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ユーロビジョン・ソング・コンテスト - Wikipedia

ユーロビジョン・ソング・コンテスト

欧州おうしゅう放送ほうそう連合れんごう(EBU)加盟かめい放送ほうそうきょくによって開催かいさいされる毎年まいとし恒例こうれい音楽おんがくコンテスト

ユーロビジョン・ソング・コンテスト英語えいご:Eurovision Song Contest、ESC、フランス語ふらんすご:Concours Eurovision de la Chanson、CEC)[1]は、欧州おうしゅう放送ほうそう連合れんごう(EBU)加盟かめい放送ほうそうきょくによって開催かいさいされる、毎年まいとし恒例こうれい音楽おんがくコンテストである。

ユーロビジョン・ソング・コンテスト
Eurovision Song Contest
2011年大会会場のデュッセルドルフ・アレーナ
2011ねん大会たいかい会場かいじょうのデュッセルドルフ・アレーナ
通称つうしょう略称りゃくしょう ユーロビジョン、ESC、CEC
正式せいしき名称めいしょう Eurovision Song Contest(えい
Concours Eurovision de la Chanson(ふつ
きゅうイベントめい Grand Prix de la Chanson
開催かいさい時期じき 毎年まいとし5がつ
初回しょかい開催かいさい 1956ねん5がつ24にち
会場かいじょう まわ
主催しゅさい 欧州おうしゅう放送ほうそう連合れんごう
公式こうしきサイト
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ユーロビジョン・ソング・コンテスト
ジャンル 大型おおがた音楽おんがく番組ばんぐみ
製作せいさく
制作せいさく まわ
放送ほうそう
音声おんせい形式けいしきステレオ放送ほうそう
(5.1chサラウンドステレオ)
放送ほうそうこく地域ちいきEBU加盟かめいこく
放送ほうそう期間きかん1956ねん5月24にち
放送ほうそう時間じかん毎年まいとし5がつ土曜日どようび21:00 - 1:11(2022ねん現在げんざい、CEST)
放送ほうそうぶん4あいだ11ふん(251)ぶん
回数かいすう67
eurovision.tv

特記とっき事項じこう
1968ねん大会たいかいからカラー放送ほうそう。2004ねん大会たいかいからハイビジョン製作せいさく
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概要がいよう

編集へんしゅう

ユーロビジョン・ソング・コンテストでは、各国かっこく代表だいひょうアーティストはそれぞれ生放送なまほうそうみずからの楽曲がっきょく披露ひろうし、つづいてそれぞれの参加さんかこく他国たこく投票とうひょうして大会たいかい優勝ゆうしょうもの決定けっていする。各国かっこく代表だいひょう参加さんかしゃは、欧州おうしゅう放送ほうそう連合れんごう加盟かめいする全国ぜんこくもう放送ほうそうきょくつうじて大会たいかい参加さんかしており、放送ほうそうきょく自国じこく代表だいひょうのアーティストと楽曲がっきょく決定けっていし、また自国じこく視聴しちょうしゃ大会たいかいなま中継ちゅうけいする。大会たいかい1956ねんだい1かい大会たいかい以降いこう毎年まいとし開催かいさいされており、世界せかいてきても長寿ちょうじゅのテレビ番組ばんぐみのひとつであり[2]、その視聴しちょうしゃかずも1おくにんから6おくにん程度ていど見積みつもられている[3][4]2015ねん、「さい長寿ちょうじゅ年度ねんどテレビ音楽おんがくコンペティション(国際こくさい)」としてギネス世界せかい記録きろく認定にんていされる[5]

オーストラリアカナダ中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこくエジプトインド日本にっぽんヨルダンメキシコニュージーランドフィリピン大韓民国だいかんみんこく台湾たいわんタイ王国おうこくベトナムウルグアイなど、大会たいかい参加さんかしていないヨーロッパ域外いきがい国々くにぐにでも放送ほうそうされたことがあり[6][7][8]、2000ねん以降いこう公式こうしきサイトよりインターネットでも中継ちゅうけいされている[9]。ただし、EBU放送ほうそう圏外けんがいでの知名度ちめいどひくく、ヨーロッパとの文化ぶんか類似るいじせいつよ北米ほくべいでもらないひとおおい。この大会たいかいをテーマとする米国べいこく映画えいがユーロビジョン歌合戦うたがっせん 〜ファイア・サーガ物語ものがたり』の監督かんとくデヴィッド・ドブキン脚本きゃくほんむまでに、大会たいかい名前なまえすらいたことがないとった[10]一方いっぽう、オーストラリアはSBSがユーロビジョン・ソング・コンテストを30年間ねんかん放送ほうそうつづけた実績じっせきがあるため、2015ねんはつのEBU放送ほうそう圏外けんがい参加さんかこくとなった[11]

冷戦れいせん時代じだいの1977ねん共産きょうさん主義しゅぎこく放送ほうそうきょく中心ちゅうしんとするインターヴィジョンがユーロビジョン・ソング・コンテストにならい、ポーランドの音楽おんがくコンテスト・ソポト国際こくさい音楽おんがくさいもとづいてインターヴィジョン・ソング・コンテスト英語えいごばん開催かいさいしたが(「だい1かいインターヴィジョン・ソング・コンテスト」は「だい17かいソポト国際こくさい音楽おんがくさい」)、4かい終了しゅうりょうした。

1950年代ねんだいだい世界せかい大戦たいせん復興ふっこうすすんでいたヨーロッパで、スイス本部ほんぶ欧州おうしゅう放送ほうそう連合れんごうは、加盟かめいこく一体いったいとなっての「あかるいエンターテイメント番組ばんぐみ」を模索もさくするべく臨時りんじ委員いいんかいげた[12]1955ねん1がつモナコ開催かいさいされた委員いいんかいでは、スイス・テレビジョン(Schweizer Fernsehen会長かいちょうのマルセル・ブザンソン(Marcel Bezençon)によって、加盟かめい放送ほうそうきょくによってぜん参加さんかこくなま中継ちゅうけいされるテレビ番組ばんぐみによる、国際こくさいてき歌唱かしょうコンテストを開催かいさいするあんげた[12][13]大会たいかいは、イタリアおこなわれていたサンレモ音楽おんがくさい原型げんけいとしている[14]。このあんはまた、だい規模きぼ生放送なまほうそう技術ぎじゅつてき試験しけんでもあった。当時とうじおおくの国々くにぐに共同きょうどうして広域こういきてき国際こくさいてき通信つうしんもうきずくことは、挑戦ちょうせんてき計画けいかくであった。当時とうじ衛星えいせい放送ほうそう存在そんざいせず、ユーロビジョン・ネットワークばれる地上ちじょうでのマイクロ中継ちゅうけいがあるのみであった[15]。「ユーロビジョン・グランプリ」のあんは、1955ねん10月19にちローマひらかれた欧州おうしゅう放送ほうそう連合れんごう総会そうかい採択さいたくされ、はつ大会たいかいが1956ねんはるにスイスのルガーノ開催かいさいされることがまった[12]。「ユーロビジョン」の呼称こしょうは、1951ねんロンドン・イブニング・スタンダードLondon Evening Standard)でイギリスのジャーナリスト、ジョージ・キャンピー(George Campey)によってはじめて使つかわれた[13]

はつのコンテストは1956ねん5月24にちにスイスのルガーノで開催かいさいされた。7箇国かこくがそれぞれ2つの楽曲がっきょくをエントリーし、合計ごうけい14きょくによってきそわれた。この大会たいかいはユーロビジョンの歴史れきしじょう唯一ゆいいつ各国かっこく複数ふくすうきょくをエントリーした大会たいかいとなった。翌年よくねん以降いこう大会たいかいでは、1こくにつき1きょくとされた。1956ねん大会たいかい優勝ゆうしょうしたのは、開催かいさいこくのスイスであった[16]

番組ばんぐみははじめ「ユーロビジョン・グランプリ」(Eurovision Grand Prix)とばれていた。「グランプリ」という呼称こしょうフランス語ふらんすごけん国々くにぐにによって採用さいようされ、フランス語ふらんすごでははじめ「ル・グランプリ・ユーロヴィジオン・ド・ラ・シャンソン・ユーロペンヌ」(Le Grand-Prix Eurovision de la Chanson Européenne)とばれていた[17]。その「グランプリ」の呼称こしょうが「コンテスト」にわると、フランス語ふらんすごけんではこれに対応たいおうして「グランプリ」から「コンクール」(Concours)にあらためられた。ユーロビジョン・ネットワークは、欧州おうしゅう放送ほうそう連合れんごうによって企画きかくされた特別とくべつなイベントのほかにも、おおくのニュースやスポーツ番組ばんぐみ国際こくさい配信はいしんしている[18]。しかし、おおくの一般いっぱん大衆たいしゅうにとって、たんに「ユーロビジョン」といえば、ユーロビジョン・ソング・コンテストを想起そうきする[15]

形式けいしき

編集へんしゅう

大会たいかい形式けいしき長年ながねんにわたって変更へんこうかさねてきているが、基本きほんてき構成こうせいつぎとおりである: まず各国かっこく参加さんかする楽曲がっきょくめ、そのきょくせい披露ひろうされ、欧州おうしゅう放送ほうそう連合れんごうによってその様子ようすすべての参加さんかこく同時どうじ中継ちゅうけいされる[19]参加さんかするくにはそのくににあるEBU加盟かめい放送ほうそうきょくによって代表だいひょうされ、おおくの場合ばあいはそのくに公共こうきょう放送ほうそうである。大会たいかいはいずれかの参加さんかこく主催しゅさいし、会場かいじょうから主催しゅさいこく放送ほうそうきょくまでが中継ちゅうけいむすばれる。大会たいかいでは、すべての参加さんかこく楽曲がっきょく披露ひろうしたのち各国かっこく放送ほうそうきょく自国じこく以外いがい参加さんかきょくたいする投票とうひょう実施じっしする。自国じこくへの投票とうひょうみとめられていない。最後さいごに、最多さいた得点とくてんたものが優勝ゆうしょうしゃとしてえらばれる。優勝ゆうしょうしゃにはとくになにかがあたえられるわけではないが、一般いっぱんてきにその作詞さくししゃにはトロフィーがおくられ、また優勝ゆうしょうこく次回じかい大会たいかい主催しゅさいけんあたえられる[16]

司会しかいしゃかずとくさだまっておらず、1人ひとりあるいはそれ以上いじょう司会しかいしゃによって大会たいかい進行しんこうされる。主催しゅさいこくおおくの場合ばあい国内外こくないがいからおとずれるおおくの観客かんきゃくれや、そのための施設しせつととのっている首都しゅと会場かいじょうくことがおおいが、首都しゅと以外いがいひらかれることもある。楽曲がっきょく披露ひろう投票とうひょうまでのあいだには、幕間まくあい見世物みせもの披露ひろうされる。その内容ないよう毎回まいかいさまざまにことなっている。幕間まくあい登場とうじょうしたものとしては、1974ねん大会たいかいThe Wombles[20]や、1994ねん大会たいかいリバーダンスはつ国際こくさいてきもよおしへの登場とうじょう[21]などがある。

大会たいかい放送ほうそうまえのち放送ほうそうされるテーマソングは、マルカントワーヌ・シャルパンティエの「テ・デウム」のプレリュードである[13]

