第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん が勃発 ぼっぱつ した1939年 ねん 、アメリカ陸軍 りくぐん は戦車 せんしゃ 保有 ほゆう 数 すう が少 すく なく、唯一 ゆいいつ の中 なか 戦車 せんしゃ M2中 ちゅう 戦車 せんしゃ も時代遅 じだいおく れで、陸上 りくじょう 戦力 せんりょく には不安 ふあん があった。これは、アメリカ がヨーロッパ から大西 おおにし 洋 ひろし を隔 へだ てていた事 こと や、当初 とうしょ は中立 ちゅうりつ 的 てき な立場 たちば (孤立 こりつ 主義 しゅぎ )を採 と っていた事 こと にも起因 きいん するが、ナチス・ドイツ により欧州 おうしゅう の連合 れんごう 国 こく が次々 つぎつぎ と陥落 かんらく し、さらに東南 とうなん アジア に進出 しんしゅつ した日本 にっぽん との関係 かんけい 悪化 あっか などから、1940年 ねん 頃 ころ には連合 れんごう 各国 かっこく へのレンドリース法 ほう を適用 てきよう した支援 しえん やアメリカ自身 じしん の参戦 さんせん に備 そな えて、全 ぜん 周旋 しゅうせん 回 かい 砲塔 ほうとう に大型 おおがた 砲 ほう を搭載 とうさい した戦車 せんしゃ が必要 ひつよう と認識 にんしき された。しかし、当時 とうじ のアメリカでは大 だい 直径 ちょっけい の砲塔 ほうとう リングを量産 りょうさん できる体制 たいせい がなかったことから、M4が開発 かいはつ されるまでの繋 つな ぎとして車体 しゃたい に75mm砲 ほう 搭載 とうさい のM3中 ちゅう 戦車 せんしゃ (25トン級 きゅう )が先行 せんこう 生産 せいさん された。
その後 ご 、M3のシャーシをベースに75mm砲 ほう を搭載 とうさい した大型 おおがた 砲塔 ほうとう を持 も つ新 しん 戦車 せんしゃ T6の開発 かいはつ と同時 どうじ に、航空 こうくう ・自動車 じどうしゃ 産業 さんぎょう を中心 ちゅうしん に生産 せいさん 体制 たいせい の整備 せいび が急 きゅう ピッチで行 おこな われた。1941年 ねん 10月にM4中 ちゅう 戦車 せんしゃ として制式 せいしき 採用 さいよう されたが、鋳造 ちゅうぞう 生産 せいさん 能力 のうりょく の不足 ふそく からT6と同 おな じ鋳造 ちゅうぞう 一体 いったい 構造 こうぞう の上部 じょうぶ 車体 しゃたい を持 も つM4A1と鋼板 こうはん 溶接 ようせつ 車体 しゃたい のM4とが同時 どうじ に量産 りょうさん される事 こと になり、M4A1はアメリカ参戦 さんせん 直後 ちょくご の1942年 ねん 2月 がつ から量産 りょうさん が開始 かいし され、M4は1942年 ねん 7月 がつ から量産 りょうさん が開始 かいし された。
M4A1、A2、A3 各 かく 型 かた の外観 がいかん の違 ちが い
車体 しゃたい 前部 ぜんぶ 左右 さゆう に正 せい 操縦 そうじゅう 席 せき と副 ふく 操縦 そうじゅう 席 せき 兼 けん 前方 ぜんぽう 機関 きかん 銃 じゅう 座 ざ が設 もう けられている。砲塔 ほうとう 内 うち には車 くるま 長 ちょう ・砲手 ほうしゅ ・装填 そうてん 手 しゅ の3名 めい が搭乗 とうじょう 。砲塔 ほうとう 上面 うわつら ハッチは車 くるま 長 ちょう 用 よう のみ設置 せっち されたが、左側 ひだりがわ に砲手 ほうしゅ ・装填 そうてん 手 しゅ 用 よう ハッチが追加 ついか され、車 くるま 長 ちょう 用 よう ハッチは防弾 ぼうだん 窓 まど 付 つ きキューポラ に発展 はってん した。左側 ひだりがわ 面 めん に設 もう けられた対 たい 歩兵 ほへい 射撃 しゃげき 用 よう の開閉 かいへい 式 しき ガンポート は防御 ぼうぎょ 力 りょく 向上 こうじょう のために一時 いちじ 廃止 はいし されたが、弾薬 だんやく 搬入 はんにゅう や薬莢 やっきょう 搬出 はんしゅつ に便利 べんり だったことから短期間 たんきかん で復活 ふっかつ している。車体 しゃたい 下部 かぶ には脱出 だっしゅつ ハッチが設 もう けられている。
履 くつ 帯 たい は、全 ちょん 金属 きんぞく 製 せい の物 もの とゴム ブロックを含 ふく む物 もの とに大別 たいべつ され、さらに滑 すべ り止 と めパターンの形状 けいじょう の違 ちが いなどで多 おお くの種類 しゅるい がある。
接地 せっち 圧 あつ は76㎜砲 ほう 搭載 とうさい 型 がた の場合 ばあい 、従来 じゅうらい の42㎝幅 はば の履 くつ 帯 たい であれば1.04㎏/㎠と高 たか く、砂地 すなじ や湿地 しっち などの軟弱 なんじゃく な地形 ちけい での移動 いどう に難 なん があったが、新型 しんがた サスペンションのHVSS型 がた (後述 こうじゅつ )に改 あらた めたうえ、
履 くつ 帯 たい も58.4㎝幅 はば に換 かわ 装 そう したことで0.77㎏/㎠に改善 かいぜん された[ 1] 。
初期 しょき の圧延 あつえん 装甲 そうこう 溶接 ようせつ 車体 しゃたい の前面 ぜんめん は避弾経 けい 始 はじめ を考慮 こうりょ して(垂直 すいちょく 線 せん から)56度 ど の傾斜 けいしゃ が付 つ けられ、操縦 そうじゅう 席 せき ・副 ふく 操縦 そうじゅう 士 し 席 せき 部分 ぶぶん が前方 ぜんぽう へ張 は り出 だ した構造 こうぞう になっていたが、後 のち に生産 せいさん 性 せい の向上 こうじょう と車内 しゃない 容積 ようせき の増加 ぞうか (76mm砲塔 ほうとう や湿式 しっしき 弾薬 だんやく 庫 こ 搭載 とうさい のため)などの目的 もくてき で、(垂直 すいちょく 線 せん から)傾斜 けいしゃ 角 かく 47度 ど の一 いち 枚 まい 板 いた に変更 へんこう されており、併 あわ せてA1の鋳造 ちゅうぞう 車体 しゃたい も含 ふく めて操縦 そうじゅう 士 し 用 よう ハッチの大型 おおがた 化 か が行 おこな われた。これらは一般 いっぱん 的 てき に「前期 ぜんき 型 がた 」「後期 こうき 型 がた 」と呼 よ ばれているが、これらの改良 かいりょう も各 かく 生産 せいさん 拠点 きょてん による差異 さい や現地 げんち 改修 かいしゅう などにより千差万別 せんさばんべつ であり、車体 しゃたい 分類 ぶんるい なども後世 こうせい の研究 けんきゅう によるもので定 さだ まっていない。
[1] - (垂直 すいちょく 線 せん から)56度 ど の傾斜 けいしゃ 装甲 そうこう
[2] - (垂直 すいちょく 線 せん から)47度 ど の傾斜 けいしゃ 装甲 そうこう
砲 ほう 架 か は75㎜砲 ほう 搭載 とうさい 型 がた の場合 ばあい は、回転 かいてん 防 ぼう 楯 だて とも呼 よ ばれる搭載 とうさい 砲 ほう の仰 おおせ 俯角 ふかく 時 じ に砲 ほう と一緒 いっしょ に動 うご く外装 がいそう 防 ぼう 楯 だて と、砲塔 ほうとう に固定 こてい される内装 ないそう 防 ぼう 楯 だて からなっており、それぞれが湾曲 わんきょく し重 かさ なり合 あ っていた。外装 がいそう 防 ぼう 楯 だて は88.9㎜の装甲 そうこう 厚 あつ があり、内装 ないそう 防 ぼう 楯 だて は38.1㎜の厚 あつ みがあった[ 2] 。
車体 しゃたい 図 ず (M4A4)
1 – 吊 つ り環 たまき
2 – ベンチレーター
3 – 砲塔 ほうとう ハッチ
4 – ペリスコープ
5 – 砲塔 ほうとう ハッチ縁 えん
6 – 椅子 いす
7 – 砲手 ほうしゅ 席 せき
8 – 椅子 いす
9 – 砲塔 ほうとう
10 – エアクリーナー
11 – ラジエーターカバー
12 – エアクリーナーマニホールド
13 – エンジン
14 – 排気 はいき 管 かん
15 – 誘導 ゆうどう 輪 わ
16 – ウォーターポンプ
17 – ラジエーター
18 – 発電 はつでん 機 き
19 – 後部 こうぶ プロペラシャフト
20 – 砲塔 ほうとう バスケット
21 – スリップリング
22 – 前部 ぜんぶ プロペラシャフト
23 – ボギー式 しき サスペンション
24 – 変速 へんそく 機 き
25 – 駆動 くどう 輪 わ
26 – 操縦 そうじゅう 士 し 席 せき
27 – 前部 ぜんぶ 機関 きかん 銃 じゅう 手 しゅ 席 せき
28 – 75mm砲 ほう
29 – 操縦 そうじゅう 士 し 用 よう ハッチ
30 – M1919A4機関 きかん 銃 じゅう
後部 こうぶ 誘導 ゆうどう 輪 わ とVVSS
後部 こうぶ のエンジンからドライブシャフト で最 さい 前部 ぜんぶ の変速 へんそく 機 き に動力 どうりょく を伝 つた える、M3を踏襲 とうしゅう した前輪 ぜんりん 駆動 くどう 型式 けいしき を採用 さいよう し、航空機 こうくうき 用 よう である星 ほし 型 がた エンジン の使用 しよう を前提 ぜんてい とした設計 せっけい のために、エンジンデッキとドライブシャフトの位置 いち が高 たか くなっている[ 注 ちゅう 2] 。
サスペンションは、前期 ぜんき 型 がた ではM3と同 どう 形式 けいしき のVVSS[ 注 ちゅう 3] が採用 さいよう されたが、強化 きょうか 対策 たいさく による重量 じゅうりょう 増加 ぞうか に対応 たいおう するため、後期 こうき 型 がた ではより耐久 たいきゅう 性 せい の高 たか いHVSS[ 注 ちゅう 4] が採用 さいよう された。
無線 むせん 機 き は砲塔 ほうとう 後部 こうぶ の張 は り出 だ しに納 おさ められていたが、送信 そうしん 機 き ・受信 じゅしん 機 き の両方 りょうほう を備 そな えていたのは指揮 しき 官 かん 用 よう 戦車 せんしゃ など全体 ぜんたい の四 よん 割 わり にすぎず、他 た は受信 じゅしん 機 き のみであった。全車 ぜんしゃ が送信 そうしん 機 き も完備 かんび するようになったのは1944年 ねん 後半 こうはん になってからであった。
1945年 ねん 4月 がつ 18日 にち 、ドイツのライプツィヒ 市街 しがい 戦 せん で被弾 ひだん 炎上 えんじょう するM4(75)。主砲 しゅほう 防 ぼう 盾 たて は初期 しょき の幅 はば の狭 せま い型 かた のまま、車体 しゃたい 側面 そくめん 弾薬 だんやく 庫 こ の補助 ほじょ 装甲 そうこう と、砲塔 ほうとう のスタビライザー搭載 とうさい で肉薄 にくはく になった部分 ぶぶん の補助 ほじょ 装甲 そうこう が確認 かくにん できる。また車体 しゃたい 上 じょう には増加 ぞうか 装甲 そうこう 代 か わりの土嚢 どのう が積 つ まれている。
主砲 しゅほう は当初 とうしょ 75mm戦車 せんしゃ 砲 ほう M3 (M61弾 だん で初速 しょそく 619m/s)と105mm榴弾 りゅうだん 砲 ほう M4 (M67弾 だん で初速 しょそく 381m/s)の搭載 とうさい が構想 こうそう されていたが生産 せいさん 簡略 かんりゃく 化 か ため75mm戦車 せんしゃ 砲 ほう M3のみに絞 しぼ られ、105mm榴弾 りゅうだん 砲 ほう の搭載 とうさい は後回 あとまわ しにされている[ 3] 。
次 つ いで76mm戦車 せんしゃ 砲 ほう M1 (口径 こうけい 3インチ=76.2mm、M62弾 だん で初速 しょそく 792m/s)を搭載 とうさい した車輌 しゃりょう も生産 せいさん された。開発 かいはつ 自体 じたい は1942年 ねん から行 おこな われていたが、実戦 じっせん 配備 はいび は1944年 ねん になってからであった。76.2mm砲 ほう は75mm砲 ほう に比 くら べて装甲 そうこう 貫徹 かんてつ 力 りょく に優 すぐ れていたが、砲弾 ほうだん が長 なが く搭載 とうさい 数 すう が少 すく なくなったこと(71発 はつ )、発射 はっしゃ 時 じ の砲煙 ほうえん が多 おお いこと、榴弾 りゅうだん の炸薬 さくやく 量 りょう が75mm砲 ほう より少 すく ないなどの欠点 けってん もあることから、それぞれの砲 ほう を搭載 とうさい した車輌 しゃりょう が並行 へいこう 生産 せいさん された。大型 おおがた 化 か した76.2mm用 よう 砲塔 ほうとう は、75mm用 よう 砲塔 ほうとう と共通 きょうつう の砲塔 ほうとう リングであるが、前期 ぜんき 型 がた 車体 しゃたい では搭載 とうさい スペースが不十分 ふじゅうぶん なため、前面 ぜんめん 装甲 そうこう 板 ばん の一体 いったい 化 か などで車内 しゃない 容積 ようせき が増 ふ えた後期 こうき 改良 かいりょう 型 がた 車体 しゃたい にのみ載 の せられていた。砲身 ほうしん を含 ふく むと全長 ぜんちょう が7.47メートルとなる。
当初 とうしょ 、75mm砲 ほう 型 がた と平行 へいこう して生産 せいさん することを構想 こうそう されていた105mm砲 ほう 型 がた は、生産 せいさん 簡略 かんりゃく 化 か 及 およ び砲 ほう 架 か の不具合 ふぐあい などの理由 りゆう により、その生産 せいさん 開始 かいし は1944年 ねん となった。この搭載 とうさい された105mm砲 ほう は、105mm榴弾 りゅうだん 砲 ほう M2を車載 しゃさい 用 よう に改造 かいぞう したものであり、105mm榴弾 りゅうだん 砲 ほう M4と呼 よ ばれた。使用 しよう 弾薬 だんやく には、榴弾 りゅうだん であるM1や発煙 はつえん 弾 だん のM84の他 ほか 、対戦 たいせん 車 しゃ 戦闘 せんとう 用 よう の成形 せいけい 炸薬 さくやく 弾 だん のM67などがある。(この成形 せいけい 炸薬 さくやく 弾 だん は距離 きょり にかかわらず、約 やく 100mmの垂直 すいちょく 装甲 そうこう 板 ばん を貫通 かんつう する性能 せいのう があった)このタイプの欠点 けってん として、弾薬 だんやく のサイズが車内 しゃない の広 ひろ さに対 たい し少々 しょうしょう 過大 かだい 気味 ぎみ であり、装弾 そうだん 数 すう も76.2mm砲 ほう 搭載 とうさい 型 がた よりも少 すく なかった。
