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トマ・ピケティ - Wikipedia

トマ・ピケティ

フランスの経済けいざい学者がくしゃ

トマ・ピケティThomas Piketty1971ねん5月7にち - )は、フランス経済けいざい学者がくしゃ

Thomas Piketty
トマ・ピケティ
生誕せいたん (1971-05-07) 1971ねん5月7にち(53さい
母校ぼこう 高等こうとう師範しはん学校がっこう (パリ)
ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス
社会しゃかい科学かがく高等こうとう研究けんきゅういん
影響えいきょう
けた人物じんぶつ
サイモン・クズネッツ
アダム・スミス
ジョン・メイナード・ケインズ
アンソニー・アトキンソン
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経済けいざいがく博士はかせパリ経済けいざい学院がくいん (École d'économie de Paris, EEP) 設立せつりつ中心ちゅうしん人物じんぶつ教授きょうじゅ社会しゃかい科学かがく高等こうとう研究けんきゅういん研究けんきゅう部門ぶもん代表だいひょうしゃ

パリの国立こくりつ高等こうとう師範しはん学校がっこう出身しゅっしん経済けいざいてき不平等ふびょうどう専門せんもんであり、とく歴史れきし比較ひかく観点かんてんからの研究けんきゅうおこなっている。膨大ぼうだい統計とうけいデータを利用りようして格差かくささい分配ぶんぱい問題もんだい考察こうさつした2013ねん著書ちょしょ21世紀せいき資本しほん』で一躍いちやく時代じだい寵児ちょうじとなった。

経歴けいれき

編集へんしゅう

トマ・ピケティは、パリ郊外こうがいクリシーまれた。両親りょうしんは、裕福ゆうふく家庭かていだしであったが、1968ねんパリがつ革命かくめいかかわり[1]労働ろうどう運動うんどう闘士とうしとして活動かつどうし、のちには南仏なんふつオードけん山羊やぎそだてる生活せいかつはいった[2]学校がっこう優秀ゆうしゅう生徒せいとであったピケティは、バカロレアをCたね取得しゅとくし、数学すうがく準備じゅんび講座こうざリセ・ルイ=ル=グラン受講じゅこうしたのち、1989ねんに18さいパリ国立こくりつ高等こうとう師範しはん学校がっこう (ENS)進学しんがくし、経済けいざいがくへの関心かんしんふかめた。

1991ねんにパリ経済けいざい学校がっこう政治せいじ経済けいざい分析ぶんせき共同きょうどう博士はかせ準備じゅんび資格しかく(DEA)を取得しゅとく[3]したのちロジェ・ゲスネリ (Roger Guesnerie) 教授きょうじゅ指導しどう教員きょういんとして社会しゃかい科学かがく高等こうとう研究けんきゅういんおよロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)でまなび、22さいとみさい分配ぶんぱい理論りろん研究けんきゅう博士はかせ論文ろんぶんとして提出ていしゅつし、経済けいざいがく博士はかせごう(European Doctoral Programme in Economicsとばれるプログラムの共同きょうどう学位がくいである)を[4]

とみさい分配ぶんぱい理論りろんについての考察こうさつ (Essais sur la théorie de la redistribution des richesses)」とだいされたこの論文ろんぶん[5]、フランス経済けいざい学会がっかい (l'Association française de sciences économiques) による1993ねん最優秀さいゆうしゅう論文ろんぶんしょうあたえられた[6]

著書ちょしょ21世紀せいき資本しほん』はアメリカでは2014ねんはる発売はつばい以降いこう半年はんとしで50まんのベストセラーとなっており、おおくの言語げんご翻訳ほんやくされている[7]

ピケティは『リベラシオン定期ていきてき寄稿きこうしており[8]、『ル・モンドにもときおり寄稿きこうしている。

職歴しょくれき

編集へんしゅう

博士はかせごうのち1993ねんから1995ねんまで、ピケティはアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくマサチュまさちゅセッツ工科大学せっつこうかだいがくで、助教授じょきょうじゅとして[9]教鞭きょうべんをとった。1995ねんフランス国立こくりつ科学かがく研究けんきゅうセンター (CNRS) にうつって研究けんきゅう従事じゅうじすることとなり、さらに2000ねんには、社会しゃかい科学かがく高等こうとう研究けんきゅういん研究けんきゅう代表だいひょうしゃとなった。2006ねんすえから2007ねんにかけて、社会しゃかい科学かがく高等こうとう研究けんきゅういん (EHESS)、パリ高等こうとう師範しはん学校がっこう国立こくりつ土木どぼく学校がっこうパリ大学だいがく国立こくりつ農学のうがく研究所けんきゅうじょフランス語ふらんすごばん (INRA) とCNRSにより新設しんせつされるパリ経済けいざい学院がくいん設立せつりつ準備じゅんびに、ピケティは3年間ねんかん関与かんよし、同校どうこう初代しょだい代表だいひょうとなった[10]同校どうこう社会しゃかい行動こうどう研究けんきゅうセンター (Centre de recherche et d'action sociales, CERAS)、経済けいざいがく応用おうよう研究けんきゅうセンター (Centre Pour la Recherche Economique et ses Applications, CEPREMAP) といった既存きそん組織そしき再編さいへんして新設しんせつされた。しかし、社会党しゃかいとうから大統領だいとうりょう選挙せんきょ立候補りっこうほしたセゴレーヌ・ロワイヤル選挙せんきょ運動うんどう支援しえんするためとして、「ずっとまえからめていたことだ」とべて[11]代表だいひょうにんはなれた。2007ねん以降いこうは、同校どうこう教授きょうじゅである。

