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太平御覽 : 兵部六 - Chinese Text Project
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兵部ひょうぶろく

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はたうえ

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1 りょうしょうじょう:
論語ろんご》曰:曰:「はじめはん。」あなちゅう曰:「魯大夫たいふはじめこれがわ也,あずかひとしせんぐん大敗たいはいしゃ其功也。」

2 りょうしょうじょう:
こうけいひだりちぎり》曰:將軍しょうぐんじゅんとら銜珠,大夫たいふせいうみぎょ

3 りょうしょうじょう:
だきしらき》曰:りょうはたつよしのりほうてんもち不可ふかやわらそくぞうふちかん不可ふかいれ如收でん不可ふかとくとめ如山だけ瞻而不可ふかりょう

4 りょうしょうじょう:
唐子からこ》曰:りょうはた如泉如山,不知ふち其歡戚也。

5 りょうしょうじょう:
史記しき》曰:おこりしゃまもるじん也,こう用兵ようへいこと魯君。ひとしじんおさむ魯,魯欲はたおこりおこりひとしじょためつま,而疑おこりとげころせつまあきら不為ふためひとし也。魯卒以為はた大破たいはひとしきさき
また曰:ちん勝之かつゆきはんはた使つかいおうはなれげきちょうおう及張みみきょ鹿しかじょうある曰:「おうはなれはた名將めいしょう也。」
また曰:ぶんこうとい:「おこりなん如人?」かつ曰:「其用へい司馬しばみのる苴弗のう也。」於是ぶんこう以為はたげきしん,拔五じょう

6 りょうしょうじょう:
漢書かんしょ》曰:もりぎょう曰:「竊見しゅひろし忠信ちゅうしん勇猛ゆうもうざいりゃく不世出ふせいしゅつまこと國家こっか雄俊たけとしたからしん也,むべせいはく左右さゆう,以鎮天下でんか。此人在朝ざいちょうのり陛下へいかだか矣。」

7 りょうしょうじょう:
またたにひさしでん》曰:ひらめおもねほうたん特進とくしんりょう城門じょうもんへいえい聞,あずかたんしょ曰:「君侯くんこう躬周、召之とくかん、晏之みさおけいけん下士かしらく倦,むべざいうえはたひさ矣。ぞく聞以特進とくしんりょう城門じょうもんへいぞくこれよくきり不為ふため君侯くんこうむべふか辭職じしょくひね淺薄せんばく不足ふそく以固城門じょうもんもりおさむふとしはくゆずるけん謙之けんじ,闔門高枕たかまくらため智者ちしゃ。」たんとくしょだいかんとげゆずる受領じゅりょう城門じょうもんしょく
また曰:霍去びょうため驃騎將軍しょうぐんうえ嘗欲きょう孫吳そんご兵法ひょうほう》,たい曰:「顧方りゃくなん如耳?いたりがく古兵ふるつわものほう。」じょうためだいれいたい曰:「匈奴きょうど不滅ふめつ以家ため。」
また曰:ひろためみぎ北平きたひら太守たいしゅ匈奴きょうどごう曰:「かん將軍しょうぐん。」こうれきななぐん太守たいしゅ前後ぜんごさんじゅうねんとく賞賜しょうし輒分其麾飲食いんしょくあずか士卒しそつ共之ともゆきいえ餘財よざい不言ふげん生產せいさんごと
また曰:ひろ其先曰「しん」,はたためはた,逐其つばめ太子たいししゃ也。こう以良家子いえこ從軍じゅうぐんげきえびすぶんみかど曰:「惜廣逢時,れいとう高祖こうそまんこうあにあし道哉みちや!」
また曰:げきはじめ洛陽らくようじん也。以任俠顯。すわえはんじょうこうため大尉たいいじょうでんひがしはたいたり河南かなんとくげきはじめ曰:「すわえ大事だいじ而不もとめげきはじめわれ無能むのうため也。」天下てんか騷動そうどう大將たいしょうどくわかいち敵國てきこく
また曰:沛公にゅう咸陽,しょしょうみなそう赴金帛財ぶつぶんしょうなんどくさきおさむはた丞相じょうしょう律令りつりょう圖書としょぞう。沛公天下でんかやくふさが戶口とぐち多少たしょう強弱きょうじゃくしょみんしょやまししゃ,以得圖書としょ也。

