石本 新 六
いしもと しんろく | |
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1854 ( | |
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1912 | |
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1911 |
経歴
[年譜
[- 1877
年 (明治 10年 )7月 5日 -少尉 - 1880
年 (明治 13年 )5月 7日 -工兵 中尉 - 1883
年 (明治 16年 )2月 28日 -工兵 大尉 - 1888
年 (明治 21年 )2月 17日 -工兵 少佐 - 1891
年 (明治 24年 )11月7日 -工兵 中佐 - 1892
年 (明治 25年 )7月 1日 -軍務 局 工兵 事務 課長 - 1894
年 (明治 27年 )1月 10日 -免 兼 海軍 大 学校 教官 [7] - 1895
年 (明治 28年 )- 1
月 29日 -工兵 大佐 - 7
月 29日 -高等官 三 等 、兼任 臨時 台湾 橙 標 建設 部 事務 官 [8]
- 1
- 1896
年 (明治 29年 )- 5月9
日 -軍務 局 工兵 課長 - 11月20
日 -東京 市区 改正 委員 [9]
- 5月9
- 1897
年 (明治 30年 )- 9月15
日 -築城 本部 長 - 10月23
日 -兼 陸軍 砲 工 学校 校長 [10]
- 9月15
- 1898
年 (明治 31年 )- 3月3
日 -陸軍 少将 - 3
月 10日 -免 土木 会 委員 [11]
- 3月3
- 1899
年 (明治 32年 )6月 15日 -築城 部 本部 長 - 1902
年 (明治 35年 )4月 17日 -陸軍 省 総務 長官 兼 理事 兼 法務局 長 - 1903
年 (明治 36年 )- 7
月 24日 -高等官 一等 [12] - 12月5
日 -陸軍 次官 兼 法務局 長
- 7
- 1904
年 (明治 37年 )- 2
月 27日 -兼 俘虜 情報 局 長官 - 7
月 9日 -兼 臨時 陸軍 検疫 本部 長 [13] - 10月13
日 -陸軍 中将
- 2
- 1905
年 (明治 38年 )12月28日 -免 法務局 長 - 1907
年 (明治 40年 )9月 21日 -男爵 叙爵 - 1909
年 (明治 42年 )- 9月12
日 -人事 局長 事務 取扱 - 11月30
日 -免 人事 局長 事務 取扱
- 9月12
- 1911
年 (明治 44年 )- 8
月 30日 -陸軍 大臣 - 9月29
日 -免 鉄道 会議 議員 [14]
- 8
栄典
[- 1890
年 (明治 23年 )7月 3日 -従 六 位 [15] - 1891
年 (明治 24年 )12月28日 -正 六 位 [16] - 1895
年 (明治 28年 )3月28日 -従 五 位 [17] - 1898
年 (明治 31年 )4月 30日 -正 五 位 [18] - 1903
年 (明治 36年 )5月30日 -従 四 位 [19] - 1908
年 (明治 41年 )6月 20日 -正 四 位 [20] - 1911
年 (明治 44年 )9月2日 -従 三 位 [21] - 1912
年 (明治 45年 )4月 2日 -正 三 位 [22]
勲章 等
- 1889
年 (明治 22年 )11月29日 -大日本帝国 憲法 発布 記念 章 [23] - 1892
年 (明治 25年 )5月28日 -勲 四 等 瑞宝章 [24] - 1895
年 (明治 28年 ) - 1898
年 (明治 31年 )11月24日 -勲 三 等 瑞宝章 [27] - 1905
年 (明治 38年 )5月30日 -勲 二 等 瑞宝章 [28] - 1906
年 (明治 39年 )4月 1日 -勲一等 旭日大綬章 ・功 二 級 金鵄勲章 ・明治 三 十 七 八 年 従軍 記章 [29] - 1907
年 (明治 40年 )9月21日 -男爵 [30] -
勲 三 等 瑞宝章
外国 勲章 佩用 允許
- 1887
年 (明治 20年 )5月18日 - イタリア王冠 勲章 カヴァリエーレ[31] - 1904
年 (明治 37年 )12月2日 -大 清 帝国 二 等 第 二 双竜 宝 星 [32] - 1905
年 (明治 38年 )8月 8日 -勲一等 太極 章 [33] - 1909
年 (明治 42年 )11月30日 - 1等 聖 アンナ勲章 [34] - レジオンドヌール
勲章 シュヴァリエ
逸話
[森 林太郎 (森 鴎外 )の上官 であり、森 於菟 の随筆 『砂 に書 かれた記録 』(『父親 としての森 鴎外 』所収 )に「父 はその日記 によると雑誌 『スバル』第 七 号 のために『ヰタ・セクスアリス』を書 いて、明治 42年 6月 9日 、上官 の陸軍 次官 石本 新 六 閣 下 から懲戒 され、雑誌 は7月 28日 内務省 の検閲 官 の忌諱 に触 れて発売 禁止 になるという憂 き目 に遇 った。…略 …父 を叱 りつけたこの際 の石本 中将 閣 下 の処置 を当然 と考 えている。」とある。軍務 の傍 ら姫路城 の修理 に尽力 。天守閣 の崩壊 を防 ぎ、一般 公開 への道 を開 いた[35]。
墓所
[親族
