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太平御覽 : 地部三十一 - Chinese Text Project
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さんじゅういち

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みずうみ

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1 みずうみ:
こうみやび》曰:みずうみいけ也。

2 みずうみ:
せつぶん》曰:みずうみだい陂也。

3 みずうみ:
史記しき》曰:さん苗氏みょうじひだりほらにわみぎ彭蠡,德義とくぎおさむしゅんめつ,此在とく不在ふざいけわし

4 みずうみ:
すすむしょ》曰:ちんさとししょうがく天文てんもんまごあきら以為たてまつきんじょうあきら必敗。どき錢塘ぜんどもひらきあるげん天下でんかとう太平たいへいあおぶた入洛にゅうらくあきら以問くんたい曰:「しんのうもちたちみずうみひらけふさが。」退すさつげとも曰:「あおぶた入洛にゅうらくはた以舁櫬銜璧之ごと吉祥きっしょう也。」

5 みずうみ:
そうしょ》曰:かい稽太もりはじめ顗事ふつせいこん,而為しゃれいうんしょけい,嘗謂顗曰:「得道とくどうおう須慧ぎょう文人ぶんじんきょう昇天しょうてんとうざいれいうんまえ成佛じょうぶつ必在れいうん。」顗深恨之。かい稽東かくゆうかいかかとれいうんもとめぎま以為,顗堅あずかまたもとめはじめやすし岯崲みずうみ為田ためだ,顗又固執こしつれいうんいい顗非そんみんせいおもんばかけつみずうみがい生命せいめい言論げんろん毀傷きしょうあずか顗遂構仇すき

6 みずうみ:
とうしょ》曰:褚無りょうひろ杭州こうしゅうしおかんじん也。ようひん,厲志好學こうがくいえきん臨平みずうみときみずうみ中有ちゅうう龍斗りゅうとかたぶけさと闬就かん無量むりょうねんじゅう讀書どくしょ晏然不動ふどう

7 みずうみ:
風俗ふうぞくどおり》曰:みずうみ曰流瀆四めんしょくま也。《しゅうかん》:あげしゅう,其浸。按張勃《くれろく》,しゃたい別名べつめい,以其しゅうぎょうひゃくあまりさとためめいおそれこぼしまたうんたい另有みちべついいあるせつ以太みずうみうえ、洮湖、洮湖いちめいちょう塘湖,ざいしゅがらす滆湖はくきりため。按《國語こくごえつせん於湖,ちょくざいかささわいちちゅうせんみみのりあるせつ也。

8 みずうみ:
ずい大業おおわざ》曰:五月ごがつ夏至げしまえさんにちくれぐんたいちゅう白魚しらうおこうみずうみがわ淺水あさみずこもがまうえさんみんとくさい隨時ずいじみつぎ於洛。

9 みずうみ:
あげしゅう》曰:たいいちめいふるえさわいちめいりゅうさわいちめいほらにわ史記しき》:さんなえくにひだりほらにわみぎ彭蠡。裴骃ちゅううんこんみずうみちゅうつとやま有名ゆうめいあな,其深ほら無知むち其極しゃめいほらにわほらにわたい曰彭蠡,のりいん此穴どおりよびほらにわ彭蠡,そくみやにわみずうみめい也。《えつぜっしょうんたいしゅうさんまんろく千里せんりざいくれきょう也。

10 みずうみ:
《荊州》曰:みやていそく彭蠡さわ也,いい彭澤いちめい該賄きりさわざいあきらぐん青草あおくさいちめいほらにわほらにわまたいいたいざいともえりょうぐんうんゆめさわいちめいともえたかし。凡此并昭あきらゆうちょまた廣大こうだい也。

11 みずうみ:
たからさがせかみ》曰:よしこぶしけんはた時長ときながみずけんはじめすめらぎ童謠どうよう曰:城門じょうもんゆうじょうとう陷沒かんぼつためみずうみゆうおうな聞之,あさ往窺もんはたよくばくおうなげん其故。きさきもんはた以犬涂門,おうな血走ちばしゆるがせゆう大水おおみずほっぼつけんおも簿れいみきにゅうしろれいれい曰:「なにゆるがせさくぎょ。」みき曰:「あきらまたさくぎょ。」とげ淪為みずうみ

