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新選組! - Wikipedia

新選しんせんぐみ!

2004ねんのNHK大河たいがドラマだい43さく
大河たいがドラマ > 新選しんせんぐみ!

新選しんせんぐみ』(しんせんぐみ)は、2004ねん1がつ11にちから12月12にちまで放送ほうそうされたNHK大河たいがドラマだい43さく主演しゅえん香取かとり慎吾しんご

新選しんせんぐみ!
ジャンル ドラマ
脚本きゃくほん 三谷幸喜みたにこうき
演出えんしゅつ 清水しみず一彦かずひこ ほか
出演しゅつえんしゃ 香取かとり慎吾しんご
以下いか五十音ごじゅうおんじゅん

相島あいじま一之かずゆき
浅田あさだ美代子みよこ
浅利あさり陽介ようすけ
麻生あそう久美子くみこ
阿南あなみ健治けんじ
池内いけうち博之ひろゆき
石黒いしぐろけん
石坂いしざか浩二こうじ
伊東いとう四朗しろう
今井いまい朋彦ともひこ
伊原いはら剛志たけし
伊吹いぶき吾郎ごろう
宇梶剛士たけし
江口えぐち洋介ようすけ
大倉おおくら孝二こうじ
オダギリジョー
小野おの武彦たけひこ
川平かびら慈英
菊川きくかわれい
木村きむらこう
くさ彅剛
ぐりづかあさひ
きのえもと雅裕まさひろ
小林こばやしたかし
小日向おびなたぶん
さかい雅人まさと
笹野ささの高史たかし
佐藤さとう浩市こういち
佐藤さとうBさく
沢口さわぐち靖子やすこ
あきらえい
鈴木すずき京香きょうか
鈴木すずき砂羽さわ
田中たなか邦衛くにえ
田中たなか哲司てつし
谷原たにはら章介しょうすけ
田畑たばた智子さとこ
筒井つつい道隆みちたか
戸田とだ恵子けいこ
中村なかむら勘太郎かんたろう
中村なかむら獅童しどう
生瀬なませ勝久かつひさ
野際のぎわ陽子ようこ
野田のだ秀樹ひでき
羽場はば裕一ひろいち
吹石ふきいし一恵かずえ
藤原ふじわら竜也たつや
古田ふるた新太あらた
三宅みやけひろしじょう
八嶋やしまさとしじん
山口やまぐちさとしたかし
山本やまもと耕史こうじ
山本やまもと太郎たろう
優香ゆか
ナレーター 小寺こでら康雄やすお
オープニング新選しんせんぐみ!メイン・テーマ」
作曲さっきょく服部はっとり隆之たかゆき
うたジョン・けん・ヌッツォ
製作せいさく
製作せいさくそう指揮しき 吉川よしかわ幸司こうじ
制作せいさく 日本にっぽん放送ほうそう協会きょうかい
放送ほうそう
放送ほうそうこく地域ちいき日本の旗 日本にっぽん
放送ほうそう期間きかん2004ねん1がつ11にち - 12月12にち
放送ほうそう時間じかん日曜日にちようび 20:00 - 20:45
放送ほうそうわく大河たいがドラマ
放送ほうそうぶん45ふん
回数かいすうぜん49
番組ばんぐみ年表ねんぴょう
前作ぜんさく武蔵むさし MUSASHI
つぎさく義経よしつね
テンプレートを表示ひょうじ

作品さくひん内容ないよう反響はんきょう

編集へんしゅう

近藤こんどういさむ主人公しゅじんこうに、京都きょうと守護しゅごしょくした警備けいび組織そしきとしてられる新選しんせんぐみ題材だいざい既存きそん歴史れきし小説しょうせつ原作げんさくとしないオリジナル作品さくひんでもあった。原作げんさく脚本きゃくほんは、舞台ぶたい民放みんぽうドラマがける三谷幸喜みたにこうきで、三谷みたにはこれが大河おおかわはつ脚本きゃくほんとなった。近藤こんどう坂本さかもと龍馬りょうまかつら小五郎こごろう江戸えどっている、野口のぐち健司けんじ浅野あさのかおるなど史実しじつでは粛清しゅくせいされたたい生存せいぞんさせたまま退場たいじょうさせるとう史実しじつことなる大胆だいたん創作そうさくみながら、おなさんたに脚本きゃくほんの『竜馬りょうまにおまかせ!』(日本にほんテレビ系列けいれつ)でもかかげた「幕末ばくまつ青春せいしゅんグラフティ」(尊皇そんのう攘夷じょういもと若者わかものたちひろげる青春せいしゅんぐんぞうげき)をテーマに、「近藤こんどういさむ人生じんせいにおける重要じゅうような49にち」をげ、基本きほんてきにその1にちを1構成こうせいするスタンスをとった。一方いっぽうで、明保野あけぼのてい事件じけんなど史実しじつ新選しんせんぐみ出動しゅつどうしたエピソードの一部いちぶにはえがかれなかった出来事できごともあった。

大河たいがドラマはつ出演しゅつえん主演しゅえんつとめた香取かとり当時とうじSMAP)をはじめ[1]、これまで年配ねんぱい役者やくしゃえんじることがおおかったたい志士ししやく実際じっさい年齢ねんれいちか様々さまざま業界ぎょうかいのタレントが起用きようされた。とく土方ひじかた歳三としぞうえんじた山本やまもと耕史こうじも、容姿ようし風貌ふうぼう現存げんそんする土方どかた写真しゃしんとよくていたことや、三谷みたにが「こいつ(山本やまもと)は"わるやつ"だ、その部分ぶぶんしたい」と4ねんまえからをつけており、2004ねんのスケジュールをけるようにあらかじめたのんでいたという。その演技えんぎ長年ながねんにわたり映画えいが・ドラマ『えよけん』などで土方どかたふんし、代表だいひょうてき"土方どかた役者やくしゃ"とばれたぐりづかあさひほんドラマではとしさんあに為次郎ためじろうやく)が対談たいだんで「やっとつぎにバトンをわたせる(まかせられる)」とい、山本やまもとにとってあたやくとなった。『新選しんせんぐみ!』の放送ほうそうまえから土方どかた出身しゅっしんである日野ひのでは商工会しょうこうかい青年せいねん中心ちゅうしんとなり「函館はこだて戦争せんそうまでえがいてほしい」と署名しょめい運動うんどうおこなったものの[2]近藤こんどう主人公しゅじんこうにしたので最終さいしゅうかい近藤こんどうによってめくくられ、その死後しご土方どかた新選しんせんぐみひきいて転戦てんせんした会津あいづはこかん登場とうじょうしなかったために、同地どうち関係かんけいしゃからは不満ふまんこえせられたという。こうした事情じじょう続編ぞくへんのぞ視聴しちょうしゃこえ背景はいけい2006ねん1がつ3にちには正月しょうがつ時代じだいげきとして、続編ぞくへんにあたる『新選しんせんぐみ!! 土方ひじかた歳三としぞう 最期さいごいちにち』を放送ほうそう大河たいがドラマでは異例いれい続編ぞくへん放送ほうそうとなった。

たいをはじめ、一人ひとりいちにんのキャラクターとかれらの人間にんげん関係かんけい丁寧ていねいえがかれている(出演しゅつえんしゃすう大河たいがドラマ最多さいた。)。脚本きゃくほんかんしても、幕末ばくまつきである三谷みたに知識ちしき演劇えんげきじんとしての構成こうせいりょくもとづいたあたらしい物語ものがたり展開てんかい提示ていじされている。いちれいとして、坂本さかもと龍馬りょうま暗殺あんさつかんしては、歴史れきし学者がくしゃからはほぼ否定ひていされている薩摩さつまはん黒幕くろまくせつはしらに、学説がくせつとして有力ゆうりょくされている見廻組みまわりぐみ実行じっこうはんせつ折込おりこみ、暗殺あんさつ現場げんばかれた「こなくそ!」という原田はらだひだりじょひいては旧来きゅうらい新選しんせんぐみ実行じっこうはんせつ証拠しょうことされていた言葉ことばを、「新選しんせんぐみ坂本さかもと龍馬りょうま救出きゅうしゅつしようとしたがたせず、そのさいひだりすけくちにした言葉ことば」としてむすびつけ、これまで登場とうじょうしたおおくの人物じんぶつ登場とうじょうさせ、それぞれの心理しんり表現ひょうげんしている。物語ものがたり中盤ちゅうばん山場やまばとなる池田いけだ事件じけん舞台ぶたいとなった池田いけだのセットは、実際じっさい建物たてもの設計せっけいもとまれた。そのため映画えいがなどでよくられるだい階段かいだん存在そんざいせず(もともとだい階段かいだん創作そうさく実際じっさいの「うなぎ寝床ねどこ」とばれる当時とうじ京町きょうまちおおきな階段かいだんが、しかも玄関げんかんにあるのは不自然ふしぜんである)、史実しじつちかくらくてせま池田いけだとなった。これに代表だいひょうされるように、これまでえがかれてきた新選しんせんぐみ固定こていされたイメージの刷新さっしんんでおり、タイトルの「!」マークには、これぞ新選しんせんぐみだというおもいがめられている(三谷みたに自身じしんは、画数かくすうけんかつぎをしたともべている。)。

大河たいがドラマとしては『琉球りゅうきゅうふう以来いらい、11ねんぶりにテーマきょく歌詞かしがつけられた(歌詞かし三谷みたにによるもので、だい26かいからは歌詞かし字幕じまく表示ひょうじされるようになった。なお、そのとしの『だい55かいNHK紅白こうはく歌合戦うたがっせん』でもうたわれた。)。それとともに、「かたりが一切いっさい大河たいがドラマ」(ただし、アバンタイトルにおける史実しじつ説明せつめいのぞく。)としても異例いれいである。また、本編ほんぺん後日ごじつだんかたちつくられた総集編そうしゅうへんでは、みつやく沢口さわぐち靖子やすこかたり、というかたちになっている。

初回しょかい視聴しちょうりつは26.3%と好調こうちょうだったが、それが最高さいこう視聴しちょうりつ以後いご視聴しちょうりつがり、平均へいきん視聴しちょうりつは17.4%とるわなかった(視聴しちょうりつ関東かんとう地区ちくビデオリサーチしゃ調しらべ。)[3]。その一方いっぽうで、絶賛ぜっさん擁護ようご意見いけんすくなくなく、賛否さんぴ両論りょうろんはげしい作品さくひんえた。前述ぜんじゅつとおり、近藤こんどう龍馬りょうまかつら江戸えどっているなど史実しじつことなる脚色きゃくしょくおおさが批判ひはんされ、TV評論ひょうろん麻生あそう千晶ちあきも「コメディ大河たいが」などと酷評こくひょうした。

その一方いっぽうで、麻生あそう審査しんさいんつとめる『ザテレビジョンザテレビジョンドラマアカデミーしょうでは最優秀さいゆうしゅう作品さくひんしょう選出せんしゅつされた[4]。また、山南さんなん敬助けいすけ切腹せっぷくしたかいでは、放送ほうそう当日とうじつ反響はんきょう電話でんわまず、その年末ねんまつのアンコールでも1えらばれた。この影響えいきょうけて、2007ねんには山南さんなん敬助けいすけとむらう「山南さんなん」が京都きょうときゅう前川まえかわてい界隈かいわいおこなわれた。このとし日本にっぽんPTA全国ぜんこく協議きょうぎかい調査ちょうさした「おや子供こどもせたい番組ばんぐみ」アンケートでは(番組ばんぐみべつで)だい10はいり、2005ねんにインターネットでおこなわれた「きな大河たいがドラマは?」というアンケートでは2はいった(1は『独眼竜どくがんりゅうせいむね』)。熱烈ねつれつ大河たいがドラマファンである松村まつむら邦洋くにひろも2007ねん未来みらい創造そうぞうどう[注釈ちゅうしゃく 1]出演しゅつえんしたさい大河たいがドラマベスト3をえら企画きかくだい2げ、「三谷みたにさんはあたらしい大河たいがドラマをつくろうとした」と好意こういてき発言はつげんせた。また2011ねんおこなわれた「あなたのきな大河たいがドラマ」アンケートではだい2はいっている(1翌年よくねん放送ほうそうの『義経よしつね』)。三谷みたにによると、「時代じだい考証こうしょうがめちゃくちゃだとさんざんたたかれた。コメディー大河たいがともわれた。でも実際じっさいいち年間ねんかんひとだれもそんなことはおもっていないはず。わらうシーンはあっても新撰しんせんぐみ喜劇きげきではない。喜劇きげきだとしたらギャグがすくなすぎる。わらいはあくまでもおまけ。ぼくいちねんとおして人間にんげんドラマをえがいたつもりだ」とべている[5]。これまでにDVDされた大河たいがドラマのなかでは最高さいこうの3まん2せんボックス、8おくえんのヒットとなるなどわか世代せだいにファンそうひろげたとわれている。放送ほうそうは、大河たいがとしては異例いれいのデフォルメされたキャラクターによるコンビニエンスストアけのマーチャンダイジング商品しょうひん発売はつばいされた。

なお、ほんさく放送ほうそうねんである2004ねん最初さいしょ日曜日にちようび正月しょうがつ3が該当がいとうしない1がつ4にちだったが、ほんさくは1がつ4にちけてその1週間しゅうかんたる1がつ11にち放送ほうそう開始かいしした。ちなみに、1がつ11にち放送ほうそう開始かいしした大河たいがドラマの作品さくひんほんさくのほかに、そのほんさくの23ねんまえ放送ほうそうされた1981ねんの『おんな太閤たいこう』の2作品さくひんのみである。

香取かとり出演しゅつえんするテレビ朝日てれびあさひけい番組ばんぐみSmaSTATION-4』では、香取かとり所属しょぞくするSMAPのメンバーが出演しゅつえんしたドラマ・映画えいがのプロモーションをねて共演きょうえんしゃがスタジオに登場とうじょうすることがあり、『新選しんせんぐみ!』の主要しゅようキャストもれいれず最終さいしゅうかい放映ほうえい前日ぜんじつ番組ばんぐみ出演しゅつえんしたが、NHKの作品さくひんきょく番組ばんぐみ本編ほんぺん映像えいぞうりまぜながらプロモーションするというのは異例いれいであった。また、フジテレビけい番組ばんぐみわらっていいとも!』では香取かとりがドラマの衣装いしょう登場とうじょうしたこともある。最終さいしゅうかい翌日よくじつ関西かんさいテレビ・フジテレビけいSMAP×SMAP』では脚本きゃくほん三谷みたに主演しゅえん香取かとりのパロディコント「局長きょくちょう!」がつくられた[注釈ちゅうしゃく 2]2007ねん7がつ29にちには、フジテレビけいFNS27あいだテレビ みんな なまか だっ!ウッキー!ハッピー!西遊せいゆうない放送ほうそうされた『クイズ!ヘキサゴンII 今夜こんやはクイズパレード』において、新選しんせんぐみ代表だいひょうとして香取かとり山本やまもと耕史こうじ山本やまもと太郎たろう山口やまぐちさとしたかし小林こばやしたかし矢部やべ太郎たろうがドラマの衣装いしょう出演しゅつえんしている[注釈ちゅうしゃく 3]2015ねん放送ほうそうされたあさ連続れんぞくテレビ小説しょうせつあさが』では、山本やまもとほんさくおな衣装いしょう着用ちゃくよう土方どかたえんじた。 2022ねん10がつ29にち放送ほうそうされた『ワルイコあつまれ あきだい感謝かんしゃさいSP』では、どう番組ばんぐみないコーナーである『慎吾しんごママの部屋へや』にて、山本やまもと土方ひじかた歳三としぞうとして出演しゅつえんどうコーナーにおいて香取かとり慎吾しんごママにふんしているものの、山本やまもと香取かとりが『かっちゃん』『トシ』とう、香取かとり近藤こんどういさむとして山本やまもとふんする土方ひじかた歳三としぞうかたりかけるひとし当時とうじ視聴しちょうしゃそうかせる演出えんしゅつまれた。

元治もとはる元年がんねん京都きょうと近藤こんどういさむ土方ひじかた歳三としぞうひきいる新選しんせんぐみ不逞ふてい浪士ろうし取締とりしまり出動しゅつどう長州ちょうしゅうはんかつら小五郎こごろうがしてしまったものの沖田おきた総司そうしなどの活躍かつやくによりおおきな成果せいかげる。

この事件じけんいた坂本さかもと龍馬りょうまは10ねんまえ江戸えどでの出来事できごとおもす。

登場とうじょう人物じんぶつ

編集へんしゅう

以下いか人物じんぶつ紹介しょうかいはドラマじょうのものであり、実際じっさい歴史れきしじょう人物じんぶつやその履歴りれきとはちが場合ばあいがある。

新選しんせんぐみ

編集へんしゅう

清河きよかわ八郎はちろう浪士ろうしぐみから分派ぶんぱして、組織そしきされ当初とうしょは「壬生みぶ浪士ろうしぐみ」、だい25かいから「新選しんせんぐみ」にあらためられる。基本きほんてきに、主人公しゅじんこう近藤こんどう中心ちゅうしんとしたためしまもるかん芹沢せりざわ水戸みと)、伊東いとうの3つの派閥はばつ存在そんざいしており、それぞれが結託けったくすることもあれば、思想しそうじょう軋轢あつれき路線ろせん対立たいりつ主導しゅどうけんあらそいをおこなうこともある。また、派閥はばつない内輪揉うちわもめが発生はっせいしたこともあるほか沖田おきた一時期いちじき水戸みとぞくしたり、藤堂とうどう伊東いとう一派いっぱ入隊にゅうたいかれらと行動こうどうともにするなど位置いち変動へんどうすることもある。

