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Denkikan

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Denkikan
Denkikanがはい電気でんきかんビル
地図
情報じょうほう
正式せいしき名称めいしょう Denkikan
きゅう名称めいしょう 熊本くまもと電気でんきかん
完成かんせい 1995ねん
開館かいかん 1995ねん12月23にち
収容しゅうよう人員じんいん (3スクリーン合計ごうけい)376にん
設備せつび ドルビーデジタル5.1ch、DLP
用途ようと 映画えいが上映じょうえい
運営うんえい 三和さんわ文化ぶんか企業きぎょう株式会社かぶしきがいしゃ
所在地しょざいち 860-0803
熊本くまもとけん熊本くまもと中央ちゅうおうしん市街しがい8-2 電気でんきかんビル
位置いち 北緯ほくい3247ふん55.802びょう 東経とうけい13042ふん21.719びょう / 北緯ほくい32.79883389 東経とうけい130.70603306 / 32.79883389; 130.70603306 (Denkikan)座標ざひょう: 北緯ほくい3247ふん55.802びょう 東経とうけい13042ふん21.719びょう / 北緯ほくい32.79883389 東経とうけい130.70603306 / 32.79883389; 130.70603306 (Denkikan)
最寄駅もよりえき 熊本くまもと市電しでん辛島からしままち停留ていりゅうじょうから徒歩とほ2ふん
さいよせバス停ばすてい 熊本くまもとバス熊本くまもと都市としバスしん市街しがい停留所ていりゅうじょ
外部がいぶリンク https://denkikan.com
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Denkikan(でんきかん)は、熊本くまもとけん熊本くまもと中央ちゅうおうサンロードしん市街しがいにある映画えいがかん。3スクリーンをゆうするミニシアターである。1911ねん明治めいじ44ねん)に創業そうぎょうし、1995ねん平成へいせい7ねん)に現在げんざい電気でんきかんビルが竣工しゅんこうした。

歴史れきし

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シャワーどお時代じだい(1911ねん~1914ねん

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1911ねん明治めいじ44ねん)1がつ1にち活動かつどう弁士べんしくぼてら喜之助きのすけくぼてらかすみさん)により、下通しもとおりから鷹匠小路たかしょうこうじける横丁よこちょう[ちゅう 1]電気でんきかん開館かいかんした。なお、熊本くまもと出身しゅっしん映画えいが監督かんとくである牛原うしはらきょは、当時とうじ名称めいしょうが(電気でんきかんではなく)敷島しきしま倶楽部くらぶではなかったかとしている[1]電気でんきかん熊本くまもとはつ常設じょうせつ活動かつどう写真しゃしんかんであり、芝居しばい小屋こや敷島しきしまかん改造かいぞうした建物たてものだった[2]当時とうじ東京とうきょう浅草あさくさにあった浅草あさくさ電気でんきかん隆盛りゅうせいにより、全国ぜんこく各地かくち電気でんきかんという活動かつどう写真しゃしんかん開業かいぎょうしていた[3]

大正たいしょう初期しょき電気でんきかんおも洋画ようがを、しん市街しがい世界せかいかんおも邦画ほうが上映じょうえいしていた[4]。なお、1913ねん大正たいしょう2ねん)9がつ23にちには岩崎いわさきぐみによって福岡ふくおか博多はかたで2番目ばんめ活動かつどう写真しゃしんかん開館かいかんしているが、すで熊本くまもと活動かつどう写真しゃしんかん経営けいえい実績じっせきがあったくぼてら喜之助きのすけ経営けいえい委託いたくされ、熊本くまもと電気でんきかんならって電気でんきかん名付なづけられている[5]

2代目だいめ建物たてもの時代じだい(1914ねん~1928ねん

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しん市街しがい電気でんきかん左端ひだりはし)と朝日あさひかん中央ちゅうおうおく