[妻 石本 えつ安達 幸之助 の三 女 [36]、安達 松太郎 (陸軍 教授 )の妹 [1]嗣子 石本 恵 吉 (1887-1951、実業 家 )[1] -旧制 第一高等学校 (級友 に岩波 茂雄 )、東京 帝国 大学 工学部 採鉱 冶金 科 卒業 後 、三井鉱山 勤務 を経 て、渡米 。洋書 取次 業 「大同 洋行 」を興 し、外地 での資源 開発 や労働 問題 の研究 を行 ない、30代 半 ばで中国 に渡 る。1914年 に広田 シヅエ(のちの加藤 シヅエ)と結婚 し二男 をもうけたが、事業 の失敗 で負債 を抱 えて音信 不通 となり、離婚 [37]。1938年 に北京 で中国人 と再婚 し二女 をもうけるも、1949年 に中国 官憲 に逮捕 され日本 に送還 される[38]。二男 石本 憲治 (南 満州 鉄道 理事 )[1]三男 石本 寅三 (陸軍 中将 )[1]四 男 石本 巳四雄 (東京 帝国 大学 教授 ・理学 博士 )[1]五男 石本 五雄 (陸軍 少将 )[39]娘 婿 瀧川 政次郎 (法学 博士 )[1]兄 石本 綱 (陸軍 中佐 )[1]新 六 が大尉 の頃 に没 す。養子 に山口 十 八 の実兄 。妻 の甥 安達 十 六 (陸軍 少将 )・安達 十 九 (陸軍 中将 )・安達 二 十 三 (陸軍 中将 )孫 石本 新 (東京工業大学 教授 )-恵 吉 の長男 。
脚注
[- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『
日本 陸海 軍 総合 事典 』第 2版 、19頁 。 - ^ a b c d e f g h 『
日本 陸軍 将官 辞典 』72頁 。 - ^
上田 正 昭 ほか監修 著 、三省堂 編修 所 編 『コンサイス日本人 名 事典 第 5版 』三省堂 、2009年 、106頁 。 - ^
勢多 郡 誌 編纂 委員 会 編 『勢多 郡 誌 』勢多 郡 誌 編纂 委員 会 、1958年 、928頁 。 - ^ a b c d e 『
陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』49頁 。 - ^ 『
官報 』第 7272号 、明治 40年 9月 23日 。 - ^ 『
官報 』 1894年 1月 11日 敍任 及辭令 - ^ 『
官報 』 1895年 7月 31日 敍任 及辭令 - ^ 『
官報 』 1896年 11月21日 敍任 及辭令 - ^ 『
官報 』 1897年 10月 26日 敍任 及辭令 - ^ 『
官報 』 1898年 3月 11日 敍任 及辭令 - ^ 『
官報 』 1903年 7月 25日 敍任 及辭令 - ^ 『
官報 』 1904年 7月 11日 辭令 - ^ 『
官報 』 1911年 9月 30日 辭令 - ^ 『
官報 』第 2104号 「叙任 及辞令 」1890年 7月 5日 。 - ^ 『
官報 』第 2551号 「叙任 及辞令 」1892年 1月 4日 。 - ^ 『
官報 』第 3521号 「叙任 及辞令 」1895年 3月 29日 。 - ^ 『
官報 』第 4448号 「叙任 及辞令 」1898年 5月 2日 。 - ^ 『
官報 』第 5972号 「叙任 及辞令 」1903年 6月 1日 。 - ^ 『
官報 』第 7495号 「叙任 及辞令 」1908年 6月 22日 。 - ^ 『
官報 』第 8462号 「叙任 及辞令 」1911年 9月 4日 。 - ^ 『
官報 』第 8635号 「叙任 及辞令 」1912年 4月 5日 。 - ^ 『
官報 』第 1938号 「叙任 及辞令 」1889年 12月12日 。 - ^ 『
官報 』第 2680号 「叙任 及辞令 」1892年 6月 6日 。 - ^ 『
官報 』第 3695号 「叙任 及辞令 」1895年 10月 22日 。 - ^ 『
官報 』第 4029号 ・付録 「辞令 」1896年 12月2日 。 - ^ 『
官報 』第 4625号 「叙任 及辞令 」1898年 11月29日 。 - ^ 『
官報 』第 6627号 「叙任 及辞令 」1905年 8月 2日 。 - ^ 『
官報 』号外 「叙任 及辞令 」1907年 1月 28日 。 - ^ 『
官報 』第 7272号 「授爵 敍任 及辞令 」1907年 9月 23日 。 - ^ 『
官報 』 1887年 5月 19日 敍任 及辭令 。 - ^ 『
官報 』第 6433号 「叙任 及辞令 」1904年 12月8日 。 - ^ 『
官報 』明治 38年 8月 11日 。 - ^ 『
官報 』明治 42年 12月4日 。 - ^
千田 稔 『華族 総覧 』講談社 現代新書 、2009年 7月 、326頁 。ISBN 978-4-06-288001-5。 - ^ 『蒿里
余 音 :石本 憲治 君 追悼 録 』(石本 憲治 君 追悼 録 刊行 会 、1937年 )p.6 - ^
石本 惠 吉 (いしもとけいきち)谷中 ・桜木 ・上野公園 路地 裏 徹底 ツアー - ^ 『
心 の軌跡 』石本 幸子 、朝日新聞 出版 、2013、p385 - ^ 『
日本 陸海 軍 総合 事典 』第 2版 、18頁 。
参考 文献
[秦 郁 彦編 『日本 陸海 軍 総合 事典 』第 2版 、東京大学 出版 会 、2005年 。福川 秀樹 『日本 陸軍 将官 辞典 』芙蓉 書房 出版 、2001年 。外山 操 編 『陸海 軍 将官 人事 総覧 陸軍 篇 』芙蓉 書房 出版 、1981年 。- 『
陸軍 現役 将校 列 次 名簿 』(明治 36年 7月 1日 調 ) 13頁
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1907 |