業績ぎょうせき

編集へんしゅう
 
フランスにおける所得しょとく上位じょうい10%の所得しょとくが、国民こくみんそう所得しょとくめる比率ひりつ1919ねん - 2005ねん)。1998ねんまでのデータはトマ・ピケティに、以降いこうはカミーユ・ランデ (Camille Landais) による。
 
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくにおける所得しょとく上位じょうい10%の所得しょとくが、国民こくみんそう所得しょとくめる比率ひりつ。エマニュエル・サエズ (Emmanuel Saez) とトマ・ピケティによる。

経済けいざい学界がっかいにおいて、ピケティは経済けいざいてき不平等ふびょうどう専門せんもんなされている。この方面ほうめんでのピケティの業績ぎょうせき数多かずおおく、理論りろんてきかつ標準ひょうじゅんてきなものとなっているが[12]、1990年代ねんだいまつからは、歴史れきしてき統計とうけいてき視角しかくからの研究けんきゅうがなされている。

長期ちょうきてき視点してんから経済けいざいてき不平等ふびょうどう研究けんきゅう

編集へんしゅう

トマ・ピケティは、フランスにおけるこう所得しょとくそう研究けんきゅうみ、2001ねん著書ちょしょLes hauts revenus en France au XXe siècle(フランスの20世紀せいきにおけるこう所得しょとく)』(Grasset) を公刊こうかんした。この研究けんきゅうは、税務ぜいむ当局とうきょく保有ほゆうする所得しょとくぜい申告しんこくについてのデータを使つかい、20世紀せいきぜん期間きかんをカバーする統計とうけいデータを整備せいびする作業さぎょううえ成立せいりつしている。

フランスにおける不公平ふこうへい拡大かくだい過程かてい研究けんきゅう

編集へんしゅう

ピケティのこの業績ぎょうせきによって、重要じゅうよう事実じじつひかりてることになった。とくに、20世紀せいきのフランスでは、とくだい世界せかい大戦たいせんにおいて、所得しょとく不平等ふびょうどう大幅おおはば縮小しゅくしょうしたことを、ピケティはあきらかにした。不平等ふびょうどう縮小しゅくしょうは、おもに相続そうぞく財産ざいさん不平等ふびょうどう縮小しゅくしょうによるものであり、給与きゅうよ所得しょとく不平等ふびょうどうわらずにたもたれている。ピケティによれば、不平等ふびょうどう縮小しゅくしょうをもたらしたものは、戦後せんごにおける所得しょとくぜい導入どうにゅうと、そのつよ累進るいしんせいであり、これによって相続そうぞくによる財産ざいさん蓄積ちくせきはばまれ、多額たがく資産しさん代々だいだい維持いじすることがむずかしくなった。このためピケティは、1990ねん以降いこうおこなわれたフランスの減税げんぜいさくについて、この減税げんぜいだい資産しさんや、ランティエ不労所得ふろうしょとく生活せいかつするそう)のさい構築こうちくゆるすことにつながるとして、つよ反対はんたいしている[よう出典しゅってん]所得しょとく階層かいそうさい上位じょうい位置いちするランティエ経済けいざい活動かつどう活性かっせいにほとんど寄与きよしておらず、このそうはいして労働ろうどう所得しょとくそうえることは不平等ふびょうどう縮小しゅくしょうにつながり、さらに経済けいざい成長せいちょう刺激しげきすることにもなるとピケティは主張しゅちょうする。ピケティは、ラッファー曲線きょくせんのような議論ぎろんには、さほどはたらいていないこう所得しょとくそう税率ぜいりつげても、フランスの場合ばあい、その限界げんかい効果こうかはおそらくゼロかごくわずかにとどまる、といった観点かんてんけていることを、統計とうけいてき研究けんきゅうまえてしめした[13]

比較ひかく研究けんきゅう

編集へんしゅう

つぎにピケティは、先進せんしん諸国しょこくにおける不平等ふびょうどう動態どうたいについての比較ひかく研究けんきゅうんだ。この目的もくてき達成たっせいするために、エマニュエル・サエズ (Emmanuel Saez) など、経済けいざい学者がくしゃたちの協力きょうりょくながら、フランスの場合ばあい同様どうよう手法しゅほうによって、一連いちれん統計とうけい数値すうちととのえた。この作業さぎょうによって、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくにおける不平等ふびょうどう拡大かくだいについて[14]、また、アングロ・サクソン諸国しょこく大陸たいりくヨーロッパ諸国しょこくにおける動態どうたい比較ひかくする論説ろんせつ公刊こうかんされるようになった[15]。こうした研究けんきゅうとおして、大陸たいりくヨーロッパ諸国しょこくおなじようにだい世界せかい大戦たいせん経済けいざいてき不平等ふびょうどう縮小しゅくしょう経験けいけんしたアングロ・サクソン諸国しょこくが、そのしばらくしてからの30年間ねんかんにわたって不平等ふびょうどう拡大かくだいさせていったことがあきらかにされた。ピケティとガブリエル・ズックマンの2013ねん共著きょうちょ論文ろんぶんは、1970ねんから2010ねんにおける資本しほん/所得しょとく比率ひりつ歴史れきしてき推移すいいかんする研究けんきゅうであり、アメリカ・イギリス・ドイツ・フランスについては1700ねんまでさかのぼって分析ぶんせきした[16]。この論文ろんぶんのデータは、ピケティの著書ちょしょ『21世紀せいき資本しほん』(2014ねん)でも理論りろんてき支柱しちゅうになっている[注釈ちゅうしゃく 1]

