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稲垣 長茂(いながき ながしげ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。上野国伊勢崎藩初代藩主。鳥羽藩稲垣家初代。
三河稲垣氏は文明年間に、伊勢国から三河国宝飯郡に移住した地侍の家系である。
天文8年(1539年)、稲垣重宗の長男として生まれる。
永禄元年(1558年)、牧野康成の与力となり、後に家臣となる。永禄年間の初期には、戦国大名今川氏に属して、松平氏(徳川氏)を圧迫し、桶狭間の戦い後も今川氏のため徳川家康軍と交戦した。やがて家康に恭順した康成に従って各地を転戦して武功を挙げ、駿河国興国寺、長久保、上野大胡城の守備などを任された。
天正18年(1590年)、家康が関東に移ると、牧野氏を離れて、徳川直参組となった。このとき上野山田郡、勢多郡など3郡において3000石を与えられた。
慶長5年(1600年)の会津征伐時には、牧野康成の大胡城を守備し、対上杉守備隊に属した。その功により、翌年の慶長6年(1601年)に7000石を加増されて1万石となり、伊勢崎藩を立藩して諸侯に列した。
慶長17年(1612年)10月22日、74歳で死去した。家督は長男の重綱が継いだ。
父母
子女
稲垣家伊勢崎藩初代藩主 (1601 年 - 1612 年) |
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稲垣家 | |
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酒井家 | |
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