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太田川 - Wikipedia

太田おおたがわ

広島ひろしまけんながれる河川かせん

太田おおたがわ(おおたがわ)は、広島ひろしまけんながれる一級いっきゅう河川かせん太田川おおたがわ水系すいけい本流ほんりゅうちゅう流域りゅういき環境省かんきょうしょう名水めいすいひゃくせん選定せんていされている[1]

太田おおたがわ
竜王りゅうおうきょうしん竜王りゅうおうきょう付近ふきん太田おおたがわ放水ほうすい
水系すいけい 一級いっきゅう水系すいけい 太田おおたがわ
種別しゅべつ 一級いっきゅう河川かせん
延長えんちょう 103 km
平均へいきん流量りゅうりょう -- m³/s
流域りゅういき面積めんせき 1,710 km²
水源すいげん 冠山かんざん広島ひろしまけん廿日市はつかいち
水源すいげん標高ひょうこう 1,339 m
河口かこう合流ごうりゅうさき 瀬戸内海せとないかい広島ひろしま
流域りゅういき 日本の旗 日本にっぽん 広島ひろしまけん

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名称めいしょう由来ゆらい 編集へんしゅう

もともとうえ流域りゅういきでは現在げんざい安芸あき太田おおたまち一帯いったい太田郷おおたごうばれていたことから「太田おおたがわ」とばれていたのにたいし、しも流域りゅういきでは佐東さとうぐん1664ねん沼田ぬまたぐん改称かいしょう)のから「佐東さとうがわ」とばれていた。その近世きんせいになってしだいに佐東さとうがわえ「太田おおたがわ」の統一とういつされていったという[2]

太田郷おおたごうの「おおた」のは、安芸あきこく最大さいだい沖積ちゅうせき平野へいやひろがっていたことで、おおきなつくられていたことからだとわれている[2]

地理ちり 編集へんしゅう

広島ひろしまけん廿日市はつかいち冠山かんざん源流げんりゅうとし、柴木しばきがわ筒賀つつががわ滝山川たきやまがわ水内川みのちがわとうわせる。可部かべ付近ふきんでは大毛おおけ寺川てらがわ(おおもじがわ)、三篠川みささがわ谷川たにがわ合流ごうりゅうする。高瀬たかせせき下流かりゅうきゅうりゅうであった古川ふるかわ分流ぶんりゅう合流ごうりゅうして広島ひろしまいたる。大半たいはん支流しりゅう河口かこう広島ひろしまデルタ)からみてきたから北西ほくせいみなもとつが、三篠川みささがわ北東ほくとうからながんでいる。市内しない太田おおたがわ放水ほうすいきゅう太田おおたがわ分流ぶんりゅう、そのきゅう太田おおたがわさら天満てんまがわ京橋きょうばしがわ元安川もとやすがわ猿猴えんこうかわ(えんこうがわ)に分流ぶんりゅう広島ひろしまデルタ形成けいせい瀬戸内海せとないかいそそぐ。上流じょうりゅう急峻きゅうしゅん地形ちけいであり、水力すいりょく発電はつでんしょおおい。滝山川たきやまがわ柴木しばき川上かわかみりゅう渓谷けいこく形成けいせいし、三段峡さんだんきょう滝山峡たきやまきょうとうがあり西にし中国山地ちゅうごくさんち国定こくてい公園こうえん指定していされている。中流ちゅうりゅう安芸あき太田おおたまち付近ふきん蛇行だこうおおく、可部かべ付近ふきんながれひがしからみなみえる。下流かりゅう中国地方ちゅうごくちほう最大さいだい都市としである広島ひろしまかかえ、流域りゅういきない人口じんこう中国ちゅうごく地方ちほう河川かせんではもっとおお[3][4][5][6][7]

流域りゅういき自治体じちたい 編集へんしゅう

太田川おおたがわ水系すいけい広島ひろしまけん西部せいぶ流域りゅういきとしており、廿日市はつかいち北部ほくぶ山県やまがたぐん安芸あき太田おおたまち北広島きたひろしままち本流ほんりゅうおよび支流しりゅうみなもとがあり、加計かけから可部かべにかけて合流ごうりゅう広島ひろしまへとながれている。いわゆる広島ひろしま都市としけんけん西部せいぶ)に相当そうとうする地域ちいきである[4]広島ひろしまけんほか地域ちいきである備北けんいきけん北東ほくとう)はごうかわ水域すいいきであり、備後びんごけんいきけん東部とうぶ)は沼田川ぬまたがわ芦田川あしたがわ高梁川たかはしがわ水系すいけいである。

広島ひろしまけん
廿日市はつかいち山県やまがたぐん安芸あき太田おおたまち山県やまがたぐん北広島きたひろしままち安芸あき高田たかだ東広島ひがしひろしま広島ひろしま安佐北あさきた佐伯さいき安佐南あさみなみ西にしちゅうひがしみなみ[4]

太田おおたがわ開発かいはつ 編集へんしゅう

デルタ拡大かくだい広島ひろしま発展はってん 編集へんしゅう

太田おおたがわしも流域りゅういき日本にっぽんでも有数ゆうすう三角州さんかくす地帯ちたい形成けいせいしており、上流じょうりゅうから流下りゅうかしてきた土砂どしゃ堆積たいせき広島ひろしま平野へいや形成けいせいしていった。中世ちゅうせい安芸あき太田おおたまちきゅう戸河内とがうちまち)をさかい上流じょうりゅう太田郷おおたごうちなんで「太田おおたがわ」、下流かりゅう佐東さとうぐんちなんで「佐東さとうがわ」と呼称こしょうしていた。その水運すいうん発達はったつ加計かけより舟運しゅううん航路こうろ整備せいびされ河川かせん統一とういつ呼称こしょう必要ひつようとなり、1792ねん寛政かんせい4ねん)に現在げんざいの「太田おおたがわ」に呼称こしょう統一とういつされた。

太田川おおたがわ流域りゅういき開発かいはつは、下流かりゅう干拓かんたく工事こうじよりはじまる。中国ちゅうごく7ヶ国かこく安芸あき備後びんご周防すおう長門ながと石見いわみ出雲いずも備中びっちゅう)を制圧せいあつした毛利もうり元就もとなり嫡孫ちゃくそん毛利もうり輝元てるもと鎌倉かまくら以来いらい毛利もうり代々だいだい本拠ほんきょであった吉田よしだぐん山城やましろ安芸あき高田たかだ)から佐東さとうぐんきょう太田川おおたがわ河口かこうしん城郭じょうかく築造ちくぞう本拠ほんきょとした。1589ねん天正てんしょう17ねん)より10ねんけて建設けんせつされた広島ひろしまじょう豊臣とよとみ秀吉ひでよしだい坂城さかき聚楽第じゅらくだい参考さんこう建設けんせつされた城郭じょうかくで、太田おおたがわ天然てんねんみずほりとした要塞ようさいであった。だが、土地とち低湿ていしつ地帯ちたいにあって普請ふしん奉行ぶぎょうである井田いだもときよし元就もとなり四男よつお)らは埋立うめたて工事こうじ苦心くしんしている。鍬入くわいしき現在げんざい起工式きこうしきたる)のころに「広島ひろしま」の地名ちめいさだまったとわれている[だれによって?]

