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夕刊 - Wikipedia

夕刊ゆうかん(ゆうかん)は、夕方ゆうがた午後ごご)にかく家庭かてい新聞しんぶんスタンドに配布はいふ販売はんばいされる新聞しんぶん

日本にっぽん国内こくない 編集へんしゅう

日本にっぽんでは一部いちぶ地域ちいき山間さんかん、あるいは離島りとうなど)をのぞ一般いっぱんには毎週まいしゅう日曜日にちようび祝日しゅくじつおよ年末年始ねんまつねんし12月29にちから翌年よくねん1がつ3にちまでのあいだのぞいて毎日まいにち刊行かんこうされている。なお、新聞しんぶん休刊きゅうかんには当日とうじつ夕刊ゆうかん翌日よくじつ朝刊ちょうかん刊行かんこうされない。夕刊ゆうかん専売せんばい一部いちぶ新聞しんぶんでは、年末年始ねんまつねんし特大とくだいごう日付ひづけ1がつ1にちけとして)を毎年まいとし12月25にちから12月29にちまで発売はつばいしている。

歴史れきし 編集へんしゅう

黎明れいめい 編集へんしゅう

日本にっぽん国内こくないにおける夕刊ゆうかん1877ねん11月12にち夕刊ゆうかん東京とうきょう毎夕まいゆう』が創刊そうかんされたのが最初さいしょであり、1885ねん1がつ1にちには『東京日日新聞とうきょうにちにちしんぶん』(現在げんざい毎日新聞まいにちしんぶん東京とうきょう本社ほんしゃ)などが現在げんざい夕刊ゆうかんとほぼおながたの「午後ごごばん[1]した。しかし長続ながつづきはしなかった。これは交通こうつう通信つうしんもう不十分ふじゅうぶんであったからであるとされる。その1897ねん1がつ1にちに『東京とうきょう朝日新聞あさひしんぶん』(現在げんざい朝日新聞あさひしんぶん東京とうきょう本社ほんしゃ)が発行はっこうした「2かいばん」とばれるもの発行はっこうされている。当時とうじ未明みめいに「1かいばん」を発行はっこうしたのち、10ごろに「2かいばん」を発行はっこう配達はいたつしていたため、厳密げんみつ意味いみでの夕刊ゆうかんではなかったが、当時とうじ新聞しんぶん印刷いんさつ技術ぎじゅつ問題もんだいから無理むりもあり、これもわずか7かげつで「2かいばん」は廃止はいしされてしまう。その迅速じんそく報道ほうどう要求ようきゅうされていることや、1915ねん大正天皇たいしょうてんのう即位そくいれい開催かいさいされることから、大阪おおさか朝日新聞社あさひしんぶんしゃ大阪おおさか毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ提携ていけいし「大典たいてん記念きねん」として同年どうねん10がつ10日とおか10月11にちけとして夕刊ゆうかん発行はっこうしている[2]

20世紀せいきはいってから主要しゅよう全国ぜんこくなどが発行はっこう翌日よくじつづけ(よって新聞しんぶん欄外らんがい掲載けいさいされる日付ひづけらんには「○○ねんがつにち(○にち発行はっこう)」と掲載けいさいされている)のかたちでこぞって発行はっこうしていた。あさ夕刊ゆうかんセット新聞しんぶん夕刊ゆうかん発行はっこうおな日付ひづけになるのは1943ねん10月11にちけの新聞しんぶんからである[1]。また、1937ねんごろにはにちちゅう戦争せんそうつたえる目的もくてきで「正午しょうごばん」とばれる「だい2朝刊ちょうかん」とほぼおなじもの、さらに戦後せんごのごく一時期いちじき通常つうじょうあさ夕刊ゆうかん以後いご発生はっせいしたニュースを収録しゅうろくした「だい2あさ夕刊ゆうかん」とばれるものも発行はっこうされており、にちによって1にちに3-4かい配達はいたつされた新聞しんぶん存在そんざいするが[1]太平洋戦争たいへいようせんそうだい世界せかい大戦たいせん)の影響えいきょうによる新聞しんぶん統制とうせいれいにより1941ねんごろから夕刊ゆうかん発行はっこう規制きせいされ、東京とうきょうの『東京とうきょう新聞しんぶん』(現在げんざい中日新聞ちゅうにちしんぶん東京とうきょう本社ほんしゃ発行はっこう)、大阪おおさかの『大阪おおさか新聞しんぶん』(産経新聞さんけいしんぶんけい)のような専業せんぎょうのぞいてほとんどの新聞しんぶん朝刊ちょうかんのみとなった。とく1944ねん3月6にちからはあさ夕刊ゆうかんセットの新聞しんぶん夕刊ゆうかん完全かんぜん廃止はいしとなった[1]

発展はってん 編集へんしゅう

戦後せんごはいって夕刊ゆうかん復活ふっかつしたが当時とうじ製紙せいし事情じじょう充分じゅうぶんではなかったことなどから政府せいふ当局とうきょくからの指導しどう全国ぜんこくぞうページがみとめられなかったことを逆手さかてり、そのぶん夕刊ゆうかん専売せんばい新聞しんぶん続々ぞくぞく創刊そうかんさせた。とく大阪おおさかなど西日本にしにほん地方ちほう新聞しんぶん全国ぜんこくをバックにした夕刊ゆうかん地方ちほう新聞しんぶん乱立らんりつし、産経新聞さんけいしんぶんけいの『大阪おおさか時事新報じじしんぽう』や毎日新聞まいにちしんぶんけいの『しん関西かんさい』(のちにスポーツニッポン大阪おおさか本社ほんしゃばん夕刊ゆうかん)、『新大阪しんおおさか』や『しん九州きゅうしゅう』、朝日新聞あさひしんぶんけいの『大阪おおさかタイムズ』、中日新聞ちゅうにちしんぶんけいの『名古屋なごやタイムズ』、西日本にしにほん新聞しんぶんけいの『夕刊ゆうかんフクニチ』、独立どくりつけいの『大阪おおさかにちにち新聞しんぶん』や『関西かんさい新聞しんぶん』などが相次あいついで発行はっこうされ、関東かんとうでも『東京日日新聞とうきょうにちにちしんぶん』や『報知ほうち新聞しんぶん』が夕刊ゆうかんとして復刊ふっかんされた。また、東京とうきょうでは『夕刊ゆうかん朝日新聞あさひしんぶん』『夕刊ゆうかん読売よみうり』など、全国ぜんこく実質じっしつてきなセットばん復活ふっかつともとれる夕刊ゆうかん創刊そうかんされるようになった(後述こうじゅつ正式せいしきなセットさい解禁かいきんにより親会社おやがいしゃ新聞しんぶん統合とうごうされる)。

