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提婆達多 - 維基百科,自由的百科全書

ひさげばばたち

釋迦牟尼しゃかむに佛堂ぶつどうけいおもねなんおやけいちょう

ひさげばばたち梵語ぼんごともえとし:देवदत्‍त,Devadatta)[1]いちやくひさげばばたちかぶとばばたちかぶとたいばばたちかぶと調しらべばばたちかぶとほうあらわりゃくやくさく調達ちょうたつ[2];Devaそくひさげばばため天神てんじん;Dattaため授予、たまものやくため天授てんじゅつつみばばたちおやじん向上こうじょうてんいのり禱才せいてきしょ以取めいためひさげばばたち」,[3]ためおもねがたてきあにちょう釋迦牟尼しゃかむにほとけまとどう兄弟きょうだいひさげばばたち曾經加入かにゅう釋迦しゃかふつてき僧團そうだんただし後來こうらいいんため意見いけんごうあずか權力けんりょく鬥爭,另外成立せいりつ教派きょうはひさげばばたち死後しご,其教なみぼつゆういんため死亡しぼう解散かいさんあずますすむほうあらわとうだいげん遊歷ゆうれき天竺てんじくかえ看過かんか此派活動かつどうほうあらわげん記載きさいひさげばばたちただ供奉ぐぶ過去かこさんふつどくたてまつ釋迦しゃかぶんほとけ釋迦牟尼しゃかむに)。

ひさげばばたちざい原始げんし佛教ぶっきょうちゅうはん五逆ごぎゃく重罪じゅうざいやぶ和合わごうそう背叛はいはん佛教ぶっきょう設計せっけいはかりごとがい釋迦しゃかふつこれごくためまけめんてき人物じんぶつ。《ぞういちおもね含經[4]記載きさいひさげばばたち在地ざいち獄中ごくちゅう身體しんたい苦痛くつう如斯」。大乘だいじょう佛教ぶっきょうてき妙法みょうほう蓮華れんげけいちゅうのりろくつつみばばたちおおまた釋迦しゃかふつ授記,將來しょうらい成佛じょうぶつゆう佛教ぶっきょう典籍てんせきせつ,其實ひさげばばたちらい示現じげんさくはんかくしょくゆずる生體せいたいさとるさくぎゃくざいしゃかい墮落だらく地獄じごくざいだい方便ほうべんふつ報恩ほうおんけいちゅうせつ過去かこ諸佛しょぶつみなゆうひさげばばたち,而提ばばたちざい阿鼻地獄あびじごくなか「如比丘びくいれさんぜんたのし」。

生平おいだいら

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出身しゅっしん

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ひさげばばたちいかころせけんじきゅう悉達てきたからぞう[5]

ひさげばばたち出身しゅっしん剎帝釋迦しゃかぞく祖父そふため頰王頰王ゆうきよしめしおうしろめしおう、斛飯おう甘露かんろめしおうよんひさげばばたちちちため甘露かんろめしおう[6]ただし不同ふどう經典きょうてんそくゆう異說いせつ

ひさげばばたちおおため釋迦牟尼しゃかむにほとけ侍者じしゃおもねがたこれけいちょうひさげばばたち釋迦牟尼しゃかむにふつてきどうけい[7]一說いっせつどうおとうと[8]

佛典ぶってん其「よんがつななにちしょくせい身長しんちょういちたけしゃくよんすん[9]、「だいせい出家しゅっけ聰明そうめいゆう大神おおがみつとむ顏貌かおかたち端正たんせい[10]

出家しゅっけ

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釋迦牟尼しゃかむに成佛じょうぶつかえしかい故國ここく迦毗まもるじょうむかい宗室そうしつ說法せっぽうきよしめしおう臣民しんみん出家しゅっけ追隨ついずい佛陀ぶっだゆう釋迦しゃかぞくひゃくにん出家しゅっけ,其中有ちゅうう拔提おうおもねがたおもねりつゆうばばはなれ,以及ひさげばばたちとうじん

