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QF 1ポンドほう

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QF 1ポンドほう(ポンポンほう
ロンドン帝国ていこく戦争せんそう博物館はくぶつかん展示てんじされるQF 1ポンドほう海軍かいぐんがた対空たいくうようほうせられている。
種類しゅるい 機関きかんほう
運用うんよう
配備はいび期間きかん 1890年代ねんだい ~ 1918ねん
配備はいびさき イギリスの旗 イギリス
トランスヴァール
ドイツ帝国の旗 ドイツ帝国ていこく
ベルギーの旗 ベルギー
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
関連かんれん戦争せんそう紛争ふんそう だいボーア戦争せんそう
だいいち世界せかい大戦たいせん
開発かいはつ
開発かいはつしゃ ハイラム・マキシム
開発かいはつ期間きかん 1890ねん
製造せいぞう業者ぎょうしゃ マキシム・ノルデンフェルト銃器じゅうき弾薬だんやく会社かいしゃ
ヴィッカース会社かいしゃ
ドイツ武器ぶき弾薬だんやく製造せいぞう会社かいしゃ
しょもと
重量じゅうりょう 186.0 kg(じゅうおよほう)
全長ぜんちょう 1866.9 mm
銃身じゅうしんなが 1,105 mm mm(ほう腔)

砲弾ほうだん 0.45 kg(1 ポンド)通常つうじょうだん
口径こうけい 37 mm
初速しょそく 367 m/びょう
最大さいだい射程しゃてい 4,110 m(Mk.I野戦やせんほう)[1]
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QF 1ポンド・ポンポンほう英語えいご: QF 1 pounder pom-pom gun)とはイギリス開発かいはつした初期しょきの37mm機関きかんほうである[2]ほんほう当初とうしょ歩兵ほへいほうとしての役割やくわりにない、のちにはけい対空たいくうほうとしてイギリスをはじめとする数ヶ国すうかこく運用うんようされた。

歴史れきし

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ハイラム・マキシムは1880年代ねんだいわりにマキシム機関きかんじゅう口径こうけい拡大かくだいするかたちほんほう原型げんけいとなる機関きかんほう設計せっけいした。ほんほう比較的ひかくてきなが射程しゃていゆうしていたが、これにより炸裂さくれつだん使用しようするさい適切てきせつ射程しゃてい判断はんだんする必要ひつようがあった。たまりょう最低さいていでも0.88ポンド(400g)をようしたが、これは重量じゅうりょう400g以下いか爆発ばくはつぶつ兵器へいきとしてもちいることをきんじた1868ねんのサンクトペテルブルク宣言せんげんおよびこの内容ないようさい確認かくにんした1899ねんのハーグ陸戦りくせん条約じょうやく存在そんざいしたためであった[3]

初期しょきほうマキシム・ノルデンフェルト銃器じゅうき弾薬だんやく会社かいしゃ商標しょうひょう販売はんばいされていたが、1897ねんヴィッカース会社かいしゃがマキシム・ノルデンフェルトしゃ買収ばいしゅうすると同社どうしゃVickers, Sons & Maxim)の商標しょうひょう販売はんばいされることとなった。これらは実質じっしつてきには同一どういつ兵器へいきであった。

イギリスでの運用うんよう

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ほんほうとポーズをとるオーストラリアじん兵士へいしみなみアフリカ、1901ねんごろ撮影さつえい

だいボーア戦争せんそう

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イギリス政府せいふ当初とうしょほんほう導入どうにゅう見送みおくったが、みなみアフリカ共和きょうわこく(トランスヴァール共和きょうわこく)をふく他国たこくではほんほう購入こうにゅうするくに存在そんざいした。だいボーア戦争せんそうにおいてイギリスぐんドイツせい弾薬だんやくもちいたマキシム・ノルデンフェルトがたの37mm機関きかんほうによるボーアへい攻撃こうげき効果こうかてきであることをみとめることとなった。

