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真寂入道親王(しんじゃく にゅうどうしんのう)は、宇多天皇の第三皇子。母は橘義子。出家前は斉世親王(ときよ しんのう)。官位は三品・上総太守。
光孝朝の仁和2年(886年)臣籍降下していた源定省の三男・源斉世として生まれる。仁和3年(887年)父・定省の践祚(宇多天皇)に伴い、斉世も皇族になった。寛平元年(889年)兄弟3人とともに親王宣下を受ける。
寛平8年(896年)大学寮において講書初めが行われ、昌泰元年(898年)元服した。その後、醍醐朝にて兵部卿・上総太守などを歴任した。しかし、延喜元年(901年)斉世親王の兄である醍醐天皇から斉世親王に譲位させようとしたという嫌疑により、岳父の右大臣・菅原道真が大宰府に左遷されると、斉世親王は仁和寺に入って真寂と名乗った(昌泰の変)。
その後は欣求修行につとめ7回の灌頂を受けたという。のち円成寺に移った。延長5年(927年)9月10日薨去。享年42。