(Translated by https://www.hiragana.jp/)
インド古典演劇 - Wikipedia

インド古典こてん演劇えんげき(インドこてんえんげき、: नाट्य)とは、古代こだいインドにおける戯曲ぎきょく(ナーティカ)と演劇えんげき(ナーティヤ)の伝統でんとう[1]

インド大陸たいりくにおける演劇えんげきのルーツは『リグ・ヴェーダ』(紀元前きげんぜん1500ねんごろ-ぜん1200ねんごろ成立せいりつ)までさかのぼることができる。『リグ・ヴェーダ』には対話たいわ形式けいしき場面ばめん形式けいしきをもつ讃歌さんか動物どうぶつ寓話ぐうわ英語えいごばんなど文学ぶんがく形式けいしきもちいた讃歌さんかふくまれている[2]。しかしながら、インド演劇えんげきにおける古典こてんは、紀元前きげんぜん3世紀せいきから4世紀せいきに『ナーティヤ・シャーストラ』(Nātyaśāstra、「げき科学かがく」)が編纂へんさんされたことではじまった[3]。インド古典こてん演劇えんげきは、カーヴィヤ、そしてサンスクリット文学ぶんがくにおける最高峰さいこうほうであるとみなされている[4]

サンスクリット古典こてん文学ぶんがくならびに古典こてん演劇えんげき歴史れきしは、仏教徒ぶっきょうとげき作家さっか詩人しじん哲学てつがくしゃであったアシュヴァゴーシャうま、めみょう)をもってはじまった[5]かれによる代表だいひょうてき作品さくひんに『ブッダチャリタ』がある。アシュヴァゴーシャは、おそらく紀元前きげんぜん2世紀せいきごろきたとされるげき作家さっかバーサ英語えいごばん[注釈ちゅうしゃく 1]ならび、最初さいしょのサンスクリットげき作家さっかであるとかんがえられている。

サンスクリット古典こてんげきでは、その名称めいしょうにもかかわらず、サンスクリットとプラークリット演劇えんげきプラークリット英語えいごばん)の言語げんごもちいられるというバイリンガルな性質せいしつをもっていた[注釈ちゅうしゃく 2][6]。これらのげきではストックキャラクターもちいられ、ヒーローnayaka、ナヤカ)、ヒロインnayika、ナイカ)、おどけやくvidusaka、ヴィドゥーシャカ)などが登場とうじょうする。また、それぞれの役者やくしゃは、これらの類型るいけいのいずれかにとくしていた。紀元前きげんぜん2世紀せいきごろ文法ぶんぽう学者がくしゃであるパタンジャリによってった『マハーバーシャ英語えいごばん』(『だいちゅう』または『だい注解ちゅうかいしょ』)は、サンスクリット戯曲ぎきょく萌芽ほうがともいうべきものについて最古さいこ言及げんきゅうおこなっている[7]。この文法ぶんぽうしょは、インドにおける舞台ぶたい芸術げいじゅつ英語えいごばんはじまった年代ねんだいについてのがかりをあたえている[7]

4世紀せいきから5世紀せいき活躍かつやくしたカーリダーサは、うまでもなく古代こだいインドにおけるもっと偉大いだいなサンスクリット戯曲ぎきょく作家さっかである。カーリダーサによる恋愛れんあいげきは3つ、すなわち『マーラヴィカーグニミトラ英語えいごばん』(『マーラビカーとアグニミトラ』)、『ヴィクラモールヴァシーヤ』(『勇気ゆうきによってられたウルヴァシー』)、『アビジュニャーナシャクンタラー』(『おものシャクンタラー、あるいは、指輪ゆびわによっておもされたシャクンタラー』)である。さん番目ばんめ戯曲ぎきょくは『マハーバーラタ』から題材だいざいっており、またかれもっと有名ゆうめい作品さくひんであり、そして英語えいごとドイツはじめて翻訳ほんやくされた作品さくひんでもある。この戯曲ぎきょくはまた、ウィリアム・ジョーンズによって英訳えいやくされた『シャクンタラー』をつうじて、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの『ファウスト』に影響えいきょうあたえている[4]。カーリダーサにぐインドのげき作家さっかに、バヴァブーティ英語えいごばん(8世紀せいき後半こうはんごろ)がいる[8]かれは3つの作品さくひんのこしたとされる。すなわち、『Malati-Madhava』(マラティとマダヴァ)、『マハーヴィーラ・チャリタ英語えいごばん』(『偉大いだいなる英雄えいゆう所行しょぎょう』)、『ウッタラ・ラーマ・チャリタ英語えいごばん』(『続編ぞくへんラーマの所行しょぎょう』)[9]である。このうち2さくと3さくは『ラーマーヤナ』から題材だいざいっている。ヴァルダナあさおうハルシャ・ヴァルダナ(606ねん-648ねん)は、喜劇きげきラトナーヴァリ英語えいごばん』と『プリヤダルシカー英語えいごばん』、仏教ぶっきょうげきナーガーナンダ英語えいごばん』(『竜王りゅうおうよろこび』[10])の3つのげきいたとされている。そのほか、シュードラカ英語えいごばんや、前述ぜんじゅつのアシュヴァゴーシャやバーサが著名ちょめいなサンスクリット戯曲ぎきょく作家さっかとしてげられる。かれらののこした作品さくひんのうち現在げんざいにまでつたえられたものは数多かずおおいが、かれ自身じしんについてあきらかなことはすくない。

インド演劇えんげき源流げんりゅうは、『リグ・ヴェーダ』にまでさかのぼる。『リグ・ヴェーダ』には対話たいわ形式けいしき[11]場面ばめん形式けいしき讃歌さんかほか、動物どうぶつ寓話ぐうわ英語えいごばんなど文学ぶんがく形式けいしきもちいた讃歌さんかふくまれている[2]注目ちゅうもくすべき『リグ・ヴェーダ』の挿話そうわは、最初さいしょ人類じんるいについてのはなし、10.10「ヤマとヤミーの対話たいわ」であろう。この物語ものがたりでは、ヤミー(ヤムナー)が彼女かのじょあにであるヤマたいして子孫しそんのこすための関係かんけい近親きんしん相姦そうかん)をせまるが、ヤマはおとこらしくこれをこばむというものである。ヴェーダの祭式さいしきでは、そのおおくでふえ竪琴たてごとといった楽器がっきかならずとっていいほど使つかわれている[12][3]。『シャタパタ・ブラーフマナ』(ぜん800ねん-700ねんごろ成立せいりつ)13しょう2には、二人ふたり役者やくしゃによってえんじられるげき形式けいしきかれたシュローカぶし)が登場とうじょうする[13]初期しょき仏教ぶっきょう文学ぶんがくは、インド演劇えんげき存在そんざいしめ最古さいこ証拠しょうことなった。パーリの『経蔵きょうぞう』(ぜん5世紀せいきから3世紀せいきあいだ成立せいりつ)は、舞台劇ぶたいげきえんじる俳優はいゆう一団いちだん主演しゅえん俳優はいゆうによってひきいられている)の存在そんざいについて言及げんきゅうしている。これらの演劇えんげきには舞踊ぶようれられていたようであるものの、舞踊ぶよううた物語ものがたり朗読ろうどくとはまた別個べっこのものとして列挙れっきょされている[14][注釈ちゅうしゃく 3]

