かがみさくらみなみ

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かがみさくら みなみ
基礎きそ情報じょうほう
四股しこめい かがみさくら みなみかがみさくら 秀興ひでおき
本名ほんみょう かがみさくら 秀興ひでおき
モンゴルめい:バッドフー・ナンジッダ
Батхүүгийн Нанжид
愛称あいしょう ナンジ
生年月日せいねんがっぴ (1988-02-09) 1988ねん2がつ9にち(36さい
出身しゅっしん モンゴル人民共和国の旗 モンゴルウブルハンガイけん
身長しんちょう 181.0cm
体重たいじゅう 143.6kg
BMI 43.8
所属しょぞく部屋へや 鏡山かがみやま部屋へや伊勢いせ海部かいふ
得意とくいわざ みぎよっつ、り、上手じょうず
成績せいせき
現在げんざい番付ばんづけ 引退いんたい
最高さいこう 西にし前頭まえがしら9まい
生涯しょうがい戦歴せんれき 437しょう408はい65きゅう(107場所ばしょ
幕内まくうち戦歴せんれき 43しょう62はい(7場所ばしょ
優勝ゆうしょう 十両じゅうりょう優勝ゆうしょう1かい
幕下まくした優勝ゆうしょう1かい
さんだん優勝ゆうしょう1かい
データ
はつ土俵どひょう 2003ねん7がつ場所ばしょ
入幕にゅうまく 2014ねん1がつ場所ばしょ
引退いんたい 2023ねん3がつ場所ばしょ
趣味しゅみ サッカー観戦かんせん
備考びこう
2023ねん2がつ27にち現在げんざい

かがみさくら みなみ(かがみおう なんじ、1988ねん2がつ9にち - )は、モンゴルこくウブルハンガイけん出身しゅっしん鏡山かがみやま部屋へや現役げんえき晩年ばんねんには伊勢いせ海部かいふ)に所属しょぞくしたもと大相撲おおずもう力士りきし。2018ねんかがみさくら 秀興ひでおき(かがみおう ひでおき)に改名かいめいとう四股しこめい帰化きか本名ほんみょうとしてももちいた。2023ねん3がつ15にち日本にっぽん国籍こくせき取得しゅとくし、その直後ちょくごの2023ねん3がつ場所ばしょ最後さいご引退いんたい[1][2][3]帰化きかまえ本名ほんみょうバットフー・ナンジッダ[1]モンゴルキリル文字もじ表記ひょうきБатхүүгийн Нанжид)。得意とくいみぎよっつ、り、上手じょうず身長しんちょう181.0cm、体重たいじゅう143.6kg、最高さいこう西にし前頭まえがしら9まい2015ねん9月場所ばしょ)。

経歴けいれき[編集へんしゅう]

モンゴルではバスケットボールブフ(モンゴル相撲すもう)、レスリング経験けいけんした。13さいころに、モンゴル時代じだいはバスケットボールの強豪きょうごう選手せんしゅだったはくほう現在げんざいどうしているのかをバスケットボールチームのコーチにいたところ、大相撲おおずもう勧誘かんゆうされて日本にっぽんわたったことをらされ、以来いらい本格ほんかくてき日本にっぽん相撲すもうへと傾倒けいとうしていく。2003ねん旭鷲山きょくしゅうざん紹介しょうかいけてとく瀬川せかわとも来日らいにちし、実業じつぎょうだん摂津せっつ倉庫そうこ稽古けいこんでから鏡山かがみやま部屋へや入門にゅうもんし、2003ねん7がつ場所ばしょはつ土俵どひょうんだ。[4]四股しこめいには鏡山かがみやま部屋へやから「かがみ」をもらい、当初とうしょ四股しこめいしたとして名乗なのっていたみなみは、本名ほんみょうのナンジッダにちなんだとされる。

同年どうねん9がつ場所ばしょはじめて番付ばんづけった。当初とうしょ体重たいじゅう90kgと軽量けいりょうゆえに、どう場所ばしょ7にちとく瀬川せがわせんではやぶれる経験けいけんもした(2021ねん7がつ場所ばしょ終了しゅうりょう時点じてんかがみさくらわざやぶれたのはどう取組とりくみのみである)。どう場所ばしょこそしたが、それ以降いこうやく2年間ねんかん一進一退いっしんいったい成績せいせきだった。鏡山かがみやま部屋へやかがみさくら入門にゅうもん当初とうしょから所属しょぞく力士りきしすう極端きょくたんすくない状態じょうたいつづき、とくに2008ねん7がつ場所ばしょから閉鎖へいさまでの13年間ねんかん自身じしんりゅうぜい8だい鏡山かがみやま実子じっし)の2人ふたりのみとなっていた。部屋へやなかだけでは満足まんぞく稽古けいこはできない[5]ため、幕下まくした時代じだい鏡山かがみやま部屋へやおなじく新小岩しんこいわえきちかくにあった中村なかむら部屋へや2012ねん12月閉鎖へいさ)に出稽古でげいこき、地力じりきをつけることがおおかった。