その1951ねん10月1にちから、朝刊ちょうかん夕刊ゆうかんとのセット発行はっこうさい解禁かいきんされ[1]全国ぜんこくそのものの夕刊ゆうかん発行はっこう当日とうじつづけただ一部いちぶ地域ちいき[注釈ちゅうしゃく 1]では夕刊ゆうかんがないため朝刊ちょうかんのみの統合とうごうばん発行はっこう読売新聞よみうりしんぶん中部ちゅうぶ支社ししゃ東海とうかい3けんけ)は元々もともと朝刊ちょうかん単独たんどく夕刊ゆうかんしていない)が再開さいかいされるようになりまい日系にっけい夕刊ゆうかん毎日新聞まいにちしんぶん、あるいはスポーツニッポン夕刊ゆうかん経営けいえい紙面しめん統合とうごうするようになっていった。また北海道新聞ほっかいどうしんぶんけいの『北海ほっかいタイムス』、西日本にしにほん新聞しんぶんけいの『フクニチ新聞しんぶん』、神戸こうべ新聞しんぶんけいの『かみこう新聞しんぶん』などがそれぞれ独立どくりつ元来がんらいしん新聞しんぶん競合きょうごう関係かんけいになる。その地方ちほう都市としなどでも夕刊ゆうかん専売せんばい地方ちほう新聞しんぶん発行はっこう翌日よくじつづけ十勝とかち毎日新聞まいにちしんぶんなど)が相次あいついで創刊そうかんするようになる。

1960年代ねんだいはいると娯楽ごらくせい重視じゅうしした夕刊ゆうかん専売せんばい[注釈ちゅうしゃく 2]創刊そうかんするようになった。こういった都市とし発行はっこうされる夕刊ゆうかん専売せんばい新聞しんぶんおおくは、おもえき空港くうこうフェリーターミナルコンビニエンスストアにある新聞しんぶん即売そくばいスタンドでの販売はんばいおもであり、産経さんけいけい直営ちょくえいの『大阪おおさか新聞しんぶん』『夕刊ゆうかんフジ』、ブロックけいの『名古屋なごやタイムズ』『夕刊ゆうかんフクニチ』などをのぞけば、全国ぜんこくやブロック委託いたく宅配たくはいをするが、宅配たくはいよう部数ぶすう極々ごくごくかぎられている。そのため1ぺーじ最終さいしゅうぺーじ題字だいじ掲載けいさいされている箇所かしょなどに1定価ていか強調きょうちょうして表示ひょうじする新聞しんぶんおお[注釈ちゅうしゃく 3]

またこのころから新聞しんぶん週間しゅうかん[3]一環いっかんで、この期間きかんちゅう日曜日にちようびおこなわれている「新聞しんぶん少年しょうねん」には、「新聞しんぶん少年しょうねん日頃ひごろねぎらいに感謝かんしゃし、新聞しんぶん販売はんばいてん休日きゅうじつ確保かくほする」という意味合いみあいで、一般いっぱん全国ぜんこく一部いちぶ地方紙ちほうし)ではこのかぎ日曜にちよう夕刊ゆうかん休刊きゅうかんとしていた[4]が、1965ねんから一般いっぱん労働ろうどうしゃ雇用こよう情勢じょうせい悪化あっかにより、就労しゅうろう環境かんきょう確保かくほ観点かんてんから、まず1がつから3がつまでの3かげつあいだは、だい1・3日曜日にちようび[5]休刊きゅうかんとすることにし、どう4がつからはこれを毎週まいしゅう日曜にちよう祝日しゅくじつ拡大かくだいするようになった[6][注釈ちゅうしゃく 4]

日曜日にちようび夕刊ゆうかん休刊きゅうかんとなった経緯けいいについて、それをくわしくえがいた小説しょうせつ日曜にちよう夕刊ゆうかんがなくなった」(田沢たざわ新吉しんきち講談社こうだんしゃ)によれば、それまで新聞しんぶん休刊きゅうかんとされるこどもの秋分しゅうぶん元日がんじつふく年末年始ねんまつねんしのぞき、毎日まいにち夕刊ゆうかん発行はっこうされていたが、東京とうきょう新聞しんぶん販売はんばい同業どうぎょう組合くみあいだい22だい組合くみあいちょうとなった販売はんばいてん経営けいえいしゃ全逓信労働組合ぜんていしんろうどうくみあい中央ちゅうおう執行しっこう委員いいんちょうだったたからいつき文雄ふみおに「つぎ世代せだいのために、週休しゅうきゅうせい導入どうにゅうすべきだ」とする提案ていあんをした。それがきっかけで、経営けいえいしゃ労組ろうそ連携れんけいにより日曜にちよう夕刊ゆうかん廃止はいし運動うんどうがおこったのがきっかけだとされる。ただ、読売新聞よみうりしんぶんは「日曜にちよう夕刊ゆうかん絶対ぜったい廃止はいししない。理由りゆうはいろいろあるが、夕刊ゆうかんやすむと新聞しんぶん使命しめい遂行すいこう影響えいきょうする」として反対はんたいしたといわれる。

