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トレパン (潜水艦) - Wikipedia

トレパン (USS Trepang, SS/AGSS-412) は、アメリカ海軍かいぐん潜水せんすいかんバラオきゅう潜水せんすいかんいちせきかんめいは「ナマコ」を意味いみするインドネシア由来ゆらい

USS トレパン
基本きほん情報じょうほう
建造けんぞうしょ メア・アイランド海軍かいぐん造船ぞうせんしょ
運用うんようしゃ アメリカ合衆国の旗 アメリカ海軍かいぐん
かんしゅ 攻撃こうげきがた潜水せんすいかん (SS) →補助ほじょ潜水せんすいかん (AGSS)
きゅうめい バラオきゅう潜水せんすいかん
かんれき
起工きこう 1943ねん6がつ25にち
進水しんすい 1944ねん3がつ23にち
就役しゅうえき 1944ねん5がつ22にち
退役たいえき 1946ねん6がつ27にち
除籍じょせき 1967ねん6がつ30にち
その 1969ねん9がつ16にちみなみカリフォルニアおき標的ひょうてきかんとしてうみぼつ処分しょぶん
要目ようもく
水上すいじょう排水はいすいりょう 1,526 トン
水中すいちゅう排水はいすいりょう 2,424 トン
全長ぜんちょう 311 ft 9 in (95 m)
水線すいせんちょう 307 ft (93.6 m)
最大さいだいはば 27 ft 3 in (8.31 m)
吃水きっすい 16 ft 10 in (5.1 m)
おも フェアバンクス=モース38D 8 1/8ディーゼルエンジン×4
電源でんげん ゼネラル・エレクトリックせい発電はつでん×2
出力しゅつりょく 水上すいじょう:5,400 shp (4.0 MW)
水中すいちゅう:2,740 shp (2.0 MW)
最大さいだい速力そくりょく 水上すいじょう:20.25 ノット (37 km/h)
水中すいちゅう:8.75 ノット (16 km/h)
航続こうぞく距離きょり 11,000 うみさと/10ノット(20,000 km/19 km/hどき
潜航せんこう深度しんど 試験しけん:400 ft (120 m)
乗員じょういん 士官しかん6めい兵員へいいん60めい
へいそう
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かんれき 編集へんしゅう

ほんかん建造けんぞう決定けっていベラスペイン総称そうしょうちなセニョリータ (USS Senorita, SS-412) と命名めいめいされる予定よていであった。しかしながら1942ねん9がつ24にちにトレパンと改名かいめいされる。トレパンは1943ねん6がつ25にちカリフォルニアしゅうヴァレーホメア・アイランド海軍かいぐん造船ぞうせんしょ起工きこうした。1944ねん3がつ23にちにロイ・M・ダヴェンポート夫人ふじんによって命名めいめい進水しんすいし、1944ねん5がつ22にち、すでに3海軍かいぐんじゅうあきら受章じゅしょうした艦長かんちょうでダヴェンポート夫人ふじんおっとであるロイ・ミルトン・ダヴェンポート英語えいごばん中佐ちゅうさアナポリス1933ねんぐみ)の指揮しき就役しゅうえきする。

カリフォルニアしゅうサンディエゴでの整調せいちょうつづいて、トレパンは1944ねん8がつ15にち西海岸にしかいがん出航しゅっこうし、乗組のりくみいん訓練くんれんおよび戦闘せんとう準備じゅんびのためハワイへかった。

だい1の哨戒しょうかい 1944ねん9がつ - 10月 編集へんしゅう

9月13にち、トレパンは最初さいしょ哨戒しょうかい日本にっぽん近海きんかいかった。本州ほんしゅう南方みなかた海域かいいき巡航じゅんこうし、にちちゅう潜航せんこうしてよるになると浮上ふじょう、バッテリーを充電じゅうでん新鮮しんせん空気くうき補給ほきゅうして敵艦てきかん捜索そうさくした。9月30にちよる、トレパンは東京とうきょうわん出航しゅっこうする船団せんだん発見はっけんする。トレパンは船団せんだん追跡ついせき、2せき大型おおがたタンカー、小型こがた貨物かもつせんおよび護衛ごえいかんからなる一団いちだん接近せっきんした。10月1にちになってトレパンは魚雷ぎょらい放射状ほうしゃじょう発射はっしゃし、北緯ほくい2530ふん 東経とうけい14230ふん / 北緯ほくい25.500 東経とうけい142.500 / 25.500; 142.500地点ちてん貨物かもつせんつぶせ南丸みなみまる台湾たいわん海運かいうん、752トン)を撃沈げきちんした。10月10にちには、トレパンはタンカー、護衛ごえいかんそれぞれ1せき輸送ゆそう船団せんだん発見はっけん。トレパンはこれを攻撃こうげき撃沈げきちん主張しゅちょうしたが[1]戦後せんご調査ちょうさではみとめられなかった。