広島ひろしまじょう完成かんせい翌年よくねん1600ねん慶長けいちょう5ねん)、関ヶ原せきがはらたたか勃発ぼっぱつした。大老たいろう一員いちいん西国さいこく旗頭はたがしらでもあった輝元てるもと奉行ぶぎょう石田いしだ三成みつなり要請ようせいだい坂城さかき入城にゅうじょう西にしぐんそう大将たいしょう徳川とくがわ家康いえやす敵対てきたいした。義兄弟ぎきょうだいちぎりをむすんでいたはず輝元てるもと敵対てきたいしたことにたいする家康いえやすいかりははげしく、ぜん領地りょうち没収ぼっしゅう考慮こうりょしたがひがしぐん内応ないおうした吉川よしかわひろ輝元てるもと従兄弟いとこ)の必死ひっし嘆願たんがんにより改易かいえきまぬかれた。だが周防すおう長門ながと2ヶ国かこくげんふうされ完成かんせいしたばかりの広島ひろしまじょうわた羽目はめおちいった。

毛利もうりのちには関ヶ原せきがはらひがしぐん先鋒せんぽうとして戦功せんこういちじるしかった福島ふくしま正則まさのり安芸あき備後びんご49まん8000せき太守たいしゅとしてにゅうふうした。正則せいそく太田川おおたがわ三角州さんかくす整備せいび干拓かんたく推進すいしんしたが、城下じょうか横断おうだんする城北しろきたがわ締切しめきり築堤ちくていおこな広島ひろしま城下じょうか整備せいび洪水こうずい対策たいさく実施じっししたが、1617ねん元和がんわ3ねん太田おおたがわ氾濫はんらん広島ひろしまじょう破損はそんした。城郭じょうかく無断むだん修築しゅうちく武家ぶけしょ法度はっと違反いはんたるため、正則せいそく本多ほんだ正純まさずみつうじて修築しゅうちくねがいすが幕府ばくふからの沙汰さたがなく、しびれをらした正則せいそく独断どくだん修築しゅうちく開始かいしした。これが幕府ばくふ忌諱ききれ、2だい将軍しょうぐん徳川とくがわ秀忠ひでただ信濃しなのだか井野いの4まんせきへの大幅おおはばげんてんふうめいじた。背景はいけいには外様とざま大名だいみょうたいする幕府ばくふ抑制よくせいさく格好かっこう標的ひょうてきとして、豊臣とよとみきわめて恩顧おんこじょうあつかった正則せいそくのぞため広島ひろしまじょう修築しゅうちく許可きょかさなかったともわれている[だれによって?]福島ふくしま改易かいえき紀伊きい和歌山わかやまより浅野あさの長晟ながあきらが42まんせきにゅうふうじ広島ひろしまはんおもとなった。以後いご浅野あさの幕末ばくまつまでこの支配しはいすることになる。

広島ひろしま藩政はんせいでの治水ちすい利水りすい 編集へんしゅう

広島ひろしまはん木綿もめんとう特産とくさんぶつゆうしていたが、てつ有力ゆうりょく特産とくさんぶつであった。太田川おおたがわ上流じょうりゅうすなてつ有力ゆうりょく生産せいさんで、鉄山てつざんやくだか1まん3せんせき[よう出典しゅってん]として藩政はんせい初期しょき貴重きちょう財源ざいげんであった。当時とうじ砂鉄さてつ採取さいしゅは「てつあな(かんな)ながし」とばれる古典こてんてき方式ほうしきであった。だがこの方式ほうしき下流かりゅう大量たいりょう土砂どしゃ排出はいしゅつするためうずたかすな進行しんこう水害すいがい遠因えんいんともなった[8][4]

広島ひろしまはん太田おおたがわ治水ちすいとく城下町じょうかまちからの洪水こうずい防御ぼうぎょには注力ちゅうりょくし「いしわく」・「みずせい」といった護岸ごがん工事こうじ元安川もとやすがわ沿岸えんがん建設けんせつした。とくきゅう太田おおたがわ本川ほんがわ)・京橋きょうばしがわ分流ぶんりゅうてん建設けんせつされた「一本木鼻いっぽんぎばなみずせい」はだい規模きぼなもので、現在げんざいでも保存ほぞんされている。また、デルタ地帯ちたい干拓かんたく新田にった開発かいはつ奨励しょうれいともなさらすすめられ、1785ねんとおる20ねん)には干拓かんたくともない671haの新田にった検地けんちおこなわれている。こうしたデルタ地帯ちたい開拓かいたく明治めいじまですすみ、太田おおたがわ元安川もとやすがわ京橋きょうばしがわ猿猴えんこうがわ天満てんまがわ山手やまてがわ福島ふくしまがわの7河川かせん形成けいせいされた。

こうした新田しんでん開発かいはつともな灌漑かんがい用水ようすい整備せいびおこなわれるようになった。やすきたぐん小田おだしょう庄屋しょうやであった丸子まるこ市郎いちろう兵衛ひょうえ太田川おおたがわから用水ようすい開鑿かいさくして安定あんていした水運すいうんよう計画けいかくした。その丸子まるこ市兵衛いちべえちち計画けいかく実行じっこううつ為藩ためはんちょう許可きょかねがいを申請しんせいしたが認可にんかりず、7ねん1655ねんあかりれき元年がんねん)より開鑿かいさくはじまった。口田くちたむらともちく瀬尻せじり山地さんちてんげん広島ひろしま安佐北あさきた)に高瀬たかせ井堰いせきもうけ、そこよりはば2m・全長ぜんちょう42kmにおよ用水路ようすいろ建設けんせつした。この小田おだじょう用水ようすいは3ねん歳月さいげつけて1657ねんあかりれき3ねん)に完成かんせい流域りゅういきうるおしたが市兵衛いちべえ覚悟かくごしながら事業じぎょうすすめ、ひろじゅう神社じんじゃ境内けいだいくびだな設置せっち事業じぎょう失敗しっぱいには自刎じふんしたくびせるようにめいじたという。

