チェーザレ・ロンブローゾ
チェーザレ・ロンブローゾ (Cesare Lombroso 、1835年 ねん 11月6日 にち - 1909年 ねん 10月19日 にち )は、イタリア の精神 せいしん 科 か 医 い で、犯罪 はんざい 生物 せいぶつ 学 がく の祖 そ 型 がた となった犯罪 はんざい 人類 じんるい 学 がく (英語 えいご 版 ばん ) を生 う み出 だ した。ノーベル生理学 せいりがく ・医学 いがく 賞 しょう を受賞 じゅしょう したカミッロ・ゴルジ の指導 しどう 教官 きょうかん でもある。隔世 かくせい 遺伝 いでん により先祖返 せんぞがえ りした犯罪 はんざい を犯 おか しやすい人類 じんるい の一 いち 変種 へんしゅ が存在 そんざい し、身体 しんたい 形質 けいしつ (外見 がいけん )によって判別 はんべつ 可能 かのう だとする生来 せいらい 性 せい 犯罪 はんざい 者 しゃ 説 せつ を唱 とな え、当時 とうじ 大 おお きな影響 えいきょう 力 りょく をもったが、現在 げんざい では否定 ひてい されている。「犯罪 はんざい 学 がく の父 ちち 」とも呼 よ ばれることもあるが[注釈 ちゅうしゃく 1] 、「科学 かがく としての犯罪 はんざい 学 がく はロンブローゾに始 はじ まる」というのは通説 つうせつ にすぎず、「犯罪 はんざい 学 がく における神話 しんわ 」であると指摘 してき されている[2] 。
1835年 ねん 11月6日 にち 、北 きた イタリアのヴェローナ で、ユダヤ人 じん の家庭 かてい に生誕 せいたん [3] 。幼少 ようしょう 時 じ より天才 てんさい と名高 なだか く、2歳 さい でギリシア語 ご 、ラテン語 らてんご で会話 かいわ し、14歳 さい で『ローマの盛衰 せいすい 』を著 あらわ した[4] 。18歳 さい で医学 いがく を志 こころざ し、パドヴァ大学 だいがく 、ウィーン大学 だいがく 、パリ大学 だいがく で医学 いがく を学 まな んだ[4] 。1859年 ねん 、軍医 ぐんい としてイタリア統一 とういつ 戦争 せんそう に従軍 じゅうぐん 。1863年 ねん から1872年 ねん までの間 あいだ に、パヴィア 、ペーザロ 、レッジョ・エミリア の精神 せいしん 病院 びょういん の院長 いんちょう を歴任 れきにん した。パヴィア大学 だいがく 教授 きょうじゅ となり、1876年 ねん トリノ大学 だいがく の法医学 ほういがく および衛生 えいせい 学 がく 教授 きょうじゅ となり、トリノ監獄 かんごく で囚人 しゅうじん の研究 けんきゅう を始 はじ めた[6] 。1906年 ねん 同大 どうだい の犯罪 はんざい 人類 じんるい 学 がく の教授 きょうじゅ に就任 しゅうにん した[6] 。
1870年 ねん 4月 がつ 10日 とおか にニナ・デ・ベネデッティ(Nina De Benedetti)と結婚 けっこん し、彼女 かのじょ との間 あいだ にジーナ (イタリア語 ご 版 ばん ) を含 ふく む5人 にん の子 こ を儲 もう けた[7] 。
研究 けんきゅう 領域 りょういき は、内分泌 ないぶんぴつ 異常 いじょう 、ビタミン欠乏症 けつぼうしょう の研究 けんきゅう 、天才 てんさい と狂気 きょうき の関係 かんけい を研究 けんきゅう する病 やまい 跡 あと 学 がく (パトグラフィー)と幅広 はばひろ く、筆跡 ひっせき 学 がく 、催眠 さいみん ・心霊 しんれい 現象 げんしょう の研究 けんきゅう もある[4] 。キャリアの初期 しょき には忠実 ちゅうじつ な唯物 ゆいぶつ 論 ろん 者 しゃ だったが、晩年 ばんねん には心霊 しんれい 主義 しゅぎ に興味 きょうみ を持 も ち、心霊 しんれい 現象 げんしょう を事実 じじつ と認 みと めるようになった[7] 。
1909年 ねん 10月19日 にち 、トリノ で死去 しきょ 。ジーナは父親 ちちおや の死後 しご 、彼 かれ の晩年 ばんねん の著述 ちょじゅつ を編集 へんしゅう して出版 しゅっぱん した[7] 。
生来 せいらい 性 せい 犯罪 はんざい 者 しゃ 説 せつ [ 編集 へんしゅう ]
『犯罪 はんざい 人 じん 』より
『犯罪 はんざい 人 じん 』より
『犯罪 はんざい 人 じん 』より
『犯罪 はんざい 人 じん 』より、刺青 しせい
『犯罪 はんざい 人 じん 』より
ロンブローゾが行 おこな った研究 けんきゅう のうち最 もっと も有名 ゆうめい なのは、1876年 ねん に上梓 じょうし された『犯罪 はんざい 人 じん (L'uomo delinquente 、ホモ・デリンクエンス)』である。全 ぜん 3巻 かん 、約 やく 1,900ページにも及 およ ぶこの大著 たいちょ において、彼 かれ は犯罪 はんざい に及 およ ぼす遺伝 いでん 的 てき 要素 ようそ の影響 えいきょう を指摘 してき した。これは精神 せいしん 医学 いがく の概念 がいねん であったベネディクト・モレル の「変質 へんしつ 」(堕落 だらく 、退化 たいか (英語 えいご 版 ばん ) )概念 がいねん を犯罪 はんざい 研究 けんきゅう に導入 どうにゅう したものと言 い え、フランツ・ヨーゼフ・ガル の骨相 こっそう 学 がく [注釈 ちゅうしゃく 2] を直接的 ちょくせつてき に継承 けいしょう しており[注釈 ちゅうしゃく 3] 、アンドレ・ミシェル・ゲリー (英語 えいご 版 ばん ) 、アドルフ・ケトレー の犯罪 はんざい 統計 とうけい 学 がく 、チャールズ・ダーウィン の進化 しんか 論 ろん の強 つよ い影響 えいきょう を受 う けていた[3] 。
ロンブローゾはかねてより「天賦 てんぷ の才能 さいのう 」についての研究 けんきゅう を行 おこな い、『天才 てんさい と狂気 きょうき (Genio e follia 、1864年 ねん )』などの著作 ちょさく を世 よ に問 と うていた。ブリガンテ (イタリア語 ご 版 ばん ) (「山賊 さんぞく 」「匪賊 ひぞく 」と和訳 わやく される)のヴィレラの検視 けんし を行 おこな った際 さい に、頭蓋骨 ずがいこつ にある特徴 とくちょう が下等 かとう な脊椎動物 せきついどうぶつ のそれに類似 るいじ していることを「発見 はっけん 」し、「突然 とつぜん 、燃 も えさかる空 そら の下 した に照 て らし出 だ された大地 だいち のように、犯罪 はんざい 者 しゃ の性質 せいしつ の問題 もんだい 」の解決 かいけつ が閃 ひらめ き、「彼 かれ らが原始 げんし 的 てき な人類 じんるい や下等 かとう な動物 どうぶつ の残忍 ざんにん な本性 ほんしょう をその身体 しんたい の内 うち に再生 さいせい させた隔世 かくせい 遺伝 いでん (atavism)の産物 さんぶつ である」という発想 はっそう を得 え た[11] 。ロンブローゾはこの考 かんが えを「単 たん なる考 かんが えではなく啓示 けいじ である」であると称 しょう している。