じゅう誦律》ちゅう記載きさいひさげばばたち:「出家しゅっけ比丘びくじゅうねんちゅう善心ぜんしん修行しゅぎょう讀經どきょう誦經じゅきょうとえうたぐ、受法、坐禪ざぜんなんじふつしょ說法せっぽう悉皆しっかい受持うけもち。」[11]曜經》ちゅうそくげん其:「じゅうねんちゅう坐禪ざぜん入定にゅうじょうこころうつりえき,誦佛けいろくまん[12]よし此可其廣がく博文ひろぶみ精進しょうじんなんとく。《西域せいいきいち書記しょきゆう大石おおいししつつつみばばたち於此入定にゅうじょう」。ひろしおうしゃじょうとき,受到竭陀こく王子おうじおもね闍世てき尊敬そんけい,「おもね闍世日日ひびはたしたがえひゃく乘車じょうしゃ朝暮ちょうぼとい訊提ばばたちなみ供養くようひゃくがま飲食いんしょく[10]ひとしいたふつ陀沿つねかわかいいたおうしゃじょうひさ就爆はつつつみばばたちやぶそう事件じけん

ひさげばばたちてき惡行あくぎょう

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やぶそう

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ひさげばばたち以其聰明そうめい口才こうさい博學はくがく禪定ぜんじょう苦行くぎょうざい揭陀くに弘法ぐほう,以種しゅ神通じんずうふか受王おもね闍世てきれいけいざいおうしゃじょう一帶受到僧俗二眾崇仰,自認じにんあずか佛陀ぶっだどうせい瞿曇せい釋家しゃっけ」。よし而提ばばたち乃以佛陀ぶっだためしょよん眾,教授きょうじゅろう倦 」ためゆかりむかいふつさく眾」。要求ようきゅうれいそうぞくわがわがとうしょうしるべ」,佛陀ぶっだそく舍利しゃりどる智慧ちえだいいち犍連神通じんずうだいいち交託すべ教授きょうじゅ眾僧せめなにきょうひさげばばたち如此てき「噉唾癡人ちじん 」。とげれいひさげばばたちしんせいいや恨,而提ばばたちしょ理解りかい教義きょうぎ,也與舍利しゃりどる犍連不同ふどうひさげばばたち弟子でし瞿迦なし迦留ひさげしゃとうのりつねそし佛陀ぶっだりょうだいおびえさむらい

おもね闍世篡奪ちちおうしきばばしゃばこれつつみばばたちさら受王やしなえ恭敬きょうけい地位ちいごえぜいえきみことたかしよし名聞みょうもんやしなえこく苦行くぎょうさらせいげん,而我慢がまんいよいよおきさらくわだてもとめすべそう眾的權力けんりょく

釋迦牟尼しゃかむにふつ規定きてい:「したがえわが出家しゅっけ弟子でしぶん種姓すじょう一律いちりつ平等びょうどう。」しか而佛ため釋迦しゃかぞく太子たいし部分ぶぶん釋迦しゃかぞくてき比丘びくのりめん自覺じかく優越ゆうえつ,以為佛滅ぶつめつとうよし釋迦しゃかぞく比丘びくすべ僧團そうだんひさげばばたちよんともとうさん聞達ぶんたつおお騫荼たちばば、瞿迦なし、迦留ひさげしゃとうみな出身しゅっしん釋迦しゃかぞく[13];而擁護ようごつつみばばたちてきろくぐん比丘びく」也都以出身しゅっしん釋迦しゃかぞく[14]あるあずか佛陀ぶっだ關係かんけいみつきり,而自覺じかく優越ゆうえつねがい接受せつじゅ十方比丘攝化教誡。而這しゅこころたいあらわあずか佛法ぶっぽうごう

ひさげばばたちほう

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ひさげばばたち宣揚せんようこう苦行くぎょう規定きてい,這五項規定不被釋迦牟尼佛所接受,後世こうせいしょうためひさげばばたちほう天授てんじゅぽうある調達ちょうたつこと