クズネッツ曲線きょくせん批判ひはん

編集へんしゅう

ピケティによる分析ぶんせきには、1950ねん公刊こうかんされたサイモン・クズネッツ先駆せんくてき業績ぎょうせき批判ひはんする部分ぶぶんふくまれている[18]。クズネッツは経済けいざい成長せいちょう所得しょとく分配ぶんぱい関係かんけいについて、所得しょとくにおける不平等ふびょうどう拡大かくだいは、長期ちょうきてきにはぎゃくU曲線きょくせんクズネッツ曲線きょくせん)をすもので、生産せいさんせいひく部門ぶもん農業のうぎょう)からたか部門ぶもん産業さんぎょう)へと労働ろうどうりょく移動いどうすることによって、産業さんぎょう革命かくめい開始かいしとともに拡大かくだいすすみ、やがて縮小しゅくしょうしていくとかんがえていた。ピケティは、クズネッツが1950ねん時点じてん観察かんさつした傾向けいこうは、重要じゅうよう経済けいざいてき要因よういん部門ぶもんあいだ移動いどう技術ぎじゅつ革新かくしん効果こうか)の帰結きけつではなかったとろんじた。実際じっさい相続そうぞく資産しさん不平等ふびょうどう減少げんしょうし、賃金ちんぎん不平等ふびょうどうはさほどでもないが、こうした動向どうこうはそれをすすめたり逆行ぎゃっこうさせるしょ要素ようそによって、とく所得しょとくぜい創設そうせつによって、左右さゆうされる。結局けっきょくのところ、不平等ふびょうどう縮小しゅくしょう継続けいぞくするという保証ほしょうなにもなく、実際じっさい米国べいこくでは30年間ねんかんにわたって不平等ふびょうどう拡大かくだいし、近年きんねんでは1930年代ねんだい水準すいじゅんたっしている。

ランティエそう税制ぜいせい改革かいかくをめぐる議論ぎろん

編集へんしゅう

以上いじょうのような中心ちゅうしんてき業績ぎょうせき並行へいこうして、トマ・ピケティは領域りょういきでも業績ぎょうせき公刊こうかんしているが、そのおおくは経済けいざいてき不平等ふびょうどう問題もんだいかかわりのあるものである。

ピケティは学校がっこう教育きょういく不平等ふびょうどうにも関心かんしんせており、これが給与きゅうよ所得しょとく不平等ふびょうどう、ひいては経済けいざいてき不平等ふびょうどう存続そんぞくしている要因よういんであるとかんがえている。ピケティは研究けんきゅうとおして、学業がくぎょう成否せいひには、とくにひとクラスあたりの生徒せいとすう重要じゅうようであることを強調きょうちょうしている[19]

2008ねん、ピケティは社会しゃかい保障ほしょう制度せいど将来しょうらいについての評論ひょうろん発表はっぴょうし、スウェーデン同様どうよう点数てんすう方式ほうしき導入どうにゅう提唱ていしょうした[20]2011ねん1がつ2012ねんのフランス大統領だいとうりょう選挙せんきょけて、ピケティはカミーユ・ランデ (Camille Landais)、エマニュエル・サエズ (Emmanuel Saez) とともに『財政ざいせい革命かくめいのために (Pour une révolution fiscale)』を公刊こうかんし、所得しょとくぜい一般いっぱん福祉ふくしぜい (Contribution Sociale Généralisée, CSG) を統合とうごうしたあらたな所得しょとく税制ぜいせい整備せいびによって、より社会しゃかいてき公正こうせいで、より市民しみんかりやすく、また、ピケティによれば、資産しさんからしょうじる所得しょとくにより効果こうかてき課税かぜいすることが可能かのうとなり、あらたな所得しょとく税制ぜいせい社会しゃかい保険ほけんりょうで2010ねん国庫こっこ収入しゅうにゅうの49%に相当そうとうするがく確保かくほされるとろんじた[21]。この「拡大かくだい一般いっぱん福祉ふくしぜい構想こうそうでは、税率ぜいりつ月収げっしゅう2,200ユーロの場合ばあいで10%、月収げっしゅう100,000ユーロ以上いじょう場合ばあいには60%にたっする[22]。このほん論点ろんてん独特どくとくなところは[23]、20世紀せいき初頭しょとうおこなわれていたように、自宅じたく所有しょゆうするものについて居住きょじゅうする家屋かおく推定すいていされる仮想かそう家賃やちん収入しゅうにゅうくわえるとしているところである[24]

しかし、フランスの国家こっか財政ざいせい制度せいど先進せんしんてきではないとするランデ、ピケティ、サエズの議論ぎろん前提ぜんていには、異論いろんとなえられた。シンクタンクInstitut français pour la recherche sur les administrations et les politiques publiques, iFRAPもと代表だいひょうベルナール・ジメルヌ経済けいざい部長ぶちょうフランソワーズ・サン=カスト (François Saint-Cast) は、『レゼコー (Les Échos)』寄稿きこうし、ピケティたちの主張しゅちょうは「虚偽きょぎ」であり「でっちあげられた」数字すうじであると批判ひはんした。この寄稿きこうでジメルヌとサン=カストは、失業しつぎょうしゃから高額こうがく所得しょとくしゃまでを包括ほうかつし、とみさい分配ぶんぱいによる収入しゅうにゅうにも課税かぜいする現行げんこう税制ぜいせいは、あきらかに進歩しんぽてきなものだとろんじた[25][26]