骨相 こっそう 学 がく 、観相 かんそう 学 がく 、人類 じんるい 学 がく 、遺伝 いでん 学 がく 、統計 とうけい 学 がく 、社会 しゃかい 学 がく などの手法 しゅほう を動員 どういん し、退化 たいか の隔世 かくせい 遺伝 いでん を表 あらわ す身体 しんたい 的 てき 特徴 とくちょう (烙印 らくいん )の目録 もくろく を作 つく り、人間 にんげん の身体 しんたい 的 てき ・精神 せいしん 的 てき 特徴 とくちょう と犯罪 はんざい との相関 そうかん 性 せい を検証 けんしょう した。彼 かれ は処刑 しょけい された囚人 しゅうじん の遺体 いたい を解剖 かいぼう 、頭蓋骨 ずがいこつ の大 おお きさや形状 けいじょう を丹念 たんねん に観察 かんさつ した。解剖 かいぼう された頭蓋骨 ずがいこつ は383個 こ にのぼり、5907人 にん の体格 たいかく を調査 ちょうさ した[12] 。こうした多大 ただい な労力 ろうりょく を費 つい やした末 すえ に、彼 かれ は「犯罪 はんざい 者 しゃ には一定 いってい の身体 しんたい 的 てき ・精神 せいしん 的 てき 特徴 とくちょう (Stigmata)が認 みと められる」との結果 けっか に至 いた った。
ロンブローゾは犯罪 はんざい 者 しゃ の身体 しんたい 的 てき 特徴 とくちょう として、次 つぎ のような18項目 こうもく を挙 あ げている。
小 ちい さな脳 のう
厚 あつ い頭蓋骨 ずがいこつ
大 おお きな顎 あご 、顎 あご の前方 ぜんぽう への突出 とっしゅつ
低 ひく い額 がく
高 たか い頬骨 ほおぼね
平 たい らな鼻 はな 、または上向 うわむ きの鼻 はな
取 と っ手 て のような形 かたち をした耳 みみ
鷹 たか のような鼻 はな
肉付 にくづ きのよい唇 くちびる
異常 いじょう な歯並 はなら び
厳 きび しい目 め つき、泳 およ ぐ目線 めせん
毛深 けぶか さ
ひげが少 すく ない、またはない
下肢 かし に比 くら べて腕 うで が長 なが い[7]
また精神 せいしん 的 てき 特徴 とくちょう として道徳 どうとく 観念 かんねん の欠如 けつじょ 、残忍 ざんにん 性 せい 、衝動 しょうどう 性 せい 、怠惰 たいだ 、低 ひく い知能 ちのう 、痛覚 つうかく の鈍麻 どんま 、(ホモ・デリンクエンス特有 とくゆう の心理 しんり の表象 ひょうしょう としての)刺青 しせい 、強 つよ い自己 じこ 顕示 けんじ 欲 ほっ 等 とう を列挙 れっきょ した。先史 せんし 時代 じだい の人 ひと 、未開 みかい 人 じん 、動物 どうぶつ との比較 ひかく から、これらの特徴 とくちょう は人類 じんるい よりもむしろ類人猿 るいじんえん において多 おお くみられるものであり、人類 じんるい 学 がく 的 てき にみれば、原始 げんし 人 じん の遺伝 いでん 的 てき 特徴 とくちょう が隔世 かくせい 遺伝 いでん によって再現 さいげん した原始 げんし 的 てき (先祖返 せんぞがえ り)又 また は退行 たいこう 的 てき な起源 きげん を持 も つ複数 ふくすう の身体 しんたい 的 てき 異常 いじょう の発現 はつげん であり、犯罪 はんざい 者 しゃ はこうした退行 たいこう 的 てき 隔世 かくせい 遺伝 いでん が生 しょう じた、人類 じんるい の下等 かとう な段階 だんかい の甦 よみがえ り、人類 じんるい の一変 いっぺん 種 しゅ 「ホモ・デリンクエンス(犯罪 はんざい 人 じん ) 」という説 せつ を立 た てた[11] 。精神 せいしん 医学 いがく 的 てき 見地 けんち からは悖徳 はいとく 狂 きょう と、病理 びょうり 学 がく 的 てき 見地 けんち からはてんかん 症 しょう と診断 しんだん される。そしてこれらの特徴 とくちょう をもって生 う まれた者 もの は、文明 ぶんめい 社会 しゃかい の道徳心 どうとくしん や責任 せきにん 感 かん を持 も ち合 あ わせておらず、文明 ぶんめい 社会 しゃかい に適応 てきおう することができず犯罪 はんざい に手 て を染 そ めやすい、即 すなわ ち犯罪 はんざい 者 しゃ となることを先天的 せんてんてき に宿命 しゅくめい 付 つ けられた存在 そんざい であると結論 けつろん 付 つ けた。犯罪 はんざい 者 しゃ の約 やく 3分 ぶん の1はホモ・デリンクエンスであって、生来 せいらい の素質 そしつ のために必然 ひつぜん 的 てき に犯罪 はんざい 者 しゃ になるのだから、道義 どうぎ 的 てき な非難 ひなん という意味 いみ での処罰 しょばつ は間違 まちが っており、犯罪 はんざい の責任 せきにん を負 お わせるわけにはいかないが、彼 かれ らは危険 きけん な存在 そんざい であるのだから、国家 こっか が対策 たいさく を講 こう じねばならないと主張 しゅちょう した[12] 。ロンブローゾは犯罪 はんざい 者 しゃ の人道的 じんどうてき 処遇 しょぐう を提唱 ていしょう し、犯罪 はんざい 者 しゃ 自身 じしん と社会 しゃかい を守 まも るために、ホモ・デリンクエンスを社会 しゃかい から排除 はいじょ することを主張 しゅちょう し、ホモ・デリンクエンスでない犯罪 はんざい 者 しゃ については更生 こうせい できると考 かんが え死刑 しけい に反対 はんたい した[7] 。ホモ・デリンクエンスの犯罪 はんざい 者 しゃ の死刑 しけい は肯定 こうてい している。
