中国新聞社
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〒730-8677 | |
1892 | |
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9240001006674 | |
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3 | |
189 | |
404 | |
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https://www.chugoku-np.co.jp/ |
歴史
- 1892
年 5月5日 広島 市 大手町 4丁目 (現 ・広島 市 中 区 大手町 2丁目 )において会社 設立 。 - 1925
年 5月 10日 姉妹 会社 の呉 新聞 社 より呉 新聞 を創刊 。 - 1926
年 3月24日 広島 市上 流川 町 (現 ・中 区 胡 町 )に新社屋 (3階 建 て)が完成 。 - 1931
年 2月 11日 中国 駅伝 (広島 ~福山 間 )を創設 。 - 1935
年 2月 11日 中国 新聞 本紙 に添付 されていた「防 長 版 」を廃止 し、中 国防 長 新聞 を創刊 。 同年 10月26日 芸 備日日 新聞 を事実 上 の中国 新聞 傘下 にする。- 1936
年 5月14日 航空 部 を新設 。 - 1937
年 1月 20日 広島 市上 流川 町 に8階 建 ての新社屋 (現在 の三越 広島 店 がある場所 )が完成 。 - 1941
年 9月1日 新聞 事業 令 が公布 され、一 県 一 紙 体制 に移行 。中 国防 長 新聞 が廃刊 。呉 新聞 に芸 備日日 新聞 が統合 。 - 1942
年 5月5日 創刊 50周年 を記念 し、中国 文化 賞 を制定 。 - 1945
年 8月 1日 空襲 による呉 新聞 社 の焼失 により、中国新聞社 が呉 新聞 を発行 開始 。 同年 8月 6日 原爆 投下 のため被災 し、社員 113人 を失 う。新聞 相互 援助 契約 に基 づき代行 印刷 を朝日新聞 大阪 本社 、毎日新聞 西部 本社 に依頼 [3]。同年 8月 8日 島根 新聞 (現 ・山陰 中央 新報 )にも代行 印刷 を依頼 [3]。同年 8月 9日 他社 印刷 で新聞 の発行 再開 。同日 付 の紙面 では『新型 爆 弾 攻撃 に強靭 な掩体と厚着 音 より速 い物 に注意 』と呼 びかける記事 を掲載 した[3]。同年 9月3日 温品 に疎開 していた輪転 機 で自社 印刷 再開 。同年 9月17日 枕崎 台風 による風水害 で新聞 発行 が不可能 となり、再度 、代行 印刷 を他 新聞 社 に依頼 。同年 11月3日 本社 屋 に復帰 し、新聞 の自力 印刷 を再開 。- 1946
年 6月1日 有限 会社 夕刊 ひろしま新聞 社 を創設 し、夕刊 ひろしまを創刊 。 - 1947
年 1月 21日 会社 組織 を合名 会社 から有限 会社 に変更 。 同年 11月15日 呉 新聞 社 を吸収 合併 し、会社 組織 を株式会社 に変更 。- 1948
年 6月28日 鈴木 三重吉 賞 制定 。 同年 11月3日 中国 新聞 に呉 新聞 が統合 。同年 12月1日 夕刊 ひろしま新聞 社 の社名 を有限 会社 夕刊 中国 に変更 し、新聞 名 も同 じく夕刊 中国 とした。- 1949
年 10月1日 夕刊 中国 の名称 を夕刊 中国 新聞 に変更 。 - 1952
年 4月 28日 中国 体育 文化 賞 (現 ・中国 スポーツ賞 )を制定 。 同年 10月1日 夕刊 中国 新聞 を廃刊 し、発行 会社 は中国新聞社 が吸収 。- 1969
年 9月23日 広島 市 中 区 土橋 町 に中国 新聞 ビルが完成 し、本社 を移転 。 - 1977
年 5月3日 第 1回 「ひろしまフラワーフェスティバル」開催 。 - 1983
年 12月10日 広島 市 西 区 で井口 工場 が完成 し、オフセット輪転 機 を導入 。 - 1988
年 7月 31日 コンピュータによる新聞 制作 システムCTSに全面 移行 し、鉛 活字 が消 える。 - 1991
年 11月5日 山本 朗 会長 が勲一等 瑞宝章 を受章 。従 三 位 に叙 せられる。 - 1995
年 4月 14日 オフセット輪転 機 2号機 が稼働 。 - 1996
