べいおう回覧かいらん実記じっき

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べいおう回覧かいらん実記じっき
久米くめ邦武くにたけ

べいおう回覧かいらん実記じっき』(べいおうかいらんじっき)とは、岩倉いわくら使節しせつだん在外ざいがい見聞けんぶん大部たいぶ報告ほうこくしょ正式せいしき名称めいしょうは『特命とくめい全権ぜんけん大使たいし べいおう回覧かいらん実記じっき』。政治せいじ経済けいざい産業さんぎょう技術ぎじゅつ軍事ぐんじ教育きょういく文化ぶんか社会しゃかい風俗ふうぞくなど、幅広はばひろいジャンルを網羅もうらする明治めいじ初期しょきにおける西洋せいよう文明ぶんめい見聞けんぶんろくいちきゅう資料しりょうである。そのため、19世紀せいき世界せかい情勢じょうせい詳細しょうさいつたえる百科辞典ひゃっかじてん(エンサイクロペディア)ともしょうされている[1]
使節しせつだん特命とくめい全権ぜんけん大使たいし岩倉いわくら具視ともみ筆頭ひっとうに、明治めいじしん政府せいふ首脳しゅのう随員ずいいんふく総勢そうぜい46めい構成こうせいされ、明治維新めいじいしん最中さいちゅう明治めいじ4ねん11月12にち1871ねん12月23にち)から1873ねん明治めいじ6ねん)9がつ13にちまで、1ねん9カ月かげつあまり(632にち)をまいおう条約じょうやく締結ていけつこく12かこく歴訪れきほうした[2]

概要がいよう[編集へんしゅう]

べいおう回覧かいらん実記じっき』は使節しせつだん書記官しょきかん久米くめ邦武くにたけにより編纂へんさんされ1878ねん明治めいじ11ねん)に刊行かんこう本格ほんかくてきくろ背皮せがわ黒褐色こっかっしょくクロース洋装ようそうほんで、中途ちゅうと回覧かいらん中止ちゅうししたスペインポルトガル両国りょうこく略記りゃっきとうふくんだぜん100かん(5へん5さつ)で構成こうせいされている。

各冊かくさつおおきさはよこ15センチ、たて20.5センチ。文字もじは「特命とくめい全権ぜんけん大使たいしまいおう回覧かいらん実記じっき」ときむ文字もじかれており、だいいちへんからだいへんまで各冊かくさつへんすうしるされ、奥付おくづけ太政官だじょうかんしょう書記しょき久米くめ邦武くにたけ編修へんしゅう 明治めいじじゅういちねんじゅうがつ刊行かんこう 御用ごよう刊行かんこうしょ 東京とうきょう銀座ぎんざよん丁目ちょうめ 博聞はくぶんしゃ記載きさいされている。

全体ぜんたい構成こうせい以下いか

とびらぺーじ 3ぺーじ
例言れいげん 27ぺーじ
目次もくじ 18ぺーじ
だいいちへん 米国べいこく 1〜20かん
だいへん 英国えいこく 21〜40かん
だいさんへん 欧州おうしゅううえ 41〜60かんフランスベルギーオランダプロシャ
だいよんへん 欧州おうしゅうなか 61〜81かんロシアデンマークスウェーデン南北なんぼくゲルマンイタリアオーストリア
だいへん 欧州おうしゅうした 82〜100かんウィーン万国博覧会ばんこくはくらんかいスイス、フランス、スペイン、ポルトガル、ヨーロッパ総論そうろん)、帰港きこう日程にってい

巻頭かんとう岩倉いわくらしょによるかん」「ひかり掲載けいさいされている。

目的もくてき[編集へんしゅう]

使節しせつだん見聞けんぶんひろ国民こくみんらせるべきだと当初とうしょからのかんがえがあり、岩倉いわくら大使たいし久米くめ邦武くにたけを、いわば随行ずいこう記者きしゃとして参加さんかさせたことなる。久米くめはその要望ようぼうこたえて、日々ひび見聞けんぶんをメモし、帰国きこく各省かくしょう理事りじかん報告ほうこくしょ閲覧えつらんしながらこの視察しさつ見聞けんぶん製作せいさくした。