ビハールしゅうチランド遺跡いせき英語えいごばんからは、おそらく演劇えんげきもちいられたであろう素焼すやきの仮面かめん出土しゅつどしている。そうじょがくてき解析かいせきによれば、この仮面かめん紀元前きげんぜん3世紀せいきから4世紀せいきごろのものであり、この時代じだいのインドにおいてすでに演劇えんげきがある程度ていど発展はってんげていたことを示唆しさしている。また、仮面かめんはな装着そうちゃくできるようにおおきなつくりをしており、演者えんじゃ仮面かめんはなあなつうじて視野しや確保かくほできた。バラタムニ英語えいごばんせいバラタ)は『ナーティヤ・シャーストラ』(『戯曲ぎきょくろん』または『演劇えんげき典範てんぱん』)において仮面かめんについて「プラティシルシャ」[注釈ちゅうしゃく 4]言及げんきゅうしており、これらの仮面かめんダイアデムとそれに沿った付属ふぞくかみそなえた、かお全体ぜんたいおおうものだったようである[16][17]

紀元前きげんぜん2世紀せいきごろパタンジャリあらわした『マハーバーシャ英語えいごばん』(『だいちゅう』または『だい注解ちゅうかいしょ』)は、サンスクリット戯曲ぎきょく萌芽ほうがともいうべきものについて最古さいこ言及げんきゅうおこなっている[7]。この文法ぶんぽうしょは、インドにおける舞台ぶたい芸術げいじゅつ英語えいごばんはじまった年代ねんだいについてのがかりをあたえている[7]

アレクサンドロス3せい東征とうせいて、インド大陸たいりくギリシャ文化ぶんか英語えいごばんじか接触せっしょくすることとなった。この文化ぶんかてき状況じょうきょうは、古代こだいギリシア演劇えんげきがインド演劇えんげき発展はってんにどれほどの影響えいきょうあたえたかについて、後世こうせい研究けんきゅうしゃのあいだで学術がくじゅつてき議論ぎろんおこなわせることとなった[注釈ちゅうしゃく 5][18]。たとえば、直接的ちょくせつてき起源きげんあきらかではないものの、サンスクリットにおいては楽屋がくや舞台ぶたいあいだ仕切しき目的もくてき使つかわれたまく(カーテン)をして「ヤヴァニカー英語えいごばん」と[19]

伝統でんとうてきに、サンスクリット文学ぶんがくにおける戯曲ぎきょくは、カーヴィヤ文学ぶんがくにおける「るためのカーヴィヤ」として、「くためのカーヴィヤ」とされた抒情詩じょじょうし叙事詩じょじしならんであつかわれた[20][21]

演劇えんげきろんしょとしては、代表だいひょうてきな『ナーティヤ・シャーストラ』のほか、『ダシャルーパ』(Daśarūpa、10世紀せいき)、アビナヴァグプタの『アビナヴァバラーティー英語えいごばん』(Abhinavabhāratī、-11世紀せいき[注釈ちゅうしゃく 6][22][10]、『シュリンガーラ・プラカーシャ英語えいごばん』(Shringara-Prakasha、11世紀せいき)などがしるされた[23]

ナーティヤ・シャーストラ

編集へんしゅう
演劇えんげきにおいては、鬼神きじんかみも、その善悪ぜんあくすべての行為こうい演出えんしゅつされるべし。世俗せぞく生活せいかつはんとして、勇気ゆうき喜悦きえつあたえるために一切いっさいえんじられる」
せいバラタ、『ナーティヤ・シャーストラ』

サンスクリット演劇えんげきかんするおも資料しりょうに、バラタムニ英語えいごばんせいバラタ)のるとされる『ナーティヤ・シャーストラ』(『戯曲ぎきょくろん』または『演劇えんげきろんしょ[24])がある。正確せいかく成立せいりつ年代ねんだい不明ふめいなものの、およそ紀元前きげんぜん200ねんから西暦せいれき200ねんごろであると推測すいそくされている。演者えんじゃ演出えんしゅつ音楽家おんがくか詩人しじんげき鑑賞かんしょうしゃ読者どくしゃとして想定そうていしてかれた『ナーティヤ・シャーストラ』は[23]古代こだいにおける劇作げきさくじゅつしょとしてはもっと完成かんせいされたものであった。演技えんぎ舞踏ぶとう演奏えんそう音楽おんがく理論りろん演劇えんげき理論りろん英語えいごばん舞台ぶたい建築けんちく衣装いしょうデザイン英語えいごばん舞台ぶたい化粧けしょう英語えいごばんプロップ劇団げきだん運営うんえいろん観客かんきゃく競演きょうえんについてくほか、演劇えんげき起源きげんについての神話しんわてき説明せつめいをおこなっている[7][25][26][注釈ちゅうしゃく 7]。サンスクリット演劇えんげきは、必要ひつよう技術ぎじゅつ舞踊ぶよう音楽おんがく朗読ろうどく)を代々だいだいにわたっておしつたえられてきた司祭しさいたちによって、神聖しんせい場所ばしょえんじられた。演劇えんげき目的もくてきは、教化きょうかであると同時どうじ娯楽ごらくであった。

役者やくしゃたちは、舞台ぶたい監督かんとく英語えいごばんけん役者やくしゃのスートラダーラ[注釈ちゅうしゃく 8]ばれた座長ざちょうひきいられるプロの劇団げきだんぞくし、王室おうしつ庇護ひごにあった[28]。スートラダーラとは、直訳ちょくやくすると「いとまたはひもひと」という意味いみであり、人形遣にんぎょうつかのような役目やくめかんがえられていた[7][24]役者やくしゃたちは発声はっせい身体しんたい能力のうりょくについてのきびしい修行しゅぎょうけていた[29]女性じょせい役者やくしゃになることはきんじられておらず、おとこだけの劇団げきだんおんなだけの劇団げきだん男女だんじょ混成こんせい劇団げきだんがそれぞれ存在そんざいした[注釈ちゅうしゃく 9]。しかし、演技えんぎにおける感情かんじょうラサ後述こうじゅつ)のなかは、男性だんせいえんじるべきではなく、女性じょせいによってえんじられるべきだと認識にんしきされていたものがあった。また、自分じぶんじつ年齢ねんれいとおなじ役柄やくがらえんじる役者やくしゃもいれば、じつ年齢ねんれいより年上としうえまたは年下としした役柄やくがらえんじるものもいた。『ナーティヤ・シャーストラ』は、演劇えんげきしょ要素ようそのなかで、演技えんぎ(アビナヤ、abhinaya)をもっとも重視じゅうしした。アビナヤは、現実げんじつてき写実しゃじつてき演技えんぎ(ローカダルミ、lokadharmi)と伝統でんとうてき定型ていけいてき演技えんぎ(ナティヤダルミ、natyadharmi)という種類しゅるい演技えんぎほうからるが、『ナティヤ・シャーストラ』においては後者こうしゃのほうがより重視じゅうしされている[31]

ラサ理論りろん

編集へんしゅう
すぐれた文学ぶんがく作品さくひん鑑賞かんしょうするとき我々われわれ感動かんどう総毛立そうけだち、美的びてきよろこびをあじわう。インド古典こてん文学ぶんがくしゃたちは、その美的びてき快感かいかんを"rasa"とんだ。
上村うえむら勝彦かつひこ, 『インド古典こてん詩論しろん研究けんきゅう』(1999)p.3

『ナーティヤ・シャーストラ』のなかにかれるラサ理論りろん[32]文芸ぶんげい鑑賞かんしょうろんであり、演劇えんげきかんする心理しんりがくてき考察こうさつであった。

