静岡 県立 掛川西 高等 学校
| |
冀北 | |
| |
| |
| |
| |
1901 | |
| |
| |
| |
| |
3 | |
D122210000545 | |
22153J | |
〒436-0054 | |
| |
| |
ウィキポータル ウィキプロジェクト |
概要
[1877
1901
沿革
[- 1877
年 (明治 10年 ) - 7月 岡田 良一郎 が倉真 村 (現在 の掛川 市 倉真 )に私塾 「冀北学舎 」を設立 。 - 1880
年 (明治 13年 ) -静岡 県立 掛川 中学校 として設立 。岡田 良一郎 が校長 を兼任 。 - 1882
年 (明治 15年 ) -佐野 郡 城東 郡 立 掛川 中学校 となる。 - 1886
年 (明治 19年 ) -中学校 再編 により浜松 中学校 と統合 。掛川 中学校 廃止 。 - 1900
年 (明治 33年 ) - 5月25日 文部 大臣 より静岡 県立 掛川 中学校 設立 の件 が認可 され、敷地 を小笠 郡 掛川 町 城内 「おはなばたけ」の地 に定 められる。6月校舎 新築 工事 開始 。 - 1901
年 (明治 34年 ) - 3月1日 茨城 県 高等 女学校 教諭 柳生 寧 成 が同校 初代 校長 に任 ぜられ、仮 事務所 を小笠 郡 役所 内 に置 く。3月28日 選抜 試験 の上 、第 2学年 に30名 (外 に転学 生 14名 )、第 1学年 は99名 (外 に転学 生 1名 )合計 144名 入学 を許可 する。4月6日 新築 校舎 一部 落成 につき仮 事務所 を同 校内 に移 す。4月15日 入学 式 挙行 、引 き続 き授業 を開始 する。6月1日 静岡 県立 掛川 中学校 として設立 。爾来 開校 式 の行 われた1901年 6月 1日 を創立 記念 日 とする。10月初 めて修学旅行 (久 納 、清水 方面 )を行 う。以後 毎年 1回 実施 。寄宿舎 新築 工事 に着手 。天皇 ・皇后 の御真影 、並 びに教育 勅語 を奉 載 する。 - 1902
年 (明治 35年 ) - 3月26日 第 1回 修了 証書 授与 式 を挙行 。4月13日 寄宿舎 落成 につき、生徒 の入 舎 を許可 。 - 1903
年 (明治 36年 ) - 1月 29日本 県 告示 22号 を以 て生徒 定員 400名 と定 められる。 - 1904
年 (明治 37年 ) - 2月 1日 第 2寄宿舎 増築 成 り、開 舎 。9月普通 教室 1室 、並 びに図画 室 の増築 成 る。11月3日 天長節 拝賀 式 後 、奉祝 陸上 運動会 を挙行 、爾後 恒例 とする。 - 1905
年 (明治 38年 ) - 1月 11日 旅順 陥落 祝賀 旗行列 を行 う。3月25日 第 1回 卒業 証書 授与 式 を挙行 し、卒業生 29名 を出 す。4月12日 山口 県立 豊浦中 学校 小松 倍 一 同校 校長 に任 ぜられる。6月4日 初 めて静岡 中学校 と野球 試合 を行 う。 - 1906
年 (明治 39年 ) - 1月 13日 郷土 出身 の岡田 良平 文部 大臣 来校 、生徒 に講話 する。1月25日 掛川 に大雪 あり、生徒 一同 陣 馬 峠 にて雪合戦 を行 う。7月15日 校友 会誌 創刊 号 を出 す。 - 1907
年 (明治 40年 ) - 9月宿直 室 、銃器 室 新築 成 る。 - 1910
年 (明治 43年 ) - 3月6日 理科 室 新築 成 る。 - 1911
年 (明治 44年 ) - 4月 7日 三重県立第一中学校教諭堀重里、同校 校長 に任 ぜられる。4月8日 郷土 出身 、一木 喜徳郎 (後 の宮内 大臣 、法学 博士 )の講演 あり。6月1日 創立 満 10年 記念 式典 を挙行 。 - 1912
年 (明治 45年 ) - 5月22日 県立 浜松 中学校 教諭 新田 徳 同校 校長 に任 ぜられる。 - 1913
年 (大正 2年 ) - 10月23日 初 めて生徒 の学芸 会 、展覧 会 を開催 し、爾後 毎年 行 うこととなる。 - 1915
年 (大正 4年 ) - 7月 本県 告示 第 207号 を以 て生徒 定員 を450名 と定 められる。8月校長 室 の新築 成 る。10月28日 天皇 の御真影 を奉 載 する。11月3日 校旗 制定 (図案 は丹羽 教諭 考案 )。 - 1916
年 (大正 5年 ) - 12月14日 シベリア単騎 横断 者 、陸軍 大将 福島 安正 の講演 あり。 - 1917
年 (大正 6年 ) - 1月 28日 皇后 の御真影 を奉 載 。12月22日 皇太子 の御真影 を奉 載 する。 - 1919
