QF 1ポンド・ポンポン砲 ほう (英語 えいご : QF 1 pounder pom-pom gun )とはイギリス が開発 かいはつ した初期 しょき の37mm機関 きかん 砲 ほう である[ 2] 。本 ほん 砲 ほう は当初 とうしょ 歩兵 ほへい 砲 ほう としての役割 やくわり を担 にな い、後 のち には軽 けい 対空 たいくう 砲 ほう としてイギリスを始 はじ めとする数ヶ国 すうかこく で運用 うんよう された。
ハイラム・マキシム は1880年代 ねんだい の終 お わりにマキシム機関 きかん 銃 じゅう の口径 こうけい を拡大 かくだい する形 かたち で本 ほん 砲 ほう の原型 げんけい となる機関 きかん 砲 ほう を設計 せっけい した。本 ほん 砲 ほう は比較的 ひかくてき 長 なが い射程 しゃてい を有 ゆう していたが、これにより炸裂 さくれつ 弾 だん を使用 しよう する際 さい に適切 てきせつ な射程 しゃてい を判断 はんだん する必要 ひつよう があった。弾 たま 量 りょう は最低 さいてい でも0.88ポンド (400g)を要 よう したが、これは重量 じゅうりょう 400g以下 いか の爆発 ばくはつ 物 ぶつ を兵器 へいき として用 もち いることを禁 きん じた1868年 ねん のサンクトペテルブルク宣言 せんげん 及 およ びこの内容 ないよう を再 さい 確認 かくにん した1899年 ねん のハーグ陸戦 りくせん 条約 じょうやく が存在 そんざい したためであった[ 3] 。
初期 しょき の砲 ほう はマキシム・ノルデンフェルト銃器 じゅうき 弾薬 だんやく 会社 かいしゃ の商標 しょうひょう で販売 はんばい されていたが、1897年 ねん にヴィッカース会社 かいしゃ がマキシム・ノルデンフェルト社 しゃ を買収 ばいしゅう すると同社 どうしゃ (Vickers, Sons & Maxim )の商標 しょうひょう で販売 はんばい されることとなった。これらは実質 じっしつ 的 てき には同一 どういつ の兵器 へいき であった。
本 ほん 砲 ほう とポーズをとるオーストラリア人 じん 兵士 へいし 。南 みなみ アフリカ、1901年 ねん 頃 ごろ 撮影 さつえい 。
イギリス政府 せいふ は当初 とうしょ 本 ほん 砲 ほう の導入 どうにゅう を見送 みおく ったが、南 みなみ アフリカ共和 きょうわ 国 こく (トランスヴァール共和 きょうわ 国 こく )を含 ふく む他国 たこく では本 ほん 砲 ほう を購入 こうにゅう する国 くに が存在 そんざい した。第 だい 二 に 次 じ ボーア戦争 せんそう においてイギリス軍 ぐん はドイツ 製 せい の弾薬 だんやく を用 もち いたマキシム・ノルデンフェルト型 がた の37mm機関 きかん 砲 ほう によるボーア兵 へい の攻撃 こうげき が効果 こうか 的 てき であることを認 みと めることとなった。
これに対抗 たいこう するためにイギリスのヴィッカース社 しゃ は50もしくは57門 もん [ 4] の1ポンド砲 ほう を南 みなみ アフリカのイギリス陸軍 りくぐん にむけて輸送 ゆそう し、最初 さいしょ の3門 もん は1900年 ねん 2月 がつ のパールデベルクの戦 たたか い (英語 えいご 版 ばん ) の際 さい に到着 とうちゃく した[ 5] 。これら初期 しょき のMk.I型 がた は主 おも に野砲 やほう 型 かた の砲車 ほうしゃ に搭載 とうさい された。
第 だい 一 いち 次 じ 大戦 たいせん において、本 ほん 砲 ほう は軽 けい 対空 たいくう 砲 ほう として初期 しょき のイギリス本土 ほんど 防空 ぼうくう を担当 たんとう した。この任務 にんむ のためにMk.I+++及 およ びMk.II基 もと 筒 とう 式 しき 高角 こうかく 砲 ほう 架 か が開発 かいはつ され、ロンドン の港 みなと や重要 じゅうよう 建築 けんちく 物 ぶつ の屋上 おくじょう 、更 さら には移動 いどう 式 しき の台車 だいしゃ に搭載 とうさい されて東 ひがし イングランドや南東 なんとう イングランドの重要 じゅうよう な都市 とし に配備 はいび された。1914年 ねん 8月 がつ の時点 じてん で25門 もん が使用 しよう されており、1916年 ねん 2月 がつ には50門 もん に増加 ぞうか した[ 6] 。このページの諸 しょ 元 もと 表 ひょう の画像 がぞう にある海軍 かいぐん 型 がた の基 もと 筒 とう 式 しき 砲 ほう 架 か に載 の せられたMk.II型 がた は第 だい 一 いち 次 じ 大戦 たいせん におけるロンドン防空 ぼうくう で最初 さいしょ に射撃 しゃげき を行 おこな った砲 ほう である[ 1] 。