ためしまもるかん仲間なかまたち主要しゅよう人物じんぶつの9にん

編集へんしゅう
近藤こんどういさむ(こんどう いさみ)
島崎しまざき勝太かつた近藤こんどういさむ
えんじ香取かとり慎吾しんご
局長きょくちょう多摩たま農家のうか宮川みやがわ出身しゅっしん幼名ようみょう宮川みやがわ勝五郎かつごろう当初とうしょ島崎しまざき勝太かつた(しまざき かつた)の名前なまえ登場とうじょうした。誠意せいいかたまりのような人物じんぶつで、農家のうか出身しゅっしんゆえに、人一倍ひといちばい武士ぶしらしくありたいとおもい、卑怯ひきょうなことや道理どうりわないことをこのまない。そのまれがゆえに、養母ようぼからはいやがらせをけていたが、上洛じょうらく前日ぜんじつ和解わかいする。養父やぶ周助しゅうすけとは比較的ひかくてき良好りょうこう関係かんけいきずいていた。げんこつをまるごとくちくわえこむという珍妙ちんみょう特技とくぎつ。新選しんせんぐみあらためてからは、総髪そうはつになる。
天然てんねんしんりゅう宗家そうけ近藤こんどう周助しゅうすけ門下もんかはいり、のち養子ようしとなり宗家そうけ4代目だいめ襲名しゅうめいしながらも、時代じだいうごしていることをかん自分じぶんかたなやつづけていた。浪士ろうしぐみ募集ぼしゅうされると、門弟もんていである土方ひじかた沖田おきた山南さんなん井上いのうえ永倉ながくら藤堂とうどう原田はらだらととも上洛じょうらくする。そこで芹沢せりざわなど様々さまざま武人ぶじんたちとの交流こうりゅうへだてながら、とき苦渋くじゅうんだり、苦悩くのうしたりしながらもしん武士ぶしになるためあゆつづける。清河きよかわとの決別けつべつ壬生みぶ浪士ろうしぐみ結成けっせいし、芹沢せりざわ新見にいみとも局長きょくちょう就任しゅうにんたいまとめていくことになるも、芹沢せりざわいたる乱暴らんぼう狼藉ろうぜきく。土方どかたたち粛清しゅくせい決断けつだんしたのち芹沢せりざわ暗殺あんさつれなかったが、やがて覚悟かくごめた芹沢せりざわ本人ほんにんからの「おにになっておれ(芹沢せりざわ)をっちまえよ!」との言葉ことば暗殺あんさつ同意どういする。その京都きょうと守護しゅごしょく松平まつだいら容保かたもりのもと、新選しんせんぐみ局長きょくちょうとして、内山うちやま彦次郎ひこじろうらを排斥はいせきしつつきょう治安ちあん維持いじ長州ちょうしゅうによる政変せいへんなどで活躍かつやくし、れて幕臣ばくしんとなる。局長きょくちょうになり非情ひじょうてっするようになったが道理どうりそむくことをきら性分しょうぶんわらなかったため、自分じぶんのためとはいえ辣腕らつわんをふるう土方どかた激怒げきどし、鉄拳てっけんるう一幕ひとまくもあった。
次第しだい政治せいじ状況じょうきょう激変げきへんし、幕府ばくふそして新選しんせんぐみ衰退すいたいみち辿たどることになる。たいでは山南さんなん脱走だっそうやその切腹せっぷく、そして伊東いとう藤堂とうどう御陵ごりょう衛士えじ分裂ぶんれつなど様々さまざまかなしい別離べつり苦難くなんたる。それでもそのぐなこころざしでぶつかり苦難くなんめ、いちたもとかった伊東いとうとも和解わかいするも、その矢先やさき先走さきばしぎた若手わかてたいたち独断どくだんによって伊東いとう暗殺あんさつされ、それをきっかけに御陵ごりょう衛士えじとの全面ぜんめん闘争とうそうへと発展はってんしたすえ藤堂とうどう戦死せんしするというかなしい結果けっかとなった。後日ごじつ御陵ごりょう衛士えじのこりによって近藤こんどう銃撃じゅうげきされ、治療ちりょうのためにだい坂城さかきくが、そのあいだきた鳥羽とば伏見ふしみたたかでは近藤こんどういたるあにてき存在そんざいであった井上いのうえ戦死せんし次第しだい劣勢れっせいとなるなか幕府ばくふ軍艦ぐんかん江戸えどげたのち徳川とくがわのために官軍かんぐんたたかおうと画策かくさくしたが、時勢じせいはそれをゆるさなかった。勝海かつみふね要請ようせいによってきのえよう鎮撫ちんぶたいひきいて甲府こうふじょう目指めざすも、東山ひがしやまみちってきたしん政府せいふぐんやぶれ、それが原因げんいんとなり永倉ながくら原田はらだはなれたい。その大久保おおくぼ大和やまと変名へんめいもちい、たけしゅう兵衛ひょうえ新田しんでんにて再起さいきはかる。あらたにたいあつめ、会津あいづはん合流ごうりゅうするべく下総しもうさ流山ながれやまたい調練ちょうれんおこなっていた最中さいちゅうしん政府せいふぐん包囲ほういされ、周平しゅうへいはなれたいさせ、さらに新選しんせんぐみ土方どかたたくすと、単身たんしんしん政府せいふぐん陣地じんち連行れんこうされる。土方どかた最後さいご「トシ、もうつかれたよ」といった。養母ようぼふでや実兄じっけいおと五郎ごろうはげましを皮切かわきりに「おまえ多摩たまほこりぞ!」と周囲しゅういからのねぎらいの声援せいえんけ、「トシ」とつぶやいた直後ちょくご斬首ざんしゅろされたところ物語ものがたりわる。
土方ひじかた歳三としぞう(ひじかた としぞう)
えんじ山本やまもと耕史こうじ
副長ふくちょう多摩たま出身しゅっしん近藤こんどうとはおさななじみで「かっちゃん」「トシ」と無二むに親友しんゆう極度きょくど女好おんなずきで、それだけに伴侶はんりょ一人ひとりえらぶつもりもないかんがえから、結婚けっこんかんがえていない。多摩たまでも、まわりがすすめていたおきんとの見合みあいをふいにし、不興ふきょうっている。しゅうろうがひでの男装だんそうであったのを見抜みぬけず、相当そうとうくやしがっていたこともある。成長せいちょうしつつも所々ところどころ逡巡しゅんじゅんする近藤こんどうくらべると、必要ひつようならば謀略ぼうりゃく暗殺あんさつおこな決断けつだんりょくんだものであり、また作戦さくせん立案りつあん組織そしきづくりなどに抜群ばつぐんざい発揮はっきする知恵者ちえしゃだが、その知恵ちえ洞察どうさつりょくから仲間なかま不正ふせいあばいてしまい、その不正ふせい正義せいぎ人道じんどう理由りゆうであることをりつつ切腹せっぷくをさせてしまうなど、罪悪ざいあくかんから自身じしんくるしめることもある。普段ふだん自分じぶんりっしているが近藤こんどうを「近藤こんどうさん」と公共こうきょうではびながらも[注釈ちゅうしゃく 4]感極かんきわまる出来事できごと体験たいけんしたとき感情かんじょうたかぶったさいには「かっちゃん」とび、自分じぶん都合つごうわるはなしをするさいにはちがところけるくせがあるなど大人おとなになれない部分ぶぶんもある。
一時いちじ行商ぎょうしょうみちこころざ家伝かでん石田いしだ散薬さんやく行商ぎょうしょうをしていたりしたが、けんみちこころざ天然てんねんしんりゅう入門にゅうもんする。一時いちじは「けん総司そうしがいる。あたま知恵ちえ)は山南さんなんがついている」とかんがえ、自分じぶん近藤こんどうには必要ひつようないのではないかと自信じしん喪失そうしつするが、しゅうひとしに「山南さんなん知恵ちえ書物しょもつまなんだ知恵ちえだ。おまえ知恵ちえきた知恵ちえだ」とさとされる。きょうのぼると近藤こんどう大名だいみょうにすることをねらうが、「はちがつじゅうはちにち政変せいへん」で自分じぶんたちが時勢じせい蚊帳かやそとにいることを痛感つうかん近藤こんどう日本一にっぽんいちさむらいにするためにおにになることをちかった。その芹沢せりざわ暗殺あんさつ決意けついして山南さんなん原田はらだ井上いのうえのち沖田おきた加入かにゅう井上いのうえ消極しょうきょくてきだった近藤こんどう牽制けんせいしゅうる。)、そして(このとき消極しょうきょくてきだった)近藤こんどうまじえた芹沢せりざわ暗殺あんさつ計画けいかく実行じっこう斎藤さいとう妨害ぼうがいいつつも、芹沢せりざわ覚悟かくごっておにとなった近藤こんどうから「おまえ浪士ろうしぐみすえたくした」とげられたことで自身じしん近藤こんどう決意けついめ、激闘げきとうすえ計画けいかくげる。以後いご近藤こんどうのためにきらわれやくてっ組織そしき統制とうせい辣腕らつわんをふるいおおくのたい粛清しゅくせいしたことから「おに副長ふくちょう」の異名いみょうばれるようになる。一方いっぽう山南さんなん河合かわいらを不本意ふほんいながら切腹せっぷくさせないといけなくなった場合ばあいや、自分じぶんたちはんして藤堂とうどうにさせてしまったさいには人知ひとしれずなみだながした。江戸えどかえったのち洋装ようそうになり、関東かんとう敗走はいそう内藤ないとう隼人はやと変名へんめい使用しよう流山ながれやま近藤こんどう訣別けつべつしたのち宇都宮うつのみや会津あいづ函館はこだてしん政府せいふぐん相手あいて死場所しにばしょもとめてたたかつづける。のち続編ぞくへんとして新選しんせんぐみ!! 土方ひじかた歳三としぞう 最期さいごいちにち土方どかた最期さいごいちにちえがかれる。
2015ねん下期しもき連続れんぞくテレビ小説しょうせつあさが』でも、山本やまもと土方どかたやくとしてほんさくおな衣装いしょうおなじセリフで出演しゅつえんした[7]
沖田おきた総司そうし(おきた そうじ)
沖田おきたそう次郎じろう沖田おきた総司そうし
えんじ藤原ふじわら竜也たつや少年しょうねん時代じだい田辺たなべただし
ふく長助ちょうすけつとむ一番いちばん組長くみちょう幼名ようみょうそう次郎じろう(そうじろう)。ためしまもるかんなかでももっとけん才能さいのうめぐまれ、わかくして塾頭じゅくとうになり近藤こんどうをして「宗家そうけ5代目だいめ襲名しゅうめいさせたい」とわしめる。無邪気むじゃき天真爛漫てんしんらんまん性格せいかくだが、仲間なかまないいち人前にんまえ大人おとなとしてあつかわれないことに不満ふまんっていた。またけん自信じしんっているため最初さいしょ山南さんなん試合しあいしてやぶれたさいには多少たしょうかんじていた。
上洛じょうらく芹沢せりざわやおうめせられて一時いちじ行動こうどうともにしていた。それゆえに「芹沢せりざわさんは自分じぶんらねばならない」と理解りかいし、芹沢せりざわ暗殺あんさつ事件じけんでは参加さんか志願しがん。その池田いけだ事件じけんなどで活躍かつやくはい結核けっかくわずらこうあんには静養せいようすすめられるが、けんへの情熱じょうねつ責任せきにんかんからかえって稽古けいこ任務にんむねつれるようになりけんおにしていく[注釈ちゅうしゃく 5]病気びょうきかくしていたものの周平しゅうへいくわろう試合しあいのちに、ついみなまえ大量たいりょういて昏倒こんとうして以降いこう療養りょうよう生活せいかつとなり、戦列せんれつはなれおこう看病かんびょうけることになった。新選しんせんぐみ伏見ふしみ移転いてんしたとききょうのこったが、そこを浪士ろうしらにおそわれる。しかし、おこう機転きてんなんのがれ、銃撃じゅうげきされ負傷ふしょうした近藤こんどうとも大坂おおさかじょうおくられ松本まつもとりょうじゅん治療ちりょうける。江戸えどもどったのちは、やまいしてきのえよう鎮撫ちんぶたいくわわり多摩たまかう。しかし、多摩たま土方どかた剣術けんじゅつっているときたおれ、近藤こんどう江戸えどもどるようにめいじられる。植木うえき平五郎へいごろうたく療養りょうようしていたが襲撃しゅうげきされる。そのさい、おこうられ、襲撃しゅうげきしてきた刺客しかくかえちにするが再度さいど吐血とけつ昏倒こんとうしてしまう。本編ほんぺんではそのかんする描写びょうしゃはなくナレーションで近藤こんどうらされぬまま病死びょうししたとかたられるのみであり、総集編そうしゅうへんではあねのみつが「いさむさんののちうようにくなった」とかたった(史実しじつでも総司そうし近藤こんどう斬首ざんしゅされたやく1かげつ病没びょうぼつしている)。
斎藤さいとうはじめ(さいとう はじめ)
山口やまぐちはじめ斎藤さいとうはじめ
えんじオダギリジョー
ふく長助ちょうすけつとむさんばん組長くみちょうけん流派りゅうは不明ふめいだがたいちゅうきっての達人たつじん沖田おきた双璧そうへきをなす。無口むくち性格せいかくで、自分じぶんからひとまじわろうとすることはほぼ皆無かいむなミステリアスなたい。その一方いっぽうで、仲間なかまおもあつしんうちめており、徐々じょじょにそれをひょうことおおくなっていく。また義理ぎり人情にんじょうあつけたおんけっしてわすれない性格せいかくだが、そのことがわざわいして厄介やっかい事態じたいこすこともある。よく短刀たんとう木彫きぼりの彫刻ちょうこくつくっていて、原田はらだ祝言しゅうげんさいにその彫刻ちょうこくをプレゼントした。
最初さいしょ山口やまぐち(やまぐち)いち名乗なのり、江戸えど借金取しゃっきんとりをしていた。近藤こんどうとは広岡ひろおか次郎じろう借金しゃっきんてにとき出会であう。ひとってわれているとき近藤こんどう祝言しゅうげんおこなわれている近藤こんどうころがりかくまわれ、のち近藤こんどう依頼いらいけた芹沢せりざわ手引てびきで逃亡とうぼうした。のちきょう芹沢せりざわいたる清河きよかわ八郎はちろうろうとしているとき近藤こんどうたちの理解りかいして清河きよかわのがし、そのまま壬生みぶ浪士ろうしぐみ入隊にゅうたいする。芹沢せりざわ暗殺あんさつさいには江戸えどけんおんわすれられず襲撃しゅうげきかう土方どかた沖田おきた山南さんなん原田はらだ阻止そししようとするが、おなじく義理ぎりのある近藤こんどう仲裁ちゅうさいによりみちける。近藤こんどう土方どかた依頼いらい暗殺あんさつや、複数ふくすうたい介錯かいしゃくつとめたことがおおいが、よるうなされることもあった。伊東いとういたる御陵ごりょう衛士えじ結成けっせいしたときには、あいだしゃとしてもぐむ。あまり感情かんじょうひょうさないがけっして非情ひじょう人格じんかくではなく、鳥羽とば伏見ふしみたたか井上いのうえ源三郎げんざぶろう戦死せんししたときには激昂げっこうし、すさまじい怒声どせいげながらくるったように敵陣てきじん単独たんどくみ、きのえよう鎮撫ちんぶたい敗戦はいせんたいはなれた永倉ながくらたちを「あいだちがっている」とい「このはたがあるかぎ新選しんせんぐみわらない!」とみなまえたいはたかかげてさけぶ。
最期さいごいちにち』では処刑しょけいされた近藤こんどう首級しゅきゅうかれ奪還だっかん会津あいづかえ土方どかた松平まつだいら容保かたもりとともにとむらったとされている(ただし素性すじょうかると、近藤こんどう新選しんせんぐみうらしん政府せいふぐん面々めんめんはからしにあうことを土方どかた懸念けねんしたため俗名ぞくみょう明記めいきせず)。そのさい函館はこだて転戦てんせんする土方どかたわりに近藤こんどう首級しゅきゅう容保かたもり護衛ごえいするべく会津あいづまる。
なお、本編ほんぺん最終さいしゅうかいでは容保かたもりから近藤こんどう首級しゅきゅう奪回だっかいするよう密命みつめいけ、そのさい近藤こんどういさむ愛用あいようしていたとらてっ下賜かしされている。
藤堂とうどう平助へいすけ(とうどう へいすけ)
えんじ中村なかむら勘太郎かんたろう
ふく長助ちょうすけつとむはちばん組長くみちょう北辰ほくしん一刀いっとうりゅう伊東いとう道場どうじょうまなんでいたが、ためしまもるかん入門にゅうもんする。だれたいしても礼儀れいぎただしく、とてもおだやかで良識りょうしきてき性格せいかく反面はんめん稽古けいこきびしく戦闘せんとうになるとひとわったように激情げきじょうてきけんるう。天才てんさい剣士けんし沖田おきたにはつねかんじていた。一時いちじ沖田おきたになりすましてきょうまちあそんでいたが近藤こんどうさとされる。
池田いけだ事件じけんでは一番乗いちばんのりの大役たいやくたし奮戦ふんせんするも、あせぬぐおうとしたすきかれ頭部とうぶ重傷じゅうしょうい、がくきずのこることになる。一時期いちじき江戸えど帰還きかん近藤こんどうらとともに幕府ばくふ長州ちょうしゅう征伐せいばつ談判だんぱんおこなう。主要しゅよう人物じんぶつなかでは唯一ゆいいつ山南さんなん切腹せっぷくっておらず、きょう帰還きかんらされた。江戸えどからみつとつねをんでしまい、寺田てらだだい騒動そうどう原因げんいんつくってしまう。のち伊東いとう甲子太郎きねたろう一派いっぱ入隊にゅうたいすると、ためしまもるかん仲間なかまたちとのあいだ葛藤かっとうする。御陵ごりょう衛士えじくわわったのち伊東いとう近藤こんどうらの板挟いたばさみとなる。油小路あぶらのこうじへんではつらぬ御陵ごりょう衛士えじとして奮戦ふんせん永倉ながくら原田はらだたちは藤堂とうどうけようとするが、永倉ながくら様子ようすからその思惑おもわくりながらもげるどころか、より一層いっそうはげしい表情ひょうじょうかべてたたかつづけ、事情じじょうらない新選しんせんぐみたい背中せなかられる。そしてけつけてきた近藤こんどうから「おまえは、しん武士ぶしだ」と称賛しょうさんされ、みな見守みまもなかおだやかな表情ひょうじょうかべながらいきる。
原田はらだひだりすけ(はらだ さのすけ)
えんじ山本やまもと太郎たろう
ふく長助ちょうすけつとむじゅうばん組長くみちょう松山まつやま出身しゅっしん大坂おおさか谷道たにみちじょう種田たねた宝蔵ほうぞういんりゅうまなんだやり名人めいじんで、かぎやり愛用あいようしてすうおおくの修羅場しゅらば活躍かつやくする。底抜そこぬけにあかるい三枚目さんまいめで、近藤こんどう一派いっぱのムードメーカーてき存在そんざい。かつて切腹せっぷくしようとしたとききずがあり、なにかにつけてそのきず自慢じまんしたがる。つねなにかをべており、よく寝転ねころがっている。
てのたび途中とちゅう滝本たきもと繁蔵しげぞう屋敷やしき護衛ごえいたのまれた近藤こんどうたちと出会であう。その偶然ぐうぜんちかくでおこなわれていた天然てんねんしんりゅう4代目だいめ襲名しゅうめいさい紅白こうはく試合しあい勝手かってくわわり、そのままためしまもるかん食客しょっきゃくとなり、近藤こんどうらとともに浪士ろうしぐみ参加さんかする。上述じょうじゅつのようにお調子者ちょうしものてきめん目立めだつが、おっとふりふたつということで可愛かわいがられた八木やぎひさたいしてはなみだせ、んでしまう。さらに芹沢せりざわ暗殺あんさつ事件じけんさいてきなさけをかけてぎゃくられそうになった山南さんなんたすけ「たたかえじゃなぁ、躊躇ためらったほうけなんだよ、先生せんせい」とさとすなど、実戦じっせんとしてのめんせた。甘味あまみのまさになんおもいをつたえてはなんことわられるも、禁門きんもんへんえるきょうまちから彼女かのじょたすしたことによりにんむすばれる。きのえよう鎮撫ちんぶたい敗戦はいせん永倉ながくらともたいはなれ、江戸えど同志どうしあつめようとしていたところ永倉ながくら旧友きゅうゆう再会さいかいし、やすし兵隊へいたいへの参加さんかけられるも旧友きゅうゆうとのえんから永倉ながくら承諾しょうだくしたのにたいし、「べつたいくわわるつもりはない」と拒否きょひ永倉ながくらとは笑顔えがおかれ、つまのいるきょうもどろうとするが道中どうちゅう近藤こんどう処刑しょけいされることをり、たすけようと板橋いたばしかうが、板橋いたばしですでにたいけていた尾形おがた俊太郎しゅんたろうに「いまここでんでも無駄死むだじにだ」とさとされ「尽忠じんちゅう報国ほうこくてんれなり!新選しんせんぐみ不滅ふめつだ!!フォーーー!!」と、なみだながらにあついエールをおくり、ちかくのお地蔵じぞうさまそなえられていた菓子かしいながら「おれ不滅ふめつだ!」とい、颯爽さっそうとどこかにっていった。上野うえの戦争せんそう戦死せんししたとも、馬賊ばぞくになったともわれると最終さいしゅうかい説明せつめいされており、本編ほんぺんでもまさから「薩長さっちょうなかになったらどうする」とかれたさい、「大陸たいりくわたって馬賊ばぞくになる」とっている。
山南さんなん敬助けいすけ(やまなみ けいすけ)
えんじさかい雅人まさと
副長ふくちょう、のち総長そうちょう仙台せんだい浪人ろうにん北辰ほくしん一刀いっとうりゅう門人もんじんであったが、同門どうもん坂本さかもと龍馬りょうまから「(近藤こんどういさむは)面白おもしろ人物じんぶつだ」と紹介しょうかいされて興味きょうみったのがきっかけでためしまもるかんおとずれ、近藤こんどう人柄ひとがらかれ門人もんじんとなる。つね笑顔えがおやさず、なにくちにするにも丁寧ていねい口調くちょうはなしなのある人物じんぶつ北辰ほくしん一刀いっとうりゅう免許皆伝めんきょかいでんで、最初さいしょ試合しあいをしたときには沖田おきたやぶり、直後ちょくご近藤こんどうとの試合しあいでは「けてみないとつよさがからない」とえてすきつく近藤こんどうたせる余裕よゆうせるほどであった。そのさい、「かれ総司そうし)はよい資質ししつっている。必要ひつようなのは経験けいけん」とべており、すうねんには沖田おきたかされている。学問がくもんにもあかるく時勢じせい見極みきわめていて、近藤こんどうめんからささえる。
いさむ浪士ろうしぐみ創設そうせつしゃ清河きよかわ八郎はちろう浪士ろうしぐみ取締役とりしまりやく山岡やまおか鉄太郎てつたろうわせ、浪士ろうしぐみへの参加さんかへのきっかけをつくる。また、きょう清河きよかわ浪士ろうしぐみからはなれたとき会津あいづはんあずかりとするよう近藤こんどう進言しんげんする。当初とうしょ副長ふくちょうつとめたが、土方ひじかたにより総長そうちょう棚上たなあげされる。また、誠実せいじつひとりをのぞまない性分しょうぶんため芹沢せりざわ暗殺あんさつ事件じけんでは、土方どかた補佐ほさし、平間ひらま退しりぞけるがつづ平山ひらやまることができず、ぎゃくられそうになったところを原田はらだすくわれる一幕ひとまくもあった。そのため以後いごは、前線ぜんせんでの戦闘せんとうには参加さんかしなくなり、池田いけだでも屯所とんしょ残留ざんりゅうしていた。
たがみといながらも、度々たびたび土方どかたとは対立たいりつし、屯所とんしょ本願寺ほんがんじ移転いてんでも反対はんたいするなど論争ろんそうえなくなり、伊東いとうらの入隊にゅうたいで、ますますみずからの居所きょしょをなくしたとかんじていく。たいのありかた疑問ぎもんかんじていた最中さいちゅうきた、永倉ながくららの建白けんぱくしょ提出ていしゅつはしはっする土方どかた処分しょぶんや、龍馬りょうまに「新選しんせんぐみってもなにができるがじゃ。おまえほどの秀才しゅうさい勿体無もったいない。」とわれたことをきっかけに、明里あけさとともなって脱走だっそうした。脱走だっそうってもかくしたりさきいそいだりせず(ただし明里あけさと草津くさつまではいそぐよううなが描写びょうしゃもあったが、結局けっきょく彼女かのじょのお転婆てんばまわされるかたち足止あしどめをくらってしまった)、まるで明里あけさとってたびをするのも同然どうぜんだった。うまいかけてきた沖田おきた草津くさつつけて、みずかこえをかけてきょうもどる(沖田おきた山南さんなんがそうとしたが、その甲斐かいなくわってしまった)。そして、そのしむ周囲しゅういみなことあるごとに再度さいど脱走だっそううながされるがすべ謝絶しゃぜつする。そして死別しべつ言葉ことば手紙てがみのこしてこころざしたくし、ためしまもるかん仲間なかまたちが見守みまもなかたいのために団結だんけつねがい、沖田おきた介錯かいしゃくのもと切腹せっぷく主要しゅよう人物じんぶつ9にんなか最初さいしょ死者ししゃとなった。
永倉ながくら新八しんぱち(ながくら しんぱち)
えんじ山口やまぐちさとしたかし
ふく長助ちょうすけつとむばん組長くみちょう神道しんとう無念むねんりゅう免許皆伝めんきょかいでん達人たつじん近藤こんどう土方どかたより年下とししただが容姿ようし言動げんどうども老成ろうせいしており、初対面しょたいめんさい2人ふたりおどろかせる。[注釈ちゅうしゃく 6]
登場とうじょう当初とうしょは19さい
すじかよっていないことがったこときら正義せいぎかんひだりすけとはウマがいよく一緒いっしょ行動こうどうしている。
近藤こんどうとは滝本たきもと繁蔵しげぞう屋敷やしき護衛ごえいたのまれたとき出会であう。そのヒュースケンを襲撃しゅうげきしようというぞく1人ひとりとして再会さいかいするが、いさむ必死ひっし説得せっとくおもまり、いさむいたるがわ寝返ねがえってぞくかえちにした。これがきっかけでいさみすすめもあってためしまもるかん食客しょっきゃくになり、浪士ろうしぐみ一員いちいんとしてきょうおもむことになる。近藤こんどう裏表うらおもて人柄ひとがらんでいるがそれゆえに「自分じぶんたち近藤こんどういさむ同志どうしであって家来けらいではない」という意識いしきつよい。そのため池田いけだ事件じけんでの報奨ほうしょうきん分配ぶんぱい局長きょくちょう権力けんりょくつよめる組織そしき命令めいれい系統けいとうあんこととなえ、土方どかたくちすべらせて芹沢せりざわ暗殺あんさつ暴露ばくろしたことちとなり(内部ないぶでのあらそいを断固だんことしてみとめないため、永倉ながくら芹沢せりざわ暗殺あんさつかされていなかった)、松平まつだいら容保かたもり建白けんぱくしょ提出ていしゅつするなど、しばしば近藤こんどう土方どかた路線ろせんとは対立たいりつすることもあった。
きのえよう鎮撫ちんぶたい敗戦はいせん会津あいづくことを近藤こんどう提案ていあんするもれられず、自分じぶんしたがうよう命令めいれいする近藤こんどういかりをいだひだりすけとともにたいはなれた。そのひだりすけとも江戸えど同志どうしつの算段さんだんかんがえていたところ旧友きゅうゆうである市川いちかわ宇八ろう再会さいかいし、えんからかれげたやすし兵隊へいたいくわわることをめる。近藤こんどう決別けつべつこそしたものの、近藤こんどう同志どうしであるというおもいは最後さいごまでるがず、宇八ろう近藤こんどうけな発言はつげんをするとかれつよ叱責しっせきした。
井上いのうえ源三郎げんざぶろう(いのうえ げんざぶろう)
えんじ小林こばやしたかし
ふく長助ちょうすけつとむろくばん組長くみちょう最初さいしょたいない編成へんせいさい土方どかたから、副長ふくちょう推挙すいきょされるが辞退じたいしている)。通称つうしょうみなもとさん」。多摩たま出身しゅっしん周助しゅうすけだいこころみまもるかん門人もんじんとなったいさむ兄弟子あにでしだがみずかすすんで道場どうじょう雑用ざつようなどをおこなっていたため山南さんなんには奉公人ほうこうにんだとおもわれていたが「いいんです、きでやってるんで。」とうなどかげうす存在そんざいだった。[注釈ちゅうしゃく 7]温和おんわ人物じんぶつつねいさみ土方どかた沖田おきたそしていさみ養子ようし周平しゅうへいなどを見守みまもっている、いわば父親ちちおやてき存在そんざいである。主要しゅよう人物じんぶつ9にんでは最年長さいねんちょう
浪士ろうしぐみ結成けっせいさいにはしゅうときからいさむの「お目付めつけやく」としてともきょうのぼるようたのまれる。新選しんせんぐみでは地味じみではあるものの組織そしき潤滑油じゅんかつゆとしてかせぬ存在そんざいとなる。なお、げきちゅうでは一番いちばんながかたな使つかっている。鳥羽とば伏見ふしみたたかいで周平しゅうへいかばしん政府せいふぐん奮戦ふんせんするが、1正面しょうめんからの一斉いっせい射撃しゃげき奇跡きせきてきにやりごすものの、周平しゅうへいかっていた直後ちょくご背後はいごからの銃弾じゅうだんたおれる。そのたいたち衝撃しょうげきあたえ、土方どかた人目ひとめはばからず号泣ごうきゅうし、斎藤さいとういたっては激昂げっこうし、すさまじい怒声どせいとも敵陣てきじん突撃とつげきをかけた。死後しご幻影げんえいとして療養りょうようちゅういさみまえ出現しゅつげんし、してもなおいさみあんつづけていた。いさむはその幻影げんえい意味いみするものをさっし、お目付めつけやくとしてとも上京じょうきょうしたみなもと三郎さぶろうに「ここまでわせてしまってわるかった」とべそっとなみだし、最後さいごまでいさみささえた。

水戸みとせいちゅう浪士ろうしぐみ

編集へんしゅう
芹沢鴨せりざわかも(せりざわ かも)
えんじ佐藤さとう浩市こういち
筆頭ひっとう局長きょくちょう水戸みと天狗てんぐとう出身しゅっしんで、同郷どうきょう新見にいみ粕谷あらやとはいがながい。剣術けんじゅつ学問がくもん実力じつりょくそなえた一廉ひとかど人物じんぶつで、プライドがたか傍若無人ぼうじゃくぶじんめん目立めだつが、自分じぶん他人たにんしんからしんじることが出来できず、自身じしんよわ部分ぶぶんかれるとおのれりっしきれなくなるかなしいおとこでもある。酒癖さけぐせわるい。
近藤こんどうとは広岡ひろおか次郎じろう稽古けいこだい催促さいそくとき山口やまぐち斎藤さいとういちとも料理りょうり主人しゅじんとして出会であう。水戸みとはん出身しゅっしんのため、桜田さくらだ門外もんがいへん参加さんかする広岡ひろおかのがす。そのさい近藤こんどう山口やまぐちこいのあらいをいながら「明日あした天地てんちがひっくりかえるようなだい事件じけんきる」とかたる。そして事件じけんきたのち桜田さくらだ門外もんがいあらわしゅみながら「尽忠じんちゅう報国ほうこくてんれなり」とさけぶ。
その浪士ろうしぐみ参加さんか新見にいみともさん番組ばんぐみ小頭こがしらとなる。先番せんばん宿割しゅくわりやくあたえられた近藤こんどう本庄ほんじょう宿やど芹沢せりざわ仲間なかまさわぐので一人ひとり部屋へや用意よういするよう佐々木ささきめいじられ、宿やどはなれを用意よういされるが、用意よういしていた地図ちずふるかったのではなれは火事かじ消失しょうしつしておりにわとり小屋こやであったため激怒げきどまちなかをしながら野宿のじゅくをし、周辺しゅうへんからやすものを仲間なかまあつめさせ、浪士ろうしぐみ面々めんめんのみならず、ちまた人々ひとびと困惑こんわくさせた。しかし、近藤こんどう根負こんまけしてすようにめいじた。このことで近藤こんどうつよ興味きょうみち、その浪士ろうしぐみ江戸えどもどったのちきょう残留ざんりゅう近藤こんどういたる壬生みぶ浪士ろうしぐみ水戸みとせいちゅう浪士ろうしぐみ名乗なのっていた)を結成けっせい局長きょくちょうとなる。
きょうでは粗暴そぼうでやりたい放題ほうだい日々ひびおくるが、その一方いっぽう自分じぶんとはちがぐなかたでありながら、自分じぶん敬意けいいってせっしてくる近藤こんどう次第しだいかんじるようになる。また、沖田おきたたいしても自分じぶん一派いっぱくわえるなどかれなりに一目いちもくく。そんな破滅はめつてきながらも、どこか哀愁あいしゅうかんじさせるざま近藤こんどうだけでなくおうめ沖田おきたせられた。また、斎藤さいとう芹沢せりざわ護衛ごえいしており、のち粛正しゅくせいうご土方どかたらを牽制けんせいしにくほどであった。自分じぶん大坂おおさか相撲すもう力士りきしたちこした「どっこい事件じけん」を近藤こんどう実直じっちょく対応たいおう解決かいけつみちびいたことで、近藤こんどうたいするコンプレックスをさらつのらせ、ついには商家しょうか大和やまとおそうなど乱暴らんぼう狼藉ろうぜきをエスカレートさせてしまう。
その結果けっかつい会津あいづはんから見切みきりをつけられたことで、土方どかた山南さんなん芹沢せりざわ一派いっぱ排除はいじょ決意けついするが、近藤こんどうだけは芹沢せりざわへの敬意けいいや、その士道しどうそむくような非情ひじょうなやりかたへの抵抗ていこうかんからなかなか決意けついできずにいた。一方いっぽう芹沢せりざわ自身じしん新見にいみ切腹せっぷくによるいちけん自分じぶんちか浪士ろうしぐみより排除はいじょされることさっするが、それをれるかのように、粛清しゅくせい当日とうじつである「はちがつじゅうはちにち政変せいへん」の褒美ほうびもらった祝宴しゅくえんせき泥酔でいすいしながらも、自分じぶん粛清しゅくせいすることいま決断けつだんくだせずにいる近藤こんどうたいして、「おにになれよ。おにになっておれっちまえよ。遠慮えんりょはいらねえよ」と自分じぶん覚悟かくごげつつ、容保かたもりからもらった「新選しんせんぐみ」とかれたぶんて「明日あしたからこの名前なまえけよ」と、みずか近藤こんどう背中せなかして、その決意けつい後押あとおしした。
その土方ひじかた山南さんなん原田はらだ沖田おきた芹沢せりざわ一派いっぱ粛清しゅくせい対象たいしょうからはずされた野口のぐち以外いがい)が八木はちぼくていもど道中どうちゅうおそ予定よていであったが、斎藤さいとう妨害ぼうがいったこと予定よていがズレて、八木はちぼくていもどみな寝静ねしずまったころを見計みはからって芹沢せりざわ寝床ねどこ突入とつにゅうする。芹沢せりざわ白装束しろしょうぞく着替きがえ、さけみながらすわってかまえており、激戦げきせんすえ愛用あいようさけはいった瓢箪ひょうたんあしられたこと最後さいご沖田おきたかたなかれ、土方どかたにとどめをされる。沖田おきた本来ほんらいこの襲撃しゅうげきには加担かたんしないはずだったが、土方どかた態度たいどから事情じじょうさっした沖田おきた本人ほんにん刺客しかくやくくわわること希望きぼうし、芹沢せりざわ刺客しかくたちなか沖田おきたがいること確認かくにんしたさいに「うれしいぜ」とこぼしたり、沖田おきたされたさいにはどこか満足まんぞくみをかべるなど、はじめから沖田おきたたおれることのぞんでいたかのようなふしせた。死後しごこのいちけん土方どかたによって長州ちょうしゅう藩士はんし仕業しわざ偽装ぎそうされた。
近藤こんどういたるえなければならないかべとされ、ドラマの前半ぜんはんささえる重要じゅうよう役柄やくがらとなっている。佐藤さとう脚本きゃくほん三谷幸喜みたにこうきは「大河たいがドラマ史上しじょう最高さいこう悪役あくやく」をねらったという。また、佐藤さとうちちであるさん國連こくれん太郎たろう1969ねん公開こうかいされた三船みふね敏郎としお製作せいさく主演しゅえん映画えいが新撰しんせんぐみ』において、芹沢せりざわえんじており、親子おやこだいおなやくえんじたこと話題わだいとなった。
新見にいみにしき(にいみ にしき)
えんじ相島あいじま一之かずゆき
局長きょくちょう、のち副長ふくちょう芹沢せりざわ右腕うわんてき存在そんざいがくがあるため、浪士ろうしぐみ上京じょうきょう清河きよかわ八郎はちろう朝廷ちょうていへの建白けんぱくしょ真意しんいをつかみ、佐々木ささき只三郎たださぶろう報告ほうこくする。芹沢せりざわ理解りかい行動こうどうともにしており、次第しだい組織そしきないかおおおきくなっていく近藤こんどういたる懸念けねんして、芹沢せりざわ水戸みと地位ちいまもため牽制けんせいはかるなど、ためしまもるかんとく土方どかた山南さんなん)にたいして度々どどかくてていた。
商家しょうか大和やまといちけん芹沢せりざわから責任せきにんけられ、副長ふくちょう降格こうかく謹慎きんしん処分しょぶんくだされる(そのさい芹沢せりざわからは「はられ」とまでいいわたされるが、そのでは近藤こんどういたるのとりなしで降格こうかく謹慎きんしんまされた)。自身じしんをぞんざいにあつかったことに不満ふまんかんじていたところを水戸みと一掃いっそうねら土方どかた山南さんなんかれ、芹沢せりざわまたさんろう斬殺ざんさつした顛末てんまつ報告ほうこくして芹沢せりざわるように仕向しむけられる。同時どうじたいないりっするためのきょくちゅう法度はっともうけられたが、これは新見にいみからだよくほうむるためのものでもあり、土方どかた山南さんなん策謀さくぼうによってぎゃく仲間なかまおとしいれようとした「士道しどうそむいた」ざいばららされることになる(芹沢せりざわまた三郎さぶろう斬殺ざんさついちけんかんしては法度はっと制定せいていまえことであったため不問ふもんとされた)。そのにいた芹沢せりざわからも「いさぎよはられ」とわれて見捨みすてられ、土方どかたわたしたかたな切腹せっぷくし、きょくちゅう法度はっとによって粛清しゅくせいされた最初さいしょ犠牲ぎせいしゃとなった。そのさい、その新選しんせんぐみすえ予感よかんさせるうらぶしのこしている[注釈ちゅうしゃく 8]亡骸なきがらは、島田しまだ松原まつばらによってはこされほうむられることとなった。
平山ひらやま五郎ごろう(ひらやま ごろう)
えんじ坂田さかたさとし
ふく長助ちょうすけつとむ史実しじつでは、新見にいみ失脚しっきゃく局長きょくちょう昇進しょうしんしたとされているが、ほんさくでは階級かいきゅう昇降しょうこうられない。左目ひだりめ眼帯がんたいをしている。武芸ぶげい腕前うでまえだけなら新見にいみ以上いじょう実力じつりょくしゃである水戸みとなかでも屈指くっし武闘ぶとうだが、反面はんめん思慮しりょあさく、粗暴そぼう軽挙けいきょめん目立めだつ。近藤こんどう無礼ぶれいはたらいたため、壬生みぶ狂言きょうげん八木はちぼくおこなわれたときそと斎藤さいとう打擲ちょうちゃくされる。また男装だんそうしていた八木はちぼくむすめひでにったために沖田おきたさえられ、相撲すもう大会たいかいでは沖田おきた斎藤さいとう完全かんぜん萎縮いしゅくしていた。芹沢せりざわ暗殺あんさつさいには山南さんなんひらあいだ同様どうようがそうとしたが、平山ひらやま背後はいごから山南さんなんかり、とっさに原田はらだげたやりによって死亡しぼうした。
平間ひらま重助しげすけ(ひらま じゅうすけ)
えんじつよししゅう
ふく長助ちょうすけつとむ初期しょきではたいない勘定かんじょうまかされており、おなじく頭脳ずのうである新見にいみ補佐ほさやくとしてためしまもるかんへの牽制けんせいなどをおこなっていた。芹沢せりざわ行動こうどうともにしていたが、芹沢せりざわ暗殺あんさつさいには山南さんなんがされ、そのまま何処どこかへと出奔しゅっぽんした。
野口のぐち健司けんじ(のぐち けんじ)
えんじ岡本おかもと幸作こうさく
ふく長助ちょうすけつとむ芹沢せりざわなかではとしわかく、年齢ねんれいちか沖田おきた藤堂とうどうしたしかった。性格せいかく芹沢せりざわなかでは比較的ひかくてきおだやかで、芹沢せりざわいたる暴挙ぼうきょには無理矢理むりやり加担かたんさせられていたにひとしかったため芹沢せりざわ暗殺あんさつには角屋かくやめられるかたち粛清しゅくせい対象たいしょうからはずされた。水戸みと壊滅かいめつしたのち史実しじつではたいのこり、最終さいしゅうてきには切腹せっぷくすることになるが、いまさくでは水戸みと帰郷ききょうするよう近藤こんどう藤堂とうどうからすすめられる描写びょうしゃがあり、その場面ばめん最後さいご姿すがたす。
佐伯さえきまた三郎さぶろう(さえき またさぶろう)
また三郎さぶろう佐伯さえきまた三郎さぶろう
えんじ松谷まつやけんしめせ水玉みずたまれっぷうたい
ふく長助ちょうすけつとむもと八木はちぼく奉公人ほうこうにんであったが、本物ほんもの武士ぶしになるためにきょうのこった浪士ろうしぐみ入隊にゅうたい芹沢せりざわ一派いっぱ水戸みと)の腰巾着こしぎんちゃくになる。本人ほんにん水戸みとについた理由りゆうを「どうせるならえらやつほうがいい」とかたっていたが、その芹沢せりざわ本人ほんにんからは「町人ちょうにんがり」ときらわれ、新見にいみ水戸みとものたちからも然程さほど相手あいてにされていなかった。唯一ゆいいつおなじく(一時いちじてきに)水戸みとぞくしていた沖田おきたとはそれなりになかかった。かつてのおもであるみなもとすすむふく町人ちょうにんたちには傲慢ごうまんいをせる一方いっぽう芹沢せりざわにはつね胡麻ごまつづけ、ろうとするなど、一見いっけんすれば小物こもの人間にんげんであるが、その一方いっぽう武士ぶしへのあこがれの気持きもちは本物ほんものであり、かたなため八木はちぼく奉公人ほうこうにん時代じだいからかねつづけていたり、芹沢せりざわからどれだけぞんざいにあつかわれようとも「このくらいの苦労くろう覚悟かくごうえ」とかたるなど、努力どりょくいちめんもある。また、浪士ろうしぐみ羽織はおり考案こうあんすることになったさいにはきょう市井しせい人々ひとびと意見いけんまえたうえ近藤こんどういたる忠言ちゅうげんするなど、まれ良識りょうしきてき部分ぶぶんのぞかせることもある。
あるばん案内あんないする途中とちゅうでうっかりあしすべらせたはずみにっていた提灯ちょうちん芹沢せりざわにぶつけてしまったため芹沢せりざわいかりをってしまい、斬殺ざんさつされる。直前ちょくぜんかれから武士ぶしになるゆめかされていた沖田おきた悲壮ひそうおも一方いっぽう斎藤さいとうは「やつまた三郎さぶろう)は相手あいて間違まちがえた。このなかひとつでも間違まちがえれば、命取いのちとりになるってことだ…」と、このときためしまもるかん水戸みととのあいだ板挟いたばさみになっていた沖田おきたへの忠告ちゅうこくねて冷淡れいたんひょうした。
めていたかねはいった財布さいふものりの犯行はんこうせるため新見にいみられるが、それが皮肉ひにくにも新見にいみ命取いのちとりにつながった。

