ユーロビジョン・ソング・コンテスト (英語 えいご :Eurovision Song Contest 、ESC、フランス語 ふらんすご :Concours Eurovision de la Chanson 、CEC)[ 1] は、欧州 おうしゅう 放送 ほうそう 連合 れんごう (EBU)加盟 かめい 放送 ほうそう 局 きょく によって開催 かいさい される、毎年 まいとし 恒例 こうれい の音楽 おんがく コンテスト である。
ユーロビジョン・ソング・コンテストEurovision Song Contest
2011年 ねん 大会 たいかい 会場 かいじょう のデュッセルドルフ・アレーナ
通称 つうしょう ・略称 りゃくしょう
ユーロビジョン、ESC、CEC 正式 せいしき 名称 めいしょう
Eurovision Song Contest(英 えい ) Concours Eurovision de la Chanson(仏 ふつ ) 旧 きゅう イベント名 めい
Grand Prix de la Chanson 開催 かいさい 時期 じき
毎年 まいとし 5月 がつ 初回 しょかい 開催 かいさい
1956年 ねん 5月 がつ 24日 にち 会場 かいじょう
持 も ち回 まわ り 主催 しゅさい
欧州 おうしゅう 放送 ほうそう 連合 れんごう
公式 こうしき サイト テンプレートを表示 ひょうじ
1950年代 ねんだい 、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご の復興 ふっこう が進 すす んでいたヨーロッパで、スイス に本部 ほんぶ を置 お く欧州 おうしゅう 放送 ほうそう 連合 れんごう は、加盟 かめい 国 こく が一体 いったい となっての「明 あか るいエンターテイメント番組 ばんぐみ 」を模索 もさく するべく臨時 りんじ 委員 いいん 会 かい を立 た ち上 あ げた[ 12] 。1955年 ねん 1月 がつ にモナコ で開催 かいさい された委員 いいん 会 かい では、スイス・テレビジョン(Schweizer Fernsehen )会長 かいちょう のマルセル・ブザンソン(Marcel Bezençon )によって、加盟 かめい 放送 ほうそう 局 きょく によって全 ぜん 参加 さんか 国 こく に生 なま 中継 ちゅうけい されるテレビ番組 ばんぐみ による、国際 こくさい 的 てき な歌唱 かしょう コンテストを開催 かいさい する案 あん を取 と り上 あ げた[ 12] [ 13] 。大会 たいかい は、イタリア で行 おこな われていたサンレモ音楽 おんがく 祭 さい を原型 げんけい としている[ 14] 。この案 あん はまた、大 だい 規模 きぼ な生放送 なまほうそう の技術 ぎじゅつ 的 てき な試験 しけん でもあった。当時 とうじ 、多 おお くの国々 くにぐに が共同 きょうどう して広域 こういき 的 てき ・国際 こくさい 的 てき な通信 つうしん 網 もう を築 きず くことは、挑戦 ちょうせん 的 てき な計画 けいかく であった。当時 とうじ 衛星 えいせい 放送 ほうそう は存在 そんざい せず、ユーロビジョン・ネットワーク と呼 よ ばれる地上 ちじょう でのマイクロ波 は 中継 ちゅうけい があるのみであった[ 15] 。「ユーロビジョン・グランプリ」の案 あん は、1955年 ねん 10月19日 にち にローマ で開 ひら かれた欧州 おうしゅう 放送 ほうそう 連合 れんごう の総会 そうかい で採択 さいたく され、初 はつ の大会 たいかい が1956年 ねん 春 はる にスイスのルガーノ で開催 かいさい されることが決 き まった[ 12] 。「ユーロビジョン」の呼称 こしょう は、1951年 ねん にロンドン・イブニング・スタンダード (London Evening Standard )でイギリス のジャーナリスト、ジョージ・キャンピー(George Campey)によって初 はじ めて使 つか われた[ 13] 。
初 はつ のコンテストは1956年 ねん 5月24日 にち にスイスのルガーノで開催 かいさい された。7箇国 かこく がそれぞれ2つの楽曲 がっきょく をエントリーし、合計 ごうけい 14曲 きょく によって競 きそ われた。この大会 たいかい はユーロビジョンの歴史 れきし 上 じょう で唯一 ゆいいつ 、各国 かっこく が複数 ふくすう の曲 きょく をエントリーした大会 たいかい となった。翌年 よくねん 以降 いこう の大会 たいかい では、1国 こく につき1曲 きょく とされた。1956年 ねん 大会 たいかい で優勝 ゆうしょう したのは、開催 かいさい 国 こく のスイスであった[ 16] 。
番組 ばんぐみ ははじめ「ユーロビジョン・グランプリ」(Eurovision Grand Prix)と呼 よ ばれていた。「グランプリ」という呼称 こしょう はフランス語 ふらんすご 圏 けん の国々 くにぐに によって採用 さいよう され、フランス語 ふらんすご でははじめ「ル・グランプリ・ユーロヴィジオン・ド・ラ・シャンソン・ユーロペンヌ」(Le Grand-Prix Eurovision de la Chanson Européenne)と呼 よ ばれていた[ 17] 。その後 ご 「グランプリ」の呼称 こしょう が「コンテスト」に置 お き換 か わると、フランス語 ふらんすご 圏 けん ではこれに対応 たいおう して「グランプリ」から「コンクール」(Concours)に改 あらた められた。ユーロビジョン・ネットワークは、欧州 おうしゅう 放送 ほうそう 連合 れんごう によって企画 きかく された特別 とくべつ なイベントのほかにも、多 おお くのニュースやスポーツ番組 ばんぐみ を国際 こくさい 配信 はいしん している[ 18] 。しかし、多 おお くの一般 いっぱん 大衆 たいしゅう にとって、単 たん に「ユーロビジョン」といえば、ユーロビジョン・ソング・コンテストを想起 そうき する[ 15] 。
大会 たいかい の形式 けいしき は長年 ながねん にわたって変更 へんこう を重 かさ ねてきているが、基本 きほん 的 てき な構成 こうせい は次 つぎ の通 とお りである: まず各国 かっこく が参加 さんか する楽曲 がっきょく を決 き め、その曲 きょく が生 せい で披露 ひろう され、欧州 おうしゅう 放送 ほうそう 連合 れんごう によってその様子 ようす が全 すべ ての参加 さんか 国 こく に同時 どうじ 中継 ちゅうけい される[ 19] 。参加 さんか する国 くに はその国 くに にあるEBU加盟 かめい 放送 ほうそう 局 きょく によって代表 だいひょう され、多 おお くの場合 ばあい はその国 くに の公共 こうきょう 放送 ほうそう である。大会 たいかい はいずれかの参加 さんか 国 こく が主催 しゅさい し、会場 かいじょう から主催 しゅさい 国 こく の放送 ほうそう 局 きょく までが中継 ちゅうけい で結 むす ばれる。大会 たいかい では、すべての参加 さんか 国 こく が楽曲 がっきょく を披露 ひろう した後 のち 、各国 かっこく の放送 ほうそう 局 きょく は自国 じこく 以外 いがい の参加 さんか 曲 きょく に対 たい する投票 とうひょう を実施 じっし する。自国 じこく への投票 とうひょう は認 みと められていない。最後 さいご に、最多 さいた 得点 とくてん を得 え たものが優勝 ゆうしょう 者 しゃ として選 えら ばれる。優勝 ゆうしょう 者 しゃ にはとくに何 なに かが与 あた えられるわけではないが、一般 いっぱん 的 てき にその作詞 さくし 者 しゃ にはトロフィーが贈 おく られ、また優勝 ゆうしょう 国 こく は次回 じかい 大会 たいかい の主催 しゅさい 権 けん が与 あた えられる[ 16] 。
司会 しかい 者 しゃ の数 かず は特 とく に定 さだ まっておらず、1人 ひとり あるいはそれ以上 いじょう の司会 しかい 者 しゃ によって大会 たいかい が進行 しんこう される。主催 しゅさい 国 こく は多 おお くの場合 ばあい 、国内外 こくないがい から訪 おとず れる多 おお くの観客 かんきゃく の受 う け入 い れや、そのための施設 しせつ が整 ととの っている首都 しゅと に会場 かいじょう を置 お くことが多 おお いが、首都 しゅと 以外 いがい で開 ひら かれることもある。楽曲 がっきょく の披露 ひろう と投票 とうひょう までの間 あいだ には、幕間 まくあい の見世物 みせもの が披露 ひろう される。その内容 ないよう は毎回 まいかい さまざまにことなっている。幕間 まくあい に登場 とうじょう したものとしては、1974年 ねん 大会 たいかい のThe Wombles [ 20] や、1994年 ねん 大会 たいかい のリバーダンス の初 はつ の国際 こくさい 的 てき な催 もよお しへの登場 とうじょう [ 21] などがある。
大会 たいかい の放送 ほうそう の前 まえ と後 のち に放送 ほうそう されるテーマソングは、マルカントワーヌ・シャルパンティエ の「テ・デウム 」のプレリュードである[ 13] 。
