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rockin'on

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rockin'on
ジャンル 音楽おんがく雑誌ざっし
刊行かんこう頻度ひんど 月刊げっかん
発売はつばいこく 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
出版しゅっぱんしゃ ロッキング・オン
刊行かんこう期間きかん 1972ねん -
ウェブサイト https://rockinon.com/
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rockin'on』(ロッキング・オン)は、1972ねん創刊そうかんされた日本にっぽん月刊げっかん音楽おんがく雑誌ざっしである。ロッキング・オンしゃ発行はっこう毎月まいつき7にち発売はつばい

めいは、英語えいご表記ひょうきでは「rocking on」ではなく「g」が省略しょうりゃくされた「rockin'on」であるが、日本語にほんごでは「ロッキング・オン」と表記ひょうきされる。

歴史れきし

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創刊そうかん30周年しゅうねん記念きねん特別とくべつごう[1]のロッキング・オン年表ねんぴょうより。

創刊そうかん - 1970年代ねんだい

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1972ねん8がつごう創刊そうかんごう)、渋谷しぶや陽一よういち松村まつむらつよしさく岩谷いわたにひろし橘川きつかわ幸夫ゆきお大久保おおくぼあおこころざしらによるミニコミとして創刊そうかん定価ていか150えん

1973ねんふゆごう創刊そうかん3ごう)、「ロックファンによるロック専門せんもん」の表紙ひょうし文字もじ登場とうじょう。4がつごうから直接ちょくせつ販売はんばいから取次とりつぎへとわり、商業しょうぎょう隔月かくげつかん)として全国ぜんこく配本はいほんがスタート。6がつごうから定価ていか180えん改定かいてい。8がつごう大類おおるいしん表紙ひょうしデザイナーとして参加さんか

1974ねん4がつごうから定価ていか230えん改定かいてい、「ロック洋書ようしょ案内あんない」にて洋書ようしょ販売はんばい開始かいし。7がつごう「レコード案内あんない」にて輸入ゆにゅうレコードの販売はんばい開始かいし。9月ごうより斎藤さいとう陽一よういち写真しゃしんシリーズ」連載れんさい開始かいし。11月ごうに「ロッキング・オンのかい入会にゅうかい案内あんない掲載けいさい

1975ねん5がつごうから定価ていか280えん改定かいてい。10がつごうに「21ST CENTRY SCHIZOID MAGAZINE」の表紙ひょうし文字もじ登場とうじょう。6がつごうから竹田たけだやよい「うつくしマンガ」連載れんさい開始かいし

1977ねん4がつごうにて、9月発行はっこうごうより月刊げっかん予定よてい告知こくち掲載けいさい。10がつごうより月刊げっかん

1978ねん8がつごうから佐々木ささき容子ようこ陽一よういちさんのもしもし編集へんしゅうしつ連載れんさい開始かいし。9月ごうにてリニューアル宣言せんげん松村まつむらつよしさく渋谷しぶや陽一よういちによるケイト・ブッシュへのインタビューが掲載けいさい。10がつごうからリニューアル。史上しじょうはつのカラーページでローリング・ストーンズのLAライブを特集とくしゅう。『サウンズ』と契約けいやくジョニー・ロットンコージー・パウエル翻訳ほんやくインタビューを掲載けいさい

1979ねん3がつごうにて、渋谷しぶや陽一よういちデヴィッド・ボウイへのインタビューが掲載けいさい

1980年代ねんだい

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1980ねん5がつごうにて、次号じごうからわります宣言せんげんぞうページ、しんコーナー掲載けいさい。12月ごうより『ローリング・ストーン』と契約けいやく

1981ねん3がつごうRCサクセション日本にっぽんのアーティストはつ表紙ひょうしかざった。4がつごうにて渋谷しぶや陽一よういちビートたけしへのインタビューが掲載けいさい。5月ごうにて読者どくしゃアンケート調査ちょうさ実施じっし。8がつごう読者どくしゃアンケート人気にんき投票とうひょう結果けっか発表はっぴょう。1クラッシュ、2PIL、3ジャパン、4ポリス、5RCサクセションとなった。