2005ねんに『現代げんだいやく 特命とくめい全権ぜんけん大使たいし べいおう回覧かいらん実記じっき』(水澤みずさわあまね訳注やくちゅう[3]刊行かんこうされたが、訳書やくしょでは序文じょぶん以下いかのようにべている。

西洋せいようでは、政府せいふ国民こくみん公的こうてき機関きかんであり、使節しせつ国民こくみん代理だいりしゃであるとされている。各国かっこく官民かんみんが、わが使節しせつ親切しんせつ丁寧ていねいむかえたのは、つまりはくに国民こくみんしたしくなりたいためであり、その産業さんぎょう状況じょうきょうをそのまませてくれたのは、つまりその産物さんぶつをわが国民こくみん愛用あいようしてほしいからなのである。そこで岩倉いわくら大使たいしはこの待遇たいぐう懇切こんせつさを尊重そんちょうして、わが使節しせつ見聞けんぶんしたことについては、これを出来できるだけひろ国民こくみんらせなくてはならないとかんがえ、書記官しょきかん畠山はたけやま義成よしなり当時とうじ杉浦すぎうら弘蔵こうぞうしょうしていた)と久米くめ邦武くにたけにんたいし、つね自分じぶん随行ずいこうし、視察しさつしたことについては調しらべて記録きろくすることをめいじた。これが本書ほんしょ編集へんしゅう本来ほんらい趣旨しゅしであり、公的こうてき目的もくてきひとつである。」

以下いか引用いんようする原書げんしょ巻頭かんとう例言れいげんでは本書ほんしょ目的もくてき概要がいようが、久米くめ邦武くにたけによる文語ぶんごたい格調かくちょうたか簡潔かんけつ明快めいかいべられている。岩波いわなみ文庫ぶんこばん特命とくめい全権ぜんけん大使たいし べいおう回覧かいらん実記じっきいち)』[4]より。

例言れいげん

いち、此書ハ、欧米おうべい特命とくめい全権ぜんけん大使たいし東京とうきょうはつシ、太平おうひらかいこうシ、米国べいこくとめリ、あつ瀾的ようけいテ、

えい両部りょうぶかいリ、おうりくわたしリ、ふつしろらんひろし、嗹、みずてんおく経歴けいれきシ、

トメギヲかいシテ、にちみみ地方ちほうヨリ、以、ふすまみずかいリ、ふつ南部なんぶヲスキ、地中海ちちゅうかいヨリ、紅海こうかい

とげはく印度いんどささえしょうみこうシテ、東京とうきょう復命ふくめいスルマテ、日日ひび目撃もくげきみみ聞セルしょ筆記ひっきス、

明治めいじよんねんからしじゅういちがつじゅうにちおこりリ、ろくねんきゅうがつじゅうさんにちとめル(そく西暦せいれきせんはちひゃくななじゅういちねん十二月じゅうにがつじゅうにちヨリ

どうななじゅうさんねんきゅうがつじゅうさんにちマテ)、スヘテぜんいちねんきゅうケ月かげつじゅういち星霜せいそうニテ、べいおうりょうしゅう著名ちょめい都邑とゆうハ、

大半たいはんかいれきけいタリ、


いち大使たいし西にしこうスル、書記官しょきかん使命しめい公務こうむ文書ぶんしょヲ纂メ、大使たいし書類しょるいおおやけしょ日記にっき謁見えっけんしきとう編成へんせいシ、

また同時どうじ派出はしゅつ各省かくしょう理事りじかんハ、各国かっこく政教せいきょう兵備へいびそこほそ視察しさつかどおとずれシ、報告ほうこくしょかず大部たいぶヲナセリ、

