(Translated by https://www.hiragana.jp/)
聖書ゆかりの遺丘群-メギド、ハツォル、ベエル・シェバ - Wikipedia コンテンツにスキップ

聖書せいしょゆかりののこおかぐん-メギド、ハツォル、ベエル・シェバ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
世界遺産 聖書せいしょゆかりののこおかぐん-
メギド、ハツォル、
ベエル・シェバ
イスラエル
テル・ハツォルの「列柱式建物」
テル・ハツォルの「れつばしらしき建物たてもの
英名えいめい Biblical Tels - Megiddo, Hazor, Beer Sheba
ふつめい Tels bibliques – Megiddo, Hazor, Beer-Sheba
面積めんせき 96 ha緩衝かんしょう地域ちいき 604 ha)
登録とうろく区分くぶん 文化ぶんか遺産いさん
登録とうろく基準きじゅん (2), (3), (4), (6)
登録とうろくねん 2005ねん
公式こうしきサイト 世界せかい遺産いさんセンター英語えいご
使用しよう方法ほうほう表示ひょうじ

聖書せいしょゆかりののこおかぐん-メギド、ハツォル、ベエル・シェバ[注釈ちゅうしゃく 1](せいしょゆかりのいきゅうぐん メギド、ハツォル、ベエル・シェバ)はイスラエルの世界せかい遺産いさんのひとつであり、どう国内こくないに200ほどのこのこおか(テル)のなかでもとく代表だいひょうてきで、旧約きゅうやく聖書せいしょにも登場とうじょうする3つのおか対象たいしょうとなっている。これらはたん旧約きゅうやく聖書せいしょ言及げんきゅうされていることだけに意義いぎがあるのではなく、古代こだい水利すいり施設しせつ遺構いこうや、近隣きんりんしょ地域ちいき建築けんちく様式ようしき影響えいきょうられる建造けんぞうぶつあとなど、青銅器せいどうき時代じだいから鉄器てっき時代じだいにかけての都市とし文化ぶんか交流こうりゅう様子ようすつたえていることも重要じゅうようである。

登録とうろく対象たいしょう[編集へんしゅう]

のこおか(テル)とはおかじょう堆積たいせきした都市とし集落しゅうらく遺跡いせきのことである。西にしアジアでは建材けんざい日干ひぼしレンガもちいられることがしばしばあり、都市とし集落しゅうらく放棄ほうきされて時間じかんがたつと、くずれたレンガが堆積たいせきしたおかになる。時代じだい人々ひとびとはそのおかうえ都市としきずき、その都市とし放棄ほうきされるとさらにつちがる。防衛ぼうえいてき観点かんてんなどから、おかうえには時代じだいへだてて複数ふくすう都市とし建設けんせつされることがしばしばあるため、テルは複数ふくすう時代じだい遺跡いせき層状そうじょうかさなっている[1]。それらの年代ねんだいは、しゅとしてそう学的がくてき研究けんきゅうほうと、土器どきなどの形式けいしきから判断はんだんされ、放射ほうしゃせい炭素たんそ年代ねんだい測定そくていなどの科学かがくてき年代ねんだい測定そくていほう併用へいようされるようになっている[2]

イスラエルにはやく200のテルがあり、そのおおきさは1ha規模きぼから10 ha 規模きぼ普通ふつうだが、ハツォルのように100 ha規模きぼのものも例外れいがいてき存在そんざいする[3]

テル・メギド[編集へんしゅう]

テル・メギド全景ぜんけい
水利すいり施設しせつ遺構いこう

テル・メギド (Tel Meggido, ID1108-001) は、イズレエルのたににある遺跡いせきで、世界せかい遺産いさん登録とうろく範囲はんいは 16.05 ha、緩衝かんしょう地域ちいきは 290.85 ha である[4]登録とうろく範囲はんいは1966ねん設定せっていされたメギド古代こだい遺跡いせき国立こくりつ公園こうえん (Megiddo Antiquities National Park) にふくまれている[5]