御陵ごりょう衛士えじとなったたい伊東いとう道場どうじょう一派いっぱ

編集へんしゅう
伊東いとう甲子太郎きねたろう(いとう かしたろう)
伊東いとう大蔵たいぞう伊東いとう甲子太郎きねたろう
えんじ谷原たにはら章介しょうすけ
参謀さんぼう当初とうしょ大蔵おおくら(おおくら)。文武ぶんぶすぐれたしなのある人物じんぶつで、怜悧れいり時勢じせい見極みきわ外国がいこく知識ちしきにも精通せいつうしているが、それゆえひと見下みくだ傾向けいこうつよい。神道しんとう無念むねんりゅうまなんでいたが、江戸えど北辰ほくしん一刀流剣術伊東道場に入門にゅうもんし、のち道場どうじょういだ。門下もんか藤堂とうどう平助へいすけがいた。ただし、かれらにはためしまもるかん土方どかた芹沢せりざわ新見にいみのような右腕うわんてき補佐ほさやく存在そんざいせず、加納かのう篠原しのはら実質じっしつその役割やくわりになった。浪士ろうしぐみには参加さんかしなかったが、挨拶あいさつ藤堂とうどう餞別せんべつわたし、浪士ろうしぐみとのつながりをとうとする。
江戸えどたい募集ぼしゅうもどった近藤こんどう対面たいめんし、新選しんせんぐみ入隊にゅうたい参謀さんぼうとなりめい甲子太郎きねたろうあらためる。しかし、伊東いとう真意しんい新選しんせんぐみ尊王そんのう攘夷じょうい先駆さきがけとすることであった。その、「薩長さっちょうへの偵察ていさつ」との名目めいもくだったいはかるが、近藤こんどう土方どかた伊東いとう本心ほんしん見抜みぬきつつもかつての芹沢せりざわ一派いっぱのような流血りゅうけつ事態じたいけようと、表面ひょうめんじょうだまされたふりをして伊東いとうたちをおくした。そして御陵ごりょう衛士えじ結成けっせいするも、討幕とうばくからは新選しんせんぐみにいた過去かこから信頼しんらいられず苦悶くもんする。大久保おおくぼいちぞうにかつて新選しんせんぐみにいた過去かこをぬぐいるために近藤こんどうるようそそのかされ、近藤こんどう別宅べったくまねかれ伊東いとうはそのいさみ殺害さつがいするつもりだったが、近藤こんどうから「あなたがかれるのは新選しんせんぐみにいたからではなく、かれらのように薩長さっちょうまれではないからだ」とわれ、はらって心中しんちゅうの吐露とろし、自身じしん近藤こんどうから「わたしまれゆえ幕府ばくふ武士ぶしから見下みくだされた。だからこそ新選しんせんぐみではまれよりも士道しどうおもんじた」との主張しゅちょうことで、たがいにもとめる思想しそうちがえども、くにおも気持きもちはおなじであったことき、和解わかいする。
しかしその帰路きろで、事情じじょうらずに伊東いとうろうとかまえていた大石おおいしくわ次郎じろうひきいる新選しんせんぐみ若手わかてたいたち襲撃しゅうげきされ、近藤こんどうおもいを無下むげにするようなかれらの軽率けいそつ行動こうどう一喝いっかつしつつも、こうそうけるべくあえて抵抗ていこうしようとせずにはなれようとしたが、そのすきかれるかたち大石おおいしによってやり刺殺しさつされてしまう。その御陵ごりょう衛士えじがわ先立さきだって事態じたいった近藤こんどう和解わかいした矢先やさき伊東いとう愕然がくぜんとしつつも、これにより御陵ごりょう衛士えじとのこうそうけられぬものとなってしまったことをさとった土方どかたたちうながされ、やむなくかれらとまじえるという苦渋くじゅう決断けつだんくだした。
伊東いとう遺体いたいは、土方どかた判断はんだんななじょう油小路あぶらのこうじ放置ほうちされ、かれった御陵ごりょう衛士えじたいたちはこれがわなだと気付きづくが、「たとえわなでも、伊東いとう先生せんせい亡骸なきがらさらしゃにするわけにはいかない」という理由りゆう現場げんばき、ちかまえていた新選しんせんぐみとのあいだでついに全面ぜんめん衝突しょうとつ勃発ぼっぱつ藤堂とうどう平助へいすけをはじめりょう陣営じんえいおおくの犠牲ぎせいすこととなる。
加納かのうわしゆう(かのう わしお)
えんじ小原おはら雅人まさと
過激かげき言動げんどうおお伊東いとう一派いっぱにあっては温厚おんこう人物じんぶつで、仲間なかまさとしたり外交がいこうやくとしての出番でばんおおかった。藤堂とうどう平助へいすけ伊東いとう大蔵おおくらこころみまもるかんへの移籍いせきねがさい永倉ながくら提案ていあん沖田おきた加納かのう沖田おきたてば移籍いせきみとめるという条件じょうけんうがやぶれた。そして、「藤堂とうどうゆずわりに沖田おきたしい」という伊東いとうを諫める。結果けっか伊東いとうは「(ためしまもるかんに)しばらくのあいだける」といつつも、藤堂とうどう移籍いせきみとめた。沖田おきたにはやぶれたものの剣術けんじゅつ心得こころえまったいわけではなく、油小路あぶらのこうじへんでは永倉ながくら互角ごかくわたっている。のち伊東いとうとも新選しんせんぐみ入隊にゅうたいする。御陵ごりょう衛士えじとして分派ぶんぱするとき土方どかたとこれ以上いじょうたいくわわることを禁止きんしするとともに、御陵ごりょう衛士えじから新選しんせんぐみ復帰ふっきすることを禁止きんしするめをおこなった。油小路あぶらのこうじへんでは篠原しのはらとも御陵ごりょう衛士えじ主導しゅどうする。
事件じけん復讐ふくしゅうのために伏見ふしみ街道かいどう篠原しのはららとともに近藤こんどう狙撃そげきするが、闇討やみうちちのようなやりかたには若干じゃっかん躊躇ちゅうちょしており、直接ちょくせつすことは最後さいごまでしなかった。その官軍かんぐんぞくしていたが、偽名ぎめい使用しようみずからを「大久保おおくぼ大和やまと」と名乗なのっていた近藤こんどうたい尋問じんもんやく香川かがわ上田うえだまっていたため香川かがわ上田うえだいのちにより近藤こんどう再会さいかいする。旧交きゅうこう任務にんむ板挟いたばさみとなって言葉ことばまらせていたが、近藤こんどうかれみずから「加納かのうくん、おひさしぶりです」とかたりかけ、加納かのうもそんな近藤こんどう心遣こころづかいをさっしながら「ご無沙汰ぶさたしております、局長きょくちょう」となみだかえした。
篠原しのはら泰之やすゆきすすむ(しのはら たいのしん)
えんじ小梶こかじ直人なおと
伊東いとう一派いっぱでもとく好戦こうせんてき人物じんぶつで、自身じしん主張しゅちょう強引ごういんとおそうとする傾向けいこうがあり、よく加納かのうさとされている。けん腕前うでまえたしかで、不意ふいかれたにもかかわらず斎藤さいとう永倉ながくら互角ごかくわたった。長州ちょうしゅうはんとの交渉こうしょうのぞむべく広島ひろしまかった近藤こんどう伊東いとう同道どうどうする。御陵ごりょう衛士えじ参加さんかし、あいだしゃとしてもぐんだ斎藤さいとうはじめ新選しんせんぐみもどろうとしたさいいとなる。油小路あぶらのこうじへんでは加納かのうとも御陵ごりょう衛士えじ主導しゅどうし、へん復讐ふくしゅうのために伏見ふしみ街道かいどう近藤こんどう狙撃そげきする。そのさい、「これでは闇討やみうちちだ」と指摘してきする加納かのうたいし、「かまわん。やつら(新選しんせんぐみ)も散々さんざんきたな使つかってきたではないか」とてた。
服部はっとり武雄たけお(はっとり たけお)
えんじ梶浦かじうら昭生あきお
伊東いとう行動こうどうともにする伊東いとう一派いっぱ随一ずいいち武闘ぶとう伊東いとうしたが御陵ごりょう衛士えじとなり新選しんせんぐみはなれる。油小路あぶらのこうじへんでは二刀流にとうりゅう奮戦ふんせんするが永倉ながくらられ戦死せんしする。服部はっとりたりにした藤堂とうどうはしばしの逡巡しゅんじゅんのち咆哮ほうこうともにかつての仲間なかま決意けつい完全かんぜんかためる。
毛内もうないゆうこれすけ(もうない ありのすけ)
えんじ中川なかがわ泰幸やすゆき(げん中川なかがわくに史朗しろう) [8]
油小路あぶらのこうじへん原田はらだやぶ戦死せんし。(ドラマないでの役名やくめい表記ひょうきなし。)
三木みき三郎さぶろう(みき さぶろう)
えんじ平泉ひらいずみようふとし
きゅうばん組長くみちょうだい46かいにて10番組ばんぐみ編成へんせい名簿めいぼ名前なまえあり)。史実しじつでは伊東いとう実弟じっていだがドラマないでは言及げんきゅうなし。伊東いとうしたが御陵ごりょう衛士えじとなり新選しんせんぐみはなれる。油小路あぶらのこうじへんにも参戦さんせんし、撤退てったいしたのち報復ほうふくとして仲間なかまとも病身びょうしん沖田おきた襲撃しゅうげきするがおこう機転きてんによって未遂みすいわる。
中西なかにしのぼる(なかにし のぼる)
えんじ猪狩いかり賢二けんじ
伊東いとう行動こうどうともにする。伊東いとう一派いっぱ御陵ごりょう衛士えじとなり新選しんせんぐみはなれたのち登場とうじょうしない。

その新選しんせんぐみたい

編集へんしゅう

前述ぜんじゅつの3つの派閥はばつぞくさないたいたち。なお、土方どかただい20かいおこなわれたたい募集ぼしゅうで、採用さいようされたたい河合かわい松原まつばらひとし)は後々あとあと近藤こんどうぞくすることになるとかたっているが、実際じっさいたに兄弟きょうだい大石おおいしなど、独自どくじ派閥はばつ徒党ととうんで、近藤こんどう土方どかた思惑おもわくはんした各自かくじ勝手かって行動こうどうするものすくなくない。また、武田たけだはどの陣営じんえいにも中立ちゅうりつであること逆手さかてにとって、近藤こんどう伊東いとう融和ゆうわこころみたこともあるが、失敗しっぱいしている。

島田しまだいさお(しまだ かい)
えんじあきらえい
しょ調ちょうやくけん監察かんさつ美濃みの出身しゅっしん浪人ろうにんで、旧知きゅうち永倉ながくら推薦すいせん入隊にゅうたいした。怪力かいりき巨漢きょかんで、戊辰戦争ぼしんせんそうでは完全かんぜん武装ぶそうした永倉ながくら片手かたて一本いっぽんへいうえにつりげる場面ばめんられた。強面こわおもて似合にあわず人情にんじょうで、なみだもろい感激かんげき人懐ひとなつっこい性格せいかくであり、養子ようし縁組えんぐみたのまれてはことわれずなんせいわっている(なお、出生しゅっしょうせいは「近藤こんどう」だった)。権力けんりょく地位ちいにもまった固執こしつせず、新選しんせんぐみ直参じきさんてられても当人とうにん希望きぼうによりひらたいでありつづけた。普段ふだん監察かんさつかたとして偵察ていさつ見張みはりに従事じゅうじしている。粛清しゅくせいかかわることもある。ひとたびせんはじまるとおも鎖帷子くさりかたびら全身ぜんしんにまといだいあばれする。正月しょうがつには屯所とんしょのある西本願寺にしほんがんじおとずれた子供こどもたちといっしょにあそ姿すがたられた。また、相撲すもう大会たいかい参加さんかしてふんどしれ、不浄ふじょうするという一幕ひとまくもあった。
新選しんせんぐみ!! 土方ひじかた歳三としぞう 最期さいごいちにち』でも新選しんせんぐみ頭取とうどりとして活躍かつやくするが、土方どかた号泣ごうきゅうし、永井ながい尚志ひさしさとされ、新選しんせんぐみ後世こうせいかたぐことにちかった。晩年ばんねん西本願寺にしほんがんじ警備けいびつとめたと最終さいしゅうかい説明せつめいされている。
武田たけだかんやなぎひとし(たけだ かんりゅうさい)
えんじ八嶋やしまさとしじん
ふく長助ちょうすけつとむばん組長くみちょう出雲いずもこく母里もり出身しゅっしん甲州こうしゅうりゅう軍学ぐんがくまなんでいた。つね眼鏡めがねをかけている。体躯たいくにもめぐまれぬゆえ学問がくもん参謀さんぼうてようと、浪士ろうしぐみ新選しんせんぐみあらためてからのたい募集ぼしゅう入隊にゅうたいけんわざにはひいでていないものの池田いけだ事件じけんでは、宮部みやべ一派いっぱ拠点きょてん襲撃しゅうげき提案ていあんし、戦闘せんとうでは近藤こんどうたいぞくして参加さんかした。けっして無能むのう人物じんぶつではなく、軍師ぐんしとして池田いけだ事件じけんをはじめ数々かずかず局面きょくめん近藤こんどうささつづけるも、自信じしん過剰かじょう性格せいかく人望じんぼううすい。しかし近藤こんどうをはじめ、新選しんせんぐみため頑張がんばっている武田たけだ努力どりょくみとめている人間にんげんすくなくなく、武田たけだこころよおもっていなかった土方どかたでさえも、新選しんせんぐみたいするおもいをいたときは否定ひていしなかった。なにかと自分じぶん手柄てがら強調きょうちょうすることがおおく、「軍師ぐんしですから」「わたしが〜」が口癖くちぐせである。
甲州こうしゅうりゅう軍学ぐんがく時代じだいおくれつつあることをかんり、最先端さいせんたん西洋せいよう軍学ぐんがくまなぼうとたい管理かんりしていた河合かわいから50りょうりたが[注釈ちゅうしゃく 9]、そのことが河合かわい三郎さぶろう切腹せっぷく原因げんいんとなってしまう。これで評判ひょうばんとした武田たけだは、直参じきさんてのさい兵学へいがく師範しはんであるということからふく長助ちょうすけつとむよりかくじょう見廻組みまわりぐみ肝煎きもいりかくへの内示ないじけるが、永倉ながくら原田はらだからは日頃ひごろおこないがわる河合かわい切腹せっぷくさせた原因げんいんとして不満ふまんだと異論いろんた。そのためふく長助ちょうすけつとむ同格どうかく納得なっとくするよう近藤こんどう説得せっとくされるが、激怒げきどして直参じきさんたててそのものを返上へんじょうする。そして直参じきさんてに不満ふまん茨木いばらぎ佐野さの中村なかむら富川とみかわらを御陵ごりょう衛士えじ参加さんかするようすすめ、武田たけだはなしをつけに御陵ごりょう衛士えじもとかうが加納かのう参加さんかことわられて立場たちばわるくなったよんにん切腹せっぷくしてしまい、そのこと新選しんせんぐみたい尚更なおさらうとまれてづらくなり、出奔しゅっぽん西洋せいよう軍学ぐんがくしょ手土産てみやげ御陵ごりょう衛士えじ参加さんかしようとするが、伊東いとうすで西洋せいよう軍学ぐんがくしょれており、しまいには「西洋せいよう軍学ぐんがくしょ横取よこどりして邪魔じゃまをした人間にんげん」として裏目うらめてしまい伊東いとうにはすげなくことわられる。薩摩さつまはんすがろうとするが、会津あいづ軍事ぐんじ機密きみつってくるように西郷さいごう吉之助よしのすけわれる。くしているところ、土方どかた沖田おきたたいもどされる。本人ほんにんなか自棄じき気味ぎみ切腹せっぷくする覚悟かくご出来できているとうそぶくが、近藤こんどうからは切腹せっぷくめいじられることはなく、「自分じぶんのせいでんだものたちためにもきることつぐなえ」「もう一度いちどがってい」とさとされつづけることをめいじられる。改心かいしんしてたいらたいからやりなお決意けついをしたが、自分じぶんうらみをっていると自覚じかくしているがゆえに、いやがらせ[注釈ちゅうしゃく 10]をされぬよう相部屋あいべやではなく個室こしつ所望しょもうした。しかしその直後ちょくご屯所とんしょして河合かわい墓参ぼさんったのを沖田おきたつかり、事情じじょうはなしたことで見逃みのがしてもらうが、そのすぐのち脱走だっそうめつけてって大石おおいしくわろうらに背後はいごから急襲きゅうしゅうされ、落命らくめいする。
改心かいしんした矢先やさきでの突然とつぜんに、直前ちょくぜんまではなしをしていた沖田おきた信頼しんらいしていた近藤こんどう武田たけだしみ、[注釈ちゅうしゃく 11]とく近藤こんどうは、「もうここまでにしよう」と、法度はっとによる粛正しゅくせいめるようにつぶやいていた。
河合かわい三郎さぶろう(かわい きさぶろう)
えんじ大倉おおくら孝二こうじ
勘定かんじょうかた播磨はりま商家しょうか出身しゅっしん武術ぶじゅつざい皆無かいむだがそろばんが得意とくい勘定かんじょうかたとしてたい金銭きんせんめんささつづけた。愛想あいそのいい人柄ひとがらで、ひといところをつけるのが上手うまく、おおくのひとかれている。同郷どうきょう松原まつばらとはとくなかい。西洋せいよう軍学ぐんがく習得しゅうとく熱意ねついやす武田たけだかんやなぎとき兵法ひょうほうしょ購入こうにゅう資金しきん捻出ひねりだしたことから、おなほんねらっていた土方どかた勘定かんじょうちょうたい数字すうじわないことを詰問きつもんされる。武田たけだのことはくちらず、親元おやもとから50りょうとどけさせることを条件じょうけん勘弁かんべんしてもらうようにねがゆるされるが、親元おやもとから10にちっても50りょうとどかず切腹せっぷくさせられることになる。への恐怖きょうふから、はらろうとはしなかったが、ついに覚悟かくごめたおりに、介錯かいしゃくたに三十郎さんじゅうろうがしくじってしまいうみでもがいているところを沖田おきたがとどめをさした。先述せんじゅつ切腹せっぷくさい往生際おうじょうぎわわるさをせてしまったものの、最後さいご最後さいごまで武田たけだうらむことはなかった。親元おやもとからのかねとどける飛脚ひきゃく到着とうちゃくしたのは、皮肉ひにくにも切腹せっぷく直後ちょくごだった。
山崎やまざき(やまざき すすむ)
えんじかつら吉弥よしや
しょ調ちょうやくけん監察かんさつ。鍼医師いしいえ出身しゅっしん浪士ろうしぐみ新選しんせんぐみあらためてからのたい募集ぼしゅう入隊にゅうたいさんかい入隊にゅうたい志願しがんしてそのたびことわられていたが面接めんせつしていた土方どかたたちはおぼえておらず、そのひとおぼえられにくい容貌ようぼう変装へんそう利用りようしておも探索たんさくやくつとめる。内山うちやま彦次郎ひこじろう悪事あくじ伊東いとう倒幕とうばくとの密会みっかい脱走だっそうこころみるたいとうひそかに探索たんさくする。また医術いじゅつにもあかるく、やまいおかされた沖田おきた病状びょうじょう察知さっちし、さらには西洋せいよう医学いがくまな伏見ふしみ街道かいどう御陵ごりょう衛士えじ残党ざんとう狙撃そげきされた近藤こんどう治療ちりょうする。鳥羽とば伏見ふしみたたかいで、土方ひじかた斎藤さいとうとも不動ふどうむら屯所とんしょもどったのち大坂おおさかげる途中とちゅうかんへい不意ふいかおりつけられ重傷じゅうしょうう。江戸えどかうふねなか島田しまだ尾関おぜき尾形おがた看取みとられてひっそりといきった。
松原まつばら忠司ただし(まつばら ちゅうじ)
えんじきのえもと雅裕まさひろ
よんばん組長くみちょう角刈かくがりが特徴とくちょう剣術けんじゅつくわ関口せきぐちりゅう柔術じゅうじゅつ心得こころえもあり、入隊にゅうたいいでは素手すで斎藤さいとうさえるほどの腕前うでまえせる。ことあるごとに「えいーやあー!!」と気合きあいごえをあげている。自分じぶんころした長州ちょうしゅう藩士はんしつま・おはつを捨助がこした祇園ぎおん火事かじからすくうなどなにかと面倒めんどうをみている。しかし、そのことを「士道しどうそむいた」と土方どかた糾弾きゅうだんされ、本気ほんき切腹せっぷく決意けついするほどにおもいつめていたところ、「おれいがしたい」とおはつ食事しょくじまねかれ、油断ゆだんしたところをされ致命傷ちめいしょうう。しかし斎藤さいとうがおはつころそうとしたとき最後さいごまで彼女かのじょかばい、斎藤さいとうられて絶命ぜつめいする。その葛山かつらやま同様どうよう斎藤さいとうゆめなか出現しゅつげんした。
尾関おぜきまさ次郎じろう(おぜき まさじろう)
えんじくまめんこい
ちからつよさを見込みこまれ旗持はたもちをつとめるたい池田いけだでは屯所とんしょまもりについたが論功行賞ろんこうこうしょうおこなわれると、屯所とんしょ守備しゅびについたたい対象たいしょうがいという土方どかた方針ほうしんにより恩賞おんしょうはもらえなかった。また永倉ながくら建白けんぱくしょいちけんでは不本意ふほんいながらも永倉ながくららと行動こうどうともにして謹慎きんしんさせられる。鳥羽とば伏見ふしみたたかでは銃弾じゅうだんけてもなおはたつづける気迫きはくせ、永倉ながくらひきいる抜刀ばっとう突撃とつげきでも先陣せんじんった。のち宇都宮うつのみや函館はこだてたたかいにも参戦さんせんしている。
尾形おがた俊太郎しゅんたろう(おがた しゅんたろう)
えんじ飯田いいだはじめゆう
ふく長助ちょうすけつとむ土方どかたじゅう番組ばんぐみ編成へんせい提案ていあんしたさい名簿めいぼでは、のち採用さいようされたさいとはことなりかれ名前なまえきゅうばん組長くみちょうとしてしるされていた。池田いけだ論功行賞ろんこうこうしょうおこなわれたときに登場とうじょう(それ以前いぜんにも近藤こんどうがつねに一筆いっぴつ啓上けいじょうするさい回想かいそう姿すがたせている)。時勢じせい冷静れいせい分析ぶんせき出来でき人物じんぶつで、山南さんなん死後しご仲間なかまたち解説かいせつやく担当たんとうすることがおおい。山南さんなん遺言ゆいごんにより新撰しんせんぐみ活動かつどう詳細しょうさい記録きろくしていた。近藤こんどう江戸えど帰還きかん同行どうこうする。近藤こんどう流山ながれやまらえられたのを新選しんせんぐみ再起さいきみちはないとたい離脱りだつした。新選しんせんぐみそのものともいうべき近藤こんどうすえ見届みとどけるべく板橋いたばし刑場けいじょう出向でむくがそこで(近藤こんどう救出きゅうしゅつすべくなぐりこみをかけてきた)原田はらだひだりすけとばったり再会さいかい、その官軍かんぐんへいつかったため2にんして逃亡とうぼうする。
浅野あさのかおる(あさの かおる)
えんじ中村なかむらしゅんふとし
しょ調ちょうやくけん監察かんさつたいした実力じつりょく度胸どきょういのに、功名こうみょうしん自尊心じそんしんだけは人一倍ひといちばいつよい。池田いけだときには島田しまだいさおとも見張みはりを担当たんとうするが、志願しがん近藤こんどういさむたいぞくする。しかし、いにおびえてしげみにかくす。論功行賞ろんこうこうしょうでは、さしたるはたらきがいまま近藤こんどうたい所属しょぞくしただけで恩賞おんしょうをもらっており、一部始終いちぶしじゅうていた永倉ながくら不満ふまんいだ一因いちいんになっている。たい内部ないぶかえされるたい粛清しゅくせい危険きけんつのらせていき、組長くみちょう一人ひとりであるたに三十郎さんじゅうろう粛清しゅくせいかかわったことが脱走だっそうめる決定けっていとなる。近藤こんどう周平しゅうへいをそそのかして脱走だっそうはかり、斎藤さいとうめられるが見逃みのがされ、そのまま何処どこかへと姿すがたした。
たに三十郎さんじゅうろう(たに さんじゅうろう)
えんじまいどゆたか
ななばん組長くみちょうたにさん兄弟きょうだい長兄ちょうけい土方どかたがあからさまに嫌悪けんおするほどの甲高かんだかわらごえ特徴とくちょう良家りょうけだし槍術そうじゅつまなんでおり、新選しんせんぐみでは槍術そうじゅつ師範しはんつ。浪士ろうしぐみ新選しんせんぐみあらためてからさん兄弟きょうだいそろって入隊にゅうたいした。おとうとである周平しゅうへい近藤こんどう養子ようしすことを近藤こんどうけた張本人ちょうほんにんであるが屯所とんしょ移転いてんさい周平しゅうへい近藤こんどう養子ようしになったことを理由りゆうかれ個人こじん部屋へやにするようもとめるも却下きゃっかされて不平ふへい不満ふまんらすなど、良家りょうけだしなのをいいことに横柄おうへい態度たいどる。武術ぶじゅつ腕前うでまえ新選しんせんぐみないではたいしたものではなかったことから周囲しゅういからの信頼しんらいひくく、池田いけだ事件じけんでは、少数しょうすう精鋭せいえいである近藤こんどうたいへの所属しょぞく期待きたいしていたが、近藤こんどう土方どかたに「すまん、あんたじゃない」といなされ結局けっきょく実現じつげんしなかった。河合かわい切腹せっぷくすることになったさい介錯かいしゃくつとめるも失敗しっぱい狼狽ろうばいしているところを沖田おきた河合かわいめをす、という武士ぶしにあるまじき醜態しゅうたいさらしたため、たいない完全かんぜん孤立こりつ。その居心地いごこちわるさを「わしのおもっていた新選しんせんぐみとはかなりのへだたりがあった」、「そもそもこちらがわから(新選しんせんぐみに)はいってやったんだ」となか逆恨さかうら同然どうぜん新選しんせんぐみ見切みきりをつけると、おとうとたち脱走だっそうちかけるが、近藤こんどうへのおんむくいたい周平しゅうへいからはことわられたため仕方しかたなくおとうとである万太郎まんたろう2人ふたり脱走だっそうはかるも山崎やまざき察知さっちされ、さき屯所とんしょして万太郎まんたろうっていたところ斎藤さいとう島田しまだ浅野あさの捕捉ほそくされる。切腹せっぷくすすめられるも抵抗ていこうし、斎藤さいとうやりいどむもいち太刀たちてられる。新選しんせんぐみ体裁ていさいのために死因しいん見回みまわちゅう不逞ふてい浪士ろうしられたと島田しまだによって偽装ぎそうされた。死後しご土方どかたからは「家柄いえがらがいいことに局長きょくちょうり、いいおもいをしようとしたつまらんやつ」とろされている。
たに万太郎まんたろう(たに まんたろう)
えんじ若松わかまつつとむ
たにさん兄弟きょうだい次男じなん池田いけだ事件じけんではおとうとあきらたけとも近藤こんどうたい所属しょぞくし、池田いけだ玄関げんかんさき死闘しとうひろげた。あにさんじゅうろうとも脱走だっそうはかるが、そのさいなか身勝手みがって理由りゆうたいけることには若干じゃっかん躊躇ちゅうちょする様子ようすせていた。その三十郎さんじゅうろうころされた現場げんばには姿すがたせることなく逃亡とうぼうした。
たに周平しゅうへい(たに しゅうへい)
たにあきらたけし近藤こんどう周平しゅうへいたに周平しゅうへい
えんじ浅利あさり陽介ようすけ
たにさん兄弟きょうだい末弟ばってい長兄ちょうけい無理矢理むりやり参加さんかさせられるかたち入隊にゅうたい当初とうしょたにあきらたけで、のち近藤こんどういさむ養子ようしとなる。池田いけだときには近藤こんどういさむたいぞくしていたが、近藤こんどういのちにより別働隊べつどうたい土方どかた松原まつばら浪士ろうしたちが集結しゅうけつしていることをらせる。周囲しゅういからの過剰かじょう期待きたいとは裏腹うらはら当人とうにんつねにその重圧じゅうあつ苦悩くのうしており、長兄ちょうけいさんじゅうろうから脱走だっそう提案ていあんされたさいにはそれをことわるも、その兄達あにたちがいなくなったこと周囲しゅういからの重圧じゅうあついやがらせがさら増長ぞうちょうすることとなり、苦悩くのうすえ浅野あさのかおる脱走だっそう計画けいかくなか無理むりやりとはいえ参加さんかしてしまったこと近藤こんどう沖田おきたいかりをい、井上いのうえ平助へいすけ必死ひっし嘆願たんがんのおかげで切腹せっぷくまぬかれたものの、養子ようし縁組えんぐみはいったんしとなり、もとのたにせいもどされる。
それでも近藤こんどう跡取あととりにふさわしいおとこたらんと勉学べんがくけん稽古けいこはげかれいさむ最後さいごは「近藤こんどう周平しゅうへい」とんだ。鳥羽とっぱ伏見ふしみたたかいにも参加さんかするが、官軍かんぐん猛攻もうこうまえおくれ、結果けっかてき井上いのうえ戦死せんしする一因いちいんつくってしまう。流山ながれやまいさみこもめによってたいはなれることになったが、このときかれおもいさみから「いのちしめ」という士道しどうとはせい反対はんたいのいたわりの言葉ことばあたえられた。
大石おおいしくわ次郎じろう(おおいし くわじろう)
えんじ根本ねもと慎太郎しんたろう
若手わかて一番いちばんひとであるたい近藤こんどうおな多摩たま出身しゅっしんで、本人ほんにんは「うでだけをたよりに新選しんせんぐみはいった」と豪語ごうごするが、浅野あさのいわく「おもいっきり縁故えんこで(新選しんせんぐみ)にはいっている」とひょうされる。新選しんせんぐみなかでもとく過激かげき性格せいかくぬしで、新選しんせんぐみかたきなすしゃだれであろうともけっして容赦ようしゃせず、またいちでも新選しんせんぐみたいする反逆はんぎゃくや、それをうかがわせる不穏ふおん行動こうどうをとったものたいしても、如何いかなる理由りゆうがあってもゆるさないほど疑心暗鬼ぎしんあんき猜疑心さいぎしんかたまり。それゆえおおく、おもみなどから暴走ぼうそう行為こうい軽率けいそつ行動こうどうはしりやすい危険きけんいちめんもある。
近藤こんどうふところふかさをまえ改心かいしんした武田たけだや、おなじく近藤こんどう和解わかいした伊東いとうを、それぞれ独断どくだん暗殺あんさつ[注釈ちゅうしゃく 12]するひとし結果けっかてき近藤こんどうおもいを水泡すいほうかえし、新選しんせんぐみ混乱こんらん災厄さいやくもたら騒動そうどう度々たびたびこしているが、本人ほんにんはそれらの行動こうどう新選しんせんぐみためであるとうたがいもしない。
また、周平しゅうへい身内みうち七光ななひかりと見下みくだし、ことあるごとにいじめていたが、けん試合しあいやぶれて和解わかいした。
葛山かつらやまたけ八郎はちろう(かづらやま ぶはちろう)
えんじひらはたけ啓史ひろし
しょ調ちょうやくけん監察かんさつ池田いけだ事件じけんまえ入隊にゅうたい池田いけだでは、浪士ろうし交戦こうせんし、められるが斎藤さいとうすくわれている。さしたる理由りゆうもなく入隊にゅうたいした地味じみおとこだが一方いっぽうみがするどく、建白けんぱくしょ騒動そうどうでは、隠密おんみつ行動こうどうしたにもかかわらず近藤こんどう事前じぜん察知さっちして登城とじょうしていた状況じょうきょうから「建白けんぱくしょした一派いっぱなかあいだしゃ(斎藤さいとう)がひそんでいたのでは」とうたがっていた。山南さんなんいわく「ふでおとこ」。永倉ながくらとのいがおおい。山南さんなんたのまれ、永倉ながくららが松平まつだいら容保かたもり提出ていしゅつした建白けんぱくしょ起草きそうする。そのいちけん謹慎きんしんしていたが、近藤こんどう江戸えどもどり、山南さんなん外出がいしゅつしているあいだ建白けんぱくしょ起草きそうしたことを理由りゆう土方どかた切腹せっぷくさせられる。そのさい斎藤さいとう土方どかた顛末てんまつ密告みっこくしていたことをさとり、「裏切うらぎもの!」とさけんで絶命ぜつめいする。その斎藤さいとうゆめなか出現しゅつげん以後いご斎藤さいとうはしばらくこのことさいなまれることになる。また、この騒動そうどうが、山南さんなん脱走だっそうへといた決定的けっていてきなきっかけとなってしまった。
安藤あんどう太郎たろう(あんどう はやたろう)・新田にったかわ左衛門さえもん(にった かくざえもん)
えんじ河西かさい祐樹ゆうき安藤あんどう)・赤堀あかほりえい新田にった
史実しじつでは、ふく長助ちょうすけつとむであり野口のぐち切腹せっぷくするさい介錯かいしゃくつとめている。池田いけだ事件じけんにて近藤こんどういさむたい所属しょぞくするも、深手ふかでいそのくなる。
奥沢おくさわ栄助えいすけ(おくざわ えいすけ)
えんじ松島まつしま圭二けいじろう
池田いけだ事件じけんにて近藤こんどういさむたい所属しょぞく戦死せんしする。
茨木いばらぎつかさ(いばらき つかさ)・佐野さのななさんこれすけ(さの しめのすけ)・中村なかむら五郎ごろう(なかむら ごろう)・富川とみかわ十郎じゅうろう(とみかわ じゅうろう)
えんじ大塚おおつかさいわいふとし茨木いばらぎ)・安藤あんどうきよし佐野さの)・鈴木すずき慶太けいた中村なかむら)・長倉ながくら正和まさかず富川とみかわ
新選しんせんぐみたい直参じきさんてに不満ふまんち、武田たけだそそのかされ御陵ごりょう衛士えじ参加さんかしようとするがことわられ、京都きょうと守護しゅごしょく屋敷やしき自害じがいする。