本編ほんぺん大使たいし公務こうむ、及ヒ各地かくちかいれき途上とじょう於テそうらんかんセル実況じっきょう筆記ひっきス、ヲ以テ回覧かいらん実記じっき

めいク、使節しせつ本領ほんりょうタル、交際こうさい応酬おうしゅう政治せいじれんおとずれハ、はんりゃくス、べつ詳細しょうさいしょアレハナリ、


いちおうしゅうニ於テ、全権ぜんけん大使たいしヲ「アンバスサドル」トしょうシ、これ差遣さけんスルハ、異常いじょう特典とくてんトナシ、

さい尊重そんちょうけいまちスル使節しせつタリ、わが日本にっぽんニ於テ、此典ヲ挙行きょこうセラレシコトハ、じつ曠世こうせい一事いちじニテ、

乃方いま時宜じぎハ、異常いじょううん際会さいかいセルコトヲ顧ルベシ、明治めいじ中興ちゅうこうせいハ、古今ここん未曾有みぞう変革へんかくニシテ、

其大ようさんス、将門まさかどけんおさむメテ、天皇てんのう親裁しんさいふくス、いちナリ、かくはんぶんヲアワセテ、

一統いっとう政治せいじトナス、ナリ、鎖国さこくせいあらためメテ開国かいこく規模きぼていム、さんナリ、此一アルモまた改革かいかく

容易よういナラサルニ、其さんヲアワセテ、方今ほうこん豹変ひょうへんうんニアタル、殆ト天為てんいナリ、人為じんいニアラス、

其由テしかしょじゅく察スレハ世界せかい気運きうんへん催サル、ニアラサルハナシ、おっと鎖国さこくほうハ、

必スじょカサルベカラス、やめこくひらけク、一統いっとうヲナサヽルヘカラス、やめ一統いっとうヲナス、

将門まさかどけんおさむメサルベカラス、にちみみ曼ノ聯邦れんぽう於ル、以大法皇ほうおうニ於ル、みな時運じうんニ催サレ、

改革かいかくひゃくはし、危クシテ維持いじセリ、わがくに今日きょう改革かいかくまたしかリ、内政ないせいようやめきょリ、

外国がいこく交際こうさい基本きほんていメント、此異常いじょう特典とくてん挙行きょこうアレリ、こんョリハ、これうえニシテ、

政府せいふ下二しもふたごとルモノ、此意ヲ識認シ、盛運せいうん維持いじセサルヘカラス、これしもニシテハ

国民こくみんタルモノ、また此意ヲ識認シ、盛運せいうんきおい励セサルヘカラス、大使たいし各国かっこくれき聘スル、

しめ交ノ責任せきにんかんヒ、ふう義務ぎむみんつきサント、日日ひび鞅掌おうしょうやすししょスルニひまアラス、

さむあつおかせシ、とお邇ヲきわむメ、へききょうひまいき跋渉ばっしょうシ、ニハのうまきおとずれヒ、ニハ工芸こうげいらんシ、

貿易ぼうえきじょうヲ察シ、ひまアレハ名人めいじんたちニ交ル、かたま操觚そうこ雲水うんすいきゃくカ、てきスルニにん

漫游シ、耳目じもくかいクスルニナリ、且西洋せいよう通義みちよしニ、政府せいふ国民こくみん公会こうかいニテ、使節しせつ国民こくみん代人だいにん

ナリトス、各国かっこく官民かんみんわが使節しせつむかえヘテ、懇親こんしんヲ致スハ、そく国人くにびと懇親こんしんヲ致スしょニテ、

其生ぎょう実況じっきょうしめせスハ、そく国人くにびと愛顧あいこもとめムルしょナリ、岩倉いわくら大使たいしふかこれ敬重けいちょうシ、

以謂クわれ使節しせつ耳目じもくスルしょハ、つとむメテこくちゅうこうニセサルベカラストテ、書記官しょきかん畠山はたけやま義成よしなり

当時とうじ杉浦すぎうら弘蔵こうぞうしょうス)、久米くめ邦武くにたけ二人ふたりいのちシ、つね随行ずいこうシテ、かいれきらんかんセルしょヲ、審問しんもんひつろく

セシメタリ、此書編集へんしゅう本旨ほんしニテ、そく公務こうむ要件ようけんいちナリ、わかおっとかく使節しせつわたしヲ以テゆうかんセシハ、

緊要きんようこくえきアルコトニアラサレハ、いちいち記入きにゅうセス、(後略こうりゃく

内容ないようについて[編集へんしゅう]