演劇えんげきにおいて、ある戯曲ぎきょくには主題しゅだいとなるひとつのラサがさだめられ、のラサは補助ほじょとしてあつかわれた[26]れいとして、『シャクンタラー』においては愛欲あいよくが、『ウッタラ・ラーマ・チャリタ英語えいごばん』(『続編ぞくへんラーマの所行しょぎょう』)においては悲愴ひそうが、ハルシャ・ヴァルダナの『ナーガ・ナンダ』においては寂静じゃくじょう主題しゅだいとなった[10]

以下いかしるすのは、14世紀せいき理論りろんしょ『サーヒティヤ・ダルパナ』による、『ナーティヤ・シャーストラ』にかれたやっつのラサに[22]後代こうだいくわえられたきゅう番目ばんめのラサ「寂静じゃくじょう[10]ふくめた一覧いちらん一部いちぶである[33]

ラサ 恒常こうじょうてき感情かんじょう 一過いっかせいてき感情かんじょう いろ 神格しんかく
愛欲あいよく 恋情れんじょう 堅固けんごさ・怠惰たいだ嫌悪けんおほか くろ暗色あんしょく ヴィシュヌ
陽気ようき 滑稽こっけい 眠気ねむけ怠惰たいだ感情かんじょう偽装ぎそうほか しろ シヴァ
悲愴ひそう 悲愴ひそうかん 厭世えんせい迷妄めいもう気絶きぜつ衰弱すいじゃく疲労ひろう

落胆らくたん呆然ぼうぜん自失じしつ発狂はっきょう追憶ついおくほか

灰色はいいろ

ばとしょく

ヤマ
憤怒ふんぬ 憤慨ふんがい 堅固けんご狼狽ろうばい立毛たちげ発汗はっかんふる

い・あせりほか

あか ルドラ
勇気ゆうき いさむたけしこころ 自慢じまん追憶ついおく充足じゅうそくかん立毛たちげ インドラ
恐怖きょうふ 恐怖きょうふしん 嫌悪けんお狼狽ろうばい迷妄めいもう驚愕きょうがく衰弱すいじゃく

憂慮ゆうりょ気絶きぜつ困惑こんわく

くろ カーラかみ
嫌悪けんお 嫌悪けんおかん 迷妄めいもう気絶きぜつ狼狽ろうばい病気びょうき あお マハーカーラ
驚愕きょうがく 驚嘆きょうたん 熟考じゅっこう狼狽ろうばい動揺どうよう歓喜かんき 金色きんいろ ガンダルヴァ
寂静じゃくじょう 寂静じゃくじょうかん 狼狽ろうばい歓喜かんき追憶ついおく決意けついいつくしみ ジャスミン

またつきいろ

ナーラーヤナ

どう理論りろんは、現代げんだいインドにおける舞台ぶたい芸術げいじゅつ英語えいごばんや、インド映画えいが、とりわけボリウッドおおきな影響えいきょうおよぼしている[34]

種類しゅるい

編集へんしゅう

古代こだいのサンスクリットげきおおくは、先行せんこうして成立せいりつしただい古典こてん叙事詩じょじしラーマーヤナ』と『マハーバーラタ』、もしくは当時とうじかたられていた説話せつわなどを翻案ほんあんしたものが大半たいはんめている[19]。これは、演劇えんげきろんしょくところでもあった。これは当時とうじ戯曲ぎきょく作家さっかにとって、筋書すじがきは鑑賞かんしょうしゃにとって展開てんかいをあらかじめ予測よそく可能かのうであるべきであり、既知きちのシーンをいかに表現ひょうげん演出えんしゅつするかに焦点しょうてんがおかれていたからである[35]

また、戯曲ぎきょくには、一定いってい形式けいしき内容ないようおうじて分類ぶんるいされていた。『ナーティヤ・シャーストラ』においては、せいげきじゅう種類しゅるいふくげきじゅうしゅ[36]ないしじゅうはち種類しゅるい分類ぶんるいされたが[19]、いずれの様式ようしきにおいても共通きょうつう上演じょうえん次第しだい存在そんざいした。すなわち:

言葉ことば衣装いしょう身体しんたい所作しょさ性質せいしつによってもたらされる区別くべつ依拠いきょし、感情かんじょう移入いにゅうすることによって様々さまざま情趣じょうしゅそなえ、三界さんがいいとなみからおどりを〔おどり〕、みずからが観客かんきゃくでもある。その認識にんしき偉大いだいさがさまたげられることのない、そのような神々こうごうしいシヴァが、世界せかいといううつわたす名声めいせいをあなたかたにもたらしますように。
座長ざちょう, 『ぱらいのじゃれ』冒頭ぼうとう[37]
女優じょゆう:あなた、これからなに上演じょうえんするつもりなの?
座長ざちょう:おまえ自身じしんったじゃないか。『ぱらいのじゃれ』という笑劇しょうげきだと。
ぱらいのじゃれ』[38]
  1. 冒頭ぼうとう朗誦ろうしょう
  2. 対話たいわ形式けいしき前口上まえこうじょう
  3. ヴィドゥーシャカ(道化どうけやく)の登場とうじょう

せいげきふくげきは、判明はんめいしているかぎりでそれぞれとおり(かぎカッコないはラサ):

  • せいげきじゅうしゅ
    • ナータカ(神話しんわ歴史れきし取材しゅざいしたもの)
    • プラカラナ(民衆みんしゅうげき説話せつわ取材しゅざい
    • バーナ(独白どくはく喜劇きげき都会とかい粋人すいじんヴィタがえんじる、「恋情れんじょう」または「勇猛ゆうもうしん[39]
    • プラハサナ(茶番ちゃばんげき情事じょうじてき・「滑稽こっけい」)
    • ディマ(幻想げんそうてきげき神話しんわ伝説でんせつ取材しゅざい、「恋情れんじょう」と「滑稽こっけい以外いがい[40]
    • ヴィア―ヨーガ(戦争せんそうげき
    • サマヴァカーラ(天界てんかい演劇えんげきかみ鬼神きじん主役しゅやく
    • ヴィーティー(滑稽こっけいげき演者えんじゃいちにんにん[41]、バーナとほぼおな[42]
    • ウトスリーシュティカーンカ(一般人いっぱんじん主役しゅやくられているはなしあつかう、壮健そうけんさがけられた同情どうじょうさそ内容ないよう
    • イーハームリガ(主人公しゅじんこうかみまたは人間にんげん
  • ふくげき歌舞かぶ身振みぶりが主眼しゅがん
    • ナーティカー(ナータカとプラカラナの中間ちゅうかん女性じょせい主役しゅやく、「恋情れんじょう」)
    • トゥロータカ(人間にんげん世界せかいかみ世界せかい

このうち、もっともおもんじられたのがナータカ、つぎにプラカラナであった[36]

作品さくひん

編集へんしゅう

本節ほんぶしでは、かく演劇えんげきのうち、特定とくてい作者さくしゃによってかれたと伝承でんしょうされるものはその作者さくしゃふしで、作者さくしゃ不明ふめいまたは複数ふくすう作者さくしゃかえせられるものは作品さくひんふし解説かいせつおこなう。