大会たいかい決勝けっしょう通常つうじょう春季しゅんきのいずれかの土曜日どようび中央ちゅうおうヨーロッパ夏時間なつじかん(CEST、UTC+2)の21からおこなわれる[22]。5月の土曜日どようびえらばれることがおおいが、1956ねん大会たいかい木曜日もくようびであり[23]、またもっとはや場合ばあい3がつおこなわれることもある[24]。2004ねん以降いこう参加さんか希望きぼうするくにかずえたことに対応たいおうし、準決勝じゅんけっしょう導入どうにゅうされ、決勝けっしょうおこなわれる土曜日どようびおなしゅうの、平日へいじつのいずれかにおこなわれている。

参加さんかこく

編集へんしゅう
 
ヨーロッパ放送ほうそう地区ちく

大会たいかい参加さんかできるのは、欧州おうしゅう放送ほうそう連合れんごう(EBU)のせい加盟かめいきょくである。EBUのせい加盟かめいきょくとなるのは、ヨーロッパ放送ほうそう地区ちく(EBA)の域内いきないにあるか、欧州おうしゅう評議ひょうぎかい加盟かめいこくにある放送ほうそうきょくとされている[25]

ヨーロッパ放送ほうそう地区ちく国際電気こくさいでんき通信つうしん連合れんごうによってつぎのように規定きていされている[26]

「ヨーロッパ放送ほうそう地区ちく」は、西にしだい1地域ちいき境界きょうかいまで、ひがしグリニッジ東経とうけい40まで、みなみ北緯ほくい30までであり、よってサウジアラビア北部ほくぶならびにこの内側うちがわはい地中海ちちゅうかい沿岸えんがん諸国しょこく一部分いちぶぶんふくまれる。くわえて、アルメニアアゼルバイジャンジョージア、ならびにイラクヨルダンシリアトルコウクライナ境界きょうかいがい領土りょうど欧州おうしゅう放送ほうそう地域ちいきふくまれる。

欧州おうしゅう放送ほうそう連合れんごう正規せいき加盟かめい放送ほうそうきょくは、それぞれ自国じこくにおいて、放送ほうそう受信じゅしん装置そうち世帯せたいの98%以上いじょう受信じゅしん可能かのうでなければならない[25]欧州おうしゅう放送ほうそう連合れんごう正規せいき加盟かめい放送ほうそうきょく大会たいかいへの参加さんか希望きぼうする場合ばあい、コンテストによる参加さんか規定きていたさなければならない(としごとにルールがさだめられる)。2009ねん時点じてんでは、前年ぜんねん大会たいかい放送ほうそうしていること、規定きてい締切しめきりまでに欧州おうしゅう放送ほうそう連合れんごう大会たいかい参加さんか支払しはらうことが条件じょうけんとされている。

大会たいかい呼称こしょうに「ユーロ」とあるが、地理ちりてきにヨーロッパにあることは大会たいかい参加さんか要件ようけんではなく、また欧州おうしゅう連合れんごうとも関係かんけいはない。このため、地理ちりてきにヨーロッパにないくに実際じっさい大会たいかい参加さんかしており、西にしアジアイスラエルキプロスアルメニアがそれぞれ1973ねん大会たいかい1981ねん大会たいかい2004ねん大会たいかいから、とおはなれたオセアニアオーストラリア2015ねん大会たいかいから、きたアフリカモロッコ1980ねん大会たいかい参加さんかしている。くわえて、1975ねん大会たいかいから参加さんかトルコ1994ねん大会たいかいから参加さんかロシア2007ねん大会たいかいから参加さんかジョージア2008ねん大会たいかいから参加さんかアゼルバイジャンといった、複数ふくすう大州おおずにまたがったくに大会たいかい参加さんかしている[27]

以下いかに、過去かこに1かい以上いじょう大会たいかい参加さんかしたくに一覧いちらんしめす:

 
1956ねん以降いこう参加さんかじょうきょう:
  1かい以上いじょう参加さんかれきあり
  参加さんか資格しかくつが、参加さんかれきなし
  参加さんかこころみたが参加さんかれきなし
はつ出場しゅつじょうねん くに
1956   ベルギー  フランス  ドイツa  イタリア  ルクセンブルク  オランダ  スイス
1957   オーストリア  デンマーク  イギリス
1958   スウェーデン
1959   モナコ
1960   ノルウェー
1961   フィンランド  スペインb  ユーゴスラビアc
1964   ポルトガル
1965   アイルランド
1971   マルタ
1973   イスラエル
1974   ギリシャd
1975   トルコ
1980   モロッコ
1981   キプロス
1986   アイスランド
1993   ボスニア・ヘルツェゴビナ  クロアチア  スロベニア
1994   エストニア  ハンガリー  リトアニア  ポーランド  ルーマニア  ロシア  スロバキア
1998   きたマケドニア
2000   ラトビア
2003   ウクライナ
2004   アルバニア  アンドラ  ベラルーシ  セルビア・モンテネグロ
2005   ブルガリア  モルドバ
2006   アルメニア
2007   チェコ  ジョージア  モンテネグロ  セルビア
2008   アゼルバイジャン  サンマリノ
2015   オーストラリア
a)1990ねんドイツさい統一とういつまえは、ドイツ連邦れんぽう共和きょうわこく代表だいひょうは「西にしドイツ」の名前なまえ使つかわれることがあった。ドイツ民主みんしゅ共和きょうわこくひがしドイツ)は、大会たいかい参加さんかしたことはない。
b)「スペイン王国おうこく」は、1975ねんまでスペインこくであった。
c)「ユーゴスラビア」は、1991ねんまでユーゴスラビア社会しゃかい主義しゅぎ連邦れんぽう共和きょうわこく代表だいひょうしており、1992ねんのみユーゴスラビア連邦れんぽう共和きょうわこく代表だいひょうであった。
d)「ギリシャ共和きょうわこく」は、1974ねんのみギリシャ王国おうこくであった。

各国かっこく国内こくない選考せんこう

編集へんしゅう

参加さんかこくはそれぞれ毎年まいとし自国じこく代表だいひょうとして1きょくえらび、大会たいかい参加さんかする。この例外れいがいとなったのは1956ねん初回しょかい大会たいかいであり、各国かっこくはそれぞれ2きょく大会たいかい参加さんかさせた。大会たいかいまえ規定きてい日時にちじよりまえ公開こうかいされた楽曲がっきょくは、代表だいひょうきょくとして大会たいかい参加さんかさせることはできない[28]

くにによっては、複数ふくすう楽曲がっきょくきそ国内こくない大会たいかい公開こうかい開催かいさいし、そのなかから自国じこく代表だいひょう選出せんしゅつすることもある。スウェーデンの国内こくない選考せんこうであるメロディーフェスティバーレン(Melodifestivalen)は、ストックホルムおこなわれる決勝けっしょう先立さきだって、大勢おおぜい観客かんきゃくあつまる会場かいじょうで、32の楽曲がっきょくが4かい準決勝じゅんけっしょうけて披露ひろうされる。これは、スウェーデンでもっと視聴しちょうりつたか番組ばんぐみとなっている[29]。スペインでは、リアリティ番組ばんぐみオペラション・トリウンフォ」( Operación Triunfo)が2002ねんからはじまり、その最初さいしょの3シーズンの優勝ゆうしょうしゃがスペイン代表だいひょうとしてユーロビジョンに参加さんかする[30]

代表だいひょうきょく選出せんしゅつ方法ほうほうかかわらず、大会たいかい規定きてい締切しめきりまでにきょく選定せんていし、欧州おうしゅう放送ほうそう連合れんごう必要ひつよう事項じこう提出ていしゅつしなければならない[31]

開催かいさい

編集へんしゅう

原則げんそくとしては前年ぜんねん優勝ゆうしょうこく開催かいさいされるが、ごくわずかに例外れいがいがある[16]。また、2015ねん以降いこうオーストラリア参加さんかこくとなっているが、オーストラリアが優勝ゆうしょうする場合ばあい翌年よくねん開催かいさいはヨーロッパのいずれかのくにえらばれるとめられている[32]

大会たいかいようする費用ひようおおくは、スポンサーからの出資しゅっしと、参加さんかこくからの参加さんか費用ひようでまかなわれている。コンテストの主催しゅさいは、主催しゅさいこく観光かんこう宣伝せんでん絶好ぜっこう機会きかいとなる。ウクライナが大会たいかい主催しゅさいした翌年よくねん・2005ねんなつ同国どうこく欧州おうしゅう連合れんごうからの入国にゅうこくしゃかんして査証さしょう免除めんじょとした[33]

 
ストックホルム・グローブ・アリーナ、2000ねん大会たいかいと2016ねん大会たいかい会場かいじょう

大会たいかいわった直後ちょくごから、つぎ大会たいかい開催かいさい準備じゅんび開始かいしされる。能力のうりょく施設しせつ関係かんけいから、おおくの場合ばあい主催しゅさいこく首都しゅと開催かいさいされることがおおい。過去かこ最大さいだい会場かいじょうとなったのは、デンマークで開催かいさいされた2001ねん大会たいかいであり、このときコペンハーゲンのサッカー競技きょうぎじょうパルケン・スタディオン使用しようされ、およそ3まん8せんにん観客かんきゃくあつまった[16]。これまででもっとちいさい開催かいさい都市としは、アイルランド主催しゅさいの1993ねん大会たいかいでのことであり、開催かいさいとなったコークけんミルストリート人口じんこう1500にん程度ていどむらであったが[34]会場かいじょうグリーン・グレンズ・アリーナGreen Glens Arena)は8せんにん観客かんきゃく収容しゅうよう可能かのうである[35]

周辺しゅうへんにホテルや報道ほうどう設備せつびがあることは、開催かいさいめるうえかなら考慮こうりょされる[36]。2005ねんキエフでは、宿泊しゅくはく施設しせつ不足ふそく深刻しんこくであり、大会たいかい主催しゅさいしゃはウクライナ政府せいふたいして、大会たいかい関係かんけいしゃやパッケージツアー以外いがい宿泊しゅくはく予約よやくめるようもとめ、おおくの個人こじん宿泊しゅくはくきゃく予約よやくをキャンセルされた[37]