ロンブローゾは、文明 ぶんめい の中心 ちゅうしん たるヨーロッパ内部 ないぶ に、「動物 どうぶつ や『未開 みかい 人 じん 』のように貧 まず しく不潔 ふけつ な生活 せいかつ を送 おく る都市 とし の貧民 ひんみん や犯罪 はんざい 者 しゃ 、辺鄙 へんぴ な田舎 いなか で先史 せんし 時代 じだい の穴居 けっきょ 人 じん のように暮 く らす貧農 ひんのう や、獣 しし のような性欲 せいよく を持 も つ性的 せいてき 倒錯 とうさく 者 しゃ 等 とう 『野蛮 やばん 人 じん 』や『原住民 げんじゅうみん 』に相当 そうとう する変質 へんしつ ・退化 たいか した者 もの 」、犯罪 はんざい 者 しゃ 予備 よび 群 ぐん が存在 そんざい するとして問題 もんだい 視 し し、国民 こくみん として彼 かれ らをどうにか近代 きんだい 国家 こっか に統合 とうごう しなければならないと考 かんが え、罪 つみ を犯 おか すことが宿命 しゅくめい 付 つ けられている人々 ひとびと を、外見 がいけん 的 てき 特徴 とくちょう から犯行 はんこう 前 まえ に識別 しきべつ して隔離 かくり できるようにすることが、犯罪 はんざい 人類 じんるい 学 がく の使命 しめい であるとみなした。イタリアが近代 きんだい 国家 こっか として統一 とういつ したのは1861年 ねん とヨーロッパの中 なか で遅 おそ く、南北 なんぼく に長 なが く地域 ちいき の多様 たよう 性 せい に富 と むイタリア半島 はんとう を国 くに としてまとめることは難航 なんこう していた。和光大学 わこうだいがく の宮崎 みやざき かすみは「ロンブローゾはイタリアの政治 せいじ 的 てき 後進 こうしん 性 せい という問題 もんだい を克服 こくふく するために、進化 しんか 論 ろん 的 てき 生物 せいぶつ 学 がく と形質 けいしつ 人類 じんるい 学 がく を動員 どういん した」と述 の べている。
ロンブローゾの生得 しょうとく 的 てき な犯罪 はんざい 性 せい の理論 りろん 、犯罪 はんざい 人類 じんるい 学 がく は、退化 たいか ・変質 へんしつ が外 そと から識別 しきべつ 可能 かのう なものと考 かんが えた点 てん で人類 じんるい 学 がく の系譜 けいふ に属 ぞく しており、「生来 せいらい 性 せい 犯罪 はんざい 者 しゃ 説 せつ 」と呼 よ ばれている。しかし、1906年 ねん の最後 さいご の著書 ちょしょ 『犯罪 はんざい 、原因 げんいん と治療 ちりょう 』では、大幅 おおはば に犯罪 はんざい の環境 かんきょう 要因 よういん を書 か き加 くわ えており、主張 しゅちょう にかなり変化 へんか が見 み られる。
犯罪 はんざい 者 しゃ だけでなく娼婦 しょうふ や同性愛 どうせいあい 者 しゃ も、隔世 かくせい 遺伝 いでん によって当代 とうだい のヨーロッパ人 じん よりも何 なに 世代 せだい も前 まえ の未開 みかい ・野蛮 やばん な状態 じょうたい に先祖返 せんぞがえ りしており、そのため売春 ばいしゅん や同性愛 どうせいあい といった行動 こうどう に走 はし るのだと説明 せつめい した。
犯罪 はんざい 人類 じんるい 学 がく では、人間 にんげん の行為 こうい は「脳 のう という生理学 せいりがく 的 てき な要素 ようそ によって決定 けってい される傾向 けいこう がある」として、「精神 せいしん は脳 のう という物質 ぶっしつ の作用 さよう 」であると考 かんが える[9] 。哲学 てつがく 者 しゃ の中山 なかやま 元 はじめ は、「これは精神 せいしん が『物 もの 』とみなされるということである」と述 の べている[9] 。
女性 じょせい 犯罪 はんざい 月経 げっけい 要因 よういん 説 せつ [ 編集 へんしゅう ]
『女性 じょせい 犯罪 はんざい 者 しゃ 、売春 ばいしゅん 婦 ふ 、正常 せいじょう な女性 じょせい 』より
ヨーロッパの19世紀 せいき 末 まつ の医師 いし たちは、「女性 じょせい の本性 ほんしょう 」のモデルを母性 ぼせい のイメージに合 あ わせて構築 こうちく し、「生殖 せいしょく のためにだけ生 い きる」女性 じょせい の本能 ほんのう 、すなわち母性 ぼせい 本能 ほんのう に罪 つみ を犯 おか すことは含 ふく まれず、「子宮 しきゅう に支配 しはい されている 」女性 じょせい は必然 ひつぜん 的 てき に「虚弱 きょじゃく 」であるため、女性 じょせい が男性 だんせい と同等 どうとう の犯罪 はんざい を行 おこな うことは、狂気 きょうき にとらわれでもしない限 かぎ りできないと考 かんが えられていた。19世紀 せいき 後半 こうはん 、多 おお くの女性 じょせい 犯罪 はんざい 者 しゃ は精神 せいしん 障害 しょうがい 者 しゃ とみなされ、監獄 かんごく ではなく精神 せいしん 病院 びょういん に送 おく られた。
ロンブローゾの女性 じょせい 犯罪 はんざい に関 かん する研究 けんきゅう は、女性 じょせい の頭蓋骨 ずがいこつ の計測 けいそく と写真 しゃしん から始 はじ まり、先天的 せんてんてき な退化 たいか の兆候 ちょうこう を探 さぐ ったが、女性 じょせい の犯罪 はんざい 者 しゃ はまれであり、退化 たいか の兆候 ちょうこう はほとんど見 み られないと結論 けつろん づけた[7] 。彼 かれ は、真 しん に女性 じょせい 的 てき な罪 つみ 、唯一 ゆいいつ 言及 げんきゅう に値 あたい する罪 つみ は売春 ばいしゅん 罪 ざい であるとを固 かた く信 しん じており、娘 むすめ の夫 おっと グッリエルモ・フェッレーロとの共著 きょうちょ 『女性 じょせい 犯罪 はんざい 者 しゃ 、売春 ばいしゅん 婦 ふ 、正常 せいじょう な女性 じょせい 』(1893年 ねん )では、ほぼ全面 ぜんめん 的 てき に売春 ばいしゅん について取 と り上 あ げている。
