(Translated by https://www.hiragana.jp/)
青狼武士 - Wikipedia コンテンツにスキップ

あおおおかみ武士ぶし

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
あおおおかみ 武士ぶし
基礎きそ情報じょうほう
四股しこめい あおおおかみ 武士ぶし
本名ほんみょう アムガー・ウヌボルド
Амгаагийн Өнөболд
愛称あいしょう ウヌ[1]
生年月日せいねんがっぴ (1988-08-18) 1988ねん8がつ18にち(36さい
出身しゅっしん モンゴル人民共和国の旗 モンゴルボルガンけん
身長しんちょう 185cm
体重たいじゅう 139kg
BMI 42.20
所属しょぞく部屋へや 錣山部屋へや
得意とくいわざ みぎよっつ・り・上手じょうず
成績せいせき
現在げんざい番付ばんづけ 引退いんたい
最高さいこう 西にし前頭まえがしら14まい
生涯しょうがい戦歴せんれき 433しょう424はい25きゅう(89場所ばしょ
幕内まくうち戦歴せんれき 19しょう26はい(3場所ばしょ
優勝ゆうしょう さんだん優勝ゆうしょう1かい
データ
はつ土俵どひょう 2005ねん7がつ場所ばしょ
入幕にゅうまく 2015ねん7がつ場所ばしょ
引退いんたい 2020ねん3がつ場所ばしょ
番付ばんづけじょうは2020ねん7がつ場所ばしょ
趣味しゅみ ジグソーパズル
備考びこう
2020ねん7がつ13にち現在げんざい

あおおおかみ 武士ぶし(せいろう たけし、1988ねん8がつ18にち - )は、モンゴルこくボルガンけん出身しゅっしんで、錣山部屋へや所属しょぞくしたもと大相撲おおずもう力士りきし本名ほんみょうアムガー・ウヌボルドモンゴルキリル文字もじ表記ひょうきАмгаагийн Өнөболд)。身長しんちょう185cm、体重たいじゅう139kg。最高さいこう西にし前頭まえがしら14まい2016ねん5月場所ばしょ)。

来歴らいれき

[編集へんしゅう]

父親ちちおやブフ(モンゴル相撲すもう)のもと関脇せきわけで、横綱よこづなあさあおりゅう[注釈ちゅうしゃく 1]父親ちちおや友人ゆうじんであった。中学生ちゅうがくせい時代じだいまではモンゴル相撲すもうにも本格ほんかくてき経験けいけんはなく、ナーダムちかづいたら稽古けいこする程度ていどであった。日本にっぽん大相撲おおずもう中継ちゅうけいはじめた時期じきあさあおりゅう横綱よこづなへとがっていく時期じきであり、見入みいるようになった。14さいのときにやく1000にん参加さんかしたという日本にっぽん相撲すもうオーディションに優勝ゆうしょうし、相撲すもう留学りゅうがくのために来日らいにちする予定よていであったが、直前ちょくぜんにバスケットボールのプレイちゅう右足みぎあし亀裂きれつ骨折こっせつしたためはなしながれてしまった。その2ねんあさあおりゅうから電話でんわがかかってきたことで来日らいにちまったという。

2005ねん4がつあさあおりゅうたくに10日間にちかんほど滞在たいざいし、高砂たかさご部屋へや稽古けいこ参加さんか、5月場所ばしょまえに錣山部屋へや入門にゅうもんすることとなり、師匠ししょうの錣山(もと関脇せきわけ 寺尾てらお)と初対面しょたいめんをした[3]あおおおかみという四股しこめいは、あさあおりゅうの「あお」とモンゴルの象徴しょうちょうである「おおかみ」からている。

