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LOGiNから転送てんそう

ログイン』(LOGiN)は、アスキー(のちエンターブレインげんKADOKAWA)から刊行かんこうされていたパソコンゲームおもあつかったパソコン雑誌ざっしゲーム雑誌ざっし

創刊そうかん当時とうじのパソコン雑誌ざっしおおくは技術ぎじゅつてき内容ないようなど技術ぎじゅつしゃやマニアけあるいはビジネス利用りよう指向しこうしていたなかで、ゲームをじく一般いっぱんてき若者わかものをターゲットとした方向ほうこうすすんだ。

ファミ通ふぁみつう』など系列けいれつ多数たすうんだことでられ、また日本にっぽんにおけるコンピュータゲーム雑誌ざっしのスタイルを確立かくりつした雑誌ざっしである[1]

歴史れきし

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当初とうしょは『月刊げっかんアスキー』の別冊べっさつとして、1982ねん5がつから季刊きかんで『ASCII 別冊べっさつログイン』として発刊はっかんされていた。

1983ねん4がつごうから月刊げっかんし『月刊げっかんログイン』(毎月まいつき8にち発売はつばい)となる。別冊べっさつ時代じだい誌面しめん技術ぎじゅつけい情報じょうほう中心ちゅうしんだったが、月刊げっかん以降いこうパソコンゲーム情報じょうほう前面ぜんめんした路線ろせん変更へんこう実施じっし創刊そうかん当初とうしょ売上うりあげもふるわず休刊きゅうかんあやぶまれていたが、この路線ろせん変更へんこうによりなおしたとされる。

1984ねん9がつごうから編集へんしゅうちょう小島こじま文隆ふみたか就任しゅうにんどうごう特集とくしゅう「コンピュータでしまいにゃわらうぞ!!」をはじめとして、以後いご誌面しめん徹底てっていした娯楽ごらく路線ろせん強調きょうちょうされた。まだパソコンといえば技術ぎじゅつてき内容ないようあつかうのが主流しゅりゅうであった時代じだいに、あまりパソコンにくわしくなくゲームにしか使つかえない自分じぶん(という馬鹿ばかのフリ)をわらいにするというスタイルを提唱ていしょうした。パソコンに直接ちょくせつ関係かんけいのないふざけた記事きじ掲載けいさいされることおおく、月刊げっかんからつき2かいかん中期ちゅうきにかけてのログインの特徴とくちょうとしてひろられる。一方いっぽうでこの時期じきにはしんゲームジャンルのいちはや紹介しょうかいあたらしいアミューズメントの発掘はっくつ、テクノロジーの未来みらい予測よそくとう記事きじ充実じゅうじつしており、パソコンゲーム文化ぶんか成熟せいじゅく一翼いちよくになっていたという側面そくめんもある。

また、「おたく」のかたり一般いっぱんひろまるよりもまえ編集へんしゅうないでパソコン、アニメきな少年しょうねんを「おたく」とんでおり、本誌ほんしは「おたく」のかたり一般いっぱんひろめた一角いっかくであった。ただし誌上しじょうではラジオ番組ばんぐみ三宅みやけ裕司ゆうじヤングパラダイス』を起源きげんとしている。

創刊そうかんごうから「ソフトログ」として海外かいがいソフトや関連かんれん書籍しょせき販売はんばいランキングを掲載けいさいしていた[1]国内こくないランキングもあつかっていたが、これは創刊そうかん当初とうしょの「世界せかいのコンピュータ動向どうこうる、つたえる」という姿勢しせいからまれたコーナーだった[1]。しかし当時とうじなにえばたのしめるのかという情報じょうほうにユーザーがわ渇望かつぼうしていた状況じょうきょうであり、とりわけゲームげランキングはその指標しひょうとなった[1]。のちには日本にっぽん国内こくないのランキングを優先ゆうせんするようになり[1]、こういったランキングデータ掲載けいさいは、派生はせいした『ファミ通ふぁみつう』にもがれていく。

発行はっこう部数ぶすう拡大かくだいとそれにともなう広告こうこくページの増加ぞうかによる誌面しめん肥大ひだいけて、1988ねん7がつ15にちごうからパソコン雑誌ざっしでは日本にっぽんはつつき2かいかん毎月まいつきだい1・3金曜きんよう発売はつばい)。雑誌ざっしめいから「月刊げっかん」がえ「ログイン」となる。

1992ねんまつころの誌面しめんリニューアルでは歴史れきし、ファンタジー、おわらい、科学かがくなど多岐たきわたるジャンルのもの読者どくしゃ投稿とうこうページが登場とうじょうゲーマーそうからの人気にんきあつめる。しかし20世紀せいきすえのパソコンゲーム人気にんき下落げらくなか断続だんぞくてき誌面しめんリニューアルがおこなわれ、1997ねんころには紙面しめん縮小しゅくしょうともなって話題わだい多面ためん読者どくしゃ投稿とうこう路線ろせん消滅しょうめつした。比較的ひかくてきオーソドックスなパソコンゲーム雑誌ざっしのスタイルが定着ていちゃくし1997ねん10がつ17にちごうをもってつき2かいかん終了しゅうりょうつぎごうはそこから2ヶ月かげつほどいて1998ねん1がつごうとして月刊げっかん毎月まいつき24にち発売はつばい)にもどる。

2000ねん4がつのアスキーからのエンターブレイン分社ぶんしゃにより、出版しゅっぱんもとがエンターブレインに移行いこうする。2005ねん12月時点じてん公称こうしょう部数ぶすうは5まんだったが、全盛期ぜんせいきいきおいをもどすことはかなわず、2008ねん5がつ24にち発売はつばい同年どうねん7がつごうもっ休刊きゅうかん同日どうじつよりニュースサイトLOGiNウェブマガジン」がプレ創刊そうかんし、6月24にち正式せいしきオープンした[2]最終さいしゅうごうにおいてかみのログインの集大成しゅうたいせい『カミログ(かり)』が年内ねんない発売はつばい予定よていとあったが、結局けっきょく発売はつばいされることはなかった。また、ウェブマガジンも2009ねん3がつ31にちぶんをもって更新こうしん終了しゅうりょうされた。

おもコンピューターゲーム攻略こうりゃくほんおもあつかう「LOGiN BOOKS」というレーベルをっている。アスペクトやエンターブレインが出版しゅっぱんするゲーム攻略こうりゃくほんのレーベルとして位置いちづけられ、PCゲームを中心ちゅうしんにコンシューマーゲームの攻略こうりゃくほんもラインナップされていた。ログイン本誌ほんし休刊きゅうかんして10ねんちかつ2017ねんにもKADOKAWA/エンターブレインが出版しゅっぱんするPCゲーム攻略こうりゃくほんのレーベルとしてラインナップされているほんがある[3]