12 みずうみ:
てい緝之《えいよしみ》曰:ふところきたけんゆう蔣公父老ふろううん先代せんだいゆう祭祀さいしいのり請者,輒下だいさかなあずかこれ

13 みずうみ:
しんしゅう》曰:たけぐんぜんゆう熙初,ゆう白龍はくりゅう於湖ますてん

14 みずうみ:
もり弘之ひろゆき《荊州》曰:みやていみずうみびょうしん甚有靈驗れいけんたび經過けいかいのり禱,のう使中分なかぶんふう而帆南北なんぼく
また曰:ともえ陵南りょうなんゆう青草あおくさ周回しゅうかいすうひゃく日月じつげつ出沒しゅつぼつ其中。湖南こなんゆう青草あおくささんいん以為めい

15 みずうみ:
りゅうきよし《荊州》曰:はなひろしけん東南とうなんゆううんゆめさわいちめいともえたかし,荊州やぶ也。

16 みずうみ:
りゅうきよししゅう》曰:ちんけんゆう芍陂しょうおうりょうあずかすすむちょうきゅう交戰こうせんしょ也。

17 みずうみ:
閔《たけりょう》曰:ゆうみずうみめいため陂,周圍しゅういすうひゃくごろ青波あおなみきよしうつしま嶼相もち

18 みずうみ:
たけ昌記まさき》曰:たけあきらちょうみずうみ通江みちえなつ有水ありみずふゆそく涸,于時靡所さんうえとうふとしじょうりつ塘以遏水於此,つね竭,いん瑯琊ぐんへだたみずうみぎょひし,以著みずうみ內,ひし甚甘於他しょ所產しょさんぶなぎょ,乃長さんしゃく

19 みずうみ:
りゅう道真みちざねぜに塘記》曰:あきらせいみずうみざい縣南けんなんけんさん父老ふろう相傳そうでん有金ありかねうし神化しんか莫測,以明せいたれめい

20 みずうみ:
西京にしぎょう雜記ざっき》曰:顧翱しょうしつちちことははははこうしょく雕胡めしつねそち子女しじょ躬自さい擷,かえいえ導水どうすい鑿川供養くようまいゆうみつるもうかいえきんたいちゅう乃生雕胡,ふく雜草ざっそうむしとり敢至焉,とげ以為やしなえぐんけんひょう其閭しゃ

21 みずうみ:
こうじょう》曰:滆湖中有ちゅううよしみさかな莼。

22 みずうみ:
りゅう欣期《交州》曰:ゆういち合浦がつぽよんじゅうまいかげ百姓ひゃくしょうゆうどうせん出水しゅっすいまたゆういちうしざいみずうみちゅう,以雞しゅためさい便びんだいぎょわか此禮しつらえおもんみ牛糞ぎゅうふん而已。

23 みずうみ:
じゅつせい》曰:かしわおきためしゅう刺史ししひとしゅうこういおりさん,冀觀靈異れいいすんでのぼるたかし巘,ゆういち,匝生くわじゅゆうしろくぐい中有ちゅううあかうろこぎょ使者ししゃ渴極よく往飲すいあかうろこちょうひれこうこれにち使者ししゃ敢飲。

24 みずうみ:
みなみやすし》曰:そら山上やまかみゆうたいらみずうみ中有ちゅうう艑底浮在みずうみちゅう動搖どうよう便びんおこり風雨ふうう

25 みずうみ:
てい緝之《東陽とうよう》曰:北山きたやまぐんさんじゅうあまりさとゆう赤松あかまつびょう故老ころう相傳そうでん曰,其下有居ありいみん曰徐おおやけしゃ,嘗登みねいたる此處ここら湖水こすい二人ふたりどもはく於湖あいだ自稱じしょう赤松あかまつやす先生せんせいゆういちつぼしゃくしゅ以飲じょこうおおやけよい而寐其側,醒不ふく