2005ねん5月場所ばしょはじめてのさんだん昇格しょうかくたしたが、2場所ばしょ連続れんぞくして同年どうねん9がつ場所ばしょじょだん降格こうかくどう場所ばしょしでさんだん復帰ふっきしてのぞんだ同年どうねん11がつ場所ばしょでは5しょう2はいさんだんはつし、どう場所ばしょから2006ねん5がつ場所ばしょまでしをつづけ、同年どうねん7がつ場所ばしょではひがしさんだん4まい幕下まくした非常ひじょうちか地位ちい在位ざいいしたが1しょう6はい大敗たいはいし、出直でなおしを余儀よぎなくされた。しばしの一進一退いっしんいったいひがしさんだん42まいむかえた2008ねん5月場所ばしょでは無傷むきずの5連勝れんしょう記録きろくするなど、最終さいしゅうてきに6しょう1はい好成績こうせいせきよく7がつ場所ばしょでは幕下まくしたはじめて昇進しょうしんした。しんじゅうりょうまでに2かいさんだん降格こうかくきっしたものの、2009ねん5月場所ばしょ以降いこう幕下まくした定着ていちゃく2011ねん1がつ場所ばしょでははじめてじゅうりょう昇進しょうしんえる幕下まくした15まい以内いない経験けいけんした。2012ねん11月場所ばしょでは西にし幕下まくした4まいで4しょう3はいと、じゅうりょう昇進しょうしんするには微妙びみょう成績せいせきだったが、幕下まくした上位じょういしたものすくなかったことも影響えいきょうし、場所ばしょ番付ばんづけ編成へんせい会議かいぎしんじゅうりょう昇進しょうしんまった。はつ土俵どひょうからじゅうりょう昇進しょうしんまでは所要しょよう56場所ばしょで、外国がいこく出身しゅっしんとしては史上しじょう6のスロー昇進しょうしんだった[6]