久米くめ邦武くにたけ原書げんしょは、漢字かんじ片仮名かたかなじりの日記にっきたい美文びぶん調ちょうかれている。実記じっきには実録じつろくてき客観きゃっかんてき記述きじゅつほかに、久米くめ意見いけん見方みかたくわえており、同時どうじ全巻ぜんかん300あまりどう版画はんがえられていて、当時とうじ物珍ものめずらしい外国がいこく風物ふうぶつがビジュアルに鑑賞かんしょうできる工夫くふうもなされている[5]

実記じっきは、歴訪れきほうしたくにじゅん記述きじゅつされ、各国かっこくごとに総論そうろんもうけて、地理ちり気候きこう歴史れきし人種じんしゅ言語げんご文化ぶんか政治せいじ形態けいたい宗教しゅうきょう教育きょういく軍備ぐんび経済けいざい貿易ぼうえき鉱工業こうこうぎょう農林のうりんりょう牧畜ぼくちく民情みんじょうなどを詳述しょうじゅつして、つぎに、見学けんがくしたしょうなか高校こうこう大学だいがく盲唖もうあいん養老ようろういん各種かくしゅ病院びょういん消防署しょうぼうしょ刑務所けいむしょ牢獄ろうごく)、新聞しんぶんしゃ発電はつでんしょ名所旧跡めいしょきゅうせき城郭じょうかくしょ建物たてもの市場いちば電信でんしんきょく郵便ゆうびんきょく造幣局ぞうへいきょく国会こっかい議会ぎかい商工しょうこう会議かいぎしょ新聞しんぶんしゃ博物館はくぶつかん美術館びじゅつかん図書館としょかん動物どうぶつえん植物しょくぶつえん水族館すいぞくかん公園こうえん天文台てんもんだい港湾こうわん上下水道じょうげすいどうはし鉄道てつどう地下鉄ちかてつ高架こうか鉄道てつどう、トンネルなどとともに、おとずれた各種かくしゅ工場こうじょう製鉄せいてつしょ武器ぶき製造せいぞうしょ鉄道てつどう製作所せいさくしょ蒸気じょうき機関きかん製作所せいさくしょ各種かくしゅ機械きかい製作所せいさくしょ製糖せいとう陶器とうき、ガラス,綿めん毛織物けおりもの等々とうとう)では原材料げんざいりょうから、くわしい工程こうてい、メカニズムまで詳細しょうさい記述きじゅつされており、百科ひゃっか事典じてん(エンサイクロペディア)てきともしょうされる所以ゆえんである。

だいへんには欧州おうしゅう総論そうろんとしてせいぞく総論そうろん地理ちりおよ運漕うんそう総論そうろん気候きこうおよ農業のうぎょう総論そうろん工業こうぎょう総論そうろん商業しょうぎょう総論そうろんがあり、さらには帰港きこう日程にっていとして中東ちゅうとうおよびアジアろんいてあるので、東西とうざい文明ぶんめい比較ひかくろんとしてたか評価ひょうかされている。

実記じっき以外いがいにも、大使たいし書記官しょきかんよる『大使たいし書類しょるい』『おおやけしょ日記にっき』『謁見えっけんしき』(各国かっこく首脳しゅのうとの)およ各省かくしょうから派遣はけんされた理事りじかんによる『理事りじこうほど』の公式こうしき記録きろく報告ほうこくされていることから、実記じっき大使たいし公務こうむ余禄よろく各国かっこくしょ施設しせつ視察しさつ見聞けんぶん実録じつろくとくされている。この実記じっき編纂へんさんには、ワシントンから現地げんち参加さんかした随行ずいこう書記官しょきかん畠山はたけやま義成よしなり当時とうじ杉浦すぎうら弘蔵こうぞう)もふかかかわっている。えいべいでのなが留学りゅうがく経験けいけんかし、各国かっこくでのしょ事情じじょう審問しんもん通訳つうやくとして活躍かつやくし、帰国きこくかえった大量たいりょう資料しりょう翻訳ほんやくなどにたずさわったが、刊行かんこうたずにくなっている。

出版しゅっぱん事情じじょうについては、岩波いわなみばん田中たなかあきら解説かいせつでは、1878年刊ねんかん初版しょはん500からのち5年間ねんかんで、3000セットまで増刷ぞうさつされたとみられる。以後いごながらく歴史れきしなかうずもれ、さい脚光きゃっこうびたのは太平洋戦争たいへいようせんそうをはさみ、初版しょはんからほぼいち世紀せいきた1977ねんから82ねんにかけ岩波いわなみ文庫ぶんこばん発刊はっかんされてからである。

