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本性ほんしょう (佛教ぶっきょう)

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重定しげさだこう心性しんせい

本性ほんしょう梵語ぼんごप्रकृतिprakṛtiともえとしpakati),またわけためせい[1]自性じしょう[2]自然しぜん[3]印度いんど哲學てつがく術語じゅつご最早もはや起源きげんかずろんてき二元論にげんろん哲學てつがく[4]みとめため獨立どくりつかみてき另一實體じったいひらきてん萬物ばんぶつゆう萬物ばんぶつ本源ほんげんてき意思いしまたわけため原質げんしつ

佛教ぶっきょう採用さいようりょう這個術語じゅつごただし賦與ふよ不同ふどう意義いぎ,含義為事しごと物的ぶってき本質ほんしつつねあずかそらせい同時どうじ使用しようなみはた它視ため自性じしょうてき同義どうぎざい佛教ぶっきょう哲學てつがくちゅう本性ほんしょうなみいち實體じったい,也非萬物ばんぶつ本源ほんげん

概論がいろん

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うすとぎ梵歌ちゅう,以原しつ(prakṛti)原人げんじんため推動世界せかいてきだい一因いちいん最初さいしょいん[5]ざい印度いんどきょうなかほえまゆみおお主義しゅぎ主導しゅどう地位ちい本性ほんしょう(prakṛti)みとめため宇宙うちゅう存在そんざいあずかうんさくてき智慧ちえ本質ほんしつざいすうろん中也ちゅうや使用しよう這術

於部佛教ぶっきょう時期じき佛教ぶっきょう開始かいし使用しよう本性ほんしょう這術ざいおもね含經》ちゅう就有使用しよう。一般用於指稱事物的本質,つねあずかそらせい同時どうじ使用しようただしざい佛教ぶっきょう哲學てつがくちゅうみとめ為本ためもとせいため世界せかいだい一因いちいん,也非宇宙うちゅうてき智慧ちえ本質ほんしつ

ざい佛教ぶっきょうてきおもね毘達論藏ろんぞうなか,它與自性じしょう(svabhāva)通常つうじょうみとめため同義どうぎざい一般語句中可以互換使用。ただしざいだんいた心性しんせいもときよし自性じしょう清淨せいじょうしんときただかい使用しよう本性ほんしょう(prakṛti)清淨せいじょう。《だい毘婆すなろんしょう小空こそらけい所說しょせつぎょうそら解釋かいしゃく為本ためもとせいそら[6]並列へいれついれじゅうそら

佛教ぶっきょうかく宗派しゅうは說法せっぽう

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大乘だいじょう佛教ぶっきょうしょう諸法しょほう本性ほんしょうため[7]ある真如しんにょ[8]たい如來にょらいぞう學派がくはそくこれ如來にょらいぞうある佛性ぶっしょう

