(Translated by https://www.hiragana.jp/)
瀬戸内海 - Wikipedia

瀬戸内海せとないかい

日本にっぽん本州ほんしゅう四国しこく九州きゅうしゅうはさまれた内海うつみ

瀬戸内海せとないかい(せとないかい)は、本州ほんしゅう西部せいぶ四国しこく九州きゅうしゅうかこまれた日本にっぽん最大さいだい内海うつみ面積めんせきは2まん3,203km2である。閉鎖へいさせい水域すいいきひとつである。

瀬戸内海せとないかい 写真しゃしんじょう北東ほくとう方向ほうこう左下ひだりしたえる九州きゅうしゅう中央ちゅうおうえる四国しこくしま)、ひだり中央ちゅうおうからみぎじょうえる本州ほんしゅうかこまれている。
Seto Inland Sea
弥山みせん宮島みやじま)からのぞ広島ひろしまわん
瀬戸内海せとないかいしま山口やまぐちけん周防すおう大島おおしままち

概要がいよう

編集へんしゅう

700以上いじょうしまがあるおおとううみであり、海岸かいがんせんそう延長えんちょうやく7,230kmにおよ[1]山口やまぐちけん広島ひろしまけん岡山おかやまけん兵庫ひょうごけん大阪おおさか和歌山わかやまけん徳島とくしまけん香川かがわけん愛媛えひめけん大分おおいたけん福岡ふくおかけんがそれぞれ海岸かいがんせんつ。これら沿岸えんがん府県ふけん人口じんこうは2023ねん時点じてんで2900まんにんたっし、日本人にっぽんじんこうの4にん1人ひとりが、瀬戸内海せとないかい沿岸えんがん居住きょじゅうしていることになる。

沿岸えんがん地域ちいきふくめて瀬戸内せとうち(せとうち)ともばれるが、それは瀬戸内海せとないかい名称めいしょうげんではなく、瀬戸内海せとないかいは「瀬戸せと内海うちうみ」のである。

古来こらい畿内きない九州きゅうしゅうむす西日本にしにほん主要しゅよう航路こうろとしてさかえた。周囲しゅうい気候きこう瀬戸内海せとないかいしき気候きこうばれ、温暖おんだん雨量うりょうすくない。

東西とうざいに450km、南北なんぼくに15-55 km、平均へいきん水深すいしんやく38m[1]最大さいだい水深すいしんやく105m(豊予海峡ほうよかいきょうおよび鳴門海峡なるとかいきょう)。内海うちうみである瀬戸内海せとないかい複数ふくすう島嶼とうしょぐんようし、ゆたかな生態せいたいけいつことでられている。医師いしであり博物学はくぶつがくしゃであったシーボルトはじめとしてすうおおくの欧米おうべいじんからたか評価ひょうかされた景勝けいしょうであり、現代げんだいでは瀬戸内海せとないかい国立こくりつ公園こうえん指定していされている[2]

19世紀せいき後半こうはん1860ねん日本にっぽんでは明治維新めいじいしん直後ちょくご瀬戸内海せとないかいおとずれた、シルクロード命名めいめいしゃでもあるドイツひと地理ちりがくものフェルディナンド・フォン・リヒトホーフェンは『ささえ旅行りょこう日記にっき』で「これ以上いじょうのものは世界せかいのどこにもないであろう」と世界中せかいじゅう紹介しょうかいした[3]いまもなお風光ふうこう明媚めいび風景ふうけいとして絶賛ぜっさんされる地域ちいきである[注釈ちゅうしゃく 1][5]

海域かいいき

編集へんしゅう
瀬戸内海せとないかい海域かいいき
 
 
45 km
(別府べっぷわん)
(水島灘みずしまなだ)
(斎灘いつきなだ)
(響灘ひびきなだ)
豊後水道ぶんごすいどう
周防灘すおうなだ
伊予灘いよなだ
広島ひろしまわん
安芸灘あきなだ
燧灘ひうちなだ
備後灘びんごなだ
備讃瀬戸せと
播磨灘はりまなだ
大阪おおさかわん
紀伊きい水道すいどう

瀬戸内海せとないかい複数ふくすう海域かいいき構成こうせいされている。

領海りょうかいおよ接続せつぞく水域すいいきかんする法律ほうりつ』では東側ひがしがわからじゅんつぎかかげる10区分くぶんされた海域かいいき構成こうせいされている。

  1. 紀伊きい水道すいどう
  2. 大阪おおさかわん
  3. 播磨灘はりまなだ
  4. 備讃瀬戸せと
  5. 備後灘びんごなだ
  6. 燧灘ひうちなだ
  7. 安芸灘あきなだ
  8. 広島ひろしまわん
  9. 伊予灘いよなだ
  10. 周防灘すおうなだ

瀬戸内海せとないかい環境かんきょう保全ほぜん特別とくべつ措置そちほう』では前記ぜんき10区分くぶんつぎしめ海域かいいきくわえたけい12区分くぶん構成こうせいされる。

  1. 豊後水道ぶんごすいどう北部ほくぶ
  2. 響灘ひびきなだ

上記じょうきの12区分くぶんされた個々ここ海域かいいき境界きょうかいは「瀬戸内海せとないかい環境かんきょう保全ほぜん臨時りんじ措置そちほうだい13じょうだい1こう埋立うめたてについての規定きてい運用うんようかんする基本きほん方針ほうしんについて」(昭和しょうわ49ねん6がつ18にちたまきすいぶんまわし127ごう環境かんきょう事務次官じむじかん通達つうたつ)にしめされている[6]

IHOがさだめる範囲はんい

編集へんしゅう

国際こくさい水路すいろ機関きかん(IHO)が1953ねん発行はっこうした『大洋たいよううみ境界きょうかい』において、瀬戸内海せとないかい英語えいごはんで「Seto Naikai or Inland Sea」、仏語ふつごはんで「Mer Intérieure:Seto Naikai」と表記ひょうきされ、その範囲はんいつぎのように定義ていぎされている[7][8]

法令ほうれいさだめる範囲はんい

編集へんしゅう
 
領海りょうかいほうによる瀬戸内海せとないかい範囲はんい[注釈ちゅうしゃく 2]
 
瀬戸内せとうちほう瀬戸内せとうちほう施行しこうれいによる瀬戸内海せとないかい範囲はんい[注釈ちゅうしゃく 3]

瀬戸内海せとないかい海域かいいき法令ほうれい目的もくてきごとにあつかかたことなり複数ふくすう法令ほうれい範囲はんい定義ていぎされている。

以下いか引用いんようぶん一部いちぶかん数字すうじ算用さんよう数字すうじなおすなどしている。

領海りょうかいおよ接続せつぞく水域すいいきかんする法律ほうりつ施行しこうれい領海りょうかいほう施行しこうれいだい1じょう
国際こくさいてきにはこの範囲はんい瀬戸内海せとないかいとみなされる。
西端せいたん関門海峡かんもんかいきょう西端せいたんである。関門海峡かんもんかいきょう全域ぜんいき洞海湾どうかいわん瀬戸内海せとないかいふくまれる。
瀬戸内海せとないかい環境かんきょう保全ほぜん特別とくべつ措置そちほう瀬戸内せとうちほうだい2じょうだい1こう
つぎかかげる直線ちょくせんおよりくがんによつてかこまれた海面かいめんならびにこれに隣接りんせつする海面かいめんであつて政令せいれいさだめるものをいう。
※「政令せいれい」とはつぎげる「瀬戸内海せとないかい環境かんきょう保全ほぜん特別とくべつ措置そちほう施行しこうれい」のこと。
西端せいたん関門海峡かんもんかいきょうさいせまひがしはしちかい)である。関門海峡かんもんかいきょうだい部分ぶぶん洞海湾どうかいわんいちさん範囲はんいふくまれない。
瀬戸内海せとないかい環境かんきょう保全ほぜん特別とくべつ措置そちほう施行しこうれい だい1じょう
  • いちりゃく愛媛えひめけん高茂こうもから大分おおいたけんつるいた直線ちょくせんおよりくがんによつてかこまれた海面かいめん
  • りゃく山口やまぐちけんとくうし灯台とうだいからどうけん角島かどじま通瀬とおりせいた直線ちょくせんどう埼から福岡ふくおかけん妙見みょうけん灯台とうだいいた直線ちょくせんおよりくがんによつてかこまれた海面かいめん
瀬戸内せとうちほういちさん範囲はんい追加ついかされる。
豊後水道ぶんごすいどう北部ほくぶ関門海峡かんもんかいきょう外側そとがわのかなりの範囲はんい瀬戸内海せとないかいふくまれる。
海上かいじょう交通こうつう安全あんぜんほう施行しこうれい だい1じょう
紀伊きい埼灯だい[注釈ちゅうしゃく 4]から蒲生田岬がもうだみさき灯台とうだい[注釈ちゅうしゃく 5]までいたせんおよ佐田さたみさき灯台とうだい[注釈ちゅうしゃく 6]からせき埼灯だい[注釈ちゅうしゃく 7]までいたせん
西端せいたん言及げんきゅうされていない。
漁業ぎょぎょうほう施行しこうれい だい27じょう
瀬戸内せとうちほういちさんとほとんどおなじ。

生物せいぶつしょう

編集へんしゅう

天然記念物てんねんきねんぶつである節足動物せっそくどうぶつカブトガニ小型こがたくじらるいスナメリハセイルカ[注釈ちゅうしゃく 10]などの海洋かいよう生物せいぶつや、アユふくむ400-500種類しゅるい魚類ぎょるい生息せいそくしている。天然記念物てんねんきねんぶつ指定していされている種類しゅるいおおられ、前述ぜんじゅつのカブトガニのほか広島ひろしまけん三原みはら有竜島うりゅうとうナメクジウオ生息せいそくとして、また、どうけん竹原たけはら高崎たかさきまち阿波島あばしま周辺しゅうへんは「スナメリクジラ回遊かいゆう海面かいめん」として1930ねん登録とうろくされている。また、陸生りくせい動物どうぶつではあるがニホンジカニホンイノシシ瀬戸内海せとないかいおよいでたて横断おうだんする光景こうけい古来こらいよりられてきた。

大型おおがた生物せいぶつ

編集へんしゅう

現在げんざい状況じょうきょうからは想像そうぞうしがたいが、かつては海獣かいじゅう[注釈ちゅうしゃく 13]ウミガメサメなどの大型おおがた魚類ぎょるい瀬戸内海せとないかいにも豊富ほうふ生息せいそくしており、セミクジラ[22]コククジラ[23][24]ナガスクジラ[注釈ちゅうしゃく 14]ニホンアシカ[27]ニホンカワウソウバザメジンベイザメホホジロザメマンタマンボウクロマグロバショウカジキなどの大型おおがた魚類ぎょるい[28][29]オサガメなど、現在げんざいでは絶滅ぜつめつ危惧きぐしゅ絶滅ぜつめつしゅとなっているなか大型おおがた生物せいぶつおおられたとされる。狩猟しゅりょう漁業ぎょぎょうによる圧力あつりょく[注釈ちゅうしゃく 15]や、高度こうど経済けいざい成長せいちょう急速きゅうそく拡大かくだいした護岸ごがんふく沿岸えんがん開発かいはつ環境かんきょう破壊はかい海洋かいよう汚染おせんなどをて、これらの動物どうぶつ瀬戸内海せとないかいからは江戸えど時代じだいから昭和しょうわ時代じだい初期しょきにかけて激減げきげんまたは地域ちいき個体こたいぐん絶滅ぜつめつむかえた。