イギリス軍 ぐん では75mm砲 ほう 搭載 とうさい 型 がた を無 む 記号 きごう 、76.2mm砲 ほう 型 がた をA、105mm砲 ほう 型 がた をB、17ポンド砲 ほう 型 がた をCと分類 ぶんるい していた。シャーマンICは、シャーマンI(M4)ベースのファイアフライ 、シャーマンIIIAはM4A2ベースの76.2mm砲 ほう 型 がた ということになる。また、イスラエル国防 こくぼう 軍 ぐん では、車体 しゃたい に関係 かんけい なく搭載 とうさい 火砲 かほう の種別 しゅべつ のみで、M1、M3、M4と分類 ぶんるい していた(これはM50/M51スーパーシャーマンも同様 どうよう である)。
M4:主要 しゅよう 生産 せいさん 車体 しゃたい の各 かく 型 かた 比較 ひかく
名称 めいしょう
主砲 しゅほう
車体 しゃたい
エンジン
M4(75)
75 mm
溶接 ようせつ 車体 しゃたい
コンチネンタルR-975星 ほし 型 がた ガソリン
M4(105)
105 mm 榴弾 りゅうだん 砲 ほう
M4 コンポジット
75 mm
前面 ぜんめん が鋳造 ちゅうぞう 、後部 こうぶ は溶接 ようせつ
M4A1(75)
鋳造 ちゅうぞう 車体 しゃたい
M4A1(76)W
76 mm
M4A2(75)
75 mm
溶接 ようせつ 車体 しゃたい
GM6046複 ふく 列 れつ 12気筒 きとう ディーゼル
M4A2(76)W
76 mm
M4A3(75)W
75 mm
フォード GAA V型 がた 8気筒 きとう ガソリン
M4A3(76)W
76 mm
M4A3(105)W
105 mm榴弾 りゅうだん 砲 ほう
M4A3E2
75 mm[ 注 ちゅう 5]
M4A4
75 mm
溶接 ようせつ 車体 しゃたい (延長 えんちょう )
クライスラー A57直列 ちょくれつ 6気筒 きとう ×5 複 ふく 列 れつ ガソリン
M4A6
前面 ぜんめん が鋳造 ちゅうぞう 、後部 こうぶ は溶接 ようせつ (延長 えんちょう )
キャタピラー D200A星 ほし 型 がた ディーゼル
車体 しゃたい 前方 ぜんぽう に固定 こてい 機銃 きじゅう を搭載 とうさい した 鋳造 ちゅうぞう 車体 しゃたい のM4A1試作 しさく 型 がた
76mm戦車 せんしゃ 砲 ほう M1がタングステン 鋼 はがね 芯 しん 入 い りの高速 こうそく 徹 てっ 甲 かぶと 弾 だん (HVAP)M93を用 もち いた場合 ばあい は、ドイツ軍 ぐん 88mm砲 ほう 並 な みの貫徹 かんてつ 力 りょく (距離 きょり 914m、30°で135mm)だが砲身 ほうしん 寿命 じゅみょう が半減 はんげん する。加 くわ えて発射 はっしゃ 時 じ の反動 はんどう が大 おお きいため砲 ほう 口 こう にマズルブレーキ が追加 ついか された。この砲弾 ほうだん は、1944年 ねん 8月 がつ から前線 ぜんせん に支給 しきゅう されるようになったが、月産 げっさん 10,000発 はつ しか製造 せいぞう できなかったので、M10駆逐 くちく 戦車 せんしゃ などに優先 ゆうせん して供給 きょうきゅう され、シャーマンへの供給 きょうきゅう は十分 じゅうぶん では無 な く、バルジの戦 たたか い の頃 ころ においても、シャーマンには常時 じょうじ 1~2発 はつ 程度 ていど の支給 しきゅう に留 とど まった[ 4] 。後 ご の朝鮮 ちょうせん 戦争 せんそう では十分 じゅうぶん に供給 きょうきゅう され、T-34 を撃破 げきは する威力 いりょく を見 み せた。
なお、被 ひ 帽 ぼう 付 づけ 徹 てっ 甲 かぶと 弾 だん であるM62弾 だん を用 もち いた場合 ばあい は、距離 きょり 500mで116mm じゅうろくみり 厚 あつ の装甲 そうこう を、1000mでは106mmの装甲 そうこう を貫通 かんつう できた[ 5] が、実戦 じっせん においてはドイツ軍 ぐん 戦車 せんしゃ であるパンター の防 ぼう 盾 たて を打 う ち抜 ぬ く場合 ばあい は180mの距離 きょり まで接近 せっきん する必要 ひつよう 性 せい があった。M93弾 だん の場合 ばあい は730m~910mの距離 きょり でパンターの防 ぼう 盾 たて を貫通 かんつう できた。しかし、いずれも車体 しゃたい 正面 しょうめん は貫通 かんつう 不可能 ふかのう であった[ 6] 。
ドイツ軍 ぐん はパンターなどの自軍 じぐん 戦車 せんしゃ の強 つよ みである、強力 きょうりょく な戦車 せんしゃ 砲 ほう と厚 あつ い装甲 そうこう を活 い かした長距離 ちょうきょり での戦闘 せんとう を望 のぞ み、戦車 せんしゃ 兵 へい に1,800mから2,000mでの戦闘 せんとう を指示 しじ したが、ドイツ軍 ぐん の想定 そうてい 通 どお りの距離 きょり での戦闘 せんとう とはならず[ 7] 、アメリカ軍 ぐん がドイツ軍 ぐん の戦車 せんしゃ を撃破 げきは した平均 へいきん 距離 きょり は893mに対 たい しドイツ軍 ぐん がアメリカ軍 ぐん の戦車 せんしゃ を撃破 げきは した距離 きょり は946mであり、自軍 じぐん 戦車 せんしゃ の強 つよ みを十分 じゅうぶん に活 い かすことはできなかった[ 8] 。これはパンターが関係 かんけい した戦闘 せんとう でも同 おな じであり、パンターが直面 ちょくめん した平均 へいきん 交戦 こうせん 距離 きょり は850mで、1,400mから1,750mのドイツ軍 ぐん が望 のぞ んだ長距離 ちょうきょり での戦闘 せんとう はわずか5%、それより長 なが い距離 きょり の戦闘 せんとう は殆 ほとん どなく[ 9] 、結果 けっか 的 てき に多 おお くのパンターがシャーマンに撃破 げきは されて、76.2mm砲 ほう と高速 こうそく 徹 てっ 甲 かぶと 弾 だん はシャーマンの対戦 たいせん 車 しゃ 能力 のうりょく を大 おお きく向上 こうじょう させることとなった[ 4] 。
副 ふく 武装 ぶそう に、1挺 てい の12.7mm機銃 きじゅう 、2挺 てい の7.62mm機銃 きじゅう を搭載 とうさい する。しかしイギリス軍 ぐん の車輌 しゃりょう では12.7mm機銃 きじゅう を装備 そうび していない物 もの が大半 たいはん である。M4A1とA2の極 きょく 初期 しょき 型 がた には、M3中 ちゅう 戦車 せんしゃ のように車体 しゃたい 前方 ぜんぽう に2挺 てい の7.62mm固定 こてい 機銃 きじゅう が付 つ いていたが、すぐに廃止 はいし された。
沖縄 おきなわ 戦 せん で日本 にっぽん 軍 ぐん の速射 そくしゃ 砲 ほう や爆雷 ばくらい に対抗 たいこう するため、現地 げんち で増加 ぞうか 装甲 そうこう 板 ばん を溶接 ようせつ される海兵 かいへい 隊 たい のM4A3(75)W、砲塔 ほうとう にも履 くつ 帯 たい が巻 ま き付 つ けてある
M4中 ちゅう 戦車 せんしゃ に対 たい する7.5cm48口径 こうけい 戦車 せんしゃ 砲 ほう の有効 ゆうこう 距離 きょり
部位 ぶい
距離 きょり
備考 びこう
防 ぼう 楯 だて
100 m
戦車 せんしゃ が飛翔 ひしょう している徹 とおる 甲 かぶと 弾 だん に対 たい し30度 ど の角度 かくど をとった場合 ばあい を想定 そうてい 。
砲塔 ほうとう 正面 しょうめん
1,000 m
車体 しゃたい 正面 しょうめん 上部 じょうぶ
0 m
車体 しゃたい 正面 しょうめん 下部 かぶ
1,300 m
ドイツ軍 ぐん 兵器 へいき 局 きょく が1944年 ねん 10月 がつ 5日 にち に作成 さくせい した資料 しりょう によると、IV号 ごう 戦車 せんしゃ やIV号 ごう 突撃 とつげき 砲 ほう などに搭載 とうさい された7.5cm せんちめーとる 48口径 こうけい 戦車 せんしゃ 砲 ほう を使用 しよう した場合 ばあい 、車体 しゃたい 正面 しょうめん 下部 かぶ は1300m、砲塔 ほうとう 正面 しょうめん は1000mで撃破 げきは 可能 かのう としているものの、車体 しゃたい 正面 しょうめん 上部 じょうぶ (傾斜 けいしゃ 部分 ぶぶん )は貫通 かんつう 不可能 ふかのう であり、防 ぼう 楯 だて (砲身 ほうしん 付近 ふきん )は100m以内 いない に接近 せっきん しなければ貫通 かんつう できないと分析 ぶんせき している[ 10] 。
主砲 しゅほう 弾薬 だんやく 庫 こ は前期 ぜんき 型 がた 車体 しゃたい では左右 さゆう 袖 そで 部 ぶ (スポンソン)に設 もう けられていたため、敵 てき 弾 だん 貫通 かんつう 時 じ に破 やぶ れた薬莢 やっきょう から漏 も れ出 で た装 そう 薬 やく に引火 いんか 、火災 かさい がM4の撃破 げきは 原因 げんいん の60-80%という高 たか い割合 わりあい を占 し めていた[ 11] 。あまりにM4が激 はげ しく炎上 えんじょう するため、アメリカ軍 ぐん やイギリス軍 ぐん の戦車 せんしゃ 兵 へい の中 なか ではM4のことを「ジッポー 」や「ロンソン 」(いずれも有名 ゆうめい なライター のこと)と呼 よ んだり、また敵 てき のドイツ兵 へい は「トミー ・クッカー」(トミーはイギリス兵 へい の俗称 ぞくしょう 、クッカーは野戦 やせん 調理 ちょうり 用 よう の固形 こけい 燃料 ねんりょう 缶 かん のことで、イギリス兵 へい 調理 ちょうり 器 き という揶揄 やゆ )と呼 よ んでいたという[ 12] 。M4が炎上 えんじょう し易 やす かったのは、ガソリンエンジンを搭載 とうさい したためという誤解 ごかい もあるが、実際 じっさい には前述 ぜんじゅつ の通 とお り被弾 ひだん しやすい位置 いち に弾薬 だんやく 庫 こ があったことが原因 げんいん であった[ 4] 。
応急 おうきゅう 対策 たいさく として、弾薬 だんやく 箱 ばこ の位置 いち の車体 しゃたい 側面 そくめん に補助 ほじょ 装甲 そうこう 板 ばん が溶接 ようせつ された。後期 こうき 改良 かいりょう 型 がた 車体 しゃたい では全体 ぜんたい を不凍液 ふとうえき (グリセリン 溶液 ようえき )で満 み たして引火 いんか を防 ふせ ぐ湿式 しっしき 弾薬 だんやく 庫 こ を床下 ゆかした に設置 せっち (湿式 しっしき 弾薬 だんやく 庫 こ 搭載 とうさい 型 がた は末尾 まつび にWaterの略 りゃく である「W」が付 つ けられている)されて、火災 かさい の発生 はっせい 率 りつ は約 やく 10-15%と大 おお きく低下 ていか した[ 11] 。これにより、前期 ぜんき 型 がた 車体 しゃたい では装填 そうてん 手 しゅ が砲塔 ほうとう バスケットのフロアに立 た っていたのが、後期 こうき 型 がた 車体 しゃたい では床下 ゆかした から砲弾 ほうだん を取 と り出 だ すのに邪魔 じゃま な足元 あしもと のフロアが無 な くなり、砲塔 ほうとう 旋回 せんかい の際 さい には自力 じりき で動 うご いてついていかなくてはならなくなった。また、これとは別 べつ に、イギリス軍 ぐん はシャーマン ファイアフライ の改造 かいぞう 時 じ にスポンソン上 じょう の弾薬 だんやく 箱 ばこ を撤去 てっきょ し、床上 ゆかうえ や副 ふく 操縦 そうじゅう 席 せき のあった場所 ばしょ に装甲 そうこう 弾薬 だんやく 箱 ばこ を新設 しんせつ している。
また、前線 ぜんせん では予備 よび の履 くつ 帯 たい や転 てん 輪 わ 、土嚢 どのう を増加 ぞうか 装甲 そうこう 代 か わりに積載 せきさい したり、コンクリート を厚 あつ く塗布 とふ するなど、追加 ついか 防御 ぼうぎょ 策 さく が行 おこな われている。多 おお くは調達 ちょうたつ や交換 こうかん が容易 ようい で、パンツァーファウスト の成型 せいけい 炸薬 さくやく 弾 だん 対策 たいさく にもなる土嚢 どのう が用 もち いられた。しかし、この効果 こうか に対 たい しては賛否 さんぴ 両論 りょうろん あり、逆 ぎゃく に貫徹 かんてつ 力 りょく を高 たか める間合 まあ い(スタンドオフ)を作 つく ってしまうという意見 いけん が出 で る反面 はんめん 、実戦 じっせん で効果 こうか があったと主張 しゅちょう する者 もの もいた[ 注 ちゅう 6] 。パットン将軍 しょうぐん は、「軍人 ぐんじん の所業 しょぎょう らしくない」とこれを嫌 きら って土嚢 どのう 装甲 そうこう を禁止 きんし し、麾下 きか のアメリカ第 だい 3軍 ぐん では撃破 げきは された友軍 ゆうぐん やドイツ軍 ぐん の戦車 せんしゃ の車体 しゃたい から切 き り出 だ した鋼板 こうはん を貼 は り付 づ けていた。
アメリカ海兵 かいへい 隊 たい においては、太平洋 たいへいよう 戦線 せんせん で日本 にっぽん 軍 ぐん の速射 そくしゃ 砲 ほう に側面 そくめん や後 こう 面 めん を狙 ねら い打 う たれて撃破 げきは されるM4が続出 ぞくしゅつ したこともあり、現地 げんち で鉄板 てっぱん やコンクリートや木材 もくざい など手 て に入 はい る材料 ざいりょう は何 なん でも増加 ぞうか 装甲 そうこう 代 か わりに装着 そうちゃく した。
戦後 せんご 、イスラエル国防 こくぼう 軍 ぐん が独自 どくじ 改良 かいりょう を行 おこな ったM50/M51スーパーシャーマン では、火力 かりょく はフランス製 せい のAMX-13 用 もちい 75mm砲 ほう やAMX-30 用 もちい 105mm砲 ほう の装備 そうび により一線 いっせん 級 きゅう を保 たも っていたのに対 たい し、装甲 そうこう 防御 ぼうぎょ 力 りょく については重量 じゅうりょう 的 てき 限界 げんかい からほとんど対策 たいさく されないままであった。
エル・アラメインの戦 たたか いに投入 とうにゅう されたイギリス軍 ぐん のシャーマンII(M4A1)
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん の連合 れんごう 国 こく の主力 しゅりょく 戦車 せんしゃ で、アメリカの高 たか い工業 こうぎょう 力 りょく で大量 たいりょう 生産 せいさん された。生産 せいさん に携 たずさ わった主要 しゅよう 企業 きぎょう は11社 しゃ にも及 およ び、1945年 ねん までに全 ぜん 車種 しゃしゅ で49,234輌 りょう を生産 せいさん した。各 かく 生産 せいさん 拠点 きょてん に適 てき したエンジン 形式 けいしき や生産 せいさん 方法 ほうほう を採 と る形 かたち で並行 へいこう 生産 せいさん させたため、多 おお くのバリエーションを持 も つが、構成 こうせい 部品 ぶひん を統一 とういつ して互換 ごかん 性 せい を持 も たせることにより高 たか い信頼 しんらい 性 せい や良好 りょうこう な運用 うんよう 効率 こうりつ が保 たも たれていた。