年 1月 21日 第 1回 「天皇 盃 全国 都道府県 対抗 男子 駅伝 競走 大会 (ひろしま男子 駅伝 )」を開催 。 - 2001
年 3月1日 広島 市 中 区 の本社 のほか、新 たに福山 市 に備後 本社 、徳山 市 (現 周 南市 )に防 長 本社 を置 き、3本社 体制 がスタート。 - 2003
年 5月1日 印刷 工場 の福山 制作 センター(プレッセびんご、2005年 11月から「ふくやまちゅーピーパーク」)が稼動 。 同年 7月 1日 中国 新聞 読者 のポータルサイト「ちゅーピーくらぶ」が発足 。- 2005
年 11月4日 廿日市 市 大野 で新 印刷 工場 の広島 制作 センター(ちゅーピーパーク)が稼働 。 - 2007
年 3月1日 携帯 電話 の情報 サイト「ケータイde中国 新聞 」がオープン。 - 2009
年 3月1日 報道 ・編集 ・メディア・製作 管理 の4センターで構成 される総合 編集 本部 が始動 。 - 2011
年 3月1日 中国 新聞 朝刊 電子 版 を創刊 。 - 2015
年 4月 30日 夕刊 を休刊 。 - 2015
年 5月1日 夕刊 に代 わる新 媒体 として、「中国 新聞 SELECT」を創刊 (当面 は本紙 とのセットのみ宅配 で販売 )。 - 2016
年 3月 防 長 本社 を山口 市 に移転 。 - 2020
年 3月2日 「緊急 時 における新聞 発行 の相互 援助 協定 」を朝日新聞社 と締結
事業 所
本社
支社
総局
支局
広島 県 :安佐北 、安芸 高田 、西広 島 、北広島 、大竹 、三 次 、庄原 、江田島 、竹原 、三原 、尾道 、府中 、世羅 山口 県 :周 南 、玖珂 、柳井 、大島 岡山 県 :岡山 、井原 、笠岡 島根 県 :松江 、浜田 、益田 、邑智 鳥取 県 :鳥取 福岡 県 :福岡
ステーション
刊行 物
新聞 ・書籍
刊行 中
中国 新聞 中国 新聞 朝刊 電子 版 中国 新聞 SELECT(2015年 5月 - )同 4月 まで発行 し休刊 した夕刊 と入 れ替 わり発行 。一部 夕刊 の連載 を引 き継 いでいる。
廃刊 ・休刊
中 国防 長 新聞 (1935年 -1941年 )呉 新聞 (1945年 -1948年 )- ジュニア
中国 -中国 ジュニア新聞 -中国 小学生 新聞 (1948年 -1963年 ) - スポーツ
中国 (1964年 -1965年 ) 中国 新聞 縮刷 版 (1966年 -1975年 )中国 年鑑 (1962年 -2000年 )中国 新聞 夕刊 (1932年 -2015年 )
フリーペーパー
- アシタノ(2021
年 4月 2日 - ) 地域 ニュースかわら版 中国 新聞 の各 販売 所 では中国 新聞 ファミリーとしてミニコミ紙 地域 ニュースかわら版 が発行 され、新聞 の折 り込 みチラシと一緒 に折 り込 んで配布 されている。
- ちゅーピー
子 ども新聞 (2007年 -2022年 ) - Cue / Cue+
関連 会社 のメディア中国 と共同 で発行 しているタブロイド判 サイズのフリーペーパーで、20歳 代 後半 から30歳 代 の女性 を主 な対象 に設定 。主 に中国 新聞 購読 者 向 けのCue[キュー](広島 版 、東広島 版 )と、中国 新聞 購読 者 以外 のポストに無料 配布 するCue+[キュープラス](広島 都市 圏 と周辺 地域 のみ)が存在 した[4]。いずれも「中国 新聞 週間 TVガイド」とともに2020年 6月 12日 発行 分 で休刊 した。- Cue
- オールカラー:24ページ
発行 :毎週 金曜日 配布 地域
- Cue+
- オールカラー・16ページ(Cueからテレビ
番組 案内 、5・8・9・11面 を除 いたもの)発行 :毎月 第 3金曜日 配布 地域 - Cue+
広島 版 :広島 市 (一部 除 く)、呉 市 (一部 除 く)、廿日市 市 (一部 除 く)、大竹 市 (一部 除 く)、府中 町 ・海田 町 ・坂 町 ・熊野 町 。 - Cue+
東広島 版 :東広島 市 (一部 除 く)、竹原 市 (一部 除 く)。
- Cue+
- Cue
山口 版
岩 柳 エリア(岩国 市 、柳井 市 など)。JR岩国 駅 には、駅 利用 者 等 向 けの配布 ラックが設置 されていた。2007年 2月 2日 に追加 創刊 された(岩国 駅 での配布 分 は、広島 版 から山口 版 に変更 )。2012年 4月 時点 で、山口 版 は公式 サイトの配布 エリアに含 まれていなかった[4]。いずれも紙面 には山口 県内 3局 とテレビ西日本 の1週間 分 のテレビ番組 表 が掲載 されていた。