東西とうざいおよそ450km、南北なんぼく15-55 km、海岸かいがんせんそう延長えんちょうは7,230kmにおよび、面積めんせき23,203 km2平均へいきん水深すいしん38.0m、容積ようせき8,815おくm3である[1]おおとううみであり、外周がいしゅうが0.1km以上いじょうしまかずは727存在そんざいする[67]それ以下いかまでふくめればすうせんともいうが、「しま」の基準きじゅんによってわるために区分くぶん曖昧あいまいである。

全体ぜんたいてき傾向けいこうとしてはひがしくほどあさい。なだわんばれるひろ部分ぶぶんが、瀬戸せと海峡かいきょうばれるせま水路すいろ連結れんけつされた複雑ふくざつ構造こうぞうつ。水路すいろ部分ぶぶん強力きょうりょく潮流ちょうりゅうによってうみ底部ていぶ浸食しんしょくされている。最深さいしん豊予海峡ほうよかいきょう速吸瀬戸はやすいせと)でやく195m、鳴門海峡なるとかいきょうではやく200mとかんがえられている。

つよ潮流ちょうりゅう

編集へんしゅう
 
周防灘すおうなだ安芸灘あきなだあいだにある大畠瀬戸おおばたけせと潮流ちょうりゅう

瀬戸内海せとないかいしお干満かんまんおおきいことでられている。これはおくくほど顕著けんちょになり、最奥さいおう燧灘ひうちなだ周辺しゅうへんでは干満かんまんは2m以上いじょうにもなる。このため瀬戸内海せとないかい潮流ちょうりゅうきわめてつよく、場所ばしょによってはかわのようにながれているところもある。この強力きょうりょく潮流ちょうりゅうにより「鳴門なると渦潮うずしお」が発生はっせいしている。また、この強力きょうりょく潮流ちょうりゅうによってうみ底部ていぶ養分ようぶんつねげられ、植物しょくぶつプランクトン成育せいいくうながしているとかんがえられている。つまり、瀬戸内海せとないかいゆたかな漁場ぎょじょうであることの理由りゆうひとつはこのおおきな干満かんまんなのである。

一帯いったい周辺しゅうへんよりも温暖おんだん雨量うりょうすくない特徴とくちょう瀬戸内海せとないかいしき気候きこう年間ねんかん降水こうすいりょうは1,000mmから1,600mm程度ていど[68]とくふゆはひとがつ日照ひでり時間じかん中国ちゅうごく山地さんちへだてて北側きたがわ山陰さんいんくらべてやく1.5ばいとなり、年間ねんかん日照ひでり時間じかんは2,000あいだえる地域ちいき分布ぶんぷしている[69]

沿岸えんがんふうには海陸かいりくふうあらわれやすく、とし平均へいきん風向ふうこう海岸かいがん直角ちょっかく地点ちてんおお[68]。そして上空じょうくう強風きょうふう影響えいきょう比較的ひかくてきけにくく、海風かいふう陸風りくかぜ交代こうたいするときあいだたい無風むふうとなるなぎがよくあらわれる。夕凪ゆうなぎは「瀬戸せと夕凪ゆうなぎ」といわれるように有名ゆうめいで、とくなつ夕凪ゆうなぎあつさに拍車はくしゃをかける要因よういんとなっている[69][70][71][72]。ただしやまじふう四国しこく中央ちゅうおう付近ふきん)のように、気象きしょう条件じょうけんによってはやまりる強風きょうふうくことがられている地域ちいきもある[73]

備讃瀬戸せとから安芸灘あきなだ燧灘ひうちなだ伊予灘いよなだにかけての海域かいいきでは、3月から6がつごろに移流いりゅうきりおおくなる[72][73]高気圧こうきあつおおわれれたや、高気圧こうきあつまわだん湿しめりゅうのあるときにおお[74]。このきり瀬戸内海せとないかいにおける海難かいなん事故じこおも原因げんいんのひとつでもある[72][73]たとえば、5月のあさ濃霧のうむ発生はっせいした紫雲しうんまる事故じこ(1955ねん[75]などがげられる。

主要しゅようしま

編集へんしゅう
 
瀬戸内海せとないかい直島諸島なおしましょとうから瀬戸大橋せとおおはしエリアそらつまみ

瀬戸内海せとないかいには大小だいしょうあわせて3,000ものしまがあり、無人島むじんとうや、周囲しゅういすうメートルしかないちいさなしま存在そんざいする。

おも瀬戸内海せとないかいしま以下いかしめす。

主要しゅよう流入りゅうにゅう河川かせん

編集へんしゅう

流域りゅういき面積めんせき1,000 km2以上いじょう流入りゅうにゅう水系すいけい河川かせん)は以下いかとお

沿岸えんがん主要しゅよう都市とし

編集へんしゅう
 
尾道おのみち今治いまばりルートの来島海峡くるしまかいきょう大橋おおはし

本州ほんしゅう四国しこく道路どうろ鉄道てつどうむすはしまたは道路どうろとして瀬戸内せとうち海上かいじょう本州ほんしゅう四国しこく連絡れんらくきょうかり、以下いかの3ルートがある。

 
宮島みやじまフェリー
 
-松山まつやま航路こうろのフェリー ひだりおくしま倉橋島くらはしじま
瀬戸内海せとないかいおも島嶼とうしょ
 
 
45 km
友ヶ島ともがしま
沼島ぬしま
<大毛おおけとう島田しまだとう
かず かい もろ とう
豊後ぶんご諸島しょとう
姫島ひめしま
平郡島へいぐんとう
興居島ごごしま
柱島はしらじま諸島しょとう
厳島いつくしま
向島むこうじま>
安芸あき群島ぐんとう
蒲刈かまがり群島ぐんとう>
下大崎しもおおさき群島ぐんとう>
上大崎かみおおさき群島ぐんとう>
関前せきまえ諸島しょとう>
<来島らいとう群島ぐんとう
魚島うおしま群島ぐんとう
<上島うえしま諸島しょとう
備後びんご群島ぐんとう>
走島はしりじま群島ぐんとう>
水島みずしま諸島しょとう>
しゅうみなみ諸島しょとう
熊毛くまげ群島ぐんとう
周防すおう大島おおしま諸島しょとう
忽那くつな諸島しょとう
越智おち諸島しょとう
げい諸島しょとう>
笠岡かさおか諸島しょとう
塩飽諸島しわくしょとう
直島諸島なおしましょとう
家島諸島いえしましょとう
日生にっせい諸島しょとう
淡路島あわじしま
ぼう  しょ しま
げい  しょ  しま
備 さん しょ しま
小豆島しょうどしま
地図ちず島嶼とうしょめい <, > はその位置いちしめ
ぜん画面がめん表示ひょうじ詳細しょうさい位置いち記事きじへのリンクを表示ひょうじ マークはしま位置いちあるいは島嶼とうしょ中心ちゅうしん付近ふきん位置いちしめ

先史せんし時代じだい

編集へんしゅう

山陰さんいん北陸ほくりくとほぼ平行へいこうびた地質ちしつである瀬戸内せとうちは、おも中新ちゅうしんみつるぞくするだいいち瀬戸内せとうちるいそうぐんおもだいよんけいぞくするだい瀬戸内せとうちるいそうぐん大別たいべつされ、りょうそうぐんあいだには整合せいごうめんられる。このことから瀬戸内海せとないかいには前身ぜんしんとなるうみが2つ存在そんざいしたことが示唆しさされており、前者ぜんしゃだいいち瀬戸内海せとないかい後者こうしゃだい瀬戸内海せとないかい呼称こしょうされる[76]

しんだい三紀みき

編集へんしゅう

だいいち瀬戸内海せとないかい新生代しんせいだいしんだい三紀みき中期ちゅうき中新ちゅうしん中心ちゅうしん形成けいせいされた[76]。このうみ現在げんざい広島ひろしまけん北部ほくぶから長野ながのけん南部なんぶまでひろがっていて、東西とうざいやく500kmで南北なんぼくやく80kmと広大こうだいであり、現在げんざい瀬戸内海せとないかいおなおおとううみであったとかんがえられている[77]だいいち瀬戸内せとうちるいそうぐんからは、陸棲りくせい哺乳類ほにゅうるいからなるたいらまき動物どうぶつぐんうみ哺乳類ほにゅうるいからなる戸狩とがり動物どうぶつぐんという化石かせき群集ぐんしゅう産出さんしゅつしている。たいらまき動物どうぶつぐんにはキロテリウムサイ)やゴンフォテリウムちょうはな)などの大型おおがた草食そうしょく動物どうぶつふくまれ、これらを捕食ほしょくしていた大型おおがた肉食にくしょく動物どうぶつ存在そんざい確実視かくじつしされている。戸狩とがり動物どうぶつぐんにはデスモスチルスたばばしら)やユーリノデルフィスクジラ)およびひれあしるいふくまれる。陸棲りくせい哺乳類ほにゅうるいはヨーロッパやアジアの動物どうぶつぐんとの共通きょうつうせいたかく、また温暖おんだんみず豊富ほうふ森林しんりんひろがっていたことが示唆しさされる。一方いっぽううみ哺乳類ほにゅうるい北方ほっぽうけい動物どうぶつから構成こうせいされる[78]

だいいち瀬戸内海せとないかいは、瀬戸内せとうち全体ぜんたい隆起りゅうきともない、中新ちゅうしんすえやく1000まんねんまえ)にはりくして消失しょうしつした。りく時代じだい鮮新初頭しょとういたるまでの500まんねん以上いじょうつづいた[77]。またこのあいだ構造こうぞう運動うんどう顕著けんちょ変化へんかがあった。だいいち瀬戸内海せとないかい時代じだい明瞭めいりょうであった4区別くべつむずかしくなり、またそれまで卓越たくえつしていた本州ほんしゅう方向ほうこう構造こうぞう運動うんどうわって、南北なんぼく方向ほうこうなみきょくてき運動うんどう支配しはいてきになった[76]。この構造こうぞう運動うんどうけて西南せいなん日本にっぽんふたた沈降ちんこうはじめ、湖沼こしょう形成けいせいされるようになった[77]

だいよん

編集へんしゅう

やく150まんねんまえには太平洋たいへいよう海水かいすい紀伊きい水道すいどうとおって近畿きんき地方ちほうながみ、やく130まんねんまえかいうみしんだい瀬戸内海せとないかい誕生たんじょうした。大阪大学おおさかだいがく豊中とよなかキャンパスで発見はっけんされたマチカネワニ化石かせきは、このだい瀬戸内海せとないかい誕生たんじょうから100まんねんほど時代じだいのものである[77]

またこのころ地球ちきゅうこおりあいだごおりのサイクルがかえ氷河期ひょうがき只中ただなかにあり、それによる海水かいすいじゅん変動へんどうくわえて山地さんち隆起りゅうき全体ぜんたいてき地盤じばん隆起りゅうき沈降ちんこういき減少げんしょうきたため、だい瀬戸内海せとないかいでは海岸かいがん段丘だんきゅうおお形成けいせいされるようになる。このような段丘だんきゅうからはナウマンゾウ化石かせき産出さんしゅつする。やがてウルムごおりはじまると海水かいすいじゅん現在げんざいよりも130 - 140メートル程度ていどひく状態じょうたいになり、瀬戸内海せとないかいふたた陸地りくちした。やがてこおりわると海水かいすいめん上昇じょうしょうした(縄文じょうもんうみすすむ)。やく9000ねんまえ海水かいすいじゅん現在げんざいよりも20 - 25メートル程度ていどひく状態じょうたいであったが[77]やく7000ねんまえには現在げんざい海水かいすいじゅん上回うわまわって岡山大学おかやまだいがく津島つしまキャンパス付近ふきんまで海岸かいがんせんせまっていた[79]現在げんざい瀬戸内海せとないかいは、おおむねだい瀬戸内海せとないかい縮小しゅくしょうばんである[76]