M4が最初 さいしょ に戦闘 せんとう に投入 とうにゅう されたのは、北 きた アフリカ戦線 せんせん のエル・アラメインの戦 たたか い であった。ガザラの戦 たたか い でトブルク 要塞 ようさい を失 うしな ったイギリス首相 しゅしょう ウィンストン・チャーチル が、アメリカ大統領 だいとうりょう フランクリン・ルーズベルト に第 だい 2回 かい ワシントン会談 かいだん の席 せき でレンドリース を直談判 じかだんぱん し実現 じつげん したものであった。このときにはまだM4の生産 せいさん が軌道 きどう にのったばかりで、完成 かんせい していた300輌 りょう は既 すで にアメリカ軍 ぐん の戦車 せんしゃ 師団 しだん に配備 はいび されていたが、ルーズベルトの政治 せいじ 的 てき 判断 はんだん で、そのM4中 ちゅう 戦車 せんしゃ 300輌 りょう をそのままイギリスに供与 きょうよ することとなった。さらにM101 105mm榴弾 りゅうだん 砲 ほう をM4中 ちゅう 戦車 せんしゃ の車体 しゃたい に搭載 とうさい したM7自 じ 走 はし 砲 ほう 100輌 りょう の供与 きょうよ も決定 けってい された[ 13] 。ドイツの情報 じょうほう 機関 きかん もアメリカ製 せい の新型 しんがた 戦車 せんしゃ が、輸送 ゆそう 艦 かん に搭載 とうさい されて北 きた アフリカ に向 む かっているという情報 じょうほう を掴 つか んでおり、その性能 せいのう の分析 ぶんせき に躍起 やっき となっていたが、その分析 ぶんせき 資料 しりょう となったのが、エジプト カイロ で入手 にゅうしゅ した南 みなみ アフリカ軍 ぐん の雑誌 ざっし で、その雑誌 ざっし に掲載 けいさい されていたクリスマスカードの広告 こうこく にM4の写真 しゃしん が使 つか われており、ドイツ軍 ぐん の情報 じょうほう 機関 きかん はこの写真 しゃしん から主砲 しゅほう の口径 こうけい などを類推 るいすい している[ 14] 。
M4中 ちゅう 戦車 せんしゃ の初陣 ういじん は1942年 ねん 10月 がつ 23日 にち から開始 かいし された第 だい 二 に 次 じ エル・アラメインの戦 たたか いとなった。作戦 さくせん 開始 かいし 時 じ にイギリス第 だい 8軍 ぐん (英語 えいご 版 ばん ) (司令 しれい 官 かん :バーナード・モントゴメリー 中将 ちゅうじょう )は1,200輌 りょう の戦車 せんしゃ を有 ゆう していたが、そのうち500輌 りょう がアメリカから供与 きょうよ されたM4とM3中 ちゅう 戦車 せんしゃ であった[ 15] 。エルアラメインに送 おく られたM4は初期 しょき 型 がた のM4A1、M4A2であったが、作戦 さくせん 開始 かいし 早々 そうそう から猛威 もうい を振 ふ るい、ドイツアフリカ軍団 ぐんだん 主力 しゅりょく 戦車 せんしゃ 50mm 60口径 こうけい 砲 ほう 搭載 とうさい のIII号 ごう 戦車 せんしゃ を圧 あつ 倒 だお し[ 16] 、これまで散々 さんざん イギリス軍 ぐん 戦車 せんしゃ を苦 くる しめてきた88mm砲 ほう も、今 いま までのイギリス軍 ぐん 戦車 せんしゃ にはなかった破壊 はかい 力 りょく の75㎜榴弾 りゅうだん で次々 つぎつぎ と撃破 げきは していった[ 17] 。
それでもアフリカ装甲 そうこう 軍 ぐん 司令 しれい 官 かん エルヴィン・ロンメル 元帥 げんすい はM4を“重 じゅう 戦車 せんしゃ ”と呼 よ んで警戒 けいかい し、その対策 たいさく としてドイツ軍 ぐん の兵器 へいき で唯一 ゆいいつ M4に対抗 たいこう 可能 かのう な8.8 cm FlaKをかき集 あつ めて、なるべく集中 しゅうちゅう 運用 うんよう して対抗 たいこう しようとしたが[ 18] 、モントゴメリーは、クルセーダー巡航 じゅんこう 戦車 せんしゃ やバレンタイン歩兵 ほへい 戦車 せんしゃ など従来 じゅうらい のイギリス軍 ぐん 戦車 せんしゃ を先行 せんこう させ、M4を後方 こうほう に控 ひか えさせて、ドイツ軍 ぐん が先行 せんこう しているイギリス製 せい 戦車 せんしゃ に砲撃 ほうげき を開始 かいし すると、上空 じょうくう から偵察 ていさつ しているイギリス空軍 くうぐん 偵察 ていさつ 機 き がドイツ軍 ぐん 火 ひ 点 てん を特定 とくてい し、M4が2,500mもの長距離 ちょうきょり から無尽蔵 むじんぞう の弾薬 だんやく で弾幕 だんまく を張 は るという対策 たいさく をとった。この距離 きょり では8.8 cm FlaKでもM4の前面 ぜんめん 装甲 そうこう を貫通 かんつう するのは困難 こんなん であったが、M4の75㎜砲 ほう はドイツ軍 ぐん 兵器 へいき の全 すべ てを撃破 げきは することが可能 かのう であり、戦車 せんしゃ も陣地 じんち も歩兵 ほへい も全 すべ て覆滅 ふくめつ されていった[ 19] 。こうしてエル・アラメインの勝利 しょうり の立役者 たてやくしゃ となったM4はドイツ兵 へい にとって恐怖 きょうふ の的 まと となり、これまでロンメルの指揮 しき の下 した で高 たか い戦意 せんい で戦 たたか ってきたドイツ兵 へい は、ドイツ軍 ぐん 戦車 せんしゃ と比較 ひかく すると高 たか い砲塔 ほうとう を見 み る度 たび に戦意 せんい を失 うしな っていたという[ 20] 。
M4を巧 たく みに運用 うんよう して勝利 しょうり を重 かさ ねていたイギリス軍 ぐん に対 たい し、トーチ作戦 さくせん で北 きた アフリカ戦線 せんせん に参戦 さんせん したアメリカ軍 ぐん は、アメリカ軍 ぐん 戦車 せんしゃ 兵 へい が戦車 せんしゃ 戦 せん に不慣 ふな れなこともあって苦戦 くせん しており、カセリーヌ峠 とうげ の戦 たたか い ではドイツ軍 ぐん がティーガーI を有 ゆう していたこともあって、M3中 ちゅう 戦車 せんしゃ 、M3軽 けい 戦車 せんしゃ も含 ふく めて183輌 りょう の戦車 せんしゃ を失 うしな っている[ 21] 。その後 ご のアメリカ軍 ぐん はティーガーIの脅威 きょうい を知 し ると共 とも に、ソ連 それん からV号 ごう 戦車 せんしゃ パンター の情報 じょうほう を仕入 しい れていたが、どちらの戦車 せんしゃ も接触 せっしょく 頻度 ひんど が稀 まれ であったので、少数 しょうすう が配備 はいび される重 じゅう 戦車 せんしゃ であると誤 あやま った認識 にんしき をして、既 すで に決定 けってい していた76.2㎜砲 ほう を搭載 とうさい する以上 いじょう の対策 たいさく をとることはなかった[ 22] 。一方 いっぽう で、イギリス軍 ぐん はM4の対戦 たいせん 車 しゃ 能力 のうりょく 向上 こうじょう のため、アメリカ軍 ぐん の76.2mm砲 ほう よりは強力 きょうりょく な17ポンド(76.2mm)対 たい 戦車 せんしゃ 砲 ほう を搭載 とうさい したシャーマン ファイアフライ の開発 かいはつ を行 おこな っている[ 23] 。
1944年 ねん 7月 がつ 10日 とおか 、ノルマンディーのカーンへの攻撃 こうげき の際 さい 、ハーケンクロイツ旗 はた を鹵獲 ろかく したイギリス軍 ぐん 第 だい 27機甲 きこう 旅団 りょだん のシャーマンと戦車 せんしゃ 兵 へい たち
アメリカ軍 ぐん の分析 ぶんせき とは異 こと なり、ノルマンディー上陸 じょうりく 作戦 さくせん からのフランスでの戦 たたか いで、M4とパンターやティーガーIとの交戦 こうせん 頻度 ひんど は高 たか く、75mm砲 ほう 搭載 とうさい 型 がた はおろか76.2mm砲 ほう 搭載 とうさい 型 がた も非力 ひりき さが明 あき らかになった[ 9] 。東部 とうぶ 戦線 せんせん で経験 けいけん を積 つ んだ一部 いちぶ のドイツの戦車 せんしゃ エース たちの活躍 かつやく もあって、M4がドイツ軍 ぐん 戦車 せんしゃ に一方 いっぽう 的 てき に撃破 げきは されたという印象 いんしょう も強 つよ く、とくにエルンスト・バルクマン 親衛隊 しんえいたい 軍曹 ぐんそう はパンターに乗 の って多数 たすう のM4を撃破 げきは したとされている。バルクマンの有名 ゆうめい な逸話 いつわ は、1944年 ねん 7月 がつ 27日 にち にサン=ロー からクータンセ へ続 つづ く街道 かいどう の曲 ま がり角 かど のところで、アメリカ軍 ぐん のM4隊 たい と交戦 こうせん し、たった1輌 りょう で9輌 りょう のM4を撃破 げきは してアメリカ軍 ぐん の進撃 しんげき を足止 あしど めしたとされる、のちに『バルクマンコーナー』と称 しょう された活躍 かつやく 談 だん であった[ 24] [ 25] 。このような一部 いちぶ の限 かぎ られた活躍 かつやく 談 だん をもって、大戦 たいせん 中 ちゅう のアメリカ軍 ぐん の証言 しょうげん では、1台 だい のパンターに5台 だい のM4で戦 たたか わなければならない、と徹底 てってい されていたと主張 しゅちょう する者 もの もいるが[ 26] 、それは単 たん に大戦 たいせん 時 じ のアメリカの戦車 せんしゃ 小隊 しょうたい が5両 りょう から編成 へんせい されているからに過 す ぎない。また、『バルクマンコーナー』でのバルクマンの活躍 かつやく 談 だん も、歴史 れきし 研究 けんきゅう 家 か で多 おお くの戦車 せんしゃ 戦記 せんき での著作 ちょさく があるスティーヴン・ザロガ (英語 えいご 版 ばん ) の調査 ちょうさ によれば、アメリカ軍 ぐん に該当 がいとう する戦闘 せんとう 記録 きろく がないことが判明 はんめい し、ドイツ軍 ぐん のプロパガンダ ではなかったかとの指摘 してき もある[ 27] 。
限 かぎ られた活躍 かつやく 談 だん での印象 いんしょう とは異 こと なり、M4はパンターを相手 あいて にしても善戦 ぜんせん している。ノルマンディの戦 たたか い におけるサン マンヴュー ノレ の攻防 こうぼう 戦 せん では、進撃 しんげき してきた第 だい 12SS装甲 そうこう 師団 しだん のパンター12輛を、第 だい 2カナダ機甲 きこう 旅団 りょだん の9輛のM4シャーマン(一部 いちぶ がシャーマン ファイアフライ)が迎撃 げいげき し、一方 いっぽう 的 てき にパンター7輛を撃破 げきは して撃退 げきたい している[ 28] 。アラクールの戦 たたか い (英語 えいご 版 ばん ) においては、アメリカ軍 ぐん 第 だい 4機甲 きこう 師団 しだん (英語 えいご 版 ばん ) がドイツ軍 ぐん 第 だい 5装甲 そうこう 軍 ぐん に大 だい 損害 そんがい を与 あた えて勝利 しょうり したが、なかでもクレイトン・エイブラムス 中佐 ちゅうさ 率 ひき いる第 だい 37戦車 せんしゃ 大隊 だいたい は多数 たすう のパンターを撃破 げきは しており、1944年 ねん 9月 がつ 19日 にち の戦闘 せんとう では、巧 たく みに地形 ちけい を利用 りよう したM4シャーマンによって、待 ま ち伏 ぶ せ攻撃 こうげき や追撃 ついげき で11輌 りょう ものパンターを撃破 げきは して撃退 げきたい している[ 28] 。第 だい 37戦車 せんしゃ 大隊 だいたい は、アラクールの戦 たたか いで55輌 りょう のティーガーIとパンターを撃破 げきは して連合 れんごう 軍 ぐん の勝利 しょうり に貢献 こうけん した[ 29] 。
アメリカ軍 ぐん はパンターやティーガーIへの対策 たいさく として、新型 しんがた の高速 こうそく 徹 てっ 甲 かぶと 弾 だん の生産 せいさん を強化 きょうか した。この徹 てっ 甲 かぶと 弾 だん は、M4戦車 せんしゃ 隊 たい に十分 じゅうぶん な量 りょう は行 い き届 とど かなかったが、500mで208mmの垂直 すいちょく 鋼板 こうはん 貫通 かんつう 力 りょく を示 しめ し、76.2mm砲 ほう 搭載 とうさい 型 がた M4の強力 きょうりょく な武器 ぶき となった[ 30] 。また、M4は信頼 しんらい 性 せい ・生産 せいさん 性 せい など工業 こうぎょう 製品 せいひん としての完成 かんせい 度 ど は高 たか く、大量 たいりょう の補充 ほじゅう と整備 せいび 性 せい の良 よ さ、高 たか い稼働 かどう 率 りつ によって、高価 こうか すぎて且 か つ複雑 ふくざつ な構造 こうぞう のドイツ軍 ぐん 戦車 せんしゃ を総合 そうごう 力 りょく で圧倒 あっとう するようになり[ 31] 、ドイツ軍 ぐん 戦車 せんしゃ 兵 へい が大量 たいりょう の消耗 しょうもう により次第 しだい に質 しつ が低下 ていか していったのに対 たい して、アメリカ軍 ぐん は熟練 じゅくれん した戦車 せんしゃ 兵 へい が増 ふ えて[ 32] 、M4がパンターを圧倒 あっとう する戦闘 せんとう も増 ふ えている。バルジの戦 たたか い において、1944年 ねん 12月24日 にち に、フレヌー (フランス語 ふらんすご 版 ばん ) に接近 せっきん してきた第 だい 2装甲 そうこう 師団 しだん 第 だい 2戦車 せんしゃ 連隊 れんたい 第 だい 2戦車 せんしゃ 中隊 ちゅうたい のアルフレッドハーゲシェイマー親衛隊 しんえいたい 大尉 たいい とフリッツ・ランガンケ親衛隊 しんえいたい 少尉 しょうい が率 ひき いる11輌 りょう のパンターG型 がた を、第 だい 3機甲 きこう 師団 しだん (英語 えいご 版 ばん ) 第 だい 32機甲 きこう 旅団 りょだん D中隊 ちゅうたい のM4シャーマン2輌 りょう が迎 むか えうって、遠距離 えんきょり 砲撃 ほうげき で6輌 りょう 撃破 げきは し、2輌 りょう を損傷 そんしょう させて一旦 いったん 撃退 げきたい している。その後 ご 、ハーゲシェイマー隊 たい は残 のこ った3輌 りょう のパンターで再度 さいど フレヌーを目指 めざ し、途中 とちゅう で接触 せっしょく したM5軽 けい 戦車 せんしゃ 1輌 りょう を撃破 げきは したものの、またM4シャーマンからの砲撃 ほうげき で1輌 りょう を撃破 げきは され、ハーゲシェイマー車 しゃ も命中 めいちゅう 弾 だん を受 う けて損傷 そんしょう している。一旦 いったん 退却 たいきゃく したドイツの戦車 せんしゃ エース の1人 にん でもあったランガンケは、命中 めいちゅう 弾 だん を受 う けて自身 じしん のパンターが損傷 そんしょう していたため、フレヌー付近 ふきん の森 もり の中 なか のくぼ地 ち に身 み を潜 ひそ めていたが、その後 ご 、監視 かんし 任務 にんむ からフレヌーに無 む 警戒 けいかい で帰還 きかん してきた他 ほか の部隊 ぶたい のM4シャーマン4輌 りょう を撃破 げきは して一矢 いっし 報 むく いている[ 33] 。翌 よく 12月 がつ 25日 にち にもノヴィルを巡 めぐ る戦 たたか いにおいても、M4シャーマンがわずか45分間 ふんかん の間 あいだ に、一方 いっぽう 的 てき にパンターG型 がた を6輌 りょう 撃破 げきは して、ドイツ軍 ぐん の攻撃 こうげき を撃退 げきたい している[ 34] 。