大会 たいかい の決勝 けっしょう は通常 つうじょう 、春季 しゅんき のいずれかの土曜日 どようび 、中央 ちゅうおう ヨーロッパ夏時間 なつじかん (CEST、UTC+2 )の21時 じ から行 おこな われる[ 22] 。5月の土曜日 どようび が選 えら ばれることが多 おお いが、1956年 ねん 大会 たいかい は木曜日 もくようび であり[ 23] 、また最 もっと も早 はや い場合 ばあい 3月 がつ に行 おこな われることもある[ 24] 。2004年 ねん 以降 いこう 、参加 さんか を希望 きぼう する国 くに の数 かず が増 ふ えたことに対応 たいおう し、準決勝 じゅんけっしょう が導入 どうにゅう され、決勝 けっしょう が行 おこな われる土曜日 どようび と同 おな じ週 しゅう の、平日 へいじつ のいずれかに行 おこな われている。
参加 さんか 国 こく はそれぞれ毎年 まいとし 、自国 じこく 代表 だいひょう として1曲 きょく を選 えら び、大会 たいかい に参加 さんか する。この例外 れいがい となったのは1956年 ねん の初回 しょかい 大会 たいかい であり、各国 かっこく はそれぞれ2曲 きょく を大会 たいかい に参加 さんか させた。大会 たいかい 前 まえ の規定 きてい の日時 にちじ より前 まえ に公開 こうかい された楽曲 がっきょく は、代表 だいひょう 曲 きょく として大会 たいかい に参加 さんか させることはできない[ 28] 。
国 くに によっては、複数 ふくすう の楽曲 がっきょく が競 きそ い合 あ う国内 こくない 大会 たいかい を公開 こうかい で開催 かいさい し、その中 なか から自国 じこく 代表 だいひょう を選出 せんしゅつ することもある。スウェーデンの国内 こくない 選考 せんこう であるメロディーフェスティバーレン (Melodifestivalen)は、ストックホルム で行 おこな われる決勝 けっしょう に先立 さきだ って、大勢 おおぜい の観客 かんきゃく が集 あつ まる会場 かいじょう で、32の楽曲 がっきょく が4回 かい の準決勝 じゅんけっしょう に分 わ けて披露 ひろう される。これは、スウェーデンで最 もっと も視聴 しちょう 率 りつ の高 たか い番組 ばんぐみ となっている[ 29] 。スペインでは、リアリティ番組 ばんぐみ 「オペラション・トリウンフォ 」( Operación Triunfo )が2002年 ねん から始 はじ まり、その最初 さいしょ の3シーズンの優勝 ゆうしょう 者 しゃ がスペイン代表 だいひょう としてユーロビジョンに参加 さんか する[ 30] 。
代表 だいひょう 曲 きょく の選出 せんしゅつ 方法 ほうほう に関 かか わらず、大会 たいかい 規定 きてい の締切 しめきり 日 び までに曲 きょく を選定 せんてい し、欧州 おうしゅう 放送 ほうそう 連合 れんごう に必要 ひつよう 事項 じこう を提出 ていしゅつ しなければならない[ 31] 。
原則 げんそく としては前年 ぜんねん の優勝 ゆうしょう 国 こく で開催 かいさい されるが、ごくわずかに例外 れいがい がある[ 16] 。また、2015年 ねん 以降 いこう 、オーストラリア も参加 さんか 国 こく となっているが、オーストラリアが優勝 ゆうしょう する場合 ばあい 、翌年 よくねん の開催 かいさい 地 ち はヨーロッパのいずれかの国 くに が選 えら ばれると決 き められている[ 32] 。
大会 たいかい に要 よう する費用 ひよう の多 おお くは、スポンサー からの出資 しゅっし と、参加 さんか 国 こく からの参加 さんか 費用 ひよう でまかなわれている。コンテストの主催 しゅさい は、主催 しゅさい 国 こく の観光 かんこう 宣伝 せんでん の絶好 ぜっこう の機会 きかい となる。ウクライナが大会 たいかい を主催 しゅさい した翌年 よくねん ・2005年 ねん の夏 なつ 、同国 どうこく は欧州 おうしゅう 連合 れんごう からの入国 にゅうこく 者 しゃ に関 かん して査証 さしょう を免除 めんじょ とした[ 33] 。
ストックホルム・グローブ・アリーナ 、2000年 ねん 大会 たいかい と2016年 ねん 大会 たいかい の会場 かいじょう
大会 たいかい が終 お わった直後 ちょくご から、次 つぎ の大会 たいかい の開催 かいさい の準備 じゅんび が開始 かいし される。受 う け入 い れ能力 のうりょく や施設 しせつ の関係 かんけい から、多 おお くの場合 ばあい 、主催 しゅさい 国 こく の首都 しゅと で開催 かいさい されることが多 おお い。過去 かこ 最大 さいだい の会場 かいじょう となったのは、デンマークで開催 かいさい された2001年 ねん 大会 たいかい であり、この時 とき はコペンハーゲン のサッカー競技 きょうぎ 場 じょう パルケン・スタディオン が使用 しよう され、およそ3万 まん 8千 せん 人 にん の観客 かんきゃく が集 あつ まった[ 16] 。これまでで最 もっと も小 ちい さい開催 かいさい 都市 とし は、アイルランド主催 しゅさい の1993年 ねん 大会 たいかい でのことであり、開催 かいさい 地 ち となったコーク県 けん ミルストリート は人口 じんこう 1500人 にん 程度 ていど の村 むら であったが[ 34] 、会場 かいじょう のグリーン・グレンズ・アリーナ (Green Glens Arena )は8千 せん 人 にん の観客 かんきゃく を収容 しゅうよう 可能 かのう である[ 35] 。
周辺 しゅうへん にホテルや報道 ほうどう 設備 せつび があることは、開催 かいさい 地 ち を決 き める上 うえ で必 かなら ず考慮 こうりょ される[ 36] 。2005年 ねん のキエフ では、宿泊 しゅくはく 施設 しせつ の不足 ふそく が深刻 しんこく であり、大会 たいかい 主催 しゅさい 者 しゃ はウクライナ政府 せいふ に対 たい して、大会 たいかい 関係 かんけい 者 しゃ やパッケージツアー以外 いがい の宿泊 しゅくはく 予約 よやく を差 さ し止 と めるよう求 もと め、多 おお くの個人 こじん 宿泊 しゅくはく 客 きゃく が予約 よやく をキャンセルされた[ 37] 。
「ユーロビジョン・ウィーク」とは、コンテストが開催 かいさい される週 しゅう のことである。ユーロビジョン・ソング・コンテストはライブで行 おこな われるため、円滑 えんかつ な進行 しんこう のために参加 さんか アーティストは各自 かくじ 、それぞれのライブ・パフォーマンスをリハーサルしておく必要 ひつよう がある。加 くわ えて、アーティストたちは実際 じっさい の会場 かいじょう を使 つか って練習 れんしゅう する機会 きかい もある。大会 たいかい の前 まえ に参加 さんか アーティストはそれぞれ自国 じこく でリハーサルを済 す ませ、その後 ご 大会 たいかい の行 おこな われる開催 かいさい 地 ち に移 うつ る。このため、本 ほん 大会 たいかい が始 はじ まる前 まえ からマスコミや観衆 かんしゅう はアーティストたちのパフォーマンスや動向 どうこう を見 み られる。主催 しゅさい 者 しゃ は大会 たいかい 参加 さんか 者 しゃ のためにホテルを指定 してい し、また会場 かいじょう に移動 いどう するためのシャトルバスを用意 ようい する[ 39] 。
それぞれの参加 さんか 放送 ほうそう 局 きょく は代表 だいひょう 団長 だんちょう を選出 せんしゅつ する。代表 だいひょう 団長 だんちょう は代表 だいひょう 団 だん の活動 かつどう を調整 ちょうせい し、欧州 おうしゅう 放送 ほうそう 連合 れんごう に対 たい して大会 たいかい 開催 かいさい 地 ち における自国 じこく 代表 だいひょう としての役割 やくわり を果 は たす[ 28] 。代表 だいひょう 団 だん には、出場 しゅつじょう アーティストや作詞 さくし 者 しゃ 、作曲 さっきょく 者 しゃ 、公式 こうしき プレス関係 かんけい 者 しゃ に加 くわ え、オーケストラの生 なま 演奏 えんそう を伴 ともな う場合 ばあい はその指揮 しき 者 しゃ などが含 ふく まれる。また、必要 ひつよう に応 おう じてコメンテーテーも代表 だいひょう 団 だん に含 ふく まれることがある。コメンテーターには、会場 かいじょう の観客 かんきゃく 席 せき の後 うし ろに設 もう けられたコメンテーター席 せき が用意 ようい される。
2006年 ねん 大会 たいかい で、リハーサルを行 おこな うエストニア 代表 だいひょう
