(Translated by https://www.hiragana.jp/)
共和主義 - Wikipedia

共和きょうわ主義しゅぎ

共和きょうわせい国家こっか樹立じゅりつ目指めざ思想しそう

共和きょうわ主義しゅぎ(きょうわしゅぎ、英語えいご: Republicanism)とは、政治せいじ思想しそうひとつ。共和きょうわこく共和きょうわせいといった政体せいたい構成こうせい原理げんりである。

概要がいよう

編集へんしゅう

共和きょうわ主義しゅぎ」との用語ようごじゅうせいのある用語ようごである。君主くんしゅせいくににおいては、民主みんしゅ主義しゅぎもとづき君主くんしゅ廃位はいい要求ようきゅうすること、つまり君主くんしゅせい廃止はいしろん意味いみする場合ばあい大半たいはんである。いっぽう共和きょうわこくにおいては、古代こだい共和きょうわせいローマアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく建国けんこく当時とうじ政治せいじ体制たいせいはんとした中道右派ちゅうどううはもしくは保守ほしゅ代議だいぎせい重視じゅうしした政治せいじ思想しそうすことがおおい。これらのどちらの意味いみ強調きょうちょうされるかには留意りゅうい必要ひつようであり、原則げんそくとして歴史れきしてき文脈ぶんみゃくから判断はんだんすることができる。ほんこう記述きじゅつでは(しばしば混同こんどうされる)民主みんしゅ主義しゅぎとの対比たいひ力点りきてんく。

近代きんだいまでの歴史れきし

編集へんしゅう

 詳細しょうさいen:Classical republicanism参照さんしょう

古代こだい中世ちゅうせい

編集へんしゅう
 
マルクス・トゥッリウス・キケロの胸像きょうぞう

ふるくは古代こだいギリシア都市とし国家こっかポリス)や共和きょうわせいローマにまでさかのぼり、ローマ政治せいじマルクス・トゥッリウス・キケロ思想しそうあたえた影響えいきょうおおきい。語源ごげんラテン語らてんごの「レス・プブリカ」(Res Publica、「公共こうきょうなるもの」の)に由来ゆらいする。小林こばやし正弥まさやによると「もともとの共和きょうわ主義しゅぎにおいては、政治せいじ参加さんかによる自治じち目的もくてき公共こうきょうせい実現じつげんにある」[1]。しかし中世ちゅうせいニッコロ・マキャヴェッリ時代じだいにはヴェネツィアフィレンツェ共和きょうわこくであったが、実質じっしつ貴族きぞくによる寡頭せい政体せいたいであり、市民しみん民衆みんしゅう政治せいじ参加さんか自治じちはないか、あってもごく限定げんていされたものだった。これらはローマ時代じだい以降いこう一人ひとり君主くんしゅ政治せいじ私物しぶつしがちだとしても、多数たすうである一般いっぱん市民しみん民衆みんしゅうによる政治せいじ民主みんしゅ主義しゅぎ)もまた衆愚しゅうぐ政治せいじつらなって「公共こうきょうせい」からはなれたものとかんがえられ[ちゅう 1]、その中間ちゅうかん貴族きぞくせい混合こんごう政体せいたいなどがこのましいとされたためであった[2]実際じっさい、ローマでは市民しみん集会しゅうかいよりも元老げんろういんのほうがおおきな権力けんりょくるっており、中世ちゅうせい共和きょうわこくにおいても合議ごうぎせいによる国家こっか意思いし決定けってい機関きかん(のちに議会ぎかい発展はってんする)は元老げんろういんばれることがおおかった。