本誌ほんし休刊きゅうかん現存げんそんする姉妹しまいには、ボーイズラブ乙女おとめゲーム情報じょうほうの『B's-LOG』(ビーズログ)がある。その現存げんそんしない姉妹しまい派生はせい関連かんれん項目こうもく参照さんしょう

オリジナルゲーム

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初期しょきころはオリジナルゲームのプログラムリストを巻末かんまつせていた。また読者どくしゃからの投稿とうこうゲームもけていた。『マイコンBASICマガジン』とくらべてかずすくないが、一本いっぽんあたりの規模きぼおおきく手間てまおおきいため『Tape LOGiN』というカセットテープ書店しょてん販売はんばいされていた。のちにソフトのだい容量ようりょうにあたり『Disk LOGiN』というフロッピーディスクわったが、こちらは通信つうしん販売はんばいのみ。また一部いちぶのソフトについてはソフトベンダーTAKERUでの販売はんばいおこなわれた。

優秀ゆうしゅう投稿とうこう作品さくひんたいする表彰ひょうしょうもあり、なかでもゲームシナリオがすぐれた作品さくひんあたえられる「堀井ほりいしょう」(堀井ほりい雄二ゆうじ由来ゆらい)、すぐれたプログラミング技術ぎじゅつもちいた作品さくひんあたえられる「木屋こやしょう」(当時とうじ日本にっぽんファルコム所属しょぞくだった木屋こや善夫ぜんぶ由来ゆらい)の2つは事実じじつじょう最高さいこうしょうとしてあつかわれたほか、どうしょうまではいたらないものの優秀ゆうしゅう作品さくひんには「佳作かさく」などの表彰ひょうしょうあたえられた。また受賞じゅしょうさくおおくは、前述ぜんじゅつ書店しょてんやパソコンショップとうでの販売はんばい対象たいしょうとなった。

つき2かいかんまえごろのリニューアルでオリジナルゲームや投稿とうこうゲームをあつかわなくなったため自然しぜん消滅しょうめつするが、の『コンテストパーク』や『テックウィンDVD』のもとになった。

おも特集とくしゅう一般いっぱん記事きじ

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プログラムオリンピック

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有名ゆうめいソフトハウスへのインタビューをおこなうとともに、ソフトハウスから提供ていきょうされたオリジナルのショートプログラム(おもにゲーム)を公開こうかいするという特集とくしゅう企画きかくオリンピックかんしているが競技きょうぎせいはまったくく、各地かくちから猛者もさつどうというてんをもってオリンピックと名付なづけられたようだ。

1984ねん10がつごう初出しょしゅつ。このとしロサンゼルスオリンピック開催かいさいねんである。その1985ねん10がつごう1986ねん10がつごう1987ねん10がつごう毎年まいとし10がつごう恒例こうれい行事ぎょうじとしておこなわれていたが、1988ねん10月7にちごうには「プログラムオリンピック特別とくべつへん しん・ソフトハウス紀行きこう」とだいして企画きかく内容ないようおおきく変更へんこうされる。特集とくしゅう記事きじから短期たんき連載れんさい形式けいしきわり、ショートプログラムの提供ていきょう消失きえうせわって編集へんしゅうしゃ出張しゅっちょう道中どうちゅう掲載けいさいされた。ソフトハウスの増加ぞうかつき2かいかん体制たいせいによりスケジュールが限界げんかいえてタイトになったことが路線ろせん変更へんこう原因げんいんおもわれる。以後いごこの形式けいしき毎年まいとしつづき、「プログラムオリンピック」の有名ゆうめい無実むじつしていった。

国際こくさい科学かがく技術ぎじゅつ娯楽ごらく年間ねんかん

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英名えいめいWorld Advanced Sci-Tech Entertainment Duodecimal略称りゃくしょうWASTEDウェイステッド)。1988ねん - 1999ねんの12年間ねんかんしめし、『ログイン』が独自どくじ提唱ていしょうした。WASTEDでは最新さいしん科学かがく技術ぎじゅつを(軍事ぐんじやビジネスユースではなく)娯楽ごらく利用りようすることを目的もくてきとし、『ログイン』はその広報こうほうとして様々さまざま情報じょうほう掲載けいさいするという体裁ていさいをとっている。

特集とくしゅう不定期ふていき連載れんさいかたちかれた記事きじおもにリアリティのある未来みらいのゲームの姿すがた予測よそく希望きぼうというかたち構成こうせいされており、CD-ROMCD-R隆盛りゅうせいCPU速度そくど記憶きおく装置そうち容量ようりょう進化しんか携帯けいたいがたデジタルオーディオプレーヤー液晶えきしょう携帯けいたいがたゲーム、リアルな世界せかいかんなか進行しんこうする自由じゆうたか明確めいかくなゴールのいゲーム(Grand Theft Autoシリーズひとし)、きわめて手軽てがるなネットワーク・マルチプレイゲーム、トランスルーセント(スケルトン)デザインのファッショナブルなマシンの出現しゅつげんiMacひとし)、など、現在げんざい実現じつげんされている技術ぎじゅつをかなりちかかたち予言よげんしたものもおおい(れいはいずれも1988ねん時点じてん予測よそく)。

1988ねん1がつごう初出しょしゅつ以後いご月刊げっかん初代しょだい時代じだい末期まっきつよすすめられたが、つき2かいかん移行いこう本誌ほんしのページすう減少げんしょうのためか記事きじすうり、1999ねんたず自然しぜん消滅しょうめつてき終了しゅうりょうした。

いあ〜んバカンス

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「いや〜ん、バカ〜ん」とからめた洒落しゃれ慰安いあん旅行りょこう毎年まいとしはるごろ恒例こうれい行事ぎょうじとして『ログイン』編集へんしゅうおこなわれ、そのたび本誌ほんし乱痴気騒らんちきさわぎの様子ようす報告ほうこくされた。名目めいもくじょう研修けんしゅう旅行りょこうだったが、実質じっしつてきには観光かんこう宴会えんかいおもであり、スタッフの増加ぞうかバブル景気けいき終焉しゅうえんにともないこういった大型おおがた慰安いあん研修けんしゅう旅行りょこうもよおされなくなった。類似るいじ企画きかくとして、編集へんしゅうないのクリスマスパーティーの報告ほうこく記事きじもある。

  • だい1かい - 1986ねん7がつごう「いあ〜ん、バカンス
  • だい2かい - 1987ねん9がつごう「ヤマログ-だいかいいあーんバカンス徹底てってい取材しゅざい
  • だい3かい - 1988ねん7がつ15にちごう緊急きんきゅう報告ほうこく! いあ〜んバカンスIII 〜あい研修けんしゅう鴨川かもがわ〜」
  • だい4かい - 1989ねん6月16にちごうだい64かい伝統でんとうのいあ〜んバカンス記念きねん LOGiN ファミコン通信つうしん MSXマガジン3合同ごうどう 富士山ふじさんにちなんで"コケコッコ"企画きかく たのしかった研修けんしゅう旅行りょこうをふりがえって」