刊行かんこうほん現行げんこうばん[編集へんしゅう]

  • 特命とくめい全権ぜんけん大使たいし べいおう回覧かいらん実記じっき田中たなかあきらこうちゅう解説かいせつ岩波いわなみ文庫ぶんこぜん5かん)、初版しょはん1977-82ねん岩波書店いわなみしょてん単行たんこうばん5かん)、1985ねん
  • 現代げんだいやく 特命とくめい全権ぜんけん大使たいし べいおう回覧かいらん実記じっき水澤みずさわあまね訳注やくちゅう慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく出版しゅっぱんかい、2005ねんぜん5かんぐみ)。企画きかくべいおう回覧かいらんかい
    • 特命とくめい全権ぜんけん大使たいし べいおう回覧かいらん実記じっき 普及ふきゅうばん』(ぜん5さつそう索引さくいん慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく出版しゅっぱんかい、2008ねん)。選書せんしょばん

岩倉いわくら使節しせつだんについて[編集へんしゅう]

明治めいじ4ねん7がつ(1871ねん8がつ)に廃藩置県はいはんちけん断行だんこうした直後ちょくごの11月に結成けっせいされた。明治維新めいじいしん立役者たてやくしゃというべき岩倉いわくら具視ともみ木戸きど孝允たかよし大久保おおくぼ利通としみち若年じゃくねん少壮しょうそう官僚かんりょう伊藤いとう博文ひろぶみらをせい副使ふくしとして各省かくしょう理事りじかん随員ずいいんふくめ46めいからなるだい使節しせつだんであり、さらに60めいちかくの留学生りゅうがくせいくわわりべいおう回覧かいらん壮途そうといた。目的もくてき条約じょうやく締結ていけつ各国かっこくへの国書こくしょ奉呈ほうていと聘門のれいおさめ、欧米おうべい先進せんしん諸国しょこく制度せいど文物ぶんぶつしたしく見聞けんぶんして、明治めいじ国家こっかの「くにのかたち」をかんがえること、そして条約じょうやく改定かいてい期限きげん明治めいじ5ねん5がつ26にち・1872ねん7がつ1にち)にけた締結ていけつこくとの予備よび交渉こうしょうふくまれていた。

この使節しせつだん計画けいかく具体ぐたいてきには大隈おおくま重信しげのぶ伊藤いとう博文ひろぶみ建言けんげんによるものといってよく、その背景はいけいには政府せいふ顧問こもんグイド・フルベッキによるブリーフ・スケッチ存在そんざいがあった。当初とうしょ10ヶ月かげつぜん行程こうてい踏破とうは予定よていであったが、米国べいこく想定そうていがい条約じょうやく改正かいせい予備よび交渉こうしょうはじまってしまい(結局けっきょく失敗しっぱいしたが)、長期ちょうきすることとなった。だが結果けっかとして欧米おうべい先進せんしんこく実態じったいを、じっくりと見聞けんぶんし、熟慮じゅくりょすることで、明治めいじ政府せいふ日本にっぽん近代きんだい基本きほん構想こうそう出来できたとってよい[6]同時どうじにそのことにより帰国きこく直後ちょくご留守るす政府せいふうちでのせいかんろんたいする海外かいがい派遣はけんぐみ反発はんぱつまね明治めいじろくねん政変せいへんいたった。

編著へんちょしゃ久米くめ邦武くにたけ[編集へんしゅう]