旧約きゅうやく聖書せいしょでのメギドへの言及げんきゅうは、全部ぜんぶで11箇所かしょにのぼる[6]。たとえば『ヨシュア』では、ヨシュアカナン征服せいふくさいにメギドも勢力せいりょくけんにおさめ、マナセぞく領地りょうちのひとつにしたが、占領せんりょうできなかったとある[7]。『』でもマナセぞく占領せんりょうしなかった土地とちのひとつとして言及げんきゅうされている[8]。『』ではそのに、いわゆる「デボラのうた」の一節いっせつで、イスラエルの軍勢ぐんぜいがカナンの軍勢ぐんぜいたたかった場所ばしょとして、メギドに言及げんきゅうがある[9]。また、『歴代れきだいした』では、みなみユダ王国おうこくヨシヤおうがエジプトのファラオであるネコやぶれて戦死せんしした場所ばしょとして登場とうじょうする[10]メギドのたたかい (紀元前きげんぜん609ねん))。

メギドは交通こうつう要衝ようしょうにあり、軍事ぐんじじょう要地ようちでもあったことから、古戦場こせんじょうとしてられていた。新約しんやく聖書せいしょの『ヨハネの黙示録もくしろく』に登場とうじょうするハルマゲドン(メギドのおか)は、そのような背景はいけいから、終末しゅうまつろんてき決戦けっせんとしてえらばれたともわれている[11][注釈ちゅうしゃく 2]

テル・メギドの発掘はっくつ調査ちょうさは1903ねんから1905ねん、1925ねんから1939ねん、1960年代ねんだいから1970年代ねんだいにかけてなど、なんおこなわれており[12]もっともよく発掘はっくつされたテルという評価ひょうかもある[6]。その結果けっか主要しゅようそうが20そうあり、やく30の都市とし遺跡いせきかさなっていることがあきらかになっている[6]。1920年代ねんだいから30年代ねんだいにかけての発掘はっくつシカゴ大学だいがく調査ちょうさチームによるものだったが、そのときにてきた遺構いこうには、なかれつばしらのような仕切しきかべ区切くぎられた細長ほそなが部屋へや連続れんぞくする構造こうぞうぶつふくまれており、調査ちょうさチームはソロモンおう厩舎きゅうしゃ推測すいそくした[13]かれらの推測すいそく根拠こんきょになったのは『れつおううえ』の記述きじゅつで、ソロモンおう建設けんせつした都市としにメギドがふくまれていることと[14]、(それとの関連かんれんせい明示めいじされていないが)戦車せんしゃたい騎兵隊きへいたいまちきずいたとされていること[15]による[16]。のちに、イガエル・ヤディン調査ちょうさではアハブおう時代じだい厩舎きゅうしゃ位置いちづけなおされたが、うまかんする具体ぐたいてき出土しゅつどひんがまったくないうえに、のこおか類似るいじ構造こうぞうぶつでは土器どきおお発見はっけんされていて倉庫そうこであった可能かのうせいをうかがわせることなどから、厩舎きゅうしゃとする見解けんかい疑問ぎもんするものもいる[17]のこおか類似るいじ構造こうぞうぶつふくめ、それらの「れつばしらしき建物たてもの」の正確せいかく用途ようとは、いまのところ不明ふめいのままである[18]

最古さいこのものは紀元前きげんぜん4千年紀せんねんきにさかのぼるしん石器せっき時代じだいのもので、土器どき住居じゅうきょあと出土しゅつどしている[6]青銅器せいどうき時代じだいには、地震じしんうみみんによる破壊はかいなどをて、なん再建さいけんされたあとが見受みうけられる[6]鉄器てっき時代じだい遺構いこうでは、都市としみず供給きょうきゅうしていた地下水ちかすい収集しゅうしゅうする水利すいりシステムが高度こうど発達はったつしていたこともあきらかになっている[6]

2005ねんには、世界せかい最古さいこキリスト教きりすときょう聖堂せいどうあと (Megiddo church) が発見はっけんされた[19]

テル・ハツォル[編集へんしゅう]