26 みずうみ:
りゅうきよししゅう》曰:しろちちけんゆうみずうみしゅうさと中有ちゅううさんやま湖南こなんゆうよんかなえやま

27 みずうみ:
戰國せんごくさく》曰:はたあずか荊戰,大破たいはほらにわなぎさ

28 みずうみ:
吳地くれじ》曰:おうそうおんな土成どなり

29 みずうみ:
またぐんこくこころざしうんさんじょふんざいかく西にしうん闔閭しょくふけぎょあつものとめはんたまものさんじょさんじょ怨,自殺じさつおうつうそう於郭西にしぶんせきため槨,きむしるしだま牒,ぎんだるしゅばん,悉以送そうまたうんばん郢之けんある曰湛けんよるてきすわえ,以水にょうふんいんめいおんなふんみずうみまたうんそうおんなゆうしろ鶴舞つるまいくれいんいれとももん,悉化ためけん

30 みずうみ:
ぜに塘記》曰:邑十里有詔息湖,古老ころう相傳そうでんむかしはたはじめすめらぎじゅんかりけい涂暫いこいいん以詔いきためめい

31 みずうみ:
しゅうけいしきいおりやま》曰:山頂さんちょうゆういちきゅうみずうみあし赪尾こいひれみなきず剝。而又ゆういち艑槽,たかしさんたかしとおふねかじしょゆうあに深谷ふかやためりょう,而此ぶつあずかおか壑同遷乎?

32 みずうみ:
顧微《廣州こうしゅう》曰:いおり山上さんじょうゆういちいたりかぶといぬ,輒聞やまゆうかくごえ

33 みずうみ:
りゅうきよしあげしゅう》曰:新城しんじょうけんひがしゆう俱山,山上やまかみゆうみずうみ中有ちゅううしろ鵝一ただ時時ときどき飛來ひらい不可ふか常見つねみ

34 みずうみ:
りゅう楨《京口きょうぐち》曰:りゅうみずうみはたおうあずまゆうかん地勢ちせいうん此有天子てんし使つかい赭衣鑿湖ちゅう長岡ながおか使だんいんあらためためこん水北すいほくちゅうこう也。

35 みずうみ:
りょうのり》曰:たけみかどもちきょう峴山ばん紆似りゅう其右ためりゅう

36 みずうみ:
じょしゅう先賢せんけんでん》曰:勾踐めつくれいい范蠡曰:「われはたあずか子分こぶんこく而有。」蠡曰:「きみぎょうれいしんぎょうこころざし。」乃乘扁舟へんしゅう而不かえし

37 みずうみ:
みずけいちゅう》曰:たけつよしけん耆宿きしゅくうん,邑人ゆうぎょう於途,有一ゆういちしょうへびうたぐ其有れいもち而養めい曰檐せいちょう而吞噬人,里中さとなか患之,とげけいごく,檐生而奔,邑淪ためけんちょう及吏咸為ぎょ矣。いまけん東北とうほくはんさともとゆうふちいいろうくんふち耆宿きしゅくまたげんけん淪之,其子ひがし奔,またおちい於此,ふちとくろうくん矣。

38 みずうみ:
かみけい》曰:北方ほっぽうあらがいゆうほう千里せんりたいら滿みつる高下こうげゆうさかなちょうななはちしゃく形狀けいじょう如鯉而目あかひるざいみずうみちゅうよるためじんとげ不入ふにゅう不死ふし,以烏うめななそくじゅくしょく以愈よこしまびょう
また曰:北方ほっぽうあら中有ちゅうういしほう千里せんり凸凹でこぼこうえ直結ちょっけつはん,於交はんたいら滿みつる高下こうげきしふかし丈餘じょうよつね冰,ただ夏至げし左右さゆうろくじゅうにちかいみみ
また曰:東南とうなん海中かいちゅう烜洲じょうゆうゆたか,其中おもんみゆう鯽魚矣,ちょうはちしゃくしょくむべあつ避寒ひかん

