カリーのパラドックス

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カリーのパラドックスえい: Curry's paradox)は、素朴そぼく集合しゅうごうろん素朴そぼく論理ろんりがくられるパラドックスであり、自己じこ言及げんきゅうぶんといくつかの一見いっけん問題もんだいない論理ろんりてき推論すいろん規則きそくから任意にんいぶん派生はせいされることをしめす。名称めいしょう由来ゆらい論理ろんり学者がくしゃハスケル・カリーから。

ドイツの数学すうがくしゃマルティン・フーゴー・レープ(Martin Hugo Löb)のをとって レープのパラドックスともばれている[1]

自然しぜん言語げんご場合ばあい[編集へんしゅう]

カリーのパラドックスの自然しぜん言語げんごはんつぎのようなぶんである。

このぶんしんなら、サンタクロースは実在じつざいする。

このぶんしんであると仮定かていする。すると、その内容ないようからサンタクロースが実在じつざいするということが結論けつろんとしてられる。これは conditional derivation条件じょうけん演繹えんえき)とばれる自然しぜん演繹えんえき技法ぎほう使つかった推論すいろんである。

つまり、このぶんしんであるなら、サンタクロースは実在じつざいする — これはそのぶんそのものとまったおなじである。したがってこのぶんしんであり、サンタクロースは実在じつざいしなければならない。

このぶんがた使つかえばどんな主張しゅちょうも「証明しょうめい」される。これがパラドックスである。

数理すうり論理ろんりがく場合ばあい[編集へんしゅう]

証明しょうめいしようとしている命題めいだいを Y とし、ここでは「サンタクロースは実在じつざいする」という命題めいだいあらわすとする。つぎに X がしんであれば Y がつというぶんを X であらわす。数学すうがくてきにはこれを X = (X → Y) としるし、X が自分じぶん自身じしん使つかって定義ていぎされていることがわかる。証明しょうめい以下いかのようになる。

1. X → X

つねしんしき

2. X → (X → Y)

X = X → Y であることから、1 の右辺うへん置換ちかん

3. X → Y

2 にちぢみやく規則きそく適用てきよう

4. X

X = X → Y であることから 3 を置換ちかん

5. Y

4 と 3 にモーダスポネンス適用てきよう

派生はせいとして、Y が Z∧¬Z のような矛盾むじゅんした形式けいしき場合ばあいもある。この場合ばあい、X が X = (X → (Z∧¬Z)) となる。これに推論すいろん規則きそく適用てきようしていくと最終さいしゅうてきに X = ¬X となり、うそつきのパラドックス等価とうかである。

素朴そぼく集合しゅうごうろん場合ばあい[編集へんしゅう]

数理すうり論理ろんり学的がくてきには自己じこ言及げんきゅうぶんふくまなくとも、素朴そぼく集合しゅうごうろんではつぎ集合しゅうごう X から任意にんい論理ろんりしき Y を証明しょうめいできる。

証明しょうめい以下いかとおり。

この場合ばあいも Y 自身じしん矛盾むじゅんした論理ろんりしき派生はせい形式けいしきがある。その場合ばあいの X は となり、最終さいしゅうてきられる。これは自分じぶん自身じしんふくまないぜん集合しゅうごう集合しゅうごうあらわしている。これはラッセルのパラドックス等価とうかである。

議論ぎろん[編集へんしゅう]

カリーのパラドックスは以下いかのような条件じょうけんたす任意にんい言語げんご表現ひょうげんできる。

  1. なんらかの機構きこう疑問符ぎもんふ名詞めいし、あるいは「このぶん」などの表現ひょうげん)により、そのぶん自身じしん言及げんきゅうできるようになっている。
  2. 真理しんり述語じゅつご記述きじゅつできる。つまり、言語げんごめいを "L" としたとき、"true-in-L" という意味いみ述語じゅつご記述きじゅつできる。
  3. ちぢみやく規則きそくみとめられている。おおまかにえば、適当てきとう仮説かせつ必要ひつようおうじてなんでも適用てきようできることを意味いみする。
  4. 同一どういつせい規則きそく(A ならば A である)がみとめられ、モーダスポネンス(「Aである」と「AならばBである」から「Bである」がられる)がみとめられる。

これ以外いがいにも条件じょうけん組合くみあわせはかんがえられる。自然しぜん言語げんごはほとんどかならずこれらの特徴とくちょうそなえている。一方いっぽう数理すうり論理ろんりがく一般いっぱん自己じこ言及げんきゅう明確めいかく支持しじしないが、ゲーデルの不完全性ふかんぜんせい定理ていり自己じこ言及げんきゅうおこな方法ほうほうつね存在そんざいすることを示唆しさしている。真理しんり述語じゅつご一般いっぱん存在そんざいしないが、素朴そぼく集合しゅうごうろんでは制限せいげん包含ほうがん関係かんけいゆるされることから真理しんり述語じゅつごてくる。ちぢみやく規則きそく一般いっぱんみとめられているが、線形せんけい論理ろんりではこのパラドックスで必要ひつようとするような推論すいろんゆるさない。

うそつきのパラドックスやラッセルのパラドックスとはことなり、カリーのパラドックスは使つかわれている「否定ひてい」のモデルに依存いぞんしない。このため、矛盾むじゅん許容きょよう論理ろんりうそつきのパラドックスにはたいせいがあるが、カリーのパラドックスにはよわい。

カリーのパラドックスの解法かいほうは、自明じめいでない解法かいほうであって難解なんかい直観ちょっかんてきでないため、議論ぎろんがある。このようなぶん許容きょようされるべきかか、許容きょようされない場合ばあいどうやってるのか、あるいは無意味むいみなのか、それとも真理しんりという概念がいねんそのものが間違まちがっているのか、論理ろんり学者がくしゃらは結論けつろんすにいたっていない。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ Barwise, Jon and John Etchemendy, 1987, The Liar. Oxford University Press, p.23.

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]