せき於這こう規定きていてき內容,かく經典きょうてんてき說法せっぽうゆう些許不同ふどう

  1. つきがたことぶきおうためじゅうらんわかものいたり村落そんらくしゃざい。」
  2. つきがたことぶきおうため乞食こじきしゃ。受請しょくしゃざい。」
  3. つきがたことぶきおうちょくそ掃衣しゃ,受居ころもしゃざい。」
  4. つきがたことぶきおうため樹下じゅかじゅうしゃじゅう屋者やじゃざい。」
  5. つきがたことぶきおうしょく魚肉ぎょにくしょく魚肉ぎょにくしゃざい。」つきがたことぶきてき意思いし 就是一生いっしょう
  • よんふんりつまき4:1.つきがたことぶき乞食こじき,2.つきがたひさしちょくそ掃衣,3.つきがたことぶき露坐ろざ,4.5.つきがたことぶきしょく酥、しおさかなあずかにく
  • ふんりつまき25:1.食鹽しょくえん,2.しょく酥乳,3.しょく魚肉ぎょにく,4.乞食こじき,5.はるなつはちがつ露坐ろざふゆ四月日坐於草庵。
  • じゅう誦律まき4:1.つきがたことぶき受著衲衣,2.つきがたことぶき受乞しょくほう,3.つきがたことぶきいちしょくほう,4.つきがたことぶき受露すわほう,5.つきがたことぶき受斷にくほう
  • 根本こんぽんせつ一切有部毗奈耶破僧事まき10:1.しょく乳酪にゅうらく,2.しょく魚肉ぎょにく,3.食鹽しょくえん,4.衣服いふくちょう績,5.じゅうざい村中むらなかじゅうおもねらんわか[15]
  • だい毗婆すなろん》:「うんなんほう?一者盡壽著糞掃衣,二者盡壽常乞食,三者盡壽唯一坐食,四者盡壽常居迴露,五者盡壽不食一切魚肉血昧鹽蘇乳等。」

共通きょうつうてきてんため

  1. どもにくどもさかな遵守じゅんしゅ頭陀ずだ苦行くぎょう乞食こじきえん),ざい森林しんりん空地くうちちゅうぜんすわ修行しゅぎょうとおはなれじんぐん居住きょじゅう在房ありふさちゅう

另立僧團そうだん

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佛教ぶっきょう律藏りつぞう(按《じゅう誦律これせつしょうひさげばばたち以此五法行籌表決,ゆう四伴黨及五百初學比丘依循他,於伽耶かや山住やまずみ,另立そうとぎまた推行符合ふごう佛陀ぶっだきょう法律ほうりつせいてき各種かくしゅほうりつ,於「さかい內別ぎょうそうごと」,於是やぶそう[16]根據こんきょせつ一切いっさいゆう律藏りつぞうてき說法せっぽうゆかり舍利しゃりどる犍連てきひらけみちびけ最後さいごただあまり瞿迦なしとうよんともとうとめつつみばばたちのりいんぎゃく重罪じゅうざい墮入地獄じごく

しるし順法じゅんぽうみとめためひさげばばたちてきやぶそう,衍生りょう釋迦しゃかぞく比丘びくあずか十方じっぽう比丘びく不和ふわ,一直延續到ななひゃく結集けっしゅうてき時代じだい後來こうらい佛教ぶっきょう分化ぶんかてき一大いちだいいんもと[17]

がいふつ惡行あくぎょう

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みなみつたえきたつたえ佛典ぶってん記載きさいつつみばばたちさく眾不なり舍利しゃりどる連帶れんたいりょうひゃく比丘びくかえしかいふつしょひさげばばたちおおのちこころふところいや恨,ちかいほう此怨,慫恿おもね闍世王子おうじ禁錮きんこ其父,自立じりつためおうとげゆう刺客しかくころせふつ、推石あつふつきょうぞうがいふつつまどくきずふつ、拋車げきふつとうがいふつ惡行あくぎょうなみいんおもね闍世おうやや疏遠,斥責、毆打おうだ蓮華れんげしょく比丘尼びくに致死ちし。而往むかし宿世しゅくせあずかふつゆい怨,誓言せいげん生生世世しょうじょうせぜためふつばんとも,壞佛らんふつゆうそうおんな漁師りょうしきょういのちとり金色きんいろ鹿しかとうほんせい因緣いんねん