女性 じょせい は生 う まれつき受動 じゅどう 的 てき で、犯罪 はんざい 者 しゃ になるための知性 ちせい や自発 じはつ 性 せい を欠 か き、それが法 ほう を犯 おか すことを妨 さまた げているのだと主張 しゅちょう した[7] 。本書 ほんしょ では、女性 じょせい は生来 せいらい 嫉妬 しっと 深 ふか く、残虐 ざんぎゃく (特 とく に同性 どうせい や弱者 じゃくしゃ 相手 あいて の場合 ばあい 拍車 はくしゃ がかかる)、冷酷 れいこく 、短気 たんき 、不道徳 ふどうとく 、不誠実 ふせいじつ 、復讐 ふくしゅう 心 しん や虚栄 きょえい 心 しん が強 つよ く、こうした性質 せいしつ は通常 つうじょう 、母性 ぼせい 、低 ひく い知性 ちせい 、弱 よわ さ等 とう によって「中和 ちゅうわ 」されているが、もし「中和 ちゅうわ 」されず犯罪 はんざい 者 しゃ となれば、女性 じょせい 犯罪 はんざい 者 しゃ は男性 だんせい 犯罪 はんざい 者 しゃ とは比較 ひかく にならないほど悪魔 あくま 的 てき な犯罪 はんざい を犯 おか すと主張 しゅちょう した。女性 じょせい が嘘 うそ をつくのは生理 せいり 的 てき な現象 げんしょう であり、月経 げっけい 時 とき は特 とく にそれが顕著 けんちょ であると説 と いた。当時 とうじ 現行 げんこう 犯 はん 逮捕 たいほ された女性 じょせい の「80人 にん 中 ちゅう 71人 にん 」が月経 げっけい 中 ちゅう であった等 ひとし と述 の べ、女性 じょせい の犯罪 はんざい と月経 げっけい を「実証 じっしょう 的 てき 」に結 むす び付 つ けた。こうした考 かんが えは、白人 はくじん 男性 だんせい が最 もっと も進化 しんか した存在 そんざい で非 ひ 白人 はくじん 女性 じょせい が最 もっと も下等 かとう な存在 そんざい であるとしたチャールズ・ダーウィン の影響 えいきょう 下 か にあり、当時 とうじ のダーウィニズムの科学 かがく 者 しゃ たちは、女性 じょせい は月経 げっけい があるため男性 だんせい より動物 どうぶつ に近 ちか いと考 かんが えていた。
ロンブローゾは『天才 てんさい 論 ろん (L'uomo di Genio 、天才 てんさい と狂気 きょうき )』(1888年 ねん )において、芸術 げいじゅつ 的 てき 天才 てんさい とは遺伝 いでん 性 せい の狂気 きょうき の一 いち 形態 けいたい であると主張 しゅちょう した[7] 。カエサル やムハンマド 、ナポレオン など非常 ひじょう に多 おお くの古今 ここん の偉人 いじん ・天才 てんさい 達 いたる が挙 あ げられ、彼 かれ らの人生 じんせい や能力 のうりょく と、主 おも に遺伝 いでん によって受 う け継 つ がれた神経 しんけい や精神 せいしん の病気 びょうき (てんかん 等 ひとし )との関連 かんれん 性 せい を説 と いた。天才 てんさい 論 ろん と生来 せいらい 性 せい 犯罪 はんざい 者 しゃ 説 せつ により、天才 てんさい と狂気 きょうき と犯罪 はんざい は、生 う まれつきの、遺伝 いでん 的 てき な資質 ししつ の顕現 けんげん のバリエーションとして、一体 いったい 的 てき に説明 せつめい される。
西洋 せいよう 近代 きんだい のロマンティシズムが成 な りたせてきた「天才 てんさい と狂人 きょうじん は紙一重 かみひとえ 」、「天才 てんさい 狂人 きょうじん 説 せつ 」は、ロンブローゾの『天才 てんさい 論 ろん 』等 とう で「アイロニカルでありながら『医学 いがく ・科学 かがく 性 せい 』を帯 お びた天才 てんさい 観 かん 」として提示 ていじ され、広 ひろ く大衆 たいしゅう に普及 ふきゅう し、精神 せいしん 医学 いがく と天才 てんさい というテーマについて続 つづ く人々 ひとびと に影響 えいきょう を与 あた えた[7] 。特 とく にドイツの精神 せいしん 科 か 医 い で精神病 せいしんびょう 患者 かんじゃ による絵 え や彫刻 ちょうこく 作品 さくひん を研究 けんきゅう したハンス・プリンツホルン (英語 えいご 版 ばん ) に影響 えいきょう を与 あた え、当時 とうじ の前衛 ぜんえい 芸術 げいじゅつ 家 か 達 たち (アール・ブリュット 宣言 せんげん をしたジャン・デュビュッフェ 等 ひとし )は、彼 かれ の『精神病 せいしんびょう 者 しゃ の芸術 げいじゅつ 性 せい 』(1922年 ねん )に多大 ただい な衝撃 しょうげき を受 う けたとされる[7] [23] 。
生来 せいらい 性 せい 犯罪 はんざい 者 しゃ 説 せつ は、顔面 がんめん の非対称 ひたいしょう な犯罪 はんざい 者 しゃ とヒラメ との類似 るいじ 性 せい を指摘 してき したりするロンブローゾの理論 りろん には、発表 はっぴょう 当初 とうしょ から批判 ひはん の声 こえ が多 おお かった。
生来 せいらい 性 せい 犯罪 はんざい 者 しゃ 説 せつ (生物 せいぶつ 学 がく 的 てき 決定 けってい 論 ろん (英語 えいご 版 ばん ) )を唱 とな えるロンブローゾ、エンリコ・フェリ 、ラファエレ・ガロファロ を中心 ちゅうしん に、刑法 けいほう 学 がく における「イタリア犯罪 はんざい 学派 がくは (英語 えいご 版 ばん ) 」(犯罪 はんざい 生物 せいぶつ 学 がく 、犯罪 はんざい 人類 じんるい 学 がく )が生 う まれ、これに対 たい し環境 かんきょう 因子 いんし を重視 じゅうし した ガブリエル・タルド やアレクサンドル・ラカサーニュ (英語 えいご 版 ばん ) らの「フランス環境 かんきょう 学派 がくは 」があり、どちらも犯罪 はんざい の原因 げんいん を決定 けってい 論 ろん 的 てき に考 かんが えて犯罪 はんざい 者 しゃ 個人 こじん の異質 いしつ 性 せい に注目 ちゅうもく し、犯罪 はんざい を犯罪 はんざい 者 しゃ の自由 じゆう 意志 いし による行 おこな いとする(非 ひ 決定 けってい 論 ろん )古典 こてん 派 は 犯罪 はんざい 学 がく (英語 えいご 版 ばん ) を批判 ひはん しながらも、両派 りょうは は19世紀 せいき 末 まつ からロンブローゾが作 つく った国際 こくさい 犯罪 はんざい 人類 じんるい 学会 がっかい を舞台 ぶたい に、激 はげ しい論争 ろんそう を行 おこな った。ロンブローゾの主張 しゅちょう は多 おお くの批判 ひはん を受 う けたが、結果 けっか 的 てき に犯罪 はんざい の生物 せいぶつ 学 がく 的 てき な原因 げんいん に注目 ちゅうもく を集 あつ め、研究 けんきゅう を活性 かっせい 化 か することになった[11] 。
また、イタリア犯罪 はんざい 学派 がくは はイタリアのファシズム の支持 しじ 者 しゃ ともなっていった[24] 。