10月11にち、トレパンは北緯ほくい3318ふん 東経とうけい13742ふん / 北緯ほくい33.300 東経とうけい137.700 / 33.300; 137.700地点ちてんだい105ごう輸送ゆそうかんたいして魚雷ぎょらいを4ほん発射はっしゃした。このときのいちげき前日ぜんじつとはちがってミスと判断はんだんされたが、実際じっさいにはだい105ごう輸送ゆそうかん撃沈げきちんしていた。

10月12にち、トレパンは東京とうきょう湾口わんこうから19キロはなれた遠州灘えんしゅうなだ哨戒しょうかいちゅうレーダースクリーンに4つのてんかびがった。そのてんは、2つはおおきくのこり2つはちいさかった。このため、目標もくひょうは2せき扶桑ふそうがた戦艦せんかんと2せき秋月しゅうげつがた駆逐くちくかんであろうと推定すいていされた。ダヴェンポート艦長かんちょう全速力ぜんそくりょく目標もくひょう接近せっきんさせ、まず魚雷ぎょらいを6ほん発射はっしゃさせた。やがてばく発音はつおんこえ、ほのお夜空よぞらあかるくしていた。いでかん発射はっしゃかんからべつ目標もくひょうたいして魚雷ぎょらいを4ほん発射はっしゃしたが、これは命中めいちゅうしなかった。ダヴェンポート艦長かんちょうのこの勇猛ゆうもう果敢かかんたくみな攻撃こうげき扶桑ふそうがた戦艦せんかん撃破げきはし、駆逐くちくかん撃沈げきちんしたとしてかれに4度目どめ海軍かいぐんじゅうあきらをもたらしたが、実際じっさいには、内海うつみ西部せいぶ回航かいこうちゅう空母くうぼ雲龍うんりゅうけい巡洋艦じゅんようかん大淀おおよど護衛ごえいしていた駆逐くちくかんふゆがつ魚雷ぎょらい1ほん命中めいちゅうさせて、ふゆがつあげいかりしつからまえかんくび垂下すいかする被害ひがいあたえただけであった。この攻撃こうげきでトレパンは魚雷ぎょらい使つかたし、哨戒しょうかい海域かいいき撤収てっしゅうした。

10月23にち、トレパンは36日間にちかん行動こうどうえてマジュロ帰投きとう潜水せんすい母艦ぼかんブッシュネル (USS Bushnell, AS-15) による整備せいびけた。

だい2の哨戒しょうかい 1944ねん11月 - 12月 編集へんしゅう

11月16にち、トレパンは2かい哨戒しょうかいセグンド (USS Segundo, SS-398) およびレザーバック (USS Razorback, SS-394) とウルフパック構成こうせいルソン海峡かいきょう方面ほうめんかった。

12月6にちよる、ウルフパックはバタン諸島しょとう海域かいいきで、フィリピンのたたか使用しようする増援ぞうえん兵力へいりょく搭載とうさいしたタマ34船団せんだん発見はっけん。2150ふん、トレパンは北緯ほくい1852ふん 東経とうけい12157ふん / 北緯ほくい18.867 東経とうけい121.950 / 18.867; 121.950地点ちてんじんようまる東洋とうよう汽船きせん、6,862トン)にたいして魚雷ぎょらい発射はっしゃじんようまる魚雷ぎょらいが2ほん命中めいちゅう沈没ちんぼつした。やく1あいだ今度こんどぶくようまる東洋とうよう汽船きせん、5,463トン)にたいして魚雷ぎょらい発射はっしゃ。3ほん命中めいちゅうし、ぶくようまるだい爆発ばくはつこして南方なんぽうぐん幹部かんぶ候補こうほせいなどを道連みちづれに轟沈ごうちんした。また、だいさんじゅういち播州ばんしゅうまる西にし大洋たいよう漁業ぎょぎょう、748トン)も撃沈げきちん。3せき戦果せんかげた。このころになると、セグンド、レザーバックも戦場せんじょうあらわれ、共同きょうどういぬい城丸しろまる乾汽船いぬいきせん、6,933トン)を撃沈げきちんよく7にちにもセグンドが安国やすくにまる日本にっぽん製鐵せいてつ、5,794トン)にも魚雷ぎょらい命中めいちゅうさせ、安国やすくにまる後刻ごこくアメリカ軍機ぐんき空襲くうしゅう破壊はかいされた。この攻撃こうげきでトレパンは魚雷ぎょらい使つかたし、哨戒しょうかい海域かいいき撤収てっしゅうした。