久米くめ邦武くにたけは、佐賀さがはん久米くめくにきょう三男さんなんとしてまれ、佐賀さが藩校はんこう弘道こうどうかんまなび、そこで大隈おおくま重信しげのぶとも親交しんこうしている。久米くめ博覧強記はくらんきょうきぶりは、漢籍かんせき、儒書、史書ししょや『ひつじさる輿こし識』(箕作みつくり省吾しょうご)など和漢わかん世界せかい地図ちずしょしたしんだ基本きほんてき知識ちしきのほかに、藩主はんしゅ鍋島なべしま直正なおまさ近習きんじゅとしてつとめた経験けいけんにある。直正なおまさはやくから西洋せいよう文化ぶんか興味きょうみいだき、唯一ゆいいつオランダせんんだ大名だいみょうで、はんないせいかたもう反射はんしゃ建設けんせつして日本にっぽんはつ鉄製てつせい大砲たいほう製造せいぞう成功せいこうし、幕府ばくふ台場だいばよう大砲たいほう製造せいぞうけ、きょかん建造けんぞう軍港ぐんこうもうけて、国産こくさんはつ木造もくぞう外輪船がいりんせん建造けんぞうするなどおおくの西洋せいよう技術ぎじゅつ導入どうにゅうした。それらの技術ぎじゅつかんする質問しつもんこたえるため近習きんじゅとしてつかえ、くわえてからかんかいしょうする「からかん」のしょ輪講りんこう藩主はんしゅ家臣かしんへだてなく議論ぎろん参与さんよし、柔軟じゅうなん多様たよう発想はっそうこときたえられた。

またちちくにきょうは、佐賀さがはん山方やまがたとして鉱山こうざん石炭せきたん管理かんりを、目安めやすかたはん会計かいけいを、長崎ながさき聞役ききやく大砲たいほう軍艦ぐんかん購入こうにゅうはん特産とくさんひん輸出ゆしゅつかかわり、有田ありた皿山さらやま代官だいかんとして有田焼ありたやき生産せいさん輸出ゆしゅつ取締とりしまりの専売せんばい関与かんよし、江戸えど京都きょうと大坂おおさかさかい兵庫ひょうご長崎ながさきはん支所ししょ監督かんとく大阪おおさか蔵屋敷くらやしきつめでコメの販売はんばい管理かんり担当たんとうし、最後さいごには御側おそばあたまとして藩主はんしゅ側近そっきんとしてもつかえた広範囲こうはんいにわたる知見ちけんった幹部かんぶ藩士はんしであった。久米くめは、藩主はんしゅ父親ちちおやからジェネラリストとして柔軟じゅうなん物事ものごとリアリスト才能さいのうきたえられ、岩倉いわくら使節しせつだん一員いちいんになったのも、岩倉いわくら具視ともみ出帆しゅっぱん直前ちょくぜんに閑叟から以前いぜんいた久米くめ有能ゆうのうさを見出みいだし、側近そっきんとしての報告ほうこくがかりえらんだ経緯けいいがある。岩倉いわくら具視ともみ維新いしん息子むすこ3にん教育きょういく佐賀さがはんたくするほどの親密しんみつ関係かんけいった。

関連かんれん文献ぶんけん[編集へんしゅう]

かく刊行かんこう年代ねんだいじゅん

日本語にほんご研究けんきゅう[編集へんしゅう]