ロンブローゾの死後 しご 1913年 ねん 、チャールズ・ゴーリング が『イギリスの受刑 じゅけい 者 しゃ ―統計 とうけい 的 てき 研究 けんきゅう (The English Convict, A Statistical Study )』において、「精密 せいみつ な測定 そくてい を行 おこな った結果 けっか 、犯罪 はんざい 者 しゃ とそうでない者 もの との間 あいだ には有意 ゆうい な差 さ は認 みと められなかった」と発表 はっぴょう するなど批判 ひはん 的 てき 意見 いけん が続出 ぞくしゅつ し、生来 せいらい 性 せい 犯罪 はんざい 者 しゃ 説 せつ は次第 しだい に退潮 たいちょう 。現在 げんざい この理論 りろん は「科学 かがく 的 てき 根拠 こんきょ がない、人種 じんしゅ 差別 さべつ 的 てき な妄言 ぼうげん 」、疑似 ぎじ 科学 かがく として退 しりぞ けられている[25] 。
法学 ほうがく 者 しゃ の寺中 じちゅう 誠 まこと は、ロンブローゾの研究 けんきゅう は現在 げんざい は一部 いちぶ の例外 れいがい 的 てき な説 せつ を除 のぞ いて(少 すく なくとも公式 こうしき には)否定 ひてい され継承 けいしょう されておらず、彼 かれ の研究 けんきゅう 手法 しゅほう は主 おも に骨相 こっそう 学 がく ・身体 しんたい 測定 そくてい で、実証 じっしょう 主義 しゅぎ 犯罪 はんざい 学 がく のはじまりとしては、犯罪 はんざい 統計 とうけい 学 がく のゲリー、ケトレーという先行 せんこう 者 しゃ がおり、近代 きんだい 犯罪 はんざい 学 がく の源流 げんりゅう と呼 よ ばれる研究 けんきゅう は19世紀 せいき 前半 ぜんはん から始 はじ まったという指摘 してき が多 おお くあると述 の べ、犯罪 はんざい 学 がく の始 はじ まりと言 い えるか疑問 ぎもん 視 し している[2] 。一方 いっぽう 、主 おも に哲学 てつがく 的 てき な見地 けんち から考察 こうさつ されてきた従来 じゅうらい の刑法 けいほう 学 がく に、目 め に見 み えるかたちでデータを集 あつ めて客観 きゃっかん 的 てき な方法 ほうほう で調 しら べるという実証 じっしょう 主義 しゅぎ 的 てき な手法 しゅほう を導入 どうにゅう する大 だい 変革 へんかく をもたらしたとして、その点 てん をロンブローゾの業績 ぎょうせき として高 たか く評価 ひょうか する向 む きもある[11] 。
彼 かれ の生来 せいらい 性 せい 犯罪 はんざい 者 しゃ 説 せつ と女性 じょせい 犯罪 はんざい 月経 げっけい 要因 よういん 説 せつ の書籍 しょせき は、日本 にっぽん を含 ふく む諸 しょ 外国 がいこく に広 ひろ く紹介 しょうかい された。生来 せいらい 性 せい 犯罪 はんざい 者 しゃ 説 せつ はムーブメントとなり、各地 かくち で論争 ろんそう を巻 ま き起 お こした。この争 あらそ いの過程 かてい で、双生児 そうせいじ や養子 ようし 、染色 せんしょく 体 たい に関 かん する調査 ちょうさ を通 とお して、犯罪 はんざい に及 およ ぼす遺伝 いでん と環境 かんきょう の相対 そうたい 的 てき 影響 えいきょう 力 りょく の強弱 きょうじゃく を測 はか る試 こころ みが数多 かずおお くなされた。
刑法 けいほう のパラダイムシフトの時期 じき であったヴァイマール 期 き のドイツでは、刑法 けいほう 学者 がくしゃ らの反発 はんぱつ を受 う けたが、精神 せいしん 科 か 医 い のエミール・クレペリン やグスタフ・アシャッフェンブルク (英語 えいご 版 ばん ) らの関心 かんしん を引 ひ き、クレペリンが「内因 ないいん 的 てき な道徳 どうとく 的 てき 欠陥 けっかん の発露 はつろ としての犯罪 はんざい 」説 せつ を、アシャッフェンブルクが「環境 かんきょう 的 てき 要因 よういん と個人 こじん の抵抗 ていこう 力 りょく の結果 けっか としての犯罪 はんざい 」説 せつ を説 と いたことで、生来 せいらい 性 せい 犯罪 はんざい 者 しゃ 説 せつ 自体 じたい は否定 ひてい されながらも、「生物 せいぶつ 学 がく 的 てき 要因 よういん と環境 かんきょう 的 てき 要因 よういん の相互 そうご 作用 さよう の産物 さんぶつ としての犯罪 はんざい 」という穏当 おんとう な見解 けんかい となり「犯罪 はんざい の生物 せいぶつ 学 がく 的 てき 要因 よういん 」という考 かんが えが犯罪 はんざい 学 がく に取 と り入 い れられた。
生来 せいらい 性 せい 犯罪 はんざい 者 しゃ 説 せつ は、ロンブローゾは上述 じょうじゅつ のフェリやガロファロのほか、作家 さっか ・医師 いし でユダヤ人 じん のマックス・ノルダウ の思想 しそう に影響 えいきょう を及 およ ぼし、彼 かれ は生来 せいらい 性 せい 犯罪 はんざい 者 しゃ 説 せつ を近代 きんだい 美術 びじゅつ の批評 ひひょう に取 と り入 い れ、医学 いがく 書 しょ 『退廃 たいはい 論 ろん (堕落 だらく 論 ろん 、退化 たいか 論 ろん )』で退廃 たいはい 芸術 げいじゅつ 排除 はいじょ 論 ろん を主張 しゅちょう した。当時 とうじ の一般 いっぱん 的 てき な考 かんが えは、天才 てんさい に病的 びょうてき なところがあったとしても作品 さくひん の重要 じゅうよう 性 せい は脅 おびや かされないというものだったが、これに異 こと を唱 とな え、天才 てんさい と心身 しんしん の健康 けんこう は不可分 ふかぶん であるとし、「世紀 せいき 末 まつ 」芸術 げいじゅつ がいかに病的 びょうてき であるかを「科学 かがく 的 てき 」「医学 いがく 的 てき 」に証明 しょうめい しようと試 こころ み、「健康 けんこう な」芸術 げいじゅつ 家 か を「病 や んだ」芸術 げいじゅつ 家 か から分離 ぶんり すべきと主張 しゅちょう し、「世紀 せいき 末 まつ 」芸術 げいじゅつ 家 か たちを退廃 たいはい 者 しゃ 、反 はん 社会 しゃかい 的 てき な存在 そんざい として糾弾 きゅうだん した。ノルダウのこの著作 ちょさく は大 おお きな議論 ぎろん を巻 ま き起 お こし、19世紀 せいき 末 まつ -20世紀 せいき 初頭 しょとう のヨーロッパ中 ちゅう に広 ひろ がり、ナチス は現代 げんだい 芸術 げいじゅつ やユダヤ文化 ぶんか を堕落 だらく した文化 ぶんか 、退廃 たいはい 芸術 げいじゅつ と決 き めつけ排除 はいじょ した。