かつて、代表 だいひょう 団 だん は大会 たいかい 1週間 しゅうかん 前 まえ の日曜日 にちようび に開催 かいさい 地 ち 入 い りし、大会 たいかい の週 しゅう の月曜日 げつようび のリハーサルに参加 さんか するのが通例 つうれい であった。しかし、準決勝 じゅんけっしょう の導入 どうにゅう によって参加 さんか 国 こく の数 かず が増 ふ えたことから、2004年 ねん からはリハーサルは大会 たいかい の前 まえ の週 しゅう に行 おこな われるようになった。準決勝 じゅんけっしょう に参加 さんか する諸国 しょこく は、大会 たいかい 前 まえ の週 しゅう の木曜日 もくようび から日曜日 にちようび にかけてリハーサルを行 おこな っており、1国 こく につき2回 かい のリハーサルが認 みと められている。準決勝 じゅんけっしょう を経 へ ずに決勝 けっしょう に進 すす む国 くに は、大会 たいかい の週 しゅう の月曜日 げつようび と木曜日 もくようび にリハーサルを行 おこな う[ 40]
2006年 ねん 大会 たいかい のスイス による記者 きしゃ 会見 かいけん
参加 さんか 各国 かっこく がリハーサルを終 お えた後 のち 、各国 かっこく の代表 だいひょう 団 だん は大会 たいかい の監督 かんとく に会 あ い、リハーサルの映像 えいぞう を元 もと に議論 ぎろん を行 おこな う。この時 とき 、代表 だいひょう 団長 だんちょう は監督 かんとく に対 たい して、パフォーマンスのために必要 ひつよう な特別 とくべつ な求 もと めがあればそれを伝 つた え、主催 しゅさい 放送 ほうそう 局 きょく に手配 てはい を求 もと める。この会合 かいごう の後 のち 、代表 だいひょう 団 だん は記者 きしゃ 会見 かいけん を行 おこな い、著名 ちょめい なメディアの関係 かんけい 者 しゃ が集 あつ まって代表 だいひょう 団 だん に対 たい して質問 しつもん を行 おこな う[ 40] 。リハーサルと記者 きしゃ 会見 かいけん は並行 へいこう して進 すす められる。そのため、ある国 くに が記者 きしゃ 会見 かいけん を行 おこな っているとき、次 つぎ の国 くに が会場 かいじょう でリハーサルを行 おこな っている。記者 きしゃ 会見 かいけん での質疑 しつぎ の要約 ようやく は書面 しょめん 化 か され、ジャーナリストのpigeon-holes に投稿 とうこう される[ 41] 。
準決勝 じゅんけっしょう の前 まえ に、本番 ほんばん 同様 どうよう の衣装 いしょう で、完全 かんぜん なリハーサルが1回 かい 以上 いじょう 行 おこな われる。大会 たいかい のチケットは不足 ふそく しがちであることから、この最終 さいしゅう リハーサルも観客 かんきゃく に公開 こうかい され、チケットが発売 はつばい される。また、準決勝 じゅんけっしょう が終 お わった後 のち 、決勝 けっしょう の前 まえ にも同様 どうよう の完全 かんぜん なリハーサルが2回 かい 以上 いじょう 行 おこな われる[ 40] 。
通例 つうれい 、ユーロビジョン・ウィークが始 はじ まる月曜日 げつようび に「市長 しちょう のレセプション」が開 ひら かれ、開催 かいさい 地 ち の首長 しゅちょう が、大会 たいかい の主催 しゅさい 地 ち となることを祝福 しゅくふく する。この会 かい は通常 つうじょう 、自治体 じちたい の所有 しょゆう する市 し 中心 ちゅうしん 部 ぶ の施設 しせつ で行 おこな われる。全 すべ ての代表 だいひょう 団 だん が招待 しょうたい され、ライブ音楽 おんがく や食事 しょくじ が提供 ていきょう される。また、花火 はなび が打 う ち上 あ げられることもある[ 42] 。準決勝 じゅんけっしょう と決勝 けっしょう が終 お わった後 のち には、アフター・ショー・パーティが開催 かいさい される。パーティは会場 かいじょう で行 おこな われることも、市内 しない の別 べつ の場所 ばしょ で行 おこな われることもある[ 43] 。
ユーロクラブ は、ユーロビジョン・ウィークの間 あいだ 、毎晩 まいばん 開 ひら かれる、ユーロビジョンをテーマとしたナイトクラブ であり、大会 たいかい 関係 かんけい 者 しゃ が招待 しょうたい される[ 44] 。
ユーロビジョン・ウィークには、このほかに各国 かっこく の代表 だいひょう 団 だん が独自 どくじ のパーティを開催 かいさい することも多 おお かったが、2000年代 ねんだい に入 はい ってからはこうした催 もよお しはユーロクラブに集約 しゅうやく 化 か される傾向 けいこう にある[ 44] 。
大会 たいかい の投票 とうひょう システムは何 なん 度 ど か変 か わってきている。現行 げんこう の投票 とうひょう システムは1975年 ねん から始 はじ まったものであり、ボルダ得点 とくてん 方式 ほうしき が採 と られている。各国 かっこく は、1点 てん から8点 てん までの各 かく 得点 とくてん 、および10点 てん と12点 てん を、他国 たこく の曲 きょく に与 あた える。このとき、12点 てん を最高 さいこう として、評価 ひょうか の高 たか い曲 きょく により高 たか い得点 とくてん を与 あた える[ 45] 。
2016年 ねん 以降 いこう のユーロビジョン・ソング・コンテストでの得点 とくてん 付与 ふよ のルール[ 45] [ 46]
各国 かっこく の審査 しんさ 員 いん または視聴 しちょう 者 しゃ による投票 とうひょう の順位 じゅんい
1位 い
2位 い
3位 い
4位 い
5位 い
6位 い
7位 い
8位 い
9位 い
10位 い
11位 い 以降 いこう
各国 かっこく の審査 しんさ 員 いん または視聴 しちょう 者 しゃ からの得点 とくてん
12点 てん
10点 てん
8点 てん
7点 てん
6点 てん
5点 てん
4点 てん
3点 てん
2点 てん
1点 てん
0点 てん
かつては、他国 たこく の楽曲 がっきょく に与 あた える得点 とくてん を決 き めるのは、各国 かっこく から選 えら ばれた審査 しんさ 員 いん であったが、1997年 ねん には5つの国 くに (オーストリア、スイス、ドイツ、スウェーデン、イギリス)が視聴 しちょう 者 しゃ による電話 でんわ 投票 とうひょう を取 と り入 い れ、自国 じこく の視聴 しちょう 者 しゃ が選考 せんこう に加 くわ われるようにした。この試 こころ みは成功 せいこう し[ 47] 、1998年 ねん からは全 すべ ての国 くに に対 たい して視聴 しちょう 者 しゃ 投票 とうひょう を導入 どうにゅう するよう求 もと められた。その後 ご も、電話 でんわ 投票 とうひょう ができなかったときのために予備 よび 審査 しんさ 員 いん が指定 してい されている。ショートメッセージサービス (SMS)の普及 ふきゅう にともなって、これが電話 でんわ 投票 とうひょう と併用 へいよう されることも多 おお くなってきている。審査 しんさ 員 いん 投票 とうひょう 、電話 でんわ 投票 とうひょう とSMSによる投票 とうひょう のいずれの場合 ばあい でも、自国 じこく に投票 とうひょう することはできない。
なお、従来 じゅうらい は大会 たいかい に参加 さんか する国 くに からの視聴 しちょう 者 しゃ だけが投票 とうひょう できるが、2023年 ねん 大会 たいかい でのルール変更 へんこう により全 ぜん 世界 せかい の視聴 しちょう 者 しゃ が好 す きな曲 きょく に投票 とうひょう することが可能 かのう になる[ 48] 。
それぞれの国 くに の楽曲 がっきょく と幕間 まくあい のパフォーマンスが終 お わった後 のち 、各国 かっこく から与 あた えられる得点 とくてん が確定 かくてい すると、大会 たいかい の司会 しかい は順 じゅん に各国 かっこく の得点 とくてん 発表 はっぴょう 者 しゃ と連絡 れんらく をとり、その国 くに の投票 とうひょう 結果 けっか の発表 はっぴょう を求 もと める。1994年 ねん までは、司会 しかい が得点 とくてん 発表 はっぴょう 者 しゃ と電話 でんわ をつなぎ、その音声 おんせい が会場 かいじょう やテレビ放送 ほうそう に中継 ちゅうけい されていた。衛星 えいせい 通信 つうしん 技術 ぎじゅつ の発展 はってん に伴 ともな い、1994年 ねん からはテレビ中継 ちゅうけい となり、それぞれの国 くに の得点 とくてん 発表 はっぴょう 者 しゃ の映像 えいぞう が映 うつ し出 だ され、得点 とくてん が発表 はっぴょう されるようになった。得点 とくてん 発表 はっぴょう 者 しゃ は、それぞれ自国 じこく の風景 ふうけい を背 せ に、その国 くに からの得点 とくてん を読 よ み上 あ げることが多 おお い。また、得点 とくてん 発表 はっぴょう に加 くわ えて短 みじか いメッセージを述 の べることも多 おお い。各国 かっこく からの得点 とくてん 発表 はっぴょう は、得点 とくてん の低 ひく いほうから昇順 しょうじゅん で発表 はっぴょう され、最後 さいご が最高 さいこう 得点 とくてん の12点 てん となる。得点 とくてん 発表 はっぴょう は英語 えいご またはフランス語 ふらんすご で読 よ み上 あ げられ、司会 しかい 者 しゃ によってそれぞれフランス語 ふらんすご または英語 えいご で繰 く り返 かえ される。司会 しかい 者 しゃ によって高 たか らかに「ドゥーズ・ポワン」(douze points 、フランス語 ふらんすご で「12得点 とくてん 」の意味 いみ )と繰 く り返 かえ されるシーンは大会 たいかい の風物詩 ふうぶつし となっている[ 31] 。