いぬ戦略せんりゃく

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1988ねん4がつごう掲載けいさいされた記事きじいぬ戦略せんりゃくとは『だい戦略せんりゃくIIエディタセット』を利用りようしてつくられた、ぜんユニットがいぬ構成こうせいされた『だい戦略せんりゃく』のことである。

たんなる洒落しゃれであるが、このためだけにユニットぜん20あたま)のグラフィックとパラメータ設定せっていいぬかおしたマップがつくられ、オールカラー4ページにわたる紹介しょうかい記事きじかれた。ただしこれには1987ねん12がつごう開催かいさいされた「だい戦略せんりゃくIIエディタセットコンテスト」に真面目まじめすぎる作品さくひんばかりが応募おうぼされてきたことにたいして、ここまでふざけた作品さくひんがあってもいというはんしめいちめんもあったとされる。

おも定例ていれいページ

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ヤマログ

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『ログイン』を代表だいひょうするおわら記事きじのひとつ。すうにわたり連載れんさい開始かいし最終さいしゅうかいかえし、おおきく3分類ぶんるいされる。すべてのヤマログは編集へんしゅうしゃ金井かない哲夫てつお中心ちゅうしんとなって編集へんしゅうされており、金井かないおけララ次郎じろういわがねピピきちだい金盥かなだらいやまピーター太郎たろう吉田よしだ金盥かなだらい鉄五郎てつごろう、ピート・だい金盥かなだらいさんなどの偽名ぎめい積極せっきょくてき使用しようした。

だい1 ログイン秘密ひみつ情報じょうほう(ヤマログ)

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1985ねん6がつごう - 1986ねん12がつごう当時とうじ『ログイン』編集へんしゅう南青山みなみあおやまにあったことから、屋号やごうヤマログ」とされた。投稿とうこう募集ぼしゅうは1985ねん4がつごうからおこなわれているがこの時点じてんでは具体ぐたいてき企画きかくなにまっておらず、具体ぐたいてき活動かつどう内容ないよう募集ぼしゅうされている。

当面とうめん目標もくひょうとして世界せかい征服せいふくかかげられていたが実質じっしつてきには読者どくしゃ編集へんしゅう何事なにごとかをなす、あるいは交流こうりゅうふかめるといった目的もくてきおもである。内容ないようてきにはかくコーナーへの読者どくしゃ投稿とうこう主体しゅたい一般いっぱんてき雑誌ざっし読者どくしゃ投稿とうこうページにちかかったが後半こうはんになると募集ぼしゅういコーナーや募集ぼしゅうはしても掲載けいさいされないまま企画きかく内容ないようわるコーナーがえ、純粋じゅんすい編集へんしゅうしゃのおふざけ記事きじという性格せいかくつよくなっていく。秘密ひみつ情報じょうほうという体裁ていさいのため投稿とうこうしゃは「部員ぶいん」としてあつかわれ、掲載けいさいしゃ全員ぜんいんくみ(「ゆりぐみ」「すずらんぐみ」など)と番号ばんごうあたえられた。

おもなコーナー・企画きかく以下いかとおり。

  • ひらき記念きねんだいクイズ - 1985ねん6がつごう公募こうぼ。「いつもあかるいぼくらの雑誌ざっし 月刊げっかんロ○○ン は毎月まいつき8にち発売はつばい」の○○をめる問題もんだいだが、「ログイン」は正解せいかいとされた。
  • 入団にゅうだん検定けんてい試験しけん - 1985ねん7がつごう公募こうぼ同年どうねん9がつごう模範もはん解答かいとう発表はっぴょう主要しゅよう科目かもく試験しけん問題もんだいをパロディしたきわめてふざけた問題もんだいぶん特徴とくちょう成績せいせき優秀ゆうしゅうしゃ抽選ちゅうせんによってえらばれた。
  • インデアンもちつかない - 1985ねん11がつごうから公募こうぼ読者どくしゃまち面白おもしろ情報じょうほう募集ぼしゅうするコーナー。いわゆるへんなおじさんの情報じょうほうおおせられたが、編集へんしゅう本意ほんいではなかったとされる。タイトルに意味いみい。
  • ログイン秘密ひみつ情報じょうほう手帳てちょう - 規約きやくなどをしるした手帳てちょうのページを掲載けいさいし(1985ねん11がつごう-1986ねん5がつごう)、読者どくしゃはそれを裁断さいだん製本せいほんして手帳てちょうかたちまとめるという企画きかく。ヤマログ掲載けいさいしゃ全員ぜんいんには手帳てちょう表紙ひょうしおくられたが、発送はっそうはヤマログ最終さいしゅうかいぎてからおこなわれた。
  • ういやつじゃ、ちこうよれ - 1986ねん3がつごうから公募こうぼ。ヤマロググッズのデザインやアイデアなど、企画きかくあん募集ぼしゅうするコーナー。当時とうじ人気にんきのあった#ぽげむたマーク意匠いしょう使つかった安易あんいあんおおく、コーナーとしてはがらなかった。
  • からだのしんぴ - 1986ねん6がつごう-7がつごう科学かがくてき裏付うらづけをともなわない、雑学ざつがくてき人体じんたい特殊とくしゅなはたらきについて募集ぼしゅうするコーナーだったが、読者どくしゃ投稿とうこうとどくよりはや中断ちゅうだんされ「外人がいじん神秘しんぴ」コーナーへ転向てんこうした。
  • 外人がいじん神秘しんぴ - 1986ねん8がつごうから公募こうぼ文化ぶんか人類じんるいがくてき視点してんから外国がいこくじん行動こうどう瑣末さまつ特徴とくちょう募集ぼしゅうするコーナーで、募集ぼしゅうしたまま以後いご掲載けいさいされることかった。
  • わだち馬車ばしゃよね(わだちばしゃよね)- 1986ねん8がつごう掲載けいさいおけララろうさくとされる小説しょうせつ五十路いそじむかえた平凡へいぼん馬鹿ばかげいわがねピピきち秘密ひみつ情報じょうほう結成けっせいへの壮大そうだい決意けついえが連載れんさい歴史れきし小説しょうせつで、1完結かんけつした。
  • おゲーム建立こんりゅうまんねん(おゲームこんりゅうしまんねん)- 1986ねん10がつごうから公募こうぼ。ゲームのタイトル決定けっていからはじまり開発かいはつ、パッケージ販売はんばいまですべてをヤマログ部員ぶいんおこなうという壮大そうだい企画きかくで、タイトルを募集ぼしゅうした段階だんかい終了しゅうりょうした。
  • 宇宙うちゅうあおやま - 1986ねん9がつごう-12月ごうにわたり、ヤマログのページの一部いちぶ一文いちぶんだけまぎかたち掲載けいさいされた連載れんさい小説しょうせつ文字数もじすう総計そうけい121最終さいしゅうばなしはじめてタイトルがあきらかになった。
  • こんちはー日本一にっぽんいちですよーん - 1986ねん10がつごうから公募こうぼ。タイトルは「こんにちはー日本一にっぽんいちですよーん」の場合ばあいも。読者どくしゃ自分じぶんこそが日本一にっぽんいちだと自慢じまんできること募集ぼしゅうするという趣旨しゅしよそおい、実際じっさいはナンセンス記事きじ今月こんげつのベスト10」をくためにつくられたコーナー。今月こんげつのベスト10には「スチュワーデス」「書店しょてんた」「5000〜10000えん」「ある」とうの、アンケート(なんのアンケートかはさだかではない)で上位じょういであろう言葉ことば無意味むいみならべられている。
  • 海獣かいじゅうただしい見分みわけかたマニュアル - 1986ねん12がつごう掲載けいさい。このかいはヤマログの最終さいしゅうかいである。アシカアザラシひとし海獣かいじゅうただしい見分みわけかたを説明せつめいした学術がくじゅつてき記事きじ