はこかん新選しんせんぐみ新選しんせんぐみ!! 土方ひじかた歳三としぞう 最期さいごいちにちオリジナルキャラのみ記載きさい

相馬そうま主計かずえ(そうま かずえ)
えんじ小橋こはしけん
市村いちむら鉄之助てつのすけ(いちむら てつのすけ)
えんじいけまつたけしあきら
ありどおりかんわれ(ありどおし かんご)
えんじ山崎やまざきいつきはん
山野やまの八十八やそはち(やまの やそはち)
えんじ鳥羽とばじゅん

壬生みぶ浪士ろうしぐみ

編集へんしゅう
粕谷あらや新五郎しんごろう(かすや しんごろう)
えんじ伊吹いぶき吾朗ごろう
水戸みとはん出身しゅっしん荒木あらき又右衛門またえもん再来さいらいといわれる剣豪けんごう沖田おきた藤堂とうどうたちにしたわれている。一番いちばんぐみ小頭こがしら希望きぼう根岸ねぎし暴言ぼうげん芹沢せりざわたしなめる。そしてかたなきかけた芹沢せりざわ早業はやわざめる。出立しゅったつまえ居酒屋いざかや食事しょくじをしていたさいに、芹沢せりざわ野口のぐちかたなかれるが、出立しゅったつげに沖田おきたともにまたしても早業はやわざかたないてうごきをふうじた。
本庄ほんじょう宿やどでは宿場しゅくばなかをする芹沢せりざわめるよう沖田おきた懇願こんがんされるが、かれ芹沢せりざわ真意しんい見抜みぬいておりさとした。浪士ろうしぐみ江戸えど帰還きかんさいにはとものこるように沖田おきた説得せっとくされるが「もうすこわかければ」とことわる。
しかし、ふたた近藤こんどう沖田おきた説得せっとくされると仲間割なかまわれをしないことを条件じょうけんおうじる。その殿内とのうちころされると、芹沢せりざわころしたことは明白めいはくにもかかわらず下手人げしゅにん不明ふめいだという近藤こんどう不信ふしんかんつのらせ、かれたい今後こんごすえ示唆しささせる予言よげんめいたしかげんをいいのこしつつ壬生みぶ浪士ろうしぐみ脱退だったいした。
殿内とのうち義雄よしお(とのうち よしお)
えんじ生瀬なませ勝久かつひさ
上総かずさ出身しゅっしんけん流派りゅうはは「自己流じこりゅう」。浪士ろうしぐみ結成けっせいさいには先番せんばん宿割しゅくわりをつとめるが、出発しゅっぱつまえ近藤こんどうわられる。わられたのちはどのくみぞくしているかわからず右往左往うおうさおうする有様ありさまであった。神経質しんけいしつ本庄ほんじょう宿やどでは宿やど担当たんとうであった沖田おきた一人ひとり部屋へや布団ふとん部屋へや用意よういさせるが、結局けっきょくでの野宿のじゅくあきらめた芹沢せりざわ同宿どうしゅくとなる。
浪士ろうしぐみ一部いちぶきょう残留ざんりゅうしたさい佐々木ささき只三郎たださぶろうめいじられ、目付めつけやくとして壬生みぶ浪士ろうしぐみ参加さんかきょうまる。佐々木ささき配下はいかやなぎ同志どうしつのるようさそわれていることが発覚はっかくし、近藤こんどう説得せっとくされる。その外出がいしゅつしているところを仲間なかまつのりにだいさかかっているとおもわれ芹沢鴨せりざわかもられる。しかし、じつ江戸えどもど佐々木ささきにすべて事情じじょう説明せつめいしたのちきょうもどふたた参加さんかするとの近藤こんどうへの手紙てがみのこしていた。
根岸ねぎしともさん(ねぎし ゆうざん)
えんじ奥村おくむらこうのべ
かつて千葉ちば周作しゅうさく北辰ほくしん一刀いっとうりゅうまなんでいたが、浪士ろうしぐみ結成けっせいさいにはあしもおぼつかない様子ようすであった。浪士ろうしぐみではいち番組ばんぐみ小頭こがしらをつとめる。それを不満ふまんおも芹沢せりざわことあるごとに「ジジイ」とののしられていたことから、年寄としよあつかいされること激怒げきど
清川きよかわ江戸えど帰還きかん壬生みぶ浪士ろうしぐみ参加さんかし、きょう残留ざんりゅうする。しかし、根岸ねぎし殿内とのうち同様どうよう佐々木ささきいきがかかっていた。殿内とのうちころされると、粕谷あらやとも壬生みぶ浪士ろうしぐみ脱退だったいする。
おもねとめするど三郎さぶろう(あびる えいざぶろう)
えんじ矢部やべ太郎たろう
井上いのうえ源三郎げんざぶろうさそわれ、病弱びょうじゃく江戸えどかえ気力きりょくがないという理由りゆう壬生みぶ浪士ろうしぐみ参加さんかする。
壬生みぶ狂言きょうげん会津あいづはん公用こうようかたおとずれたさい体調たいちょうわるく、せきはずしているとき佐々木ささき配下はいかやなぎ芹沢せりざわ近藤こんどうへの牽制けんせいため殿内とのうち根岸ねぎし同志どうしつのるようげているのを目撃もくげきし、それを近藤こんどうたちにげる。その大津おおつ親戚しんせきもと静養せいようするためたいはなれた。かれ脱退だったいをもって、壬生みぶ浪士ろうしぐみ近藤こんどう芹沢せりざわ完全かんぜん二分にぶんされることとなる。
いえさと次郎じろう(いえさと つぐお)・遠藤えんどうたけあん(えんどう じょうあん)
えんじかなやすけいぎょういえさと)・鈴木すずきけん遠藤えんどう
浪士ろうしぐみではいち番組ばんぐみ所属しょぞくのち壬生みぶ浪士ろうしぐみ参加さんかするも粕谷あらや根岸ねぎしらととも脱退だったいする。

浪士ろうしぐみ

編集へんしゅう
清河きよかわ八郎はちろう(きよかわ はちろう)
えんじ白井しらいあきら
もと出羽でわ庄内しょうない郷士ごうし山岡やまおかいわく「戦国せんごくまれていたらおそらく天下てんかっていた」ほど人物じんぶつ熱烈ねつれつ尊王そんのう攘夷じょういろんしゃで、ヒュースケンの暗殺あんさつくわだてていた。将軍しょうぐん徳川とくがわ家茂いえもち上洛じょうらくわせ、将軍しょうぐん警護けいごためという名目めいもく浪士ろうしぐみ創設そうせつするが、しん目的もくてき尊王そんのう攘夷じょうい先鋒せんぽうとするためであった。鵜殿うどの鳩翁きゅうおう佐々木ささき只三郎たださぶろうらは警戒けいかいし、きょう目指めざさい人目ひとめにつく東海道とうかいどうより遠回とおまわりの中山道なかせんどうすすむことに決定けっていしてしまう。また、やくだった近藤こんどう先番せんばん宿割しゅくわりかせ、土方どかたからじゅうりょうり、これを元手もとで浪士ろうしぐみいちぎょうとはべつ行動こうどうをとる。浪士ろうしたばねることができるのは自分じぶんしかいないとおもらせるためであったが、道中どうちゅうでも山岡やまおか連絡れんらくやく浪士ろうしたち警戒けいかいおこたらなかった。きょう到着とうちゃく佐々木ささきたちの不在ふざいねらって浪士ろうしたち235めい署名しょめいあつめ、朝廷ちょうてい建白けんぱくしょ提出ていしゅつして尊王そんのう攘夷じょうい大義たいぎたすことを標榜ひょうぼうする。浪士ろうしぐみ幕府ばくふからはなそうとしたため、近藤こんどう芹沢せりざわらは江戸えど帰還きかん反対はんたい大騒おおさわぎとなる。反発はんぱつされたことへのいきどおりから、さい近藤こんどう対面たいめんし、「あなたが夢見ゆめみ武士ぶし時代じだいはもうすぐわる!」と皮肉ひにくてる。その芹沢せりざわ一派いっぱねらわれるが、近藤こんどう手配てはいにより山南さんなんらと偶然ぐうぜん居合いあわせた斎藤さいとうすくわれる。江戸えど帰還きかんしたのち佐々木ささきられる。
山岡やまおか鉄舟てっしゅう(やまおか てっしゅう)
山岡やまおか鉄太郎てつたろう山岡やまおか鉄舟てっしゅう
えんじ羽場はば裕一ひろいち
当初とうしょ鉄太郎てつたろう近藤こんどうとは山南さんなん仲介ちゅうかい出会であう。幕臣ばくしんではあるが清河きよかわ八郎はちろう理解りかいしゃで、浪士ろうしぐみ取締とりしまりとして浪士ろうしぐみ結成けっせいにも参画さんかくする。のち精鋭せいえいたい兵頭ひょうどうかくとなり、勝海かつみふねもと幕府ばくふ後始末あとしまつ尽力じんりょくする。浪士ろうしぐみ結成けっせいさい清河きよかわから結成けっせい真意しんいはなされ、かれのために周囲しゅうい言動げんどうをするが、本人ほんにん裏表うらおもて人物じんぶつで、勝海かつみふねきのえよう鎮撫ちんぶたいとして近藤こんどう甲府こうふくようにめいじたときは「近藤こんどうをそこまでっていたのですか」とったため、かちに「おまえのようなのを西洋せいようではロマンチストとうんだよ」とあきれられてしまう。
松平まつだいら上総かずさかい(まつだいら かずさのすけ)
松平まつだいら主税ちからすけ松平まつだいら上総かずさかい
えんじ藤木ふじきたかし
旗本はたもとこうたけしょ教授きょうじゅかた当初とうしょ主税しゅぜいすけ文久ぶんきゅう2ねん12月9にち(1863ねん1がつ28にち)、こうたけしょ剣術けんじゅつ教授きょうじゅかた兼任けんにんのまま、浪士ろうし取扱とりあつかい任命にんめいされる。かつら小五郎こごろう近藤こんどういさむ紹介しょうかいされ、こうたけしょ教授きょうじゅかた見習みならい近藤こんどういさむ推薦すいせんした。しかしのちいさむ百姓ひゃくしょう出身しゅっしんであることが判明はんめいしたため、つめたくあしらう。その浪士ろうしぐみ取扱とりあつかいになるが、用意よういした支度したくきんりなくなると仮病けびょうよそお責任せきにんのがれをする。近藤こんどうらがきょうげるとてのひらかえしてたたえた。治安ちあんみだれる京都きょうと警備けいび担当たんとうさせるために浪人ろうにんあつめて浪士ろうしぐみ結成けっせいしようとした企画きかく責任せきにんしゃ
鵜殿うどの鳩翁きゅうおう(うどの きゅうおう)
えんじ梅野うめのやすしやすし
浪士ろうしぐみ取扱とりあつかい浪士ろうしぐみをつとめていた松平まつだいら上総かずさかい辞任じにんしたのち佐々木ささき只三郎たださぶろうの「清河きよかわ八郎はちろう浪士ろうしぐみおもどおりにさせてはならない」との説得せっとくにより浪士ろうしぐみ取扱とりあつかいとなる。江戸えどかえまえ近藤こんどうたちもきょうれてかえるように手代木てしろぎ直右衛門すぐえもんたのまれた席上せきじょう近藤こんどう評価ひょうかする心中しんちゅうの吐露とろする。そして、近藤こんどうたちのうしたて会津あいづはんがなる手助てだすけをするよう佐々木ささき只三郎たださぶろうめいじる。
速見はやみ又四郎またしろう(はやみ またしろう)
えんじ七海ななうみさとし
浪士ろうしぐみ取締とりしまりなみ佐々木ささきとも清河きよかわ暗殺あんさつする。
池田いけだ徳太郎とくたろう(いけだ とくたろう)
えんじなかいさお
近藤こんどうとも先番せんばん宿割しゅくわりをつとめる。傲岸ごうがん性格せいかくで、本庄ほんじょう宿やどでの宿割しゅくわり仕事しごとすべ近藤こんどうにおしつけていた。佐々木ささきに「芹沢せりざわ仲間なかまさわいでこまるので一人ひとり部屋へやにするように」とめいじられ、それも近藤こんどうまかせる。それがもと本庄ほんじょう宿やど芹沢せりざわ一派いっぱ騒動そうどうこすが、対応たいおう完全かんぜん萎縮いしゅくしていた。清河きよかわさくにより朝廷ちょうてい建白けんぱくしょ提出ていしゅつすることになったが、建白けんぱくしょには署名しょめいせず、江戸えど帰還きかん反対はんたいする。清河きよかわ友人ゆうじんおもっていたが一言ひとこと相談そうだんもなかったことにおこったためであった。そのきょうのこしゅんで愚痴ぐちっていたが、おうめにこぼしたさけみになったと抗議こうぎされからんでいたところ芹沢せりざわにつまみされた。
ゆう天仙てんせんこれすけ(ゆうてん せんのすけ)
えんじ渡部わたなべ雄作ゆうさく
番組ばんぐみ小頭こがしら博徒ばくと出身しゅっしん大村おおむらいたるかたきとしてねらわれ、ついにきょう襲撃しゅうげきされる。そのさい手傷てきずったものの火事かじさわぎですくわれたが、最終さいしゅうかいではその大村おおむらたれたことがかたられている。
大村おおむらいたる(おおむら たつお)
えんじ江畑えはた浩規ひろのり
ゆう天仙てんせんこれすけちちころされ、かたきつために浪士ろうしぐみ入隊にゅうたい。しかし、ゆうてんというあだ博徒ばくところしたというはなしひとつたえにいただけで確証かくしょうはなかった。宿やど都合つごう本庄ほんじょう宿やどでは番組ばんぐみゆうてん同宿どうしゅくになる。きょう芹沢せりざわいたる清河きよかわろうとしているよるゆう天仙てんせんこれすけ襲撃しゅうげきし、手傷てきずわせるも火事かじさわぎで逃亡とうぼうされる。その最終さいしゅうかい偶然ぐうぜん永倉ながくら再会さいかいし、かたきって本望ほんもうたしたことをげるが、ぎゃく自身じしんゆうてん子分こぶんたちからかたきとしてわれるとなっていた。
村上むらかみしゅん五郎ごろう(むらかみ しゅんごろう)
えんじ立川たちかわ政市まさいち
ろく番組ばんぐみ小頭こがしら本庄ほんじょう宿やど宿やど部屋割へやわりを担当たんとうしていた山南さんなんを「田舎いなかさむらい」とんで見下みくだし、あしあらおけってくるようにめいじる。ことわ山南さんなんからむが、土方どかたに「この田舎いなかさむらい北辰ほくしん一刀いっとうりゅう使つかだ」とわれがる。土方どかたいわく、もと建具たてぐらしい。