結果けっかてきに、ピケティたちの共著きょうちょはメディアの注目ちゅうもくあつめ、ピケティは著者ちょしゃ代表だいひょうするスポークスマンやくたした。『リベラシオンは1めんでこれをげて好意こういてき評価ひょうかをし、『リュマニテもよりおだやかにではあったが好意こういてきであった。『レゼコー (Les Échos)』マチュー・レネ (Mathieu Laine) は、このような改革かいかく実施じっししても財政ざいせい問題もんだい解決かいけつにはつながらないと批判ひはんした[27]。『フィガロ (Le Figaro)』は、この「ちいさなあかほん」について「3めい共著きょうちょしゃのうち左翼さよくくひとりのほうりかかっている」と指摘してきして慎重しんちょう姿勢しせいしめしながらも「このほんまずに財政ざいせい改革かいかくをつけるのはあやまりであろう」とべ、結果けっかとしては、そこそこ好意こういてきにこのほんげ「本書ほんしょ理念りねんてき論争ろんそう涵養かんようするという意味いみ有益ゆうえき著作ちょさくである」とひょうした[28]。しかし、数日すうじつ同紙どうしには、ピケティたちの主張しゅちょうを「財政ざいせい全体ぜんたい主義しゅぎ」であると非難ひなんするフィリッペ・ネモ (Philippe Nemo) のコラムが掲載けいさいされた[29]

フランス景気けいき経済けいざい研究所けんきゅうじょ (Observatoire français des conjonctures économiques, OFCE) のエコノミストであるアンリ・スタディニアク (Henri Sterdyniak) も、ピケティたちの『財政ざいせい革命かくめいのために』を批判ひはんし、そこで提言ていげんされている内容ないよう個人こじん課税かぜい目指めざすものであり、家族かぞく制度せいどるがせることになるとろんじた[30]。スタディニアクがとく問題もんだいにしたのは、もともと社会党しゃかいとう一部いちぶからてきた、「家族かぞく制度せいど (quotient familial)」を廃止はいしして「ぜい控除こうじょ (crédit d'impôt)」にえるというかんがかたであった[31]

政治せいじてきスタンス

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ピケティは社会党しゃかいとうちか立場たちばをとっており、1995ねんから1997ねんまで社会党しゃかいとう経済けいざい委員いいんかい参加さんかしていた[1]。2007ねん大統領だいとうりょう選挙せんきょさいには、セゴレーヌ・ロワイヤル支持しじして運動うんどうかかわり[32]経済けいざい顧問こもんつとめた。ピケティはまた、ミシェル・ロカールドミニク・ストロス=カーン設立せつりつした組織そしきであるヨーロッパをひだり (À gauche, en Europe) の科学かがく政策せいさく委員いいんかいのメンバーを2003ねん11月11にちからつとめた。

2012ねん4がつ17にちには、すうおおくの経済けいざい学者がくしゃたちとともに、フランソワ・オランドへの支持しじを『ル・モンド紙上しじょう表明ひょうめいした[33]。しかし、2015ねん1がつ1にちにはレジオンドヌール勲章くんしょう受勲じゅくん候補こうほを「だれに名誉めいよあたえるかめることは政府せいふ役割やくわりではない」「政府せいふはフランスとヨーロッパの経済けいざい回復かいふく専念せんねんしたほうがよい」とべて辞退じたいするなどフランソワ・オランドと距離きょりくようになった。[34]

グレグジット

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欧州おうしゅう債務さいむ危機ききについてははん緊縮きんしゅく立場たちばからギリシャの急進きゅうしん左派さは連合れんごう支持しじ表明ひょうめいしている[35]

2015ねん7がつジェフリー・サックスなど経済けいざい学者がくしゃらとともアンゲラ・メルケルあてに公開こうかい書簡しょかんした。ドイツなどがギリシャにいる緊縮きんしゅく財政ざいせい政策せいさく停止ていしするようにもとめた[36]緊縮きんしゅく財政ざいせい政策せいさくによってギリシャ経済けいざい疲弊ひへいし、2014ねん失業しつぎょうりつやく25%、GDPは2008ねん水準すいじゅんやく75%まで低下ていかしている。1950年代ねんだい西にしドイツ政府せいふ戦後せんご賠償ばいしょう軽減けいげんしてもらったことにも言及げんきゅうし、ドイツがギリシャの債務さいむ減免げんめんすべきとピケティらはろんじた[36]。ピケティはドイツをきびしく非難ひなんし、債務さいむ減免げんめん歴史れきしわすれたドイツが欧州おうしゅう破壊はかいしているとべた [37]

マルクス主義まるくすしゅぎ批判ひはん

編集へんしゅう

ピケティは『21世紀せいき資本しほん』(2013ねん)で、マルクスは資本しほん蓄積ちくせきして少数しょうすうしゃ集中しゅうちゅうする結果けっかとして資本しほん主義しゅぎ破滅はめつすると予言よげんしたが、実際じっさい統計とうけいによれば、19世紀せいきまつには賃金ちんぎん上昇じょうしょうしはじめ、労働ろうどうしゃ購買こうばいりょく改善かいぜんされたことで状況じょうきょう激変げきへんし、共産きょうさん主義しゅぎ革命かくめい後進こうしんこくロシアでこり、西欧せいおう先進せんしんこく社会しゃかい民主みんしゅ主義しゅぎてき方向ほうこうせいかい、マルクスの予言よげん実現じつげんしなかったと指摘してきする[38]

