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対戦車砲 - Wikipedia

対戦たいせんしゃほう(たいせんしゃほう)とは、対戦たいせんしゃ兵器へいきとして使用しようされる大砲たいほうである。

火砲かほう射程しゃてい弾道だんどう特性とくせいによって大別たいべつしたしき
(1)対戦たいせんしゃほうおよ戦車せんしゃほう)はとおるきのえだんひとしによって目標もくひょう装甲そうこう貫徹かんてつすることがしゅ目的もくてきで、かく水平すいへいちか砲弾ほうだんていしん弾道だんどうをとる。また、(2)対空たいくうほうは「よりたかく」、(5)野砲やほうカノンほうのう)は「よりとおく」へ砲弾ほうだん到達とうたつさせることがもとめられる。カノンほう後述こうじゅつする榴弾りゅうだんほう一般いっぱんてき弾道だんどうは擲射弾道だんどうぶ。
(1)(2)(5)はかくことなるだけで、いずれも砲弾ほうだんこう初速しょそく発射はっしゃする"gun"、つまり広義こうぎのカノンほうふくまれちょう砲身ほうしんである。したがって、対戦たいせんしゃ戦闘せんとう可能かのう対空たいくうほうやカノンほう存在そんざいし、とく現代げんだいかんほう遠距離えんきょり砲戦ほうせんをはじめ至近しきんでの水平すいへい射撃しゃげきから対空たいくう戦闘せんとうまで幅広はばひろくカバーする。
これらとくらべ、(3)迫撃はくげきほう臼砲きゅうほう)の砲弾ほうだんおおきく湾曲わんきょくした曲射きょくしゃ弾道だんどうえがき、ほうこう初速しょそくひくおさえているため射程しゃていみじかい。空気くうき抵抗ていこう安定あんていつばさ使用しようによって着弾ちゃくだん角度かくど垂直すいちょくちかくなる。
狭義きょうぎの(4)榴弾りゅうだんほうはカノンほうくらたん砲身ほうしんてい初速しょそく最大さいだい射程しゃていみじかい。ただし、榴弾りゅうだんほうとカノンほう定義ていぎ曖昧あいまい[ちゅう 1]で、現代げんだいでは榴弾りゅうだんほうちょう砲身ほうしんにより野砲やほう・カノンほう消滅しょうめつ統合とうごうされ、(4)(5)ともに"howitzer"と名付なづけられるれいおおい。
なお、たい戦車せんしゃほう対空たいくうほう機関きかんほうのぞく)は現在げんざいおおくの軍隊ぐんたいミサイル代替だいたいされている。


概要がいよう

編集へんしゅう

歩兵ほへい部隊ぶたい戦車せんしゃたいする防御ぼうぎょよう火砲かほうとしてとくし、初速しょそく貫徹かんてつりょく重視じゅうし発射はっしゃ速度そくどすぐれ、かつ戦車せんしゃからの発見はっけん攻撃こうげきふせぐためにたかさをひくくした火砲かほうである。照準しょうじゅん眼鏡めがねもちい、直接ちょくせつ照準しょうじゅんにより射撃しゃげきする。たい戦車せんしゃほうていしん弾道だんどう(ライナーせいで、直進ちょくしんし、長距離ちょうきょりんでも落差らくさすくない)をえが砲弾ほうだんし、目標もくひょう砲弾ほうだんそんそくによってやぶることを目的もくてきとする。しゅ目標もくひょう装甲そうこうされた車両しゃりょうであるが、榴弾りゅうだんもちいて対人たいじん戦闘せんとう可能かのうである。ただし観測かんそくいんいた間接かんせつ砲撃ほうげき通常つうじょうおこなわない。

通常つうじょう火砲かほう砲兵ほうへい装備そうびであるが、たい戦車せんしゃほう歩兵ほへいほう同様どうよう歩兵ほへい装備そうびとなることもおおい。また、当初とうしょ人力じんりき陣地じんちあいだ移動いどうさせながらたたかうことを想定そうていされ、小型こがた軽量けいりょうほう使つかわれた。だい世界せかい大戦たいせん前半ぜんはんごろまでの戦車せんしゃそうじて装甲そうこううすかったため小型こがたたい戦車せんしゃほう対処たいしょ可能かのうであったものの、やがて火力かりょく装甲そうこうのシーソーゲームがはじまり進化しんかげ、大戦たいせん後半こうはんには野砲やほう高射こうしゃほうカノンほうのう)とわらないおおきさとなり、牽引けんいんには人力じんりき輓馬ばんばではなく、なか大型おおがた自動車じどうしゃ牽引けんいんしゃ必要ひつようになった。またほう自体じたい戦車せんしゃ車体しゃたい搭載とうさいされるようになり、突撃とつげきほうはしほう進化しんかする。

だい大戦たいせん大型おおがたして運用うんようむずかしくなってしまったたい戦車せんしゃほうは、ほうしゅ統合とうごうおよび軽便けいべん反動はんどうほう対戦たいせんしゃミサイル登場とうじょう、また機動きどうせいはしほう進化しんかによって消滅しょうめつしてった。現代げんだいではごく一部いちぶくにせんきゅう部隊ぶたいに、野砲やほうをかねたたい戦車せんしゃほうのこっているのみである。

開発かいはつ経緯けいい

編集へんしゅう

戦車せんしゃだいいち世界せかい大戦たいせんイギリス陸軍りくぐんによってはじめて実戦じっせん投入とうにゅうされた。ドイツ陸軍りくぐん歩兵ほへいによる近接きんせつ戦闘せんとう野砲やほうによる直接ちょくせつ射撃しゃげきによりそれに対応たいおうした。カノンほう直接ちょくせつ照準しょうじゅんこう初速しょそくかし、最前線さいぜんせん配置はいちされていた。

だいいち大戦たいせん各国かっこく野砲やほう歩兵ほへい随伴ずいはん可能かのう軽量けいりょうした対戦たいせんしゃほうというあらたな火砲かほうみだし、ジャンルとして確立かくりつされた。当時とうじ戦車せんしゃはまだ装甲そうこううすく、口径こうけい20〜45mm程度ていどけいほうでも充分じゅうぶん対応たいおうできた。しかし、だい大戦たいせん開戦かいせんによりシーソーゲームは熾烈しれつきわめ、大戦たいせん中期ちゅうきには50〜75mmが、大戦たいせん末期まっきには85〜90mmが主流しゅりゅうとなる。

