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兵糧 - Wikipedia

兵糧ひょうろう(ひょうろう、へいぐんかてとも)とは、戦争せんそうどきにおける軍隊ぐんたい食糧しょくりょうのこと。日本にっぽんにおいては主食しゅしょくであるべいについてろんじられることおおく、兵糧ひょうろうまい(ひょうろうまい・へい粮米)などともばれている。べいほかにも、しお大豆だいずうま食糧しょくりょう馬糧ばりょう)としても重要じゅうようされた)などがふくまれている。

概要がいよう

編集へんしゅう

古来こらいから戦場せんじょうにおける食料しょくりょう重要じゅうようせいかたられており、紀元前きげんぜん兵法ひょうほうしょ孫子まごこ』の作戦さくせんへんには自国じこくから食料しょくりょう輸送ゆそうするとコストがたかいから、てきから食料しょくりょううばうのがいといている。

このようなぐん現地げんち住民じゅうみんから強制きょうせいてき物資ぶっし収集しゅうしゅうする徴発ちょうはつ軍事ぐんじりょく行使こうしした略奪りゃくだつ押買などは現地げんち住民じゅうみん反発はんぱついやすい。そのため、現地げんち政府せいふ要請ようせい現地げんち住民じゅうみん提供ていきょうしてもらうようおねがいする供出きょうしゅつや、長期ちょうきてき戦争せんそうになると現地げんち住民じゅうみん協力きょうりょく必要ひつようとなるため高値たかね取引とりひきすることもあった。

高値たかねつづけるのもぐんには負担ふたんとなるため、現地げんち住民じゅうみん戦後せんごきちんとしたがくはら約束やくそくとして軍用ぐんようしゅひょうという臨時りんじ通貨つうか支払しはらいがおこなわるようになった。この手法しゅほうは、現地げんち物資ぶっし調達ちょうたつするとともに、戦争せんそうたないと紙切かみきれになるため現地げんち住民じゅうみん応援おうえんられるものであったが、当然とうぜんのごとく敗北はいぼくするとたおしになり国際こくさい問題もんだいとなる。

また、現地げんちから食料しょくりょうられないように村落そんらくはら焦土しょうど作戦さくせん塩土しおどというしおいて占領せんりょうした敵対てきたい民族みんぞく都市とし根絶ねだやしをねが儀式ぎしきおこなわれた。

日本にっぽんでの歴史れきし

編集へんしゅう
律令りつりょう時代じだい古代こだい

古来こらいから従軍じゅうぐんする兵士へいしには兵糧ひょうろう携帯けいたい義務ぎむがあり、律令りつりょうほうにおいてはほしい6およしお2ます自弁じべんさだめられていたが、実際じっさいには60にちぶんぎず、かつ大量たいりょう兵糧ひょうろう携帯けいたい場合ばあいによっては行軍こうぐんさまたげになる可能かのうせいもあった。そこで、蝦夷えぞ討伐とうばつさいしては東国とうごくからの調達ちょうたつゆるされ、『延喜えんぎしき』においては長門ながとこくおおやけきょいね4まんたばへい粮料としててることがさだめられている。また、実際じっさい軍事ぐんじ行動こうどうさいには地元じもと有力ゆうりょくしゃからの献納けんのう徴発ちょうはつたよることがおおかった。

平安へいあん末期まっき鎌倉かまくら時代じだい中世ちゅうせい

中世ちゅうせい以後いごいちこく平均へいきんやく一環いっかんとして徴収ちょうしゅうされるれいられ、とく源平げんぺい合戦かっせんうけたまわ寿ことぶきひさしらん)においては平家ひらかみなもと双方そうほうへい粮米の賦課ふかおこなっている。だが、現地げんちにおけるへい粮米の賦課ふか徴発ちょうはつ兵士へいしによる濫妨まね可能かのうせいがあった。文治ぶんじ元年がんねん1185ねん)にみなもと頼朝よりとも守護しゅご地頭じとう設置せっちもとめて文治ぶんじ勅許ちょっきょけると、同時どうじ荘園しょうえん国衙こくがりょう1だんからへい粮米5しょう徴収ちょうしゅうする権利けんりた。だが、国司こくし荘園しょうえん領主りょうしゅいたる反発はんぱつつよく、翌年よくねんには撤回てっかいされた[1]

南北なんぼくあさ戦国せんごく時代じだい中世ちゅうせい

南北なんぼくあさ時代じだいはいると、北朝ほくちょう室町むろまち幕府ばくふ)は へい粮料しょ(「半済はんせいれい参照さんしょうのこと)を、南朝なんちょうちょうようぶん設定せっていして兵糧ひょうろう確保かくほにあたった[2]室町むろまち幕府ばくふ守護しゅご大名だいみょう職制しょくせいでは、御蔵おぐら奉行ぶぎょう兵糧ひょうろう確保かくほ任務にんむにあたっていたが、戦国せんごく時代じだいには、平時へいじよりくら入地いりじ設置せっちしてへい確保かくほちからそそぎ、戦時せんじさいして小荷駄こにだ奉行ぶぎょうとそのした小荷駄こにだたいもうけるのが一般いっぱんてきとなった。