しんじゅうりょう昇進しょうしんをしてから3場所ばしょ西にしじゅうりょう13まいむかえた2013ねん5月場所ばしょは、一時いちじ優勝ゆうしょうあらそいの単独たんどくトップにも活躍かつやくげ、13にちたま飛鳥ひちょうに、14にちたまわしに、それぞれ連敗れんぱい優勝ゆうしょうきんいさむあきらゆずってしまったもののじゅうりょう優勝ゆうしょう次点じてんたる12しょう好成績こうせいせきおさめた。よく7がつ場所ばしょしん入幕にゅうまくねらえるひがしじゅうりょう4まいで6しょう9はいしてしまったが、よく9がつ場所ばしょではふたただい健闘けんとう初日しょにちやぶれたのち、2にちから11連勝れんしょう。9にちには1はいじゅうりょう優勝ゆうしょうあらそいの先頭せんとうったが、13にちだい砂嵐すなあらしやぶれて2はい後退こうたいするとあきら富士ふじならばれてしまった。14にちあさあかりゅうち、あきら富士ふじあさひしげるおおとりけたため、千秋楽せんしゅうらく直接ちょくせつ対決たいけつ自身じしんてばそのままじゅうりょう優勝ゆうしょうあきら富士ふじてば優勝ゆうしょう決定けっていせんという状況じょうきょうで、ほんわり優勝ゆうしょう決定けっていせんあきら富士ふじ連敗れんぱい十両じゅうりょう優勝ゆうしょうのがし、どう場所ばしょ審判しんぱん部長ぶちょうつとめていた師匠ししょうから賞状しょうじょうおくられることは実現じつげんしなかった。しん入幕にゅうまくとなっても不思議ふしぎではない成績せいせきだったものの、番付ばんづけうんわるさにも見舞みまわれ、よく11がつ場所ばしょひがしじゅうりょう筆頭ひっとうとどまった[7]どう場所ばしょも10しょう5はいし、よく2014ねん1がつ場所ばしょしん入幕にゅうまく所要しょよう62場所ばしょでのしん入幕にゅうまく外国がいこく出身しゅっしんとしては史上しじょう2番目ばんめのスロー出世しゅっせで、鏡山かがみやま部屋へやからも多賀たがりゅう部屋へや継承けいしょうしてから17ねんはじめての幕内まくうち力士りきし誕生たんじょうとなった[8]幕内まくうちではややからだ力負ちからまけする相撲すもう目立めだって1がつ場所ばしょひがし前頭まえがしら14まいで6しょう9はい)と3がつ場所ばしょで(ひがし前頭まえがしら16まいで5しょう10はい)いずれもし、よく5がつ場所ばしょでは西にしじゅうりょう2まい陥落かんらくどう場所ばしょでは7にちから4連勝れんしょうをするなど好調こうちょうで14にち終了しゅうりょう時点じてんじゅうりょう優勝ゆうしょうあらそいの先頭せんとうと1千秋楽せんしゅうらくはその単独たんどくトップだったきんいさむあきらたおして4にんによる優勝ゆうしょう決定けっていトーナメントへとんだが、決勝けっしょうせんいっしろやぶれてしまい、はつかくだん優勝ゆうしょうとはならなかった。7がつ場所ばしょさい入幕にゅうまくたすも、2場所ばしょ連続れんぞく6しょう9はいあまんじふたたじゅうりょう陥落かんらく。2015ねん1がつ場所ばしょに3度目どめ入幕にゅうまくたすもここでしてじゅうりょう陥落かんらくよく3がつ場所ばしょ場所ばしょまえ稽古けいこひだり足首あしくびねじったうえ2にちおもねゆめせん背筋せすじ一部いちぶだんきれしたことで4しょう11はい不振ふしんわった。ところがつづく5がつ場所ばしょは12しょう3はいじゅうりょう優勝ゆうしょうたし、4度目どめ入幕にゅうまく確実かくじつにした[9]。しかし2場所ばしょ幕内まくうちつとめたのち同年どうねん11がつ場所ばしょじゅうりょう陥落かんらくすると、2016ねん1がつ場所ばしょからは3場所ばしょ連続れんぞく途中とちゅう休場きゅうじょう経験けいけんうち2場所ばしょのちさい出場しゅつじょう)するなど怪我けが病気びょうきくるしめられた。西にしじゅうりょう12まいむかえた同年どうねん5がつ場所ばしょでは4にちたま飛鳥ひちょうって1しょうしただけの状態じょうたいで7にちから途中とちゅう休場きゅうじょうよく7がつ場所ばしょで3ねんはんまもつづけた関取せきとり地位ちいうしない、幕下まくした陥落かんらくした。さらに幕下まくした陥落かんらくも2場所ばしょつづけて2しょうまり、2016ねん11月場所ばしょでは西にし幕下まくした40まいまで番付ばんづけとした。