年 (大正 8年 ) -理科 実験 室 を拡張 。 - 1920
年 (大正 9年 ) - 11月2日 創立 20周年 記念 式 を挙行 。 - 1923
年 (大正 12年 ) - 3月運動 場 拡張 工事 (971坪 )竣工 する。寄宿舎 一 棟 を掛川 町 へ払下 げる。4月学級 数 を増加 して15学級 編成 とし、生徒 定員 750名 と定 められる。9月普通 教室 2室 を増築 。 - 1924
年 (大正 13年 ) -御真影 奉安 殿 を建立 。4月講堂 増築 成 る。10月12日 保護 者 会 設立 。 - 1925
年 (大正 14年 ) -普通 教室 2室 を増築 。寄宿舎 食堂 を改築 し、剣道 場 とする。徴 章 制定 。 - 1926
年 (大正 15年 、昭和 元年 ) - プールを新設 (長 さ50m、幅 12.5m)。 - 1927
年 (昭和 2年 ) - 3月 寄宿舎 廃止 。図画 室 並 びに普通 教室 1室 を増築 。 - 1928
年 (昭和 3年 ) -御 大典 事業 として図書 室 を建設 。10月9日 天皇 ・皇后 の御真影 を奉戴 する。 - 1930
年 (昭和 5年 ) - 5月31日 天皇 、本県 下 の巡幸 に際 し、浜松 市 に於 いて上級 生徒 を親閲 。6月21日 創立 30周年 記念 式 を挙行 。翌 22日 記念 陸上 大 運動会 及 び提灯 行列 を行 う。 - 1932
年 (昭和 7年 ) - 2月運動 場 を拡張 。(1300坪 )3月 東 久邇 宮 稔彦 王 が来臨 。 - 1933
年 (昭和 8年 ) - 12月校舎 改築 の議 起 こる。 - 1934
年 (昭和 9年 ) - 4月 1日 第 4学年 以上 、第 1種 、第 2種 の制度 実施 。8月16日 木工 室 、金工 室 、工作 準備 室 の一棟 新築 落成 。12月校舎 新築 の議 起 こる。白 ゲートルを廃 し、巻 キャハンに改 められる。 - 1936
年 (昭和 11年 ) -卒業生 鵜 藤 俊平 (立教大学 )がベルリンオリンピック大会 に派遣 され、水泳 400m決勝 にて2着 となり、銀 メダルを獲得 。 - 1938
年 (昭和 13年 ) - 5月 10日 校舎 改築 起工式 を挙行 。7月運動 場 西側 の蓮 地 及 び水田 374坪 を校友 会 にて購入 し、校 地 として県 へ寄付 する。8月同校 野球 部 が初 めて甲子園 に出場 (第 24回 全国 中等 学校 優勝 野球 大会 )。 - 1939
年 (昭和 14年 ) - 2月 12日 新 校舎 落成 式 を挙行 。5月22日 配属 将校 制度 発足 15周年 につき、記念 行事 の1つとして親閲 を受 ける。 - 1940
年 (昭和 15年 ) - 4月 26日 皇紀 2600年 記念 として学校 林 を設 け、植樹 を行 う(原泉 )。 - 1941
年 (昭和 16年 ) - 4月 学帽 廃 し、戦闘帽 採用 される。 - 1942
年 (昭和 17年 ) - 4月 学級 数 を増加 して20学級 編成 とし、生徒 定員 1000名 と定 められる。6月20日 グライダー命名 式 (掛 中 号 )挙行 。 - 1944
年 (昭和 19年 ) -戦争 熾烈 のため同校 北 校舎 は徴用 されて中島 飛行機 製作所 の軍需 工場 となる。 - 1947
年 (昭和 22年 ) - 4月 掛川 町 外 、組合 掛川西 中学校 (新制 )六 ・三 制 により設立 され、同校 校舎 の一部 を貸与 。 - 1948
年 (昭和 23年 ) -学制 改革 により静岡 県立 掛川 第一高等学校 となる。生徒 定員 750名 に定 められる。 - 1949
年 (昭和 24年 ) - 3月22日 新制 高等 学校 第 1回 卒業生 96名 に対 し卒業 証書 授与 式 が行 われる。同時 に旧制 掛川 中学校 最後 の卒業 式 (卒業生 24名 )も行 われる。3月組合 立 新制 掛川西 中学校 新 校舎 落成 につき、同校 生徒 は同校 より引 き上 げる。4月1日 静岡 県立 掛川西 高等 学校 と改称 。普通 科 のみ置 き、男女 共学 となる。学区 制 実施 (同校 学区 は小笠 郡 城東 村 以北 )。 - 1950
年 (昭和 25年 ) - 5月1週 5日 制 を実施 。10月6日 創立 50周年 記念 式 を挙行 。 - 1951
年 (昭和 26年 ) - 3月運動 場 西側 の水田 その他 500坪 を埋 め立 て、運動 場 とする。11月10日 図書館 (86坪 )竣工 式 を挙行 。 - 1952