ロンブローゾの「生来 せいらい 性 せい 犯罪 はんざい 者 しゃ 」とモレルの「変質 へんしつ 」という考 かんが えは、危険 きけん 性 せい を生 う まれつき刻印 こくいん された特殊 とくしゅ なタイプの人間 にんげん 、排除 はいじょ することが正 ただ しい「危険 きけん な人間 にんげん 」という表 ひょう 像 ぞう のプロトタイプとなり、民族 みんぞく や国家 こっか を守 まも るためとして行 おこな われた多 おお くの政策 せいさく や立法 りっぽう に影響 えいきょう を与 あた えた。19世紀 せいき 末 まつ に広 ひろ まった優生 ゆうせい 学 がく 、そこからの逸脱 いつだつ ともいえるナチス・ドイツ の政策 せいさく もまた、全体 ぜんたい の利益 りえき のために生物 せいぶつ 学 がく 的 てき 弱者 じゃくしゃ を切 き り捨 す てるという意味 いみ で、この系譜 けいふ にある。
フィクションの世界 せかい においてもロンブローゾの影響 えいきょう は大 おお きく、歴史 れきし 学者 がくしゃ ・精神 せいしん 分析 ぶんせき 家 か のダニエル・ピック (英語 えいご 版 ばん ) は、ロンブローゾが「19世紀 せいき 末 まつ の文学 ぶんがく 研究 けんきゅう において、不思議 ふしぎ な脚注 きゃくちゅう として機能 きのう している」と論 ろん じている[30] 。エミール・ゾラ の『獣人 じゅうじん 』の登場 とうじょう 人物 じんぶつ ジャックは、下 しも 顎 あご が前 まえ に突 つ き出 で ていると描写 びょうしゃ され、物語 ものがたり の終盤 しゅうばん 、彼 かれ が強 つよ い殺意 さつい に駆 か られる場面 ばめん で強調 きょうちょう されている[30] 。
コナン・ドイル の「シャーロック・ホームズ 」シリーズはロンブローゾに由来 ゆらい する変質 へんしつ 論 ろん および「生来 せいらい 性 せい 犯罪 はんざい 者 しゃ 」説 せつ の影響 えいきょう を受 う けており、作中 さくちゅう で犯人 はんにん は外 そと から識別 しきべつ 可能 かのう な犯罪 はんざい 者 しゃ の特徴 とくちょう を持 も ち、しばしば異様 いよう ・特徴 とくちょう 的 てき な容貌 ようぼう ・体躯 たいく であり、ホームズは観察 かんさつ し得意 とくい の演繹 えんえき 的 てき 推理 すいり 力 りょく で犯人 はんにん を特定 とくてい する。変質 へんしつ 論 ろん においては、天才 てんさい も犯罪 はんざい 者 しゃ も標準 ひょうじゅん からの変異 へんい 、逸脱 いつだつ であり、ホームズ や悪 あく の天才 てんさい モリアーティ教授 きょうじゅ の人物 じんぶつ 像 ぞう はロンブローゾの天才 てんさい 論 ろん に依拠 いきょ していると考 かんが えられる。
ブラム・ストーカー の代表 だいひょう 作 さく 『吸血鬼 きゅうけつき ドラキュラ 』では、主人公 しゅじんこう らがドラキュラ伯爵 はくしゃく の異常 いじょう 性格 せいかく を指摘 してき する際 さい にロンブローゾの名前 なまえ が引 ひ き合 あ いに出 だ されており、ドラキュラ伯爵 はくしゃく はロンブローゾが言 い う犯罪 はんざい 者 しゃ の特徴 とくちょう を備 そな えた外見 がいけん をしていると描写 びょうしゃ されている[33] [30] 。
明治 めいじ 以降 いこう 、ロンブローゾの研究 けんきゅう は、教育 きょういく 、精神 せいしん 医学 いがく などのアカデミックな領域 りょういき 、文学 ぶんがく 、芸術 げいじゅつ 論 ろん 等 とう 、広 ひろ く継続 けいぞく 的 てき に受容 じゅよう され、こうした紋 もん 切 ぎ り型 がた で「科学 かがく 」的 てき な人間 にんげん 分析 ぶんせき は大衆 たいしゅう の興味 きょうみ をかきたて、無意識 むいしき 的 てき に人々 ひとびと に影響 えいきょう を与 あた えてきた。夏目 なつめ 漱石 そうせき が死去 しきょ した際 さい には、検死 けんし を行 おこな った医学 いがく 博士 はかせ の長与 ながよ 又郎 またろう が講演 こうえん でロンブローゾの『天才 てんさい 論 ろん 』を引 ひ き合 あ いに出 だ して漱石 そうせき の脳 のう を批評 ひひょう し、『東京 とうきょう 朝日新聞 あさひしんぶん 』がこの講演 こうえん の記事 きじ を「解剖 かいぼう から見 み た漱石 そうせき 氏 し ▽天才 てんさい に能 のう くある ▽追跡 ついせき 狂 きょう 的 てき の症状 しょうじょう 長与 ながよ 博士 はかせ 講演 こうえん 」と題 だい して掲載 けいさい し、世間 せけん の注目 ちゅうもく を集 あつ めた[34] 。美術 びじゅつ 史 し 学者 がくしゃ の岡田 おかだ 温 あつし 司 し は、ロンブローゾの説 せつ を下敷 したじ きとした「漱石 そうせき の『天才 てんさい =狂気 きょうき 』神話 しんわ は、解剖 かいぼう 学 がく を後 うし ろ盾 たて として学術 がくじゅつ 的 てき なレベルから一般 いっぱん 大衆 たいしゅう のレベルまで、広 ひろ く流布 るふ していった」と述 の べ、芥川 あくたがわ 龍之介 りゅうのすけ ら後進 こうしん の小説 しょうせつ 家 か たちが抱 いだ く芸術 げいじゅつ 家 か 像 ぞう に与 あた えた影響 えいきょう を指摘 してき している[34] 。
日本 にっぽん でロンブローゾの女性 じょせい 論 ろん は明治 めいじ 期 き に導入 どうにゅう され、彼 かれ が「月経 げっけい が精神 せいしん に与 あた える影響 えいきょう 」について説 と いた部分 ぶぶん は、女学校 じょがっこう 等 とう で性別 せいべつ 役割 やくわり 分業 ぶんぎょう を教 おし える際 さい に利用 りよう された[35] 。