1957年 ねん から2003年 ねん までの間 あいだ 、得点 とくてん の発表 はっぴょう の順 じゅん は大会 たいかい でのパフォーマンスの順 じゅん と同 おな じであった。2004年 ねん 大会 たいかい で準決勝 じゅんけっしょう が取 と り入 い れられてからは、決勝 けっしょう に参加 さんか していない国 くに も票 ひょう を投 とう ずることになるため、この方式 ほうしき は変更 へんこう されることになる。2004年 ねん にはISO 3166-1 によるアルファベット順 じゅん で発表 はっぴょう された[ 49] 。2005年 ねん には準決勝 じゅんけっしょう で敗退 はいたい した国 くに が、準決勝 じゅんけっしょう のパフォーマンスの順 じゅん でまず発表 はっぴょう し、その後 ご 決勝 けっしょう 参加 さんか 国 こく が決勝 けっしょう でのパフォーマンスの順 じゅん に発表 はっぴょう した。2006年 ねん 以降 いこう は、くじ引 び きで発表 はっぴょう 順 じゅん を決 き めるようになった[ 50] 。ただし、近年 きんねん の慣例 かんれい としては前回 ぜんかい の主催 しゅさい 国 こく が最初 さいしょ に発表 はっぴょう し、当年度 とうねんど の主催 しゅさい 国 こく が最後 さいご に発表 はっぴょう する仕組 しく みを採 と っている[ 51] 。
1971年 ねん から1973年 ねん までは、各国 かっこく それぞれ2人 にん の審査 しんさ 員 いん が大会 たいかい 会場 かいじょう に入 はい り、カメラを向 む けられて得点 とくてん を発表 はっぴょう していた。1973年 ねん 、スイスの審査 しんさ 員 いん の1人 ひとり は激 はげ しいジェスチャーで派手 はで な発表 はっぴょう を披露 ひろう した。翌年 よくねん から、この方式 ほうしき は使 つか われなくなった[ 47] 。
1956年 ねん には得点 とくてん 発表 はっぴょう は公開 こうかい されず、審査 しんさ 員 いん は単 たん にスイスが優勝 ゆうしょう したことのみを告 つ げた。1957年 ねん から1987年 ねん まで、得点 とくてん はステージ横 よこ に置 お かれた実物 じつぶつ のスコアボードに掲示 けいじ された。ディジタル技術 ぎじゅつ の進歩 しんぽ により、1988年 ねん からは、大会 たいかい 監督 かんとく の指示 しじ によってテレビ画面 がめん 上 じょう に映 うつ し出 だ される電子 でんし 的 てき なスコアボードに置 お き換 か わった[ 52] 。
参加 さんか 国 こく の数 かず が増大 ぞうだい する中 なか で、2006年 ねん 、欧州 おうしゅう 放送 ほうそう 連合 れんごう は時間 じかん 節約 せつやく のために、各国 かっこく からの得点 とくてん 読 よ み上 あ げの簡略 かんりゃく 化 か を決定 けってい した。これ以降 いこう 、全 すべ ての得点 とくてん を読 よ み上 あ げることはされなくなり、1点 てん から7点 てん までは自動的 じどうてき に画面 がめん に表示 ひょうじ され、8点 てん 、10点 てん 、12点 てん のみを読 よ み上 あ げる方式 ほうしき に変 か わった[ 50] 。また、2016年 ねん の改革 かいかく により、各国 かっこく からの審査 しんさ 員 いん 票 ひょう の得点 とくてん の読 よ み上 あ げは12点 てん のみとなり、その後 ご に会場 かいじょう の司会 しかい 者 しゃ による大衆 たいしゅう 投票 とうひょう の点数 てんすう を発表 はっぴょう するようになっている。
投票 とうひょう は、欧州 おうしゅう 放送 ほうそう 連合 れんごう の投票 とうひょう 検査 けんさ 人 じん によって監督 かんとく されており、全 すべ ての得点 とくてん が正 ただ しく配分 はいぶん されていることが確認 かくにん される。検査 けんさ 人 じん は投票 とうひょう 順序 じゅんじょ の最後 さいご の5国 こく の投票 とうひょう 結果 けっか を事前 じぜん に知 し り得 え る立場 たちば にあり、これによって、たとえば他国 たこく による得点 とくてん 配分 はいぶん を見 み てから自国 じこく の得点 とくてん 配分 はいぶん を変 か えるといった、不正 ふせい な戦略 せんりゃく 投票 とうひょう 行為 こうい を防 ふせ いでいる[ 31] 。
1969年 ねん 、フランス、スペイン、オランダ、イギリスの4箇国 かこく が同 どう 得点 とくてん で首位 しゅい となる事態 じたい が起 お こった。この時 とき は同点 どうてん 首位 しゅい の場合 ばあい の規定 きてい がなかったために、4箇国 かこく 全 すべ てが優勝 ゆうしょう 者 しゃ とされた。これに対 たい して他 た の参加 さんか 国 こく から大 おお きな不満 ふまん があがり、翌年 よくねん の1970年 ねん 大会 たいかい ではフィンランド、ノルウェー、スウェーデン、ポルトガルが抗議 こうぎ のために欠場 けつじょう した。このため、欧州 おうしゅう 放送 ほうそう 連合 れんごう は同点 どうてん 首位 しゅい の場合 ばあい の優勝 ゆうしょう 者 しゃ 決定 けってい の規定 きてい を導入 どうにゅう した[ 53] [ 54] 。
2018年 ねん の時点 じてん で、現行 げんこう の方式 ほうしき では、同点 どうてん で首位 しゅい に並 なら んだ場合 ばあい には視聴 しちょう 者 しゃ から得点 とくてん が多 おお い国 くに が優勝 ゆうしょう 国 こく となる。それでも同数 どうすう であった場合 ばあい は、首位 しゅい となった国々 くにぐに がそれぞれ何 なん 箇国 かこく から1点 てん 以上 いじょう の得点 とくてん を得 え ているかを数 かぞ え上 あ げ、最 もっと も多 おお くの国 くに から得点 とくてん を得 え ている国 くに が優勝 ゆうしょう 国 こく となる[ 55] 。もしそれでもなお同数 どうすう であった場合 ばあい は、最大 さいだい 得点 とくてん である12点 てん を多 おお くの国 くに から得 え ている国 くに が優勝 ゆうしょう 国 こく となる。なお同数 どうすう であった場合 ばあい は、次 つぎ に10点 てん を多 おお く得 え ている国 くに が、次 つ いで8点 てん を多 おお く得 え ている国 くに を優勝 ゆうしょう 国 こく とし、以下 いか 同様 どうよう である。まず起 お こりそうにないが、それでもなお同数 どうすう であった場合 ばあい は、パフォーマンスの登場 とうじょう 順 じゅん の早 はや いほうが優勝 ゆうしょう 国 こく とされる。この方式 ほうしき は首位 しゅい だけでなく全 すべ ての順位 じゅんい に対 たい して適用 てきよう されるようになり、2箇国 かこく 以上 いじょう が同位 どうい で並 なら ぶことはなくなった[ 56] 。
1969年 ねん 大会 たいかい 以降 いこう 、2018年 ねん 大会 たいかい までで複数 ふくすう の国 くに が首位 しゅい に並 なら んだのは1991年 ねん のみであり、この時 とき はフランスとスウェーデンが146得点 とくてん で並 なら んだ。1991年 ねん 当時 とうじ は、1点 てん 以上 いじょう の得点 とくてん を多 おお く得 え ている国 くに を優勝 ゆうしょう とする規定 きてい がなく、まず12点 てん を多 おお く得 え ている国 くに が優勝 ゆうしょう とされることとなっていた。この時 とき フランスとスウェーデンは共 とも に4箇国 かこく から12点 てん を得 え ていた。しかし、スウェーデンはより多 おお くの国 くに から10点 てん を得 え ていたため、スウェーデンが優勝 ゆうしょう 国 こく とされた。もしも現行 げんこう の規定 きてい がこの当時 とうじ から導入 どうにゅう されていたら、フランスが優勝 ゆうしょう 国 こく となるところであった[ 47] 。
1958年 ねん 大会 たいかい では、優勝 ゆうしょう 国 こく (この時 とき はフランス)が次回 じかい の大会 たいかい を主催 しゅさい する規定 きてい が定 さだ められ[ 16] 、2020年 ねん 現在 げんざい はオーストラリア 以外 いがい の国 くに に適用 てきよう される[ 32] 。1957年 ねん 大会 たいかい の優勝 ゆうしょう 国 こく はオランダであり、オランダの放送 ほうそう 局 きょく は1958年 ねん 大会 たいかい の主催 しゅさい を了承 りょうしょう した。しかし、以下 いか の大会 たいかい では前年 ぜんねん の優勝 ゆうしょう 国 こく 以外 いがい の主催 しゅさい となっている。