年 (昭和 27年 ) - 4月 1日 学区 制 改正 により小笠 郡 全域 を郡 下 高等 学校 普通 科 共通 の学区 とする。1週 5日 制 を改 め6日 制 に復原 する。9月8日 放送 室 を新設 。 - 1953
年 (昭和 28年 ) -卒業生 戸塚 九一郎 の大臣 就任 、河井 弥 八 の参議院 議長 就任 祝賀 式 を開催 。 - 1954
年 (昭和 29年 ) - 4月 校 地 東側 が県道 改修 のため434坪 に減 らされる。6月22日 校長 住宅 用地 として城西 の他 に137坪 買収 する。7月5日 運動 場 北側 の水田 1746坪 を運動 場 拡張 のために買収 。10月20日 校長 住宅 新築 成 る。 - 1955
年 (昭和 30年 ) - 4月 1日 町村 合併 により学区 は1市 、15ヵ町村 となる。新 校旗 (中 の字 の代 わりに高 の字 を入 れたもの)が同 年度 卒業生 から贈 られる。 - 1956
年 (昭和 31年 ) - 9月15日 運動 場 拡張 工事 並 びに野球 場 スタンド竣工 式 を挙行 。 - 1957
年 (昭和 32年 ) - 3月29日 体育館 地鎮祭 を挙行 。7月25日 野球 部 県 大会 に於 いて優勝 する。(掛川 中学校 以来 19年 ぶり2回 目 の甲子園 、掛川西 高校 改称 後 は初 。)8月 12日 体育館 定礎 式 を挙行 。10月27日 本校 は第 12回 国民 体育 大会 のレスリング並 びに軟式 野球 の会場 となり、天皇 ・皇后 が行幸 。10月29日 国民 体育 大会 台 臨のため三笠 宮 妃 が本校 を訪 れ、記念樹 (イチョウ)を植樹 する。11月21日 体育館 新築 落成 式 を挙行 。 - 1959
年 (昭和 34年 ) - 3月 卒業生 法学 博士 伊達 秋雄 、砂川 事件 を裁判 する。7月31日 物理 室 南側 の中庭 に温室 を新築 。9月10日 用務員 室 新築 。11月7日 柔 剣道 場 南側 の中庭 に卓球 場 新築 。 - 1960
年 (昭和 35年 ) - 6月1日 プール改修 工事 完成 し、卒業生 、元 オリンピック水泳 選手 、鵜 藤 俊平 を招 きプール開 きを行 う。8月23日 講堂 前 、円型 庭園 植込 完成 する。10月7日 創立 60周年 記念 式典 を挙行 、以後 8、9日 と文化 祭 、同窓会 を開催 。 - 1961
年 (昭和 36年 ) - 3月 第 33回 選抜 高等 学校 野球 大会 甲子園 出場 。(春 夏 通 じて通算 2回 目 、選抜 は初 。)結果 は初戦 敗退 。(投稿 1-2米子 東 )10月 国民 体育 大会 、バドミントン2位 に入賞 。10月北 校舎 改築 竣工 式 。 - 1962
年 (昭和 37年 ) - 10月13日 新 校舎 落成 。 - 1963
年 (昭和 38年 ) - 4月 新入生 430名 を迎 え、生徒 急増 期 に入 り生徒 数 1,000名 を超 える。6月1日 開校 記念 日 、窪川 鶴次郎 講演 。女子 バドミントン界 の第一人者 高木 紀子 (14回 卒 )模範 試合 。表彰 。9月 旺文社 、高梨 英男 講演 。9月13日 小原 国芳 玉川大学 学長 講演 。11月20日 、東京大学 教授 ・糸川 英夫 講演 。12月17日 、慶應義塾大学 教授 、林 講演 。 - 1964
年 (昭和 39年 ) - 1月 8日 東邦大学 学長 ・額田 晋 講演 。4月ランゲージ・ラボラトリー(語学 演習 室 )落成 。7月29日 高校 野球 県 大会 優勝 (春 夏 通 じて通算 3回 目 、夏 は2回 目 )。8月9日 第 46回 全国 高等 学校 野球 選手権 大会 (甲子園 大会 )開会 式 。大会 冒頭 、中 九州 代表 、八代 東 と対戦 、延長 18回 0-0の引 き分 け再 試合 となる。8月 10日 八 代 東 と再 試合 、当校 が6-3で勝利 (掛川西 対 八 代 東 延長 18回 引 き分 け再 試合 を参照 。)。8月15日 第 2回戦 、平安 高 に5-3で敗退 。9月20日 東海 4県 バドミントン大会 が当校 体育館 (現 第 2体育館 )で開催 、当校 優勝 。10月3日 〜10月24日 岡田 嘉 須雄校長 、海外 教育 事情 視察 でヨーロッパに派遣 。10月東京 オリンピック聖火 リレーに参加 。 - 1965
年 (昭和 40年 ) - 11月20日 、岡田 校長 、学校 教育 功労 者 として文部省 から表彰 される。 - 1966
年 (昭和 41年 ) - 1月 霧ヶ峰 でスキー教室 開催 、以降 毎年 行 われる。6月1日 開校 記念 日 、榛 葉 英治 、高木 紀子 講演 。8月高原 教室 準備 のため、実地 調査 をする。 - 1967
