秩父鉄道ちちぶてつどう100かたち電車でんしゃ

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秩父鉄道ちちぶてつどう100かたち電車でんしゃ
主要しゅようしょもと
軌間きかん 1,067(狭軌きょうき) mm
電気でんき方式ほうしき 直流ちょくりゅう1,500V
車両しゃりょう定員ていいん ・デハ100かたち - 126(座席ざせき56)
・クハ60かたち - 116(座席ざせき46)
・クハニ20かたち - 100(座席ざせき46)
車両しゃりょう重量じゅうりょう ・デハ100かたち - 35.2t
・クハ60かたち - 29.2t
・クハニ20かたち - 31.2t
全長ぜんちょう 17,630 mm
全幅ぜんぷく 2,840 mm
ぜんこう ・デハ100かたち - 4,100mm
・クハ60かたち、クハニ20かたち - 4,066 mm
駆動くどう方式ほうしき つりかけ駆動くどう方式ほうしき
歯車はぐるま 57:26
編成へんせい出力しゅつりょく 95kW×4
電動でんどう形式けいしき:MB-146-CF)
制御せいぎょ装置そうち 手動しゅどうすすむ段式だんしき抵抗ていこう制御せいぎょ
制動せいどう装置そうち 自動じどう空気くうきブレーキ
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秩父鉄道ちちぶてつどう100かたち電車でんしゃ(ちちぶてつどう100がたでんしゃ)は秩父鉄道ちちぶてつどう在籍ざいせきしていた通勤つうきんがた電車でんしゃである。1950ねん昭和しょうわ25ねん)から1954ねん昭和しょうわ29ねん)に、おも木造もくぞうしゃはがねたい改造かいぞうしゃとして日本車輌製造にっぽんしゃりょうせいぞう東京とうきょう支店してん製造せいぞうされた。最大さいだい、デハ100かたちデハ101 - 113、クハ60かたちクハ61 - 67、クハニ20かたちクハニ21 - 30、クハユ30かたちクハユ31の31りょう在籍ざいせきしたが、1988ねん昭和しょうわ63ねん)までにぜん車両しゃりょう廃車はいしゃになった。

概要がいよう[編集へんしゅう]

太平洋戦争たいへいようせんそう終戦しゅうせん秩父鉄道ちちぶてつどう保有ほゆう電車でんしゃ電化でんか当初とうしょの1922ねんから1925ねんにかけて製造せいぞうされたデハ10かたちとう国鉄こくてつ払下はらいさ電車でんしゃめられており、ほとんどが木造もくぞうしゃ老朽ろうきゅういちじるしかったことから、体質たいしつ改善かいぜん輸送ゆそうりょく増強ぞうきょう目的もくてきに、統一とういつ仕様しようでの更新こうしんはかったものである。

くるまれきじょうでは、クハ61 - 64、クハニ25 - 28が新造しんぞう、デハ101・102が国有こくゆう鉄道てつどう木造もくぞう客車きゃくしゃ改造かいぞうであるほかは、同社どうしゃ木造もくぞう電車でんしゃとう電化でんか当初とうしょの1921ねんから1925ねんうめはち鉄工てっこうしょ日本にっぽん車輛しゃりょう新造しんぞうされた15mきゅうしゃ・デハ10かたち同形どうけい制御せいぎょしゃのグループ、および国鉄こくてつ払下はらいさ木造もくぞう電車でんしゃのクハ30かたち)の改造かいぞうあつかいとなっている。ただし、実際じっさいには当初とうしょにちしゃがわ手持ても部品ぶひん国鉄こくてつ東武鉄道とうぶてつどう発生はっせいたいわく)であらかじ車体しゃたいしんせいしておき、たねしゃ同社どうしゃおくまれるとわりに発送はっそうされた。そのは、その車体しゃたい使つかってつぎ車両しゃりょう更新こうしんつぎたねしゃまれるとふたた発送はっそうするということが、かえされた。したがって、くるまれきじょうたねしゃたいわくなどが流用りゅうようされているとはかぎらない。[1]

また、更新こうしんおもなベースとなった自社じしゃ発注はっちゅう木造もくぞう電動でんどうしゃグループについては、更新こうしん開始かいしまえの1949ねんから、電装でんそうひん老朽ろうきゅう対策たいさく更新こうしん性能せいのう確保かくほ考慮こうりょして、秩父鉄道ちちぶてつどう社内しゃないでの機器ききかわそう対策たいさくすすめられていた。この措置そちには、熊谷くまがやえき接続せつぞくする国鉄こくてつ高崎線たかさきせん直流ちょくりゅう1500V電化でんか(1952ねん4がつ完成かんせい)にわせ、従前じゅうぜん1200V電化でんかであった秩父鉄道ちちぶてつどうせん同等どうとうの1500V昇圧しょうあつはかったという背景はいけいがあった。木造もくぞうしゃ旧型きゅうがた台車だいしゃ電動でんどうしゃのブリル27-MCB-2)とてい出力しゅつりょくぬし電動でんどうウエスティングハウスWH546-J=48.5kW、三菱みつびしMB64-C=44.8kW)は、順次じゅんじKS-33Eなどの新型しんがた台車だいしゃ強力きょうりょく三菱みつびしMB-146けいしゅ電動でんどう端子たんし電圧でんあつ600V換算かんさんていかく74.6kW、本来ほんらい端子たんし電圧でんあつ750V仕様しようのため昇圧しょうあつ対応たいおう可能かのう)にかわそうする工事こうじほどこされ、空気くうき圧縮あっしゅくもやはりはやくから、ウエスティングハウスの設計せっけいもとづく三菱みつびしせいDH-25にしんせい交換こうかんされている。秩父鉄道ちちぶてつどうせん昇圧しょうあつは、電装でんそうひんかわそう完了かんりょうし、はがねたい進行しんこうちゅうの1952ねん2がつおこなわれた。