だい2 ヤマログ

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1987ねん5がつごう - 1988ねん7がつごう(プレ連載れんさいは1987ねん4がつごう)。本誌ほんしつき2かいかんともな終了しゅうりょうした。YAMALOG表記ひょうきすることも。

従来じゅうらい読者どくしゃコーナーである'READER'S LOG'ないぜん記事きじ併呑へいどんするかたちはじまった。おたよりコーナー'LETTERS'の実質じっしつてき後継こうけいでもある。だい1ヤマログにられた読者どくしゃ投稿とうこうたいする評価ひょうかきびしさがゆるめられ、読者どくしゃにとってしたしみやすいページとなった。一方いっぽう欄外らんがいのおらせやリードぶんなどこまかい場所ばしょにはナンセンスなギャグがちりばめられ、全体ぜんたいのトーンとしては渾沌こんとんとしたシュールな空間くうかんだった。読者どくしゃアンケートで特集とくしゅうおさ人気にんきだい4にランクインしたこともある[4]

連載れんさい後期こうきにあたる1988ねん2がつごうから、したしみやすさをなかば放棄ほうきしてナンセンス思想しそう「パカパカ」を提唱ていしょうぜんページにわたりパカパカてき表現ひょうげん誌面しめん席巻せっけんするようになる。パカパカが具体ぐたいてきにどのような思想しそうなのかは最後さいごまで説明せつめいされなかったが、これはパカパカが非常ひじょう感覚かんかくてきなものであり文脈ぶんみゃくった定義ていぎ困難こんなんなためであろう。パカパカとはなにかをかんがえる「パカパカ論文ろんぶん」のれい[5]には、「世界せかいにとってパカパカとはレレレラーメンのなかにカエルがわたしのほほをなであっとおどろくべきことなかれ、うま背中せなかはシュポシュポラララカメさん」とある。

主筆しゅひつ金井かないほかにメインライターに伊藤いとうガビンくわわっている。うらないじゅつ福田ふくだゆうよいえきうらない全編ぜんぺんつうじて掲載けいさいされた内田うちだ美智子みちこのイラストも特徴とくちょう