だい大戦たいせんにおける高射こうしゃほうによる対戦たいせんしゃ戦闘せんとう

編集へんしゅう

だい大戦たいせん初期しょき一部いちぶ戦車せんしゃ装甲そうこう防御ぼうぎょりょくたい既存きそんたい戦車せんしゃほう(その当時とうじで37mmきゅう、50mmきゅう)が威力いりょく不足ふそくであったため、野戦やせん高射こうしゃほう対抗たいこうすることがあった。高射こうしゃほうだい口径こうけい(75~105mmきゅう)、こう初速しょそく発射はっしゃ速度そくどだいなど、スペックじょう対戦たいせんしゃ任務にんむてきしているようだが、たい戦車せんしゃようてっかぶとだん直接ちょくせつ照準しょうじゅん、また、水平すいへい射撃しゃげきほうちゅう退すさ強度きょうどなどが考慮こうりょされていなければならず、最初さいしょから地上ちじょう目標もくひょう想定そうていした両用りょうようほうでなければ有効ゆうこう使用しようできない。前線ぜんせんでの咄嗟とっさおもいつきで使つかっても有効ゆうこう使用しようすることはできず、たい戦車せんしゃせん戦果せんかげた高射こうしゃほうは、あらかじめ対戦たいせんしゃ戦闘せんとう想定そうていして設計せっけいされていたものである。

ドイツ陸軍りくぐん8.8 cm FlaK 18/36/37ソ連それん赤軍せきぐん52-K 85mm高射こうしゃほうはあらかじめ対戦たいせんしゃ戦闘せんとう考慮こうりょして設計せっけいされており、当初とうしょからてっかぶとだん支給しきゅうされていたため実際じっさい戦場せんじょうでも対戦たいせんしゃ戦闘せんとうおこなえた。しかしながらその汎用はんようせいたかさからくる耐久たいきゅうせいげるため、野戦やせん高射こうしゃほうとしては重量じゅうりょう大変たいへんおもくなり、またたい戦車せんしゃほうとしては射撃しゃげき姿勢しせいたか目立めだ対戦たいせんしゃ運用うんようにはかならずしも適当てきとうではなかった。

大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐんはちはちしきななせんちめーとる野戦やせん高射こうしゃほう野戦やせん高射こうしゃほうとして大変たいへん軽量けいりょうかつ小型こがた仕上しあがり、比較的ひかくてき短時間たんじかん防空ぼうくう戦闘せんとうという運用うんようにはてきしていた。しかし開発かいはつ時点じてんでは直接ちょくせつ照準しょうじゅんによる対地たいち攻撃こうげきおこなこと考慮こうりょしておらず、軽量けいりょうゆえに耐久たいきゅうせいひくいため、無理むり平射へいしゃにはしばしばちゅう退すさ故障こしょう破損はそんこした。ほんほうではちゅう退すさ機構きこうづくり自体じたいが、かくこうじるにつれのち座長ざちょうみじかくなるなど複雑ふくざつでデリケートな構造こうぞうであった。ほんほう仰角ぎょうかく15以下いか平射へいしゃ想定そうていしておらず、使用しようするにはばくかざよけのぼうたてほうくちせい退すさうつわ装備そうび必要ひつようだった。1934ねん6がつ海岸かいがんほうとして配備はいびされたものには平射へいしゃ照準しょうじゅん装備そうびされ、俯角ふかくは7まで可能かのうであった。

イギリス陸軍りくぐんQF 3.7インチ高射こうしゃほう対戦たいせんしゃ戦闘せんとう考慮こうりょされておらず、アメリカ陸軍りくぐんM1 90mm高射こうしゃほう有効ゆうこう対戦たいせんしゃ戦闘せんとうができなかった。

だい世界せかい大戦たいせんにおいて使用しようされたたい戦車せんしゃほう

編集へんしゅう

以下いかげたものひろ使用しようされたもので、試作しさくひんいきないもののぞく。

大戦たいせんちゅうドイツ国防こくぼうぐんたたかえ前半ぜんはんしつにおいて、後半こうはんりょうにおいて優勢ゆうせいてきたたかった。つまりつね戦車せんしゃ劣勢れっせい立場たちばにあっため国力こくりょくおとるドイツは、大戦たいせん全期ぜんきつう積極せっきょくてき対戦たいせんしゃほう開発かいはつおこなった。

「88(アハト・アハト)」こと8.8 cm FlaK 18/36/37もっと有名ゆうめいであるが、本来ほんらい対戦たいせんしゃほうではなく野戦やせん高射こうしゃほうである。もともとたい戦車せんしゃほう運用うんようする歩兵ほへい連隊れんたい対戦たいせんしゃのち戦車せんしゃりょうへい戦車せんしゃ駆逐くちく中隊ちゅうたいようではなかったが、大戦たいせん当初とうしょから空軍くうぐん地上ちじょう部隊ぶたいから一部いちぶ陸軍りくぐん割譲かつじょうされ、「じゅう対戦たいせんしゃほう」という名目めいもく対戦たいせんしゃ部隊ぶたい装備そうびとなっていたれいもある。