12月25にち、トレパンは35日間にちかん行動こうどうえて真珠湾しんじゅわん帰投きとう艦長かんちょうがアレン・R・ファウスト(アナポリス1936ねんぐみ)にわった。

だい3の哨戒しょうかい 1945ねん1がつ - 3がつ 編集へんしゅう

1945ねん1がつ、トレパンは3かい哨戒しょうかいボーフィン (USS Bowfin, SS-287) 、ポンフレット (USS Pomfret, SS-391) 、スターレット (USS Sterlet, SS-392) 、パイパー (USS Piper, SS-409) とウルフパック「マックズ・モップス Mac's Mops」をんで小笠原諸島おがさわらしょとう方面ほうめんかった。この哨戒しょうかいでは、この方面ほうめんにある特設とくせつ監視かんしていぐんらしてるべき硫黄いおうとうたたか支援しえんするだい58任務にんむ部隊ぶたいマーク・ミッチャー中将ちゅうじょう)やB-29などへの手助てだすけをする任務にんむあたえられていた。

トレパンは監視かんしてい排除はいじょ任務にんむ救助きゅうじょ配備はいび任務にんむかたわら、2がつ24にち三木崎みきさきおき卯月うづきまる日本にっぽん製鐵せいてつ、875トン)を撃沈げきちんし、べつ機帆船きはんせんたいしても攻撃こうげきした。卯月うづきまる遭難そうなんったたいせん部隊ぶたい接近せっきんしつつあったのでトレパンはふかもぐり、7あいだおよたいせん攻撃こうげきわるのをった。

3月25にち、トレパンは57日間にちかん行動こうどうえてグアムとうアプラこう帰投きとうした。

だい4の哨戒しょうかい 1945ねん4がつ - 5月 編集へんしゅう

4がつ20日はつか、トレパンは4かい哨戒しょうかいスプリンガー (USS Springer, SS-414) 、レイトン (USS Raton, SS-270) とウルフパックを構成こうせい東シナ海ひがししなかいおよび黄海こうかい方面ほうめんかった。

4がつ28にち、トレパンはスプリンガーとともに福江島ふくえじま富江とみえこうおき出現しゅつげん。630ふん、トレパンは湾内わんない停泊ていはくちゅうだい146ごう輸送ゆそうかん撃沈げきちん。スプリンガーもかえしてきただい17ごう駆潜艇くせんてい撃沈げきちんし、一連いちれん港湾こうわん攻撃こうげき成功せいこうした。ウルフパックは東シナ海ひがししなかい西進せいしんしてあたらしい狩場かりばかった。

4がつ30にち、トレパンとスプリンガーは3つの目標もくひょう探知たんち。この目標もくひょう上海しゃんはいかっていたモシ05船団せんだん美保みほまる日本郵船にっぽんゆうせん、4,667トン)とその護衛ごえいかんであった。きり荒天こうてんのため、スプリンガーがさき浮上ふじょう攻撃こうげきをかけることとなり、船団せんだん接近せっきんしていった。しかし、護衛ごえいかん反撃はんげきされ潜航せんこう護衛ごえいかん注意ちゅういはスプリンガーにきつけられた。トレパンはそのすきき、148ふん北緯ほくい3428ふん 東経とうけい12348ふん / 北緯ほくい34.467 東経とうけい123.800 / 34.467; 123.800地点ちてん美保みほまるたい魚雷ぎょらいを4ほん発射はっしゃ。2ほんはかわされたものの、もう2ほん命中めいちゅう美保みほまる撃沈げきちんした。5月2にちには北緯ほくい3548ふん 東経とうけい12441ふん / 北緯ほくい35.800 東経とうけい124.683 / 35.800; 124.683地点ちてん材木ざいもく輸送ゆそうちゅうジャンク発見はっけんし、砲撃ほうげき破壊はかいした。ジャンクの唯一ゆいいつ生存せいぞんしゃ朝鮮ちょうせんじんられ、意思いし疎通そつうはかこと出来できなかったので、トレパンは道具どうぐ食料しょくりょう用意よういして解放かいほうした。