ピケティによれば、マルクスの分析ぶんせきには重要じゅうよう洞察どうさつふくまれているものの、マルクスは持続じぞくてき技術ぎじゅつ進歩しんぽ生産せいさんせい上昇じょうしょう可能かのうせい無視むししたり、芝居しばいがかったかたち統計とうけい使用しようしたし、自分じぶん予言よげん改善かいぜんさせるために必要ひつよう統計とうけいデータをっておらず、1848ねん共産党きょうさんとう宣言せんげんであらかじめめた結論けつろん正当せいとうするように分析ぶんせきすすめたために拙速せっそく断言だんげんかえした[38]。さらにマルクスは、資本しほん私的してき所有しょゆうけん完全かんぜん廃止はいしされた社会しゃかい民間みんかん資本しほん完全かんぜん廃止はいしされた社会しゃかいが、いかに政治せいじてき経済けいざいてきにまとめられるのかをほとんどかんがえていなかった[38][39]

ピケティは、マルクス主義まるくすしゅぎしゃについても批判ひはんしている。経済けいざい学者がくしゃ政治せいじてき信念しんねんまもろうとしてデータを無視むしすることがあるが、マルクス経済けいざい学者がくしゃも、資本しほんのシェアが増加ぞうかする一方いっぽう賃金ちんぎんなやんでいるとしめしたがり、データの歪曲わいきょくいとわなかった[40]

サルトルアルチュセールアラン・バディウらは、自分じぶんがいかに熱心ねっしんマルクス主義まるくすしゅぎしゃであるかをべるが、資本しほん格差かくさ問題もんだいにはたいして興味きょうみがなかったし、まったくちがった性質せいしつ闘争とうそう口実こうじつ使つかっているだけだったと批判ひはんし、冷戦れいせん時代じだいにおける共産きょうさん主義しゅぎ資本しほん主義しゅぎきょく対立たいりつは、資本しほん格差かくさ研究けんきゅう不毛ふもうなものにしたとべている[41]

ピケティは、『資本しほんとイデオロギー』(2022ねん)においてもマルクス主義まるくすしゅぎ批判ひはんつづけている。マルクス主義まるくすしゅぎでは、社会しゃかいのイデオロギーてき上部じょうぶ構造こうぞうは、経済けいざいてきちから生産せいさん関係かんけい状態じょうたいによって機械きかいろんてき決定けっていされるが、思想しそう領域りょういき政治せいじイデオロギーの領域りょういきは、自律じりつてきであるとピケティはいう[42]。たとえば、封建ほうけん主義しゅぎから資本しほん主義しゅぎへの移行いこう産業さんぎょう革命かくめいへの機械きかいてき反応はんのうとしてしょうじたというマルクス主義まるくすしゅぎ理論りろんでは、さまざまな地域ちいき実際じっさい観察かんさつされた政治せいじイデオロギーがしめ複雑ふくざつせい多様たようせい説明せつめいできないし、植民しょくみんった地域ちいきと、植民しょくみんされた地域ちいきあいだちがいも、その歴史れきし段階だんかい説明せつめいすることも理解りかいすることもできない[42]。そのなにきたかを注意深ちゅういぶかれば、べつみちつね存在そんざいしたことがわかるし、開発かいはつのあらゆる水準すいじゅんで、経済けいざいてき社会しゃかいてき政治せいじてき仕組しくみは様々さまざま構築こうちくできる[42]財産ざいさん制度せいど税制ぜいせい教育きょういく制度せいど公的こうてき民間みんかん債務さいむあつかい、コミュニティなどを調整ちょうせいする方法ほうほう無数むすうにあり、社会しゃかい構成こうせいする権力けんりょく財産ざいさん関係かんけいをまとめるやりかたはつねにいくつか存在そんざいする。財産ざいさん関係かんけいがいろいろなかたち組織そしきできるということを明確めいかくべるほうが、つぎなにがくるかを説明せつめいせずに資本しほん主義しゅぎ破壊はかいするとおどすよりも、資本しほん主義しゅぎえるためには有益ゆうえきである[42]

採用さいようされなかった歴史れきしてき道筋みちすじ研究けんきゅうは、保守ほしゅ主義しゅぎや、革命かくめい条件じょうけんととのうまではなにもできないと主張しゅちょうする「革命かくめいもどきたち」のいいわけ双方そうほうへの対抗たいこうさくとなる[43]。20世紀せいきには、革命かくめい主義しゅぎ多大ただい人的じんてき政治せいじてき損害そんがいこし、いまだにわたしたちはその代償だいしょうはらつづけているにもかかわらず、革命かくめい主義しゅぎしゃは、革命かくめいしん解放かいほうてき制度せいどてき政治せいじてきレジームについて、いつまでたってもかんがえようとしないと痛烈つうれつにピケティは批判ひはんしている[43]

共産きょうさん主義しゅぎ批判ひはん

編集へんしゅう

共産きょうさん主義しゅぎ惨劇さんげきくらべると、奴隷どれいせい植民しょくみん主義しゅぎ人種じんしゅ差別さべつ主義しゅぎといったイデオロギーの被害ひがいさえちいさくえてしまうほどであるとし、「なかなかたいした仕事しごとぶりだ。」と批判ひはんした[44]