3.7 cm PaK 36 L45 (45口径こうけい37mmたい戦車せんしゃほう
 
3.7 cm PaK 36 L45
大戦たいせん初期しょき主力しゅりょくたい戦車せんしゃほうラインメタルしゃせいだが、ナチス政権せいけんをとる以前いぜん協定きょうていむすんでいたソ連それん国内こくない開発かいはつ試験しけんされ、ドイツよりさきの1931ねんにM1930(1K)としてソ連それん赤軍せきぐんにも採用さいようされている。37mmきゅうとしては威力いりょくのあるほうだったがフランスイギリスソ連それんじゅう装甲そうこう戦車せんしゃ相手あいて苦戦くせんし、「ドアノッカー(たたくだけで貫通かんつうできない)」の蔑称べっしょうがつけられた。能力のうりょくてきにはソ連それん侵攻しんこうあたりが限界げんかいだったが、ほうこうんで発射はっしゃする専用せんよう成形せいけい炸薬さくやくたま開発かいはつされたことにより、近距離きんきょり対戦たいせんしゃ兵器へいきとしてその使つかわれた。車載しゃさいようとしてSd Kfz 250Sd Kfz 251しょう隊長たいちょうしゃ使つかわれ、戦車せんしゃほうがた初期しょきIIIごう戦車せんしゃ搭載とうさいされた。
また、ほんほう中華民国ちゅうかみんこくにも輸出ゆしゅつされ、にちちゅう戦争せんそうにおいて日本にっぽん戦車せんしゃたい威力いりょく発揮はっきした。日本にっぽんがわほんほう多数たすう鹵獲ろかくし、改修かいしゅうくわしき37mmたい戦車せんしゃほう(ラしきとはほんほう生産せいさんしたラインメタルしゃす)として配備はいびした。またソ連それん赤軍せきぐんでは鹵獲ろかくしたものをそのまま使用しようしたり、45mm砲身ほうしん改造かいぞうしてから使用しようしている。
5 cm PaK 38 L60 (60口径こうけい50mmたい戦車せんしゃほう[1]
 
5cm PaK 38
近代きんだい兵器へいき一大いちだい実験じっけんじょうとなったスペイン内戦ないせんにおけるPak36の実戦じっせんレポートから、より強力きょうりょく対戦たいせんしゃほう必要ひつようであるとかんじたぐんによって開発かいはつされ、1939ねんより生産せいさん開始かいしされた。実戦じっせんテストてき意味合いみあいもめて1940ねん4がつにははやくも実戦じっせん配備はいびについている。翌年よくねん開始かいしされたどくせんでは、従来じゅうらいのPaK35/36ではソ連それん新型しんがた戦車せんしゃ装甲そうこう貫通かんつうできず、これにくらほんほうでは近距離きんきょりならT-34KV-1をなんとか仕留しとめることができた。
貫徹かんてつりょくはAPC-HE(とおるかぶと榴弾りゅうだん)をもちいた場合ばあい命中めいちゅうかく60で73mm/100m、61mm/500m。タングステンしんもちいたPzgr 40 APCR(かたしんてっかぶとだんでは、命中めいちゅうかく60で143mm/100m、86mm/500mとよりつよ貫徹かんてつりょくがあったが、完全かんぜん撃破げきはするにはすうはつ必要ひつようがあった。また、当時とうじのドイツにおいてタングステン合金ごうきん貴重きちょうであったが、T-34に対抗たいこうできるPaK 40が十分じゅうぶん配備はいびされるようになった1942ねんまで、APCRだん生産せいさん縮小しゅくしょうせずつくられつづけた。最終さいしゅうてきやく9500もん生産せいさんされ、運用うんよう終戦しゅうせんまでつづいた。おなじ60口径こうけい戦車せんしゃほうがた後期こうきIIIごう戦車せんしゃなどに搭載とうさいされた。
7.5 cm PaK 97/38 L36(36口径こうけい75mmたい戦車せんしゃほう
 
7.5cm PaK 97/38
ドイツぐんどくせんにおいて遭遇そうぐうしたT-34ちゅう戦車せんしゃやKV-1じゅう戦車せんしゃはこれまで運用うんようしてきた3.7 cm PaK 36や5 cm PaK 38ではぶんわる相手あいてであったため、ドイツぐん早急そうきゅうにこれらの戦車せんしゃ対抗たいこう可能かのう対戦たいせんしゃほう必要ひつようとしていた。しかし本命ほんめいの7.5 cm PaK 40の配備はいびには時間じかんがかかるため、ポーランド侵攻しんこうフランス侵攻しんこうにおいて大量たいりょう鹵獲ろかくしたフランスせいM1897 75mm野砲やほう砲身ほうしんを5cm PaK 38のほう搭載とうさいし、ほうこう多孔たこうしきマズルブレーキを装着そうちゃくして急造きゅうぞうたい戦車せんしゃほう改造かいぞうした。
HEATだん使用しようすればT-34には十分じゅうぶん対抗たいこう可能かのうであり、KV-1の側面そくめん装甲そうこう貫通かんつう可能かのうであったが、7.62 cm PaK 36(r) とちがってせんだんへだたにししきのままであるため発射はっしゃ速度そくどおそかった。くすりしつも7.5cm PaK 40ようちょう薬莢やっきょう適合てきごうさせる改造かいぞうおこなっていなかったため弾薬だんやく互換ごかんせいく、てい初速しょそくゆえとおるかぶとだん威力いりょくひくかった。また反動はんどうたいほう十分じゅうぶんなものでなかったため、PaK 40の配備はいびともなだい一線いっせんから退しりぞいていった。
7.62 cm PaK 36(r) L51.1 (51.1口径こうけい76.2mmたい戦車せんしゃほう
 
7.62cm PaK 36(r) この展示てんじほう砲身ほうしんこう状態じょうたいで、マズルブレーキもうしなわれている
ドイツぐんバルバロッサ作戦さくせんで、ソ連それんぐんM1936 F-22師団しだんほう野砲やほう大量たいりょう捕獲ほかく、7.62 cm FK 296(r)とづけてそのまま使用しようしていたが、強力きょうりょくなT-34ちゅう戦車せんしゃKV-1じゅう戦車せんしゃ対抗たいこうすべくこれを対戦たいせんしゃほう改造かいぞうした。
ぼうたてじゅう構造こうぞうとなり、照準しょうじゅん一人ひとりでできるように操作そうさハンドルを左側ひだりがわあつめ、砲身ほうしんさきにはマズルブレーキがいた。またより強力きょうりょくなPaK40ようなが薬莢やっきょう使つかえるように、くすりしつ改造かいぞうされている。ピンチヒッターてきほうではあったが、東部とうぶ戦線せんせんからきたアフリカ戦線せんせんまで、またはしほう搭載とうさいされ活躍かつやくした。
7.5 cm PaK 40 L46 (46口径こうけい75mmたい戦車せんしゃほう[2]
 