費用 ひよう 負担 ふたん を理由 りゆう とした主催 しゅさい 権 けん 放棄 ほうき は主 おも に、その放送 ほうそう 局 きょく が過去 かこ 2年 ねん 以内 いない に一 いち 度 ど 主催 しゅさい していることによる。1981年 ねん 以降 いこう 、2020年 ねん までの時点 じてん で、すべて前年 ぜんねん の優勝 ゆうしょう 国 こく による主催 しゅさい となっている。
2020年 ねん 以前 いぜん は全 すべ ての歌唱 かしょう は生 せい で歌 うた うことが義務付 ぎむづ けられている。バック・トラックに声 こえ を入 い れることは認 みと められていない[ 56] 。1999年 ねん 大会 たいかい では、クロアチア代表 だいひょう のドリス・ドラゴヴィッチ (Doris Dragović )の楽曲 がっきょく のバック・トラックに、人間 にんげん の声 こえ が入 はい っているという疑 うたが いが持 も たれた。クロアチアの代表 だいひょう 団 だん は、バック・トラックに人間 にんげん の声 こえ は入 はい っておらず、ディジタル的 てき に合成 ごうせい した音声 おんせい が含 ふく まれているだけだと主張 しゅちょう した。しかし欧州 おうしゅう 放送 ほうそう 連合 れんごう は、クロアチア側 がわ がルールの精神 せいしん を破 やぶ ったとして、翌年 よくねん 以降 いこう の参加 さんか の可否 かひ を決 き める際 さい に用 もち いる過去 かこ 5年間 ねんかん の平均 へいきん 得点 とくてん を算出 さんしゅつ する際 さい に、この年 とし のクロアチアの得点 とくてん から33%を減 げん ずると決定 けってい した[ 60] 。
1956年 ねん から1998年 ねん まで、主催 しゅさい 者 しゃ は参加 さんか 者 しゃ のために伴奏 ばんそう を生 なま で提供 ていきょう するオーケストラ を用意 ようい する必要 ひつよう があった。1973年 ねん 以前 いぜん は、全 すべ ての音楽 おんがく を主催 しゅさい 側 がわ が用意 ようい したオーケストラが演奏 えんそう することが定 さだ められていた。1973年 ねん 以降 いこう は、事前 じぜん に録音 ろくおん したバック・トラックの使用 しよう が認 みと められるようになったが、その後 ご も参加 さんか 者 しゃ がオーケストラによる演奏 えんそう と録音 ろくおん 済 ず みのバック・トラックとを選 えら べるように、1998年 ねん まではオーケストラが用意 ようい された。もしバック・トラックを使用 しよう する場合 ばあい 、使用 しよう される全 すべ ての楽器 がっき がステージに上 あ がることが義務付 ぎむづ けられていたが、この規定 きてい は1997年 ねん に廃止 はいし された[ 47] 。
1999年 ねん からは主催 しゅさい 側 がわ がオーケストラを用意 ようい する義務 ぎむ はなくなり、主催 しゅさい 者 しゃ の任意 にんい とされた[ 31] 。この年 とし の大会 たいかい を主催 しゅさい したイスラエル放送 ほうそう 局 きょく は、経費 けいひ 節減 せつげん のためにオーケストラを用意 ようい しないことを決定 けってい し、全 すべ ての楽曲 がっきょく が(生 なま の歌唱 かしょう とともに)事前 じぜん に録音 ろくおん されたバック・トラックとともに演奏 えんそう される初 はじ めての大会 たいかい となった。それ以降 いこう の大会 たいかい ではオーケストラは使用 しよう されていない。
2021年 ねん の大会 たいかい 以後 いご の数 すう 年間 ねんかん は新型 しんがた コロナウイルス感染 かんせん 症 しょう の流行 りゅうこう の下 した での開催 かいさい であるため、ルールが変更 へんこう され、バッキングボーカル の事前 じぜん 録音 ろくおん が許可 きょか されることになった[ 61] [ 62] 。
参加 さんか する楽曲 がっきょく の歌詞 かし に使 つか う言語 げんご に関 かん する規定 きてい は幾 いく 度 ど か改 あらた められてきている。1956年 ねん から1965年 ねん までは、歌詞 かし に用 もち いる言語 げんご については何 なに も定 さだ められていなかった。しかし、1966年 ねん に、参加 さんか 国 こく の公用 こうよう 語 ご を用 もち いることが定 さだ められた[ 16] 。
歌詞 かし で使用 しよう する言語 げんご を参加 さんか 国 こく の公用 こうよう 語 ご に限 かぎ る制限 せいげん は、1973年 ねん に再 ふたた び解除 かいじょ され、参加 さんか 者 しゃ は自由 じゆう に言語 げんご を選 えら ぶことができるようになった[ 63] 。1970年代 ねんだい 半 なか ばの大会 たいかい では、英語 えいご を公用 こうよう 語 ご としない国々 くにぐに の参加 さんか 者 しゃ も英語 えいご を使 つか うことが出来 でき たため、1974年 ねん の優勝 ゆうしょう 者 しゃ であるスウェーデンのABBA をはじめとして、非 ひ 英語 えいご 圏 けん からの参加 さんか 者 しゃ には大 おお きな恩恵 おんけい をもたらした。
1977年 ねん 、欧州 おうしゅう 放送 ほうそう 連合 れんごう は再 ふたた び言語 げんご 制限 せいげん を取 と り入 い れることを決 き め、この時点 じてん で既 すで に国内 こくない 選考 せんこう が進 すす んでいたドイツとベルギーは特例 とくれい として例外 れいがい 扱 あつか いするものとした。[ 64] 。
1999年 ねん 、言語 げんご 制限 せいげん は再 ふたた び廃止 はいし され、自由 じゆう に歌詞 かし の言語 げんご を選 えら べるようになった[ 60] 。このため、2003年 ねん のベルギーの代表 だいひょう 曲 きょく 「Sanomi 」のように、架空 かくう の言語 げんご で歌 うた うことも可能 かのう となった[ 65] 。2006年 ねん のオランダ代表 だいひょう 曲 きょく 「Amambanda 」でも、英語 えいご とともに架空 かくう の言語 げんご が使用 しよう された[ 65] 。2008年 ねん のベルギー代表 だいひょう 曲 きょく 「O Julissi 」でもまた、架空 かくう の言語 げんご が使用 しよう されている[ 65] 。
すべての参加 さんか 放送 ほうそう 局 きょく は、番組 ばんぐみ を全編 ぜんぺん に渡 わた って放送 ほうそう することを義務付 ぎむづ けられ、全 すべ ての参加 さんか 者 しゃ の歌唱 かしょう とそのダイジェスト、投票 とうひょう と授賞 じゅしょう 式 しき まで放送 ほうそう しなければならない。唯一 ゆいいつ の例外 れいがい として、宣伝 せんでん 放送 ほうそう のために定 さだ められた時間 じかん 帯 たい に、番組 ばんぐみ の代 か わりに各 かく 放送 ほうそう 局 きょく が宣伝 せんでん 放送 ほうそう を入 い れることが認 みと められている[ 56] 。1999年 ねん 以降 いこう 、宣伝 せんでん を挿入 そうにゅう したい放送 ほうそう 局 きょく のために、幕間 まくあい に重要 じゅうよう ではない短 みじか い映像 えいぞう を流 なが す時間 じかん が設 もう けられた[ 31] 。
国家 こっか 承認 しょうにん に関 かん する政治 せいじ 的 てき 問題 もんだい
編集 へんしゅう
1978年 ねん 、イスラエルのパフォーマンス中 ちゅう 、ヨルダンの放送 ほうそう 局 きょく JRTV (JRTV )は放送 ほうそう を中断 ちゅうだん し、花 はな の映像 えいぞう を映 うつ し出 だ した。投票 とうひょう のときにイスラエルの優勝 ゆうしょう が確定 かくてい 的 てき となると、JRTVは中継 ちゅうけい を突如 とつじょ 中止 ちゅうし した[ 47] 。その後 ご 、ヨルダンのニュース・メディアはイスラエルの優勝 ゆうしょう を報 ほう じることを拒 こば み、実際 じっさい には2位 い であったベルギーを優勝 ゆうしょう 国 こく と報 ほう じた[ 66] 。
2005年 ねん 、レバノンが大会 たいかい への参加 さんか を希望 きぼう していた。しかし、レバノンの法律 ほうりつ ではイスラエルの存在 そんざい を認 みと めることを禁止 きんし しており、レバノンはイスラエルのパフォーマンスは中継 ちゅうけい しない予定 よてい であった。しかし、そのような行為 こうい は大会 たいかい 規定 きてい に反 はん するものとして欧州 おうしゅう 放送 ほうそう 連合 れんごう から認 みと められず、レバノンの放送 ほうそう 局 きょく は大会 たいかい 参加 さんか を見送 みおく らざるを得 え なかった。レバノンは既 すで に参加 さんか 申請 しんせい をしていたが、申請 しんせい の締 し め切 き り後 ご に辞退 じたい したため、レバノンには罰金 ばっきん が課 か された[ 67] 。
1956年 ねん の初 はつ の放送 ほうそう では、1曲 きょく の時間 じかん は3分 ふん 半 はん 以内 いない が望 のぞ ましいとされた[ 68] 。1957年 ねん 、抗議 こうぎ があったにもかかわらず、イタリアは5分 ふん 9秒 びょう に及 およ ぶパフォーマンスを行 おこな った。このため、1曲 きょく を3分 ふん 以内 いない とすることが義務付 ぎむづ けられた[ 69] 。