その、1965ねん1がつからまずだい1・3日曜にちようかぎ夕刊ゆうかん廃止はいしすることで読売よみうり以外いがい全国ぜんこく、およびおおくの地方ちほう同意どうい信濃毎日新聞しなのまいにちしんぶんなど一部いちぶ同年どうねん1がつから毎週まいしゅう日曜にちよう休刊きゅうかんった。その読売よみうりがわれ、2がつから毎週まいしゅう日曜にちよう夕刊ゆうかん休刊きゅうかん、4がつ以後いごぜん新聞しんぶんしゃ日曜にちよう夕刊ゆうかん毎週まいしゅう完全かんぜん休刊きゅうかんすることを表明ひょうめいしたとされている[7]。これ以後いご全国ぜんこく一部いちぶ地方ちほうでは日曜にちよう夕刊ゆうかん代替だいたいとして、日曜にちようばんばれる別刷べつづり(形式けいしき新聞しんぶん発行はっこうする傾向けいこうつよくなっていくとともに、日曜日にちようび夕方ゆうがたのテレビに『テレビ夕刊ゆうかん』としょうするニュース番組ばんぐみ放送ほうそうはじまった。1989ねん1がつ8にちには、岐阜ぎふ新聞しんぶん朝刊ちょうかん配達はいたつ前日ぜんじつ土曜日どようび)の夕刊ゆうかんを、夕刊ゆうかん購読こうどくしていない世帯せたいにも特別とくべつ配達はいたつした。これは前日ぜんじつ昭和しょうわ天皇てんのう崩御ほうぎょともなうとかんがえられる。

最盛さいせい 編集へんしゅう

1990年代ねんだい前半ぜんはんごろには、東京とうきょうでも夕刊ゆうかん専売せんばい地方ちほう乱立らんりつし『東京とうきょうレディコング』や『日刊にっかんアスカ』など、既存きそん夕刊ゆうかんとはちがったくち紙面しめん工法こうほうれたことで「夕刊ゆうかん戦争せんそう」とまでいわれていた。当時とうじ株式かぶしき相場そうば過熱かねつしており、当日とうじつ午前ごぜん10株価かぶか掲載けいさいしていた夕刊ゆうかんもあった。1995ねん野茂のも英雄ひでお投手とうしゅだいリーガーとなり、活躍かつやくはじめたが、このだいリーグ試合しあい時間じかんたい日本にっぽん夕刊ゆうかんりにマッチし、野茂のもつづ日本人にっぽんじんだいリーガーの活躍かつやくを、かみメディアでは夕刊ゆうかんがいちはや報道ほうどうすることができ、帰宅きたくサラリーマン読者どくしゃキラーコンテンツひとつとなった。

退潮たいちょう 編集へんしゅう

1995ねんころインターネット普及ふきゅうはじめ、夕刊ゆうかんげそのものもなやんだことから、きゅう廃刊はいかんまれたり朝刊ちょうかん移行いこうする新聞しんぶんしゃ相次あいついだ。夕刊ゆうかん宝庫ほうこといわれた大阪おおさかでは1991ねん4がつ17にちイトマン事件じけんによる経営けいえい不振ふしんから『関西かんさい新聞しんぶん』が廃刊はいかん破綻はたんになったのをはじめ、1995ねん4がつ28にちに『新大阪しんおおさか』も同年どうねん1がつ17にち発生はっせいした阪神はんしん淡路あわじ大震災だいしんさい影響えいきょうによる経営けいえいなん休刊きゅうかん唯一ゆいいつ大阪おおさか地方ちほう新聞しんぶんである『大阪おおさかにちにち新聞しんぶん』も2000ねん10月1にちに『日本海にほんかい新聞しんぶん』の発行はっこうもとである新日本海新聞社しんにほんかいしんぶんしゃ鳥取とっとり)の傘下さんかはいって朝刊ちょうかん専売せんばい移行いこうした。またこの夕刊ゆうかんはいきゅうとめ全国ぜんこくにまでし、『産経新聞さんけいしんぶん』の東京とうきょう本社ほんしゃはん夕刊ゆうかん2002ねん3月30にち廃止はいし産経新聞さんけいしんぶんしゃ発行はっこうする夕刊ゆうかんフジ継続けいぞくして発行はっこうしているため、首都しゅとけんにおいては事実じじつじょう産経さんけい夕刊ゆうかん機能きのう夕刊ゆうかんフジに統合とうごうされたかたちとなった。大阪おおさか本社ほんしゃはん夕刊ゆうかん夕刊ゆうかんフジも併売へいばい)は継続けいぞくするものの、それとえられるかたち大阪おおさか新聞しんぶんどう時期じき産経さんけい大阪おおさかばん夕刊ゆうかん紙面しめん統合とうごうするかたち休刊きゅうかんとなった。

