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隈部くまべ

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隈部くまべ
ほんぼう檜扇ひおうぎにほんふさつきひおうぎ
まるうめはちまるにうめばち
本姓ほんせい しょう清和せいわはじめよりゆきおやりゅう宇野うの[1]
いえ 隈部くまべじき[1]
種別しゅべつ 武家ぶけ
出身しゅっしん 肥後ひごこく山鹿やまがぐん上水野かみみずのきょう隈部くまべ
おも根拠地こんきょち 肥後ひごこく
著名ちょめい人物じんぶつ 隈部くまべ忠直ただなお
隈部くまべちかしひさし
支流しりゅう分家ぶんけ 中富なかとみ
なかひかり武家ぶけ
諸富もろとみ
宇野うの武家ぶけ
長野ながの
大森おおもり
阿佐古あさご
富田とみた武家ぶけ
宮本みやもと[2]
凡例はんれい / Category:日本にっぽん氏族しぞく

隈部くまべ(くまべし)は、日本にっぽん氏族しぞくのひとつ。中世ちゅうせい山鹿やまが一帯いったい支配しはいした肥後ひごこく国人くにびと大和やまとはじめ宇野うのちかし子孫しそんしょうした隈部くまべじき一族いちぞくひきいて肥後ひごこく下向げこうし、菊池きくちれられて同国どうこく山鹿やまがぐん上水野かみみずのきょう隈部くまべげん熊本くまもとけん山鹿やまが菊鹿きくかまち)に土着どちゃくし、べい山城やましろ依拠いきょしたとつたえられている。自他じたともに菊池きくち重臣じゅうしんされ、赤星あかほしじょうとともに菊池きくちさん家老がろうしょうされたが、主家しゅか没落ぼつらくとともに独立どくりつするようになった。

勃興ぼっこう

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1264ねんぶんひさし元年がんねん)に上記じょうきもちじき菊池きくちたけしぼうから隈部くまべせいあたえられ、代々だいだい菊池きくち忠誠ちゅうせいくし南北なんぼくあさ時代じだいたたかいなどに従軍じゅうぐんしたが、菊池きくち一族いちぞくない家督かとくあらそいが発生はっせいするようになると、主家しゅか家督かとく廃嫡はいちゃくおおきな影響えいきょうりょくつようになった。豊後ぶんごこく守護しゅご大名だいみょう大友おおとも菊池きくち家督かとく触手しょくしゅばすと、その実現じつげん貢献こうけんした。

1559ねんえいろく2ねん隈部くまべちかしひさしのとき隈府わいふじょうによる赤星あかほしちかしごうぜいかわたたかやぶってさらに勢力せいりょくばし、1578ねん天正てんしょう6ねん耳川みみがわたたか島津しまつ大敗たいはいした大友おおとも見限みかぎり、あらたに肥前ひぜんこく戦国せんごく大名だいみょう龍造寺りゅうぞうじむすんでしんいえ赤星あかほしみつるめて追放ついほうげん菊池きくち一帯いったいをも領有りょうゆうするようになる。その最大さいだい所領しょりょうやく5,000まち(3まんせきから6まんせき)におよび肥後ひごこく北部ほくぶさい有力ゆうりょく国人くにびとにのしがった。

滅亡めつぼう

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1584ねん天正てんしょう12ねん北上ほくじょうする島津しまつめられると、1年余ねんよ籠城ろうじょう、よくこれをふせいで和睦わぼくしょりょう安堵あんどされ、ついで1586ねん天正てんしょう14ねん豊臣とよとみ秀吉ひでよし九州きゅうしゅう征伐せいばつ開始かいしされるとすみやかに降伏ごうぶくして山鹿やまが一帯いったい旧領きゅうりょう(やく1,900まち)を安堵あんどされた。1587ねん天正てんしょう15ねん)7がつ佐々ささしげるせいおこなった検地けんちに、おやひさし息子むすこ隈部くまべちかしやすしとも抵抗ていこう、これが肥後ひご国人くにびと一揆いっき発端ほったんとなった。なりせいひきいる鎮圧ちんあつぐん籠城ろうじょうせんおうじたおやなが父子ふし善戦ぜんせんしたことから、おやひさし呼応こおうする国人くにびとたちがなりせい不在ふざいくま本城ほんじょう殺到さっとうした。なりせい山鹿やまが菊池きくち地域ちいき一帯いったいからの撤退てったい余儀よぎなくされ、肥後ひごこくちゅう一揆いっき拡大かくだいした。

秀吉ひでよしいのちけた西国さいごく大名だいみょう援軍えんぐん続々ぞくぞく肥後ひごこくりをたすと、一揆いっきぐん衆寡しゅうかてきせずに降伏ごうぶくする。隈部くまべ一族いちぞくはことごとくらえられてころされ隈部くまべ正統せいとう絶家ぜっけした。

正統せいとう滅亡めつぼう 

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傍流ぼうりゅう立花たちばな宗茂むねしげによっててられ、宇野うのしょうして代々だいだい柳川やながわはんつかえたとつたわる。また、細川ほそかわはん小姓こしょう輩出はいしゅつしたなかひかり山鹿やまがぐん中富なかとみひさしそう庄屋しょうや代々だいだいつとめた中富なかとみ隈部くまべ子孫しそんつたえられる[2][3]中富なかとみはのちに隈部くまべへの復姓ふくせいゆるされ細川ほそかわはん仕官しかんしている。

当主とうしゅ

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  • もちじき宇野うの次郎じろうみぎ衛門えもんじょう
  • りゅうただしみなもと四郎しろう式部しきぶ太夫たゆう
  • りゅうあさ千代丸ちよまる式部しきぶ太夫たゆう
  • あさじき又次郎またじろう上総かずさかい
  • 長治ながはるまた三郎さぶろう式部しきぶ太夫たゆう
  • 朝忠ちょうちゅうみなもとはち但馬たじままもる紀伊きいもりあさゆたか
  • 忠直ただなおつねわかまる兵部ひょうぶたい輔上そうかい
  • 元成もとなりみんしょう但馬たじままもる
  • 親朝ちかとも式部しきぶ太夫たゆう上総かずさかいもとさとし
  • 武治たけはる ※むすめ菊池きくちのううんしつ
  • 貞明ていめいさいわいわかまる
  • おや
  • おやひさし
  • おややすくまわかまるおややすし

信濃しなの小諸こもろ藩士はんし隈部くまべ

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小諸こもろはん牧野まきの家臣かしんだん参照さんしょうのこと。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b 太田おおた 1934, p. 2153.
  2. ^ a b 隈部くまべ 1973, p. 125.
  3. ^ 隈部くまべ 1973, p. 142.

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 太田おおたあきら国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション 隈部くまべ クマベ」『姓氏せいし家系かけいだい辞典じてんだい2、上田うえだ萬年かずとし三上みかみさん監修かんしゅう姓氏せいし家系かけいだい辞典じてん刊行かんこうかい、1934ねん、2153-2154ぺーじ全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:47004572https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1130938/170 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション  閲覧は自由
  • 隈部くまべちかしやしなえ文献ぶんけん集成しゅうせい 清和せいわはじめ隈部くまべ家代いえしろ物語ものがたり ぜんあおしおしゃ、1973ねん 

関連かんれん項目こうもく

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