近世きんせい近代きんだい

編集へんしゅう

近世きんせいになって自由じゆう主義しゅぎリベラリズム)がひろまった啓蒙けいもう時代じだい市民しみん革命かくめいころにおいても財産ざいさん参政さんせいけん制限せいげんしたり(制限せいげん選挙せんきょ)、また女性じょせい奴隷どれいなどに参政さんせいけんあたえられないのが普通ふつうであった。小林こばやし正弥まさやによれば「リベラリズムの『自由じゆう』は国家こっかからの干渉かんしょうという消極しょうきょくてき自由じゆうであるのにたいし、共和きょうわ主義しゅぎの『自由じゆう』は政治せいじ参加さんか自由じゆうであり、自治じち自由じゆうなのである」[3]とされるが、裏返うらがえせば「公共こうきょうせい」の実現じつげん目的もくてきとする共和きょうわ主義しゅぎにおいて「参政さんせいけん」とは自治じち自由じゆう積極せっきょくてき自由じゆう行使こうしできるもののみにかぎられた権利けんりとらえられたのである。

 
ジェームズ・マディソンの版画はんが

このため有権者ゆうけんしゃひろげようとする民主みんしゅ主義しゅぎと、有権者ゆうけんしゃ限定げんていしようとする共和きょうわ主義しゅぎ思想しそうてき相違そういは、自由じゆう主義しゅぎ国民こくみん主権しゅけん[ちゅう 2]、ひいては自由じゆうそのもののとらかたかかわる問題もんだいとなり、独立どくりつアメリカアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく共和きょうわ主義しゅぎ参照さんしょう)、フランス革命かくめいなどにおいて重要じゅうよう争点そうてんとなっていった。たとえば、ジェームズ・マディソン(のちのアメリカだい4だい大統領だいとうりょう)は1788ねんに『ザ・フェデラリスト』で直接ちょくせつ民主みんしゅせい反対はんたい個人こじん自由じゆう保障ほしょうした立憲りっけん共和きょうわ政体せいたい支持しじして、その理由りゆうつぎのようにべた。「(直接ちょくせつ民主みんしゅせいにおいては)ほとんどの場合ばあいに、ひとつの感情かんじょう利益りえき多数たすうによって共有きょうゆうされるであろうが、弱者じゃくしゃ犠牲ぎせいにしようとする誘引ゆういんをチェックするものはない」[4]。このように当時とうじのアメリカでは共和きょうわ主義しゅぎしゃ連邦れんぽうとう(フェデラリスト)やホイッグとうに、いっぽう民主みんしゅ主義しゅぎしゃ民主みんしゅ共和党きょうわとうジャクソニアン・デモクラシー象徴しょうちょうされ、前者ぜんしゃ共和党きょうわとうつらなり、後者こうしゃ現在げんざい民主党みんしゅとうとなる。またフランスにおいては革命かくめいどきジロンド穏健おんけん共和きょうわ主義しゅぎしゃであり、いっぽうジャコバン急進きゅうしんてき民主みんしゅ主義しゅぎしゃとらえうるが、そのナポレオン・ボナパルト統治とうち執政しっせい政府せいふおよびだいいち帝政ていせい)を復古ふっこ王政おうせいレジティミスム)やなながつ王政おうせいオルレアニスム)、だい帝政ていせいボナパルティズム)などの権威けんい主義しゅぎ、さらには社会しゃかい主義しゅぎなどともからみあって複雑ふくざつ展開てんかいをみせた。

こうしたなかで「公共こうきょうせい」を重視じゅうしする共和きょうわ主義しゅぎ思想しそうてき独自どくじ立脚りっきゃくてんとして公民こうみん道徳どうとくen:Civic virtue)や共通きょうつうぜんen:Common Good公共こうきょう福祉ふくし訳語やくごがあてられる場合ばあいもあり、権利けんりあいだ調整ちょうせい主眼しゅがんく)などを強調きょうちょうするようになり、また政治せいじてきには直接ちょくせつ民主みんしゅせいよりも代議だいぎせい間接かんせつ民主みんしゅせい)など混合こんごう政体せいたい主張しゅちょうするようになった。ほかにアメリカでは独自どくじ連邦れんぽう政府せいふへの中央ちゅうおう集権しゅうけん主張しゅちょうする傾向けいこう連邦れんぽう主義しゅぎ都市とし商工しょうこう業者ぎょうしゃ中心ちゅうしんとする産業さんぎょう資本しほん主義しゅぎてき方向ほうこうせいゆうしていた)もち、かくしゅうへの地方ちほう分権ぶんけん主張しゅちょうするしゅうけん主義しゅぎen:Anti-Federalismだい地主じぬし自営じえい農民のうみん中心ちゅうしんとしていた。しゅう権限けんげん南北戦争なんぼくせんそう原因げんいん参照さんしょう)と対立たいりつした。なお上述じょうじゅつのマディソンは連邦れんぽう主義しゅぎしゅうけん主義しゅぎのあいだをしたとされる。

