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モーリス・メルロー=ポンティ - Wikipedia

モーリス・メルロー=ポンティ

フランスの哲学てつがくしゃ (1908-1961)

モーリス・メルロー=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty、1908ねん3月14にち - 1961ねん5月3にち)は、フランス哲学てつがくしゃおも現象げんしょうがく発展はってんくした。著書ちょしょ日本語にほんごやくとうにおいては、「モーリス・メルロ=ポンティ」、「モーリス・メルロ・ポンティ」など、Merleauに長音ちょうおん記号きごうけない表記ひょうきおおもちいられている。

モーリス・メルロー=ポンティ
Maurice Merleau-Ponty
生誕せいたん (1908-03-14) 1908ねん3月14にち
フランスの旗 フランス共和きょうわこくシャラント=マリティームけんロシュフォール
死没しぼつ (1961-05-03) 1961ねん5月3にち(53さいぼつ
フランスの旗 フランスパリ
時代じだい 20世紀せいき哲学てつがく
地域ちいき 西洋せいよう哲学てつがく
学派がくは 大陸たいりく哲学てつがく現象げんしょうがく実存じつぞん主義しゅぎ西欧せいおうマルクス主義まるくすしゅぎ構造こうぞう主義しゅぎポスト構造こうぞう主義しゅぎ
研究けんきゅう分野ぶんや 心理しんりがく身体しんたいされた認知にんち形而上学けいじじょうがく知覚ちかくゲシュタルト心理しんりがく認識にんしきろん美学びがく西欧せいおうマルクス主義まるくすしゅぎ
おも概念がいねん 知覚ちかく現象げんしょうがく匿名とくめい集合しゅうごう運動うんどうてき志向しこうせい世界せかいにく、「知覚ちかくするしん身体しんたいされたしんである」、キアスム、浸透しんとう
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ロシュフォールまれ。パリ自宅じたく執筆しっぴつちゅう心臓麻痺しんぞうまひのため死去しきょ

生涯しょうがい

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1908ねんフランスロシュフォールまれる。18さいのとき高等こうとう師範しはん学校がっこう入学にゅうがくし、サルトルボーヴォワールレヴィ=ストロースらとう。21さいのときフッサール講演こうえん聴講ちょうこうし、現象げんしょうがく傾注けいちゅうする。以後いご現象げんしょうがく立場たちばから身体しんたいろん構想こうそうする。37さいのとき主著しゅちょ知覚ちかく現象げんしょうがく』を出版しゅっぱんするとともに、サルトルと「レ・タン・モデルヌ(現代げんだい)発刊はっかんする。戦後せんごパリ大学だいがく文学部ぶんがくぶ教授きょうじゅとなり(1949ねん)、児童じどう心理しんりがく教育きょういくがく研究けんきゅうする一方いっぽう冷戦れいせん激戦げきせん状況じょうきょうなかマルクス主義まるくすしゅぎ幻滅げんめつし、サルトルとは決別けつべつした[1]

メルロ=ポンティは、知覚ちかく主体しゅたいである身体しんたい主体しゅたい客体かくたい両面りょうめんをもつものとしてとらえ、世界せかい人間にんげん身体しんたいから柔軟じゅうなん考察こうさつすることをとなえた。身体しんたいからはなれて対象たいしょう思考しこうするのではなく、身体しんたいからされた知覚ちかくがかりに身体しんたいそのものと世界せかい考察こうさつした。1959ねん、『えるものとえないもの』を刊行かんこうパリ自宅じたく執筆しっぴつちゅう心臓麻痺しんぞうまひのため急逝きゅうせい(1961ねん)。

哲学てつがく体系たいけいは「両義りょうぎせいAmbiguïté[2])の哲学てつがく」「身体しんたいせい哲学てつがく」「知覚ちかく優位ゆういせい哲学てつがく」とばれ、従来じゅうらい対立たいりつするものと看做みなされてきた概念がいねんの<自己じこ概念がいねん>と<対象たいしょう概念がいねん>を、知覚ちかくにおける認識にんしき生成せいせいにまでげた指摘してきをしている。

たとえば、それまでたことがないひとにとっては、るだけでは、名前なまえのないを「現象げんしょう」としてしかることができない。「」を恒常こうじょうてき認識にんしきできるようになるためには、「」という言葉ことば記号きごう)を必要ひつようがある。