アシュヴァゴーシャ

編集へんしゅう

仏教徒ぶっきょうとげき作家さっか詩人しじん哲学てつがくしゃであったアシュヴァゴーシャうま、めみょう、西暦せいれき1世紀せいき前後ぜんこう[5]による作品さくひんに、仏教ぶっきょうげき寓話ぐうわげき『シャーリプトラ・プラカラナ』[注釈ちゅうしゃく 10]がある。抽象ちゅうしょう概念がいねん役柄やくがらとして登場とうじょうするほんさくにおいて[45]、アシュヴァゴーシャは演劇えんげきつうじた民衆みんしゅう教化きょうか仏教ぶっきょうへの改宗かいしゅう目指めざしていた[46][47]。また、この作品さくひんではすでに『ナーティヤ・シャーストラ』とう戯曲ぎきょくろんしょいたた規定きてい・セオリーどおりのさくげきがなされており、貴人きじんにはサンスクリットの台詞せりふを、道化どうけやくにはプラークリットの台詞せりふてられている[19]

なお、抽象ちゅうしょう概念がいねん役柄やくがらとする戯曲ぎきょく後代こうだいにもられる。チャンデーラあさ(インド中部ちゅうぶ)のおうキールティヴァルマン1せい英語えいごばん(11世紀せいきまつ-12世紀せいき)につかえたクリシュナミシュラ[注釈ちゅうしゃく 11]あらわした[48]バクティ信仰しんこういろどられた寓話ぐうわげき、『プラボーダ・チャンドローダヤ』[注釈ちゅうしゃく 12]には、「忍耐にんたい(kṣamā)」や「満足まんぞく(santośa)」がやくとして登場とうじょうする[8]

おそらく紀元前きげんぜん2世紀せいきごろきたとされるげき作家さっかバーサ英語えいごばんならび、最初さいしょのサンスクリットげき作家さっかであるとかんがえられている。

シュードラカ

編集へんしゅう

現在げんざいでもられているサンスクリットげきのなかでもっとふる部類ぶるいぞくする『ムリッチャカティカー』(『小車おぐるま』)は、おそらく5世紀せいき後半こうはん[50]シュードラカ英語えいごばんによってかれたとされる[51]。ロマンスとセックス、宮廷きゅうてい陰謀いんぼう滑稽こっけいさにあふれたこの戯曲ぎきょくすじは、どんでんがえしにあふれている[52]物語ものがたりは、わかおとこのチャールダッタと、かれあいせる裕福ゆうふく高級こうきゅう娼婦しょうふナガルヴァドゥ英語えいごばん[注釈ちゅうしゃく 13])ヴァサンタセーナを主軸しゅじくとしている。こい顛末てんまつは、おなじくヴァサンタセーナにかれているおう廷臣ていしんサンスターナカの存在そんざいによってさらにっていく。これにくわえ、盗難とうなん事件じけん人違ひとちがいがからむ筋書すじがきはさきめないものとなっており、げきをいっそう滑稽こっけいたのしいものにしている。サンスクリットげきのなかではとく変化へんかんだ筋書すじがきであるほか、古典こてんげきでは忌避きひされた場面ばめん殺人さつじん処刑しょけいなど)もまれているてんでユニークな作品さくひんといえる[53]

『ムリッチャカティカー』は1924ねんにニューヨークで上演じょうえんされ、ひろ賞賛しょうさんびた。また、1984ねんには、この戯曲ぎきょく下敷したじきにした、ギリーシュ・カルナード英語えいごばん監督かんとくヒンドゥー映画えいがウツァヴ英語えいごばん』(意訳いやくまつり』)が公開こうかいされた。2001ねん映画えいがムーラン・ルージュ』でえがかれたインドげきは、おそらくこの戯曲ぎきょくもとにしたものであろう。

シュードラカはまた、『ヴィーナー・ヴァーサヴァダッター英語えいごばん』と、バーナげきよんへん集録しゅうろくする『チャトゥルバーニー』(『遊女ゆうじょ足蹴あしげ』)のうちのいちへん、『パドマ・プラーブリタカ』(『蓮華れんげおくもの』)の作者さくしゃとされる(後述こうじゅつ[54]

歴史れきしにとって、バーサ英語えいごばん作品さくひん後代こうだい作家さっかによる言及げんきゅうによってのみられており、かれ自身じしん作品さくひんつたわっていなかった。ところが1910ねん、バーサの作品さくひん13へん通称つうしょうトリヴァンドラムげき[55]が、ガナパティ・シャーストリー英語えいごばんによってティルヴァナンタプラムふる図書館としょかんから発見はっけんされた[56]。これにくわえ、バーサのものとされる14番目ばんめ作品さくひんのち発見はっけんされたが、実際じっさいかれいたものかどうかには議論ぎろんがある。

バーサのもっとも著名ちょめい作品さくひん[57][58]

である。またに、

げられる。

バーサはサンスクリットげき作家さっかのなかで、カーリダーサにいで偉大いだいであるとかんがえられている。かれ経歴けいれききた時代じだいについてあきらかなことはほぼ皆無かいむであるが、アシュヴァゴーシャよりもあたらしく、カーリダーサが活躍かつやくした時期じきよりさかのぼる、3世紀せいきから4世紀せいき活動かつどうした[65][66][67][68][69]。これらの戯曲ぎきょく表現ひょうげん平易へいいで、技巧ぎこうこごらないなど、上演じょうえんのための工夫くふうがなされたことを示唆しさする編成へんせいとなっている[70]

カーリダーサ

編集へんしゅう

カーリダーサ(4世紀せいき-5世紀せいき[71][72])はサンスクリット文学ぶんがくにおいてもっとも偉大いだい詩人しじんにして戯曲ぎきょく作家さっかであり、えい文学ぶんがくにおけるシェイクスピアに比肩ひけんする位置いちづけにある[73]かれ作品さくひんしゅとしてヒンドゥーきょう伝説でんせつや、おしえにかんする主題しゅだいあつかっている。カーリダーサの著名ちょめい作品さくひん3つとして、『ヴィクラモールヴァシーヤ』(『ヴィクラマ・ウルヴァシーヤ』とも、『勇気ゆうきたけいさむ(ヴィクラマ)によってられたウルヴァシー』)、『マーラヴィカーグニミトラ英語えいごばん』(『おおやけおんなマーラヴィカーとアグニミトラおう』)、『アビジュニャーナ・シャークンタラ』(『シャクンタラー』または『おものシャクンタラー』)がげられる[74]。このうち『シャクンタラー』は、サンスクリット演劇えんげきのなかでも最高さいこう傑作けっさくとしてられている。『シャクンタラー』がかれてから1000ねん以上いじょうののち、この作品さくひんつよ印象いんしょうけたドイツのゲーテをして、つぎのようにかしめた:

いちねんわかぶしのすべてのはなを、
    そのわりのすべての果実かじつを、
しんらせ、恍惚こうこつとさせ、
    らせるものを、
このてんとをもとめるなら、
    ただ一語いちごあらわせば、
わたしはためらわずにそのぶ、
    おお、シャクンタラー!