あずかとみらん·迦葉てき相識そうしき

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ひさげばばたちしつしゅ殺害さつがい蓮華れんげしょく比丘尼びくに心中しんちゅうの甚憂,以手ささえ頰,退すさざいいちへん愁思しゅうし而坐[18]。此情此景ろく外道げどうこれいちてきとみらん·迦葉いたなみ誘導ゆうどう告訴こくそひさげばばたち善惡ぜんあく業報ごうほう[19]いた此提ばばたち一切いっさいてき善根ぜんこんみな斷絕だんぜつ

佛教ぶっきょう經典きょうてんちゅうてき形象けいしょう

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佛教ぶっきょう

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ぞういちおもね含經まきよんじゅうなな記載きさいつつみばばたちおちい地獄じごくふつためおもねなんせつひさげばばたち未來みらいせいしょいんひさげばばたちいのちおわりとき,受地しょしょうなま懺悔ざんげしん,「經歷けいれきいちけんこうとうなま四天王してんのうじょうふく輾轉てんてんせいさんじゅうさんてん焰天かぶとりつてん在天ざいてん在天ざいてんろくじゅうこうちゅうふく三惡道さんなくどう往來おうらい天人てんにんちゅう最後さいご受身うけみじょひげかみちょさん法衣ほうえ」,こうなり辟支ほとけ」。めい南無なむ

根本こんぽんせつ一切有部破僧事のり記載きさいつつみばばたちみやつこさんあいだぎょう,遭受あいだ地獄じごくもえあぶ痛苦つうく不堪ふかんおもねがた其受こころなま悲愍,ようひさげばばたち至誠しせい皈依世尊せそんひさげばばたちふかこころ慇重,くち唱言:「今日きょう我身わがみ乃至ないしてっこつ,於薄とぎほとり至心ししん歸伏きふく。」ずいそく墮無あいだ地獄じごくちゅう世尊せそんつげしょ比丘びく:「ひさげばばたち善根ぜんこんやめつづけ,於一大劫生於無隙大地獄中。其罪畢以とく人身じんしん輾轉てんてん修習しゅうしゅうおわりとくしょうさとる缽剌そこ佛陀ぶっだめいためこつ。」

大乘だいじょう佛教ぶっきょう

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妙法みょうほう蓮華れんげけいひさげばばたちひんだいじゅうのり記錄きろくふつつげもろ菩薩ぼさつてんひとよん眾「わがねん過去かここうためもとめ大法たいほう,雖作國王こくおうむさぼよくらくしいがねつげ四方しほうだれゆう大法たいほうしゃわかためわが解說かいせつ當為とうい奴僕どぼく。」而有おもねわたし仙人せんにんため其宣こうみょう法華經ほけきょう。而因此阿わたし仙人せんにんそくためひさげばばたち,以其おおぜん知識ちしき成就じょうじゅ佛陀ぶっだなみひそか慈悲じひ喜捨きしゃ三十二相さんじゅうにそうはちじゅうしゅこのみむらさきみがく金色きんいろじゅうりょくよんしょかしこよんほうじゅう八不共神通道力,なりとう正覺しょうがく。」

いん此佛陀為其授預言よげんひさげばばたち卻後無量むりょうこうとうとく成佛じょうぶつごう曰天おう如來にょらいおうきょうただしへんあきらぎょうあしぜん逝、世間せけんかい上士じょうし調しらべ丈夫じょうふ天人てんにんふつ世尊せそん世界せかいめい天道てんとうどき天王てんのうふつじゅうじゅうちゅうこうこうため眾生せつ於妙ほうつねかわすな眾生とく阿羅漢あらかんはて無量むりょう眾生はつえんさとしこころつねかわすな眾生はつ無上むじょう道心どうしんとくなましのぶいたる不退轉ふたいてん。」