上泉かみいずみ信綱のぶつなつての『くん閲集』(大江おおえ兵法ひょうほうしょ戦国せんごくふうあらためたしょまきろくかん軍役ぐんえき」の「小荷駄こにだ奉行ぶぎょうのこと」の項目こうもくには兵糧ひょうろうを3つに分類ぶんるいしており、「公儀こうぎかてこしにつけ、かえときべる)」、「主人しゅじんかて着陣ちゃくじん1さとまえべる)」、「わたしかて主人しゅじんよりわたされる昼飯ひるめしなんでもべる)」としるし、また、上兵かみへいには白米はくまい下兵しもへいには黒米くろごめ(≒玄米げんまい当時とうじは「くろまい」ともよんだ)をわたすことなどが記述きじゅつされている。

てき方城ほうじょう兵糧ひょうろうめるなどして兵糧ひょうろう戦術せんじゅつを「兵糧ひょうろうめ」といい(『広辞苑こうじえん』)、れいとして、『信長のぶながこう』には豊臣とよとみ秀吉ひでよし天正てんしょう9ねん1581ねん)に、鳥取とっとりじょうったことがしるされているが(「鳥取とっとりじょう」も参照さんしょう)、だい大名だいみょう財源ざいげんあって可能かのう戦術せんじゅつであり、ぎゃく商人しょうにんとの交渉こうしょう兵糧ひょうろうまいれに失敗しっぱいした事例じれいとしては、えいろく7ねん1564ねん)に国府台こうのだいじょう里見さとみ義弘よしひろ太田おおたやすし商人しょうにんとの交渉こうしょう価格かかくわず、岩槻いわつきじょうけの兵糧ひょうろう調達ちょうたつできなかったはなしがある[3]直接ちょくせつしろ兵糧ひょうろうめられた事例じれいとしては、長篠ながしのたたか天正てんしょう3ねん/1575ねん)における長篠城ながしのじょうがある[4](「長篠ながしのたたかい」も参照さんしょう火矢ひやによる)。

近世きんせい

豊臣とよとみ政権せいけんによってへいのう分離ぶんりすすめられると、武士ぶし兵士へいしとしての役目やくめおこなうことが原則げんそくとなるとともに兵糧ひょうろう携帯けいたい義務ぎむはいされて、わりに兵糧ひょうろう調達ちょうたつ運搬うんぱん農民のうみん領民りょうみん義務ぎむとされた。また、大名だいみょう戦時せんじそなえてあらかじめべいしお味噌みそなどの調達ちょうたつ輸送ゆそう計画けいかく立案りつあんしてこれにもとづいた兵糧ひょうろう調達ちょうたつ購入こうにゅうおこなわれ、円滑えんかつ軍隊ぐんたい動員どういんおこなわれるようになった。これと同時どうじ現地げんちにおける兵糧ひょうろう調達ちょうたつ原則げんそくとして禁止きんしされて濫妨(略奪りゃくだつ行為こうい)や刈田かりた軍律ぐんりつによってきびしくきんじられることになった。

大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん給与きゅうよれいへいしょく

兵営へいえいない炊爨すいさんし、ざい営中の下士官かしかんへいおよびそのとくさだめられたものきゅうされる。 陸軍りくぐんにおけるへいしょく給与きゅうよりょうは、平時へいじ主食しゅしょくとして精米せいまい600g、精麦せいばく186g をきゅうし、副食物ふくしょくぶつはその地方ちほう物価ぶっかその状況じょうきょう顧慮こりょしてさだめられた定額ていがく現在げんざい人員じんいんたいして部隊ぶたい交付こうふし、該部たいにおいて適宜てきぎ調ちょうべんして炊爨すいさん調理ちょうりのうえ給与きゅうよし、演習えんしゅうあるいは特殊とくしゅ労務ろうむふくするものにはこのほかぞうまかないをなす。

糧食りょうしょくおよび食料しょくりょう
日額にちがく
食糧しょくりょう べい むぎ まかないりょう
精米せいまい 精麦せいばく 金額きんがく 地方ちほう区分くぶん
600g 186g 19ぜに1りん だいいち
18ぜに8りん だい
18ぜに5りん だいさん
18ぜに2りん だいよん
野外やがいぞうまかないりょう 4ぜに2りん
ぞうまかないりょう 6ぜに5りん
夜食やしょくりょう 1食分しょくぶん6ぜに

うえひょうについて)(1)地方ちほう区分くぶんは、べつさだめがある。(2)かく区内くないまかないりょうは、土地とち状況じょうきょうまたは兵員へいいん多少たしょうによって増減ぞうげんすることがあるが、1人ひとり1にち平均へいきんがくは、ひょう金額きんがく超過ちょうかしない。(3)まかないりょうは、ひょう金額きんがく範囲はんいないにおいてべつ規定きていするところにより現品げんぴん交付こうふすることがある。

また拘禁こうきんちゅう留置とめおき懲罰ちょうばつちゅうものには減給げんきゅう規定きていがある。 なお平時へいじ上記じょうき糧食りょうしょくのかわりにかんパン、缶詰かんづめにくなどをもちいる場合ばあいがある。

平時へいじ食糧しょくりょうかわ用品ようひん
品目ひんもく 数量すうりょう
かんパン 675g
缶詰かんづめにく 150g
食塩しょくえん 12g
醤油じょうゆエキス 18g