しかしこの場所ばしょでは6ばん相撲すもうまでつづけ、7ばん相撲すもうしんじゅうりょうけるあきらきょう対戦たいせん。これにやぶあきらきょうしんじゅうりょうゆるかたちとなったものの6しょう1はい場所ばしょえ、自身じしん8場所ばしょぶりのし。以降いこうふたたジリ貧じりひんおちいり、2017ねん9がつ場所ばしょでは西にし幕下まくした49まいまで番付ばんづけとすが、この場所ばしょの7ばん相撲すもうではおなじモンゴルの後輩こうはいで、アマチュア横綱よこづな学生がくせい横綱よこづなかがやいたこともある水戸みとりゅうち7せん全勝ぜんしょう幕下まくした優勝ゆうしょうよく9がつ場所ばしょでは西にし幕下まくした5まいまで番付ばんづけもどすも、2しょう5はいわりじゅうりょう復帰ふっきたせなかった。ひがし幕下まくした10まいむかえた2018ねん3がつ場所ばしょではひだりひざいため6にち不戦敗ふせんぱい途中とちゅう休場きゅうじょうよく5がつ場所ばしょ全休ぜんきゅうしたことでよく7がつ場所ばしょではさんだんまで降格こうかくした。しかしどう場所ばしょで13にちきんしゅけいとの全勝ぜんしょう同士どうし対戦たいせんせいし、優勝ゆうしょう決定けっていせんでも佐々木ささきさんち、自身じしん3度目どめかくだん優勝ゆうしょうたした。よく9がつ場所ばしょでは西にし幕下まくした12まいまで番付ばんづけもどし、5しょう2はいした。よく11がつ場所ばしょではじゅうりょう復帰ふっき目前もくぜん西にし幕下まくした4まいまで番付ばんづけもどし、四股しこめい知人ちじん名前なまえちなんだ「かがみさくら 秀興ひでおき」にあらためた[10]が、2しょう5はいした。2020ねん7がつ場所ばしょ以降いこう休場きゅうじょうつづき、2021ねん7がつ場所ばしょ幕内まくうち経験けいけんしゃでは琉鵬ますやまいで史上しじょう3にんとなる序ノ口じょのくち陥落かんらくとなったが、どう場所ばしょ休場きゅうじょう場所ばしょの7がつ21にちづけ鏡山かがみやま部屋へや閉鎖へいさされたため、伊勢いせ海部かいふ転属てんぞくした[11]前述ぜんじゅつとお同年どうねん7がつ場所ばしょ全休ぜんきゅうしたため、よく9がつ場所ばしょでは幕内まくうち経験けいけんしゃとしては昭和しょうわ以降いこう史上しじょうはつとなる番付ばんづけがい陥落かんらくとなり、幕内まくうち経験けいけんしゃ最低さいてい地位ちい記録きろく更新こうしんすることになった[12]最高さいこうじゅうりょう力士りきしふくめたもと関取せきとり番付ばんづけがい陥落かんらくりゅうもんきた勝国かつくに飛翔ひしょう富士ふじいで史上しじょう4にん[13]。 2022ねん復帰ふっきかなわず、このとしいち年間ねんかんすべてを番付ばんづけがいごした。その、2023ねん3がつ15にちづけ日本にっぽん国籍こくせき取得しゅとくしたことが官報かんぽう告示こくじ[1][2]取得しゅとくから11にちの3がつ26にち引退いんたい発表はっぴょう[14]。10場所ばしょわた番付ばんづけがいごしたが、復帰ふっきにはいたらなかった。年寄としより襲名しゅうめい若者わかものあたま就任しゅうにん世話人せわにん就任しゅうにんともなわない引退いんたいだった関係かんけいじょう日本にっぽん相撲すもう協会きょうかいとの利害りがい関係かんけい消滅しょうめつし、引退いんたい進路しんろ引退いんたい発表はっぴょう時点じてんさだまっていなかったものの、日本にっぽん居住きょじゅうする意向いこうしめしていた[15]断髪だんぱつしきは6がつ10日とおか両国りょうこく国技こくぎかんひらかれ、母国ぼこく関係かんけいしゃやく270にんがはさみをれた。師匠ししょうだった鏡山かがみやまからやっとこれられるとぐちむすなみだをこらえた。「ぐっときたが、つぎ人生じんせいくるいそうなのでえた」とはなした。この時点じてん報道ほうどうによると、会社かいしゃ経営けいえいしているという。社名しゃめい四股しこめいにちなみ「KAGA(かが)」で、社員しゃいん7にんかかえながら住宅じゅうたくリフォームや飲食いんしょくぎょうなどをがけているとのこと[16][17]新小岩しんこいわジンギスカン鍋じんぎすかんなべ専門せんもんてん経営けいえいしているともつたえられた[18]