おもなコーナー・企画きかく以下いかとおり(とく開始かいしごう記述きじゅつ記事きじだい1かいからの掲載けいさい)。

  • おゲーム建立こんりゅうしておくねん(おゲームこんりゅうしておくねん)- だい1ヤマログの「おゲーム建立こんりゅうまんねん」の正統せいとう後継こうけいコーナー。当時とうじからの懸案けんあんだったゲームタイトルはおゲーム建立こんりゅうまんねん当時とうじ優秀ゆうしゅうタイトルあんから単語たんご形容詞けいようしわせ『ヤマログの復活ふっかつはうそだった!! ほしえた勇者ゆうしゃインデアン鹿しかと、なやめる啓蒙けいもうだい冒険ぼうけんなぞゲーム。うま&鹿しか物語ものがたりII』に決定けっていした。そのゲームシナリオ・システムを募集ぼしゅうした段階だんかい頓挫とんざ
  • パズルするのだ - きゅう'PUZZLE'コーナーの後継こうけいで、きゅうコーナーの数学すうがくパズルてき難易なんいたか内容ないよう対照たいしょうてき間違まちがさがのような参加さんかしやすい内容ないよう変更へんこうされた。ヤマログ中盤ちゅうばん以降いこうは、ひとつのなか論理ろんりてきあるいは倫理りんりてき間違まちがっているてんさがすというスタイルになる。パカパカ以降いこうはタイトルを「ヤマログクイズ」「おクイズ」とえ、「おかしいところさがし」「トリックっぽいものさがし」ひとしのより意味いみ内容ないよう変化へんかしていった。
  • ぎゃく質問しつもん電話でんわ - いわゆる質問しつもん電話でんわ反対はんたいに、編集へんしゅうから読者どくしゃ突然とつぜん電話でんわインタビューをするという企画きかく
  • パソコンおもしろ生物せいぶつだい募集ぼしゅう - きゅう「パソコンおもしろ人物じんぶつだい募集ぼしゅう」の後継こうけいコーナー。編集へんしゅうしゃ加川かがわりょう田中たなかパンチ)のまぐれでたびたび内容ないよう変更へんこうされた。おも企画きかくは「1分間ふんかんイラスト」「あくのプログラム」「うた」など。企画きかく内容ないよう同様どうようにタイトルも変更へんこうかさねており、正確せいかく推移すいい以下いかとおり。
    • 新星しんせい 改正かいせい パソコンおもしろ生物せいぶつだい募集ぼしゅう(1987ねん5がつごう
    • 改正かいせい 新星しんせい パソコンおもしろタンパク質たんぱくしつだい募集ぼしゅう(1987ねん6がつごう
    • 新星しんせい 改正かいせい パソコンおもしろアミノ酸あみのさんだい募集ぼしゅう(1987ねん7がつごう
    • 新星しんせい 改正かいせい パソコンおもしろDNAだい募集ぼしゅう(1987ねん8がつごう
    • おもしろパンツ人間にんげんだい募集ぼしゅう(1987ねん9がつごう。この時点じてんで1ページから欄外らんがい縮小しゅくしょうされる)
    • パソコンどどいつだい募集ぼしゅう(1987ねん10がつごう欄外らんがい2ページに拡大かくだい
    • パソコンおもしろドイツ&うただい募集ぼしゅう(1987ねん12がつごう
    • パソコンおもしろドイツ&うた&大江戸おおえど歌合戦うたがっせんだい募集ぼしゅう(1988ねん2がつごう。このころから徐々じょじょ欄外らんがいスペースがひろがっていく)
    • パソコンおもしろドイツ&うた&大江戸おおえど歌合戦うたがっせん地口じぐちだい募集ぼしゅう(1988ねん2がつごう
    • パソコンおもしろドイツ&うた&なんたらかんたらパカパカピロピロだい募集ぼしゅう(パロディーばん)(1988ねん4がつごう。このごうで1ページに拡大かくだいされる)
    • 面白おもしろ特集とくしゅうきミニコンおもしろOAパカパカうた&地口じぐち 恐竜きょうりゅう100まんねんだい募集ぼしゅう(1988ねん5がつごうはんページに縮小しゅくしょうされる)
    • オフコンおもしろABパカパカうた&地口じぐちだい募集ぼしゅう(1988ねん6がつごう欄外らんがいもどる。これが事実じじつじょう最終さいしゅうかいとなった)
  • どーもどーもどーも - きゅう'DOMO DOMO'コーナーの後継こうけい毎月まいつき編集へんしゅうスタッフが1人ひとり自腹じばら読者どくしゃプレゼントするコーナーできゅうコーナーからの変更へんこうはほとんどい。スタッフのインタビュー記事きじねており、ひょうことすくないタイプのスタッフの素顔すがおがのぞけるというめんもあった。
  • 星座せいざさい構築こうちくだい作戦さくせん - 1987ねん7がつごうから公募こうぼ初回しょかいのみ「星座せいざさい構築こうちくしょう作戦さくせん」)。星座せいざ現代げんだいてき視点してんから、かりやすい内容ないようあらためるというコーナー。いて背面はいめんなど。
  • ヤマログおポインツだい作戦さくせん - 1987ねん10がつごうから開始かいし優秀ゆうしゅう投稿とうこうしゃにおポインツ(得点とくてん)があたえられ、1988ねん9がつごう時点じてん合計ごうけい得点とくてんもっとたかかったものX68000がプレゼントされるという企画きかく。1988ねん9がつごうよりさき本誌ほんしつき2かいかんとヤマログ最終さいしゅうかいむかえるという事態じたい見舞みまわれるが、この企画きかくのみ'Letters FROM YOU'のページない存続そんぞくするというかたちこときをた。受賞じゅしょうしゃ投稿とうこうしゃ時代じだい忍者にんじゃ増田ますだ当時とうじ本名ほんみょう投稿とうこう)。
  • おゲーム建立こんりゅうしてよんねん(おゲームこんりゅうしてよねん)- 1988ねん1がつごうから公募こうぼ。「おゲーム建立こんりゅうしておくねん」にわる企画きかく以前いぜん壮大そうだいすぎた計画けいかくをいったんはいして、個人こじんレベルでつくられたゲームを募集ぼしゅうするというスタイルに修正しゅうせいされている。とく応募おうぼいまま最終さいしゅうかいむかえた。
  • なんでもTOP10 - 1988ねん4がつごうから公募こうぼだい1ヤマログにおける「今月こんげつのベスト10」とほぼ同一どういつ内容ないようで、誌面しめんのパカパカとともに再生さいせいされた。

だい3 ヤマログ+、ヤマログ90

[編集へんしゅう]

1989ねん9月15にちごう - 1990ねん5月4にちごう(プレ連載れんさいは1989ねん8がつ17にちごう。また、最終さいしゅうかいよくごうである1990ねん6月1にちごうには特別とくべつへん「ヤマログ解散かいさん記念きねん 緊急きんきゅう雑談ざつだん!」が掲載けいさいされている。これは最終さいしゅうかいがあまりに突然とつぜん編集へんしゅうないでもページ調整ちょうせいができなかったため)。

タイトルは「ヤマログ+」(ヤマログプラス)だったが、'90年代ねんだい最初さいしょのログインである1990ねん1がつ5にちごうから「ヤマログ90」に変更へんこうされた。またヤマログ+はヤマログPluすヤマログプラすひとし表記ひょうきされることもある。

だい1ヤマログ末期まっきだい2ヤマログのパカパカのようなナンセンスユーモアが初回しょかいから徹底てっていしてつらぬかれているのが特徴とくちょうで、ほとんどのコーナーは葉書はがき募集ぼしゅうをしていないか、募集ぼしゅうしていてもりで掲載けいさいさき存在そんざいしないか、掲載けいさいされていてもおおくの場合ばあい編集へんしゅうしゃ捏造ねつぞうだった。

メインライターはだい2つづ金井かない伊藤いとう。3つうじてヤマログの精神せいしんてき支柱しちゅうだった金井かないのアスキー退社たいしゃにより、これが最後さいごのヤマログとなった。

連載れんさいされていたおもなコーナーは以下いかとおり。

  • 馬車ばしゃいななきゃなおらない(ばしゃはいななきゃなおらない)- 期間きかんちゅう不定期ふていき連載れんさいおけララろうさくとされる連載れんさい小説しょうせつで、いわれ良心りょうしん呵責かしゃくにさいなまれる主人公しゅじんこうがんかねピピきちしんうごきとかれたずねた異常いじょうなが名前なまえおとこ名前なまええがいたもの。なお、この小説しょうせつだい1ヤマログの最終さいしゅうかい直前ちょくぜん連載れんさい予告よこくされていた(1986ねん10がつごう)。
  • こんにちはヤマログちゃん - 1989ねん12月1にちごうから公募こうぼ読者どくしゃのおたよりを掲載けいさいするコーナーであるが、しばしばあきらかに編集へんしゅうしゃによる捏造ねつぞうかる投稿とうこう意図いとてき掲載けいさいされた。

バカチンこく

[編集へんしゅう]

1992ねん5月1にちごう〜1996ねん9がつ20日はつかごう。ヤマログと双璧そうへきをなす代表だいひょうてきわら記事きじだい3ヤマログてきなナンセンスユーモアによる企画きかくページと、とくにテーマを限定げんていしない比較的ひかくてき自由じゆう読者どくしゃ投稿とうこうページのわせによってつ。

メインライターは松本まつもと隆一りゅういち(ステルス松本まつもと松本まつもと大王だいおう)、高橋たかはし義信よしのぶ高橋たかはしピョンふとし)、澤村さわむらけん(サワノフ)、増田ますだあつし忍者にんじゃ増田ますだ)ら。増田ますだは『ファミ通ふぁみつう編集へんしゅうへの異動いどうにより中途ちゅうと脱退だったい末期まっきには常連じょうれん投稿とうこうしゃから編集へんしゅうしゃ採用さいようした近藤こんどう健之けんし(ばけゆき)がくわわる。