1982ねん1がつごうにて来月らいげつごう変身へんしん予告よこく掲載けいさい。『ミュージシャン・プレイヤー・リスナー』と契約けいやく来月らいげつ掲載けいさいぶんから原稿げんこうりょうとして400字詰じづいちまい1,500えん。5月ごうにて松村まつむらつよしさくポール・マッカートニーにロンドンで直撃ちょくげきインタビュー。10がつごうにて次号じごうから変身へんしんします宣言せんげん。『ニュー・ミュージカル・エクスプレス』と契約けいやく。カラ-、モノクロの写真しゃしんページが倍増ばいぞうし、定価ていかき。11月ごうより表紙ひょうしロゴが現在げんざいおなじになる。

1984ねん1がつごうより「FIRST IN ROCK JOURNALISM」の表紙ひょうし文字もじ登場とうじょう

1986ねん6がつごうにて、定価ていか値上ねあげとしん雑誌ざっし創刊そうかんについて掲載けいさい。11ねんにわたる定価ていか280えん時代じだいわる。7がつごうから定価ていか320えん改定かいてい

1987ねん1がつごうより「TAG RANDOM」連載れんさい開始かいし

1989ねん2がつごうにて、来月らいげつごうより投稿とうこう原稿げんこうりょうが400字詰じづいちまい1,500えんから3,000えん値上ねあ告知こくち。5月ごうから消費しょうひぜい導入どうにゅう定価ていか330えん改定かいてい。7がつごうにて増井ますいおさむストーン・ローゼズにリバヴァールで直撃ちょくげきインタビュー。8がつごうにて次号じごうから変身へんしんします宣言せんげん。カラーページ倍増ばいぞう、モノクロのグラビアページも倍増ばいぞうし、値上ねあげ。9月ごうより定価ていか380えん改定かいてい

1990年代ねんだい以降いこう

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1990ねん5がつごうより増井ますいおさむ編集へんしゅうちょう就任しゅうにん。7がつごうにて来月らいげつごうより原稿げんこうりょうを400字詰じづいちまい3,000えんから4,000えん値上ねあ告知こくち

1992ねん4がつごうにて来月らいげつより誌面しめん刷新さっしん予告よこくしん企画きかく追加ついか、カラー倍増ばいぞう。5月ごうより誌面しめんだいリニューアル。定価ていか450えん改定かいてい。「会社かいしゃはつ26連載れんさい開始かいし

1994ねん10がつごうから、14ごう連続れんぞく特大とくだいごう表紙ひょうし文字もじは「特大とくだいごう」「増大ぞうだいごう」「前代未聞ぜんだいみもんごう」「そう決起けっき死闘しとうごう」と多様たようする。

1995ねん11がつごうから定価ていか480えん改定かいてい

1997ねん5がつごうから消費しょうひ税率ぜいりつげで定価ていか490えん改定かいてい。6がつごうからみや嵜広編集へんしゅうちょう就任しゅうにん。7がつごうにて「しぶまつ対談たいだん最終さいしゅうかい

1998ねん4がつごうから「しぶまつ対談たいだんZ」として「しぶまつ対談たいだん」が復活ふっかつ

1999ねん9がつごうより定価ていか500えん改定かいてい

2000ねん5がつごうにてはつ付録ふろくCDき。6がつごうより山崎やまざき洋一郎よういちろう編集へんしゅうちょう就任しゅうにん

特徴とくちょう

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読者どくしゃ投稿とうこうがたミニコミとして創刊そうかん[2][3][4]。1970年代ねんだい後半こうはんまで、カラーグラビアはなく洋楽ようがくアーティストの取材しゅざい記事きじもなかった。

渋谷しぶや陽一よういち松村まつむらつよしさくの「しぶまつ対談たいだん」、竹田たけだやよいのヤオイけい漫画まんが、ライターの創作そうさくによる「架空かくうインタビュー」など同人どうじんてき企画きかく読者どくしゃ好意こういてきれられ、カラーグラビアやインタビュー記事きじがない音楽おんがく投稿とうこう雑誌ざっし体裁ていさいのまま、1977ねん10がつごうから月刊げっかん。1977ねんから1978ねんにかけて大幅おおはば部数ぶすうばす[5]