8 りょうしょうじょう:
こう漢書かんしょ·けいたんつたえ》曰:みかど曰:「けい將軍しょうぐんきたしゅう大將たいしょう其人也。」

9 りょうしょうじょう:
またうまたけしでん·ろん》曰:中興ちゅうこうじゅうはちしょう前世ぜんせい以為じょうおうじゅうはち宿しゅくこれしょう也。しか咸能かんかいふううん,奮其智勇ちゆうしょうためいのちまたかく智能ちのう也。

10 りょうしょうじょう:
また《賈復でん》曰:だいおどろき曰:「わが所以ゆえんれい賈復べつしょうしゃため其輕てき也;しかしつわれ名將めいしょう。」
また曰:馮異大破たいはあかまゆ於崤,璽書曰:「はじめ雖垂翅回けいおわりのう奮翼澠池,いいしつひがしすみおさむくわ榆者也。」
また曰:耿秉のうせつ司馬しば兵法ひょうほう》,ゆうこう將帥しょうすいりゃく
また曰:馮異字いじ公孫こうそんためじんけん退すさぎょうあずかしょしょうしょう逢,輒引しゃ避道。ひがしかんかん》曰:《ぞく漢書かんしょうん敕吏交戰こうせん受敵,常行つねゆきしょ營これあい逢引あいびきしゃ避之,ゆかりそうどうへんしゃ也。すすむとめみなゆうひょう識,げん進退しんたいゆうつねしょぐんちゅうごうため整齊せいせい」。まいところとめしゃしょしょう并坐論功ろんこう異常いじょうどくへい樹下じゅかぐんちゅうごう曰「大樹たいじゅ將軍しょうぐん」。光武みつたけやぶ邯鄲かんたん,乃更部分ぶぶんしょしょうかく有配ゆうはい隸。隸,ぞく也。袁山まつしょ曰:さきしょしょうどう營,吏卒はんほうぐんみなごとすなおぞく大樹たいじゅ將軍しょうぐん光武みつたけ以此おおこれ

11 りょうしょうじょう:
また《鄧禹でんうんあかまゆとげにゅう長安ながやす三輔連覆敗,あかまゆしょざんめつぞく百姓ひゃくしょう不知ふちしょ。聞禹じょうかつかつ而師ぎょう有紀ゆうき綱紀こうき也,げんゆうじょうぬき而不ざん暴。みなもちふうしょう攜負以迎ぐんくだしゃ以千すう,眾號ひゃくまん。禹所とめ停車ていしゃじゅうぶしじゅうあるさくばしら以勞らい父老ふろうわらわやや垂髮たれがみ戴白,たれはつわらわよう也。戴白,父老ふろう也。滿まん其車,莫不かんえつ,於是めいふるえ關西かんさいみかど嘉之よしゆきかずたまものしょ褒美ほうび
また曰:竇融以兄弟きょうだい并受爵位しゃくいひさせん方面ほうめん,懼不やすすう上書うわがきもとめだいみことのりほう曰:「われあずか將軍しょうぐん如左右手みぎてみみかんしんほろびしょうなんおいじんにん曰:」丞相じょうしょうなにほろび。「高祖こうそ聞之,如失左右さゆうしゅ前書ぜんしょかずへりくだ退ずさなにあかつきじんつとむ循士じん,莫擅はなれきょく
また曰:しょしょうごと論功ろんこう,賈復嘗有ごとみかど輒曰:「賈君こうわが知之ともゆき。」
また曰:ちんしげる、楊秉,しょしょうけんおさむすめらぎはじめちょう遐,ごう名將めいしょう
また曰:馮緄,おおとりきょうともえぐん宕渠じん也。ちょうすな蠻寇えき,荊南みなぼつ。於是はい緄為しゃ將軍しょうぐんぐんちょうすな進擊しんげきりょう蠻夷ばんい,荊州平定へいていみことのりたまものぜにいちおくかたゆずる受。たびかえ京師けいし,推功於從事じゅうじちゅうろう