多摩たまためしまもるかん人々ひとびと

編集へんしゅう
近藤こんどうあまねとき(こんどう しゅうさい)
近藤こんどう周助しゅうすけ近藤こんどうあまねとき
えんじ田中たなか邦衛くにえ
近藤こんどういさむ養父ようふ周助しゅうすけ天然てんねんしんりゅう3代目だいめいさみ養子ようしむかえて隠居いんきょし、しゅうひとし名乗なのる。「浪士ろうしぐみ参加さんか上洛じょうらくしたい」とったいさみこころよおくす。たい募集ぼしゅう老中ろうじゅうへの説得せっとくのため江戸えどもどったいさむったときには病気びょうきせりがちになっていた。そして、鳥羽とば伏見ふしみたたかのち新選しんせんぐみ江戸えどもどまえくなったが最後さいごに「おまえおれほこりだ。おまえ息子むすこにもててしあわせだった。おれせがれまこと武士ぶしだ」という言葉ことばいさみつたえるようふでとつねにたくした。
近藤こんどうふで(こんどう ふで)
えんじ野際のぎわ陽子ようこ
近藤こんどう周助しゅうすけつま近藤こんどういさむ養母ようぼ周助しゅうすけいさみ養子ようしむかえてからはいさむ農家のうか出身しゅっしんであるのが不満ふまんでつらくあたる。しかし、いさむ上洛じょうらくまえに「しんだけでも武士ぶしでありたい。武士ぶし以上いじょう武士ぶしらしくきるのがねがい」と本心ほんしんげたことで、自分じぶんおなじく武家ぶけ世界せかいこうと足掻あがいてきたとさとり、みずからも下総しもうさ農家のうか出身しゅっしん置屋おきや芸者げいしゃから周助しゅうすけ身請みうけされた過去かこ告白こくはくし、わだかまりをく。そのさいに「近藤こんどうのために存分ぞんぶんはたらきなさい。そして武士ぶしよりも武士ぶしらしくなってもどってきなさい」とげるとともに「百姓ひゃくしょう見下みくだやつらは存分ぞんぶん見返みかえしてやりなさい」と上洛じょうらく後押あとおしした。
そのいさみ応援おうえんし、板橋いたばし斬首ざんしゅされるときは「近藤こんどういさむ、よくたたかいました!」とこえけた。
沖田おきたみつ(おきた みつ)
えんじ沢口さわぐち靖子やすこ
沖田おきた総司そうしあね総司そうしこころみまもるかん門人もんじんであることからよくこころみまもるかん出入でいりしており、としさん同様どうよういさむことを「かっちゃん」とぶ。いさみ身辺しんぺん世話せわをしたりいさむとしさんらと盗賊とうぞく退治たいじかけるなど序盤じょばんのヒロインてきあつかいだった。いさみらの上洛じょうらくさいいさむながあいだ自分じぶん恋心こいごころせていたのをっていたこと、そして本当ほんとう自分じぶんいさむきだったことげ、おとうとたくしておくした。
江戸えどもどってきた近藤こんどう伝通院でんづういん再会さいかいし、総司そうし労咳ろうがいであることをげられる。そして総司そうしいにったときみずからのいのちながくはないことをみつにかた総司そうしに、みつならではの言葉ことばそうつかさはげます。なお黒船くろふね来航らいこういさむ歳三としぞう入手にゅうしゅしたシャンパンのコルクせん総集編そうしゅうへんいさみらのことを回想かいそうする彼女かのじょ手元てもとにあるが、これは函館はこだてたたかとしさん市村いちむら鉄之助てつのすけめいじてとどけさせたものである。
近藤こんどうつね(こんどう つね)
松井まついつね→近藤こんどうつね)
えんじ田畑たばた智子さとこ
近藤こんどういさむつま松井まつい八十やそ五郎ごろうむすめで、いさむ結婚けっこんし、たまをむ。素直すなおだての性格せいかくで、ふでにも「仕事しごとおそい」とわれながらも評価ひょうかされている。
滝本たきもと捨助(たきもと すてすけ)
えんじ中村なかむら獅童しどう
実在じつざい人物じんぶつ松本まつもと捨助近藤こんどういさむ斬首ざんしゅともんだ無名むめいたいをモデルにした、主要しゅよう人物じんぶつでは唯一ゆいいつ架空かくう人物じんぶつ。(後者こうしゃ存在そんざいさんたにみなもと太郎たろうとの『冗談じょうだん新選しんせんぐみ収録しゅうろく対談たいだんかたられている)
近藤こんどういさむ幼馴染おさななじみで、土方どかた同様どうようかれを「かっちゃん」とぶ。多摩たま資産しさん滝本たきもとまれる。「ばれもしないのにあらわれる」と自称じしょうするとおり、物語ものがたりちゅういたところ出没しゅつぼつ浪士ろうしぐみはいるためにあのこの画策かくさくしていた。畿内きないよりげるさいに、その頑固がんこさに近藤こんどういたる根負こんまけしたことと、鳥羽とば伏見ふしみたたか喪失そうしつした戦力せんりょく補強ほきょうため、ようやく入隊にゅうたいゆるされるも、ほどなく近藤こんどう捕縛ほばくされ、かれ救出きゅうしゅつあきらめた土方どかたたち納得なっとくがいかず決裂けつれつ単身たんしん近藤こんどう救助きゅうじょかうも、面会めんかいした近藤こんどうから「新選しんせんぐみたいではない」と一蹴いっしゅうされ、かえされてしまう。そのこと激怒げきど不貞腐ふてくされていたが、ふでやつねたちから指摘してきけ、前述ぜんじゅつ態度たいど自分じぶんなせないために近藤こんどうった苦渋くじゅう決断けつだんだったことる。近藤こんどう処刑しょけい直前ちょくぜんかれたすけるために単身たんしんで「新選しんせんぐみたい滝本たきもと捨助!」と名乗なのりをげて刑場けいじょうむも、たちどころに警備けいびへいられ絶命ぜつめいした。
佐藤さとう彦五ろう(さとう ひこごろう)
えんじ小日向おびなたぶん
にち野宿のじゅく名主なぬし土方ひじかた歳三としぞう義兄ぎけいにあたる。近藤こんどういさむとは義兄弟ぎきょうだいちぎりをむすんでいる。さけよわい。新選しんせんぐみ支援しえんする。春日しゅんじつたい組織そしきし、きのえよう鎮撫ちんぶたいくわわった。終盤しゅうばんいさみ官軍かんぐんらわれ斬首ざんしゅされるとったときには、わすれて救出きゅうしゅつかおうとした。
佐藤さとうのぶ(さとう のぶ)
えんじ浅田あさだ美代子みよこ
土方ひじかた歳三としぞうあね佐藤さとう彦五ろうつまわかとしさん理解りかいしゃである。行商ぎょうしょうみちすすもうとしていた歳三としぞうじつけんみちすすみたがっていることをいさみつたえる。
小島こじま鹿之助しかのすけ(こじま しかのすけ)
えんじ小野おの武彦たけひこ
多摩たま名主なぬし近藤こんどういさむ後見人こうけんにん義兄弟ぎきょうだい多摩たまおとずれた近藤こんどういさむ屋敷やしきぞくおそわれた滝本たきもと繁蔵しげぞうくらもの移送いそうするようにたのむ。近藤こんどうたちが浪士ろうしぐみとして上洛じょうらくするのには反対はんたいした。そして、近藤こんどう流山ながれやまらえられ佐藤さとう彦五ろう救出きゅうしゅつかおうとしたときはのぶとどもめたが、「こんなやりかた薩長さっちょう時代じだいながくはつづかない。いずれ近藤こんどうさんののちつづものがこの多摩たまからまれるとしんじています」とかたる。
宮川みやがわおと五郎ごろう(みやがわ おとごろう)
えんじ阿南あなみ健治けんじ[注釈ちゅうしゃく 13]
近藤こんどういさむ実兄じっけいいさむ武士ぶしになったことをよろこび、応援おうえんしている。浪士ろうしぐみ結成けっせいさいにはいさみに20りょうもとめたとらてっ餞別せんべつとしてわたす。いさむ贋物にせものりながらり、「あにじょう気持きもちを大事だいじにしたい。おれがこれをとらてっにする」とよろこぶ。いさむ板橋いたばし斬首ざんしゅされるさいは、「おまえ多摩たまほこりだ!」とこえけた。
土方ひじかた為次郎ためじろう(ひじかた ためじろう)
えんじぐりづかあさひ[注釈ちゅうしゃく 14]
土方ひじかた歳三としぞうあに盲目もうもくのため家督かとくいでいない。まだ将来しょうらいえていなかった近藤こんどういさむとしさんに「二人ふたり時代じだいむすびなさい」とさとす。そして、流山ながれやま訣別けつべつのち故郷こきょうもどった土方どかたに、近藤こんどうをもりてた歳三としぞうとなえ「おまえたち多摩たまほこりだ。なにただしくて、なに間違まちがっていたなど100ねんひとめればよい」とった。
滝本たきもと繁蔵しげぞう(たきもと しげぞう)
えんじ沼田ぬまた曜一
滝本たきもと捨助のちち多摩たま資産しさん屋敷やしきぞくおそわれ、近藤こんどういさむたちにぞうもの移送いそうしてもらう。
宮川みやがわ勇五郎ゆうごろう(みやがわ ゆうごろう)
えんじ木挽こびきれい
宮川みやがわおと五郎ごろう多摩たま宮川みやがわおとずれたいさみにせがんでいさみおと五郎ごろうこぶしくちれさせた。
なつ
えんじ岩崎いわさき根子ねっこ
近藤こんどうふでと牛込うしごめ置屋おきや一緒いっしょはたらいていたふる友人ゆうじんでありかつての芸者げいしゃ仲間なかま。ふでがいさみとつねと縁談えんだんけん周助しゅうすけ喧嘩けんかをしていえしたさいにはなつのかった。なつの口添くちぞえもありふではためしまもるかんもどった。そのさいに「息子むすこいじめもほどほどにしなさい」とふでをたしなめた。居候いそうろうえ、よめのつねが口答くちごたえするようになったことなどにはらてたふではふたたしたときふたたびなつの世話せわになった。
のち自分じぶんいえ周助しゅうすけ・ふで夫妻ふさい隠居いんきょさきとして提供ていきょうしてさんにんらす。きょう旅立たびだとうとするいさみがふでに挨拶あいさつをしようとしたとき、「いたいことは、のちのこさないほうがいいわよ」とうながし、二人ふたりのわだかまりをはしとなった。
沖田おきた林太郎りんたろう(おきた りんたろう)
えんじ日野ひのようひとし
沖田おきた総司そうし義兄ぎけいながいものにかれやすい性格せいかく沖田おきたみつをつまとし婿養子むこようしになり沖田おきた当主とうしゅとなる。近藤こんどういさむとつねの婚礼こんれいせきにおいのさけって登場とうじょうした。みつにすすめられてためしまもるかん稽古けいこにもかようが、つま義弟ぎていちがい、度胸どきょう剣術けんじゅつ腕前うでまえもいまひとつ。浪士ろうしぐみ参加さんかするが、新見にいみおなぐみであったために、本庄ほんじょう宿やどでは芹沢せりざわ野宿のじゅく宣言せんげんしたさい材料ざいりょうさがしにかされる。浪士ろうしぐみきょうからげるときにはためしまもるかん道場どうじょう仲間なかまとは行動こうどうともにせず、江戸えどもどってしまい、みつや近藤こんどう面々めんめんあきれられ、顰蹙ひんしゅくってしまった。そのしんちょうぐみはいり、鳥羽とば伏見ふしみたたかいのまえ江戸えどもどった近藤こんどう伝通院でんづういん再会さいかいする。
松井まつい八十やそ五郎ごろう(まつい やそごろう)
えんじ浅沼あさぬま晋平しんぺい
近藤こんどうつねのちち
松井まついきぬ(まつい きぬ)
えんじ芦沢あしざわ孝子たかこ
近藤こんどうつねのはは
萩原はぎはらただし(はぎわら ただす)
えんじ榎木えのき兵衛ひょうえ
小山おやまむら現在げんざい町田まちだ)に在住ざいじゅうしている老人ろうじんむかし相当そうとう使つかだったらしく、いさむよん代目だいめ襲名しゅうめいさい体調たいちょうくずした小島こじま鹿之助しかのすけわりに天然てんねんしんりゅう紅白こうはく試合しあいべにぐみそう大将たいしょうをつとめたが、そのたよりなさげな風貌ふうぼうから「どっかられてきたんですか」と土方どかたわれてしまう。試合しあい一方いっぽうてきべにぐみ土方どかた山南さんなん永倉ながくら原田はらだ、みつが参加さんかしたためしまもるかんぜい)が優勢ゆうせいで、しろぐみ大将たいしょう(その多摩たま剣客けんかくぜい)の佐藤さとう彦五ろうあやうい情勢じょうせいであったが、しろぐみ沖田おきた総司そうし加勢かせいしたため、形勢けいせい逆転ぎゃくてんし、結局けっきょく土方どかた懸念けねんしていたとおりなにやくにたず、最後さいご一切いっさい抵抗ていこうせずに沖田おきたがくにつけた土器どきられ、試合しあいしろぐみ勝利しょうりわる。そんなためしまもるかんにとってはなさけない結果けっかしゅうひとしなげいたが、いさむ満足まんぞくそうにみをかべていた。
寺尾てらお(てらお)・徳次郎とくじろう(とくじろう)
えんじ小林こばやしひでのり寺尾てらお)・飯田いいだまさと徳次郎とくじろう
ためしまもるかん門人もんじん
ひもじい
えんじ江幡えはた高志たかし
土方ひじかた歳三としぞう行商ぎょうしょう仲間なかま歳三としぞう道場破どうじょうやぶりをおこない、怪我けがをした門人もんじんたちくすりりつけていたが、その手口てぐちがばれてとしさん共々ともどもひどい報復ほうふくける。このことがとしさんけんみちすきっかけとなった。
近藤こんどうたま(こんどう たま)
えんじ松元まつもとたまき幼児ようじ時代じだい山城やましろかさはな幼年ようねん時代じだい鎗田やりた千裕ちひろ
近藤こんどういさむむすめ。ゲンコツをくわえるくせがあるらしい。

きょう人々ひとびと

編集へんしゅう
深雪みゆき太夫たゆう(みゆきだゆう)
えんじ優香ゆか少女しょうじょ時代じだい枚田ひらた菜々子ななこ
本名ほんみょうこう大坂おおさか新町しんまち遊郭ゆうかくの、太夫たゆうきょうまちあるいていた武士ぶしにぶつかったと因縁いんねんをつけられて、まさの甘味あまみんだとき近藤こんどう永倉ながくら藤堂とうどう井上いのうえ斎藤さいとういたるすくわれる。きょうていたのはじついもうとのおこうさがしにていたためであった。しとやかな性格せいかくのちだいさか近藤こんどう再会さいかいし、愛人あいじんとなる。そのさい寺田てらだきょうていたつねにってしまう。つねはくやしさをおぼえつつも、いさむささつづけてきたことをみとめ、「いさむきょうるときまで」という条件じょうけんで、おこういさみ愛人あいじんとなることを承諾しょうだくする。きょうでは醒ヶ井さめがい妾宅しょうたくむことになる。山崎やまざき近藤こんどういのちによりおこうさがそうとしたが、うことなく過労かろうもと病死びょうしする。
こう(おこう)
えんじ優香ゆかやく)(少女しょうじょ時代じだい金子かねこ莉菜りな
深雪みゆき太夫たゆういもうと深雪みゆき太夫たゆうとはわかれになっていた。深雪みゆき太夫たゆうことなり、お転婆てんば性格せいかく最後さいご沖田おきた総司そうし看病かんびょうするやくにない、そのあかるい性格せいかく沖田おきたいやす。沖田おきた刺客しかく襲撃しゅうげきされたさいかたながない[注釈ちゅうしゃく 15]沖田おきた刺客しかくからかばおうとしたが、斬殺ざんさつされる。
うめ(おうめ)
えんじ鈴木すずき京香きょうか
菱屋ひしやわらわであったが、正妻せいさいにらまれ壬生みぶ前川まえかわんでいた。格子こうししに色目いろめ使つかうおうめむら規律きりつみだしたと壬生みぶむらからされそうになっていたところ、芹沢鴨せりざわかも愛人あいじんとする。物憂ものうげな色気いろけ女性じょせい沖田おきたをたぶらかしたり、芹沢せりざわ大和屋やまとや襲撃しゅうげきをけしかけたりと、周囲しゅうい不幸ふこうになるようにきていたが、次第しだい芹沢せりざわしんからあいうようになる。芹沢せりざわ暗殺あんさつさいには沖田おきたげるようにわれるが、自身じしん芹沢せりざわ運命うんめいともにする決意けついいだき、沖田おきたかたなみずからをし、芹沢せりざわのちう。
八木はちぼくげんすすむ(やぎ げんのじょう)
えんじ伊東いとう四朗しろう
壬生みぶ郷士ごうし八木はちぼく当主とうしゅ浪士ろうしぐみきょう宿舎しゅくしゃとなり、そのてをめる会合かいごうおくれてきたばちで、浪士ろうしぐみなかでも問題もんだい人物じんぶつとされていた芹沢鴨せりざわかもなど水戸みと近藤こんどういさむなどこころみまもるかんいちなどをあずかることになる。清河きよかわ八郎はちろう朝廷ちょうていへの建白けんぱくしょ建議けんぎのち浪士ろうしぐみ江戸えどもどることになったが、近藤こんどう芹沢せりざわいたるはそのまま八木はちぼくのこり、みなもとすすむ困惑こんわくさせる。その八木はちぼく西本願寺にしほんがんじ移転いてんするまで新選しんせんぐみ屯所とんしょとなった。最初さいしょ迷惑めいわくおもっていたが、ひさ通夜つやせき浪士ろうしたちが協力きょうりょくしてくれたことから態度たいどあらためた。池田いけだまえには近藤こんどう意見いけんもとめられ激励げきれいする。山南さんなん切腹せっぷくさいには土方どかた反対はんたい意見いけんする。西本願寺にしほんがんじ新選しんせんぐみうつさいには「ここはあんさんたちにはおさとみたいなもんや。いたらいつでももどってきておくれやす」とった。
八木やぎひで(やぎ ひで)
えんじ吹石ふきいし一恵かずえ
八木はちぼくげんすすむむすめ架空かくう人物じんぶつ浪士ろうしぐみはいってくるさい貞操ていそう心配しんぱいしたみなもとすすむによりしばらく男性だんせい変装へんそうさせられ、「しゅう二郎じろう[注釈ちゅうしゃく 16]名乗なのことになる。黙認もくにんしていた芹沢せりざわ以外いがい浪士ろうしたちにそのことは露見ろけんしなかったものの、それが原因げんいん彼女かのじょ華奢きゃしゃ体格たいかく懸念けねんした近藤こんどういたるに、剣術けんじゅつ稽古けいこをつけられてしまう。また、上半身じょうはんしんはだか稽古けいこをするたいたちを目撃もくげきして、どぎまぎとした表情ひょうじょうかべる場面ばめんもある。そのひさ通夜つやせきで、ちちみなもとすすむから、しゅう二郎じろう(ひで)はじつ女性じょせいであると近藤こんどう土方ひじかた沖田おきた紹介しょうかいされる。とく総司そうしことにかけ、なにかと世話せわこうとするが、沖田おきたはおうめ恋心こいごころいていたことから、んでいたところ藤堂とうどうはげまされる。それでも沖田おきたのことをにかけており、病状びょうじょう心配しんぱいして、医者いしゃれてく。新選しんせんぐみ上方かみがたから江戸えどげるさいふたた男装だんそう登場とうじょうし、ねぎらいの言葉ことばをかける。
八木やぎみやび(やぎ まさ)
えんじまつきむよね
八木はちぼくげんすすむつま芹沢せりざわいたる乱暴らんぼう困惑こんわくしている。小野川おのがわ部屋へや黒神くろかみきで、壬生みぶ相撲すもう大会たいかい開催かいさいされるとよろこんだ。そして、きょうから新選しんせんぐみとき「あれだけきょうのためにくしてきたほうが…」となげいた。
ひさ(ひさ)
えんじ正司しょうじ歌江うたえ
八木やぎみやびはは最初さいしょ浪士ろうしたちを毛嫌けぎらいしていて玄関げんかんわきほうきさかさにてる。しかし、寺院じいん浪士ろうしぐみはや壬生みぶからくようにねがっていて、かえりに気分きぶんわるくなったところを原田はらだひだりすけ背負しょわれて部屋へやもどる。そのさいひだりすけを「んだじいさまにている」と好意こういせるようになり、かれ自分じぶんくしてくれている感謝かんしゃから、たがいに交流こうりゅうふかめる間柄あいだがらとなる。最後さいごほうきただしくてるようにみやびめいじ、ひだりすけ感謝かんしゃあらわしてくなる。その通夜つや葬式そうしき浪士ろうしぐみ仕切しきりをおこなう。
ひだりすけ土方どかた説得せっとくもあってい、ひさにはなみだし、しばらくふさんだほどであった。
八木やぎ為三郎ためさぶろう(やぎ ためさぶろう)
えんじまきしまいちしょう
八木はちぼくげんすすむ息子むすこ。よく芹沢せりざわ沖田おきたあそんでいる。
房吉ふさきち(ふさきち)
えんじほしルイス
八木はちぼく奉公人ほうこうにん新選しんせんぐみ西本願寺にしほんがんじ屯所とんしょうつしてからも、八木はちぼくげんすすむまわりの世話せわにと屯所とんしょ派遣はけんしたが、井上いのうえ源三郎げんざぶろうがお茶入ちゃいれをおこなうため仕事しごとがない状態じょうたいになる。鳥羽とば伏見ふしみたたかのち後始末あとしまつきょうもどった土方どかたから長年ながねん苦労くろうねぎらわれ、八木はちぼくもどるようにわれる。
まさ
えんじはしのえみ
甘味あまみりする看板娘かんばんむすめ近藤こんどうらとは屯所とんしょ近所きんじょにあったことからかおなじみでなかい。ひだりすけ彼女かのじょ心底しんそこれているが、まさのほうひだりすけのことを恋愛れんあい対象たいしょうとしてはまったくていなかった。禁門きんもんへんのおり、ひだりすけみせされた彼女かのじょたすけるべく独断どくだんたいはな救出きゅうしゅつかった。そのひだりすけもうアピールをそでにしていたが、いつのにかかれあうようになり、がつけば両親りょうしんへの挨拶あいさつ祝言しゅうげんはなしはとんとん拍子びょうしすすみ、報告ほうこくいた近藤こんどうらを驚愕きょうがくさせる。
しょうつね(こつね)
えんじ小西こにし美帆みほ
おその市川いちかわ宇八ろうとかつては将来しょうらい約束やくそくしたなかであった。大坂おおさか芸者げいしゃをしていたが、そのさいに宇八ろう後事こうじたくされた永倉ながくら新八しんぱちに「宇八ろうくなった」むねげられる(宇八ろう実際じっさいには回復かいふくして生存せいぞんし、のち永倉ながくら再会さいかいすることになる)。のち永倉ながくらきょうむかえられかれ愛人あいじんとなるが、強盗ごうとうした官軍かんぐんへいられ、偶然ぐうぜんにもきょうもどっていた永倉ながくら看取みとられ「宇八郎はちろうさま」と言葉ことばのこしていきる。そしていかりにえる永倉ながくらはすぐに官軍かんぐんへいかたきをとる。
明里あけさと(あけさと)
えんじ鈴木すずき砂羽さわ
おすず丹波たんば農村のうそん出身しゅっしんで、浮舟うきふねというみせられていく途中とちゅうおまさのお多福たふく山南さんなん沖田おきた出会であう。そのさい汁粉しるこ7はいべ、代金だいきん山南さんなん支払しはらったことがえんになり恋人こいびととなる。明里あけさと山南さんなんが「あなたのさとあかるいひかりしますように」とのねがいをこめて名付なづけた。あかるく無邪気むじゃき性格せいかくで、脱走だっそう間際まぎわ山南さんなんしんいやした。山南さんなん脱走だっそうさいには、山南さんなんとも江戸えど目指めざした。山南さんなん切腹せっぷく直前ちょくぜん山南さんなんい、直前ちょくぜんであることをさっしながらわかれをしみ、山崎やまざきおくられて丹波たんば実家じっかもどった。
登勢とせ(おとせ)
えんじ戸田とだ恵子けいこ
寺田てらだ女将おかみ男勝おとこまさりのしっかりしゃで、その女丈夫じょじょうふぶりから近藤こんどうらから「このそうつかさあねみつがもう一人ひとりいた」とひょうされる。禁門きんもんへんのち伏見ふしみ方面ほうめん出陣しゅつじんした新選しんせんぐみ御用ごようあらためにあらわれたとき毅然きぜん対応たいおうした。尊王そんのうわず、たすけをもとめてかくしにきたひとかくまうのが主義しゅぎだが、彼女かのじょがその手腕しゅわん発揮はっきするとほとんどの場合ばあい乱闘らんとう流血りゅうけつ沙汰ざた発展はってんしており、そのたびに悲鳴ひめいをあげている。龍馬りょうまたのみによりおりょうを養女ようじょとする。鳥羽とば伏見ふしみたたかいののちきょうもどった土方ひじかた斎藤さいとう山崎やまざきを捨助の口利くちききによりかくまう。
おりょう
えんじ麻生あそう久美子くみこ
坂本さかもと龍馬りょうまとは土佐とさ藩邸はんていまかないとしてやとわれたとき出会であう。龍馬りょうま一目惚ひとめぼれをされ、恋仲こいなかになり蝦夷えぞれてってもらう約束やくそくであったが、池田いけだへん禁門きんもんへん仲間なかまうしなった龍馬りょうまはその約束やくそくたせなくなる。そして龍馬りょうまたのみによりお登勢とせあずかってもらうことになり、寺田てらだ養女ようじょとなる。のち龍馬りょうまつまとなり、二人ふたり薩摩さつま霧島きりしま新婚しんこん旅行りょこうかけた。龍馬りょうま死後しご新選しんせんぐみ龍馬りゅうめったとおもっていたおりょうは近藤こんどう復讐ふくしゅうくわだてる。しかし、さえられ、近藤こんどうさとされる。
おきよ
えんじこばやしあきこ
寺田てらだ女中じょちゅう
いくまつ(いくまつ)
えんじ菊川きくかわれい
芸妓げいぎであったが、かつら小五郎こごろう恋人こいびととなり小五郎こごろうささえる。
こうあん(こうあん)
えんじ笹野ささの高史たかし
沖田おきた総司そうし診察しんさつしているくちわる医師いし沖田おきた吐血とけつ労咳ろうがい肺結核はいけっかく)によるものだと早期そうき見抜みぬき、静養せいようするよういくとなく忠告ちゅうこくするが、沖田おきたぎゃく反発はんぱつしたためのち労咳ろうがい不治ふじやまいし、命取いのちとりとなる。おこう臨終りんじゅうまえ醒ヶ井さめがいばれる。そこで沖田おきた再会さいかいし、「たまにはかおしゅっせ」とこえをかける。
前川まえかわ荘司しょうじ(まえかわ しょうじ)
えんじ谷本たにもとはじめ
壬生みぶ郷士ごうし八木はちぼくかいがわ屋敷やしきかまえている。菱屋ひしやとは親戚しんせきすじで、おうめあずかっている。
はつきく(はつぎく)
えんじ平岩ひらいわ
芸妓げいぎ。いつも深雪みゆき太夫たゆうわきひかえている。
菱屋ひしやたい兵衛ひょうえ(ひしや たへえ)
えんじ藤田ふじた宗久そうきゅう
四条堀川しじょうほりかわ呉服ごふく。おうめわらわとしていた。
池田いけだそう兵衛ひょうえ(いけだや そうべえ)
えんじ岡田おかだただし
池田いけだ事件じけん舞台ぶたい池田いけだ主人しゅじん
京屋きょうや忠兵衛ちゅうべえ(きょうや ちゅうべえ)
えんじ横山よこやまあきお
京屋きょうや主人しゅじん深雪みゆき太夫たゆう近藤こんどう身請みうけする仲介ちゅうかいをする。
西村にしむら兼文かねぶみ(にしむら かねふみ)
えんじ本間ほんま憲一けんいち
西本願寺にしほんがんじ侍臣じしんじくやぶった原田はらだ沖田おきた藤堂とうどうけん近藤こんどうに「ここの僧侶そうりょはあなたたちのことをよくおもっていない。僧侶そうりょてきにしないほうい」と忠告ちゅうこくする。河合かわいさんろうまえはなしく。西本願寺にしほんがんじ屯所とんしょにしていた新選しんせんぐみに、不動堂ふどうどうむら西本願寺にしほんがんじ提供ていきょうにより屯所とんしょてて移転いてんするはなし近藤こんどう土方どかたおこなう。鳥羽とば伏見ふしみたたかのち後始末あとしまつきょうもどった土方どかた餞別せんべつわたす。そして「わたしはどこの味方みかたでもない。面白おもしろいことがきなだけや。新選しんせんぐみすえをしっかり見届みとどけさせていただきます」とう。
はつ(おはつ)
えんじ清水しみず美那みな
仙波せんばきのえ太郎たろうつまおっとった松原まつばらかねとどけて焼香しょうこうたのんだときにはすげなくかえしたが、祇園ぎおん火事かじからすくうなど面倒めんどうてくれる松原まつばらしんひらいたりをする。そして松原まつばらだまして闇討やみうちちにするが、松原まつばらってきた斎藤さいとうにそのてられる。
藤吉ふじよし(とうきち)
えんじ松村まつむらあきら
坂本さかもと龍馬りょうま用心棒ようじんぼう力士りきし近江おうみの1かい坂本さかもとたずねてきた佐々木ささき只三郎たださぶろう応対おうたいする。しかし、うしろをいて坂本さかもとごうとしたところを佐々木ささきられ、侵入しんにゅうゆるしてしまった。
峯吉みねきち(みねきち)
えんじ篠原しのはらいさむ
坂本さかもと中岡なかおか暗殺あんさつまえなべをしようとした坂本さかもとに、使つかいをたのまれる。
オウム
こえ山口やまぐちさとしたかし
芹沢せりざわ・おうめ沖田おきた見物けんぶつしたオウム。芹沢せりざわ不吉ふきつ予言よげんともとれる言葉ことばはっし、かれ逆上ぎゃくじょうさせる。
本来ほんらいオウム自身じしんしゃべらせることになっていたが、こえ調教ちょうきょう撮影さつえいまでにわず、丁度ちょうど山口やまぐちがオウムのモノマネをネタにっていたため急遽きゅうきょかれえんじることになった。