くち[編集へんしゅう]

左上ひだりうえしゅ得意とくいとし、いてからのげでくずしておいてのりと、強烈きょうれつ上手じょうずげがある。一方いっぽう馬力ばりき出足であしにはそれほどすぐれず、巨漢きょかん速攻そっこう相撲すもうにはよわ傾向けいこうにある。けるとき大抵たいていりやしでおも土俵どひょうがいされてしまう。このてん幕内まくうち昇進しょうしん体重たいじゅう適度てきど増加ぞうかした時期じきにはある程度ていど克服こくふくがうかがえた。重心じゅうしんひくいためげやわざ仕留しとめられることはそれほどおおくない。そのままとっることはまずないが、りも得意とくいである。

エピソード[編集へんしゅう]

  • 一般いっぱん関取せきとり昇進しょうしんした力士りきし部屋へやもうけられた関取せきとりよう個室こしつ生活せいかつすることが可能かのうとなるが、かがみさくらは「して幕下まくした陥落かんらくした場合ばあいしが面倒めんどう」としてしんじゅうりょうからあいだもない時期じき取的とりてきよう大部屋おおべやでの生活せいかつつづけた。また、鏡山かがみやま部屋へやかがみさくら入門にゅうもんした当初とうしょから力士りきしすう極端きょくたんすくなくかがみさくらびと部屋へや取的とりてきになっていた関係かんけいじょう関取せきとり在位ざいいちゅう掃除そうじ洗濯せんたくなどは自身じしんになっていた[19][20]
    • 2020ねん9がつ場所ばしょ報道ほうどうによると、かがみさくら結婚けっこんして以降いこう部屋へや近所きんじょのマンションで妻子さいしともらしており、親方おやかた自宅じたく部屋へやとはべつにあり、部屋へや幕下まくしたりゅうぜい部屋へや1人ひとりらしているという[21]
  • 2013ねん9がつ場所ばしょ千秋楽せんしゅうらくほんわり優勝ゆうしょう決定けっていせんあきら富士ふじ連敗れんぱいして逆転ぎゃくてん優勝ゆうしょうゆるしたさい上述じょうじゅつ)に、師匠ししょうから「1場所ばしょおな相手あいてに2かいけるとはなさけない」と叱責しっせきされて以降いこうあきら富士ふじとは2013ねん11月場所ばしょ5にち・2014ねん3がつ場所ばしょ9にちの2かい対戦たいせんしたが、いずれもかがみさくら雪辱せつじょくたした[22]
  • しん入幕にゅうまくたした2014ねん1がつ場所ばしょ番付ばんづけ発表はっぴょう鏡山かがみやま部屋へやおこなわれた記者きしゃ会見かいけんでは「自分じぶんとしてははやい。15ねんかかるとおもっていた。がってあたまをつけるのを心掛こころがけたのがかった」とよろこびをかたったうえで2013ねん8がつおなじモンゴル出身しゅっしん女性じょせい結婚けっこんしたことも公表こうひょうした[23]
  • 2014ねん3月28にちに、同年どうねん3がつ場所ばしょだい71だい横綱よこづな推挙すいきょされたつるりゅうはじめての横綱よこづな土俵入どひょうい露払つゆはらいをつとめた。横綱よこづな推挙すいきょされたばかりのつるりゅうはまだみっそろえの化粧廻けしょうまわしをっていないため、だい55だい横綱よこづな当時とうじ相撲すもう協会きょうかい理事りじちょうつとめていたきたうみみっそろえの化粧廻けしょうまわしをけて着用ちゃくようした[24]
  • 2015ねん1がつ場所ばしょ5にちおもねゆめせん小褄こづまめたさい報道陣ほうどうじんから「モンゴル相撲すもうにもこんなワザがあるの?」とまれたのにたいし「そうわれても、オレが(来日らいにちするまえに)やっていたのはバスケットボールだからねえ」とこたえた[25]
  • 2017ねん9がつ場所ばしょ幕下まくした優勝ゆうしょうをしたさいには「こう(水戸みとりゅう)はまださん場所ばしょだが、こっちはじゅうねん相撲すもうっているし、じゅうねんかけて関取せきとりがっているんだ」というおもいでたたかったことをかした[26]怪我けが休場きゅうじょうしていたさいには引退いんたいかんがえたが、鏡山かがみやまには「ケガでちてそこからがれば本物ほんもの。ケガしただけだったらおまえよわい」とわれたという。最後さいごに「くさらずやってきてよかったとおもう。十両じゅうりょうがって、もういちかいじょうでやりたい」とかたった[27]
  • 最終さいしゅうてきかくだん優勝ゆうしょうを3かい経験けいけんしたが、2015ねん5がつ場所ばしょじゅうりょう・2017ねん9がつ場所ばしょ幕下まくした・2018ねん7がつ場所ばしょさんだんと、回数かいすううごとに階級かいきゅうがるめずらしいケースとなった。過去かこ同様どうようのケースはしげるはな行秀ゆきひで経験けいけんした。
  • 2023ねん4がつ3にちには引退いんたい会見かいけんおこない、「もう一度いちど相撲すもうりたいおもいもあったが、怪我けがなおらないということで決断けつだんした。からだにはめぐまれてはいなかったが、いい相撲すもう人生じんせいだった。」とおよそ20ねん力士りきし人生じんせいかえった[28]同席どうせきした入門にゅうもん師匠ししょう鏡山かがみやまには夫人ふじんと1なん1じょとの今後こんご生活せいかつ気遣きづかってもらったうえで、相撲すもう部屋へやとしては劣悪れつあく環境かんきょう頑張がんばったとする称賛しょうさん言葉ことばけた[29]