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ、『シャクンタラー』より(1791ねん、1924ねん水野みずの葉舟ようしゅう英語えいごばんから重訳じゅうやく[注釈ちゅうしゃく 17][75][76]

カーリダーサはまた、2へん長大ちょうだい叙事詩じょじしである『ラグ・ヴァンシャ』(『ラグ王家おうけ系譜けいふ』)と『クマーラ・サンバヴァ英語えいごばん』(『クマーラ誕生たんじょう』)、2へん叙情詩じょじょうし、『リトゥ・サンハーラ英語えいごばん』(『ぶしのめぐり』)と『メーガ・ドゥータ』(『くも使者ししゃ』)をのこしている。

カーリダーサの文体ぶんたい特徴とくちょうは、簡素かんそうつくしいサンスクリットと、直喩ちょくゆ多用たようにある。かれ直喩ちょくゆほうから「直喩ちょくゆ所有しょゆうしゃカーリダーサ(Upama Kalidasasya)」といわれている。これについて、シュローカではつぎのようにかれている[注釈ちゅうしゃく 18]

"upamā Kālidāsasya, Bhāraver artha gauravam | Daṇḍinah padalālityam, Māghe shanti trayoguṇah ||"
"Mahāsubhāṣitasaṃgraha"

ヴィシャーカダッタ

編集へんしゅう

ヴィシャーカダッタ英語えいごばん[注釈ちゅうしゃく 19]歴史れきしげきムドラー・ラクシャーサ英語えいごばん』(『羅刹らせつ印章いんしょう[78])は、政治せいじてき謀略ぼうりゃくふくみ、生命せいめいりょくとアクション、そして持続じぞくてき興味きょうみさそわせる展開てんかいちているてんで、サンスクリットげきのなかでも特異とくい作品さくひんである[注釈ちゅうしゃく 20][51]成立せいりつ年代ねんだいは800ねんよりもさかのぼるようである。物語ものがたりつぎのようなものである。最後さいごのナンダおうたち英語えいごばん弑逆しいぎゃくしたチャンドラグプタパータリプトラおさめている。ナンダおうダナ・ナンダ英語えいごばん大臣だいじんであったラクシャーサは、ヒマラヤ地方ちほうおうパルヴァータカおうすで死亡しぼう)の息子むすこ、マラヤケートゥとんで、主君しゅくんかたきとうとする(げきはこの時点じてんはじまる)。チャンドラグプタの大臣だいじんチャーナキヤは、はかりごとによってラクシャーサを主君しゅくんがわにつかせることに成功せいこうする[79]

『ムドラ・ラクシャーサ』は詩論しろんげきろんによって批評ひひょう引用いんようがなされることはまれであった[80]。これは、上述じょうじゅつとおほんさくがサンスクリットげきとしての常識じょうしきてはまらないものであったうえ、文体ぶんたい修辞しゅうじ平明へいめいであったためだとかんがえられる。

ヴィシャーカダッタはこのほか引用いんようつうじてられる戯曲ぎきょくが2へんつたえられる。すなわち『デーヴィー・チャンドラグプタ』(『チャンドラグプタと王妃おうひ』)[81]、『アピサーリカー・ヴァンチタカ』(『媾曳あいびきおんな〔あいびきおんな〕の欺瞞ぎまん』)[82]である。前者ぜんしゃは10まくでプラカラナ、グプタあさおうチャンドラグプタ2せい主役しゅやくとする、恋愛れんあい要素ようそふく政治せいじげき一方いっぽう後者こうしゃはナータカで、ウダヤナおう王女おうじょパドマデーヴィーのロマンスに取材しゅざいしたものである。

その主要しゅようげきげき作家さっか

編集へんしゅう
「戒日おうくもじょう菩薩ぼさつもっりゅうわるのことりて、緝めてうたえいり、そうして絃管に諧い、ひとをしてらくさくさしめ、これをい、これをみて、だい流布るふせしむ」
よしきよし, 『南海なんかいよせ内法うちのりでん英語えいごばんだいよん

そのほかの作品さくひんとしては、ハルシャ・ヴァルダナ(7世紀せいき)による戯曲ぎきょくである、喜劇きげきラトナーヴァリ英語えいごばん』と『プリヤダルシカー英語えいごばん[83]、ナータカ・仏教ぶっきょうげきナーガーナンダ英語えいごばん』(『竜王りゅうおうよろこび』[10][8]パッラヴァあさ皇帝こうていマヘーンドラヴァルマン1せい英語えいごばん(7世紀せいき前半ぜんはん)による笑劇しょうげきマッタヴィラ-サ・プラハサナ英語えいごばん』(『ぱらいのじゃれ』)[84][85]、シャクティ・バドラのĀścaryacūḍāmaṇi、KulasekharaのSubhadra DhananjayaとTapatisamvarana、NeelakantaのKalyana SaugandhikaとSri Krishna Charitaがげられる。

独白どくはく喜劇きげき集成しゅうせいチャトゥルバーニー』は、古典こてんインドの大都市だいとしパータリプトラウッジャイニー遊郭ゆうかくがい舞台ぶたいとするバーナげきよんへんからなる。かく作品さくひん構成こうせいとしては寸劇すんげき連続れんぞくともいえるものになっている。内容ないようは、『カーマ・スートラ』や日本にっぽん遊里ゆうり文学ぶんがくのように、あそびの極意ごくいかれると同時どうじに、要所ようしょ技工ぎこうらした韻文いんぶんはさまれている[86]作品さくひん、およびその作者さくしゃはそれぞれ:

  1. 『パドマ・プラーブリタカ』[注釈ちゅうしゃく 21](『蓮華れんげおくもの』) - シュードラカ
  2. 『ドゥールタ・ヴィタ・サンヴァーダ』[注釈ちゅうしゃく 22](『極道ごくどう通人つうじん対話たいわ』) - イーシュヴァラダッタ
  3. 『ウバヤー・ビサーリカー』[注釈ちゅうしゃく 23](『き』) - ヴァラルチ英語えいごばん
  4. 『パーダター・ディタカ』[注釈ちゅうしゃく 24](『足蹴あしげにされたおとこ』) - シュヤーミラカ

である。以上いじょうよんへんは、言語げんご文体ぶんたい表現ひょうげん類似るいじられるため、ほぼどう時期じき成立せいりつしたものとかんがえられている。具体ぐたいてき成立せいりつ年代ねんだいあきらかでないものの、バーサとカーリダーサそれぞれの活動かつどう時期じきのあいだにったと推察すいさつされている。なお、これらの作品さくひんのうち『足蹴あしげにされたおとこ』の成立せいりつ年代ねんだいについてはトーマス・バローダシャラタ・シャルマ英語えいごばんらが議論ぎろんひろげており、バローは作中さくちゅう言及げんきゅうされる軍事ぐんじ遠征えんせいチャンドラグプタ2せい遠征えんせいのものとしたうえで410ねんごろとした一方いっぽう、シャルマはこの軍事ぐんじ遠征えんせいスカンダグプタおう英語えいごばんのものととらえ500ねんごろとした[87]。ゴダール・ヘンドリック・ショッカー[注釈ちゅうしゃく 25]は、これらの議論ぎろんまえたうえでシャルマのせつしたがい、上限じょうげんを450ねん前後ぜんこう下限かげんフーナ(エフタル)によるウッジャイニー破壊はかいきた510ねん下限かげんとしつつ、おそらくこの期間きかんのうちはやめの時期じきにできたと結論けつろんづけた[87]。また、『チャトゥルバーニー』として編纂へんさんされた時期じき経緯けいいであるが、これらはいずれもあきらかでない。ただし、14世紀せいきのバーナ、『Viṭanidrā』がこれらよんさくについて言及げんきゅうしているため、まとめられたのはすくなくともそれ以前いぜん推察すいさつされている[88]