39 みずうみ:
ぐんこくこころざし》曰:うるうしゅう遏陂ゆうみずうみめいりゅうみずうみ京口きょうぐちこうさけにん習戰,桓溫うん:「京口きょうぐちやせじんやつれこいおもんみしゅいんへい可用かようみみ。」

40 みずうみ:
かい稽記》曰:かんじゅんみかど筑和ねんかい稽太もり創立そうりつきょうみずうみざいかい稽、山陰さんいんりょうけんかい,筑塘蓄水だか丈餘じょうよまたこううみ丈餘じょうよ若水わかみずしょうのり泄湖灌田,如水じょすいのりひらき泄田ちゅうみず入海いりうみ所以ゆえん凶年きょうねんつつみ周回しゅうかいさんひゃくいちじゅう,溉田きゅうせんあまりごろ

41 みずうみ:
またうんそうはじめ淹冢たくゆう千餘人怨訴於臺,臻遂けい於市,及臺ちゅう使つかい按鞫,ゆるがせじんけんせきみなさき死亡しぼうじんまた按《輿地よちこころざしうん:「山陰さんいん南湖みなみこ縈帶郊郭,白水しろうずみどりいわお,互相映發えいはつゆうわか圖畫ずが。」

42 みずうみ:
みなみじょしゅう》曰:えいつね芙蓉湖ふようこさかなとくあかこい,以穀やしなえいちねんとげなまりょう翅。さかなうんわが來迎らいごうなんじえいそくじょう風雨ふううあが上天じょうてんれつせんでんうんまいけいすうらい妻子さいしさかなふく來迎らいごう如是にょぜすうじゅうかい而不かえ芙蓉湖ふようこそくみずうみ也,まためいうえ

43 みずうみ:
吳地くれじ》曰:臨平ざい臨平山南さんなん

44 みずうみ:
こころざし》曰:歸命きみょうこうてん璽元ねんくれぐんげん,臨平みずうみかんまつくさけがれようふさが今更いまさらじょたいら故老ころう相傳そうでんうん:此湖ふさが天下てんからん;此湖ひらけ天下てんかたいらまたみずうみとくせきはこはこ中有ちゅうう小石こいし青色あおいろちょうよんすんこうすんあまりこく上作じょうさく皇帝こうてい,於是あらためねん大赦たいしゃにわか而晉たいらくれまごもり以為もとすめらぎ中興ちゅうこう

45 みずうみ:
《歙縣けい》曰:たかむら墩湖ざいけん西南せいなん,其湖ゆう蜃,つねあずかりょみずうみ蜃斗,ほどれいずくこういさみ而善ゆめ蜃化ためじんつげ曰:われためりょみずうみ蜃所やくきみのうじょわれ必厚ほうたば帛練しゃわれ也。明日あしたれいずく彎弧すけ正中せいちゅう蜃,不知ふちしょきさき人名じんめい其處ため蜃灘。ときゆう一道人詣靈銑母求食,しょく訖曰,ろうははしつらえしょくこん當為とういもとめぜん墓地ぼち使つかいはは隨行ずいこう上山うえやま,以白せき識其曰:「そう此可以暴矣。」れいずくよしうつりちちそう其所。ほうけいみだれれいずくりつぐんきょう萬餘眾保新安,いんずいちんたけしみかどゆう奇功きこう,及陳たけ受梁ぜんれいずく以佐いのち功臣こうしんあずかしゅうぶん昱、ほうやすしためさん杰。按靈ずくたくざい湖東ことうさと

46 みずうみ:
じょ爰《しゃくとい》曰:玄武げんぶほんくわはくすすむもとみかどそうため北湖きたこそう以隸ふね

47 みずうみ:
京都きょうとうんしたがえきたもち鍾山,したがえみやていみずうみもちたけしひとしたけみかど水軍すいぐん於此ちゅうごう曰昆あかり沈約とうくつがえ舟山ふなやまうん:「みなみ瞻儲胥館,きたのぞむこんあきら。」そく此爾。えいよしみまつゆう龍見たつみ於湖內,あらためため玄武げんぶ