資本しほんとイデオロギー』(2022ねん)でピケティは、ソヴィエト共産きょうさん主義しゅぎ劇的げきてき失敗しっぱい原因げんいん理解りかいすることが重要じゅうようであるとべる[45]。ソビエト共産きょうさん主義しゅぎは、私有しゆう財産ざいさん完全かんぜん廃止はいし包括ほうかつてき国家こっか所有しょゆうによる置換ちかんもとづいていたが、最終さいしゅうてきには、私有しゆう財産ざいさん強化きょうかすることとなった[46]ソ連それんにおける共産きょうさん主義しゅぎ実験じっけん失敗しっぱいは、経済けいざい自由じゆう主義しゅぎへの回帰かいき私有しゆう財産ざいさんひじりしん形態けいたい発展はってんをもたらした。この逆転ぎゃくてん象徴しょうちょうとなったロシアは、私有しゆう財産ざいさん撤廃てっぱいのはるかのちに、海外かいがい租税そぜい回避かいひ利用りようしたオフショア資産しさん所有しょゆうする新興しんこうオリガルヒ温床おんしょうとなり、グローバルな税金ぜいきんのが競争きょうそう世界せかいてきリーダーとなった[46]。ロシア、中国ちゅうごく東欧とうおう諸国しょこくのポスト共産きょうさん主義しゅぎ社会しゃかいは、ハイパー資本しほん主義しゅぎ忠実ちゅうじつ同盟どうめいしゃとなったが、これはスターリン主義しゅぎ毛沢東もうたくとう主義しゅぎというだい惨事さんじ直接ちょくせつ結果けっかである[44]

ソヴィエト共産きょうさん主義しゅぎ失敗しっぱい原因げんいん無数むすうにあるが、まず、1917ねんにボリシェヴィキが政権せいけんについたとき行動こうどう計画けいかくが、「科学かがくてき」には程遠ほどとおいものだったことがある[45]私有しゆう財産ざいさん廃止はいしは、工業こうぎょう生産せいさん手段しゅだんについては実行じっこうされたが、当時とうじのロシアでの工業こうぎょうかぎられていた。また、生産せいさん財産ざいさんあたらしい関係かんけい組織そしきちいさな生産せいさん単位たんい商業しょうぎょう輸送ゆそう農業のうぎょう意思いし決定けってい国家こっか計画けいかくのなかでのとみ分配ぶんぱい、これらのいへのこたえがつからないなか権力けんりょくちょう個人こじんげた[45]結果けっか期待きたいどおりでないと、理由りゆうをでっちあげて、スケープゴートをみつけ、裏切うらぎりと資本しほん陰謀いんぼうというイデオロギーに依存いぞんしていき、ソ連それん粛清しゅくせい収監しゅうかんわりなき循環じゅんかんおちいり、ソ連それん崩壊ほうかいまでそこからることもなかった[45]私有しゆう財産ざいさんとブルジョワ民主みんしゅ主義しゅぎ撤廃てっぱい主張しゅちょうするのは簡単かんたんだが、それにわる社会しゃかい経済けいざい政治せいじ制度せいど詳細しょうさい青写真あおじゃしん策定さくていには、慎重しんちょうさ、分権ぶんけん妥協だきょう実験じっけん精神せいしんかせないが、ボリシェビキのだれ一人ひとりとして1917ねん権力けんりょく掌握しょうあくにこうした重大じゅうだい問題もんだい解決かいけつさく明確めいかくえがいていなかった[45]。マルクスは「フランスにおける階級かいきゅう闘争とうそう」(1850)でプロレタリア独裁どくさい主張しゅちょうしたが、これも具体ぐたいてきに、実際じっさいに、国家こっかをどう組織そしきすべきかをなにかたっていない[45]

また、人間にんげん平等びょうどう構想こうそうするにあたっては、個人こじんあいだ知識ちしき野心やしん様々さまざま正当せいとう反映はんえいさせる必要ひつようがあるが、ソビエト共産きょうさん主義しゅぎは、こうした無視むしして、分権ぶんけんがた参加さんかがた民主みんしゅ主義しゅぎ拒否きょひした[47]

ソ連それんは、工業こうぎょう生産せいさん至上しじょう主義しゅぎ幻想げんそう支配しはいされており、おなざいとサービスを提供ていきょうすればニーズをたせる中央ちゅうおう計画けいかくがあれば十分じゅうぶんだとかんがえたために、分権ぶんけん重要じゅうようせい理解りかいできなかった[47]。しかし、実際じっさい社会しゃかい経済けいざい組織そしきは、単純たんじゅん均質きんしつ基本きほんてきニーズに還元かんげんできないし、個人こじん多様たようざいとサービスを必要ひつようとしている。人間にんげんのニーズのうちには、不自然ふしぜん有害ゆうがいなものがあるが、その大半たいはん正当せいとうなもので、中央ちゅうおう政府せいふがこれをおさえこもうとすると、個人こじん抑圧よくあつすることになる[47]

ソビエトは、御者ぎょしゃ荷馬にうましゃ行商ぎょうしょうじん屋台やたいといった私有しゆう財産ざいさんさえも禁止きんししたが、これは、個人こじん野心やしん多様たようせい価値かちみとめていないことでもあった[48]特定とくてい地区ちくみ、特定とくていものべ、特定とくていふくて、荷馬にうましゃ屋台やたい所有しょゆうし、特定とくてい技術ぎじゅつ習得しゅうとくするといった、人々ひとびとあいだにある正当せいとう表現ひょうげんして、相互そうごのやりとりを可能かのうにするのは分権ぶんけんがた組織そしきであり、集権しゅうけん国家こっかにはできない[49]。それは、個人こじんかんする十分じゅうぶん情報じょうほう国家こっか収集しゅうしゅうできないからだし、そうした情報じょうほう収集しゅうしゅう系統的けいとうてき実施じっしすることは、個人こじん自分じぶん自身じしんるための社会しゃかいプロセスに悪影響あくえいきょうあたえてしまうからだ[49]