バヴァブーティ英語えいごばん(8世紀せいき前半ぜんはん)はカーリダーサに戯曲ぎきょく作家さっかであった[89][90]かれは3つの作品さくひんのこしたとされる。すなわち、『Malati-Madhava』(『マラティーとマーダヴァ』)[91]、『マハーヴィーラ・チャリタ英語えいごばん』(『偉大いだいなる英雄えいゆう所行しょぎょう』)[92]、『ウッタラ・ラーマ・チャリタ英語えいごばん』(『続編ぞくへんラーマの所行しょぎょう』)[93][9]である。かれ出自しゅつじについてはこれらの戯曲ぎきょく序幕じょまくからることができ、ヴィダルバのパドマプラが故郷こきょうであること、ウドゥンバラ・バラモン家系かけいであったこと、くろヤジュル・ヴェーダのタイッティリーヤであったことなどが判明はんめいしている[89]古来こらいより、バヴァブーティの戯曲ぎきょく、こと『ウッタラ・ラーマ・チャリタ』にたいする評価ひょうかたかく、さかんに引用いんようされた[94]。バヴァブーティの文体ぶんたい直接的ちょくせつてき雄々おおしいが、ラサにおいては「悲愴ひそう」を得意とくいとした[95]

インド古典こてん演劇えんげきにおける、すぐれた作家さっかとして、ビシャーカダッタ英語えいごばん[注釈ちゅうしゃく 26]バッタ・ナーラーヤナ英語えいごばん[注釈ちゅうしゃく 27]ムラーリ英語えいごばん[注釈ちゅうしゃく 28][9]ラージャシェーカラ英語えいごばん[注釈ちゅうしゃく 29]、クシェーミーシュヴァラ[注釈ちゅうしゃく 30]、ミシュラ・ダモーダラ[注釈ちゅうしゃく 31]、クリシュナミシュラ[101]がいる[102]

上映じょうえい形態けいたい

編集へんしゅう
 
バーサ『スヴァプナ・ヴァーサヴァダッター英語えいごばん』のウダヤナおうクーリヤッタム上演じょうえん形態けいたいは、サンスクリットげきとしては現存げんそんする唯一ゆいいつのものである。マニ・ダモダラ・チャキャール英語えいごばんえんじ

古代こだいのインドにおいて、サンスクリットげき人気にんきであり、文化ぶんかけん全域ぜんいき上演じょうえんされていた。

現存げんそんするサンスクリットげきは、ケーララしゅうチャキャール英語えいごばん[注釈ちゅうしゃく 32]カースト共同きょうどうたいによってつたえられてきたクーリヤッタム[注釈ちゅうしゃく 33]のみである。クーリヤッタムは2000ねん以上いじょうにわたって伝承でんしょうされてきたとかんがえられており、また、きたかたちつたえられている演劇えんげきのなかでは史上しじょう最古さいこのものにぞくする。また、クーリヤッタムではバーサのトリヴァンドラムげきをはじめ、シュリーハルシャ英語えいごばん[注釈ちゅうしゃく 34]シャクティバドラ英語えいごばんといったげき作家さっか主要しゅよう作品さくひんすべえんじられている。グル、ナーティヤーチャールヤ・ヴィドゥーシャカラトナム[注釈ちゅうしゃく 35]パドマ・シュリーマニ・マーダヴァ・チャーキャール英語えいごばんは、カーリーダサの『アビジュニャーナ・シャークンタラ』、『ヴィクラモールヴァシーヤ』、『マーラヴィカーグニミトラ』、バーサの『スヴァプナ・ヴァーサヴァダッター英語えいごばん』、『パンチャラートラ英語えいごばん』を、クーリヤッタム史上しじょうはじめて振付ふりつけ演出えんしゅつをおこなった。かれはクーリヤッタムの普及ふきゅうつとめ、インドで唯一ゆいいつ現存げんそんするサンスクリット劇場げきじょう活性かっせいさせた。

バーサの「トリヴァンドラムげき」の起源きげんかんする仮説かせつのひとつに、これら13へんげきもととなった原典げんてんから脚色きゃくしょくされ、クーリヤッタムの伝統でんとうのっとったけのためにケーララしゅうまれたというものがある(このせつにはまだ異論いろんおおい)。

現代げんだいのサンスクリットげき

編集へんしゅう

現代げんだいのサンスクリットげき作家さっかであるマンモハン・アチャリヤ英語えいごばんは、すうおおくのげき舞踏ぶとうげきのこした。特筆とくひつすべき作品さくひんとしては、Arjuna-PratijnaaやShrita-kamalam、Pada-pallavam、Divya-Jayadevam、Pingalaa、Mrtyuh、Sthitaprajnah、Tantra-mahasaktih、Purva-sakuntalam、Uttara-sakuntalamRaavanahなどがある[103]

20世紀せいき活躍かつやくしたヴィディヤーダル・シャストリ英語えいごばんは、サンスクリットげきPurnanandamKalidainyam、Durbala Balamをあらわした。