一覧いちらん

編集へんしゅう
かい とし 開催かいさい決勝けっしょう 開催かいさいこく[38] 開催かいさい都市とし[38] 会場かいじょう[38]
1 1956 5月24にち   スイス ルガーノ テアトロ・クルザール
2 1957 3月3にち   西にしドイツ フランクフルト・アム・マイン ヘッセン放送ほうそう協会きょうかい放送ほうそう大会たいかいかん英語えいごばん
3 1958 3月12にち   オランダ ヒルフェルスム AVROスタジオ英語えいごばん
4 1959 3月11にち   フランス カンヌ パレ・デ・フェスティバル
5 1960 3月25にち   イギリス ロンドン ロイヤル・フェスティバル・ホール
6 1961 3月18にち   フランス カンヌ パレ・デ・フェスティバル
7 1962 3月18にち   ルクセンブルク ルクセンブルク ヴィラ・ルヴィニーRTL大会たいかいかん英語えいごばん
8 1963 3月23にち   イギリス ロンドン BBCテレビジョンセンター
9 1964 3月21にち   デンマーク コペンハーゲン チボリ公園こうえんコンサートホール英語えいごばん
10 1965 3がつ20日はつか   イタリア ナポリ RAIコンサートホール英語えいごばん
11 1966 3月5にち   ルクセンブルク ルクセンブルク ヴィラ・ルヴィニーRTL大会たいかいかん英語えいごばん
12 1967 4がつ8にち   オーストリア ウィーン ホーフブルク宮殿きゅうでんだい式場しきじょう
13 1968 4がつ6にち   イギリス ロンドン ロイヤル・アルバート・ホール
14 1969 3月29にち   スペイン マドリード テアトロ・レアル
15 1970 3月21にち   オランダ アムステルダム RAIコングレスセンター英語えいごばん
16 1971 4がつ3にち   アイルランド ダブリン ゲイエティ劇場げきじょう
17 1972 3月25にち   イギリス エディンバラ アッシャー・ホール
18 1973 4がつ7にち   ルクセンブルク ルクセンブルク ルクセンブルクしん劇場げきじょう英語えいごばん
19 1974 4がつ6にち   イギリス ブライトン ブライトン・ドーム英語えいごばん
20 1975 3月22にち   スウェーデン ストックホルム サンクト・エリックス=メッサン・エルブシェ英語えいごばん
21 1976 4がつ3にち   オランダ デン・ハーグ オランダ議会ぎかいどう英語えいごばん
22 1977 5月7にち   イギリス ロンドン ウェンブリー会議かいぎセンター英語えいごばん
23 1978 4がつ22にち   フランス パリ パレ・デ・コングレ
24 1979 3月31にち   イスラエル エルサレム ビニーエネイ・ハーウーマ・センター英語えいごばん
25 1980 4がつ19にち   オランダ デン・ハーグ オランダ議会ぎかいどう英語えいごばん
26 1981 4がつ4にち   アイルランド ダブリン ロイヤル・ダブリン協会きょうかい英語えいごばんシモンズコート会堂かいどう
27 1982 4がつ24にち   イギリス ハロゲイト ハロゲート・コンベンション・センター英語えいごばん
28 1983 4がつ23にち   西にしドイツ ミュンヘン ルディ・セドルメイヤー・ハレ
29 1984 5月5にち   ルクセンブルク ルクセンブルク ルクセンブルク市立しりつ劇場げきじょう英語えいごばん
30 1985 5月4にち   スウェーデン ヨーテボリ スカンジナヴィアム
31 1986 5月3にち   ノルウェー ベルゲン グリーグホール
32 1987 5月9にち   ベルギー ブリュッセル パレ・ドゥ・サントネール英語えいごばん
33 1988 4がつ30にち   アイルランド ダブリン ロイヤル・ダブリン協会きょうかい英語えいごばんシモンズコート会堂かいどう
34 1989 5月6にち   スイス ローザンヌ パレ・ドゥ・ボーリュー英語えいごばん
35 1990 5月5にち   ユーゴスラビア社会しゃかい主義しゅぎ連邦れんぽう共和きょうわこく ザグレブ ヴァトロスラヴ・リシンスキー・コンサートホール英語えいごばん
36 1991 5月4にち   イタリア ローマ チネチッタ15ばんスタジオ
37 1992 5月9にち   スウェーデン マルメ マルメ・メッサン英語えいごばん
38 1993 5月15にち   アイルランド ミルストリート グリーン・グレンズ・アリーナ英語えいごばん
39 1994 4がつ30にち   アイルランド ダブリン ポイント劇場げきじょう
40 1995 5月13にち   アイルランド ダブリン ポイント劇場げきじょう
41 1996 5月18にち   ノルウェー オスロ オスロ・スペクトラム
42 1997 5月3にち   アイルランド ダブリン ポイント劇場げきじょう
43 1998 5月9にち   イギリス バーミンガム ナショナル・インドア・アリーナ
44 1999 5月29にち   イスラエル エルサレム エルサレム国際こくさい会議かいぎじょう英語えいごばんウッシシュキン・ホール
45 2000 5月13にち   スウェーデン ストックホルム ストックホルム・グローブ・アリーナ
46 2001 5月12にち   デンマーク コペンハーゲン パルケン・スタディオン
47 2002 5月25にち   エストニア タリン サク・アリーナ
48 2003 5月24にち   ラトビア リガ スコント・オリンピック・ホール英語えいごばん
49 2004 5月15にち   トルコ イスタンブール アブディ・イペクチ・スポーツセンター
50 2005 5月21にち   ウクライナ キエフ キエフ・スポーツ宮殿きゅうでん
51 2006 5がつ20日はつか   ギリシャ アテネ オリンピック・インドア・ホール
52 2007 5月12にち   フィンランド ヘルシンキ ハートウォール・アリーナ
53 2008 5月24にち   セルビア ベオグラード ベオグラード・アリーナ
54 2009 5月16にち   ロシア モスクワ オリンピック・スタジアム
55 2010 5月29にち   ノルウェー オスロ テレノール・アリーナ
56 2011 5月14にち   ドイツ デュッセルドルフ デュッセルドルフ・アレーナ
57 2012 5月26にち   アゼルバイジャン バクー バクー・クリスタル・ホール
58 2013 5月18にち   スウェーデン マルメ マルメ・アリーナ
59 2014 5がつ10日とおか   デンマーク コペンハーゲン B&Wホール英語えいごばん
60 2015 5月23にち   オーストリア ウィーン ヴィーナー・シュタットハレ英語えいごばん
61 2016 5月14にち   スウェーデン ストックホルム ストックホルム・グローブ・アリーナ
62 2017 5月13にち   ウクライナ キエフ 国際こくさいエキシビションセンター英語えいごばん
63 2018 5月12にち   ポルトガル リスボン リスボン・アリーナ
64 2019 5月18にち   イスラエル テルアビブ エキスポ・テルアビブ英語えいごばん
2020 新型しんがたコロナウイルス感染かんせんしょう流行りゅうこうにより中止ちゅうし
65 2021 5月22にち   オランダ ロッテルダム アホイ・ロッテルダム
66 2022 5月14にち   イタリア トリノ パラ・アルピツアー
67 2023 5月13にち   イギリス リヴァプール リヴァプール・アリーナ
68 2024 5月11にち   スウェーデン マルメ マルメ・アリーナ
69 2025 5月17にち   スイス バーゼル セイント・ジャコブ・ホール

ユーロビジョン・ウィーク

編集へんしゅう

「ユーロビジョン・ウィーク」とは、コンテストが開催かいさいされるしゅうのことである。ユーロビジョン・ソング・コンテストはライブでおこなわれるため、円滑えんかつ進行しんこうのために参加さんかアーティストは各自かくじ、それぞれのライブ・パフォーマンスをリハーサルしておく必要ひつようがある。くわえて、アーティストたちは実際じっさい会場かいじょう使つかって練習れんしゅうする機会きかいもある。大会たいかいまえ参加さんかアーティストはそれぞれ自国じこくでリハーサルをませ、その大会たいかいおこなわれる開催かいさいうつる。このため、ほん大会たいかいはじまるまえからマスコミや観衆かんしゅうはアーティストたちのパフォーマンスや動向どうこうられる。主催しゅさいしゃ大会たいかい参加さんかしゃのためにホテルを指定していし、また会場かいじょう移動いどうするためのシャトルバスを用意よういする[39]

それぞれの参加さんか放送ほうそうきょく代表だいひょう団長だんちょう選出せんしゅつする。代表だいひょう団長だんちょう代表だいひょうだん活動かつどう調整ちょうせいし、欧州おうしゅう放送ほうそう連合れんごうたいして大会たいかい開催かいさいにおける自国じこく代表だいひょうとしての役割やくわりたす[28]代表だいひょうだんには、出場しゅつじょうアーティストや作詞さくししゃ作曲さっきょくしゃ公式こうしきプレス関係かんけいしゃくわえ、オーケストラのなま演奏えんそうともな場合ばあいはその指揮しきしゃなどがふくまれる。また、必要ひつようおうじてコメンテーテーも代表だいひょうだんふくまれることがある。コメンテーターには、会場かいじょう観客かんきゃくせきうしろにもうけられたコメンテーターせき用意よういされる。

リハーサルと記者きしゃ会見かいけん

編集へんしゅう
 
2006ねん大会たいかいで、リハーサルをおこなエストニア代表だいひょう

かつて、代表だいひょうだん大会たいかい1週間しゅうかんまえ日曜日にちようび開催かいさいりし、大会たいかいしゅう月曜日げつようびのリハーサルに参加さんかするのが通例つうれいであった。しかし、準決勝じゅんけっしょう導入どうにゅうによって参加さんかこくかずえたことから、2004ねんからはリハーサルは大会たいかいまえしゅうおこなわれるようになった。準決勝じゅんけっしょう参加さんかする諸国しょこくは、大会たいかいまえしゅう木曜日もくようびから日曜日にちようびにかけてリハーサルをおこなっており、1こくにつき2かいのリハーサルがみとめられている。準決勝じゅんけっしょうずに決勝けっしょうすすくには、大会たいかいしゅう月曜日げつようび木曜日もくようびにリハーサルをおこな[40]

 
2006ねん大会たいかいスイスによる記者きしゃ会見かいけん

参加さんか各国かっこくがリハーサルをえたのち各国かっこく代表だいひょうだん大会たいかい監督かんとくい、リハーサルの映像えいぞうもと議論ぎろんおこなう。このとき代表だいひょう団長だんちょう監督かんとくたいして、パフォーマンスのために必要ひつよう特別とくべつもとめがあればそれをつたえ、主催しゅさい放送ほうそうきょく手配てはいもとめる。この会合かいごうのち代表だいひょうだん記者きしゃ会見かいけんおこない、著名ちょめいなメディアの関係かんけいしゃあつまって代表だいひょうだんたいして質問しつもんおこな[40]。リハーサルと記者きしゃ会見かいけん並行へいこうしてすすめられる。そのため、あるくに記者きしゃ会見かいけんおこなっているとき、つぎくに会場かいじょうでリハーサルをおこなっている。記者きしゃ会見かいけんでの質疑しつぎ要約ようやく書面しょめんされ、ジャーナリストのpigeon-holes投稿とうこうされる[41]

準決勝じゅんけっしょうまえに、本番ほんばん同様どうよう衣装いしょうで、完全かんぜんなリハーサルが1かい以上いじょうおこなわれる。大会たいかいのチケットは不足ふそくしがちであることから、この最終さいしゅうリハーサルも観客かんきゃく公開こうかいされ、チケットが発売はつばいされる。また、準決勝じゅんけっしょうわったのち決勝けっしょうまえにも同様どうよう完全かんぜんなリハーサルが2かい以上いじょうおこなわれる[40]

パーティとユーロクラブ

編集へんしゅう

通例つうれい、ユーロビジョン・ウィークがはじまる月曜日げつようびに「市長しちょうのレセプション」がひらかれ、開催かいさい首長しゅちょうが、大会たいかい主催しゅさいとなることを祝福しゅくふくする。このかい通常つうじょう自治体じちたい所有しょゆうする中心ちゅうしん施設しせつおこなわれる。すべての代表だいひょうだん招待しょうたいされ、ライブ音楽おんがく食事しょくじ提供ていきょうされる。また、花火はなびげられることもある[42]準決勝じゅんけっしょう決勝けっしょうわったのちには、アフター・ショー・パーティが開催かいさいされる。パーティは会場かいじょうおこなわれることも、市内しないべつ場所ばしょおこなわれることもある[43]

