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富士川 - Wikipedia

富士川ふじかわ

長野ながのけん山梨やまなしけんおよ静岡しずおかけんながれる河川かせん

富士川ふじかわ(ふじかわ)は、長野ながのけん山梨やまなしけんおよ静岡しずおかけんながれる河川かせん一級いっきゅう水系すいけい富士川ふじかわ本流ほんりゅうであり日本にっぽんさんだい急流きゅうりゅうひとつにかぞえられている。

富士川ふじかわ
富士川
水系すいけい 一級いっきゅう水系すいけい 富士川ふじかわ
種別しゅべつ 一級いっきゅう河川かせん
延長えんちょう 128 km
平均へいきん流量りゅうりょう 63.2 m³/s
清水しみずはし観測かんそくしょ 2000ねん
流域りゅういき面積めんせき 3,990 km²
水源すいげん 鋸岳のこぎりだけ山梨やまなしけん
水源すいげん標高ひょうこう 2,685 m
河口かこう合流ごうりゅうさき 駿河湾するがわん静岡しずおかけん
流域りゅういき 日本の旗 日本にっぽん
長野ながのけん山梨やまなしけん静岡しずおかけん

地図

地図
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甲斐かい駿河するがむす水運すいうんとしての要路ようろであり、ふるくから人々ひとびとらしに密着みっちゃくしてきた。

地理ちり 編集へんしゅう

 
富士川ふじかわ河口かこう付近ふきん空中くうちゅう写真しゃしん(1988ねん撮影さつえい国土こくど交通省こうつうしょう 国土こくど地理ちりいん 地図ちず空中くうちゅう写真しゃしん閲覧えつらんサービス空中くうちゅう写真しゃしんもと作成さくせい

釜無川かまなしがわ本谷ほんやとして、みなみアルプス北部ほくぶ山梨やまなしけん長野ながのけん県境けんきょう位置いちする鋸岳のこぎりだけ(のこぎりだけ)にみなもとはっし、長野ながのけん富士見ふじみまちにて八ヶ岳やつがたけなどを源流げんりゅうとする立場たちばかわ合流ごうりゅうしながら、山梨やまなしけんきたもりまで長野ながの山梨やまなしりょうけん県境けんきょうす。きたもりにて山梨やまなし県域けんいきはいってから尾白おじろがわ塩川しおかわ勅使ちょくしがわなどと合流ごうりゅうしながら甲府盆地こうふぼんちみなみながし、西八代にしやつしろぐん市川いちかわ三郷みさとまち南巨摩みなみこまぐん富士川ふじかわまちまちさかい笛吹川ふえふきがわ合流ごうりゅうする。ここまでを釜無川かまなしがわぶ。

釜無川かまなしがわ名前なまえ由来ゆらいには諸説しょせつあり、上流じょうりゅうの「釜無山かまなしやま」にちなむというもの、がまのようなふかふちがないことにちなむもの、がまのふちのような堤防ていぼうがないことにちなむもの、かわみずあたたかいのでがま必要ひつようないからというもの、巨摩こまぐん貫流かんりゅうする大河たいがのゆえに「巨摩こまあに(こまのせ)かわ」というもの、「水量すいりょう豊富ほうふながれがはやいため、がまあらおうとするとすぐにながされてくなってしまうから」という伝承でんしょうちかいものなどがげられる。そのなかでも有力ゆうりょくされているのが、なくながれる様子ようすあらわした「クマナシくまし)」に由来ゆらいしているというものである[1][2]

一般いっぱんてき釜無川かまなしがわ笛吹川ふえふきがわ合流ごうりゅうてんより下流かりゅう富士川ふじかわび、そのまま富士山ふじさん西側にしがわみなみりゅうする。途中とちゅう早川はやかわ常葉ときはがわ波木井はきいがわなど、さらくだって静岡しずおかけんはい稲子いなこがわ芝川しばかわなどの支流しりゅうわせ、富士ふじかりつつみみなみ東海道とうかいどう交差こうさし、富士ふじ静岡しずおか清水しみずとのさかい駿河湾するがわんそそぐ。