大正 たいしょう 時代 じだい 、1920年代 ねんだい になると、大正 たいしょう デモクラシー や猟奇 りょうき 犯罪 はんざい の多発 たはつ を背景 はいけい に、犯罪 はんざい 学者 がくしゃ たちが活躍 かつやく するようになり、犯罪 はんざい 実話 じつわ や犯罪 はんざい 学 がく の専門 せんもん 雑誌 ざっし が出版 しゅっぱん され一般 いっぱん に人気 にんき を博 はく した[36] 。ロンブローゾの著作 ちょさく も翻訳 ほんやく ・紹介 しょうかい されるようになり、1914年 ねん に辻 つじ 潤 じゅん が邦訳 ほうやく した『天才 てんさい 論 ろん 』は話題 わだい を呼 よ んだ。欧米 おうべい で犯罪 はんざい 学 がく の最先端 さいせんたん を見聞 みき きしてきた医者 いしゃ で推理 すいり 小説 しょうせつ 作家 さっか の小酒井不木 こざかいふぼく も、犯罪 はんざい 者 しゃ の人相 にんそう に関 かん するロンブローゾの学説 がくせつ を著書 ちょしょ で紹介 しょうかい している[37] [36] 。小酒井 こさかい は多 おお くの犯罪 はんざい 学 がく エッセイを著 あらわ し、その中 なか で、女性 じょせい の犯罪 はんざい を月経 げっけい とヒステリー に結 むす びつけて繰 く り返 かえ し論 ろん じた。女性 じょせい は犯罪 はんざい を犯 おか しやすく、その要因 よういん は月経 げっけい であるという説 せつ が日本 にっぽん にも広 ひろ まり、第 だい 二 に 次 じ 大戦 たいせん 後 ご の刑事 けいじ ・司法 しほう の場 ば でも影響 えいきょう が根強 ねづよ く残 のこ り、事件 じけん 当時 とうじ 月経 げっけい 中 ちゅう だった関係 かんけい 者 しゃ を逮捕 たいほ する冤罪 えんざい 事件 じけん も起 お きた[38] [39] 。
また、大正 たいしょう 時代 じだい の犯罪 はんざい 学者 がくしゃ たちはロンブローゾの主張 しゅちょう を多用 たよう して「女 おんな は嘘 うそ つき」説 せつ を繰 く り返 かえ し、特 とく に「女 おんな は強姦 ごうかん されてもいないのに、されたと嘘 うそ をつく」という主張 しゅちょう を強調 きょうちょう した[40] 。歴史 れきし 社会 しゃかい 学者 がくしゃ の田中 たなか ひかるは、「『女 おんな は嘘 うそ つき』説 せつ は、性別 せいべつ 役割 やくわり 分業 ぶんぎょう が徹底 てってい された近代 きんだい 国家 こっか 形成 けいせい 期 き に、女性 じょせい 特有 とくゆう の生理 せいり 現象 げんしょう である月経 げっけい と関連 かんれん づけて語 かた られ、長 なが い間 あいだ 、(女性 じょせい への)性 せい 犯罪 はんざい を隠蔽 いんぺい するために都合 つごう よく使 つか われてきた。」と述 の べている[40] 。なお、月経 げっけい と嘘 うそ に因果 いんが 関係 かんけい があるという科学 かがく 的 てき 根拠 こんきょ は存在 そんざい しない[40] 。
文学 ぶんがく においては、小栗 おぐり 虫太郎 むしたろう の『黒 くろ 死 し 館 かん 殺人 さつじん 事件 じけん 』や夢野 ゆめの 久作 きゅうさく の『ドグラ・マグラ 』といった衒学 げんがく 趣味 しゅみ 的 てき 小説 しょうせつ にもロンブローゾの影響 えいきょう を見 み て取 と ることができる。[要 よう 出典 しゅってん ]
1872年 ねん 、北 きた イタリアで流行 りゅうこう していた皮膚 ひふ 病 びょう ・ペラグラ について研究 けんきゅう 。農民 のうみん 階級 かいきゅう の主食 しゅしょく であったトウモロコシ との関連 かんれん 性 せい を発見 はっけん した。この時 とき 彼 かれ は、古 ふる くなったトウモロコシの変質 へんしつ による中毒 ちゅうどく であるとの説 せつ を発表 はっぴょう したが、実際 じっさい は食事 しょくじ の偏 かたよ りによるナイアシン 不足 ふそく を主因 しゅいん とする疾患 しっかん であった。
ロンブローゾは人生 じんせい の後半 こうはん に霊媒 れいばい について調 しら べ始 はじ め、心霊 しんれい 研究 けんきゅう 家 か (心霊 しんれい 主義 しゅぎ )としての顔 かお も持 も っていた。霊魂 れいこん の存在 そんざい を信 しん じ、当時 とうじ の著名 ちょめい な物理 ぶつり 霊媒 れいばい で詐欺 さぎ 師 し ・偽物 にせもの という評判 ひょうばん のあったエウサピア・パラディーノ (英語 えいご 版 ばん ) について、本物 ほんもの であると判断 はんだん し、『英国 えいこく 医学 いがく 雑誌 ざっし 』の論文 ろんぶん でロンブローゾが騙 だま されたことは驚 おどろ きをもって見 み られた[30] 。
1902年 ねん 、人 ひと が嘘 うそ をつくと血圧 けつあつ や脈拍 みゃくはく が変化 へんか することを発見 はっけん 。その原理 げんり を応用 おうよう したプレチスモグラフ(ポリグラフ の原型 げんけい )を犯罪 はんざい 捜査 そうさ に使用 しよう した。
ロンブローゾ学説 がくせつ と南 みなみ イタリア [ 編集 へんしゅう ]
19世紀 せいき にイタリア統一 とういつ 運動 うんどう が勃興 ぼっこう したが、南 みなみ イタリア を統治 とうち する両 りょう シチリア王国 おうこく (シチリア・ブルボン朝 あさ )のフランチェスコ2世 せい やローマ教皇 きょうこう ピウス9世 せい はそれに否定 ひてい 的 てき な態度 たいど だった。ジュゼッペ・ガリバルディ によって両 りょう シチリア王国 おうこく が征服 せいふく されイタリア王国 おうこく が成立 せいりつ すると、統治 とうち するブルボン朝 あさ への崇敬 すうけい の念 ねん が強 つよ く、また熱心 ねっしん なキリスト教 きりすときょう 信者 しんじゃ が多 おお い南 みなみ イタリア では、それに抵抗 ていこう するデモや反乱 はんらん ・ブリガンテ (イタリア語 ご 版 ばん ) の活動 かつどう が活発 かっぱつ 化 か した[41] [42] 。元々 もともと 北 きた イタリア人 じん は南 みなみ イタリア人 じん を蔑視 べっし していたが、それらによって「野蛮 やばん な南部 なんぶ 」という差別 さべつ 感情 かんじょう がさらに増幅 ぞうふく された[43] 。統一 とういつ 政府 せいふ はそれらを一律 いちりつ に「山賊 さんぞく 」と呼 よ んで弾圧 だんあつ した(→イタリア統一 とういつ 運動 うんどう #南部 なんぶ 問題 もんだい の発生 はっせい を参照 さんしょう )[44] 。南 みなみ イタリア は経済 けいざい 発展 はってん が立 た ち遅 おく れていたが、統一 とういつ が達成 たっせい されても北部 ほくぶ に対 たい する経済 けいざい 格差 かくさ は解消 かいしょう されなかった(いわゆる南部 なんぶ 問題 もんだい (イタリア語 ご 版 ばん ) )[45] 。イタリア王国 おうこく 宰相 さいしょう のカミッロ・カヴール は南 みなみ イタリアを「イタリアで最 もっと も腐敗 ふはい した地域 ちいき 」と呼 よ んだ[46] 。