ユーロクラブは、ユーロビジョン・ウィークのあいだ毎晩まいばんひらかれる、ユーロビジョンをテーマとしたナイトクラブであり、大会たいかい関係かんけいしゃ招待しょうたいされる[44]

ユーロビジョン・ウィークには、このほかに各国かっこく代表だいひょうだん独自どくじのパーティを開催かいさいすることもおおかったが、2000年代ねんだいはいってからはこうしたもよおしはユーロクラブに集約しゅうやくされる傾向けいこうにある[44]

投票とうひょう

編集へんしゅう

大会たいかい投票とうひょうシステムはなんわってきている。現行げんこう投票とうひょうシステムは1975ねんからはじまったものであり、ボルダ得点とくてん方式ほうしきられている。各国かっこくは、1てんから8てんまでのかく得点とくてん、および10てんと12てんを、他国たこくきょくあたえる。このとき、12てん最高さいこうとして、評価ひょうかたかきょくによりたか得点とくてんあたえる[45]

2016ねん以降いこうのユーロビジョン・ソング・コンテストでの得点とくてん付与ふよのルール[45][46]
各国かっこく審査しんさいんまたは視聴しちょうしゃによる投票とうひょう順位じゅんい 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11以降いこう
各国かっこく審査しんさいんまたは視聴しちょうしゃからの得点とくてん 12てん 10てん 8てん 7てん 6てん 5てん 4てん 3てん 2てん 1てん 0てん

かつては、他国たこく楽曲がっきょくあたえる得点とくてんめるのは、各国かっこくからえらばれた審査しんさいんであったが、1997ねんには5つのくに(オーストリア、スイス、ドイツ、スウェーデン、イギリス)が視聴しちょうしゃによる電話でんわ投票とうひょうれ、自国じこく視聴しちょうしゃ選考せんこうくわわれるようにした。このこころみは成功せいこう[47]、1998ねんからはすべてのくにたいして視聴しちょうしゃ投票とうひょう導入どうにゅうするようもとめられた。そのも、電話でんわ投票とうひょうができなかったときのために予備よび審査しんさいん指定していされている。ショートメッセージサービス(SMS)の普及ふきゅうにともなって、これが電話でんわ投票とうひょう併用へいようされることもおおくなってきている。審査しんさいん投票とうひょう電話でんわ投票とうひょうとSMSによる投票とうひょうのいずれの場合ばあいでも、自国じこく投票とうひょうすることはできない。

なお、従来じゅうらい大会たいかい参加さんかするくにからの視聴しちょうしゃだけが投票とうひょうできるが、2023ねん大会たいかいでのルール変更へんこうによりぜん世界せかい視聴しちょうしゃきなきょく投票とうひょうすることが可能かのうになる[48]

投票とうひょう結果けっか発表はっぴょう

編集へんしゅう

それぞれのくに楽曲がっきょく幕間まくあいのパフォーマンスがわったのち各国かっこくからあたえられる得点とくてん確定かくていすると、大会たいかい司会しかいじゅん各国かっこく得点とくてん発表はっぴょうしゃ連絡れんらくをとり、そのくに投票とうひょう結果けっか発表はっぴょうもとめる。1994ねんまでは、司会しかい得点とくてん発表はっぴょうしゃ電話でんわをつなぎ、その音声おんせい会場かいじょうやテレビ放送ほうそう中継ちゅうけいされていた。衛星えいせい通信つうしん技術ぎじゅつ発展はってんともない、1994ねんからはテレビ中継ちゅうけいとなり、それぞれのくに得点とくてん発表はっぴょうしゃ映像えいぞううつされ、得点とくてん発表はっぴょうされるようになった。得点とくてん発表はっぴょうしゃは、それぞれ自国じこく風景ふうけいに、そのくにからの得点とくてんげることがおおい。また、得点とくてん発表はっぴょうくわえてみじかいメッセージをべることもおおい。各国かっこくからの得点とくてん発表はっぴょうは、得点とくてんひくいほうから昇順しょうじゅん発表はっぴょうされ、最後さいご最高さいこう得点とくてんの12てんとなる。得点とくてん発表はっぴょう英語えいごまたはフランス語ふらんすごげられ、司会しかいしゃによってそれぞれフランス語ふらんすごまたは英語えいごかえされる。司会しかいしゃによってたからかに「ドゥーズ・ポワン」(douze pointsフランス語ふらんすごで「12得点とくてん」の意味いみ)とかえされるシーンは大会たいかい風物詩ふうぶつしとなっている[31]

1957ねんから2003ねんまでのあいだ得点とくてん発表はっぴょうじゅん大会たいかいでのパフォーマンスのじゅんおなじであった。2004ねん大会たいかい準決勝じゅんけっしょうれられてからは、決勝けっしょう参加さんかしていないくにひょうとうずることになるため、この方式ほうしき変更へんこうされることになる。2004ねんにはISO 3166-1によるアルファベットじゅん発表はっぴょうされた[49]。2005ねんには準決勝じゅんけっしょう敗退はいたいしたくにが、準決勝じゅんけっしょうのパフォーマンスのじゅんでまず発表はっぴょうし、その決勝けっしょう参加さんかこく決勝けっしょうでのパフォーマンスのじゅん発表はっぴょうした。2006ねん以降いこうは、くじきで発表はっぴょうじゅんめるようになった[50]。ただし、近年きんねん慣例かんれいとしては前回ぜんかい主催しゅさいこく最初さいしょ発表はっぴょうし、当年度とうねんど主催しゅさいこく最後さいご発表はっぴょうする仕組しくみをっている[51]

1971ねんから1973ねんまでは、各国かっこくそれぞれ2にん審査しんさいん大会たいかい会場かいじょうはいり、カメラをけられて得点とくてん発表はっぴょうしていた。1973ねん、スイスの審査しんさいん1人ひとりはげしいジェスチャーで派手はで発表はっぴょう披露ひろうした。翌年よくねんから、この方式ほうしき使つかわれなくなった[47]

1956ねんには得点とくてん発表はっぴょう公開こうかいされず、審査しんさいんたんにスイスが優勝ゆうしょうしたことのみをげた。1957ねんから1987ねんまで、得点とくてんはステージよこかれた実物じつぶつのスコアボードに掲示けいじされた。ディジタル技術ぎじゅつ進歩しんぽにより、1988ねんからは、大会たいかい監督かんとく指示しじによってテレビ画面がめんじょううつされる電子でんしてきなスコアボードにわった[52]

参加さんかこくかず増大ぞうだいするなかで、2006ねん欧州おうしゅう放送ほうそう連合れんごう時間じかん節約せつやくのために、各国かっこくからの得点とくてんげの簡略かんりゃく決定けっていした。これ以降いこうすべての得点とくてんげることはされなくなり、1てんから7てんまでは自動的じどうてき画面がめん表示ひょうじされ、8てん、10てん、12てんのみをげる方式ほうしきわった[50]。また、2016ねん改革かいかくにより、各国かっこくからの審査しんさいんひょう得点とくてんげは12てんのみとなり、その会場かいじょう司会しかいしゃによる大衆たいしゅう投票とうひょう点数てんすう発表はっぴょうするようになっている。

投票とうひょうは、欧州おうしゅう放送ほうそう連合れんごう投票とうひょう検査けんさじんによって監督かんとくされており、すべての得点とくてんただしく配分はいぶんされていることが確認かくにんされる。検査けんさじん投票とうひょう順序じゅんじょ最後さいごの5こく投票とうひょう結果けっか事前じぜん立場たちばにあり、これによって、たとえば他国たこくによる得点とくてん配分はいぶんてから自国じこく得点とくてん配分はいぶんえるといった、不正ふせい戦略せんりゃく投票とうひょう行為こういふせいでいる[31]

同点どうてん首位しゅい場合ばあい

編集へんしゅう

1969ねん、フランス、スペイン、オランダ、イギリスの4箇国かこくどう得点とくてん首位しゅいとなる事態じたいこった。このとき同点どうてん首位しゅい場合ばあい規定きていがなかったために、4箇国かこくすべてが優勝ゆうしょうしゃとされた。これにたいして参加さんかこくからおおきな不満ふまんがあがり、翌年よくねんの1970ねん大会たいかいではフィンランド、ノルウェー、スウェーデン、ポルトガルが抗議こうぎのために欠場けつじょうした。このため、欧州おうしゅう放送ほうそう連合れんごう同点どうてん首位しゅい場合ばあい優勝ゆうしょうしゃ決定けってい規定きてい導入どうにゅうした[53][54]

2018ねん時点じてんで、現行げんこう方式ほうしきでは、同点どうてん首位しゅいならんだ場合ばあいには視聴しちょうしゃから得点とくてんおおくに優勝ゆうしょうこくとなる。それでも同数どうすうであった場合ばあいは、首位しゅいとなった国々くにぐにがそれぞれなん箇国かこくから1てん以上いじょう得点とくてんているかをかぞげ、もっとおおくのくにから得点とくてんているくに優勝ゆうしょうこくとなる[55]。もしそれでもなお同数どうすうであった場合ばあいは、最大さいだい得点とくてんである12てんおおくのくにからているくに優勝ゆうしょうこくとなる。なお同数どうすうであった場合ばあいは、つぎに10てんおおているくにが、いで8てんおおているくに優勝ゆうしょうこくとし、以下いか同様どうようである。まずこりそうにないが、それでもなお同数どうすうであった場合ばあいは、パフォーマンスの登場とうじょうじゅんはやいほうが優勝ゆうしょうこくとされる。この方式ほうしき首位しゅいだけでなくすべての順位じゅんいたいして適用てきようされるようになり、2箇国かこく以上いじょう同位どういならぶことはなくなった[56]

1969ねん大会たいかい以降いこう、2018ねん大会たいかいまでで複数ふくすうくに首位しゅいならんだのは1991ねんのみであり、このときはフランスとスウェーデンが146得点とくてんならんだ。1991ねん当時とうじは、1てん以上いじょう得点とくてんおおているくに優勝ゆうしょうとする規定きていがなく、まず12てんおおているくに優勝ゆうしょうとされることとなっていた。このときフランスとスウェーデンはともに4箇国かこくから12てんていた。しかし、スウェーデンはよりおおくのくにから10てんていたため、スウェーデンが優勝ゆうしょうこくとされた。もしも現行げんこう規定きていがこの当時とうじから導入どうにゅうされていたら、フランスが優勝ゆうしょうこくとなるところであった[47]

主催しゅさい

編集へんしゅう

1958ねん大会たいかいでは、優勝ゆうしょうこく(このときはフランス)が次回じかい大会たいかい主催しゅさいする規定きていさだめられ[16]、2020ねん現在げんざいオーストラリア以外いがいくに適用てきようされる[32]。1957ねん大会たいかい優勝ゆうしょうこくはオランダであり、オランダの放送ほうそうきょくは1958ねん大会たいかい主催しゅさい了承りょうしょうした。しかし、以下いか大会たいかいでは前年ぜんねん優勝ゆうしょうこく以外いがい主催しゅさいとなっている。