2005ねん7がつ場所ばしょはつ土俵どひょうんでから幕下まくした昇進しょうしんするころまでは体重たいじゅうが100kgにもたない軽量けいりょうであり、「日本にっぽんときは2ねん関取せきとりがれるとおもっていた。」という当初とうしょ自信じしんとは裏腹うらはらじょだん通過つうかに10場所ばしょようした。だが、本人ほんにんいわく「んだ父親ちちおやそっくりで生前せいぜんころこわさをおもす」という印象いんしょう師匠ししょう[4]人格じんかくしゃられる兄弟子あにでしゆたかしょうささえられ、そのなが取的とりてき生活せいかつった。 2007ねん5月場所ばしょから体重たいじゅう増加ぞうかわさるように5場所ばしょ連続れんぞくし、2008ねん3がつ場所ばしょ幕下まくした昇進しょうしんたした。その網膜剥離もうまくはくり手術しゅじゅつなどにより番付ばんづけげたが[5]2009ねん5月場所ばしょではさんだん優勝ゆうしょうたした。2010ねん7がつ場所ばしょ以降いこう幕下まくした定着ていちゃくし、2012ねん11月場所ばしょでは関取せきとり目前もくぜん幕下まくした5まい以内いない番付ばんづけまで昇格しょうかく場所ばしょまえには横綱よこづなはくほうのいる宮城野みやぎの部屋へや出稽古でげいこき、はくほう熱心ねっしん指導しどうけたが、幕下まくした上位じょういかべがえされてした[6]2013ねん5月場所ばしょひがし幕下まくした筆頭ひっとう番付ばんづけにおり、ゆたかしょうつづく錣山部屋へや2にん関取せきとりへという期待きたいたかまってきた。その5月場所ばしょは3ばん相撲すもうさちおおとり立合たちあ変化へんかやぶれてこの時点じてん黒星くろぼし先行せんこうするなど苦戦くせんしたものの、6ばん相撲すもうしをめ、よく7がつ場所ばしょでの関取せきとり昇進しょうしんめた。 ひがしじゅうりょう9まいでのしんじゅうりょうとなった7がつ場所ばしょは、13にちしをめて9しょう6はいだった。自己じこ最高さいこうひがしじゅうりょう7まい更新こうしんしてむかえたよく9がつ場所ばしょは4しょう11はい、さらに11月場所ばしょひがしじゅうりょう12まいで6しょう9はいわった。番付ばんづけうんたすけられ幕下まくした陥落かんらくまぬかれたものの、2014ねん1がつ場所ばしょじゅうりょうしり西にしじゅうりょう14まいもくのない地位ちいかれた。この場所ばしょでは初日しょにち白星しろぼしげた直後ちょくご、2にちから6にちまで5連敗れんぱいするなど序盤じょばん乱調らんちょう様子ようすせていた。しかし、一転いってんして7にちから13にちまで7連勝れんしょうとしてしをたし8しょう7はいえる。よく3がつ場所ばしょ10日とおかまで6しょう4はい白星しろぼし先行せんこうしていたが、それ以降いこう千秋楽せんしゅうらくまで5連敗れんぱいして6しょう9はいえる。5月場所ばしょ絶好調ぜっこうちょうであり、14にちえて10しょう4はいったほうが優勝ゆうしょう決定けっていせん進出しんしゅつという千秋楽せんしゅうらくせいし、4はいの4にんによるじゅうりょう優勝ゆうしょう決定けっていトーナメントに進出しんしゅつしたが、しくも1回戦かいせん敗退はいたいした。それでもつづく7がつ場所ばしょでは自己じこ最高さいこうひがしじゅうりょう5まいまで更新こうしん西にしじゅうりょう10まいむかえた9がつ場所ばしょは9しょう6はいし、よく11がつ場所ばしょ西にしじゅうりょう3まいまで自己じこ最高さいこう更新こうしんした。 2015ねん7がつ場所ばしょにてしん入幕にゅうまく。錣山部屋へやからのしん入幕にゅうまくゆたかしょう以来いらい2にんとなった。しん入幕にゅうまく会見かいけんでははつ土俵どひょうから59場所ばしょでの入幕にゅうまくに「うれしいです。ながかったですね。あと2、3ねんはやがりたかった」と、はつ土俵どひょうしんじゅうりょうめた名古屋なごやよろこびをかみしめた。