おもなコーナー・企画きかく以下いかとおり。

  • だい募集ぼしゅう - あてさきしるすコーナーであるが、スペースの大半たいはん募集ぼしゅう関係かんけい内容ないようめられていた。後期こうきにはあてさきかれないこと大半たいはんだった。
  • おたよりだい募集ぼしゅうだい合戦かっせん - 編集へんしゅうのマッチメイクにより常連じょうれん投稿とうこうしゃ同士どうし投稿とうこう優劣ゆうれつきそわせ、トーナメント形式けいしき優勝ゆうしょうしゃ決定けっていする企画きかく類似るいじ企画きかくに「チーム対抗たいこうおたよりだい合戦かっせん」「しん・おたよりだい募集ぼしゅうだい合戦かっせんとうがある。
  • べったらシリーズ - 松本まつもとによる4コマ漫画まんが。『べったら課長かちょう』『べったらホラガイさん』とう。『サザエさん』や『フジ三太郎さんたろうとう古典こてんてき4コマ漫画まんがのパロディーとなっており、しばしば銃殺じゅうさつによりちがついた。
  • 最終さいしゅうかい - 1993ねん12月17にちごう特集とくしゅう連載れんさい最終さいしゅうかいして編集へんしゅうされ、よく1994ねん1がつ7にちごうからは何事なにごとかったかのように通常つうじょう連載れんさいつづけられた。

らなかったほうがよかった世界せかい

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げてものしょく寄生虫きせいちゅう様々さまざまタバコなど、一般いっぱん敬遠けいえんされがちなネタや極端きょくたんにマイナーなテーマを真面目まじめ考察こうさつする不定期ふていき連載れんさいつね最後さいごは「あなたのらなかったほうがよかった世界せかいはまだまだあるのです…」の言葉ことばめくくられた。メインライターは三宅みやけ貴久たかひさ

べーしっきみ

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荒井あらい清和きよかずによる連載れんさい4コマ漫画まんが詳細しょうさいは『べーしっきみ』のこう参照さんしょう

ファミコン通信つうしん

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1985ねん3がつごう - 1986ねん12がつごうファミリーコンピュータようゲームの紹介しょうかい攻略こうりゃくページ。「ビデオゲーム通信つうしん」の姉妹しまいページとして開設かいせつされ、連載れんさい当初とうしょはビデオゲーム通信つうしんないの1コーナーという位置付いちづけだった。

1986ねん6がつほん連載れんさいのスタッフを中心ちゅうしんとしてしん雑誌ざっしファミコン通信つうしん創刊そうかん以後いご連載れんさいつづくが縮小しゅくしょう傾向けいこうとなり、同年どうねん12がつごう連載れんさい終了しゅうりょうした。なお、「ビデヲ(「ビデオ」ではい)ゲーム通信つうしん」も雑誌ざっしファミ通ふぁみつう』に移籍いせきしている。

メインライターは塩崎しおざきつよしさんひがし府屋ふやファミぼう)、水野みずのしん水野みずの店長てんちょう)、上野うえの利幸としゆき(ゲヱセン上野うえの)ら。雑誌ざっし「ファミコン通信つうしん」2代目だいめ編集へんしゅうちょう塩崎しおざきである(初代しょだい編集へんしゅうちょう当時とうじのログイン編集へんしゅうちょうでもあった小島こじま文隆ふみたか)。

MSX通信つうしん

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1986ねん5がつごう - 1988ねん5がつごうMSXようゲームの紹介しょうかい攻略こうりゃくページ。略称りゃくしょうは「Mどおり」。「ビデオゲーム通信つうしん」の姉妹しまいページとして開設かいせつされた。

攻略こうりゃく記事きじ充実じゅうじつ反面はんめん、ページないにはゲームとまった無関係むかんけい冗談じょうだん・イラストが異常いじょうおおく、『ログイン』ないでも特殊とくしゅ存在そんざいかんしめしたページだった。この編集へんしゅう姿勢しせい評価ひょうかされ人気にんきたかく、当時とうじの『ログイン』連載れんさい記事きじでは異例いれい別冊べっさつ付録ふろくされたこともあった。

メインライターは加川かがわりょう田中たなかパンチ)、伊藤いとうガビンアルト鈴木すずき加川かがわのちMSXマガジン編集へんしゅう異動いどう同誌どうし編集へんしゅうちょうになる。イラストレーターはさくら玉吉たまきち

紹介しょうかいゲームソフト

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用語ようご・エピソード

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めい由来ゆらい

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コンピュータ用語ようごログイン由来ゆらい本来ほんらいめいは「ログオン」(LOG・ON)の予定よていだったが、出版しゅっぱん直前ちょくぜんになってアメリカ出張しゅっちょうちゅう西にし和彦かずひこ当時とうじアスキー社長しゃちょう)から当時とうじ主力しゅりょく32bitコンピュータVAX-11ではログイン(Login)としょうするとの指摘してきがあり、急遽きゅうきょ現在げんざいめい変更へんこうされた。創刊そうかん以前いぜん有力ゆうりょくめい候補こうほには「アスキー・ジュニア」(AJ)というげられていたとされる[6]

なおめいロゴで'i'の文字もじのみが小文字こもじになっているのはデザインじょうかざりで、ふか意味いみはないとされる。そのためか『ログイン』本誌ほんしでも英語えいご表記ひょうきは'LOGiN'以外いがいに'LOG IN'、'Login'、'LOGIN'など一定いっていしていない。

ぽげムたビゲなみょ〜ん!!

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感嘆かんたんのぞいてぽげムたビゲなみょ〜ん、あるいは波線はせん使つかわずぽげムたビゲなみょーんとも。初出しょしゅつは1984ねん10がつごう「おたより LETTERS CORNER」に掲載けいさいされた読者どくしゃ投稿とうこう本来ほんらいまったく意味いみのないナンセンスな投稿とうこうだったとおもわれるが、これをった編集へんしゅうしゃ河野こうの金井かないら)により一種いっしゅ感嘆かんたんとしてたびたび誌上しじょう使つかわれた。

ぽげムたマーク

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写植しゃしょく記号きごう BA-90

男性だんせい笑顔えがおえがいたマーク。おもにふざけた様子ようす、ナンセンスな状態じょうたい表現ひょうげんするさい使つかわれた。うつしけん写植しゃしょく記号きごう BA-90 を原型げんけいとし、頭頂とうちょうにSがたを1ほんやした意匠いしょうとなっている(のカーブの角度かくど方向ほうこう画像がぞうによって一定いっていしていない)。