  • 1960 イギリスロンドンにて英国えいこく放送ほうそう協会きょうかい主催しゅさいした。前年ぜんねん優勝ゆうしょうこくであったオランダは、主催しゅさい費用ひよう負担ふたんできないため、主催しゅさいけん放棄ほうきした。イギリスは前年ぜんねん大会たいかいで2であったため、イギリスが主催しゅさいこくえらばれた[47]
  • 1963 イギリスロンドンにて英国えいこく放送ほうそう協会きょうかい主催しゅさいした。前年ぜんねん優勝ゆうしょうこくであったフランスは、主催しゅさい費用ひよう負担ふたんできないため、主催しゅさいけん放棄ほうきした。前年ぜんねん大会たいかいでイギリスは4であったが、2と3のモナコとルクセンブルクも主催しゅさい拒否きょひした[47]
  • 1972 イギリスのエディンバラにて英国えいこく放送ほうそう協会きょうかい主催しゅさいした。前年ぜんねん優勝ゆうしょうこくであったモナコは、適切てきせつ会場かいじょう国内こくない準備じゅんびできなかったため、主催しゅさい見送みおくった。モナコの放送ほうそうきょくテレ・モンテ・カルロは、過去かこ主催しゅさい経験けいけん豊富ほうふ英国えいこく放送ほうそう協会きょうかい主催しゅさいたのんだ[47]
  • 1974 イギリスのブライトンにて英国えいこく放送ほうそう協会きょうかい主催しゅさいした。前回ぜんかい優勝ゆうしょうこくであったルクセンブルクは、主催しゅさい費用ひよう負担ふたんできないため、主催しゅさいけん放棄ほうきした。英国えいこく放送ほうそう協会きょうかいは、主催しゅさいけん放棄ほうきされた場合ばあい代行だいこう主催しゅさいしゃとして定着ていちゃくすることとなった[20]
  • 1980 オランダデン・ハーグにて、オランダ放送ほうそう協会きょうかい主催しゅさいした。イスラエル放送ほうそうきょくは、主催しゅさい費用ひよう負担ふたんできないため主催しゅさいけん放棄ほうきし、さらにオランダがわさだめた大会たいかいである4がつ19にちは、イスラエルの戦没せんぼつ将兵しょうへい記念きねんであったため、イスラエルは大会たいかいへの参加さんか見送みおくった。英国えいこく放送ほうそう協会きょうかいをはじめ、複数ふくすうくに放送ほうそうきょく主催しゅさい打診だしんされたがこれを拒否きょひし、そのオランダがこれを受諾じゅだくしたためオランダ主催しゅさいとなった[47]
  • 2020 オランダのロッテルダムにて、オランダ公共こうきょう放送ほうそう主催しゅさいする予定よていだった。しかし、新型しんがたコロナウイルス感染かんせんしょう流行りゅうこうによって、2020ねん3月18にちにコンテストの中止ちゅうし発表はっぴょうされた[57][58]
  • 2023 イギリスのリヴァプールにて英国えいこく放送ほうそう協会きょうかい主催しゅさいする。ロシアによるウクライナ侵攻しんこうによる安全あんぜんとセキュリティじょう理由りゆうからウクライナでの開催かいさいができないため、はないの結果けっか前年ぜんねん大会たいかいで2のイギリスでの開催かいさい決定けっていされた[59]

費用ひよう負担ふたん理由りゆうとした主催しゅさいけん放棄ほうきおもに、その放送ほうそうきょく過去かこ2ねん以内いないいち主催しゅさいしていることによる。1981ねん以降いこう、2020ねんまでの時点じてんで、すべて前年ぜんねん優勝ゆうしょうこくによる主催しゅさいとなっている。

一覧いちらん

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かい とし 開催かいさい決勝けっしょう 開催かいさいこく[38] 開催かいさい都市とし[38] 主催しゅさいきょく[38] 司会しかいしゃ[38]
1 1956 5月24にち   スイス ルガーノ SRG SSR ローエングリン・フィリッペーロ英語えいごばん
2 1957 3月3にち   西にしドイツ フランクフルト ARD アナイド・イプリチャン英語えいごばん
3 1958 3月12にち   オランダ ヒルフェルスム NOS ハンニ・リップス英語えいごばん
4 1959 3月11にち   フランス カンヌ RTF英語えいごばん ジャクリーヌ・ジュベール英語えいごばん
5 1960 3月25にち   イギリス ロンドン BBC ケイティ・ボイル英語えいごばん
6 1961 3月18にち   フランス カンヌ RTF英語えいごばん ジャクリーヌ・ジュベール英語えいごばん
7 1962 3月18にち   ルクセンブルク ルクセンブルク RTL ミレイユ・ドラノアフランス語ふらんすごばん
8 1963 3月23にち   イギリス ロンドン BBC ケイティ・ボイル英語えいごばん
9 1964 3月21にち   デンマーク コペンハーゲン DR ロッテ・ヴェーヴェル英語えいごばん
10 1965 3がつ20日はつか   イタリア ナポリ RAI レナータ・マウロ英語えいごばん
11 1966 3月5にち   ルクセンブルク ルクセンブルク CLT ジョジアーヌ・シェン英語えいごばん
12 1967 4がつ8にち   オーストリア ウィーン ORF エリカ・ファール英語えいごばん
13 1968 4がつ6にち   イギリス ロンドン BBC ケイティ・ボイル英語えいごばん
14 1969 3月29にち   スペイン マドリード RTVE ラウリタ・バレンスエラ英語えいごばん
15 1970 3月21にち   オランダ アムステルダム NOS ウィリー・ドベ英語えいごばん
16 1971 4がつ3にち   アイルランド ダブリン RTÉ バーナデット・ニー・ガルホール英語えいごばん
17 1972 3月25にち   イギリス エディンバラ BBC モイラ・シアラー
18 1973 4がつ7にち   ルクセンブルク ルクセンブルク CLT ヘルガ・ギトン英語えいごばん
19 1974 4がつ6にち   イギリス ブライトン BBC ケイティ・ボイル英語えいごばん
20 1975 3月22にち   スウェーデン ストックホルム SR カリン・ファルク英語えいごばん
21 1976 4がつ3にち   オランダ デン・ハーグ NOS コリー・ブロッケン
22 1977 5月7にち   イギリス ロンドン BBC アンジェラ・リッポン英語えいごばん
23 1978 4がつ22にち   フランス パリ TF1 デニーズ・ファーブル英語えいごばんレオン・ジトローヌ英語えいごばん
24 1979 3月31にち   イスラエル エルサレム IBA ヤルデナ・アラジ英語えいごばんダニエル・ペア英語えいごばん
25 1980 4がつ19にち   オランダ デン・ハーグ NOS マルルス・フルイツマ英語えいごばん
26 1981 4がつ4にち   アイルランド ダブリン RTÉ デレン・ニー・ブリエン英語えいごばん
27 1982 4がつ24にち   イギリス ハロゲイト BBC ジャン・リーミング英語えいごばん
28 1983 4がつ23にち   西にしドイツ ミュンヘン ARD マルレーネ・シャレル英語えいごばん
29 1984 5月5にち   ルクセンブルク ルクセンブルク RTL デジレー・ノスブッシュ英語えいごばん
30 1985 5月4にち   スウェーデン ヨーテボリ SVT リル・リンドフォシュ英語えいごばん
31 1986 5月3にち   ノルウェー ベルゲン NRK オーセ・クレヴラン英語えいごばん
32 1987 5月9にち   ベルギー ブリュッセル RTBF ヴィクター・ラズロ
33 1988 4がつ30にち   アイルランド ダブリン RTÉ パット・ケニー英語えいごばんミシェル・ロッカ英語えいごばん
34 1989 5月6にち   スイス ローザンヌ SRG SSR ジャック・ドゥシュノー英語えいごばんロリータ・モレナ英語えいごばん
35 1990 5月5にち   ユーゴスラビア社会しゃかい主義しゅぎ連邦れんぽう共和きょうわこく ザグレブ JRT英語えいごばん オリヴェル・ムラカル英語えいごばんヘルガ・ヴラホヴィッチ英語えいごばん
36 1991 5月4にち   イタリア ローマ RAI ジリオラ・チンクェッティトト・クトゥーニョ
37 1992 5月9にち   スウェーデン マルメ SVT リディア・カポリキオ英語えいごばんハラルド・トロイティガー英語えいごばん
38 1993 5月15にち   アイルランド ミルストリート RTÉ フィオヌアーラ・スウィーニー英語えいごばん
39 1994 4がつ30にち   アイルランド ダブリン RTÉ シンシア・ニー・ムルフー英語えいごばんジェリー・ライアン英語えいごばん
40 1995 5月13にち   アイルランド ダブリン RTÉ メアリー・ケネディ英語えいごばん
41 1996 5月18にち   ノルウェー オスロ NRK イングヴィル・ブリン英語えいごばんモートン・ハルケット
42 1997 5月3にち   アイルランド ダブリン RTÉ キャリー・クロウリー英語えいごばんローナン・キーティング
43 1998 5月9にち   イギリス バーミンガム BBC テリー・ウォーガン英語えいごばんウルリカ・ヨンソン英語えいごばん
44 1999 5月29にち   イスラエル エルサレム IBA イーガル・ラヴィド英語えいごばんダフナ・デケル英語えいごばんシガル・シャフモン英語えいごばん
45 2000 5月13にち   スウェーデン ストックホルム SVT カティス・オールストローム英語えいごばんアンデシュ・ルンディーン英語えいごばん
46 2001 5月12にち   デンマーク コペンハーゲン DR ナターシャ・クローネ英語えいごばんセーレン・ピルマルク英語えいごばん
47 2002 5月25にち   エストニア タリン ERR アンネリ・ペーボ英語えいごばんマルコ・マトヴェレ英語えいごばん
48 2003 5月24にち   ラトビア リガ LTV英語えいごばん マリヤ・ナウモワ英語えいごばんレナールス・カウペルス英語えいごばん
49 2004 5月15にち   トルコ イスタンブール TRT メルテム・ジュンブル英語えいごばんコルハン・アバイ英語えいごばん
50 2005 5月21にち   ウクライナ キエフ NTU英語えいごばん マリーヤ・イェフローシニナ英語えいごばんパヴロ・シルコ英語えいごばん
51 2006 5がつ20日はつか   ギリシャ アテネ ERT マリア・メヌーノス英語えいごばんサキス・ルーヴァス
52 2007 5月12にち   フィンランド ヘルシンキ YLE ヤーナ・ペルコネン英語えいごばんミッコ・レッピランピ英語えいごばん
53 2008 5月24にち   セルビア ベオグラード RTS ヨヴァナ・ヤンコヴィッチ英語えいごばんジェリコ・ヨクシモヴィッチ
54 2009 5月16にち   ロシア モスクワ C1R アルスーイワン・ウルガント英語えいごばん
55 2010 5月29にち   ノルウェー オスロ NRK エリック・ソルバッケン英語えいごばんハディ・ヤトウ・ンジェ英語えいごばんナディア・ハスナウイ英語えいごばん
56 2011 5月14にち   ドイツ デュッセルドルフ NDR アンケ・エンゲルケ英語えいごばんユディット・ラケルス英語えいごばんシュテファン・ラープ
57 2012 5月26にち   アゼルバイジャン バクー İTV英語えいごばん レイラ・アリエワ英語えいごばんエルダル・ガスモフナルギズ・ビルク=ピーターセン英語えいごばん
58 2013 5月18にち   スウェーデン マルメ SVT ペートラ・メーデ英語えいごばん
59 2014 5がつ10日とおか   デンマーク コペンハーゲン DR ニコライ・コッペル英語えいごばんピル・アスベック英語えいごばんリセ・ロネ英語えいごばん
60 2015 5月23にち   オーストリア ウィーン ORF ミリヤム・ヴァイフゼルブラウン英語えいごばんアリーセ・トゥムラー英語えいごばんアラベラ・キースバウアー英語えいごばんコンチータ・ヴルスト
61 2016 5月14にち   スウェーデン ストックホルム SVT モンス・セルメルローペートラ・メーデ英語えいごばん
62 2017 5月13にち   ウクライナ キエフ NTU英語えいごばん オレクサンドル・スキチコ英語えいごばんヴォロディミル・オスタプチューク英語えいごばんティムール・ミロシュニチェンコ英語えいごばん
63 2018 5月12にち   ポルトガル リスボン RTP フィロメナ・カウテーラ英語えいごばんシルビア・アルベルト英語えいごばんダニエラ・ルーアカタリナ・フルータド英語えいごばん
64 2019 5月18にち   イスラエル テルアビブ KAN英語えいごばん バー・ラファエリエレズ・タル英語えいごばんアシ・アーザルルーシー・アユーブ英語えいごばん
2020 新型しんがたコロナウイルス感染かんせんしょう流行りゅうこうにより中止ちゅうし
65 2021 5月22にち   オランダ ロッテルダム NPO エドシリア・ロンブリー英語えいごばんシャンタル・ヤンゼン英語えいごばんヤン・スミット英語えいごばんニッキ・デ・ヤガー英語えいごばん
66 2022 5月14にち   イタリア トリノ RAI ラウラ・パウジーニアレッサンドロ・カッテラン英語えいごばんミーカ
67 2023 5月13にち   イギリス リヴァプール BBC アレシャー・ディックソン英語えいごばんハンナ・ウォッディンガム英語えいごばんユリア・サニーナ英語えいごばんグレアム・ノートン英語えいごばん
68 2024 5月11にち   スウェーデン マルメ SVT ペートラ・メーデ英語えいごばんマリン・アッカーマン