縄文じょうもん時代じだい前期ぜんき貝塚かいづか岡山おかやまけん産出さんしゅつしており、当時とうじ縄文じょうもんじん瀬戸内海せとないかい海産かいさん資源しげん利用りようして生活せいかついとなんでいたことが示唆しさされている[79]瀬戸内せとうちから出土しゅつどした貝塚かいづかヤマトシジミ14C年代ねんだいからやく8500ねんまえのものであることが示唆しさされ、このころ当時とうじ平原へいげんうみひろがりはじめていたことが推測すいそくされている。また、貝塚かいづか上部じょうぶはヤマトシジミよりも沖合おきあい生息せいそくするカキハイガイめられており、さらにうみしんすすんで縄文じょうもんじん食生活しょくせいかつ変化へんかしつつあったことがれる[80]縄文じょうもん時代じだい中期ちゅうき以降いこう貝塚かいづか減少げんしょうするが、このころからは土砂どしゃによりほろ高地こうち形成けいせいされており、のち集落しゅうらくとしての土地とち利用りようがなされるようになる[79]

なお、現在げんざいみられるなだ瀬戸せと海峡かいきょうなら地形ちけいは、やく300まんねんまえフィリピンうみプレートしずきがきたから北西ほくせい変化へんかしてから形成けいせいされた。この変化へんかによって中央ちゅうおう構造こうぞうせんさい活動かつどうはじまり、沈降ちんこういきなだ隆起りゅうきいき瀬戸せと海峡かいきょうができた[81]

有史ゆうし時代じだい

編集へんしゅう
 
住吉すみよし大社たいしゃだいいち本宮ほんぐう
 
鞆のうら町並まちな
 
厳島いつくしま神社じんじゃから瀬戸内海せとないかい

ふるくより瀬戸内海せとないかい交通こうつう大動脈だいどうみゃくとして機能きのうした。そのことは『こころざし倭人わじんでん』の記述きじゅつや『日本書紀にほんしょき』のくにだんイザナミんだしま瀬戸内せとうち航路こうろ沿いにならんでいることから推察すいさつできる。

古代こだいにおいては、摂津せっつこく住吉すみよし大社たいしゃ管轄かんかつした古代こだいみなと住吉すみよし出発しゅっぱつとしたずい使遣唐使けんとうし航路こうろであったことから、瀬戸内海せとないかいは、うみかみである住吉すみよし大神おおがみまつ住吉すみよし大社たいしゃ影響えいきょうかれ各地かくち住吉すみよしかみまつ住吉すみよし神社じんじゃてられた。またこのころすで鞆のうら瀬戸内海せとないかい中央ちゅうおう位置いちするためしおちの港町みなとちょうとしてさかえていた。

奈良なら時代じだいには陸上りくじょう交通こうつう山陽さんようどう南海なんかいどう)が整備せいびされたが、外国がいこく使節しせつ瀬戸内海せとないかいとおった記録きろくのこっており、瀬戸内せとうち航路こうろつづいて利用りようされていたとられる。

平安へいあん時代じだい中期ちゅうきは、嵯峨さがはじめ渡辺わたなべつな棟梁とうりょうとする摂津せっつこく渡辺わたなべとう瀬戸内海せとないかい水軍すいぐんけい氏族しぞく棟梁とうりょうとなり、渡辺わたなべの庶流である肥前ひぜんこく松浦まつうら九州きゅうしゅう水軍すいぐん松浦まつうらとう惣領そうりょうとなる。

藤原ふじわらじゅんとも瀬戸内海せとないかい海賊かいぞく棟梁とうりょうとして反乱はんらんこし(うけたまわひらてんけいらん)、瀬戸内海せとないかいは、じゅんとも活動かつどう舞台ぶたいとなる。伊予いよこく警固けいご使たちばなどおじゅんともらえる。

平安へいあん時代じだい末期まっきには平清盛たいらのきよもり瀬戸内せとうち航路こうろ整備せいびし、音戸おんど瀬戸せと開削かいさく事業じぎょうおこなったり、厳島いつくしま神社じんじゃ整備せいびすすめたりした。

中世ちゅうせい

編集へんしゅう

鎌倉かまくら時代ときよから戦国せんごく時代じだいにかけては、伊予いよこく越智おち河野こうの沿海えんかい島嶼とうしょ武士ぶしたちが瀬戸内せとうち航路こうろ勢力せいりょくはじめた。河野こうの村上むらかみらは海賊かいぞく大将軍だいしょうぐん名乗なのって海賊かいぞくしゅ水軍すいぐん)を組織そしきし、瀬戸内せとうち航路こうろ制御せいぎょいた。戦国せんごく末期まっきにはゆたか政権せいけん三好みよし石山いしやま本願寺ほんがんじ毛利もうり長宗我部ちょうそかべなどとのこうそう舞台ぶたいともなった(だいいち木津川きづがわこうたたかだい木津川きづがわこうたたか四国しこくなど)。

近世きんせい

編集へんしゅう

豊臣とよとみ秀吉ひでよしによる海賊かいぞく停止ていしれい江戸えど時代じだいには水軍すいぐん勢力せいりょく排除はいじょされ、廻船かいせん商人しょうにんらによる西にしまわ航路こうろ一部いちぶ関門海峡かんもんかいきょう大坂おおさか)として、瀬戸内海せとないかい流通りゅうつう主役しゅやくつとめをたした。幕末ばくまつには、長崎ながさきこうはつ外国がいこくせん瀬戸内海せとないかい経由けいゆして横浜よこはまこう航海こうかいしていた[82]。1864ねん元治もとはる元年がんねん)には下関しものせき砲台ほうだい外国がいこくせん砲撃ほうげき事件じけんにより瀬戸内海せとないかい封鎖ふうさされ、これを原因げんいんとしてうませき戦争せんそう長州ちょうしゅうはん砲台ほうだいえいふつらんまい艦隊かんたいとのたたかい)がきている。

近代きんだい

編集へんしゅう

明治めいじ時代じだい以降いこう鉄道てつどう開通かいつうなどの本州ほんしゅう四国しこくない交通こうつうもう整備せいび本州ほんしゅう四国しこくあいだ瀬戸大橋せとおおはし開通かいつういたって、以前いぜんより交通こうつうとしての重要じゅうようせいうすれたが、大正たいしょう時代じだいには阪神はんしん別府べっぷあいだなどに観光かんこう航路こうろ開設かいせつされ、戦後せんご観光かんこうブームにもおおくのクルーズ客船きゃくせん往復おうふくにぎわいをせていた。その航路こうろ主役しゅやくフェリー移行いこうしたが、平成へいせいはいっても多数たすう定期ていき航路こうろ存続そんぞくしている。また、たまき瀬戸内せとうち文化ぶんかけんという観点かんてんから、瀬戸内海せとないかい文化ぶんか交流こうりゅうとしてとらえなおこころみもおこなわれている。

瀬戸内海せとないかい」という概念がいねん誕生たんじょう

編集へんしゅう

瀬戸内海せとないかいという概念がいねん誕生たんじょうしたのは、江戸えど時代じだい後期こうきとされる。それまでは和泉いずみなだ播磨灘はりまなだ備後灘びんごなだ安芸灘あきなだなど、よりせま海域かいいき概念がいねんつらなっているのみで、現在げんざい瀬戸内海せとないかい全域ぜんいき一体いったいのものとしてとらえる視点してん存在そんざいしていなかった。とはいうものの、江戸えど時代じだいの「瀬戸内せとうち」は現在げんざいでいう「瀬戸内海せとないかい」とはかならずしもかさなっていない。1813ねんかれた佐渡さわたり廻船かいせん商人しょうにん旅行りょこう海陸かいりく道順みちじゅんたち日記にっき』では尾道おのみち下関しものせきあいだを「瀬戸内せとうち」とんでいる。

瀬戸内海せとないかい概念がいねん今日きょうのようなものとして確立かくりつされる契機けいきとなったのは、明治めいじ欧米おうべいじんがこの海域かいいきを「The Inland Sea」とんだことによる。欧米おうべいじんがこのようにんだ海域かいいき日本人にっぽんじん地理ちり学者がくしゃたちが1872ねんごろから「瀬戸内海せとないかい」とやくしてび、これが明治めいじ時代じだい後半こうはんひろまっていったのである[注釈ちゅうしゃく 30]

日本人にっぽんじんによる最初さいしょのまとまった論考ろんこう小西こにしかずの『瀬戸内海せとないかいろん』(1911ねん)である。本論ほんろんなかで、小西こにし瀬戸内海せとないかいひとつのおおきなテーマとしてとらえることの必要ひつようせい指摘してきするとともに、瀬戸内海せとないかいしま積極せっきょくてき評価ひょうかした。また、小西こにしは「国立こくりつ公園こうえん」を日本にっぽんつくることの必要ひつようせいあわせて指摘してきし、のち帝国ていこく議会ぎかい国立こくりつ公園こうえん設置せっち建議けんぎした。この建議けんぎれて国立こくりつ公園こうえんほう制定せいていされたのは1931ねんで、1934ねん3月16にちだい1かい指定してい瀬戸内海せとないかい雲仙うんぜんげん雲仙うんぜん天草てんぐさ国立こくりつ公園こうえん)、霧島きりしまげん霧島きりしま錦江湾きんこうわん国立こくりつ公園こうえん)とともに日本にっぽんはつ国立こくりつ公園こうえん瀬戸内海せとないかい国立こくりつ公園こうえん」となった[83]

観光かんこう

編集へんしゅう
 
源平げんぺい合戦かっせん屏風びょうぶ赤間あかま神宮じんぐう所蔵しょぞう
 
牛窓うしまど
 
石鎚山いしづちさん
 
瀬戸内海せとないかい女王じょおうくれないまるげん・ロイヤルウイング)

歌枕うたまくら

編集へんしゅう

古代こだいから瀬戸内海せとないかい風光ふうこう明媚めいびうみとしてられ、沿岸えんがんには『万葉集まんようしゅう』『古今ここん和歌集わかしゅう』『しん古今ここん和歌集わかしゅう』などに登場とうじょうする歌枕うたまくら点在てんざいしている(住吉すみよし難波なんば須磨すま明石あかし高砂たかさご布引ぬのびき生田いくた

中世ちゅうせい日本にっぽん文学ぶんがく瀬戸内海せとないかい

編集へんしゅう

中世ちゅうせいになると『伊勢物語いせものがたり』『土佐とさ日記にっき』『源氏物語げんじものがたり』『山家やまがしゅう』などの文学ぶんがく作品さくひん瀬戸内海せとないかいげたことで、作中さくちゅう登場とうじょうする土地とち名所めいしょとなっていく。

寺社じしゃもう

編集へんしゅう

庶民しょみん観光かんこう旅行りょこう一般いっぱんした近世きんせいには、『平家ひらか物語ものがたり』『源平げんぺい盛衰せいすい』『太平たいへい』などに登場とうじょうする古戦場こせんじょう屋島やしま壇ノ浦だんのうら牛窓うしまど藤戸ふじとなど)が観光かんこう名所めいしょとして注目ちゅうもくされるようになる。また金比羅こんぴらみや石鎚山いしづちさん住吉すみよし大社たいしゃ厳島いつくしま神社じんじゃ宇佐うさ八幡宮はちまんぐうだい山祇やまずみ神社じんじゃなどへの参拝さんぱいさかんになる。瀬戸内海せとないかい各地かくち名所めいしょは『諸国しょこく名所めいしょひゃくけい』などの浮世絵うきよえにも頻出ひんしゅつする。さらに、こうした寺社じしゃもうでの旅行りょこうしゃおも顧客こきゃくとする観光かんこう産業さんぎょう旅籠はたご茶屋ちゃや土産物みやげものなど)が丸亀まるがめ多度津たどつ下津井しもつい宮島みやじまなどに成立せいりつし、繁栄はんえいせるようになった。