PaK 40
大戦たいせん後半こうはん主力しゅりょくたい戦車せんしゃほうで、PaK38の拡大かくだいばん。1942ねんより部隊ぶたい配備はいび開始かいしされ、終戦しゅうせんまで運用うんようされた。ここにてようやくてき新型しんがた戦車せんしゃ有効ゆうこう兵器へいきとなったが、大型おおがたにより人力じんりき移動いどう困難こんなんとなった。
はしほうようとしてマルダーけい対戦たいせんしゃはしほう搭載とうさいされ、PaK40/1はマルダーIもちい、PaK40/2はマルダーIIもちい、PaK40/3はマルダーIIIようである。なお、駆逐くちく戦車せんしゃ搭載とうさいされたのは48口径こうけいのPaK39、突撃とつげきほうのものはStuK40、戦車せんしゃようはKwK40で、どう系列けいれつではあるがほうくすりしつなどのことなる別物べつものとく後者こうしゃふたつは弾頭だんとうおなじでも薬莢やっきょうがボトルネックがたで、たい戦車せんしゃほうとは砲弾ほうだん互換ごかんせいい)である。貫徹かんてつりょく命中めいちゅうかく60で89mm/1000m(APC-HE)、96mm/1000m(APCR)。終戦しゅうせんまでにやく23,000もん生産せいさんされた。
8.8 cm PaK 43 L71 (71口径こうけい88mmたい戦車せんしゃほう
 
PaK 43
対戦たいせんしゃ兵器へいきとして威力いりょく発揮はっきした「88」だったが、高射こうしゃほうのままでは姿勢しせいたか発見はっけんされやすいため、クルップしゃ対戦たいせんしゃほうとして改良かいりょうしたのがほんほうである。ぜんしゅう射撃しゃげき可能かのうなまま姿勢しせいひくくなったが、おもすぎた(PaK43は砲車ほうしゃしで3.6トン、砲車ほうしゃきで5トン、PaK43/41は4.4トン)ため、人力じんりきでの迅速じんそく陣地じんち転換てんかん不可能ふかのうだった。なお、砲車ほうしゃけられたままでの緊急きんきゅう射撃しゃげきには、左右さゆう30ずつの限定げんてい旋回せんかいとなる。
閉鎖へいさ戦車せんしゃほうのようにたてがたで、野戦やせん火砲かほうにしてはめずらしく電気でんきしき発砲はっぽう機構きこうつ。これをもとにした戦車せんしゃほうがたティーガーII(VIごう戦車せんしゃBがた)、エレファントじゅう駆逐くちく戦車せんしゃ(フェルディナント)やヤクトパンターナースホルンといった駆逐くちく戦車せんしゃ対戦たいせんしゃはしほう搭載とうさいされた。
8.8 cm PaK 43/41 L71 (71口径こうけい88mmたい戦車せんしゃほう[3]
 
PaK 43/41
PaK43のぜん周旋しゅうせんかい可能かのうなクロイツラフェッテ(十字じゅうじがたほう)の生産せいさん遅延ちえんしたため、つなぎとしてラインメタルしゃ砲身ほうしんはPaK43、あしは10.5cm leFH18けい榴弾りゅうだんほう車輪しゃりんは15cm sFH18じゅう榴弾りゅうだんほうという、既存きそん部品ぶひんあつめた8.8cm Pak43/41たい戦車せんしゃほうつくりあげ、併行へいこう生産せいさんおこなった。また、閉鎖へいさ以前いぜんの8.8cmほう同様どうよう水平すいへいスライドしきもどされ、発砲はっぽう装置そうち一般いっぱんたい戦車せんしゃほうおなじになり、砲弾ほうだん砲身ほうしんのぞきほとんど別物べつものになった。
性能せいのうてきにはPaK43と同等どうとうだが、ほう関係かんけい左右さゆう28ずつの限定げんてい旋回せんかいである。たい戦車せんしゃほうとしてはあまりにも巨大きょだいになってしまったため、使用しようするへいからは「てきからればそんしのおおきな標的ひょうてき」と自嘲じちょうされ、『納屋なや (Scheunentor)』とあだされたが威力いりょく素晴すばらしく、あらゆるてき戦車せんしゃてき有効ゆうこう射程しゃていがいから撃破げきはできた。
しかしPaK43の生産せいさん軌道きどうにのったのち牽引けんいんしきたい戦車せんしゃほうがた製造せいぞうりとなってはしほう搭載とうさいがたにシフトし、かずもずっとすくない。
7.5 cm PaK 41
ゲルリッヒ理論りろんもとづき開発かいはつされたゲルリッヒほうである。これはほうさきくにしたがってほそくなっており、こう初速しょそく砲弾ほうだんせるものだった。また、砲弾ほうだんたましんにタングステンをもちいており、貫徹かんてつりょく非常ひじょうつよかった。が、ほう特性とくせいじょう砲身ほうしん寿命じゅみょうみじかく、また、砲弾ほうだんもドイツ国内こくないでタングステンが産出さんしゅつされなかったこともあり大量たいりょう生産せいさんできる状態じょうたいになかった。ゆえに、わずかに150もん生産せいさんされたにとどまった。

ソビエト連邦れんぽう

編集へんしゅう

ソ連それんぐん労農ろうのう赤軍せきぐん)も列強れっきょう各国かっこく同様どうようたい戦車せんしゃほう開発かいはつつとめ、当時とうじとしては比較的ひかくてきたか威力いりょくのものを装備そうびしていた。さらに、さいわいにも野砲やほうとして配備はいびされた76.2mm F-22 M1936ひとし対戦たいせんしゃほうとしての能力のうりょくがあったため、国々くにぐにが37~50mmきゅうたい戦車せんしゃほうしかっていなかった時期じきに、75mmきゅうほうたたかうことができた(ただし砲兵ほうへい装備そうびであり、歩兵ほへい自衛じえいようではなかった)。そして、より量産りょうさんけである後継こうけいのZiS-3が、実質じっしつてきどくせん中期ちゅうき以降いこう主力しゅりょくたい戦車せんしゃほうとして使用しようされた。