ちなみにだい共和きょうわせいスペインでは、スペイン内戦ないせんにおいて民族みんぞく主義しゅぎものささえられたフランコ将軍しょうぐんのナショナリスト対抗たいこうしてあつまった社会しゃかい主義しゅぎもの共産きょうさん主義しゅぎもの政府せいふ主義しゅぎもの共和きょうわ主義しゅぎしゃんだれいがある。

現代げんだい

編集へんしゅう

その20世紀せいきいたって普通ふつう選挙せんきょ拡大かくだいし(同時どうじ共和きょうわこくかずえ)有権者ゆうけんしゃ急増きゅうぞうすると、共和きょうわ主義しゅぎ民主みんしゅ主義しゅぎ融合ゆうごうしつつ(民主みんしゅ共和きょうわせい)、「公共こうきょうせい」をおもんじるがゆえに権利けんり主張しゅちょう同等どうとう義務ぎむ尊重そんちょうにも力点りきてんく、おも保守ほしゅけい政治せいじ思想しそうとみなされるようになり、とく君主くんしゅ主義しゅぎてき伝統でんとうてき封建ほうけんてき、または復古ふっこ主義しゅぎてき保守ほしゅ同様どうよう道徳どうとくてき倫理りんりてき義務ぎむかんもとづく個人こじん主義しゅぎおよび資本しほん主義しゅぎ旗印はたじるしとする自由じゆう主義しゅぎ右派うは保守ほしゅ自由じゆう主義しゅぎ en:Conservative liberalism自由じゆう保守ほしゅ主義しゅぎ en:Liberal conservatism)と共和きょうわ主義しゅぎのあいだでかさなるところがおおきくなった(各国かっこく共和党きょうわとう名乗なのっている政党せいとうをみると、保守ほしゅもしくは中道右派ちゅうどううはおおく、なかには極右きょくうまで存在そんざいする)。しかし政治せいじにおいて君主くんしゅせい比重ひじゅうおおきいくに君主くんしゅこく隣国りんごくイギリス君主くんしゅせい無視むしできないアイルランドひとし)においてはたん共和きょうわせい支持しじ君主くんしゅせい廃止はいしろん)の意味いみ使つかわれてもいる[ちゅう 3]