富士川ふじかわ語源ごげんについては、富士山ふじさんからながみずあつまってかわとなるせつ藤川ふじかわ変化へんかだというせつがある[3]

かた 編集へんしゅう

正式せいしきには「ふじわ」とにごらない発音はつおんであり、東海道新幹線とうかいどうしんかんせん富士川ふじかわきょうなどはし付近ふきんかかげられている看板かんばんには英語えいご表記ひょうきで「FUJIKAWA」と記載きさいされている。また流域りゅういき静岡しずおかけん山梨やまなしけんでは「ふじわ」とばれ、これは静岡しずおかにおける4おとかわで、2おとにごるもの(安倍川あべかわ地名ちめいきゅう芝川しばかわまちげん富士宮ふじのみや〉など)で共通きょうつうのルールである。

国語こくご辞書じしょ百科ひゃっか事典じてんでの仮名かめい見出みだし・仮名がなはまちまちで、『大辞林だいじりん』(三省堂さんせいどう)・『日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ』(小学館しょうがくかん)では「ふじわ」としている一方いっぽう、『日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん』や『大辞泉だいじせん』(いずれも小学館しょうがくかん)・『集英社しゅうえいしゃ国語こくご辞典じてん』(集英社しゅうえいしゃ)・『世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん』(平凡社へいぼんしゃ)では、「ふじわ」としている。『広辞苑こうじえん』(岩波書店いわなみしょてん)は2008ねんだいろくはんまで仮名かめい見出みだしを「ふじわ」としていたが、2018ねんだいななはんで「ふじわ」にあらためた。なお「ふじわ」を仮名かめい見出みだしとする『大辞林だいじりん』『日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ』『広辞苑こうじえんだいななはんは、項目こうもくちゅうで「ふじわ」のみにれている。

国土こくど交通省こうつうしょうサイトで日本にっぽん全国ぜんこくいちきゅう河川かせん紹介しょうかいする「日本にっぽんかわ」では仮名がなを「ふじかわ」としており、URLには「fujikawa」の文字もじふくまれる[4]

『NHK日本語にほんご発音はつおんアクセントしん辞典じてん』では富士川ふじかわ発音はつおんを「フジカワ ̄」としめしている。

流域りゅういき山梨やまなしけん南巨摩みなみこまぐん富士川ふじかわまちおよび2008ねん平成へいせい20ねん10月31にちまで存在そんざいした静岡しずおかけん庵原いはらぐん富士川ふじかわまちげん富士ふじ)は、正式せいしきに「ふじわちょう」と発音はつおんする。

歴史れきし 編集へんしゅう

万葉集まんようしゅうまれた富士川ふじかわ 編集へんしゅう

富士川ふじかわ記録きろく登場とうじょうするのはふるく、奈良なら時代じだいまれた万葉集まんようしゅうだいさんかん さんいちきゅう富士山ふじさんとなえた長歌ながうた高橋虫麻呂たかはしのむしまろさくともいわれる)に、富士川ふじかわがみえる。長歌ながうたには、「富士川ふじかわひとわたるも そのやま富士山ふじさん)のみずのたぎちぞ」という一節いっせつがある。

富士川ふじかわたたか 編集へんしゅう

 
岩本いわもとやまからみた富士川ふじかわかりつつみ

1180ねんみなもと頼朝よりとも平維盛たいらのこれもりたたかった合戦かっせんうけたまわ寿ことぶきひさしらんばれる一連いちれん戦役せんえきの1つである。

石橋いしばしさんたたかいでやぶれたみなもと頼朝よりとも安房あわこく再挙さいきょし、進軍しんぐんしながら東国とうごく武士ぶしがこれに参集さんしゅうして大軍たいぐんふくがり鎌倉かまくらはいる。頼朝よりとも駿河するがこくで、から派遣はけんされた平維盛たいらのこれもりひきいる追討ついとうぐんたたか勝利しょうりし、関東かんとうでの割拠かっきょ確立かくりつさせた。