創刊そうかんメンバーの一人ひとりである岩谷いわたにひろし[1]パンク・ロックてきなるものをになっており、独自どくじ視点してんするど評論ひょうろんいた[2]

渋谷しぶや陽一よういち増井ますいおさむ編集へんしゅうちょうつとめていた時代じだいまでは、他誌たし(『ミュージック・マガジン』や『宝島たからじま』など)と誌面しめんじょう論争ろんそう展開てんかいされることもめずらしくなかった。

創刊そうかん以来いらい参加さんかがたメディアとして雑誌ざっし特徴とくちょうづけていた投稿とうこうぶんは、年々ねんねん掲載けいさい本数ほんすう減少げんしょう傾向けいこうにあり、近年きんねんはレギュラー執筆しっぴつしゃ松村まつむらつよしさくのみというつきめずらしくない[6]。なお、ロッキング・オンしゃは2017ねん2がつ音楽おんがくぶん投稿とうこうサイト『音楽おんがくぶん』をげている[7]

当初とうしょ洋楽ようがく中心ちゅうしんにしながらも邦楽ほうがくへの目配めくばりもある編集へんしゅうになっていたが、1986ねん邦楽ほうがく専門せんもんROCKIN'ON JAPAN』が創刊そうかんされてからは、洋楽ようがくせんもん誌面しめんいている[8]

スタッフ

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編集へんしゅうちょう

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主要しゅよう編集へんしゅうしゃ・ライター

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アートディレクター

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  • 大類おおるいしん - 1973ねん7がつ、デザイナーとして参加さんか。6ごう1976ねん3がつまでは大類おおるいしん橘川きつかわ幸夫ゆきお連名れんめいとなっている。24ごう1976ねん10がつまで大類おおるいしん+スウィート・ストロベリー・スタジオ。25ごう1976ねん12月から大類おおるいしん+シティ・ライツと屋号やごう併記へいきされている[10]
  • 春日かすが優子ゆうこ

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b rockin'on 2002ねん9がつごう
  2. ^ a b 「ロッキング・オンの時代じだい橘川きつかわ幸夫ゆきお”. 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん 電子でんしばん. 2020ねん2がつ26にち閲覧えつらん
  3. ^ 才能さいのう交錯こうさくした「音楽おんがくわたしこうしょ好日こうじつ”. こうしょ好日こうじつ. 2020ねん2がつ26にち閲覧えつらん
  4. ^ SUNDAY LIBRARY:武田たけだ 砂鉄さてつひょう字幕じまくになる日本語にほんご』『ロッキング・オンの時代じだい』ほか”. 毎日新聞まいにちしんぶん. 2021ねん3がつ6にち閲覧えつらん
  5. ^ 渋谷しぶや陽一よういち (1979). メディアとしてのロックンロール. ロッキング・オンしゃ 
  6. ^ 投稿とうこうぶん文字数もじすう3000から4000Eいーメールもしくは郵送ゆうそうけている。採用さいようされた場合ばあいには掲載けいさい原稿げんこうりょう(400あたり4,000えん発売はつばいとう月払つきばらい)がおくられる。
  7. ^ 洋楽ようがく邦楽ほうがくジャンルわず音楽おんがくぶん募集ぼしゅう投稿とうこうぶんは10,000まで。公開こうかい可否かひ審査しんさまい平日へいじつすうほん投稿とうこうぶんがサイトじょう掲載けいさいされる。公開こうかいされた投稿とうこうぶん自動的じどうてき月間げっかんしょう最優秀さいゆうしゅうしょう3まんえん入賞にゅうしょう1まんえん)の選考せんこう対象たいしょうとなる。翌月よくげつ10にち発表はっぴょう
  8. ^ まれ海外かいがいでも活動かつどうする邦楽ほうがくアーティストがることもある。
  9. ^ a b c カルチャー雑誌ざっし音楽おんがく雑誌ざっしんだ? 雑誌ざっし天国てんごくの90年代ねんだいから20ねんなにわったのか?~90年代ねんだい『ロッキング・オン』へん”. www.fuze.dj. 2019ねん5がつ27にち閲覧えつらん
  10. ^ 2014.3 アイデア363ごうより抜粋ばっすい idea363 まことぶんどう新光しんこうしゃ

外部がいぶリンク

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