大方おおがたとうだいしゅうがつぞうけいほんことひんだいよん記載きさい,於過去かこだいさんじゅう一劫毗舍浮如來時,ゆう一婆羅門弗沙耶若精進修行,おうちかい而千年之中不坐不臥七日七夜限食一揣,感化かんかりょう其弟はちにん修行しゅぎょうどる沙耶さやわか就是釋迦牟尼しゃかむにふつてき過去かこせいおとうとはちにんちゅう,二人但樂離欲化眾生,おさむ六波羅蜜而得無礙智,就是後來こうらいてき彌勒みろくあずか維摩つめあまりろくにん以欲しん修行しゅぎょう喜好きよし障礙しょうがい他人たにん,就是後來こうらいてき睺羅阿修羅あしゅらおう、毗摩しつ阿修羅あしゅらおうなみ陀阿修羅しゅらおうばばやや盧遮那るしゃな阿修羅あしゅらおうなみしゅんつつみばばたちざい佛說ぶっせつ興起こうきぎょう經卷きょうかん下地したじばばたちかぶと擲石えんけいだいなな佛陀ぶっだ開示かいじあずかつつみばばたちゆい怨的原因げんいん 聞如。一時佛在阿耨大泉。あずかだい比丘びく眾五ひゃくにん俱。みな阿羅漢あらかんろくつう神足こうたりただじょいち比丘びくおもねなん也。ふつつげ舍利しゃりどる往昔おうせき過去かこ。於羅閱只じょうゆう長者ちょうじゃめい曰須まゆみだい富多とみたにょう財寶ざいほうぞう七珍しっちん。僮僕さむらい使產業さんぎょう備足。めい須摩ひさげ。其父須檀。奄然いのちおわり。須摩ひさげゆう異母弟いぼていめいおさむ耶舍。ひさげこころねんわがとううんなん設計せっけいあずかおさむ耶舍ぶん。須摩ひさげふくねんただとうころせこれ。乃得あずかみみ。須摩ひさげおさむ耶舍。だいおとうとどもまい耆闍崛山じょうゆうしょ論說ろんせつ去來きょらいおさむ耶舍曰可なんじ。須摩ひさげそくおとうとしゅ上山かみのやますんで上山うえやまやめはたいたりぜっだかがけあたま便びん推置がけそこ。以石うずたかこれ便びんそくいのちぜっ佛語ふつご舍利しゃりどるなんじなんじ時長ときながしゃ須檀しゃのりこんちちおうきよし是也これやしか時子ときこ須摩ひさげしゃのり我身わがみおとうとおさむ耶舍しゃのりいまばばたちかぶと佛語ふつご舍利しゃりどるわがなんじむさぼざいがいおとうと。以是ざいゆえ無數むすうせんさい在地ざいち獄中ごくちゅうしょうため鐵山てつざんしょうずたかなんじざんえんこん雖得おもねおもんみさんほとけ不能ふのうめん此宿たいわが於耆闍崛やまけい行為こういばばたち兕。舉崖石長いしながろくたけ廣三こうぞうたけ。以擲ふつあたま。耆闍崛山しんきん埤羅。以手せっせきいし小片しょうへんほとばし墮中ふつ腳拇ゆびそくやぶ。於是世尊せそんそくせつ宿命しゅくめい曰  わが往以ざい  ころせ異母弟いぼてい  推著だかがけ  以石うずたか其上  以是いん緣故えんこ  ひさ地獄じごく  於其地獄じごくちゅう  ため鐵山てつざんしょうずたか  よし殘餘ざんよ殀  ばばたち下石おろじ  がけへん落傷腳  やぶわが腳拇ゆび  因緣いんねんおわり不朽ふきゅう  またちょ虛空こくう  とうまもるさん因緣いんねん  莫犯身口意しんくい  いまわがなりみことふつ  とくためさんかいはた  おもね大泉中おおいずみなか  せつ此先えん 佛語ふつご舍利しゃりどるなんじかん如來にょらい。眾惡やめつきしょぜんしょてん龍神りゅうじん帝王ていおう臣民しんみん一切いっさい眾生。みなほっなおゆう宿緣しゅくえん不能ふのうとくめんきょうふくめい得道とくどうしゃ舍利しゃりどるとうとうがく如是にょぜ。莫犯身口意しんくい佛說ぶっせつやめ舍利しゃりどる五百羅漢ごひゃくらかんおもね耨大龍王りゅうおう天龍てんりゅう鬼神きじんくつ阿須あずりん迦樓甄陀きゅう勒。聞佛所說しょせつ歡喜かんき受行