おも成績せいせき[編集へんしゅう]

2023ねん3がつ場所ばしょ終了しゅうりょう時点じてん

  • 通算つうさん成績せいせき:437しょう408はい65きゅう(107場所ばしょ
  • 幕内まくうち成績せいせき:43しょう62はい(7場所ばしょ
  • じゅうりょう成績せいせき:109しょう92はい9きゅう(14場所ばしょ
  • かくだん優勝ゆうしょう
    • 十両じゅうりょう優勝ゆうしょう:1かい(2015ねん5がつ場所ばしょ
    • 幕下まくした優勝ゆうしょう:1かい(2017ねん9がつ場所ばしょ
    • さんだん優勝ゆうしょう:1かい(2018ねん7がつ場所ばしょ

場所ばしょべつ成績せいせき[編集へんしゅう]

かがみさくら みなみ
いちがつ場所ばしょ
初場所はつばしょ東京とうきょう
さんがつ場所ばしょ
春場所はるばしょ大阪おおさか
五月ごがつ場所ばしょ
夏場所なつばしょ東京とうきょう
なながつ場所ばしょ
名古屋なごや場所ばしょ愛知あいち
九月場所くがつばしょ
秋場所あきばしょ東京とうきょう
十一月じゅういちがつ場所ばしょ
九州きゅうしゅう場所ばしょ福岡ふくおか
2003ねん
平成へいせい15ねん
x x x ぜん相撲すもう ひがし序ノ口じょのくち37まい
4–3 
西にしじょだん114まい
3–4 
2004ねん
平成へいせい16ねん
ひがし序ノ口じょのくち5まい
6–1 
ひがしじょだん39まい
3–4 
ひがしじょだん57まい
4–3 
ひがしじょだん34まい
3–4 
ひがしじょだん56まい
4–3 
西にしじょだん32まい
3–4 
2005ねん
平成へいせい17ねん
ひがしじょだん55まい
5–2 
西にしじょだん11まい
5–2 
ひがしさんだん76まい
3–4 
西にしさんだん88まい
3–4 
西にしじょだん10まい
4–3 
ひがしさんだん93まい
5–2 
2006ねん
平成へいせい18ねん
ひがしさんだん58まい
4–3 
西にしさんだん43まい
5–2 
ひがしさんだん16まい
4–3 
ひがしさんだん4まい
1–6 
西にしさんだん42まい
4–3 
西にしさんだん26まい
2–5 
2007ねん
平成へいせい19ねん
ひがしさんだん52まい
4–3 
西にしさんだん35まい
4–3 
ひがしさんだん22まい
4–3 
西にしさんだん10まい
3–4 
ひがしさんだん26まい
3–4 
西にしさんだん40まい
3–4 
2008ねん
平成へいせい20ねん
ひがしさんだん55まい
5–2 
西にしさんだん28まい
3–4 
ひがしさんだん42まい
6–1 
ひがし幕下まくした55まい
2–5 
ひがしさんだん16まい
6–1 
西にし幕下まくした40まい
2–5 
2009ねん
平成へいせい21ねん
西にし幕下まくした59まい
3–4 
ひがしさんだん14まい
5–2 
ひがし幕下まくした50まい
5–2 
西にし幕下まくした29まい
4–3 
西にし幕下まくした23まい
3–3–1 
西にし幕下まくした30まい
2–5 
2010ねん
平成へいせい22ねん
ひがし幕下まくした46まい
5–2 
西にし幕下まくした34まい
2–5 
西にし幕下まくした50まい
5–2 
西にし幕下まくした33まい
4–3 
ひがし幕下まくした25まい
4–3 
ひがし幕下まくした18まい
5–2 
2011ねん
平成へいせい23ねん
西にし幕下まくした9まい
1–6 
八百長やおちょう問題もんだい
により中止ちゅうし
西にし幕下まくした28まい
3–4 
西にし幕下まくした28まい
2–5 
西にし幕下まくした42まい
6–1 
ひがし幕下まくした17まい
4–3 
2012ねん
平成へいせい24ねん
西にし幕下まくした12まい
3–4 
ひがし幕下まくした18まい
5–2 
ひがし幕下まくした11まい
5–2 
ひがし幕下まくした7まい
3–4 
ひがし幕下まくした10まい
4–3 
西にし幕下まくした4まい
4–3 
2013ねん
平成へいせい25ねん
ひがしじゅうりょう14まい
8–7 
西にしじゅうりょう12まい
7–8 
西にしじゅうりょう13まい
12–3 
ひがしじゅうりょう4まい
6–9 
西にしじゅうりょう8まい
12–3[30] 
ひがしじゅうりょう筆頭ひっとう
10–5 
2014ねん
平成へいせい26ねん
ひがし前頭まえがしら14まい
6–9 
ひがし前頭まえがしら16まい
5–10 
西にしじゅうりょう2まい
11–4 
西前にしまえあたま14まい
6–9 
西前にしまえあたま16まい
6–9 
西にしじゅうりょう筆頭ひっとう
9–6 
2015ねん
平成へいせい27ねん
西前にしまえあたま15まい
7–8 
ひがしじゅうりょう筆頭ひっとう
4–11 
ひがしじゅうりょう9まい
優勝ゆうしょう
12–3
西前にしまえあたま14まい
9–6 
西前にしまえあたま9まい
4–11 
西にしじゅうりょう筆頭ひっとう
6–9 
2016ねん
平成へいせい28ねん
西にしじゅうりょう4まい
7–7–1[31] 
西にしじゅうりょう5まい
4–11[32] 
西にしじゅうりょう12まい
1–6–8[33] 
ひがし幕下まくした9まい
2–5 
西にし幕下まくした25まい
2–4–1 
西にし幕下まくした40まい
6–1 
2017ねん
平成へいせい29ねん
西にし幕下まくした17まい
2–5 
ひがし幕下まくした35まい
4–3 
西にし幕下まくした28まい
3–4 
西にし幕下まくした39まい
3–4 
西にし幕下まくした49まい
優勝ゆうしょう
7–0
西にし幕下まくした5まい
2–5 
2018ねん
平成へいせい30ねん
西にし幕下まくした14まい
4–3 
ひがし幕下まくした10まい
1–2–4 
ひがし幕下まくした31まい
休場きゅうじょう
0–0–7
西にしさんだん11まい
優勝ゆうしょう
7–0
ひがし幕下まくした12まい
5–2 
西にし幕下まくした4まい
2–5 
2019ねん
平成へいせい31ねん
/れい元年がんねん
ひがし幕下まくした12まい
2–5 
西にし幕下まくした25まい
2–4–1 
ひがし幕下まくした40まい
3–2–2 
ひがし幕下まくした49まい
5–2 
西にし幕下まくした36まい
4–3 
ひがし幕下まくした31まい
4–3 
2020ねん
れい2ねん
西にし幕下まくした24まい
3–4 
西にし幕下まくした31まい
4–3 
感染かんせんしょう拡大かくだい
により中止ちゅうし
西にし幕下まくした25まい
1–4–2 
西にし幕下まくした43まい
休場きゅうじょう
0–0–7
ひがしさんだん23まい
0–3–4 
2021ねん
れい3ねん
西にしさんだん73まい
休場きゅうじょう
0–0–7
西にしじょだん33まい
休場きゅうじょう
0–0–7
西にしじょだん103まい
休場きゅうじょう
0–0–7
ひがし序ノ口じょのくち18まい
休場きゅうじょう
0–0–7
番付ばんづけがい 番付ばんづけがい
2022ねん
れい4ねん
番付ばんづけがい 番付ばんづけがい 番付ばんづけがい 番付ばんづけがい 番付ばんづけがい 番付ばんづけがい
2023ねん
れい5ねん
番付ばんづけがい 番付ばんづけがい
引退いんたい
––
x x x x
かくらん数字すうじは、「ち-け-休場きゅうじょう」をしめす。    優勝ゆうしょう 引退いんたい 休場きゅうじょう じゅうりょう 幕下まくした
さんしょう=敢闘かんとうしょうこと=殊勲賞しゅくんしょうわざ=技能ぎのうしょう     その=金星かなぼし
番付ばんづけ階級かいきゅう幕内まくうち - じゅうりょう - 幕下まくした - さんだん - じょだん - 序ノ口じょのくち
幕内まくうち序列じょれつ横綱よこづな - 大関おおぜき - 関脇せきわけ - 小結こむすび - 前頭まえがしら(「#数字すうじ」は各位かくいない序列じょれつ