なま歌唱かしょう

編集へんしゅう

2020ねん以前いぜんすべての歌唱かしょうせいうたうことが義務付ぎむづけられている。バック・トラックにこえれることはみとめられていない[56]。1999ねん大会たいかいでは、クロアチア代表だいひょうドリス・ドラゴヴィッチDoris Dragović)の楽曲がっきょくのバック・トラックに、人間にんげんこえはいっているといううたがいがたれた。クロアチアの代表だいひょうだんは、バック・トラックに人間にんげんこえはいっておらず、ディジタルてき合成ごうせいした音声おんせいふくまれているだけだと主張しゅちょうした。しかし欧州おうしゅう放送ほうそう連合れんごうは、クロアチアがわがルールの精神せいしんやぶったとして、翌年よくねん以降いこう参加さんか可否かひめるさいもちいる過去かこ5年間ねんかん平均へいきん得点とくてん算出さんしゅつするさいに、このとしのクロアチアの得点とくてんから33%をげんずると決定けっていした[60]

1956ねんから1998ねんまで、主催しゅさいしゃ参加さんかしゃのために伴奏ばんそうなま提供ていきょうするオーケストラ用意よういする必要ひつようがあった。1973ねん以前いぜんは、すべての音楽おんがく主催しゅさいがわ用意よういしたオーケストラが演奏えんそうすることがさだめられていた。1973ねん以降いこうは、事前じぜん録音ろくおんしたバック・トラックの使用しようみとめられるようになったが、その参加さんかしゃがオーケストラによる演奏えんそう録音ろくおんみのバック・トラックとをえらべるように、1998ねんまではオーケストラが用意よういされた。もしバック・トラックを使用しようする場合ばあい使用しようされるすべての楽器がっきがステージにがることが義務付ぎむづけられていたが、この規定きていは1997ねん廃止はいしされた[47]

1999ねんからは主催しゅさいがわがオーケストラを用意よういする義務ぎむはなくなり、主催しゅさいしゃ任意にんいとされた[31]。このとし大会たいかい主催しゅさいしたイスラエル放送ほうそうきょくは、経費けいひ節減せつげんのためにオーケストラを用意よういしないことを決定けっていし、すべての楽曲がっきょくが(なま歌唱かしょうとともに)事前じぜん録音ろくおんされたバック・トラックとともに演奏えんそうされるはじめての大会たいかいとなった。それ以降いこう大会たいかいではオーケストラは使用しようされていない。

2021ねん大会たいかい以後いごすう年間ねんかん新型しんがたコロナウイルス感染かんせんしょう流行りゅうこうしたでの開催かいさいであるため、ルールが変更へんこうされ、バッキングボーカル事前じぜん録音ろくおん許可きょかされることになった[61][62]

参加さんかする楽曲がっきょく歌詞かし使つか言語げんごかんする規定きていいくあらためられてきている。1956ねんから1965ねんまでは、歌詞かしもちいる言語げんごについてはなにさだめられていなかった。しかし、1966ねんに、参加さんかこく公用こうようもちいることがさだめられた[16]

歌詞かし使用しようする言語げんご参加さんかこく公用こうようかぎ制限せいげんは、1973ねんふたた解除かいじょされ、参加さんかしゃ自由じゆう言語げんごえらぶことができるようになった[63]。1970年代ねんだいなかばの大会たいかいでは、英語えいご公用こうようとしない国々くにぐに参加さんかしゃ英語えいご使つかうことが出来できたため、1974ねん優勝ゆうしょうしゃであるスウェーデンのABBAをはじめとして、英語えいごけんからの参加さんかしゃにはおおきな恩恵おんけいをもたらした。

1977ねん欧州おうしゅう放送ほうそう連合れんごうふたた言語げんご制限せいげんれることをめ、この時点じてんすで国内こくない選考せんこうすすんでいたドイツとベルギーは特例とくれいとして例外れいがいあつかいするものとした。[64]

1999ねん言語げんご制限せいげんふたた廃止はいしされ、自由じゆう歌詞かし言語げんごえらべるようになった[60]。このため、2003ねんのベルギーの代表だいひょうきょくSanomi」のように、架空かくう言語げんごうたうことも可能かのうとなった[65]。2006ねんのオランダ代表だいひょうきょくAmambanda」でも、英語えいごとともに架空かくう言語げんご使用しようされた[65]。2008ねんのベルギー代表だいひょうきょくO Julissi」でもまた、架空かくう言語げんご使用しようされている[65]

放送ほうそう

編集へんしゅう

すべての参加さんか放送ほうそうきょくは、番組ばんぐみ全編ぜんぺんわたって放送ほうそうすることを義務付ぎむづけられ、すべての参加さんかしゃ歌唱かしょうとそのダイジェスト、投票とうひょう授賞じゅしょうしきまで放送ほうそうしなければならない。唯一ゆいいつ例外れいがいとして、宣伝せんでん放送ほうそうのためにさだめられた時間じかんたいに、番組ばんぐみわりにかく放送ほうそうきょく宣伝せんでん放送ほうそうれることがみとめられている[56]。1999ねん以降いこう宣伝せんでん挿入そうにゅうしたい放送ほうそうきょくのために、幕間まくあい重要じゅうようではないみじか映像えいぞうなが時間じかんもうけられた[31]

国家こっか承認しょうにんかんする政治せいじてき問題もんだい

編集へんしゅう

1978ねん、イスラエルのパフォーマンスちゅう、ヨルダンの放送ほうそうきょくJRTVJRTV)は放送ほうそう中断ちゅうだんし、はな映像えいぞううつした。投票とうひょうのときにイスラエルの優勝ゆうしょう確定かくていてきとなると、JRTVは中継ちゅうけい突如とつじょ中止ちゅうしした[47]。その、ヨルダンのニュース・メディアはイスラエルの優勝ゆうしょうほうじることをこばみ、実際じっさいには2であったベルギーを優勝ゆうしょうこくほうじた[66]

2005ねん、レバノンが大会たいかいへの参加さんか希望きぼうしていた。しかし、レバノンの法律ほうりつではイスラエルの存在そんざいみとめることを禁止きんししており、レバノンはイスラエルのパフォーマンスは中継ちゅうけいしない予定よていであった。しかし、そのような行為こうい大会たいかい規定きていはんするものとして欧州おうしゅう放送ほうそう連合れんごうからみとめられず、レバノンの放送ほうそうきょく大会たいかい参加さんか見送みおくらざるをなかった。レバノンはすで参加さんか申請しんせいをしていたが、申請しんせい辞退じたいしたため、レバノンには罰金ばっきんされた[67]

1956ねんはつ放送ほうそうでは、1きょく時間じかんは3ふんはん以内いないのぞましいとされた[68]。1957ねん抗議こうぎがあったにもかかわらず、イタリアは5ふん9びょうおよぶパフォーマンスをおこなった。このため、1きょくを3ふん以内いないとすることが義務付ぎむづけられた[69]

1957ねんから1970ねんまで(1956ねんはまったく制限せいげんがなかった)、ソロ歌手かしゅのみが参加さんかできる規定きていとなっていた。1963ねんからは、3にん以内いないのコーラスがみとめられるようになった。1971ねんから、6にん以下いかのパフォーマーの参加さんかみとめられるようになった[28]

欧州おうしゅう放送ほうそう連合れんごうは、参加さんかしゃ国籍こくせきかんする規定きていさだめていない。しかし、各国かっこく放送ほうそうきょく独自どくじ判断はんだん自国じこく代表だいひょう国民こくみんかぎることはみとめられている[28]

1990ねん以降いこう参加さんかしゃ年齢ねんれいは16さい以上いじょうさだめられた[56]

パフォーマンスや歌詞かしは、大会たいかい悪評あくひょうをもたらすものであってはならない、とされている[56]

大会たいかい拡大かくだい

編集へんしゅう
 
1992ねん大会たいかい参加さんかこくあか着色ちゃくしょくされているユーゴスラビア社会しゃかい主義しゅぎ連邦れんぽう共和きょうわこくは、1991ねん大会たいかいへの参加さんか最後さいご解体かいたいし、1992ねん大会たいかいではセルビアモンテネグロからユーゴスラビア連邦れんぽう共和きょうわこくとしての参加さんかとなった。
 
1994ねん大会たいかい参加さんかこく中央ちゅうおうヨーロッパひがしヨーロッパ国々くにぐにや、ユーゴスラビアから独立どくりつした国々くにぐにからの参加さんかえ、1992ねん大会たいかいとは参加さんかこく分布ぶんぷおおきくわっている

ユーロビジョン・ソング・コンテストに参加さんかする国々くにぐにかずは、おおむ増加ぞうかつづけており、1956ねんには7箇国かこくであったものが1980年代ねんだい後半こうはんには20箇国かこくえるようになった。1993ねんには25箇国かこくからの参加さんかがあり、ユーゴスラビア社会しゃかい主義しゅぎ連邦れんぽう共和きょうわこく解体かいたいによってボスニア・ヘルツェゴビナクロアチアスロベニア独立どくりつこくとしてはじめて参加さんかした[70]