年 (昭和 42年 ) - 6月3日 〜6月5日 、学校 祭 が春 になり、爾来 続 く。8月4日 〜8月 8日 高原 教室 (志賀高原 )が以後 続 く。8月5日 〜8月 11日 1年生 2班 に分 かれ、臨界 教室 。 - 1968
年 (昭和 43年 ) -講堂 取 り壊 し、新 体育館 竣工 式 。 - 1969
年 (昭和 44年 ) - 1月 22日 新 体育館 落成 。8月31日 反戦 派 学生 、諸 団体 による大 規模 な集会 。「反 安保 」、「佐藤 訪米 中止 」、「掛 西 斗 争 勝利 」などをスローガンに掲 げ、デモが掛川 市内 で行 われ、校内 外 緊張 する。(掛 西 紛争 ) - 1970
年 (昭和 45年 ) - 3月3日 北 校舎 増築 分 落成 。4月1日 定員 1,035名 となる。5月1日 宿 日直 廃止 。5月29日 〜5月31日 学校 祭 。創立 70周年 記念 式典 開 かれる。7月25日 校舎 (管理 棟 )改築 地鎮祭 (第 1期 工事 )。 - 1971
年 (昭和 46年 ) - 3月 20日 本館 第 1期 工事 完工 。 - 1972
年 (昭和 47年 ) - 3月8日 本館 第 2期 工事 完工 。4月24日 〜4月 28日 1年 HR合宿 (竜山 村 研修 センター、浜北 市 県立 青年 の家 )。7月 卒業生 の足立 篤郎 が農林 大臣 となる。7月30日 〜8月 3日 高原 教室 (白馬 山麓 )。11月18日 講演 会 (京都大学 教授 ・高坂 正 堯)。12月25日 〜12月28日 スキー教室 (車山 )。 - 1973
年 (昭和 48年 ) - 2月 16日 本館 第 3期 工事 完工 。3月25日 築庭 改造 、前庭 舗装 、校舎 北側 自転車 置 き場 、水泳 更衣 室 完成 。4月5日 必修 クラブ設置 。校友 部 と2本立 て。5月25日 文化 部室 完成 。7月 20日 焼却 炉 完成 。9月1日 1年生 水泳 大会 。10月9日 体育 大会 。11月10日 校舎 落成 、創立 73周年 記念 式典 を挙行 。11月16日 東京大学 教授 力武 常 次 講演 。12月8日 マラソン大会 。 - 1974
年 (昭和 49年 ) - 8月 9日 〜8月 18日 第 1回 合宿 学習 実施 、以後 毎年 行 われる。 - 1975
年 (昭和 50年 ) - 3月28日 第 47回 選抜 高等 学校 野球 大会 (甲子園 )に出場 (春 夏 通 じて通算 4回 目 、選抜 は2回 目 )。3月30日 第 1回戦 、当校 対 能登川 高 4-3で勝利 。4月2日 第 3回戦 、当校 対 天理 高 9-5で勝利 。4月4日 第 4回戦 、当校 対 堀越 高 1-5で敗北 。(ベスト8)4月 1日 生徒 定員 1,035名 (1年生 は8クラス)となる。7月15日 野球 ピッチング場 、部室 増築 完成 。10月15日 奥野 健男 講演 。 - 1976
年 (昭和 51年 ) - 2月 16日 グラウンド照明 施設 ネット増設 。4月1日 生徒 定員 1,080名 となる(全 学年 8クラス)。9月10日 高原 教室 10周年 を記念 して交通 公社 静岡 支店 及 び天狗 湯 旅館 に感謝 状 贈呈 。 - 1977
年 (昭和 52年 ) - 7月 31日 第 59回 全国 高等 学校 野球 選手権 大会 静岡 大会 で優勝 (春 夏 通 じて通算 5回 目 、夏 は3回 目 )。8月8日 甲子園 大会 当校 対 取手 二 高 1-4で敗北 。9月16日 生活 館 柔 剣道 場 地鎮祭 。12月4日 教職員 サッカー県 大会 出場 。 - 1978
年 (昭和 53年 ) - 1月 7日 生活 館 を“冀北会館 ”と称 す。2月15日 校舎 増築 、落成 。2月28日 生活 館 、柔 剣道 場 完成 。3月5日 グラウンド排水 用 井戸 完成 。4月17日 ~4月 18日 1年生 1泊 2日 HR合宿 (冀北会館 )。以後 、毎年 実施 。4月22日 柔 剣道 場 冀北会館 校舎 増築 落成 記念 式典 を挙行 。静岡 県 副 知事 諏訪 、静岡 県 教育 長 佐久間 、他 臨席 。6月3日 ~6月 4日 葛城 祭 を行 う。以後 春 に行 う。6月25日 バドミントン東海 大会 優勝 。10月31日 奈良大学 教授 田辺 昭三 (高 4回 卒 )講演 。 - 1979
年 (昭和 54年 ) -国大協 共通 1次 テスト初 めて行 われ、212名 が受験 。8月31日 渡 り廊下 防水 工事 完成 。9月29日 節水 工事 完成 。11月10日 地震 対策 として東側 ブロック塀 完成 。12月6日 校長 公社 改築 地鎮祭 。12月26日 校長 公社 上棟 式 。 - 1980
