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紀元前528年(きげんぜん528ねん)は、西暦(ローマ暦)による年。紀元前1世紀の共和政ローマ末期以降の古代ローマにおいては、ローマ建国紀元226年として知られていた。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前528年と表記されるのが一般的となった。
- 魯の費の長官である南蒯は、費を季孫氏から自立させようとしたが、費人の支持を得られず、斉に亡命した。南蒯は斉の景公に叛夫と罵られた。
- 楚の平王が鬬成然を殺害し、養氏の一族を滅ぼした。
- 莒の著丘公が死去し、蒲余侯茲夫が公子意恢を殺害した。郊公が斉に亡命し、斉から己庚輿が迎えられて、国君として立った。
- 晋の邢侯と雍子が鄐の田土をめぐって争っていたが、羊舌鮒(叔魚)が邢侯に罪ありと判決したため、邢侯が怒って、羊舌鮒と雍子を殺害した。韓起(韓宣子)の諮問を受けた羊舌肸(叔向)は3人を同罪とし、これによって邢侯は処刑され、雍子と羊舌鮒の遺体が市に晒された。