12 りょうしょうじょう:
ひがしかんかん》曰:うえせい隗囂いたりうるし諸侯しょこう以王おもむべとおにゅう險阻けんそけい未決みけつかい召馬援,いんせつ隗囂將帥しょうすいくずしいきおいへいしん必破じょう於上ぜん聚米為山いざんゆび形勢けいせいうつわ眾大つぶせ
また曰:かんとう出師すいしあさ受詔,ゆうそく引道,はつ辦嚴にちのう常任じょうにんしょく,以功めいおわり
また曰:かんつねぞく吏士兵事へいじうえれいじんこうなにためかえげん曰:「ほうおさむおさむ。」じょう曰:「こうかくれわかいち敵國てきこく矣。」

13 りょうしょうじょう:
こころざし》曰:しょかずらあきらはすたにぐんいたり武功ぶこう司馬しばせんおうこれあきら挑戰ちょうせんせんおう不出ふしゅつあきらのここれ婦人ふじんはば幗,せんおういかおもて決戰けっせん天子てんしもとからし毗仗ぶしたて於軍もん以制かいあきらびょうそつせんおう敢追而退。百姓ひゃくしょう為之ためゆき曰:「しょかずらはしなまなかたち。」せんおう曰:「われ便びんりょう也。」せんおうあんさいわいあきら營壘しょ,曰:「天下てんか奇才きさい也。」
また曰:のり曼成。こう學問がくもん儒雅,あずかしょしょうそうこうけいけん大夫たいふまことまことわか及。

14 りょうしょうじょう:
またにんじょうおうつたえ》曰:ふとしとい諸子しょししょこのみ使つかいかくげん其志。いたりあきら,曰:「こうためしょう。」
また曰:りゅう曄謂ふとし曰:「しょかずらあきらあきら於治而為しょうせきはねちょういさむかんむり三軍さんぐん而為しょうしょくじん既定きていよりどころけんもりようのり不可ふかはん矣。」
また曰:賈逵,はりどう河東かわとうじんため兒童じどうおどけろう常設じょうせつ祖父そふ習異,曰:「なんじだい必為しょうりつ。」口授くじゅ兵法ひょうほうすう萬言まんげん

15 りょうしょうじょう:
しょくこころざし》曰:鄧芝ため大將たいしょうじゅうねん賞罰しょうばつあきらぜん恤卒衣食いしょくおおせ於官,しかおわり不治ふち私產しさん妻子さいしめん饑寒きかんにち餘財よざい
また曰:せきはねくもちょう亡命ぼうめい奔涿ぐんさきぬし於鄉さとあい眾,而羽あずかちょうためあなど

16 りょうしょうじょう:
すすむしょ》曰:おう詹遷南平なべら太守たいしゅ。鎮南將軍山しょうぐんざん簡復かり詹督ぐん軍事ぐんじかいしょくぞくもり疇作みだれ金寶きんぽう溢目,詹一しょおもんみおさむ圖書としょ,莫不嘆之。
また曰:しゅうおとずれ威風いふうすんでちょ遠近えんきん悅服えっぷく智勇ちゆうひとため中興ちゅうこう名將めいしょうせい謙虛けんきょ嘗論こうあるといおとずれ曰:「ひとゆう小善しょうぜん,鮮不自稱じしょうきょうこう勛如此,はつ一言いちげんなに也?」おとずれ曰:「朝廷ちょうていれい將士しょうし用命ようめいおとずれなんこうゆう!」
また曰:たかしひら論功ろんこう,顧眾推功於蔡謨,謨以眾唱はかりごとおのれちから,俱表しょうゆずる論者ろんしゃ美之みゆき
また曰:苻堅眾號ひゃくまん於淝すいしゃげんにゅうといけいしゃやす懼色,ぽうあずかげんかこえ棋,ゆうわたるいたりよる乃還。ゆび將帥しょうすいかくとう其任。げんとうやぶけんえきしょいたりやすたいきゃくかこえ棋,しょ便びん床上ゆかうえりょう喜色きしょくきゃくとえじょこたえ小兒しょうにやからやぶぞく。」すんでやめかえ內過げんこころ甚,不覺ふかく屐齒おり,其矯じょう鎮物如此也。
また曰:みかどいい瞻曰:「きょう雖疾びょうためちんまもるろくぐんしょえき矣。」