年 (昭和 55年 ) - 3月29日 校長 公社 落成 式 。5月30日 創立 80周年 記念 式典 を挙行 。 - 1981
年 (昭和 56年 ) - 9月29日 北 校舎 耐震 工事 完成 。 - 1982
年 (昭和 57年 ) - 2月 29日 運動 場 整備 工事 完了 。4月1日 生徒 定員 1,035名 となる(1学級 45名 、23学級 )。 - 1984
年 (昭和 59年 ) - 2月 27日 プール改修 工事 完了 (3度目 )。 - 1985
年 (昭和 60年 ) - 4月 1日 生徒 定員 1,080名 となる(1学級 45名 、24学級 )。12月19日 理数 科 の設置 が決 まる。 - 1986
年 (昭和 61年 ) -理数 科 設置 。4月1日 生徒 定員 1,075名 となる(普通 科 1,035名 23学級 、理数 科 40名 1学級 )。10月23日 本館 耐震 工事 完了 。 - 1987
年 (昭和 62年 ) - 4月 1日 生徒 定員 1,115名 となる(普通 科 1,035名 、理数 科 80名 )。 - 1988
年 (昭和 63年 ) - 3月25日 北 校舎 東側 校舎 増築 3教室 落成 (鉄筋 コンクリート建 延 113.3m2)。4月1日 生徒 定員 1,155名 となる(普通 科 1,035名 、理数 科 120名 )。 - 1989
年 (平成 元年 ) - 4月 1日 生徒 定員 1,200名 となる(普通 科 1,080名 、理数 科 120名 )。 - 1990
年 (平成 2年 ) - 6月1日 創立 90周年 記念 式典 を挙行 。 - 1991
年 (平成 3年 ) - 4月 1日 生徒 定員 1,245名 となる(普通 科 1,125名 、理数 科 120名 )。 - 1992
年 (平成 4年 ) - 4月 1日 生徒 定員 1,290名 となる(普通 科 1,170名 、理数 科 120名 )。 - 1993
年 (平成 5年 ) - 4月 1日 生徒 定員 1,317名 となる(普通 科 1,197名 、理数 科 120名 )。8月3日 第 75回 全国 高等 学校 野球 選手権 大会 (甲子園 )出場 (春 夏 通 じて通算 6回 目 、夏 は4回 目 。)。 - 1994
年 (平成 6年 ) - 3月29日 第 66回 選抜 高等 学校 野球 大会 (甲子園 )出場 (春 夏 通 じて通算 7回 目 、選抜 は3回 目 )。4月1日 生徒 定員 1,290名 となる(普通 科 1,170名 、理数 科 120名 )。 - 1995
年 (平成 7年 ) - 4月 1日 生徒 定員 1,254名 となる(普通 科 1,134名 27学級 、理数 科 120名 3学級 )。6月30日 野球 部 雨天 練習 場 落成 (鉄骨 建 て368.45m2)。 - 1996
年 (平成 8年 ) - 3月25日 、弓道 場 改築 落成 (軽量 鉄骨 建 延 117.2m2)。4月1日 生徒 定員 1187名 となる(普通 科 1,067名 、理数 科 120名 )。 - 1997
年 (平成 9年 ) - 4月 1日 生徒 定員 1,169名 となる(普通 科 1,049名 、理数 科 120名 )。 - 1998
年 (平成 10年 ) - 4月 1日 生徒 定員 1,160名 となる(普通 科 1,040名 、理数 科 120名 )。8月 10日 第 80回 全国 高等 学校 野球 選手権 大会 (甲子園 )出場 (春 夏 通 じて通算 8回 目 、夏 は5回 目 。)。10月12日 生徒 昇降 所 棟 、西 校舎 、用務員 棟 耐震 工事 が完成 。 - 1999
年 (平成 11年 ) - 4月 1日 生徒 定員 1,200名 となる(普通 科 1,080名 、理数 科 120名 )。 - 2000
年 (平成 12年 ) - 3月31日 「百 周年 記念 館 」落成 。10月21日 創立 100周年 記念 式典 を挙行 。 - 2002
年 (平成 14年 ) - 4月 1日 生徒 定員 1,160名 となる(普通 科 1,040名 、理数 科 120名 )。 - 2003
年 (平成 15年 ) - 4月 1日 生徒 定員 1,120名 となる(普通 科 1,000名 、理数 科 120名 )。 - 2004
年 (平成 16年 ) - 4月 1日 生徒 定員 1,080名 となる(普通 科 960名 、理数 科 120名 )。 - 2005