一方いっぽう1767ねんとおる3ねん)には西原いりばるむら庄屋しょうやである嘉兵衛かへえ用水路ようすいろ計画けいかくげ、よく1768ねんとおる4ねん)4がつより工事こうじ開始かいしした。この八木はちぼく用水ようすいじつに25日間にちかんというきわめて短時間たんじかん開鑿かいさくされたものである。現在げんざい施設しせつ改廃かいはいされた部分ぶぶんがあるものの、りょう用水路ようすいろとも現役げんえき供用きょうようされている。

明治めいじから昭和しょうわ初期しょきにかけての河川かせん事業じぎょう 編集へんしゅう

明治めいじ時代じだい以降いこう太田おおたがわ河川かせん開発かいはつであるが、明治めいじ時代じだい1898ねん明治めいじ31ねん)に太田おおたがわ水源すいげん広島ひろしま上水道じょうすいどう事業じぎょう開始かいしされ、日本にっぽんで5都市とし近代きんだい水道すいどう事業じぎょう施工しこうされた以外いがい目立めだった事業じぎょう施工しこうされなかったが、甚大じんだい被害ひがいもたらした水害すいがいきなかった。だが大正たいしょう時代じだいから昭和しょうわ時代じだい初頭しょとうにかけて1917ねん大正たいしょう8ねん)・1924ねん大正たいしょう13ねん)・1928ねん昭和しょうわ3ねん)・1934ねん昭和しょうわ9ねん)と太田おおたがわ氾濫はんらん洪水こうずいこし、河川かせん改修かいしゅう必要ひつようせい住民じゅうみんからさけばれるようになった[9]

1932ねん昭和しょうわ7ねん)に内務省ないむしょう太田おおたがわ河水こうすい改修かいしゅう事業じぎょう計画けいかく立案りつあん。このなか太田おおたがわ7河川かせんうち西側にしがわ山手やまてがわ福島ふくしまがわの2河川かせん利用りようした太田おおたがわ放水ほうすい開鑿かいさく計画けいかくされた。

だが治水ちすい事業じぎょうおりからの戦争せんそう激化げきかともな予算よさん縮小しゅくしょうされ、1944ねん昭和しょうわ19ねん)には放水ほうすい建設けんせつ中断ちゅうだんされた。このあいだ広島ひろしま1942ねん昭和しょうわ17ねん)の周防灘すおうなだ台風たいふうで1,159高潮こうちょう全壊ぜんかい1943ねん昭和しょうわ18ねん)には梅雨つゆ前線ぜんせん豪雨ごうう(6がつ)と台風たいふう26ごう(9がつ)が連続れんぞくして襲来しゅうらいとくに9月の台風たいふう過去かこ最高さいこう出水しゅっすい記録きろくし11,545浸水しんすいさら海岸かいがんでは高潮こうちょうにより船舶せんぱく沈没ちんぼつ流失りゅうしつが16,128せきという甚大じんだい被害ひがいあたえた。さら1945ねん昭和しょうわ20ねん)8がつ人類じんるい史上しじょう最悪さいあく戦争せんそう被害ひがい原爆げんばく投下とうかがありよく9がつには枕崎まくらざき台風たいふうおそ広島ひろしまけんうちだけで2,012にん死亡しぼうするひとし相次あいついで災害さいがい戦災せんさいおそ広島ひろしま壊滅かいめつひとしい被害ひがいけた。

日本にっぽんでは明治めいじはい発電はつでんしょつくられはじめ、明治めいじ20年代ねんだい(1888-1897)には各地かくち出力しゅつりょく5キロワットから750キロワットの水力すいりょく発電はつでんしょがつくられた[10][信頼しんらいせいよう検証けんしょう]広島ひろしまけんにおける水力すいりょく発電はつでんしょは1899ねん明治めいじ32ねん)の黒瀬川くろせがわこう発電はつでんしょ(750キロワット)がはつのものである。なお中国電力ちゅうごくでんりょく管内かんない稼働かどうちゅう最古さいこ発電はつでんしょは1907ねん明治めいじ40ねん)に発電はつでん開始かいしした八幡川やわたがわ河内かわうち発電はつでんしょ(200キロワット)である[11]

太田川おおたがわ水系すいけいにおける水力すいりょく発電はつでんは、1902ねん明治めいじ35ねん)に山県やまがたぐん加計かけまち支流しりゅう丁川ひのとがわ(よおろがわ)ではじまった水力すいりょく発電はつでん(5キロワット)がはじめてのもので、いで1912ねん明治めいじ45ねん)7がつ8にち[注釈ちゅうしゃく 1]には当時とうじとしてはだい規模きぼな(2,100キロワット)の亀山かめやま発電はつでんしょ昭和しょうわ48ねん廃止はいし)が竣工しゅんこうした[12]。1925ねん大正たいしょう14ねん)には出力しゅつりょく24,500キロワットのダム水路すいろしきあいだ野平のだい(まのひら)発電はつでんしょ竣工しゅんこうし、1935ねん昭和しょうわ10ねん)には滝山川たきやまがわおうはくダムが、1939ねん昭和しょうわ14ねん)には太田おおたがわ本川ほんかわ立岩たていわダム打梨うちなし発電はつでんしょ、23,600kW)が完成かんせいした。とく立岩たていわダムは戦前せんぜんでは7番目ばんめつつみだかたかいダムであり、太田川おおたがわ水系すいけい電源でんげん開発かいはつ広島ひろしま軍事ぐんじ都市としであったこともあり急速きゅうそくすすめられた。1944ねんまでに5ヶ所かしょ水力すいりょく発電はつでんしょ建設けんせつされた[13][信頼しんらいせいよう検証けんしょう]。1944ねん昭和しょうわ19ねん)のそう出力しゅつりょくは103,500キロワットで現在げんざい平成へいせい13ねん)のじゅん水力すいりょく発電はつでんの40%ほどであった[注釈ちゅうしゃく 2]

だい2世界せかい大戦たいせん以降いこう河川かせん事業じぎょう 編集へんしゅう

相次あいつ豪雨ごうう台風たいふう災害さいがい原爆げんばく投下とうかによって再起さいき不能ふのうかぎりなくちか打撃だげきけた広島ひろしまであったが、市民しみんくじけることなく再起さいきけてあゆみをはじめた。こうしたなか建設けんせつ中断ちゅうだんしていた太田おおたがわ放水ほうすい1946ねん昭和しょうわ21ねん)に建設けんせつ再開さいかいけた準備じゅんびはじめた。これには「太田おおたがわ治水ちすい期成きせい同盟どうめいかい」を結成けっせいした広島ひろしま市民しみんによる再開さいかい要望ようぼうがあったためである。だが、ただちに工事こうじ再開さいかいおこなわれたわけではかった。移転いてん余儀よぎなくされる広島ひろしま市民しみんなかには放水ほうすい建設けんせつ事業じぎょう反対はんたいする意見いけんもあったからである。