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう

注釈ちゅうしゃく

編集へんしゅう
  1. ^ 古代こだいギリシアでもちいられた民主みんしゅ主義しゅぎしめす「デモクラティア」(ギリシア: δημοκρατία、dēmokratía)というかたりは、すでにローマ時代じだいには衆愚しゅうぐ政治せいじのニュアンスをもってかたられ、これを批判ひはんするかたちでむしろ「レス・プブリカ」がひろ使つかわれるようになっていた。この思潮しちょう近代きんだいいたるまでつづき、17世紀せいきから18世紀せいき西欧せいおうでは、むしろ民主みんしゅ主義しゅぎ批判ひはんしつつ共和きょうわ主義しゅぎ賛美さんびする傾向けいこうつよかった。たとえばモンテスキューなど当時とうじ社会しゃかい思想しそういえ政体せいたい君主くんしゅせい貴族きぞくせい民主みんしゅせいみっつに分類ぶんるいしたアリストテレスポリュビオスせつをふまえ、それらの様々さまざまわせで政体せいたい特徴とくちょう長短ちょうたんろんじ、よい混合こんごう政体せいたいして共和きょうわせいんでいた。民主みんしゅせい参照さんしょう
  2. ^ 国民こくみん主権しゅけん(ナシオン主権しゅけん)において抽象ちゅうしょうてきな「国民こくみん」の意思いし再現さいげんすべき自由じゆう委任いにんもとづく代表だいひょうしゃ選出せんしゅつには一定いってい能力のうりょく必要ひつようだとかんがえられていたが、フランス革命かくめい人民じんみん主権しゅけん(プープル主権しゅけん)を体現たいげんした1793ねん憲法けんぽう(ジャコバン憲法けんぽう)においては主権しゅけんしゃたる「人民じんみん」の意思いしげん存在そんざいする人々ひとびと具体ぐたいてき意思いしであり、そのため議会ぎかい国民こくみん公会こうかい)における男子だんし普通ふつう選挙せんきょおよび部分ぶぶんてき直接ちょくせつ民主みんしゅせい採用さいようしている。前者ぜんしゃかならずしもイコールではないものの共和きょうわ主義しゅぎつらなる発想はっそうであり、後者こうしゃは(せま意味いみでの)民主みんしゅ主義しゅぎてき発想はっそうである。
  3. ^ 中江なかえ兆民ちょうみんは『さんよいじん経論きょうろん問答もんどう』で洋学ようがく紳士しんしなる人物じんぶつに「立憲りっけんせい立憲りっけん君主くんしゅせい)より民主みんしゅせいほうすぐれて」いるといわしめながらも「君民同治くんみんどうち社会しゃかい」においては天皇てんのう民権みんけんろんとは矛盾むじゅんしないとした。小室こむろ直樹なおき同一どういつくに同時どうじ共和きょうわこくでありかつ君主くんしゅこくでありうるという。この場合ばあい外見がいけんじょう制度せいど大統領だいとうりょうせいでなく立憲りっけん君主くんしゅせいであるが、立憲りっけん君主くんしゅせい国家こっかかなら共和きょうわこくであるとはかぎらない。小林こばやし正弥まさや自著じちょ友愛ゆうあい革命かくめい可能かのうか』において「近代きんだいてき共和きょうわ主義しゅぎ民主みんしゅ共和きょうわせい)」と「近世きんせいてき共和きょうわ主義しゅぎ」(およびそれ以前いぜん共和きょうわ主義しゅぎ)を区別くべつし、近世きんせい以前いぜん共和きょうわ主義しゅぎかならずしも君主くんしゅせい天皇てんのうせいふくむ)と矛盾むじゅんしないとしている。

出典しゅってん

編集へんしゅう
  1. ^ マイケル・J.サンデル『民主みんしゅせい不満ふまん 公共こうきょう哲学てつがくもとめるアメリカ(うえ)』所収しょしゅうの、小林こばやし解説かいせつによる。
  2. ^ 「『共和きょうわ主義しゅぎ』は、近世きんせい初頭しょとうの(イタリアとう都市とし国家こっか共和きょうわせいローマもくわえていいであろうが ― のかた典型てんけいとするところからもえるように、貴族きぞくせいなか本質ほんしつてき連関れんかんをもつものである。」安彦やすひこ一恵かずえ「『公共こうきょうせい哲学てつがくまなひとのために』合評がっぴょうかい報告ほうこく
  3. ^ 上述じょうじゅつ小林こばやし解説かいせつによる。
  4. ^ James Madison, Federalist No. 10 (1787ねん11月22にち), in Alexander Hamilton, John Jay, and James Madison, The Federalist: A Commentary on the Constitution of the United States, ed. Henry Cabot Lodge (New York, 1888), 56.

関連かんれん項目こうもく

編集へんしゅう