なお、ソ連それんぐん砲術ほうじゅつでは帝政ていせいロシアぐん以来いらい一貫いっかんして直接ちょくせつ照準しょうじゅんによる平射へいしゃ重視じゅうしされており、口径こうけい122mmや152mmの榴弾りゅうだんほうでさえもすべ直接ちょくせつ照準しょうじゅん装備そうびされ、対戦たいせんしゃ戦闘せんとうおこなえるようになっていた。

45mmたい戦車せんしゃほう[4]
 
Pak35/36をもとにしたことがよくかる45mmたい戦車せんしゃほうM1932
ソ連それんいてこうばれるほうは3しゅある。それらは開発かいはつねん区別くべつされ、それぞれM1932(19K)M1937(53K)M1942ばれる。32ねんがたは46口径こうけい、42ねんがたは60口径こうけいであり、より貫徹かんてつりょくした。とくにM1942はタングステンしんてっかぶとだんもちいると近距離きんきょりではたか貫通かんつうりょく発揮はっきパンター戦車せんしゃの100mmあつ鋳造ちゅうぞうせいぼうたてぬきしたれいもある。また、BT戦車せんしゃやT-26けい戦車せんしゃ主砲しゅほうとして、戦車せんしゃほうがたが20Kの採用さいようされている。どくせん中期ちゅうき以降いこうはドイツぐん戦車せんしゃ装甲そうこうあつみをしたため次第しだいに2せんきゅう兵器へいきとなるが、終戦しゅうせん直前ちょくぜんたいにち参戦さんせんときには装甲そうこううす日本にっぽんぐん戦車せんしゃ相手あいて依然いぜんとして威力いりょく発揮はっきした。
これらは前述ぜんじゅつのラインメタル3.7cm Pak35/36のソ連それんばん・37mmたい戦車せんしゃほうM1930(1K)の口径こうけい拡大かくだいしたもので、構造こうぞうてき同一どういつであった。ドイツせいくらべると車輪しゃりんがスポークしきなのが識別しきべつてんである。
ZiS-2 57mmたい戦車せんしゃほう[5]
 
ZiS-2
ドイツぐんじゅう戦車せんしゃ開発かいはつすることを見越みこして開発かいはつされたもの。72.9口径こうけいという非常ひじょうなが砲身ほうしんのため、こう初速しょそく弾丸だんがん発射はっしゃできた。
ほう簡易かんい設計せっけいでありタイヤもトラックのものを流用りゅうようしていたが、工作こうさく技術ぎじゅつひくソ連それんにおいてなが砲身ほうしんけずりだすのは非常ひじょう困難こんなんで、価格かかくはZiS-3をはるかに上回うわまわった。そのためソ連それんぐんたい戦車せんしゃほう主力しゅりょくとはなりえず比較的ひかくてき少数しょうすう生産せいさんされ、コムソモーレッツ砲兵ほうへいようトラクターに搭載とうさいしたZiS-30や、T-34 1941ねんがた搭載とうさいしたT-34-57とともモスクワ攻防こうぼうせん実戦じっせん投入とうにゅうされている。
ZiS-3 76.2mm師団しだんほう野砲やほう[6]
 
ZiS-2とおなほうのZiS-3
大戦たいせんちゅうソ連それんぐん砲兵ほうへい師団しだん主力しゅりょく野砲やほうで、世界せかいもっとおおく(やく48,000もん生産せいさんされたほうどくせん初期しょき大量たいりょううしなわれたM1936 F-22師団しだんほうのち上記じょうきの7.62 cm Pak 36(r)に改造かいぞうされる)や、構造こうぞう複雑ふくざつ生産せいさんせい難点なんてんのあるUSV M1939師団しだんほうなどの後継こうけいとして、より簡易かんい設計せっけいとなっており大量たいりょう生産せいさんされた
ほうはZiS-2とおなじで、直接ちょくせつ照準しょうじゅんそなたい戦車せんしゃほうとしても威力いりょく発揮はっきし、自国じこくのみならずこのほう捕獲ほかくした枢軸すうじくこくがわでも使つかわれた。ドイツ戦車せんしゃへいからは「ラッチュ・バム」(ドイツ着弾ちゃくだんおん砲声ほうせい擬音ぎおんこう初速しょそくちょう音速おんそく)なので射撃しゃげきおん着弾ちゃくだんよりものちこえる、ということから)とばれた。
BS-3 100mm師団しだんほう
 
BS-3
1944ねんまつ登場とうじょうした、海軍かいぐんほうから発展はってんした大型おおがた野砲やほうであり、たい戦車せんしゃほうとしても大戦たいせんちゅうでは最強さいきょうクラスの威力いりょくほこる。SU-100T-54搭載とうさいされたのも、これとどう系列けいれつである。
1955ねんにはすべり腔砲であるT-12が、さらにのちにはM87が登場とうじょうし、旧式きゅうしきのZiS-3とBS-3は多数たすう友好国ゆうこうこく供与きょうよ売却ばいきゃくされ、ながらく使つかわれいま予備よびやくのものもある。

日本にっぽん

編集へんしゅう

日本にっぽん陸軍りくぐん仮想かそう戦場せんじょうであったシベリアや中国ちゅうごく大陸たいりく東南とうなんアジアなどはいずれもインフラ開発かいはつひくたびでありまた地形ちけい険阻けんそ戦車せんしゃ運用うんようには不向ふむきであった。にちちゅう戦争せんそうささえ事変じへん)において中国ちゅうごくぐん陸軍りくぐん歩兵ほへい中心ちゅうしん構成こうせいされており、機甲きこう戦力せんりょく生産せいさん配備はいび積極せっきょくてきだったソ連それんとは不可侵ふかしん協定きょうていむすんでいたことから、おのずと対戦たいせんしゃ兵器へいきよりもたい歩兵ほへいきの榴弾りゅうだん兵器へいき重視じゅうしされ、有限ゆうげんのリソースは海軍かいぐん戦力せんりょくたい歩兵ほへい用兵ようへい榴弾りゅうだんほうなど)に集中しゅうちゅうさせられた。また、タングステンやニッケルなどの希少きしょう金属きんぞく制約せいやくにより弾頭だんとう金属きんぞくしつおとっていた[7][8]こと、そしてとおるかぶとだん(AP)でなく弾頭だんとうない炸薬さくやく充填じゅうてんしたとおるかぶと榴弾りゅうだん(AP-HE)を主用しゅようしたために日本にっぽんぐんとおるきのえだん強度きょうどあつ装甲そうこうたいしては不足ふそくしており、結果けっかとしてきゅうぐん対戦たいせんしゃせんにおいて非常ひじょう苦労くろうすることとなった。費用ひよう資材しざい制約せいやくからぼうづけてっかぶとだん(APC)を使用しようできなかったてんもそれに拍車はくしゃをかけた。