プラフラ・クマル・ミシュラ英語えいごばんChitrangadaKarunaをあらわしている。

関連かんれん項目こうもく

編集へんしゅう

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう

注釈ちゅうしゃく

編集へんしゅう
  1. ^ バーサの作品さくひんは、サンスクリットでかれた悲劇ひげきが2さくのみ現存げんそんする。
  2. ^ 戯曲ぎきょくにおいて、登場とうじょう人物じんぶつがいくつかのカテゴリーにけられ、それぞれがはな言語げんごてられた。具体ぐたいれいとしては、おう僧侶そうりょ学者がくしゃ大臣だいじんはサンスクリットの台詞せりふはなし、下男げなんおんなどもはプラークリットの台詞せりふはなした。
  3. ^ 仏教徒ぶっきょうとによる後代こうだい記録きろくによれば、ビンビサーラおう釈迦しゃかとほぼどう世代せだいであった)は、おうのために演劇えんげき披露ひろうしている。実際じっさい出来事できごとであればまえ5世紀せいきのことであるが、この記述きじゅつられるのは3世紀せいきから4世紀せいき成立せいりつした資料しりょうである[15]
  4. ^ Pratishirsha
  5. ^ サンスクリットげき研究けんきゅう初期しょきにおいては、しんアッティカげきとサンスクリットげきとのあいだに類似るいじせいみとめ、サンスクリットげき起源きげんにギリシャげき影響えいきょう主張しゅちょうする学説がくせつられた。しかし、この学説がくせつ研究けんきゅう進展しんてんともな支持しじされることはなくなった。
  6. ^ 『ナーティヤ・シャーストラ』についての注釈ちゅうしゃくろんとしては現存げんそんする唯一ゆいいつのもの。詩人しじんアーナンダヴァルダナ(9世紀せいき)の『ドゥヴァニアーローカ』とともに、ラサ理論りろん後述こうじゅつ)を大成たいせいさせることとなった。
  7. ^ 『ナーティヤ・シャーストラ』はこのほか意味いみおとについての修辞しゅうじろん(アランカーラ・シャーストラ、音韻おんいんがくべつかれた)と演劇えんげき鑑賞かんしょうろん(ラサ)をもふくんでいる[27]。また、演劇えんげき起源きげんについてはおおまかにつぎのようなものである:インドラによって、だいヴェーダとしてナーティヤ(演劇えんげき)が創造そうぞうされた。かれ宴席えんせきで、鬼神きじん敗北はいぼくえがいたシーンをふく演目えんもく上演じょうえんされた。これに逆上ぎゃくじょうした鬼神きじんとインドラとのあいだあらそいがこりそうになったので、バラタがこれを仲裁ちゅうさいし、ふし冒頭ぼうとうしるした主張しゅちょうべた。納得なっとくした鬼神きじんたちもふくめた天界てんかい面々めんめんによって演劇えんげきたのしまれた。だが、あるとき、げきちゅう侮辱ぶじょくされた仙人せんにんによって、演劇えんげき地上ちじょうとされた。
  8. ^ : sutradhara
  9. ^ 『ナーティヤ・シャーストラ』では女形おんながたかんする記述きじゅつはない。一方いっぽう、ダーモーダラグプタによって8世紀せいきかれた『遊女ゆうじょ手引てびき』(『媒介ばいかいおんな忠告ちゅうこく』とも、Kuttani-Mata)[30]では、座長ざちょうのぞ演者えんじゃがすべて遊女ゆうじょである劇団げきだんが『ラトナーヴァリー』をえんじる様子ようすや、後宮こうきゅうおんなたち自身じしんらのによってげきえんじる記述きじゅつられる[24]
  10. ^ : Śāriputraprakaraṇa。1911ねん中央ちゅうおうアジアで出土しゅつどした写本しゃほん断簡だんかん仏教ぶっきょうげき3へんのひとつ[43][44]舎利しゃりどるれん釈迦しゃかおしえに帰依きえするまでをえがく。前半ぜんはんのみが現存げんそん
  11. ^ : Kṛṣṇamiśra
  12. ^ : Prabodha-candrodaya、『さとりのつきだし[49]模倣もほうがさかんにおこなわれるほど人気にんきはくした。
  13. ^ インドにおけるクルチザンヌ、「都市とし花嫁はなよめ」。
  14. ^ 未完みかん。この作品さくひんをもとにシュードラカが『小車おぐるま』を執筆しっぴつした[62]
  15. ^ : Madhyama Vyāyoga。マディヤマとは中間ちゅうかん(この場合ばあいパーンダヴァの3番目ばんめ兄弟きょうだいビーマす)[63]、ヴィヤーヨーガとは戦記せんきぶつ意味いみする[42]。ビーマを主人公しゅじんこうとし、かれ息子むすこであるガトートカチャとの再会さいかいえが物語ものがたり
  16. ^ 『ダリドラ・チャールダッタ』とともに、神話しんわ題材だいざいとしない作品さくひん。ヴィシュヌセーナ(アヴィマーラカ)と王女おうじょクランギーの恋愛れんあい物語ものがたり[61]
  17. ^ 底本ていほんエドワード・イーストウィック英語えいごばんのもの。
  18. ^ 出典しゅってんは『Mahāsubhāṣitasaṃgraha』(『だい警句けいく綱要こうよう』)
  19. ^ またはヴィシャーカデーヴァ。サーマンタ(グプタあさ以降いこうられる封建ほうけん領主りょうしゅ称号しょうごう)の子孫しそん自称じしょう。およそ400ねん前後ぜんこう活動かつどう[77]
  20. ^ なお、この物語ものがたりには恋愛れんあいかんする場面ばめん一切いっさい存在そんざいしない。
  21. ^ Padma-prābhṛtaka
  22. ^ Dhurta-viṭa-saṃvāda
  23. ^ Ubhayābhisārika
  24. ^ Padatā-ḍitaka
  25. ^ Godard Hendrik Schokker オランダのインド学者がくしゃ。『チャトゥルバーニー』の研究けんきゅうおこなった。
  26. ^ Viśākhadatta。ビシャーカデーバとも。政治せいじげき『ムドラーラークシャサ』など。
  27. ^ 6世紀せいき-9世紀せいき?『マハーバラタ』を題材だいざいるナータカ『ヴェーニー・サンハーラ』[96]
  28. ^ 9世紀せいき?『ラーマーヤナ』をもとにしたナータカ『アナルガ・ラーガヴァ』(『ムラーリ・ナータカ』とも、『至尊しそんなるラグ王家おうけ後裔こうえい』)[97]
  29. ^ 9世紀せいきから10世紀せいき。カーリダーサ、ハルシャ、バヴァブーティ、ムラーリから影響えいきょう詩論しろん『カーヴィア・ミーマーンサー』のほか、プラークリット作品さくひんふく戯曲ぎきょく4へん[98]
  30. ^ ナータカ『チャンダ・カウシカ』(『激怒げきどせるカウシカ(ヴィシュヴァー・ミトラせん)』)。ラージャ・シェーカラとほぼどう世代せだい[99]
  31. ^ : Miśradāmodara。『マハー・ナータカ』(『だい戯曲ぎきょく』)または『ハヌマン・ナータカ』(『ハヌマットげき』)の作者さくしゃとされる[100]
  32. ^ チャーキアールとも。ケーララ地方ちほうにおけるヒンドゥー教徒きょうと司祭しさいカーストのひとつ。
  33. ^ Koodiyattam、クリヤッタムとも。英語えいご表記ひょうき正書法せいしょほう確立かくりつしていないことから様々さまざまである。
  34. ^ ナイシャダ・チャリタ英語えいごばん』(『ナラおう物語ものがたり』に題材だいざいる)
  35. ^ Nātyāchārya Vidūshakaratnam