初出しょしゅつは1985ねん1がつごう「おたより LETTERS CORNER」の編集へんしゅうしゃ回答かいとうだが、その前月ぜんげつの1984ねん12がつごう「ログイン編集へんしゅうの1ヵ月かげつげき公開こうかい!」でも「ぽげムたビゲなみょーん」の言葉ことばのちに△や☆とう記号きごうじって写植しゃしょく記号きごう BA-90 が使つかわれており、このわせからぞくに「ぽげムたマーク」とばれるようになった。ぽげムたとも。

がびんちょんぶー

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ぽげムたビゲなみょ〜ん!!と同様どうようのナンセンスな感嘆かんたん。1985ねん8がつごう「おたより LETTERS CORNER」に掲載けいさいされた、ぽげムたビゲなみょ〜ん!!にわる感嘆かんたん提案ていあん初出しょしゅつ

『ログイン』のライターをつとめた伊藤いとうガビン本名ほんみょう伊藤いとう雅敏まさとし(いとうまさとし))が由来ゆらいでもある。

のえのえぷー

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のえのえぷうとも。ぽげムたビゲなみょ〜ん!!、がびんちょんぶーに意味いみ感嘆かんたんだが、その歴史れきしはよりふるい。編集へんしゅうしゃ加川かがわりょう新人しんじん時代じだい実行じっこうした、PC-6001mkII音声おんせい合成ごうせい機能きのう使用しようして深夜しんや編集へんしゅう奇声きせいはっさせるという悪戯いたずらはしはっするとされる[7]

小島こじま文隆ふみたかによる未完みかん文学ぶんがく小説しょうせつ仮題かだい『のえのえぷーになつた』の語源ごげんでもある。

ウルティマ・アルティマ論争ろんそう

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海外かいがいさんコンピュータRPGUltima』を日本語にほんご表記ひょうきするにあたって、「ウルティマ」とすべきか「アルティマ」とすべきかの論争ろんそう

本来ほんらい'ultima'の英語えいご発音はつおんは「アルティマ」である(すくなくともそれに非常ひじょうちかい)が、制作せいさくしゃリチャード・ギャリオット自身じしんラテン語らてんごの'ultima'をイメージしてラテン語らてんごふうに「ウルティマ」と発音はつおんしていた。担当たんとう編集へんしゅうしゃ金井かない哲夫てつおはリチャード・ギャリオットのインタビューでいた発音はつおんもとに「ウルティマ」と表記ひょうきしたが、この経緯けいいらない読者どくしゃ他誌たしからは誤謬ごびゅうであると非難ひなんされ、経緯けいい説明せつめいがなされたのち論争ろんそう沈静ちんせいしなかった。

1987ねん株式会社かぶしきがいしゃポニーによる日本語にほんごばんウルティマ『ウルティマIV』の発売はつばいにあたって、リチャード・ギャリオット本人ほんにん制作せいさく会社かいしゃであるオリジンしゃからポニーへ「ウルティマ」をただしい発音はつおんとする進言しんげんがあり、これをもって論争ろんそう決着けっちゃくとされた[8]以後いご発売はつばいされた日本語にほんごばんすべて「ウルティマ」で統一とういつされている。

どんどんおーぼ

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『ログイン』のマスコットキャラクターてき存在そんざい。1988ねん3がつごう「ヤマログ」にて、イラストの発注はっちゅうわすれたままいてしまったスペースに編集へんしゅうしゃわせでえがいた「どんどん応募おうぼわかころ」が原型げんけいである。まったく同様どうよう出自しゅつじつキャラクターに「べきであるある」がある(1988ねん7がつごう初出しょしゅつ)。

著名ちょめい常連じょうれん投稿とうこうしゃ

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漫画まんが志水しみずアキ無名むめい時代じだいに「さんこく時代じだい」を中心ちゅうしんにイラストを投稿とうこう当時とうじのペンネームは、白帆しらほまゆきち)、のちどう記事きじのイラストレーターとして抜擢ばってきされ商業しょうぎょうデビューした。

やはり漫画まんがすえひろし様々さまざま読者どくしゃ投稿とうこう記事きじ常連じょうれんで、どう時期じきに『コンプティーク』のイラストレーターとして商業しょうぎょうデビュー。その現在げんざいいたっている。

また、成人せいじん漫画まんがいえガビョぬのヤスイリオスケらはともに「バカチンこく」「あいのモザイク劇場げきじょうとう常連じょうれん投稿とうこうしゃ出身しゅっしんである。

ログタット

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1987ねん開設かいせつされたBBS。1987ねん7がつごう「きっとハヤるぜ!! ネットばん多人数たにんずうゲーム」からの派生はせい企画きかくにて着信ちゃくしん専用せんよう4回線かいせん使用しようしていた。廃止はいし時期じき不明ふめい

おチープざんす

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4がつまつ記念きねん読者どくしゃ参加さんか企画きかくとしてはじまるも扇情せんじょうてき言葉ことばあやしいページへと昇華しょうかすうかい掲載けいさいのち、アンダーウェア姿すがたのむさくるしいおとこにん被害ひがいしゃカップルを祝福しゅくふくするという狂気きょうき演出えんしゅつ企画きかく終了しゅうりょうした。

おも編集へんしゅうしゃ、ライター、製作せいさく協力きょうりょく

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ログインでは原則げんそくとして編集へんしゅうしゃライター兼任けんにんであり、おおくの記事きじ編集へんしゅうしゃ編集へんしゅう原稿げんこう執筆しっぴつ同時どうじにこなす。編集へんしゅうしゃらはさまざまなペンネーム使つかけるが、奥付おくづけでは原則げんそく全員ぜんいん本名ほんみょうせられていた。

歴代れきだい編集へんしゅうちょう

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  • 吉崎よしざきたけし酋長しゅうちょう)- 初代しょだい編集へんしゅうちょう
  • 宮崎みやざきしげるぶんまわしみやさん)- 2代目だいめ編集へんしゅうちょう技術ぎじゅつけい編集へんしゅうしゃ月刊げっかんアスキー編集へんしゅうちょう
  • 小島こじま文隆ふみたか - 3代目だいめ編集へんしゅうちょうつき2かいかん主導しゅどう
  • 河野こうのしん太郎たろう河野こうのマタロー)- 4代目だいめ編集へんしゅうちょう。「ウマシカコンビ」のシカ。
  • 新井あらいはじめ(ほえほえアライ)- 5代目だいめ編集へんしゅうちょう
  • 高橋たかはし義信よしのぶ高橋たかはしピョンふとし、髙橋ピョンふとしこうピョン)- プログラマー。6代目だいめ編集へんしゅうちょう
  • 青柳あおやぎ昌行まさゆき青柳あおやぎういろう)- 編集へんしゅうしゃ時代じだい歴史れきし総合そうごう記事きじ覇者はしゃへのみち」や歴史れきしけいゲームをおも担当たんとう。8代目だいめ編集へんしゅうちょう
  • アバター原田はらだ - 編集へんしゅうしゃ時代じだい海外かいがいゲームをおも担当たんとう。10代編集へんしゅうちょう