きゅうよんしきさんじゅうななみりめーとるほう
1930年代ねんだい中頃なかごろ採用さいようされたたい戦車せんしゃほう
機動きどうきゅうしき野砲やほう
 
機動きどうきゅうしき野砲やほう
1930年代ねんだい初頭しょとう採用さいようされた新型しんがた野砲やほうであるきゅうしき野砲やほう1935ねん皇紀こうき2595ねん)に機動きどう機動きどうきゅうしき野砲やほうとして制式せいしきしたもの。上述じょうじゅつソ連それんぐんZiS-3 76.2mm師団しだんほうおなじく本来ほんらい野砲やほうではあるが、比較的ひかくてきこう初速しょそくだか威力いりょくでありおも配備はいびさき機械きかい野砲やほうへい連隊れんたいのみならず戦車せんしゃ師団しだん機動きどう砲兵ほうへい連隊れんたいや、戦車せんしゃ連隊れんたい砲兵ほうへい中隊ちゅうたいであったためたい戦車せんしゃほうとしても積極せっきょくてき使用しようされ、その高性能こうせいのう発揮はっきした。
一式いっしき機動きどうよんじゅうななみりめーとるほう
 
一式いっしき機動きどうよんじゅうななみりめーとるほう
1940年代ねんだい初頭しょとう採用さいようされたたい戦車せんしゃほう

イギリスぐん火砲かほう口径こうけいではなく砲弾ほうだん重量じゅうりょう呼称こしょうする伝統でんとうがあり、だい大戦たいせんちゅうたい戦車せんしゃほうもその伝統でんとうしたがって名称めいしょうがつけられた。戦車せんしゃ装甲そうこう貫通つらぬきとおさせることをさい優先ゆうせんとしたために当初とうしょてっかぶとだんしか供給きょうきゅうされておらず、支援しえん砲撃ほうげきよう転用てんようできないなどイギリスてき頑迷がんめいさがられる。あまりに不評ふひょうだったため、大戦たいせん後半こうはんには榴弾りゅうだん開発かいはつされ供給きょうきゅうされた。

2ポンドたい戦車せんしゃほう(52口径こうけい40mm)
 
2ポンドたい戦車せんしゃほう
大戦たいせん初期しょきのイギリスぐん主力しゅりょくたい戦車せんしゃほうダンケルクのたたか装備そうび大量たいりょう喪失そうしつしたため6ポンドほうへの更新こうしんおくつづ量産りょうさんきたアフリカ戦線せんせんにおいてドイツ戦車せんしゃ表面ひょうめん硬化こうか装甲そうこうたい弾頭だんとうくだけるなど、威力いりょく不足ふそく露呈ろていした。ぼうてっかぶとだん開発かいはつなどで対処たいしょしたが、戦争せんそうすすむにつれ次第しだいにより強力きょうりょくほうえられていった。ぜんしゅう射撃しゃげき可能かのうったほうつ。
6ポンドたい戦車せんしゃほう[9](52口径こうけい57mm)
 
6ポンドたい戦車せんしゃほう
前述ぜんじゅつの2ポンドほう後継こうけいとして、1941ねんきたアフリカにおいて最初さいしょ実戦じっせん配備はいびいた。アメリカはどうほうを57mmたい戦車せんしゃほうM1としてライセンス生産せいさんしていたため、りょうほう互換ごかんせいち、事実じじつおな砲弾ほうだん使用しようしたが、品質ひんしつめんでアメリカせいのものがもとめられた。後期こうきにはタングステンしんもちいたAPDSたま配備はいびにより、近距離きんきょりではあなどれない貫通かんつうりょく発揮はっきする。
17ポンドたい戦車せんしゃほう[10](58口径こうけい76.2mm)
 
17ポンドたい戦車せんしゃほう
だい世界せかい大戦たいせんちゅう、イギリスが開発かいはつしたなかもっと威力いりょくのある対戦たいせんしゃほうである。かなり大型おおがたで、イギリスぐんはこのほう自国じこく戦車せんしゃ搭載とうさいすることをのぞんだが、イギリスぐん待望たいぼう新型しんがた巡航じゅんこう戦車せんしゃMk.IX クロムウェルにはくるまはばりなかったため搭載とうさいできず、結局けっきょくどうほうをそのまま旋回せんかい砲塔ほうとうおさめられるのはアメリカせいM4ちゅう戦車せんしゃM10駆逐くちく戦車せんしゃだけという、皮肉ひにく選定せんてい結果けっかわった。このほうせたシャーマンVC、およびIC"ファイアフライ"、そして、アキリーズ駆逐くちく戦車せんしゃはドイツじゅう戦車せんしゃ仕留しとめる威力いりょくせたが、装甲そうこうはもとのままであり、戦車せんしゃ後方こうほうから支援しえんしたり、とう駆逐くちく戦車せんしゃてきもちいられた。
どうほう装備そうびしたイギリス戦車せんしゃには、クロムウェルから発展はってんしたチャレンジャー巡航じゅんこう戦車せんしゃ(A30)、鉄道てつどう輸送ゆそうのためのくるまはば制限せいげんくし、大型おおがた砲塔ほうとうせたセンチュリオン巡航じゅんこう戦車せんしゃ(A41)、チャーチル歩兵ほへい戦車せんしゃ拡大かくだい発展はってんがたであるブラック・プリンス歩兵ほへい戦車せんしゃ(A43)があり、対戦たいせんしゃはしほうにはほかにもバレンタイン歩兵ほへい戦車せんしゃ車体しゃたい利用りようしたアーチャー17ポンドたい戦車せんしゃはしほう戦後せんごのアヴェンジャー17ポンドたい戦車せんしゃはしほう(A30)がある。