バルジの戦 たたか いにおいて、最初 さいしょ の2週間 しゅうかん でM4シャーマンはあらゆる原因 げんいん によって320輌 りょう を喪失 そうしつ していたが、1,085輌 りょう が前線 ぜんせん にあり、うち980輌 りょう が稼働 かどう 状態 じょうたい とその抜群 ばつぐん の信頼 しんらい 性 せい を誇示 こじ していたのに対 たい して、投入 とうにゅう された415輌 りょう のパンターは、2週間 しゅうかん で180輌 りょう が撃破 げきは され、残 のこ り235輌 りょう もまともに稼働 かどう していたのは45%の約 やく 100輌 りょう といった有様 ありさま だった[ 35] 。結局 けっきょく は、正面 しょうめん からの撃 げき ち合 あ いではパンターに分 ぶん があったが、生産 せいさん 性 せい 、整備 せいび 性 せい 、耐久 たいきゅう 力 りょく などすべてを比較 ひかく すると、M4シャーマンの方 ほう が優 すぐ れていたという評価 ひょうか もある[ 36] 。1944年 ねん 8月 がつ から1944年 ねん 12月のバルジの戦 たたか いまでの間 あいだ の、アメリカ軍 ぐん の第 だい 3機甲 きこう 師団 しだん と第 だい 4機甲 きこう 師団 しだん の統計 とうけい によれば、全 ぜん 98回 かい の戦車 せんしゃ 戦 せん のなかでパンターとM4シャーマンのみが直接 ちょくせつ 戦 たたか った戦闘 せんとう は29回 かい であったが、その結果 けっか は下記 かき の通 とお りであった[ 37] 。
M4とパンターの直接 ちょくせつ 交戦 こうせん による撃破 げきは 数 すう
攻守 こうしゅ
交戦 こうせん 数 すう
交戦 こうせん したM4の数 かず
撃破 げきは されたM4の数 かず
交戦 こうせん したパンターの数 かず
撃破 げきは したパンターの数 かず
攻撃 こうげき
9回 かい
68輌 りょう
10輌 りょう
47輌 りょう
13輌 りょう
防御 ぼうぎょ
20回 かい
115輌 りょう
6輌 りょう
98輌 りょう
59輌 りょう
合計 ごうけい
29回 かい
183輌 りょう
16輌 りょう
145輌 りょう
72輌 りょう
29回 かい を平均 へいきん して、M4シャーマンの数 すう 的 てき 優勢 ゆうせい は1.2倍 ばい に過 す ぎなかったにもかかわらず、M4シャーマンの有用 ゆうよう 性 せい はパンターの3.6倍 ばい で、特 とく にM4シャーマンが防御 ぼうぎょ に回 まわ ったときにはパンターの8.4倍 ばい の有用 ゆうよう 性 せい があったとの評価 ひょうか もあるが、データの数 かず が不十分 ふじゅうぶん であり両 りょう 戦車 せんしゃ の性能 せいのう の差 さ が戦闘 せんとう にどのような影響 えいきょう を及 およ ぼしたのかを証明 しょうめい するまでには至 いた っていない[ 38] 。
アメリカ軍 ぐん はドイツ軍 ぐん とは異 こと なり、戦車 せんしゃ の撃破 げきは 数 すう で賞 しょう されることはなかったが、第 だい 37戦車 せんしゃ 大隊 だいたい 大隊 だいたい 長 ちょう エイブラムスは、自分 じぶん が搭乗 とうじょう したM4シャーマン『サンダーボルト』でも多数 たすう のドイツ軍 ぐん 戦車 せんしゃ を撃破 げきは し、終戦 しゅうせん までに50輌 りょう のドイツ軍 ぐん 戦闘 せんとう 車両 しゃりょう を撃破 げきは している[ 29] 。またラファイエット・G・プール 准尉 じゅんい も、M4を3輌 りょう 乗 の り換 か えながら、兵員 へいいん 1,000名 めい 殺害 さつがい 、捕虜 ほりょ 250名 めい 確保 かくほ 、戦車 せんしゃ 12輌 りょう を含 ふく む戦闘 せんとう 車両 しゃりょう 258輌 りょう 撃破 げきは の戦果 せんか を挙 あ げている[ 39] 。
また、イギリス 、カナダ 、オーストラリア などイギリス連邦 れんぽう 加盟 かめい 国 こく のほか、ソビエト連邦 れんぽう に4,000輌 りょう 以上 いじょう 、自由 じゆう フランス軍 ぐん やポーランド亡命 ぼうめい 政府 せいふ 軍 ぐん にもレンドリース された。カナダ軍 ぐん ではシドニー・ヴァルピー・ラドリー=ウォルターズ 少佐 しょうさ がM4にて18輌 りょう のドイツ軍 ぐん 戦車 せんしゃ と多数 たすう の戦闘 せんとう 車両 しゃりょう を撃破 げきは して、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん における連合 れんごう 軍 ぐん 戦車 せんしゃ エース(英語 えいご 版 ばん ) の1人 ひとり となったが、ウォルターズが撃破 げきは した戦車 せんしゃ のなかには、ドイツの戦車 せんしゃ エース ・ミハエル・ヴィットマン の乗 の るティーガーIも含 ふく まれていたとも言 い われている[ 40] 。
「M4の75mm砲 ほう は理想 りそう の武器 ぶき 」「敵 てき 重 じゅう 戦車 せんしゃ も76mm砲 ほう で撃破 げきは できる」とするAGF(Army Ground Force/陸軍 りくぐん 地上 ちじょう 軍 ぐん 管理 かんり 本部 ほんぶ )の判断 はんだん はM26パーシング の配備 はいび を遅 おく らせ[ 注 ちゅう 7] 、終戦 しゅうせん まで連合 れんごう 国軍 こくぐん の主力 しゅりょく 戦車 せんしゃ として活躍 かつやく した。
グアムの戦 たたか いにおいて日本 にっぽん 軍 ぐん の速射 そくしゃ 砲 ほう で撃破 げきは された、米 べい 陸軍 りくぐん のM4(75)コンポジット車体 しゃたい 型 がた 。それぞれ車体 しゃたい 側面 そくめん に被弾 ひだん の痕 あと が写 うつ っている。この時期 じき の太平洋 たいへいよう 戦線 せんせん において、海兵 かいへい 隊 たい の装備 そうび がM4A2なのに対 たい し、陸軍 りくぐん はM4やM4A1を装備 そうび していた。
北 きた アフリカ およびヨーロッパ 、太平洋戦争 たいへいようせんそう にも投入 とうにゅう された。戦車 せんしゃ 戦力 せんりょく が弱 よわ い日本 にっぽん にとってM4は非常 ひじょう な難 なん 敵 てき であった。サイパンの戦 たたか い 、グアムの戦 たたか い 、ペリリューの戦 たたか い などでM4と日本 にっぽん 軍 ぐん の九 きゅう 七 なな 式 しき 中 ちゅう 戦車 せんしゃ や九 きゅう 五 ご 式 しき 軽 けい 戦車 せんしゃ との戦車 せんしゃ 戦 せん が行 おこな われたものの日本 にっぽん 軍 ぐん 戦車 せんしゃ の九 きゅう 七 なな 式 しき 五 ご 糎 せんちめーとる 七 なな 戦車 せんしゃ 砲 ほう や九 きゅう 八 はち 式 しき 三 さん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 戦車 せんしゃ 砲 ほう はM4に命中 めいちゅう したとしても、まるでボールのように跳 は ね返 がえ され、日本 にっぽん 軍 ぐん の戦車 せんしゃ が一方 いっぽう 的 てき に撃破 げきは されることが多 おお かった[ 41] 。日本 にっぽん 軍 ぐん の戦車 せんしゃ 兵 へい はM4を「動 うご く要塞 ようさい 」と称 しょう して恐 おそ れた[ 42] 。そのような状況 じょうきょう でも戦車 せんしゃ 第 だい 2師団 しだん が戦 たたか ったルソン島 るそんとう の戦 たたか い においては、重見 しげみ 支隊 したい (支隊 したい 長 ちょう :重見 しげみ 伊 い 三雄 みつお 少将 しょうしょう 。戦車 せんしゃ 第 だい 3旅団 りょだん 基幹 きかん の戦車 せんしゃ 約 やく 60両 りょう など)がリンガエン湾 わん に上陸 じょうりく したアメリカ軍 ぐん を迎撃 げいげき し、太平洋戦争 たいへいようせんそう 最大 さいだい の戦車 せんしゃ 戦 せん が戦 たたか われた。九 きゅう 七 なな 式 しき 中 ちゅう 戦車 せんしゃ 改 あらため に搭載 とうさい された一式 いっしき 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 戦車 せんしゃ 砲 ほう は、500ヤード(約 やく 457.2m)で67㎜の装甲 そうこう 、1,000ヤード(約 やく 914.4m)で55㎜の装甲 そうこう を貫通 かんつう したので、M4の側面 そくめん や後 こう 面 めん の装甲 そうこう であれば、かなりの遠距離 えんきょり からでも貫通 かんつう 可能 かのう であり、戦車 せんしゃ 戦 せん で撃破 げきは されるM4も少 すく なくはなく[ 43] 、アメリカ軍 ぐん は九 きゅう 七 なな 式 しき 中 ちゅう 戦車 せんしゃ 新 しん 砲塔 ほうとう 型 がた を「もっとも効果 こうか 的 てき な日本 にっぽん 軍 ぐん 戦車 せんしゃ 」と評 ひょう して警戒 けいかい した[ 44] 。戦車 せんしゃ 戦 せん での不利 ふり を痛感 つうかん した日本 にっぽん 軍 ぐん は、その後 ご の硫黄 いおう 島 とう の戦 たたか い や沖縄 おきなわ 戦 せん では、戦車 せんしゃ の車体 しゃたい を地面 じめん に埋 う めて、即席 そくせき の対戦 たいせん 車 しゃ トーチカとして使用 しよう するようになった[ 45] 。
そこで日本 にっぽん 軍 ぐん のM4対策 たいさく は、待 ま ち伏 ぶ せによる速射 そくしゃ 砲 ほう と地雷 じらい と歩兵 ほへい による肉弾 にくだん 攻撃 こうげき となっていった。速射 そくしゃ 砲 ほう のなかでも一式 いっしき 機動 きどう 四 よん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 速射 そくしゃ 砲 ほう や九 きゅう 四 よん 式 しき 三 さん 十 じゅう 七 なな 粍 みりめーとる 速射 そくしゃ 砲 ほう がM4の側面 そくめん 装甲 そうこう を至近 しきん 距離 きょり から貫徹 かんてつ でき撃破 げきは したこともあった。沖縄 おきなわ 戦 せん ではM4を主力 しゅりょく とするアメリカ陸軍 りくぐん の戦車 せんしゃ 隊 たい が221輌 りょう 撃破 げきは されたが[ 46] 、そのうち111輌 りょう が速射 そくしゃ 砲 ほう や野戦 やせん 重砲 じゅうほう などの砲撃 ほうげき による損害 そんがい であった。また、海兵 かいへい 隊 たい の51輌 りょう のM4の損失 そんしつ を含 ふく めると合計 ごうけい 272輌 りょう が撃破 げきは されたことになり[ 47] 、これは、沖縄 おきなわ に投入 とうにゅう されたアメリカ軍 ぐん 戦車 せんしゃ のうち57%にも上 のぼ っている[ 48] 。また沖縄 おきなわ 戦 せん においては、日本 にっぽん 軍 ぐん は段 だん ボール大 だい の木 き 箱 ばこ に爆薬 ばくやく を詰 つ め込 こ んだ急造 きゅうぞう 爆雷 ばくらい を多数 たすう 準備 じゅんび した。日本 にっぽん 兵 へい はこの急造 きゅうぞう 爆雷 ばくらい をアメリカ軍 ぐん 戦車 せんしゃ のキャタピラ に向 む けて投 な げつけるか、もしくは爆雷 ばくらい をもったまま体当 たいあ たり攻撃 こうげき をかけた[ 49] 。この特攻 とっこう 戦術 せんじゅつ は効果 こうか があり、激戦 げきせん となった嘉数 かかず の戦 たたか い では、この歩兵 ほへい による体当 たいあ たり攻撃 こうげき で1日 にち に6輌 りょう のM4が撃破 げきは され、アメリカ陸軍 りくぐん の公式 こうしき 報告 ほうこく 書 しょ でも「特 とく に爆薬 ばくやく 箱 ばこ を持 も った日本 にっぽん 軍 ぐん 兵士 へいし は、(アメリカ軍 ぐん )戦車 せんしゃ にとって大 だい 脅威 きょうい だった。」と警戒 けいかい していた[ 50] 。
アメリカ軍 ぐん 戦車 せんしゃ 兵 へい は、急造 きゅうぞう 爆雷 ばくらい や磁力 じりょく 吸着 きゅうちゃく 式 しき の九九式破甲爆雷 で対戦 たいせん 車 しゃ 特攻 とっこう を行 おこな ってくる日本 にっぽん 兵 へい を警戒 けいかい し、戦車 せんしゃ を攻撃 こうげき しようとする日本 にっぽん 兵 へい を見 み つけると、優先 ゆうせん して車載 しゃさい 機銃 きじゅう で射撃 しゃげき したが、日本 にっぽん 兵 へい が抱 かか えている爆雷 ばくらい に銃弾 じゅうだん が命中 めいちゅう すると爆発 ばくはつ し、周囲 しゅうい の日本 にっぽん 兵 へい ごと吹 ふ き飛 と ばしてしまうこともあった。また、戦車 せんしゃ 内 ない に多数 たすう の手榴弾 しゅりゅうだん を持 も ちこみ、対戦 たいせん 車 しゃ 特攻 とっこう の日本 にっぽん 兵 へい が潜 ひそ んでいそうな塹壕 ざんごう を見 み つけると、戦車 せんしゃ のハッチを開 あ けて塹壕 ざんごう に手榴弾 しゅりゅうだん を投 な げ込 こ み、特攻 とっこう するため潜 ひそ んでいた日本 にっぽん 兵 へい を掃討 そうとう している[ 51] 。ほかにも、ハッチに爆薬 ばくやく を密着 みっちゃく させないように多数 たすう のスパイクや金網 かなあみ を周囲 しゅうい に溶接 ようせつ 、そのほか車体 しゃたい 側面 そくめん に木 き の板 いた を装着 そうちゃく 、またはこれを型 かた 枠 わく のように取 と り付 つ け、車体 しゃたい との間 あいだ にコンクリートを流 なが し込 こ み磁力 じりょく 吸着 きゅうちゃく 式 しき の九九式破甲爆雷対策とした例 れい も見 み られる。