戦時せんじには給養きゅうよう確実かくじつにするために出征しゅっせい部隊ぶたいにはすべて現品げんぴん定量ていりょう支給しきゅうされる。

野戦やせん食糧しょくりょうおよび加給かきゅうひん
区分くぶん 基本きほん定量ていりょう 代用だいよう定量ていりょう
品種ひんしゅ 1人ひとり1にち定量ていりょう 品種ひんしゅ 1人ひとり1にち定量ていりょう
野戦やせん食糧しょくりょう 主食しゅしょく 精米せいまい
精麦せいばく
640g
200g
精米せいまい
パン
かんパン
855g
1020g
675g
うち1しゅ
副食ふくしょく 肉類にくるい 缶詰かんづめにく 150g ほねづけ生肉せいにく
ほねづけしおにく
無骨ぶこつ生肉せいにく
無骨ぶこつしおにく
ほねづけいぬいいぶしにく
たまご
無骨ぶこつしおいぶしにく
200g
200g
150g
150g
150g
150g
120g
うち1しゅ
野菜やさいるい 乾物かんぶつ 110g 生肉せいにく 500g
漬物つけものるい 梅干うめぼし
福神漬ふくじんづけ
40g
40g
うち1しゅ 糠漬ぬかづけ
しおづけ
60g
60g
うち1しゅ
調味ちょうみりょう 醤油じょうゆエキス
食塩しょくえん
こな味噌みそ
砂糖さとう
20g
12g
40g
15g
醤油じょうゆ
味噌みそ
0.1l
75g
飲料いんりょう ちゃ 3g
加給かきゅうひん 清酒せいしゅ
火酒かしゅ
甘味あまみひん
0.4l
0.1l
120g
うち1しゅ
紙巻かみまき煙草たばこ 20ほん

うえひょう野戦やせん食糧しょくりょうについて)(1)現地げんち調しらべべんるときは、無骨ぶこつ生肉せいにくまたはたまごをそれぞれ260g、ほねづけ生肉せいにくを340gまできゅうすることができる。 (2)パンをきゅうする場合ばあいは、1しょくにつき砂糖さとう(またはジャム)を35gまできゅうすることができる。 (3)現地げんち調ちょうべん野菜やさい製造せいぞうした漬物つけものは、1人ひとり1にち定量ていりょうを100gまでとし、これにようする食塩しょくえん適宜てきぎ使用しようすることができる。 (4)、ソースは、醤油じょうゆ同一どういつ割合わりあいかわきゅうすることができる。 (5)このひょうのほか所要しょよう香辛料こうしんりょうおよびあぶらきゅうすることができる。 (6)特別とくべつ状況じょうきょうによって清水しみず給与きゅうよようするときは、飲料いんりょうおよび調理ちょうりよう洗浄せんじょうその雑用ざつようふくまない)をあわせ1にん1にちりょう4lを標準ひょうじゅんとする。 (7)給与きゅうよじょう特別とくべつ必要ひつようのある場合ばあいにかぎりこのひょう品種ひんしゅ一部いちぶたいほか品種ひんしゅかわきゅうすることができる。その品種ひんしゅ定量ていりょう戦地せんちさい高等こうとう司令しれいかんさだめるところによる。

うえひょう加給かきゅうひんについて)品種ひんしゅかわきゅうする場合ばあいにはこのひょう品種ひんしゅ価格かかく標準ひょうじゅんとする。

さらに状況じょうきょうおうじて一定いってい増額ぞうがくおこなうほか滞陣たいじんあいだ定量ていりょう一部いちぶ金額きんがく支給しきゅうすることがある。 また非常ひじょう場合ばあいには携帯けいたい口糧こうりょう一時いちじえをしのぐことになっている。

野戦やせん携帯けいたい口糧こうりょう
品種ひんしゅ 1人ひとり1にち定量ていりょう
精米せいまい 6ごう うち1しゅ
かんパン 180もんめ
缶詰かんづめにく 40もんめ
食塩しょくえん 3もんめ

うえひょうについて)缶詰かんづめにく騎兵きへいおよび騎兵隊きへいたい行動こうどうをともにする部隊ぶたい乗馬じょうばしゃは20もんめとする。現地げんち調しらべべんすることができるときは野戦やせん糧食りょうしょく定量ていりょうまできゅうすることができる。

日本にっぽん陸軍りくぐん身体しんたい健康けんこうへいちゅう程度ていどへいぎょう従事じゅうじした場合ばあいの1にち体内たいない消費しょうひエネルギーりょう平均へいきん2769カロリーであり、野外やがい演習えんしゅう戦闘せんとう教練きょうれんなどにおいては5000ないし7000カロリーとされた。 そして諸点しょてんかんがえると、すくなくともへい1にん1にち給与きゅうよりょうは3100カロリー以上いじょう必要ひつようであるとされた。

陸軍りくぐん平時へいじ定量ていりょうやく3160カロリー、戦時せんじ定量ていりょうは3643ないし3797カロリー、携帯けいたい口糧こうりょうかんパンの場合ばあい)は2639カロリーであった。

部隊ぶたい給与きゅうよについては、衛生えいせい部員ぶいんならびに経理けいり委員いいん廉価れんか滋養じよう豊富ほうふ食品しょくひん選択せんたくし、品質ひんしつ毎日まいにち検査けんさし、食品しょくひん配合はいごうならびに調理ちょうりほう考究こうきゅうし、時々ときどき各人かくじん嗜好しこう調査ちょうさ考慮こうりょして食味しょくみ単調たんちょうけ、食欲しょくよく良好りょうこうにしてへいぎょうこた立派りっぱ体力たいりょく健康けんこう保持ほじし、きわめて旺盛おうせい士気しき発揚はつようさせることにつとめなければならないとされた。

馬糧ばりょう

編集へんしゅう
 
砂漠さばくうまえさぶくろ英語えいごばんから食料しょくりょうあたえるイギリス陸軍りくぐん予備よびぐんヨーマンリー英語えいごばんえさぶくろは、横取よこどりをふせ必要ひつようりょう計画けいかくてきあたえることができる。