幕末ばくまつ志士ししたち

編集へんしゅう

土佐とさはん

編集へんしゅう
坂本さかもと龍馬りょうま(さかもと りょうま)
えんじ江口えぐち洋介ようすけ[注釈ちゅうしゃく 17]
常識じょうしきとらわれない自由じゆう発想はっそうくにうれしん快男児かいだんじ近藤こんどう土方どかたとは多摩たま時代じだいからの友人ゆうじんとしてえがかれる。
佐久間さくま象山ぞうさんもと出入でいりしており、象山ぞうさんかつら近藤こんどう土方どかたとも黒船くろふねき、しょ外国がいこくけないつよ日本にっぽんつくるという大志たいしいだく。救国きゅうこく方法ほうほう模索もさくしていき、そのため主張しゅちょうすることがよくわった。しかし、海軍かいぐんみさおねりしょ閉鎖へいさされるなど八方はっぽうふさがりになり、一時いちじさけびたりの日々ひびおくっていた。そんなとき新選しんせんぐみたいなか孤立こりつした山南さんなん寺田てらだおとずれ、文字通もじどおした激励げきれい情熱じょうねつもどす。そしてかたき敵同士かたきどうしであった薩摩さつま長州ちょうしゅうあいだち、薩長さっちょう同盟どうめいむすぶことに成功せいこうする。しかし、そのさい寺田てらだから薩摩さつま藩邸はんていはいさい薩摩さつまはん大久保おおくぼ手引てびきにより捨助をおとりにしたことから、捨助のうらみをい、寺田てらだ宿泊しゅくはくちゅう役人やくにんおそわれるが、からくも脱出だっしゅつする。薩摩さつまはん主導しゅどう武力ぶりょく倒幕とうばく反対はんたいし、大政奉還たいせいほうかんおこなったことが薩摩さつま西郷さいごう大久保おおくぼうらみをい、近江おうみ佐々木ささき只三郎たださぶろうひきいる見廻組みまわりぐみ暗殺あんさつされる。
武市たけいち半平はんぺんふとし(たけち はんぺいた)
えんじデビット伊東いとう
土佐とさ勤王きんのうとうはたげし、龍馬りょうま土佐とさ同志どうしつのるように依頼いらいする。
望月もちづきひさし弥太やた(もちづき かめやた)
えんじ三宅みやけひろしじょう
土佐とさ勤王きんのうとうくわわる。龍馬りょうま行動こうどうともにする。近藤こんどう土方どかたとは龍馬りょうまともよん代目だいめ襲名しゅうめいのち府中ふちゅう旅籠はたご出会であう。そのさい攘夷じょういのありかためぐって近藤こんどう口論こうろんになり、そのすきに捨助に土佐とさ勤王きんのうとう血判けっぱんじょううばわれる。龍馬りょうま近藤こんどう旅籠はたごそとたしいになるが、龍馬りょうま血判けっぱんじょうやぶ和解わかいした。浪士ろうしぐみとして近藤こんどうたちがきょうのぼったことを龍馬りゅうめつたえる。八月はちがつじゅうはちにち政変せいへん様子ようすをさぐるためにきょうてきたところ近藤こんどうとまさのてん再会さいかいする。池田いけだへんまえこう俊太郎しゅんたろう捕縛ほばくされると、宮部みやべかなえぞうめいじられ桝屋ますやくらなかのものを奪還だっかんしにく。池田いけだではさき近藤こんどうむ。沖田おきたられきずい、あわやというところで沖田おきた喀血かっけつによりとどめをされることをまぬかれた。池田いけだからのがれて長州ちょうしゅう藩邸はんてい仲間なかま救出きゅうしゅつ懇願こんがんするも、かつら小五郎こごろういのちけた長州ちょうしゅう藩士はんしかえされ失意しついなか自害じがいする。
きた添佶(きたぞえ きつま)
えんじ松井まついたくみ
坂本さかもと龍馬りょうま蝦夷えぞこうとしているとき登場とうじょう池田いけだたたかえする。
中岡なかおか慎太郎しんたろう(なかおか しんたろう)
えんじ増沢ますざわのぞむ
坂本さかもと龍馬りょうまとも薩長さっちょう同盟どうめい尽力じんりょくする。龍馬りょうまとも近江おうみ暗殺あんさつされる。られてしばらくはいきがあり、近藤こんどう意向いこう龍馬りゅうめ救出きゅうしゅつすべくんできた原田はらだひだりすけ伊予いよべんで「こなくそ」とさけんだのをいたことからかれ刺客しかく勘違かんちがいし、皮肉ひにくにも近藤こんどう土佐とさ藩士はんし仇敵きゅうてき仕立したてげてしまう。
たに守部もるべ(たに もりべ)
えんじあわまこと
流山ながれやまらえられた近藤こんどういさむ坂本さかもと龍馬りょうま暗殺あんさつしたのは新選しんせんぐみかなど板橋いたばし本陣ほんじん尋問じんもんする。
上田うえだくすのき(うえだ くすじ)
えんじ山崎やまざきはじめ
しん政府せいふぐん大軍たいぐんかん香川かがわ敬三けいぞう流山ながれやま布陣ふじんする正体しょうたい不明ふめいぐん情報じょうほうげる。

長州ちょうしゅうはん

編集へんしゅう
かつら小五郎こごろう(かつら こごろう)
かつら小五郎こごろう木戸きどぬき木戸きど孝允たかよし
えんじ石黒いしぐろけん[注釈ちゅうしゃく 18]
近藤こんどう土方どかたとは江戸えど出会であう。ためしまもるかんちかくの練兵れんぺいかん道場どうじょうにいる関係かんけいで、ためしまもるかん道場破どうじょうやぶりがあらわれたとき手助てだすけをしていた。佐久間さくま象山ぞうさん龍馬りょうま近藤こんどう土方どかたとも黒船くろふねく。江戸えど滞在たいざいときはやや嫌味いやみなところもあったが近藤こんどう好意こういっていて、近藤こんどう婚儀こんぎにも参列さんれつする。近藤こんどう浪士ろうしぐみ参加さんかしたときには「できればめてしかった」と残念ざんねんがる。
のち新選しんせんぐみとは京都きょうと再会さいかいする。中盤ちゅうばん以降いこう長州ちょうしゅう藩士はんしのまとめやくとしての役割やくわりになうようになる。池田いけだときには陰謀いんぼう反対はんたいする。佐久間さくま象山ぞうさんからさけとどけにた捨助にやとってくれるようたのまれるが、あっさりことわる。しかし、そのさいに捨助がかつらぜんをひっくりかえしてしまい、かつら着替きがえるため一旦いったん藩邸はんていもどることになりなんのがれることになる。池田いけだからのがれてきた望月もちづきひさし弥太やたかえし、長州ちょうしゅうはんがこの事件じけんかかわりのないことをしめそうとする。新選しんせんぐみつからぬよう変装へんそうして行動こうどうするもかおまではえられないため大概たいがい見破みやぶられてしまう。禁門きんもんへんのちきょうはなれるが、久坂くさか寺島てらしま遺髪いはつとどけにた捨助をきょう情報じょうほうつたえる連絡れんらくやくとしてやとう。のち木戸きどぬき(きど かんじ)、さらに孝允たかよし(たかよし)と改名かいめい薩長さっちょう同盟どうめい締結ていけつはほとんど出番でばんがなくなり、わずかに最終さいしゅうかいかおせた。そして近藤こんどういさむ打首うちくびになることをいくまつかたり、「徳川とくがわ家臣かしん最後さいごまで忠義ちゅうぎをつくしたのはあのおとこ」とべた。
久坂くさかげんみず(くさか げんずい)
えんじ池内いけうち博之ひろゆき
長州ちょうしゅうはん秀才しゅうさいきょう足利あしかがさんだい木像もくぞう梟首きょうしゅ事件じけんこす浪士ろうしたちをそそのかすなど尊王そんのう攘夷じょうい活動かつどうおこなう。徳川とくがわ家茂いえもち上洛じょうらくしたときに「いよ!征夷大将軍せいいたいしょうぐん」とこえをかけた高杉たかすぎ晋作しんさくおこった壬生みぶ浪士ろうしぐみ一触即発いっしょくそくはつになるが、かつら小五郎こごろうりなしにより回避かいひされる。八月はちがつじゅうはちにち政変せいへんでは、さかいまち御門ごもん会津あいづはん御所ごしょはいることを阻止そしされる。われたのち長州ちょうしゅう急進きゅうしんひきいて再度さいど上京じょうきょうする。しかし、敗色はいしょくくなり、鷹司たかつかさ輔熈にみかどへの取次とりつぎ嘆願たんがんされるも、ことわられる。主君しゅくん朝敵ちょうてきにしてしまい、みかどへの嘆願たんがんことわられたことから寺島てらしま忠三郎ちゅうざぶろうとともに鷹司たかつかさてい自害じがいする。そのさい鷹司たかつかさていになぜか居合いあわせた捨助に遺髪いはつかつら小五郎こごろうとどけるよう依頼いらいする。
吉田よしだみのる麿まろ(よしだ としまろ)
えんじ佐藤さとう一平いっぺい
池田いけだ会合かいごう参加さんかかつら計画けいかくかたる。
寺島てらしま忠三郎ちゅうざぶろう(てらじま ちゅうさぶろう)
えんじ加藤かとう大治だいじろう
禁門きんもんへん参加さんか久坂くさかげんみずとも鷹司たかつかさてい自害じがいする。久坂くさかおなじく捨助に遺髪いはつかつら小五郎こごろうとどけるよう依頼いらいする。
入江いりえきゅういち(いりえ くいち)
えんじ渡辺わたなべわたる
禁門きんもんへん参加さんか久坂くさかから帰国きこくして主君しゅくんこと次第しだいつたえるようにたのまれる。
仙波せんばきのえ太郎たろう(せんば こうたろう)
えんじ宅間たくま孝行たかゆき
禁門きんもんへん以降いこうきょう残留ざんりゅうする長州ちょうしゅう藩士はんしのリーダーかくかつらとの連絡れんらくやくをつとめていた捨助にかつら居場所いばしょをききだそうとするが、なかおしえてもらえない。ようやくかれ手引てびきでかつらったが、帰国きこくするかつらきょうのこるようにめいぜられ、新婚しんこんであることを理由りゆう餞別せんべつかねわたされる。しかし直後ちょくご新選しんせんぐみつかり、かつらにがそうとたてになる。奮戦ふんせんすえ新選しんせんぐみ松原まつばら忠司ただしられるが、いきえそうになりながらかねつまのおはつわたすようにたのむ。そのはやがて松原まつばらとおはつを、壬生みぶ心中しんちゅうのばれる悲劇ひげきへといざなうこととなる。
三吉みよしまことぞう(みよし しんぞう)
えんじ荘司しょうじ優希ゆうき
長州ちょうしゅうはんささえはんちょう藩士はんし薩長さっちょう同盟どうめいむすぼうと上洛じょうらくした坂本さかもと龍馬りょうま護衛ごえいおこなう。寺田てらだ宿泊しゅくはくちゅうおそわれた坂本さかもとともたたかう。

薩摩さつまはん

編集へんしゅう
西郷さいごう隆盛たかもり(さいごう たかもり)
大島おおしま吉之助よしのすけ西郷さいごう吉之助よしのすけ西郷さいごう隆盛たかもり
えんじ宇梶剛士たけし
薩摩さつまはんぐん賦役ふえきとどろくような豪快ごうかいわらごえ特徴とくちょう。のんそうな図体ずうたい似合にあわぬ権謀術数けんぼうじゅっすうけた人物じんぶつ当初とうしょ大島おおしま吉之助よしのすけ(おおしま きちのすけ)の登場とうじょう近藤こんどう禁門きんもんへん勝利しょうりのち天王山てんのうざん長州ちょうしゅうぜいのこっていることを近藤こんどうげ、新選しんせんぐみ天王山てんのうざんかうことになる。勝海かつみふね紹介しょうかいにより坂本さかもと龍馬りょうま出会であい、そのさい長州ちょうしゅうつぶさないようにたのまれ、その薩長さっちょう同盟どうめいむすばれる。しかし、せんにより徳川とくがわ完全かんぜんつぶさねばあらたな日本にっぽんまれないとかんがえ、佐々木ささき只三郎たださぶろう利用りようして龍馬りょうま暗殺あんさつさせた。かち江戸えど薩摩さつま藩邸はんてい談判だんぱんし、江戸城えどじょう無血むけつ開城かいじょう実現じつげんした。有馬ありまから近藤こんどう助命じょめい嘆願たんがんされたが、くなった志士ししたちとのこったものうらみを近藤こんどう一身いっしんめてもらうと退しりぞけた。
その一方いっぽうで、自分じぶんたち理念りねんためとはいえ、知己ちきであった坂本さかもと近藤こんどうをそれぞれものとすることしみ、やむふしせていた。
有馬ありま藤太とうた(ありま とうた)
えんじ古田ふるた新太あらた
銃火じゅうか主流しゅりゅうとなっている薩長さっちょうぐんなかでもけん稽古けいこかさねるおとこ香川かがわいのちにより流山ながれやま布陣ふじんする近藤こんどういさむ出会であう。そして、へい調練ちょうれん案内あんないした「大久保おおくぼ大和やまと」と名乗なのもの近藤こんどうであることを確信かくしんさぐりをれるが、近藤こんどうかたううちにたがいにしん武士ぶしみとい、見逃みのがそうとする。
しかし、部下ぶか一人ひとりきょう大久保おおくぼたことがあるとったために、本陣ほんじんるようにげる。そしててきながら一軍いちぐんしょうとしてぐうすべき近藤こんどうを、一時いちじ感情かんじょうばっすることに反対はんたい近藤こんどうちからになろうとした。そして西郷さいごうにも近藤こんどう助命じょめい嘆願たんがんした。しかし、その行為こうい余計よけいなこととめた香川かがわたにから宇都宮うつのみやかうようにめいじられる。
伊牟田いむたしょうたいら(いむた しょうへい)・神田かんだはしただしすけ(かんだばし なおすけ)
えんじ中村なかむらまこと伊牟田いむた)・小林こばやし健一けんいち神田かんだきょう
清河きよかわ八郎はちろう呼応こおうして永倉ながくらたちとヒュースケンを暗殺あんさつしようと目論もくろむ。
高崎たかさきひだり太郎たろう(たかさき さたろう)
えんじせいおか泰志やすし
はちがつじゅうはちにち政変せいへんまえ会津あいづはんとの連絡れんらくやくつとめる。
大久保おおくぼ利通としみち(おおくぼ としみち)
大久保おおくぼいちぞう大久保おおくぼ利通としみち
えんじむら大和やまと
捨助をおとりにして寺田てらだから薩摩さつま藩邸はんていこうとする坂本さかもと龍馬りょうま保護ほごする。しかし、大政奉還たいせいほうかん薩摩さつま主導しゅどうけんにぎれなくなることをおそれ、西郷さいごうとともに坂本さかもと龍馬りょうま排除はいじょ目論もくろむ。そして伊東いとう甲子太郎きねたろうをたき近藤こんどう暗殺あんさつわせる。伊東いとう甲子太郎きねたろうあとは、御陵ごりょう衛士えじ残党ざんとう近藤こんどうものにするため薩摩さつますとそそのかす。徳川とくがわとの決戦けっせんにそなえ諸侯しょこう味方みかたにつけるべくきくもん利用りよう発案はつあん自軍じぐんにしきはたたせた。
黒田くろだりょうかい(くろだ りょうすけ)
えんじみねすすむ
薩長さっちょう同盟どうめい仲介ちゅうかいした坂本さかもと龍馬りょうま中岡なかおか慎太郎しんたろうが、かつら小五郎こごろう西郷さいごう会談かいだんおこなうようはからったが、西郷さいごうずにきょうかい、かれわりにたことでかつら激怒げきどさせてしまう。『新選しんせんぐみ!! 土方ひじかた歳三としぞう 最期さいごいちにち』では、五稜郭ごりょうかくそう攻撃こうげき司令しれいかん参謀さんぼう)として名前なまえのみ登場とうじょうする。
佐久間さくま象山ぞうさん(さくま しょうざん)
えんじ石坂いしざか浩二こうじ
松代まつだい藩士はんし自他じたともにみとめる天下一てんかいち軍学ぐんがくしゃだが、反面はんめんひとしん逆撫さかなでする無神経むしんけい物言ものいいがおおい。渾名あだなをつける名人めいじん自称じしょうし、近藤こんどうを「鬼瓦おにがわら」、土方どかたを「木綿こわた豆腐とうふ」、捨助を「般若はんにゃ」、井上いのうえを「タクワン」と名付なづける。
だいいちでの黒船くろふねらいみなとさいはんいのち黒船くろふねき、かつら坂本さかもと同行どうこうすることになっており、坂本さかもと手引てびきで近藤こんどう土方どかたはじめて出会であう。「たことがないものはやはりたい」という近藤こんどう好奇心こうきしん理解りかいして同行どうこうゆるし、二人ふたり人足ひとあしよそおってともなわせる。そのさい近藤こんどうたいし「ひとまれてから最初さいしょの10ねんは、おのれことだけをかんがえる。そしてつぎの10ねん家族かぞくことかんがえる。20さいになってからの10ねんは、まれたくにことかんがえる。そして30になったら日本にっぽんことかんがえる。40になったら世界せかいことかんがえる。いま多摩たまのことだけをかんがえていればよろしい。ただし10ねん日本にっぽんことかんがえなければならなくなったときただしい判断はんだん出来できるように、いまから勉強べんきょうせよ」とさとす。また維新いしん功労こうろうしゃとなるかつらにも「まことの攘夷じょういとはしょ外国がいこく互角ごかくわたうためにまずは開国かいこくりょくをつけることだ」といた。
その安政あんせい大獄たいごく松代まつだい蟄居ちっきょするが、そのゆるされ勝海かつうみぶねいえ坂本さかもと龍馬りょうまさそいでおとずれていた近藤こんどう再会さいかいする。しかし、近藤こんどうのことはおぼえておらず、あらためて「鬼瓦おにがわら」と名付なづ近藤こんどうあきれさせる。また、そこでシャンパンのコルクをっていた近藤こんどうに「そんなものをとっておくんじゃない。西洋せいようものならなんでもありがたがる。昨今さっこんもっとずべき風俗ふうぞくじゃ!」と一喝いっかつする。
きょう近藤こんどうさんたび再会さいかい。そのとき最初さいしょ近藤こんどうおもせなかったが「そのかおていておもした。黒船くろふねからフラッグをうばおうとした小僧こぞうが、いま新選しんせんぐみ局長きょくちょうか」とよろこんだ。そして、まさのてんにいた滝本たきもと捨助を従者じゅうしゃにし、「般若はんにゃ」と名付なづけた。「おのれしんじていきたまえ」と遺言ゆいごんめいた激励げきれいおくり、井上いのうえには「沢庵たくあん井上いのうえのこと)、鬼瓦おにがわらのことをたのんだぞ」とかたわかれた直後ちょくご河上かわかみ彦斎にられる。
そのさい、「ワシほどのものをころおとこりたい」と河上かわかみたずね、河上かわかみ返答へんとうするとさらに「カワは三本みつもとがわかさんずいか」とまでいており、瞬間しゅんかんまで好奇心こうきしんかたまりであった。
橋本はしもとひだりない(はしもと さない)
えんじ山内やまうちけい
福井ふくい藩士はんし佐久間さくま象山ぞうさん門下もんか坂本さかもと龍馬りょうまともまなぶ。近藤こんどうとは江戸えど坂本さかもと龍馬りょうま紹介しょうかい出会であう。幕府ばくふ公儀こうぎ隠密おんみつをつけられており、場所ばしょえてためしまもるかん案内あんないされ、そこで坂本さかもと天下てんか国家こっかすえについてかたい、みみかたむけていた近藤こんどうおどろかせる。当時とうじ安政あんせい大獄たいごく幕吏ばくりわれていた。
広岡ひろおか次郎じろう(ひろおか ねのじろう)
えんじ橋本はしもとじゅん
水戸みと脱藩だっぱんためしまもるかん入門にゅうもんしたが、稽古けいこだいいちおさめずにいた。ためしまもるかんなおすために長期ちょうき滞納たいのうしゃである広岡ひろおかたずね、てに近藤こんどういさむは、おなじく広岡ひろおか借金しゃっきんてに山口やまぐちはじめ斎藤さいとうはじめ)と出会であうことになる。稽古けいこだい頓着とんじゃくしない近藤こんどうたいし、山口やまぐち今日きょうちゅう借金しゃっきん返済へんさいがるが、同郷どうきょうである芹沢鴨せりざわかも見逃みのがし、近藤こんどうと3りょう借金しゃっきん肩代かたがわりをする。天然てんねんしんりゅう実際じっさいせんきの剣法けんぽうであり、攘夷じょうい水戸みとはんへの弾圧だんあつつよめる大老たいろう井伊いい直弼なおすけ襲撃しゅうげきする目的もくてきであった。広岡ひろおか覚悟かくごしており、そのためおんなあそぶなど方々かたがたかえすあてのない借金しゃっきんつくった。近藤こんどう坂本さかもと龍馬りょうま仲介ちゅうかいでたまたまおとずれていた山南さんなんけいすけからその真意しんいる。そして翌日よくじつ桜田さくらだ門外もんがいへん参加さんかしてたたかいのなか深手ふかでい、酒井さかい雅楽ががくあたま屋敷前やしきまえ自刃じじんする。事態じたいきつけた近藤こんどう広岡ひろおか遺体いたいつけると、わせてとむらった。
稲田いなだ重蔵しげぞう(いなだ じゅうぞう)
えんじ山下やました大輔だいすけ
水戸みと脱藩だっぱん桜田門さくらだもんがい井伊いい直弼なおすけ襲撃しゅうげきし、そのに。襲撃しゅうげきがわ唯一ゆいいつ戦闘せんとう現場げんばでの死者ししゃである。
伊藤いとうぐん兵衛ひょうえ(いとう ぐんべえ)
えんじひかりせきけん
松本まつもと藩士はんしはん命令めいれいにより高輪たかなわ東禅寺とうぜんじ護衛ごえいおこなっていた。土方どかた在中ざいちゅう石田いしだ散薬さんやくもとめにこころみまもるかんおとずれる。近藤こんどう原田はらだ井上いのうえ沖田おきたみつととも東禅寺とうぜんでらくことになる。しかし軍兵ぐんびょうまもる桜田さくらだ門外もんがいへん以降いこう多発たはつした攘夷じょういによる外国がいこくじんへの襲撃しゅうげき護衛ごえいする激務げきむにより精神せいしんんでおり、護衛ごえい役目やくめはずされていた。実際じっさいには松本まつもとはんとしては石田いしだ散薬さんやく購入こうにゅうする意志いしはなく、近藤こんどうらと宴会えんかいをしていたイギリスじん水兵すいへいたち殺害さつがいし、だい東禅寺とうぜんじ事件じけんこした。
真木まき和泉いずみ(まき いずみ)
えんじ大谷おおや亮介りょうすけ
久留くるべいすい天宮てんぐう神主かんぬし学習がくしゅういん御用ごようかけ孝明たかあきみかど大和やまと行幸ぎょうこう画策かくさくする。禁門きんもんへん主導しゅどうし、きょうむが、天王山てんのうざんで「わしらがただしいか、おまえたちがただしいか、いずれ時代じだいあきらかにしてくれる」との言葉ことばのこはらる。
こう俊太郎しゅんたろう(ふるたか しゅんたろう)
えんじ中山なかやましゅん
きょうます喜右衛門きうえもん名乗なの商家しょうかいとなんでいたが、じつ近江おうみ郷士ごうしで、長州ちょうしゅうはん尊攘そんじょう浪士ろうしとの陰謀いんぼう舞台ぶたいとなっていた。新選しんせんぐみまれて捕縛ほばくされ、拷問ごうもんされるもなかなかくちらなかった。しかし、ごうやした土方どかたにより蝋燭ろうそく五寸釘ごすんくぎをつかったはげしい拷問ごうもんけたため、尊攘そんじょうによる挙兵きょへい計画けいかく自白じはくする。
宮部みやべかなえぞう(みやべ ていぞう)
えんじ四方堂しほうどうわたる
肥後ひご脱藩だっぱんこう俊太郎しゅんたろういえ潜伏せんぷくし、きょう長州ちょうしゅうはんなど尊攘そんじょう復権ふっけんのために密謀みつぼうくわだてる。新選しんせんぐみいにしえだか捕縛ほばくされると古高ふるたか救出きゅうしゅつ新撰しんせんぐみ屯所とんしょ襲撃しゅうげき画策かくさくするが、新撰しんせんぐみ池田いけだ襲撃しゅうげきされ、永倉ながくらられて深手ふかでう。尊攘そんじょう壊滅かいめつしたのち近藤こんどう対峙たいじし、投降とうこうもとめられるが拒絶きょぜつする。近藤こんどうに「わしらののちには、なんせんなんまん志士ししつづく。おまえはそれをことごとるつもりか」とたずね、「る」とこたえた近藤こんどう時代じだいながれをき「おろか」とだんじる。近藤こんどう一切いっさいひるまずおうじ、宮部みやべられる。
河上かわかみ彦斎(かわかみ げんさい)
えんじ高杉たかすぎわたる
肥後ひご藩士はんしきょう佐久間さくま象山ぞうさん暗殺あんさつする。
板倉いたくらえんじゅどう(いたくら かいどう)
えんじ舟田ふなだはし
土佐とさ浪士ろうし支援しえんする人物じんぶつ近江おうみまっていた坂本さかもと中岡なかおか暗殺あんさつされる直前ちょくぜん訪問ほうもんし、じくおくる。
大場おおば一真かずまさとき(おおば いっしんさい)
えんじ佐渡さわたりみのる
水戸みとはん家老がろう二条城にじょうじょう警備けいびたっていた。しんゆうげきたいやといとして同様どうよう二条城にじょうじょう警備けいび慶喜よしのぶからめいじられた新選しんせんぐみ拒否きょひし、きょうでのあばれぶりを愚弄ぐろうする。しかし、近藤こんどうに「われらがときに仲間なかまうしないながら死力しりょくくしてたたかってきたこの5年間ねんかん、お手前てまえかたはご公儀こうぎのためいのちけたことがいちでもあったのか!」と一喝いっかつされる。
渡辺わたなべ久郎ひさお左衛門さえもん(わたなべ くろうざえもん)
えんじ佐藤さとうたくこれ
彦根ひこね藩士はんし流山ながれやま有馬ありまきょう大久保おおくぼ名乗なのおとこたことがあるとげる。本陣ほんじん近藤こんどうれてかえまえに、有馬ありまさき本陣ほんじんもどるようめいじられる。
香川かがわ敬三けいぞう(かがわ けいぞう)
えんじ松本まつもときょうじ
水戸みと藩士はんし大軍たいぐんかん流山ながれやま滞在たいざいしていた新選しんせんぐみ残党ざんとうもと有馬ありま藤太とうた派遣はけんする。近藤こんどういさむ尋問じんもんする。そして、けい期日きじつ執行しっこうげる。