朝鮮 ちょうせん 戦争 せんそう でのM4A3E8、中国 ちゅうごく 義勇軍 ぎゆうぐん に対 たい し心理 しんり 的 てき な影響 えいきょう を狙 ねら って、車体 しゃたい や砲塔 ほうとう の前面 ぜんめん に虎 とら や悪魔 あくま の顔 かお などが描 えが かれた
M4は朝鮮 ちょうせん 戦争 せんそう でも活躍 かつやく した。主 おも に投入 とうにゅう されたのは52口径 こうけい 76.2mm戦車 せんしゃ 砲 ほう M1A2を搭載 とうさい したM4A3E8(イージーエイト)となったが、M24軽 けい 戦車 せんしゃ の138輌 りょう 、M26パーシングの309輌 りょう 、M46パットン の200輌 りょう に対 たい してM4A3E8は679輌 りょう も投入 とうにゅう されており、依然 いぜん として数 すう 的 てき には主力 しゅりょく 戦車 せんしゃ であった。朝鮮 ちょうせん 戦争 せんそう ではアメリカ陸軍 りくぐん と海兵 かいへい 隊 たい の戦車 せんしゃ 部隊 ぶたい は北朝鮮 きたちょうせん 軍 ぐん のT-34-85 (一部 いちぶ SU-76 )と合計 ごうけい 119回 かい の戦車 せんしゃ 戦 せん を行 おこな ったが、そのうちの59回 かい (50%)はM4A3E8によるものであった。アメリカ軍 ぐん は合計 ごうけい で97輌 りょう のT-34-85を確実 かくじつ に撃破 げきは し、さらに18輌 りょう の不 ふ 確実 かくじつ な撃破 げきは を記録 きろく したのに対 たい して、失 うしな った戦車 せんしゃ は合計 ごうけい 34輌 りょう に過 す ぎず、そのうちM4A3E8は20輌 りょう であり、さらに完全 かんぜん に撃破 げきは されたのはその半分 はんぶん 以下 いか であった。アメリカ軍 ぐん が確実 かくじつ に撃破 げきは した97輌 りょう のT-34-85のうち、M4A3E8が撃破 げきは したのは47輌 りょう とされ、依然 いぜん として十分 じゅうぶん に戦力 せんりょく になることを証明 しょうめい した[ 52] 。
その後 ご の中東 ちゅうとう 戦争 せんそう などで使用 しよう され、特 とく にイスラエル国防 こくぼう 軍 ぐん はM4の中古 ちゅうこ ・スクラップ を大量 たいりょう に収集 しゅうしゅう 再生 さいせい し、初期 しょき の地上 ちじょう 戦力 せんりょく の中核 ちゅうかく として活用 かつよう 、その後 ご 独自 どくじ の改良 かいりょう により「最強 さいきょう のシャーマン」と呼 よ ばれるM50/M51スーパーシャーマン を生 う み出 だ している。第 だい 一線 いっせん を退 しりぞ いた後 のち も装甲 そうこう 回収 かいしゅう 車 しゃ などの支援 しえん 車両 しゃりょう に改造 かいぞう され、最近 さいきん まで各国 かっこく で使用 しよう されていた。
M4A3E8型 がた はMSA協定 きょうてい により日本 にっぽん の陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい にも供与 きょうよ されて[ 53] 1970年代 ねんだい 半 なか ばまで使用 しよう され、同年代 どうねんだい 末 まつ に61式 しき 戦車 せんしゃ と交代 こうたい する形 かたち で全車 ぜんしゃ が退役 たいえき した。21世紀 せいき を迎 むか えてもなお少数 しょうすう が運用 うんよう されていたが、2018年 ねん にパラグアイ で運用 うんよう されていたM4A3の最後 さいご の3輌 りょう が退役 たいえき し、これをもって正規 せいき 軍 ぐん で使用 しよう されていたM4は全 ぜん 車輌 しゃりょう が退役 たいえき した。
M4
エアボーンミュージアムで展示 てんじ されているシャーマンI(M4)。
ブレスド・スチール・カー社 しゃ 、ボールドウィン・ロコモティブ・ワークス 、アメリカン・ロコモティブ 社 しゃ 、ブルマン・スタンダード社 しゃ で製造 せいぞう 。航空機 こうくうき 用 よう のコンチネンタル R975エンジン を、陸上 りくじょう 部隊 ぶたい 向 む けの低 てい オクタン価 おくたんか ガソリン仕様 しよう に改良 かいりょう して採用 さいよう した。
車体 しゃたい 前面 ぜんめん はハッチ周囲 しゅうい の操縦 そうじゅう 席 せき フードが鋳造 ちゅうぞう 製 せい で、これに生産 せいさん 工場 こうじょう や時期 じき により仕様 しよう が異 こと なる数 すう 枚 まい の圧延 あつえん 鋼板 こうはん と鋳造 ちゅうぞう 部品 ぶひん をパッチワークのように溶接 ようせつ 接合 せつごう していたが、強度 きょうど が劣 おと るため前線 ぜんせん 改修 かいしゅう 用 よう の前面 ぜんめん 増加 ぞうか 装甲 そうこう キットが開発 かいはつ された。また後部 こうぶ は溶接 ようせつ 型 がた のまま車体 しゃたい 前面 ぜんめん のみをA1と同様 どうよう の一体 いったい 鋳造 ちゅうぞう 型 がた に変更 へんこう した、1676輌 りょう のコンポジット車体 しゃたい 型 がた が1943年 ねん 5月 がつ から翌年 よくねん 8月 がつ まで、デトロイト 戦車 せんしゃ 工廠 こうしょう で製造 せいぞう された。これは当初 とうしょ 前期 ぜんき 型 がた のスモールハッチ車体 しゃたい であったが、程 ほど なく後期 こうき 型 がた のビッグハッチ車体 しゃたい に切 き り替 か えられ、大半 たいはん は後者 こうしゃ であった。なお、M4を改良 かいりょう してM4A1以降 いこう の型 かた になったのではなく、各 かく 型 かた は異 こと なる工場 こうじょう で並行 へいこう 生産 せいさん されている。
1944年 ねん 6月のノルマンディー上陸 じょうりく 作戦 さくせん から秋 あき 頃 ごろ まではA1と共 とも にアメリカ軍 ぐん の主力 しゅりょく であったが、同年 どうねん 末 まつ 頃 ごろ から次第 しだい にA3に更新 こうしん されていった。76.2mm砲 ほう 搭型は量産 りょうさん されていないが、支援 しえん 用 よう として後期 こうき 型 がた 車体 しゃたい に105mm榴弾 りゅうだん 砲 ほう を搭載 とうさい した物 もの や、中古 ちゅうこ の前期 ぜんき 型 がた 車体 しゃたい で114mmロケットランチャー (カリオペ)を搭載 とうさい した物 もの も多 おお い。75mm砲 ほう 型 がた は1942年 ねん 7月 がつ から1年間 ねんかん に6,748輌 りょう 、105mm砲 ほう 型 がた は1944年 ねん 2月 がつ -1945年 ねん 5月 がつ までに1,641輌 りょう が生産 せいさん された。イギリス軍 ぐん 名称 めいしょう 「シャーマンI」、コンポジット型 がた 車体 しゃたい は「シャーマン・ハイブリッド」。
M4E9
本土 ほんど で訓練 くんれん 用 よう に用 もち いられていた初期 しょき 生産 せいさん 車輌 しゃりょう を1943年 ねん 12月からオーバーホール した際 さい に「ダックビル」型 がた エンドコネクターを、足 あし 回 まわ りにスペーサーをかませ履 くつ 帯 たい の両側 りょうがわ に装着 そうちゃく した仕様 しよう 。接地 せっち 圧 あつ が履 くつ 帯 たい 幅 はば の広 ひろ いE8仕様 しよう のように低減 ていげん された。
M4A1
鋳造 ちゅうぞう 車体 しゃたい のM4A1(76)W
生産 せいさん 開始 かいし や実戦 じっせん 投入 とうにゅう は最 もっと も早 はや く、アメリカ軍 ぐん 向 む けに製造 せいぞう された初期 しょき 型 がた が急遽 きゅうきょ 北 きた アフリカ のイギリス軍 ぐん に配備 はいび され、第 だい 二 に 次 じ エル・アラメイン会戦 かいせん から実戦 じっせん 投入 とうにゅう された。
M4と同 おな じ空冷 くうれい 星 ほし 形 がた エンジン を搭載 とうさい しているが、車体 しゃたい 上部 じょうぶ が溶接 ようせつ 式 しき ではなく一体 いったい 鋳造 ちゅうぞう されている。丸 まる みを帯 お びた車体 しゃたい 前面 ぜんめん 形状 けいじょう により避弾経 けい 始 はじめ が向上 こうじょう した反面 はんめん 、車内 しゃない スペースが減少 げんしょう している。後 のち に操縦 そうじゅう 士 し ハッチを大型 おおがた の物 もの に変更 へんこう 、湿式 しっしき 弾薬 だんやく 庫 こ を持 も つ後期 こうき 型 がた 車体 しゃたい [ 注 ちゅう 9] のM4A1(75)Wに生産 せいさん が切 き り替 か わった。この車体 しゃたい に76mm砲 ほう を搭載 とうさい するT23砲塔 ほうとう のM4A1(76)Wも併行 へいこう して生産 せいさん され、1944年 ねん 7月 がつ のコブラ作戦 さくせん から実戦 じっせん 投入 とうにゅう された。
米 べい 軍 ぐん 向 む けとしては水冷 すいれい ガソリンエンジン装備 そうび のA3が次 つぎ の主 しゅ 生産 せいさん 型 がた となったため、A1の76mm砲 ほう 搭載 とうさい 型 がた はイタリア戦線 せんせん に回 まわ されたり、イギリス連邦 れんぽう 軍 ぐん や自由 じゆう ポーランド軍 ぐん 、自由 じゆう フランス軍 ぐん に供与 きょうよ されたが、1945年 ねん 春 はる には後期 こうき 型 がた 砲塔 ほうとう を搭載 とうさい したものが西 にし ヨーロッパの米 べい 軍 ぐん に再 ふたた び供給 きょうきゅう されている。エンジンが共通 きょうつう であるため、M4と同 おな じ部隊 ぶたい に混成 こんせい 配備 はいび されることもあった。当初 とうしょ 、鋳造 ちゅうぞう 装甲 そうこう の強度 きょうど に疑問 ぎもん を持 も つ部隊 ぶたい に使用 しよう を拒否 きょひ されたこともあったが、前期 ぜんき 型 がた の溶接 ようせつ 車体 しゃたい よりA1の方 ほう が被弾 ひだん に強 つよ いと認識 にんしき された。
75mm砲 ほう 型 がた は1942年 ねん 2月 がつ -翌 よく 11月 がつ までに6,281輌 りょう 、76.2mm砲 ほう 型 がた は1944年 ねん 1月 がつ -翌 よく 5月 がつ までに3,426輌 りょう が生産 せいさん された。担当 たんとう はライマ・ロコモティブ・ワークス 、プレスド・スチール社 しゃ 、パシフィック・カー&ファウンドリー 社 しゃ 。イギリス軍 ぐん 名称 めいしょう 「シャーマンII」。
M4A1E6
パキスタン軍 ぐん が使用 しよう し、インド軍 ぐん に撃破 げきは されたM4A1E6
戦後 せんご 、75mm砲 ほう 搭に76.2mm砲 ほう を搭載 とうさい したもの。パキスタン に給与 きゅうよ され、カシミール紛争 ふんそう や印 しるし パ戦争 せんそう などで使 つか われた。資料 しりょう によってはこのタイプをM4A1E4としているものもある。
M4A1E8
76mm砲 ほう を搭載 とうさい したM4A1(76)のサスペンションをHVSSに変更 へんこう した後期 こうき 生産 せいさん 車 しゃ 、またはVVSSサスペンション型 がた からの改修 かいしゅう 型 がた 。イスラエルが購入 こうにゅう した中古 ちゅうこ 車 しゃ は、M1スーパーシャーマンと呼 よ ばれた。
M4A1E9
M4A1の初期 しょき 型 がた をM4E9同様 どうよう にクライスラー ・エヴェンスビル工場 こうじょう で改修 かいしゅう 、E9仕様 しよう にしたもの。
M4A2
自由 じゆう フランス軍 ぐん で使用 しよう されていたM4A2(75)
ソ連 それん 軍 ぐん ・第 だい 64親衛 しんえい 戦車 せんしゃ 連隊 れんたい のM4A2(76)W。ドイツ北部 ほくぶ でソ連 それん 軍 ぐん と合流 ごうりゅう したアメリカ軍 ぐん が撮影 さつえい したもの
M4の生産 せいさん 開始 かいし 時 じ から搭載 とうさい されていた空冷 くうれい 星 ほし 型 がた エンジンが、練習 れんしゅう 機 き 増産 ぞうさん の影響 えいきょう で供給 きょうきゅう 力不足 ちからぶそく となることが予想 よそう され、代替 だいたい エンジンとして民間 みんかん トラック 用 よう にゼネラルモーターズ 社 しゃ が生産 せいさん していた、GM 6046直列 ちょくれつ 6気筒 きとう 2ストローク液 えき 冷 ひや ディーゼルエンジン 2基 き を連結 れんけつ して搭載 とうさい 。これは埃 ほこり にやや弱 よわ いとの批判 ひはん もあったが、1基 き が停 とま まっても走行 そうこう 可能 かのう でトルク も空冷 くうれい 星 ほし 型 がた より強力 きょうりょく であり、速度 そくど も高 たか く好評 こうひょう だった。しかしアメリカ陸軍 りくぐん では使用 しよう 燃料 ねんりょう をガソリン に統一 とういつ していたことから、生産 せいさん 量 りょう のほとんどが上陸 じょうりく 用 よう 舟艇 しゅうてい と燃料 ねんりょう を共用 きょうよう できるアメリカ海兵 かいへい 隊 たい (後 のち にA3に更新 こうしん )、およびレンドリース用 よう としてイギリス軍 ぐん と自由 じゆう フランス軍 ぐん で使用 しよう され、後 のち には全 すべ てソ連 それん 向 む けに供与 きょうよ されるようになった。
前期 ぜんき 型 がた 車体 しゃたい の前面 ぜんめん は、M4同様 どうよう に鋳造 ちゅうぞう 部品 ぶひん と圧延 あつえん 鋼板 こうはん (最初 さいしょ 期 き 型 がた で機銃 きじゅう 周辺 しゅうへん とアンテナベース、左右 さゆう 操縦 そうじゅう 席 せき フードの鋳造 ちゅうぞう 部品 ぶひん 4、圧延 あつえん 鋼板 こうはん 4)を溶接 ようせつ 接合 せつごう したものだが、生産 せいさん 工場 こうじょう によっては操縦 そうじゅう 手 しゅ 席 せき フードが一体 いったい 鋳造 ちゅうぞう から溶接 ようせつ 組 く み立 た てに変 か わり、また分割 ぶんかつ も減 へ らされ圧延 あつえん 鋼板 こうはん の比率 ひりつ が増 ふ えている。