ウマは1にち10-20kgと兵士へいしの10ばいちかりょうべる[5]。またみずは1にち20-30Lむ。消化しょうか器官きかんには少量しょうりょうずつしかはいらないので、必然ひつぜんてき食事しょくじ時間じかんながくなる[6]道草みちくさべさせることもできるが、砂漠さばくべられたのち放牧ほうぼく進軍しんぐんルートでは補給ほきゅうできるりょうかぎられ、そういった場所ばしょ活動かつどうしていたイギリスの部隊ぶたいでは、もっとも兵站へいたん圧迫あっぱくしたしなであった[5]

馬糧ばりょうについては、軍記ぐんきぶつ記述きじゅつとして、米糠こめぬかわら大豆だいずげられる(後述こうじゅつ)。いちれいとして、『小田原おだわら北条ほうじょうまき松山まつやま合戦かっせん松山まつやまじょう風流ふうりゅう合戦かっせん)」ない記述きじゅつとして、米糠こめぬかわらうまかてとしてしているほかどう書巻しょかんなな逸話いつわでは、戦国せんごく時代じだいに「甲斐かいくろ」といううまは1にち1明治めいじ基準きじゅんでは18リットルちょう)も大豆だいずくえしたとかたられている(この内容ないようはあくまで種馬たねうまたいする記述きじゅつである)。また『寛永かんえい諸家しょか系図けいずでんだいいちぞくぐんしょ類従るいじゅう完成かんせいかい)の酒井さかい忠次ただつぐ記事きじには、天正てんしょう12(1584ねんねん3がつ17にちに、小牧こまき長久手ながくてたたかにおいて、「士卒しそつたいして、清洲きよすしろき、兵糧ひょうろうぬかわら運送うんそうすべしとげた」と記述きじゅつされ、合戦かっせんまえ兵糧ひょうろう馬糧ばりょうそなえさせた。

近代きんだい日本にっぽんぐんにおける軍馬ぐんば馬糧ばりょうかんしては、「糧秣りょうまつ」「携帯けいたい糧秣りょうまつ」も参照さんしょう

だい世界せかい大戦たいせんどき日本にっぽんでは、国民こくみんそう動員どういんされたため、子供こども軍馬ぐんば馬糧ばりょうとなるくさつくりをされたとされ、いちれいとして、群馬ぐんまけん東村あずまむらげん伊勢崎いせざき)では、昭和しょうわ17ねん夏休なつやすとなると、軍馬ぐんばようくさづくりをされた[7]

栄養えいよう
1914ねんごろに、うまやラバが必要ひつよう栄養えいようについてアメリカとイギリスが調査ちょうさおこなっている[8][9]

世界せかい兵糧ひょうろう

編集へんしゅう

日本にっぽんにおいて、凱旋がいせん出陣しゅつじんに、ぐりちアワビ、昆布こぶを(てきち、よろこぶ)にかけて儀式ぎしきともべられた。

しろ敷地しきちないに、食料しょくりょう燃料ねんりょうとなる食物しょくもつそだてたりそなえるれいられる。熊本くまもとじょうでは、にわ銀杏いちょうたたみ芋茎ずいきかべ干瓢かんぴょうほり蓮根はすねそなえられていた。かきがきにして保存ほぞんされた。ぐりぐりともなり、保存ほぞん出来できたことから保管ほかんされた。まつ燃料ねんりょうとなり、常食じょうしょくまつがわもちともなった。うめ食料しょくりょう保存ほぞんきず消毒しょうどくともなり奨励しょうれいされた。徳川とくがわ家康いえやす駿府すんぷじょう食料しょくりょうとなるようにミカンをえた。べい乾燥かんそうさせめしとした。そしてすうおおくの味噌みそと、それらを使つかった兵糧ひょうろうまる考案こうあんされた。