またこの時期じき朝鮮ちょうせん通信使つうしんし鞆のうらを「日東にっとうだいいち景勝けいしょう日本一にっぽんいち景色けしき)」ととなえた記録きろくのこされている。

近代きんだい観光かんこう目的もくてき

編集へんしゅう

19世紀せいきになると、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト瀬戸内海せとないかい風景ふうけい絶賛ぜっさんした。また明治めいじ時代じだいにはトーマス・クックユリシーズ・グラントなどの欧米おうべいじん来日らいにちし、近代きんだいてきな「観光かんこうのまなざし」[注釈ちゅうしゃく 31]によって瀬戸内海せとないかい再編さいへんしていった。すなわち近世きんせい以前いぜん瀬戸内海せとないかい観光かんこう文学ぶんがく作品さくひん媒介ばいかいとした「名所めいしょ訪問ほうもんや、由緒ゆいしょある神社じんじゃ仏閣ぶっかくへの参拝さんぱいという形式けいしきっていたのにたいし、欧米おうべいじん瀬戸内海せとないかい各地かくち当時とうじたりまえのようにられた風景ふうけい[注釈ちゅうしゃく 32]注目ちゅうもくし、これらに観光かんこう資源しげんとしての価値かちあたえていった。いいかえるならば、近代きんだいおとずれとともに、瀬戸内海せとないかい観光かんこうは「意味いみ」をもとめる観光かんこうから、「視覚しかく」による観光かんこうへと変質へんしつしていったのである[84]フェルディナント・フォン・リヒトホーフェン男爵だんしゃくは『ささえ旅行りょこう日記にっき』(1943ねん 昭和しょうわ18ねん)をのこしており、瀬戸内海せとないかいを“世界せかいなかでも特筆とくひつすべき、島々しまじま海洋かいようりなす壮観そうかんおおとう〉の世界せかいである”と賞賛しょうさんしており[85][86][87]、ここに辿たどりついたおおくの欧米おうべいじんは、おおとううみうつくしさや自然しぜんひとらしが融合ゆうごうしたおだやかな景観けいかん、そしてシークエンスけいふねからどうけい)に魅了みりょうされ、瀬戸内海せとないかい絶賛ぜっさんしている[88]

さらに1912ねん明治めいじ45ねん)5がつには、大阪おおさか商船しょうせん別府べっぷ温泉おんせん観光かんこう開発かいはつ目的もくてきとして阪神はんしん別府べっぷ航路こうろにドイツせい貨客船かきゃくせんべにまる」を就航しゅうこうさせ、純粋じゅんすい観光かんこう目的もくてきとした船旅ふなたび大人気おとなげとなった。1934ねん昭和しょうわ9ねん)には前述ぜんじゅつのように日本にっぽんはつ国立こくりつ公園こうえんひとつとなる。

また戦後せんごも、阪神はんしん別府べっぷ航路こうろいだ関西汽船かんさいきせんが、1960ねん昭和しょうわ35ねん)に「くれないまる」を就航しゅうこう、その3,000トンきゅうクルーズ客船きゃくせん最大さいだい6せき体制たいせいとなった別府べっぷ航路こうろ瀬戸内せとうち航路こうろ)は、阪神はんしん九州きゅうしゅうむす観光かんこう路線ろせんとしておおくの新婚しんこん旅行りょこうきゃく別府べっぷ温泉おんせんなどへとはこんだ。

バブル経済けいざいらん開発かいはつ

編集へんしゅう

1987ねんの「総合そうごう保養ほよう地域ちいき整備せいびほう制定せいていともな日本にっぽん列島れっとうのリゾート開発かいはつラッシュは瀬戸内海せとないかい例外れいがいとせず、沿岸えんがんにゴルフじょうやマリーナが次々つぎつぎ建設けんせつされた。しかし、こうしたらん開発かいはつは、瀬戸内海せとないかい歴史れきしてき景観けいかん破壊はかいするものでもあった。また、バブル崩壊ほうかいこうはこれらリゾート開発かいはつ中断ちゅうだんされ、開発かいはつ中途ちゅうと放棄ほうきされた土地とち発生はっせいした。

現在げんざい瀬戸内海せとないかい観光かんこう

編集へんしゅう

1996ねんには広島ひろしま原爆げんばくドーム廿日市はつかいち厳島いつくしま神社じんじゃユネスコ世界せかい遺産いさん登録とうろくされた。また1999ねん本四架橋ほんしかきょうすべ完成かんせいすると、尾道おのみち今治いまばりルートは「しまなみ海道かいどう」と名付なづけられ、観光かんこうルートとして注目ちゅうもくびるようになった。2016ねんには、瀬戸内海せとないかい地域ちいき観光かんこう経営けいえいおこなせとうち観光かんこう推進すいしん機構きこう発足ほっそくした。

産業さんぎょう

編集へんしゅう

古来こらいより海運かいうんさかんで沿岸えんがん地域ちいきおおきな港湾こうわんおお瀬戸内海せとないかいには重要じゅうよう航路こうろおおい。日本にっぽんそう面積めんせきの12%にあたる4まん7せんkm2におよぶ瀬戸内海せとないかい沿岸えんがん地域ちいきには日本にっぽんそう人口じんこうやく4ぶんの1の3せんまんにんんでおり、重工業じゅうこうぎょう石油せきゆ化学かがく産業さんぎょうなどがおお立地りっちしている。全国ぜんこくめる製造せいぞうひん出荷しゅっかがく鉄鋼てっこうぎょう46%、石油せきゆ化学かがく産業さんぎょう40%、化学かがく工業こうぎょう35%、パルプかみ産業さんぎょう30%と工業こうぎょうすすんでいる地域ちいきであるが、これらだい産業さんぎょうそう生産せいさんがくたいする比率ひりつ年々ねんねん減少げんしょうしている。比率ひりつがもっともたかかったのは1970ねんで42.6%であったが、2002ねんには25.4%までがった。農林のうりん水産すいさんぎょうなどだいいち産業さんぎょうは、1965ねんには7.4%であったが、2002ねんには0.8%となっている。比率ひりつ増加ぞうかしているのは、運輸うんゆ通信つうしんおろし小売こうり金融きんゆう保険ほけんごうサービスぎょうなどのだいさん産業さんぎょうで、1965ねんには52.6%であったが、2002ねんには73.8%となっている。人口じんこう密集みっしゅう産業さんぎょうおおさから古代こだいより海運かいうん発達はったつしていた。漁業ぎょぎょうさかんであったが、2000年代ねんだいは1980年代ねんだい比較ひかくして漁獲ぎょかくりょう重量じゅうりょう)はやく35%減少げんしょうした[89]

各地かくちおこなわれ、じょう干潟ひかた自然しぜん海岸かいがんなどの浅海あさみいき減少げんしょうしており、閉鎖へいさ水域すいいきであるため下水道げすいどうあぶら流出りゅうしゅつ事故じこなどの影響えいきょう赤潮あかしお発生はっせいなど水質すいしつ汚染おせん憂慮ゆうりょされている[89]

瀬戸内海せとないかい重要じゅうよう水路すいろとして海運かいうん漁業ぎょぎょうおおくの船舶せんぱく運行うんこうしており、近年きんねんはレジャーボートのかずし、おおとうせま水域すいいきでは海難かいなん事故じこ多発たはつしている[90]

漁業ぎょぎょう

編集へんしゅう

江戸えど以前いぜん漁業ぎょぎょう

編集へんしゅう
 
一本釣いっぽんづりょうさかえた沖家室島おきかむろじま

瀬戸内海せとないかい縄文じょうもん時代じだいから今日きょういたるまで、多様たよう漁業ぎょぎょうとなってきた。弥生やよい時代じだいにはすでタコツボによるタコりょうおこなわれていたことも、出土しゅつどぶつによってあきらかになっている。

江戸えど時代じだいには肥料ひりょうもちいるイワシ地引じびあみふねもうりょうさかんとなった。またイカアナゴキスエビナマコなどをねら手繰たぐもうりょう現在げんざい鞆のうらおこなわれているたいもうりょう帆走はんそうしながらあみ打瀬うたせもうりょうなど、様々さまざまあみりょうおこなわれていた。これらの漁法ぎょほう瀬戸内海せとないかいにとどまらず、房総半島ぼうそうはんとうなどにも伝播でんぱした。また瀬戸内海せとないかい内部ないぶでも、紀州きしゅう考案こうあんされたイワシのふねもう漁法ぎょほう真鍋島まなべしま宇和島うわじま安芸あき草津くさつなど各地かくち伝播でんぱしたことがられている。

大物おおものねら一本釣いっぽんづりょう江戸えど時代じだい発達はったつした漁法ぎょほうである。これはおも潮流ちょうりゅうはや瀬戸せと中心ちゅうしんおこなわれた漁法ぎょほうで、たいハマチカレイサワラなどを対象たいしょうとした。一本釣いっぽんづりの発達はったつうながしたのは、中国ちゅうごくから輸入ゆにゅうされるようになった天然てんねんテグス存在そんざいである。これを最初さいしょ一本釣いっぽんづりょうもちいたのは、現在げんざい鳴門なるとにある堂浦どううら漁民ぎょみんであったが、この漁法ぎょほうが17世紀せいき後半こうはん現在げんざい周防すおう大島おおしままちにある沖家室島おきかむろじま伝播でんぱし、沖家室島おきかむろじま瀬戸内海せとないかい有数ゆうすう一本釣いっぽんづりょう基地きちとしてさかえた。現在げんざい大物おおものようばり基本きほんてきなデザインである「かむろはり」は沖家室島おきかむろじま考案こうあんされたものである。その佐賀さがせき音戸おんど三津みつづはま牛窓うしまど雑賀崎さいかざきなどが一本釣いっぽんづりょう有名ゆうめい漁村ぎょそんである。

こうしてられた高級こうきゅうぎょ船内せんないれたまま大坂おおさかまではこばれ、高値たかね売却ばいきゃくされた。祇園祭ぎおんまつりころしゅんむかえるハモにしてきょうまではこばれた。広島ひろしまのカキ江戸えど時代じだいには関西かんさいひろ流通りゅうつうしていた。

瀬戸内海せとないかい漁民ぎょみん国外こくがい出漁しゅつぎょ

編集へんしゅう

明治維新めいじいしんには、瀬戸内海せとないかい漁民ぎょみんたちが漁場ぎょじょうもとめて日本にっぽん国外こくがい出漁しゅつぎょする事例じれいえていった。山口やまぐちけん広島ひろしまけん一本釣いっぽんづ漁師りょうしたちは台湾たいわんハワイなどにわたり、打瀬うたせもう使つか漁民ぎょみんフィリピン出漁しゅつぎょした。森本もりもとたかし沖家室島おきかむろじま漁民ぎょみんがハワイの漁業ぎょぎょう屋台骨やたいぼねになった状況じょうきょうあきらかにしている[91]。また日本にっぽん国内こくないでも、周防すおう大島おおしま漁民ぎょみん対馬つしま集落しゅうらく建設けんせつして移住いじゅうした事例じれい宮本みやもと常一つねいちによって報告ほうこくされている[92]