ソ連 それん 軍 ぐん では、T-34 より故障 こしょう が少 すく なく操縦 そうじゅう も楽 らく で扱 あつか いやすく十分 じゅうぶん な戦闘 せんとう 力 りょく もあると報告 ほうこく された。「エムチャ(M4=エム・チトィーリェの略 りゃく )」「シェールマン(シャーマンのロシア語 ご 読 よ み)」と呼 よ ばれ、目立 めだ つ車 くるま 高 だか や泥濘 でいねい 地 ち での機動 きどう 性 せい 、初期 しょき に送 おく られたゴム皮膜 ひまく 付 つ き履 くつ 帯 たい が夏場 なつば に熱 ねつ で溶 と けること、重心 じゅうしん が高 たか いため横転 おうてん しやすいこと以外 いがい は大変 たいへん 好評 こうひょう であり、エリート部隊 ぶたい の親衛 しんえい 戦車 せんしゃ 連隊 れんたい に優先 ゆうせん 配備 はいび された。また、砲塔 ほうとう 上 じょう の12.7mm機銃 きじゅう (搭載 とうさい 車輌 しゃりょう と未 み 搭載 とうさい 車輌 しゃりょう がある)は、瓦礫 がれき の陰 かげ などで待 ま ち伏 ぶ せるパンツァーファウスト を持 も った敵 てき 歩兵 ほへい を障害 しょうがい 物 ぶつ ごと掃討 そうとう したり、満州 まんしゅう 侵攻 しんこう 時 とき に肉薄 にくはく 攻撃 こうげき を仕掛 しか ける日本 にっぽん 軍 ぐん 歩兵 ほへい に対 たい しても有効 ゆうこう であったとの証言 しょうげん もある。しかし太平洋 たいへいよう 戦線 せんせん では、行軍 こうぐん 中 ちゅう のM4に待 ま ち伏 ぶ せていた日本 にっぽん 兵 へい が飛 と び乗 の り、12.7mm機銃 きじゅう を後続 こうぞく の歩兵 ほへい に乱射 らんしゃ するケースが発生 はっせい 、以後 いご 取 と り外 はず した車輌 しゃりょう が多 おお い。
対 たい 独 どく 戦線 せんせん では1943年 ねん 1月 がつ から部隊 ぶたい 配備 はいび が始 はじ まり、ベルリン市街 しがい 戦 せん でもM4A2(76)Wの写真 しゃしん が多 おお く見 み られる。なお、A2では75mm砲 ほう 装備 そうび のビッグハッチ車体 しゃたい でも湿式 しっしき 弾薬 だんやく 庫 こ タイプは無 な く、またこのタイプはアメリカ海兵 かいへい 隊 たい とソ連 それん 軍 ぐん でしか使 つか われていない。また、フィッシャー社 しゃ で生産 せいさん されたA2の操縦 そうじゅう 席 せき フードは、途中 とちゅう から鋳造 ちゅうぞう 型 がた ではなく溶接 ようせつ 組 く み立 た て型 がた に変更 へんこう されている。75mm砲 ほう 型 がた は1942年 ねん 4月 がつ -1944年 ねん 4月 がつ までに8,053輌 りょう が、76.2mm砲 ほう 型 がた は1944年 ねん 5月 がつ -翌 よく 5月 がつ までに2,915輌 りょう 生産 せいさん 、うち2073輌 りょう がソ連 それん に供与 きょうよ 。担当 たんとう はブルマン・スタンダード社 しゃ 、グランド・ブランク戦車 せんしゃ 工廠 こうしょう 、フェデラル・マシーン&ウェルダー社 しゃ 、アメリカン・ロコモーティブ社 しゃ (少数 しょうすう )イギリス軍 ぐん 名称 めいしょう 「シャーマンIII」。
M4A2E4
M4中 ちゅう 戦車 せんしゃ では性能 せいのう の向上 こうじょう を狙 ねら って様々 さまざま な試作 しさく 車 しゃ が製作 せいさく されたが、M4A2E4は機動 きどう 性 せい の向上 こうじょう を狙 ねら い、M4A2にトーションバーとより幅 はば の広 ひろ い履 くつ 帯 たい を装備 そうび した試作 しさく 車 しゃ である。トーションバーサスペンションはサスペンションとしての性能 せいのう に優 すぐ れ、ドイツ ではIII号 ごう 戦車 せんしゃ 以降 いこう 広 ひろ く採用 さいよう されており、M4中 ちゅう 戦車 せんしゃ でもM4A2E4のほか、M4に同様 どうよう の改良 かいりょう を施 ほどこ したM4E4が試作 しさく されたが、整備 せいび 性 せい が悪化 あっか 、M4中 ちゅう 戦車 せんしゃ では採用 さいよう されなかった。
M4A2E8
M4A2(76)をHVSSサスペンションに変更 へんこう した1945年 ねん に入 はい ってから生産 せいさん 開始 かいし された後期 こうき 生産 せいさん 車 しゃ 。イギリスに5輌 りょう 渡 わた された以外 いがい はソ連 それん に460輌 りょう ほどがレンドリースされたが、全 すべ て太平洋 たいへいよう ルートでシベリアに揚陸 ようりく されたため、対 たい 独 どく 戦 せん には間 あいだ にあっていない。戦後 せんご カナダ軍 ぐん も装備 そうび しており、朝鮮 ちょうせん 戦争 せんそう で使 つか われた他 ほか 、砲塔 ほうとう を撤去 てっきょ したカンガルー装甲 そうこう 兵員 へいいん 輸送 ゆそう 車 しゃ に改造 かいぞう された物 もの もあった。
M4A3
ヨーロッパ戦線 せんせん におけるM4A3(75)WとM4A3E8。ノルマンディー上陸 じょうりく 作戦 さくせん 当時 とうじ の米 べい 軍 ぐん 戦車 せんしゃ 隊 たい では、空冷 くうれい ガソリンエンジン搭載 とうさい のM4(75)とM4A1(75)が主力 しゅりょく で、M4A1(76)Wの投入 とうにゅう はコブラ作戦 さくせん 以降 いこう だったが、1944年 ねん も末 すえ に近 ちか づくにつれ水冷 すいれい ガソリンエンジン搭載 とうさい のA3(75)WとA3(76)Wの配備 はいび 数 すう が増 ふ え、バルジの戦 たたか いの後半 こうはん からA3E8が加 くわ わった。
それまでの航空機 こうくうき 用 よう エンジンの流用 りゅうよう から、フォード 社 しゃ が戦車 せんしゃ 用 よう に開発 かいはつ したGAA液 えき 冷 ひや V型 がた 8気筒 きとう エンジン(450馬力 ばりき )搭載 とうさい 、M4やM4A1の空冷 くうれい 星 ほし 型 がた エンジンよりも整備 せいび 性 せい や低速 ていそく 時 じ のトルクで勝 まさ り、各 かく エンジンの中 なか で最 もっと も評判 ひょうばん が良 よ かったためアメリカ軍 ぐん に主力 しゅりょく 戦車 せんしゃ として優先 ゆうせん 的 てき に供給 きょうきゅう された。
大戦 たいせん 中 ちゅう に他国 たこく へ送 おく られた台数 だいすう は極 きわ めて少 すく ないが、戦後 せんご に余剰 よじょう となってからは大量 たいりょう に供与 きょうよ された。前面 ぜんめん 装甲 そうこう が一 いち 枚 まい 板 ばん で湿式 しっしき 弾薬 だんやく 庫 こ を持 も つ後期 こうき 型 がた 車体 しゃたい が初 はじ めて採用 さいよう され、デトロイト戦車 せんしゃ 工廠 こうしょう やグランド・ブランク戦車 せんしゃ 工廠 こうしょう で製造 せいぞう された。M4戦車 せんしゃ 系列 けいれつ としては後発 こうはつ であるためフォード社 しゃ 製造 せいぞう の前期 ぜんき 型 がた 車体 しゃたい (左右 さゆう スポンソンの前方 ぜんぽう 部 ぶ を除 のぞ く車体 しゃたい 前面 ぜんめん 装甲 そうこう は、板 いた 状 じょう の鋳造 ちゅうぞう 装甲 そうこう 三 さん 枚 まい の組 く み合 あ わせ)は比較的 ひかくてき 少 すく なく(1,690輌 りょう )、 主 おも に本土 ほんど での訓練 くんれん 用 よう に使 つか われた。
米 べい 軍 ぐん では本土 ほんど で訓練 くんれん を終 お えた部隊 ぶたい は新車 しんしゃ を与 あた えられ前線 ぜんせん に送 おく られるため、実戦 じっせん に参加 さんか したA3型 がた の殆 ほとん どは後期 こうき 型 がた 車体 しゃたい だった。ヨーロッパ戦線 せんせん では75mm、76mm砲 ほう 型 がた 共 とも に1944年 ねん 夏 なつ 以降 いこう に供給 きょうきゅう されたのは殆 ほとん どこのA3型 がた で、数 かず の上 うえ で主力 しゅりょく 化 か してからの本格 ほんかく 的 てき な実戦 じっせん はバルジの戦 たたか い 、太平洋 たいへいよう では硫黄 いおう 島 とう の戦 たたか い からであった。また後 のち に前期 ぜんき 型 がた 車体 しゃたい も681輌 りょう がオーバーホールされ、ダックビル追加 ついか などのE9型 がた 改修 かいしゅう を受 う けて一部 いちぶ が前線 ぜんせん に送 おく られている。
75mm砲 ほう 型 がた は1942年 ねん 6月 がつ -1945年 ねん 5月 がつ までに4,761輌 りょう 、76.2mm砲 ほう 型 がた は1944年 ねん 3月 がつ -翌 よく 4月 がつ までに4,542輌 りょう 、105mm砲 ほう 型 がた は1944年 ねん 3月 がつ -翌 よく 6月 がつ までに3,039輌 りょう が生産 せいさん 。当初 とうしょ 、75mm砲 ほう 型 がた が多 おお く部隊 ぶたい 配備 はいび されていたが、バルジの戦 たたか いでの苦戦 くせん の後 のち 、対戦 たいせん 車 しゃ 戦闘 せんとう 能力 のうりょく の高 たか い戦車 せんしゃ が求 もと められた結果 けっか 、引 ひ き渡 わた しが中止 ちゅうし された600輌 りょう もの余剰 よじょう 75mm砲 ほう 型 がた が兵器 へいき 集積 しゅうせき 所 しょ にあふれ、76mm砲 ほう 型 がた の配備 はいび 数 すう が急増 きゅうぞう した。一方 いっぽう 、太平洋 たいへいよう 戦域 せんいき の陸軍 りくぐん ・海兵 かいへい 隊 たい には75mm砲 ほう 型 がた のみが送 おく られている。
イギリス軍 ぐん 名称 めいしょう は「シャーマンIV」だが、サンプルとして送 おく られただけで、部隊 ぶたい 配備 はいび はされていない。
M4A3E2(ジャンボ)
M4A3E2。この展示 てんじ 車輌 しゃりょう ではダックビルが装着 そうちゃく されていない
M4A3の装甲 そうこう 強化 きょうか 型 がた 。「ジャンボ」という名称 めいしょう は、戦後 せんご に付 つ けられたニックネームである。グランド・ブランク戦車 せんしゃ 工廠 こうしょう による生産 せいさん 数 すう は254輌 りょう ほどと少 すく ないが、防 ぼう 盾 たて 177mm、砲塔 ほうとう 側面 そくめん 152mm、の重 じゅう 装甲 そうこう を生 い かして、ドイツの対戦 たいせん 車 しゃ 砲 ほう が待 ま ち受 う けていそうな場所 ばしょ を突破 とっぱ するために重宝 ちょうほう された。
100輌 りょう 以上 いじょう が現地 げんち で主砲 しゅほう を76.2mm砲 ほう に換 かわ 装 そう しているが、装甲 そうこう を強化 きょうか した76.2mm用 よう 砲塔 ほうとう に歩兵 ほへい 支援 しえん ・陣地 じんち 攻撃 こうげき に適 てき した75mm砲 ほう を装備 そうび していたので容易 ようい であった。重量 じゅうりょう 増加 ぞうか で上 あ がった接地 せっち 圧 あつ を下 さ げるために、履 くつ 帯 たい の脇 わき に「ダックビル」と呼 よ ばれるアタッチメントを装着 そうちゃく している。
M4A3E4
75mm砲 ほう を76mm砲 ほう に換 かわ 装 そう したM4A3E4
朝鮮 ちょうせん 戦争 せんそう 当時 とうじ 、北朝鮮 きたちょうせん のT-34-85に対抗 たいこう するため、東京 とうきょう 都 と の赤羽 あかはね デポで進駐軍 しんちゅうぐん の75mm砲 ほう 搭型を76.2mm砲 ほう に換 か えたもので「赤羽 あかはね スペシャル」と呼 よ ばれていたが、戦場 せんじょう に投入 とうにゅう される機会 きかい はなかったという[ 54] 。後 のち に同 おな じ改造 かいぞう を施 ほどこ されたものがユーゴスラビア に供与 きょうよ され、映画 えいが 『戦略 せんりゃく 大 だい 作戦 さくせん 』でその姿 すがた を見 み ることができる。
M4A3E8(イージーエイト)
M4A3E8
陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい のM4A3E8
E8とはHVSS装備 そうび 時 じ に付加 ふか される型式 けいしき 名 めい だが、大戦 たいせん 中 ちゅう の兵站 へいたん 品目 ひんもく 名 めい では「M4A3(76mm 24インチ幅 はば 履 くつ 帯 たい )」と呼 よ ばれており、「イージーエイト」の通称 つうしょう は戦後 せんご になってから広 ひろ まったものである。
デトロイト戦車 せんしゃ 工廠 こうしょう 製 せい 。M4系列 けいれつ のアメリカ軍 ぐん での最終 さいしゅう 型 がた で、バルジの戦 たたか いの後半 こうはん から登場 とうじょう した。1944年 ねん 8月 がつ -1945年 ねん 9月 がつ までに2,539輌 りょう が生産 せいさん された。元 もと になったM4A3(76)Wは、試作 しさく 戦車 せんしゃ T23から流用 りゅうよう された砲塔 ほうとう に52口径 こうけい 76.2mm戦車 せんしゃ 砲 ほう M1A2を搭載 とうさい している。車体 しゃたい も前面 ぜんめん 装甲 そうこう を一 いち 枚 まい 板 いた にして生産 せいさん 性 せい と対 たい 弾 だん 性能 せいのう を向上 こうじょう させ、湿式 しっしき 弾薬 だんやく 庫 こ を備 そな える後期 こうき 型 がた である。大戦 たいせん 末期 まっき 、ドイツ国内 こくない に侵攻 しんこう した第 だい 3軍 ぐん 所属 しょぞく 車輌 しゃりょう には、撃破 げきは されたシャーマンのスクラップから剥 は ぎ取 と った装甲 そうこう を溶接 ようせつ し車体 しゃたい 前面 ぜんめん の防御 ぼうぎょ 力 りょく を強化 きょうか した物 もの が多 おお く見 み られる。
懸架 けんか 装置 そうち はそれまでのVVSSからHVSSに変更 へんこう され履 くつ 帯 たい 幅 はば も広 ひろ くなり接地 せっち 圧 あつ が低下 ていか 、併 あわ せてフェンダーが増設 ぞうせつ されている。戦後 せんご になってから他国 たこく に供与 きょうよ されたA1-A4型 がた の多 おお くも同様 どうよう にHVSSのE8仕様 しよう に改修 かいしゅう されている。朝鮮 ちょうせん 戦争 せんそう ではT-34-85と交戦 こうせん 、同 おな じエンジンで重 おも いM26 より、山 やま がちな地形 ちけい の朝鮮 ちょうせん では機動 きどう 性 せい が高 たか いことから再 さい 評価 ひょうか された。1954年 ねん からは陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい に[ 53] 、また、他 た のNATO 諸国 しょこく など親米 しんべい 国家 こっか にも供与 きょうよ された。イスラエル でも少数 しょうすう が使 つか われているが、時期 じき 的 てき にアメリカ軍 ぐん からの供与 きょうよ ではなく、スクラップヤードや各国 かっこく の余剰 よじょう 品 ひん から寄 よ せ集 あつ めた中 なか のM4A3(76)WをE8化 か したものと思 おも われる。