そもそも放水ほうすい建設けんせつ計画けいかくされた背景はいけいにはきゅう日本にっぽん陸軍りくぐん海軍かいぐん強力きょうりょく要望ようぼうもあった。ぐん影響えいきょうりょくきわめてつよかった戦前せんぜんでは用地ようち取得しゅとくもほぼ強制きょうせいてきおこなわれ、移転いてんたいする対価たいか補償ほしょう到底とうてい住民じゅうみん満足まんぞくするものではなく、ぐん強制きょうせいによる移転いてんには納得なっとくできないという理由りゆうから、建設けんせつ再開さいかい反対はんたいするうごきが活発かっぱつした。また、放水ほうすい建設けんせつよりも広島ひろしま全体ぜんたい復興ふっこう先決せんけつであるとの意見いけんもあり、建設けんせつたいする賛否さんぴ両論りょうろん渦巻うずま建設省けんせつしょうげん国土こくど交通省こうつうしょう中国ちゅうごく地方ちほう整備せいびきょく)による調停ちょうてい1951ねん昭和しょうわ26ねん)まで5ねんかった。だが結局けっきょく建設けんせつ再開さいかいき、開鑿かいさく再開さいかいされた。

1961ねん昭和しょうわ36ねん)からは放水ほうすい洪水こうずい調節ちょうせつ機能きのう左右さゆうするようとなる可動かどうせき建設けんせつ太田おおたがわ放水ほうすい分流ぶんりゅうてんはじまり、放水ほうすい起点きてんには祇園ぎおん水門すいもん太田おおたがわには大芝おおしば水門すいもん建設けんせつされた。こうした施設しせつ建設けんせつすすみ、1965ねん昭和しょうわ40ねんどおりすい成功せいこう周辺しゅうへん施設しせつ整備せいびふく事業じぎょう開始かいしから36ねん1967ねん昭和しょうわ42ねん)にすべ完成かんせいした。放水ほうすい完成かんせい以後いごいく豪雨ごうう流域りゅういきおそったが、広島ひろしま中心ちゅうしん水害すいがい被害ひがいをほとんどまぬかれており、現在げんざいでもその洪水こうずい調節ちょうせつ機能きのう遺憾いかんなく発揮はっきし100まん都市とし水害すいがいからまもっている。

水力すいりょく発電はつでんでは、戦後せんご復旧ふっきゅう電化でんか時代じだい到来とうらいとともに昭和しょうわ30年代ねんだいには54,500キロワットの滝山川たきやまがわ発電はつでんしょほか4ヶ所かしょ水力すいりょく発電はつでんしょ建設けんせつされ、昭和しょうわ51ねんには太田川おおたがわ水系すいけいでは最大さいだい620,000キロワットの南原なんばら発電はつでんしょ竣工しゅんこうした。2012ねん時点じてんで15ヶ所かしょ水力すいりょく発電はつでんしょ稼働かどうしており、そう出力しゅつりょくは875,800キロワットであり、これは中国ちゅうごく地方ちほう最大さいだい需要じゅよう電力でんりょくの7.3%に相当そうとうする[13][信頼しんらいせいよう検証けんしょう]広島ひろしまけんの2010ねんそう電力でんりょく需要じゅよう推計すいけいは27493メガkWhで[14]、875,800kWの出力しゅつりょくによる年間ねんかん供給きょうきゅう電力でんりょく理論りろん)は28%に相当そうとうする[注釈ちゅうしゃく 3]参考さんこうまでに島根原子力発電所しまねげんしりょくはつでんしょの2号機ごうきていかく出力しゅつりょくは820,000キロワット、計画けいかくちゅう上関かみのせき原子力げんしりょく発電はつでんしょの1原子げんしていかく出力しゅつりょくは1,373,000キロワットである。ただし出力しゅつりょく最大さいだいである620,000キロワットの南原なんばら発電はつでんしょ揚水ようすいしきであり、島根原子力発電所しまねげんしりょくはつでんしょ余剰よじょう電力でんりょく依存いぞんしている。

治水ちすい整備せいび進展しんてん下流かりゅうから上流じょうりゅうへ~ 編集へんしゅう

放水ほうすい完成かんせいにより放水ほうすい太田おおたがわ本川ほんかわとなり、きゅうりゅうきゅう太田おおたがわ呼称こしょう変更へんこうとなった。また7ほんあったデルタ地帯ちたい河川かせんも6ほん太田おおたがわ放水ほうすいきゅう太田おおたがわ元安川もとやすがわ天満てんまがわ京橋きょうばしがわ猿猴えんこうがわ)とった。1965ねん太田川おおたがわ水系すいけい一級いっきゅう水系すいけい指定していされ、河口かこうから21.5km地点ちてんまでの太田おおた川本かわもとがわきゅう太田おおたがわ元安川もとやすがわ天満てんまがわ建設省けんせつしょう直轄ちょっかつ管理かんり河川かせんとなった。

一方いっぽう海岸かいがん地帯ちたい高潮こうちょう対策たいさくであるが、周防灘すおうなだ台風たいふう(1942ねん)・台風たいふう26ごう(1943ねん)が戦前せんぜんでは最大さいだい高潮こうちょう被害ひがいあたえたが、戦後せんごルース台風たいふう洞爺とうやまる台風たいふうとう宇品うじなこうとう沿岸えんがん地帯ちたい高潮こうちょう被害ひがいけた。建設省けんせつしょう広島ひろしまけん広島ひろしまとう1959ねん昭和しょうわ34ねん)の伊勢湾いせわん台風たいふう低地ていち高潮こうちょう対策たいさく必要ひつようせいかんがみ、1969ねん昭和しょうわ44ねん)より「広島ひろしまわん高潮こうちょう対策たいさく事業じぎょう」を共同きょうどう着手ちゃくしゅした。高潮こうちょうつつみ河川かせん堤防ていぼう築堤ちくてい嵩上かさあげがおもなものであるが、太田おおたがわきゅう太田おおたがわ元安川もとやすがわ天満てんまがわ建設省けんせつしょう直轄ちょっかつ事業じぎょう京橋きょうばしがわ猿猴えんこうかわ広島ひろしまけん補助ほじょ事業じぎょうとしてそれぞれ実施じっしされた。この高潮こうちょう対策たいさく事業じぎょう現在げんざいでも進行しんこうちゅうである。