1957年 ねん から1970年 ねん まで(1956年 ねん はまったく制限 せいげん がなかった)、ソロ歌手 かしゅ のみが参加 さんか できる規定 きてい となっていた。1963年 ねん からは、3人 にん 以内 いない のコーラスが認 みと められるようになった。1971年 ねん から、6人 にん 以下 いか のパフォーマーの参加 さんか が認 みと められるようになった[ 28] 。
欧州 おうしゅう 放送 ほうそう 連合 れんごう は、参加 さんか 者 しゃ の国籍 こくせき に関 かん する規定 きてい を定 さだ めていない。しかし、各国 かっこく の放送 ほうそう 局 きょく が独自 どくじ の判断 はんだん で自国 じこく 代表 だいひょう を自 じ 国民 こくみん に限 かぎ ることは認 みと められている[ 28] 。
1990年 ねん 以降 いこう 、参加 さんか 者 しゃ の年齢 ねんれい は16歳 さい 以上 いじょう と定 さだ められた[ 56] 。
パフォーマンスや歌詞 かし は、大会 たいかい に悪評 あくひょう をもたらすものであってはならない、とされている[ 56] 。
1992年 ねん 大会 たいかい の参加 さんか 国 こく 。赤 あか で着色 ちゃくしょく されているユーゴスラビア社会 しゃかい 主義 しゅぎ 連邦 れんぽう 共和 きょうわ 国 こく は、1991年 ねん 大会 たいかい への参加 さんか を最後 さいご に解体 かいたい し、1992年 ねん 大会 たいかい ではセルビア とモンテネグロ から成 な るユーゴスラビア連邦 れんぽう 共和 きょうわ 国 こく としての参加 さんか となった。
1994年 ねん 大会 たいかい の参加 さんか 国 こく 。中央 ちゅうおう ヨーロッパ 、東 ひがし ヨーロッパ の国々 くにぐに や、ユーゴスラビアから独立 どくりつ した国々 くにぐに からの参加 さんか が増 ふ え、1992年 ねん 大会 たいかい とは参加 さんか 国 こく の分布 ぶんぷ が大 おお きく変 か わっている
ユーロビジョン・ソング・コンテストに参加 さんか する国々 くにぐに の数 かず は、概 おおむ ね増加 ぞうか を続 つづ けており、1956年 ねん には7箇国 かこく であったものが1980年代 ねんだい 後半 こうはん には20箇国 かこく を超 こ えるようになった。1993年 ねん には25箇国 かこく からの参加 さんか があり、ユーゴスラビア社会 しゃかい 主義 しゅぎ 連邦 れんぽう 共和 きょうわ 国 こく の解体 かいたい によってボスニア・ヘルツェゴビナ やクロアチア 、スロベニア が独立 どくりつ 国 こく として初 はじ めて参加 さんか した[ 70] 。
大会 たいかい は生 なま 中継 ちゅうけい で放送 ほうそう されるため、時間 じかん の制約 せいやく を守 まも らなければならない。規定 きてい の上 うえ では、大会 たいかい 放送 ほうそう 時間 じかん は3時間 じかん 以内 いない とされている。しばしば大会 たいかい が予定 よてい 時間 じかん を越 こ えて、中継 ちゅうけい が延長 えんちょう されることも起 お きている[ 31] 。
1993年 ねん 以降 いこう 、大会 たいかい への参加 さんか を希望 きぼう する国 くに が増 ふ え、全 すべ ての参加 さんか 希望 きぼう 国 こく を時間 じかん 内 ない に放送 ほうそう することが難 むずか しくなってきた。本選 ほんせん に参加 さんか できる国 くに の数 かず を一定 いってい 数 すう に絞 しぼ るために、参加 さんか 制限 せいげん や予選 よせん などの方法 ほうほう が試 こころ みられてきた。1993年 ねん のコンテストでは、旧 きゅう 社会 しゃかい 主義 しゅぎ 地域 ちいき の国々 くにぐに は、クヴァリフィカツィヤ・ザ・ミルストリート と銘打 めいう ってリュブリャナで行 おこな われる予選 よせん にまず参加 さんか し、本選 ほんせん への出場 しゅつじょう 権 けん が争 あらそ われることとなった。ボスニア・ヘルツェゴビナ 、クロアチア 、エストニア 、ハンガリー 、ルーマニア 、スロベニア 、スロバキア がこの予選 よせん に参加 さんか し、ユーゴスラビアから独立 どくりつ したボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、スロベニアの3箇国 かこく が本選 ほんせん への出場 しゅつじょう を決 き めた[ 71] 。更 さら に、この年 とし の大会 たいかい から参加 さんか 制限 せいげん が導入 どうにゅう された。1993年 ねん 大会 たいかい で予選落 よせんお ちした国々 くにぐに などにも門戸 もんこ を開 ひら くため、この年 とし の大会 たいかい で順位 じゅんい の低 ひく かった国々 くにぐに は翌年 よくねん 大会 たいかい へは参加 さんか できないことが決 き められた。1994年 ねん 大会 たいかい では、リトアニア、ポーランド、ロシアが初 はつ 参加 さんか となった[ 72] 。
1994年 ねん 、1995年 ねん 大会 たいかい でも同様 どうよう の参加 さんか 制限 せいげん が設 もう けられたが[ 73] 、1996年 ねん からは別 べつ の予選 よせん 方式 ほうしき が導入 どうにゅう され、ほぼ全 すべ ての参加 さんか 国 こく が予選 よせん に加 くわ わることが必要 ひつよう となった。この時 とき の方式 ほうしき では、まず本 ほん 大会 たいかい の数 すう 週間 しゅうかん 前 まえ に各 かく 参加 さんか 曲 きょく を収 おさ めたオーディオ・テープが各国 かっこく の審査 しんさ 員 いん に送 おく られる。そして各国 かっこく の審査 しんさ 員 いん によって本選 ほんせん に参加 さんか できる楽曲 がっきょく が選 えら ばれる[ 74] 。1996年 ねん 大会 たいかい の主催 しゅさい 国 こく となったノルウェーは自動的 じどうてき に本選 ほんせん 参加 さんか が認 みと められており、予選 よせん からは除外 じょがい された。
1996年 ねん 大会 たいかい で本選 ほんせん 参加 さんか を逃 のが した国 くに の一 ひと つはドイツであった。ドイツは、欧州 おうしゅう 放送 ほうそう 連合 れんごう の最大 さいだい の資金 しきん 拠出 きょしゅつ 国 こく の一 ひと つであり、ドイツの不参加 ふさんか は資金 しきん 難 なん につながった[ 74] 。
1997年 ねん から2001年 ねん までは、過去 かこ 5年間 ねんかん の大会 たいかい 順位 じゅんい の平均 へいきん によって大会 たいかい 参加 さんか の可否 かひ が決 き められた[ 75] [ 76] 。しかし、どれほど良 よ い曲 きょく を準備 じゅんび したとしても、単 たん に過去 かこ の順位 じゅんい が低 ひく いだけの理由 りゆう で大会 たいかい に参加 さんか できないという「罰 ばち 」を受 う けることに対 たい しては、大 おお きな不満 ふまん の声 こえ が上 あ がった。欧州 おうしゅう 放送 ほうそう 連合 れんごう はこの問題 もんだい に対 たい して、より恒久 こうきゅう 的 てき な望 のぞ まれる解決 かいけつ 法 ほう を模索 もさく した。そして、予選 よせん と決勝 けっしょう の2つのショーを行 おこな うことが決 き められた。ショーを2つにすることによって、全 すべ ての参加 さんか 希望 きぼう 国 こく が参加 さんか でき、現実 げんじつ 的 てき な時間 じかん 内 ない に放送 ほうそう できる大会 たいかい が実現 じつげん 可能 かのう となった。予選 よせん は「ユーロビジョン準決勝 じゅんけっしょう 」と呼 よ ばれるようになった[ 77]
2000年 ねん より、前年 ぜんねん までの順位 じゅんい などに関 かか わらず、イギリス、ドイツ、フランス、スペインの4箇国 かこく には自動的 じどうてき にユーロビジョン・ソング・コンテストの本選 ほんせん 決勝 けっしょう 進出 しんしゅつ が認 みと められるようになった[ 31] 。これらの国々 くにぐに は欧州 おうしゅう 放送 ほうそう 連合 れんごう の主要 しゅよう な資金 しきん 拠出 きょしゅつ 国 こく であり、彼 かれ らの存在 そんざい なしにはユーロビジョン・ソング・コンテストの実施 じっし は難 むずか しい。これらの国々 くにぐに は、その特例 とくれい 扱 あつか いのために「Big 4」と呼 よ ばれている[ 78] 。2010年 ねん 12月31日 にち 、イタリアが2011年 ねん 大会 たいかい 以降 いこう 、自動的 じどうてき に決勝 けっしょう に進出 しんしゅつ することが認 みと められるようになり、「Big 4」は「Big 5」と呼 よ ばれるようになった。これはイタリアが1998年 ねん から2010年 ねん 大会 たいかい まで参加 さんか していなかったため(イタリアの出場 しゅつじょう が、準決勝 じゅんけっしょう 方式 ほうしき およびBig4方式 ほうしき が採用 さいよう されてから初 はじ めてになるため)である。