明治めいじ末期まっきにはしん市街しがい熊本くまもと屈指くっし繁華はんかがいとなっており、1914ねん大正たいしょう3ねん)には電気でんきかんしん市街しがい移転いてんした[6]。2代目だいめ建物たてもの松竹しょうちくキネマ封切ふうきりかんであり、観客かんきゃく定員ていいんすうやく900めいだった。当時とうじ電気でんきかん主任しゅにん弁士べんし川島かわしま紅花べにばなだった[7]牛原うしはらきょ彦は1916ねん大正たいしょう5ねん)に電気でんきかんたイタリア映画えいがカビリア』で「活動かつどう写真しゃしん真価しんかはじめておもいをした」「映画えいが開眼かいがん役割やくわりをはたしてくれた」とかたっている[7]

3代目だいめ建物たてもの時代じだい(1928ねん~1995ねん

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1928ねん昭和しょうわ3ねん)にはエレベーターもある3代目だいめ建物たてものえられた[3]。1かいには飲食いんしょくてんなどのテナントはいり、2かいから4かい映画えいがかん電気でんきかんはいった[3]。1930ねん昭和しょうわ5ねん時点じてんでの熊本くまもとには、電気でんきかん世界せかいかん朝日あさひかん(いずれもしん市街しがい)の3かん存在そんざいしていた[ちゅう 2]太平洋戦争たいへいようせんそうなかには建物たてもの地下ちか避難ひなんしょとなることもあった[3]。1945ねん昭和しょうわ20ねん)7がつ以降いこう熊本大くまもとだい空襲くうしゅうによってしん市街しがい一帯いったい焦土しょうどした[9]

1953ねん昭和しょうわ28ねん)6がつ26にちには昭和しょうわ28ねん西日本にしにほん水害すいがいによって白川しらかわ堤防ていぼう決壊けっかいし、地下ちか映画えいがフィルムをりにった電気でんきかん主任しゅにん技師ぎし殉職じゅんしょくした[10]日本にっぽん映画館えいがかんすうがピークにたっしたのは1958ねん昭和しょうわ33ねん)であるが、当時とうじ熊本くまもとには電気でんきかん電気でんきかん地下ちか劇場げきじょうふくめて27かんもの映画えいがかんがあった[ちゅう 3]。1959ねん昭和しょうわ34ねん)9がつにはそれまでの大映だいえい封切ふうきりかんから日活にっかつ封切ふうきりかん転向てんこうしたが[12]、1961ねん昭和しょうわ36ねん)4がつには松竹しょうちく封切ふうきりかんとなった[13]

サンロードしん市街しがい

1979ねん昭和しょうわ54ねん)には電気でんきかんめんするしん市街しがいぜんぶたしきアーケード完成かんせいし、サンロードしん市街しがいという愛称あいしょうけられた[9]。1980ねん昭和しょうわ55ねん時点じてん熊本くまもとには15かん映画えいがかんがあったが、うち熊本くまもと電気でんきかん熊本くまもと松竹しょうちく劇場げきじょう熊本くまもと地下ちかデンキかん熊本くまもと名画めいがデンキかんの4かんふくむ11かんしん市街しがい集中しゅうちゅうしていた[ちゅう 4]

1995ねん平成へいせい7ねん)1がつ29にちをもって、1928ねん昭和しょうわ3ねん)から使用しようしていた建物たてものでの営業えいぎょうえた[15][16]最終さいしゅうには電気でんきかんで『ラストエンペラー』を無料むりょう上映じょうえいし、熊本くまもと松竹しょうちくで『すなうつわ』を無料むりょう上映じょうえいした[15][16]役目やくめえたドルビーステレオ、やく10だいのスピーカー、映写機えいしゃき1だい光源こうげん2だい整流せいりゅう2だいなどは本渡ほんど本渡ほんどだいいちうつげき無償むしょう譲渡じょうとされた[17]

電気でんきかんビル時代じだい(1995ねん~)

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電気でんきかんビルの入口いりくち

1995ねん平成へいせい7ねん)1がつ29にち閉館へいかんどういち地点ちてん鉄筋てっきんコンクリートづくり6かいてのビルを建設けんせつし、1995ねん平成へいせい7ねん)12月23にちには映画えいがかん3かんゆうする電気でんきかんビルが開業かいぎょうした[18]。2かいにはくぼてら洋一よういち三和さんわ文化ぶんか企業きぎょう経営けいえいしゃとなる110せきのDenkikanがはいり、3かいには西日本にしにほん松竹しょうちく興行こうぎょう熊本くまもと松竹しょうちく2が、5かいには西日本にしにほん松竹しょうちく興行こうぎょう熊本くまもと松竹しょうちく1がそれぞれテナントとしてはいった[19]各館かくかんのオープニング作品さくひんはDenkikanが大友おおとも克洋かつひろ監督かんとくのアニメ映画えいがMEMORIES』、熊本くまもと松竹しょうちく2が『おとこはつらいよ 寅次郎とらじろうべにはな』と『サラリーマンせん』の本立ほんたて熊本くまもと松竹しょうちく1がシドニー・ポラック監督かんとくの『サブリナ』だった[18]