5月4にちには、黄海こうかい南方なんぽうだい20ごう掃海そうかいてい撃沈げきちんした。その、トレパンは上海しゃんはい方面ほうめん空襲くうしゅうするB-25日本にっぽん本土ほんど空襲くうしゅうするB-29の支援しえん従事じゅうじした。5月22にち、トレパンは32日間にちかん行動こうどうえてアプラこう帰投きとうした。

だい5の哨戒しょうかい 1945ねん6がつ - 7がつ 編集へんしゅう

6月15にち[2]、トレパンは5かい哨戒しょうかい日本にっぽん近海きんかいかった。この哨戒しょうかい北海道ほっかいどう東北とうほく地方ちほう沿岸えんがんでの哨戒しょうかい東京湾とうきょうわん近海きんかいにおける救助きゅうじょ配備はいび任務にんむ大別たいべつされた。東京湾とうきょうわん南東なんとう海域かいいきでの救助きゅうじょ配備はいび任務にんむは、過去かこ2かいにわたる同様どうよう任務にんむつづくもので、トレパンの乗組のりくみいんくもぞらて「単調たんちょう日々ひびにはならないだろう」と予感よかんしていた。たして、予定よてい海域かいいき到着とうちゃく正午しょうごまえ東京とうきょう方面ほうめん爆撃ばくげきするB-29の援護えんごについていたP-511墜落ついらくしていくのを発見はっけん。トレパンは即座そくざ急行きゅうこうし、アメリカ陸軍りくぐん航空こうくうぐん所属しょぞくのラマール・クリスティアン少尉しょうい救助きゅうじょした。クリスティアンを救助きゅうじょちゅうちかくを飛行ひこうちゅうのフランク・アリエス中尉ちゅうい操縦そうじゅうするP-51の調子ちょうしがおかしくなった。アリエスには、クリスティアンを艦上かんじょうげるまでトレパン上空じょうくう旋回せんかいつづけてもらうよう要請ようせいし、クリスティアンがげられるのをてトレパンから400メートルはなれた地点ちてん不時ふじ着水ちゃくすいし、トレパンはただちにアリエスを救助きゅうじょした。

2めいのパイロットを救助きゅうじょした3にち、トレパンはのパイロット30めいっている状態じょうたい帰投きとうちゅうティグロン (USS Tigrone, SS-419) と会合かいごうし、クリスティアンとアリエスをティグロンに移送いそうさせることとした。しかし、その作業さぎょうちゅう救出きゅうしゅつ検索けんさく飛行機ひこうきから「名古屋なごやこうからわずか10キロの地点ちてんにB-29のクルーが救助きゅうじょもとめている」との通信つうしんがあり、トレパンは作業さぎょう中断ちゅうだんしてスプリンガーとともに現場げんば急行きゅうこうした。現場げんばにはトレパンがさき到着とうちゃくし、6キロ四方しほうおよ海域かいいき捜索そうさくして、救命きゅうめいいかだにった4つのグループのうち8めい救助きゅうじょ以後いご、スプリンガーが到着とうちゃくするまでに7めい救助きゅうじょし、スプリンガーは最後さいごの1めい救助きゅうじょして救助きゅうじょ任務にんむ完了かんりょうした。

6月30にち、トレパンはデビルフィッシュ (USS Devilfish, SS-292) との会合かいごうかう途中とちゅう小型こがたせん発見はっけんして砲撃ほうげき[3]えてしず船内せんないから12めいばかりの日本にっぽんへい姿すがたせたが、降伏ごうぶく拒否きょひして海中かいちゅう姿すがたした。トレパンは本州ほんしゅう東岸とうがん沿いに北上ほくじょうし、しばらくは戦果せんかがなかったものの7がつ7にち青森あおもりけん東通ひがしどおりむら沿岸えんがんで3せき沿岸えんがん貨物かもつせん船団せんだん発見はっけん。トレパンは船団せんだん先頭せんとうだいだかうんまる金森かなもり商船しょうせん、606トン)を撃沈げきちんし、の2せきはこれにおどろいてどこかにった。直後ちょくご、トレパンは哨戒しょうかいばくげきけ、2はつたいせんばくだん投下とうかされた。しかし、さいわいにして2はつとも命中めいちゅうしなかった。戦局せんきょく終盤しゅうばんとなり、おりしもイギリス海軍かいぐん部隊ぶたいくわえただい38任務にんむ部隊ぶたいジョン・S・マケイン・シニア中将ちゅうじょう)が北日本きたにっぽん来襲らいしゅう。トレパンはその支援しえん任務にんむき、ちかくに不時ふじ着水ちゃくすいしたビル・キングストン中尉ちゅうい救助きゅうじょした。トレパンはまた、7がつ14にちおこなわれた釜石かまいしかんほう射撃しゃげき模様もよう目撃もくげき同日どうじつラガー (ふね)英語えいごばん砲撃ほうげき撃沈げきちんしたのち[4]哨戒しょうかい海域かいいきって7がつ27にちにミッドウェーとう寄港きこうした[5]。7月31にち、トレパンは47日間にちかん行動こうどうえて真珠湾しんじゅわん帰投きとう[5]次期じき哨戒しょうかいけての作業さぎょう期間きかんちゅう広島ひろしま長崎ながさき原子げんしばくだん投下とうかされ、ソ連それんたいにちせん参加さんか。そして8がつ15にち日本にっぽん降伏ごうぶくした。