こうして下流かりゅう治水ちすい事業じぎょう整備せいび進行しんこうしたが、上流じょうりゅう治水ちすい整備せいび手付てつかずにちか状態じょうたいであった。このなか1972ねん昭和しょうわ47ねん)7がつ発生はっせいした梅雨つゆ前線ぜんせん豪雨ごうう昭和しょうわ47ねん7がつ豪雨ごうう)は上流じょうりゅう甚大じんだい被害ひがいあたえた。これを建設省けんせつしょう太田川おおたがわ本流ほんりゅう73.8km地点ちてん山県やまがたぐん安芸あき太田おおたまちきゅう山県やまがたぐん戸河内とがうちまち〕)と滝山川たきやまがわ太田おおたがわ合流ごうりゅうてんより4.9km上流じょうりゅう)までを直轄ちょっかつ管理かんり区間くかん拡大かくだい築堤ちくてい護岸ごがん整備せいびとう改修かいしゅう地点ちてん改良かいりょうする一方いっぽう1975ねん昭和しょうわ50ねん)に「太田川おおたがわ水系すいけい工事こうじ実施じっし基本きほん計画けいかく」を改訂かいていしこのなか従来じゅうらいまでは計画けいかくまれなかった多目的たもくてきダムによる洪水こうずい調節ちょうせつ事業じぎょうまれた。

こうして滝山川たきやまがわ上流じょうりゅう太田川おおたがわ水系すいけいはつ多目的たもくてきダムである温井ぬくいダム1977ねん昭和しょうわ52ねん)より計画けいかくされ、反対はんたい運動うんどうとう試練しれん地域ちいき住民じゅうみん納得なっとくけて2002ねん平成へいせい14ねん)3がつ完成かんせいした。ダムは観光かんこう拠点きょてんとしてにぎわう一方いっぽう2005ねん平成へいせい17ねん)の豪雨ごううにおいても放水ほうすいとうとの連携れんけいにより流域りゅういきでの水害すいがいふせいだ。

利水りすい発電はつでん分水嶺ぶんすいれいえて~ 編集へんしゅう

利水りすいかんしては、戦前せんぜん戦後せんごとおして広島ひろしま人口じんこう増加ぞうか一途いっと辿たどり、中国地方ちゅうごくちほう最大さいだい都市とし成長せいちょうした。だが、人口じんこう増加ぞうかみず需要じゅよう逼迫ひっぱくんだ。すで広島ひろしまは1898ねん明治めいじ31ねん)に近代きんだい水道すいどう事業じぎょう整備せいびませていたが、人口じんこう急増きゅうぞう整備せいび拡張かくちょうかなかった。これにくわ瀬戸内海せとないかい気候きこうであるがゆえ水不足みずぶそく頻発ひんぱつする地域ちいきでもあった。このために総合そうごうてきみず資源しげん施設しせつ整備せいびいそがれた。

建設省けんせつしょう広島ひろしまくれ竹原たけはらおよ島嶼とうしょ現在げんざい江田島えたじまひとし)への上水道じょうすいどう供給きょうきゅうのために太田おおたがわのみならず中国ちゅうごく最大さいだい大河たいが・「中国ちゅうごく太郎たろうごうかわからも水源すいげん確保かくほする方針ほうしんてた。これにより建設けんせつされたのがごうかわ本川ほんかわ土師はじダムで、土師はじダムから中国山地ちゅうごくさんちつらぬ導水どうすいトンネルで中国電力ちゅうごくでんりょく可部かべ発電はつでんしょ送水そうすい送水そうすいしたみず太田おおたがわ放流ほうりゅう取水しゅすいすることになった。取水しゅすい地点ちてん選定せんていされたのは小田おだじょう用水ようすい取水しゅすいこうである高瀬たかせ井堰いせき直上ちょくじょうりゅう部分ぶぶんであった。建設省けんせつしょう固定こていせきである井堰いせき可動かどうせき改造かいぞうする計画けいかく1970ねん昭和しょうわ45ねん)に着手ちゃくしゅした。これが高瀬たかせせきであり、土師はじダムとともに1975ねん完成かんせいした。これにより広島ひろしまけん南部なんぶ地域ちいき水源すいげんとして、上水道じょうすいどう工業こうぎょう用水ようすい灌漑かんがい用水ようすい供給きょうきゅうおこな地域ちいきみず需要じゅようこたえている。

水力すいりょく発電はつでんかんしては戦後せんご太田おおた川上かわかみ流域りゅういきダムしき発電はつでんしょ建設けんせつ中国電力ちゅうごくでんりょくによってすすめられた。1957ねん昭和しょうわ32ねん柴木しばきがわ樽床たるとこダム柴木しばきがわだい1発電はつでんしょ、24,000kW)、1959ねんにはおうはくダム嵩上かさあげによる発電はつでん能力のうりょく増強ぞうきょう滝山川たきやまがわ発電はつでんしょ、51.500kW)が相次あいついで建設けんせつされたが、電力でんりょく需要じゅよう増加ぞうかともな1971ねん昭和しょうわ46ねん)には南原なんばら発電はつでんしょ建設けんせつ開始かいしされている。これは南原なんばらがわとその支流しりゅう明神川みょうじんがわ南原なんばらダム明神みょうじんダムを建設けんせつりょうダムによってできた貯水池ちょすいち利用りようして揚水ようすい発電はつでんおこなうもので1976ねん昭和しょうわ51ねん)7がつ完成かんせいした。この南原なんばら発電はつでんしょ最大さいだい出力しゅつりょく620,000kWと中国ちゅうごく地方ちほう水力すいりょく発電はつでんしょ俣野またのがわ発電はつでんしょ鳥取とっとりけん岡山おかやまけん)の1,200,000kWに規模きぼである。

1975ねんには可部かべ発電はつでんしょ(38,000kW)が建設けんせつされたが、これは土師はじダムよりごうかわみず導水どうすいしたみず一部いちぶ使つか発電はつでんおこなうものである。可部かべ発電はつでんしょみず需要じゅよう確保かくほにおいてもきわめて重要じゅうよう位置いちめるが、放流ほうりゅうした発電はつでん用水ようすいぎゃく調整ちょうせいするために高瀬たかせせき利用りようしている。中国電力ちゅうごくでんりょく太田川おおたがわ水系すいけいにおける発電はつでんしょ利水りすい治水ちすいかんしても連携れんけいした対応たいおうおこなっており、太田おおたがわ発電はつでんしょ放流ほうりゅうすい八木はちぼく用水ようすい水源すいげんとして利用りようされているほかおうはくダムは下流かりゅう温井ぬくいダムと連携れんけいして2005ねん水害すいがいにおいて洪水こうずい調節ちょうせつ威力いりょく発揮はっきしている。