註釋ちゅうしゃく

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  1. ^ ばとわけりゅういつきちゅうろん》:「わかほうじつ有性ゆうせいのりおうことせいわかゆう異相いそうごとおわりしか。【あおしゃくわか諸法しょほう決定けってい有性ゆうせいおわりおう變異へんいなに以故?わかていゆう自性じしょうおうゆう異相いそう如上じょじょう真金まがね喻。こんげん諸法しょほうゆう異相いそう當知とうち有定ありさだしょう。」
  2. ^ なみ頗蜜わけしんべん般若はんにゃとうろんしゃく》:「わかゆう自性じしょうのりとくげん自性じしょうゆうことしゃ畢竟ひっきょうおうしか。」
  3. ^ 竺法まもるわけせい法華經ほけきょう》:「諸佛しょぶつもときよし常行つねゆき自然しぜん,此諸よしみしゃふつしょ開化かいか。」這當ちゅうてき自然しぜん對照たいしょう梵文ぼんぶんほんそく本性ほんしょう(prakṛti)てき另譯。
  4. ^ 姚衛ぐん佛教ぶっきょうてき如來にょらいぞう思想しそうあずか婆羅門教ばらもんきょうてき”》:「婆羅門教ばらもんきょう哲學てつがくちゅうてきすうろん瑜伽ゆがれん緊密きんみつてき兩個りゃんこ别。它們せき於“てき觀念かんねん基本きほん一致いっちてきざい一般的數論派與瑜伽派的典籍中(ゆう其是ざい中國ちゅうごく古代こだい翻譯ほんやくてきすうろん典籍てんせきあるかんやく佛典ぶってん對數たいすうろんてき敘述ちゅう),所謂いわゆるあずか一般的奧義書及其他婆羅門教派別說的“”(Ātman)なみあいどうかずろんあずか瑜伽ゆがちゅうせつてきさらため流行りゅうこうてきかんやく術語じゅつごかみ”(Puruṣa),它被みとめためいち獨立どくりつてき精神せいしんせい實體じったい。這一實體與數論及瑜伽派中論述的另一實體“自性じしょう”(Prakṛti)並列へいれつ存在そんざいたい自性じしょう轉化てんか出世間しゅっせけん事物じぶつおこりぼうしゅ作用さようまいり自在じざいくろてきかずろん頌》21及喬荼波陀相おうてき註)。 」
  5. ^ 寶生ほうしょうわけうすとぎ梵歌》:「你要知道ともみち原質げんしつ原人げんじん兩者りょうしゃぼつゆうおこりはじめ,你要知道ともみち變化へんか性質せいしつ們都さんせい於原しつ效果こうか手段しゅだん行動こうどうしゃ原質げんしつせつなり原因げんいん痛苦つうく快樂かいらくてき感受かんじゅしゃ原人げんじんせつなり原因げんいん原人げんじんきょ於原しつちゅう感受かんじゅ原質げんしつさんせいてき性質せいしつめんたい性質せいしつてきしる善生よしきあくせいてき原因げんいん。」
    じょ梵澄わけうすとぎ梵歌》:「當知とうち自性じしょうあずかかみわが兮,みなはじめまた當知とうち轉變てんぺんあずかこうのうみなよし自性じしょう而起。自性じしょういいいんせい因果いんがいんしんわがいいいん受苦じゅくらくいんかみわがぐう乎自せい享受きょうじゅこうのうよし自性じしょうせい;而執とどこお於功のう,乃生ぜんぜん胎之いん。」
  6. ^ だい毘婆すなろん》:「如契けいせつ:『一時いちじふつじゅうしついかだ城東じょうとう鹿しかはは精舍しょうじゃ尊者そんじゃおもねがたまいふつしょいただきれいそうあし,而白ふつごとわが憶一時佛住釋種迷主盧園,おやしたがえ世尊せそん聞如よしゆかりわがじゅうそらさん乃至ないしこうせつわが於是よしぜん受持うけもち世尊せそんつげ曰:なんじぜん受持うけもち,如說こと。』……しょ苾芻,聞世尊せそんせつゆかりわがじゅうそらさん便びんうたぐ此是ふつきょうじょうふつ其意,つげおもねなんげん:『わかゆう苾芻,またほしじゅう此空じょうしゃとうじょじょう邑想,及有情うじょうおもえおこりおもねねりわかおもえわかのう如是にょぜあずかわがこと。』……世尊せそん於是,ふくつげおもねなん:『わかあまり苾芻,またほしじゅう此空じょうしゃとうじょ有情うじょうおもえ,及阿ねりわかおもえおこり於地おもえわかのう如是にょぜあずかわがこと如是にょぜ有餘ゆうよ苾芻,おうじょおもねねりわかおもえ,及地おもえおこりそら無邊むへんしょそう乃至ないし有餘ゆうよ苾芻,おうじょ識無しょおもえ,及無所有しょゆうしょおもえおこりそうそうしょおもえわかのう如是にょぜあずかわがことわかふくのうじょ所有しょゆうしょおもえ,及非おもえそうしょおもえ,乃能究竟くっきょうじゅう空想くうそう。』……ふつつげおもねなん:『如是にょぜおもむきいれ上空じょうくうじょうのうそくつきしょあかしとくゆき解脫げだつ。』」
    といふつごとわがじゅうそらさんしゃじゅうなんそら?……ひょう曰:おうさくせつじゅう本性ほんしょうむなし觀法かんぽう本性ほんしょうそら無我むが,雖見へん壞,而不ゆう惱。」
  7. ^ りゅういつき大智たいちろん》:「諸佛しょぶつけんせい種種しゅじゅ方便ほうべん說法せっぽうやぶ無明むみょうとうしょ煩惱ぼんのうれい生還せいかんとくせい,如本ことめいため「如」。」
  8. ^ げんなり唯識ゆいしきろん》:「しんいい真實しんじつあらわ虛妄きょもう;如,いい如常,ひょうへんえきいい真實しんじつ,于一切いっさいつね如其せい真如しんにょそくたたえしか虛妄きょもう。」