てき戦車せんしゃたいしては味方みかた戦車せんしゃではなく、機動きどうりょくのある戦車せんしゃ駆逐くちく部隊ぶたい(タンクデストロイヤー)が要請ようせいおうけつけてむか方針ほうしんであったアメリカぐん場合ばあい牽引けんいんしきたい戦車せんしゃほうよりたい戦車せんしゃはしほうである駆逐くちく戦車せんしゃ充実じゅうじつしていた。しかも大戦たいせん末期まっきの「バルジのたたか」で、牽引けんいんしきたい戦車せんしゃほうおおくが遭遇そうぐうせん配置はいちするあいだもなく撃破げきはされてしまったことから、戦車せんしゃ駆逐くちく部隊ぶたいすべてをはしほうすることが決定けっていされた。

また、戦争せんそう後半こうはんにはかの有名ゆうめいバズーカ大量たいりょう配備はいびされ、歩兵ほへい自衛じえいよう対戦たいせんしゃ兵器へいき主力しゅりょくとなっていった。

M3 37mmほう
 
M3 37mmほう
アメリカにける37mmクラスのたい戦車せんしゃほうである。コピーというほどではないが、ドイツのPaK36が参考さんこうになっており、貫徹かんてつりょくは914mで45mmと、どうクラスのほうとしては威力いりょくおおきい。イギリスぐん供与きょうよされた戦車せんしゃほうがたのちにアメリカぐんたい戦車せんしゃほうがたきたアフリカでドイツ戦車せんしゃたい使つかわれ威力いりょく不足ふそくとされたが、太平洋たいへいよう戦域せんいきでは装甲そうこううす日本にっぽん戦車せんしゃ相手あいて効果こうかがありひろ使つかわれた。
また、トーチカへの近距離きんきょりからの集中しゅうちゅう砲撃ほうげきや、日本にっぽんへい集団しゅうだん突撃とつげき阻止そしするために散弾さんだんもちいての平射へいしゃという、巨大きょだいショットガンのようなぜんそうしき大砲たいほうさながらの使つかかたもされた。
アメリカぐんのほか、えいしるしぐん中華民国ちゅうかみんこくにも供与きょうよされた。
M1 57mmたい戦車せんしゃほう
 
M5 76.2mmたい戦車せんしゃほう
イギリスの6ポンドたい戦車せんしゃほう自国じこく規格きかく改修かいしゅうしたもので、ほうかたけで指向しこうする方式ほうしきから旋回せんかいハンドルをまわ方式ほうしきに、またタイヤなどにもちがいがられる。
M5 3インチほう
3インチ(76.2mm)高射こうしゃほう砲身ほうしんと、これに105mm榴弾りゅうだんほうほう閉鎖へいさちゅう退すさ機構きこうわせたほう。ゆえにたい戦車せんしゃほうとしてはたかいが、距離きょり914mで96mmの装甲そうこう貫通かんつうと、ドイツの7.5cm Pak40にちか性能せいのう発揮はっきする。2500もん生産せいさんされたが、べいぐん場合ばあいおな威力いりょくほう搭載とうさいしたM10M18といった駆逐くちく戦車せんしゃほう主力しゅりょくでありなんばいおお生産せいさん配備はいびされている。
47mm32口径こうけいほう
オーストリアのベーラーしゃ開発かいはつし、オランダソ連それん採用さいようされたほか、イタリアでライセンス生産せいさんされた多目的たもくてきほうくわしくは当該とうがい項目こうもく参照さんしょう
75 mm レシツァ モデル 1943 (en)
 
75 mm レシツァ モデル 1943
初速しょそく: 1030m/s, 発射はっしゃ速度そくど: 20はつ/ぶん, おおせ俯角ふかく: - 7°+ 35°,左右さゆう旋回せんかいかく: 70°, 最大さいだい射程しゃてい榴弾りゅうだん): 12,000 m

スウェーデン

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ボフォース 37mmたい戦車せんしゃほう
スウェーデンのボフォース(ブーフォス:Bofors)しゃ開発かいはつしたたい戦車せんしゃほう。1934ねんにスウェーデンぐん採用さいようされたのをはじめ、各国かっこく輸出ゆしゅつされた。くわしくは当該とうがい項目こうもく参照さんしょう
オチキス 25mmたい戦車せんしゃほう
 
オチキス47mmたい戦車せんしゃほう
オチキス(Hochkiss)しゃ開発かいはつし、1930年代ねんだい初頭しょとうフランスぐん採用さいようされたたい戦車せんしゃほうくわしくは当該とうがい項目こうもく参照さんしょう
オチキス 47mmたい戦車せんしゃほう
フランスぐん標準ひょうじゅんたい戦車せんしゃほう

チェコスロバキア

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シュコダ M1937 37mmたい戦車せんしゃほう
 
シュコダ37mmたい戦車せんしゃほう1937ねんがた
シュコダ(スコダ:SKODA)しゃ戦前せんぜんから当時とうじのチェコスロバキア、現在げんざいのチェコにある自動車じどうしゃメーカであるとともに、35(t)戦車せんしゃなどでられる兵器へいきメーカーである。同社どうしゃ戦前せんぜん製造せいぞうしたのがほんほうであり、ほうこう多孔たこうしきマズルブレーキ装着そうちゃくされている。ドイツによるチェコ併合へいごうには、Pak37(t)名称めいしょう使用しようされた。
47mm P.U.V. vz. 36ほう
スコダにより開発かいはつされたたい戦車せんしゃほう。ドイツがチェコ併合へいごうにより接収せっしゅうし、4.7cm PaK 36(t)名称めいしょう使用しよう、また牽引けんいんほうとしてのみならず、旧式きゅうしきしたIごう戦車せんしゃ車台しゃだい搭載とうさいしたIごう対戦たいせんしゃはしほうとしてももちいられた。