その太田おおたがわ 編集へんしゅう

太田川おおたがわ水系すいけいでは現在げんざい新規しんき事業じぎょうおこなわれている治水ちすい利水りすい施設しせつはない。水系すいけいられるような公共こうきょう事業じぎょう見直みなおしにから問題もんだい三篠川みささがわひだりささえかわである関川せきかわ広島ひろしまけん計画けいかくしていた補助ほじょ治水ちすいダム事業じぎょう・「関川せきかわ治水ちすいダム計画けいかく」(重力じゅうりょくしきコンクリートダム。つつみだか62.0m)が建設けんせつ中止ちゅうしとなっている。また、1975ねんの「太田川おおたがわ水系すいけい工事こうじ実施じっし基本きほん計画けいかく」において温井ぬくいダムととも事業じぎょう計画けいかくされていた太田おおたがわ本川ほんかわの「吉和郷よしわごうダム」(きゅう戸河内とがうちまち大字だいじ吉和郷よしわごう付近ふきん予定よてい)は、その計画けいかく自体じたいえとなってしまっている。理由りゆうしょうであり型式けいしきなどダムの基本きほん情報じょうほう不明ふめいである。開発かいはつ自然しぜん保護ほごかかわりについては、高瀬たかせせき魚類ぎょるい影響えいきょう調査ちょうさ現在進行形げんざいしんこうけい検討けんとうおこなっている。

支流しりゅう 編集へんしゅう

 
志和口しわぐちえき付近ふきん三篠川みささがわ

1)支流しりゅう

  • 柴木しばきがわ三段峡さんだんきょう
  • 筒賀つつががわ
  • 滝山川たきやまがわ
  • 丁川ひのとがわ
  • 水内川みのちがわ
  • 西宗川にしむねがわ
  • 高山川こうやまがわ
  • 小河内おかうちがわ
  • よし山川やまかわ
  • 鈴張すずはりがわ
  • 谷川たにがわ南原なんばらがわ桐原きりはらがわ
  • 三篠川みささがわ
  • 古川ふるかわ
  • 安川やすかわ
  • 山本やまもとがわ東山本あがりやまもとがわ西山本にしやまほんがわ

2)分流ぶんりゅう

3)本流ほんりゅう

太田川おおたがわ水系すいけい河川かせん施設しせつ 編集へんしゅう

太田川おおたがわ水系すいけいにおける河川かせん開発かいはつは、明治めいじまつよりはじまった水力すいりょく発電はつでんさかのぼる。現在げんざいでは中国電力ちゅうごくでんりょく株式会社かぶしきがいしゃによって太田おおたがわ本川ほんかわはじ主要しゅようささえかわである滝山川たきやまがわ柴木しばきがわとう発電はつでん専用せんようダム建設けんせつされた。とく南原なんばらがわ流域りゅういきには中国ちゅうごく地方ちほう水力すいりょく発電はつでん施設しせつでは2番目ばんめ最大さいだい出力しゅつりょくほこ南原なんばら発電はつでんしょ南原なんばらダム・明神みょうじんダム)が建設けんせつされている。

治水ちすい利水りすい施設しせつについては江戸えど時代じだい八木はちぼく用水ようすい小田おだじょう用水ようすい開鑿かいさくされたが、小田おだじょう用水ようすい取水しゅすいこうである高瀬たかせ井堰いせき建設けんせつされた程度ていどであった。治水ちすいでは昭和しょうわ初期しょき太田おおたがわ放水ほうすい建設けんせつ開始かいしされ完成かんせい太田おおたがわ本川ほんかわとなった。利水りすいでは高瀬たかせ井堰いせき改築かいちくして高瀬たかせせき建設けんせつされたほか特定とくてい多目的たもくてきダムとして滝山川たきやまがわ温井ぬくいダムが建設けんせつされた。特定とくてい多目的たもくてきダムほうもとづく施設しせつはこの2施設しせつだけである。なお広島ひろしまひとし水源すいげん確保かくほおこなうためごうかわからも導水どうすいされており、水系すいけい利水りすいかんがえるうえ土師はじダムの存在そんざいかすことは出来できない。

水系すいけいおおきくことなるのは、水系すいけいない農林水産省のうりんすいさんしょうによる「国営こくえい土地とち改良かいりょう事業じぎょう」がおこなわれていないことであり、これにより太田川おおたがわ水系すいけいでは農林水産省のうりんすいさんしょう直轄ちょっかつダムが1つも建設けんせつされていない。

河川かせん施設しせつ 編集へんしゅう

いち
ささえ川名かわな
本川ほんがわ

ささえ川名かわな
さん
ささえ川名かわな
ダムめい つつみだか
(m)
そう貯水ちょすい
容量ようりょう
(せんm3)
型式けいしき 事業じぎょうしゃ 備考びこう
太田おおたがわ 立岩たていわダム 67.4 17,200 重力じゅうりょくしき 中国電力ちゅうごくでんりょく 土木どぼく遺産いさん
太田おおたがわ ますためダム 19.2 455 重力じゅうりょくしき 中国電力ちゅうごくでんりょく
太田おおたがわ 高瀬たかせせき 5.5 1,980 可動かどうせき 国土こくど交通省こうつうしょう きゅう高瀬たかせ井堰いせき
太田おおたがわ 祇園ぎおん水門すいもん 可動かどうせき 国土こくど交通省こうつうしょう 太田おおたがわ放水ほうすい
柴木しばきがわ 樽床たるとこダム 42.0 20,600 重力じゅうりょくしき 中国電力ちゅうごくでんりょく
柴木しばきがわ 柴木しばきがわダム 15.5 231 重力じゅうりょくしき 中国電力ちゅうごくでんりょく
滝山川たきやまがわ おうはくダム 74.0 31,100 重力じゅうりょくしき 中国電力ちゅうごくでんりょく
滝山川たきやまがわ 温井ぬくいダム 156.0 82,000 アーチしき 国土こくど交通省こうつうしょう つつみ高西たかにし日本一にっぽんいち
滝山川たきやまがわ 滝本たきもとダム 14.7 270 重力じゅうりょくしき 中国電力ちゅうごくでんりょく しょう堰堤えんてい
高山川こうやまがわ 宇賀うがダム 31.5 903 重力じゅうりょくしき 中国電力ちゅうごくでんりょく
谷川たにがわ 南原なんばらがわ 南原なんばらダム 85.5 5,568 ロックフィル 中国電力ちゅうごくでんりょく 南原なんばら発電はつでんしょ下池しもいけ
谷川たにがわ 南原なんばらがわ 明神川みょうじんがわ 明神みょうじんダム 88.5 6,145 ロックフィル 中国電力ちゅうごくでんりょく 南原なんばら発電はつでんしょ上池かみいけ
きゅう太田おおたがわ 大芝おおしば水門すいもん 可動かどうせき 国土こくど交通省こうつうしょう