なお、“イージーエイト”の呼称 こしょう について「操作 そうさ が簡単 かんたん (Easy)だから」とするのは誤 あやま り。NATOフォネティックコード を採用 さいよう する以前 いぜん のアメリカ軍 ぐん 式 しき フォネティックコードの“E”の読 よ みが“イージー”であり、それに基 もと づく読 よ みというのが正 ただ しい。
M4A4
ビルマ方面 ほうめん における、国民 こくみん 革命 かくめい 軍 ぐん に供与 きょうよ されたシャーマンV(M4A4)
デトロイト戦車 せんしゃ 工廠 こうしょう 製造 せいぞう 。クライスラー A-57「マルチバンクエンジン」を搭載 とうさい した型 かた 。これは従来 じゅうらい 搭載 とうさい されていたコンチネンタルR-975空冷 くうれい 星 ほし 形 がた エンジンが、練習 れんしゅう 機 き 向 む けを優先 ゆうせん するために供給 きょうきゅう 不足 ふそく となり、そのためM3A4 用 よう に設計 せっけい されたもので、バス用 よう に生産 せいさん されていた直列 ちょくれつ 6気筒 きとう ガソリンエンジン5基 き を扇形 せんけい に束 たば ねて連結 れんけつ した複 ふく 列 れつ 30気筒 きとう 液 えき 冷 ひや ガソリンエンジンである。30気筒 きとう という他 ほか に例 れい を見 み ない構成 こうせい のため整備 せいび 性 せい には問題 もんだい があり、点火 てんか 時期 じき やベルトの調整 ちょうせい 方法 ほうほう など高度 こうど に教本 きょうほん 化 か することで乗 の り切 き ろうとした。
多 おお くがイギリス軍 ぐん に供与 きょうよ され「シャーマンV」と呼称 こしょう されたが、同 どう 時代 じだい のイギリス製 せい 戦車 せんしゃ に比 くら べれば故障 こしょう は少 すく なく運用 うんよう 実績 じっせき は良 よ かったようである。イギリス軍 ぐん 以外 いがい にもカナダ軍 ぐん 、自由 じゆう ポーランド軍 ぐん 、自由 じゆう フランス軍 ぐん 、中国 ちゅうごく 国民党 こくみんとう 軍 ぐん にも供与 きょうよ され、アメリカ軍 ぐん では本国 ほんごく での訓練 くんれん 用 よう にのみ使 つか われた。エンジンルームの関係 かんけい でこの型 かた とA6型 がた のみ他 た の型 かた より全長 ぜんちょう がわずかに長 なが い。前期 ぜんき 型 がた 車体 しゃたい (左右 さゆう スポンソンの前方 ぜんぽう 部 ぶ を除 のぞ く車体 しゃたい 前面 ぜんめん 装甲 そうこう は、板 いた 状 じょう の鋳造 ちゅうぞう 装甲 そうこう 三 さん 枚 まい の組 く み合 あ わせ)のみで後期 こうき 型 がた 車体 しゃたい や76.2mm砲 ほう 搭型、湿式 しっしき 弾薬 だんやく 庫 こ は無 な く、デファレンシャルカバーは三 さん 分割 ぶんかつ タイプのみである。デトロイト戦車 せんしゃ 工廠 こうしょう で1942年 ねん 6月 がつ -翌 よく 8月 がつ までに7,499輌 りょう が生産 せいさん された。
なお戦後 せんご フランスではM4A4のエンジンをコンチネンタルR-975に換 かわ 装 そう し、同 おな じくフランス陸軍 りくぐん に配備 はいび されていたM4A1(76)Wと統一 とういつ 、M4A4Tと呼称 こしょう された。これはエンジングリルのハッチもM4/M4A1同様 どうよう になっており、外見 がいけん からも識別 しきべつ できる。
M4A5
カナダ が国産 こくさん 装甲 そうこう 戦闘 せんとう 車両 しゃりょう として独自 どくじ 生産 せいさん したラム巡航 じゅんこう 戦車 せんしゃ にアメリカ陸軍 りくぐん 軍需 ぐんじゅ 部 ぶ が与 あた えた形式 けいしき 番号 ばんごう 。M3 をベースに独自 どくじ 開発 かいはつ した物 もの だが、パーツの多 おお くをアメリカから供給 きょうきゅう を受 う けた事 こと もあり、M4に酷似 こくじ している。その後 ご 生産 せいさん はグリズリー巡航 じゅんこう 戦車 せんしゃ (M4A1のライセンス生産 せいさん )へと移行 いこう した。
M4A6
M4A6
試作 しさく 名称 めいしょう M4E1。生産 せいさん 終了 しゅうりょう するA4をコンポジット車体 しゃたい にして、キャタピラー社 しゃ 製 せい 空冷 くうれい 星 ほし 型 がた ディーゼルエンジンに換 かわ 装 そう したもの。1943年 ねん 8月 がつ から翌年 よくねん 2月 がつ まで、デトロイト戦車 せんしゃ 工廠 こうしょう で75輌 りょう のみ生産 せいさん され、全 すべ てアメリカ国内 こくない での訓練 くんれん 用 よう となった。
M4 105mm 突撃 とつげき 戦車 せんしゃ
M4A3E8(105)HVSS 突撃 とつげき 戦車 せんしゃ
105mm榴弾 りゅうだん 砲 ほう M4 を搭載 とうさい した車輌 しゃりょう 。
機甲 きこう 部隊 ぶたい の使用 しよう する、機甲 きこう 歩兵 ほへい を援護 えんご する支援 しえん 戦車 せんしゃ として開発 かいはつ された。歩兵 ほへい 支援 しえん だけでなく分厚 ぶあつ い防 ぼう 楯 だて と大 だい 口径 こうけい 砲 ほう を生 い かした敵陣 てきじん 突破 とっぱ や対戦 たいせん 車 しゃ 戦闘 せんとう の先鋒 せんぽう として活躍 かつやく した[ 55] 。当初 とうしょ は75mm砲 ほう 搭載 とうさい 型 がた と同時 どうじ に生産 せいさん が開始 かいし される予定 よてい だったが、先述 せんじゅつ の通 とお り、砲 ほう 架 か や駐 ちゅう 退 すさ 器 うつわ の不具合 ふぐあい によって開発 かいはつ が遅延 ちえん し、さらに砲 ほう 安定 あんてい 装置 そうち や砲塔 ほうとう 旋回 せんかい モーターの省略 しょうりゃく 化 か といった事情 じじょう から生産 せいさん 時期 じき が先 さき 延 の ばしにされている。
1942年 ねん に2両 りょう のM4A4を改修 かいしゅう し105mm榴弾 りゅうだん 砲 ほう を搭載 とうさい する改造 かいぞう が行 おこな われ、M4A4E1 の形式 けいしき 名 めい が付 つ けられアバディーン性能 せいのう 試験場 しけんじょう でテストが行 おこな われた。この試験 しけん で砲 ほう 架 か や駐 ちゅう 退 すさ 器 うつわ の不具合 ふぐあい が判明 はんめい し、改良 かいりょう した砲 ほう 本体 ほんたい ・砲 ほう 架 か ・防 ぼう 盾 たて をM4初期 しょき 型 がた に搭載 とうさい したものが1943年 ねん にM4E5 の形式 けいしき 名 めい でテストされ、制式 せいしき 化 か 承認 しょうにん され量産 りょうさん される事 こと になった。
量産 りょうさん 型 がた は空冷 くうれい 星 ほし 形 がた ガソリンエンジンで後期 こうき 仕様 しよう ラージハッチ車体 しゃたい のM4(105) 、これをHVSSサスペンションに改修 かいしゅう したM4(105)HVSS 、V型 がた 8気筒 きとう ガソリンエンジンのM4A3(105) 、これをHVSSサスペンションに改修 かいしゅう したM4A3(105)HVSS が存在 そんざい し、1944年 ねん 2月 がつ から生産 せいさん が開始 かいし し、1945年 ねん 3月 がつ までに計 けい 4,680両 りょう が完成 かんせい した。
各 かく 型式 けいしき の生産 せいさん 数 すう はM4(105)が800両 りょう 、M4(105)HVSSが841両 りょう 、M4A3(105)が500両 りょう 、M4A3(105)HVSSが2,539両 りょう である。
イギリス軍 ぐん 呼称 こしょう ではM4(105)がシャーマンIB、M4(105)HVSSがシャーマンIBY、M4A3(105)がシャーマンIVB、M4A3(105)HVSSがシャーマンIVBYとなる。
グリズリー巡航 じゅんこう 戦車 せんしゃ
グリズリー巡航 じゅんこう 戦車 せんしゃ 履 くつ 帯 たい はカナダ軍用 ぐんよう 独自 どくじ のシングルピン型 がた
Cruiser Tank Grizzly Mk.I
M4A1(シャーマンII)をカナダ のモントリオール・ロコモーティブ・ワークスでライセンス生産 せいさん するに当 あ たり、装備 そうび 品 ひん などの規格 きかく をイギリス ・カナダに合 あ わせるための改 あらため 設計 せっけい を行 おこな った車輌 しゃりょう 。砲塔 ほうとう 後部 こうぶ にNo.19型 がた 無線 むせん 機 き を格納 かくのう するための張 は り出 だ しを設 もう けたり、2インチ発煙 はつえん 弾 だん 発射 はっしゃ 機 き などが増設 ぞうせつ されている。
大量 たいりょう 生産 せいさん が予定 よてい されていたが、イギリス軍 ぐん 向 む けに特別 とくべつ なシャーマンを生産 せいさん することは非 ひ 効率 こうりつ だと判断 はんだん され、生産 せいさん は188輌 りょう に止 と まった。多 おお くはイギリス軍 ぐん で訓練 くんれん 用 よう の戦車 せんしゃ として用 もち いられた。
セクストンII自 じ 走 はし 砲 ほう
セクストン自 じ 走 はし 砲 ほう
ラム巡航 じゅんこう 戦車 せんしゃ の車台 しゃだい を流用 りゅうよう した25ポンド砲 ほう 搭載 とうさい のセクストンI自 じ 走 はし 砲 ほう に代 か わる、グリズリー巡航 じゅんこう 戦車 せんしゃ の車台 しゃだい を流用 りゅうよう した後期 こうき 生産 せいさん 型 がた 。カナダ軍 ぐん とイギリス軍 ぐん で運用 うんよう された。
スキンク対空 たいくう 戦車 せんしゃ
グリズリーIに20mm機関 きかん 砲 ほう 4門 もん を搭載 とうさい した対空 たいくう 戦車 せんしゃ 。3輌 りょう 製造 せいぞう された時点 じてん でキャンセルされた。
シャーマン ファイアフライ
シャーマン ファイアフライVC車体 しゃたい の機関 きかん 銃 じゅう が撤去 てっきょ され、乗員 じょういん がいなくなった場所 ばしょ は弾薬 だんやく 庫 こ になっている
Sherman Firefly
イギリス軍 ぐん がシャーマンを改造 かいぞう して17ポンド砲 ほう を搭載 とうさい したもの。
75mm砲 ほう の装甲 そうこう 貫通 かんつう 能力 のうりょく が低 ひく いため、重 じゅう 装甲 そうこう のドイツ軍 ぐん 戦車 せんしゃ に対抗 たいこう して75mm砲塔 ほうとう を改造 かいぞう して17ポンド(76.2mm)対戦 たいせん 車 しゃ 砲 ほう を搭載 とうさい した。前期 ぜんき にはM4A4(シャーマンV)、後期 こうき には前期 ぜんき 型 がた 車体 しゃたい またはハイブリッド車体 しゃたい のM4(シャーマンI)から改造 かいぞう された。少数 しょうすう ながらA2やA3からの改造 かいぞう 車両 しゃりょう もある。
重 じゅう 戦車 せんしゃ を仕留 しと めることが可能 かのう な火力 かりょく はドイツ軍 ぐん にとって脅威 きょうい であり優先 ゆうせん 撃破 げきは 目標 もくひょう に指定 してい されたため、通常 つうじょう の75mm砲 ほう 型 がた シャーマンの後 うし ろに付 つ いて駆逐 くちく 戦車 せんしゃ 的 てき に用 もち いられた。ミハエル・ヴィットマン のティーガーI を撃破 げきは したのもこのファイアフライである。
M10ウルヴァリン/M36ジャクソン
M36ジャクソン 駆逐 くちく 戦車 せんしゃ
M4車体 しゃたい をベースにした駆逐 くちく 戦車 せんしゃ 。
M35 装甲 そうこう 牽引 けんいん 車 しゃ
M10の砲塔 ほうとう を撤去 てっきょ した砲兵 ほうへい トラクター 。重砲 じゅうほう 牽引 けんいん 用 よう の高速 こうそく 牽引 けんいん 車 しゃ の不足 ふそく を補 おぎな うためにM10から改造 かいぞう されて製造 せいぞう された。
M7プリースト 105mm自 じ 走 はし 榴弾 りゅうだん 砲 ほう
M7B1プリースト
自 じ 走 はし 105mm榴弾 りゅうだん 砲 ほう 車 くるま 。初期 しょき 型 がた はM3ベースだが、改良 かいりょう 型 がた のB1/B2はM4ベースとなっている。
M7カンガルー 装甲 そうこう 兵員 へいいん 輸送 ゆそう 車 しゃ
主砲 しゅほう を撤去 てっきょ したM7プリーストを装甲 そうこう 兵員 へいいん 輸送 ゆそう 車 しゃ として使用 しよう したもの。カナダ軍 ぐん で使用 しよう された。"カンガルー"の名 な で呼 よ ばれるのはM7をベースとした車両 しゃりょう だけではなく、ラム巡航 じゅんこう 戦車 せんしゃ やチャーチル歩兵 ほへい 戦車 せんしゃ からも製造 せいぞう されている。
M32 戦車 せんしゃ 回収 かいしゅう 車 しゃ
M32B2 戦車 せんしゃ 回収 かいしゅう 車 しゃ
砲塔 ほうとう を撤去 てっきょ して砲塔 ほうとう 形 がた の戦闘 せんとう 室 しつ (旋回 せんかい はできない)を設置 せっち し、ウィンチと回収 かいしゅう 用 よう クレーンを装備 そうび した車輌 しゃりょう 。イスラエル も退役 たいえき したM1/M50 の一部 いちぶ に同様 どうよう の改造 かいぞう を施 ほどこ している。
M34 装甲 そうこう 牽引 けんいん 車 しゃ
M32のクレーンを撤去 てっきょ した砲兵 ほうへい トラクター 。重砲 じゅうほう 牽引 けんいん 用 よう の高速 こうそく 牽引 けんいん 車 しゃ の不足 ふそく を補 おぎな うためにM32から改造 かいぞう されて製造 せいぞう されたが、実戦 じっせん ではほとんど使 つか われなかった。
シャーマンDD
シャーマンDD (防水 ぼうすい スクリーンを下 さ げた状態 じょうたい )
ShermanDD(D uplex D rive)