2004年 ねん 大会 たいかい からは、「準決勝 じゅんけっしょう 」と呼 よ ばれる予選 よせん が導入 どうにゅう された[ 79] 。当初 とうしょ 、準決勝 じゅんけっしょう はユーロビジョン・ウィークの水曜日 すいようび に行 おこな われ、協定 きょうてい 世界 せかい 時 じ で土曜日 どようび の19時 じ から行 おこな われる決勝 けっしょう と同様 どうよう の形式 けいしき で行 おこな われた。準決勝 じゅんけっしょう で順位 じゅんい の高 たか かった参加 さんか 曲 きょく は決勝 けっしょう への進出 しんしゅつ が認 みと められ、順位 じゅんい の低 ひく かったものはそこで敗退 はいたい となる。2005年 ねん から2007年 ねん までは、準決勝 じゅんけっしょう は木曜日 もくようび に行 おこな われた[ 80] 。
自動的 じどうてき に決勝 けっしょう 進出 しんしゅつ が認 みと められているBig 4を除 のぞ き、決勝 けっしょう で順位 じゅんい の高 たか かったほうから10箇国 かこく は、翌年 よくねん の準決勝 じゅんけっしょう への参加 さんか なしに決勝 けっしょう への参加 さんか が認 みと められた。ドイツなどのBig 4の国 くに が10位 い 以内 いない にあった場合 ばあい は11位 い 以降 いこう も含 ふく めて、上位 じょうい から順 じゅん にBig 4以外 いがい の10箇国 かこく に入 はい った国 くに は翌年 よくねん は決勝 けっしょう からの参加 さんか となった[ 28] 。その他 た の国々 くにぐに は準決勝 じゅんけっしょう からの参加 さんか とされた[ 28] 。
2007年 ねん 9月 がつ 、欧州 おうしゅう 放送 ほうそう 連合 れんごう の50回 かい 目 め の定例 ていれい 会合 かいごう が行 おこな われ、翌年 よくねん の2008年 ねん 大会 たいかい からは2つの準決勝 じゅんけっしょう を行 おこな うことが決定 けってい された[ 81] 。2008年 ねん 以降 いこう 、前年 ぜんねん 大会 たいかい での順位 じゅんい は考慮 こうりょ に入 い れられず、Big 4と主催 しゅさい 国 こく 以外 いがい は全 すべ ての国 くに が準決勝 じゅんけっしょう から参加 さんか することが決 き められた。主催 しゅさい 国 こく 、並 なら びにドイツ、フランス、イギリス、スペインのBig 4の国々 くにぐに のみが、準決勝 じゅんけっしょう なしに決勝 けっしょう に参加 さんか できるものとされた[ 56] 。
2つの準決勝 じゅんけっしょう では、それぞれに参加 さんか する国々 くにぐに によって決勝 けっしょう 同様 どうよう に投票 とうひょう が行 おこな われ、決勝 けっしょう に進出 しんしゅつ する国 くに が決 き まる。自動的 じどうてき に決勝 けっしょう に進出 しんしゅつ する5箇国 かこく は準決勝 じゅんけっしょう には参加 さんか しないが、2つのうちどちらかの準決勝 じゅんけっしょう では投票 とうひょう に加 くわ わる。この5箇国 かこく のうち、どの国 くに がどちらの準決勝 じゅんけっしょう で投票 とうひょう するかは事前 じぜん に決定 けってい される。決勝 けっしょう では、決勝 けっしょう に参加 さんか していない国々 くにぐに も含 ふく めて全 すべ ての国 くに が投票 とうひょう を行 おこな う[ 82] 。
準決勝 じゅんけっしょう での投票 とうひょう が終 お わった後 のち 、順位 じゅんい の高 たか かった国々 くにぐに が決勝 けっしょう への参加 さんか を認 みと められる。完全 かんぜん な投票 とうひょう 結果 けっか は決勝 けっしょう が終 お わった後 のち に欧州 おうしゅう 放送 ほうそう 連合 れんごう のウェブサイトで公開 こうかい される[ 56] 。
1956年 ねん 大会 たいかい の優勝 ゆうしょう 者 しゃ リス・アシア と、2008年 ねん 大会 たいかい の優勝 ゆうしょう 者 しゃ ジーマ・ビラーン 。
ユーロビジョン・ソング・コンテストでの優勝 ゆうしょう は、アーティストにとって世間 せけん からの注目 ちゅうもく を集 あつ め、それ以降 いこう のキャリアを築 きず く絶好 ぜっこう の機会 きかい となる。
ユーロビジョン・ソング・コンテストでの優勝 ゆうしょう が、その後 ご の成功 せいこう に直接 ちょくせつ 結 むす びついた最 もっと も著名 ちょめい な事例 じれい は、1974年 ねん 大会 たいかい で「Waterloo 」を歌 うた って優勝 ゆうしょう を果 は たしたABBA であろう。ABBAはこの後 のち 、当時 とうじ 最 もっと も成功 せいこう したバンドの一 ひと つとなった[ 83] 。2021年 ねん 大会 たいかい でイタリア代表 だいひょう として出場 しゅつじょう したマネスキン は、「Zitti e buoni 」で優勝 ゆうしょう した後 のち から数カ月 すうかげつ で世界 せかい 的 てき な人気 にんき を獲得 かくとく したロックバンドとなった[ 84] 。
ユーロビジョンでの優勝 ゆうしょう 後 ご に大 おお きく成功 せいこう した別 べつ のアーティストとしては、1988年 ねん 大会 たいかい で「私 わたし をおいて旅立 たびだ たないで 」を歌 うた って優勝 ゆうしょう したセリーヌ・ディオン の名 な が挙 あ がる。この時 とき の優勝 ゆうしょう は、後 ご の国際 こくさい 的 てき な成功 せいこう につながるものとなった[ 85]
他方 たほう 、既 すで に成功 せいこう したキャリアをき上 ずきあ げて有名 ゆうめい になっているアーティストが優勝 ゆうしょう 者 しゃ となることも多 おお い。たとえば、イギリスを代表 だいひょう して1997年 ねん 大会 たいかい で「Love Shine a Light 」を歌 うた い、優勝 ゆうしょう したKatrina and the Waves などがこれにあたる[ 86] 。
また、ユーロビジョン・ソング・コンテストでの優勝 ゆうしょう にもかかわらず、その後 ご 、国際 こくさい 的 てき に注目 ちゅうもく されることのほとんどない、あるいはまったくないアーティストもいる。
ユーロビジョンでの優勝 ゆうしょう 回数 かいすう を示 しめ す地図 ちず
2023年 ねん の時点 じてん で、アイルランド とスウェーデン は優勝 ゆうしょう 回数 かいすう で最多 さいた の記録 きろく を持 も っており、7回 かい の優勝 ゆうしょう を経験 けいけん している。また、1992年 ねん 、1993年 ねん 、1994年 ねん と3年 ねん 連続 れんぞく での優勝 ゆうしょう を経験 けいけん しているのもアイルランドのみである。
ユーロビジョン・ソング・コンテストの初期 しょき の頃 ころ は、「伝統 でんとう 的 てき な」強豪 きょうごう はフランス、オランダ、ルクセンブルクであった。しかし、これらの国々 くにぐに はその後 ご はあまり大 おお きな成功 せいこう を見 み ておらず、フランスの最後 さいご の優勝 ゆうしょう は1977年 ねん 、ルクセンブルクは1983年 ねん であり、それぞれこれ以降 いこう 優勝 ゆうしょう から遠 とお ざかっている(オランダは2019年 ねん )。ルクセンブルクは1993年 ねん 以降 いこう 、大会 たいかい そのものに参加 さんか していない[ 87] 。
2000年代 ねんだい に入 はい ると、ユーロビジョン新参 しんざん の国々 くにぐに や、長年 ながねん 参加 さんか していたものの優勝 ゆうしょう 経験 けいけん のなかった国々 くにぐに など、多 おお くの初 はつ 優勝 ゆうしょう の国 くに が登場 とうじょう した。2001年 ねん から2008年 ねん までの優勝 ゆうしょう 国 こく は全 すべ て初 はつ 優勝 ゆうしょう であった。2006年 ねん に優勝 ゆうしょう したフィンランドは45回 かい 、2017年 ねん に優勝 ゆうしょう したポルトガルは49回 かい にわたる参加 さんか の末 すえ の初 はつ 優勝 ゆうしょう であった。他方 たほう 、2004年 ねん に優勝 ゆうしょう したウクライナは参加 さんか 2回 かい 目 め での初 はつ 優勝 ゆうしょう となった。2007年 ねん には、独立 どくりつ 国 こく として初 はじ めて大会 たいかい に参加 さんか したセルビアが初 はつ 優勝 ゆうしょう を果 は たした[ 88] 。
ユーロビジョン・ソング・コンテストは、その音楽 おんがく に関 かん する面 めん 、音楽 おんがく よりも政治 せいじ に関 かん する面 めん の双方 そうほう が批判 ひはん の対象 たいしょう となっている[ 89] [ 90] 。