水系すいけいがい関連かんれん河川かせん施設しせつ 編集へんしゅう

いち
ささえ川名かわな
本川ほんがわ

ささえ川名かわな
さん
ささえ川名かわな
ダムめい つつみだか
(m)
そう貯水ちょすい
容量ようりょう
(せんm3)
型式けいしき 事業じぎょうしゃ 備考びこう
ごうかわ 土師はじダム 50.0 47,300 重力じゅうりょくしき 国土こくど交通省こうつうしょう

水力すいりょく発電はつでんしょ 編集へんしゅう

太田川おおたがわ水系すいけいでは1902ねん明治めいじ35ねん以降いこう大小だいしょう様々さまざま水力すいりょく発電はつでんしょ建設けんせつされてきた。1951ねん中国電力ちゅうごくでんりょく発足ほっそくともな既存きそん施設しせつ大半たいはん中国電力ちゅうごくでんりょく所有しょゆうとなった。以下いか水力すいりょく発電はつでんしょ中国電力ちゅうごくでんりょく管轄かんかつにある(またはあった)水力すいりょく発電はつでんしょである[11]所在地しょざいちうちまち表示ひょうじがあるものは山県やまがたぐん表示ひょうじがあるものは広島ひろしまである。

昭和しょうわ50ねん発電はつでん開始かいしした可部かべ発電はつでんしょ地理ちりてきには太田川おおたがわ水系すいけいないにあるが、水源すいげんごうかわ土師はじダムからのものである。

太田川おおたがわ水系すいけい中国電力ちゅうごくでんりょく水力すいりょく発電はつでんしょ
発電はつでんしょめい 位置いち 発電はつでん開始かいし 形式けいしき 使用しよう水量すいりょう(m3/s) 落差らくさ(m) 出力しゅつりょく(kW) 備考びこう
亀山かめやま発電はつでんしょ 安佐北あさきた 明治めいじ45ねん(1912ねん 水路すいろしき 28.00 13.57 2,100 昭和しょうわ48ねん(1973ねん)に廃止はいし
あいだ野平のだい発電はつでんしょ 安佐北あさきた 大正たいしょう14ねん(1925ねん 水路すいろしき/ダム水路すいろしき 25.00 46.10 24,500 および33m3/53.1m
加計かけ発電はつでんしょ 安芸あき太田おおたまち 昭和しょうわ5ねん(1930ねん 水路すいろしき 8.90 216.80 16,400
下山げざん発電はつでんしょ 北広島きたひろしままち 昭和しょうわ9ねん(1934ねん 水路すいろしき 14.32 85.50 10,000
土居どい発電はつでんしょ 安芸あき太田おおたまち 昭和しょうわ13ねん(1938ねん ダム水路すいろしき 7.60 129.60 8,000 立岩たていわダムより
打梨うちなし発電はつでんしょ 安芸あき太田おおたまち 昭和しょうわ14ねん(1939ねん ダム水路すいろしき 24.00 115.24 23,600 立岩たていわダムより
よし発電はつでんしょ 安芸あき太田おおたまち 昭和しょうわ19ねん(1944ねん 水路すいろしき 20.00 114.08 18,900
安野やすの発電はつでんしょ 安芸あき太田おおたまち 昭和しょうわ21ねん(1946ねん 水路すいろしき 14.15 64.78 13,600 および11m3/64.71m
柴木しばきがわだい発電はつでんしょ 安芸あき太田おおたまち 昭和しょうわ30ねん(1955ねん ダム水路すいろしき 10.00 76.70 6,600 樽床たるとこダムより
柴木しばきがわだいいち発電はつでんしょ 安芸あき太田おおたまち 昭和しょうわ32ねん(1957ねん ダム水路すいろしき 7.00 403.80 24,000 樽床たるとこダムより
滝山川たきやまがわ発電はつでんしょ 安芸あき太田おおたまち 昭和しょうわ34ねん(1959ねん ダム水路すいろしき 19.00 314.40 51,500 おうはくダムより
滝本たきもと発電はつでんしょ 安芸あき太田おおたまち 昭和しょうわ34ねん(1959ねん ダムしき 16.00 16.80 2,000 おうはくダム
太田おおたがわ発電はつでんしょ 安佐南あさみなみ 昭和しょうわ36ねん(1961ねん 水路すいろしき 50.00 39.12 16,400
可部かべ発電はつでんしょ 安佐北あさきた 昭和しょうわ50ねん(1975ねん ダム水路すいろしき 22.00 199.00 38,000 ごうかわ水系すいけい土師はじダムより導水どうすい
温井ぬくい発電はつでんしょ 安芸あき太田おおたまち 平成へいせい13ねん(2001ねん ダムしき 3.00 93.60 2,300 温井ぬくいダム
最大さいだい出力しゅつりょくじゅん水力すいりょく 285 255,800 亀山かめやま発電はつでんしょのぞく、あいだ野平のだい安野やすのは2系統けいとうずつ。
南原なんばら発電はつでんしょ 安佐北あさきた 昭和しょうわ51ねん(1976ねん 揚水ようすいしき 254.00 294.00 620,000 ピーク対応たいおう[注釈ちゅうしゃく 4]

以上いじょう中国電力ちゅうごくでんりょく発電はつでんしょほか明治めいじより電力でんりょく事業じぎょうしゃ以外いがいにより小規模しょうきぼ発電はつでんしょ建設けんせつされてきた[15][16][信頼しんらいせいよう検証けんしょう]以下いか発電はつでん開始かいしねん施設しせつめい出力しゅつりょく設置せっちしゃ