中世ちゅうせい渡船とせん 編集へんしゅう

戦国せんごく大名だいみょうらは富士川ふじかわ渡船とせん管理かんりしていた。中世ちゅうせいにはすで渡船とせん環境かんきょう整備せいびされており、たとえば駿河するがこくきょうじょう[注釈ちゅうしゃく 1]富士川ふじかわ沿岸えんがんにはふね役所やくしょがあり、船方ふなかたしゅらがいかだやくつとめていたことがられる。また船方ふなかたしゅらは戦時せんじ渡船とせんおこなうために動員どういんされており、橋上はしがみもり今川いまがわ義元よしもと氏真うじざねより「昼夜ちゅうやかわぶねろうこう」の奉公ほうこうからしょやく免除めんじょみとめられている[5][6][7]

また駿河するが侵攻しんこうにより武田たけだ駿河するがりょうすると、武田たけだ家臣かしん穴山あなやましんくんいかだやく見返みかえりとしてもりしょやく免除めんじょみとめている[8][9]。このように領主りょうしゅらは渡船とせん重視じゅうししており、船方ふなかたしゅらをかかえる政策せいさくおこなっていた。

水害すいがい 編集へんしゅう

江戸えど時代じだいはじめには、いくつもの支流しりゅうをつくりながら、富士ふじひがし現在げんざい田子たごうら)の方向ほうこうがり、かわ沿いにあたる富士ふじ度重たびかさなる洪水こうずいによる災害さいがい多発たはつしていた。江戸えど時代じだい1674ねん)に古郡ふるこおり重高しげたか重政しげまさじゅうとし父子ふしさんだいが50ねん以上いじょう月日つきひついやし、富士川ふじかわながれそのものを直線ちょくせんとなる現在げんざい場所ばしょえた。水田すいでん富士川ふじかわ洪水こうずい被害ひがいからまもるため、洪水こうずい多発たはつしていた場所ばしょ遊水地ゆうすいちとしての機能きのう全長ぜんちょう2.7kmにおよだい規模きぼ堤防ていぼうかりつつみ』を完成かんせいさせ、『加島かしませんせき』とばれる水田すいでん加島かしま平野へいや現在げんざいのJR富士ふじえき周辺しゅうへん一帯いったい)に造成ぞうせいした。

現在げんざい富士川ふじかわは、潤井川うるいがわなどの支流しりゅうへの水量すいりょう調整ちょうせいや、日本軽金属にほんけいきんぞく蒲原製造所かんばらせいぞうしょ自社じしゃ水力すいりょく発電はつでんために、かりつつみよりも上流じょうりゅうみずみずし、そのまま駿河湾するがわんながしているためむかしのような水害すいがいはないが、1982ねん昭和しょうわ57ねん8がつ2にち台風たいふう10ごう影響えいきょうにより、山梨やまなしけん鰍沢かじかざわまちげん富士川ふじかわまち)などが氾濫はんらんしたほか、主要しゅよう地方ちほうどう富士川ふじかわ身延線みのぶせんげん国道こくどう469ごうとの重複じゅうふく)のまんさかえきょうと、日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう国鉄こくてつ東海道本線とうかいどうほんせんくだせん橋脚きょうきゃく流失りゅうしつ死傷ししょうしゃ35にん家屋かおくぜん半壊はんかい流出りゅうしゅつ46浸水しんすい戸数こすう1,112東海道とうかいどう本線ほんせんは75日間にちかん単線たんせん運行うんこうとなる被害ひがいとなった。

富士川ふじかわ水運すいうん 編集へんしゅう

 
廻船かいせん問屋とんやあと富士宮ふじのみや沼久保ぬまくぼ

富士川ふじかわ急流きゅうりゅう難所なんしょおおかったが、内陸ないりく甲斐かい南部なんぶ駿河するがとの交通こうつうとして、駿しゅんしゅう往還おうかんとともにふるくから水運すいうん利用りようされた。