大会 たいかい に参加 さんか する音楽 おんがく を聞 き くのは多様 たよう で国際 こくさい 的 てき な観衆 かんしゅう であり、彼 かれ らの音楽 おんがく 的 てき な嗜好 しこう はそれぞれ異 こと なっている。また、高 こう 得点 とくてん を目指 めざ してより多 おお くの観衆 かんしゅう から支持 しじ を得 え られるようにと、その参加 さんか 曲 きょく は無難 ぶなん な王道 おうどう ポップスとなることが多 おお い。こうした路線 ろせん を外 はず れた楽曲 がっきょく が大会 たいかい で成功 せいこう することは難 むずか しく、結果 けっか として大会 たいかい の参加 さんか 曲 きょく はバブルガム・ポップ だとする批判 ひはん を生 う み出 だ している[ 91] 。しかし、こうした傾向 けいこう には例外 れいがい もあり、2006年 ねん のローディ (フィンランド)や2021年 ねん のマネスキン (イタリア)のように、ロック・バンドが地 じ すべり的 てき 優勝 ゆうしょう を決 き めたことがある。また、ユーロビジョンは視覚 しかく 的 てき なパフォーマンスを伴 ともな う大会 たいかい であるため、その音楽 おんがく 性 せい よりも視覚 しかく 的 てき な部分 ぶぶん で観衆 かんしゅう の気 き を惹 ひ こうとする参加 さんか 者 しゃ も多 おお く、派手 はで に奇 き をてらったようなパフォーマンスがしばしば見 み られる[ 92] 。このため、批評 ひひょう 家 か の間 あいだ ではよくキッチュ の例 れい として取 と り上 あ げられる[ 93] 。
大会 たいかい は長年 ながねん 、政治 せいじ 的 てき な影響 えいきょう が見 み られ続 つづ けており、審査 しんさ 員 いん や視聴 しちょう 者 しゃ による投票 とうひょう では、各国 かっこく 間 あいだ の関係 かんけい が影響 えいきょう を与 あた えているといわれている[ 94] 。ユーロビジョン・ソング・コンテストでの投票 とうひょう パターンに関 かん する研究 けんきゅう によると、一部 いちぶ の国々 くにぐに は明 あき らかに、互 たが いに投票 とうひょう しあい、同様 どうよう の投票 とうひょう パターンを繰 く り返 かえ す群 ぐん を形作 かたちづく っているとしている[ 95] 。大会 たいかい でのこうした傾向 けいこう を擁護 ようご する立場 たちば からは、こうした投票 とうひょう パターンが生 しょう ずる理由 りゆう として、それらの国々 くにぐに では互 たが いに音楽 おんがく 的 てき 嗜好 しこう や文化 ぶんか が近 ちか かったり、言語 げんご が似通 にかよ っていたりするため[ 96] 、互 たが いの音楽 おんがく を気 き に入 い りやすい傾向 けいこう があるのだとしている。たとえば、ギリシャとキプロスは、繰 く り返 かえ し互 たが いに12点 てん を入 い れあう投票 とうひょう を続 つづ けているが(1998年 ねん に視聴 しちょう 者 しゃ 投票 とうひょう が導入 どうにゅう されてから2009年 ねん までの間 あいだ に、この例外 れいがい となったのはギリシャがイギリスに12点 てん を与 あた えた2009年 ねん のみであった)、キプロス紛争 ふんそう 以降 いこう の両国 りょうこく は言語 げんご や文化 ぶんか を同 おな じくしており、共通 きょうつう の音楽 おんがく 市場 いちば を形成 けいせい しているため、一方 いっぽう の国 くに のスターは他方 たほう の国 くに でもよく知 し られているためだといわれる。
投票 とうひょう 結果 けっか を左右 さゆう するもうひとつの主要 しゅよう な要因 よういん として、移民 いみん による投票 とうひょう や少数 しょうすう 民族 みんぞく の投票 とうひょう がある。大会 たいかい では自国 じこく への投票 とうひょう はできないが、祖国 そこく を離 はな れて暮 く らす移民 いみん は、自分 じぶん の住 す んでいる国 くに から自 みずか らの出身 しゅっしん 国 こく に投票 とうひょう することができる。ある国 くに の少数 しょうすう 民族 みんぞく が、その出自 しゅつじ に関 かか わりの深 ふか い国 くに に投票 とうひょう することも同様 どうよう である。こうした現象 げんしょう は、かつてユーゴスラビア社会 しゃかい 主義 しゅぎ 連邦 れんぽう 共和 きょうわ 国 こく に属 ぞく したバルカン半島 ばるかんはんとう の諸国 しょこく の投票 とうひょう パターンで顕著 けんちょ である[ 97] 。トルコへの「移民 いみん 票 ひょう 」は投票 とうひょう 結果 けっか に大 おお きな影響 えいきょう を与 あた えており、ヨーロッパ各国 かっこく でトルコからの移民 いみん が多 おお く暮 く らすドイツやオランダ、ベルギー、フランス、オーストリアといった国々 くにぐに からトルコに高 こう 得点 とくてん がもたらされてきている[ 98] 。
ドラァグクイーン のコンチータ・ヴルスト など、LGBT の歌手 かしゅ やアイテム は1990年代 ねんだい 以降 いこう の大会 たいかい に多 おお く登場 とうじょう するため、ヨーロッパのみならずこの大会 たいかい の知名度 ちめいど が低 ひく い北米 ほくべい でもLGBTフレンドリー・イベントとして認識 にんしき されている[ 10] [ 99] [ 100] 。大会 たいかい は「ゲイ ・コンテスト」「ゲイのオリンピック 」「ゲイのワールドカップ 」「ゲイのスーパーボウル 」と呼 よ ばれることもある[ 101] [ 102] [ 100] 。また、2014年 ねん の大会 たいかい ではウクライナの情勢 じょうせい と共 とも に同性愛 どうせいあい 宣伝 せんでん 禁止 きんし 法 ほう を可決 かけつ したロシアからの歌手 かしゅ に対 たい し、現場 げんば の観客 かんきゃく らがブーイング を浴 あ びせた[ 103] [ 104] [ 105] 。このため、コンチータ・ヴルストが優勝 ゆうしょう した以降 いこう 、明言 めいげん しないが大会 たいかい が「ゲイすぎる」として不参加 ふさんか を決 き めた国 くに もある[ 106] [ 107] 。
ユーロビジョン・ソング・コンテストからの派生 はせい や、これを模 も した大会 たいかい も数多 かずおお く生 う まれている:
2005年 ねん 8月 がつ 、欧州 おうしゅう 放送 ほうそう 連合 れんごう はユーロビジョン・ソング・コンテストの50周年 しゅうねん を記念 きねん して特別 とくべつ 企画 きかく を開催 かいさい した。この企画 きかく は、イギリス代表 だいひょう として大会 たいかい に参加 さんか したクリフ・リチャード の楽曲 がっきょく 「Congratulations 」にちなんで「Congratulations 」と題 だい され、それまでのユーロビジョン・ソング・コンテストの50年 ねん の間 あいだ に大会 たいかい に出場 しゅつじょう した多 おお くのアーティストらが登場 とうじょう した。それまでのユーロビジョン史上 しじょう で最 もっと も良 よ かった楽曲 がっきょく を選 えら ぶ視聴 しちょう 者 しゃ 投票 とうひょう が行 おこな われ、1974年 ねん 大会 たいかい で優勝 ゆうしょう したABBAの「Waterloo 」が選 えら ばれた[ 111] 。
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(日本語 にほんご 訳 やく )1950年代 ねんだい 半 なか ば、欧州 おうしゅう 放送 ほうそう 連合 れんごう の加盟 かめい 放送 ほうそう 局 きょく は、明 あか るいエンターテイメント番組 ばんぐみ にて欧州 おうしゅう 諸国 しょこく が競 きそ い合 あ う案 あん について調査 ちょうさ するための臨時 りんじ 委員 いいん 会 かい を立 た ち上 あ げた。1995年 ねん 1月 がつ 末 まつ 、モナコ にて、スイス・テレビジョン(Schweizer Fernsehen )会長 かいちょう のマルセル・ブザンソン(Marcel Bezençon )を委員 いいん 長 ちょう とする臨時 りんじ 委員 いいん 会 かい が開 ひら かれ、とても有名 ゆうめい なサンレモ音楽 おんがく 祭 さい に着想 ちゃくそう を得 え た歌唱 かしょう コンテストを催 もよお す案 あん が浮上 ふじょう した。この案 あん は、1955年 ねん 10月 がつ 19日 にち にローマ で開 ひら かれた欧州 おうしゅう 放送 ほうそう 連合 れんごう の総会 そうかい で採択 さいたく され、「ユーロビジョン・グランプリ」 - この名 な づけは、偶然 ぐうぜん にもイギリスのジャーナリストによる - は1956年 ねん 春 はる にスイスのルガーノ で開催 かいさい される見通 みとお しとなった"
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ウィキニュースにユーロビジョン・ソング・コンテスト
参加 さんか 者 しゃ へのインタビューがあります。
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