これに対抗たいこうするためにイギリスのヴィッカースしゃは50もしくは57もん[4]の1ポンドほうみなみアフリカのイギリス陸軍りくぐんにむけて輸送ゆそうし、最初さいしょの3もん1900ねん2がつパールデベルクのたたか英語えいごばんさい到着とうちゃくした[5]。これら初期しょきのMk.Iがたおも野砲やほうかた砲車ほうしゃ搭載とうさいされた。

だいいち大戦たいせん

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だいいち大戦たいせんにおいて、ほんほうけい対空たいくうほうとして初期しょきのイギリス本土ほんど防空ぼうくう担当たんとうした。この任務にんむのためにMk.I+++およびMk.IIもととうしき高角こうかくほう開発かいはつされ、ロンドンみなと重要じゅうよう建築けんちくぶつ屋上おくじょうさらには移動いどうしき台車だいしゃ搭載とうさいされてひがしイングランドや南東なんとうイングランドの重要じゅうよう都市とし配備はいびされた。1914ねん8がつ時点じてんで25もん使用しようされており、1916ねん2がつには50もん増加ぞうかした[6]。このページのしょもとひょう画像がぞうにある海軍かいぐんがたもととうしきほうせられたMk.IIがただいいち大戦たいせんにおけるロンドン防空ぼうくう最初さいしょ射撃しゃげきおこなったほうである[1]。しかしながらほんほうしょう口径こうけい砲弾ほうだんではドイツのツェッペリン飛行船ひこうせん撃墜げきついできるだけの十分じゅうぶん損傷そんしょうあたえるには威力いりょく不足ふそくであった[7]1922ねんにイギリス軍需ぐんじゅしょうは「ポンポンほう価値かち非常ひじょうかぎられたものであった。ほんほう榴散だんもちいることができず、また通常つうじょうだん羽布はぶりの航空機こうくうき砲弾ほうだん命中めいちゅうしてもぬの部分ぶぶんでは炸裂さくれつすることなく貫通かんつうしてしまい地表ちひょう落下らっかしてしまった。ロンドンを爆撃ばくげきするツェッペリンがひく高度こうどんでいる場合ばあいのぞいてほんほう効果こうか発揮はっきできる場面ばめんはまったくかった。」といている[8]

それにもかかわらず、イギリスだい3ぐんだい2高射こうしゃはん所属しょぞくしていたO.F.J ホッグ中尉ちゅういは1914ねん9がつ23にちフランスで75はつ砲弾ほうだん発射はっしゃし、ぜんぐんはつとなるてき撃墜げきつい戦果せんかげることとなった[9]

だいいち大戦たいせんにおいてイギリスぐんほんほう歩兵ほへいほうとして運用うんようすることはなかった。ほんほうちいさな砲弾ほうだんではいかなる目標もくひょう施設しせつたいしても効果こうかすくないとかんがえられており、またイギリスぐん戦術せんじゅつではQF 13ポンドほうQF 18ポンドほうによる榴散だん射撃しゃげき中距離ちゅうきょりにおけるたい歩兵ほへい戦闘せんとう主力しゅりょくになるとしていたためである。

軽量けいりょうのMk.IIIを航空機こうくうき搭載とうさいして航空こうくう機関きかんほうとしてもちいようというこころみがなされたが、かぎられた成果せいかしかることができなかった。そしてけい対空たいくうほうとしてのほんほうQF 1.5ポンドほうQF 2ポンドほうによって急速きゅうそく代替だいたいされることとなった。

イギリスの報告ほうこくしょによれば、イギリスぐんはボーア戦争せんそう初期しょき通常つうじょうだんCommon Shell)にくわえてC.P.たまCommon Pointed Shell信管しんかんたまそこゆうするはんとおるきのえだんたまから先端せんたんとがっているため pointed としょうする)を使用しようしたとされる。しかしながらC.P.たまたまそこ信管しんかんはしばしば作動さどう不良ふりょうをおこし、また飛行ひこうちゅう脱落だつらくするなど不十分ふじゅうぶん性能せいのうであることが判明はんめいした[10]。1914ねん時点じてんほんほう使用しようする弾薬だんやく鋳鉄ちゅうてつせい通常つうじょうだん曳光弾えいこうだんのみであった[11]