しかしながら本 ほん 砲 ほう の小 しょう 口径 こうけい の砲弾 ほうだん ではドイツのツェッペリン 飛行船 ひこうせん を撃墜 げきつい できるだけの十分 じゅうぶん な損傷 そんしょう を与 あた えるには威力 いりょく 不足 ふそく であった[ 7] 。1922年 ねん にイギリス軍需 ぐんじゅ 省 しょう は「ポンポン砲 ほう の価値 かち は非常 ひじょう に限 かぎ られたものであった。本 ほん 砲 ほう は榴散弾 だん を用 もち いることができず、また通常 つうじょう 弾 だん は羽布 はぶ 張 は りの航空機 こうくうき に砲弾 ほうだん が命中 めいちゅう しても布 ぬの の部分 ぶぶん では炸裂 さくれつ することなく貫通 かんつう してしまい地表 ちひょう に落下 らっか してしまった。ロンドンを爆撃 ばくげき するツェッペリンが低 ひく い高度 こうど を飛 と んでいる場合 ばあい を除 のぞ いて本 ほん 砲 ほう が効果 こうか を発揮 はっき できる場面 ばめん はまったく無 な かった。」と書 か いている[ 8] 。
それにもかかわらず、イギリス第 だい 3軍 ぐん 第 だい 2高射 こうしゃ 班 はん に所属 しょぞく していたO.F.J ホッグ中尉 ちゅうい は1914年 ねん 9月 がつ 23日 にち にフランス で75発 はつ の砲弾 ほうだん を発射 はっしゃ し、全 ぜん 軍 ぐん 初 はつ となる敵 てき 機 き 撃墜 げきつい 戦果 せんか を挙 あ げることとなった[ 9] 。
第 だい 一 いち 次 じ 大戦 たいせん においてイギリス軍 ぐん は本 ほん 砲 ほう を歩兵 ほへい 砲 ほう として運用 うんよう することはなかった。本 ほん 砲 ほう の小 ちい さな砲弾 ほうだん ではいかなる目標 もくひょう や施設 しせつ に対 たい しても効果 こうか が少 すく ないと考 かんが えられており、またイギリス軍 ぐん の戦術 せんじゅつ ではQF 13ポンド砲 ほう やQF 18ポンド砲 ほう による榴散弾 だん 射撃 しゃげき が中距離 ちゅうきょり における対 たい 歩兵 ほへい 戦闘 せんとう の主力 しゅりょく になるとしていたためである。
軽量 けいりょう のMk.IIIを航空機 こうくうき に搭載 とうさい して航空 こうくう 機関 きかん 砲 ほう として用 もち いようという試 こころ みがなされたが、限 かぎ られた成果 せいか しか得 え ることができなかった。そして軽 けい 対空 たいくう 砲 ほう としての本 ほん 砲 ほう はQF 1.5ポンド砲 ほう やQF 2ポンド砲 ほう によって急速 きゅうそく に代替 だいたい されることとなった。
イギリスの報告 ほうこく 書 しょ によれば、イギリス軍 ぐん はボーア戦争 せんそう 初期 しょき に通常 つうじょう 弾 だん (Common Shell )に加 くわ えてC.P.弾 たま (Common Pointed Shell 、信管 しんかん を弾 たま 底 そこ に有 ゆう する半 はん 徹 とおる 甲 きのえ 弾 だん 、弾 たま 殻 から の先端 せんたん 部 ぶ が尖 とが っているため pointed と称 しょう する)を使用 しよう したとされる。しかしながらC.P.弾 たま の弾 たま 底 そこ 信管 しんかん はしばしば作動 さどう 不良 ふりょう をおこし、また飛行 ひこう 中 ちゅう に脱落 だつらく するなど不十分 ふじゅうぶん な性能 せいのう であることが判明 はんめい した[ 10] 。1914年 ねん の時点 じてん で本 ほん 砲 ほう が使用 しよう する弾薬 だんやく は鋳鉄 ちゅうてつ 製 せい の通常 つうじょう 弾 だん と曳光弾 えいこうだん のみであった[ 11] 。
ガスマスク を被 こうむ り、本 ほん 砲 ほう を操作 そうさ するドイツ軍 ぐん 砲手 ほうしゅ 。
ドイツでは陸海 りくかい 軍 ぐん の双方 そうほう が本 ほん 砲 ほう を運用 うんよう した[ 1] 。
第 だい 一 いち 次 じ 大戦 たいせん のヨーロッパではMaxim Flak M14 の名称 めいしょう で対空 たいくう 砲 ほう として運用 うんよう された。1915年 ねん のアフリカ南西 なんせい における作戦 さくせん では4門 もん が野戦 やせん 砲車 ほうしゃ に搭載 とうさい されて南 みなみ アフリカ軍 ぐん に対 たい して使用 しよう された[ 12] 。
ベルギー陸軍 りくぐん は野戦 やせん 砲車 ほうしゃ に搭載 とうさい した高角 こうかく 砲 ほう 架 か を用 もち いていた[ 1] 。