年 (平成 17年 ) - 4月 1日 生徒 定員 1,040名 となる(普通 科 920名 、理数 科 120名 )。 - 2006
年 (平成 18年 ) - 4月 1日 生徒 定員 1,000名 となる(普通 科 880名 、理数 科 120名 )。 - 2007
年 (平成 19年 ) - 4月 1日 生徒 定員 960名 となる(普通 科 840名 、理数 科 120名 )。 - 2009
年 (平成 21年 ) - 3月27日 第 81回 選抜 高等 学校 野球 大会 (甲子園 )出場 (春 夏 通 じて通算 9回 目 、選抜 は4回 目 。)。 - 2015
年 (平成 27年 ) -静岡 県 高校 野球 秋季 大会 において7年 ぶりに優勝 。 - 2017
年 (平成 29年 ) -修学旅行 先 が沖縄 から台湾 になる。11月20日 北 校舎 の改修 工事 が終了 。 - 2024
年 (令 和 6年 ) - 8月 10日 第 106回 全国 高等 学校 野球 選手権 大会 (甲子園 )出場 (春 夏 通 じて通算 10回 目 、夏 は6回 目 。)。
設置 学科
[部 活動
[運動 部
[野球 部 (後述 )男子 バレー部 女子 バレー部 - サッカー
部 男子 テニス部 女子 テニス部 剣道 部 -昭和 54年 男子 個人 インターハイ出場 。平成 4年 少年 女子 団体 国体 出場 。水泳 部 -平成 3・7・9・10年 水球 男子 インターハイ出場 。平成 6~11・14・15年 水球 男子 国体 出場 (平成 9年 6位 )。平成 7年 他 水球 男子 JOCジュニアオリンピックカップ春季 水泳 競技 出場 。平成 12・13・15・22・23年 水球 女子 JOCジュニアオリンピックカップ夏季 水泳 競技 出場 。競泳 インターハイ・国体 個人 ・リレー多数 出場 。陸上 競技 部 -平成 22年 男子 やり投 げ4位 インターハイ出場 。卓球 部 弓道 部 -男子 団体 インターハイ出場 1回 (平成 26年 )。女子 団体 インターハイ出場 3回 (平成 21年 ベスト8)。男子 個人 インターハイ出場 4回 。女子 個人 インターハイ出場 1回 。少年 男子 国体 出場 2回 。女子 団体 ・男子 個人 全国 選抜 出場 各 1回 。- バドミントン
部 -昭和 41年 世界 女子 バドミントン選手権 優勝 。昭和 41~58年 シングルス・ダブルス全国 大会 多数 出場 。 男子 バスケット部 女子 バスケット部 - アウトドア
部 應援 團 指導 部 -第 81回 選抜 高校 野球 大会 優秀 賞 。- ダンス
部
柔道 部 (令 和 3年度 から募集 停止 )
文化 部
[音楽 部 -平成 11年 全国 高 文 連合 唱部門 参加 文化 連盟 賞 受賞 。吹奏楽 部 -平成 26・27・28・29年 日本 管 楽 合奏 コンテスト全国 大会 出場 。平成 28年 全国 高等 学校 総合 文化 祭 ひろしま出場 自然 科学 部 -平成 26年 日本 物理 学会 JRセッション奨励 賞 受賞 。美術 部 -平成 19・20・24年 全国 総合 文化 祭 出品 。文芸 部 -平成 25年 富士 正晴 全国 同人 雑誌 賞 出品 。演劇 部 - ギター
部 -第 2回 地域 交流 「天下 一部 道 会 」ライブ出演 ·グランプリ受賞 。平成 29年度 静岡 県 高等 学校 文化 連盟 軽音楽 専門 部 第 2回 静岡 県 高等 学校 系 音楽 新人 大会 決勝 出場 。 囲碁 ・将棋 部 -平成 21年 全国 高校 総合 文化 祭 囲碁 大会 出場 。(元々 は囲碁 部 と将棋 部 がそれぞれ別 の部 として存在 していた。)食物 研究 部 英語 部 -平成 10年 The Japan Times英語 レシテーションコンテスト全国 大会 出場 。- パソコン
部 -平成 29・30年 掛川 城 プロジェクションマッピング実施 。(元々 は物理 部 のパソコン部門 が存在 していた。) 茶 華道 部 -平成 24年度 より掛川 市 指定 有形 文化財 「竹 の丸 」(旧 松本 家 住宅 )[3]にて茶会 を催 す。
- アマチュア
無線 部 (アマ無線 部 ) 園芸 部 化学 部 競技 カルタサークル郷土 研究 部 - クイズ
研究 部 山岳 部 視聴覚 部 社会 文化 研究 会 写真 部 書道 部 生物 部 - ソフトテニスクラブ
天文 部 - ビリヤードサークル
物理 部 - フランス
語部 放送 部 - ボランティア
部
野球 部 と応援 団 (應援 團 指導 部 )
[甲子園 出場
[全国 高等 学校 野球 選手権 大会
[- 1938
年 (昭和 13年 )第 24回 大会 - 1964