48 みずうみ:
あきら》曰:擔石みずうみざいしゅう東北とうほく,其湖すい中有ちゅううりょう石山いしやまゆうあな如人穿ほじ擔狀,古老ころううん壯士そうし擔此兩石りょういしおけみずうみちゅういん以為めい

49 みずうみ:
輿地よちこころざし》曰:安成やすなりゆうみつ中有ちゅうういと莼鯽ぎょためしょじゅう,并有石窟せっくつようひゃくにんすわ,其魚あじあま如蜜,いん此為めいざいけんひがしじゅうさと

50 みずうみ:
淮南ワイナン》曰:おっとれき一夕いっせき而為いさむつとむひじりさとしあずか不肖ふしょうしゃどういのち遺脫いだつ也。

51 みずうみ:
《荊南こころざし》曰:こうすなみずうみざいまいかいしゅうじょうみどりさわひら皛,えびすりょうきり水陸すいりくわたる曠,芰荷いんせいうろこしげる阜。湖南こなん林野りんやきよし曠,以棲たくせいむね炳昔つね焉。きたゆう小水しょうすいみずうみ通江みちえいい曾口是也これや

52 みずうみ:
なぎさみや故事こじ》曰:こうりょう城西じょうさいじゅうさとだかすな,其中さかな
また曰:ようみずうみむかしみずうみがわゆう主人しゅじんちょうよう同居どうきょいん以為めい

53 みずうみ:
きゅう》曰:彭蠡みずうみざい潯陽けん東南とうなんあずかみやこあきらけん分界ぶんかい湖心こしんゆうだいやま。按《ぐんこくこころざし》,彭蠡みずうみ周回しゅうかいよんひゃくじゅう,內有石高こくだかすうじゅうたけだい禹刻其石以記こう焉。またゆう乞烏ずい船行ふなゆき舟人ふなびと擲摶めしせっ高下こうげしついちつぶこん此烏沿江靈廟れいびょうゆうどくざい彭蠡みずうみなんじ

54 みずうみ:
ぐんこくこころざし》曰:づるもんみずうみしゃとうただしほろときははゆるがせゆう客來きゃくらいつるしためそうしろづるとべきさきいん以為めい

55 みずうみ:
丹陽たんよう》曰:まごあきらたからかなえ元年がんねん丹陽たんようけんせん騫之ははねんはちじゅうよく於后みずうみため黿。きさきまためいねりみずうみざいけんきたひゃくじゅう

56 みずうみ:
輿地よちこころざし》曰:きょくおもねめいしゅみなうんきさき湖水こすいしょ釀,あつしれつ也。こん按湖水上すいじょううけたまわちんさとしくつがえ船山ふなやまはやしけい水色みずいろしろあじあま

57 みずうみ:
輿地よちこころざしうんねり塘,ちんさとししょりつ,遏高りょうすい,以溪ためきさきみずうみ

58 みずうみ:
かたりりん》曰:褚公ゆうきょく阿後あごみずうみ狂風きょうふうゆるがせおこりふねかたぶけ,褚公やめよい,乃曰:「此舫じん皆無かいむ以招天譴てんけんしゃおもんみゆうまごきょうこうちりかす正當せいとう以厭てんよくみみ。」便びんよく捉孫擲水ちゅうまご懼無けいおもんみ大呼たいこ曰:「きょうねん。」褚公,褚彥かい也。,彥回也。