イギリス以外いがい国々くにぐにでの運用うんよう

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ガスマスクこうむり、ほんほう操作そうさするドイツぐん砲手ほうしゅ

ドイツでは陸海りくかいぐん双方そうほうほんほう運用うんようした[1]

だいいち大戦たいせんのヨーロッパではMaxim Flak M14名称めいしょう対空たいくうほうとして運用うんようされた。1915ねんのアフリカ南西なんせいにおける作戦さくせんでは4もん野戦やせん砲車ほうしゃ搭載とうさいされてみなみアフリカぐんたいして使用しようされた[12]

ベルギー

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ベルギー陸軍りくぐん野戦やせん砲車ほうしゃ搭載とうさいした高角こうかくほうもちいていた[1]

アメリカ

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アメリカ海軍かいぐん1898ねんべい西にし戦争せんそう以前いぜんにマキシム・ノルデンフェルトせい37mm機関きかんほう1ポンドほう マーク 6名称めいしょう運用うんようしていた[13]

ギャラリー

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Mk.II通常つうじょうだんとMk.I曳光弾えいこうだん
Mk,I弾頭だんとう衝撃しょうげき信管しんかん
USS ヴィクセン艦上かんじょうほんほう

現存げんそんするほんほう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ a b c d Hogg & Thurston 1972, P.22-3
  2. ^ Weapons”. Australian Boer War Memorial Committee. 2008ねん8がつ28にち閲覧えつらん
  3. ^ Hogg & Thurston 1972, P.22
    同書どうしょによればハーグ陸戦りくせん条約じょうやく条約じょうやくでは1ポンド砲弾ほうだん禁止きんしされていたが、サンクトペテルブルク宣言せんげん参考さんこう)で炸裂さくれつだん最低さいていだんりょうが400gに設定せっていされたとしている。
  4. ^ タイムズみなみアフリカの戦争せんそう』(History of the War in South Africa)は57もん、 ヒードラム(Headlam )『王国おうこく砲兵ほうへい歴史れきし』(History of the Royal Artillery)は50もんべている。
  5. ^ The South African Military History Society Military History Journal - Vol 3 No 1 June 1974. Mystery Shell
  6. ^ Farndale 1988, P.362-363
  7. ^ Routledge 1994, P.7-8
  8. ^ 軍需ぐんじゅしょう公刊こうかん 1922, Volume X, Part 6, P.24-25
    Facsimile reprint by Imperial War Museum and Naval & Military Press 2008. ISBN 184734884 X
  9. ^ Routledge 1994, P.5
  10. ^ Fiona Barbour, The South African Military History Society Military History Journal - Vol 3 No 1 June 1974. Mystery Shell
  11. ^ Treatise on Ammunition 10th Edition, 1915. War Office, UK
  12. ^ Major D.D. Hall, The South African Military History Society Military History Journal - Vol 3 No 2, December 1974. "GERMAN GUNS OF WORLD WAR I IN SOUTH AFRICA".
    ここではドイツぐん運用うんようしたほんほうはクルップせいであるとしているが、みなみアフリカ国立こくりつ歴史れきし軍事ぐんじ博物館はくぶつかん所蔵しょぞうする鹵獲ろかくされた2もんほうドイツ武器ぶき弾薬だんやく製造せいぞう会社かいしゃせいである。
  13. ^ Tony DiGiulian, United States of America 1-pdr (0.45 kg) 1.46" (37 mm) Marks 1 through 15

参考さんこう文献ぶんけん

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  • General Sir Martin Farndale, History of the Royal Regiment of Artillery. The Forgotten Fronts and the Home Base, 1914-18. London: Royal Artillery Institution, 1988.
  • I.V. Hogg & L.F. Thurston, British Artillery Weapons & Ammunition 1914-1918. London: Ian Allan, 1972.
  • Brigadier N.W. Routledge, History of the Royal Regiment of Artillery. Anti-Aircraft Artillery, 1914-55. London: Brassey's, 1994.

外部がいぶリンク

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