モンゴル出身しゅっしん力士りきしとして23にん外国がいこく出身しゅっしん力士りきし46にん)の幕内まくうち力士りきし角界かくかいりの橋渡はしわたしをしてくれたもと横綱よこづなあさあおりゅうにそっくりの顔立かおだちだが「あんまりうれしくない(わらい)。自分じぶん自分じぶんなので」と苦笑にがわらいした。5月場所ばしょまえには「おまえみたいなよわいオオカミはいないんだよ」とわれたという。「むすびの一番いちばんってみたい。10ばん、11ばんったらさんしょうもあるとおもう」と2ケタ勝利しょうり目標もくひょうかかげた。[7] しかししん入幕にゅうまくの7がつ場所ばしょは14にちから給金きゅうきん相撲すもうを2ばん連続れんぞくとして7しょう8はいよく9がつ場所ばしょは12にちから3連敗れんぱいしてしを確定かくていさせ、千秋楽せんしゅうらくつも7しょう8はい。3場所ばしょじゅうりょうらしをて2016ねん5がつ場所ばしょさい入幕にゅうまくたすも、幕内まくうちかべがえされて5しょう10はいし。西にしじゅうりょう11まいまで番付ばんづけげた同年どうねん11がつ場所ばしょ11しょう4はい自身じしん2度目どめの2けた白星しろぼし場所ばしょの2016年度ねんどふゆ巡業じゅんぎょう全休ぜんきゅう[8]。2017ねん9がつ場所ばしょ西にしじゅうりょう12まいとまたもや幕下まくした陥落かんらくのピンチとなったが、この場所ばしょは9しょう6はいしてその危機ききだっした。同年どうねん10がつ2にち明治めいじ神宮じんぐう例祭れいさい奉祝ほうしゅく全日本ぜんにほん力士りきしせんけん大会たいかいだい76かい大会たいかいじゅうりょう参加さんかしてどう部屋へやおもねほのお対決たいけつ勝利しょうりして優勝ゆうしょうたした[9]。2018ねん6がつ10日とおか、2016ねん12月に婚姻こんいんとどけ提出ていしゅつしてから番付ばんづけがったことを理由りゆう延期えんきしていた結婚けっこん披露宴ひろうえんおこなった。師匠ししょうの錣山をはじめ、つるりゅうはくほうりょう横綱よこづなやく250にん出席しゅっせきした。謝辞しゃじでは「どれくらいのひとてくれるかからなくて心配しんぱいしていたが、こんなにたくさんのほうていただきしんがいっぱい」と感謝かんしゃはくほう直立ちょくりつ不動ふどうしずかにききいり、おおきな拍手はくしゅおくった。つるりゅうはあいさつで「これを幕内まくうち定着ていちゃくしてほしい。2人ふたりちからわせて頑張がんばってください」と同郷どうきょう後輩こうはいにエール[10]。2018ねんはいって以降いこうじゅうりょう中位ちゅうい下位かいでの土俵どひょうつづいたが、西にしじゅうりょう9まいむかえた2018ねん9がつ場所ばしょでは初日しょにち志摩しまうみせん左足ひだりあし負傷ふしょうよく2にち出場しゅつじょうしたもののちからやぶれ、結局けっきょく場所ばしょ3にちの9がつ11にち左足ひだりあし捻挫ねんざにより休場きゅうじょうした。[11]その7にちほのおおおとりせんよりさい出場しゅつじょうしたもののほん調子ちょうしには程遠ほどとおく、12にちてん空海くうかいせん不戦勝ふせんしょう以外いがい白星しろぼしげることはできなかった。場所ばしょ成績せいせきは1しょう11はい3きゅうとなり、32場所ばしょ連続れんぞく在位ざいいした関取せきとりから陥落かんらくすることになった。本人ほんにんは「なるべくたっていくようにしているんですけど。番付ばんづけはどうでもいい。1場所ばしょもどるから大丈夫だいじょうぶです」とかたっていた[12]。 2019ねん3がつ場所ばしょまえ記事きじでは師匠ししょうが「ダントツで稽古けいこやってますから」と稽古けいこ熱心ねっしんさをとなえていた[13]。その言葉ことばどおり3がつ場所ばしょ西にし幕下まくした3まい地位ちいで6しょう1はい好成績こうせいせきげ、場所ばしょじゅうりょう復帰ふっきして幕下まくしたらしから3場所ばしょ脱出だっしゅつした。しかし、5月場所ばしょでは西にしじゅうりょう14まい地位ちいで7しょう8はいし、またも幕下まくした陥落かんらくとなった。