ヨーロッパ
  • 古代こだいローマ時代じだいでは、bucellatumというかんパン、ベーコン、チーズ、など。ものには、みずぜたポスカワインんでいた[10][11]
  • スパルタじんは、ゆでたぶたあししおつくったメラス・ゾーモスというスープを主食しゅしょくとしてしょくしていた。これをべた裕福ゆうふく都市とし人間にんげんは「スパルタじんおそれない理由りゆうがわかった。これをべずにむようになるからだ。」とべている[12]
  • だい3かい十字軍じゅうじぐん出撃しゅつげきしたイングランドおうリチャード1せい獅子しししんおう)は、オオムギ・ライムギ・まめこなにしたものぜていた biskit of muslin を兵糧ひょうろうとした[13]
  • 1431ねんにレーゲンスブルクから出陣しゅつじんした248にんぶん食料しょくりょう荷物にもつはこうしはこんだあとに食料しょくりょうとなる)、クラッカーやかんパン、塩漬しおづ食料しょくりょうピクルス、ラード、乾燥かんそうマメ、チーズ、ビール・ワイン。キリストきょう戒律かいりつにくべないもあったので、乾燥かんそうまたは塩漬しおづけされたさかなとくにタラの塩漬しおづけであるバカラオだい航海こうかい時代じだいささえる優秀ゆうしゅう食料しょくりょうであった。)、オリーブオイル、コショウ、サフラン、生姜しょうが
十字軍じゅうじぐん時代じだいになると、ナツメヤシレーズンなどのドライフルーツがヨーロッパにもたらされた。
アレキサンダーの遠征えんせい
ちちおうピリッポス2せいは、アテナイの軍人ぐんじんクセノポンからヒントを歴史れきしてきはつ戦場せんじょうへの馬車ばしゃ牛車うしぐるま家族かぞく帯同たいどう禁止きんしし、歩兵ほへい騎馬きばちょうやり食料しょくりょう道具どうぐ調理ちょうり器具きぐ毛布もうふ建築けんちく資材しざい医薬品いやくひんなど40kg以上いじょう)をわせることで、余計よけい足枷あしかせ負担ふたんくし迅速じんそく機動きどうてき戦力せんりょく展開てんかいおこなえるようにした。アレキサンダー大王だいおう地形ちけい問題もんだい負傷ふしょうへいおお場合ばあいのぞき、ちちおう戦略せんりゃく踏襲とうしゅうしている。
食料しょくりょうは、小麦こむぎ大麦おおむぎ、キビなどの乾燥かんそう穀物こくもつをパンやかゆとしてべた。そのほかには、にく、ナツメヤシやイチジクなどのドライフルーツ、現地げんち調達ちょうたつにくかい果物くだものなどである。進軍しんぐんでは、食料しょくりょうおお地域ちいき優先ゆうせんしていたが、砂漠さばくおおいペルシャでの唯一ゆいいつ足枷あしかせみずであり、水源すいげんから水源すいげんへいうごかすしかなかった[14]
だい航海こうかい時代じだい
使つかえるのは、なみがないかぎられ、それ以外いがい火事かじきる可能かのうせいがあったため禁止きんしされた[15]
食料しょくりょうにウジといった害虫がいちゅうなどがるが、れなかったものはタンパク質たんぱくしつとしてべられた。カビ・ネズミなどによってべられなくなることもあったが、食料しょくりょうきてくるとネズミもべる対象たいしょうとなった。ネズミのくそ食害しょくがいなどの問題もんだいがあったため、対策たいさくスタッフが場合ばあいもあった[15]
遭難そうなんした場合ばあいは、皮製品かわせいひん煮込にこんで食料しょくりょうにしたケースもあった。
みずくさってしまうため、ラムしゅなどのアルコールかたち保存ほぞんされた。配給はいきゅうグロッグみすぎて酩酊めいてい状態じょうたいになった状態じょうたいは「グロッギー」とばれた。
大型おおがたふねでは、ヤギなどの家畜かちくかしたまませて様々さまざま用途ようと使用しようした。
ゾウガメは、ひっくりかえせばげず、世話せわ必要ひつようもなく1ねんちかきたため、保存ほぞんしょくとして重宝ちょうほうした(そのため、乱獲らんかくされ絶滅ぜつめつしたたねおおい)[16][17]
  • 初期しょきは、塩漬しおづけした牛肉ぎゅうにく豚肉ぶたにくさかななん水分すいぶんくした様々さまざま種類しゅるいかたパン保存ほぞんいたハードチーズみずわりとしてエールビールグロッグなどのアルコールるい
  • 1794ねんごろ、曜日ようびごとにまっており、まめやジャガイモ、カブ、砂糖さとうなどを食用しょくようとした。壊血病かいけつびょう対策たいさくには、しブドウ、ライムのジュースももちいられた。
ナポレオンぐん
ナポレオン時代じだい、「24オンスのパン、0.5ポンドのにく、1オンスのべい、または2オンスの乾燥かんそうまめまたはエンドウまめまたはレンズまめ、1クォートのワイン、ブランデー1ギル(やく4ぶんの1パイント)、0.5ギルのビネガー」が配給はいきゅうされた。またフランスパンが細長ほそながいのは、ナポレオンが兵士へいしのズボンのポケットにれられるようつくれと命令めいれいしたためだとわれている。そして、兵糧ひょうろうのためにナポレオンが懸賞けんしょうをかけて瓶詰びんづめ発明はつめいされた。
たまねぎべられており、ナポレオンが擲弾へいなにをパンになすけているかいたことからまれたという行進曲こうしんきょく『たまねぎのうた邦題ほうだいクラリネットをこわしちゃった)』がある[18]
ジャガイモが伝来でんらいしたことや農業のうぎょう技術ぎじゅつ向上こうじょうにより食料しょくりょう余剰よじょうがあったため現地げんち食料しょくりょう調達ちょうたつ可能かのうであったこと、こめ導入どうにゅうしパンより軽量けいりょう栄養えいようたか食料しょくりょう携行けいこうさせられたことが行軍こうぐん速度そくど上昇じょうしょうとなったというせつもある[19]
中国ちゅうごく[20]
中国ちゅうごくでは、兵糧ひょうろう粮という。
かん王朝おうちょう以前いぜん中国ちゅうごく北部ほくぶでは、べい小麦こむぎくらべて保存ほぞんきやすいきび(キビ)が重宝ちょうほうされ、しお野菜やさい漬物つけもの発酵はっこうけされたさかな英語えいごばんまめからつくった調味ちょうみりょうなどがくわえられたかゆ小米こごめかゆ)としてきょうされた。かん王朝おうちょう以後いごは、たねしパンべられるようになり、そのままだとかたいため、ちゃやスープとともべられるようになった。
明代あきよになると、やまと煮炊にたきの様子ようすからあかりぐんうごきを察知さっちしていることにいた戚継こうによって、事前じぜんつくってけるなかあなけてひもとおしてはこびが可能かのう日持ひもちするかんパン(戚継こう名前なまえからひかりもち)が開発かいはつされた[21]。これらかんパンは軍用ぐんようのみつくられた。
とうそうになると、焼餅やきもちだいもちあさもちきびもちざつもちがたべられた。とく有名ゆうめいものは「なべ盔餅」である。
中国ちゅうごく南部なんぶでは、きびべる習慣しゅうかんかったので、めしべられた。
主食しゅしょく以外いがい悲惨ひさんで、味噌みそ漬物つけものまめこなにしたものを乾燥かんそうさせがためたもので、新鮮しんせんにく野菜やさいかった。もしむらから耕作こうさくよううしってきてべようとした場合ばあい死罪しざいであった。そのため、にくれるには、てき味方みかたであった人間にんげん調理ちょうりする必要ひつようがあった。
遠征えんせいまえには豪勢ごうせい宴会えんかいひらかれ、うししゅがふるまわれた。
もと(モンゴル)では、にく乾燥かんそうさせた乾燥かんそうにくうし膀胱ぼうこうめたボルツべられた。また、食料しょくりょうよう家畜かちくとも行動こうどうし、ときにはりをおこなった。これらの食料しょくりょう新鮮しんせんうまちちは、栄養えいよう豊富ほうふであったため兵站へいたんくし機動きどうてき戦闘せんとうおこなうのに重宝ちょうほうした。
中東ちゅうとう
オスマン帝国ていこく時代じだい常備じょうびぐんイエニチェリは、トルコ歴史れきしがく研究けんきゅうしゃVirginia H. Aksan英語えいごばんによると「きたてのパン、パンがはいらないときはビスケット。毎日まいにちやく200グラムのにくひつじにく)、蜂蜜はちみつ、コーヒー、べい、そしてうまのための大麦おおむぎブルグル」が配給はいきゅうされていたとべている。
アフリカ
エチオピアのオロモじんは、長旅ながたび遠征えんせいさいに、あぶったコーヒーまめをすりつぶし、バターをぜたビリヤードボールだいのボールじょう食料しょくりょうかわぶくろれて食料しょくりょうとした[22]
近代きんだい
  • 缶詰かんづめ発明はつめいされたあとも、様々さまざま調理ちょうり技術ぎじゅつによってレーション開発かいはつされた。
  • 1850年代ねんだいなかばに、艦内かんないでパンがけるようになり、1847ねん缶詰かんづめ牛肉ぎゅうにくがイギリスぐん正式せいしきべられるようになった[13]
  • 19世紀せいきになると塩素えんそ消毒しょうどく技術ぎじゅつ確立かくりつされ、野戦やせん陣地じんち船上せんじょう雨水あまみず生水なまみず消毒しょうどくしてむことができるようになった。