幕内まくうち対戦たいせん成績せいせき[編集へんしゅう]

力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう
安美やすみにしき 0 1 おもねゆめ 0 2 あらわし 2 0 遠藤えんどう 0 1
隠岐おきうみ 0 3 だい砂嵐すなあらし 0 2 さきがけきよし 1 1 きばまる 0 3
きたふとしじゅ 1 2 あさひしげるおおとり 3 2 旭天鵬きょくてんほう 0 2 きんいさむあきら 2 1
佐田さたうみ 0 2 佐田さた富士ふじ 3 3 里山さとやま 1 2 つねさいわいりゅう 0 1
しょうてんおおかみ 1 0 あおおおかみ 1 0 あおこくらい 2 1 大栄おおえしょう 0 1
たかいわ 2 1 髙安 0 1 たから富士ふじ 0 2 ごうふう 1 0
たまわし 1 2 千代ちよおおとり 0 2 千代ちよ大龍おおたつ 1 1 千代丸ちよまる 1 2
あきら富士ふじ 1 0 てんよろいおおとり 1 0 どき天空てんくう 2 2 とくかつりゅう 3 2
土佐とさゆたか 1(1) 0 とち乃若 0 2 ゆたかしま 0 1 ゆたかひびき 1 1
えい乃海 1 1 富士ふじひがし 1 0 よしみふう 0 2 ほまれ富士ふじ 2 1
ますやま 0 1 わかさと 0 1
※カッコないかちすう負数ふすうなかめる不戦勝ふせんしょう不戦敗ふせんぱいかず太字ふとじは2023ねん11月場所ばしょ終了しゅうりょう現在げんざい現役げんえき力士りきし

改名かいめいれき[編集へんしゅう]

  • かがみさくら みなみ(かがみおう なんじ) 2003ねん7がつ場所ばしょ - 2018ねん9がつ場所ばしょ
  • かがみさくら 秀興ひでおき(- ひでおき) 2018ねん11月場所ばしょ - 2023ねん3がつ場所ばしょ