全国ぜんこくでは、この『産経新聞さんけいしんぶん』につづき、『毎日新聞まいにちしんぶん』でも北海道ほっかいどう支社ししゃはん夕刊ゆうかん2008ねん8がつ30にちをもって廃止はいしとなった。『朝日新聞あさひしんぶん』でも西部せいぶ本社ほんしゃ管内かんない大分おおいたけん佐賀さがけんけ(おも都市としけ)の夕刊ゆうかん発行はっこう2010ねん3がつまつ終了しゅうりょうしたのにつづき、福岡ふくおかけん筑豊ちくほう筑後ちくご地方ちほう飯塚いいづか久留米くるめなど)と山口やまぐちけん中部ちゅうぶ山口やまぐち宇部うべなど)けの夕刊ゆうかん2012ねん3がつまつ発行はっこう終了しゅうりょうし(「3はん廃止はいし)、北九州きたきゅうしゅう福岡大ふくおかだい都市としけん山口やまぐちけん下関しものせきふくむ。「4はん」のみ)に発行はっこう範囲はんい製作せいさく態勢たいせい縮小しゅくしょうした。『朝日新聞あさひしんぶん』は、東京とうきょう本社ほんしゃ管内かんないでも2016ねん3がつまつ山梨やまなしけん2019ねん3がつまつ栃木とちぎけん群馬ぐんまけん夕刊ゆうかん発行はっこうをそれぞれ終了しゅうりょうし、南関東みなみかんとう東京とうきょう埼玉さいたまけん千葉ちばけん神奈川かながわけん)と茨城いばらきけん静岡しずおかけん発行はっこう範囲はんい製作せいさく態勢たいせい見直みなおした。『読売新聞よみうりしんぶん』でも西部せいぶ本社ほんしゃ管内かんない大分おおいたけんけ(おも都市としけ)の夕刊ゆうかん発行はっこう2014ねん4がつまつ廃止はいしした。2016ねん3がつまつに『朝日新聞あさひしんぶん』と『毎日新聞まいにちしんぶん』が山梨やまなしけんけ、2017ねんすえに『日本経済新聞にほんけいざいしんぶん』が沖縄おきなわけんけ、2023ねん3がつまつに『毎日新聞まいにちしんぶん』が中部ちゅうぶ本社ほんしゃ愛知あいちけん岐阜ぎふけん三重みえけんけ、同年どうねん4がつまつに『朝日新聞あさひしんぶん』が名古屋なごや本社ほんしゃ愛知あいちけん岐阜ぎふけん三重みえけん[8][9][10]2024ねん3がつまつ北海道ほっかいどう支社ししゃけの夕刊ゆうかん発行はっこう廃止はいしした[11]。これら夕刊ゆうかん発行はっこう地域ちいき購読こうどくしゃたいし、後日ごじつ郵送ゆうそう購入こうにゅうできるサービスを新聞しんぶんしゃもある[12]五大ごだい都市としけんにおいて、中京ちゅうきょうけん上述じょうじゅつのとおり2023ねんはる毎日まいにち朝日あさひ中部ちゅうぶ名古屋なごや本社ほんしゃ夕刊ゆうかん全面ぜんめん休止きゅうしとなったことにより、全国ぜんこく一般いっぱん夕刊ゆうかんまった発行はっこうされない状態じょうたい[注釈ちゅうしゃく 5]となった。

ブロックでは『中国ちゅうごく新聞しんぶん』が部数ぶすう低迷ていめい広告こうこく収入しゅうにゅう減少げんしょうとう理由りゆう2015ねん4がつまつをもって夕刊ゆうかん休刊きゅうかんした[13]。ブロックとしては『中国ちゅうごく新聞しんぶん』がはじめてのれい[注釈ちゅうしゃく 6]となった(この代替だいたいとして、本編ほんぺんのダイジェストや注目ちゅうもく記事きじ解説かいせつとくした『中国ちゅうごく新聞しんぶんSELECT』を2015ねん5がつから創刊そうかんしている)。また、ブロック3しゃ連合れんごう一角いっかくめる『北海道新聞ほっかいどうしんぶん』も原材料げんざいりょう高騰こうとう輸送ゆそうコストの上昇じょうしょうなどを理由りゆうに2023ねん9がつまつをもって夕刊ゆうかん休刊きゅうかんした[14]

地方紙ちほうしでは過去かこに『秋田あきたいさお新報しんぽう』・『福島ふくしまみんほう』(毎日新聞まいにちしんぶんけい)・『福島ふくしまみんとも』(読売新聞よみうりしんぶんけい)・『福井ふくい新聞しんぶん』・『四国しこく新聞しんぶん』・『愛媛えひめ新聞しんぶん』・『長崎ながさき新聞しんぶん』・『みなみ日本にっぽん新聞しんぶん』・『琉球新報りゅうきゅうしんぽう』・『沖縄おきなわタイムス』・『北日本きたにっぽん新聞しんぶん』・『岩手いわて日報にっぽう』・『山形やまがた新聞しんぶん』・『岐阜ぎふ新聞しんぶん』があさ夕刊ゆうかんセットで発行はっこうされていたが、いずれも部数ぶすう低迷ていめい会社かいしゃ合理ごうりなどで夕刊ゆうかん廃止はいしされ、朝刊ちょうかんのみの発行はっこうとなっている。

現在げんざいでも夕刊ゆうかん発行はっこうする地方ちほういくつかあるが、かつての『大分おおいた合同ごうどう新聞しんぶん』や『山形やまがた新聞しんぶん』のように、夕刊ゆうかん夕方ゆうがた直接ちょくせつ配達はいたつできない山間さんかんなどの地域ちいきにおいて、翌日よくじつ朝刊ちょうかん一緒いっしょにまとめて配達はいたつするしゃもある(かつて『大分おおいた合同ごうどう新聞しんぶん』では1ぺーじ題字だいじ箇所かしょに「大分おおいた合同ごうどう新聞しんぶんあさ夕刊ゆうかん完全かんぜん連続れんぞく朝刊ちょうかん夕刊ゆうかん単独たんどく発売はつばいりません」との説明せつめいがあった)。また週休しゅうきゅう2にちせいにより、日曜日にちようび休日きゅうじつ定着ていちゃくしたことをけて、2011ねんに『静岡しずおか新聞しんぶん』が3がつまつをもって、土曜どよう日付ひづけ夕刊ゆうかん廃止はいしした。全国ぜんこくでも『朝日新聞あさひしんぶん』が、名古屋なごや本社ほんしゃ管内かんない2012ねん10がつ上旬じょうじゅんをもって土曜どよう日付ひづけ夕刊ゆうかん廃止はいしした(全国ぜんこくはつ)。土曜どよう日曜にちよう祝日しゅくじつおな発行はっこう形態けいたい移行いこうしたものとされる[注釈ちゅうしゃく 7]

近年きんねんでは、『大分おおいた合同ごうどう新聞しんぶん』と『徳島とくしま新聞しんぶん』が2020ねん3月31にち[15][16]、『東奥ひがしおく日報にっぽう』が同年どうねん8がつ31にち[17]、『山陽さんよう新聞しんぶん』が同年どうねん11月30にち、『高知新聞こうちしんぶん』が同年どうねん12月25にち[18]、『熊本くまもとにちにち新聞しんぶん』が2021ねん9月30にち[19]、『室蘭むろらんみんほう』が2022ねん3月31にち[20][注釈ちゅうしゃく 8]、『静岡しずおか新聞しんぶん』が2023ねん3月31にち[21]、『信濃毎日新聞しなのまいにちしんぶん』が同年どうねん9月30にち[22]、『新潟にいがた日報にっぽう』が2024ねん2がつ29にち[注釈ちゅうしゃく 9]をもって夕刊ゆうかん廃止はいしするなど、地方ちほう朝刊ちょうかん単独たんどくへの移行いこう相次あいついでいる。