17 りょうしょうじょう:
またひつじ祜傳》曰:くれじん寇弋江夏えなつりゃく戶口とぐちみことのり侍臣じしんうつりしょつめ祜不追討ついとう,并欲うつりしゅう復舊ふっきゅうむべ。祜曰:「江夏えなつじょうはちひゃくみなぞくまたやめけい矣。ぐんかた往,やすのうすくい哉!ろう免責めんせきこわことむべ也。むかしたけみかどおけとくみなあずかしゅう相近すけちか,以兵ぜいこうごうあくはなれ。疆埸あいだいちかれいち此,まきまもる而已,いにしえぜんきょう也。わか輒徙しゅうぞく無常むじょうまた未知みちしゅうこれしょむべよりどころしゃ。」使者ししゃ不能ふのうつめ
また曰:ひつじ入朝にゅうちょうたけみかど中書ちゅうしょれいちょうはなとい其籌さく。祜曰:「こん主上しゅじょうゆうぜんだいよし,而功德くどくひつじちょくれじん虐政ぎゃくせいやめ甚,不戰ふせん而克。こんいちろくごう,以興文教ぶんきょうのりおもひとし堯、しゅんしんどうきびちぎりためひゃくだいもりわかまごあきら不幸ふこう而殘,くれじんさらりつれいぬし,雖ひゃくまんこれ眾,長江ながえ而越也,はたため患乎?」はなふかし贊成さんせい其計。祜謂はな曰:「なりわれこころざししゃ也。」みかどほっ使祜臥まもるしょしょう,祜曰:「必須ひっすしんくだりただしすんでたいらこれろうきよしおもんばかみみ功名こうみょうさいしんしょ敢居。こととうゆうしょづけ受,すなおしん其人。」やましややあつし,乃舉もりあずかだいひろそつ
また曰:もうきよし鎮廣りょう,遷右將軍しょうぐんせんじょう內史、かりふし,鎮姑じゅくきよし以為戍在近畿きんきふくぐんおどろきむべぶしうえ疏辭ゆずるもと
また曰:しゅ伺,なかぶんあんりくじんしょうためくれきばもんはたとうまこときゅう使ひらめ,徙江なつ。伺有武勇ぶゆう,訥口,不知ふちしょためぐんはたとく鄉里きょうり大夫たいふ,揖稱めい而已。及為はたとげ以謙きょうしょう
また曰:鄧遐,おうとおいさむつとむぜっじんぶた當時とうじにんかた樊噲。桓溫以為さんぐんすうしたがえゆたか征伐せいばつれきかんむりぐん將軍しょうぐんすうぐん太守たいしゅごうため名將めいしょうじょう城北しろきた沔有みずちつねためじんがい,遐拔劍ばっけん入水じゅすいみずちにょう其足,遐揮けん截蛟すうだん而出。
また曰:りゅうろうめんむらさき赤色あかいろ,須目おどろきじん,而沉あつし計畫けいかく

18 りょうしょうじょう:
たからすすむ》曰:ぶんよし騫,小名しょうみょう鴦,ゆう武力ぶりょく籌策。楊休、えびすれつためとりこしょがいたけみかど西にしゆうよし出征しゅっせいしょこう摧靡,はたすずかとげひらめいふるえ天下でんかため東夷あずまえびすこうじょう姿すがた膂力りょりょくまんにんゆう

19 りょうしょうじょう:
《慕容もり》曰:尚書しょうしょひだり仆射りょうちゅうぐん熙從せい驪、ちぎりみないさむかんむりしょしょう
また曰:すめらぎはじめしんすわえ弱冠じゃっかん以高ざいずい慕容ひょうおさむ鄴都,珍貨ちんか充溢じゅういついちしょおもんみそん恤人ぶつおさむせき而已。