アメリカ海軍 かいぐん は1898年 ねん の米 べい 西 にし 戦争 せんそう 以前 いぜん にマキシム・ノルデンフェルト製 せい 37mm機関 きかん 砲 ほう を1ポンド砲 ほう マーク 6 の名称 めいしょう で運用 うんよう していた[ 13] 。
Mk.II通常 つうじょう 弾 だん とMk.I曳光弾 えいこうだん
Mk,I弾頭 だんとう 衝撃 しょうげき 信管 しんかん
USS ヴィクセン 艦上 かんじょう の本 ほん 砲 ほう
^ a b c d Hogg & Thurston 1972, P.22-3
^ “Weapons ”. Australian Boer War Memorial Committee. 2008年 ねん 8月 がつ 28日 にち 閲覧 えつらん 。
^ Hogg & Thurston 1972, P.22同書 どうしょ によればハーグ陸戦 りくせん 条約 じょうやく 条約 じょうやく では1ポンド砲弾 ほうだん も禁止 きんし されていたが、サンクトペテルブルク宣言 せんげん (参考 さんこう )で炸裂 さくれつ 弾 だん の最低 さいてい 弾 だん 量 りょう が400gに設定 せってい されたとしている。
^ タイムズ 『南 みなみ アフリカの戦争 せんそう 史 し 』(History of the War in South Africa )は57門 もん 、 ヒードラム(Headlam )『王国 おうこく 砲兵 ほうへい の歴史 れきし 』(History of the Royal Artillery )は50門 もん と述 の べている。
^ The South African Military History Society Military History Journal - Vol 3 No 1 June 1974. Mystery Shell
^ Farndale 1988, P.362-363
^ Routledge 1994, P.7-8
^ 軍需 ぐんじゅ 省 しょう 公刊 こうかん 史 し 1922, Volume X, Part 6, P.24-25 Facsimile reprint by Imperial War Museum and Naval & Military Press 2008. ISBN 184734884 X
^ Routledge 1994, P.5
^ Fiona Barbour, The South African Military History Society Military History Journal - Vol 3 No 1 June 1974. Mystery Shell
^ Treatise on Ammunition 10th Edition, 1915. War Office, UK
^ Major D.D. Hall, The South African Military History Society Military History Journal - Vol 3 No 2, December 1974. "GERMAN GUNS OF WORLD WAR I IN SOUTH AFRICA" . ここではドイツ軍 ぐん が運用 うんよう した本 ほん 砲 ほう はクルップ製 せい であるとしているが、南 みなみ アフリカ国立 こくりつ 歴史 れきし 軍事 ぐんじ 博物館 はくぶつかん が所蔵 しょぞう する鹵獲 ろかく された2門 もん の砲 ほう はドイツ武器 ぶき 弾薬 だんやく 製造 せいぞう 会社 かいしゃ 製 せい である。
^ Tony DiGiulian, United States of America 1-pdr (0.45 kg) 1.46" (37 mm) Marks 1 through 15
General Sir Martin Farndale, History of the Royal Regiment of Artillery. The Forgotten Fronts and the Home Base, 1914-18. London: Royal Artillery Institution, 1988.
I.V. Hogg & L.F. Thurston, British Artillery Weapons & Ammunition 1914-1918. London: Ian Allan, 1972.
Brigadier N.W. Routledge, History of the Royal Regiment of Artillery. Anti-Aircraft Artillery, 1914-55. London: Brassey's, 1994.