江戸えど時代じだい1602ねん駿河するがこく甲斐かいこく現在げんざい富士川ふじかわまち)とのあいだ富士川ふじかわ渡船とせん開始かいしされたという。江戸えどには甲斐かい幕府ばくふ直轄ちょっかつ天領てんりょうであったため、慶長けいちょう12ねん(1607ねん)のすみくらりょうらによる開削かいさく事業じぎょうにより運行うんこう安全あんぜん確保かくほされて、江戸えどへの廻米かいまい輸送ゆそう中心ちゅうしん水運すいうん発達はったつした。寛永かんえい年間ねんかんには鰍沢かじかざわ河岸かわぎし黒沢くろさわ河岸かわぎし青柳あおやぎ河岸かわぎし設置せっちされて山梨やまなしはちだい巨摩こまさんぐんからの廻米かいまい輸送ゆそうおこなわれ、のち信濃しなの南部なんぶ諏訪すわ松本まつもとからの廻送かいそうおこなわれるようになった。河岸かわぎしには代官だいかんしょ米倉よねくらかれ、沿岸えんがんまちむらにはおおくの船着場ふなつきばがあり、現在げんざいでもその名残なごりをとどめる屋号やごうなどがみられる。

廻送かいそうされた廻米かいまい駿河するがこく岩渕いわぶち現在げんざい静岡しずおかけん富士ふじ)の河岸かわぎし陸揚りくあげされ、カントクとばれる馬力ばりきにより蒲原かんばらはこばれそこからさらに清水港しみずこうあつめられたのち大型おおがたせん江戸えど廻送かいそうされた。また、うえにはしお海産物かいさんぶつなど内陸ないりく甲斐かいしない商品しょうひん中心ちゅうしん輸送ゆそうおこなわれ、身延みのぶまい旅人たびびとにも利用りようされた。富士川ふじかわ沿いの沼久保ぬまくぼ地区ちくのこ江戸えど時代じだいから明治めいじにかけての帳簿ちょうぼしるされている『松井まつい文書ぶんしょ』によると、河岸かわぎしからされるものは半紙はんしやその材料ざいりょうとなる三椏みつまたほか煙草たばこなど多岐たきわたり、到着とうちゃくしたものは甲州こうしゅうよりはこばれたものであった。またこれらは大宮おおみやまちなどにはこばれていた。

明治めいじ時代じだい(1868ねん)になると廻米かいまい輸送ゆそうくなり衰退すいたいするが、さん河岸かわぎし商人しょうにんによる起業きぎょう明治めいじ7ねんには富士川ふじかわ運輸うんゆ会社かいしゃ設立せつりつされ、発展はってんした。中央ちゅうおうせん敷設ふせつにより陸上りくじょう輸送ゆそう可能かのうになるとふたた水運すいうん衰退すいたいし、大正たいしょう11ねん(1922ねん)には富士川ふじかわ運輸うんゆ会社かいしゃ解散かいさん富士ふじ身延みのぶ鉄道てつどう現在げんざいJR東海とうかい身延線みのぶせん)の全通ぜんつう1928ねん)とともにその役目やくめえた。

水質すいしつ汚染おせん問題もんだい(1970年代ねんだい 編集へんしゅう

1970年代ねんだいまではしも流域りゅういき製紙せいし工場こうじょうにより水質すいしつ汚染おせんすすんだこと、また、田子たごうら浚渫しゅんせつしたヘドロが富士川ふじかわ河川敷かせんしき処理しょりされた[10]ことから、河川かせん水質すいしつきわめて劣化れっかした。また、富士ふじのし尿にょう処理しょりじょう脱水だっすい装置そうち故障こしょうしたまま放置ほうちされ、1970ねんまでの3年間ねんかんにわたり汚物おぶつ一部いちぶ毎日まいにち1トン以上いじょう河川敷かせんしきながにされていた。深刻しんこく状況じょうきょうであったが、富士ふじ現場げんばから2-3にわたり要求ようきゅうされた修理しゅうりのための予算よさんとおしていなかった[11]

1970年代ねんだい初頭しょとう河口かこうちかくの河川敷かせんしき産業さんぎょう廃棄はいきぶつじょうしていた。近隣きんりん製紙せいし工場こうじょうなどからはスラッチ(古紙こし溶解ようかいカス)がはこまれていたが、スラッチのなかから溶解ようかい処理しょりしきれなかったいにしえ紙幣しへい発見はっけんされたこともあった[12]