以下いかのようなうごきもある。大手おおて夕刊ゆうかんは、以前いぜんから公営こうえい競技きょうぎ情報じょうほう予想よそうおおきな紙面しめんいてあつかっているが、これは翌日よくじつ競技きょうぎ情報じょうほうだった。近年きんねん各種かくしゅ競技きょうぎでナイターよう照明しょうめい導入どうにゅうし、夕方ゆうがたよる深夜しんや開催かいさいおこなわれるようになっていた。そこへコロナ影響えいきょうで、観客かんきゃくでのよる開催かいさいえ、それをインターネットで投票とうひょう観戦かんせんというニーズがきゅう拡大かくだいしている。これにわせて、大手おおては、発売はつばい当日とうじつよるのレースの予想よそうちかられている。

全国ぜんこく・ブロック夕刊ゆうかん配達はいたつ地域ちいき 編集へんしゅう

かみめい 夕刊ゆうかん発行はっこう地域ちいき(【事業じぎょうしょめい】は担当たんとう事業じぎょうしょ太字ふとじ紙面しめん製作せいさくおこなう)
読売新聞よみうりしんぶん 関東かんとう地方ちほう山梨やまなしけん静岡しずおかけん東京とうきょう本社ほんしゃ
北海道ほっかいどう石狩いしかり振興しんこうきょく上川かみかわ総合そうごう振興しんこうきょく空知そらち総合そうごう振興しんこうきょく後志しりべ総合そうごう振興しんこうきょく胆振いぶり総合そうごう振興しんこうきょく日高ひだか振興しんこうきょく)【北海道ほっかいどう支社ししゃ
富山とやまけん石川いしかわけん北陸ほくりく支社ししゃ
近畿きんき地方ちほう大阪おおさか本社ほんしゃ
山口やまぐちけん福岡ふくおかけん沖縄おきなわけん西部せいぶ本社ほんしゃ
朝日新聞あさひしんぶん 関東かんとう地方ちほう栃木とちぎけん群馬ぐんまけんのぞく)、静岡しずおかけん東京とうきょう本社ほんしゃ
近畿きんき地方ちほう大阪おおさか本社ほんしゃ
山口やまぐちけん福岡ふくおかけん沖縄おきなわけん西部せいぶ本社ほんしゃ
毎日新聞まいにちしんぶん 関東かんとう地方ちほう静岡しずおかけん東京とうきょう本社ほんしゃ[注釈ちゅうしゃく 10]
近畿きんき地方ちほう大阪おおさか本社ほんしゃ
山口やまぐちけん福岡ふくおかけん沖縄おきなわけん西部せいぶ本社ほんしゃ
日本経済新聞にほんけいざいしんぶん 関東かんとう地方ちほう栃木とちぎけん群馬ぐんまけんのぞく)、山梨やまなしけん静岡しずおかけん東京とうきょう本社ほんしゃ
近畿きんき地方ちほう大阪おおさか本社ほんしゃ
東海とうかい地方ちほう名古屋なごや支社ししゃ
山口やまぐちけん福岡ふくおかけん西部せいぶ支社ししゃ
産経新聞さんけいしんぶん 近畿きんき地方ちほう大阪おおさか本社ほんしゃ
中日新聞ちゅうにちしんぶん 中日新聞ちゅうにちしんぶん 岐阜ぎふけん愛知あいちけん三重みえけん名古屋なごや本社ほんしゃ
静岡しずおかけん富士宮ふじのみや富士ふじ以西いせい)【東海とうかい本社ほんしゃ
東京とうきょう新聞しんぶん 埼玉さいたまけん千葉ちばけん東京とうきょう神奈川かながわけん
北陸ほくりく中日新聞ちゅうにちしんぶん 石川いしかわけん
西日本にしにほん新聞しんぶん 福岡ふくおかけん
  • それぞれ一部いちぶ地域ちいきのぞく。
  • 毎日新聞まいにちしんぶん西日本にしにほん新聞しんぶん佐賀さがけん佐賀さが鳥栖とす基山きやままちのそれぞれ一部いちぶ夕刊ゆうかん配達はいたつされる。西日本にしにほん新聞しんぶん夕刊ゆうかんには系列けいれつサガテレビ番組ばんぐみひょうせている。
  • 三重みえけんのうち、地理ちりてき関係かんけい大阪おおさか本社ほんしゃ管轄かんかつとなる伊賀いが名張なばり熊野くまのおよび南牟婁みなみむろぐん[注釈ちゅうしゃく 11]では夕刊ゆうかん配達はいたつおこなっていない。
  • 中日新聞ちゅうにちしんぶん滋賀しがけん彦根ひこね米原まいばら長浜ながはまでも夕刊ゆうかん配達はいたつされていたが、2022ねん3がつ現在げんざい大津おおつ草津くさつ甲賀こうがなどをふくめたけん全域ぜんいき統合とうごうばん配布はいふエリアになっている。
  • 一般いっぱんに、あさ夕刊ゆうかんのセットりで発行はっこうする地域ちいきにおいては、1にちもっとはや午前ごぜんちゅう印刷いんさつするもの夕刊ゆうかんであり、はんすうではおおむね3・4・5はん[24]と、いちけたわか数字すうじはんすうとして掲載けいさいされている。
    • ちなみに当日とうじつ夜間やかん深夜しんやにかけて印刷いんさつされる翌日よくじつ朝刊ちょうかんは、12・13・14はん新聞しんぶんにより10・15はんあり)とニけたになっている。またスポーツ一部いちぶ夕刊ゆうかん専売せんばい新聞しんぶんは「A・Bばん」となっているものもある。