2020ねん7がつ場所ばしょひがし幕下まくした57まいとしてむかえる予定よていだったが、7がつ13にちづけ引退いんたいした[14]無菌むきんせいずいまくえんわずらい、2週間しゅうかん入院にゅういん体重たいじゅうが20kgち、以後いごちからなくなってしまったという。断髪だんぱつしきは2022ねん8がつ20日はつか東京とうきょう都内とないのホテルでおこなわれ、師匠ししょうの錣山がやっとこれた[15]

引退いんたいはモンゴルに帰国きこくして実業じつぎょうとなった。引退いんたい直後ちょくご不動産ふどうさん関係かんけい仕事しごとくことを希望きぼうしていたが[16]、2021ねん6がつから石膏せっこうあつか会社かいしゃ経営けいえいしている[15]

くち

[編集へんしゅう]

基本きほんてきみぎよっ得意とくいであるが、左前ひだりまえミツをいてめる相撲すもうせる。一方いっぽう立合たちあいがあまい、ひだりるのがおそいという弱点じゃくてん存在そんざいしており、まわしがれずにいてしまう相撲すもうすくなくない。[17][18]幕下まくした足踏あしぶみしていたころ立合たちあいであたまからたることをおそれていたが、それが解消かいしょうされたことでじゅうりょう昇進しょうしんつかんだとされており、錣山もじゅうりょう昇進しょうしんさいして「まわしをるまでの技術ぎじゅつみがくこと。しっかりたれば、くこともない」と今後こんご課題かだいげていた。[17]入門にゅうもんからしばらくはかたさだまらず小手先こてさきたよったざつ相撲すもうおおかったものの、幕下まくした上位じょうい名前なまえころにはこの経験けいけんかしたかたちとっしを副次的ふくじてき手段しゅだんとしてもちいるようになった。

おも成績せいせき

[編集へんしゅう]
  • 通算つうさん成績せいせき:433しょう424はい25きゅう(89場所ばしょ
  • 幕内まくうち成績せいせき:19しょう26はい(3場所ばしょ
  • じゅうりょう成績せいせき:213しょう243はい9きゅう(31場所ばしょ

かくだん優勝ゆうしょう

[編集へんしゅう]