テル・ハツォル全景ぜんけい
テル・ハツォル出土しゅつど土器どき
ハツォルの水利すいり施設しせつあと

テル・ハツォル (Tel Hazor, ID1108-002) は北部ほくぶ地区ちくうえガリラヤ英語えいごばんにある遺跡いせきで、世界せかい遺産いさんとしての登録とうろく面積めんせきは 76.9 ha、緩衝かんしょう地域ちいきは 204.6 haである[4]。イスラエルのテルのなかでは最大さいだい規模きぼ[6][20]登録とうろく範囲はんいは1967ねん設定せっていされたテル・ハツォル国立こくりつ公園こうえん (Tel Hazor National Park) にふくまれている[5]

旧約きゅうやく聖書せいしょでは『ヨシュア』において、カナンじんおうヤビン支配しはいする都市としとして登場とうじょうするが、周辺しゅうへんしょ都市とし連合れんごうしてイスラエルに敵対てきたいしたヤビンがたたかいにやぶれたため、都市とし住民じゅうみん皆殺みなごろしにされ、まちはらわれたことになっている[21]。『』ではふたたびヤビンが支配しはいするまちとして登場とうじょうするが、ヤビンはデボラバラクほろぼされたという[22]。この2人ふたりのヤビンは別人べつじんとらえられることがある一方いっぽう[23]前後ぜんご記述きじゅつ重複じゅうふくなども視野しやれつつ、どう一人物いちじんぶつ登場とうじょうする矛盾むじゅんした記述きじゅつものもいる[24][25]。『れつおううえ』では、ソロモンおう要害ようがいきずいた場所ばしょのひとつとしてメギドなどとともに言及げんきゅうされている[26]。『れつおう』では、ペカおう時代じだいに、アッシリア軍勢ぐんぜいによって占領せんりょうされた都市としのひとつとして言及げんきゅうされており、住民じゅうみん連行れんこうされたという[27]

ハツォルの発掘はっくつは1928ねんはじめておこなわれたが、だい規模きぼなものは1950年代ねんだいイガエル・ヤディン指揮しきするかたちおこなわれた[12]。テル・ハツォルがしるべしき遺跡いせき位置いちづけられたこの発掘はっくつ結果けっか[24]、かつてのだい規模きぼ繁栄はんえい様子ようすあきらかになった。ハツォルは紀元前きげんぜん2千年紀せんねんき時点じてんで2まんにんようしていたとかんがえられているガリラヤ地方ちほうしゅであり[6]青銅器せいどうき時代じだいなん再建さいけんされ、やまにも下町したまちにも神殿しんでん宮殿きゅうでんきずかれていた[25]とく後期こうき青銅器せいどうき時代じだい宮殿きゅうでんだい規模きぼなものであったが、鉄器てっき時代じだいはいまえ都市とし自体じたい破壊はかいされていた[24]。この破壊はかいと、『ヨシュア』や『』の記述きじゅつとの関連かんれんせいははっきりしていない[24]周辺しゅうへん都市とし遺跡いせき破壊はかいのされかたなどと関連付かんれんづけつつ、一帯いったい破壊はかいが1世紀せいき以上いじょうにわたる漸次ぜんじてきなもので、単一たんいつ戦闘せんとう原因げんいんとする見方みかた退しりぞけるものもいる[28]

ハツォルにも水利すいり施設しせつあとのこっており、中期ちゅうき青銅器せいどうき時代じだい後期こうき青銅器せいどうき時代じだい鉄器てっき時代じだいそれぞれで変化へんかした遺構いこう確認かくにんすることができる[25]

テル・ベエル・シェバ[編集へんしゅう]

テル・ベエル・シェバ
テル・ベエル・シェバの水利すいり施設しせつ

テル・ベエル・シェバ (Tel Beer Sheba, ID1108-003) は、南部なんぶ地区ちくにある遺跡いせきで、現在げんざいベエルシェバ市街しがい郊外こうがい位置いちしている[29]世界せかい遺産いさんとしての登録とうろく面積めんせきは 3.09 ha、緩衝かんしょう地域ちいきは 108.53 ha である[4]登録とうろく範囲はんいはテル・ベエル・シェバ国立こくりつ公園こうえん (Tel Beer Sheba national Park) にふくまれている[5]