夕刊ゆうかんなみうりしているほかおも日刊にっかん 編集へんしゅう

かみめい 地域ちいき
河北かわきた新報しんぽう 宮城みやぎけん
北國きたぐに新聞しんぶん 石川いしかわけん
京都きょうと新聞しんぶん 京都きょうと滋賀しがけん
神戸こうべ新聞しんぶん 兵庫ひょうごけん

おも夕刊ゆうかん専売せんばい 編集へんしゅう

全国ぜんこく 編集へんしゅう

地方ちほう地域ちいき 編集へんしゅう

廃刊はいかん朝刊ちょうかん移行いこうした夕刊ゆうかん専売せんばい 編集へんしゅう

近年きんねんでは販売はんばい部数ぶすう減少げんしょうによる廃刊はいかんおよび朝刊ちょうかんへの移行いこう相次あいついでおり、日本にっぽん新聞しんぶん協会きょうかい調しらべでは2002ねんから2022ねんまでの20年間ねんかんで、夕刊ゆうかんかぎると1,761まんから593まんへ66%減少げんしょうし、1,168まん消滅しょうめつしている[26]

夕刊ゆうかん発行はっこうしていたスポーツ 編集へんしゅう

いずれも前夜ぜんやはやり。このほかサンケイスポーツ日刊にっかんスポーツかく大阪おおさか本社ほんしゃが、それぞれ早版はやばん夕刊ゆうかん)を発行はっこうしていたが、いずれも2000年代ねんだい前半ぜんはんまでに早版はやばん廃止はいししている。

夕刊ゆうかんデイリー」として、えき・コンビニなどのスタンドりのみで販売はんばい。なお「夕刊ゆうかんデイリー」と同一どういつ紙面しめん一部いちぶ地域ちいきでは翌日よくじつ朝刊ちょうかん当日とうじつばん)として販売はんばいされていたが、輸送ゆそうコストがたかくかかることを理由りゆうに2009ねん11月30にちづけ(11月29にち発行はっこう)で廃止はいしした。1990年代ねんだい前半ぜんはんまでは神戸こうべ本社ほんしゃでも、京阪神けいはんしん主要しゅようターミナルの売店ばいてんいて「速報そくほうばん」としょうし、事実じじつじょう夕刊ゆうかんとして販売はんばいしていた。なお、宮崎みやざきけん現存げんそんする夕刊ゆうかんデイリーとは関連かんれん一切いっさいない。
もとは「スポニチ夕刊ゆうかんしん関西かんさい」だった。1979ねん11月1にち発行はっこう(11月2にちけ)以後いご翌日よくじつだい6はん地方ちほう都市としけ)を大阪おおさか京都きょうと神戸こうべとその周辺しゅうへん地域ちいき主要しゅようターミナルの売店ばいてんいて「スポニチ前夜ぜんや速報そくほうばんのちごう)」としょうし、事実じじつじょう夕刊ゆうかんとして販売はんばいしていたが、2009ねん11月30にちづけ(11月29にち発行はっこう)でデイリースポーツとおな理由りゆう廃止はいしになった。

平日へいじつ休日きゅうじつ」の夕刊ゆうかん発行はっこう 編集へんしゅう

皇室こうしつ慶弔けいちょう行事ぎょうじおこなわれる場合ばあい、その開催かいさいについては当該とうがいねんのみ限定げんてい休日きゅうじつとしてあつかわれるが、そのについても夕刊ゆうかん発行はっこうがなされる。その場合ばあいは、「きょう夕刊ゆうかん発行はっこうします」「きょう(あす)○○にちは、○○のれい休日きゅうじつですが、夕刊ゆうかん平常へいじょうどおり発行はっこういたします。ご了承りょうしょうください」と掲載けいさいしている。

その 編集へんしゅう

  • 中央ちゅうおう競馬けいばともな日曜にちよう夕刊ゆうかん発行はっこう
としすうかい月曜日げつようび中央ちゅうおう競馬けいば開催かいさいされる場合ばあいは、夕刊ゆうかん大手おおて日曜日にちようび発行はっこうされる。
  • 番組ばんぐみひょうあつか
番組ばんぐみひょうは、セットばんであれば当日とうじつ夕方ゆうがたから翌朝よくあさ(ラジオの場合ばあい放送ほうそうづけじょう最終さいしゅう番組ばんぐみまで)のやく半日はんにちのもの、地方ちほうなどの夕刊ゆうかん統合とうごうばんであれば、当日とうじつ夕方ゆうがたから翌日よくじつ放送ほうそうづけじょう最終さいしゅう番組ばんぐみまでのやく1にちはんのものをせることがおおい。
ただし例外れいがいとして、夕刊ゆうかんフジ大阪おおさかばん一般いっぱん新聞しんぶんのセットばんおな当日とうじつ夕方ゆうがたから放送ほうそうづけじょう最終さいしゅう番組ばんぐみのものだけ、東京とうきょうスポーツ大阪おおさかスポーツは、それぞれ当日とうじつ翌日よくじつ夕方ゆうがたから放送ほうそうづけじょう最終さいしゅう番組ばんぐみぶんだけをせている。また、新聞しんぶんによってはラジオらん省略しょうりゃくする場合ばあいもある。

海外かいがい夕刊ゆうかん 編集へんしゅう

イギリス 編集へんしゅう

イギリス代表だいひょうてき夕刊ゆうかんとして『イブニング・スタンダード英語えいごばん』があり[28]1827ねん有料ゆうりょうとして発刊はっかん2009ねん10月12にち無料むりょう移行いこうした[28]

フランス 編集へんしゅう

フランスではおな新聞しんぶんしゃ朝刊ちょうかん夕刊ゆうかんすことはすくなく、朝刊ちょうかん夕刊ゆうかんかれており、フランスの代表だいひょうてき新聞しんぶんである『ル・モンド』は夕刊ゆうかんである[29]