年 (昭和 39年 )第 46回 大会 - 1977
年 (昭和 52年 )第 59回 大会 - 1993
年 (平成 5年 )第 75回 大会 - 1998
年 (平成 10年 )第 80回 大会 - 2024
年 (令 和 6年 )第 106回 大会
選抜 高等 学校 野球 大会
[校歌
[静岡 県立 掛川西 高等 学校 校歌 制定 年 :不 詳 概 ね1904年 (明治 37年 )頃 とされている。作詞 :藤井 金吾 作曲 :塙 福寿
第 一 応援 歌 制定 年 :不 詳 作詞 :不 詳 作曲 :不 詳
野球 の応援 においては本校 が敗北 した際 に斉唱 する。ただし、次 の高校 の応援 団 との交代 の支障 になるため、最終 試合 で敗北 した際 にしか斉唱 しない。
第 二 応援 歌 制定 年 :1963年 (昭和 38年 )作詞 :高橋 昭夫 作曲 :水谷 直子
野球 の応援 においては本校 が得点 した際 に斉唱 する。
学校 行事
[年間 日程
[4
入学 式 対面 式 学習 方法 習得 講座 (1年 )面接 週間 応援 練習 (1年 )
5月
応援 練習 (1年 )- PTA
総会 中間 テスト環境 一斉 清掃 葛城 祭
6
進学 講座 (3年 )進路 講演 会 (3年 )研究所 訪問 (理数 科 2年 )科学 技術 数学 特別 講座 1- ミニ
大学 講座 1 薬学 講座 防災 訓練
7
期末 テスト壮行 会 夏季 休業 夏期 講座 (1、2年 )夏期 講座 前期 (3年 )野球 応援 - サマーセミナー(2
年 )
8
中学生 一 日 体験 入学 夏期 講座 後期 (3年 )防災 訓練
9月
教育 実習 進学 講座 (3年 )- ミニ
大学 講座 2 保育 体験 実習 (1年 )進路 講演 会 (1・2年 )面接 週間 (1年 )体育 祭 (令 和 1年度 から変更 、元 葛城 祭 体育 の部 )
10月
進学 講座 (3年 )中間 テスト修学旅行 (2年 )- HRデイ(1・3
年 ) 面接 週間 (2・3年 )
11月
進学 講座 (3年 )保護 者 授業 公開 芸術 鑑賞 会 科学 技術 数学 特別 講座 2- ミニ
大学 講座 3 期末 テスト
12月
進学 講座 (3年 )進路 検討 会 冬季 休業 冬期 講座 (3年 )
1
新春 かるた会 理数 科 課題 研究 発表 会 - センター
試験 (3年 ) 科学 技術 数学 特別 講座 3
2
学年 末 テスト同窓会 入会 式
3
卒業 式 高校 入学 者 選抜 試験 大学 教官 出張 授業 - 冀北
講演 会 球技 大会 春季 休業 春季 講座 (1・2年 )離任 式
学校 祭
[葛城 祭 (かつじょうさい)
文化 の部 (6月 )- いわゆる
文化 祭 。2日間 行 われる。3年 の各 クラスが2年 の内 から企画 を立案 し(2年 次 から3年 次 のクラス替 えは無 い)、体験 型 アトラクションや自主 制作 映画 等 を一般 入場 者 (内部 生徒 も視聴 可 )に披露 する「クラス展 」と、文化 部 の作品 を展示 した「文化 部 展 」、体育館 では吹奏楽 部 や音楽 部 、ギター部 、應援 團 指導 部 の発表 もある。また、1日 目 の展示 終了 後 、本校 の生徒 対象 の「中 夜祭 」がある。以前 は2日 目 の展示 終了 後 に行 われていたが、そのときも文化 の部 と体育 の部 の間 で行 われるという意味 から「中 夜祭 」と呼 ばれていた。
- いわゆる
体育 の部 (9月)- いわゆる
運動会 。各 学年 1クラスを含 む8つのグループで得点 を争 う。例年 、優勝 したグループには賞品 が与 えられる。
- いわゆる
冀北講演 会
[過去 の講演 者
[平成 19年度 -鷲山 恭彦 (東京学芸大学 学長 )平成 20年度 -村田 繁 (パシフィック野球 連盟 事務 局長 )平成 21年度 -石川 嘉 延 (前 静岡 県 知事 )- (
甲子園 出場 記念 特別 講演 会 ) -朝比奈 豊 (毎日新聞社 社長 )
冀北学舎
[掛 西 紛争
[1969
漫画 のモデル
[所 十三 の漫画 『名門 !多古 西 応援 団 』に登場 する「多古 多 西高 等 学校 」と「多古 西 応援 団 」のモデル。大島 司 の漫画 『シュート!』シリーズ。小山 ゆうの漫画 『チェンジ』に登場 する「菊川 西高 等 学校 」のモデル。野球 部 のユニフォームと帽子 にその特徴 が見 られる。
著名 な出身 者
[冀北
政治