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c 官報かんぽうだい937ごう4ぺーじ れい5ねん3がつ15にち法務省ほうむしょう告示こくじだいななじゅうごう
  2. ^ a b もと幕内まくうちきょうさくら日本にっぽん国籍こくせき取得しゅとく モンゴル出身しゅっしん 幕内まくうち場所ばしょ十両じゅうりょう14場所ばしょ在位ざいい 21ねんあき以降いこう番付ばんづけがい - 日刊にっかんスポーツ 2023ねん3がつ15にち1231ふん (2023ねん3がつ15にち閲覧えつらん)
  3. ^ 春場所はるばしょかぎりで引退いんたいかがみさくら会見かいけん「いい相撲すもう人生じんせいだった」 3がつには日本にっぽん国籍こくせき取得しゅとく 今後こんご未定みてい - スポーツ報知ほうち 2023ねん4がつ3にち1436ふん (2023ねん4がつ3にち閲覧えつらん)
  4. ^ スボすぼル・マガジン社るまがじんしゃかん相撲すもう」2014ねん1がつごう26ぺーじ
  5. ^ 大相撲おおずもうジャーナル』2014ねん2がつごう71ぺーじでは「百足むかであしあしが4ほんしかないから、百足むかでではなくいぬだ」と所属しょぞく力士りきしすくなさを揶揄やゆする記述きじゅつられる。
  6. ^ ひがしりゅうかがみさくらしんじゅうりょう昇進しょうしん番付ばんづけ編成へんせい会議かいぎ YOMIURI ONLINE 2012ねん11月28にち
  7. ^ 相撲すもう』2013ねん11がつごう58ぺーじには「優勝ゆうしょうインタビューでしん弟子でし募集ぼしゅうしようとおもったのに。」とくやしがっていた様子ようす記述きじゅつされている。
  8. ^ たかいわかがみさくら初場所はつばしょしん入幕にゅうまく nikkansports.com 2013ねん12月24にち
  9. ^ 相撲すもう』2015ねん6がつごう76ページ
  10. ^ 相撲すもう』2018ねん12がつごう p89
  11. ^ 鏡山かがみやま部屋へや閉鎖へいさ全員ぜんいん伊勢いせ海部かいふ転属てんぞく 安全あんぜん管理かんり委員いいんかい設置せっち決定けってい」『日刊にっかんスポーツ』、2021ねん7がつ21にち2021ねん7がつ21にち閲覧えつらん
  12. ^ 前述ぜんじゅつの琉鵬は2012ねん5がつ場所ばしょ序ノ口じょのくち全休ぜんきゅう、7がつ場所ばしょ番付ばんづけ編成へんせい会議かいぎ終了しゅうりょうの6がつ12にち引退いんたいとどけ提出ていしゅつしたが5月が最終さいしゅう場所ばしょとしてあつかわれ、番付ばんづけがい陥落かんらくとはみなされていない。
  13. ^ れい3ねん9がつ場所ばしょ しん番付ばんづけトピックス」『相撲すもう』2021ねん9がつごうスボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ、53ぺーじ 
  14. ^ もと幕内まくうちきょうさくら引退いんたい 幕内まくうち在位ざいい場所ばしょ最高さいこう前頭まえがしらまい、15にちづけ日本にっぽん国籍こくせき取得しゅとく - 日刊にっかんスポーツ 2023ねん3がつ26にち1926ふん (2023ねん3がつ26にち閲覧えつらん)
  15. ^ もと幕内まくうちきょうさくら引退いんたい 幕内まくうち在位ざいい場所ばしょ最高さいこう前頭まえがしらまい、15にちづけ日本にっぽん国籍こくせき取得しゅとく 日刊にっかんスポーツ 2023ねん3がつ26にち1926ふん (2023ねん3がつ28にち閲覧えつらん)
  16. ^ もと幕内まくうちきょうさくら断髪だんぱつしき「いい相撲すもう人生じんせいだった」 3がつ引退いんたい サンスポ 2023/06/10 18:55 (2023ねん6がつ11にち閲覧えつらん)
  17. ^ もとかがみさくらかがみさくら秀興ひでおきさんが断髪だんぱつしき つるりゅう親方おやかた家族かぞくら270にんはさみれ「つぎ人生じんせいもある」なみだこらえ 日刊にっかんスポーツ 2023ねん6がつ10日とおか1756ふん (2023ねん6がつ12にち閲覧えつらん)
  18. ^ 雑誌ざっし相撲すもう』2023ねん7がつごう67ページ
  19. ^ スボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ 発行はっこう相撲すもう」 2013ねん初場所はつばしょ総決算そうけっさんごうより。
  20. ^ かがみさくらじゅうりょう昇格しょうかくびとなし「洗濯せんたく自分じぶんで」 nikkansports.com 2012ねん11月28にち1734ふん
  21. ^ 週刊しゅうかんポスト2020ねん10がつ9にちごう
  22. ^ スボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ 発行はっこう相撲すもう」 2014ねん春場所はるばしょ総決算そうけっさんごうより。
  23. ^ かがみさくらが11ねんしん入幕にゅうまく結婚けっこん公表こうひょうし1がつだい SANSPO.COM 2013.12.24 17:49
  24. ^ つるりゅうはつ土俵入どひょういり「間違まちがえずやれました」 日刊にっかんスポーツ(電子でんしばん) 2014ねん3がつ29にち
  25. ^ 相撲すもう』2016ねん7がつごう87ページ
  26. ^ 大相撲おおずもうジャーナル』2017ねん12がつごうp56
  27. ^ 大相撲おおずもう中継ちゅうけい』2017ねん10がつ13にちごう p.50.
  28. ^ もと幕内まくうち モンゴル出身しゅっしんかがみさくら引退いんたい会見かいけん「いい相撲すもう人生じんせいだった」 2023ねん4がつ3にち 1610ふん”. NHK Web. 2023ねん5がつ2にち閲覧えつらん
  29. ^ もと幕内まくうちきょうさくら本当ほんとうにいい相撲すもう人生じんせいだった」入門にゅうもん師匠ししょう鏡山かがみやま親方おやかた引退いんたい会見かいけん だい2の人生じんせい白紙はくし状態じょうたい 日刊にっかんスポーツ 2023ねん4がつ3にち1459ふん (2023ねん4がつ3にち閲覧えつらん)
  30. ^ あきら富士ふじ優勝ゆうしょう決定けっていせん
  31. ^ インフルエンザAがたのため10にちから途中とちゅう休場きゅうじょう、12にちからさい出場しゅつじょう
  32. ^ 腰椎ようつい捻挫ねんざおよすじすじまくせい腰痛ようつうしょうのため13にち休場きゅうじょう不戦敗ふせんぱい)、14にちからさい出場しゅつじょう
  33. ^ みぎひざこごめすじけんだんきれのため7にちから途中とちゅう休場きゅうじょう

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]