ベエル・シェバは「7つの井戸いど」ないし「ちかいの井戸いど」の意味いみで、その名前なまえ自体じたい旧約きゅうやく聖書せいしょの『創世そうせい』と関連かんれんがある。アブラハムがそのゲラルおうであるペリシテじんアビメレク井戸いどなどにかんするちかいをわしたことが由来ゆらいとされているからである[30]。ただし、『創世そうせい』には、アブラハムのイサクもアビメレクとちかいをわし、それが都市とし名前なまえ由来ゆらいになったという記述きじゅつがある[31]まち由来ゆらい重出じゅうしゅつしている背景はいけいとして、伝承でんしょういちとおりでなかった可能かのうせい指摘してきするものもいる[32]。また、ベエル・シェバのは『』ほかでパレスチナ全土ぜんどしめさい南限なんげんとして、しばしば言及げんきゅうされている[33]

テル・ベエル・シェバの発掘はっくつ調査ちょうさは1960年代ねんだいから1970年代ねんだいおこなわれた[12][29]紀元前きげんぜん4千年紀せんねんき遺構いこう発見はっけんされているが、青銅器せいどうき時代じだいいち放棄ほうきされた[25]鉄器てっき時代じだい初期しょきにようやく再建さいけんされたが、そのあいだやく2000年間ねんかんてられたままであったため[25]、アブラハムらがいたとかんがえられる時代じだいひとんでいた形跡けいせき確認かくにんされていない[29]紀元前きげんぜん1千年紀せんねんき大都市だいとし遺構いこう発見はっけんされているが[29]破壊はかい再建さいけんかえされた[25]

テル・ベエル・シェバにも水利すいり施設しせつ遺構いこうのこっているが、2箇所かしょのこっている遺構いこうはどちらも鉄器てっき時代じだいのものである[25]

登録とうろく経緯けいい[編集へんしゅう]

イスラエル政府せいふによる推薦すいせんしょ世界せかい遺産いさんセンターに提出ていしゅつされたのは2004ねん1がつ26にちのことで、当初とうしょ推薦すいせんめいは「聖書せいしょゆかりののこおかぐん古代こだい水利すいり施設しせつぐん - メギド、ハツォル、ベエル・シェバ」(The Biblical Tels and Ancient Water Systems – Megiddo, Hazor, Beer Sheba / Les tells bibliques et les anciens systèmes d’adduction d’eau –Megiddo, Hazor, Beer-Sheba) だった[34]。イスラエル当局とうきょく遺跡いせきおかぐん水利すいり施設しせつぐんでそれぞれことなる評価ひょうか基準きじゅん適用てきようもとめていたが、世界せかい遺産いさん委員いいんかい諮問しもん機関きかんである国際こくさい記念きねんぶつ遺跡いせき会議かいぎ(ICOMOS) の勧告かんこくまえに、水利すいり施設しせつかんして申請しんせいしていた評価ひょうか基準きじゅんげていた[35]

ICOMOSはげられた水利すいり施設しせつについて、それだけを直接的ちょくせつてき評価ひょうかすることはおこなわなかったが、のこおか水利すいり施設しせつ顕著けんちょ普遍ふへんてき価値かちみとめて「登録とうろく」を勧告かんこくした。ただし、登録とうろくめいについては、「古代こだい水利すいり施設しせつぐん」をはずすようにと条件じょうけんをつけた[35]。2005ねんだい29かい世界せかい遺産いさん委員いいんかいでは、勧告かんこくどおり、登録とうろくめい修正しゅうせいしたうえで登録とうろくされた。

登録とうろくめい[編集へんしゅう]

世界せかい遺産いさんとしての正式せいしき登録とうろくめいは、Biblical Tels - Megiddo, Hazor, Beer Sheba (英語えいご)、Tels bibliques – Megiddo, Hazor, Beer-Sheba (フランス語ふらんすご)である。その日本語にほんごやく資料しりょうによって以下いかのようなちがいがある。