いえせん

編集へんしゅう

瀬戸内海せとないかいは、20世紀せいき後半こうはんまでいえせん(えぶね)にった漁民ぎょみん活動かつどうしていたことでもられている。いえせんとは木造もくぞう小型こがた漁船ぎょせん簡易かんい屋根やね装備そうびし、布団ふとん炊事すいじ道具どうぐなど生活せいかつ用具ようぐんだふねのことである[注釈ちゅうしゃく 33]瀬戸内海せとないかい漁民ぎょみんなかには、こうしたいえせん夫婦ふうふ単位たんいみ、生涯しょうがいうみうえらすものおおかった[93]かれらの出自しゅつじについては、豊臣とよとみ秀吉ひでよしによって解体かいたいされた村上むらかみ水軍すいぐん末裔まつえいなのではないかとのせつもある[94]

別府べっぷ温泉おんせんでは、ふね寝泊ねとまりしながら浜脇はまわき温泉おんせん別府べっぷ温泉おんせんかよ湯治とうじ習慣しゅうかんふるくからられ、戦後せんごしばらくまではつづいていた。はるには波止場はとば係留けいりゅうされるふねは100そうちかくにのぼり、湯治とうじぶねとよばれて季語きごにもなるほどの別府べっぷはる風物詩ふうぶつしとなっていた。

乱獲らんかく漁業ぎょぎょう資源しげん減少げんしょう

編集へんしゅう

だい世界せかい大戦たいせん瀬戸内海せとないかい漁獲ぎょかくりょう爆発ばくはつてき増加ぞうかし、ピークとなった1982ねんには昭和しょうわ初期しょきの4ばいにもたっした。しかしその環境かんきょう破壊はかい乱獲らんかくによって資源しげんりょう減少げんしょうし、イワシ、たい、サワラ、トラフグなどおもさかなしゅ資源しげんりょうは、回復かいふくにほどとお状況じょうきょうである。アサリなどで生育せいいく環境かんきょう破壊はかいされたため激減げきげんしており、ハマグリはほぼ絶滅ぜつめつとなっている。

カキ、ブリ、たいワカメ海苔のりなどは養殖ようしょくさかんにおこなわれている。広島ひろしまでのカキの養殖ようしょく室町むろまち時代ときよまでさかのぼる。

ブランドひん

編集へんしゅう

瀬戸内海せとないかいアジひとし青物あおもの回遊かいゆうしない「き」がおおいことでられ、とく佐賀さがせきがる「せきアジ」「せきサバ」が著名ちょめいである。そのかく沿岸えんがんたいだこかれいとく城下しろしたかれい)、はも河豚ふぐとく下関しものせき)など、全国ぜんこくてきなブランドひんとなっている品目ひんもくふく瀬戸内海せとないかいには存在そんざいしている。

農業のうぎょう

編集へんしゅう

段々畑だんだんばたけ

編集へんしゅう

瀬戸内海せとないかいかぶ離島りとう耕作こうさく可能かのう平地ひらちすくないことから、住民じゅうみんたちはやま開墾かいこんして段々畑だんだんばたけつくることがおおかった。しかしこうして開墾かいこんされた段々畑だんだんばたけ土壌どじょうせていることがおおかったため農民のうみんたちは下肥しもごえ海藻かいそう人力じんりきはこげて施肥せひし、土壌どじょう改良かいりょうしていった。一般いっぱんに、開墾かいこんしてからまともな作物さくもつ収穫しゅうかく出来できるようになるまでに10ねんかかるとされた。この段々畑だんだんばたけみかん栽培さいばいてきしており、とく愛媛えひめみかん著名ちょめいである。

出作しゅつさく

編集へんしゅう

島内とうないやますべ開墾かいこんくしたのちには、ちかくにあるしまわたってそこで開墾かいこんおこなうこともあった。こうしてべつしま農地のうちつことを「出作しゅつさく」「づくり「わたさく」などとんだ。農民のうみんたちは出作しゅつさくようちいさな木造もくぞうせんのうせん)をれ、それで農地のうちしままでしていた。

柑橘かんきつ栽培さいばい

編集へんしゅう

このようにして開墾かいこんされた段々畑だんだんばたけは、だい世界せかい大戦たいせんおおくが柑橘類かんきつるい栽培さいばい転用てんようされた。日照ひでりみずはけにすぐれた段々畑だんだんばたけは、糖度とうどたか柑橘かんきつ栽培さいばいにはてきしていた。しかし段々畑だんだんばたけでの農業のうぎょうには非常ひじょう手間てまがかかることから、近年きんねん耕作こうさく放棄ほうき増加ぞうかしつつある。

綿花めんか栽培さいばい

編集へんしゅう

瀬戸内海せとないかい沿岸えんがん気候きこう綿花めんか栽培さいばいにもいていたため江戸えどには各地かくち綿花めんか栽培さいばいおこなわれた。とく綿花めんか栽培さいばいさかんだったのは河内かわうち地方ちほう播磨はりま地方ちほう岡山平野おかやまへいや福山ふくやま周辺しゅうへん広島ひろしま周辺しゅうへん観音寺かんのんじ周辺しゅうへんなどである。しかし明治めいじ海外かいがいさん良質りょうしつ綿めん輸入ゆにゅうされたことで、これらの地域ちいき綿花めんか栽培さいばい衰退すいたいした。

除虫菊じょちゅうぎく栽培さいばい

編集へんしゅう

18世紀せいきまつ日本にっぽん移入いにゅうされたシロバナムシヨケギク除虫菊じょちゅうぎく)は、20世紀せいきはいると広島ひろしまけんさかんに栽培さいばいされるようになり、島嶼とうしょふくめてだい世界せかい大戦たいせんまで除虫菊じょちゅうぎく栽培さいばい農業のうぎょう中心ちゅうしんとなった。

製塩せいえんぎょう

編集へんしゅう

瀬戸内海せとないかい沿岸えんがん少雨しょうう温暖おんだん気候きこうかし、古代こだいより製塩せいえんさかんにいとなまれてきた。弥生やよい時代じだいには吉備きび地方ちほう土器どき海水かいすいれて煮詰につめる製塩せいえんはじまり、奈良ならには砂浜すなはま使つかう「塩尻しおじりほう」へと移行いこうする。中世ちゅうせいにはげた海水かいすい砂浜すなはまいて水分すいぶん蒸発じょうはつさせたうえで煮詰につめるあげはましき塩田しおだ移行いこうさら17世紀せいき前半ぜんはんには姫路ひめじはん潮汐ちょうせき利用りようしたにゅうはましき塩田えんでん考案こうあんされ、瀬戸内海せとないかい製塩せいえん中心ちゅうしんとなる。この時期じき瀬戸内海せとないかいさんしおを「じゅうしゅうしお」ともんだ。これは播磨はりまこく備前びぜんこく備中びっちゅうこく備後びんごこく安芸あきこく周防すおうこく長門ながとこく阿波あわこく讃岐さぬきこく伊予いよこくの10こく生産せいさんされたしおという意味いみである。

瀬戸内せとうち気候きこうかした製塩せいえんぎょうだったが、天候てんこう気候きこう左右さゆうされないイオン交換こうかんまく製塩せいえんほう開発かいはつにより、1972ねん一時いちじすべ途絶とだえた。しかし2002ねんしお販売はんばい完全かんぜん自由じゆうされると、仙酔島せんすいじまなどで小規模しょうきぼながら製塩せいえんぎょう復活ふっかつした。

製塩せいえんぎょう白砂青松はくさせいしょう

編集へんしゅう

製塩せいえんぎょう大量たいりょう燃料ねんりょう消費しょうひする産業さんぎょうである。瀬戸内海せとないかい沿岸えんがん製塩せいえんさかんであったため、燃料ねんりょうとしての木材もくざい供給きょうきゅうした里山さとやま乱伐らんばつにより次々つぎつぎはげやまなっていった(くわしくは「里山さとやま」を参照さんしょう)。瀬戸内海せとないかい白砂青松はくさせいしょうおおかった理由りゆうひとつとして、こうしてはげやまとなった里山さとやまから花崗岩かこうがん浸食しんしょくにより流出りゅうしゅつし、かわ流下りゅうかして瀬戸内海せとないかいはいり「白砂はくしゃ」となったという指摘してきがある[よう出典しゅってん]

工業こうぎょう

編集へんしゅう

太平洋たいへいようベルト工業こうぎょう地域ちいき一角いっかくにな瀬戸内せとうち工業こうぎょう地域ちいき形成けいせいし、ぜん工業こうぎょう地域ちいきそう出荷しゅっかがくのおよそ9%をめる。西部せいぶ北九州きたきゅうしゅう工業こうぎょう地帯ちたい形成けいせいし、東部とうぶさんだい工業こうぎょう地帯ちたいひとつである阪神はんしん工業こうぎょう地帯ちたい形成けいせいしている。

またうみなか離島りとうであることをかし、亜硫酸ありゅうさんガスによる煙害えんがい批判ひはんびていたどう精錬せいれんごう瀬戸内海せとないかい進出しんしゅつした。三菱みつびしマテリアル直島なおしま住友金属鉱山すみともきんぞくこうざん四阪島しさかじまなど。

環境かんきょう問題もんだい

編集へんしゅう

赤潮あかしお

編集へんしゅう

1970ねん昭和しょうわ45ねん)から1976ねん昭和しょうわ51ねん)にかけて赤潮あかしお発生はっせい件数けんすうやく80けんからやく300けん上昇じょうしょうした。工場こうじょう排水はいすい生活せいかつ排水はいすい汚染おせんされた瀬戸内海せとないかい一時いちじうみ」とばれ、1973ねんには『瀬戸内海せとないかい環境かんきょう保全ほぜん特別とくべつ措置そちほう』(瀬戸内せとうちほう)が制定せいていされた[95]。その徐々じょじょにではあるが減少げんしょう傾向けいこうにあるものの2002ねん平成へいせい14ねん)の発生はっせい件数けんすうやく100けん確認かくにんされている。同年どうねん発生はっせい海域かいいき大阪おおさかわん紀伊きい水道すいどう播磨灘はりまなだ淡路島あわじしま対岸たいがんいき燧灘ひうちなだ愛媛えひめ県域けんいき広島ひろしまわん防予諸島ほうよしょとう周防灘すおうなだとうである。赤潮あかしお発生はっせいともな養殖ようしょくのハマチ、たいガキのほか天然てんねん魚介ぎょかいるい漁業ぎょぎょう被害ひがいきている。

1992ねん平成へいせい4ねん)8がつ27にち環境庁かんきょうちょう告示こくじだい67ごうにより、海水かいすいちゅう窒素ちっそりん(リン)が海洋かいようプランクトンにたいして影響えいきょうあたえ、いちじるしく増殖ぞうしょくしょうずるおそれのある海域かいいきとして閉鎖へいさせい海域かいいきとして指定していされ、赤潮あかしおはじめとして2004ねん平成へいせい16ねん)と2005ねん平成へいせい17ねん)には発生はっせい原因げんいん不明ふめいにより底引そこびあみりょうなどの漁獲ぎょかく打撃だげきあたえている。