場所ばしょべつ成績せいせき

[編集へんしゅう]
あおおおかみ 武士ぶし
いちがつ場所ばしょ
初場所はつばしょ東京とうきょう
さんがつ場所ばしょ
春場所はるばしょ大阪おおさか
五月ごがつ場所ばしょ
夏場所なつばしょ東京とうきょう
なながつ場所ばしょ
名古屋なごや場所ばしょ愛知あいち
九月場所くがつばしょ
秋場所あきばしょ東京とうきょう
十一月じゅういちがつ場所ばしょ
九州きゅうしゅう場所ばしょ福岡ふくおか
2005ねん
平成へいせい17ねん
x x x ぜん相撲すもう ひがし序ノ口じょのくち41まい
5–2 
西にしじょだん107まい
5–2 
2006ねん
平成へいせい18ねん
西にしじょだん60まい
4–3 
西にしじょだん35まい
3–4 
西にしじょだん57まい
5–2 
西にしじょだん15まい
3–4 
西にしじょだん37まい
3–4 
西にしじょだん57まい
4–3 
2007ねん
平成へいせい19ねん
ひがしじょだん33まい
4–3 
ひがしじょだん7まい
3–4 
ひがしじょだん29まい
5–2 
西にしさんだん95まい
4–3 
ひがしさんだん78まい
6–1 
西にしさんだん20まい
4–3 
2008ねん
平成へいせい20ねん
ひがしさんだん7まい
4–3 
ひがし幕下まくした57まい
3–4 
西にしさんだん6まい
3–4 
ひがしさんだん19まい
3–4 
西にしさんだん31まい
4–3 
西にしさんだん16まい
3–4 
2009ねん
平成へいせい21ねん
西にしさんだん34まい
休場きゅうじょう
0–0–7
西にしさんだん95まい
5–2 
ひがしさんだん62まい
優勝ゆうしょう
7–0
ひがし幕下まくした37まい
3–4 
ひがし幕下まくした45まい
3–4 
ひがし幕下まくした53まい
4–3 
2010ねん
平成へいせい22ねん
西にし幕下まくした46まい
4–3 
ひがし幕下まくした40まい
0–5–2 
西にしさんだん15まい
5–2 
ひがし幕下まくした56まい
4–3 
西にし幕下まくした46まい
5–2 
西にし幕下まくした30まい
4–3 
2011ねん
平成へいせい23ねん
ひがし幕下まくした25まい
3–4 
八百長やおちょう問題もんだい
により中止ちゅうし
西にし幕下まくした33まい
2–5 
西にし幕下まくした37まい
5–2 
ひがし幕下まくした22まい
3–4 
西にし幕下まくした28まい
3–4 
2012ねん
平成へいせい24ねん
ひがし幕下まくした36まい
5–2 
ひがし幕下まくした21まい
4–3 
西にし幕下まくした17まい
4–3 
西にし幕下まくした13まい
4–3 
ひがし幕下まくした9まい
5–2 
ひがし幕下まくした2まい
3–5 
2013ねん
平成へいせい25ねん
西にし幕下まくした6まい
4–3 
西にし幕下まくした3まい
4–3 
ひがし幕下まくした筆頭ひっとう
5–2 
ひがしじゅうりょう9まい
9–6 
ひがしじゅうりょう7まい
4–11 
ひがしじゅうりょう12まい
6–9 
2014ねん
平成へいせい26ねん
西にしじゅうりょう14まい
8–7 
ひがしじゅうりょう10まい
6–9 
西にしじゅうりょう12まい
11–4 
ひがしじゅうりょう5まい
5–10 
西にしじゅうりょう10まい
9–6 
西にしじゅうりょう3まい
4–11 
2015ねん
平成へいせい27ねん
ひがしじゅうりょう9まい
9–6 
ひがしじゅうりょう4まい
8–7 
西にしじゅうりょう筆頭ひっとう
8–7 
ひがし前頭まえがしら15まい
7–8 
ひがし前頭まえがしら16まい
7–8 
西にしじゅうりょう2まい
8–7 
2016ねん
平成へいせい28ねん
ひがしじゅうりょう筆頭ひっとう
7–8 
西にしじゅうりょう筆頭ひっとう
9–6 
西前にしまえあたま14まい
5–10 
ひがしじゅうりょう3まい
8–7 
ひがしじゅうりょう2まい
4–11 
西にしじゅうりょう11まい
11–4 
2017ねん
平成へいせい29ねん
ひがしじゅうりょう4まい
4–11 
西にしじゅうりょう10まい
8–7 
ひがしじゅうりょう8まい
8–7 
西にしじゅうりょう6まい
4–11 
西にしじゅうりょう12まい
9–6 
ひがしじゅうりょう8まい
6–9 
2018ねん
平成へいせい30ねん
ひがしじゅうりょう10まい
8–7 
ひがしじゅうりょう9まい
8–7 
ひがしじゅうりょう7まい
8–7 
ひがしじゅうりょう6まい
6–9 
西にしじゅうりょう9まい
1–11–3[注釈ちゅうしゃく 2] 
西にし幕下まくした8まい
4–3 
2019ねん
平成へいせい31ねん
/れい元年がんねん
ひがし幕下まくした6まい
4–3 
西にし幕下まくした3まい
6–1 
西にしじゅうりょう14まい
7–8 
ひがし幕下まくした筆頭ひっとう
5–2 
ひがしじゅうりょう12まい
2–7–6[注釈ちゅうしゃく 3][19] 
西にし幕下まくした6まい
3–4 
2020ねん
れい2ねん
ひがし幕下まくした11まい
3–4 
西にし幕下まくした16まい
休場きゅうじょう
0–0–7
感染かんせんしょう拡大かくだい
により中止ちゅうし
ひがし幕下まくした57まい
引退いんたい
––[20]
x x
かくらん数字すうじは、「ち-け-休場きゅうじょう」をしめす。    優勝ゆうしょう 引退いんたい 休場きゅうじょう じゅうりょう 幕下まくした
さんしょう=敢闘かんとうしょうこと=殊勲賞しゅくんしょうわざ=技能ぎのうしょう     その=金星かなぼし
番付ばんづけ階級かいきゅう幕内まくうち - じゅうりょう - 幕下まくした - さんだん - じょだん - 序ノ口じょのくち
幕内まくうち序列じょれつ横綱よこづな - 大関おおぜき - 関脇せきわけ - 小結こむすび - 前頭まえがしら(「#数字すうじ」は各位かくいない序列じょれつ

幕内まくうち対戦たいせん成績せいせき

[編集へんしゅう]
力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう
あさあかりゅう 1 0 おもねゆめ 1 0 いきおい 0 1 遠藤えんどう 1 1
きばまる 2 0 かがみさくら 0 1 きたふとしじゅ 1 0 あさひしげるおおとり 1 0
旭天鵬きょくてんほう 1 0 きんいさむあきら 1 1 里山さとやま 1 0 まつおおとりさん 0 1
あおこくらい 2 0 大栄おおえしょう 0 2 だいしょうまる 1 0 たかいわ 1 0
ごうふう 0 1 千代ちよおおとり 0 2 千代ちよ大龍おおたつ 0 2 どき天空てんくう 0 1
とくかつりゅう 0 1 ゆたかしま 0 2 ゆたかひびき 1 0 錦木にしきぎ 0 1
えい乃海 2 1 ほまれ富士ふじ 0 1 よしみふう 0 1