4代目だいめ館主かんしゅくぼてら洋一よういち電気でんきかん創業そうぎょうしゃであるくぼてら喜之助きのすけ曾孫そうそんたる[20]。2003ねん平成へいせい15ねん)にはDenkikanオーナーで三和さんわ文化ぶんか企業きぎょう社長しゃちょうくぼてら洋一よういちが、映画えいがかん関係かんけいしゃとしてはじめて日本にっぽん映画えいが批評ひひょう大賞たいしょう特別とくべつしょう受賞じゅしょうした[20]。2006ねん平成へいせい18ねんごろには松竹しょうちくシネマエンタープライズが熊本くまもと松竹しょうちく1・2の経営けいえいから撤退てったい[ちゅう 5]電気でんきかんビルにあるDenkikan、熊本くまもと松竹しょうちく1・2の3かんすべてが三和さんわ文化ぶんか企業きぎょう経営けいえいとなり、2009ねん平成へいせい21ねん)8がつ1にちづけぜんスクリーンめいがDenkikanに統一とういつ[22]。2011ねん平成へいせい23ねん)には開館かいかん100周年しゅうねんむかえた[3]

2016ねん平成へいせい28ねん)4がつ14にちよる発生はっせいした熊本くまもと地震じしんでは、ビル入口いりくちかべ一部いちぶ損壊そんかいしたものの、やく3週間しゅうかんには『スポットライト 世紀せいきのスクープ』(トム・マッカーシー監督かんとく)を上映じょうえいして営業えいぎょう再開さいかいした[23]。また2020ねんれい2ねん以降いこう新型しんがたコロナウイルス感染かんせんしょう世界せかいてき流行りゅうこうすると、同年どうねん4がつから5がつには緊急きんきゅう事態じたい宣言せんげんおよびまんえん防止ぼうしとう重点じゅうてん措置そち理由りゆうとしてやく5週間しゅうかん休館きゅうかんおこなった[3]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 現在げんざいのシャワーどおりにたる。
  2. ^ 1958ねん映画えいがかん九州きゅうしゅう地方ちほうえた映画えいがかん記憶きおく参照さんしょう[8]
  3. ^ 1930ねん映画えいがかん九州きゅうしゅう地方ちほうえた映画えいがかん記憶きおく参照さんしょう[11]
  4. ^ 1980ねん映画えいがかん九州きゅうしゅう地方ちほうえた映画えいがかん記憶きおく参照さんしょう[14]
  5. ^ その2021ねんれい3ねん4がつ23にちアミュプラザくまもとうち松竹しょうちくマルチプレックスシアターズ運営うんえいのシネコン「熊本くまもとピカデリー」がオープンしており、熊本くまもと市内しない松竹しょうちくけい映画えいがかんが15ねんぶりに復活ふっかつしている[21]