參考さんこう條目じょうもく

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注釋ちゅうしゃく

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  1. ^ だいから西域せいいきまきろく
  2. ^ ほうあらわでんちゅう天竺てんじく東天とうてん竺記ゆう
  3. ^ しゃく太虛たいきょ法華經ほけきょう講演こうえんろく》:「乞於てん而生,めい天授てんじゅ。」
  4. ^ ぞういちおもね含經》:つつみばばたちかぶと罪人ざいにん出火しゅっかこうちょうさんじゅうひじわかゆう眾生,興起こうきあいねんしんよく使つつみばばたちかぶとながしょ無為むい,以二大海水澆灌其身,みずひろつきおわり不滅ふめつなお如以二渧水著熱鏊上,おわり增減ぞうげんひさげばばたちかぶと愚人ぐじんまた如是にょぜ,以二大海水澆灌其身,みずひろつきおわり不滅ふめつつつみばばたちかぶと身體しんたい苦痛くつう如斯。
  5. ^ 根本こんぽんせつ一切有部毘奈耶破僧事卷3
  6. ^ おこり經卷きょうかんだいじゅう》:きよしめしおうせいいちめい悉達めいなん陀;しろめしいちめいみかどすななんひさげ迦;斛飯,一阿泥婁駄,二跋提梨迦;甘露かんろめし,一阿難陀,ひさげばばたち
  7. ^ ふんりついちじゅう
  8. ^ しゃく太虛たいきょ法華經ほけきょう講演こうえんろく》:「ひさげばばてん也。いたる。授也。斛飯おう之子ゆきこふつどうおとうと。」
  9. ^ じゅうゆうけい
  10. ^ 10.0 10.1 よんふんりつよん
  11. ^ じゅう誦律》さんろく
  12. ^ 曜經》いち
  13. ^ ゆうりつやぶそうごときゅう
  14. ^ 《戒因えんけいまきさん、《よんふんりつまきろく、《毗奈耶律》まき十一といち
  15. ^ 根本こんぽんせつ一切有部毗奈耶破僧事まき10:「於是ひさげばばたちそし毀聖せつけつせい耶見,ていだん善根ぜんこんただしゆう此生,さら後世こうせいさく知己ちき,於其眾,べつりつほう使つかい告知こくち曰:『なんじとうおう沙門しゃもんたかしこたえ及諸眾,鹹食乳酪にゅうらくわがひとししたがえ今更いまさらおうしょくなに緣由えんゆ此?れいかれ犢兒鎮嬰ひだるまた沙門しゃもんたかしこたえ聽食魚肉ぎょにくわがひとししたがえいまさらおうしょくなに緣由えんゆ此?於諸眾生ためだんいのちごとまた沙門しゃもんたかしこたえ聽食其鹽,わがひとししたがえ今更いまさらおうしょくなに緣由えんゆ此?よし其鹽內多ちりおおゆえまた沙門しゃもんたかし簽摩受用じゅようころも,截其縷績,わがひとししたがえこん受用じゅようころもとめちょう縷績。なに緣由えんゆ此?壞彼さく功勞こうろうゆえまた沙門しゃもんたかしこたえじゅうおもねらんわかしょわがひとししたがえ今住いまずみむらしゃなに緣由えんゆ此?棄捐施主せしゅしょほどこせ物故ぶっこ。』」內攝頌曰:「餐於乳酪にゅうらく魚肉ぎょにく以及しおちょう績在村中むらなか天授てんじゅほう。」