ロンブローゾは、南 みなみ イタリア人 ひと は「生来 せいらい 性 せい 犯罪 はんざい 者 しゃ 」が多 おお いと論 ろん じ、南部 なんぶ 差別 さべつ に論理 ろんり 的 てき 根拠 こんきょ を与 あた えた。ロンブローゾはイタリア北部 ほくぶ 住民 じゅうみん と南部 なんぶ 住民 じゅうみん では「人種 じんしゅ 」に違 ちが いがあり、「金髪 きんぱつ 」の人物 じんぶつ が多 おお い北部 ほくぶ では犯罪 はんざい 発生 はっせい 率 りつ が少 すく なく、「金髪 きんぱつ 」の人物 じんぶつ が少 すく ない南部 なんぶ では犯罪 はんざい 発生 はっせい 率 りつ が多 おお いと論 ろん じた[47] 。
ロンブローゾに師事 しじ したエンリコ・フェリ はロンブローゾ学説 がくせつ を発展 はってん させ「生 う まれながらの犯罪 はんざい 者 しゃ 」という概念 がいねん を強調 きょうちょう した[48] 。フェリは、北部 ほくぶ 住民 じゅうみん はゲルマン人 じん ・スラブ人 じん ・ケルト人 じん の血 ち を引 ひ き、南部 なんぶ 住民 じゅうみん はアラブ人 じん ・フェニキア人 じん ・ギリシャ人 じん の血 ち を引 ひ いているが、南部 なんぶ 住民 じゅうみん はアフリカやオリエントの血統 けっとう を引 ひ いているがゆえに犯罪 はんざい 率 りつ が高 たか く、犯罪 はんざい 者 しゃ が多 おお いと論 ろん じた[49] 。ロンブローゾ学説 がくせつ の流 なが れを汲 く むアルフレード・ニチェーフォロ (イタリア語 ご 版 ばん ) は、南部 なんぶ 住民 じゅうみん は罪 つみ を犯 おか しやすい精神 せいしん 的 てき 気質 きしつ と野蛮 やばん さゆえブリガンテ (イタリア語 ご 版 ばん ) やマフィア ・カモッラ などの凶悪 きょうあく 犯罪 はんざい 者 しゃ 集団 しゅうだん を生 う み出 だ してきたと論 ろん じた[50] 。そして南部 なんぶ 住民 じゅうみん のそれらの精神 せいしん 的 てき 気質 きしつ を治療 ちりょう するためには北 きた イタリア人 じん による南部 なんぶ の「文明 ぶんめい 化 か 」が必要 ひつよう だと訴 うった えた[51] 。
ロンブローゾ学説 がくせつ は海外 かいがい へも伝播 でんぱ し南米 なんべい にも定着 ていちゃく した。アルゼンチン は欧州 おうしゅう からの移民 いみん を受 う け入 い れていたが都市 とし 犯罪 はんざい 件数 けんすう の増加 ぞうか が見 み られ、ロンブローゾ学説 がくせつ に基 もと づき移民 いみん の「人種 じんしゅ 」ごとの犯罪 はんざい 発生 はっせい 件数 けんすう を統計 とうけい 学 がく 的 てき に分析 ぶんせき し、「人種 じんしゅ 」ごとの犯罪 はんざい 傾向 けいこう の調査 ちょうさ が進 すす められた[52] 。貧困 ひんこん と差別 さべつ にあえぐイタリア南部 なんぶ 住民 じゅうみん は多 おお くが移民 いみん として海外 かいがい へ渡 わた ったが、カルロス・ネストル・マシェルは自著 じちょ 『アルゼンチンのイタリア化 か 』で、アルゼンチンに来 き たイタリア移民 いみん はアルゼンチンの発展 はってん に貢献 こうけん せず社会 しゃかい を汚濁 おだく するだけの存在 そんざい だとして排斥 はいせき を主張 しゅちょう した[53] 。
皮肉 ひにく にもナショナリズムによる国民 こくみん 統合 とうごう を訴 うった えるムッソリーニ のファシスト党 とう の全体 ぜんたい 主義 しゅぎ 体制 たいせい 下 か で、国民 こくみん の分断 ぶんだん を煽 あお るロンブローゾ学説 がくせつ に基 もと づく南部 なんぶ 差別 さべつ の論説 ろんせつ を公言 こうげん することが制限 せいげん され、それは退潮 たいちょう した[54] 。しかし北 きた イタリア人 じん の南部 なんぶ に対 たい する差別 さべつ 感情 かんじょう は残 のこ り、心理 しんり 学者 がくしゃ のバッタッキ(Marco Walter Battacchi)は1959年 ねん 段階 だんかい で北 きた イタリア人 じん が未 いま だに南部 なんぶ に対 たい する差別 さべつ 感情 かんじょう を抱 だ いていることを自著 じちょ で述 の べている[55] 。南 みなみ イタリア人 じん に対 たい する差別 さべつ 語 ご として「テッローネ (イタリア語 ご 版 ばん ) 」があり、現代 げんだい でも南 みなみ イタリア出身 しゅっしん のサッカー選手 せんしゅ に対 たい する侮辱 ぶじょく として、サッカースタジアムで「テッローネ」と書 か かれた横断幕 おうだんまく が掲 かか げられることがある[56] 。
^ 「犯罪 はんざい 学 がく 」という名称 めいしょう 自体 じたい は同 おな じイタリア学派 がくは のラファエレ・ガロファロ が始 はじ めた。
^ 頭蓋骨 ずがいこつ の形状 けいじょう を調 しら べて人間 にんげん の内面 ないめん と頭蓋骨 ずがいこつ の形状 けいじょう の傾向 けいこう を類型 るいけい 化 か することで、その人物 じんぶつ の頭蓋骨 ずがいこつ が当 あ てはまる類型 るいけい から内面 ないめん を特定 とくてい できるという考 かんが えで、脳 のう 機能 きのう 局在 きょくざい 論 ろん に基 もと づいている[9] 。
^ ガルはペトルス・カンパー らの初期 しょき 文化 ぶんか 人類 じんるい 学 がく の影響 えいきょう を受 う けている。カンパーらの理論 りろん は、古代 こだい ギリシア・ローマの絵画 かいが や彫刻 ちょうこく で描 えが かれた人間 にんげん を理想 りそう とみなすヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマン の古典 こてん 主義 しゅぎ 美学 びがく を根拠 こんきょ としており、人種 じんしゅ の体型 たいけい や容貌 ようぼう の美醜 びしゅう を強 つよ く意識 いしき したものだった。
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