出典しゅってん

編集へんしゅう
  1. ^ つじ 1973, p. 7.
  2. ^ a b Stoneman, Richard (2019-02-05) (英語えいご). The Greek Experience of India. Princeton University Press. pp. 413. ISBN 978-0-691-15403-9. https://press.princeton.edu/books/hardcover/9780691154039/the-greek-experience-of-india 
  3. ^ a b Varadpande, M. L.; Varadpande, Manohar Laxman (1987) (英語えいご). History of Indian Theatre. Abhinav Publications. ISBN 978-81-7017-221-5. https://books.google.com/books?id=SyxOHOCVcVkC 
  4. ^ a b Brandon (1981, xvii).
  5. ^ a b つじ 1973, p. 11.
  6. ^ 粟屋あわやほか 2021, p. 49.
  7. ^ a b c d e f Richmond (1998, 517).
  8. ^ a b c 粟屋あわやほか 2021, p. 18.
  9. ^ a b c d 中村なかむら 2022, p. 31.
  10. ^ a b c d e 水野みずの 2019, p. 259.
  11. ^ 河野こうの 1988, pp. 214–215.
  12. ^ Stoneman, Richard (2019-02-05) (英語えいご). The Greek Experience of India. Princeton University Press. pp. 413. ISBN 978-0-691-15403-9. https://press.princeton.edu/books/hardcover/9780691154039/the-greek-experience-of-india 
  13. ^ ML Varadpande (1990), History of Indian Theatre, Volume 1, Abhinav, ISBN 978-8170172789, page 48
  14. ^ Rachel Van M. Baumer and James R. Brandon (ed.), Sanskrit Drama in Performance (University of Hawaii Press, 1981), pp.11
  15. ^ Sanskrit Drama in Performance, p.11
  16. ^ Varadpande, M. L. (1981) (英語えいご). Ancient Indian And Indo-Greek Theatre. Abhinav Publications. ISBN 978-81-7017-147-8. https://books.google.com/books?id=JYuJWxLv-U0C&dq=Chirand+Bihar+theatre+mask&pg=PA111 
  17. ^ Claus, Peter; Diamond, Sarah; Mills, Margaret (2020-10-28) (英語えいご). South Asian Folklore: An Encyclopedia. Routledge. ISBN 978-1-000-10122-5. https://books.google.com/books?id=Dg4HEAAAQBAJ&dq=Chirand+Bihar+theatre+mask&pg=PA388 
  18. ^ つじ 1973, p. 6.
  19. ^ a b c d 水野みずの 2016, p. 84.
  20. ^ 水野みずの 2016, pp. 89–90.
  21. ^ 粟屋あわやほか 2021, p. 7.
  22. ^ a b 本田ほんだ 2005, p. 32.
  23. ^ a b 田村たむら 2013, p. 8.
  24. ^ a b c 山崎やまざきほか 2007, p. 310.
  25. ^ 水野みずの 2019, p. 255.
  26. ^ a b 河野こうの 1988, p. 219.
  27. ^ 水野みずの 2019, pp. 256–257.
  28. ^ Brandon (1981, xvii) and Richmond (1998, 517).
  29. ^ Richmond (1998, 518).
  30. ^ つじ 1973, p. 138.
  31. ^ Richmond (1998, 518). The literal meaning of abhinaya is "to carry forwards".
  32. ^ 水野みずの 2019, p. 256.
  33. ^ 水野みずの 2016, p. 87.
  34. ^ アルカカット 2021, §4.
  35. ^ 粟屋あわやほか 2021, p. 8.
  36. ^ a b 山崎やまざきほか 2007, p. 311.
  37. ^ 堀田ほった 2019, pp. 3–4.
  38. ^ 堀田ほった 2019, p. 5.
  39. ^ つじ 1973, p. 104.
  40. ^ BhM 2017, § 85-86.
  41. ^ BhM 2017, § 112-113.
  42. ^ a b 水野みずの 2016, p. 85.
  43. ^ つじ 1973, p. 13.
  44. ^ 粟屋あわやほか 2021, p. 16.
  45. ^ つじ 1973, p. 14.
  46. ^ 山崎やまざきほか 2007, p. 312.
  47. ^ 河野こうの 1988, pp. 237-238.
  48. ^ つじ 1973, p. 103.
  49. ^ つじ 1973, pp. 102–104.
  50. ^ つじ 1973, p. 31.
  51. ^ a b c 粟屋あわやほか 2021, p. 17.
  52. ^ 山崎やまざきほか 2007, p. 313.
  53. ^ つじ 1973, p. 33.
  54. ^ 藤山ふじやま&横地よこち 1994, p. 308.
  55. ^ 粟屋あわやほか 2021, pp. 16–17.
  56. ^ つじ 1973, p. 22.
  57. ^ つじ 1973, p. 25.
  58. ^ つじ 1973, p. 23.
  59. ^ つじ 1973, p. 26.
  60. ^ 粟屋あわやほか 2021, p. 13.
  61. ^ a b c つじ 1973, p. 27.
  62. ^ つじ 1973, pp. 27–29.
  63. ^ つじ, p. 25.
  64. ^ 野部のべ 2001, p. 1.
  65. ^ つじ 1973, p. 24.
  66. ^ Robert E. Goodwin (1998), The Playworld of Sanskrit Drama, Introduction, pg. xviii
  67. ^ Moriz Winternitz, History of Indian Literature, p.204-205
  68. ^ Keith, Arthur Berriedale (1992). The Sanskrit Drama in Its Origin, Development, Theory & Practice. ISBN 9788120809772. https://books.google.com/books?id=sfqRhylNBpwC&pg=PA95 
  69. ^ アルフレッド・L・クローバー英語えいご)『Configurations of Culture Growth』University of California Press、1944ねん、419ぺーじISBN 978-0520006690https://books.google.com/books?id=ROvDtaUI9xMC&pg=PA4192022ねん11月1にち閲覧えつらん 
  70. ^ 山崎やまざきほか 2007, p. 315.
  71. ^ Kalidasa at Encyclopædia Britannica
  72. ^ Sheldon Pollock (ed., 2003) Literary Cultures in History: Reconstructions from South Asia, p.79
  73. ^ つじ 1973, p. 41.
  74. ^ つじ 1973, pp. 49–54.
  75. ^ シャクンタラーひめ カーリダーサ 河口かわぐち慧海えかい 日高ひだかぴょう慧文けいぶんしゃ”. 慧文けいぶんしゃ. 2022ねん10がつ30にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2022ねん10がつ30にち閲覧えつらん
  76. ^ Pratap, Alka (2 February 2016). “Hinduism's Influence on Indian Poetry”. HuffPost. 2022ねん11月1にち閲覧えつらん
  77. ^ つじ 1973, pp. 34–35.
  78. ^ 山崎やまざきほか 2007, 索引さくいんp.45.
  79. ^ Macdonell A.A. A history of Sanskrit plays(1913 p 365)
  80. ^ つじ 1973, p. 38.
  81. ^ つじ 1973, p. 39.
  82. ^ つじ 1973, p. 40.
  83. ^ つじ 1973, pp. 77–81.
  84. ^ つじ 1973, pp. 106–107.
  85. ^ 堀田ほった 2019, p. 1.
  86. ^ 藤山ふじやま&横地よこち 1994, p. 306.
  87. ^ a b 藤山ふじやま&横地よこち 1994, p. 310.
  88. ^ 藤山ふじやま&横地よこち 1994, pp. 310–311.
  89. ^ a b つじ 1973, p. 84.
  90. ^ Gaurinath Bhattacharyya Shastri (1987). A Concise History of Classical Sanskrit Literature, p. 109. Motilal Banarsidass Publ.
  91. ^ つじ 1973, pp. 89–91.
  92. ^ つじ 1973, pp. 86–87.
  93. ^ つじ 1973, pp. 87–89.
  94. ^ つじ 1973, p. 91.
  95. ^ つじ 1973, p. 92.
  96. ^ つじ 1973, pp. 93–93.
  97. ^ つじ 1973, p. 95.
  98. ^ つじ 1973, pp. 95–99.
  99. ^ つじ 1973, p. 99.
  100. ^ つじ 1973, p. 100.
  101. ^ 粟屋あわやほか 2019, p. 18.
  102. ^ Gaurinath Bhattacharyya Shastri (1987). A Concise History of Classical Sanskrit Literature, pp. 111-119. Motilal Banarsidass Publ.
  103. ^ Report - the 17th edition of Guru Kelucharan Mohapatra Award Festival - Lalitha Venkat” (英語えいご). 2022ねん11月1にち閲覧えつらん
  104. ^ 水野みずの 2016, p. 86.

参考さんこう文献ぶんけん

編集へんしゅう

英語えいご文献ぶんけん

編集へんしゅう
  • Banham, Martin, ed. 1998. The Cambridge Guide to Theatre. Cambridge: Cambridge UP. ISBN 0-521-43437-8.
  • Bharata-muni. “Ten Kinds of Play (daśarūpa) [Chapter XX]”. Wisdom Library. 2022ねん11月5にち閲覧えつらん
  • Brandon, James R. 1981. Introduction. In Baumer and Brandon (1981, xvii-xx).
  • ---, ed. 1997. The Cambridge Guide to Asian Theatre.' 2nd, rev. ed. Cambridge: Cambridge UP. ISBN 978-0-521-58822-5.
  • Brockett, Oscar G. and Franklin J. Hildy. 2003. History of the Theatre. Ninth edition, International edition. Boston: Allyn and Bacon. ISBN 0-205-41050-2.
  • Baumer, Rachel Van M., and James R. Brandon, eds. 1981. Sanskrit Theatre in Performance. Delhi: Motilal Banarsidass, 1993. ISBN 978-81-208-0772-3.
  • Arthur Anthony Macdonell (1900). “The drama”. A History of Sanskrit Literature. New York: D. Appleton and company 
  • Richmond, Farley. 1998. "India." In Banham (1998, 516-525).
  • Richmond, Farley P., Darius L. Swann, and Phillip B. Zarrilli, eds. 1993. Indian Theatre: Traditions of Performance. U of Hawaii P. ISBN 978-0-8248-1322-2.

ドイツ文献ぶんけん

編集へんしゅう

日本語にほんご文献ぶんけん

編集へんしゅう

関連かんれん文献ぶんけん

編集へんしゅう

外部がいぶリンク

編集へんしゅう