  16. ^ じゅう誦律》:ふつざいおうしゃしろかた黑石くろいしきよしさんあずかだい比丘びくななひゃくにん俱。なんじ世尊せそん中前ちゅうぜんちょころもばちおもねなんずいにゅうおうしゃじょう乞食こじき食後しょくご往詣講堂こうどう,於眾そうぜんじきすわしょすわ調達ちょうたつまた如是にょぜ中前ちゅうぜんちょころもばち,迦留ひさげしゃずいにゅうおうしゃじょう乞食こじき食後しょくごまい講堂こうどうずい次第しだいすわすわやめ調達ちょうたつそうちゅう唱言:「比丘びくおうつきがた受著おさめころもおうつきがた受乞しょくおうつきがたいちしょくおうつきがた受露じゅうおうつきがた受斷にくぎょほう隨順ずいじゅん少欲しょうよく知足ちそくえきやしなええき滿まんりょう精進しょうじん持戒じかい清淨せいじょう一心いっしんとおはなれこうどろ洹門。わか比丘びくぎょうほうやましとくどろ洹。」調達ちょうたつなんじほう說法せっぽうほうせつほうぜんせつぜんぜんせつぜんはんせつおかせはんせつはんけいせつじゅうじゅうせつけいゆうざんせつ無殘むざん無殘むざんせつゆうざんつね所行しょぎょうほうせつ非常ひじょう所行しょぎょうほう非常ひじょうしょ行法ぎょうほうせつつね所行しょぎょうほう言說げんせつげん言說げんせつごとふつなんじやくみことのり調達ちょうたつ:「なんじ莫作方便ほうべんやぶ和合わごうそう,莫受やぶそう因緣いんねんごとなんじあずかそうども和合わごう和合わごうしゃ歡喜かんきいさかい,一心一學如水乳合安樂行。なんじ莫非ほう說法せっぽうほうせつほうぜんせつぜんぜんせつぜんはんせつはんはんせつおかせけいせつじゅうじゅうせつけいゆうざんせつ無殘むざん無殘むざんせつゆうざんつね所行しょぎょうほうせつ非常ひじょう所行しょぎょうほう非常ひじょうしょ行法ぎょうほうせつつね所行しょぎょうほう言說げんせつげん言說げんせつごと。」調達ちょうたつ聞佛如是にょぜやくみことのり捨破そう因緣いんねんごととうふつやくみことのり調達ちょうたつ捨是ごとなんじ迦留ひさげしゃ比丘びくざい調達ちょうたつ以扇おうぎ調達ちょうたつとめひさげしゃ比丘びく即時そくじへん袒右かた合掌がっしょうしろふつごと:「如佛讚歎さんたん頭陀ずだ功德くどく上人しょうにん調達ちょうたつまた讚歎さんたん頭陀ずだ功德くどくふつなに以生妬心としん?」ふつごと:「じんわがゆうなん妬心としん過去かこ諸佛しょぶつ讚歎さんたんおさめころも、聽著おさめころもわがいままた讚歎さんたんおさめころも、聽著おさめころもまた聽著居士こじころもじん過去かこ諸佛しょぶつ讚歎さんたん乞食こじき、聽乞しょくわがいままた讚歎さんたん乞食こじき、聽乞しょくまた聽請しょくじん過去かこ諸佛しょぶつ讚歎さんたんいちしょく、聽いちしょくわがいま讚歎さんたんいちしょく、聽いちしょくまた聽再しょくじん過去かこ諸佛しょぶつ讚歎さんたん露地ろじじゅう、聽露じゅうわがいま讚歎さんたん露地ろじじゅう、聽露じゅうまた聽房しゃじゅうじんわが聽噉さんしゅ不淨ふじょうにく若見わかみわか聞、わかうたぐしゃ畜生ちくしょうためわが故殺こさつ。聞者,したがえ信人のぶと聞為なんじ故殺こさつ畜生ちくしょううたぐしゃちゅうほふうれまた死者ししゃじん凶惡きょうあくのうだつ畜生ちくしょういのちじん如是にょぜ三種肉我不聽噉。じんわが聽噉さんしゅきよしにく何等なんらさん聞、うたぐしゃためわが故殺こさつ畜生ちくしょう聞者,したがえ信人のぶと聞為なんじ故殺こさつ畜生ちくしょううたぐしゃ中有ちゅううほふじん慈心,不能ふのうだつ畜生ちくしょういのちわが聽噉如是にょぜさんしゅきよしにくじんわかだいほこら所謂いわゆるぞうほこらうまほこらひとほこらかず闍毘耶祠、三若みわか陀祠、隨意ずいいほこらわかしょかい殺生せっしょうしょほこら如是にょぜだいほこらかいちゅう聽沙もん釋子しゃくし噉肉。