会津あいづはん

編集へんしゅう
松平まつだいら容保かたもり(まつだいら かたもり)
えんじ筒井つつい道隆みちたか
京都きょうと守護しゅごしょく会津あいづ藩主はんしゅ清廉せいれん君子くんしで、きょう治安ちあん維持いじちからくし、孝明天皇こうめいてんのうからの信頼しんらいあつかった。きょう残留ざんりゅうした浪士ろうしぐみ近藤こんどうたちの嘆願たんがんをききい会津あいづはんあずかりとした。近藤こんどうしんから信頼しんらいし、浪士ろうしぐみに「新選しんせんぐみ」という名前なまえあたえる。壬生みぶ相撲すもう興行こうぎょうさいには町人ちょうにんふんして観戦かんせんおとずれた。近藤こんどういさむ不満ふまんっていた永倉ながくら新八しんぱち建白けんぱくしょ提出ていしゅつしたさいには仲裁ちゅうさいおこなった。近藤こんどう官軍かんぐんらえられ斬首ざんしゅされることになったときは「近藤こんどうかたきかならつ」とちかい、斎藤さいとう名刀めいとうとらてっとともにくび奪還だっかん任務にんむたくしている。
広沢ひろさわ富次郎とみじろう(ひろさわ とみじろう)
えんじ矢島やじま健一けんいち
公用こうようかた松平まつだいら容保かたもり近藤こんどう芹沢せりざわ対面たいめんするとき同席どうせきする。取次とりつぎやくとして新選しんせんぐみ面倒めんどう役割やくわりをつとめる。強請きょうせいたかりをおこなっている芹沢せりざわ注意ちゅういしたところ「会津あいづはんがろくにかねさないからだ」とわれてしまう。大和やまといちけんのちに「芹沢せりざわをなんとかしろ」と近藤こんどう土方どかためいじる。王政おうせい復古ふっこだい号令ごうれいのち混乱こんらんでは、薩摩さつまとのせん回避かいひするよう容保かたもり説得せっとくするように近藤こんどうたのむ。
秋月あきづき悌次ていじろう(あきづき ていじろう)
えんじ堀部ほりべけいあきら
公用こうようかた近藤こんどうたち浪士ろうしぐみ会津あいづはんあずかりとなるのを嘆願たんがんしたさい浪士ろうし浪士ろうしまるのは妙案みょうあん賛成さんせいする。小森こもりとは近藤こんどういたる処遇しょぐうなどで対立たいりつしていたが、近藤こんどう江戸えどきをめいじられたさいに、会津あいづもどることになったことかした。そのさい近藤こんどうわかれをげるとともに容保かたもりきょうことたくした。
小森こもり久太郎きゅうたろう(こもり きゅうたろう)
えんじ荒木あらきゆう
公用こうようかた近藤こんどうたち浪士ろうしぐみ会津あいづはんあずかりとなるのを反対はんたいする。池田いけだへんときには会津あいづはんえになるのをきら出陣しゅつじんしようとせず、事件じけんかたづいたあとにようやくあらわれた。しかし、王政おうせい復古ふっこだい号令ごうれいのち混乱こんらんでは、「いままで新選しんせんぐみにつらくあたってきたのは、会津あいづはんおもってのこと。おあるじだけがたよりだ」と薩摩さつまとのせん回避かいひするよう容保かたもり説得せっとくするように近藤こんどうたのむ。
手代木てしろぎ直右衛門すぐえもん(てしろぎ すぐえもん)
えんじはらかんよし
佐々木ささき只三郎たださぶろうあに鵜殿うどの佐々木ささき近藤こんどうたち京都きょうと残留ざんりゅうする浪士ろうし江戸えどれてかえるように懇願こんがんする。しかし会津あいづはん近藤こんどうたちのうしたてになるよう嘆願たんがんしょぐ。
はやし権助ごんすけ(はやし ごんすけ)
えんじ三谷みたにのぼる
砲兵ほうへい隊長たいちょう鳥羽とば伏見ふしみたたかいのさい、まるで戦国せんごく時代じだいのような旧式きゅうしきよろいかぶと姿すがた参戦さんせんし、土方どかたに「いつの時代じだい人間にんげんだよ」とぼやかれる。せんはじまると、薩長さっちょうぐん火力かりょくまえきず担架たんかはこばれていった。
徳川とくがわ慶喜よしのぶ(とくがわ よしのぶ)
一橋ひとつばし慶喜よしのぶ徳川とくがわ慶喜よしのぶ
えんじ今井いまい朋彦ともひこ
14だい将軍しょうぐん家茂いえもちくなったのち将軍しょうぐん後見こうけんしょくとして登場とうじょう(それ以前いぜんも、史実しじつ解説かいせつなどで名前なまえかたられていた)。才気さいきあふれる人物じんぶつではあるが、それゆえ自身じしん体裁ていさいつくろいにはし傾向けいこうつよく、前言ぜんげんひるがえすことを度々たびたびっており、松平まつだいら容保かたもりをして「らなかったとはけっしてくちにされないおかた」とわしめるほど。最初さいしょはなかなか将軍しょうぐんにはなろうとしなかったが、もなく15代目だいめ征夷大将軍せいいたいしょうぐんとなる。固辞こじつづけた結果けっか、それでも朝廷ちょうていから要請ようせいされてけば、おもどおりにせいうごかせるだろうとの算段さんだんによる。長州ちょうしゅう征伐せいばつ主導しゅどうしたとおもえば、突然とつぜんりやめる。大政奉還たいせいほうかん薩長さっちょううらこうとした一環いっかんで、朝廷ちょうていしょはんではせいまわらないだろうとおもってのことである。しかし、王政おうせい復古ふっこだい号令ごうれい後手ごてまわる。鳥羽とば伏見ふしみたたかいでにしきはたかかげた官軍かんぐんしらせをき、松平まつだいら容保かたもりていけいともない、江戸えどふね早々そうそうげる。これによって新選しんせんぐみふくめ、幕府ばくふぐん上方かみがたりにされてしまい、だい惨敗ざんぱいきっしてしまった。のち勝海かつみふねから自分じぶん不手際ふてぎわめられたさいには「足利尊氏あしかがたかうじのように、朝敵ちょうてきになるわけにはいかない」と自己じこ弁護べんごした。そして、かち進言しんげんしたがい、恭順きょうじゅんする。
佐々木ささき只三郎たださぶろう(ささき たださぶろう)
えんじ伊原いはら剛志たけし
旗本はたもととしてのほこりと気概きがいちた人物じんぶつ近藤こんどう力量りきりょう評価ひょうかしながらも百姓ひゃくしょうであることから完全かんぜんにはみとめていない。近藤こんどうとは、こうたけしょ松平まつだいら主税ちからすけとの面会めんかいせき出会であった。そのさい、「こうたけしょにはあまり期待きたいしないほうい」とおしえた。こうたけしょ教授きょうじゅかた見習みならいはなしながれて、嘆願たんがんのためこうたけしょおとずれたさいには、近藤こんどうに「おあるじ武士ぶしではない」といいはな場面ばめんもあった。浪士ろうしぐみ結成けっせいされ、浪士ろうしぐみ取締とりしまりとしてきょうかうが清河きよかわ対立たいりつ浪士ろうしぐみはなれた。このとき、うしたてをなくした近藤こんどうたちを鵜殿うどのいのちにより会津あいづはんあずかりとなるよう、あに手代木てしろぎ直右衛門すぐえもんとおして嘆願たんがんしょぐのを手伝てつだう。きょうから一旦いったんはなれるさい近藤こんどうこころざしたたえた。浪士ろうしぐみ帰還きかんに、清河きよかわ一部いちぶ同心どうしんとともに暗殺あんさつする。
のち直参じきさんあつまりである京都きょうと見廻組みまわりぐみ結成けっせいあずかあたまつとむかたとなるが土方どかたからは嘲笑ちょうしょうされた挙句あげく、「おれたち新選しんせんぐみ対抗たいこうして、名付なづけたんですか」とわれてしまう。とはいえよせあつめにすぎない新選しんせんぐみにとってはかくじょうのライバルとなる。警護けいご区域くいき分担ぶんたんなどではあらそいとなるも、近藤こんどうちからみとめていた。徳川とくがわすえ危機ききかんおぼえ、大政奉還たいせいほうかん発案はつあんしゃである坂本さかもと龍馬りょうまを、幕府ばくふ敵対てきたいする西郷さいごう隆盛たかもり薩摩さつま龍馬りょうまのぞんでいるとりつつ、暗殺あんさつする。鳥羽とば伏見ふしみたたかいのまえには主戦しゅせんろん主張しゅちょうし、近藤こんどう意見いけん対立たいりつする。味方みかた総崩そうくずれになるなか単身たんしん銃弾じゅうだんあらしなか突撃とつげき銃弾じゅうだんたおれる。大坂おおさかじょうおくられ、近藤こんどう徳川とくがわすえたくしていきる。
かつ海舟かいしゅう(かつ かいしゅう)
えんじ野田のだ秀樹ひでき
通称つうしょう安房あわもりひとったような性格せいかく。べらんめえ口調くちょうで、江戸えどのことでらないことはないと豪語ごうごする。坂本さかもと龍馬りょうま弟子でしにし、そのえん近藤こんどう出会であう。佐久間さくま象山ぞうさんとの議論ぎろんで、松平まつだいら主税ちからすけこうたけしょ教授きょうじゅかた見習みならいとして推挙すいきょされたはずが、突然とつぜんことわられたはなしをする近藤こんどうに、百姓ひゃくしょう出身しゅっしんだから主税しゅぜいすけ採用さいようりやめたというはなしをする。
のち軍艦ぐんかん奉行ぶぎょう陸軍りくぐん総裁そうさい歴任れきにん江戸えど退しりぞいた慶喜よしのぶたいしても、おくせず「上様うえさま退しりぞかれた以上いじょう、こののち海軍かいぐんりょく駆使くしすればてますが、もはや大義名分たいぎめいぶんみん支持しじもない無意味むいみ勝利しょうりでしかない」とのむね一喝いっかつする。そして、まだ新選しんせんぐみなどがいるかぎかえせる機会きかいがあるとべる松平まつだいら容保かたもりていけいに「新選しんせんぐみ時代遅じだいおくれの剣術けんじゅつ」とし、時代じだいながれとしょ外国がいこく危険きけんせいべ、慶喜よしのぶ恭順きょうじゅんすすめる。幕府ばくふ瓦解がかいさいには陸軍りくぐん総裁そうさいとして近藤こんどうきのえよう鎮撫ちんぶたいひきいて甲府こうふまもることをめいじるが、それは江戸えど戦場せんじょうにしないよう、からだよくはらうためであり、きのえよう鎮撫ちんぶたいという名前なまえ新撰しんせんぐみにこれ以上いじょうひとあつまることをけるためのもので、かれにとっては「ってけたような名前なまえ」でしかなかった(ただし近藤こんどうからはすぐにその本心ほんしん見抜みぬかれており、かち自身じしんかんじていた)。西郷さいごう江戸えど薩摩さつま藩邸はんてい談判だんぱんして江戸城えどじょう無血むけつ開城かいじょう実現じつげんさせる。流山ながれやまらえられた近藤こんどうすくうべくおとずれた土方どかたに、助命じょめい嘆願たんがんしょくようわれるが、近藤こんどう意義いぎ拒絶きょぜつ榎本えのもとともきたたたかえとさとす。そして、近藤こんどう武士ぶしらしく切腹せっぷくさせてやりたかったという山岡やまおかには「武士ぶしらしくぬってなんだよ。大事だいじなのはどうきたかだ。あれはまぎれもない武士ぶしだよ。しかも最後さいごのな」ととなえた。
内山うちやま彦次郎ひこじろう(うちやま ひこじろう)
えんじささきいさお
大阪おおさか西にし町奉行まちぶぎょうしょ与力よりき京大きょうだいざか強請きょうせいおこな浪士ろうしぐみ反感はんかんつ。大坂おおさか浪士ろうし取締とりしまりおこなった浪士ろうしぐみ行為こうい近藤こんどう越権えっけん行為こういだと非難ひなんし、「ひがしから浪人ろうにんがり」と見下みくだした対応たいおうをする。北新地きたしんち芹沢せりざわたちとトラブルをこした小野川おのがわ部屋へや力士りきし報復ほうふくをけしかけ、その力士りきしたちかえちにされたことると、浪士ろうしぐみきびしく断罪だんざいすべきと強硬きょうこうろんとなえるが、配下はいか手代てだいから浪士ろうしぐみ背後はいご会津あいづはんがついていることさとされたことで、渋々しぶしぶがった。その山崎やまざき調しらべであぶら商人しょうにん結託けったくしてをつりげていることが発覚はっかくした。そのことを土方どかためられると、報復ほうふくとして斎藤さいとうはじめ捕縛ほばくする。京都きょうと守護しゅごしょくにより斎藤さいとう釈放しゃくほうされたが、そのおとずれた近藤こんどうに「新選しんせんぐみはこの内山うちやまがつぶす」とついこうから宣戦せんせん布告ふこくたいする近藤こんどうからも「内山うちやまさまのようなほうがいるかぎり、徳川とくがわ幕府ばくふ明日あしたはない」と反駁はんばくされ、両者りょうしゃ対立たいりつ決定的けっていてきとなる。その新選しんせんぐみにより襲撃しゅうげきされて沖田おきたけんたおれるも、わるあがきとしてかたなげつけ、さらにはピストルをしたが、因縁いんねんのあった斎藤さいとう背後はいごからとどめをされ、絶命ぜつめい。この事件じけん幕府ばくふ不満ふまんものたちの仕業しわざ偽装ぎそうされたが、永倉ながくらは、大坂おおさか出向でむいたさいに「内山うちやま新選しんせんぐみころされた」といううわさみみにしたとかたっており、近藤こんどう事実じじつなのか確認かくにんしている(のち芹沢せりざわ暗殺あんさつ暴露ばくろされているが、内山うちやまについてはどうなったのかはえがかれずにわった)。「新選しんせんぐみ!スペシャル」には登場とうじょうしない。
永井ながい尚志ひさし(ながい なおむね)
えんじ佐藤さとうBさく
大目おおめづけ、のち若年寄わかどしよりかく長州ちょうしゅう処分しょぶんめるため、広島ひろしまかう。そのさい近藤こんどう伊東いとういたる広島ひろしまかう。しかし長州ちょうしゅうはんとの交渉こうしょう決裂けつれつする。大政奉還たいせいほうかんのち坂本さかもと龍馬りょうま訪問ほうもんけ、徳川とくがわ慶喜よしのぶ中心ちゅうしんとする政権せいけん構想こうそういたことから、坂本さかもと徳川とくがわにとって必要ひつよう人物じんぶつ認識にんしきし、幕臣ばくしん反感はんかんたれていた坂本さかもとまもるよう、近藤こんどう指示しじする。王政おうせい復古ふっこだい号令ごうれいのちは、見廻組みまわりぐみしんゆうげきたい新選しんせんぐみしんゆうげきたいやといとした編成へんせいえをつたえる。しかし、近藤こんどう二条城にじょうじょうから伏見ふしみへの配置はいちえを永井ながいめいぜられたさいしんゆうげきたいやとい返上へんじょうした。鳥羽とば伏見ふしみたたかいののちは、近藤こんどう慶喜よしのぶ江戸えどもどったことを苦々にがにがしげにげる。
新選しんせんぐみ!! 土方ひじかた歳三としぞう 最期さいごいちにち』でははこかん奉行ぶぎょうとして登場とうじょう土方ひじかたはじめ新選しんせんぐみたいたちにびるべきとく。最終さいしゅうてきにはしん政府せいふぐんやぶれるのが確定かくていするなか、それまでともたたかってきたものたちけて、びるみちつくるべく降伏ごうぶくのための交渉こうしょうかるむねう。
榎本えのもと武揚ぶよう(えのもと たけあき)
えんじくさ彅剛新選しんせんぐみ!)/ 片岡かたおか愛之助あいのすけ新選しんせんぐみ!! 土方ひじかた歳三としぞう 最期さいごいちにち
新選しんせんぐみ上方かみがたから江戸えどげるさい軍艦ぐんかんあたまとして登場とうじょう徳川とくがわ慶喜よしのぶ松平まつだいら容保かたもりらをせた開陽かいようまる出航しゅっこうおくれ、富士山ふじさんまる幕府ばくふぐん負傷ふしょうへい回収かいしゅうして江戸えど脱出だっしゅつするとき鳥羽とば伏見ふしみ敗走はいそうした新選しんせんぐみわせる。そのさい榎本えのもと洋装ようそう興味きょうみしめした土方どかたは「そのふく、どこでれました」とたずねた。これに触発しょくはつされたのか、近藤こんどう沖田おきたらがいぶかしむのも頓着とんじゃくせず、土方どかた以降いこう洋装ようそうごすことになる。のち海軍かいぐんふく総裁そうさい
大鳥おおとり圭介けいすけ(おおとり けいすけ)
えんじ吹越ふきこしみつる
伝習でんしゅうたい隊長たいちょう土方ひじかた歳三としぞう最期さいごいちにちオリジナルキャラクター。土方どかたとは戦術せんじゅつ方針ほうしんめぐってよくめている。しかし、ちたいというおもいはだれよりもつよく、最後さいご土方どかた協力きょうりょくしていたが土方どかた戦死せんしると函館はこだて地形ちけい模型もけいこわしてやんだ。
市川いちかわ八郎はちろう(いちかわ うはちろう)
市川いちかわ八郎はちろう芳賀はがむべみち
えんじはちじゅう勇一ゆういち
松前まさき脱藩だっぱん永倉ながくらとは松前まさきはんときからの友人ゆうじん。ヒュースケン襲撃しゅうげき実行じっこうはん1人ひとりで、ヒュースケンの訪問ほうもんさき居合いあわせた近藤こんどう土方どかたらえた。このとき仲間なかまであった永倉ながくらによって、2人ふたりすくわれた。近藤こんどうさとされた永倉ながくら寝返ねがえりによって、襲撃しゅうげき失敗しっぱいし、宇八ろうらは報酬ほうしゅうをふいにする。浪士ろうしぐみ結成けっせいさいには病床びょうしょうにあり、さきながくないと悲観ひかんした宇八ろう将来しょうらい約束やくそくしたおそのの後事こうじ永倉ながくらたくす。
のち永倉ながくら潰走かいそうしたきのえよう鎮撫ちんぶたい近藤こんどう訣別けつべつし、原田はらだとも江戸えどもどっていたとき再会さいかい、そのさい芳賀はがむべみち(ぎどう)と名乗なのっている。永倉ながくららを結成けっせいしたばかりのやすし兵隊へいたいさそった。このとき近藤こんどうらえられたことをおしえたが、近藤こんどう新選しんせんぐみ悪口わるぐちったところ、永倉ながくら叱責しっせきされる。
井沢いざわ(いざわ)
えんじ清田きよた正裕まさひろ
大阪おおさか西にし町奉行まちぶぎょうしょ与力よりき
松本まつもとりょうじゅん(まつもと りょうじゅん)
えんじ田中たなか哲司てつし
西洋せいよう医学いがくしょ頭取とうどりたい募集ぼしゅう老中ろうじゅうへの対面たいめんのために江戸えどもどった近藤こんどうに、沖田おきたやまい相談そうだんされる。そのさいくるしみをやわらげるくすり近藤こんどうあたえるが、西洋せいよう医学いがく先進せんしんせい説明せつめいし、攘夷じょうい是非ぜひける。
その将軍しょうぐん家茂いえもちしたが上洛じょうらくしたさいに、新選しんせんぐみ健康けんこう診断しんだんおこなう。そのさいに、沖田おきたやまい労咳ろうがい診断しんだん山崎やまざきにはかたなきず縫合ほうごうじゅつ伝授でんじゅする。御陵ごりょう衛士えじによって伏見ふしみ街道かいどうけた近藤こんどう銃創じゅうそう治療ちりょうする。鳥羽とば伏見ふしみたたかいののちには負傷ふしょうへい治療ちりょうおこなう。
竹中たけなかしげるかた(たけなか しげかた)
えんじ菊池きくちひとし
若年寄わかどしよりなみ陸軍りくぐん奉行ぶぎょう鳥羽とば伏見ふしみたたかまえに「伏見ふしみ奉行ぶぎょうしょ見渡みわたせるこうみやさえるべき」と進言しんげんした永倉ながくら新八しんぱち意見いけん徳川とくがわぐん総勢そうぜいいちまんせんかずをたのみにと退しりぞける。しかし薩摩さつまぜい銃撃じゅうげきこうしきれず退却たいきゃくする。
やなぎ(やなぎ)
えんじ藤井ふじいしげるつよし
佐々木ささき只三郎たださぶろう部下ぶか殿内とのうち佐々木ささきとの取次とりつぎやく佐々木ささきめいじられる。
松浦まつうらあん左衛門さえもん(まつうら やすざえもん)
えんじ森田もりたガンツ
幕臣ばくしん捕縛ほばくされた佐久間さくま象山ぞうさん尋問じんもんする。
小松こまつ(こまつ)
えんじビビる大木たいぼく
菜葉なっぱたい新選しんせんぐみきのえよう鎮撫ちんぶたいとして甲府こうふかうようめいじられた道中どうちゅう多摩たまで、故郷こきょうにしきかざったさいもうけられたうたげに、土方どかたいのちによって捨助がれてた。小松こまついわく、たい規模きぼはおよそ1,600にんらしいが、援軍えんぐん約束やくそくしたものの永倉ながくらいわ多摩たまでもたもたしていたうち甲府こうふじょううばわれたことで劣勢れっせいたされた甲州こうしゅう勝沼かつぬまたたか菜葉なっぱたい1人ひとりとしてあらわれず、土方どかた要請ようせい出向でむいたが結局けっきょく参戦さんせんしなかった。そしていよいよ永倉ながくら近藤こんどう戦線せんせんから後退こうたいさせるべきと主張しゅちょうしたが、援軍えんぐん期待きたい戦場せんじょうまる近藤こんどう意見いけん決裂けつれつためしまもるかん以来いらい仲間なかまであった永倉ながくら原田はらだ離脱りだつまねいた。
松平まつだいらじょうけい(まつだいら さだあき)
えんじ高橋たかはし一生かずお
桑名くわな藩主はんしゅ松平まつだいら容保かたもり実弟じってい京都きょうと所司代しょしだいとして守護しゅごしょくあにたすける。
松前まさき伊豆いずまもる(まつまえ いずのかみ)
えんじ大石おおいしつぎふとし
老中ろうじゅうかく江戸えどもどった近藤こんどう対面たいめんする。将軍しょうぐんみずからの長州ちょうしゅう征伐せいばつうったえる近藤こんどうに、「旗本はたもとたちに支度したくきんない」とうしきな返事へんじをする。

朝廷ちょうてい

編集へんしゅう
孝明たかあきみかど(こうめいてい)
えんじ中村なかむら福助ふくすけ
だい121だい天皇てんのう攘夷じょういねがっているが、過激かげきなことはこのんでいなかった。きょう治安ちあんまも松平まつだいら容保かたもりなによりのたのみとし、にしきころもあた陣羽織じんばおりつくらせた。14だい将軍家しょうぐんけしげ死後しごうようにくなった。その新選しんせんぐみ将来しょうらいおおきな影響えいきょうあたえた。
岩倉いわくらともさん(いわくら ゆうざん)
岩倉いわくらともさん岩倉いわくら具視ともみ
えんじ中村なかむら有志ゆうじ
岩倉いわくら具視ともみ(ともみ)。一時いちじ公武こうぶ合体がったい画策かくさくしたため尊攘そんじょうねらわれ、らくきた岩倉いわくらむら蟄居ちっきょしていた。かつら西郷さいごうからもその実力じつりょくたよられたほどの人物じんぶつ。その薩長さっちょう復権ふっけんした。大政奉還たいせいほうかん成功せいこうみちびいたのち坂本さかもと龍馬りょうま始末しまつすべきと西郷さいごう大久保おおくぼかたる。そして、今後こんごしん政府せいふについて意見いけんもとめたことにたい発言はつげんした伊東いとう甲子太郎きねたろうだい開国かいこくさく新選しんせんぐみにいた過去かこ理由りゆうふうじ、冷遇れいぐうする。鳥羽とば伏見ふしみたたかいのまえには西郷さいごう大久保おおくぼまえ弱気よわきになる。しかし、岩倉いわくらっていたきくすずがきっかけでにしきはたつくるよう大久保おおくぼ意見いけん具申ぐしんする。
中川なかがわみや(なかがわのみや)
えんじ浜口はまぐちさとる
皇族こうぞく八月はちがつじゅうはちにち政変せいへん参画さんかくする。
鷹司たかつかさ輔熈(たかつかさ すけひろ)
えんじ立川たちかわ三貴みき
関白かんぱく長州ちょうしゅうはん同情どうじょうてき公家くげであったが、禁門きんもんへんさいには御所ごしょけて発砲はっぽうしたことを理由りゆう久坂くさかげんみずみかどへの取次とりつぎことわる。
中山なかやま忠能ただやす(なかやま ただやす)
えんじ仲恭ちゅうきょうつかさ
はちがつじゅうはちにち政変せいへん参画さんかくする。
明治天皇めいじてんのう(めいじてんのう)
えんじ中川なかがわけいよん
だい122だい天皇てんのう王政おうせい復古ふっこだい号令ごうれい発令はつれいする。

その市井しせい

編集へんしゅう
植木うえき平五郎へいごろう(うえきや へいごろう)
えんじ島田しまだじゅん[注釈ちゅうしゃく 19]
きのえよう鎮撫ちんぶたいから江戸えどもどった総司そうし療養りょうようさきえらぶ。総司そうしとおこう笑顔えがおで「おにん本当ほんとうなかがよいですね」とこえをかける。
きん(おこと)
えんじ田丸たまる麻紀まき
土方ひじかた歳三としぞう見合みあいをする。しかし、「よめもらうつもりはない」とはなされるものの、土方どかたたおされ関係かんけいつ。当時とうじとしては普通ふつう感覚かんかくっていた一途いちず女性じょせい土方どかたみ、結婚けっこんのぞんでいたが、束縛そくばくされることをきら土方どかたおうじることはなかった。それでも土方どかたわすれられずに、浪士ろうしぐみ結成けっせいさいにも土方どかたさがもとめる。捨助をだまして50りょうげた土方どかたが捨助をなぐだお気絶きぜつさせているところを目撃もくげきする。そして土方どかたちかくのてらまれたおされた。
きのえよう鎮撫ちんぶたいとして多摩たまもどった土方どかた再会さいかいする。しかし、そのとき多摩たまでも指折ゆびおりの金持かねもちと結婚けっこんしたのちであった。そしてきしめようとする土方どかたしんとは裏腹うらはらののしかえす。
しょう野川のがわしげる五郎ごろう(おのがわ ひでごろう)
えんじ瑳川哲朗てつろう[注釈ちゅうしゃく 20]
大坂おおさか小野川おのがわ部屋へや親方おやかた冷静れいせいかつ良識りょうしきてき性格せいかくで、小野川おのがわ部屋へや力士りきし猪熊いのくま芹沢せりざわきずわされたときは、報復ほうふくもう力士りきしたちに「奉行ぶぎょうしょとどけて沙汰さたつ」とさとす。
しかし、これを浪士ろうしぐみ壊滅かいめつ目論もくろんだ内山うちやまによって力士りきしたちそそのかされたことで、ふたた乱闘らんとうき、熊次郎くまじろうころされるなどおおきな被害ひがいけた。のち謝罪しゃざいおとずれた近藤こんどう実直じっちょく人柄ひとがら感心かんしんし、みずか和解わかいもううえ熊次郎くまじろう弔問ちょうもん希望きぼうした近藤こんどうこころよれた。
熊川くまかわ熊次郎くまじろう(くまかわ くまじろう)
えんじまいうみ
小野川おのがわ部屋へや力士りきし猪熊いのくまられたとき大坂おおさかまち奉行ぶぎょうしょ与力よりき内山うちやま彦次郎ひこじろうとどる。その内山うちやまそそのかされ浪士ろうしぐみへの報復ほうふく先頭せんとうつも、芹沢せりざわさきられる。
黒神くろかみ(くろがみ)
えんじだいいたり
小野川おのがわ部屋へや力士りきし大坂おおさか横綱よこづな大坂おおさかでの乱闘らんとうさわ仲直なかなおりのためにおこなわれた壬生みぶ相撲すもう興行こうぎょう活躍かつやくする。
猪熊いのくま喜一郎きいちろう(いのくま きいちろう)
えんじ割石わりいし秀樹ひでき
小野川おのがわ部屋へや力士りきし芹沢せりざわ北新地きたしんちはしうえ手傷てきずわされる。
おしず
えんじおつ
土方ひじかた歳三としぞう恋人こいびとだったが、わりにわかれをげに島崎しまざき勝太かつた一発いっぱつなぐる。
とみ(おとみ)
えんじ木村きむらこう
ヒュースケンの恋人こいびとであるが、浪士ろうしたちにヒュースケン襲撃しゅうげき場所ばしょとして居所きょしょねらわれる。玉子たまごきをつくってヒュースケンをっていた。
つき廼屋仲助なかすけ(つきのや ちゅうすけ)
えんじ福永ふくなが幸男ゆきお
きんちち。おきん土方どかた見合みあいのせき同席どうせきする。
つき廼屋清蔵せいぞう(つきのや せいぞう)
えんじのうさき裕二ゆうじ
きんあに。おきん結婚けっこんする意思いしがない土方どかたを「いもうとをもてあそんだ」と激怒げきど報復ほうふくする。
しょうろく(ころく)
えんじ亀山かめやましのぶ
博打打ばくちうちのあたま斎藤さいとうはじめきょうでの放浪ほうろう時代じだいう。斎藤さいとう壬生みぶ浪士ろうしぐみ入隊にゅうたいしてからもつきまとい、縄張なわばりをひろげるため斎藤さいとうすけたのむ。大坂おおさかでもつきまとっていたが、永倉ながくらに「斎藤さいとうはもうおまえたちとはわん」とげられる。その大坂おおさか商家しょうかおそったところつかまり、内山うちやままえで「新選しんせんぐみむかし仲間なかまがいる」と白状はくじょうしてしまい、斎藤さいとう内山うちやまにより捕縛ほばくされてしまう。
とみ
えんじ太田おおたあやか
板橋いたばし豊田とよだ少女しょうじょ近藤こんどう幽閉ゆうへいされていた部屋へやる。近藤こんどうがげんこつをくちれたのを無邪気むじゃきわらう。近藤こんどうは、その姿すがたきくをついていたむすめのたまの面影おもかげかさねる。
おゆみ
えんじ井上いのうえひろし季子としこ
まさがいているしげるをあやしているまえで「本当ほんとうにおなかをよくらすや、だれたんからんけど」と
そば主人しゅじん
えんじ木村きむら祐一ゆういち
だい6近藤こんどう土方どかたったそばせんきょく」の主人しゅじん
そば女将おかみ
えんじ城山しろやま未帆みほ