  • 久米くめ博士はかせきゅうじゅうねん回顧かいころく』(上下じょうげ早稲田大学わせだだいがく出版しゅっぱん、1934ねん宗高むなだか書房しょぼう復刻ふっこく)、1985ねん
  • 大久おおひさ保利ほりけんへん岩倉いわくら使節しせつ研究けんきゅう宗高むなだか書房しょぼう、1976ねん
  • 久米くめ美術館びじゅつかんへん特命とくめい全権ぜんけん大使たいしべいおう回覧かいらん実記じっき銅板どうばん画集がしゅう』1985ねん
  • 田中たなかあきら高田たかだ誠二せいじへん『「べいおう回覧かいらん実記じっき」の学際がくさいてき研究けんきゅう北海道大学ほっかいどうだいがく図書としょ刊行かんこうかい、1993ねん
  • 西川にしかわ長夫ながお松宮まつみや秀治しゅうじへんべいおう回覧かいらん実記じっき』をむ 1870年代ねんだい世界せかい日本にっぽん法律文化社ほうりつぶんかしゃ、1995ねん
  • 岩倉いわくら翔子しょうこ編著へんちょ岩倉いわくら使節しせつだんとイタリア』京都大学きょうとだいがく学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい、1997ねん
  • 久米くめ美術館びじゅつかんへん岩倉いわくら使節しせつだん関係かんけい 久米くめ邦武くにたけ文書ぶんしょ 3』吉川弘文館よしかわこうぶんかん、2001ねん
  • 田中たなかあきら岩倉いわくら使節しせつだん歴史れきしてき研究けんきゅう岩波書店いわなみしょてん、2002ねん
  • イアン・ニッシュへん欧米おうべいから岩倉いわくら使節しせつだんミネルみねるァ書房ぁしょぼう、2002ねん
  • 芳賀はがとおるへん岩倉いわくら使節しせつだん比較ひかく文化ぶんかてき研究けんきゅう思文閣出版しぶんかくしゅっぱん、2003ねん
  • 芳賀はがとおる文明ぶんめいくらⅡ-夷狄いてきくに近代きんだい日本にっぽん比較ひかく文化ぶんか研究けんきゅう中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ、2021ねんだい2 文明ぶんめい技師ぎしたち
  • べいおう回覧かいらんかいへん岩倉いわくら使節しせつだんさい発見はっけん思文閣出版しぶんかくしゅっぱん、2003ねん
  • 久米くめ美術館びじゅつかんへんどう鐫にみる文明ぶんめいのフォルム「べいおう回覧かいらん実記じっき挿絵さしえどう版画はんがとその時代じだいてん資料集しりょうしゅう』2006ねん
  • べいおう回覧かいらんかいへん世界せかいなか日本にっぽん役割やくわりかんがえる 岩倉いわくら使節しせつだん出発しゅっぱつてんとして』慶応義塾大学けいおうぎじゅくだいがく出版しゅっぱんかい、2009ねん
  • べいおう回覧かいらんかいいずみ三郎さぶろうへん岩倉いわくら使節しせつだん群像ぐんぞう 日本にっぽん近代きんだいのパイオニア』ミネルみねるァ書房ぁしょぼう、2019ねん
  • 太田おおた昭子あきこ『ヴィクトリアあさ福澤ふくさわ諭吉ゆきち岩倉いわくら使節しせつだん慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく法学ほうがく研究けんきゅうかい慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく法学ほうがく研究けんきゅうかい叢書そうしょ〉、2023ねんだい2 岩倉いわくら使節しせつだんとイギリス

外国がいこく研究けんきゅう[編集へんしゅう]

  • 『The Iwakura Embasssy, 1871-1873:A True Account of the Ambassador Extraordinary and Plenipotentiary’s of Observation through the United States of America and Europe』 Routledge (2002) Marius B Jansen, Kume Kunitake
  • 『Japan Rising: The Iwakura Embassy to the USA and Europe』 Cambridge University Press (2009)

一般いっぱん書籍しょせき[編集へんしゅう]

DVD[編集へんしゅう]

  • べいおう回覧かいらんかいへん、イズミオフィス(いずみ三郎さぶろう企画きかく制作せいさく岩倉いわくら使節しせつだんべいおう回覧かいらん』DVD2まいぐみ(165ふん)、慶応義塾大学けいおうぎじゅくだいがく出版しゅっぱんかい、2006ねん10がつ

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく出版しゅっぱんかい 現代げんだいばん 特命とくめい全権ぜんけん大使たいし まいおう回覧かいらん実記じっき
  2. ^ 岩倉いわくら使節しせつだん まいおう回覧かいらんかい 岩倉いわくら使節しせつだんとは?』 2017ねん2がつ4にち
  3. ^ 水澤みずさわあまね訳注やくちゅう現代げんだいやく 特命とくめい全権ぜんけん大使たいし べいおう回覧かいらん実記じっき(1) アメリカへん』 5ぺーじ慶応義塾大学けいおうぎじゅくだいがく出版しゅっぱんかい) 2005
  4. ^ 田中たなかあきらこうちゅう特命とくめい全権ぜんけん大使たいし べいおう回覧かいらん実記じっきいち)』、9ぺーじ~11ぺーじ岩波いわなみ文庫ぶんこ
  5. ^ 岩倉いわくら使節しせつだん まいおう回覧かいらんかい べいおう回覧かいらん実記じっき 2017ねん9がつ28にち
  6. ^ 田中たなかあきらこうちゅう特命とくめい全権ぜんけん大使たいし べいおう回覧かいらん実記じっき)』、380ぺーじ岩波いわなみ文庫ぶんこ

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]