提供ていきょうされた食事しょくじについて

編集へんしゅう
  • こう濃度のうどアルコール - 歴史れきしてきおおくの戦場せんじょう登場とうじょうするが、士気しき高揚こうよう以外いがいにも、マッサージなどの医薬品いやくひんとしても使用しようされた[23]。フランスぐんいてったさけくちわないことからからだったのが由来ゆらいとして、17世紀せいきごろからドイツ消毒しょうどくようアルコール(マッサージようアルコール)は、Franzbranntwein(フランスのブランデー)とばれるようになった[24][25]
  • イギリスぐんきょうされるベイクドビーンズは、空軍くうぐん部隊ぶたい高空こうくう低圧ていあつ環境かんきょう作業さぎょうする兵士へいしにおいて、排便はいべんうながされ、業務ぎょうむ支障ししょうることから自粛じしゅくおこなわれた[26]
  • ボーア戦争せんそうだいいち世界せかい大戦たいせん参加さんかするイギリスぐん兵士へいしようのレーション缶詰かんづめとしてマカノッチー製造せいぞうされた。イギリス料理りょうりれいれず、まずくて悪臭あくしゅうはなち、えた状態じょうたい殺人さつじんきゅう、これをべたのちのおならはくさいと散々さんざん評価ひょうかがなされた。
  • アメリカ軍用ぐんようチョコレートDレーション) - 1937ねんからレーションとして配備はいびされているチョコレートである。美味おいしくするとべすぎるからかた不味まずつくってある。かたくて歯並はならびがひとでも難儀なんぎしナイフが使用しようされ、にがすぎて「ヒトラーの秘密ひみつ兵器へいき」ともばれ、大抵たいてい兵士へいしいやがりてるひともいた[27]
  • ショカコーラ(Scho-Ka-Kola) - ドイツぐん軍用ぐんようチョコレート。大量たいりょうのカフェインりで、ベルリンオリンピックけのスポーツチョコレートとして開発かいはつされたが、開戦かいせん空軍くうぐんパイロットの夜間やかんばくげきのおともとなった。
  • チップトビーフ - 牛肉ぎゅうにく塩漬しおづけをうすくスライスにして陰干かげぼしした安価あんか製造せいぞうできる食品しょくひんふるくからべいぐん提供ていきょうされている。SOSの略称りゃくしょうばれており、SOSの内容ないようは、Shit on a Shingle(トーストじょうのクソ)、Save Our Stomachs(胃腸いちょうまもたまえ)とうがある。
  • Hängolinドイツばん - ドイツの軍隊ぐんたい寄宿きしゅく学校がっこう刑務所けいむしょ歴史れきしてき使つかわれているとうわさされる添加てんかぶつせい機能きのう抑制よくせい様々さまざまなトラブルをくすためのものだとされる。
  • 缶詰かんづめ練乳れんにゅう - 保存ほぞんいて輸送ゆそうもしやすいため、南北戦争なんぼくせんそうきたぐん重宝ちょうほうされ、除隊じょたいした兵士へいしからのくちコミにより需要じゅようおおきくたかまった。だいいち世界せかい大戦たいせんには、練乳れんにゅう生産せいさんにおおくの生乳せいにゅうられたためチーズ価格かかく高騰こうとうまねいた[28]
  • ヴィーノジェルイタリアばん別名べつめい:Tiger blood) - 濃縮のうしゅくワインを管理かんりしやすいようにゼリーじょうにしたもの。水分すいぶん希釈きしゃくしたり、そのままべられた。
  • Hitlerszalonnaハンガリーばん - ヒトラーのベーコンの。プラムのような果実かじつからつくられた固形こけいジャム。缶詰かんづめ代替だいたいひんとして現在げんざいでも様々さまざまひろ食用しょくようとされている。
  • アイスクリーム・バージ - 禁酒きんしゅかれたべいぐんさけわる嗜好しこうひんもとめられ、熱帯ねったい太平洋たいへいよう重宝ちょうほうされたいかだ
  • 水軍すいぐん料理りょうり - 日本にっぽん海賊かいぞくおこなっていた村上むらかみ水軍すいぐんしょくされていた料理りょうりである。八方はっぽうてきたいらげるとしてタコをもちいた水軍すいぐんなべなどがある[29]
日本にっぽんぐん自衛隊じえいたい
  • 航空こうくう自衛隊じえいたいでは、から空揚からあげとして縁起えんぎかついで隊員たいいん提供ていきょうされている[30]
  • 竜田たつたげは、けい巡洋艦じゅんようかん龍田たつた発祥はっしょうというせつがある。
  • 海上かいじょう自衛隊じえいたいでは、海上かいじょう曜日ようび感覚かんかくうしなわないように毎週まいしゅう金曜日きんようび海軍かいぐんカレー提供ていきょうされる。
  • 高田たかだだい13師団しだんによって、露営ろえいしょくスキーじるつくられた。
  • 間宮まみや羊羹ようかん - きゅうかてかん間宮まみやつくられていたぐんない人気にんきたかかった商品しょうひんで、当時とうじのレシピをもとに現在げんざいでもつくられている。