改名かいめいれき

[編集へんしゅう]
  • あおおおかみ 武士ぶし(せいろう たけし)2005ねん7がつ場所ばしょ - 2020ねん7がつ場所ばしょ

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]
  1. ^ ちなみにあおおおかみあさあおりゅうそっくりの容姿ようしをしており、「“おとうとです”とうと、みんなしんじる」とのことである[2]
  2. ^ 左足ひだりあし捻挫ねんざのため3にちから休場きゅうじょう、7にちよりさい出場しゅつじょう
  3. ^ 無菌むきんせいずいまくえんのため中日ちゅうにちより休場きゅうじょう10日とおかからさい出場しゅつじょう予定よてい当日とうじつあさめまいにより出場しゅつじょうりやめてさい休場きゅうじょう

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ 相撲すもう』2018ねん3がつごう p58
  2. ^ あさあおりゅうそっくり!あおおおかみ十両じゅうりょう昇進しょうしん決定的けっていてき Sponichi Annex 2013ねん5がつ22にち 06:00
  3. ^ 月刊げっかん相撲すもう2020ねん9がつごう70ぺーじ(ベースボールマガジンしゃ)
  4. ^ あおおおかみ「2ねんがれるとおもっていた」目標もくひょうつるりゅう SANSPO.COM 2013.5.29 19:15
  5. ^ あさ稽古けいこ取材しゅざいスタート!「寺尾てらお復活ふっかつのあの部屋へやから 中日新聞ちゅうにちしんぶん+ 2013/6/27
  6. ^ はくほう モンゴルの後輩こうはいあおおおかみむね スポニチアネックス 2012ねん11月6にち(2013ねん5がつ3にち閲覧えつらん
  7. ^ あさあおりゅうそっくりのしん入幕にゅうまくあおおおかみ目指めざすはつよいオオカミ 日刊にっかんスポーツ 2015ねん6がつ29にち1743ふん
  8. ^ 大相撲おおずもうジャーナル』2017ねん2がつごう26ページ
  9. ^ 大相撲おおずもう中継ちゅうけい』2017ねん11月18にちごう p4
  10. ^ あおおおかみ 万感ばんかん結婚けっこん披露宴ひろうえん幕内まくうち定着ていちゃくして」つるりゅうからもエール Sponichi Annex 2018ねん6がつ10日とおか 16:51(スポすぽツニッポン新聞社つにっぽんしんぶんしゃ、2018ねん9がつ29にち閲覧えつらん
  11. ^ じゅうりょうあおおおかみ休場きゅうじょう 左足ひだりあし負傷ふしょうこん場所ばしょじゅうりょう以上いじょうはつ秋場所あきばしょ サンスポ
  12. ^ 相撲すもう』2018ねん10がつごう p.65
  13. ^ Sports Graphic Number (文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう)2019ねん2がつ28にちごう p47
  14. ^ 引退いんたいのおらせ - 日本にっぽん相撲すもう協会きょうかい公式こうしきサイト 2020ねん7がつ13にち
  15. ^ a b もと前頭まえがしらあおおおかみ断髪だんぱつしき 現在げんざいせっこうをあつか会社かいしゃ経営けいえい今後こんごについて「モンゴルで1ばん会社かいしゃに」」『日刊にっかんスポーツ』2022ねん8がつ20日はつか2022ねん8がつ20日はつか閲覧えつらん
  16. ^ もと前頭まえがしらあおおおかみ「この部屋へやかった」力士りきし生活せいかつかえる - 大相撲おおずもう : 日刊にっかんスポーツ”. nikkansports.com(2020ねん7がつ14にち). 2020ねん9がつ4にち閲覧えつらん
  17. ^ a b 大相撲おおずもう名古屋なごや場所ばしょ:出世しゅっせおそいが目標もくひょうあさあおりゅう しんじゅうりょうあおおおかみ 毎日新聞まいにちしんぶん 2013ねん06がつ19にち 1222ふん
  18. ^ 相撲すもう』2014ねん3がつごう58ページ
  19. ^ じゅうりょうあおおおかみ入院にゅういん=大相撲おおずもう秋場所あきばしょ 時事通信じじつうしん 2019ねん9がつ18にち
  20. ^ 7がつ場所ばしょまえの7がつ13にち引退いんたい表明ひょうめい

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]