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく 編集へんしゅう

中国ちゅうごく 編集へんしゅう

韓国かんこく 編集へんしゅう

韓国かんこく全国ぜんこくながあいだ朝刊ちょうかん朝鮮日報ちょうせんにっぽう韓国日報かんこくにっぽうソウル新聞しんぶん)と夕刊ゆうかん東亜日報とうあにっぽう中央日報ちゅうおうにっぽうきょうさと新聞しんぶん)にかれて共存きょうぞん関係かんけいはかられていた[30]。しかし生活せいかつパターンの変化へんかもあり、1990年代ねんだい夕刊ゆうかんだった新聞しんぶんしゃ配送はいそう配達はいたつ有利ゆうり朝刊ちょうかん選択せんたくするようになった[30]1991ねんにはきょうきょう新聞しんぶん夕刊ゆうかんから朝刊ちょうかん変更へんこうし、さらに1993ねん東亜日報とうあにっぽう1995ねん中央日報ちゅうおうにっぽう朝刊ちょうかん移行いこうした[30]

台湾たいわん 編集へんしゅう

脚注きゃくちゅう 編集へんしゅう

注釈ちゅうしゃく 編集へんしゅう

  1. ^ おおくの全国ぜんこくでは東北とうほく地方ちほう北信越ほくしんえつ地方ちほうちゅう四国しこく地方ちほう山口やまぐちけんのぞく)、長崎ながさきけん熊本くまもとけん大分おおいたけん宮崎みやざきけん鹿児島かごしまけんのほぼ全域ぜんいき北海道ほっかいどうのうちどうひさし上川かみかわ空知そらち石狩いしかり後志しりべ胆振いぶり以外いがい地域ちいき京都きょうと北部ほくぶ滋賀しがけんのほぼ全域ぜんいき京都きょうと滋賀しがけん統合とうごうばん地区ちく兵庫ひょうごけん但馬たじま地方ちほう西にし播磨はりま地方ちほう相生あいおい以西いせい)および淡路島あわじしま兵庫ひょうごけん統合とうごうばん地区ちく)、奈良ならけん南部なんぶ五條ごじょうなど)。また夕刊ゆうかんがある地域ちいきでも離島りとう山間さんかんでは配送はいそう関係かんけい夕刊ゆうかん配達はいたつできない場合ばあいがある。
  2. ^ 東京とうきょうスポーツ夕刊ゆうかんフジリアルスポーツ=東京とうきょう地方紙ちほうし日刊にっかんゲンダイなど。
  3. ^ 夕刊ゆうかんではない東京とうきょうタイムズ廃刊はいかん)や、大阪おおさかにちにち新聞しんぶん本文ほんぶん記述きじゅつのとおり過去かこ夕刊ゆうかんだった)などでも、同様どうように1ぺーじ題字だいじのところに1りの定価ていか表記ひょうきされている。
  4. ^ これに付随ふずいし、本来ほんらい新聞しんぶん休刊きゅうかんとなる祝日しゅくじつ土曜日どようびかさなった場合ばあい以前いぜんであれば土曜どよう夕刊ゆうかん日曜にちよう朝刊ちょうかん休刊きゅうかんにしていたところを、直近ちょっきん日曜日にちようび祝日しゅくじつ夕刊ゆうかんとその翌日よくじつ朝刊ちょうかん延期えんきする仕組しくみに変更へんこうされた(例外れいがいとして元日がんじつ現在げんざい土曜日どようびかさなった場合ばあいであっても日曜にちようけは休刊きゅうかんとなっている)。
  5. ^ 唯一ゆいいつ地方ちほう(ブロック)である中日新聞ちゅうにちしんぶんのみ(広義こうぎ全国ぜんこくふくめると日本経済新聞にほんけいざいしんぶんも)ちょう夕刊ゆうかんセットりを継続けいぞくする。
  6. ^ 広島ひろしまけん全国ぜんこく原則げんそく統合とうごうばん地域ちいきであり、山陽さんよう新聞しんぶん駅売えきうりされる地域ちいきのぞいて、夕刊ゆうかん事実じじつじょう消滅しょうめつした。
  7. ^ 前述ぜんじゅつ琉球新報りゅうきゅうしんぽう沖縄おきなわタイムスもそれ以前いぜんにも1993ねんからだい2土曜日どようびのみ夕刊ゆうかん休刊きゅうかんしていた。
  8. ^ 室蘭むろらんみんほう夕刊ゆうかん休刊きゅうかんまで、都道府県とどうふけんちょう所在地しょざいち以外いがい本社ほんしゃ新聞しんぶんしゃあさ夕刊ゆうかんセット発行はっこうおこな唯一ゆいいつ新聞しんぶんだった。
  9. ^ 2016ねん11月から、一般いっぱんてき速報そくほうせい要素ようそのある夕刊ゆうかんをやめて、特集とくしゅう記事きじ重視じゅうしした「おとなプラス」として発行はっこうし、おとなプラス単独たんどくでのつきぎめ購読こうどくや、夕刊ゆうかん配達はいたつ不可ふか地域ちいきでも実質じっしつ「1かい配達はいたつ」で購読こうどくすることもできていた[23]
  10. ^ 栃木とちぎけん群馬ぐんまけん2019ねん4がつ1にち以降いこう静岡しずおかけん2023ねん4がつ1にち以降いこう翌日よくじつ朝刊ちょうかんとまとめて配達はいたつされる。
  11. ^ 読売新聞よみうりしんぶん熊野くまの南牟婁みなみむろぐん地域ちいき中部ちゅうぶ支社ししゃ管轄かんかつ
  12. ^ 2003ねんから、7がつだい3月曜日げつようびハッピーマンデー固定こてい