栄養失調えいようしっちょう

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単調たんちょうかたよった食事しょくじ起因きいんする栄養失調えいようしっちょうになるため、過去かこにはおおくのぐん脚気かっけペラグラ壊血病かいけつびょうなどの病気びょうきや、抵抗ていこうりょく低下ていかによる感染かんせんしょう罹患りかんりつ上昇じょうしょう発生はっせいした。きて食料しょくりょうててしまうひともいたので、さら摂取せっしゅカロリーの低下ていかまねいた。こういった飢餓きがについての貴重きちょう資料しりょうとして、ミネソタ飢餓きが実験じっけん報告ほうこくされている。

長期ちょうき飢餓きが状態じょうたいから大量たいりょうものくえした場合ばあいリフィーディング症候群しょうこうぐんばれる状態じょうたいこし、いた事例じれい報告ほうこくされている。『信長のぶながこう』に記述きじゅつされた豊臣とよとみ秀吉ひでよし鳥取とっとりじょうめで降伏ごうぶくしたさい食料しょくりょうあたえて過半数かはんすう死亡しぼうしたれいや、1世紀せいき歴史れきしフラウィウス・ヨセフス西暦せいれき70ねんエルサレム攻囲こういせんについて記述きじゅつした『ユダヤ戦記せんき』で「えのあと、過度かどべた場合ばあい死亡しぼうし、すこしずつべた人間にんげんびた」事例じれいられる。この症例しょうれいでは、食料しょくりょうあたえてから4にち以内いない発生はっせいし、痙攣けいれん心不全しんふぜん呼吸こきゅう不全ふぜんていリンしょう血糖けっとう・ビタミン・ミネラルの異常いじょう消化しょうか異常いじょう意識いしき障害しょうがいなどが報告ほうこくされている[31]