車体しゃたい[編集へんしゅう]

いずれも車体しゃたいは、17mきゅうはんはがねせいで、ウィンドウ・シル/ヘッダーづけ客室きゃくしつ座席ざせき配置はいちはロングシートである。きゃくようとびらには1だんのステップがつけられていた。運転うんてんだい中央ちゅうおうにある。全体ぜんたいスタイリングは、日本にっぽん車輛しゃりょうが1948ねんから新造しんぞうおよび木造もくぞうしゃこうからだ製造せいぞうしていた長野ながの電鉄でんてつモハ1000かたち・モハ1500かたち類似るいじする。全長ぜんちょう改造かいぞう新造しんぞうわず17,630mmに統一とういつされているが、初代しょだいクハニ29のみ17,700mmとわずかにおおきい。

このうち、デハ100かたちりょう運転うんてんだい電動でんどう客車きゃくしゃで、まど配置はいちはC3-d4D7D4d。これにたいし、クハ60かたちかた運転うんてんだい制御せいぎょ客車きゃくしゃで、まど配置はいちはC3-d2D4D4D3と、きゃくようとびらかず両者りょうしゃことなっていた。クハニ20かたちかた運転うんてんだい荷物にもつごうづくり制御せいぎょ客車きゃくしゃ、クハユ30かたちどう 郵便ゆうびんごうづくり制御せいぎょ客車きゃくしゃまど配置はいちはどちらもC3-dB2.3D6D3で、ふとまどばしらより運転うんてんせきがわ荷物にもつしつもしくは郵便ゆうびんしつである。なお、制御せいぎょしゃ運転うんてんだいは、いずれも三峰みつみねこうがわ存在そんざいする。

機器ききるい[編集へんしゅう]

電動でんどうしゃ電装でんそうひんは、制御せいぎょ三菱電機みつびしでんきせいのHLしきで、木造もくぞうしゃ時代じだいからの方式ほうしき踏襲とうしゅうした。しゅ電動でんどうはMB-146-CF(端子たんし電圧でんあつ750Vていかく出力しゅつりょく95kW)×4である。台車だいしゃは、デハ100が木南きなみK-16もしくは住友すみともKS-33E、そのはブリル27-MCB-2、TR-10、TR-11のいずれかであった。電動でんどうしゃであるデハ100には許容きょよう荷重かじゅうおおきいK-16やKS-33Eをて、軽量けいりょう制御せいぎょしゃには木造もくぞうしゃ流用りゅうよう荷重におも上限じょうげんかぎられるブリルやTR-10/11をてて使つかけている。

デハ107のKS-33E台車だいしゃ

その改造かいぞうほか[編集へんしゅう]

更新こうしん完成かんせい長年ながねんにわたり秩父鉄道ちちぶてつどう主力しゅりょくしゃつとめ、しゅ電動でんどうつよトルクと比較的ひかくてき低速ていそくでの運転うんてん環境かんきょうかした1M2T、2M3Tのてい電動でんどうしゃ編成へんせいんで運用うんようされた。

1962ねん昭和しょうわ37ねん)にきゃくようとびらのステップが撤去てっきょされた。つづいて1963ねん昭和しょうわ38ねん)から1966ねん昭和しょうわ41ねん)にかけて更新こうしん工事こうじ実施じっしされた。デハ100かたち三峰みつみねこう運転うんてんだい撤去てっきょうえ貫通かんつうとびら設置せっちまど配置はいちはd.3D7D5に変化へんか)、制御せいぎょしゃ熊谷くまがいかた連結れんけつめん貫通かんつうとびら設置せっちされ、固定こてい編成へんせいとなった。また運転うんてんしつ奥行おくゆきが拡張かくちょうされ、前面ぜんめんまど中央ちゅうおうまどおおきい、Hゴム支持しじ方式ほうしきとなった。このほか、きゃくようとびら自動じどう機器きき車両しゃりょうあいだ分散ぶんさん配置はいち密着みっちゃく自動じどう連結れんけつへの交換こうかんなどが実施じっしされている。