  • 1902ねん明治めいじ35ねん加計かけまち丁川ひのとがわ発電はつでんしょ (5キロワット、廃止はいし[12]
  • 1949ねん昭和しょうわ24ねん関川せきかわだいいち (52キロワット、廃止はいし)、広島ひろしま農協のうきょう
  • 1953ねん昭和しょうわ28ねん豊平とよひら発電はつでんしょ (100キロワット) 広島ひろしま農協のうきょう
  • 1953ねん昭和しょうわ28ねん芸北げいほく発電はつでんしょ (94キロワット、廃止はいし広島ひろしま農協のうきょう
  • 1954ねん昭和しょうわ29ねん水内川みのちがわだいいち (170キロワット) 広島ひろしま農協のうきょう
  • 1954ねん昭和しょうわ29ねん志和しわ発電はつでんしょ (95キロワット) 志和しわほり電化でんか組合くみあい
  • 1959ねん昭和しょうわ34ねん吉和よしわ発電はつでんしょ (450キロワット) 佐伯さえき中央ちゅうおう農協のうきょう
  • 1960ねん昭和しょうわ35ねん湯来ゆき発電はつでんしょ (180キロワット、廃止はいし広島ひろしま農協のうきょう
  • 1962ねん昭和しょうわ37ねん潜龍せんりゅう発電はつでんしょ (95キロワット) 千代田ちよだ農協のうきょう
  • 2003ねん平成へいせい15ねん川小田かわこだ発電はつでんしょ (720キロワット) 芸北げいほくまち

太田川おおたがわ水系すいけい以外いがいのものをふくめこのような小規模しょうきぼ発電はつでんしょ広島ひろしま県内けんないに30ヶ所かしょある。

太田おおた川沿かわぞえがわおも史跡しせき名勝めいしょう天然記念物てんねんきねんぶつ 編集へんしゅう

以下いか下流かりゅう広島ひろしまデルタ)から記載きさい。(くに=くに指定していけん=けん指定していとく=特別とくべつ)、河川かせんめい記述きじゅつささえかわのもの、記述きじゅついものは本流ほんりゅう沿いである[17]

史跡しせき名勝めいしょう 編集へんしゅう

天然記念物てんねんきねんぶつ 編集へんしゅう

過去かこ災害さいがい 編集へんしゅう

  • 1972ねん7がつ11にち - 集中しゅうちゅう豪雨ごううにより谷川たにがわ堤防ていぼう可部かべまちない決壊けっかい[18]

脚注きゃくちゅう 編集へんしゅう

注釈ちゅうしゃく 編集へんしゅう

  1. ^ 7がつ31にちから元号げんごう大正たいしょう
  2. ^ ピーク対応たいおう揚水ようすいしき発電はつでんである南原なんばら発電はつでんしょふくまず。
  3. ^ 0.8758メガkWh x 365にち x 24あいだ
  4. ^ 明神みょうじんダムへ揚水ようすいして発電はつでん下池しもいけ南原なんばらダム、1974ねん竣工しゅんこうした島根しまね原発げんぱつわせたもの

出典しゅってん 編集へんしゅう

  1. ^ 環境省かんきょうしょう選定せんてい 名水めいすいひゃくせん 詳細しょうさいページ”. 環境省かんきょうしょう. 2017ねん9がつ22にち閲覧えつらん
  2. ^ a b 建設省けんせつしょう中国地方ちゅうごくちほう建設けんせつきょく 太田おおたがわ工事こうじ事務所じむしょへん太田川おおたがわ』、1993ねん
  3. ^ 太田川おおたがわ下流かりゅうブロックの概要がいよう”. 河川かせん生態せいたいナレッジデータベース. 2017ねん9がつ22にち閲覧えつらん
  4. ^ a b c d 太田川おおたがわ水系すいけい概要がいよう”. 国土こくど交通省こうつうしょう中国地方ちゅうごくちほう整備せいびきょく. 2017ねん9がつ22にち閲覧えつらん
  5. ^ 西にし中国山地ちゅうごくさんち国定こくてい公園こうえん』 - コトバンク
  6. ^ 中国ちゅうごく地方ちほう地形ちけい環境かんきょう 広島ひろしまけん 古川ふるかわ”. 徳山大学とくやまだいがく総合そうごう研究所けんきゅうじょ. 2017ねん9がつ22にち閲覧えつらん
  7. ^ 平成へいせい13年度ねんど中国ちゅうごく地方ちほういちきゅう河川かせん水質すいしつ現況げんきょう”. 国土こくど交通省こうつうしょう中国地方ちゅうごくちほう整備せいびきょく. 2017ねん9がつ22にち閲覧えつらん
  8. ^ 谷村たにむら賢治けんじ文政ぶんせい広島ひろしまはんにおける浦辺うらべおくすじ農産物のうさんぶつ生産せいさんせい格差かくさ」『三田みた商学しょうがく研究けんきゅうだい23かんだい6ごう慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく、1981ねん、73-83ぺーじ 
  9. ^ 災害さいがい厚生こうせい」『安佐あさまち』pp.468 昭和しょうわ52ねん3がつ30にち
  10. ^ 日本にっぽん水力すいりょく発電はつでん歴史れきし 明治めいじ21ねん - 明治めいじ30ねん
  11. ^ a b 中国電力ちゅうごくでんりょく環境かんきょう@エネルギー 広島ひろしま Archived 2012ねん11月19にち, at the Wayback Machine.
  12. ^ a b 広島ひろしま亀山かめやま公民館こうみんかん 亀山かめやま発電はつでんしょ
  13. ^ a b 太田おおたがわ・Fanのつど太田おおたがわ水力すいりょく発電はつでん Archived 2013ねん6がつ24にち, at the Wayback Machine.
  14. ^ 経済けいざい産業さんぎょうしょう資源エネルギしげんえねるぎちょう 都道府県とどうふけんべつエネルギー消費しょうひ統計とうけい・34 広島ひろしまけん Archived 2013ねん12月13にち, at the Wayback Machine.
  15. ^ geocities 中国ちゅうごく地方ちほう水力すいりょく発電はつでんしょ概要がいよう一覧いちらん
  16. ^ だい3しょう その再生さいせい可能かのうエネルギー”. 広島ひろしま県庁けんちょう. pp. 33. 2017ねん9がつ19にち閲覧えつらん
  17. ^ 国土こくど交通省こうつうしょう中国ちゅうごく地方ちほう整備せいびきょく 太田川おおたがわ水系すいけい概要がいよう
  18. ^ 「6にんに4にん不明ふめい」『朝日新聞あさひしんぶん昭和しょうわ47ねん7がつ11にち朝刊ちょうかん、3はん、9めん

参考さんこう文献ぶんけん 編集へんしゅう

  • 中国ちゅうごく地方ちほう電気でんき事業じぎょう編集へんしゅう委員いいんかいへん中国地方ちゅうごくちほう電気でんき事業じぎょう中国電力ちゅうごくでんりょく、1974ねん

関連かんれん項目こうもく 編集へんしゅう

外部がいぶリンク 編集へんしゅう