大会たいかいなま中継ちゅうけい放送ほうそうされるため、時間じかん制約せいやくまもらなければならない。規定きていうえでは、大会たいかい放送ほうそう時間じかんは3時間じかん以内いないとされている。しばしば大会たいかい予定よてい時間じかんえて、中継ちゅうけい延長えんちょうされることもきている[31]

予選よせん参加さんか制限せいげん

編集へんしゅう

1993ねん以降いこう大会たいかいへの参加さんか希望きぼうするくにえ、すべての参加さんか希望きぼうこく時間じかんない放送ほうそうすることがむずかしくなってきた。本選ほんせん参加さんかできるくにかず一定いっていすうしぼるために、参加さんか制限せいげん予選よせんなどの方法ほうほうこころみられてきた。1993ねんのコンテストでは、きゅう社会しゃかい主義しゅぎ地域ちいき国々くにぐには、クヴァリフィカツィヤ・ザ・ミルストリート銘打めいうってリュブリャナでおこなわれる予選よせんにまず参加さんかし、本選ほんせんへの出場しゅつじょうけんあらそわれることとなった。ボスニア・ヘルツェゴビナクロアチアエストニアハンガリールーマニアスロベニアスロバキアがこの予選よせん参加さんかし、ユーゴスラビアから独立どくりつしたボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、スロベニアの3箇国かこく本選ほんせんへの出場しゅつじょうめた[71]さらに、このとし大会たいかいから参加さんか制限せいげん導入どうにゅうされた。1993ねん大会たいかい予選落よせんおちした国々くにぐになどにも門戸もんこひらくため、このとし大会たいかい順位じゅんいひくかった国々くにぐに翌年よくねん大会たいかいへは参加さんかできないことがめられた。1994ねん大会たいかいでは、リトアニア、ポーランド、ロシアがはつ参加さんかとなった[72]

1994ねん、1995ねん大会たいかいでも同様どうよう参加さんか制限せいげんもうけられたが[73]、1996ねんからはべつ予選よせん方式ほうしき導入どうにゅうされ、ほぼすべての参加さんかこく予選よせんくわわることが必要ひつようとなった。このとき方式ほうしきでは、まずほん大会たいかいすう週間しゅうかんまえかく参加さんかきょくおさめたオーディオ・テープが各国かっこく審査しんさいんおくられる。そして各国かっこく審査しんさいんによって本選ほんせん参加さんかできる楽曲がっきょくえらばれる[74]。1996ねん大会たいかい主催しゅさいこくとなったノルウェーは自動的じどうてき本選ほんせん参加さんかみとめられており、予選よせんからは除外じょがいされた。

1996ねん大会たいかい本選ほんせん参加さんかのがしたくにひとつはドイツであった。ドイツは、欧州おうしゅう放送ほうそう連合れんごう最大さいだい資金しきん拠出きょしゅつこくひとつであり、ドイツの不参加ふさんか資金しきんなんにつながった[74]

1997ねんから2001ねんまでは、過去かこ5年間ねんかん大会たいかい順位じゅんい平均へいきんによって大会たいかい参加さんか可否かひめられた[75][76]。しかし、どれほどきょく準備じゅんびしたとしても、たん過去かこ順位じゅんいひくいだけの理由りゆう大会たいかい参加さんかできないという「ばち」をけることにたいしては、おおきな不満ふまんこえがった。欧州おうしゅう放送ほうそう連合れんごうはこの問題もんだいたいして、より恒久こうきゅうてきのぞまれる解決かいけつほう模索もさくした。そして、予選よせん決勝けっしょうの2つのショーをおこなうことがめられた。ショーを2つにすることによって、すべての参加さんか希望きぼうこく参加さんかでき、現実げんじつてき時間じかんない放送ほうそうできる大会たいかい実現じつげん可能かのうとなった。予選よせんは「ユーロビジョン準決勝じゅんけっしょう」とばれるようになった[77]

2000ねんより、前年ぜんねんまでの順位じゅんいなどにかかわらず、イギリス、ドイツ、フランス、スペインの4箇国かこくには自動的じどうてきにユーロビジョン・ソング・コンテストの本選ほんせん決勝けっしょう進出しんしゅつみとめられるようになった[31]。これらの国々くにぐに欧州おうしゅう放送ほうそう連合れんごう主要しゅよう資金しきん拠出きょしゅつこくであり、かれらの存在そんざいなしにはユーロビジョン・ソング・コンテストの実施じっしむずかしい。これらの国々くにぐには、その特例とくれいあつかいのために「Big 4」とばれている[78]。2010ねん12月31にち、イタリアが2011ねん大会たいかい以降いこう自動的じどうてき決勝けっしょう進出しんしゅつすることがみとめられるようになり、「Big 4」は「Big 5」とばれるようになった。これはイタリアが1998ねんから2010ねん大会たいかいまで参加さんかしていなかったため(イタリアの出場しゅつじょうが、準決勝じゅんけっしょう方式ほうしきおよびBig4方式ほうしき採用さいようされてからはじめてになるため)である。

準決勝じゅんけっしょう

編集へんしゅう

2004ねん大会たいかいからは、「準決勝じゅんけっしょう」とばれる予選よせん導入どうにゅうされた[79]当初とうしょ準決勝じゅんけっしょうはユーロビジョン・ウィークの水曜日すいようびおこなわれ、協定きょうてい世界せかい土曜日どようびの19からおこなわれる決勝けっしょう同様どうよう形式けいしきおこなわれた。準決勝じゅんけっしょう順位じゅんいたかかった参加さんかきょく決勝けっしょうへの進出しんしゅつみとめられ、順位じゅんいひくかったものはそこで敗退はいたいとなる。2005ねんから2007ねんまでは、準決勝じゅんけっしょう木曜日もくようびおこなわれた[80]

自動的じどうてき決勝けっしょう進出しんしゅつみとめられているBig 4をのぞき、決勝けっしょう順位じゅんいたかかったほうから10箇国かこくは、翌年よくねん準決勝じゅんけっしょうへの参加さんかなしに決勝けっしょうへの参加さんかみとめられた。ドイツなどのBig 4のくにが10以内いないにあった場合ばあいは11以降いこうふくめて、上位じょういからじゅんにBig 4以外いがいの10箇国かこくはいったくに翌年よくねん決勝けっしょうからの参加さんかとなった[28]。その国々くにぐに準決勝じゅんけっしょうからの参加さんかとされた[28]

2007ねん9がつ欧州おうしゅう放送ほうそう連合れんごうの50かい定例ていれい会合かいごうおこなわれ、翌年よくねん2008ねん大会たいかいからは2つの準決勝じゅんけっしょうおこなうことが決定けっていされた[81]。2008ねん以降いこう前年ぜんねん大会たいかいでの順位じゅんい考慮こうりょれられず、Big 4と主催しゅさいこく以外いがいすべてのくに準決勝じゅんけっしょうから参加さんかすることがめられた。主催しゅさいこくならびにドイツ、フランス、イギリス、スペインのBig 4の国々くにぐにのみが、準決勝じゅんけっしょうなしに決勝けっしょう参加さんかできるものとされた[56]

2つの準決勝じゅんけっしょうでは、それぞれに参加さんかする国々くにぐにによって決勝けっしょう同様どうよう投票とうひょうおこなわれ、決勝けっしょう進出しんしゅつするくにまる。自動的じどうてき決勝けっしょう進出しんしゅつする5箇国かこく準決勝じゅんけっしょうには参加さんかしないが、2つのうちどちらかの準決勝じゅんけっしょうでは投票とうひょうくわわる。この5箇国かこくのうち、どのくにがどちらの準決勝じゅんけっしょう投票とうひょうするかは事前じぜん決定けっていされる。決勝けっしょうでは、決勝けっしょう参加さんかしていない国々くにぐにふくめてすべてのくに投票とうひょうおこな[82]

準決勝じゅんけっしょうでの投票とうひょうわったのち順位じゅんいたかかった国々くにぐに決勝けっしょうへの参加さんかみとめられる。完全かんぜん投票とうひょう結果けっか決勝けっしょうわったのち欧州おうしゅう放送ほうそう連合れんごうのウェブサイトで公開こうかいされる[56]

優勝ゆうしょうしゃ

編集へんしゅう
 
1956ねん大会たいかい優勝ゆうしょうしゃリス・アシアと、2008ねん大会たいかい優勝ゆうしょうしゃジーマ・ビラーン

ユーロビジョン・ソング・コンテストでの優勝ゆうしょうは、アーティストにとって世間せけんからの注目ちゅうもくあつめ、それ以降いこうのキャリアをきず絶好ぜっこう機会きかいとなる。

アーティスト

編集へんしゅう

ユーロビジョン・ソング・コンテストでの優勝ゆうしょうが、その成功せいこう直接ちょくせつむすびついたもっと著名ちょめい事例じれいは、1974ねん大会たいかいで「Waterloo」をうたって優勝ゆうしょうたしたABBAであろう。ABBAはこののち当時とうじもっと成功せいこうしたバンドのひとつとなった[83]。2021ねん大会たいかいでイタリア代表だいひょうとして出場しゅつじょうしたマネスキンは、「Zitti e buoni」で優勝ゆうしょうしたのちから数カ月すうかげつ世界せかいてき人気にんき獲得かくとくしたロックバンドとなった[84]

ユーロビジョンでの優勝ゆうしょうおおきく成功せいこうしたべつのアーティストとしては、1988ねん大会たいかいで「わたしをおいて旅立たびだたないで」をうたって優勝ゆうしょうしたセリーヌ・ディオンがる。このとき優勝ゆうしょうは、国際こくさいてき成功せいこうにつながるものとなった[85]

他方たほうすで成功せいこうしたキャリアをきずきあげて有名ゆうめいになっているアーティストが優勝ゆうしょうしゃとなることもおおい。たとえば、イギリスを代表だいひょうして1997ねん大会たいかいで「Love Shine a Light」をうたい、優勝ゆうしょうしたKatrina and the Wavesなどがこれにあたる[86]

また、ユーロビジョン・ソング・コンテストでの優勝ゆうしょうにもかかわらず、その国際こくさいてき注目ちゅうもくされることのほとんどない、あるいはまったくないアーティストもいる。

参加さんかこく

編集へんしゅう
 
ユーロビジョンでの優勝ゆうしょう回数かいすうしめ地図ちず

2023ねん時点じてんで、アイルランドスウェーデン優勝ゆうしょう回数かいすう最多さいた記録きろくっており、7かい優勝ゆうしょう経験けいけんしている。また、1992ねん、1993ねん、1994ねんと3ねん連続れんぞくでの優勝ゆうしょう経験けいけんしているのもアイルランドのみである。

ユーロビジョン・ソング・コンテストの初期しょきころは、「伝統でんとうてきな」強豪きょうごうはフランス、オランダ、ルクセンブルクであった。しかし、これらの国々くにぐにはそのはあまりおおきな成功せいこうておらず、フランスの最後さいご優勝ゆうしょうは1977ねん、ルクセンブルクは1983ねんであり、それぞれこれ以降いこう優勝ゆうしょうからとおざかっている(オランダは2019ねん)。ルクセンブルクは1993ねん以降いこう大会たいかいそのものに参加さんかしていない[87]