[足立 篤郎 (衆議院 議員 、農林 大臣 、科学技術庁 長官 )石川 嘉 延 (元 静岡 県 知事 、第 二 東名 自動車 道 建設 促進 期成 同盟 会 会長 、元 自治省 官僚 )一木 喜徳郎 (岡田 良一郎 の次男 、文部 大臣 、内務 大臣 、宮内 大臣 、枢密院 議長 )久保田 崇 (掛川 市 長 )黒田 淳 之 助 (旧 小笠 町 長 )榛 葉 賀 津 也(参議院 議員 、国民 民主党 )榛 村 純一 (旧 掛川 市 長 )戸塚 九一郎 (建設 大臣 、労働 大臣 、北海道開発庁 長官 )松井 三郎 (掛川 市 前 市長 )柳澤 伯 夫 (衆議院 議員 、自由民主党 、元 厚生 労働 大臣 /静岡 高校 より編入 )山本 裕三
経済
[榛 葉 淳 (ソフトバンク株式会社 代表 取締役 副 社長 兼 COO)
司法
[軍事
[松浦 永次 郎 (海軍 中将 、戦艦 金剛 艦長 )
文化
[朝比奈 豊 (元 毎日新聞社 代表 取締役 社長 )小澤 祥司 (環境 ジャーナリスト)- かまちよしろう(
漫画 家 。『こにくらじいさん』などで知 られる) 窪川 鶴次郎 (文芸 評論 家 、石川 啄木 研究 者 )久保田 真弓 (元 静岡朝日 テレビアナウンサー)倉知 淳 (推理 小説 家 )左京 潤 (漫画 家 。『勇者 になれなかった俺 はしぶしぶ就職 を決意 しました。』など)清水 真砂子 (翻訳 家 、児童 文学 評論 家 。ゲド戦記 の翻訳 で知 られる)榛 葉 英治 (小説 家 、1958年 『赤 い雪 』で直木賞 を受賞 )榛 葉 昌 寛 (男声 テノール歌手 )鈴木 康 一郎 (元 福島 テレビアナウンサー、現 :中京 テレビアナウンサー)高木 まみ子 (女優 )高須 沙 知子 (元 NHK静岡 キャスター)高須 基 仁 (写真 集 編集 者 )所 十三 (漫画 家 。『疾風 伝説 特攻 の拓 』(作画 )、『名門 !多古 西 応援 団 』など)- マサト
真希 (小説 家 ・ライトノベル作家 ) 松下 誠 (ミュージシャン、ギタリスト、アレンジャー)三 戸 岡 道夫 (作家 、大 日本 報徳 社 副 社長 、旧 協和 銀行 元 副 頭取 )望月 正子 (児童 文学 作家 )山川 紘 矢 (翻訳 家 、作家 )
学術
[大石 初太郎 (日本語 学者 、国立 国語 研究所 名誉 所員 、専修大学 教授 、文教大学 教授 、著書 『敬語 』はロングセラー)小 長井 誠 (東京工業大学 名誉 教授 、元 応用 物理 学会 会長 、工学 博士 、現 東京 都市 大学 総合 研究所 特別 教授 )栗田 子 郎 (千葉大学 名誉 教授 、理学 博士 )榛 葉 繁 紀 (日本 大学 教授 )田辺 昭三 (考古 学者 )橋本 梧郎(生物 学者 )松本 亀次郎 (北京 大学 教授 )村松 岐夫(学習院大学 法学部 教授 、京都大学 名誉 教授 、法学 博士 )山崎 覚 次郎 (東京 帝国 大学 法学部 教授 、経済学部 教授 後 に経済学部 長 、退官 後 中央大学 教授 、日銀 顧問 、金融 学会 初代 理事 会長 )鷲山 恭彦 (東京学芸大学 学長 )
スポーツ
[赤堀 大智 (プロ野球 選手 、元 横浜 DeNAベイスターズ)天野 竹一 (プロ野球 選手 )天野 博江 (女子 バドミントン選手 )荒川 宗一 (プロ野球 選手 )鵜 藤 俊平 (ベルリンオリンピック銀 ・銅 メダリスト、競泳 男子 400m自由形 )大石 直弘 (プロ野球 選手 )岡村 正広 (リオデジャネイロパラリンピック銅 メダリスト、男子 マラソン)岡本 教 平 (プロ野球 選手 )杉浦 佳子 (パラサイクリング選手 、世界 選手権 ・ITT 2017優勝 、世界 選手権 ・個人 ロード2018優勝 、2020年 東京 パラリンピック金 メダリスト)鈴木 寛樹 (プロ野球 選手 (投手 )、元 横浜 ベイスターズ)中山 紀子 (旧姓 :高木 紀子 (たかぎのりこ)、バドミントン1972年 全英 オープンシングルスチャンピオン、ミュンヘンオリンピック(公開 競技 )金 メダリスト)西 加南子 (旧姓 :伊藤 加奈子 (いとうかなこ)、アジア大会 出場 、2009年 全日本 自転車 競技 選手権 大会 エリート女子 優勝 (日本 チャンピオン)、自転車 ロードレース)村松 咲太郎 (陸上 競技 選手 )村松 幸雄 (プロ野球 選手 (投手 )、名古屋 軍 (現 中日 ドラゴンズ))山崎 諭 (東京 六 大学 野球 ・東大 投手 /東大 唯一 の2位 の時 のエース)山本 篤 (北京 パラリンピック銀 メダリスト、陸上 男子 走 り幅跳 び)
同校 にゆかりのある人物
[交通
[脚注
[参考 文献
[掛 中 掛 西高 百 年 史 (2000年 、「掛 中 掛 西高 百 年 史 」編集 部会 、静岡新聞社 )軌跡 の探求 (平成 2年度 葛城 祭 実行 委員 会 )創立 80年 誌 (1980年 )