水質すいしつ汚染おせん問題もんだい(2010年代ねんだい 編集へんしゅう

かつてはアユりがさかんで、2010ねんぐらいまでは熊本くまもとけん球磨川くまがわとともに「しゃくアユ」(30cmをえる大型おおがたのアユ)がれるかわとして全国ぜんこくられた。なかでも「富士川ふじかわあゆ大会たいかい」は、富士川ふじかわ町制ちょうせい90周年しゅうねん記念きねんとして1991ねんだいいちかい開催かいさいされて以来いらい山梨やまなしけん観光かんこう資源しげんひとつであった。しかし2010年代ねんだい以降いこうはアユの生息せいそくがほぼ確認かくにんされていない。また、駿河湾するがわんにおけるサクラエビ漁業ぎょぎょうも、1999ねんには2451トンの水揚みずあげがあったものが2020ねんには25.8トンといちじるしく減少げんしょうした。これらの要因よういん上流じょうりゅう雨畑あめはたダムうずたかすな汚泥おでい不法ふほう投棄とうき起因きいんするとする報道ほうどう静岡しずおか新聞しんぶんによってなされている。

アニメの聖地せいち 編集へんしゅう

2015ねんより漫画まんが連載れんさい開始かいしし、2018ねんよりアニメ放映ほうえい開始かいしされた『ゆるキャン△』の聖地せいちとして全国ぜんこくられており、2010年代ねんだい後半こうはんより流域りゅういき各所かくしょでキャンペーンがおこなわれている。

雨畑あめはたダム」や、「雨畑あめはた吊橋つりばし」も、『ゆるキャン△』だい7かん登場とうじょうした「聖地せいち」とされている。

流域りゅういき自治体じちたい 編集へんしゅう

 
釜無川かまなしがわ開国かいこくきょうじょうから八ヶ岳やつがたけのぞ
長野ながのけん
諏訪すわぐん富士見ふじみまち諏訪すわぐん原村はらむら南佐久みなみさくぐん南牧なんもくむら
山梨やまなしけん
きたもり韮崎にらさき甲斐かいみなみアルプス中巨摩なかこまぐん昭和町しょうわちょう中央ちゅうおう西八代にしやつしろぐん市川いちかわ三郷みさとまち(ここまでが釜無川かまなしがわ
南巨摩みなみこまぐん富士川ふじかわまち南巨摩みなみこまぐん身延みのぶまち南巨摩みなみこまぐん南部なんぶまち
静岡しずおかけん
富士宮ふじのみや富士ふじ静岡しずおか

観光かんこう 編集へんしゅう

 
河口かこう付近ふきんでのサクラエビてん日干ひぼ
身延山みのぶさん久遠寺くおんじ身延みのぶまち
日蓮宗にちれんしゅう総本山そうほんざん祖山そやま)。国宝こくほうなどの文化財ぶんかざいほかすうおおくの宿坊しゅくぼう存在そんざいする。さくら紅葉こうよう名所めいしょでもある。
釜口かまぐちかい富士宮ふじのみや
さんだい急流きゅうりゅう富士川ふじかわもっと川幅かわはばせばまった場所ばしょで、はげしい濁流だくりゅうにより独特どくとく岩肌いわはだつくされ、雄大ゆうだい渓谷けいこくになっている。
富士川ふじかわ楽座らくざ富士ふじ
東名高速道路とうめいこうそくどうろ 富士川ふじかわSAと、静岡しずおかけんどう山梨やまなしけんどう10ごう富士川ふじかわ身延線みのぶせんうえにあるみちえきが1つになった施設しせつ