外国がいこくじん

編集へんしゅう
ヒュースケン
えんじ川平かびら慈英
アメリカ公使館こうしかん通訳つうやくオランダドイツ英語えいごフランス語ふらんすご精通せいつうし、日本語にほんご堪能たんのう日本にっぽんうつくしさをしんからあいしている。おとみいえ途中とちゅう近藤こんどう土方どかたから浪士ろうしたちがおとみいえでヒュースケンをやみちしようとしていることをげられるとともに、日本にっぽんから外国がいこくじんるように懇願こんがんされる。しかし、近藤こんどう土方どかた謝意しゃいあらわしながらもおとみ危険きけんせまっているのを見捨みすてるわけにはいかないと、おとみいえかい、近藤こんどうらの懇願こんがんたいし、日本人にっぽんじんなかかえるであってはならないという持論じろんかたる。近藤こんどう土方どかた浪士ろうし説得せっとくしようとしたが永倉ながくらのみ同意どういし、ヒュースケンを浪士ろうしたちからまもった。その自分じぶんはいずれ日本人にっぽんじんられるだろうとかたった[注釈ちゅうしゃく 21]
ハリス
えんじマーティ・キーナート
アメリカちゅう総領事そうりょうじかご移動いどうちゅう近藤こんどう土方どかた目撃もくげきされる。近藤こんどうからは「はなでかい」とわれた。
  • さく三谷幸喜みたにこうき
  • 音楽おんがく服部はっとり隆之たかゆき
  • テーマ音楽おんがく演奏えんそうNHK交響こうきょう楽団がくだん
  • テーマ音楽おんがく指揮しき広上ひろがみ淳一じゅんいち
  • テノール独唱どくしょうジョン・けん・ヌッツォ
  • 演奏えんそうフェイス・ミュージック
  • 時代じだい考証こうしょう大石おおいしまなぶ山村やまむら竜也たつや
  • 建築けんちく考証こうしょう平井ひらいきよし
  • 衣装いしょう考証こうしょう小泉こいずみ清子きよこ
  • 音楽おんがく考証こうしょう奥中おくなか康人やすひと
  • 殺陣さつじん武術ぶじゅつ指導しどうはやしくに史朗しろう
  • 所作しょさ指導しどう西川にしかわ乃助
  • 邦楽ほうがく指導しどう本條ほんじょう秀太郎ひでたろう
  • ふく音声おんせい解説かいせつ佐久田さくたおさむ
  • 資料しりょう提供ていきょう三野みの行徳ぎょうとく開陽かいようまるハウステンボス総本山そうほんざん長谷寺はせでら南観音みなみかんおんさん保存ほぞんかい徳川とくがわ記念きねん財団ざいだん
  • 題字だいじ萩野はぎのたんゆき
  • 版画はんが木田きだ安彦やすひこ
  • きょうことば指導しどう井上いのうえひろし季子としこ
  • 土佐とさことば指導しどう岡林おかばやし桂子けいこ
  • 薩摩さつまことば指導しどう西田にしだきよし志郎しろう本編ほんぺんにも出演しゅつえん
  • 御所ごせことば指導しどう堀井ほりいれい以知
  • 茶道さどう指導しどう鈴木すずきそうたく
  • 医術いじゅつ指導しどう中村なかむら毅志たけしおっと
  • 天然てんねんしんりゅう指導しどう宮川みやがわ清蔵せいぞう平井ひらいやすし
  • 壬生みぶ狂言きょうげん指導しどう八木やぎ喜久男きくお
  • 都々逸どどいつ指導しどう西川にしかわおうぎ十郎じゅうろう
  • 料理りょうり指導しどう氏家うじいえ節男せつお
  • 撮影さつえい協力きょうりょく京都きょうと京都きょうと茨城いばらきけん茨城いばらきけん伊奈いなまち千葉ちばけんフィルムコミッション、千葉ちば県立けんりつ房総ぼうそうのむら会津若松あいづわかまつフィルムコミッション、大本山だいほんざんきん戒光明寺あけてら茨城いばらきけん八郷やさとまち姫路ひめじフィルムコミッション、亀山かめやま御坊ごぼう本徳ほんとくてら茨城いばらきけんつくば粟生あおう総本山そうほんざん光明寺こうみょうじ大本山だいほんざん妙心寺みょうしんじ高台寺こうたいじ伏見ふしみ稲荷いなり大社たいしゃ大覚寺だいかくじハウステンボス茨城いばらきけん水海道みつかいどう神奈川かながわけん小田原おだわら西にしさがみフィルムコミッション、茨城いばらきけん那珂なかまち福島ふくしまけん下郷しもごうまち高幡不動たかはたふどうみこと金剛寺こんごうじ
  • かたり:小寺こでら康雄やすおアナウンサー(アバンタイトル)、沢口さわぐち靖子やすこ総集編そうしゅうへん
  • 制作せいさく統括とうかつ吉川よしかわ幸司こうじ
  • デスク:青木あおき信也しんや
  • サブデスク:吉岡よしおか和彦かずひこ屋敷やしき陽太郎ようたろう
  • 美術びじゅつ山下やました恒彦つねひこ岡島おかじま太郎たろう山内やまうちひろしみき
  • 技術ぎじゅつ大沼おおぬま雄次ゆうじ佐々木ささき喜昭よしあき
  • 音響おんきょう効果こうか米本よねもとみつる小野寺おのでら茂樹しげき石川いしかわ恭男やすお
  • 記録きろく野田のだ茂子しげこ
  • 編集へんしゅう岩崎いわさき幹子みきこ
  • 撮影さつえい小笠原おがさわら洋一よういち永野ながのいさむ平野ひらの拓也たくや杉山すぎやまよしかつ
  • 照明しょうめい大西おおにし純夫すみお中村なかむら正則まさのりせき康明やすあき
  • 音声おんせい山賀やまがつとむ冨沢とみさわひろし野原のはらひさしてん上村うえむら悦也えつや金子かねこ泰三たいぞう鈴木すずき清人きよひと寺島てらしま重雄しげお
  • 映像えいぞう技術ぎじゅつ竹内たけうち利夫としお寺島てらしまあきら谷本たにもとすすむこう加藤かとうたかなり大西おおにし康仁やすひとつり木沢きさわあつし田淵たぶち英明ひであき横田よこたみき
  • 美術びじゅつ進行しんこう松谷まつや尚文なおふみ田中たなかひろし峯岸みねぎし伸行のぶゆき西本にしもと幸司こうじ佐藤さとう綾子あやこ
  • 演出えんしゅつ清水しみず一彦かずひこ吉川よしかわ邦夫くにお伊勢田いせだ雅也まさや山本やまもと敏彦としひこ吉田よしだ浩樹ひろき小林こばやしまさる土井どい祥平しょうへい清水しみず拓哉たくや
  • 制作せいさく演出えんしゅつ田代たしろ昌久まさひさ岩城いわききょう一郎いちろう鈴木すずき英雄ひでお山田やまだ哲也てつや
  • デスク森崎もりさき陽子ようこ
  • 番組ばんぐみ広報こうほう竹中たけなか順一じゅんいち栗田くりたひろし
  • 編成へんせいリソース:細谷ほそや卓司たくし
  • 考証こうしょう資料しりょう大森おおもり洋平ようへい

新選しんせんぐみ

編集へんしゅう

撮影さつえい

編集へんしゅう

放送ほうそう

編集へんしゅう

放送ほうそう日程にってい

編集へんしゅう
放送ほうそうかい 放送ほうそう だい 作品さくひんない日付ひづけ 演出えんしゅつ 新選しんせんぐみ
だい01かい 01がつ11にち 黒船くろふね もと元年がんねん4がつ29にち
よしみなが7ねん1がつ24にち
清水しみず一彦かずひこ 浦賀うらがとペリー来航らいこう
だい02かい 01がつ18にち 多摩たまほこりとは 安政あんせい4ねん10月13にち 近藤こんどういさむ故郷こきょう調布ちょうふ
だい03かい 01がつ25にち はは家出いえでする 安政あんせい5ねん8がつ14にち 土方ひじかた歳三としぞう故郷こきょう日野ひの
だい04かい 02がつ01にち 天地てんちひっくりかえ 安政あんせい7ねん3月2にち3月3にち 桜田門さくらだもん江戸城えどじょう
だい05かい 02がつ08にち 婚礼こんれい 万延まんえん元年がんねん3月29にち 近藤こんどういさむ故郷こきょう調布ちょうふ
だい06かい 02がつ15にち ヒュースケンげろ 万延まんえん元年がんねん9月30にち 伊勢田いせだ雅也まさや ためしまもるかん天然てんねんしんりゅう
だい07かい 02がつ22にち しゅくよん代目だいめ襲名しゅうめい 文久ぶんきゅう元年がんねん8がつ27にち いさむ稽古けいこ小島こじま資料しりょうかん
だい08かい 02がつ29にち どうなる日本にっぽん 文久ぶんきゅう2ねん5月29にち 江戸えどさん大道だいどうじょう
だい09かい 03がつ07にち すべてはこの手紙てがみ 文久ぶんきゅう3ねん1がつ17にち 象山ぞうざん故郷こきょう 松代まつだい
だい10かい 03月14にち いよいよ浪士ろうしぐみ 文久ぶんきゅう3ねん2がつ4にち 土方ひじかた歳三としぞう故郷こきょう 日野ひの
だい11かい 03月21にち 母上ははうえってます 文久ぶんきゅう3ねん2がつ5にち 清水しみず一彦かずひこ 清河きよかわ八郎はちろう伝通院でんづういん
だい12かい 03月28にち 西にしへ! 文久ぶんきゅう3ねん2がつ8にち たいになりたかったおとこ 松本まつもと捨助
だい13かい 04がつ04にち 芹沢鴨せりざわかも爆発ばくはつ 文久ぶんきゅう3ねん2がつ10日とおか 伊勢田いせだ雅也まさや 芹沢鴨せりざわかも水戸みと玉造たまつくり
だい14かい 04がつ11にち きょう到着とうちゃく 文久ぶんきゅう3ねん2がつ23にち 新選しんせんぐみ屯所とんしょ 八木はちぼくてい
だい15かい 04がつ18にち くか、のこるか 文久ぶんきゅう3ねん2がつ29にち 清水しみず一彦かずひこ しんとくてら
だい16かい 04がつ25にち 一筆いっぴつ啓上けいじょう、つねさま 文久ぶんきゅう3ねん3月28にち きゅう前川まえかわてい
だい17かい 05月02にち はじまりの 文久ぶんきゅう3ねん3月25にち 伊勢田いせだ雅也まさや 壬生寺みぶでら壬生みぶ狂言きょうげん
だい18かい 05月09にち はつ出動しゅつどう! 壬生みぶ浪士ろうし 文久ぶんきゅう3ねん4がつ1にち 会津あいづ本陣ほんじん きむ戒光明寺あけてら
だい19かい 05月16にち 通夜つや 文久ぶんきゅう3ねん4がつ8にち 吉田よしだ浩樹ひろき 忠義ちゅうぎ藩主はんしゅ 松平まつだいら容保かたもり
だい20かい 05月23にち かもわすな 文久ぶんきゅう3ねん4がつ21にち ろくばん組長くみちょう 井上いのうえ源三郎げんざぶろう
だい21かい 05月30にち どっこい事件じけん 文久ぶんきゅう3ねん6月3にち 清水しみず一彦かずひこ 大阪おおさかたいたち
だい22かい 06がつ06にち 屋根やねうえかも 文久ぶんきゅう3ねん8がつ12にち 伊勢田いせだ雅也まさや かつら小五郎こごろうつま いくまつ
だい23かい 06月13にち 政変せいへんはちがつじゅうはちにち 文久ぶんきゅう3ねん8がつ17にち 京都きょうと御所ごしょ はまぐり御門みかど
だい24かい 06がつ20日はつか けてはとおれぬみち 文久ぶんきゅう3ねん9月13にち 清水しみず一彦かずひこ 新選しんせんぐみかた 永倉ながくら新八しんぱち
だい25かい 06月27にち 新選しんせんぐみ誕生たんじょう 文久ぶんきゅう3ねん9月18にち 芹沢せりざわ襲撃しゅうげき 八木はちぼくてい
だい26かい 07がつ04にち 局長きょくちょう 近藤こんどういさむ もと元年がんねん5月21にち 伊勢田いせだ雅也まさや 吉田よしだ松陰しょういん長州ちょうしゅうはぎ
だい27かい 07がつ11にち 直前ちょくぜん池田いけだ事件じけん もと元年がんねん6月5にち 京都きょうと 霊山れいざん歴史れきしかん
だい28かい 07がつ18にち そして池田いけだ 元治もとはる元年がんねん6がつ5にち 清水しみず一彦かずひこ 京都きょうと 池田いけだ
だい29かい 07がつ25にち 長州ちょうしゅう もと元年がんねん7がつ18にち 山本やまもと敏彦としひこ 久坂くさかげんみず長州ちょうしゅうはぎ
だい30かい 08がつ01にち 永倉ながくら新八しんぱち反乱はんらん もと元年がんねん8がつ20日はつか 京都きょうと 霊山れいざん墓地ぼち
だい31かい 08がつ08にち 江戸えどかえ もと元年がんねん9月9にち 伊勢田いせだ雅也まさや 京都きょうと 明保野あけぼのてい事件じけん
だい32かい 08がつ15にち 山南さんなん脱走だっそう もと2ねん2がつ21にち 浪士ろうしぐみ外伝がいでん
だい33かい 08がつ22にち とも もと2ねん2がつ23にち 総長そうちょう 山南さんなん敬助けいすけひかりえんてら
だい34かい 08がつ29にち 寺田てらだだい騒動そうどう もと2ねん3月5にち 山本やまもと敏彦としひこ だい屯所とんしょ 西本願寺にしほんがんじ
だい35かい 09月05にち さらば壬生みぶむら もと2ねん3がつ10日とおか 南部なんぶはん脱藩だっぱん 吉村よしむら貫一かんいちろう
だい36かい 09月12にち 対決たいけつ見廻組みまわりぐみ もと2ねん3月26にち 伊勢田いせだ雅也まさや 西郷さいごう隆盛たかもりかつ海舟かいしゅう
だい37かい 09月19にち 薩長さっちょう同盟どうめい締結ていけつ 慶応けいおう元年がんねん9月1にち
慶応けいおう2ねん1がつ21にち
清水しみず一彦かずひこ 薩摩さつま藩邸はんていあと薩長さっちょう同盟どうめい
だい38かい 09月26にち あるたい切腹せっぷく 慶応けいおう2ねん2がつ12にち 山本やまもと敏彦としひこ 寺田てらだとおりゅう
だい39かい 10月03にち 将軍しょうぐん 慶応けいおう2ねん7がつ25にち 伊勢田いせだ雅也まさや たにさん兄弟きょうだい
だい40かい 10がつ10日とおか 平助へいすけ旅立たびだ 慶応けいおう3ねん1がつ4にち 清水しみず一彦かずひこ 龍馬りょうま故郷こきょう 土佐とさ
だい41かい 10月17にち かんやなぎひとし転落てんらく 慶応けいおう3ねん6月22にち 小林こばやしだい 龍馬りょうま 脱藩だっぱんへのみち
だい42かい 10月24にち 龍馬りょうま暗殺あんさつ 慶応けいおう3ねん11月15にち 清水しみず一彦かずひこ 龍馬りょうま 暗殺あんさつ
だい43かい 10月31にち 決戦けっせん油小路あぶらのこうじ 慶応けいおう3ねん11月18にち 伊勢田いせだ雅也まさや 伊東いとう甲子太郎きねたろう藤堂とうどう平助へいすけ
だい44かい 11月07にち 局長きょくちょう襲撃しゅうげき 慶応けいおう3ねん12月12にち12月18にち 土井どい祥平しょうへい 近藤こんどういさむ 狙撃そげき
だい45かい 11月14にち みなもとさん、 慶応けいおう4ねん1がつ2にち1がつ3にち1がつ5にち 清水しみず一彦かずひこ 鳥羽とば伏見ふしみたたか
だい46かい 11月21にち ひがし 慶応けいおう4ねん1がつ7にち1がつ9にち1がつ16にち やまい天才てんさい剣士けんし 沖田おきた総司そうし
だい47かい 11月28にち 再会さいかい 慶応けいおう4ねん3月2にち3月6にち きのえよう鎮撫ちんぶたいやぶれる
だい48かい 12月05にち 流山ながれやま 慶応けいおう4ねん4がつ3にち 吉川よしかわ邦夫くにお 近藤こんどう土方ひじかた離別りべつ 流山ながれやま
最終さいしゅうかい 12月12にち いとしきとも 慶応けいおう4ねん4がつ25にち 清水しみず一彦かずひこ 新選しんせんぐみそれぞれのみち
平均へいきん視聴しちょうりつ17.4%(視聴しちょうりつ関東かんとう地区ちくビデオリサーチしゃ調しらべ)[3]
  • ほん放送ほうそうまえばんせん番組ばんぐみ新選しんせんぐみ魅力みりょくのすべて」(2004ねん1がつ11にち放送ほうそうされた。神田かんだ山陽さんよう が、勝手かって応援おうえん団長だんちょうとして登場とうじょう番組ばんぐみ魅力みりょく解説かいせつした。
  • だい1かい最終さいしゅうかいは1あいだ拡大かくだいばんである。だい27かい参議院さんぎいん選挙せんきょ特番とくばんのため地上波ちじょうは19:15-20:00の放送ほうそうだった。だい39かいさい放送ほうそう台風たいふう関連かんれんニュースのため10月11にちつき体育たいいく)に振替ふりかえ放送ほうそうとなった。

新選しんせんぐみ!スペシャル

編集へんしゅう

2004ねん12月26にち29にち2006ねん1がつ3にち放送ほうそう総集編そうしゅうへんであるが公開こうかい映像えいぞう追加ついかされた。「明治めいじ5ねん9月13にち東京とうきょうにおけるみつ懐古かいこ」というかたちで、沢口さわぐち靖子やすこ出演しゅつえん本編ほんぺんにはかったかたりを担当たんとうしている。坂本さかもと龍馬りょうまつたいた事件じけんという設定せっていの、だい1冒頭ぼうとうたい出動しゅつどう場面ばめんはいっていない。各部かくぶ最後さいごにはメインのたいたち私服しふく登場とうじょうする座談ざだんかいまれた。2006ねんさい放送ほうそう続編ぞくへんである『新選しんせんぐみ!! 土方ひじかた歳三としぞう 最期さいごいちにち』の放送ほうそう直前ちょくぜんおこなわれた。

各部かくぶ 放送ほうそう放送ほうそう時間じかん サブタイトル 演出えんしゅつ
だい1 2004ねん12月26にち 16:45 - 18:00
2004ねん12月29にち 12:10 - 13:25
2006ねん1がつ3にち 15:20 - 16:35

2022ねん1がつ2にち 23:06 - 0:20

武士ぶしになる! 清水しみず一彦かずひこ伊勢田いせだ雅也まさや
だい2 2004ねん12月26にち 19:30 - 20:45
2004ねん12月29にち 13:25 - 14:40

2006ねん1がつ3にち 16:45 - 18:00

2022ねん1がつ3にち 0:23 - 1:38

新選しんせんぐみ誕生たんじょう 清水しみず一彦かずひこ伊勢田いせだ雅也まさや吉田よしだ浩樹ひろき
だい3 2004ねん12月26にち 21:00 - 22:15
2004ねん12月29にち 14:40 - 15:55
2006ねん1がつ3にち 19:30 - 20:45

2022ねん1がつ3にち 1:40 - 2:57

いとしきとも 清水しみず一彦かずひこ伊勢田いせだ雅也まさや山本やまもと敏彦としひこ吉川よしかわ邦夫くにお

あなたのアンコール2004

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2004ねん12月30にち山南さんなん敬助けいすけ切腹せっぷくしただい33かいのみ放送ほうそうさかい雅人まさとのメッセージがあった。

  • どんとこい新選しんせんぐみたい座談ざだんかい
  • 新選しんせんぐみ! だい33かいとも」(アバンタイトル部分ぶぶんほん放送ほうそうとはことなる)

だい33かい文化庁ぶんかちょう芸術げいじゅつさい参加さんか作品さくひんとして11月にデジタル衛星えいせいハイビジョンでのさい放送ほうそうおこなわれた。そのため、通常つうじょう6かい放送ほうそう(デジタル総合そうごうテレビでの先行せんこう放送ほうそう・デジタル衛星えいせいハイビジョンでのほん放送ほうそう地上波ちじょうはでのほん放送ほうそう衛星えいせいだい2での放送ほうそう・デジタル衛星えいせいハイビジョンでのさい放送ほうそう地上波ちじょうはでのさい放送ほうそう)にくわえ、2かいさい放送ほうそうおこなわれた。これはNHKのドラマ放送ほうそう史上しじょう唯一ゆいいつことであったため当時とうじ話題わだいになった。

関連かんれん商品しょうひん

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NHK大河たいがドラマ・ストーリー

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その書籍しょせき

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  • 新選しんせんぐみ!完全かんぜんばん だいいちしゅう - ジェネオンエンタテインメント株式会社かぶしきがいしゃ
  • 新選しんせんぐみ!完全かんぜんばん だいしゅう - ジェネオンエンタテインメント株式会社かぶしきがいしゃ
  • 新選しんせんぐみ!スペシャル - アミューズソフトエンタテインメント株式会社かぶしきがいしゃ

関連かんれん作品さくひん

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ だい83かい、2007ねん11月16にち放送ほうそう
  2. ^ 香取かとり提案ていあん三谷みたにが「絶対ぜったいやるべきです」と賛成さんせい実現じつげんした[6]
  3. ^ ただし、矢部やべえんじたおもねとめ新選しんせんぐみえるまえ脱退だったいしていたため、浅葱あさつき羽織はおりそでとおすのははじめてであった。
  4. ^ 近藤こんどう公共こうきょうでは「土方ひじかたくん」とんでいるが、感情かんじょうたかぶったとき2人ふたりだけで会話かいわするさいには「トシ」とんでいる。
  5. ^ このことから、「自分じぶんいのち」を大切たいせつにしない人間にんげんきらうようになり、河合かわい短慮たんりょ理由りゆう切腹せっぷく危険きけんおかしたと勘違かんちがいをしたときには同情どうじょうをしなかった(ただし、真相しんそうかったときぎゃく同情どうじょうするようになった)。
  6. ^ 土方どかたは「さんけしちまったよ。」とってむせていた。
  7. ^ そのため浪士ろうしぐみ上洛じょうらくまえ編成へんせい発表はっぴょうさいこころみまもるかん唯一ゆいいつ(ただし、門人もんじん沖田おきた林太郎りんたろうおなじであったので完全かんぜん一人ひとりぼっちではない。)みんなとちがくみ配属はいぞくされたときには原田はらだに「かげうすいからね〜」とわれていた。
  8. ^ 見捨みすてた芹沢せりざわには「おれがいなくなったら、つぎ(に粛清しゅくせいされるの)は自分じぶん」「そんなこともかんないなんて」とて、土方どかたには「こんながたたいをまとめようとしてもいずれほころびがしょうじる」と、山南さんなんには「(法度はっとに)足元あしもとをすくわれないようせいぜいをつけることだな」とそれぞれ忠告ちゅうこくし、最後さいごに「さきってっている」といいはなった。土方どかただけは一笑いっしょうしてながしていたが、のちに(みずからは覚悟かくごしていたが)芹沢せりざわ暗殺あんさつされ、新撰しんせんぐみ御陵ごりょう衛士えじ伊東いとう一派いっぱ)の伊東いとう甲子太郎きねたろう藤堂とうどう平助へいすけのちくわわる河合かわい三郎さぶろう武田たけだかんやなぎときをはじめおおくの同志どうし離反りはん粛清しゅくせい相次あいつぎ、近藤こんどう銃撃じゅうげきされる遠因えんいんつくしてしまう。そして山南さんなんも(本人ほんにんのぞんだこととはいえ)きょくちゅう法度はっとつみ切腹せっぷくすることになり、皮肉ひにくにも新見にいみ忠告ちゅうこくすべ現実げんじつとなった。
  9. ^ 実際じっさいには、50りょう河合かわい両親りょうしんたのんでってきてもらう手筈てはずになっていたので、武田たけだ無償むしょう西洋せいよう軍学ぐんがくほんれたことになる。
  10. ^ 実際じっさいに、土方どかた沖田おきたつかまり屯所とんしょもどったときに、大石おおいしたちからいしげつけられた。
  11. ^ 土方どかたは「そいつがみずからまいたしゅだ。しょうがねえよ」とくちではきびしくはなしながらも、焦点しょうてんわせない態度たいどをとっており、どうおもっていたのかなどの真意しんい不明ふめい
  12. ^ とく伊東いとう暗殺あんさついちけんは、近藤こんどう土方どかたたちがなんとかけようとしていた御陵ごりょう衛士えじとの全面ぜんめん闘争とうそう火種ひだねとなり、藤堂とうどう戦死せんしや、その御陵ごりょう衛士えじ残党ざんとうからの報復ほうふくによる近藤こんどう負傷ふしょうへとつながる遠因えんいんとなった。一方いっぽう土方どかたは「(大石おおいしいたるがやらずとも)いずれこうなること新選しんせんぐみ御陵ごりょう衛士えじこうそう)は予想よそうできた」として大石おおいしいたる独断どくだん行為こういたいしてとく処罰しょばつすることはなかった。
  13. ^ 三谷幸喜みたにこうき脚本きゃくほん舞台ぶたい彦馬ひこまがゆく』(1990ねん1993ねん)や、テレビドラマ『竜馬りょうまにおまかせ!』(1996ねん日本にほんテレビ)で近藤こんどういさむえんじている。三谷みたに作品さくひんにおける「近藤こんどういさむ」といえば、阿南あなみ健治けんじすほどだった。
  14. ^ テレビドラマ『えよけん』(1970ねんNETとう土方ひじかた歳三としぞうえんじたことにちなんだキャスティング。
  15. ^ 療養りょうようちゅう沖田おきたから剣術けんじゅつ稽古けいこをしないよう、おこうかたな平五郎へいごろうあづけたが、皮肉ひにくにもそれが自分じぶん自身じしん命取いのちとりのきっかけとなってしまった。
  16. ^ 八木はちぼくげんすすむ長男ちょうなんで、実在じつざい人物じんぶつ
  17. ^ 三谷幸喜みたにこうき原作げんさく脚本きゃくほん映画えいが竜馬りょうまつまとそのおっと愛人あいじん』(2002ねん)で、竜馬りょうまにあこがれて竜馬りょうまにそっくりのいをしようとする的屋てきやとらぞうえんじており、「新選しんせんぐみ!」で龍馬りょうまやく抜擢ばってきされたさい、「やっと本人ほんにんになれた」とっている。
  18. ^ 7ねん以降いこうからテレビドラマ『竜馬りょうまがゆく』(1997ねんTBS)のかつら小五郎こごろうをもういちつづけてえんじたことにちなんだキャスティング。
  19. ^ テレビドラマ『えよけん』(1970ねんNETとう沖田おきた総司そうしえんじたことにちなんだキャスティング。
  20. ^ 瑳川は1967ねんのNHK大河たいがドラマ『さん姉妹しまい』にて近藤こんどういさむえんじている。
  21. ^ 史実しじつでの実際じっさい末路まつろである。

出典しゅってん

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  1. ^ 香取かとり慎吾しんご、『新選しんせんぐみ!』忘年会ぼうねんかい電車でんしゃへ「局長きょくちょう!」勘九郎かんくろうらが“随行ずいこう” | マイナビニュース
  2. ^ 大河たいがドラマの50ねん鈴木すずき嘉一きいち中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ2011ねん
  3. ^ a b ビデオリサーチ NHK大河たいがドラマ 過去かこ視聴しちょうりつデータ
  4. ^ ザテレビジョン ドラマアカデミーしょう: 【だい43かい 最優秀さいゆうしゅう作品さくひんしょう】「新選しんせんぐみ!」 - ウェイバックマシン(2014ねん7がつ17にちアーカイブぶん
  5. ^ 三谷幸喜みたにこうきのありふれた生活せいかつ703、朝日新聞あさひしんぶん夕刊ゆうかん、2014ねん5がつ22にち
  6. ^ 三谷幸喜みたにこうきのエッセイしゅう「ありふれた生活せいかつ大河たいが日々ひび巻末かんまつおまけの香取かとり三谷みたに対談たいだん
  7. ^ 山本やまもと耕史こうじあさドラ出演しゅつえん NHKの求愛きゅうあいみのる”. デイリースポーツ online (株式会社かぶしきがいしゃデイリースポーツ). (2015ねん10がつ1にち). https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2015/10/01/0008446743.shtml 2015ねん10がつ1にち閲覧えつらん 
  8. ^ 『プレイバックNHK大河たいがドラマ 時代じだい人物じんぶつトピックスべつ徹底てっていガイド』NHK出版しゅっぱん、2021ねん、154ぺーじ

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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NHK 大河たいがドラマ
ぜん番組ばんぐみ 番組ばんぐみめい 番組ばんぐみ
新選しんせんぐみ!
  1. ^ 3月26にちかね始発しはつから 西にし調布ちょうふえき列車れっしゃ接近せっきんメロディーがNHK大河たいがドラマ「新選しんせんぐみ!」のメインテーマにわります!』(PDF)(プレスリリース)京王けいおう電鉄でんてつ調布ちょうふ、2021ねん3がつ17にちオリジナルの2021ねん3がつ17にち時点じてんにおけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20210317060534/https://www.keio.co.jp/news/update/news_release/news_release2020/nr20210316_nisityouhu.pdf2021ねん3がつ17にち閲覧えつらん