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黒井くろいあきら

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黒井くろい あきら
黒井くろい あきら
生誕せいたん 1903ねん5月27にち
日本の旗 日本にっぽん 山形やまがたけん米沢よねざわ
死没しぼつ (1933-03-10) 1933ねん3がつ10日とおか(29さいぼつ
日本の旗 日本にっぽん 高知こうちけん室戸岬むろとみさきおき
所属しょぞく組織そしき  大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん
ぐんれき 1924 - 1933
最終さいしゅう階級かいきゅう 海軍かいぐん少佐しょうさ
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黒井くろい あきら(くろい あきら、1903ねん明治めいじ36ねん5月27にち - 1933ねん昭和しょうわ8ねん3がつ10日とおか)は、日本にっぽん海軍かいぐん軍人ぐんじん海兵かいへい51そつ)。水上すいじょう機長きちょうとしての不時ふじ着水ちゃくすいどき行動こうどう責任せきにんかんかんとなえられた。のちに殉職じゅんしょく最終さいしゅう階級かいきゅう海軍かいぐん少佐しょうさ

生涯しょうがい

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山形やまがたけん出身しゅっしん米沢よねざわはん士族しぞく出身しゅっしんで、曾祖母そうそぼは「国字こくじ四書ししょ」でられる黒井くろいしげるちち松江まつえ高等こうとう女学校じょがっこう校長こうちょう黒井くろいしょう源太げんたちちおとうと黒井くろい悌次ていじろうである。府立ふりついちなかて、海軍兵学校かいぐんへいがっこう51卒業そつぎょう1924ねん大正たいしょう14ねん)12月、海軍かいぐん少尉しょうい任官にんかんといはしひさし利雄としお木梨きなしたかいち工藤くどう俊作しゅんさくらが同期生どうきせいである。

黒井くろい霞ヶ浦かすみがうら海軍かいぐん航空こうくうたい飛行ひこう学生がくせい卒業そつぎょう搭乗とうじょういんとなる。1925ねん大正たいしょう15ねん)12月、海軍かいぐん中尉ちゅうい進級しんきゅう横須賀よこすか海軍かいぐん航空こうくうたいつけて、1927ねん昭和しょうわ2ねん)12月、水上すいじょう母艦ぼかん能登のと乗組のりくみとなる。1929ねん昭和しょうわ4ねん)4がつ演習えんしゅうちゅう搭乗とうじょう発動はつどう故障こしょうにより済州さいしゅうとうおき不時ふじ着水ちゃくすいした。

商船しょうせん香取かとりまる」が偶然ぐうぜん黒井くろいらを発見はっけん救助きゅうじょにあたる。風速ふうそく25メートル[1]荒天こうてんなか黒井くろい商船しょうせん意思いし疎通そつう阻害そがいされ、商船しょうせんいんていろして救助きゅうじょかい黒井くろいまでちかづいた。しかし、黒井くろいは「てて身柄みがらのみ救助きゅうじょされるのは辞退じたいする」と救助きゅうじょことわる。悪天候あくてんこうなか商船しょうせん飛行機ひこうき曳航えいこうすることは不可能ふかのうであった。黒井くろい搭乗とうじょういん翌日よくじつ未明みめいまでまもったが、午前ごぜん5ちかくに転覆てんぷく黒井くろい搭乗とうじょういん鶴羽つるは兵曹へいそう殉職じゅんしょくし、白川しらかわ兵曹へいそう黒井くろい潜水せんすいかん救助きゅうじょされた。この黒井くろい行動こうどうは「海軍かいぐん飛行ひこう将校しょうこう責任せきにんかんかん[1]となえられた。なお、商船しょうせんいん決死けっしてき行動こうどう海員かいいんとして模範もはんてきなものであり[2]現地げんちまり黒井くろいらを救助きゅうじょした潜水せんすいかん緊急きんきゅう信号しんごう発信はっしんしている。連合れんごう艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん谷口たにぐちしょうしんは、経緯けいい記述きじゅつするよう黒井くろいすすめたが黒井くろいことわった[2]

同年どうねん11がつ霞ヶ浦かすみがうら海軍かいぐん航空こうくうたい教官きょうかんとなり、海軍かいぐん大尉たいい進級しんきゅう1932ねん昭和しょうわ7ねんじゅうじゅん愛宕あたご乗組のりくみとなり同艦どうかん飛行ひこうちょうとなる。翌年よくねん連合れんごう艦隊かんたい基本きほん演習えんしゅう参加さんかし、3月4にちはつかん飛行ひこう演習えんしゅうちゅう高知こうちけん室戸岬むろとみさきおき行方ゆくえ不明ふめいとなる。海軍かいぐんしょう認定にんていした殉職じゅんしょく3がつ10日とおかであった。同年どうねん白川しらかわ兵曹へいそう五島列島ごとうれっとう付近ふきん殉職じゅんしょくした。ただしこの事故じこてき攻撃こうげきされたものではなかったため、戦死せんしあつかいではない。

黒井くろい海兵かいへい51航空機こうくうきでの殉職じゅんしょくしゃは14めいである[3]米沢よねざわ海軍かいぐん武官ぶかんかい会員かいいん

出典しゅってん

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  1. ^ a b だい海軍かいぐんおもう』「責任せきにんかん結晶けっしょう
  2. ^ a b とお潮騒しおさい』「黒井くろいあきら少佐しょうさ
  3. ^ きき 日本にっぽん海軍かいぐん』p.182

参考さんこう文献ぶんけん

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  1. 海軍かいぐん少佐しょうさ黒井くろいあきら叙勲じょくんけん」(ref:A10113114400)
  2. 愛宕あたご機密きみつだい25ごうの78.3.15 90しき2ごう水上すいじょう偵察ていさつ愛宕あたごだい1ごう遭難そうなん事故じこ調査ちょうさ報告ほうこく」(ref:C05023333000)
  • 伊藤いとう正徳まさのりだい海軍かいぐんおもう』文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうしんしゃ、1956ねん 
  • 戸高とだか一成いっせいきき日本にっぽん海軍かいぐんPHP出版しゅっぱん、2009ねんISBN 978-4-569-70418-0 
  • 松野まつのりょうとらとお潮騒しおさい 米沢よねざわ海軍かいぐん系譜けいふ追想ついそう米沢よねざわ海軍かいぐん武官ぶかんかい、1980ねん