59 みずうみ:
ふく滔《のぼりたいじょ》曰:おっとしゅうと臺東たいとうゆうみずうみまんごろ,內有金銀きんぎん塘。

60 みずうみ:
ほう輿こし》曰:どうふなうま援鑄どうせんただいちとめ此湖ちゅう,四只將過海征林邑。

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1 潭:
幽明ゆうめいろく》曰:せき縣下けんかゆうまぶし潭,以視まぶしじんいん以為めいはた有田ありた陂,むかし有人ゆうじん船行ふなゆき此陂,一死蛟在陂上不得下,なに一人長壯烏衣立於岸側,行人こうじんうん:「われさくした陂不而死,ためほうまぶし潭。」行人こうじん曰:「まぶし潭無じんうんなんほう?」がらすころもじんうん:「ただしいたり潭,便びん大言たいげん。」行人こうじん如其ごと須臾しゅゆ,潭中有ちゅうう號泣ごうきゅうごえ
また曰:すすむもと熙中,かつらようこおり有一ゆういち老翁ろうおうつね以釣ためぎょうきさききよし晨出つりぐうだいさかな食餌しょくじ,掣綸甚急,船人ふなびと奄然俱沒,家人かじんひろ於釣しょ老翁ろうおう及魚并死,ためつり綸所まとい魚腹ぎょふくゆうぶん曰:「我聞がもん曾潭らくしたがえ檐潭らいはりつけへい老翁ろうおうもちつりすう欺。こうしょくあかこい鲙,今日きょうとくなんじため。」

2 潭:
《荊州》曰:たけとうけん西北せいほくろく江中えなかめい佷子潭,潭中有ちゅううみぎ磧洲,ちょうろくじゅうたけせいでん佷子曾從ちちいのちちち臨終りんじゅうほっそう山上さんじょう謬曰そうわが水中すいちゅう,佷子おもんみしたがえ此命。習鑿うん:「佷子かん時人じじんいえざい山東さんとうじょ徼。」

3 潭:
鄧德あきらみなみやすし》曰:あずさ潭有あずさいつきひろしちょくきょかこえこう丈餘じょうよたれ柯數うね
また曰:贛潭ざいぐんむかしゆう長者ちょうじゃ於此潭以つり為事しごとつねさく漁父ぎょふ,其聲慷慨こうがいゆるがせ聞綸どう須臾しゅゆ一物いちもつがたしょう水牛すいぎゅう眼光がんこう如鏡,ある言水ごんすいさい,浮躍逐綸,角帶かくおびきんくさりつりきゃくいん引得くさり出水しゅっすいすうじゅうたけくさりだんあまりすうたけつき珍寶ちんぽう

4 潭:
浮山》曰:うし潭深ほらきょく北岸ほくがんゆうせき周圍しゅういさんたけもとりょう人見ひとみうしみず而出,ばん於此せき

5 潭:
ならしらき》曰:むかし石頭いしあたますいゆうだい黿,つねざい潭中,いんめい此為黿潭,のうさくぎょうびょう於人。ゆう道士どうし戴昞しゃ,乃以こしあきらふうどろへんとう潭水ちゅう良久よしひさゆうだい黿徑ちょう丈餘じょうよ浮出,敢動,乃格ころせこれ,而病じん并愈。またゆうしょう黿出羅列られつ於水なぎさ甚多。

6 潭:
みなみやすし》曰:あずさ潭在雩都けん東南とうなんろくじゅうきゅう,其山ゆうだいあずさじゅおうれいじょうしょうためりゅうぶね,艚斫なり牽引けんいん不動ふどううらないうん,須童男女だんじょすう十人為歌樂乃當得下。其言以童男女だんじょ牽拽,艚沒于潭ちゅう男女だんじょみなおぼれ。其後ごとてん晴朗せいろう凈,仿佛若見わかみじんせん焉,よる宿やど潭邊,ある歌唱かしょうこえいんごうあずさ潭焉。

7 潭:
《鄱陽》曰:ふところみずちすいいちめいこうけい潭,ざい縣南けんなんひゃく江中えなか流石さすがさいゆう潭,往往おうおうゆうみずち浮出,きずじん焉。まいいたりがつにちさとじん於此こうみず以船きおいわたりぞく云為うんいこごめげん禳災,承前しょうぜんぐんもりけんかか纟采以賞刺史ししちょう棲貞以人これぎょう莫大ばくだい於孝,かかこうけいしめぎ竿ざおうえしょう,而人知じんちすすむぞくごうためふところみずちすいある曰孝けい潭。

8 潭:
《湘州》曰:えきゆうあきら潭,其下そこ,湘州最深さいしんしょ也。あるいいしゅうあきらおうみなみせいふくぼつ於此潭,いん以為めい

URN: ctp:taiping-yulan/66