なに以故?だいほこらかいみなためきゃくゆえ。」佛說ぶっせつやめそくしたがえすわおこり入室にゅうしつ坐禪ざぜんなんじ調達ちょうたつさくごと:「わが調達ちょうたつそうちゅう唱言:『比丘びくおうつきがたちょおさめころもおうつきがた乞食こじきおうつきがたいちしょくおうつきがた露地ろじじゅうおうつきがた噉肉ぎょ。』ずいなん比丘びく,憙樂ほうしゃ便びんおこり捉籌。」唱已調達ちょうたつ及四伴即起捉籌。調達ちょうたつだいふくさくごと:「わが調達ちょうたつそうちゅう唱言:『比丘びくおうつきがたちょおさめころもおうつきがた乞食こじきおうつきがたいちしょくおうつきがた露地ろじじゅうおうつきがた噉肉ぎょ。』ずいなん比丘びく喜樂きらくほうしゃ便びんおこり捉籌。」唱第やめゆうひゃくじゅう比丘びくしたがえすわおこり捉籌。調達ちょうたつだいさんふくさくごと:「わが調達ちょうたつそうちゅう唱言:『比丘びくおうつきがたちょおさめころもおうつきがた乞食こじきおうつきがたいちしょくおうつきがた露地ろじじゅうおうつきがた噉肉ぎょ。』ずいなん比丘びく,憙樂ほうしゃ便びんおこり捉籌。」だい三唱さんしょうやめふくゆうひゃくじゅう比丘びくしたがえすわおこり捉籌。なんじ調達ちょうたつそくはた眾還住處すみかさら立法りっぽうせい調達ちょうたつさくごと:「おうつきがたちょおさめころもおうつきがた乞食こじきおうつきがたいちしょくおうつきがた露地ろじじゅうおうつきがた噉肉ぎょずいなん比丘びく憙樂、忍受にんじゅほうしゃじんわがひとしとおあずかわがべつとも。」
  17. ^ しるしじゅん. はなしゅうさんろんつつみばばたちやぶそう. [2024-05-22]. (原始げんし內容そん於2023-03-24). 
  18. ^ 根本こんぽんせつ一切有部毗奈耶破僧事》,からあさよしきよしわけ
  19. ^ 晡剌拿曰:「わがつねいいもろしゃ迦種內唯なんじいちかいりょう聰明そうめいあにいいなんじいままたなり蠢。あにゆう後世こうせいれいなんじゆう?わかゆう後世こうせいなんじづくり斯業しぎょうしゃわがまたため愁思しゅうし而住。」かれためひらけかい天授てんじゅじょう便びん對面たいめんなぐやぶおのれびん,而告曰:「たててん世間せけん不能ふのうれい此更ため和會かずえさら後世こうせいだれ往受?作者さくしゃ受者なみなり虛說きょせつしか而可往劫畢羅窣睹じょう自稱じしょう天子てんしためおう而住。わがとうさくなんじだいいち聲聞しょうもん。」於時ひさげばばたち便びんそしきよし邪見じゃけんとげきょうのうれい一切いっさい善根ぜんこん斷絕だんぜつ

參考さんこう文獻ぶんけん

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  • ひさげばばたちてき傳說でんせつ》(1966, B. Mukhevjee)
  • 根本こんぽんせつ一切有部毗奈耶破僧事》,からあさよしきよしわけ

外部がいぶ連結れんけつ

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