ことわざ
  • はらってはそよができぬ
  • An Army Marches on Its Stomach(ぐん胃袋いぶくろによって行進こうしんする、ぐん胃袋いぶくろによってうごく) - 18世紀せいきのプロイセンおうフリードリヒ2せい、もしくはフランス皇帝こうていナポレオンがったとつたえられる[32]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 山川やまかわ詳説しょうせつ日本にっぽん図録ずろく』(山川やまかわ出版しゅっぱんしゃだいはん2008ねん)p.93.2-1の解説かいせつ
  2. ^ 実際じっさい南朝なんちょう後醍醐天皇ごだいごてんのうや2だい後村上天皇ごむらかみてんのう政策せいさく幕府ばくふかたならったかたちである。呉座ござ勇一ゆういちへん南朝なんちょう研究けんきゅう最前線さいぜんせん ここまでわかった「たてたけし政権せいけん」からのち南朝なんちょうまで』(朝日あさひ文庫ぶんこ、2020ねん)p.205.
  3. ^ 伊藤いとうじゅんいたしま恒明つねあき北条ほうじょう氏康うじやす 関東かんとう王道おうどう楽土らくどきずいたおとこPHP新書しんしょ、2017ねん ISBN 978-4-569-83676-8 p.124.
  4. ^ 長篠ながしの城址じょうし史跡しせき保存ほぞんかい新城しんじょう)『設楽したらげん歴史れきし資料しりょうかん』パンフレットを一部いちぶ引用いんよう
  5. ^ a b Army horse care in the First World War” (英語えいご). www.nam.ac.uk. National Army Museum英語えいごばん. 2022ねん9がつ19にち閲覧えつらん
  6. ^ 道草みちくさいながらどこまでけるか?”. www.ntv.co.jp. 日本にほんテレビ. 2022ねん9がつ28にち閲覧えつらん
  7. ^ 五十嵐いがらし富夫とみお群馬ぐんまけん歴史れきしシリーズ5 図説ずせつ伊勢崎いせさき佐波さわ歴史れきしあかぎ出版しゅっぱん p.181.
  8. ^ NUTRITION OF HORSES AND MULES アメリカ国立こくりつ農業のうぎょう図書館としょかん(national agricultural library)
  9. ^ Care and Feeding - World War I Centennial”. www.worldwar1centennial.org. 2022ねん9がつ19にち閲覧えつらん
  10. ^ Dalby, Andrew. "Posca" entry in Food in the Ancient World from A to Z, p. 270. Routledge, 2003. ISBN 0-415-23259-7
  11. ^ Cardano, Girolamo. Emperor Nero: Son of Promise, Child of Hope (translated by Angelo Paratico) pp.185-6, Gingko Edizioni, Verona, 2019. ISBN 978-1689118538
  12. ^ Clarkson, Janet (2010). Soup : a global history. London: Reaktion. pp. 118-119. ISBN 978-1-86189-774-9. OCLC 642290114 
  13. ^ a b Ship's Biscuits – Royal Navy hardtack”. Royal Navy Museum. 2009ねん10がつ31にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2010ねん1がつ14にち閲覧えつらん
  14. ^ Food That Conquered The World: Alexander the Great 出版しゅっぱんしゃ:medium.com 参照さんしょう:2021.7.27
  15. ^ a b 高平たかひら鳴海なるみ愛甲あいこうえめたろう・どうだい草根そうこんえびす天宮あまみやはなはちす図解ずかい しょく歴史れきし』(しん紀元きげんしゃ、2012ねん)
  16. ^ giant-tortoise NATIONAL MARITIME HISTORICAL SOCIETY
  17. ^ Galápagos Tortoise サンディエゴ動物どうぶつえん
  18. ^ Xavier Maugendre L'Europe des hymnes dans leurs contexte historique et musical, Éditions Mardaga, 1996, p. 48
  19. ^ Е. Э. Месснер. Лик современной войны. Буэнос-Айрес, 1959.
  20. ^ 古代こだい軍隊ぐんたいども甚麼いんもいく乎没ゆうにく つね殺人さつじん做肉
  21. ^ 薩伯もりせんちょう善文よしふみちょう麟斌評注ひょうちゅう (2011ねん2がつ). たれ涏錄評注ひょうちゅう. 北京ぺきん: 北京ぺきん大學だいがく出版しゅっぱんしゃ. pp. だい63ぺーじ. ISBN 9787301179949 
  22. ^ Wayessa, Bula (2011ねん9がつ1にち). “Buna Qalaa: A Quest for Traditional Uses of Coffee Among Oromo People with Special Emphasis on Wallaga, Ethiopia”. African Diaspora Archaeology Newsletter. 2022ねん11月2にち閲覧えつらん
  23. ^ Food That Conquered The World: Napoleon’s Grande Armée 出版しゅっぱんしゃ:medium.com
  24. ^ Franzbranntwein DWDS(ベルリン・ブランデンブルク科学かがくアカデミー英語えいごばん電子でんし辞書じしょプロジェクト)
  25. ^ Tradice se značkou ALPA, https://www.alpa.cz/cs/tradice 
  26. ^ 理由りゆうわらえぬ「オナラ防止ぼうし」 イギリス空軍くうぐん みんな大好だいすきベイクドビーンズをべないワケ ちょ白石しらいし ひかり 出版しゅっぱんりものニュース 掲載けいさい:2020.11.26 参照さんしょう:2020.11.26
  27. ^ Henry, Mark R. and Chappell, Mike, The US Army in World War II (1): The Pacific, Osprey Publishing (2000), ISBN 1-85532-995-6, pp.20-21
  28. ^ Pauly, William H (1918). “Condensery competition with factories”. Proceedings of the Wisconsin Cheese Makers' Association Annual Conventions 1916-17-18: 155-165. 
  29. ^ 海上かいじょう自衛隊じえいたい:海上かいじょう自衛隊じえいたいレシピページ”. www.mod.go.jp. 2022ねん6がつ12にち閲覧えつらん
  30. ^ 打倒だとう海自かいじカレー」 空揚からあげで親近しんきんかんアピール―空自くうじ 時事通信じじつうしん 更新こうしん:2020ねん10がつ17にち
  31. ^ 清水しみず健太郎けんたろう, 小倉おぐら裕司ゆうじ, 高橋たかはし弘毅こうき, 和佐わさかち, 平野ひらの賢一けんいち極度きょくどてい栄養えいよう状態じょうたいにおけるてい血糖けっとうともなうリフィーディング症候群しょうこうぐん」『学会がっかいJSPEN』だい2かんだい2ごう日本にっぽん臨床りんしょう栄養えいよう代謝たいしゃ学会がっかい、2020ねん、95-102ぺーじdoi:10.11244/ejspen.2.2_95NAID 130007945657 
  32. ^ Knowles, Elizabeth KnowlesElizabeth (2006ねん1がつ1にち). “an army marches on its stomach” (英語えいご). Oxford University Press. doi:10.1093/acref/9780198609810.001.0001/acref-9780198609810-e-411. 2022ねん9がつ19にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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参考さんこう文献ぶんけん

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