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金井かないいけ

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金井かないいけ
金井池
金井かないいけ飯縄山いいつなやま
所在地しょざいち 長野ながのけん長野ながの松代まつだいまちしば[1][2]
位置いち
金井池の位置(日本内)
金井池
北緯ほくい3635ふん20びょう 東経とうけい13811ふん57.5びょう / 北緯ほくい36.58889 東経とうけい138.199306 / 36.58889; 138.199306座標ざひょう: 北緯ほくい3635ふん20びょう 東経とうけい13811ふん57.5びょう / 北緯ほくい36.58889 東経とうけい138.199306 / 36.58889; 138.199306
最大さいだい水深すいしん 3.7[3][4] m
成因せいいん 三日月みかづき
淡水たんすい・汽水 淡水たんすい
湖沼こしょうがた とみ栄養えいようみずうみ
透明とうめい 0.64[3][5] m
プロジェクト 地形ちけい
テンプレートを表示ひょうじ

金井かないいけ(かないいけ)は、長野ながのけん長野ながのにあるいけ千曲川ちくまがわ長野ながの県内けんないにおける信濃川しなのがわ呼称こしょう)のかわあと三日月みかづき)である。

地理ちり

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真田さなだ城下町じょうかまちであった長野ながの松代まつだいまちしば地籍ちせき位置いちする[1]おおきさは南北なんぼく方向ほうこうやく200メートル東西とうざい方向ほうこうやく60メートルである[6]金井かないさんへの遊歩道ゆうほどう入口いりくちにあたり、はるさくらおとずれる観光かんこうきゃくおお[7]金井かないさんのぼれば眼下がんか金井かないえ、長野ながの松代まつだい市街地しがいち見渡みわたすこともできる[6]

金井かない千曲川ちくまがわりゅううつったあと出来できた、長野ながの県内けんない唯一ゆいいつ三日月みかづきかわあと)である[1]なが年月としつき千曲川ちくまがわ自然しぜんながれ変化へんかこし、のこされたかわふち部分ぶぶんいけになったとするせつ、あるいは江戸えど時代じだい水害すいがい対策たいさくのため千曲川ちくまがわりゅう西にし移動いどうさせたさいきゅうりゅういけ出来できたとするとおりのせつがある[8]1742ねんひろし2ねん)の水害すいがい契機けいきに、松代まつだいはん千曲川ちくまがわたいする治水ちすい工事こうじのべとおる年間ねんかん1744ねん - 1747ねん)に実施じっししており、それまでやま沿いをながれていた千曲川ちくまがわ城下町じょうかまちから距離きょりいた現在げんざいりゅうへと移動いどうした経緯けいいがある[8]

一方いっぽうで、真田さなだ統治とうち時代じだい松代まつだいはんおも真田さなだ信之のぶゆきころにはすで金井かないいけ存在そんざいしていたとする伝承でんしょうもある[6]信之のぶゆき家来けらいれていけ(その当時とうじかわだった可能かのうせいもあるが詳細しょうさい不明ふめい)に投網なげあみをうつと、やかんのようなかたちをしたかたまりげられた[9]。それはとも金属きんぞくともつかない材質ざいしつで、かつ水気みずけびていることから、きんすい(どこんすい)と名付なづけられた[9]よるになると、いえいておいたきんすいたるなかさけはじめるといううわさはなしもある[9]信之のぶゆきあとかれ晩年ばんねん隠居いんきょしていた屋敷やしきあとだいほこさきてらてられ、いけふく周辺しゅうへん土地とち寺社じしゃりょうとなった[6]きんすいだいほこさきてら保存ほぞんされており、一説いっせつにはクジラ椎骨ついこつともわれている[9]

かつてはいけみずポンプでくみげ、農業のうぎょう用水ようすいとしてもちいられていたこともあったが、周辺しゅうへんから生活せいかつ排水はいすい流入りゅうにゅう水質すいしつ汚濁おだく進行しんこうしたため、農業のうぎょう用水ようすいとしてもちいられることはなくなった[3]水質すいしつ1960年代ねんだい1990年代ねんだいとを比較ひかくするととみ栄養えいようられ、1960年代ねんだいには1.3 - 1.4メートルあった透明とうめいも、1990年代ねんだいには0.6 - 0.7メートル程度ていどまで半減はんげんしている[3]

アクセス

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公共こうきょう交通こうつう機関きかん
付近ふきんに「しばバス停ばすてい設置せっちされている[10]ちょうでんバスによって長野ながの電鉄でんてつ長野ながのせん須坂すざかえき須坂すざか)や松代まつだいえききゅう長野ながの電鉄でんてつ屋代やしろせん)、しなの鉄道てつどうしなの鉄道てつどうせん屋代やしろえきせんきょく)へいた路線ろせんバス運行うんこうされている[11]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c 信州しんしゅう湖沼こしょう, p. 79.
  2. ^ 座標ざひょうは「国土こくど地理ちりいん地図ちず電子でんし国土こくどWeb)」にてた(参考さんこう、2014ねん4がつ3にち閲覧えつらん)。
  3. ^ a b c d 落合おちあい照雄てるお 1997.
  4. ^ 最大さいだい水深すいしんは1963ねん1がつ - 1964ねん12月の最大さいだい
  5. ^ 透明とうめいは1992ねん6がつ - 1993ねん5がつ平均へいきん
  6. ^ a b c d 信州しんしゅう湖沼こしょう, p. 80.
  7. ^ さわやか信州しんしゅうたび.net きん井山いやま遊歩道ゆうほどう」より(2014ねん4がつ3にち閲覧えつらん)。
  8. ^ a b 信州しんしゅう湖沼こしょう, p. 79-80.
  9. ^ a b c d 信州しんしゅう湖沼こしょう, p. 81.
  10. ^ マピオン長野ながのけん長野ながの松代町柴まつしろまちしば地図ちず」より(2014ねん4がつ3にち閲覧えつらん)。
  11. ^ ちょうでんバス「屋代やしろ須坂すざかせん バス路線ろせん」より(2014ねん4がつ3にち閲覧えつらん)。

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 落合おちあい照雄てるおプランクトンしょうからみた金井かない劣悪れつあく栄養えいよう」『清泉きよいずみ女学院じょがくいん短期大学たんきだいがく研究けんきゅう紀要きようだい15ごう清泉きよいずみ女学院じょがくいん短期大学たんきだいがく、1997ねん3がつ、199-214ぺーじISSN 0289-6761NAID 120005415535 
  • 信濃毎日新聞しなのまいにちしんぶんしゃ編集へんしゅうきょく信州しんしゅう湖沼こしょう信濃しなの毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ、1973ねんdoi:10.11501/9536617NCID BN10023132NDLJP:9536617https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I002586867-00 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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