たとえば飲食いんしょくてん食料しょくりょうひんてん新規しんき開店かいてんについて、開店かいてん計画けいかくのためにぜん財産ざいさん全身全霊ぜんしんぜんれいんできたひとと、開業かいぎょうしたいとおもっている昨日きのうやとわれた従業じゅうぎょういんとに、おな意思いし決定けっていけんあたえるのは道理どうりにかなっていない[49]。その従業じゅうぎょういんも、自分じぶん開業かいぎょうすれば、特権とっけんてき決定けっていけんてるのであり、事業じぎょう計画けいかく野心やしんかんするこうした正当せいとうであり、これは完全かんぜん平等びょうどう社会しゃかいであってものこ[49]。これは人間にんげん多様たようせい幅広はばひろさを反映はんえいしているにすぎず、まさしく規制きせいされた生産せいさん手段しゅだん私有しゆうは、個人こじん願望がんぼう実現じつげんさせるために必要ひつよう分権ぶんけんてき制度せいど本質ほんしつてき要素ようそである[49]。もちろん、私有しゆう財産ざいさん権力けんりょく集中しゅうちゅうには、熟議じゅくぎ管理かんり必要ひつようであるが、これは累進るいしん課税かぜい企業きぎょうにおける従業じゅうぎょういん株主かぶぬし公正こうせい権限けんげん共有きょうゆうなどで対応たいおうできる[49]神聖しんせいをともなわない純粋じゅんすい手段しゅだんとしてるかぎり、私有しゆう財産ざいさん不可欠ふかけつであり、理想りそうてき社会しゃかい経済けいざい組織そしきは、願望がんぼう知識ちしき才能さいのう技能ぎのう多様たようせいからなる人間にんげんゆたかさのうえにきずかれるべきだ、とピケティは主張しゅちょうする[48]

なお、ピケティの『資本しほんとイデオロギー』(2022ねん)では、資本しほん主義しゅぎ初期しょき格差かくさ拡大かくだいしていったところ、社会しゃかい民主みんしゅ主義しゅぎなどの運動うんどうによって、20世紀せいき前半ぜんはんには格差かくさ改善かいぜんされたが、20世紀せいき末期まっきから21世紀せいきにかけてふたた格差かくさ拡大かくだいしていった歴史れきしてき分析ぶんせきおこなわれている。ピケティの共産きょうさん主義しゅぎ批判ひはんはこうした問題もんだい意識いしきのもとおこなわれていることに注意ちゅういされたい。

アベノミクス

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週刊しゅうかん東洋とうよう経済けいざいの2014ねん7がつ26にちごうのインタビューでは野村のむら明弘あきひろ[50] ふく編集へんしゅうちょうの「日本にっぽんはどちらかとえば金融きんゆう政策せいさくたよりがちです。アベノミクス資産しさんバブル誘発ゆうはつしています。」とのいにたいして「日本にっぽんにとっては欧州おうしゅう米国べいこくおなじように金融きんゆう政策せいさく魅力みりょくてきだろう。なにじゅうおくえんもの紙幣しへい印刷いんさつするのは簡単かんたんだからだ。」とかたり、特定とくていのセクターがバブルしてとみかたよ危険きけんせい指摘してきし、アベノミクスのやりかたは「あいだちがい」だとろんじた[51][52]

2014ねん12月22にち日本経済新聞にほんけいざいしんぶんのインタビューにたいしては「安倍あべ政権せいけん日本銀行にっぽんぎんこう物価ぶっか上昇じょうしょうこそうという姿勢しせいただしい。」とべ、2-4%程度ていどインフレーションしに公的こうてき債務さいむらすのはむずかしいとした。2014ねん4がつ消費しょうひ増税ぞうぜいには否定ひていてきで、景気けいき後退こうたいにつながったとした[53]

2014ねん12月31にち朝日新聞あさひしんぶんのインタビューでは、グローバル経済けいざいのなかでのアベノミクスのインフレ政策せいさくが、実際じっさい物価ぶっか上昇じょうしょうにつながるかについて疑問ぎもんしめした。またインフレが庶民しょみん生活せいかつ影響えいきょうするまけめんにもれ、通貨つうか発行はっこうによる株価かぶかバブルの形成けいせい特定とくていのグループにおおきな利益りえきをもたらすなどとした。ピケティはインフレりつげる唯一ゆいいつ方策ほうさくとして、賃金ちんぎん上昇じょうしょうとく公務員こうむいん給与きゅうよをあげることを提案ていあんし、それにくわえてインフレによる悪影響あくえいきょうのない、代替だいたいてきなもっとも政策せいさくとして、民間みんかん資産しさんへの累進るいしん課税かぜい提示ていじした[54]

2015ねん1がつ31にち日本にっぽん記者きしゃクラブでの記者きしゃ会見かいけんでは「アベノミクス格差かくさ拡大かくだいする一方いっぽうで、経済けいざいてい成長せいちょうになるという最悪さいあく事態じたいおちいるリスクがある。」とし、賃上ちんあげの強化きょうか主張しゅちょう所得しょとくぜい最高さいこう税率ぜいりつたかかった時代じだい格差かくさちいさく経済けいざい成長せいちょうりつたかかったと分析ぶんせきし、高齢こうれいしゃ中心ちゅうしんとした富裕ふゆうそうへの課税かぜいすすめ、固定こてい資産しさんぜいへの累進るいしんせい導入どうにゅう相続そうぞく財産ざいさんへの課税かぜい主張しゅちょうする一方いっぽうで、てい所得しょとくしゃそうへの課税かぜいげや若者わかもの有利ゆうり税制ぜいせい改革かいかくもとめた[55]