また、精神せいしん身体しんたいというデカルト以来いらい対立たいりつも、知覚ちかく次元じげんげて指摘してきし、わたし身体しんたいが<対象たいしょうになるか><自己じこ自身じしんになるか>は、「どちらかであるとはいえない。つまり、両義りょうぎてきである」とした。ひとつの対象たいしょう認識にんしきに<精神せいしんなかのものであるか><対象たいしょうなかのものであるか>というきょく対立たいりつえ、わたし身体しんたいのリアリティは<どちらともいえない>。しかし、それは無自覚むじかくな<曖昧あいまいせい>のうちにあるのではなく、明確めいかく表現ひょうげんされたときに<両義りょうぎせい>をつとした。そして、その状態じょうたいが<わたしという世界せかい認識にんしき><根源こんげんてき世界せかい認識にんしき>であるとした。

そこには、すで言葉ことば対象たいしょう一致いっちさせた次元じげんからはじめるのではなく、そもそもの言葉ことば生成せいせいからの考察こうさつがある。

それは、論理ろんり実証じっしょう主義しゅぎ哲学てつがく分析ぶんせき哲学てつがくプラグマティズムなどの<言語げんごられている次元じげん>からの哲学てつがくきびしい指摘してきをしたといえる。そこにはおおくの哲学てつがく垣根かきねえるこころみがられ、また、文化ぶんか理解りかい芸術げいじゅつなどにおおきな影響えいきょうあたえた。

また、知覚ちかく優位ゆういせいからのあたらしい存在そんざいろんこころみが絶筆ぜっぴつとなった『えるものとえないもの』でられる。

おも著作ちょさく訳書やくしょ

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モーリス・メルロー=ポンティの著作ちょさくリスト参照さんしょうフランス語ふらんすご表記ひょうき

関連かんれん項目こうもく

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  • ルビンのはい - 現象げんしょうがく基盤きばんとして、人間にんげん行動こうどう構造こうぞう身体しんたい性質せいしつ(機能きのう)による知覚ちかく構造こうぞう適用てきようし、現象げんしょうがくてき身体しんたいろん展開てんかいした。
  • 幻影げんえい - 生理学せいりがくとして説明せつめいされていた概念がいねん現象げんしょうがくてき身体しんたいろん見地けんちからとらえなおした。
メルロー=ポンティに影響えいきょうあたえた人物じんぶつ
アグレガシオン合格ごうかく教員きょういん資格しかく取得しゅとく教育きょういく実習じっしゅう同期生どうきせい[4]
脚注きゃくちゅう
  1. ^ しんていばん 倫理りんり用語ようごしゅう ソフィエ ~さとしまなゆめはぐくむ~』235ページ、清水しみず書院しょいん
  2. ^ 学術がくじゅつ用語ようごでない名詞めいしとしての「Ambiguïté」(アンビギュイテ)の日本語にほんごやくは、「曖昧あいまいさ(複数ふくすうがたは「曖昧あいまい言葉ことば行為こうい」)」「両義りょうぎせい」「多義たぎせいとうウィクショナリーAmbiguïté」も参照さんしょうフランス語ふらんすご一部いちぶ日本語にほんご)。「1990ねんフランス正書法せいしょほう改編かいへん」(フランス語ふらんすごRapport de 1990 sur les rectifications orthographiques」も参照さんしょう以降いこうあたらしいつづりは「Ambigüité」となる。
  3. ^ 本書ほんしょ構成こうせいは「Précédé de Projet de travail sur la nature de la perception (1933) - 知覚ちかく本性ほんしょうかんする研究けんきゅう計画けいかく」「La nature de la percept ion (1934) - 知覚ちかく本性ほんしょう知覚ちかく生理学せいりがく病理びょうりがく; 知覚ちかく哲学てつがく; 知覚ちかく心理しんりがく)」「Christianisme et ressentiment (1935) - キリスト教きりすときょうとルサンチマン」「Etre et Avoir (1936) - 存在そんざい所有しょゆう」「J.-P. Sartre, "L'Imagination" (1936) - J・P・サルトルちょ想像そうぞうりょく』」「J.-P. Sartre, "Les mouches" - J・P・サルトルちょはえ』」「実存じつぞん哲学てつがく
  4. ^ アグレガシオン合格ごうかくねんは、ボーヴォワール1929ねん、メルロー=ポンティが1930ねんレヴィ=ストロース1931ねん

外部がいぶリンク

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