愛宕山は自然形成によって成立したものであると地質学的に立証されているが、周辺の低地との兼ね合いから、形成のメカニズムははっきりしていない。
江戸時代から愛宕山は信仰と、山頂からの江戸市街の景観の素晴らしさで有名な場所であった。『鉄道唱歌』の第1番にも「愛宕の山」と歌われている。
山上にある愛宕神社は、もとは1603年にこれから建設される江戸の防火のために徳川家康の命で祀られた神社であったが、「天下取りの神」、「勝利の神」としても知られ、各藩の者たちは地元へ祭神の分霊を持ち帰り各地で愛宕神社を祀った。桜田門外の変で井伊直弼を襲った水戸藩の浪士達も、ここで成功を祈願してから江戸城へ向かったとされる。
また、NHKの前身の一つである社団法人東京放送局(JOAK)は、この愛宕山に放送局を置き、1925年(大正14年)7月の本放送から1938年(昭和13年)のNHK東京放送会館への移行まで、ここから発信された。
太平洋戦争敗戦直後の1945年8月17日、降伏に反対する「尊攘同志会」の会員らが山に篭城、全国に決起を呼びかけたが失敗に終わった(愛宕山事件)。
同年8月22日、尊攘同志会員ら12人は集団自殺した[3]。うち10人が死亡。
1950年(昭和25年)2月1日からVHF3chでNHKテレビの試験放送電波を送信開始。1952年12月5日にサービス放送を開始。1953年2月1日に本放送が開始され、1958年12月23日までNHK東京テレビの送信所として使われた。
現在は周囲に高層ビルが林立したため、かつてのような見晴らしはなくなったが、大木などによる緑の豊かさは変わらない。歴史ある曹洞宗青松寺・愛宕神社・NHK放送博物館と、それらを取り囲む超高層ビル群(例えば青松寺を挟んで建つ愛宕グリーンヒルズツインタワーや、虎ノ門・神谷町・霞が関や汐留などのビル群)が同時に存在する、現在の東京を象徴する風景を見せている。
トンネル東側の伝叟院付近に愛宕山エレベーターがあり、山頂(NHK放送博物館付近)まで楽に行くことができる。
「
愛宕山の愛宕塔」
愛宕山は
標高26メートル。
武蔵野台地末端の
小丘。
山上に
愛宕神社があり、
正面の
男坂は
講談、
浪曲の「
寛永三馬術」の
舞台で
知られる。
明治5
年(1872)、
山下の
海岸に
鉄道が
通り、「
鉄道唱歌」の
第一番で「
愛宕の
山」と
歌われた。22
年(1889)、
旅館と
西洋料理屋を
兼ねた
愛宕館が
完成し、その
隣に
煉瓦造り、
八角形、
五階建ての
愛宕塔が
建てられた。
塔には
望遠鏡が
設置され、
東京の
街中のながめを
堪能できた。「
東京愛宕塔登覽券金四錢」と
書かれた
登覧券(
切符)が
書き
写されている。
— 清水晴風著『東京名物百人一首』明治40年8月「愛宕山の愛宕塔」より抜粋[4]
現在でも「男坂」の急な石段は「出世の石段」と呼ばれている。これは、江戸時代の1634年2月25日(寛永11年1月28日)、徳川秀忠の三回忌として増上寺参拝の帰り、徳川家光が山上にある梅が咲いているのを見て、「梅の枝を馬で取ってくる者はいないか」と言ったところ、讃岐丸亀藩の家臣(曲垣平九郎)が見事馬で石段を駆け上がって枝を取ってくることに成功し、その者は馬術の名人として全国にその名を轟かせた、という逸話から来ている(講談や浪曲の定番、「寛永三馬術」で今も伝わる)。
以降、出世の石段を馬で登った成功例は今までに3例存在する。1例目は仙台藩で馬術指南役を務め、廃藩後曲馬師をしていた石川清馬で、師の四戸三平が挑み、果たせなかった出世の石段登頂を1882年に自らが成功させ、これにより石川家は徳川慶喜より葵の紋の使用を許された。
2例目は参謀本部馬丁の岩木利夫で、1925年11月8日、愛馬平形の引退記念として挑戦し、観衆が見守る中成功させた。上りは1分ほどで駆け上がったが、下りは45分を要した。この模様は山頂の東京放送局によって中継され(日本初の生中継とされる)、昭和天皇の耳にも入り、結局平形は陸軍騎兵学校の将校用乗馬として使われ続けることとなった。
3例目は馬術のスタントマン、渡辺隆馬である。1982年、日本テレビの特別番組『史実に挑戦』において、安全網や命綱、保護帽などの安全策を施した上で32秒で登頂した。
- ^ 第21景 「芝愛宕山」広重-「名所江戸百景」めぐり
- ^ 「23区内の最高地点」とされることがあるがこれは誤りで、あくまでも「自然地形でなおかつ山と呼ばれるものの中では最高」ということである。23区西半部の大半は標高30mを超える台地(武蔵野台地)であり、最高地点は練馬区南西端の約58m。また人造の“山”の最高峰は新宿区の箱根山(45m)である
- ^ 世相風俗観察会『増補新版 現代世相風俗史年表 昭和20年(1945)-平成20年(2008)』河出書房新社、2003年11月7日、6頁。ISBN 9784309225043。
- ^ 清水晴風著『東京名物百人一首』明治40年8月「愛宕山の愛宕塔」国立国会図書館蔵書、2018年2月19日閲覧