2000年代ねんだいはいると、ユーロビジョン新参しんざん国々くにぐにや、長年ながねん参加さんかしていたものの優勝ゆうしょう経験けいけんのなかった国々くにぐになど、おおくのはつ優勝ゆうしょうくに登場とうじょうした。2001ねんから2008ねんまでの優勝ゆうしょうこくすべはつ優勝ゆうしょうであった。2006ねん優勝ゆうしょうしたフィンランドは45かい、2017ねん優勝ゆうしょうしたポルトガルは49かいにわたる参加さんかすえはつ優勝ゆうしょうであった。他方たほう、2004ねん優勝ゆうしょうしたウクライナは参加さんか2かいでのはつ優勝ゆうしょうとなった。2007ねんには、独立どくりつこくとしてはじめて大会たいかい参加さんかしたセルビアがはつ優勝ゆうしょうたした[88]

批判ひはん論争ろんそう

編集へんしゅう

ユーロビジョン・ソング・コンテストは、その音楽おんがくかんするめん音楽おんがくよりも政治せいじかんするめん双方そうほう批判ひはん対象たいしょうとなっている[89][90]

音楽おんがくせいとその表現ひょうげん

編集へんしゅう

大会たいかい参加さんかする音楽おんがくくのは多様たよう国際こくさいてき観衆かんしゅうであり、かれらの音楽おんがくてき嗜好しこうはそれぞれことなっている。また、こう得点とくてん目指めざしてよりおおくの観衆かんしゅうから支持しじられるようにと、その参加さんかきょく無難ぶなん王道おうどうポップスとなることがおおい。こうした路線ろせんはずれた楽曲がっきょく大会たいかい成功せいこうすることはむずかしく、結果けっかとして大会たいかい参加さんかきょくバブルガム・ポップだとする批判ひはんしている[91]。しかし、こうした傾向けいこうには例外れいがいもあり、2006ねんローディ(フィンランド)や2021ねんマネスキン(イタリア)のように、ロック・バンドがすべりてき優勝ゆうしょうめたことがある。また、ユーロビジョンは視覚しかくてきなパフォーマンスをともな大会たいかいであるため、その音楽おんがくせいよりも視覚しかくてき部分ぶぶん観衆かんしゅうこうとする参加さんかしゃおおく、派手はでをてらったようなパフォーマンスがしばしばられる[92]。このため、批評ひひょうあいだではよくキッチュれいとしてげられる[93]

政治せいじてき投票とうひょう行動こうどう

編集へんしゅう

大会たいかい長年ながねん政治せいじてき影響えいきょうられつづけており、審査しんさいん視聴しちょうしゃによる投票とうひょうでは、各国かっこくあいだ関係かんけい影響えいきょうあたえているといわれている[94]。ユーロビジョン・ソング・コンテストでの投票とうひょうパターンにかんする研究けんきゅうによると、一部いちぶ国々くにぐにあきらかに、たがいに投票とうひょうしあい、同様どうよう投票とうひょうパターンをかえぐん形作かたちづくっているとしている[95]大会たいかいでのこうした傾向けいこう擁護ようごする立場たちばからは、こうした投票とうひょうパターンがしょうずる理由りゆうとして、それらの国々くにぐにではたがいに音楽おんがくてき嗜好しこう文化ぶんかちかかったり、言語げんご似通にかよっていたりするため[96]たがいの音楽おんがくりやすい傾向けいこうがあるのだとしている。たとえば、ギリシャとキプロスは、かえたがいに12てんれあう投票とうひょうつづけているが(1998ねん視聴しちょうしゃ投票とうひょう導入どうにゅうされてから2009ねんまでのあいだに、この例外れいがいとなったのはギリシャがイギリスに12てんあたえた2009ねんのみであった)、キプロス紛争ふんそう以降いこう両国りょうこく言語げんご文化ぶんかおなじくしており、共通きょうつう音楽おんがく市場いちば形成けいせいしているため、一方いっぽうくにのスターは他方たほうくにでもよくられているためだといわれる。

投票とうひょう結果けっか左右さゆうするもうひとつの主要しゅよう要因よういんとして、移民いみんによる投票とうひょう少数しょうすう民族みんぞく投票とうひょうがある。大会たいかいでは自国じこくへの投票とうひょうはできないが、祖国そこくはなれてらす移民いみんは、自分じぶんんでいるくにからみずからの出身しゅっしんこく投票とうひょうすることができる。あるくに少数しょうすう民族みんぞくが、その出自しゅつじかかわりのふかくに投票とうひょうすることも同様どうようである。こうした現象げんしょうは、かつてユーゴスラビア社会しゃかい主義しゅぎ連邦れんぽう共和きょうわこくぞくしたバルカン半島ばるかんはんとう諸国しょこく投票とうひょうパターンで顕著けんちょである[97]。トルコへの「移民いみんひょう」は投票とうひょう結果けっかおおきな影響えいきょうあたえており、ヨーロッパ各国かっこくでトルコからの移民いみんおおらすドイツやオランダ、ベルギー、フランス、オーストリアといった国々くにぐにからトルコにこう得点とくてんがもたらされてきている[98]

LGBT文化ぶんかとのかかわり

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ドラァグクイーンコンチータ・ヴルストなど、LGBT歌手かしゅアイテムは1990年代ねんだい以降いこう大会たいかいおお登場とうじょうするため、ヨーロッパのみならずこの大会たいかい知名度ちめいどひく北米ほくべいでもLGBTフレンドリー・イベントとして認識にんしきされている[10][99][100]大会たいかいは「ゲイ・コンテスト」「ゲイのオリンピック」「ゲイのワールドカップ」「ゲイのスーパーボウル」とばれることもある[101][102][100]。また、2014ねん大会たいかいではウクライナの情勢じょうせいとも同性愛どうせいあい宣伝せんでん禁止きんしほう可決かけつしたロシアからの歌手かしゅたいし、現場げんば観客かんきゃくらがブーイングびせた[103][104][105]。このため、コンチータ・ヴルストが優勝ゆうしょうした以降いこう明言めいげんしないが大会たいかいが「ゲイすぎる」として不参加ふさんかめたくにもある[106][107]

ユーロビジョン・ソング・コンテストからの派生はせいや、これをした大会たいかい数多かずおおまれている:

2005ねん8がつ欧州おうしゅう放送ほうそう連合れんごうはユーロビジョン・ソング・コンテストの50周年しゅうねん記念きねんして特別とくべつ企画きかく開催かいさいした。この企画きかくは、イギリス代表だいひょうとして大会たいかい参加さんかしたクリフ・リチャード楽曲がっきょくCongratulations」にちなんで「Congratulations」とだいされ、それまでのユーロビジョン・ソング・コンテストの50ねんあいだ大会たいかい出場しゅつじょうしたおおくのアーティストらが登場とうじょうした。それまでのユーロビジョン史上しじょうもっとかった楽曲がっきょくえら視聴しちょうしゃ投票とうひょうおこなわれ、1974ねん大会たいかい優勝ゆうしょうしたABBAの「Waterloo」がえらばれた[111]

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう
  1. ^ Winners of the Eurovision Song Contest” (PDF). European Broadcasting Union. 2007ねん12月26にち閲覧えつらん
  2. ^ Live Webcast”. European Broadcasting Union. 2006ねん5がつ25にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2006ねん5がつ25にち閲覧えつらん
  3. ^ Staff (2006ねん5がつ21にち). “Finland wins Eurovision contest”. Al Jazeera English. 2007ねん5がつ8にち閲覧えつらん
  4. ^ Murray, Matthew. “Eurovision Song Contest - International Music Program”. Museum of Broadcast Communications. 2006ねん7がつ15にち閲覧えつらん
  5. ^ Eurovision recognised by Guinness World Records as the longest-running annual TV music competition (international)” (英語えいご). Guinness World Records (2015ねん5がつ23にち). 2021ねん5がつ30にち閲覧えつらん
  6. ^ Eurovision Trivia” (PDF). BBC Online (2002ねん). 2006ねん7がつ18にち閲覧えつらん
  7. ^ Eurovision Song Contest 1972”. European Broadcasting Union. 2009ねん7がつ21にち閲覧えつらん
  8. ^ Eurovision Song Contest 2004 Final”. European Broadcasting Union. 2009ねん7がつ22にち閲覧えつらん
  9. ^ Philip Laven (2002ねん7がつ). “Webcasting and the Eurovision Song Contest”. European Broadcasting Union. 2006ねん8がつ21にち閲覧えつらん
  10. ^ a b Tangcay, Jazz (2020ねん6がつ26にち). “‘Eurovision’ Director David Dobkin Had Never Heard of the Song Contest, But Then Fell in Love” (英語えいご). Variety. 2021ねん3がつ14にち閲覧えつらん
  11. ^ Eurovision Song Contest invites Australia to join ‘world’s biggest party’” (英語えいご). the Guardian (2015ねん2がつ10日とおか). 2021ねん8がつ18にち閲覧えつらん
  12. ^ a b c Staff (2005ねん5がつ17にち). “Singing out loud and proud”. Bristol Evening Post (Daily Mail and General Trust). "In the mid-1950s, the members of the European Broadcasting Union set up an ad-hoc committee to investigate ways of rallying the countries of Europe round a light entertainment programme. At Monaco, in late January 1955, this committee, chaired by Marcel Bezencon, director general of Swiss Television, came up with the idea of creating a song contest, inspired by the very popular San Remo Festival. The idea was approved by the EBU General Assembly in Rome on October 19, 1955, and it was decided that the first "Eurovision Grand Prix" - so baptised, incidentally, by a British journalist - would take place in spring 1956 at Lugano, Switzerland. (日本語にほんごやく)1950年代ねんだいなかば、欧州おうしゅう放送ほうそう連合れんごう加盟かめい放送ほうそうきょくは、あかるいエンターテイメント番組ばんぐみにて欧州おうしゅう諸国しょこくきそあんについて調査ちょうさするための臨時りんじ委員いいんかいげた。1995ねん1がつまつモナコにて、スイス・テレビジョン(Schweizer Fernsehen会長かいちょうのマルセル・ブザンソン(Marcel Bezençon)を委員いいんちょうとする臨時りんじ委員いいんかいひらかれ、とても有名ゆうめいサンレモ音楽おんがくさい着想ちゃくそう歌唱かしょうコンテストをもよおあん浮上ふじょうした。このあんは、1955ねん10がつ19にちローマひらかれた欧州おうしゅう放送ほうそう連合れんごう総会そうかい採択さいたくされ、「ユーロビジョン・グランプリ」 - このづけは、偶然ぐうぜんにもイギリスのジャーナリストによる - は1956ねんはるにスイスのルガーノ開催かいさいされる見通みとおしとなった" 
  13. ^ a b c Jaquin, Patrick (2004ねん12月1にち). “Eurovision's Golden Jubilee”. European Broadcasting Union. 2004ねん8がつ11にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2009ねん7がつ18にち閲覧えつらん
  14. ^ History of Eurovision”. BBC Online (2003ねん). 2006ねん7がつ20日はつか閲覧えつらん
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外部がいぶリンク

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