瀬戸内海せとないかい栄養えいようしお問題もんだい

編集へんしゅう

瀬戸内海せとないかい1960年代ねんだいから1970年代ねんだいにかけてとみ栄養えいようによる赤潮あかしお発生はっせいしており、1973ねん瀬戸内海せとないかい環境かんきょう保全ほぜん臨時りんじ措置そちほう制定せいていされ、2001ねんにはCODくわ窒素ちっそ、リンの総量そうりょう規制きせい導入どうにゅうされた。これにともな瀬戸内海せとないかい赤潮あかしお発生はっせい減少げんしょうするとともにうみ透明とうめいしてきた。その一方いっぽう養殖ようしょく海苔のりいろちが頻発ひんぱつ。プランクトンをえさとするイワシやイカナゴ、それらを捕食ほしょくするサワラなどの漁獲ぎょかくりょう低迷ていめいしている。これらの原因げんいんを「うみせた」こと、つまり栄養えいようしお過度かど減少げんしょう[95]、いわばとみ栄養えいようぎゃくの「ひん栄養えいよう」にもとめる研究けんきゅうしゃ存在そんざいする[注釈ちゅうしゃく 34]魚介ぎょかいるいえさとなる動物どうぶつプランクトンした基礎きそ生産せいさんにな藻類そうるい植物しょくぶつプランクトン窒素ちっそやリンが必要ひつようなためである。ただし反論はんろんとして、漁獲ぎょかくりょう減少げんしょう乱獲らんかくおも原因げんいんであるという意見いけんもある。瀬戸内海せとないかいへの栄養えいようしお減少げんしょうかい漁獲ぎょかくりょう減少げんしょう原因げんいんになっている干潟ひかた減少げんしょうは、ダム建設けんせつやコンクリートによる河川かせん整備せいびによる栄養えいようしお土砂どしゃ瀬戸内海せとないかいへの流出りゅうしゅつ減少げんしょう原因げんいんであるとも指摘してきされている[97]

2015ねん10月2にち瀬戸内海せとないかい環境かんきょう保全ほぜん特別とくべつ措置そちほう改正かいせい[98]され、同年どうねん2がつ瀬戸内海せとないかい環境かんきょう保全ほぜん基本きほん計画けいかく変更へんこう[99]され、従来じゅうらい瀬戸内海せとないかいの「水質すいしつ保全ほぜん」するかんがかたから「水質すいしつ保全ほぜん管理かんり地域ちいきせいぶしせいわせて水質すいしつ管理かんり)」するかんがかたあらため、干潟ひがたじょう再生さいせいおこなっていくなど瀬戸内海せとないかい環境かんきょう整備せいびすることで生物せいぶつ多様たようせい文化ぶんかてきに「ゆたかなうみさとかい[100])」へすべく調査ちょうさ研究けんきゅう対策たいさくおこなわれることになった。

2018ねん兵庫ひょうごけんけん環境かんきょう審議しんぎかいしょう委員いいんかいでは、窒素ちっそ濃度のうど下限かげん設定せっていするしん基準きじゅんあん提示ていじ窒素ちっそ濃度のうど低減ていげん目指めざしてきた行政ぎょうせい転換てんかんてんとなった。藤原ふじわらけんきの京都大学きょうとだいがく名誉めいよ教授きょうじゅ)は、(下限かげんとして提示ていじされる)窒素ちっそ濃度のうど0.2 mg/l以下いかはダイビングにてきするほどの透明とうめい瀬戸内海せとないかいでは海藻かいそうだけでなく、アサリやしょうさかななどにも影響えいきょうているとコメントしている[101]

兵庫ひょうごけんは2019ねん日本にっぽん水産すいさん資源しげん保護ほご協会きょうかい基準きじゅん参考さんこう窒素ちっそとリンの下限かげん設定せっていした条例じょうれい改正かいせいおこない、政府せいふ瀬戸内海せとないかい環境かんきょう保全ほぜん特別とくべつ措置そちほうの2021ねん改正かいせいで「きれいなうみ」から「ゆたかなうみ」へ政策せいさく目標もくひょう変更へんこうした[102]。ただ、瀬戸内海せとないかい流入りゅうにゅうする窒素ちっそやリンのりょうりくいきからの流入りゅうにゅうより太平洋たいへいようとの海水かいすい交換こうかん影響えいきょうおおきいとの見解けんかいもあるほか、赤潮あかしお再発さいはつ懸念けねんする地域ちいきもある[102]

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう

注釈ちゅうしゃく

編集へんしゅう
  1. ^ たとえば、2007ねん5がつ瀬戸内海せとないかい通過つうかしたハワイ航海こうかいカヌーホクレア」のクルーは、公式こうしき報告ほうこくなかつぎのように瀬戸内海せとないかい表現ひょうげんしている。「瀬戸内海せとないかい風景ふうけいはまるでゆめなかのようでした。やわらかくまるみをみどりおおわれたしまを、わたしたちは無数むすうとおぎました。島々しまじまつつむようになみっています。こんな航海こうかいをこそわたし夢見ゆめみていたのです。もちろんわたし福岡ふくおかたのしみましたが、このだい自然しぜん別格べっかくです。いや、今日きょうのこの航海こうかい感動かんどうは、たんなるだい自然しぜんという言葉ことばではいいあらわせないでしょう。」[4]
  2. ^ 面積めんせき 1まん9,700km2
  3. ^ 面積めんせき 2まん1,827km2
  4. ^ a b 北緯ほくい3352ふん55びょう東経とうけい1353ふん40びょう
  5. ^ a b 北緯ほくい3350ふん3びょう東経とうけい13444ふん58びょう
  6. ^ a b 北緯ほくい3320ふん35びょう東経とうけい13254びょう
  7. ^ a b 北緯ほくい3316ふん東経とうけい13154ふん8びょう
  8. ^ 北緯ほくい3357ふん2びょう東経とうけい13052ふん18びょう
  9. ^ 北緯ほくい3356ふん28びょう東経とうけい13051ふん2びょう
  10. ^ 近年きんねん伊勢湾いせわん大村湾おおむらわんなど、瀬戸内海せとないかい以外いがいにもスナメリの生息せいそくとしてられる諸々もろもろ海域かいいきほんしゅさい定着ていちゃく確認かくにんされてきている。
  11. ^ うみ哺乳類ほにゅうるい関連かんれんとしては南西諸島なんせいしょとうジュゴンほんれいふたつのみである。
  12. ^ 空港くうこうのターミナルが人工じんこう環礁かんしょうとして機能きのうしている[10]
  13. ^ くじらるいニホンアシカ
  14. ^ 外洋がいようせいとされることもおおいが沿岸えんがん棲息せいそくする事例じれいすくなくなく、ほんたね瀬戸内海せとないかい回遊かいゆうしていた可能かのうせいがあるとされる[25][26]
  15. ^ 瀬戸内海せとないかい各地かくち小規模しょうきぼ捕鯨ほげい会社かいしゃ設立せつりつされたこともあった[24]
  16. ^ 瀬戸内海せとないかい豊後水道ぶんごすいどう周辺しゅうへんには多数たすうくじらるい関連かんれんする記録きろく昔話むかしばなしくじらづかくじらのこされており[30]小規模しょうきぼ捕鯨ほげい基地きち複数ふくすう存在そんざいしたり、芸予諸島げいよしょとうには『まんが日本にっぽんむかしばなし』でも紹介しょうかいされた「くじらのお礼参れいまいり」という民話みんわ[31]豊後水道ぶんごすいどうには「くじらくらべ」とばれる、くじらるい海面かいめんでの繁殖はんしょく行動こうどう連想れんそうさせるはなしつたわっている。古記こきろくじょうでも大型おおがたナガスクジラおもわしきくじらるいが、わたぶねじょうから度々どど目撃もくげきされていたとされる[32]
  17. ^ 祝島いわいじま小野田おのだ沿岸えんがんなど。
  18. ^ 大鯨島おおくじらしまおよびしょう鯨島くじらじま
  19. ^ セミクジラコククジラナガスクジラ
  20. ^ 臼杵きゅうしょにはシロナガスクジラおもわしい漂着ひょうちゃく記録きろく存在そんざい[35]日本にっぽん国内こくない近代きんだいはつホッキョククジラの迷入れい大阪おおさかわんにて発生はっせいしている。ツノシマクジラ新種しんしゅとして認定にんていされたのは瀬戸内海せとないかい水域すいいきからほどちか角島かどじまにてであるだけでなく、新種しんしゅとして認定にんていされる1ねんまえの2002ねんには香川かがわけん粟島あわしま座礁ざしょうしている[36]。また、通常つうじょう深海しんかいせいであるマッコウクジラ確認かくにんとく東西とうざい両方りょうほう太平洋たいへいようにつながる海峡かいきょう内部ないぶにてある。
  21. ^ 豊後水道ぶんごすいどうには現在げんざいすくなくともハンドウイルカミナミハンドウイルカハセイルカの3種類しゅるいぶしてきまたは年間ねんかんとおして定住ていじゅうしているとかんがえられており、各々おのおの時節じせつ瀬戸内海せとないかいでも確認かくにんされている[40]
  22. ^ 2002ねん確認かくにん産卵さんらんとの情報じょうほうがあるが、これまで日本にっぽん唯一ゆいいつ産卵さんらん確認かくにんれい奄美あまみ大島おおしまのみである[53]
  23. ^ バショウカジキ[29]カジキマグロ[58]など。
  24. ^ ホオジロザメ[59][60]アオザメイタチザメシュモクザメクロトガリザメヨシキリザメニタリなど[61][62]
  25. ^ ホシエイマダラトビエイなど[63]
  26. ^ 周防灘すおうなだ伊予灘いよなだ境目さかいめ位置いちしている[33][24]
  27. ^ ふね手前てまえふたつの小島こじま[24]岡山おかやまけん玉野たまの無人島むじんとうの「くじらとう」とはことなる。
  28. ^ 所属しょぞく尾道おのみち[66]
  29. ^ 岡山おかやまけん水島みずしまこう拠点きょてんとする、JFEスチール西日本にしにほん製鉄せいてつしょ倉敷くらしき地区ちく生産せいさんされるスチールコイル製品せいひん輸送ゆそう使つかわれているために、あたらしく導入どうにゅうされた直後ちょくご鉄道てつどうよう12フィートかた、5トンコンテナ2008ねん5月11にち倉敷くらしき東水島ひがしみずしまえきにて。
  30. ^ ただし、この時期じきの「瀬戸内海せとないかい」は明石海峡あかしかいきょうから関門海峡かんもんかいきょうまでの海域かいいきしていることがおおく、現在げんざいのようなよりひろ海域かいいきに「瀬戸内海せとないかい」の概念がいねん拡張かくちょうされるには、さらに時間じかんようした。
  31. ^ この概念がいねんについてはジョン・アーリ参照さんしょう
  32. ^ おおとううみ段々畑だんだんばたけ白砂青松はくさせいしょう和船わせんなど。
  33. ^ 同種どうしゅふねはフィリピンやインドネシアでもられる。
  34. ^ 兵庫ひょうご県立けんりつ農林のうりん水産すいさん技術ぎじゅつ総合そうごうセンター・水産すいさん技術ぎじゅつセンターの反田そりたじつ所長しょちょう実際じっさい瀬戸内海せとないかいの「ひん栄養えいよう」に言及げんきゅうしている[96]

