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座標: 北緯37度48分 東経139度00分 / 北緯37.8度 東経139度 / 37.8; 139
西蒲原地震(にしかんばらじしん)は、1670年6月22日(寛文10年5月5日)に、越後国で発生した大地震[1]。村上藩の飛地領である「四万石領」で発生した地震であったため、四万石地震(しまんごくじしん)とも呼ばれる。村上藩の「上川領」および「四万石領」[注釈 1]で、死者13人、家屋全壊503棟の被害があった[4]。越後平野中央部の中ノ口川流域を震央とする M6+3⁄4前後の地震と考えられ、江戸でも有感となった。1828年の三条地震と震源域が近かった[1]。
越後村上藩榊原家江戸屋敷日記には、以下のような記述がある (書き下し文) [1]。
五月十四日庚午 天陰(天気曇り).この日村上より飛脚来る.去る五日,村上において大地震.併し御城中,御家中,町中は別状なし.上川・四万石のうち百姓家五百三軒頽れる.人十三人,馬二匹死す.田畠荒れ,植田ゆりこむなり.
八月十日甲午.天陰.この日,五月五日の村上大地震につき四万石のうち家数五百三十三軒頽れる.申し付けし彼の百姓共,手前罷り成らざり候に付き,一軒に金子壱分充てこれを下さる,然るべき由,申し遣わす.
- ^ 当時の村上藩領は、大きく3つの地域に分かれていた。村上城付近の「下川」、その南方の「上川」(現在の新発田市東部、阿賀野市、五泉市にかけての地域)、上川領の西方にあって比較的新しく村上藩領に加えられた「四万石」(三条市、燕市、新潟市西区・南区・西蒲区にかけての地域)である。
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