トレパンはだい世界せかい大戦たいせん戦功せんこうで5従軍じゅうぐん星章せいしょうおよび海軍かいぐん殊勲しゅくん隊章たいしょう受章じゅしょうした。

戦後せんご 編集へんしゅう

修理しゅうり完了かんりょうするとトレパンは真珠湾しんじゅわん出航しゅっこう、1945ねん9がつ3にちサンディエゴ到着とうちゃくした。1946ねん6がつ27にちにメア・アイランド海軍かいぐん造船ぞうせんしょ退役たいえき予備よびやく艦隊かんたいりして1960年代ねんだいごす。1962ねん6がつ11にちに AGSS-412 (補助ほじょ潜水せんすいかん)へかんしゅ変更へんこうされ、1967ねん6がつ30にち除籍じょせき、その1967ねん12月22にち廃棄はいき処分しょぶん認可にんかされた。1969ねん9がつ16にちおこなわれた演習えんしゅうStrike Ex 4-69」において標的ひょうてきかんとして駆逐くちくかんヘンダーソン英語えいごばん (USS Henderson, DD-785) およびフェクテラー英語えいごばん (USS Fechteler, DD-870) の砲撃ほうげきによってうみぼつ処分しょぶんされた。

脚注きゃくちゅう 編集へんしゅう

  1. ^ 「SS-412, USS TREPANG, Part 1」p.45,46
  2. ^ 「SS-412, USS TREPANG, Part 1」p.240
  3. ^ 「SS-412, USS TREPANG, Part 2」p.22
  4. ^ 「SS-412, USS TREPANG, Part 2」p.23
  5. ^ a b 「SS-412, USS TREPANG, Part 2」p.14

参考さんこう文献ぶんけん 編集へんしゅう

  • SS-412, USS TREPANG, Part 1(issuuベータばん
  • SS-412, USS TREPANG, Part 2(issuuベータばん
  • 昭和しょうわじゅうねんろくがつにち 海軍かいぐんちょう傭船ようせん美保みほまる船長せんちょう 中原なかはられん美保みほまる遭難そうなん雷撃らいげき顛末てんまつ報告ほうこくしょ』(昭和しょうわ19ねん12がつ以降いこう だい東亜とうあ戦争せんそうちょうやとい船舶せんぱく事故じこ報告ほうこくつづり(20)) アジア歴史れきし資料しりょうセンター レファレンスコード:C08050051200
  • Theodore Roscoe "United States Submarine Operetions in World War II" Naval Institute press、ISBN 0-87021-731-3
  • 財団ざいだん法人ほうじん海上かいじょう労働ろうどう協会きょうかいへん復刻ふっこくばん 日本にっぽん商船しょうせんたい戦時せんじ遭難そうなん財団ざいだん法人ほうじん海上かいじょう労働ろうどう協会きょうかい/成山なりやまどう書店しょてん、1962ねん/2007ねんISBN 978-4-425-30336-6
  • 遠藤えんどうあきら高角こうかくほう防空ぼうくうかんはら書房しょぼう、1975ねん
  • Clay Blair,Jr. "Silent Victory The U.S.Submarine War Against Japan" Lippincott、1975ねんISBN 0-397-00753-1
  • こまみやしんななろう戦時せんじ輸送ゆそう船団せんだん出版しゅっぱん協同きょうどうしゃ、1987ねんISBN 4-87970-047-9
  • 伊達だてひさだい大戦たいせん 日本にっぽん海軍かいぐん作戦さくせんねん」『写真しゃしん 日本にっぽん軍艦ぐんかん14 しょう艦艇かんていII光人みつひとしゃ、1990ねんISBN 4-7698-0464-4

関連かんれん項目こうもく 編集へんしゅう

外部がいぶリンク 編集へんしゅう