だい世界せかい大戦たいせんたい戦車せんしゃほう

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だい世界せかい大戦たいせんにおける戦車せんしゃ対戦たいせんしゃほう関係かんけいはまさに「たてほこ」の関係かんけいであった。開戦かいせん当初とうしょは37~47mmほど口径こうけい標準ひょうじゅんであったものが中期ちゅうきには50~57mmきゅう、75~76.2mmきゅう大型おおがたし、大戦たいせん末期まっきには88~100mm(おおくは野砲やほう高射こうしゃほう兼用けんようで、歩兵ほへいではなく砲兵ほうへいたい装備そうび以上いじょうもの量産りょうさんされていた。口径こうけいが88mmをえるほうになるとおおきさ、重量じゅうりょうもかなりのものになり、人力じんりき移動いどう可能かのうせのため隠蔽いんぺいするという従来じゅうらいたい戦車せんしゃほう運用うんようほうから完全かんぜん逸脱いつだつしてしまった。この問題もんだい解決かいけつほうとして、各国かっこく対戦たいせんしゃほう様々さまざま車台しゃだい搭載とうさいはしほうをすすめた。また、大戦たいせん末期まっきからはバズーカパンツァーファウスト代表だいひょうされる成形せいけい炸薬さくやくだん使用しようした携帯けいたいしきロケットランチャー反動はんどうほう急速きゅうそく発達はったつし、牽引けんいんしきたい戦車せんしゃほうがなくても歩兵ほへい戦車せんしゃ破壊はかいできるようになった。さらに、小型こがた対戦たいせんしゃミサイル実用じつようされると遠距離えんきょりからでも戦車せんしゃ破壊はかいできるようになり、たい戦車せんしゃほう存在そんざい意義いぎうす急速きゅうそく姿すがたしていった。

現在げんざいでは中国ちゅうごくとロシアとうきゅう共産きょうさんけん一部いちぶ野砲やほう兼用けんようがたのこされているのみであるが、冷戦れいせん終結しゅうけつ対戦たいせんしゃほう最大さいだい相手あいてである機甲きこう部隊ぶたいだい侵攻しんこうという状況じょうきょう自体じたい発生はっせいしにくくなっているため、チェチェン紛争ふんそうのようなてい強度きょうど紛争ふんそうでは榴弾りゅうだんによる火力かりょく支援しえんおも任務にんむとしているとおもわれる。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ ほう全般ぜんぱん分類ぶんるい用語ようごそのものが曖昧あいまいで、厳密げんみつ分類ぶんるい非常ひじょう困難こんなんおな用語ようごでもくに時代じだいによって語義ごぎやその範囲はんいことなることもある。また、日本語にほんごにはまぎらわしい和訳わやく造語ぞうごおおいので注意ちゅういようする。れいとして、英語えいごの"cannon(キャノン)"はすべての火砲かほう包括ほうかつする名詞めいしだが、大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐんにおいて「のう(カノンほう)」とはちょう砲身ほうしんほうす(帝国ていこく陸軍りくぐんはドイツしきはんをとったため、ドイツの"kanone"に由来ゆらい)。また、「榴弾りゅうだん」はたましゅ用語ようごでほぼすべての火砲かほうほうしゅ)で使用しようする砲弾ほうだんだが、「榴弾りゅうだんほう」としてほう自体じたい名称めいしょうもちいられる。

出典しゅってん

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  1. ^ 大砲たいほう装甲そうこう研究けんきゅう(Pak38)
  2. ^ Pak40/2を搭載とうさいした対戦たいせんしゃはしほう2ごう戦車せんしゃ車台しゃだい)、 Pak40を搭載とうさいした対戦たいせんしゃはしほうれい(2)Sd.Kfz.251車台しゃだい)、Pak40/3を搭載とうさいした対戦たいせんしゃはしほうLT-38車台しゃだい)、大砲たいほう装甲そうこう研究けんきゅう(Pak40)
  3. ^ 大砲たいほう装甲そうこう研究けんきゅう(Pak43/41)
  4. ^ 大砲たいほう装甲そうこう研究けんきゅう(45mmたい戦車せんしゃほうM1942)45mmたい戦車せんしゃほう搭載とうさいした対戦たいせんしゃはしほうれい
  5. ^ 大砲たいほう装甲そうこう研究けんきゅう(ZIS-2)ZiS-2を搭載とうさいした対戦たいせんしゃはしほうれいZiS-2を改良かいりょうしたZiS-4を搭載とうさいした戦車せんしゃ
  6. ^ 大砲たいほう装甲そうこう研究けんきゅう(ZIS-3)ZiS-3を搭載とうさいした対戦たいせんしゃはしほうれい(2)(ソ連それんぐんZiS-3を搭載とうさいした対戦たいせんしゃはしほうれい(3)(ルーマニアぐん
  7. ^ だい1かい陸軍りくぐん技術ぎじゅつ研究けんきゅうかい兵器へいき分科ぶんか講演こうえん記録きろくだい1かん)」21ぺーじ
  8. ^ だい1かい陸軍りくぐん技術ぎじゅつ研究けんきゅうかい兵器へいき分科ぶんか講演こうえん記録きろく(だい1かん)」23ぺーじでは押収おうしゅうされたしき37mmたい戦車せんしゃほうの1937ねんせい弾丸だんがんおおむ同等どうとうとされており、どう資料しりょうにおいては「タングステン」だん他国たこく同種どうしゅ弾丸だんがん同等どうとうのものとして各種かくしゅ計算けいさんおこなっている。
  9. ^ 6ポンドたい戦車せんしゃほう搭載とうさいした対戦たいせんしゃはしほうれい
  10. ^ 17ポンドたい戦車せんしゃほう搭載とうさいした対戦たいせんしゃはしほうれい(1)17ポンドたい戦車せんしゃほう搭載とうさいした対戦たいせんしゃはしほうれい(2)

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 佐山さやま二郎じろう 『大砲たいほう入門にゅうもん』 光人みつひとしゃ光人みつひとしゃNF文庫ぶんこ〉、2008ねん、389ぺーじ
  • 陸軍りくぐんしょう技術ぎじゅつ本部ほんぶだいだい1かい陸軍りくぐん技術ぎじゅつ研究けんきゅうかい兵器へいき分科ぶんか講演こうえん記録きろく(だい1かん)」アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.A03032065000

外部がいぶリンク

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