つき2かいかんよりもまえから活動かつどう

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つき2かいかん以後いご活動かつどう

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  • 松本まつもと隆一りゅういち(ステルス松本まつもと、マッチー松本まつもと)- 90年代ねんだい中期ちゅうきふく編集へんしゅうちょう
  • 増田ますだあつし忍者にんじゃ増田ますだ)- 常連じょうれん投稿とうこうしゃから編集へんしゅうしゃ採用さいよう
  • たけりゅう敦子あつこ
  • 川村かわむらハルト - 常連じょうれん投稿とうこうしゃから編集へんしゅうしゃ採用さいよう
  • 田川たがわラメおっと - 代表だいひょうさくは「あいの19ばんホール」。
  • 杉内すぎうち賢治けんじ(ウニ杉内すぎうち)- テレビゲームクラブ(通称つうしょう・テレクラ)担当たんとう
  • 櫛田くした理子さとこ(くしだナム)- 編集へんしゅうアルバイトをてライターとして独立どくりつ。フジテレビけいのクイズ番組ばんぐみ『カルトQ』に解答かいとうしゃとして出演しゅつえん
  • 松岡まつおか英樹ひでき松岡まつおかマッハごう松岡まつおかひできち)
  • 梅本うめもと幸孝ゆきたか - 競馬けいば記事きじなどを担当たんとう。90年代ねんだい中期ちゅうき編集へんしゅうデスク。
  • 三宅みやけ貴久たかひさ - 「らなかったほうがよかった世界せかい」や『三国志さんごくし関係かんけい記事きじ担当たんとう
  • 花塚はなつかひろしはなポン、エルビス花塚はなつか
  • 堀井ほりいひろし
  • 石原いしはらきよし(ぷりちー石原いしはら
  • 横田よこた義弘よしひろ
  • 日高ひだかたもつ(デービーだか
  • 仲丸なかまる真二しんじ(へんな仲丸なかまる
  • 嵯峨さが正行まさゆき
  • 村山むらやま誠一郎せいいちろう書店しょてん村山むらやま、ステキマン村山むらやま
  • 坂本さかもといぬかい - おも光栄こうえい歴史れきしゲームを担当たんとう
  • 大澤おおさわ良貴よしたかげん地雷じらいぎょ) - 『三国志さんごくし関係かんけい記事きじ担当たんとう。「さんこく時代じだい担当たんとう時代じだい志水しみずアキ末広すえひろ投稿とうこう採用さいようし、デビューの一端いったんになう。『ゲーム批評ひひょう』のような辛口からくち批評ひひょうコーナーを担当たんとうしたこともある(ログインでは創刊そうかん当初とうしょより「ゲームをけなさない」が編集へんしゅう姿勢しせいであり、大澤おおさわはこの姿勢しせい反発はんぱつしていた時期じきがある)。
  • 飯嶋いいじま玲子れいこ(ベラ飯嶋いいじま元祖がんそメガネっ)- 本誌ほんしではめずらしい、アスキーに新卒しんそつ正社員せいしゃいんとして入社にゅうしゃして本誌ほんし編集へんしゅう配属はいぞく
  • ハイサイ比嘉ひか地球ちきゅうくん。macintosh SE/30ユーザーの一味いちみちがおとこ。)
  • 土屋つちやタイツ(パンストくん)
  • 小笠原おがさわらまこと(オーガスさん、ステテコくん)- 編集へんしゅうアルバイトをてライターとして独立どくりつ
  • 笹川ささかわ達弥たつや会長かいちょう笹川ささかわ須田すだピンにそっくり))
  • 山内やまうちただしけい武将ぶしょうけい写真しゃしんひと。テレビゲームクラブ、所謂いわゆるテレクラにも寄稿きこう
  • 三須みす(MSX通信つうしん
  • 丸子まるこかおり - 編集へんしゅうアルバイトをてライターとして独立どくりつ
  • 辻村つじむら晴子はるこ(デザイナー)- つき2かいかんに「つじざいさん」として誌面しめんにたびたび登場とうじょう
  • 和光わこう陽子ようし(デザイナー)- 「バカチンこく」などを担当たんとう
  • 最終さいしゅう兵器へいき水科みずしな(カメラマン)
  • 八木沢やぎさわ(カメラマン)
  • 吉田よしだ(カメラマン)

宣伝せんでん活動かつどう

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マツダ・787B。前輪ぜんりんがわに「LoGin」のステッカーがってあるのがえる。

1982ねんよりル・マン24あいだレース参戦さんせんするマツダチームに協力きょうりょくし、ピットのレース分析ぶんせきようシステムを製作せいさくした。フェンダー部分ぶぶんちいさく「LoGin」のロゴステッカーがってあった。ちなみに1991ねんにはマツダ・787Bで総合そうごう優勝ゆうしょうした。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e さやわか『ゲーム雑誌ざっしガイドブック』(2019ねんさんさいブックス)14ぺーじ
  2. ^ 5がつまつ休刊きゅうかんのPCゲーム「LOGiN」、ウェブマガジンとして継続けいぞくINTERNET Watch、2008ねん4がつ15にち
  3. ^ 電子でんし書籍しょせきのみではあるが、テックジャイアン編集へんしゅう『ネオアトラス1469公式こうしきガイドブック (LOGiN BOOKS)』KADOKAWA/エンターブレイン、2017ねん5がつ26にち ISBNが付与ふよされたかみほんでは、テックジャイアン編集へんしゅう『みんなのA列車れっしゃこうPC 公式こうしきガイドブック (LOGiN BOOKS)』KADOKAWA/エンターブレイン、2016ねん12月15にちISBN 978-4047344389 
  4. ^ 1987ねん10がつごう発表はっぴょう
  5. ^ 1988ねん2がつごう掲載けいさい
  6. ^ 「ヤマログ」1987ねん6がつごう、280ぺーじより
  7. ^ 「YAMALOG-プロンキトおたよりザウルスの奇跡きせき」『ログイン』65ごう、アスキー、1988ねん、372ぺーじより
  8. ^ 「Garbage Collection-Ultima“ア・ウ”論争ろんそうついに決着けっちゃく」1987ねん4がつごう、297ぺーじより

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶサイト

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  • WebLOGiN - 2009ねん3がつ31にち以降いこうより、更新こうしん休止きゅうし
  • エンターブレイン公式こうしきHP - かつて「LOGiN Web Magazine」HPにてていたURLを晩年ばんねんでの親会社おやがいしゃ公式こうしきHPにあてなおしされた。
  • ファミコンの部屋へや - 「ぽげむたマーク」の詳細しょうさい文字もじ作成さくせい方法ほうほう辞書じしょ登録とうろくなど記載きさい