出典しゅってん

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  1. ^ 牛原うしはらきょ彦『きょ映画えいが50ねん鏡浦かがみうら書房しょぼう、1968ねん、p.54
  2. ^ 熊本くまもとの100ねん郷土きょうど出版しゅっぱんしゃ、2000ねん、p.58
  3. ^ a b c d e f 今月こんげつのマチビト くぼてら洋一よういちさん”. KUMAMOTO Topics (2021ねん5がつ21にち). 2023ねん10がつ14にち閲覧えつらん
  4. ^ 牛原うしはらきょ彦『きょ映画えいが50ねん鏡浦かがみうら書房しょぼう、1968ねん、p.57
  5. ^ さきやま恭三きょうぞう博多はかた中洲なかすものがたり 後編こうへん文献ぶんけん出版しゅっぱん、1980ねん、p.26
  6. ^ 写真しゃしんアルバム 熊本くまもと昭和しょうわ樹林じゅりんしゃ、2017ねん、p.126
  7. ^ a b 牛原うしはらきょ彦『きょ映画えいが50ねん鏡浦かがみうら書房しょぼう、1968ねん、p.58
  8. ^ 内外ないがい映画えいが事業じぎょう調査ちょうさ研究所けんきゅうじょ日本にっぽん映画えいが事業じぎょう総覧そうらん 昭和しょうわ5年版ねんばん国際こくさい映画えいが通信つうしんしゃ、1930ねん
  9. ^ a b 年表ねんぴょう サンロードしん市街しがい
  10. ^ 興行こうぎょうがい」『キネマ旬報きねまじゅんぽう』1953ねん7がつ15にちごう、68ごう
  11. ^ 映画えいが年鑑ねんかん 1958年版ねんばん 別冊べっさつ 映画えいが便覧びんらん 1958』時事通信社じじつうしんしゃ、1958ねん
  12. ^ 映画えいがかん」『キネマ旬報きねまじゅんぽう』1959ねん10がつ15にち、244ごう
  13. ^ 映画えいがかんニュース」『キネマ旬報きねまじゅんぽう』1961ねん5がつ15にち、285ごう
  14. ^ 日本にっぽん映画えいが製作せいさくしゃ連盟れんめい配給はいきゅう部会ぶかい映画えいがかん名簿めいぼ 1980ねん時事じじ映画えいが通信つうしんしゃ、1979ねん
  15. ^ a b 伝統でんとうの『電気でんきかん閉館へいかんへ、の3映画えいがかんしんビルへ 熊本くまもと」『西日本にしにほん新聞しんぶん』1995ねん1がつ6にち
  16. ^ a b 「きょうまで2ほん無料むりょう上映じょうえい電気でんきかん閉館へいかん往年おうねんファンも 熊本くまもと」『西日本にしにほん新聞しんぶん』1995ねん1がつ29にち
  17. ^ 本渡ほんど映画えいがかん閉館へいかん熊本くまもと電気でんきかん機器ききおくる」『西日本にしにほん新聞しんぶん』1995ねん1がつ31にち
  18. ^ a b 電気でんきかん、きょうさいオープン 映画えいが文化ぶんか地元じもとひとに」『西日本にしにほん新聞しんぶん』1995ねん12月23にち
  19. ^ しん市街しがい映画えいがかんをリニューアルオープン 三和さんわ文化ぶんか企業きぎょう(株)かぶしきがいしゃかしホールとしても活用かつよう”. 経済けいざいニュース. くまもと経済けいざい (2006ねん3がつ14にち). 2013ねん10がつ1にち閲覧えつらん
  20. ^ a b 老舗しにせ映画えいがかん「Denkikan」、110周年しゅうねん記念きねんでトークイベント ミニシアターの歴史れきし存在そんざい意義いぎかた”. 熊本くまもと経済けいざい新聞しんぶん (2021ねん7がつ12にち). 2023ねん2がつ22にち閲覧えつらん
  21. ^ JR熊本くまもとえき直結ちょっけつ・10スクリーンの映画えいがかん熊本くまもとピカデリー」4がつ23にちかね)グランドオープン』(PDF)(プレスリリース)松竹しょうちくマルチプレックスシアターズ、2021ねん3がつ24にちhttps://www.smt-cinema.com/release/20210324_kumamoto.pdf2023ねん10がつ14にち閲覧えつらん 
  22. ^ 熊本くまもと松竹しょうちく、Denkikanに8/1かんめい変更へんこう”. 特定とくてい営利えいり活動かつどう法人ほうじん 山都やまとまちよい映画えいがかい (2009ねん7がつ24にち). 2015ねん1がつ29にち閲覧えつらん
  23. ^ “3週間しゅうかんぶりに映画えいがかん再開さいかい 熊本くまもと市内しない老舗しにせ 映画館えいがかんはつ. 産経さんけいフォト (産経さんけいデジタル). (2016ねん5がつ7にち). https://www.sankei.com/photo/daily/news/160507/dly1605070021-n1.html 2023ねん10がつ14にち閲覧えつらん 

外部がいぶリンク

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