旅 Cue
旅行 情報 を掲載 した旅 Cueも本紙 に挟 み込 まれていた[5]。
中国 新聞 mesemaga(2013年 12月 まで)→Cue備後 (2014年 1月 ~2020年 6月 )
福山 市 とその周辺 地区 では、備後 本社 発行 の『中国 新聞 mesemaga(メセマガ)』が毎週 金曜日 に配布 されていた。2014年 1月 発行 分 から広島 ・山口 地区 に準 じ『Cue備後 』と改題 してリニューアルした。福山 駅 などには駅 利用 者 等 向 けの配布 ラックが設置 されていた。- いずれも
紙面 には広島 県内 4局 とテレビせとうちの1週間 分 のテレビ番組 表 が掲載 されていた。
グループ企業 ・事業
歴代 社長
中国新聞社 社長
- 01
代 1892年 -1898年 長屋 謙二 - 02
代 1898年 -1933年 山本 三朗 - 03
代 1933年 -1947年 山本 実 一
中国新聞社 代表 取締役
- 04
代 1947年 -1950年 築 藤 鞆一
中国新聞社 社長
- 05
代 1950年 -1958年 山本 実 一 - 06
代 1958年 -1969年 山本 正 房 - 07
代 1969年 -1992年 山本 朗 - 08
代 1992年 -2000年 山本 治朗 - 09
代 2000年 -2006年 今中 亘 - 10代 2006
年 -2012年 川本 一之 - 11
代 2012年 -2019年 岡谷 義則 - 12
代 2019年 -岡 畠 鉄也
放送 局 との関係
また、
主催 イベント
関連 人物
石丸 椎 菜 (「ちゅーピーくらぶ」キャンペーンソングを担当 )大 佐古 一郎 (元 中国 新聞 記者 ・論説 委員 )御田 重宝 (元 中国 新聞 編集 委員 )笠間 淳 (元 社員 、声優 )田邊 雅章 (元 社員 、映像 作家 )鶴 襄 (元 社員 、学校 法人 鶴 学園 創設 者 、鶴 学園 名誉 総長 )中川 俊 思 (元 社員 、衆議院 議員 を8期 務 める)野沢 晃 (サッカー日本 代表 、中国 新聞 系列 会社 の夕刊 ひろしま新聞 社 に勤務 )平岡 敬 (元 社員 (編集 局長 )、第 31・32代 広島 市長 )松重 美人 (カメラマン)湊 邦 三 (元 社員 、作家 )森本 ケンタ(中国新聞社 のイメージキャラクター)山内 リエ(戦後 一 時 在籍 、陸上 競技 選手 )山本 康夫 (元 社員 、歌人 )- わちさんぺい(
中国 新聞 で連載 した漫画 家 )
友好 社
契約 通信 社
受注 印刷 紙
中国 印刷 (広島 市 )中国 新聞 広島 制作 センター(廿日市 市 )朝日新聞 の山口 県 版 については北九州 市 (編集 ・制作 は福岡 市 )の西部 本社 版 、それ以外 の中国 ・四国 地方 版 は大阪 市 の大阪 本社 版 の印刷 を受託 している。日刊 スポーツは「日刊 スポーツ新聞 西日本 」発行 扱 いであり、基本 的 に山口 県 東部 向 けの新聞 は大阪 本社 版 の記事 がベースとしながら、広島 ・中 四国 地域 向 けに差 し替 えるページ(地元 のスポーツクラブや公営 競技 など)あり。- ※なお、
朝日 ・日刊 とも山口 県 向 けは東部 と西部 で委託 印刷 先 が異 なっており、西部 向 けは朝日 、日刊 とも西部 本社 制作 のものをみなと山口合同新聞社 (下関 市 )が印刷 を受託 している。
- デイリースポーツ(
中国 印刷 と2社 で分担 )
- ※デイリースポーツは、
広島 ・山口 県 の委託 宅配 も行 っている。
脚注
注釈
出典
参考 資料
中国 新聞 ・中国新聞社 の戦前 と戦後 小池 聖一 中国 新聞 アプローチブック - ウェイバックマシン(2010年 12月3日 アーカイブ分 )中国新聞社 史 編 さん室 『中国 新聞 百 年 史 』(中国新聞社 )中国新聞社 史 編 さん室 『中国 新聞 百 年 史 資料 編 ・年表 』(中国新聞社 )中国新聞社 『中国 新聞 八 十 年 史 』(中国新聞社 )中国新聞社 史 編纂 委員 会 『中国 新聞 六 十 五 年 史 』(中国新聞社 )- ひろしま
戦前 の風景 -中国 放送 (RCC)。流川 にあった戦前 の社屋 の映像 がある。