日本にっぽん公的こうてき債務さいむについては「わたし日本にっぽん欧州おうしゅう同様どうように、資本しほんへの課税かぜいやすことを提言ていげんする。」とかたり、日本にっぽんのように国民こくみん所得しょとくくらべて民間みんかん資本しほんおおきいくには、労働ろうどう所得しょとく減税げんぜいをし資本しほん増税ぞうぜいするのが自然しぜん解決かいけつさくだとした。ぎゃく日本にっぽんがしてはいけないこととして「歳出さいしゅつ削減さくげん」をげ、「予算よさん黒字くろじさせて公的こうてき債務さいむらすという、オーソドックスなやりかた」で財政ざいせい問題もんだいえたイギリスは、教育きょういくへの投資とうしらしたと指摘してき日本にっぽん欧州おうしゅうは「おなわだちまない」ようにもとめた[51]

ピケティは、消費しょうひぜい増税ぞうぜい日本にっぽん所得しょとく格差かくさ拡大かくだいさせることを指摘してきした [56]

評価ひょうか影響えいきょう

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早稲田大学わせだだいがくファイナンス総合そうごう研究所けんきゅうじょ顧問こもん野口のぐち悠紀雄ゆきおは「日本にっぽんにおいて所得しょとく分布ぶんぷ平等びょうどうられるとしても、それは税制ぜいせい変更へんこう正規せいき雇用こよう増大ぞうだいといったべつ要因よういんによってこされたものである」とし、ピケティの主張しゅちょう欧米おうべい検証けんしょうしたもので日本にっぽん経済けいざいにはてはまらないものであるとべている[57]

2011ねんの「ウォうぉル街るがい占拠せんきょ運動うんどう」への影響えいきょう

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エマニュエル・サエズとトマ・ピケティの共著きょうちょ論文ろんぶんのデータによって作成さくせいされた、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくにおける所得しょとく上位じょうい1%の所得しょとく国民こくみんそう所得しょとくめる比率ひりつ推移すいいしめすグラフ。

ピケティがげた、所得しょとく上位じょういそう所得しょとくそう所得しょとくめる比率ひりつ推移すいいをめぐる研究けんきゅうは、2011ねんウォうぉル街るがい占拠せんきょせよ運動うんどうに、おおきな影響えいきょうあたえた[58]。この運動うんどうなかでは、所得しょとくさい上位じょういそう1%の所得しょとくそう所得しょとくめる比率ひりつ推移すいいなど、ピケティたちの研究けんきゅう成果せいかひろ紹介しょうかいされ、金融きんゆうかい批判ひはん根拠こんきょとされた[59]

おも受賞じゅしょうれき

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2002ねんフランス最優秀さいゆうしゅう若手わかて経済けいざい学者がくしゃしょう受賞じゅしょう2023ねんクラリベイト引用いんよう栄誉えいよしょう受賞じゅしょう[60]

おも著作ちょさく

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  • Les hauts revenus en France au XXe, 2001, ISBN 2-246-61651-4
    (『格差かくささい分配ぶんぱい:20世紀せいきフランスの資本しほん早川書房はやかわしょぼう、2016ねん
  • L'économie des inégalités, collection « Repères », La Découverte, 2004, ISBN 2-7071-4291-3
  • Les hauts revenus face aux modifications des taux marginaux supérieurs de l’impôt sur le revenu en France, 1970-1996, Document de Travail du CEPREMAP, n° 9812, et sous une forme révisée, Économie et Prévision, 1999
  • Fiscalité et redistribution sociale dans la France du XXe, 2001
  • Inégalités économiques, Rapport du Conseil d'analyse économique, 2001, de Tony Atkinson, Michel Godet, Lucile Olier et Thomas Piketty.
  • Pour un nouveau système de retraite : Des comptes individuels de cotisations financés par répartition, Éditions Rue d'Ulm/CEPREMAP, 2008, avec Antoine Bozio.
  • Pour une révolution fiscale, janvier 2011, La République des idées/Seuil, avec Camille Landais et Emmanuel Saez, ISBN 9782021039412 avec le site associé
  • Peut-on sauver l'Europe ? Chroniques 2004-2012, Les Liens qui Libèrent, 2012.
    (『トマ・ピケティのしん資本しほんろん日経にっけいBP、2015ねん
  • Le Capital au XXIe siècle, Seuil, 2013
    (『21世紀せいき資本しほんみすず書房しょぼう、2014ねん
  • Capital et Idéologie, Seuil, 2019
    (『資本しほんとイデオロギー』みすず書房しょぼう、2023ねん
  • VIVEMENT LE SOCIALISME ! chroniques 2016-2020, Seuil, 2020
    (『らいたれ、あらたな社会しゃかい主義しゅぎ 世界せかいむ2016-2021』みすず書房しょぼう、2022ねん)
  • Nature, culture et inégalités: Une perspective comparative et historique, Société d'ethnologie 2023
    (『自然しぜん文化ぶんか、そして平等びょうどう ―― 国際こくさい比較ひかく歴史れきし視点してんから』文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、2023ねん

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ ピケティは『21世紀せいき資本しほん』の謝辞しゃじで、ズックマンの細部さいぶへの慎重しんちょう配慮はいりょ驚異きょういてき作業さぎょうりょくをあげている[17]

出典しゅってん

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参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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