出典しゅってん 編集へんしゅう

  1. ^ a b c d e 毎日新聞まいにちしんぶん紙面しめん検索けんさく・ヘルプ
  2. ^ 夕刊ゆうかん朝日新聞社あさひしんぶんしゃ広告こうこくきょく
  3. ^ 日本にっぽん新聞しんぶん協会きょうかい新聞しんぶん週間しゅうかん記念きねん行事ぎょうじ
  4. ^ 朝日新聞あさひしんぶん毎日新聞まいにちしんぶん縮刷しゅくさつばん・それぞれ1964ねん11がつごうより
  5. ^ 朝日あさひ毎日まいにち縮刷しゅくさつばん・それぞれ1964ねん12がつごうより
  6. ^ 朝日あさひ毎日まいにち縮刷しゅくさつばん・それぞれ1965ねん3がつごうより
  7. ^ 日曜にちよう夕刊ゆうかん廃止はいし運動うんどう歴史れきししょうきゅうがあるからいい音楽おんがくができる」(しんぶん販売はんばいこう 2005ねん12月8にち 2015ねん12月3にち閲覧えつらん
  8. ^ 相次あいつ新聞しんぶん夕刊ゆうかん撤退てったい ネット時代じだい夕刊ゆうかんのありかたとは? THE PAGE
  9. ^ 毎日新聞まいにちしんぶん東海とうかい3けん夕刊ゆうかんを4がつ1にちから休刊きゅうかん”. 朝日新聞あさひしんぶん (2023ねん2がつ7にち). 2023ねん2がつ12にち閲覧えつらん
  10. ^ 本紙ほんし購読こうどくりょう改定かいていのおらせ”. 朝日新聞社あさひしんぶんしゃインフォメーション (2023ねん4がつ5にち). 2023ねん4がつ5にち閲覧えつらん
  11. ^ 北海道ほっかいどう夕刊ゆうかん休止きゅうしします”. 朝日新聞あさひしんぶん (2024ねん2がつ7にち). 2024ねん2がつ9にち閲覧えつらん
  12. ^ popstyle 夕刊ゆうかん購入こうにゅう方法ほうほう YOMIURI ONLINE(読売新聞よみうりしんぶん
  13. ^ “ブロック”ではつ 中国ちゅうごく新聞しんぶん夕刊ゆうかん休刊きゅうかん にっテレニュース24 2015ねん2がつ12にち
  14. ^ 夕刊ゆうかん 9がつまつ休刊きゅうかんします*朝刊ちょうかん道新どうしんデジタルを拡充かくじゅう”. 北海道新聞社ほっかいどうしんぶんしゃ. 2023ねん9がつ3にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2023ねん9がつ3にち閲覧えつらん
  15. ^ 大分おおいた合同ごうどう新聞しんぶん夕刊ゆうかん休刊きゅうかんへ 4がつから朝刊ちょうかん統合とうごう”. 共同通信きょうどうつうしん(2020ねん1がつ14にち作成さくせい). 2020ねん1がつ14にち閲覧えつらん
  16. ^ 徳島とくしま新聞しんぶんまれわります!はる懸賞けんしょうキャンペーン 2020ねん3がつ20日はつか閲覧えつらん
  17. ^ 東奥ひがしおく日報にっぽう夕刊ゆうかん休刊きゅうかん 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん 2020ねん7がつ2にち
  18. ^ 夕刊ゆうかん休刊きゅうかんのおらせ 高知新聞社こうちしんぶんしゃ 2020ねん12がつ10日とおか閲覧えつらん
  19. ^ 熊本くまもとにちにち新聞しんぶん夕刊ゆうかん休刊きゅうかんへ 10がつから朝刊ちょうかん統合とうごう「ネット社会しゃかい進展しんてん」”. 毎日新聞まいにちしんぶん (毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ). (2021ねん8がつ10日とおか). https://mainichi.jp/articles/20210810/k00/00m/040/209000c 2021ねん8がつ10日とおか閲覧えつらん 
  20. ^ 最後さいご夕刊ゆうかん発行はっこう 室蘭民報社むろらんみんぽうしゃ 2022ねん5がつ25にち閲覧えつらん
  21. ^ 静岡しずおか新聞しんぶん、3がつまつ夕刊ゆうかん廃止はいし 朝刊ちょうかん拡充かくじゅう、デジタル強化きょうか”. 共同通信きょうどうつうしん (2023ねん1がつ10日とおか). 2023ねん1がつ10日とおか閲覧えつらん
  22. ^ 信濃しなの毎日まいにち、9がつまつ夕刊ゆうかん休刊きゅうかん 朝刊ちょうかん値上ねあげ3900えん”. 共同通信きょうどうつうしん (2023ねん9がつ12にち). 2023ねん9がつ12にち閲覧えつらん
  23. ^ 新潟日報社にいがたにっぽうしゃからのおらせ”. 新潟にいがた日報にっぽう (2024ねん2がつ9にち). 2024ねん2がつ9にち閲覧えつらん
  24. ^ 新聞しんぶんの「13はん」「14はん」とかいう数字すうじ意味いみは?日刊にっかんSPA! 朝日新聞社あさひしんぶんしゃへの取材しゅざいより)
  25. ^ 日本にっぽん新聞しんぶん協会きょうかい発行はっこう新聞しんぶん協会きょうかいほう』2018ねん9がつ18にちづけ
  26. ^ この20ねんで6わりげん、1168まん夕刊ゆうかん消滅しょうめつ…「昨日きのうのニュース」しかっていない新聞しんぶんはいつ完全かんぜん消滅しょうめつするのか”. PRESIDENT Online (2023ねん5がつ21にち). 2023ねん5がつ26にち閲覧えつらん
  27. ^ a b 平成へいせいかられい産経新聞さんけいしんぶん特別とくべつ夕刊ゆうかん りょう陛下へいか足跡あしあと儀式ぎしき万葉集まんようしゅう、Hey!Say!JUMP…”. 産経新聞さんけいしんぶん(2019ねん4がつ26にち作成さくせい). 2019ねん5がつ10日とおか閲覧えつらん
  28. ^ a b えい夕刊ゆうかんイブニング・スタンダード、12にちから無料むりょう”. AFP (2009ねん10がつ3にち). 2017ねん4がつ29にち閲覧えつらん
  29. ^ 中村なかむら典子のりこ. “フランスにおけるメディアの現状げんじょう作業さぎょう. http://www.konan-u.ac.jp/kilc/modules/info/src/noriko/2.pdf 2021ねん9がつ28にち閲覧えつらん 
  30. ^ a b c 橋本はしもと秀一ひでかず『アジア太平洋たいへいよう情報じょうほうろん酒井さかい書店しょてん、1998ねん、66-67ぺーじ 

関連かんれん項目こうもく 編集へんしゅう