支流しりゅう 編集へんしゅう

括弧かっこない流域りゅういき自治体じちたい

並行へいこうする交通こうつう 編集へんしゅう

鉄道てつどう 編集へんしゅう

道路どうろ 編集へんしゅう

交差こうさする交通こうつう 編集へんしゅう

 
東海道新幹線とうかいどうしんかんせん車内しゃないより上流じょうりゅう方向ほうこう

鉄道てつどう 編集へんしゅう

道路どうろ 編集へんしゅう

富士川ふじかわにおける境界きょうかい 編集へんしゅう

商用しょうよう電源でんげん周波数しゅうはすう 編集へんしゅう

静岡しずおかけんでは、商用しょうよう電源でんげん周波数しゅうはすう富士川ふじかわさかい東側ひがしがわは50Hzへるつ東京電力とうきょうでんりょくパワーグリッド)、西側にしがわは60Hzへるつ中部電力ちゅうぶでんりょくパワーグリッド)となり、周波数しゅうはすうことなる[13]。また、かつては静岡しずおかけんを3分割ぶんかつあるいは4分割ぶんかつするさいには東部とうぶ中部ちゅうぶ富士川ふじかわさかいにして分割ぶんかつしていた[14]。なお、交流こうりゅう電源でんげん使用しようする東海道新幹線とうかいどうしんかんせんがこのかわ横断おうだんするが、このかわ以東いとう周波数しゅうはすうは60Hzへるつ統一とういつされている。

植物しょくぶつ分布ぶんぷ 編集へんしゅう

植物しょくぶつ分布ぶんぷについても富士川ふじかわさかい東西とうざいちがいがられる(基本きほんてき富士川ふじかわ以西いせいにみられるレンリソウなど)[15]

脚注きゃくちゅう 編集へんしゅう

注釈ちゅうしゃく 編集へんしゅう

  1. ^ 現在げんざい静岡しずおかけん富士宮ふじのみや市内しないぼうきょうじょう

出典しゅってん 編集へんしゅう

  1. ^ 釜無川かまなしがわ由来ゆらいろう!”. うみ日本にっぽんPROJECT in やまなし. 2019ねん9がつ6にち閲覧えつらん
  2. ^ 国立こくりつ国会こっかい図書館としょかん. “釜無川かまなしがわ歴史れきし名前なまえ由来ゆらいについていてあるほんはあるか。”. レファレンス協同きょうどうデータベース. 2019ねん9がつ6にち閲覧えつらん
  3. ^ 富士川ふじかわ由来ゆらいろう!”. うみ日本にっぽんPROJECT in やまなし. 2019ねん9がつ6にち閲覧えつらん
  4. ^ 日本にっぽんかわ - 関東かんとう - 富士川ふじかわ - 国土こくど交通省こうつうしょうすい管理かんり国土こくど保全ほぜんきょく
  5. ^ 戦国せんごく遺文いぶん今川いまがわへん 1087
  6. ^ 戦国せんごく遺文いぶん今川いまがわへん 2086
  7. ^ 山梨やまなしけん資料しりょうへん 4(中世ちゅうせい1)187-188ぺーじ、1999
  8. ^ 山梨やまなし県立けんりつ博物館はくぶつかん『「武田たけだじゅうよんしょう信玄しんげんささえた家臣かしんたちの姿すがた―」展示てんじ図録ずろく』21・48ぺーじ、2018
  9. ^ 戦国せんごく遺文いぶん武田たけだへん 2740
  10. ^ 広報こうほうふじ昭和しょうわ46ねん】ヘドロ処理しょりはじまる”. 富士ふじ (1971ねん). 2021ねん12月9にち閲覧えつらん
  11. ^ 尿にょう処理しょり ほおかぶり 問題もんだい河川敷かせんしきに『朝日新聞あさひしんぶん』1970ねん昭和しょうわ45ねん)11がつ10日とおか朝刊ちょうかん 12はん 23めん
  12. ^ 日銀にちぎん、あきれたあな ってわいた札束さつたばミステリー 廃棄はいき紙幣しへい流出りゅうしゅつ事件じけん朝日新聞あさひしんぶん昭和しょうわ45ねん(1970ねん)5がつ16にち夕刊ゆうかん 3はん 11めん
  13. ^ 電源でんげん周波数しゅうはすう地域ちいき(50Hzへるつ地域ちいき/60Hzへるつ地域ちいき)について サポート・おわせ(シャープ株式会社かぶしきがいしゃ
  14. ^ きゅう富士川ふじかわまち富士ふじ合併がっぺい以降いこうは、東部とうぶ中部ちゅうぶさかい富士川ふじかわより西にし移動いどうした。
  15. ^ レンリソウ 富士ふじ

関連かんれん項目こうもく 編集へんしゅう

外部がいぶリンク 編集へんしゅう

  • 富士川ふじかわ - 国土こくど交通省こうつうしょうすい管理かんり国土こくど保全ほぜんきょく