出典しゅってん

編集へんしゅう
  1. ^ a b c 瀬戸内海せとないかい概況がいきょう 環境省かんきょうしょう(2020ねん8がつ23にち閲覧えつらん
  2. ^ 瀬戸内海せとないかい国立こくりつ公園こうえん 環境省かんきょうしょう(2020ねん8がつ23にち閲覧えつらん
  3. ^ 瀬戸内せとうち かいみち構想こうそう目次もくじおよ構想こうそう理念りねん (PDF) 広島ひろしまけん、2011ねん
  4. ^ ホクレアごう航海こうかいブログ「5がつ20日はつか祝島いわいしま大島おおしま>」
  5. ^ 西田にしだ正憲まさのり近代きんだい欧米おうべいじんによる瀬戸内海せとないかい風景ふうけい賞賛しょうさん」『ランドスケープ研究けんきゅう』1995ねん 59かん 4ごう p.298-309, doi:10.5632/jila.59.298
  6. ^ 瀬戸内海せとないかい概況がいきょう”. せとうちネット. 環境省かんきょうしょう. 2024ねん4がつ18にち閲覧えつらん
  7. ^ Limits of Oceans and Seas (3 ed.). International Hydrographic Organization. (1953). p. 23. http://www.iho-ohi.net/iho_pubs/standard/S-23/S23_1953.pdf 25 February 2015閲覧えつらん 
  8. ^ Limites des Océans et des Mers (3 ed.). Organisation hydrographique internationale. (1953). p. 32. http://www.iho.int/iho_pubs/standard/S-23/S-23_Ed3_1953_FR.pdf 25 February 2015閲覧えつらん 
  9. ^ だい いのちの ふるさと - 14.ナメクジウオ再生さいせい うみすな禁止きんし息吹いぶがえ”. 『四国しこく新聞しんぶん』 (1999ねん). 2015ねん1がつ13にち閲覧えつらん
  10. ^ 関空かんくうおきにスナメリの楽園らくえん 禁漁きんぎょでエサ豊富ほうふ、「奇跡きせきてき」”. 朝日新聞あさひしんぶんデジタル. (2012ねん). https://www.asahi.com/eco/news/OSK201209050063.html 2015ねん1がつ13にち閲覧えつらん 
  11. ^ 牛窓うしまどのスナメリを見守みまもかい”. 2015ねん1がつ13にち閲覧えつらん
  12. ^ エコツアーサイト 防予諸島ほうよしょとう
  13. ^ スナメリにえるかも!?かくれデートスポット『三軒屋さんげんや海岸かいがん
  14. ^ スナメリ・ウォッチング”. わたぶね・ニュー大漁たいりょうまる. 2015ねん1がつ13にち閲覧えつらん
  15. ^ 岩城島いわぎしま生名島いきなじま赤穂根島あかほねじま津波島つばじまじょう - 瀬戸内海せとないかいから、うしなわれつつあるアマモじょう”. 岩城いわき生名いきな漁協ぎょきょう. 2015ねん1がつ14にち閲覧えつらん
  16. ^ 原田はらだゆう (2015ねん). 新種しんしゅカタツムリ:「アキラマイマイ」瀬戸内海せとないかい発見はっけん. 『毎日新聞まいにちしんぶん. http://mainichi.jp/select/news/20150115k0000m040182000c.html 2015ねん1がつ28にち閲覧えつらん 
  17. ^ 高島たかしま美登里みどり (2010ねん2がつ14にち). “危機ききひんする長島ながしま自然しぜん”. ラムサール・ネットワーク日本にっぽん. 2024ねん1がつ4にち閲覧えつらん
  18. ^ 瀬尾せお友樹ともき、Jean TANANGONAN「調査ちょうさ〉2009-2013ねんにおける香川かがわけん沿岸えんがん海産かいさん貝類かいるいしょうについて」『近畿大学きんきだいがく農学部のうがくぶ紀要きようだい47かん近畿大学きんきだいがく農学部のうがくぶ、2014ねん3がつ、87-124ぺーじCRID 1050282677527210368 
  19. ^ 福田ふくだひろし (2000ねん3がつ31にち). “山口やまぐちけん長島ながしまから発見はっけんされた新種しんしゅナガシマツボ(はらあしもう:吸腔:ワカウラツボ)の解剖かいぼう類縁るいえん”. J-GLOBAL. 貝類かいるいがく雑誌ざっし, 59ごう. pp. 1. 2024ねん1がつ4にち閲覧えつらん
  20. ^ エタジマホンヤドカリ
  21. ^ エコツアーサイト 防予諸島ほうよしょとう
  22. ^ a b ナミを東西とうざいつらぬ地下街ちかがい ~「なんばウォーク」をあるく~”. ミナミまちそだてネットワーク事務じむきょく. ミナミまちある (2010ねん12がつ). 2023ねん12月19にち閲覧えつらん
  23. ^ 宇仁義和よしかず (2004ねん). “西部せいぶけいぐんコククジラ Eschrictius robustus の記録きろく集成しゅうせい通過つうか海峡かいきょう”. 宇仁自然しぜん歴史れきし研究所けんきゅうじょ, 東京農業大学とうきょうのうぎょうだいがく生物せいぶつ産業さんぎょう学部がくぶ. 2015ねん1がつ13にち閲覧えつらん
  24. ^ a b c d e f 村上むらかみはれきよし, 今川いまがわ了俊りょうしゅん紀行きこうぶんみちゆきぶり』にみる鯨島くじらじま(PDF), 立命館大学りつめいかんだいがく
  25. ^ a b c 石川いしかわはじめ, 渡邉わたなべ俊輝としてる (2014ねん). “山口やまぐちけんくじらるい目録もくろく”. 下関しものせきくじらるい研究けんきゅうしつ報告ほうこく No.2. pp. 1-14. 2023ねん12月19にち閲覧えつらん
  26. ^ 瀬戸内海せとないかいでクジラを発見はっけん体長たいちょうやく15m…香川かがわ小豆島あずしまおき海上かいじょう保安ほあん撮影さつえい”. 瀬戸内海放送せとないかいほうそう (2018ねん12月11にち). 2023ねん12月19にち閲覧えつらん
  27. ^ a b 伊藤いとうとおる井上いのうえたかひさし中村なかむら一恵かずえ自由じゆう集会しゅうかい報告ほうこく日本にっぽん哺乳類ほにゅうるい学会がっかい1995年度ねんど大会たいかい自由じゆう集会しゅうかい報告ほうこく),1995年度ねんどニホンアシカ談話だんわかい」『哺乳類ほにゅうるい科学かがくだい35かんだい2ごう日本にっぽん哺乳類ほにゅうるい学会がっかい、1996ねん、pp.176-179、doi:10.11238/mammalianscience.35.1762019ねん6がつ5にち閲覧えつらん 
  28. ^ 瀬戸内せとうち魚類ぎょるい目録もくろく”. 公益社こうえきしゃだん法人ほうじん瀬戸内海せとないかい環境かんきょう保全ほぜん協会きょうかい. 2015ねん1がつ13にち閲覧えつらん
  29. ^ a b 播磨灘はりまなだはつ バショウカジキが水揚みずあ
  30. ^ a b クジラのはか”. 佐伯さいき観光かんこうナビ. 2023ねん12月21にち閲覧えつらん
  31. ^ くじらのおれいまいり”. いちろくかい (2008ねん). 2015ねん1がつ12にち閲覧えつらん
  32. ^ a b c 宮脇みやわき 和人かずとくじらづかからみえてくる日本人にっぽんじんしん豊後水道ぶんごすいどう海域かいいきくじら記憶きおくをたどって』
  33. ^ a b c 大村おおむら秀雄ひでお (1982-07). “市川いちかわくじら”. くじらけん通信つうしん (だい345ごう): 24. 
  34. ^ a b 連鎖れんさ崩壊ほうかいだい3 いのちのふるさと - 2.クジラがいた(なか)”. 『四国しこく新聞しんぶん』 (1999ねん). 2015ねん6がつ23にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2023ねん12月19にち閲覧えつらん
  35. ^ はく登録とうろくID 18”. 国立こくりつ科学かがく博物館はくぶつかん. 2023ねん12月19にち閲覧えつらん
  36. ^ はく登録とうろくID: 3268”. 国立こくりつ科学かがく博物館はくぶつかん. 2024ねん1がつ10日とおか閲覧えつらん
  37. ^ 情報じょうほう 2001.6.8 ワシャー、ビックラコイタガァー、、、クジラ目撃もくげきあいつぐ”. 岩城いわきむら役場やくば産業さんぎょう振興しんこう (2001ねん). 2015ねん1がつ12にち閲覧えつらん
  38. ^ いちろくかいメンバーの近況きんきょう/激写げきしゃ”. 岩城いわきむら役場やくば産業さんぎょう振興しんこう (2001ねん). 2015ねん1がつ12にち閲覧えつらん
  39. ^ 山田やまだ かく: “愛媛えひめけん宇和島うわじまおきたね不明ふめいヒゲクジラの目撃もくげき”. 国立こくりつ科学かがく博物館はくぶつかん. p. うみ哺乳類ほにゅうるい情報じょうほうデータベース (2005ねん). 2015ねん1がつ12にち閲覧えつらん
  40. ^ 豊後水道ぶんごすいどうかつらまる. “イルカの回遊かいゆう情報じょうほう”. 2023ねん12月21にち閲覧えつらん
  41. ^ 壇ノ浦だんのうらたたかいはイルカが勝敗しょうはいけたって本当ほんとう
  42. ^ a b スマスイいきもの History - シャチ(骨格こっかく標本ひょうほん
  43. ^ シャチ騒動そうどう”. 大阪おおさかECO動物どうぶつ海洋かいよう専門せんもん学校がっこう (2011ねん). 2015ねん1がつ9にち閲覧えつらん
  44. ^ ストランディング・データベース(1901-2012)、兵庫ひょうごけん”. 下関しものせきくじらるい研究けんきゅうしつ (2014ねん). 2015ねん1がつ9にち閲覧えつらん
  45. ^ 人魚にんぎょ伝説でんせつ 歴史れきし探検たんけんたい江戸えど中期ちゅうき鳴門なると記録きろく”. ふるさと歴史れきし探検たんけんたい. 『徳島とくしま新聞しんぶん』 (2010ねん1がつ18にち). 2015ねん1がつ13にち閲覧えつらん
  46. ^ 日本にっぽんニュース せん後編こうへんだい117ごう チャプター (6) 淀川よどがわにアシカげんる <話題わだい>(1948ねん(昭和しょうわ23ねん)4がつ6にち”. NHK 戦後せんご証言しょうげんアーカイブス (1948ねん). 2020ねん5がつ1にち閲覧えつらん
  47. ^ 岡山おかやまけん, 1 哺乳類ほにゅうるい, 29-54ぺーじ
  48. ^ 高島たかしま - 関崎せきざき海星かいせいかんへようこそ!
  49. ^ 石井いしい信夫しのぶ. “絶滅ぜつめつ危惧きぐしゅ情報じょうほう動物どうぶつ)- ニホンカワウソ(本州ほんしゅう以南いなん個体こたいぐん) -”. 一般いっぱん財団ざいだん法人ほうじん自然しぜん環境かんきょう研究けんきゅうセンター. 2015ねん1がつ13にち閲覧えつらん
  50. ^ 亀崎かめざき直樹なおき (2012). 大型おおがた海洋かいよう動物どうぶつからみた瀬戸内海せとないかい今後こんご (PDF). 中央ちゅうおう環境かんきょう審議しんぎかい瀬戸内海せとないかい部会ぶかい企画きかく専門せんもん委員いいんかい現地げんちヒアリング(東部とうぶ) 2012ねんがつ23にち (神戸こうべ市立しりつ須磨すま海浜かいひんすいぞくえん, 特定とくてい営利えいり活動かつどう法人ほうじん日本にっぽんウミガメ協議きょうぎかい, 東京大学とうきょうだいがく大学院だいがくいん農学のうがく生命せいめい科学かがく研究けんきゅう農学部のうがくぶ). http://www.env.go.jp/council/former2013/11seto/y111-hearing03b/mat03_3.pdf. 2015ねん1がつ13にち閲覧えつらん. 
  51. ^ 高松たかまつ浩志ひろし (2014ねん). 瀬戸内海せとないかいでウミガメ6ねんぶり産卵さんらん 兵庫ひょうご明石あかし確認かくにん. 朝日新聞あさひしんぶんデジタル. http://www.asahi.com/articles/ASG6K4QVJG6KPIHB01H.html 2015ねん1がつ13にち閲覧えつらん 