なお、クハニ29とこの時期じき事故じここしたクハ62は更新こうしん工事こうじ対象たいしょうからはずれ、それぞれ1966ねん1973ねん昭和しょうわ48ねん)に廃車はいしゃされた。またクハ60がたのうち3りょう (61, 63, 64) は更新こうしん同時どうじ附随ふずいしゃ改造かいぞうされ、番号ばんごうはそのままにサハ60かたち改称かいしょうされた。結果けっか2りょう編成へんせい10ほん、3りょう編成へんせい3ほんとなった。

その郵便ゆうびん輸送ゆそう廃止はいしにより、クハユ31は1973ねんにクハニ20かたち編入へんにゅうされクハニ29 (2だい)となった。 また、制御せいぎょしゃ台車だいしゃを1963ねん住友すみともFS41に変更へんこうしている。

のこった車両しゃりょうは、800けいおよび1000けい入線にゅうせんにより、1980ねん昭和しょうわ55ねん)から1988ねんにかけて廃車はいしゃになった。1988ねんにはさよなら運転うんてんおこなわれ、最後さいご花道かどうかざった。

保存ほぞん車両しゃりょう[編集へんしゅう]

デハ107とクハニ29(2だい)が三峰みつみねくちえき構内こうない鉄道てつどう車両しゃりょう公園こうえん保存ほぞんされた。外観がいかん2006ねん平成へいせい18ねん)にさい塗装とそうされたが、車内しゃないらされ、運転うんてんだい部品ぶひんはほとんどのこっていない。またデハ107の車内しゃないには史料しりょうなどが展示てんじされていたがこちらも盗難とうなん破損はそん目立めだっていた。同年どうねんなつごろまでは車内しゃない見学けんがくできたが、このようなことがあってかさい塗装とそう中止ちゅうしされている。結局けっきょく2りょうとも、2019ねん公園こうえんリニューアルにさいして解体かいたいされることになった[2]

  • 長瀞ながとろまちのキャンプじょうでデハ102とクハニ20がた車体しゃたいバンガローとして利用りようされている。
  • 熊谷くまがや上熊谷かみくまたにえきちかくのバーでクハニ22[よう出典しゅってん]車体しゃたいさい利用りようされている。この車両しゃりょう車体しゃたいを2分割ぶんかつされており、秩父鉄道ちちぶてつどう車内しゃないからもることができる。
  • 保存ほぞん車両しゃりょうとは形態けいたいことなるが、2009ねん平成へいせい21ねん5月より1000けいの1002編成へんせいが100がたぬりしょくほどこして運用うんようされていた。2012ねん平成へいせい24ねん)5がつ引退いんたいしている。

テレビ[編集へんしゅう]

  • おわりにまち(1982ねんテレビ朝日てれびあさひけい
    • 撮影さつえい使用しよう、カメラにうつめんをチョコレートしょくった。いろりにあたって、秩父鉄道ちちぶてつどう車庫しゃこにて一部いちぶしょくりのテストをして、完全かんぜん水洗みずあらいでいろちることを証明しょうめいしてOKをもらったとの逸話いつわがある。ドラマが南武線なんぶせん沿線えんせん舞台ぶたいとしていたことから、このさい前面ぜんめんサボけに「立川たちかわぎょう表示ひょうじしている。(テレビ美術びじゅつデザイナー・橋本はしもときよしだん

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ この結果けっか最終さいしゅうてき木造もくぞう車体しゃたいが4両分りょうぶんにちしゃ東京とうきょう支店してん工場こうじょうのこった。これは三菱電機みつびしでんきにより新造しんぞうあつかいで整備せいびされ、同社どうしゃ建設けんせつ一括いっかつ請負うけおっていた弘前ひろさき電気でんき鉄道てつどう売却ばいきゃくされた。また、たねしゃでは唯一ゆいいつはんはがねせい車両しゃりょうであるクハ21(もと国有こくゆう鉄道てつどうみなみたけし鉄道てつどうモハ108)についても、きゅう車体しゃたい流用りゅうようされずにひろみなみ鉄道てつどう売却ばいきゃくされ、同社どうしゃモハ2230となっている。
  2. ^ 秩父鉄道ちちぶてつどう三峰みつみねこうえき鉄道てつどう車両しゃりょう公園こうえんから保存ほぞん車両しゃりょう撤去てっきょへ”. 鉄道てつどうコム. (2019ねん4がつ11にち). https://www.tetsudo.com/news/2080/# 2019ねん5がつ25にち閲覧えつらん 

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 柴田しばた重利しげとし私鉄してつ車両しゃりょうめぐり89 秩父鉄道ちちぶてつどう(した)」、鉄道てつどうピクトリアル252ごう電気でんきしゃ研究けんきゅうかい、1971ねん6がつ
  • 澤内さわうち一晃かずあき秩父鉄道ちちぶてつどう 車両しゃりょうのあゆみ【まえへん】」、 鉄道てつどうピクトリアル661ごう電気でんきしゃ研究けんきゅうかい、1998ねん11月