20 りょうしょうじょう:
せきにせごと》曰:かくけんくだいしとらとらといけん曰:「きょうわかとくわれしゃとうころせ?」けん曰:「わかとうとく至尊しそん必殺ひっさつうたぐ也。」とら曰:「きょうけんはた也。」いんあずかきょうげんごと

21 りょうしょうじょう:
ちぇひろしぜんつばめろく》曰:ちょうかえる本姓ほんせいゆみうえ黨人とうじん也。膂力りょりょくひとのう曳牛はしけん甚寵つねさむらい左右さゆうおわりため名將めいしょう所在しょざいゆうことこうせいたたえ鄧羌、ちょう蠔皆まんにんてき也。

22 りょうしょうじょう:
そうしょ》曰:姚泓たむろぐんちょう城下じょうかおう鎮惡なで慰士そつ,乃以さき眾,あがおどそうさき,泓眾いち奔潰。泓妻子さいし高祖こうそくだはたいたりきょう,鎮惡於灞じょう奉迎ほうげい高祖こうそろう曰:「なりわれ霸業しゃきょう也。」鎮惡再拜さいはいしゃ曰:「此明こうしょ將之まさゆきりょく,鎮惡なんこうゆう焉!」わらい曰:「きょうほっがく馮異耶!」
また曰:桓玄うん:「りゅうあつしいさむかんむり三軍さんぐん當今とうぎんじつため無敵むてき。」
また曰:りゅうじゅん幢主樊僧あいいさむかんむり三軍さんぐんぐんちゅうみな懼。

23 りょうしょうじょう:
ひとししょ》曰:曹景むねたてたけし四年隨太尉陳顯達北圍馬圈,以奇へいせんやぶ,援中山王さんのうえいよんまんにん。及克けんあらわたち論功ろんこう,以景むねためきさきけいむね退すさ怨言えんげん
また曰:かきたかしはつ見高けんだかみかど便びんかんしんしろおこり,咸不しんじおもんみじょうどくもと。及破ぐんけいいたりうえいい朝臣あそん曰:「たかしつねなずらえかんしろこん其人也。」しんためとく

24 りょうしょうじょう:
はりしょ》曰:馮道ごと征伐せいばつおわり不言ふげんこう,其部きょくある怨非みち喻曰:「明主めいしゅかんこう多少たしょうわれはた何事なにごと。」たけみかどつねゆびどうしめせ尚書しょうしょれい沈約,よし其口ろん勛,やく曰:「此陛下之したの大樹たいじゅ將軍しょうぐん也。」

25 りょうしょうじょう:
りょうきさきりゃく》曰:りくおさむぶん其眾,けいはやぶね掩襲ともえりょう,晨至城下じょうか,驃騎はじめいのちしょしょう會議かいぎ。乃出自しゅつじるいもんすわえびすゆか以望ぞくじょうすいらいおさむ矢下やおろし如雨,人情にんじょう騷擾そうじょう,莫不ふるえ懼。而驃かたしょく甘蔗かんしゃ,曾無遽色。
また曰:ひとし其將竇泰趨潼せきふとしはたかさねしん,眾咸なんふとしといさく於宇ぶんふかふかたい曰:「竇氏,歡之驍將ぎょうしょう也,まい仗之以為あなど。」

26 りょうしょうじょう:
きたひとししょ》曰:りゅうゆたかほん河間こうまらくじょうゆたかゆう雄姿ゆうしたけしはてあつしぜっじんゆうこうべんこうせつ兵事へいじ
また曰:からしじゅつふところあきら,隴西狄道じん也。きよし儉寡ほっ。及平すわえてい淮南ワイナン,凡諸貨物かもつ一毫いちごう不犯ふぼんおもんみおさむ典籍てんせきすすむそうひとしはりけいほんばとしゅうまん有餘ゆうよまき

URN: ctp:taiping-yulan/275