  52. ^ だい3 いのちの ふるさと - 15.ウミガメ回帰かいき 人工じんこう砂浜すなはま産卵さんらん”. 四国しこく新聞しんぶん (1999ねん). 2015ねん1がつ13にち閲覧えつらん
  53. ^ 恐竜きょうりゅう時代じだいのこり・オサガメが産卵さんらんする奄美あまみ海岸かいがん調査ちょうさ実施じっし”. 日本にっぽん自然しぜん保護ほご協会きょうかい (2017ねん7がつ14にち). 2023ねん12月19にち閲覧えつらん
  54. ^ 森谷もりたに香取かとり夫妻ふさい. “オサガメの基礎きそてき知識ちしき”. 特定とくてい営利えいり活動かつどう法人ほうじんカレッタいすみ, 自然しぜんまもはぐくむいすみ地域ちいき団体だんたい, 房総ぼうそう自然しぜん環境かんきょうをただすかい. 2004ねん11月18にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2015ねん1がつ13にち閲覧えつらん
  55. ^ (PDF) オサガメ. きょう丹後たんご. (2004). http://www.city.kyotango.lg.jp/cms/shisei/singikai/kekka/bunkazaihogo/documents/h170306.pdf. 2015ねん1がつ13にち閲覧えつらん. 
  56. ^ 活動かつどう報告ほうこく - 資料しりょう収集しゅうしゅう”. 愛媛えひめ総合そうごう科学かがく博物館はくぶつかん (2003ねん). 2015ねん1がつ13にち閲覧えつらん
  57. ^ 瀬戸内海せとないかい松山まつやまおきで70キロのクロマグロ
  58. ^ 御崎おんざき体長たいちょう3.2メートルのカジキマグロ
  59. ^ a b 瀬戸内海せとないかいにもいた… ホオジロザメ 山口やまぐち周防すおう大島おおしま付近ふきん捕獲ほかく 30ねんまえ騒動そうどう
  60. ^ ホホジロザメ
  61. ^ 横川よこかわひろし, 山口やまぐち敦子あつこ, 1997ねん, 瀬戸内海せとないかいからはつ記録きろくのサメるい2しゅ
  62. ^ 瀬戸内海せとないかいにサメ 香川かがわ与島よしまおき捕獲ほかく
  63. ^ 巨大きょだいホシエイ、山口やまぐちけん周防すおう大島おおしま周辺しゅうへん生息せいそくいきひろげる えさもとみなとへ、漁業ぎょぎょう被害ひがいも【動画どうが
  64. ^ 山口やまぐちけん瀬戸内せとうち海域かいいきにおける海洋かいよう生物せいぶつかんする特記とっきてき現象げんしょう(予報よほう)
  65. ^ “3000-year-old shark attack victim from Tsukumo shell-mound, Okayama, Japan” (英語えいご). Journal of Archaeological Science: Reports 38: 103065. (2021-08-01). doi:10.1016/j.jasrep.2021.103065. ISSN 2352-409X. https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S2352409X21002777. 
  66. ^ しまなみ今治いまばり管理かんりセンター (2016ねん7がつ20日はつか). “30ねんぶりに岩子島いわしじまおとずれました”. 本州ほんしゅう四国しこく連絡れんらく高速こうそく道路どうろ. 2024ねん1がつ1にち閲覧えつらん
  67. ^ 瀬戸内海せとないかいにはしまがいくつあるかな? 海上保安庁かいじょうほあんちょう(2020ねん8がつ23にち閲覧えつらん
  68. ^ a b 気象きしょう”. 瀬戸内海せとないかい環境かんきょう情報じょうほう. 環境省かんきょうしょう. 2024ねん6がつ10日とおか閲覧えつらん
  69. ^ a b 中国ちゅうごく地方ちほう天候てんこう”. 日本にっぽん気候きこう. 気象庁きしょうちょう. 2024ねん6がつ10日とおか閲覧えつらん
  70. ^ 日本にっぽん気候きこう百科ひゃっか 2018, p. 320「岡山おかやまけん気候きこうない記述きじゅつ著者ちょしゃ:大橋おおはしゆいふとし
  71. ^ 日本にっぽん気候きこう百科ひゃっか 2018, p. 329「広島ひろしまけん気候きこうない記述きじゅつ著者ちょしゃ:塚本つかもとおさむ
  72. ^ a b c 日本にっぽん気候きこう百科ひゃっか 2018, pp. 341–342「香川かがわけん気候きこうない記述きじゅつ著者ちょしゃ:寺尾てらおとおる
  73. ^ a b c 日本にっぽん気候きこう百科ひゃっか 2018, pp. 355–356「愛媛えひめけん気候きこうない記述きじゅつ著者ちょしゃ:森脇もりわきあきら
  74. ^ きり特性とくせい”. 備讃瀬戸せと安全あんぜん通航つうこうのために. だいろく管区かんく海上かいじょう保安ほあん本部ほんぶ高松たかまつ海上かいじょう保安ほあん、備讃瀬戸せと海上かいじょう交通こうつうセンター. 2024ねん6がつ10日とおか閲覧えつらん
  75. ^ 汽船きせん紫雲しうんまるせんだいさん宇高うこうまる衝突しょうとつ事件じけん”. 日本にっぽん重大じゅうだい海難かいなん. 国土こくど交通省こうつうしょう 海難かいなん審判しんぱんしょ. 2024ねん6がつ10日とおか閲覧えつらん
  76. ^ a b c d 西南せいなん日本にっぽん新生代しんせいだい研究けんきゅうグループ「西南せいなん日本にっぽん新生代しんせいだい(<特集とくしゅう>日本にっぽん列島れっとう構造こうぞう発達はったつ-とくにグリン・タフ時代じだい中心ちゅうしんとして(その1)-)」『地球ちきゅう科学かがくだい50-51かん、1960ねん、56-65ぺーじdoi:10.15080/agcjchikyukagaku.1960.50-51_56  
  77. ^ a b c d e 橋本はしもとじょうじゅ近畿きんき地方ちほうむかしむかし - 新生代しんせいだいしんだいさん以後いご自然しぜん - (<特集とくしゅう3>近畿きんき地方ちほうむかしむかし)」『地学ちがく教育きょういく科学かがく運動うんどうだい10かん、1981ねん、73-80ぺーじdoi:10.15080/chitoka.10.0_73  
  78. ^ 岡崎おかざき美彦よしひこ日本にっぽん中新ちゅうしん哺乳ほにゅう動物どうぶつぐん : 自然しぜん研究けんきゅうかい講演こうえん集録しゅうろくV」『植物しょくぶつ分類ぶんるい地理ちりだい29かんだい1-5ごう、1978ねん、138-144ぺーじdoi:10.18942/bunruichiri.KJ00001078294  
  79. ^ a b c みなみ健太郎けんたろう瀬戸内海せとないかいんだ交流こうりゅう記憶きおく」『埋蔵まいぞう文化財ぶんかざい調査ちょうさ研究けんきゅうセンターほうだい59ごう、2018ねん1がつ18にち 
  80. ^ 杉山すぎやま一雄かずお (2019ねん10がつ15にち). “平原へいげんからうみへ-瀬戸内海せとないかい形成けいせい”. 岡山おかやまけん古代こだい吉備きび文化財ぶんかざいセンター. 2021ねん8がつ17にち閲覧えつらん
  81. ^ たつみ好幸よしゆき ちょ瀬戸内海せとないかい」、地学ちがく団体だんたい研究けんきゅうかい へん地学ちがく事典じてん』2024ねん3がつ、782ぺーじISBN 978-4-582-11508-6 
  82. ^ アーネスト・サトウいち外交がいこうかん明治維新めいじいしん(うえ),A diplomat in Japan』坂田さかた精一せいいちやく岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ文庫ぶんこ)1990ねん、116ぺーじ
  83. ^ 瀬戸内海せとないかい事典じてんみなみしゃ、2007ねん
  84. ^ 西田にしだ正憲まさのり瀬戸内海せとないかい発見はっけん中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ、1999ねん
  85. ^ 外国がいこくじんによって発見はっけんされた “ 瀬戸内海せとないかい
  86. ^ 外国がいこく地理ちり学者がくしゃ賞賛しょうさんした瀬戸内海せとないかい P3
  87. ^ 瀬戸内海せとないかい 世界せかい宝石ほうせき
  88. ^ 世界せかい宝石ほうせき 東洋とうよう楽園らくえん 瀬戸内海せとないかい
  89. ^ a b 環境省かんきょうしょう・せとうちネット 瀬戸内海せとないかい概況がいきょう
  90. ^ 海上保安庁かいじょうほあんちょう 海難かいなん現況げんきょう対策たいさくについて(平成へいせい23年版ねんばん)」
  91. ^ 森本もりもとおきしつ瀬戸内海せとないかいつりりょうしま』みずのわ出版しゅっぱん、2006ねん
  92. ^ 宮本みやもと常一つねいちわすれられた日本人にっぽんじん岩波いわなみ文庫ぶんこ
  93. ^ 羽原はばら又吉またきち『漂海みん岩波書店いわなみしょてん、1963/2002ねん
  94. ^ 沖浦おきうら和光かずみつ瀬戸内せとうち民族みんぞく岩波書店いわなみしょてん、1998ねん
  95. ^ a b 瀬戸内海せとないかいうつくしさ」か「ゆたかさ」か毎日新聞まいにちしんぶん朝刊ちょうかん2020ねん7がつ21にち(くらしナビめん)2020ねん8がつ23にち閲覧えつらん
  96. ^ 瀬戸内海せとないかいみずきよくなりぎょまず?悲鳴ひめいげる漁師りょうし”. YOMIURI ONLINE. 読売新聞よみうりしんぶん (2012ねん8がつ26にち). 2012ねん8がつ27にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2024ねん6がつ1にち閲覧えつらん
  97. ^ 高木たかぎ秀蔵しゅうぞう河川かせんから沿岸えんがん海域かいいきへの栄養えいようしお供給きょうきゅうとノリの栄養えいようしお利用りようかんする研究けんきゅう」『岡山おかやますいけん報告ほうこく』29(2014ねん)pp.1-50
  98. ^ 瀬戸内海せとないかい環境かんきょう保全ほぜん特別とくべつ措置そちほう一部いちぶ改正かいせいする法律ほうりつについて”. 環境省かんきょうしょう. 2016ねん3がつ28にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2024ねん6がつ2にち閲覧えつらん
  99. ^ 瀬戸内海せとないかい環境かんきょう保全ほぜん基本きほん計画けいかく」の変更へんこう閣議かくぎ決定けっていについて(おらせ) 環境省かんきょうしょう
  100. ^ さとかいとは「人手ひとでくわわることにより生物せいぶつ生産せいさんせい生物せいぶつ多様たようせいたかくなった沿岸えんがん海域かいいき」のこととされる。さとかいとは? さとかいネット(環境省かんきょうしょう)。
  101. ^ 水質すいしつ改善かいぜんしすぎて不漁ふりょう 全国ぜんこくはつけん窒素ちっそ濃度のうど下限かげん”. 神戸こうべ新聞しんぶんNEXT (2019ねん6がつ3にち). 2019ねん6がつ3にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2019ねん6がつ4にち閲覧えつらん
  102. ^ a b みずきよければさかなすまず?うみ栄養えいよう排水はいすい規制きせいとぼしく」日本経済新聞にほんけいざいしんぶん朝刊ちょうかん2021ねん11月28にちサイエンスめん(2021ねん12月31にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

編集へんしゅう
  • 日下くさか博幸ひろゆきふじ文昭ふみあきほか へん日本にっぽん気候きこう百科ひゃっか丸善まるぜん出版しゅっぱん、2018ねん1がつISBN 978-4-621-30243-9 

関連かんれん項目こうもく

編集へんしゅう

外部がいぶリンク

編集へんしゅう

座標ざひょう: 北緯ほくい3410ふん 東経とうけい13320ふん / 北緯ほくい34.167 東経とうけい133.333 / 34.167; 133.333