経験けいけんから、素手すでたたか必要ひつようせいかんじ、柔術じゅうじゅつあわつようになった。[7]
  • 試合しあいのやりかたは、こちらは小手こてどう相手あいて武器ぶきとしたらち、相手あいてはどの部分ぶぶんでもりつけたらちというルール[7]
  • 茨城いばらきでんけいため我流がりゅう柔術じゅうじゅつ(ため我流がりゅうにも浅山あさやまいちつてりゅうわざすこのこしている)を、東京とうきょうでんけい浅山あさやまいちつてりゅう素手すでたたか部分ぶぶん中心ちゅうしんのこ整理せいりした兼相かねすけりゅう柔術じゅうじゅつ(希望きぼうしゃには、浅山あさやまいちつてりゅう剣術けんじゅつ居合いあいなどそのすべてをおしえた)をあわ[7]
  • 入門にゅうもん誓紙せいし(入門にゅうもん注意ちゅうい事項じこうたい署名しょめい血判けっぱん現在げんざいはしていない》をす)→がみばんし(ひょう4つのかたならわった時点じてんで、ったかみ血判けっぱん部分ぶぶんられかえされる《現在げんざいはしていない》。他流たりゅう試合しあいすすめられるようになる《現在げんざいはしていない》)→免許めんきょ皆伝かいでん印可いんかたけごう))

現在げんざい[編集へんしゅう]

  • 茨城いばらきでんけいは、ひたちなか中心ちゅうしんぜんけんにわたって活動かつどうしている。(茨城いばらきけんひたちなか あきらたけかん)
  • 東京とうきょうでんけい中心ちゅうしんは、神田かんだまさるたけかんであったが、戦時せんじちゅう戦災せんさいけたひと救護きゅうごしょとつかわれたため、閉館へいかんした。現在げんざいでは、神奈川かながわけん平塚ひらつか中心ちゅうしん活動かつどうしている。(神奈川かながわけん平塚ひらつか かつたけしかん)

東京とうきょうでんけい茨城いばらきでんけいまた茨城いばらきかく地方ちほう仙台せんだいでんけいによっては、かたはじまりかた途中とちゅううごきに若干じゃっかんちがいがある。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ だい15だい根本ねもと憲一けんいち武道ぶどう協会きょうかい紹介しょうかいによる http://www.nihonkobudokyoukai.org/martialarts/054/
  2. ^ かた名称めいしょうけんりかぶりかたみさおほうに、神道しんとうりゅう部分ぶぶんおおふくまれる。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c だい12だい武石たけいし兼相かねすけ だん
  2. ^ a b c だい12だい武石たけいし兼相かねすけ ちょ 略述りゃくじゅつ 無比むひりゅうつえじゅつ
  3. ^ かつたけしかんホームページ
  4. ^ a b だい13だい根本ねもと平三郎へいさぶろう だん
  5. ^ a b 綿谷わたやゆき山田やまだ忠史ただしへん武芸ぶげい流派りゅうはだい事典じてん」P831 より
  6. ^ 無比むひ無敵むてきりゅうつえじゅつ目録もくろく系統けいとうによる
  7. ^ a b c d だい12だい武石たけいし兼相かねすけ道場どうじょうかつたけしかん道場どうじょうぬし だん
  • 注意ちゅういおおくが口伝くでんむねとするため、資料しりょうとすべきものがまんにん認知にんちされるようなものがありません。(おおくは、だい13だい根本ねもと平三郎へいさぶろう先生せんせいへの取材しゅざい東京とうきょうでんけい神田かんだかつたけしかん」の道場どうじょうぬし取材しゅざいもと執筆しっぴつしたものです。)

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 増補ぞうほだい改訂かいてい 武芸ぶげい流派りゅうはだい事典じてん』 編者へんしゃ綿谷わたやゆき山田やまだ忠史ただし 発行はっこうしゃ斎藤さいとう安弘やすひろ 発行はっこうしょ:㈱東京とうきょうコピイ出版しゅっぱん 発行はっこう昭和しょうわ53ねん12がつ10日とおか