  • 聖書せいしょゆかりの遺跡いせきおか-メギド、ハゾル、ベエル・シェバ(世界せかい遺産いさんアカデミー[36]
  • 聖書せいしょゆかりの遺跡いせきおか-メギッド、ハゾル、ベエル・シェバ(世界せかい遺産いさんなるほど地図ちずちょう[37]
  • 聖書せいしょゆかりの遺跡いせきおか-メギド、ハツォール、ベール・シェバ(古田ふるたようひさ 古田ふるた真美まみ[38]
  • 聖書せいしょ時代じだいのこおかぐん-メギッド、ハツォール、ベエル・シェバ (日本にっぽんユネスコ協会きょうかい連盟れんめい[39]
  • 聖書せいしょ登場とうじょうする遺跡いせきおか-メギド、ハツォール、ベエールシェヴァ(なるほどちょう[40]
  • メギド、ハゾル、ベールシェバの聖書せいしょのテルぐん (ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん[41]
  • メギド、ハツォール、ベール・シェバ(21世紀せいき世界せかい遺産いさんたび[19]

登録とうろく基準きじゅん[編集へんしゅう]

この世界せかい遺産いさん世界せかい遺産いさん登録とうろく基準きじゅんのうち、以下いか条件じょうけんたし、登録とうろくされた(以下いか基準きじゅん世界せかい遺産いさんセンター公表こうひょう登録とうろく基準きじゅんからの翻訳ほんやく引用いんようである)。