イギリス軍 ぐん がノルマンディー上陸 じょうりく 作戦 さくせん のために開発 かいはつ した水陸 すいりく 両用 りょうよう 戦車 せんしゃ 。
車体 しゃたい 周囲 しゅうい に展開 てんかい する防水 ぼうすい スクリーンと、後部 こうぶ に誘導 ゆうどう 輪 わ で駆動 くどう する推進 すいしん 用 よう プロペラ2基 き を備 そな えていたが、沖合 おきあ いから発進 はっしん せざるを得 え なかったDDの大半 たいはん が波 なみ を被 こうむ って水没 すいぼつ した。
シャーマン・カリオペ
シャーマン・カリオペ (ロケットランチャー射撃 しゃげき 時 じ )
砲塔 ほうとう 上 じょう にT34多連装 たれんそう ロケット砲 ほう を搭載 とうさい した火力 かりょく 支援 しえん 車両 しゃりょう 。鉄 てつ パイプ製 せい のロケットランチャーは投棄 とうき 可能 かのう で、砲塔 ほうとう による旋回 せんかい および、砲身 ほうしん と連動 れんどう しての仰 おおせ 俯角 ふかく が可能 かのう だった。
シャーマン・チューリップ
砲塔 ほうとう 側面 そくめん に航空機 こうくうき 用 よう RP-3 ロケット弾 だん 発射 はっしゃ 機 き を装着 そうちゃく した火力 かりょく 支援 しえん 車両 しゃりょう で、イギリス軍 ぐん で使用 しよう された。
シャーマンフレイル
シャーマンフレイル
地雷 じらい 処理 しょり 用 よう のチェーンローラーを装備 そうび した車輌 しゃりょう 。シャーマン・クラブとも。
シャーマン・クロコダイル
火炎 かえん 放射 ほうしゃ 戦車 せんしゃ 。車体 しゃたい 前面 ぜんめん に火炎 かえん 放射 ほうしゃ 器 き を搭載 とうさい し、後 うし ろに火炎 かえん 放射 ほうしゃ 用 よう 燃料 ねんりょう を積 つ んだ2輪 りん トレーラーを引 ひ いている。主砲 しゅほう も装備 そうび されており、普通 ふつう の戦車 せんしゃ としても使 つか える。
シャーマンARV
イギリス軍 ぐん がシャーマン戦車 せんしゃ を改造 かいぞう して製作 せいさく した装甲 そうこう 回収 かいしゅう 車 しゃ 。砲塔 ほうとう を撤去 てっきょ して回収 かいしゅう 機材 きざい を搭載 とうさい したSherman ARV.I と砲塔 ほうとう を撤去 てっきょ して砲塔 ほうとう に似 に せた戦闘 せんとう 室 しつ を設置 せっち したSherman ARV.II がある。
なお、イギリス軍 ぐん に供与 きょうよ されたM32戦車 せんしゃ 回収 かいしゅう 車 しゃ はSherman ARV.III と呼 よ ばれた。
M1スーパーシャーマン
M1スーパーシャーマン
フランス軍 ぐん が使用 しよう していた中古 ちゅうこ のM4A1(76)WおよびM4A1E8を、イスラエル が60輌 りょう (250輌 りょう 程度 ていど とする資料 しりょう も有 あ る)買 か い取 と ったものが、それまで使用 しよう していた75mm砲 ほう 搭載 とうさい 型 がた との差別 さべつ 化 か のため、搭載 とうさい 砲 ほう が76mm戦車 せんしゃ 砲 ほう M1であることからこう呼 よ ばれた。
第 だい 二 に 次 じ 中東 ちゅうとう 戦争 せんそう に投入 とうにゅう された当時 とうじ は、足 あし 回 まわ りがVVSSのものとHVSSのものが混在 こんざい して使 つか われているのが確認 かくにん できる。これらは後 のち に全 すべ てHVSS化 か され、さらにM51に大 だい 改造 かいぞう された。M51に改造 かいぞう されずに残 のこ った一部 いちぶ の車両 しゃりょう は、第 だい 四 よん 次 じ 中東 ちゅうとう 戦争 せんそう 時 とき にドーザーブレードを装着 そうちゃく した支援 しえん 車両 しゃりょう として使用 しよう された。
M50スーパーシャーマン
M50スーパーシャーマン
イスラエル国防 こくぼう 軍 ぐん (IDF)が改修 かいしゅう したシャーマン。世界中 せかいじゅう から第 だい 一線 いっせん を退 しりぞ いた各種 かくしゅ シャーマン(M50に改造 かいぞう された物 もの はA4が最 もっと も多 おお い)を掻 か き集 あつ め、砲塔 ほうとう にフランス のAMX-13 と同 おな じ高 だか 初速 しょそく の75mm砲 ほう を搭載 とうさい 。砲身 ほうしん 長 ちょう に合 あ わせて砲塔 ほうとう 後部 こうぶ のカウンターウエイト も延長 えんちょう されている。また、後期 こうき には懸架 けんか 装置 そうち をHVSSに換 かわ 装 そう し、エンジン をカミンズ製 せい ディーゼルエンジン に換 かわ 装 そう している。
M51スーパーシャーマン
M51スーパーシャーマン
75mm砲塔 ほうとう 型 がた がベースのM50に対 たい し、76mm砲 ほう 搭型のM1シャーマンにフランスがAMX-30 用 よう に開発 かいはつ したCN105・F1型 がた 56口径 こうけい 105mm戦車 せんしゃ 砲 ほう の砲身 ほうしん 短縮 たんしゅく 型 がた (原型 げんけい の56口径 こうけい から44口径 こうけい に変更 へんこう )を搭載 とうさい し、エンジンもカミンズVT8-460ディーゼルエンジンに換 かわ 装 そう している。
重量 じゅうりょう バランスを取 と るため砲塔 ほうとう を後方 こうほう に延長 えんちょう し、また砲 ほう 口 こう には反動 はんどう を抑 おさ えるべく板金 ばんきん 溶接 ようせつ 製 せい の巨大 きょだい なマズルブレーキ を装着 そうちゃく したが、それでも105mm砲 ほう の反動 はんどう は強烈 きょうれつ であるため、停車 ていしゃ し、ギアをニュートラルに入 い れて車体 しゃたい 全体 ぜんたい で反動 はんどう を吸収 きゅうしゅう して射撃 しゃげき したという。また、少数 しょうすう ではあるが鋼板 こうはん 溶接 ようせつ 車体 しゃたい のM4A3E8をベースに改造 かいぞう したものもある。
第 だい 三 さん 次 じ -第 だい 四 よん 次 じ 中東 ちゅうとう 戦争 せんそう でT-34-85 、T-54 /55 、T-62 などを相手 あいて に奮戦 ふんせん した。なお一部 いちぶ 資料 しりょう やプラモデル 商品 しょうひん 名 めい などに見 み られる「アイシャーマン」という呼称 こしょう は、M50との区別 くべつ のために西側 にしがわ ジャーナリストが勝手 かって に命名 めいめい した物 もの で、実際 じっさい にはそう呼 よ ばれていない。
M60
M50/M51の主砲 しゅほう を新 しん 開発 かいはつ のイスラエル製 せい 60mm高速 こうそく 砲 ほう に換 かわ 装 そう した物 もの 。チリ陸軍 りくぐん に売却 ばいきゃく され、現在 げんざい も使用 しよう されている。
M50 155mm自 じ 走 はし 榴弾 りゅうだん 砲 ほう
M50 155mm自 じ 走 はし 榴弾 りゅうだん 砲 ほう
M4A4のエンジンを前部 ぜんぶ の補助 ほじょ 操縦 そうじゅう 席 せき 部分 ぶぶん に移 うつ して、オープントップの後部 こうぶ にフランス製 せい M50 155mm榴弾 りゅうだん 砲 ほう を搭載 とうさい した自 じ 走 はし 榴弾 りゅうだん 砲 ほう 。後 のち にHVSSとカミンズエンジンに換 かわ 装 そう されたがソルタムL33 155mm自 じ 走 はし 榴弾 りゅうだん 砲 ほう やM107 175mm自 じ 走 はし カノン砲 ほう に更新 こうしん され、一部 いちぶ の車体 しゃたい は装甲 そうこう 救急 きゅうきゅう 車 しゃ に改造 かいぞう された。
ソルタムL33 155mm自 じ 走 はし 榴弾 りゅうだん 砲 ほう
L33 155mm自 じ 走 はし 榴弾 りゅうだん 砲 ほう
イスラエルのソルタム社 しゃ が余剰 よじょう 化 か したM50/M51を改造 かいぞう した自 じ 走 はし 榴弾 りゅうだん 砲 ほう 。密閉 みっぺい 式 しき の戦闘 せんとう 室 しつ を設 もう け、ソルタム・システムズ 製 せい 33口径 こうけい M68 155mm榴弾 りゅうだん 砲 ほう (搭載 とうさい 弾 だん 数 すう 60発 はつ 。内 うち 16発 はつ を即 そく 用 よう 弾薬 だんやく 架 か に収容 しゅうよう )を搭載 とうさい 。200輛前後 ご が改造 かいぞう されて第 だい 四 よん 次 じ 中東 ちゅうとう 戦争 せんそう で使用 しよう された。
マクマト 160mm自 じ 走 はし 迫撃 はくげき 砲 ほう
マクマト 160mm自 じ 走 はし 迫撃 はくげき 砲 ほう
ソルタム社 しゃ がM50/M51を改造 かいぞう した自 じ 走 はし 迫撃 はくげき 砲 ほう 。車体 しゃたい を大型 おおがた の戦闘 せんとう 室 しつ に改装 かいそう 、ソルタム・システムズ 製 せい のM66 160mm迫撃 はくげき 砲 ほう (搭載 とうさい 弾 だん 数 すう 56発 はつ )を搭載 とうさい したものである。
シャーマンMRL
砲塔 ほうとう を外 はず して多連装 たれんそう ロケット砲 ほう を装備 そうび した車輌 しゃりょう 。
鹵獲 ろかく したソ連 それん 製 せい の多連装 たれんそう ロケット砲 ほう BM-24 (カチューシャ )のロケット弾 だん をコピーした240mmロケット弾 だん 36連装 れんそう ランチャーを搭載 とうさい したMAR-240 と、290mmロケット弾 だん 4連装 れんそう ランチャーを搭載 とうさい したMAR-290 とが存在 そんざい する。
MAR-290にはショット を基 もと にした車輌 しゃりょう も存在 そんざい するがMLRS に更新 こうしん されて現役 げんえき 装備 そうび から外 はず された。
キルション
キルション
砲塔 ほうとう を外 はず してAGM-45 シュライク 対 たい レーダーミサイル発射 はっしゃ 機 き を装備 そうび した車輌 しゃりょう 。
トレイルブレイザー
トレイルブレイザー
スーパーシャーマンの車体 しゃたい に大型 おおがた クレーンを搭載 とうさい した装甲 そうこう 回収 かいしゅう 車 しゃ 。
この他 ほか にも、フランスのBatignolle-Chatillon社 しゃ による改造 かいぞう で、シャーマンの車体 しゃたい にフランス 製 せい AMX-13 軽 けい 戦車 せんしゃ の砲塔 ほうとう を搭載 とうさい した「ニコイチ 」戦車 せんしゃ がエジプト 軍 ぐん に配備 はいび され、第 だい 二 に 次 じ 中東 ちゅうとう 戦争 せんそう でイスラエル国防 こくぼう 軍 ぐん がM4A1(76)の砲塔 ほうとう にAMX-13の主砲 しゅほう を搭載 とうさい したM50スーパーシャーマン と交戦 こうせん した。これはM4A1後期 こうき 型 がた 車体 しゃたい を使 つか った試作 しさく 型 がた 「M4A1 Revalorisé FL10」が最初 さいしょ に作 つく られ、後 のち にM4A4の車体 しゃたい にM4A2用 よう のディーゼルエンジン を載 の せて改修 かいしゅう したものが、1955年 ねん 頃 ごろ にエジプトに売却 ばいきゃく された。
^ 南北戦争 なんぼくせんそう 時 どき の将軍 しょうぐん であったウィリアム・シャーマン に由来 ゆらい する。この通称 つうしょう は、元 もと はイギリス軍 ぐん がつけたものでアメリカ軍 ぐん では非公式 ひこうしき の呼 よ び名 な であったが、兵士 へいし の間 あいだ では使 つか われることも多 おお かった。
^ 同 おな じエンジンを搭載 とうさい するM18ヘルキャット は、ユニバーサルジョイントを介 かい してシャフトが水平 すいへい であるため設置 せっち 場所 ばしょ が下 さ がり、車 くるま 高 だか も10cm程 ほど 低 ひく くなっている。
^ V ertical V olute S pring S uspension, 垂直 すいちょく 渦巻 うずま きスプリング式 しき サスペンション。左右 さゆう に伸 の びたアームの中心 ちゅうしん に渦巻 うずま き型 がた のスプリングを内蔵 ないぞう し、車体 しゃたい とサスペンションユニットが独立 どくりつ していることから破損 はそん 時 じ の整備 せいび と共 とも に改良 かいりょう 型 がた への交換 こうかん も比較的 ひかくてき 容易 ようい という利点 りてん を持 も つ、複数 ふくすう の転 てん 輪 わ を1つのユニットとしたボギー式 しき 。
^ H olizontal V olute S pring S uspension, 水平 すいへい 渦巻 うずま きスプリングサスペンション。履 くつ 帯 たい の幅 はば を2倍 ばい 弱 じゃく と大幅 おおはば に拡大 かくだい 、転 うたて 輪 わ を左右 さゆう に二 に 重 じゅう に配置 はいち することで接地 せっち 圧 あつ を低 ひく く抑 おさ えることに成功 せいこう した。
^ 100両 りょう 程 ほど の76 mm
^ 1発 はつ のパンツァーファウストで40個 こ の土嚢 どのう が破 やぶ れた反面 はんめん 、側面 そくめん 装甲 そうこう にひびが入 はい った程度 ていど に止 と まった。
^ それどころか新型 しんがた 戦車 せんしゃ の90mm砲 ほう 搭載 とうさい を止 と めさせ、75/76mm砲 ほう に換 か えるように指示 しじ さえしていた。
^ イスラエルからの鹵獲 ろかく
^ 以前 いぜん は75mm砲塔 ほうとう のA1に後期 こうき 型 がた 車体 しゃたい は無 な いと思 おも われていたが、実際 じっさい はプレスド・スティールカー社 しゃ 製 せい M4A1(75)・シリアルナンバー37800-37899の間 あいだ の100輌 りょう ほどが後期 こうき 型 がた 車体 しゃたい で作 つく られていた。これらが実戦 じっせん 部隊 ぶたい で運用 うんよう されている写真 しゃしん もあり、また一部 いちぶ がシャーマンDDに改造 かいぞう され、訓練 くんれん 中 ちゅう に水没 すいぼつ し戦後 せんご 引 ひ きあげられた1輌 りょう が現存 げんそん している。
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^ 世界 せかい の戦車 せんしゃ イラストレイテッド 29 『M4(76mm)シャーマン中 ちゅう 戦車 せんしゃ 1943-1965』16頁 ぺーじ 、19頁 ぺーじ 。
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