  • (2) ある期間きかんつうじてまたはある文化ぶんかけんにおいて、建築けんちく技術ぎじゅつ記念きねんてき芸術げいじゅつ都市とし計画けいかく景観けいかんデザインの発展はってんかんし、人類じんるい価値かち重要じゅうよう交流こうりゅうしめすもの。
    • この基準きじゅんは、古代こだい交通こうつう要衝ようしょう建設けんせつされた都市としであり、交易こうえきひん流通りゅうつううえ重要じゅうようだっただけでなく、建築けんちく様式ようしきめんでも、エジプトシリアなどの様式ようしきとの交流こうりゅうみとめられることなどにたいして適用てきようされた[35]
  • (3) 現存げんそんするまたは消滅しょうめつした文化ぶんかてき伝統でんとうまたは文明ぶんめいの、唯一ゆいいつのまたはすくなくともまれ証拠しょうこ
    • この基準きじゅん青銅器せいどうき時代じだいから鉄器てっき時代じだいにかけての都市とし計画けいかく水利すいり施設しせつなどの様子ようすをよくつたえていることなどに適用てきようされた[35]
  • (4) 人類じんるい歴史れきしじょう重要じゅうよう時代じだい例証れいしょうする建築けんちく様式ようしき建築けんちくぶつぐん技術ぎじゅつ集積しゅうせきまたは景観けいかんすぐれたれい
    • この基準きじゅんは、「聖書せいしょ物語ものがたりつうじて、そこで言及げんきゅうされているしょ都市としこう歴史れきしつよ影響えいきょうおよぼした」ことにたいして適用てきようされた[35]
  • (6) 顕著けんちょ普遍ふへんてき意義いぎゆうする出来事できごと現存げんそんする伝統でんとう思想しそう信仰しんこうまたは芸術げいじゅつてき文学ぶんがくてき作品さくひん直接ちょくせつにまたは明白めいはく関連かんれんするもの(この基準きじゅん基準きじゅんわせてもちいるのがのぞましいと世界せかい遺産いさん委員いいんかいかんがえている)。
    • この基準きじゅんは、対象たいしょうとなるのこおかぐん聖書せいしょでの言及げんきゅうとのわせによって、歴史れきしてき事件じけんつたえる証拠しょうことなっていることなどに適用てきようされた[35]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ これら3つののこおかについては様々さまざま表記ひょうきれが存在そんざいするが、この記事きじでは『しん共同きょうどうやく聖書せいしょ』(日本にっぽん聖書せいしょ協会きょうかい)の表記ひょうきしたがっている。その表記ひょうきはフィンケルシュタイン & シルバーマン (2009)、長谷川はせがわ (2013) などの表記ひょうきとも一致いっちする。
  2. ^ ハルマゲドンの語源ごげんについては異説いせつもあるが(cf. 小河おがわよう わけ (1996) 『ヨハネの黙示録もくしろく岩波書店いわなみしょてん補注ほちゅうpp.5-6)、世界せかい遺産いさん推薦すいせんおよび評価ひょうか勧告かんこくではメギドとするせつられているので、この記事きじでは深入ふかいりしない。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 長谷川はせがわ (2013) pp.40-42
  2. ^ 長谷川はせがわ (2013) pp.50-57
  3. ^ ICOMOS (2005) p.122
  4. ^ a b c Biblical Tels - Megiddo, Hazor, Beer Sheba : Multiple Locations(World Heritage Centre)
  5. ^ a b c The State of Israel (2003) p.81
  6. ^ a b c d e f g h ICOMOS (2005) p.123
  7. ^ ヨシュア12しょう1せつ - 21せつどう17しょう11せつ - 12せつあきらふししん共同きょうどうやく聖書せいしょによる。以下いかおなじ。
  8. ^ 1しょう27せつ
  9. ^ 5しょう19せつ
  10. ^ 歴代れきだい35しょう20せつ – 24せつ
  11. ^ 秋山あきやま (2005) pp.361, 451
  12. ^ a b c ICOMOS (2005) p.125
  13. ^ フィンケルシュタイン & シルバーマン (2009) pp.170-171
  14. ^ れつおうじょう9しょう15せつ
  15. ^ れつおう9しょう19せつ
  16. ^ フィンケルシュタイン & シルバーマン (2009) p.170
  17. ^ フィンケルシュタイン & シルバーマン (2009) pp.253-254
  18. ^ 長谷川はせがわ (2013) p.169
  19. ^ a b 『21世紀せいき世界せかい遺産いさんたび小学館しょうがくかん、2007ねん、p.263
  20. ^ 長谷川はせがわ (2013) p.114
  21. ^ ヨシュア11しょう1せつ - 11せつ
  22. ^ だい4しょう1せつ - 24せつ
  23. ^ 秋山あきやま (2005) pp.471-472
  24. ^ a b c d 長谷川はせがわ (2013) pp.115-116
  25. ^ a b c d e f g ICOMOS (2005) p.124
  26. ^ れつおうじょう9しょう15せつ。なお、文中ぶんちゅう直接ちょくせつ要害ようがい」のかたり登場とうじょうしないが、それについては、秋山あきやま (2005) p.349を参照さんしょうした。
  27. ^ れつおう15しょう29せつ
  28. ^ フィンケルシュタイン&シルバーマン (2009) p.115
  29. ^ a b c d 長谷川はせがわ (2013) p.84
  30. ^ 創世そうせい21しょう22せつ - 32せつ
  31. ^ 創世そうせい26しょう26せつ - 33せつ
  32. ^ 長谷川はせがわ (2013) pp.83-84
  33. ^ 秋山あきやま (2005) p.393
  34. ^ ICOMOS (2005) pp.122, 147
  35. ^ a b c d e f ICOMOS (2005) p.128
  36. ^ 世界せかい遺産いさんアカデミー監修かんしゅう (2012) 『すべてがわかる世界せかい遺産いさんだい事典じてんうえマイナビ、p.220
  37. ^ しんていばん 世界せかい遺産いさんなるほど地図ちずちょう』(講談社こうだんしゃ、2012ねん)、p.137
  38. ^ 古田ふるたようひさ 古田ふるた真美まみ 監修かんしゅう(2011) 『世界せかい遺産いさん事典じてん 2012改訂かいていばん』シンクタンクせとうち総合そうごう研究けんきゅう機構きこう、p.76
  39. ^ 日本にっぽんユネスコ協会きょうかい連盟れんめい (2006) 『世界せかい遺産いさん年報ねんぽう2006』平凡社へいぼんしゃ、p.26. 以降いこう、『世界せかい遺産いさん年報ねんぽう2013』(朝日新聞あさひしんぶん出版しゅっぱん)でも変化へんかなし。
  40. ^ たにおさむせいこう監修かんしゅう (2013) 『なるほどちょう世界せかい2013』昭文社しょうぶんしゃ、p.147
  41. ^ 『ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん しょう項目こうもく電子でんし辞書じしょばんブリタニカ・ジャパン、2011ねん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]